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聖書通読の会 2025
今週(2025/12/01-2025/12/07)は、テモテへの手紙一 1章ーフィレモンへの手紙
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聖書の各巻についての記述は、BRC2013 で配信したものを編集したものです。聖書ノートは、各章ごとに少しずつ「わたしが考えた事」「感じた事」「問い」などを通読にあわせて書いたものです。このようなことを考えながら読んでいる人もいるのだぐらいに読んで頂ければ幸いです。聖書からの引用は、今回わたしが通読している、聖書協会共同訳聖書からのものです。過去の聖書ノートは、BRC2013, BRC2015, BRC2017, BRC2019 のものです。新約聖書は二度ずつ読んでいますので、それぞれ(1)・(2)としています。
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創世記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.1.1-1.25)
- 創世記 1:1-3 初めに神は天と地を創造された。地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」すると光があった。
- このように天地創造を告白するまでどのような経緯があり、どのように人は考えたのだろう。むろん、人は、信仰者を表す。神様から、モーセが直接啓示を受けたとすれば、ことは単純化できるが、みこころを受け取ることについて、わたしたちへの意味づけはほとんどなくなる。モーセが関係したかどうかは別として、ひとりの信仰者が、あるメッセージをうけとり、それを、神のわざとして書き記すのはどのようなことなのかとも考える。おそらく、最初は神の業として書き記したのではないのかもしれない。しかし、この背後にある、創造信仰には、とても深いひとの営みと、ひとの神様を求めた記録があるのだろう。それを少しずつ学んでいきたい。矛盾をさがすことによってではなく、その背後にある信仰者との対話を通して。
- 創世記 2:19,20 神である主は、あらゆる野の獣、あらゆる空の鳥を土で形づくり、人のところへ連れて来られた。人がそれぞれをどのように名付けるか見るためであった。人が生き物それぞれに名を付けると、それがすべて生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、あらゆる野の獣に名を付けた。しかし、自分にふさわしい助け手は見つけることができなかった。
- 興味深い。神が、人と、それぞれの人の周りにあるものの関係に興味があったという記述である。むろん、その逆を考えると、わたしたちにとっても、神様のさまざまなものについての関係は気になるところである。名前をつけることは、関係性の構築の最初の段階なのだろう。ここで、助け手がいないことに至り、男と女のことが登場する。これがとても難しいことの始まりでもあるが。
- 創世記 3:22 神である主は言われた。「人は我々の一人のように善悪を知る者となった。さあ、彼が手を伸ばし、また命の木から取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
- 興味深いが、同時に、ひとにとって、知恵のことが重要であること、そして命が限られているということをどう理解したら良いかということが背景にあったのだろうとも思う。正直、これだけで説明のできるものではないが、ここからひとがさまざまな思いを巡らせたことは、とても重要な問題提起があるということなのだろう。とはいえ、善悪を知る者はなにを意味するのだろうか。本能とはことなる行動がありうることだろうか。もう少しよく考えたい。
- 創世記 4:10-12 主は言われた。「何ということをしたのか。あなたの弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる。今やあなたは呪われている。あなたの手から弟の血を受け取るため、その口を開けた土よりもなお呪われている。あなたが土を耕しても、その土地にはもはや実を結ぶ力がない。あなたは地上をさまよい、さすらう者となる。」
- アベルの血が叫んでいるとは何を言っているのだろうか。血は聖書ではいのちだからいのちが叫び声をあげていることか。呪われているもの、それゆえさすらうもの。われわれはその子孫なのだろう。セトのほうは、どうなのだろうか。聖書の記述は、カインの末裔とは違うというところから始まっているように見えるが、明確ではない。
- 創世記 5:1,2 アダムの系図は次のとおりである。神は人を創造された日、神の姿にこれを造られ、男と女に創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、人と名付けられた。
- どうもこの祝福には、カインの末裔も含まれている。祝福と呪いのもとに置かれているのが人間だということだろうか。そうかもしれない。そのなかで、祝福とのろいのもとである神様とどのようなものとして向き合うかということだろうか。とても挑戦的である。しかし、関係性というのは、すべてそのようなものなのかもしれない。そのなかで、愛すること、互いに愛することへの挑戦もあるのかもしれない。
- 創世記 6:5-7 主は、地上に人の悪がはびこり、その心に計ることが常に悪に傾くのを見て、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。主は言われた。「私は、創造した人を地の面から消し去る。人をはじめとして、家畜、這うもの、空の鳥までも。私はこれらを造ったことを悔やむ。」
- 神様もたいしたことがないなとまずは思ってしまう。しかし、同時に、それが神とひととの関係のもといだと伝えているのだろうとも思う。古代の信仰者は、どのように神様との関係、人々との関係、他者と自己を見ていたのだろうか。簡単には言えない。簡単には答えられない。それで良いのかもしれないが、同時に、たいせつな問いがあることも確かである。
- 創世記 7:1-3 主はノアに言われた。「さあ、あなたと家族は皆、箱舟に入りなさい。この時代にあって私の前に正しいのはあなただと認めたからである。あなたは、すべての清い動物の中から雄と雌を七匹ずつ、清くない動物の中から雄と雌を一匹ずつ取りなさい。空の鳥の中からも雄と雌を七羽ずつ取りなさい。全地の面にその種類が生き残るためである。
- 何がきよく、何がきよくないかは、まだ、人間には伝えられていない。それとも、もともと、清いか、清くないかは、定められているのか。「それは人の心に入るのではなく、腹に入り、そして外に出されるのだ。」このようにイエスは、すべての食べ物を清いものとし、」(マルコ7:19)七はすべての意味だろう。ただ、動物の定義など考えれば、これが、現実的ではないことは明らかである。これも、絶対的なものというより、当時の人が受け取った神様からの啓示としたほうがよいのだろう。それは、たいせつであっても、不完全である。
- 創世記 8:21,22 主は宥めの香りを嗅ぎ、心の中で言われた。「人のゆえに地を呪うことはもう二度としない。人が心に計ることは、幼い時から悪いからだ。この度起こしたような、命あるものをすべて打ち滅ぼすことはもう二度としない。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ/寒さと暑さ、夏と冬/昼と夜、これらがやむことはない。」
- ここで、どこまでのことが言われているのか不明である。最後は、「地の続く限り」とあり、「地が続く限り」生活が続くと考えるのは、あまり特別なことではない。命あるものをすべて打ち滅ぼすことはないと言っているが、これも「この度起こしたような」とついている。ある程度の留保をしているのだろうか。ここの中心は、最初の「人が心に計ることは、幼い時から悪い」という部分なのかもしれない。
- 創世記 9:25-27 そこで彼はこう言った。/「カナンは呪われ、兄弟の僕の僕となるように。」さらにこう言った。/「セムの神、主はたたえられ/カナンはセムの僕となるように。神はヤフェトの土地を広げ/ヤフェトはセムの天幕に住み/カナンはその僕となるように。」
- こんなことが記されている。むろん、知っていたが、今読むと、前の読み方とは変化している。聖書を絶対的なものとしなければ、これは、カナンとの争いがここから正当化されていると取れる。人間の浅ましさ、それを神も同じ考えだとする。ここでは、カナンへの呪いを、ノアの言ったこととしている。それがかろうじて救いだろうか。これがひとの思いである。”25 And he said, Cursed be Canaan; a servant of servants shall he be unto his brethren. 26 And he said, Blessed be the Lord God of Shem; and Canaan shall be his servant. 27 God shall enlarge Japheth, and he shall dwell in the tents of Shem; and Canaan shall be his servant.” (KJV: Gen 9:25-27)
- 創世記 10:15-17 カナンは長男シドン、ヘト、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、
- シドンは、ツロとともに海の民かと思っていたが、どうなのだろうか。シドン人と呼ばれた人は、やはりカナン人の中にいたのかもしない。いずれにしても、ここにリストされている人たちが、イスラエルが滅ぼす人々として後に登場するひとたちである。どう理解するかは難しい。
- 創世記 11:5-7 主は、人の子らが築いた町と塔を見ようと降って来て、言われた。「彼らは皆、一つの民、一つの言語で、こうしたことをし始めた。今や、彼らがしようとしていることは何であれ、誰も止められはしない。さあ、私たちは降って行って、そこで彼らの言語を混乱させ、互いの言語が理解できないようにしよう。」
- 有名な箇所である。現状を考えると、たしかに、言語やコミュニケーション方法は多様で、通じ合わない場合がほとんどである。それを聖書はこのように表現している。しかし、このことにどのように向き合うかも大切なのかなと思う。個人や、グループの尊厳の問題も含んでいる。全体として、大きなことをなそうということはできないようになっていることが表現されているが、それは、個人や尊厳を制限することとも関係しているのかもしれない。さまざまな考え方を尊重することは難しい。コストも大きい。しかし、真剣に向き合うべき課題なのだろう。
- 創世記 12:4 アブラムは主が告げられたとおりに出かけて行った。ロトも一緒に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。
- 現代の年齢とは異なるのかもしれないが、ある程度の歳となってから旅立ったのかもしれない。すくなくとも、テラが亡くなってからである。(11:32)私は、余生だと思っていまを生きている。いままでできなかった奉仕ができれば嬉しいと願っている。しかし、新しい人生がここにひらけているのかもしれない。アブラハムの苦難と奉仕は、わたしのこれから歩むべきそして、向き合うべきものとは異なるだろう。しかし、神様の前に丁寧に生きて行きたいとは願う。
- 創世記 13:1-4 アブラムは妻を伴い、すべての持ち物を携え、エジプトからネゲブへと上って行った。ロトも一緒であった。アブラムは家畜や銀と金に恵まれ、大変に裕福であった。彼はネゲブからさらにベテルまで旅を続け、ベテルとアイの間にある、かつて天幕を張った所までやって来て、初めに祭壇を造った場所に行き、そこで主の名を呼んだ。
- 初めに祭壇を造った場所についてはおそらく、12:7-9 が想定されているのだろう。しかし、おそらく、今回はかなりことなる意識があったろう。少なくとも、家畜や銀と金に恵まれていた。ロトとの話がこの章には書かれているが、新たな課題と向き合う時でもあったのだろう。わたしにとっての今の課題は何なのだろう。
- 創世記 14:13,14 あるとき、逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラムのもとに来て、そのことを知らせた。アブラムはアモリ人マムレの樫の木のそばに住んでいたが、マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと同盟を結んでいた。アブラムは親類の者が捕虜になったと聞き、彼の家で生まれて訓練された三百十八人の従者を動員し、ダンまで追って行った。
- いくつかの情報が書かれていて、興味を持った。マムレのことと、彼の家で生まれて訓練された三百十八人の従者である。マムレは創世記にしか登場しないが、地名としては、今後も何回か登場する。従者がこんなにいるだけではなく、数が明確なことは何を意味するのだろうかと思った。語り伝えられる中で、加えられていったのだろうか。興味深い。
- 創世記 15:1,2 これらのことの後、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」アブラムは言った。「主なる神よ。私に何をくださるというのですか。私には子どもがいませんのに。家の跡継ぎはダマスコのエリエゼルです。」
- 神の祝福への信頼と、現実的な困難さ、不安、ここでは、主は、「私はあなたの盾である」と言っている。守るものということだろうか。ただそれが「報い」とつながり「子孫」の不安へとつながっている。守っていただけるというところで止めておくのが良いのかもしれない。それが信頼だろうか。アブラムに不安や満たされないものもあったのかもしれない。難しい。
- 創世記 16:5,6 そこでサライはアブラムに言った。「あなたのせいで私はひどい目に遭いました。あなたに女奴隷を差し出したのはこの私ですのに、彼女は身ごもったのが分かると、私を見下すようになりました。主が私とあなたとの間を裁かれますように。」アブラムはサライに言った。「女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがよい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライの前から逃げて行った。
- なかなか難しい。「あなたのせいで」と言われて、アブラムも困ってしまったのだろう。しかし、主への信頼が問われているとも取れる。同時に、アブラムに任せられているとも取ることができる。後者だとしたら、どうしたら良かったのだろうか。それは、わからない。サライをたいせつにすること自体は、問題ではないだろう。あまりここで普遍的価値で議論してもいけないのかもしれない。そのわからないことを通して、神は導き、ひとは、学んでいくのだろうか。結局、わからないかもしれないが。
- 創世記 17:19-21 すると神は言われた。「いや、あなたの妻であるサラがあなたに男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい。私は彼と契約を立て、それをその後に続く子孫のために永遠の契約とする。イシュマエルについてのあなたの願いは聞き入れた。私は彼を祝福し、子孫に恵まれる者とし、その子孫を大いに増やす。彼は十二人の族長をもうけ、私は彼を大いなる国民とする。しかし私が契約を立てるのは、来年のこの時期に、サラがあなたに産むイサクとである。」
- この次には「こう語り終えると、神はアブラハムを離れて昇って行かれた。」(22)とある。無論、幻かもしれず、他者には理解できないことだが、否定できないことがあったのだろう。そして、この箇所は、アブラムが、割礼で応じたことが重要なこととして書かれている。単に、信じたということではないことが書かれているのだろう。パウロの考え方と同時にヤコブの考え方の両方がこの箇所からは読み取れると思われる。「では、この幸いは、割礼のある者だけに与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか、それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前です。」(ローマ4:9-10)「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義とされたではありませんか。あなたの見ているとおり、信仰が彼の行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたのです。」(ヤコブ2:21,22)
- 創世記 18:1-3 主はマムレの樫の木のそばでアブラハムに現れた。昼の暑い頃のことで、彼は天幕の入り口に座っていた。ふと目を上げると、三人の人が近くに立っていた。それを見ると、アブラハムは彼らを迎えようと天幕の入り口から走り出て、地にひれ伏して、言った。「ご主人様、もしよろしければ、どうか僕のところを通り過ぎて行かないでください。
- 地にひれ伏したことが書かれており、これは、主の使いではなく、主であると認識して書かれているとして良いだろう。つまり、この時期に連続して、主と出会うことが書かれているわけである。サラにも現れることが重要だったろうし、ソドムとゴモラのことを伝えることもあったのかもしれない。ハイライトとして書かれているのかもしれない。丁寧に読まないとわからない。
- 創世記 19:16-18 しかしロトはためらっていた。そこで二人の男たちは、主の憐れみによってロトと妻と二人の娘の手をつかんで連れ出し、町の外に置いた。彼らを外に連れ出したとき、主は言われた。「生き延びるために逃げなさい。振り返ってはならない。低地のどこにも立ち止まってはならない。山へ逃げなさい。滅ぼされないためです。」しかしロトは言った。「主よ、私にはできません。
- 文学としてもよく書かれていると思うが、読むたびに本当に悲しくなる。救いが用意されていても、それを素直には受け取れないのが人間なのだろうか。そのことは、自分でもわかるのかもしれない。本当に難しい。神がおられるかどうか以前の問題なのかもしれない。
- 創世記 20:11-13 するとアブラハムは言った。「この地には、神を畏れるということが全くありませんので、人々は妻のゆえに私を殺すだろうと思ったのです。それに実際、彼女は私の父の娘で、妹でもあるのです。ただ母の娘ではないので、彼女は私の妻となることができたのです。神が私を父の家からさすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『こうしてくれると助かる。行く先々で、私のことを兄と言ってくれないか』と頼んだのです。」
- よくこの人たちの前で、こんなことを言えるなと思うが、キリスト者もこれに近いことをしているように思う。非キリスト者にたいし、「神を畏れるということが全くありません」などという。おそらく、それは、神様がそのようなひとの背後にもおられることが見えないからなのだろう。神様を過小評価すると同時に、自分が神になっているのかもしれない。「人が神にならないために - 荒井献説教集」を、わたしも考えたい。
- 創世記 21:12-13 神はアブラハムに言われた。「あの子と女奴隷のことでつらい思いをすることはない。サラがあなたに言うことは何でも聞いてやりなさい。イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれるからである。しかし私は、あの女奴隷の子もまた一つの国民とする。彼もあなたの子孫だからである。」
- 創世記記者がこのように考えたのだろう。わたしは、こんなことを神様が言われるとは考えられない。このあとに「さあ、子どもを抱え上げ、あなたの手でしっかりと抱き締めてやりなさい。私は彼を大いなる国民とする。」(18)泣くイシュマエルのことが記されている。このときイシュマエルはいくつだったのだろうか。少し振り返ると、11:32 には、テラは205歳でハランで死んだことになっている。11:26 では、アブラムを産んだのは、70歳となっている。12:4 には、ハランを出てカナンの地に行ったのは、75歳の時となっている。さらにハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは86歳であったことが、16:16 にある。イサクが生まれたのは、21:5 (17:17参照)によると、アブラム100歳、サラ90歳のようである。アブラムが割礼を受けたのは、17:24 からすると99歳。そのとき、イシュマエルは13歳。すると、イサクが生まれた時、イシュマエルは、14歳である。引用句のときには、イサクは乳離れしているので(21:8)1歳とすると、イシュマエルは、15歳となる。当時はもう勇者だったのではないだろうか。さらに、ハランには、テラは、まだ、170−171歳で生きていることになる。その交流が、イサクの嫁探しまで描かれていないのは不思議である。
- 創世記 22:23,24 ベトエルはリベカをもうけた。ミルカはアブラハムの兄弟ナホルにこれら八人の子を産み、またレウマという名の側女も、テバ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。
- アブラムの兄弟がナホルということは、ナホルもかなりの歳となって、子を持ったのだろうか。このあたりも不明である。あまり、拘らない方が良いのかもしれない。ただ、民族の系譜のようなものは、ある程度重要だったのかもしれない。創世記をどのような書として読むかはとても難しい。
- 創世記 23:15 「ご主人、お聞きください。土地は銀四百シェケルです。それが私とあなたの間で何ほどのものでしょう。どうか亡くなられた方を葬ってください。」
- 1シェケルが 11.4g だとすると、4,560g である。おそらく、これは、相当の銀なのだろう。「こうして、マムレの向かい、マクペラにあるエフロンの畑地、すなわち、畑地とそこにある洞窟、および畑地の境界の中にあるすべての木々が、町の門にやって来ていたすべてのヘトの人々が見ているところで、アブラハムの所有と決まった。」(23,24)契約を大切にしたということだろう。しかし、後には戦争で奪い取る。この辺りの関係はどうなっており、どのように解釈されたのだろうか。それは、時代を超えて続いたものなのだろうか。
- 創世記 24:50,51 ラバンとベトエルは答えた。「これは主から出たことですから、私どもにはその良し悪しを言うことはできません。ここにリベカがおりますので、連れて行ってください。主が言われたように、ご主人の息子の妻にしてください。」
- どのように、だれが結婚について決めていたのだろうか。このあとの場面(57,58)では、リベカに聞いている。しかし、ここでは、どうも聞いているようには見えない。あまりそこにこだわるのはよくないと思うが、創世記の成立年代を議論するのであれば、このような習慣についても理解も大事なように思う。
- 創世記 25:1-3 アブラハムは再び妻をめとった。その名はケトラと言った。彼女はアブラハムに、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアを産んだ。ヨクシャンはシェバとデダンをもうけた。デダンの子孫はアシュル人、レトシム人、レウミム人であった。
- イシュマエルの子孫もそうだが、周囲の部族名が書かれている。アブラハムの末裔として、イスラムのひとたちもその意識をもつ箇所でもある。しかし、やはり選民は、直系。このあたりにも、編集意図はあるのだろう。そして、南アメリカの人たちなどは、そのスコープに入っていない。当時認識されている人たちだけである。
- 創世記 26:28 すると彼らは言った。「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで、私たちの間で、つまり、私たちとあなたとの間で誓約を交わしてはどうかと考えました。私たちはあなたと契約を結びたいのです。
- いろいろと編集意図を考えてしまうようになった。なかなかいくつかの読みかたを並行してすることはできない。このことは、しっかり考えてみたい。
- 創世記 27:40,41 あなたは剣によって生き/弟に仕えるようになる。/ただいつの日か、あなたは束縛から脱して/自分の首からその軛を解き放つだろう。」こうしてエサウは、父がヤコブに与えた祝福のゆえに、ヤコブを恨むようになった。エサウは心の中で言った。「父の喪の日もそう遠くはない。その時には、弟のヤコブを殺してしまおう。」
- 興味深いことが示唆されている。「ただいつの日か、あなたは束縛から脱して/自分の首からその軛を解き放つだろう。」である。そして、このあとのストーリでは、イサクはなかなか死なない。これも一つの主の導きなのだろうか。エサウの物語も、非常に興味深い。
- 創世記 28:8,9 さらにエサウは、カナンの娘たちが父のイサクの気に入らないということを知った。そこでエサウはイシュマエルのところへ行き、すでにいる妻たちのほかに、さらにアブラハムの子イシュマエルの娘で、ネバヨトの姉妹であるマハラトを妻に迎えた。
- なにかとてもかわいそうだ。精神が捻じ曲がるのは理解できる。こんなとき、どうしたら良いのだろうか。信頼し続けることだろうか。わからないことは、わからないとして。
- 創世記 29:13,14 ラバンは妹の子ヤコブの知らせを聞くと、彼を迎えに走って行き、彼を抱き締めて口づけした。そして彼を自分の家へと招き入れた。そこでヤコブがラバンに事の次第をすべて話すと、ラバンは言った。「あなたは本当に私の骨肉だ。」それでヤコブはラバンのところで一か月滞在した。
- 「あなたは本当に私の骨肉だ。」の意味するところは不明だが、ヤコブがエサウを出し抜いた背景には、リベカがいたことは確かだろうから(27:5-17)、自分達と似たところがあることを気取ったのかもしれない。真実(ことの次第すべて)を聞いて、このおひとよしのヤコブを信頼したのかもしれない。なんとも言いようのない戦いがここから始まる。これは、ある物語だとして、やはりヤコブの訓練としては、とてもたいせつなものだったのだろうとも思う。わたしもそのような経験を通して、学んだことはとても多いのだから。
- 創世記 30:32,33 今日、私はあなたの群れをすべて見回り、そこから、ぶちとまだらの羊をすべて、若い雄羊の中では黒みがかった小羊をすべて、山羊の中ではまだらとぶちのものを別にしておきます。それを私の報酬としてください。明日、あなたが私の報酬のことでやって来られるとき、私の正しいことはあなたの前で明らかとなるでしょう。もし山羊の中にぶちでもまだらでもないもの、若い雄羊の中に黒みがかっていないものがあれば、それは私に盗まれたものと見なして結構です。」
- この下りを読んで、遺伝的にどうなのかと科学的な判断を考えていたが、おそらく、重要なのは、このようなことがありうること、しかし、それほど一般的ではないことを当時のひとが信じうるかどうかにかかっていたのだろうと思った。たいせつなのは、巧妙で、通常はこのようなことはしないこと、そして、このようなことで実際、ここに書かれていることが起きそうだと考えるかどうかなのだろう。そう考えると、巧みに書かれていることは確かである。物語を読んでいて非常に興味深いものにしている。
- 創世記 31:38,39 この二十年の間、私はあなたと一緒でしたが、あなたの雌羊と雌山羊が子を産み損ねたことはありませんでした。また私は、あなたの群れの雄羊を食べたことはありません。野獣にかみ裂かれたものは、私にその弁償が求められたので、あなたのところへはそれを持って行かずに自分で償いました。昼盗まれたものも、夜盗まれたものもそうです。
- 文学的にも、とても緻密に書かれている。ここで、ラバンやラバンの息子たちの否定する言葉は書かれていない。すなわち、承認せざるをえないこととして記述されている。そして、ここにあることは、当時の当地のひとたちにとって、よくわかる内容だったのだろう。そして、わたしのように羊飼いについて、まったく知識のないものにも通じる内容が含まれている。やはり文学性としても高いと思う。その背後で働かれる主、ヤコブの信仰面は、まったく書かれていないが、それがかえって人生の重みを表現するものになっている。
- 創世記 32:28,29 男が、「あなたの名前は何と言うのか」と尋ねるので、彼が、「ヤコブです」と答えると、男は言った。「あなたの名はもはやヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。あなたは神と闘い、人々と闘って勝ったからだ。」
- 神と言われると、唯一神、主を考えるが、おそらくそうではないのだろう。「その頃、またその後にも、地上にはネフィリムがいた。神の子らが人の娘たちのところに入り、娘たちが彼らに産んだ者である。昔からの勇士で、名の知れた男たちであった。」(6:4)にあるネフィリムのようなものを想定したのではないだろうか。ネフィリムは『私たちはそこでネフィリムを見た。アナク人はネフィリムの出身なのだ。私たちの目には自分がばったのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。』」(民数記13:33)にも登場する。検索ではこの二件だけだったが。
- 創世記 33:15-17 エサウは、「では、私が連れている者を何人か、あなたのところに残しておくことにしよう」と言ったが、ヤコブは、「いえ、それには及びません。ご主人様のご好意だけで十分です」と答えた。そこでエサウは、その日セイルへの帰途に着いた。ヤコブはスコトへ移り、自分のために家を建て、家畜のために小屋を作った。それで、その場所の名はスコトと呼ばれた。
- 場所が良くはわからないが、セイルは死海の南東、シャケルはヨルダン側の西、だいたいガリラヤ湖と死海の中間だろうが、スコトは不明である。かなり離れており、理解が難しい。このヤコブの固辞も気になる。事実というより、ヤコブとエサウの関係を表現しているのかもしれない。ヤコブの述懐(思い出)として記述されているのかもしれない。
- 創世記 34:1,2 ある日、レアがヤコブに産んだ娘ディナは、土地の娘たちを訪ねて出かけて行った。ところが、その地の首長であるヒビ人ハモルの息子シェケムは、彼女を見かけて捕まえ、共に寝て辱めた。
- 事件勃発である。ディナについては、生まれたことが 30:21 に「その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名付けた。」とあるが、この事件の背景として書いており、娘が生まれたことは基本的に書かれていないのだろう。「三日目になって、男たちがまだ傷の痛みを覚えていたとき、ヤコブの二人の子、ディナの兄弟シメオンとレビは、それぞれ剣を取って難なく町に入り、男たちをすべて殺した。」(25)とも書かれており、女性の価値をどう考えるかは難しい。
- 創世記 35:2,3 ヤコブは、家族および一緒にいるすべての人に言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身を清めて衣服を替えなさい。さあ、ベテルに上ろう。苦難の日に私に答え、私の行く道で共にいてくださった神のため、そこに祭壇を造ろう。」
- ヤコブの信仰告白である。「苦難の日に答え、常に共にいてくださった神のみを主とする」ということだろう。その方が特別とういことだろうか。しかし、この時点では、他の神を否定してはいない。自分にとって、または、一族にとっては、この神こそが主であるということだろう。神として認めるということが、最初のステップなのだろう。
- 創世記 36:6-8 エサウは、妻、息子と娘、家のすべての者、家畜とすべての動物、カナンの地で蓄えたすべての財産を携え、弟ヤコブから離れてほかの地へと赴いた。一緒に住むには彼らの財産があまりにも多く、彼らが身を寄せていた地は、その家畜のゆえに、自分たちの生活を支えることができなかったのである。エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。エサウとはエドムのことである。
- 史実ではないかもしれない。しかし、エドムはセイルの山地にある時期に住んでいたことは確かだろう。カナン、特に、南部とセイルは土地としてはどうなのだろうか。どちらも山地のように見える。しかし、セイルの方が過酷な場所のように見える。いつか、そのような地理についても、学んでみたい。それを理解すると、ここに書かれていることから伝えようとしているメッセージが受け取れるのかもしれない。事実ではないとしても、真実は受け取れるかもしれない。
- 創世記 37:9-11 ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄弟に話した。「私はまた夢を見ました。すると、日と月と十一の星が私にひれ伏していたのです。」ヨセフはこれを父と兄弟に話したので、父はヨセフをとがめて言った。「お前が見たその夢は一体何なのだ。私やお母さん、兄弟たちがお前にひれ伏すとでもいうのか。」兄弟はヨセフを妬んだが、父はこのことを心に留めた。
- すでにこの時には、ヨセフの母、ラケルは死んでいるはずである。(35:19)とすると、これは、レアを意味するのだろうか。ヨセフは、どのように、これを理解していたのだろう。おそらく、十分な、理解はできていなかったのではないだろうか。しかし、推測はつく。どう理解したらよいかわからないが。
- 創世記 38:25,26 彼女は引きずり出されたとき、しゅうとのもとに人を送って言った。「この品々の持ち主によって私は身ごもったのです。」そして続けて言った。「どうか、このひもの付いた印章と杖が誰のものか、お確かめください。」ユダはそれらを確かめて言った。「彼女のほうが私よりも正しい。息子のシェラに彼女を与えなかったからだ。」ユダは再びタマルを知ることはなかった。
- 印章と杖をみたとき、引きずりだしてしもべたちも、それが誰のものか分かったのではないだろうか。ということは、ユダは、僕たちにも、恥となったということである。その状態で、このように認められるということは、やはり、神をおそれる気持ちは、あったのだろう。ヨセフの事件とどちらが先かはわからないが、時系列を重視して書かれたとすると、主をおそれず、イシュマエル人にヨセフを売り渡す提案をして、ユダはこれらによって、主を恐れるようになったのかもしれない。
- 創世記 39:20,21 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人がつながれている牢獄に入れた。彼はこうして、牢獄にいることになった。しかし、主はヨセフと共におられ、慈しみを示し、牢獄長の目に適うようにされた。
- 創世記には「主が共におられた」との表現が多い。ヨセフについては、39:2, 3, 21, 23 とこの章に集中している。苦難の中で、主が共におられたということなのだろう。ヤコブの「さあ、ベテルに上ろう。苦難の日に私に答え、私の行く道で共にいてくださった神のため、そこに祭壇を造ろう。」(33:3)の告白と通じているように見える。それぞれに表現のしかたは異なるが。最後にヤコブ(イスラエル)がヨセフに語る「私は間もなく死ぬ。だが神はお前たちと共にいてくださり、先祖の地に連れ戻してくださる。」(48:21)とも繋がるように見える。主が共におられることについて、もう少し深く考えたい。
- 創世記 40:16,17 料理長は、ヨセフの解き明かしが良かったのを聞いて言った。「私も夢を見たのですが、なんと三つのパン籠が私の頭の上にあったのです。いちばん上の籠には、料理人がファラオのために作ったあらゆる料理がありました。しかし鳥が私の頭の上で、籠からそれをついばんでいたのです。」
- 「これらのことの後、エジプト王の献酌官と料理人が主君であるエジプト王に過ちを犯した。」(1)と始まる。引用句の「ヨセフの解き明かしが良かったのを聞いて」に注目していた。他に、こんな劇的な差異が生じる理由が分からなかったからである。しかし、そのような因果関係をもとめてはいけないのかもしれないと考えた。この二人の違いは、他に理由があったかもしれないし、単なる、王のきまぐれであったかもしれない。理由を知ろうとすること自体は、間違いではないと思うが、因果関係を強調することは、神様のみこころを狭く解釈する、これも、単純化バイアスであるように思えるようになった。真実はわからないが。
- 創世記 41:25,26 ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は一つです。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。七頭のよく太った雌牛は七年のことで、七つのよく実った穂も七年のことです。夢は一つです。
- 夢解きからは、さまざまなことが考えられる。まずは、このような夢から、豊作や飢饉との関連について想起することは、それほど奇抜なことではないということである。しかし、それが現実のことだと考えるには、文化的な背景も必要だろう。さらに、それを食糧計画や、納税システムにまで発展させることは、この謎解きにたいする信頼も必要である。しかし、さまざまな予兆から、将来に備えることは、ひとの責務だと考えると、夢とは独立に考えられることでもある。それが賢く生きるということか。信仰とは、別のところ、人間理解に関係があるようにも思われる。
- 創世記 42:35,36 彼らが袋を空にしてみると、それぞれの袋の中には、めいめいの銀の包みが入っていた。銀の包みを見て、兄弟も父も怖くなった。父のヤコブは息子たちに言った。「お前たちは、私から子どもを奪ってしまった。ヨセフがいなくなり、シメオンがいなくなった。そして今度はベニヤミンを私から取り上げようとする。すべて私にばかり降りかかる。」
- 文学表現としてもよく書かれているが、このように、いくつかのことを関連させ、すべてがそうであるように考えてしまうことは、ひとによくある。だから、文学的表現にも使われ、ひとは納得してしまうのだろう。そして、そこから、主の御心を読み取ろうとすることを、否定してはいけないのだろう。しかし、さまざまな要因があり、科学的に考えるならば、さまざまな可能性がある。そのような考え方も、主は、ひとに与えてくださったようにも思う。すべての人にではないし、漸次的で、当時は難しかったのかもしれないが。御心の解釈は困難である。受け取り手にも依存してしまうのだから。よく考えたい。
- 創世記 43:23,24 その人は言った。「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、布袋に宝を隠してあなたがたにくださったのでしょう。あなたがたの銀は私のところに届いています。」そしてシメオンを彼らのところに連れて来た。その人は一行をヨセフの屋敷に招き入れ、水を与えて足を洗わせ、ろばには飼い葉を与えた。
- 他者の神を尊重する表現が現れている。特殊な状況ではあるが、寛容さや、愛が感じられる。これは、どのような書き手のもとで、表現されたのだろうか。唯一神、創造主のみということからは、現れてこないように思われる。「主が共におられる」こちらの方が、創世記の族長物語においては、中心なのだろうか。
- 創世記 44:32,33 僕は父にこの子の安全を請け合って言いました。『もし、この子をあなたのもとに連れ戻さないようなことがあれば、私は生涯、父に対してその罪を負います。』それでどうか僕をこの子の代わりに、ご主人様の僕としてここにとどめ置き、この子は兄弟と一緒に上らせてください。
- 特に、感動的な場面である。この前には、前回、穀物を買いに来た時の、家族に関する会話が含まれている。実際にこのことがあったときには、書かれておらず、ここで、それが明かされることも、感動の瞬間を盛り上げているように見える。さらに、ユダは「もし、この子をあなたのもとに連れ戻さないようなことがあれば、私は生涯、父に対してその罪を負います。」と、父、イスラエルに言うが、罪をどのように負うかは、明かされていなかったものが、ここで初めて明かされる。そのことも、特に、この場面が感動的であることの、理由でもあるように思う。ルベン、ユダ、この二人の行動が、興味深く、背景も多少描かれているが、やはり、ユダが、この時点で、リーダーとして描かれているのだろう。このあとの歴史においても、重要な位置をしめる。それが長男ではなく、四番目だということも、興味深い。
- 創世記 45:5-7 しかし今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのです。この二年の間、この地で飢饉が起こっていますが、さらに五年、耕すことも刈り入れることもないでしょう。神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、この地で生き残る者をあなたがたに与え、あなたがたを生き長らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。
- どのように解釈するかは難しいが、ひとつの解釈は、自分の苦しい時、大域的な観点から、状況を捉えることでもあろう。大飢饉の中で、父の家、神様が導いておられる民が滅びないために必要な苦しみだったとも言えないことはないと言うことだろう。神様の計画の一ピースというものではないが、他にも苦しんでいる人がいることに目を向けることもあるかもしれない。同様な苦しみの中にいる人を知ること。同じではなくても、おなじときに苦しんでいる人たちもいる。自分だけに、それが向いてしまっていては、ただ苦しむだけになってしまう。
- 創世記 46:29,30 ヨセフは車に馬をつないで、父のイスラエルに会いにゴシェンへ上って来た。ヨセフは父に会うなり、その首に抱きつき、その首にすがってしばらく泣いた。イスラエルはヨセフに言った。「これでもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。」
- 「これでもう死んでもよい。」と、ひとはどんなときに思うのだろうか。わたしは、家族が、どうやらやっていけそうになった時、死んでも大丈夫かなと思ったが、それとは、違うのかもしれない。わたしが、すべきことは、これからも、Be available, stay vulnerable! の精神で続けて行きたいと思うが、できなくもなってくるだろう。力が衰えて。だからといって、できなければ、死んだ方がよいというのも、違うだろう。ヤコブの場合は、痛み、神様との関係における棘のようなものが存在したのだろうか。それがこの表現なのだろうか。わたしはどうだろうか。
- 創世記 47:8,9 ファラオがヤコブに、「何歳になったのか」と尋ねると、ヤコブはファラオに答えた。「異国の地に身を寄せた年月は百三十年になります。私の生きた年月は短く、労苦に満ち、先祖たちが異国の地に身を寄せて生きた年月には及びません。」
- ファラオの質問から、ヤコブがかなりの老人であったことが見て取れる。ヤコブの答えからは、幸せではなかった、つまり、祝福の内に生きた年月は長くないことを言っているのだろう。それが、ヤコブが本当に思っていたことかどうかは不明である。ファラオの前だからこう言ったのか。そうすると、自分の先祖は、もっとすごいと言っているようにも見える。真意だからとすると、苦しかった日々を思い出しているのかもしれない。たしかに、ヤコブの物語は、苦難に満ちている。それでも、おそらく、主はともにおられたのだろうが。
- 創世記 48:21,22 イスラエルはヨセフに言った。「私は間もなく死ぬ。だが神はお前たちと共にいてくださり、先祖の地に連れ戻してくださる。私はお前に、兄弟よりも一つ多く分け前を与える。それは私が剣と弓によってアモリ人の手から奪ったものである。」
- 最後のことば「それは私が剣と弓によってアモリ人の手から奪ったもの」がわからない。預言として語られているのか。エフライムとマナセの祝福も、不思議である。イスラエルは、このような、ひとびとのねじれと、時代のねじれのなかで生きているということなのだろうか。なにを、創世記記者は伝えたかったのだろうか。
- 創世記 49:28 これらすべてがイスラエルの十二部族である。これが、彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らをそれぞれにふさわしい祝福をもって祝福した。
- ここでの十二部族には、レビが入っていて、ヨセフの子ら、マナセとエフライムはひとつにまとめられている。「後の日にお前たちにおこること」(1)と始まっているが、すでに起こっていた(創世記に記述されていること)と、書かれていない、おそらく、他の伝承に由来するものが含まれているように思われる。すなわち、これが書かれた時には、十二人のこどもたちは、みな死んでいることを考えると、すでに起こったことが記されているように見える。同時に、引用句にあるように、十二部族についての記述であるようにも見える。ユダや、もしかすると、ベニヤミン、また、ゼブルンは海辺に住むなどもそうかもしれない。混在しているように見える。同時に、これを読んだ、それぞれの部族のひとたちは、どのようにこのイスラエルの祝福を受け取ったのだろうかとも思った。複雑である。
- 創世記 50:15-17 ヨセフの兄弟は父が亡くなったので、ヨセフが自分たちを恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。そこで、人を介してヨセフに伝えた。「父は亡くなる前に、こう命じていました。『ヨセフにこう言いなさい。確かに兄弟はお前に悪いことをした。だがどうかその背きの罪を赦してやってほしい。』それでどうか今、あなたの父の神に仕える僕どもの背きの罪を赦してください。」この言葉を聞いてヨセフは泣いた。
- 物語ではあるが、ひとの人生は、そして、こころは、複雑であることがよく書かれている。ヨセフは、「心配することはありません。私が神に代わることができましょうか。あなたがたは私に悪を企てましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」(19b,20)と告白しているが、他の兄弟の信仰告白は書かれていない。信仰の父祖たちがこのように描かれていることも興味深い。
出エジプト記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.1.26-2.14)
- 出エジプト記 1:15-17 エジプトの王はヘブライ人の助産婦たちに言った。一人の名はシフラ、もう一人はプアであった。「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるとき、お産の台を見て、男の子ならば殺し、女の子なら生かしておけ。」助産婦たちは神を畏れていたので、エジプトの王が命じたとおりにはせず、生まれた男の子を生かしておいた。
- ある伝承があったのか。書く段階で、創作されたのか、不明である。この出エジプトをどのようなものと捉えるかは難しいのだろう。なにかの伝承があったのか、まったくの創作か。ただ、イスラエルの民と、エジプトとのなんらかのつながりは、かなり古くからあったように思われる。いつか少なくとも確実になってきていることだけでも、学んでみたい。
- 出エジプト記 2:13,14 翌日モーセが出て行くと、今度は二人のヘブライ人が争っていた。それで、悪いほうを、「なぜ仲間を打つのか」とたしなめた。するとその男は、「誰がお前を我々の監督や裁き人としたのか。あのエジプト人を殺したように、私を殺そうというのか」と言ったので、モーセは恐れ、きっとあのことが知られているのだと思った。
- 前日に助けたヘブライ人から話が伝わっており、その解釈が、ヘブライ人の中でも一定していなかった、少なくとも、信頼は得ていなかったということだろう。短い記述だが、非常に巧みに書かれている。創世記、出エジプト記の物語はどのように成立したのだろうか。おそらく、古代の人の知恵は、素晴らしいものだったのだろう。
- 出エジプト記 3:13,14 モーセは神に言った。「御覧ください。今、私はイスラエルの人々のところに行って、『あなたがたの先祖の神が私をあなたがたに遣わされました』と言うつもりです。すると彼らは、『その名は何か』と私に問うでしょう。私は何と彼らに言いましょう。」神はモーセに言われた。「私はいる、という者である。」そして言われた。「このようにイスラエルの人々に言いなさい。『私はいる』という方が、私をあなたがたに遣わされたのだと。」
- 創世記でも、「主が共にいてくださった」ことが信仰の基盤にあったと強く感じた。信仰の最初の形なのかもしれない。むろん、それは、そこにとどまるものではなく、主についての認識は広がっていくことでもあるのだろう。ここでも、「私はあなたと共にいる。これが、私があなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えることになる。」(12)と関係して、こう訳されたのだろうが、名前とすることは、慎重にすべきなのかもしれない。むろん、同じ言語ではないので、適切に表現する訳語がなかったとも言えるが。理解するものが適切にうけとらないといけないことなのかもしれない。
- 出エジプト記 4:12,13 だから行きなさい。私があなたの口と共にあり、あなたに語るべきことを教えよう。」しかしモーセは言った。「ああ、主よ。どうか他の人をお遣わしください。」
- 雄弁なアロンが助け手となるが「あなたは彼に語って、言葉を彼の口に授けなさい。私はあなたの口と共に、また、彼の口と共にあって、あなたがなすべきことを教える。」(15)とあり、ここでも、引用句とともに、共にあることが強調されている。その主の存在が、信仰の基本であることが表現されているのだろう。いくつかの奇跡を起こせる能力については、物語的意味しか感じないが、このあたりに、本質があるようにも思える。
- 出エジプト記 5:4,5 エジプトの王は二人に言った。「モーセとアロン、お前たちはなぜ民をその仕事から引き離そうとするのか。自分たちの労働に戻れ。」また、ファラオは言った。「今や、この地の民は増えているのに、お前たちは彼らの労働を休ませようとするのか。」
- エジプト人、または、使役するものの関心事は、労働である。この労働の搾取、その対象としてしか、民をみていない。他者、主がともにいる他者になるかどうかが、鍵なのかもしれない。そう考えると、現代でも、たくさん、関係することがらがあることを思う。これは、使役する側だけでなく、使役される側にもある認識なのかもしれない。労働をどう考えるかもあるが、違うものとして、自分を認識できることも重要なのだろう。もう少し整理して考えたい。
- 出エジプト記 6:6-9 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。『私は主である。あなたがたをエジプトの苦役の下から導き出し、過酷な労働から救い出す。またあなたがたを、伸ばした腕と大いなる裁きによって贖う。私はあなたがたを私の民とし、私はあなたがたの神となる。あなたがたは、私が主、あなたがたの神であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から導き出す者であることを知るようになる。私は、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓った地にあなたがたを導き入れ、それをあなたがたに所有させる。私は主である。』」モーセはこのようにイスラエルの人々に語ったが、彼らは落胆と過酷な労働のために、モーセの言うことを聞こうとしなかった。
- そう簡単に、関係が成立するわけではないのだろう。主もそれをご存知なのかもしれない。時間がかかることをひとはなかなか理解できない。時間をかけることをいとわず、ていねいに生きていきたい。
- 出エジプト記 7:17,18 それで、主はこう言われる。『次のことによって私が主であることを知るようになる。』私が手にする杖でナイルの水を打つと、水は血に変わる。ナイルの魚は死に、ナイルは悪臭を放ち、エジプト人はナイルの水を飲むのが嫌になる。」
- 今回は、杖が気になった。アロンの杖なのか、モーセの杖なのか。両方に、そのような力があったのか。確かな根拠はないが、羊飼いだとすると、男性は、杖を常に持っているのではないかと思う。すると、引用句で言われているのは、モーセの杖のように思われるが、実際に行動を起こすのは、アロンのようである。たいしたことではないのかもしれないが、気になった。
- 出エジプト記 8:1-3 主はモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『あなたは杖を持って、流れの上、水路の上、沼地の上に手を伸ばし、蛙をエジプトの地に這い上がらせなさい。』」アロンはその手をエジプトの水の上に伸ばした。すると、蛙が這い上がって来て、エジプトの地を覆った。魔術師たちも秘術を使って、同じように蛙をエジプトの地に這い上がらせた。
- 杖はアロンの杖のようである。もう一つは魔術と奇跡の違いである。魔術は人間の目的によって自然ではないことを行うこと、奇跡は神の意志を示すため自然には起こらないことを起こすことかと思うが、やはり区別は難しいし、ここでも判断はできないように思われる。
- 出エジプト記 9:14-17 今度こそ私が、あなた自身とあなたの家臣と民に、あらゆる災いを送る。それによって、私のような者は地上のどこにもいないことをあなたは知るようになる。事実、私が今、手を伸ばしてあなたとその民を疫病で打ち、地から滅ぼすこともできる。しかし、私があなたを生かしておいたのは、私の力をあなたに示し、私の名を全地に告げ知らせるためである。あなたは、私の民に向かってなおも高ぶり、彼らを去らせようとしない。
- このあと、「ファラオの家臣のうち、主の言葉を畏れた者は、自分の僕や家畜を家に避難させた。」(20)ともあり、周囲に変化もあることが書かれている。正直、描き方が乱暴に感じるが、それでも、伝承の中で整っていったことは確かなのだろう。人々は、主からどのようなメッセージを受け取ったのだろうか。苦難の中にあって、絶対的な支配下においても、主こそが主であることだろうか。こう言えるのは、捕囚よりは前のように思われる。
- 出エジプト記 10:7,8 家臣はファラオに言った。「いつまでこの男は私たちの罠となるのでしょうか。あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてください。エジプトが滅びかかっていることが、まだお分かりにならないのですか。」モーセとアロンがファラオのもとに呼び戻されると、ファラオは二人に言った。「行って、あなたがたの神、主に仕えなさい。誰と誰が行くのか。」
- 周囲の変化が描かれている。しかし、ファラオはまだ従順にはならないようにされている。物語としては、創世記の族長物語ほどではないが、緻密に構成はされているのだろう。脚色はあったとしても、背後に、それなりの事実があったのかは、これでは不明である。
- 出エジプト記 11:2,3 男も女もそれぞれ、その隣人から銀や金の飾り物を求めるように民に告げなさい。」主はエジプト人が民に好意を持つようにした。モーセその人もまた、エジプトの地でファラオの家臣や民から厚い尊敬を受けた。
- 正直、これが理解できない。エジプトでさまざまな災厄を与えているモーセがなぜ、尊敬されるのだろうか。災厄は一部、ファラオの周辺にしか及ばなかったのだろうか。どのように、異民族と認識できる、イスラエルの民やその指導者が好意を持たれたり、尊敬されたりすることになるのだろうか。尋常ではない。
- 出エジプト記 12:48 もし、寄留者があなたのもとにとどまり、主の過越祭を祝おうとするならば、男は皆、割礼を受けなければならない。そうすれば、過越祭に加わって祝うことができ、イスラエル人のようになる。しかし、無割礼の者は誰も、これを食べてはならない。
- 当時も今も、割礼を受ける民はイスラエル人だけではなく、特に中東からアフリカにはいる。割礼にこだわっている理由はわからないが、捕囚などの折には、明確に、イスラエル人を分ける根拠だったのかもしれない。いずれにしても、これは、男性の割礼を言っているのだから、男女差がある。イスラエルの子孫は、ヤコブの子供達には、おそらく、ひとつとは言えない分断があり、それは、パレスチナの部族集団説の場合も同様だろうが、それが一つになる重要な儀式として、過越祭があり、出エジプトの物語があるのだろうとは思う。しかし、これは、他の民族と分けるという意味で、分断を意味することも確かである。ここに根拠を置く以上、イスラエルの民に普遍的な神の意思は現れないように思う。
- 出エジプト記 13:13-15 ろばの初子はすべて、小羊で贖わなければならない。もし贖わないならば、その首を折らなければならない。あなたの初子のうち、男の子はすべて、贖わなければならない。将来、あなたの子が、『これはどういうことですか』とあなたに尋ねるときはこう答えなさい。『主は力強い手によって私たちをエジプトの地、奴隷の家から導き出してくださった。ファラオがかたくなになり、私たちを去らせないようにしたとき、主は、人の初子から家畜の初子まで、エジプトの地のすべての初子を殺された。それゆえ私は、初めに胎を開く雄をすべて主にいけにえとして献げ、また、自分の初子である息子をすべて贖うのである。』
- あがないという概念が登場する。牧師によると「『あがなわれる』とは、かつて、神がエジプトから⼈々を救い出してくださったように、買い戻されること、救い出されること、あわれみの⼼を忘れないことでした。」と説明していました。やはり、難しい概念である。イスラエルのような土地には、そのような商取引概念もあったのかもしれない。共観福音書にはあまりない概念であることも、理解を難しくしているようにも思う。イエス様が示される神様においては、あながいはどのように説明されるのだろうか。
- 出エジプト記 14:1,2 主はモーセに告げられた。「イスラエルの人々に告げなさい。引き返して、ミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前、すなわち、その向かいにあるバアル・ツェフォンの手前の海辺で宿営しなさい。
- 意図的にこのようにしたと書かれている。物語としてよめばよいが、どうなのだろうか。我々の人生においても、あとから考えると、そのように神様が意図されたと考えることもあるのかもしれない。そのようにして、信仰が形成されていくのだろうか。しかし、それだけであると、心配でもある。そのような、神の特別介入に依存することになる。この箇所でも、たみの訴え(11,12)と対比されている。掘り下げて理解しないといけないと言うことだろうか。よく考えたい。
- 出エジプト記 15:25,26 そこでモーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。彼がそれを水に投げ込むと、水は甘くなった。その所で、主は掟と法を示し、その場で彼を試みて、言われた。「もしあなたの神、主の声に必ず聞き従い、主の目に適う正しいことを行い、その戒めに耳を傾け、その掟をすべて守るならば、エジプト人に下したあらゆる病をあなたには下さない。まことに私は主、あなたを癒やす者である。」
- エジプトを脱出し、ミリアムが歌い、最初の水に関する訴えを主が聞かれる場面である。当時の人たちにとって、主はどのような存在だと描かれているのだろうか。ここには「癒す者」とある。「癒」の字は、創世記には一箇所「アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクと妻、および侍女たちを癒やされたので、彼女たちは子を産むようになった。」(創世記20:3)、出エジプト記では、この箇所だけである。主が共におられること、そして、敵を打ち砕く方なのだろうか。少しずつ、進化していくと考えて良いのだろうか。書かれた時代も複雑だろうが。
- 出エジプト記 16:2,3 イスラエル人の全会衆は荒れ野でモーセとアロンに向かって不平を言った。イスラエルの人々は二人に言った。「私たちはエジプトの地で主の手にかかって死んでいればよかった。あのときは肉の鍋の前に座り、パンを満ち足りるまで食べていたのに、あなたがたは私たちをこの荒れ野に導き出して、この全会衆を飢えで死なせようとしています。」
- このことばは否定されておらず、このあと、「私はイスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えなさい。『夕方には肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたは私が主、あなたがたの神であることを知るようになる。』」(12)と、主はモーセを通して答えている。ということは、食べるものが豊かではなかったからエジプトを出たわけではないことがわかる。主を主として礼拝するためだろうか。ある宗教的自由、良心の自由を得るためだったのだろうか。
- 出エジプト記 17:10,11 ヨシュアはモーセが言ったとおりに行い、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルが丘の頂に登った。モーセが手を上げているとイスラエルが強くなり、手を下げているとアマレクが強くなった。
- 魔術的にも感じるが、おそらく、民のためなのだろう。フルが登場する。フルはおそらく、この箇所が初出。12節にも登場するが、他に、「モーセは長老たちに言った。『私たちがあなたがたのところに帰るまで、この場所で待ちなさい。ここに、アロンとフルがあなたがたと共にいる。訴えのある者は誰でも、彼らのところに行きなさい。』」(24:14)に登場する。31,35,38章に「ユダの部族のフルの子ウリの子ベツァルエル」と登場するが同一人物かどうかは不明。フルはヨシュアとは違った形で、助けたのだろう。24:14 からは、アロンと同じくレビ人である可能性を感じるが。
- 出エジプト記 18:10-12 言った。「主をたたえよ/主はあなたたちをエジプト人の手から/ファラオの手から救い出された。主はエジプト人のもとから民を救い出された。今、わたしは知った/彼らがイスラエルに向かって/高慢にふるまったときにも/主はすべての神々にまさって偉大であったことを。」モーセのしゅうとエトロは焼き尽くす献げ物といけにえを神にささげた。アロンとイスラエルの長老たちも皆来て、モーセのしゅうとと共に神の御前で食事をした。
- モーセのしゅうとエトロの助言によって統治体制も変化していく。礼拝について、少し考えた。エトロの神への捧げ物は、どのように理解したら良いのか。エトロはミデアンの祭司である。(2:16,3:1 など)これは、ミデアンの神にささげたのだろうか。それとも、彼の宗教心の表現だろうか。
- 出エジプト記 19:21,22 主はモーセに言われた。「あなたは下って行き、民が主を見ようとして越境し、多くの者が命を失うことのないように警告しなさい。また主に近づく祭司たちも身を清め、主が彼らを撃たれることがないようにしなさい。」
- この箇所は、理解しにくい。しかし、民と祭司、さらに、祭司の中で、モーセとアロンを分けた重要な箇所でもある。エトロの助言(18:17-23)も関係しているように思われるが、なぜ、このような体制をとるかの説明でもあり、重要な箇所である。あるリーダーシップを仮定することは当然として、主が聖であることとの関係で書かれていることが、理解しづらい点なのだろうか。
- 出エジプト記 20:19 モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」
- 統治体制を、民が望んだように書かれている。固定するかは、またべつのように思うが。たしかに、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。」(7)は難しい。十戒は、どれが十個かも判断が難しい。この7節より前の部分は、序文または、前文であるように見える。すると、殺してはならない以降、5戒、父母を敬え、安息日とあわせると、8戒にしかならない。どのように当時は理解したのだろうか。現代は、教会によってある程度異なっているようだが。
- 出エジプト記 21:4-6 もし、主人が彼に妻を与えて、その妻が彼との間に息子あるいは娘を産んだ場合は、その妻と子供は主人に属し、彼は独身で去らねばならない。もし、その奴隷が、「わたしは主人と妻子とを愛しており、自由の身になる意志はありません」と明言する場合は、主人は彼を神のもとに連れて行く。入り口もしくは入り口の柱のところに連れて行き、彼の耳を錐で刺し通すならば、彼を生涯、奴隷とすることができる。
- 奴隷制度をどのように理解するかは、現代と社会的構造が異なる中で判断が難しい。しかし、そう考えてみると、神の義、公平さとは、なになにかを、当時の人たちなりに、考えた結果であるように思う。この世での正しさの判断には、多くの要素が関わっており、絶対的なものではないから。その中で、ここで「愛(אָהַב)」という言葉が登場するのは興味深い。
- 出エジプト記 22:20,21 寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。
- 背景としては、エトロが現れ、モーセがすべて裁かなければならない状態はやめなければならないと言う助言から律法ができたことを考えなければならないと思った。自分たちが寄留者であったことや、苦しんでいるものの保護などが、含まれている。これによって、当時のひとたちが考えた、神の御心が表現されているのだろう。同時に、ここに表現されていることが完全だとは思えないし、十分であるとも思えない。システムを作ることは、ある程度以上の人数になれば、必要で、それがなければ、公平性は担保できないことは確かである。そして、その公平性も、完全ではなく、少しずつ整えていくものなのだろう。
- 出エジプト記 23:1-3 あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはならない。あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。
- 当たり前かもしれないが、たいせつなことが書かれている。公平性、神の義(ただしさ)のお裾分けのような感じがする。今回読んでいて驚いたのは、これらのこと(段落)の最後
「あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。」(9)で締めくくられていることである。寄留者の弱い立場をあなた自身も知っているよねと語りかけているようである。このことを忘れてしまう、または知らないと、やはり、神の正しさを求めることが出来ないのかもしれないとも思った。むろん、それだけで、完璧になるわけではないが。
- 出エジプト記 24:12-14 主が、「わたしのもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。わたしは、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われると、モーセは従者ヨシュアと共に立ち上がった。モーセは、神の山へ登って行くとき、長老たちに言った。「わたしたちがあなたたちのもとに帰って来るまで、ここにとどまっていなさい。見よ、アロンとフルとがあなたたちと共にいる。何か訴えのある者は、彼らのところに行きなさい。」
- アロンとフルに山の下(地上)のことを任せて、モーセはヨシュアとつれて山に登る。しかし、このあとの悲劇を我々は知っている。本当に、難しいのだなと考えさせられる。そして、聖書はそのことを知っているということだろう。それは、神を畏れているからだろうか。ひとは神になってはならない。
- 出エジプト記 25:8,9 また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。
- どうも、ここから、わたしが苦手なところに入るようだ。幕屋の建設のために、献納物を集めるくだりである。その最初の段落、実際に作る具体的なものの記述の前に、この引用句がある。ここで、彼らのうちに住むとあるが、すでに、問題を引き起こす元凶とも言えるものが現れているように感じてしまう。他者(イスラエル以外)との区別が明確になると思われるからである。宗教の難しいさでもある。
- 出エジプト記 26:31 また青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で垂幕を作り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出さなければならない。
- 垂幕は、聖所と至聖所を分けるもの(33)である。至聖所には、さしあたり、証しの箱が置かれる。そこには、掟が書かれた石の板が納められるようだが、神の掟を固定するということは、間違いなく、神の御心を受け取ったことを意味すると共に、変更されないことが前提となる。そのような正しさをひとは受け取ることができるのだろうか。そのようなものとして受け取ったということは、確かであり、そう考えることを否定しない。しかし、社会は変化し、世界についての認識も広がっていく。正しさをある時点で固定することは、学ぶことを否定することにもつながるように思う。ていねいにこれからもみて、考えていきたい。
- 出エジプト記 27:1 アカシヤ材で祭壇を造りなさい。祭壇は長さ五アンマ、幅五アンマの正方形で、高さは三アンマである。
- このあと、詳細な記述が続く。ソロモン以降神殿が作られ、その記録はさまざまに残っていただろうが、幕屋についても、記録が残っていたのだろうか。伝承だろうか、想像だろうか。非常に正確に書かれていると、どう考えたら良いのかも考えてしまう。文書として残されていたのだろうか。
- 出エジプト記 28:21 宝石はイスラエルの子らの名に合わせて十二あり、十二部族に従ってそれぞれの名を印章を彫るように彫りつける。
- この十二部族は、(ヨセフの子のマナセ・エフライムを加えた)レビ以外の十二なのだろう。すると、レビについて祈ることはなかったのだろうか。祭司長などは良いとして、アロンの家系ではない、レビ人は、やはりかなり大変だったように言われており、このシステム自体も心配してしまう。どう考えられていたのだろうか。不満はなかったのだろうか。
- 出エジプト記 29:9 飾り帯を締めて、ターバンを巻きなさい。こうして、祭司職はとこしえの掟によって彼らのものとなる。あなたはアロンとその子らを任職しなさい。
- 「とこしえの掟」と書かれているが、おそらく、現在は、幕屋も、神殿もなく、このようには、守られていないだろう。それも、調べてみたいが、バビロン捕囚以降、困難になったことは、明らかである。それでも、律法を、とこしえの掟として守ることは、どのようなことを意味しているのだろう。キリスト者も同様だろう。何が変わって、何が変わっていないのか、神様の御心を求め続けることはしていきたいが、これが、とこしえの掟と断定することの嘘も感じる。
- 出エジプト記 30:23-25 「あなたは最上の香料を取りなさい。すなわち、液体の没薬を五百シェケル、香り高いシナモンをその半分の二百五十シェケル、香り高い菖蒲を二百五十シェケル、桂皮を聖所のシェケルで五百シェケル、オリーブ油を一ヒンである。あなたはこれで、聖なる注ぎの油を作らなければならない。香料作りの技に倣って調合した油は聖なる注ぎの油となる。
- 油や香料がたくさん登場する。最近、アラブの遊牧民の地域でのイスラム教の風習についての本を読んでいるが、香水、香りが、日常の一部として非常に重要なものであるらしい。水が十分になく、乾燥した地域で、つねに移動しているひとたちにとっては、匂いや香りをどうするかは、重要なのかもしれない。その延長線上にあるようにも見える。そして、特別の油、香油、没薬を作る。これが、都市文化の中でどうなっていくのか、そのあたりの変化も知る必要があるのだろう。
- 出エジプト記 31:4,5 それは、金、銀、青銅に意匠を凝らして細工し、宝石を彫ってはめ込み、また、木を彫るなど、あらゆる仕事をさせるためである。
- この前に「彼(ユダの部族のフルの子ウリの子ベツァルエル)を神の霊で満たし、知恵と英知と知識とあらゆる巧みな技を授けた。」(3)とあるが、道具だけでなく、炉のようなものもなければできなかったろうと思う。基本的なものは、もってでたのかもしれないが、もしかすると、実際には、もっとあとのことをここに入れているのかもしれないとも思った。このあと、安息日のことが書かれ、唐突に「主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の証しの板、神の指で書かれた石の板を授けられた。」(18)と書かれている。
- 出エジプト記 32:4 アロンは彼らの手からそれを受け取り、のみで型を彫り、子牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これがあなたの神だ。これがあなたをエジプトの地から導き上ったのだ」と言った。
- 「のみで型を彫り」とかいてあるが、モーセへの説明ではアロンは「私が彼らに、『金を身に着けている者は外しなさい』と言うと、彼らは私に渡しました。それを火に投げ入れたら、この子牛が出て来たのです。」(24)と言っている。自己弁護なのだろう。今回は、特に「宿営に近づくと、子牛の像と踊りが目に入った。そこで、モーセの怒りは燃え、手にしていた板を投げつけ、山の麓で打ち砕いた。」(19)が目に止まった。神の前でどうすればよいか、細部に至るまで、掟について祈り求めてきたであろうモーセ、そのある基本が書かれている、神から与えられたとしてもってきた板、民の状態とのあまりの乖離に怒りとしてしか表現できなかったのだろう。しかし、これが現実でもある。急いではなにもできない。ひとの愚かさを軽くみてはいけない。そして、その愚かさは、アロンだけではなく、おそらく、モーセにも本質的にあるのだろう。
- 出エジプト記 33:2,3 私はあなたに先立って使いを差し向け、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。乳と蜜の流れる地に上りなさい。しかし私は、あなたの間にいて一緒に上ることはない。私が途中であなたを滅ぼすことのないためである。あなたはかたくなな民であるから。」
- 自分たちの弱さから、このように人々は神が考えられると想像したのだろう。神の性質として、自然な考えなのかもしれない。しかし、イエスが伝えた神は、少し異なっている。その弱さを担ったわたしたちを愛し、互いに愛し合うことを促している。神が喜ばれることはなになのかの理解が変化したということだろうか。神様の御心を行うとは、神様が喜ばれることをすること。神がお嫌いになることを排除することとは、ずれがあるのかもしれない。
- 出エジプト記 34:11,12 私が今日あなたに命じることを守りなさい。見よ、私はあなたの前からアモリ人、カナン人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。あなたはよく注意して、入って行く地の住民と契約を結ばないようにしなさい。彼らがあなたの中にあって罠とならないためである。
- 二つのことが気になった。まずは、追い出すと言っておきながら、契約を結ぶな、つまりは、そこに人が残っていることを前提としていること。もう一つは、このように、断絶することで本当によいのか、まさに、このあとの、厳格な保守的ユダヤ教徒の基礎が築かれてしまうのではないかということである。ここだけで、結論を出すつもりはないが、まず、短絡に結論にいたらないことの大切さ、そして、おそらく、さまざまな考え方が当時からあったろうと思われること、そして、イエスはどう言っておられるかを丁寧にみていこうとすることだろうか。ゆっくり進んでいきたい。
- 出エジプト記 35:1-3 さて、モーセはイスラエル人の全会衆を集めて言った。「これは主が行うように命じられたことである。六日間は仕事をすることができる。しかし、七日目はあなたがたにとって主の聖なる、特別な安息日である。その日に仕事をする者はすべて死ななければならない。あなたがたの住まいのどこであっても、安息日には火をたいてはならない。」
- 「火をたいてはならない」は、現代ならエネルギーを消費するなだろうか。いずれにしても、これが、世界にひろがり、休日のもととなったことなのだろう。その意味でも、影響は大きい。同時に、これは、聖なる日、安息日、その過ごし方も大切なのだろう。神の前にたつ日なのだろうか。こちらは、もう少し整理して行きたい。
- 出エジプト記 36:8 仕事をする者のうち、心に知恵のある者たちは皆、幕屋を十枚の幕で造った。上質の亜麻のより糸、青や紫、また深紅の糸を使って、意匠を凝らしてケルビムが織り出されていた。
- 引用箇所はどこでも良かったが、当時、その場でできることを結集して、幕屋を作ったことが描かれているのだろう。そのいみで、美しい。同時に、さまざまなひとが関わることで、この作業や、その後の礼拝も重要な意味を持ってきたのではないかと思う。ただ、いろいろなバランスもあり、現代では、教会建設が原因で、分裂が起こる場合も多いが。
- 出エジプト記 37:29 また、香料作りの技に倣って、聖なる注ぎの油と純粋なかぐわしい香を作った。
- この章は「ベツァルエルはアカシヤ材で箱を作った。」(1)と始まり、ここでも、主語は、ベツァルエルのようである。香料作りが香料を作るのではなく、ベツァルエルが作ったように書かれている。実際には、職人が加わっていたかも知れないし、そのように変化していくのかもしれないが。香料が、乾燥地の遊牧民にとっては、大切で、みな、鼻も良かったのだろう。現代とは少し違う感覚が、匂いにはあったのかもしれない。
- 出エジプト記 38:25,26 会衆の中で登録された者が献げた銀は、聖所のシェケルで、百キカル千七百七十五シェケルであった。これは、二十歳以上の男で登録された者、六十万三千五百五十人が一人当たり一ベカ、聖所のシェケルで半シェケルを献げた量であった。
- 聖書協会共同訳聖書の巻末の表によると、ベカは、1シェケルの二分の一で、約5.7g 、シェケルは 約11.4g。キカルは約34.2kg とある。すると、1キカルは、3000シェケル、または、6000ベカとなる。銀の方が重要だったのかもしれない。この前には、「聖所のすべての仕事のために用いられた金の総量、つまり、奉納物の金は聖所のシェケルで、二十九キカル七百三十シェケルとなった。」(24)とある。87730シェケル。100122g 約1t となる。銀は、3440235g ぐらいだろうか。3.4t となる。
- 出エジプト記 39:14 宝石はイスラエルの子らの名に合わせて十二あり、十二部族に従ってそれぞれの名を印章を彫るように彫りつけた。
- 十二部族が公平に扱われること(レビ族は別だが)が基本としてあるように思う。十二部族のための祭儀である。同時に、ある程度、大きくなっており、どの時代であっても、かなりの違いや差があったと思われる十二の部族をまったく同じように扱うことにはなんらかの合意があったのだろう。それが「部族同盟」と言われるものかもしれないが、やはり、そこにいたった背景を知りたいと思った。ひとはどうしても、違いや優劣に注目してしまうものだから。さらにこれが人間一人一人に広がるのは、理念は単純でも、意識としてはとても難しいのだろうとも思った。
- 出エジプト記 40:17 第二年の第一の月の一日に、幕屋が建てられた。
- 第2年については厳密にはよくわからないが、おそらく、出エジプトから考えられているのだろう。それがニサンの月(通常は、過越祭はその14日)であるとすると、この時も、ニサンの月だったのだろうか。いまは、年の初めもカレンダーとして変わっているようだが。いずれにしても、ここまで一年で到達したとするとそれも驚かされる。そのようなまとめ方なのかもしれないが。何らかの形にはしたのかもしれない。荒野の40年と言われるが、その記述は日誌のようには書かれていないことは、覚えておくべきだろう。
レビ記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.2.15-2.28-1)
- レビ記 1:1,2 主はモーセに呼びかけ、会見の幕屋から告げられた。「イスラエルの人々に告げなさい。あなたがたのうち誰かが主への献げ物を献げるときは、家畜、すなわち牛や羊を献げ物として献げなければならない。
- 出エジプト記の最後には、会見の幕屋が建設される。レビ記では、会見の幕屋で語られたとされる律法がはじまる。基本的には、モーセまたは祭司が神から受け取ったとされたことが神からのことばとして記録され、守るようにされていくのだろう。そして、それが神と人々の契約として人々は守り、主は祝福するという関係となる。律法主義の始まりでもある。
- レビ記 2:1,2 人が穀物の供え物を主への献げ物にする場合、その献げ物は上質の小麦粉でなければならない。その小麦粉に油をかけ、乳香を載せ、祭司であるアロンの子らのもとに携えて行きなさい。祭司は油のかかった上質の小麦粉一握りとすべての乳香をつかみ、記念の分として祭壇で焼いて煙にする。これは主への火による献げ物、宥めの香りである。
- 1章冒頭では「あなたがたのうち誰かが主への献げ物を献げるときは、家畜、すなわち牛や羊を献げ物として献げなければならない。」としていたが、2章では、穀物の献げものについて書かれている。関係は不明確である。これは、べつの献げものであって、基本は、1章で述べたものということだろうか。荒野では、穀物の献げものはできないだろうから、追加されていったのだろう。修正し、さまざまなことが加味されていったのかもしれない。すべて神からの律法としたのだろうが、ひとの責任でなすことのようにも思う。
- レビ記 3:17 これはあなたがたがどこに住もうとも、代々にわたって守るべきとこしえの掟である。脂肪も血も決して食べてはならない。」
- 「もし献げ物が会食のいけにえで、その人が牛を献げるなら、雄であれ雌であれ、欠陥のないものを主の前に引いて行かなければならない。」(1)とはじまり、6節からは羊の場合、12節からは雄山羊の場合について書かれ、最後が引用句になっている。規定が細かく決まっているということは、専門職でないと不可能ということになるのだろう。ある敬意も生じる。しかし、それが目的ではなかっただろう。どのように、礼拝するのが適切かが追求され、このような形になっていったと思われる。そのような営みは貴重であるが、結果は形式であり、そちらが一人歩きして逆にひとを縛るようになっていく、難しいとも感じてしまう。
- レビ記 4:1,2 主はモーセに告げられた。「イスラエルの人々に告げなさい。主が行ってはならないと命じた戒めの一つについて、人が過って違反した場合、次のようにしなければならない。
- 最初に祭司(3)、次に全会衆(13)、さらに民を導く者(22)、この地の民の一人(27)と続く。だれでも、違反があることが想定されている。祭司の項には「民にもその罪責を及ぼすことになるなら」、全会衆の項には、最初会衆の目に隠されていて「その過失が知らされた場合」などなどと書かれている。注意深く書かれていることも確かなのだろう。これをどう解釈するか、解釈学も発展していかざるを得なかったろう。法律も似た部分があるだろうが、正しさをもとめることで、救いはないようにやはり感じてしまう。間違いだろうか。
- レビ記 5:26 祭司がその人のために主の前で贖いをすると、その人が行って罪責ある者となった、どのようなことも赦される。」
- いくつかの罪について書かれている。証言をしない場合が最初にあり、それ以外に、汚れた場合からはじまり、背信の罪を犯した場合も、主の聖なるものに対して犯した場合と、主に対して犯した場合に分けているようである。正確には、一つ一つ理解できない。しかし、罪を負うことがとても大きなことで、それが償われなければ主の前に出ることができないと考えられていたのかと思う。主は、全く清い方ということだろうか。日本には、すくなくとも現代ではそのような感覚はないと思う。そのような神との交わり、またはそのような方が共にいてくださることは、無理だと考えてしまう。どうなのだろうか。可能だと考えられていたのだろうか。
- レビ記 6:1,2 主はモーセに告げられた。「アロンとその子らに命じよ。これは焼き尽くすいけにえについての指示である。焼き尽くすいけにえは、夜通し朝まで祭壇の炉の上に置き、祭壇の火を燃やし続ける。
- 全焼のいけにえについての指示である。規定により、あがないや供物がひつようであれば、それを行う、作業は膨大になったことだろう。レビ族がみなそれにあたらなければ実行できなかったことは、ある程度想像はつく。ただ、やはり、人間の捉え方、神の認識の仕方に無理があるように思われる。ある意味で、自然なのかもしれないが。神聖なものに最初に思い至ったひとから、発展していった考え方なのだろうか。正直、異常に感じる。わたしの思考は、あまりに、信仰から離れてしまったのだろうか。
- レビ記 7:37,38 以上が焼き尽くすいけにえ、穀物の供え物、清めのいけにえ、償いのいけにえ、任職の献げ物、会食のいけにえについての指示である。これはモーセがシナイの荒れ野で主に献げ物を献げることをイスラエルの人々に命じた日に、主がシナイ山でモーセに命じたことである。」
- 引用句はこのまとまりの最後のようである。ところが、このあとに、任職の献げ物の規定が8章に続く。引用句には、シナイ山でうけたことのように書かれているが、それは、これが一番基本的な戒めであることを主張しているのだろう。任職はアロンの子らから始まるのだろうか。難しいエピソードもあるので、ここで分けているのかもしれない。記録は、大変である。
- レビ記 8:33 あなたがたの任職式の期間が明けるまでの七日間、会見の幕屋の入り口から外に出てはならない。七日間かけて任職式が行われるからである。
- 任職式の規定は、7章までには書かれていないが、ここにあるのは、具体的な任職について書かれているのだろう。それを範とせよということだろうか。モーセとアロンの関係も微妙で、やはり、アロンもモーセを通して任職されているように見える。最初は難しかったのだろう。引用句では、任職式の期間は、七日間だったようで、何曜日かは書かれていないが、安息日もなく行われたということなのだろう。正確にはわからない。
- レビ記 9:6 そこで、モーセは言った。「これは、あなたがたが行うように主が命じられたことである。行えば、あなたがたに主の栄光が現れる。」
- 主の栄光をみるためのきよめのための犠牲について書かれている。主が共におられる、主の素晴らしさを味わえる、それは、素晴らしいことだろうが、このような儀式には抵抗がある。日常的な、苦しみや困難のなかに、主を見出すことにこそ意味があるのではないだろうか。おそらく、これも、教育の一段階なのだろう。イスラエルの厳格な保守派も、おそらく現在は遊牧や、牧畜が主ではないだろうから、たとえ、神殿ができても、この礼拝形式には戻れないのではないかと思う。
- レビ記 10:1 アロンの息子ナダブとアビフは自分の香炉を取って、火を入れて香をたき、命じられていない規定外の火を主の前に献げた。
- 詳細は書かれていないので、この二人にどのような意図があったのか不明だが、このような清さについての限界も感じる。たとえ、形式的に整っていても、こころのなかは、そうではないこともあるだろう。なにか、ずれを感じてしまう。これも、ひとつの教育段階なのだろうか。こういうのも、安易すぎるかもしれない。わたしのような、そして、あとで、パウロもある程度する議論は、どう考えられていたのだろうか。
- レビ記 11:3,4 反芻するもので、ひづめが割れ、完全に分かれている動物はすべて食べることができる。ただし、反芻するだけか、あるいはひづめが割れているだけのものは食べてはならない。らくだ、これは反芻するが、ひづめが割れていないので、あなたがたには汚れたものである。
- このあとも、水の中に住むもの、鳥について述べられ、さらに、死骸に触れるなどで、汚れることについて、続けてかられていてる。何らかの理由もあると思われるが、それは書かれていない。汚れは清めを必要とする。清くあれということと同時に、汚れることがあることも想定されているということでもある。最後に書かれているように(45)、主が聖なるもんだから、民も聖でなければならないということに依拠しているのだろう。そのような清い、聖なる方との出会いがあったということだろう。
- レビ記 12:6,7 男児あるいは女児のための清めの期間が満ちたなら、彼女は焼き尽くすいけにえとして一歳の雄の小羊、そして清めのいけにえとして若い家鳩か山鳩一羽を、会見の幕屋の入り口にいる祭司のもとに携えて行かなければならない。祭司がそれを主の前に献げて贖いをすると、血の汚れから清められる。これが男児か女児を出産した女のための指示である。
- 血が流れることとともに、やはり、生命が誕生する出産に関して、神秘的なものを感じていたのだろう。血の汚れをたんに、悪いことと考える必要な内容にも思う。むろん、ひとは、いろいろな受け止めをしたのだろうが。そして、これらも、男性目線であることも、確かなのだろうが。
- レビ記 13:45,46 規定の病にかかった人は衣服を引き裂き、髪を垂らさなければならない。また口ひげを覆って、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。その患部があるかぎり、その人は汚れている。宿営の外で、独り離れて住まなければならない。
- 規定の病と訳しているが、基本的に、法定伝染病のようなものなのだろう。共同体としての対処方法を定めている。科学が未発達な状態では、できることは限られていたのだろうし、それを汚れとすることも、他に適切な方法はなかったのかもしれない。しかし、その人たちにたいする対処をみると、悲惨である。そのような事例がいくつもあったのだろう。そして、現代から考えると、誤って、そのように宣言される場合も。共同体として生き抜く術としても、苦しみと痛みを覚える。
- レビ記 14:8,9 清められた人は衣服を洗い、すべての体毛をそり、水で洗うと清くなる。その後、宿営に戻ることができる。ただし、七日間は天幕の外で暮らさなければならない。七日目になって、すべての体毛、すなわち、髪やひげや眉毛などをそる。すべての体毛をそらなければならない。衣服を洗い、体を水で洗うと、彼は清くなる。
- 「規定の病を患っていた人が清められるときの指示」(1b)が書かれている。後編には、家のかびの扱い方についても述べられている。このようなものが、祭司のもとで扱われていたということで、それが社会制度だったのだろう。しかし、神に仕えるものとして絶対化された面もあるだろう。だからこそ、従わざるを得なかったのだろうが、現代に移して考えると、これは、ひとの責任とも言える。しかし、それは、改善ともいえるが、難しいくなったとも言える。責任の大きさをも感じる。
- レビ記 15:2 「イスラエルの人々に告げなさい。人が陰部から漏出しているなら、その漏出物は汚れている。
- よく知らなかったが、いくつか病気はあるようだ。ただ、ここに書くほど一般的なのだろうか。尿失禁・遺精・膀胱炎や過活動膀胱などのようだが、最初の二つが想定されているのだろうか。女性の場合は月経以外にも、いろいろな種類があるようである。排卵期出血・無排卵性出血・更年期の不正出血・妊娠時の着床時出血・切迫流産や早産・膣炎や子宮頸管炎・萎縮性膣炎・腫瘍性疾患・性交時の裂傷・薬剤性の影響のようだが、どの程度の知識があり、想定されていたのだろう。体内から通常ではないものが出てくることに恐れがあったのか。
- レビ記 16:29-31 これはあなたがたのとこしえの掟である。第七の月の十日には身を慎みなさい。どのような仕事もしてはならない。イスラエル人も、あなたがたのもとでとどまっている寄留者も同じである。この日には、あなたがたを清めるための贖いがなされる。主の前であなたがたの罪はすべて清められる。この日は、あなたがたにとって完全な安息の日でなければならない。身を慎みなさい。これはとこしえの掟である。
- 清めは、わたしだけではなく、一般の現代人には、なかなか理解できないことなのではないだろうか。しかし、神が共におられるということが、このような清めの徹底に結びついていったことはおそらく確かだろう。これがなければ、神がともにいてくださらない。このあたりは、神は、わたしたちが不完全であることを、当然、理解して下さっているだろうという甘えなのだろうか。清さについては、もう少し考えてみたい。
- レビ記 17:11,12 肉なるものの命、それは血にある。私はあなたがたの命の贖いをするために、祭壇でそれをあなたがたに与えた。血が命に代わって贖うのである。それゆえ、私はイスラエルの人々に言った。『あなたがたの誰も血を食べてはならない。あなたがたのうちにとどまっている寄留者も、決して血を食べてはならない。』
- 「肉なるものの命、それは血にある。」は、14節にもある。どうしてそうなのかではなく、いのちが血にあるのであれば、食べてはいけない。いのちは、神のもの、神から与えられたものだからということなのだろう。それゆえ、祭壇で、血が命にかわって贖うとされているのだろう。いのち、われわれが生きているのは、神から与えられたいのちによるということは、理解できるように思う。自分のうちにあるものであっても、自分のものではないということなのだろう。よく考えたい。
- レビ記 18:3-5 あなたがたは、住んでいたエジプトの地の風習に倣ってはならない。また私が連れて行くカナンの地の風習に倣ってはならない。その掟に従って歩んではならない。私の法を行い、私の掟を守り、それに従って歩みなさい。私は主、あなたがたの神である。私の掟と法を守りなさい。人がそれを行えば、それによって生きる。私は主である。
- 「あなたがたより先にいた者がこれらの忌むべきことをすべて行ったので、その地は汚れた。」(27)ともある。これは、先住民も、神様のもとにあるという信仰からでているとも言える。引用句は、分離を聖なるものとして主に従うことの、基本としている。このことと、愛し合うこととには、根本的に、相容れない部分があることは、確かである。どう考えたら良いか、完全なこたえは、わたしは持っていない。ただ、分離して、ほんとうに、主が聖であるように、聖であることができるかというと、できないということは、確かである。そして、その地の風習に倣っていて、主の望まれるように生きることも、おそらく不可能だろう。謙虚に、求め続けたい。
- レビ記 19:20 男が、他の男のものになるはずの女奴隷と寝て交わり、まだ身請け金が支払われていないか、彼女に自由が与えられていなかった場合には、男に償いの義務はあるが、二人は死刑にはならない。彼女は自由の身ではなかったからである。
- こんなことがあってはいけないと思う。自由の身ではないものの存在を許容すること自体に問題がある。イスラエルの民は、その奴隷または自由ではないところから逃れてきたのではないのか。むろん、実際には、人間社会の歪みで、自由ではない存在は、こどもや、雇用上の問題で、実際には、さまざまなかたちで現在も存在しているのだろう。どのように向き合えば良いのだろうか。正直、ここからはわからない。
- レビ記 20:13,14 人が女と寝るように男と寝るなら、両者ともその忌むべき行いのゆえに、必ず死ななければならない。血の責任は彼らにある。人が女とその女の母親を一緒にめとることは恥ずべきことである。その男も女たちも火で焼かなければならない。あなたがたの間に淫らなことがあってはならない。
- 女性どうしの場合は書かれていない。おそらく、血の責任とあり、いのちに関わる生殖行為が意識されているのだろう。このあとには、獣姦のことも書かれているが、これに関しては、男性女性両方について書かれている。そこでも、血の責任である。正直、よくはわからない。
- レビ記 21:6,7 彼らは神にとって聖なる者でなければならない。また、神の名を汚してはならない。彼らは神の食べ物である、主への火による献げ物を献げるのである。彼らは聖なる者でなければならない。遊女や汚れた女をめとってはならない。離縁された女をめとってはならない。祭司は神にとって聖なる者でなければならない。
- 聖なる神の前に出、その神に仕える祭司が聖でなければならないということから、細々と決まって行ったのだろう。それが、敬虔の表現だったのだろうが、逐一神の言葉だとするところには、やはり無理があると思う。礼拝の仕方が変わっていくこともあるだろうが、神の認識も自分たちの置かれた状況に即して変化することもあるだろう。硬直化した律法に、大きな疑問を感じる。ひとの弱さだろうか。よかれと思ってすることでも、実際には、問題を生じてしまう。現代でも同様の問題がたくさんあるように思う。
- レビ記 22:26,27 また主はモーセに告げられた。「牛か羊か山羊が生まれた場合、七日間、母親のもとにとどめなければならない。八日目からは、主への火による献げ物として受け入れられる。
- 憐れみのこころが語られているのだろうか。しかし、それが何になるのだろうかと考えてしまう。そのいく先には、動物の肉を食べないということもあるのかも知れない。いのち、人間のいのちと近いものを慈しむということなのかも知れないが、それをルールとして、守っていくことが、本当にみこころなのか、真理なのか、やはりわたしには、わからない。
- レビ記 23:5,6 第一の月の十四日の夕暮れに主の過越祭、その月の十五日から主の除酵祭である。七日間、種なしパンを食べなければならない。
- まず、安息日のことが描かれ、過越祭・除酵祭のあと、初穂祭(ペンテコステ)、贖罪日、仮庵祭と続く。少し不明の点もある。まず、ユダヤのカレンダーで祭りの曜日が決まっているのかという問題。イエスの時代には、過越祭の曜日は変化していたようだが、そうなると、祭りの週の途中、安息日があるときはどうしていたのだろうか。
- レビ記 24:10,11 イスラエル人を母とする、その男が御名をそしって呪ったので、人々は彼をモーセのもとに連れて行った。母の名はシェロミトと言い、ダンの部族に属するディブリの娘であった。
- イスラエルのコミュニティの中にいる混血のひとの信仰についての問題である。このあと、一般的に主を呪うことについて描かれ、処罰が下されている。信じるものが異なる、信仰の形式が異なる場合の対応でもあり、共同体の中では難しい問題である。個人的には、寛容でなければいけないと思うが「でなければいけない」ということを、適用するのは難しい。少しずつ合意して、その合意も修正していかなければいけないように思う。それが法律であり、人に委ねられている公平さなのだろう。
- レビ記 25:32-34 レビ人の町の場合、彼らの所有の地である町に建っている家屋は、レビ人にはいつでも買い戻す権利がある。レビ人が買い戻さない場合でも、ヨベルの年になると所有物であるその町の家屋は戻さなければならない。なぜなら、レビ人の町に建っている家屋は、イスラエルの人々の中にある彼らの所有物だからである。彼らの町に属する放牧地は売買できない。それは彼らのとこしえの所有地である。
- ヨベルの年の規定についてはいつも驚かされる。ここでは、それとは別に、レビ人の所有の土地についての買い戻しの権利などについて定めている。レビ人はどの程度かは不明だが、貧しかったとも言われている。大きな土地を所有しておらず、かつ、共同体のためや、イスラエル全体にたいしてすべき奉仕がいろいろとあったからでもあろう。ただ、実態はあまりよくわからない。いつか調べてみたい。
- レビ記 26:36 あなたがたのうちの残りの者に対し、私は敵の地で、その心を臆病にする。揺れる木の葉の音さえ、彼らを追い立てる。彼らは剣で追われるかのように逃げ惑い、追う者もいないのに倒れる。
- このあとには「以上が、シナイ山において、主がモーセを通してご自分とイスラエルの人々との間に授けられた掟と法と指示である。」(46)とあり、27章は続くが、レビ記の最後の部分である。この章には、祝福と呪いが描かれている。最初は、偶像のことが書かれ、つぎに、「掟に従って歩み、戒めを守り行うなら」(3)とあり、次に、「しかし私に聞き従わず」(14)「でも私に聞き従わないなら」(18)「それでも私に逆らって、私に聞き従おうとしないなら」(21)「それでもなお、それを戒めとせず、逆らって歩むなら」(23)「それでもまだ私に聞き従わず、逆らって歩むなら」(27)とあり、その次の段落が引用句である。そして「彼らは背信の罪を犯した先祖の過ちと、また私に逆らって歩んだ自らの過ちを告白するようになる。」(40)とあるが、イスラエルの歴史について語っているようにも見える。どの時点でこれが書かれたのかは不明だが。
- レビ記 27:2-4 「イスラエルの人々に告げなさい。人を査定額に従って主に奉献する、特別な誓願を行う場合、二十歳から六十歳までの男の査定額は聖所のシェケルで銀五十シェケル、女は銀三十シェケルである。
- このあと、五歳から二十歳まででは、男銀二十シェケル、女銀十シェケル、一か月から五歳までなら、男銀五シェケル、女銀三シェケル、六十歳以上なら、男銀十五シェケル、女銀十シェケルと続く。誓願のためとなっているが、神様に対しては、男と女、おとなとこどもと老人は、区別されるが、それ以外の区別はないと伝えているのだろう。男と女などの区別については、いかがなものかとも思うが、この時代としてはすごいことなのかもしれない。一人一人を見ないとも言えるが。わたしのような年寄りについても、考えた。家族や、共同体や、社会的な価値なのか、神様のお仕事の貢献度なのか、わたしは、あまり貢献できていないなとは感じる。難しい問題でもある。
民数記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.2.28-2-3.18-1)
- 民数記 1:18 第二の月の一日に全会衆を召集し、それぞれの氏族と、その父祖の家に基づいて、二十歳以上の男子一人一人の名を数え、系図に記した。
- 系図に記したことばが目にとまった。それが後代まで続いた場合もあったのだろう。ここには、レビは含まれない。軍への登録(3)であり、神殿関係の仕事をするものは、除外されたのだろう。一族すべてをそうすることにも驚かされるが、軍の編成、兵役につくものを数えることも、公平さともいえるが、とても重要だったのだろう。レビ記の最後には、誓願を行う場合の査定額が書かれていたが、この章には、年齢の上限はない。六十歳以上など、としよりは、ごく僅かだったのかもしれない。
- 民数記 2:34 イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行った。それぞれの旗の下に宿営し、それぞれの氏族と、父祖の家ごとに進んだ。
- これだけの人数が、宿営も伴って移動したとすると、広大な面積が必要なはずである。それも、荒野であれば、水の問題もあったろう。これだけでも、不可能としか言えないだろう。しかし、当時の人たちは、納得させられたのだろうか。戦いの時の体勢で、通常は異なるのかもしれない。どちらにしても、非現実的ではある。
- 民数記 3:11,12 主はモーセに告げられた。「私はイスラエルの人々の中で初めに胎を開くすべての初子の代わりに、イスラエルの人々の中からレビ人を取る。レビ人は私のものである。
- このために、レビ人の生後一ヶ月以上のレビ人の男子を数え総数が、二万二千人であったと、39節にあり、一方、イスラエルの「登録され、名を数えられた生後一か月以上の初子の総数は二万二千二百七十三人であった。」(43)とある。この差を、一人当たり、銀五シェケルを捧げるということが書かれている。まずは、レビは他の十二部族と比較して、非常に少ないと思う。他は、軍に登録する、20歳以上としているのと比較して、こちらは、一ヶ月以上、マナセとベニヤミンが少ないがそれでも、32,200人と、35,400人。当時の人口中央値は不明だがおそらく、20歳ぐらいだったろうと思われるので、そう考えると、レビが軍に加われば、この半分ということになる。11,000 あまりにも少ない。しかし、そのあたりも、レビが選ばれたことと関係しているのかもしれない。
- 民数記 4:46-48 モーセとアロン、およびイスラエルの指導者たちが、それぞれの氏族と、その父祖の家によって登録したレビ人は皆、会見の幕屋での仕事に就き、運搬の仕事をすることのできる三十歳から五十歳までの者たちである。登録された者の数は八千五百八十人。
- 一ヶ月以上では、男子が、二万二千人とあった(3:39)それから考えると、0.39 約 40% である。五十歳以上もむろん、いただろうが、やはり、三十歳よりも、すこし若いあたりに中央値があったのではないだろうか。成人男性の死亡率はあまり高くなかったかもしれない。戦いが多い場合は別だが、レビはおそらく戦わなかったと思われるので。人工分布がどのくらいわかるか考えてみたい。
- 民数記 5:19 祭司は彼女に誓わせ、こう言う。「もし、別の男があなたと寝たことがなく、またあなたが夫のもとにありながら道を外し、身を汚したことがなかったなら、この呪いの苦い水の害を免れる。
- 実際に姦淫を犯した場合も、犯さなかった場合も、疑いが生じると、それを消し去るのはとても難しかったろう。しかし、そのための、方策が決められていたことは興味深い。これは、他の地域でもあったのだろうか。歴史的には、どうだったのだろうか。調べてみたいとも思う。
- 民数記 6:2 「イスラエルの人々に告げなさい。男であれ女であれ、特別な誓願を立て、主に献身するナジル人の誓いをするときは、
- 神を中心とする生活においては、誓願も重要だったのだろう。「神かけて誓う」ことだろうか。ただ、ナジル人の規定は、特別なものだったのだろう。ここでは、男であれ女であれとある。サムソンのような例を思い出すが、女性はどのようにして、どのようなことについて、誓願をしたのだろう。具体的な事例もおそらく記録にあるだろう。調べてみたい。
- 民数記 7:1 幕屋を建て終わった日、モーセはこれに油を注いで聖別した。また、幕屋の祭具、祭壇、祭壇の祭具のすべてに油を注いで聖別した。
- 幕屋の奉献式のようなものなのだろう。十二部族が部族ごとにまったく同じ献げものを献げていることが書かれている。部族の大きさはさまざまだったことがわかっているが、ここでは、まったく同じである。代表ともいえるが、部族集団であることが、明確になっている。どのようなものだったのか、やはり気になる。新しい情報を今後得ることは難しいのかもしれないが。
- 民数記 8:13-15 あなたはアロンとその子らの前にレビ人たちを立たせ、彼らを奉納物として主に差し出す。あなたはこうして、レビ人をイスラエルの人々の中から区別し、レビ人は私のものとなる。その後で、レビ人は会見の幕屋に入って仕事に携わることができる。あなたは彼らを清め、奉納物として差し出した。
- レビ人が他の種族とはことなり、主に仕えるものとなることを、理論づけるとともに、儀式としても確立したと言うことだろう。これが引き継がれていく。現代では、どうなっているのだろうか。おそらく、系図も残り、アロンの子孫と言われる人たちもいるのだろう。調べてみたい。
- 民数記 9:2,3 「イスラエルの人々は、定められた時に過越祭を祝いなさい。あなたがたは、この月の十四日の夕暮れ、定められた時にそれを行わなければならない。そのすべての掟とすべての法に従ってそれを行わなければならない。」
- のちにしばらく、過越祭が持たれていなかったことも書かれている。しかし、この最初の時がここに記録されている。イスラエルにとって、特別な祭りだったのだろう。どこに、自分たちの起源をもつのか。それが崩れていた時はなにを意味するのだろうか。「王はすべての民に命じた。『この契約の書に記されているとおりに、あなたがたの神、主の過越祭を祝いなさい。』実に、イスラエルを治めていた士師の時代から、イスラエルの王、ユダの王の時代を通じて、このような過越祭が祝われたことはなかった。ただヨシヤ王の治世第十八年に、エルサレムでこの主の過越祭が祝われただけであった。」(列王記下23:21-23)ダビデや、ソロモンの頃もしていなかったようである。経緯が気になる。滅亡の直前に、整備したと言うことだろうか。
- 民数記 10:11-13 第二年の第二の月の二十日、雲が証しの幕屋から離れて昇ったので、イスラエルの人々はシナイの荒れ野を出発し、雲はパランの荒れ野にとどまった。彼らは、モーセを通して示された主の命によって、初めて旅路に着いたのである。
- 一年と一ヶ月で、このような体勢が整えられ、出発することとなったことが書かれている。これだけのものができるなら、このあとの計画も十分に練られたと思われるが、どうなのだろうか。このあとには、彼のアドバイスによって、制度などが整えられた、モーセのしゅうとが帰っていくと言う記事があるが、実際に、離れていったのかどうかの結論は書かれていない。(29-32)このあと三日の道のりを進んだとある。ここまで丁寧に書かれていると、何かしらの、実体があったと思わされるが、やはり、水や食料のことなど、さまざまな現実的な面が、気になる。どのようなことを表現しているのだろうか。すでに、敵の存在が描かれているが(35)、敵とはどのようなものだったのだろうか。
- 民数記 11:31,32 さて、主のもとから風が起こり、海の方からうずらを運んで来て、宿営の周囲に落とした。それは一方の側に約一日の道のり、他方の側に約一日の道のりがあり、地面より二アンマほどの高さに積み重なっていた。民は立ち上がり、終日終夜、さらに翌日も一日中、うずらを集めた。最も少ない者でも十ホメルを集めた。彼らは自分たちのために、宿営の周りにそれらを広げておいた。
- 宿営には、うずらは来なかったのかなど、非現実的と思われる面もあるが、このように伝承が、語られていたのだろう。アンマは、おそらく、45cm 程度、ホメルは230リットル程度とのこと。ここに、もっとも少ないものでも、十ホメルとある。2300リットル。風呂桶になみなみ二杯分ぐらいだろうか。やはり非現実的に見える。それも、うずらだけで、どうするのだろうか。
- 民数記 12:9,10 主の怒りが彼らに対して燃え上がり、主は去られた。雲は幕屋の上を離れた。その時、ミリアムは規定の病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンが振り向くと、ミリアムは規定の病にかかっていた。
- 「ミリアムはアロンと共に、モーセが妻にしたクシュ人の女のことで彼を非難し、『モーセはクシュの女を妻にした』と言った。」(1)から始まるが、ミリアムが首謀者であったとしても、アロンはなにも害を受けないことに疑問を感じる。また、「彼女の父親が彼女の顔に唾を吐きかけたとしても、彼女は七日間、恥を負うではないか。彼女を七日間、宿営の外に隔離しなさい。その後、彼女は癒やされる。」(14)も記されているが、主が語ったことになっており、このようなことを主がよしとされたと言うことか。このことばは、聖書には記されていない。ただ、引用句にあるように、主がおられるかどうか、目で見てわかると言うのは、すごいこと、恐ろしいことでもある。
- 民数記 13:27-29 モーセに説明した。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行って来ました。そこはまことに乳と蜜の流れる地でした。これがそこの果実です。しかしながら、その地に住む民は強く、町は城壁に囲まれ、とても大きいのです。私たちはそこでアナク人の子孫さえも見ました。ネゲブの地にはアマレク人が住み、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人が住み、海辺とヨルダンの岸辺にはカナン人が住んでいます。」
- 荒野とは異なるだろうが、パレスチナ北部の三日月地帯は別として、一般的には山地で、乾燥気候ではないだろうか。しかし、ここには、「乳と蜜の流れる地」とある。気候がいまとは、多少違っていたのだろうか。いずれにしても、良い点と悪い点を見てきている。一般的にはこのあとの、カレブの発言が素晴らしいとされるが、侵略、征服である。善悪を判断することは、本当に難しい。
- 民数記 14:8,9 もし、私たちが主の御心に適うなら、主は私たちをあの地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる地を私たちに与えてくださるでしょう。ただ、主に逆らってはなりません。その地の民を恐れてもなりません。彼らは私たちの餌食にすぎないのですから。彼らを守るものは彼らから離れ去り、私たちには主が共におられます。彼らを恐れてはなりません。」
- とても乱暴に感じてしまう。それも、このあとに、「あなたがたは、私があなたがたを住まわせると誓った地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別である。」(30, 参照24)と、主が語られ、これを契機に、40年間、荒野を彷徨うことが書かれている。御心をこのように理解して、伝えようとしたのだろうが、どの時代まで、このことが続いたのかとも思わされる。いまも、カレブや、ヨシュアは好まれるので、今もこの認識が続いているのかもしれない。
- 民数記 15:40,41 あなたがたは私の戒めをすべて思い起こしてこれを行い、あなたがたの神にとって聖なる者となりなさい。私は、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出したあなたがたの神、主である。私は主、あなたがたの神である。」
- 戒めを思い起こすために、「衣服の四隅に房を作り、その四隅の房に青いより糸を付けさせなさい。」とあるあとに書かれている。戒めが、契約のもとであることを証言している箇所でもあるのだろう。これは、ひとつの方向性なのだろうが、神のことばとしなければならない問題が起こってしまう。神理解は変化するにも関わらず。
- 民数記 16:3 彼らはモーセとアロンに逆らって結集し、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。会衆全体、その全員が聖なる者であり、その中に主がおられるのだ。それなのに、なぜあなたがたは主の会衆の上で思い上がっているのか。」
- これは、自然なのかもしれない。モーセはひれ伏し、そして、神に判断を委ねている。結果は、「彼がこれらのすべての言葉を語り終えるやいなや、彼らの足元の大地が裂けた。地はその口を開き、彼らとその家族、コラに属するすべての者たちとすべての持ち物を吞み込んだ。」(31,32)これをどのように理解するかは、分かれるところだろうが、現実問題とすると、基本的には、主は、われわれ人間に対応を任せておられると思う。どうしたら良いのだろうか。
- 民数記 17:6 翌日、イスラエル人の全会衆は、モーセとアロンに対して「あなたがたは主の民を殺した」と不平を言った。
- このあと、主は「この会衆から離れなさい。私は即座に彼らを滅ぼす。」(10)と言われ、疫病がはじまる。しかし、モーセはアロンに「火皿を取り、それに祭壇から取った火を入れ、香を載せ、急いで会衆のもとに行って、彼らのために贖いをしなさい。主の前から怒りが出て、疫病が広まり始めたのだ。」(11)といい、疫病がとまる。なかなか興味深い表現である。ゆっくり考えてみたい。主と、人との関係が表現されているようでもある。
- 民数記 18:14,15 イスラエルにおいて永久に奉納されたものはすべて、あなたのものとなる。主に献げられた肉なるもの、すなわち人であれ、家畜であれ、その初子はすべてあなたのものとなる。ただし、人の初子は必ず贖わなければならない。また、汚れた家畜の初子も贖わなければならない。
- 主のアロンへのことば「あなたには私への献納物の管理を、すなわちイスラエルの人々が献げる聖なる献げ物の一切を任せ、そこからの取り分を、あなたとあなたの子らに与える。これは、とこしえの掟である。」(8)から始まる箇所である。ここにも、初子のあがないが登場する。初子は、すべて主のものだから、それを贖わなければならないと言うことなのだろう。牧畜文化とも密接に関係していると思われるが、本当にここに固執することが大切なのか疑問を感じてもいる。イエスも、多くの人ための死であることは言っており、あがないということばも、福音書で一回使われるが、多くの人のためということを大きく出るものではないように見える。普遍性を求めすぎているのだろうか。
- 民数記 19:7 祭司は自分の衣服を洗い、体を水で洗う。その後、宿営に入ることができるが、祭司は夕方まで汚れる。
- 祭司が最も汚れを受ける仕事であることをあまり考えたことがなかった。動物を屠るしごとは、日本でも、汚れる仕事だとされていたときもある。それが、祭司である。牧畜文化では、違ったのだろうか。命と関わること、動物の命と、人間の命がおなじであり、それを媒介するものが、血であることを、当時のひとたちは思ったのかもしれない。この文化から自由になって、聖書を理解するのは難しいのだろうが。
- 民数記 20:10-12 モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「聞け、反逆する者たちよ。私たちがあなたがたのために、この岩から水を出さなければならないのか。」モーセが手を上げ、杖で岩を二度打つと、水がたくさん湧き出たので、会衆も彼らの家畜も飲んだ。だが、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたは私を信じることをせず、イスラエルの人々の目の前に、私を聖としなかった。それゆえ、あなたがたは、私が彼らに与えた地にこの会衆を導き入れることはできない。」
- 厳密にいえば「私たちがあなたがたのために、この岩から水を出さなければならないのか。」とモーセとアロンが水を出すようなことを言って、主がそれをなされることを示さなかったと言うことなのだろう。ただ、この章の最後にはアロンの死が書かれておりそこでも、「アロンは先祖の列に加えられる。私がイスラエルの人々に与えた地に、彼が入ることはない。あなたがたがメリバの水のことで私の言葉に逆らったからである。」(24)と確認されている。酷だと正直に思うが、アロンの死を控えて、ひとは誰でも、自分の罪のために死ぬことを明確にしていると言うことなのかもしれないと思う。ひとはいずれは死ぬ。様々なことを背負って。理由づけは、そのひとの一生をとても狭いものとみてしまうことのように思う。それを静かに見守ることで十分であると思うが。わたしも、いいことも悪いこともたくさんしてきただろう。いのちを粗末にしてはいけないが、主がいのちをとられるときまで、ていねいに、そのいのちをたいせつに生きていければと願う。
- 民数記 21:29,30 モアブよ、あなたに災いが下った。/ケモシュの民よ、あなたは滅びた。/彼は自分の息子たちを難民とし/自分の娘たちをアモリ人の王シホンの捕虜とした。私たちは彼らを討ち滅ぼした/ヘシュボンからディボンまで。/私たちは荒廃させた/ノファまで、メデバに至るまで。」
- 前の章からエドムの地の通過についてと、アモリびとシホンとの戦いについて書かれている。ただ、書かれていることは微妙である。「イスラエルはこうして、ヘシュボンにあるアモリ人のすべての町と、その周辺のすべての村落に住み着いた。ヘシュボンは、アモリ人の王シホンの町であった。シホンは先代のモアブ王と戦い、その手から、アルノン川に至るまでの土地をことごとく奪い取っていたのである。」(25b,26)は、何らかの記録があるのだろう。この地域にイスラエルが住んでいることの経緯を示しているように見える。ヨルダン川の東の地域である。理由づけや、記述の詳細は、少し後の時代に属するものかもしれない。
- 民数記 22:28-30 すると、主が雌ろばの口を開かれたので、雌ろばはバラムに、「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは」と言った。バラムが雌ろばに、「お前が私にひどいことをするからだ。私の手に剣があったら、今お前を殺していただろう」と言うと、雌ろばはバラムに、「私は、あなたが今日までずっと乗ってこられた、あなたの雌ろばではありませんか。私が今までこのようなことをしたことがありますか」と言い、彼は「いや、なかった」と言った。
- 霊的な(お告げを受けようと日常的にそのような感覚を研ぎ澄ましていたと思われるので)なにか日常と異なることの中から、霊的なことを読み取ったのだろう。興味深い話に紡がれている。周囲のモアブとミデアンにとっては、大変な恐怖であったことは、確かだろう。史実がどの程度のものであっても。そして、その中で、なにを伝えるかも興味深い課題であるが。
- 民数記 23:23 まことにヤコブのうちにまじないはなく/イスラエルのうちに占いはない。/神はそのなすところを直ちにヤコブに告げ/イスラエルに示される。
- このようなことを伝えるメッセージが、ベオルの子バラムの言葉として伝えられている。イスラエルの神が、おそらく当時有名だった、バラムにも及ぶと言うことを伝えながら、ここにあるように、イエラエルに神が語られるのは、託宣などとはことなることを伝えようとしているのだろう。何らかの伝承もあったのだろうが、それがこのようにまとめられ、文学的にもすぐれたものに作り上げられていることには驚かされる。教育的な価値は十分あったのだろう。
- 民数記 24:1,2 バラムは、イスラエルを祝福することが主の目に適うのを見て、いつものようにまじないを行うことをせず、顔を荒れ野に向けた。バラムが目を上げ、イスラエルが部族ごとに宿営しているのを見たとき、神の霊が彼に臨んだ。
- バラムの物語は興味深い。批判しようとすれば「主の目に適うのを見て」とあり「まじない」は不明だが、問うことをせずと言うことなのだろう。自分が信じる神に問わずにと言うことなのだろう。これは、一人の人間として、やはり問題であると感じる。「たとえバラクが彼の家を満たすほどの銀と金を私にくれようとも、わが神、主の言葉に逆らうことはできません。善であれ悪であれ、自分の心のままに告げることなど、私にはできません。私は主が告げられることを語るだけです」(13)と言っていたとあるが、基本的にこのような姿勢を持っていたと言うことなのだろう。これは、立派だが、自分の信念だけでは、御心・真理を問い続けることは難しいのかもしれない。
- 民数記 25:1-3 イスラエルがシティムにとどまっていたとき、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。娘たちは民を招いて、自分の神々にいけにえを献げ、民はそれを食べて彼女たちの神々にひれ伏した。イスラエルはこうして、ペオルのバアルに付き従ったので、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。
- 14,15節には、このことに関わったイスラエル人と、ミデアン人の女の名も書かれている。モアブと、ミデアンの関係も、明確にはわからないが、同盟関係にあったと言うことだろうか。いずれにしても、このような色仕掛けには、弱いこと、そして、疫病は神の罰だと考えられていたと言うことだろうか。
- 民数記 26:5-7 イスラエルの長子ルベン。ルベンの一族は、ハノクとハノク家の氏族、パルとパル家の氏族、ヘツロンとヘツロン家の氏族、カルミとカルミ家の氏族。以上がルベン家の諸氏族であり、登録された者は四万三千七百三十人であった。
- エリコの対岸、モアブの平野での人口調査である。主として、一回目の人口調査のときの人が、ヨシュアとカレブ以外「生き残った者は一人もいなかった」(65)ことを伝えるもののように見える。ただ、あまり今まで考えなかったこととして、氏族についてある程度の情報が書かれていることである。1回目の人口調査(民数記1章)では、それは書かれていないようである。引用したルベンのところのに例として書くと「イスラエルの長子ルベンの一族について、それぞれの氏族と、その父祖の家の系図により、兵役に就くことのできる二十歳以上のすべての男子一人一人の名を数えると、ルベン族の登録者数、四万六千五百人。」(1:20,21)となっている。人口は微増だが、ほとんど変わっていない。氏族についても、いずれ調べてみたい。
- 民数記 27:8-11 イスラエルの人々にこう告げなさい。ある人が死に、息子がない時は、相続地を娘に渡しなさい。もし、娘もない場合には、相続地を兄弟に与えなさい。もし、兄弟もない場合には、相続地を父の兄弟に与えなさい。父の兄弟もない場合には、相続地を氏族の中で最も近い親族に与え、その人に相続させなさい。主がモーセに命じられたとおり、これはイスラエルの人々にとって判例による掟となる。」
- このように書かれているが、永続性は難しいように思う。前の章で氏族について記されているのも、この相続地が関係しているのかもしれない。氏族、そして、近しい家族ごとに分けなければ、相続地を近親者で守ることは難しい。そして、それは、長い期間においては、やはり無理なのだろう。とはいえ、何らかのルールは大切である。それが、男系であるにしても、娘しかいない場合にも、考えられたことは、興味深い。
- 民数記 28:22 また、あなたがたの贖いをするために、清めのいけにえとして雄山羊一匹を献げる。
- 「第一の月の十四日は、主の過越祭である。また、その月の十五日は祭りの日であり、七日間、種なしパンを食べなければならない。最初の日に聖なる集会を開き、どのような仕事もしてはならない。」(16-18)の続きで、過越祭での購いについて述べられている。ここでは、雄山羊となっている。雄羊ではないのだろうか。最初の日は、第一の月の十四日のことだろうか。最後の晩餐は、この日の夜だと考えて良いのだろうか。いくつか、明らかにしたいことがある。
- 民数記 29:12 第七の月の十五日に、あなたがたは聖なる集会を開く。あなたがたはどのような仕事もしてはならない。あなたがたは七日間、主のための祭りをしなければならない。
- 贖罪の日について言われているようである。「同じ第七の月の十日に、あなたがたは聖なる集会を開く。あなたがたは身を慎み、どのような仕事もしてはならない。」(7)ともあり、断食のことも書かれている。この期間の捧げ物についても書かれているが、焼き尽くすいけにえとして献げる若い雄牛が13頭から毎日減り、七日目には、七頭となり、八日目には何と急に一頭になる。何らかの意図があるのだろうが、ほかのいけにえの数は変化していない。不思議である。
- 民数記 30:17 以上が、夫と妻の間、および父と父の家にいる若い娘の間に関して、主がモーセに命じられた掟である。
- 女性は請願も自立的にはできないことが書かれている。教育の問題があるのだろうか。社会的(宗教的を含む)な責任を男性が持っている世界では、学校のような教育制度が整備されていなくても、判断力に大きな差が生じることはありうる。その意味でも、教育の機会均等はたいせつだとおもうのだが、この社会構造とも密接に関係しており、変革には時間がかかるとうことだろうか。現代の先進国と言われるところ、または、教育制度が整っているところでは、かえって女性の教育レベルの方が高くなっている。社会的地位はそうではなくても。これは、またべつの課題がいろいろと関係しているのだろう。
- 民数記 31:53,54 兵役に就いた人々は、それぞれ略奪したものを自分のものとした。モーセと祭司エルアザルは、千人隊の長と百人隊の長から金を受け取り、それを会見の幕屋に携えて行って、主の前で、イスラエルの人々のための記念とした。
- これは、ダビデのころに変更があったようだが、戦いが続く前に、兵役を奨励する必要があったのか。いずれにしても、「だから今、子どもたちのうち、男の子は皆、殺しなさい。男と寝たことのある女も皆、殺しなさい。ただし、まだ男と寝たことのない少女たちは皆、あなたがたのために生かしておきなさい。」(17,18)ひどいとしか言えない。イスラエルの民の命もふくめ神のもので、イスラエルの民のものは、贖われているという考え方が背後にあるのかもしれないが。このような考え方をとくに宗教のなのもとで正当化してはいけない。
- 民数記 32:31-33 ガドの一族とルベンの一族は答えた。「主があなたの僕どもに語られたとおりに、私たちは行います。私たちは主の前で武装し、カナンの地に渡って行きます。私たちの相続地は、ヨルダン川のこちら側です。」モーセは、ガドの一族とルベンの一族、また、ヨセフの子マナセの部族の半数に、アモリ人の王シホンの王国とバシャンの王オグの王国、すなわちその領内にある町、およびその周辺の地にある町を与えた。
- この決定は合議のために民に問うこともなく、くじもひかず、神に問うことも書かれておらず、主が言われるということも、モーセの言葉からは出ていないことに驚いた。大変な決定であるにもかかわらずである。ほかの理由がありそうである。
- 民数記 33:38,39 祭司アロンは、主の言葉に従ってホル山に登り、そこで死んだ。それは、イスラエルの人々がエジプトの地を出て四十年目、第五の月の一日であった。ホル山で死んだとき、アロンは百二十三歳であった。
- 旅程を見ていて、引照箇所が非常に少ないことが気になる。つまり、聖書にここにしか書かれてない地名とうことである。すなわち旅程のかなりの部分は、民数記、または、モーセ五書の中では、省略されているということである。現実味がない。引用句では、アロンは、ほとんど最後まで生きていたことが書かれている。出エジプトの旅程については、正直、疑惑をもってしまう。
- 民数記 34:13 モーセはイスラエルの人々に命じた。「これは、あなたがたがくじによって受け継いだ地である。主はこれを九つの部族と、マナセの部族の半数に与えよと命じられた。
- これを、それぞれの時代のイスラエルのひとたちはどう読んだのだろうか。そして、その地に住むひとたちは、どのように受け取っただろうか。さらに、われわれは、どのように読んだら良いのだろうか。大きな問いである。公平性に関することは、ひとにかかわることで、絶対的なことではなく、人が神とともに考えながらそのときそのときに、検討していくべきこと、だとわたしは考えている。絶対的なものはないと同時に、これが神の義でもあるのだから。
- 民数記 35:24,25 会衆はこれらの法に基づいて、人を殺した者と、血の復讐をする者との間を裁かなければならない。会衆は、人を殺した者を、血の復讐をする者の手から救い出さなければならない。会衆は、彼が逃げ込んだ逃れの町に彼を戻し、聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで、そこにとどまれるようにする。
- 逃れの町の規定は、不思議なものである。過失致死のような罪を犯した場合に、復讐するものから、守るものである。復讐で、ひとを殺すことは赦されていたのだろうか。それがまずは問題である。そして、大祭司が死んだときには、恩赦で、すべて赦されるということか。いろいろと理不尽にも感じることがあるが、いろいろと神が望まれることを人間が考えた結果なのだろう。
- 民数記 36:7 イスラエルの人々に属する相続地が、ある部族から他の部族に移ることはない。イスラエルの人々はそれぞれ、父祖の部族の相続地を固く守っていかなければならないからである。
- ある程度は守られていったのだろう。しかしむろん、絶対的なものではない。ということは、解釈が重要になり、律法学者などの考えに従うことになっていくのだろう。前提として、制度や、法律が神によって与えられたものとして変更できないということがあるからである。ここに大きな問題がある。宗教の問題だとも言えるし、宗教をどのように理解するかという問題でもあるのかもしれない。ひとの責任は大きいし、ひとが神にはならず、他者理解を広げ、合意を築いていくことだろうか。これも、非常に難しい道である。
申命記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.3.18-2-4.4-1)
- 申命記 1:30,31 あなたがたの神、主があなたがたの前を歩まれる。その方が、エジプトであなたがたの目の前で行ったように、あなたがたのために戦われる。それに荒れ野では、この場所に来るまで、あなたがたが歩んだすべての道のりを、人がその子を背負うように、あなたの神、主があなたを背負ってくださったのを、あなたは見た。
- わたしたちの前を歩み導いてくださる方、わたしたちのために戦われる方、子を背負うように背負ってくださる方、これ以上のことはないように思う。しかし、この次に書かれているのは、「しかし、あなたがたは、あなたがたの神、主を信じなかった。」(32)である。ひとの性(さが)とは何なのだろう。主を求めながら、主が望まれることをこころに抱きながら歩んでいくとはどのようなことなのだろうか。ひとは、そのように生きられるのだろうか。考えさせられる。
- 申命記 2:24-26 「立ち上がって出発し、アルノン川を渡りなさい。見よ、私はヘシュボンの王、アモリ人シホンとその地をあなたの手に渡す。占領を開始せよ。彼との戦いに挑め。今日私は天の下のすべての民があなたにおびえ、恐れを抱くようにする。彼らはあなたの噂を聞いて震え、あなたのためにおののこう。」そこで私は、ケデモトの荒れ野からヘシュボンの王シホンに使者を遣わし、友好の言葉を伝えた。
- 本章には、エサウの土地セイル、ロトの子孫モアブの荒野、ロトの子孫アンモン人の地は、主が与えたものとして占領しなかったことが書かれている。実際には、さまざまな衝突があったことが他の聖書に書かれていたと思う。いずれ丁寧に調べてみたい。そして、引用句にある、ヘシュボンの王、アモリ人シホンについて、上に書かれている。ただ、26節には「友好の使者」を送ることも書かれており、結果論のように思われる。後付け理論のようでもある。これだけの人が移動したことがどの程度史実なのかは不明だが、衝突がさまざまな箇所であったことは確かだろう。
- 申命記 3:12,13 私たちはその時、この地を占領した。私は、アルノン川沿いのアロエルからギルアドの山地の半分、およびそこにある町を、ルベン人とガド人に与えた。ギルアドの残りの地域とオグ王国のあったバシャン全土、すなわちアルゴブの全域は、マナセ族の半数に与えた。バシャン全土は、レファイム人の地と呼ばれていた。
- ヨルダンの東側の支配に関する歴史は不明だが、どうも、完全掌握したように読める。ルベンは、長子、マナセは、ヨセフの長子であることを考えると、イスラエルはもともと、この地域にいて、ヨルダン川の西の地域に、進出していったのかもしれないと思った。東から南の地域が、エサウや、ロトの子孫の地とすると、部族の親戚関係とも辻褄があうようにも思われる。むろん、このようなことを確定することはほぼ不可能だろう。アッシリアが攻めてきた時に、消滅した可能性も高い。
- 申命記 4:40 だから今日私が命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすればあなたもあなたの後に続く子孫も幸せになり、あなたの神、主が生涯にわたってあなたに与える土地で長く生きることができる。
- 主および律法について、いくつかの基本的なことが書かれている。「あなたがたは、私が命じる言葉に何一つ加えても、削ってもならない。私が命じるとおり、あなたがたの神、主の戒めを守りなさい。」(2)とまずあるが、「私が命じる言葉」をどの範囲にするのかがまずは、問題である。申命記は、成り立ちが、モーセの説教であり、さらに、後の時代に成立したともいわれている。キリスト教の新約聖書も、原理的に考えるなら、問題が生じる。「また、今日、あなたがたに与えるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民が、ほかにあるだろうか。」(8)このことをはじめ、イスラエルの民が特別であることが繰り返されている。その中で、国として滅んでいく。考えさせられる。
- 申命記 5:32,33 あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおり、守り行わなければならない。右にも左にもそれてはならない。あなたがたの神、主があなたがたに命じられた道をひたすら歩みなさい。そうすれば、あなたがたは生き、幸せになり、あなたがたが所有する地で長く生きることができる。」
- この章には十戒が書かれている。十戒ということばは、現在読んでいる日本聖書協会共同訳では、二箇所、「主はあなたがたに契約を告げ、あなたがたに行うよう命じられた。それが十戒である。主はその言葉を二枚の石の板に記された。」(申命記4:13)と「あの集会の日に山で火の中から主があなたがたに語られた十戒と同じものを、主は板に記して、私に与えられた。」(申命記10:4)口語では、「十誡」となっており、これは、出エジプト記にも登場する。対応する箇所を記する。「モーセはそこに、四十日四十夜主と共にいて、パンも食べず、水も飲まなかった。彼は、板の上に契約の言葉、十の言葉を書き記した。」(出エジプト記34:28)
- 申命記 6:24,25 そして主は、私たちにこれらの掟をすべて行うように命じ、私たちの神、主を畏れ、今日あるように、いつも幸せに生きるようにしてくださった。命じられたとおり、私たちの神、主の前で、この戒めをすべて守り行うならば、それは私たちにとって義となるであろう。」
- 「もしも将来、あなたの子が、『私たちの神、主が命じられた定めと掟と法とは何のためですか』と問うならば、」(20)から続いている、最後の部分である。いくつか興味深いことが書かれている。「今日あるように、いつも幸せに生きるようにしてくださった。」これは、実際には、そうでもない時も想定されているのだろう。そのような時にこそ意味がある内容であると思う。さらに、戒めを守ることが書かれ、最後に「それは私たちにとって義となる」としている。これこそが、神の御心という意味なのだろう。しかし、それには、やはり戒めの部分を求め続けなければいけないように思う。そうでなければ、イエスは必要とされなかっただろう。
- 申命記 7:22,23 あなたの神、主は、これらの国民を、あなたの前から少しずつ追い払われる。あなたは彼らを一気に滅ぼすことはできない。あなたのところで野の獣が増え過ぎないためである。あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、大混乱に陥れ、ついには破滅に至らせる。
- 興味深い。このあとも、多くの人たちが残ることも書かれている。おそらく、ソロモンの時代には、ほとんど平定されたのだろうが、そのあとの分裂なども考えると、平定とは言えなかったかもしれない。実際、先住民を滅ぼすことは基本的にできない。一方的な価値観が背後にあるように見える。危険でもある、
- 申命記 8:15,16 この方は、炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広大で恐ろしい荒れ野を進ませ、あなたのために硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖も知らなかったマナを、荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめ、試みても、最後には、あなたを幸せにするためであった。
- 「あなたの神、主を忘れないようにあなたは注意し、今日あなたに命じる戒めと法と掟とを守りなさい。」(11)とあり、14節にも「忘れないように」とあり、他にも「思い起こしなさい」などと書かれている。記憶、または、歴史なのだろう。自分の歴史のなかのことから、民族の歴史の中のことへとなっていくのだろう。しかし、これは、学ぶことの一部であるように思う。特に、社会全体が大きな変化をしている時には。難しい。
- 申命記 9:20 アロンに対しても主は激しく怒り、滅ぼそうとされたが、その時、私はアロンのために執り成しをした。
- 出エジプト記32章の記事である。アロンは、罪を告白し、「今もし彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。しかし、もしそれがかわなないなら、どうぞあなたが書き記された書から私を消し去ってください」(出エジプト記32:32)とあり、執りなしたのは、アロンが民のためにであり、モーセがアロンのためではない。引用箇所のように書かれているのは、大祭司でも罪を犯すことがあること、そのとりなしは、モーセがすでにしているということだろうか。人は基本的に罪の中に生き、主に従い通すことはできない。
- 申命記 10:17-19 あなたがたの神、主は神の中の神、主の中の主、偉大で勇ましい畏るべき神、偏り見ることも、賄賂を取ることもなく、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛してパンと衣服を与えられる方である。だから寄留者を愛しなさい。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。
- 自分の信じる主、神がどのような方かを知り、それを証言することは、信仰の中心であるように思う。ここでは、偉大で勇ましい畏るべき神として、そのあとは、弱者に寄り添う姿が描かれている。おそらくイエスもこのようなイメージを持っておられたのではないかと思う。そして、それを信仰の中心にして生きられた。むろん、特に旧約聖書には、さまざまな神観が描かれているのだが。
- 申命記 11:10-12 あなたが入って所有しようとしている地は、あなたがたが出て来たエジプトの地とは違う。エジプトでは、あなたが種を蒔くと、野菜畑のようにあなたの足で水をやらなければならなかった。しかし、あなたがたが渡って行って所有しようとしている地は、山や谷のある地で、天の雨で潤っている。あなたの神、主が心にかけ、あなたの神、主が、年の初めから年の終わりまで、常に目を注がれている地である。
- わたしは、エジプトもイスラエルが所有したと言われるカナンの地も知らない。エジプトはナイルの恵みはあっても基本的に乾燥地、カナンの地、パレスチナは、北部は、チグリス・ユーフラテス流域から続く三日月型肥沃地帯の西南の端、南部は、ユダの山地と理解しているがどうなのだろうか。時代とともに気候は多少変わってきているかもしれない。しかし、ここに描かれているようには、わたしは想像していない。どうなのだろうか。どうしても、行きたいとは願っていないが。
- 申命記 12:8 あなたがたは、私たちが今日ここで行っているように、それぞれ自分が正しいと見なすことを行ってはならない。
- 文脈からすると主として、礼拝の場所、その仕方などについてであろうが、自分が正しいと見なすことを行えないのは、新たな困難を生じさせることもある。判断がつかない、つきにくいことも多いからである。さらに、主のみこころを求めることも、衰退してしまう。むろん、自分勝手に行動することは、問題を生じるだろう。現代にも通じる、非常に難しい問題である。教育だけで、これが、解決するとも思えない。それが人間なのかもしれない。
- 申命記 13:2-4 あなたの中に預言者や夢占いをする者が現れ、しるしや奇跡を示し、その者が告げたしるしや奇跡が実現して、「さあ、あなたの知らない他の神々に従い、仕えようではないか」と言っても、あなたは預言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。あなたがたの神、主はあなたがたを試し、あなたがたが心を尽くし、魂を尽くしてあなたがたの神、主を愛するかどうかを知ろうとされるからである。
- この章には、他の神々に従うことについて書かれている。どうしても、分離主義的になり、孤立するように思われる。正しさが絶対化するということだろう。ただ、この申命記が成立した時代の事情もあったのかもしれないとも思った。ある背景のもので書かれるのだから。政治的には、かならずしも強くなく、外からの脅威もあるなかで、まずは中を整えなければならないという時には、このようなことを考えるかもしれない。出エジプトの途中だとすると、あまりに、予防的すぎるようにも思われる。
- 申命記 14:21 自然に死んだ動物は一切食べてはならない。町の中にいる寄留者に与えて食べさせるか、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。子山羊をその母の乳で煮てはならない。
- ここには、普遍主義はない。分離主義の自然な帰結でもある。ユダヤ教の弱点だとも言えるが、普遍主義は、実行不可能なことを、綺麗事として唱えているのだろうか。非常にむずかしいことに、挑戦していることは、確かだ。どうしたら良いのだろうか。わたしにもわからない。
- 申命記 15:13,14 自由の身としてあなたのもとを去らせるときは、何も持たせずに去らせてはならない。あなたの羊の群れから、あなたの麦打ち場から、あなたの搾り場から惜しみなく与えなければならない。あなたの神、主があなたに祝福したものを、彼に与えなければならない。
- 「もしあなたのもとに、ヘブライ人の男か女が売られて来たら、六年間あなたに仕える。しかし、七年目には自由の身としてあなたのもとから去らせなければならない。」(12)と始まっているので、ヘブライ人だけに適用される規定である。しかし、このような互助規定がある程度は行われていたのだろう。国のようなあるグループ化が行われば可能なのかもしれない。完全な普遍主義を強制しなくても、スタート地点を与えることには繋がるのかもしれない。やはり、難しいが。
- 申命記 16:6,7 あなたの神、主がその名を置くために選ぶ場所で、夕方、日の沈む頃、あなたがエジプトを出た時刻に、過越のいけにえを屠らなければならない。あなたの神、主が選ぶ場所でそれを煮て食べ、朝になったら自分の天幕に帰りなさい。
- エルサレムが意識されているようだ。いずれにしても、屠られる時まで指定されている。イエスの弟子たちとの最後の晩餐は、過越の食事かどうかの議論があるが、どうなのだろうか。記録からは、木曜日の夜のようであり、また、翌日にイエスは十字架にかかる。これは金曜日、その日が、過越の祭りの日であることが、伝統的な理解である。すると、過越の食事ではないが、いくつか不自然な点もある。イエスの処刑の日は、本当に過越の日だったのだろうか。祝祭日には見えない。同時に、非常に多くの人たちが、地方から出てきているようなときに、一晩だけで、この食事ができるだろうかということである。前者は、曜日が違うのではないかということにつながり、後者は、伝統的な解釈を支持する。よくわからない。
- 申命記 17:18-20 王座に着いたら、レビ人である祭司のもとにある書き物に基づいて、律法の書を書き写し、傍らに置いて、生涯、これを読みなさい。それは、王が自分の神、主を畏れ、この律法の言葉と掟をすべて守り行うことを学ぶため、また、王の心が同胞に対して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれないためである。そうすれば王もその子孫も、イスラエルの中で王位を長く保つことができる。
- この記述は、ダビデや、ソロモンには、似つかわしくないように思われる。適切なのはヨシヤ王だけだろうか。このあたりも、申命記が、ヨシヤの時代に書かれたとする理由だろうか。むろん、追記されていった可能性も否定できないので、簡単ではない。
- 申命記 18:2-4 同胞の中には、彼の相続地はない。主の語られたとおり、主が彼の相続地である。祭司が民から、牛でも羊でも、いけにえを屠る民から受け取ることのできるものは次のとおりである。肩と両頰と胃は祭司に与えられる。穀物、新しいぶどう酒、新しいオリーブ油の初物、および羊毛の初物も、彼に与えられる。
- このあとには「あなたの神、主が全部族の中から彼を選び、彼とその子らを主の名によっていつまでも仕えるようにと立てられたからである。」(5)と続く。かなりの量だったのではないかとか、肩と両頰と胃とは、ちょっと偏った部位なのではないかなど。ただ、レビ人は下級祭司のようなもので、一般的には、貧しかったと言われている。そのあたりも、また、調べてみたい。
- 申命記 19:8,9 あなたの神、主が、あなたの先祖に誓われたとおり、あなたの領土を広げて、先祖に与えると告げた地をすべてあなたに与えられるなら、そして、私が今日命じるこの戒めをあなたが守り行い、あなたの神、主を愛し、いつもその道を歩むならば、その時、これら三つの町のほかに、さらに三つの町を加えなさい。
- のがれの町についての規定の改定について書かれている。動かすことができないものではないことを証言しているとも言える。実際にどうだったかは、また調べてみたい。それらの町では、逃れてきたひとたちを歓迎したのだろうか。複雑な場合もあるように思われる。
- 申命記 20:16-18 あなたの神、主があなたに相続地として与えるこれらの民の町からは、息のあるものを決して生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように、必ず滅ぼし尽くさなければならない。これは、彼らがその神々に対して行ってきたあらゆる忌むべき行いをあなたがたに教えて行わせ、あなたがたの神、主に対して、あなたがたが罪を犯すことのないためである。
- 根本にあるのは、神が命じられたからという正しさだろうか。人間が神になることでもある。宗教の恐ろしさがここにあるように思う。むろん、自ら探し求め、受けたと信じることについてどうするかは、非常に難しい。人々の社会での倫理と言いたいが、これも絶対的なものを求めら得ないとすると、合意だろうか。それも、人間に委ねられているように思う。
- 申命記 21:7,8 次のように証言しなければならない。「私たちの手はこの血を流しておらず、目はそれを見ていません。主よ、あなたが贖い出されたあなたの民、イスラエルの罪を赦してください。あなたの民、イスラエルの中で無実の血が流された責任を負わせないでください。」こうして、流された血の罪は赦される。
- これは、神に対するものであるとともに、周囲の町に対する、宣言でもあるのだろう。コミュニティとしての責任を果たすと言うことだろうか。死体に一番近い村がこのようなことをするようで、それを超える、組織がないということは、コミュニティ単位までであったことも意味するのだろう。殺された人について特定されたときはどうするのだろうか。不完全に見える。
- 申命記 22:5 女は男の服を身にまとってはならない。男も女の服を着てはならない。こうしたことをする者をすべて、あなたの神、主は忌み嫌われる。
- 現代なら責められるところばかりであろう。厳格に守っている人たち以外は。これが、人々が考えた神の御心だということだとわたしは理解してしまうが、謙虚に求め続けたいとは思う。おそらく、イエスもすべてに答えを持っていなかったのではないかと思う。彼の出会う範囲で、伝統的なものとは、異なる解釈を示している。その根拠はというとそう簡単ではない。しかし、それが、イエスの神観、神様との交わりの中で得たことであることは確かなのだろう。謙虚に、御心を求めていきたい。
- 申命記 23:8,9 エドム人を忌み嫌ってはならない。彼は、あなたの兄弟だからである。エジプト人を忌み嫌ってはならない。あなたはその地で寄留者だったからである。彼らに生まれた子どもは、三代目には主の会衆に加わることができる。
- 創世記によれば、他の周囲の民族も、親戚だとはいえる人たちが多い。エドムと他のひとたちをどう区別するのか。不明確である。それとは、別に、エドムと、別の理由で、エジプト人との関係を特記していることは興味深い。イスラエルは、エジプトにルーツを持つ民の集団だったということなのだろう。このあとも、エジプトとの交流は、王朝が変わっても続くように見える。最後のことばは、理解が難しいが、厳格にこのようなことを守ろうとしていた人たちもいたのだろう。
- 申命記 24:21,22 あなたがぶどう畑でぶどうを摘み取るとき、後で摘み残しを集めてはならない。それは、寄留者、孤児、そして寡婦のものである。あなたがエジプトの地で奴隷であったことを思い起こしなさい。それゆえ私は、あなたにこのことを行うように命じるのである。
- 経験は共通ではないが、エジプトの地で奴隷であったことは、共通の経験とすることで、このような説明の一部にもなっているのだろう。過越の祭り・除酵祭などは、それを共に体験することだったのかもしれない。一般的にはむずかしいが、これが、民族を独立・分離したものにしていった面もあるように思う。
- 申命記 25:17-19 あなたがたがエジプトを出て来たとき、その途上で、アマレクが行ったことを、あなたは思い起こしなさい。彼らは道であなたと出会い、あなたが疲れ切っていたとき、あなたの後方にいる、疲れ切ったすべての者たちに背後から襲いかかり、神を畏れることがなかった。あなたの神、主が相続地としてあなたに所有させる地で、あなたの神、主が周囲にいるすべての敵からあなたを守り、休息を与えてくださるとき、あなたは、アマレクの記憶を天の下から消し去りなさい。このことを忘れてはならない。
- アマレクは遊牧民だったのだろう。それも、おそらく少数民族になっていたと思われる。脅威であったことは確かだろうが、このような民とどう向き合うかは難しい。
- 申命記 26:12,13 十分の一を納める三年目に、すべての収穫の十分の一を納め終わって、レビ人、寄留者、孤児、寡婦にこれを施し、彼らが町の中で食べて満足したとき、あなたは、あなたの神、主の前でこう言いなさい。「私は聖なるものを家から取り出し、すべてあなたが命じられた戒めに従って、レビ人と寄留者、孤児と寡婦に与えました。私はあなたの戒めに背いたり、それを忘れたりはしませんでした。
- この前には、「あなたの神、主があなたとその家に与えられたすべての恵みを、あなたと、レビ人と、あなたの中にいる寄留者と共に楽しみなさい。」(11)ともある。本当に、寄留者と共に楽しむことができるのだろうか。ここには、十分の一について、「レビ人、寄留者、孤児、寡婦に施し」とある。現在の税金を考えると、もっと高額のように思うが、本当に、必要が満たされ、共に喜べるのかに疑問もある。社会は変化していく。そのなかで神の義、公平さを求めていくのは、ほんとうに難しい。これをめざさなければいけないが。
- 申命記 27:2,3 あなたの神、主が与える地に向かって、あなたがたがヨルダン川を渡る日に、あなたは複数の大きな石を立て、それらに漆喰を塗りなさい。そしてあなたが渡ったとき、それらの上にこのすべての律法の言葉を書き記しなさい。そうすれば、あなたの先祖の神、主が告げられたように、あなたの神、主が与える地、乳と蜜の流れる地にあなたは入ることができる。
- 石に書くのだろうか。たとえば、申命記も書くのだろうか。たしかに、バビロンなどには、石に非常に多くの記録が彫られたいたようである。しかし、あまり、現実的だとも思えない。いつも見ることもできないから。おそらく、このように書いてあることは、当時は、文字を読める人たちも、非常に限られていただろう。なにを伝えているのだろうか。この前に書いてある、「モーセはイスラエルの長老たちと共に民に命じた。「私が今日あなたがたに命じるすべての戒めを守りなさい。」(1)を強調されているということなのだろうか。
- 申命記 28:43 あなたの中にいる寄留者は徐々に力を蓄え、あなたは次第に衰えてゆく。
- これが呪いのひとつの表現である。ここから脱却して、寄留者と共に生きることは、現代でもできない。そちらに心は向かない。対立軸でしか考えられないのだろうか。この前に、「あなたに息子や娘が生まれても、あなたのもとにいることなく、捕らわれて行く。」(41)とあるが、現代もこれに近いのかもしれない。捕虜のようなものかもしれない。しかし、それを喜ぶ社会体制もあるのかもしれないとも思う。寄留者と共に住むように。難しい。本当に難しい。呪いも祝福も。
- 申命記 29:17,18 あなたがたの中に、今日、心変わりして私たちの神、主を離れ、諸国民の神々のもとに行って仕えるような男や女、氏族や部族があってはならない。あなたがたの中に毒草や苦よもぎの根があってはならない。この呪いの言葉を聞いても、心の中で自分を祝福し、「心をかたくなにして歩んでも、私は大丈夫だ」と言うなら、潤っている地も乾いている地と共に滅びる。
- 因果関係で、祝福と呪いを理解することは、現代でもある。それにひとのこころが支配されているとも言える。実際には、非常に多くの要因が関係しているにも関わらず。そして、主のみこころもほんとうに引用したようなものかもわからないにも関わらずである。そこまで、聖書から、離れていってはいけないのだろうか。正直、わからない。
- 申命記 30:6,7 あなたの神、主はあなたとその子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主を愛し、命を得るようにしてくださる。あなたの神、主は、これらの呪いをすべて、あなたの敵とあなたを憎んで迫害する者にもたらす。
- 「あなたは、あなたの神、主があなたを追いやった先のあらゆる国民の中で、その言葉を思い起こし、」(1)とあり、「たとえ天の果てに追いやられても」(4)ともある。このようなことが想定されているというのは、捕囚後にも加筆されたのか。北イスラエルはすでに捕囚・離散していた時期なのだろうか。しかし、ここの思想は「憎んで迫害する者」に対する呪いでもある。「心に割礼を施し」は、エレミヤ4:4 や、エゼキエル11:19 などを思い出させる。しかし、このような文脈でおそらく最初に語られていたことも考えさせられた。
- 申命記 31:29 私の死んだ後、あなたがたは必ず堕落し、私があなたがたに命じた道からそれるので、後の日に災いがあなたがたに降りかかることを私は知っている。あなたがたは主の目に悪とされることを行い、その手の業によって主を怒らせるからである。」
- 最初に、モーセは「私は今日、百二十歳で、もはや思うように出入りすることができない。」(2)と言っている。「ホル山で死んだとき、アロンは百二十三歳であった。」(民数記33:39)と比較すると、モーセはまだ若い。しかし、アロンのことからも、老いを考えることはあったのかもしれない。最後の思いが、引用句として書かれているように思う。それでも、主に望みを置くということだろうか。
- 申命記 32:49,50 「エリコの向かいのモアブの地にある、アバリム山地のネボ山に登り、私がイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの地を見渡しなさい。あなたの兄アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように、あなたも登って行く山で死に、先祖の列に加えられなさい。
- 命令形ではあるのだろう。”“Go up this mountain of the Abarim, Mount Nebo, which is in the land of Moab, across from Jericho; view the land of Canaan, which I give to the children of Israel as a possession; “and die on the mountain which you ascend, and be gathered to your people, just as Aaron your brother died on Mount Hor and was gathered to his people;’ (NKJV) モーセの最終説教の形式を取っているが、なにか、違和感を感じる。人生とはそのように終わるものなのだろうか。わたしはどうなるのかな。どのようであってもよいと思ってはいるが。
- 申命記 33:17 ヨセフの雄牛の初子には威光があり/その角は野牛の角。/それによってもろもろの民を突き/共に地の果てまで進む。/それはエフライムの幾万の戦士。/それはマナセの幾千の戦士。」
- ヨセフの長子マナセと次男エフライムには、これだけの差がついてしまっていたのだろう。万と千である。ほかにも、祝福の順序がよくわからない。ルベン、ユダ、レビ、ベニヤミン、ヨセフ、ゼブルン、イッサカル、ガド、ダン、ナフタリ、アシェルと十一部属しか出てこない。シメオンはどうなっているのだろうか。ユダに取り込まれてしまっているのだろうか。
- 申命記 34:10,11 イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、彼をエジプトの地に遣わして、ファラオとそのすべての家臣、およびその全土に対して、あらゆるしるしと奇跡を行うためであり、
- モーセという人物はおそらくいたのだろう。そして、すばらしい指導者だったのだろう。しかし、そのようなリーダーの後、どうするかは、常に問題である。人間には、その知恵は、ないのかもしれない。今後の世界についても、同じなのだろう。不完全な人間が責任を担っていかざるを得ない。超人的なすばらしい指導者がいたとしても、いなかったとしても。
ヨシュア記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.4.4-2-4.16-1)
- ヨシュア記 1:10,11 ヨシュアは民の役人たちにこう命じた。「宿営の中を巡って民に言いなさい。おのおの食料を準備するように。あと三日で、あなたがたはこのヨルダン川を渡り、あなたがたの神、主が与える地に入り、それを所有するのだから。」
- これは、マナによる給食とは異なる状況をあらわしている。明確な背景は書かれていない。ヨルダンの東側に残った民(ルベン人、ガド人、マナセ族の半数の家族)もいたはずである。詳細は書かれていない。引き継ぎは、簡単ではなかったはずである。実際を再現することも、おそらくできないのだろう。そして、ヨシュアの時代も、完全な征服を記しているわけではない。
- ヨシュア記 2:9-11 二人に言った。「主があなたがたにこの土地を与えられたこと、そのため、私たちが恐怖に襲われ、この地の住民たちもあなたがたの前に恐れおののいていることを、私は知っています。あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたの前で葦の海の水を干上がらせたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたアモリ人の二人の王、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、私たちは聞いています。それを聞いて、私たちの心は挫けてしまい、もはやあなたがたに立ち向かう勇気は誰にもありません。あなたがたの神、主こそ、上は天、下は地において神であられるからです。
- 大変な勢力でせまっている敵にたいして、心が挫け、立ち向かう勇気がないことは、当然だろう。どうすれば良かったのだろうか。これは、それほど簡単ではない問いである。他者視点は、双方にとって、難しいが、それ以上に、ある程度それを理解した時に、どのように御心をもとめるかはさらに難しい。自分たちも罪人だが、相手はさらにひどく、主はその人たちを滅ぼそうとしていると、そんなことは、わたしには考えられない。お互いに正しさにおいて不完全であっても、共に生きるものを模索するものでありたい。
- ヨシュア記 3:7,8 主はヨシュアに言われた。「今日、イスラエルのすべての人々の目の前で、あなたを大いなる者とする。私がモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、彼らが知るためである。今、契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水辺に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれ』と命じなさい。」
- モーセに引き連れられて紅海をわたったときの再現なのだろう。ヨルダン川はいろいろな意味で、障害となっていたのだろう。防御のためにも、攻撃のためにも。実際になにが起こったのか、不明だが、エリコを攻略したことが、大きな転換点となったことを伝えていることは確かだろう。歴史的事実としては、おそらく、不明としか言えないのだろう。
- ヨシュア記 4:23,24 あなたがたの神、主は、あなたがたがヨルダン川を渡り終わるまで、その水を涸らしてくださった。それはちょうど、あなたがたの神、主が、私たちが葦の海を渡り終わるまで、その水を涸らしてくださったのと同じである。それは、地のすべての民が主の手の力強さを知るためであり、またあなたがたが常に、あなたがたの神、主を畏れるためである。」
- 芦の海での奇跡の再現、モーセの時から、ヨシュアの指導体制への、神が共におられることの証言の更新なのだろう。最後に地のすべての民とあり、すくなくとも、周囲の先住民に対する証言でもあったとある。多少、聖書には記録されている(ヨシュア記5:1など)が、実際は、どうなのだろう。士師記などの時代を考えると、あまり効果はなかったのだろうと、そして、記録としても、不十分だったのだろうとおもわされる。
- ヨシュア記 5:9-11 主はヨシュアに言われた。「今日、私はあなたがたからエジプトでの恥辱を取り除いた。」そのため、その場所はギルガルと呼ばれ、今日に至っている。イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕方、エリコの平野で過越祭を祝った。過越祭の翌日に当たるちょうどその日に、彼らは土地の産物を種なしパンや炒り麦にして食べた。
- 「恥辱を取り除いた」ということはあまり理解できないが、新しい生活に入ったことが記されていることは確かだろう。上の引用句のあとには、「彼らが土地の産物を食べた翌日からマナは絶えた。もはやイスラエルの人々にマナはなく、彼らはその年、カナンの地で収穫されたものを食べた。」(12)ともある。略奪以外に方法はないだろうが、60万人以上の民が食べるのは、おそらく不可能だろう。ただ、このカナンに入る日を、新たな出発としていることは確かである。そのようなものとして覚える、過越祭だったのだろう。
- ヨシュア記 6:23 斥候の若者たちは町に入り、ラハブとその父、母、兄弟、および彼女に連なるすべての者を連れ出し、また彼女のすべての氏族の者を連れ出して、イスラエルの宿営の外にとどめておいた。
- エリコ攻略はヨシュアの戦いにおいて、非常に重要だったのだろう。ここでは、斥候をかくまったラハブとその家族のことが書かれている。最後に、イスラエルの宿営の外にとどめておいたとある。ただし、このあと、「また、遊女ラハブと彼女の家族、彼女に連なるすべての者たちはヨシュアが生かしておいたので、イスラエルの中に住み着き、今日に至っている。彼女は、ヨシュアがエリコを偵察しに遣わした使者をかくまってくれたからである。」(25)ともある。最初の部分は、儀式的な異民族との分離を考慮したものであろう。実際にどう行われたかは不明でもある。ただ、すべての氏族は当時、どの程度を意味していたのかにも興味をもった。ある程度の数だとすると、たいへんな分裂がエリコ内部でも起こったことだろう。それが内部から壁が崩れ落ちたことに関係していないともいえないように思う。
- ヨシュア記 7:11,12 イスラエルは罪を犯した。私が命じた契約を破り、滅ぼし尽くすべき献げ物に手を出し、盗み、欺いて自分たちの持ち物の中に置いたのだ。だから、イスラエルの人々は敵に立ち向かうことができず、敵に背中を向けることになった。自分が滅ぼし尽くすべき献げ物となったからだ。もし、あなたがたの中から滅ぼし尽くすべきものを一掃しないならば、もう二度と、私があなたがたと共にいることはない。
- 10節の語り初めは、「主はヨシュアに言われた。」となっているので、主の言葉として伝えられている。主と共にいることと、主が滅ぼし尽くすべき献げものとが対比されていて、そのどちらに、身を置くのかが問われている。ひとは、そこまでは考えないのだろう。その教育が十分ではなかったとも言えるかもしれない。しかし、いずれにしても、これが主のことばでなければ、大問題である。わたしは、疑いを持ってしまうだろう。
- ヨシュア記 8:2 あなたは、エリコとその王にしたように、アイとその王にしなさい。ただし、戦利品と家畜はあなたがたのものとしてよい。町の裏手に伏兵を置きなさい。」
- ここにある戦利品とは何なのか。この前に、「ゼラの子アカンとその銀、外套、金の延べ棒、そして彼の息子、娘、牛、羊、彼の天幕と全財産」(7:24b)は、火で焼き払い、石を投げつけられたようである。区別がよくわからない。息子、娘はいるのに、妻は入っていない。戦利品には、別途定めがあったのか。「主が滅ぼし尽くすべき献げもの」が明確に共有されていたようには見えないがどうなのだろうか。申命記2:35, 3:7 が引照箇所にあるが、不明確である。不明確だが、「主が滅ぼし尽くすべき献げもの」に手をつけると裁かれるよというメッセージなのかもしれない。
- ヨシュア記 9:16,17 契約を結んで三日が過ぎた。イスラエルの人々は、彼らが近くの者であり、自分たちのうちに住んでいることを聞き、出発して、三日目に彼らの町に着いた。その町とは、ギブオン、ケフィラ、ベエロト、キルヤト・エアリムであった。
- 三日とあるが、おそらく、距離は近かったのだろう。アイから20km ぐらいだろうか。地図には書かれているが、どの程度正確かは不明である。
- ヨシュア記 10:41,42 ヨシュアは、カデシュ・バルネアからガザまで、ゴシェンの全土をギブオンに至るまで討ち取った。これらすべての王と土地を、ヨシュアは一度に捕らえ、占領した。イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。
- 五王、エルサレムの王アドニ・ツェデク、ヘブロンの王ホハム、ヤルムトの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビル(3) を一気に打ち破ったことが書かれている。五王は、捕えられて処刑されたが、城壁に囲まれた町に逃げ込んで(20)とあり町は残ったようである。これらは、ユダの山地と言われる南部に属する地で、このあたりで反抗する勢力が、制限されたのは大きな戦果だったのだろう。この戦いは、まだ続くことがヨシュア記・士師記、そしてサムエル記上に書かれているが。気になったのは、ゴシェン全土と書かれていることである。ゴシェンは、イスラエルが定住したエジプトの地名である。(創世記45:10, 46:28、出エジプト記8:18, 9:26など)ヨシュア記には、ここ以外に、11:16, 15:51 に登場するが、エジプトの地に対応する地としてこう呼んだのだろうか。
- ヨシュア記 11:22,23 そのため、アナク人はイスラエルの人々の地から一人もいなくなった。ただ、ガザ、ガト、アシュドドに残るのみとなった。ヨシュアはこうして、すべて主がモーセに告げられたとおり、この地のすべてを獲得した。ヨシュアはそれを、各部族の割り当てに従って、イスラエルの相続地として与えた。こうして、この地の戦いは終わった。
- 「ヨシュアは長い間、これらすべての王たちとの戦いに明け暮れた。」(18)とあるが、一段落ついたことが描かれ、かつ、完全ではなかったことも書かれているのだろう。このあとの、士師記、サムエル記の戦いを考えると、そう簡単ではなかったこともわかる。力で圧倒したということだろうか。書き方は単純で、他者視点はないし、イスラエルでも、ヨシュア以外は、登場しない。サムエル記への橋渡しなのだろうか。
- ヨシュア記 12:24 ティルツァの王一名。全部で三十一名の王である。
- 「ヨシュアとイスラエルの人々は、ヨルダン川の西側をも討った。ヨシュアは、レバノンの谷にあるバアル・ガドから、セイルの途上にあるハラク山に至る地を、イスラエルの各部族の割り当てに従って所有地として与えた。その地の王たちは次のとおりである。」(7)とあり、三十一王の名前が記されている。引用句はその最後。とはいえ、この地域に、三十一の近代の意味での王国があったわけではないだろう。どのようなものだったのだろうか。部族の長だろうか。ヨルダン川の東側は、ヘルモン山にまで至ることが書かれているが、そこまでイスラエルの支配が及ぶことはなかったろう。支配権を宣言しているのだろうか。イスラエル以外の人には、かなり乱暴に見える。
- ヨシュア記 13:1 ヨシュアは多くの日を重ねて年を取った。主は彼に言われた。「あなたは多くの日を重ねて年を取ったが、占領すべき土地はたくさん残っている。
- 人生は、このようなものなのだろう。使命として受け取っていても、それを、成し遂げるには、程遠い、それは、とても難しいという状態で、年を取る。わたしは、どうなのだろうか。ある時点から、あまり、そのようなものを望まなくなったようにも思う。いつ命が取られても良いし、なにかをやり残したとも考えていない。それは、使命を受け取っていなかったということなのだろうか。正直よくわからない。やろうとすることはないことはないが、なにが良いのかもわからない。ヨシュアは、どのように考えていたのだろう。いろいろな人についても、その晩年を学んでみたい。
- ヨシュア記 14:11,12 今日もなお、モーセが私を遣わした日のように健やかです。戦いのためであれ、日常の務めであれ、今の私の力は当時と同じです。ですから今、主があの日約束してくださったこの山地をください。あの日、あなたも聞いたはずです。そこにはアナク人がおり、城壁に囲まれた大きな町が幾つもありますが、主が私と共にいてくださるなら、主が約束してくださったとおり、私が彼らを追い払います。」
- 偵察に行った時40歳、そして、この時、85歳という。自分自身歳をとると、このように言えることが羨ましい。ヘブロンが与えられることになるが、それを成し遂げるだけの気力や実力が残されていたということだろう。むろん、伝承として、正確だとすることにも問題があるのだろうが、どう生きるかについて考えさせられることも確かである。歳と共に、弱気になることを押し留めるのは何なのだろうか。社会的な役割は減っても、求め続けること、考えさせられる。
- ヨシュア記 15:52-54 アラブ、ルマ、エシュアン、ヤヌム、ベト・タプア、アフェカ、フムタ、キルヤト・アルバすなわちヘブロン、ツィオル。以上、九つの町とそれに属する村。
- これらの町が正確にわかるわけではない。おそらく、ヘブロンだけだろう。ヨルダン川西側の分割の最初が、ユダ、そして、まず、カレブの話が書かれている。地図を見ると、ユダが圧倒的に広い。いくら山地とはいえ、公平とはどうしても思えない。何らかの理由は必要だったろう。そして、最後は、ダビデによる攻略を暗示させる次の節で終わっている。「ユダの一族は、エルサレムの住民であったエブス人を追い出せなかったので、エブス人はユダの一族と共にエルサレムに住み続け、今日に至っている。」(63)
- ヨシュア記 16:9,10 また、エフライムの一族に配分された町は、マナセの一族の相続地の中にもあった。そのすべての町とそれに属する村もエフライムのものである。彼らはゲゼルに住むカナン人を追い出さなかったので、カナン人はエフライムの中に住み着き、今日に至っている。ただし、カナン人には苦役が課された。
- ユダ(15章)の次は、エフライムである。最後には、マナセ一族の相続地の中にもあったとある。第何子ということが、どのように伝承されてきたのかは不明だが、ユダ(創世記によると第4子)、そして、北イスラエルでは、エフライムが盟主であることは、ここからもわかるように思う。そして、ヨセフ(第11子)の子としては、マナセが長男で、エフライムが次男であるが、それが逆転していることも、反映されている。ある時点では、過去の部族関係とは別に、この二つの部族が優勢になっていたと言うことなのかもしれない。同時に、地図で見ると、ユダの広さと比較すると、エフライムの地は、狭い。
- ヨシュア記 17:14 ヨセフの一族がヨシュアに言った。「あなたはなぜ、一つのくじ、一つの割り当てによる相続地しかくださらないのですか。主が私をこんなにも祝福してくださったので、私は数の多い民となりました。」
- 「ヨシュアはヨセフの家、すなわち、エフライムとマナセに言った。」(17)とあり、エフライム、マナセ両方に関係していることがわかる。歴史的には、ヨセフの一族としてひとくくりにして語られるのは、基本的に、ヨシュア記だけのようである。行動として、一緒にしているのは、この17章の、17,16節。そして、ヨセフを葬る「イスラエルの人々は、エジプトから携え上って来たヨセフの骨を、シェケムの野の一画に埋葬した。そこは、ヤコブが百ケシタで、シェケムの父ハモルの息子たちから買い取った地であり、ヨセフの一族の相続地となっていた。」(ヨシュア24:32)だけのようである。エフライムは、おそらく特に、王国時代においては、ユダのリーダーシップについて異議を唱える部族として、登場しているようだ。
- ヨシュア記 18:1-3 イスラエル人の全会衆はシロに集まり、そこに会見の幕屋を設置した。この地はイスラエルの人々によって征服されていたが、彼らの中には、まだ相続地を割り当てられていない七つの部族が残っていた。ヨシュアはイスラエルの人々に言った。「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのをいつまでためらっているのか。
- どうみても公平とは言い難い。ガド、ルベン、マナセの半部族(7)は、ヨルダン川の東に割り当て地を得、ユダは南の山地、エフライムとマナセの半部族はユダの北に割り当て地を得ていたところで終わっていた。ここでは、残りの7つの部族について「あなたがたは部族ごとに三人ずつ選び出しなさい。私が彼らを遣わすから、すぐにこの地を巡回させ、相続地ごとに土地のことを調べ、戻って来てもらおう。」(4)と言っている。これも、おそらく、イスラエルの成り立ちが、部族連合だったろうとの予測の背景にあるのだろう。状況を確認することは、困難である。さらに、多くの先住部族がいたことも、確認できる。難しい状況でのスタートである。
- ヨシュア記 19:51 以上が、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、親族の頭たちが、イスラエル人の諸部族のために、シロの会見の幕屋の入り口で、主の前において、くじで相続させた土地である。こうして彼らは土地の割り当てを終えた。
- 前の章の最後に、ベニヤミン族の割り当て地について書かれ、この章に残りの六つの族の割り当てが描かれている。ヨルダンの東の部族以外では、ユダ、エフライム、それに、ベニヤミンが特別な地位があったのかもしれない。ベニヤミンについては、微妙だが。ヨシュアの役割は、本当に難しい。戦いでは平和は来ない。実際の状況についてもやはり知りたいと思う。すべてを覆い隠することはできない。
- ヨシュア記 20:7,8 そこで彼らは、ナフタリの山地ではガリラヤのケデシュ、エフライムの山地ではシェケム、ユダの山地ではキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンを聖別した。また、ヨルダン川の向こう側、すなわちエリコの東では、ルベンの部族からは台地の荒れ野にあるベツェル、ガドの部族からはギルアドのラモト、マナセの部族からはバシャンのゴランを聖別した。
- これらの逃れの町のひとたちは、何らかの影響を考えなかったのだろうか。日本なら必ず、嫌がる人が出てきたり、差別する人たちが出てくるのではないかと思った。むろん、同情したり、支援するひともでるだろうが。生活を確保することも、おそらく、困難があったと思われる。聖書には、具体例は書かれていないと思うが、いつか、調べてみたい。
- ヨシュア記 21:1,2 レビ人の親族の頭たちは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、イスラエルの部族の家長たちのもとに進み出て、「主はモーセを通して、私たちの住む町と、私たちの家畜のための放牧地を与えるようお命じになりました」と、カナンの地にあるシロで申し出た。
- へブロン(11)やシェケム(21)やガリラヤのケデシュ(32)のように逃れの町が含まれている。すべてはチェックできていないが、これも意図的だったのだろう。広い範囲の町に、レビ人が住むようにしたことも、理解できる。エルサレムでの祭儀のためには、不便だったろうが。難しい問題も生じるように思われるが。いずれにしても興味深い。
- ヨシュア記 22:5,6 あなたがたはただ、主の僕モーセが命じた戒めと律法をひたむきに守り行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道を歩み、その戒めを守って主に付き従い、心を尽くし、魂を尽くして、主に仕えなさい。」ヨシュアは彼らを祝福して送り出し、その天幕に帰らせた。
- まだまだ、戦いは続く。この判断をしたのは、ヨシュアの治世が終わったことを意味しているのだろうか。このあと、ルベン人、ガド人、マナセ族の半数が、祭壇を築いたときは、祭司ピネハス、および会衆の指導者、イスラエルの大隊の頭たち(30)が判断をしている。難しい時期であったことも確かなのだろう。
- ヨシュア記 23:1 主が周囲のすべての敵からイスラエルを守り、安住の地を与えてから、長い歳月が過ぎ去った。ヨシュアは多くの日を重ねて年を取った。
- おそらく、中心となって率いるのは、このときより、だいぶ前に終了していたのだろう。しかし、ヨシュア以降のリーダーシップをどうするかは、難しい。どのような背景があり、次を決めなかったかも不明である。士師の働きは、散発的で、地域的にも限定されているように見える。統一王朝には、遠いことが示唆されていると言うことなのだろうか。難しい時期である。
- ヨシュア記 24:2-4 ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたがたの先祖は、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでいた。アブラハムとナホル、その父テラは他の神々に仕えていた。しかし、私はあなたがたの先祖アブラハムをユーフラテス川の向こうから連れ出して、カナンの全土を歩ませ、彼の子孫を増し加えた。私は彼にイサクを与え、イサクにはヤコブとエサウを与えた。私はエサウにセイルの山地を与え、彼はそれを得たが、ヤコブとその子たちはエジプトに下って行った。
- ヨシュア記記者が述べる起源である。ここには、「私はあなたがたの先祖アブラハムをユーフラテス川の向こうから連れ出し」とある。そして元々は、他の神々に仕えていたとある。主は、神々の一人なのだろうか。すくなくとも、これを読むとそう感じる。おそらく、アブラハムにとっては、自分の主となる神と出会ったのだろう。そう考えても、聖書は、信仰者の書である。信仰者が受け取った、神について書いてあると言うことだろう。それは、聖書記者もそう思っていたのではないだろうか。
士師記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.4.16-2-4.26)
- 士師記 1:3 ユダは兄弟シメオンに言った。「私に割り当てられた土地へ一緒に攻め上り、カナン人と戦おう。私もあなたに割り当てられた土地へ一緒に行こう。」そこで、シメオンはユダと一緒に行った。
- シメオンは、ユダの割り当て地の中に割り当て地を持っているが、ここからも、共闘関係がみえる。もう一箇所、「ユダは兄弟シメオンと共に行き、ツェファトに住むカナン人を討ち破り、滅ぼし尽くした。それゆえ、この町はホルマと呼ばれた。」(17)ともある。シメオンは、次男、ユダは四男であるが、三男がレビであることを考えると、最初から、近い関係が示唆されているのかもしれない。シメオンは、エジプトに食料を買いに行き、一人だけ残ることになったのは、シメオンで(創世記42:24)で、ユダも、ベニヤミンを連れていく時に、特別の役割を持っている。創世記29章31-35節にある、最初のレアの四人の子らは、重要な絆があったと表現されているのかもしれない。
- 士師記 2:1-3 主の使いがギルガルからボキムに上って来て言った。「私はあなたがたをエジプトから導き上り、あなたがたの先祖に誓った地に入らせ、こう告げた。『私はあなたがたとの契約を決して破らない。だから、あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇は壊されなければならない。』しかし、あなたがたは私の声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。それゆえ、私は告げる。『私もまた、あなたがたの前から彼らを追い払わない。彼らはあなたがたにとって落とし穴となり、彼らの神々はあなたがたにとって罠となるだろう。』」
- 士師記のテーマのような言葉である。しかし、「あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない」については、やはり気になる。分離主義を強いているからである。未熟ということだろうか。イエスの時代は、交流も活発で、このような生き方は不可能だったろう。そして、それは、捕囚の少し前ぐらいからは、近い状況だったかもしれない。大きな、変化が必要だったのかもしれない。それが、イエスだったのだろうか。
- 士師記 3:5,6 だが、イスラエルの人々はカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の中に住み続ける間に、彼らの娘を自分たちの妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ、彼らの神々に仕えるようになっていた。
- 女性の信仰への影響は大きいだろう。しかし、そうであっても、交流を禁止することで良いのだろうかとの疑問も生じる。これは、難しいチャレンジとして、受け止めなければならないのではないだろうか。多くの場合、失敗に至ることは多いと思うが。どうなのだろうか。主イエスは、喜ばれないのだろうか。よくわからない。
- 士師記 4:11 カイン人ヘベルは、カインにいるモーセのしゅうと、ホバブの一族から離れ、ケデシュに近いエロン・ベツァアナニムの辺りに天幕を張った。
- カイン人ということばは、創世記、民数記、歴代誌上にも一回ずつ登場するが、基本的には、この士師記(1:16, 4:11, 4:17, 5:24)と、サムエル記上(15:6, 27:10, 30:29) に登場する。士師記1:16 には「モーセのしゅうとであるカイン人の一族は、ユダの一族と共に、なつめやしの町からアラドのネゲブにあるユダの荒れ野に上って行き、その民と共に住んだ。」とある。「シセラはカイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕に徒歩で逃げて来た。ハツォルの王ヤビンと、カイン人ヘベルの家とは親しかったからである。」(4:17)ともあるが、複雑な友好関係があったのだろう。しかし、最後は、悲しい。イスラエルの一部とならなかったことの、良し悪しは、簡単には、判断できないだろう。
- 士師記 5:15,16 イッサカルの長たちは、デボラと共にいる。/イッサカルはバラクと同じく/歩兵と共に平野に送られた。/ルベンは枝分かれし、心の迷いは大きかった。なぜ、あなたは二重の柵の中で座り/家畜の群れを導く笛の音を聞いているのか。/ルベンは枝分かれし、心の迷いは大きかった。
- 「ルベンは枝分かれし、心の迷いは大きかった。」が二回繰り返されている。一つにまとまって戦わなかったということだろう。しかし、同時に、ガドは、この章に現れないと思ったが、なんと、士師記に登場しない。マナセや、ギレアドは登場するが、ルベンも実は、ここで引用した二箇所以外には、登場しない。つまり士師記の時代には、ヨルダン川の東は、ギレアドのマナセしか認識されていなかったということだろうか。もう少し、調べてみたい。
- 士師記 6:22-24 ギデオンは、彼が主の使いであることを悟った。ギデオンが「ああ、主なる神よ。私は顔と顔を合わせて主の使いを見てしまいました」と言うと、主は言われた。「安心しなさい。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、それを「主は平和」と名付けた。それは今日に至るまでアビエゼル人のオフラにある。
- 正確にはわからないのかもしれないが、戦いの地域は、イズレエルの平野(33)とあるので、ヨルダン川の西、ガリラヤの南あたりだろう。ギデオンの属するヨルダン川西のマナセ以外には、アシェル、ゼブルン、ナフタリ(35)が応じたとあり、地域としても、だいたい、近隣の部族ということになる。主の使いと、主の区別がなされているかは不明だが、ギデオンは、「顔と顔を合わせて主の使いを見てしまいました」といい、それに主が「平安」と告げる。「力ある勇士よ、主はあなたと共におられます」(12)とあり、そのことを具体的にしめすことを求めていることもあり、それだけ、主が共におられることを意識することが難しかったのだろうとも思わされる。燔祭を献げるが、レビ人は出てこない。宗教集団とは言えない時代なのだろう。
- 士師記 7:24 ギデオンはエフライムの山地の至るところに使者を送り、こう言った。「攻め下ってミデヤン人を迎え撃ち、ベト・バラまでの水場とヨルダン川を占領せよ。」エフライムの兵士全員が召集され、ベト・バラまでの水場とヨルダン川を占領した。
- マナセ、アシェル、ゼブルン、ナフタリの南がエフライムである。(Swartzentrover.com | Holman - Holman Bible Atlas - Part II - Chapter 7) 地図41,41a,44 参照。エフライムが、北イスラエルの盟主なのだろう。どの程度全域的な戦いなのかは不明である。しかし、ギデオンの物語は面白い。300人の選抜は興味深いと同時に、日本のギデオン協会はどうなっているのか心配でもある。
- 士師記 8:20,21 彼は長子イエテルに「今すぐ彼らを殺せ」と言った。しかし、その若者は剣を抜かなかった。まだ若く、恐ろしかったからである。すると、ゼバとツァルムナは、「あなた自身が私たちを打ちなさい。力は人それぞれなのだから」と言った。ギデオンは立ち上がり、ゼバとツァルムナを殺し、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを奪い取った。
- このあとを見ても、ここが一つの鍵であるようにみえる。それぞれに違う「力」がある、ギデオンが殺し、さらに、宝の一部を受け取る。そのこと自体を責めるのは酷かもしれないが、「イスラエルの人々は、周囲のあらゆる敵の手から救い出してくださった自分たちの神、主を思い起こすことはなかった。」(34)につながっていったようには見える。残念ながら。
- 士師記 9:21 こう言ってヨタムは逃げ去った。彼は逃れてベエルに行き、兄アビメレクを避けてそこに住んだ。
- ヨタムがこのあとどうなったかは書かれていない。「また、シェケムの人々が行ったすべての悪事に対しても、神はそれぞれ報復を果たされた。こうしてエルバアルの子ヨタムの呪いが彼らの上に降りかかったのである。」(57)とあるだけである。治めることは、考えていなかったのかもしれない。世襲での統治は、よほどの組織がないと難しいのだろう。ギデオンも戦いには勝ったが、統治に関しては、何も書かれておらず、特になにもできなかったのかもしれない。
- 士師記 10:7-9 主は怒りに燃え、イスラエルをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡された。そこで彼らはその年、イスラエルの人々を打ち砕き、また十八年にわたり、ヨルダン川の向こう側にいるすべてのイスラエル人を打ちのめした。そこはアモリ人の地であり、ギルアドにあった。さらに、アンモン人がヨルダン川を渡り、ユダ、ベニヤミン、そしてエフライムの家にも戦いを仕掛けて来たので、イスラエルは苦境に立たされた。
- ヨルダン川の東、ギルアドについて時々登場するので興味がある。この直前に「その後、ギルアド人ヤイルが立ち上がり、二十二年間イスラエルを治めた。」(3)ともあるが、アンモン人などの影響で、ヨルダン川の東側は常に脅威に晒されていたのだろう。海岸沿いには、ペリシテがいる。マナセの半部族は時々登場するが、ルベンやガドはどの程度、存続できたのだろうか。ヨルダン川の西からの援助も受けにくいことも影響したのかもしれない。
- 士師記 11:1 ギルアド人エフタは力ある勇士であったが、ギルアドが遊女に産ませた子であった。
- 10章9,10節などは、このエフタの物語の背景説明だったのか。ここでは、ギルアド人とし、同時に、ギルアドの名前が登場する。創世記にもギルアドという地名は登場する。(創世記31:21,23,25,37:25)「マナセの一族は、マキルとマキル家の氏族。マキルはギルアドをもうけた。ギルアドとギルアド家の氏族。」(民数記26:29)とあり、マナセ一族では重要な名前だったのだろう。「モーセは、マナセの子マキルにギルアドを与え、そこに住まわせた。」(民数記32:40)とも書かれている。ヨルダン川の東を、ギルアドと呼んだのかもしれない。
- 士師記 12:4 エフタはギルアドの兵士全員を集結し、エフライムと戦った。ギルアドの人々はエフライムを討った。それは、エフライムが、「ギルアドよ、お前たちはエフライムの逃亡者なのだから、エフライムの中、マナセの間でじっとしているがいい」と言ったからである。
- 最終的には「この時、四万二千のエフライム人が倒れた。」(6b)とある。民数記の二回目の人口調査で、エフライムの兵力は、32,500(民数記26:37)とある。推移は明らかではないが、かなりの数の兵力が失われたということを伝えているのかもしれない。エフライムが北イスラエルの盟主としても、その力は、落ちていった一つの原因として伝えているのかもしれない。
- 士師記 13:7,8 その方は言いました。『あなたは身ごもって男の子を産むであろう。今後は、ぶどう酒や麦の酒を飲まず、汚れたものを一切食べないよう気をつけなさい。その子は胎内にいるときから死ぬときまで、ナジル人として神に献げられているからである。』」マノアは主に祈って、「わが主よ。どうぞ、あなたが遣わされた神の人をもう一度私たちのもとに来させ、生まれてくる子に何をすべきか教えてください」と言った。
- 再度主の使いが現れたとき「私がこの女に言ったすべてのことを、彼女は守らなければならない。彼女はぶどう酒を作るぶどうの木からできるものは一切食べてはならず、ぶどう酒や麦の酒を飲んではならない。汚れたものも一切食べてはならない。私が彼女に命じたすべてのことを、彼女は守らなければならない。」(13b,14)と答えている。前半が付加され、少し異なるが、ナジル人の部分が省略されているから、基本的には、同じであると考えて良いだろう。夫が責任を持つという文化の表れとしてのやりとりが表現されているとも言えるが、とても、重要なことであれば、自分も直接聞きたいというのは、自然なことでもあろう。「マノアはその人が主の使いであることを知らなかった。」(16b)とある。信頼の問題なのかもしれない。
- 士師記 14:4 両親は、これが主から出たものであり、ペリシテ人から脱する機会をうかがうものであることを知らなかった。この頃、ペリシテ人がイスラエルを支配していたからである。
- 前の章の主の使いのことば「なぜ私の名を尋ねるのか。私の名は不思議だ。」(13:18b)と関連しているのだろう。この章の最後に「その時、主の霊が激しく降り、サムソンはアシュケロンに下って行った。そこで三十人を打ち、彼らから剝ぎ取った衣を、謎を解き明かした者たちに晴れ着として与えた。彼は怒りに燃え、自分の父の家に帰った。サムソンの妻は、彼に付き添っていた友人のものとなった。」(19,20)が投影しており、後半は、次の章につながるのだろう。伏線回収など、関連性もよく、物語としては、よくできている。ただ、ペリシテ相手では、どうにもならなかった時代なのかもしれない。一矢を報いたということだろうか。
- 士師記 15:6 ペリシテ人は言い合った。「こんなことをしたのは誰だ。」「ティムナ人の婿サムソンだ。サムソンの妻が友人のものになってしまったからだ。」ペリシテ人は攻め上り、女とその父を火で焼き滅ぼした。
- 前の章に「七日目に、彼らはサムソンの妻に言った。『夫をうまく言いくるめて、あの謎の意味を解き明かすようにしてほしい。さもないと、あなたと家族を火で焼き払うぞ。あなたがたは、まさか我々から奪い取るために招いたのではなかろう。』」(14:15)とある。このサムソンの妻の家は、とんだとばっちりだと感じてしまう。このようなことがあって良いのかと。ただ、このペリシテの人たちの行動原理をみていると、そもそも、ひどい時代だったとも思う。どう考えたら良いのだろう。仕方がなかったのだろうか。悲しい。神の御心がなる、希望はない。
- 士師記 16:20 女は言った。「サムソン、ペリシテ人が襲って来ました。」サムソンは眠りから目を覚まし、「いつものように出て行き、暴れて来よう」と言った。彼は、主が自分から離れたことを知らなかったのである。
- この前に「ついにその心のすべてを女に伝えた。」(17a)として書かれている「私の頭には、かみそりを当てたことがない。私は母の胎にいたときから神に献げられたナジル人だからだ。もし髪をそられたら、私の力は抜け、全く並の人間のように弱くなってしまう。」(17b)と矛盾するようにも見える。しかし、サムソンは、ある程度知っていても、その効果を確認することはなく、ある意味では、信仰にはなっていなかったのかもしれない。「主なる神よ。どうか、私を思い起こしてください。神よ、どうか、もう一度私を強めてください。私の両目のうち、片方のためだけにでも、ペリシテ人に復讐させてください。」(28b)にあるようなサムソンの叫びとともに、乱暴だともいえるが、物語としては、興味深いものとなっている。士師記の形式にあわせて、最後は、「彼は二十年間イスラエルを治めた。」(31)で終わっているが、ペリシテという文明・文化的にも先を行っている、ペリシテに対抗しうる存在として、伝承されてきたのだろう。
- 士師記 17:2-4 男は母に言った。「かつて銀千百シェケルが奪われたとき、あなたは呪い、そのことを私にも伝えてくれました。その銀は私が持っています。実は私が奪ったのです。」母は答えた。「主が私の息子を祝福されますように。」男が銀千百シェケルを母に返すと、母は言った。「この銀は、私がこの手で聖別し、主に献げたもので、息子のために彫像と鋳像を造ろうとしたものです。さあ、あなたに返しましょう。」男は母に銀を返し、母は銀二百シェケルを取って鋳物師に渡し、彫像と鋳像を造らせた。それはミカの家に置かれた。
- 不思議だともいえる話である。核心は、このあと、ベツレヘムから旅をしてきた、レビ人がここに住み着いたということなのだろう。一般的には、レビ人は、十分な割り当て地がなく、貧しかったと思われる。ただ、そのようなレビ人の役割として、祭司の仕事をすることがあったのだろう。非常に原始的だが、想像力を逞しくしていろいろと考えてしまう。まだ、神殿もなく、イスラエルが統一されているとも言い難く、外敵から、守られているとも言えない時期、実際は、レビ人は、どのように暮らしていたのだろうか。興味を持つ。
- 士師記 18:29-31 その町を、イスラエルに生まれた彼らの父祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。それ以前には、その町はライシュと呼ばれていた。ダンの人々は自分たちのために彫像を立てた。また、モーセの子ゲルショムの子ヨナタンとその子孫が、この地の民が捕囚とされる日までダンの部族の祭司を務めた。こうして、神の宮がシロにあった間、彼らはミカの造った彫像を据えていた。
- なんとも乱暴な物語である。しかし、そのように描いているともいえる。そして、おそらく、ダンがこの地域に住み着いた由来と、シロの彫像の由来を伝えているのだろう。さらに、「エフォドとテラフィム、彫像と、鋳造があった」(14)とも書かれているが、ミカの証言「あなたがたは私の造った神々と祭司を奪い去りました。」(24b)からも、イスラエル的には、そのもの自体を貶めているようにも見える。そのような時代を伝えているのだろう。
- 士師記 19:9,10 男と側女、従者が出発しようとすると、娘の父であるしゅうとが男に言った。「御覧なさい。日も暮れかかっています。さあ、もう一晩お泊まりなさい。もう日も傾いています。ここに泊まってくつろいでください。明日の朝早く起きて出発し、あなたの家に向かえばよいでしょう。」だが、男に泊まる意思はなく、出発し、エブスすなわちエルサレムの向かいまでやって来た。鞍を付けた二頭のろばと側女が男と共にいた。
- おぞましい事件のはじまりである。一般的に、危険があったこと、しかし、情報は共有されていなかったのだろう。ベニヤミンについて書かれているが、統治自体が乱れていたのだろう。まさに、自分の目に正しいことを行なっていたのだろう。それでは、いけないことを伝えているのか。「その頃、イスラエルには王がいなかった。そして、おのおのが自分の目に正しいと思うことを行っていた。」(21:25)
- 士師記 20:27,28 イスラエルの人々は主に問うた――その頃、神の契約の箱はそこにあり、アロンの子エルアザルの子ピネハスが御前に仕えていた――。「同胞であるベニヤミンの人々との戦いに、もう一度出陣すべきでしょうか。それともやめるべきでしょうか」と彼らが問うと、主は言われた。「攻め上りなさい。明日、彼らをあなたの手に渡す。」
- 神の契約の箱がベテルにあったこと、さらに「イスラエルのすべての部族から百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人を選び取り、兵の食料を調達させる。兵はベニヤミンのギブアに行き、その住民がイスラエルで行ったあらゆる恥ずべきことに対して報復するのだ。」(10)とあるにもかかわらず、「一方、ベニヤミンを除くイスラエルの人々は、剣を携えた兵士四十万人を動員した。その全員が戦士であった。」(17)ともあるということは、おそらく、戦士の人口は、400万人ということになる。女も子供も老人も加えた数かもしれないが、一世代の間に、六十万人からこれだけ増えるのは不思議である。さらに、出エジプトから、何百年かたっているかとわれるのに、アロンの孫が祭司をしていることも、不思議である。いろいろな加筆・修正もあるのかもしれない。たいせつなのは、ベニヤミンが少なくなった経緯だろうから。
- 士師記 21:20-22 彼らはベニヤミンの人々に命じた。「ぶどう畑に行って待ち伏せし、よく見ていなさい。シロの娘たちが踊りを踊りながら出て来たら、ぶどう畑から出て、シロの娘たちの中から妻とする者をそれぞれ捕まえ、ベニヤミンの地に連れて行きなさい。もし彼女たちの父や兄が我々に文句を言いに来たら、我々は彼らに言おう。『私たちに免じて、彼らに憐れみをかけてください。私たちは戦いの間、それぞれ妻をめとることができなかったし、あなたがたも彼らに娘を嫁がせることができなかったからです。嫁がせていたら、あなたがたは罪に問われたでしょう。』」
- 倫理的な枠組みというより、法治でも、宗教国家でもない。非常に乱れてはいるが、全体としての一致はあったこと、十二部族は維持する強い意志があったことを伝えているのだろうか。乱暴だとだけ、認識したのでは不十分なのだろう。なにを伝えているのだろうか。
ルツ記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.4.27-2-4.28)
- ルツ記 1:16,17 しかしルツは言った。/「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰るなど/そんなひどいことをさせないでください。/あなたが行かれる所に私は行き/あなたがとどまる所に私はとどまります。/あなたの民は私の民/あなたの神は私の神です。あなたが死なれる所で私は死に/そこに葬られたいのです。/死に別れでなく、私があなたと別れるならば/主が幾重にも私を罰してくださいますように。」
- 飢饉に瀕した民は、異邦人・異教徒の地に移っていくことは、必然だったのだろう。その中で、その民が、イスラエルの土地に帰ってくることもある。そのような状況で、この告白は、美しい、お手本をされたと思われる。もしかすると、男性目線かもしれないが。ダビデの家系について、記録することは、たいせつなことであったのだろう。どれほどの伝承が残っていたかは不明だが。
- ルツ記 2:8,9 ボアズはルツに言った。「よく聞きなさい、娘さん。よその畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから移ったりしてはいけません。召し使いの女たちのそばを離れず一緒にいなさい。刈り入れをしている畑に目を留めて、彼女たちの後に付いて行きなさい。私は僕たちに、あなたの邪魔をしないように命じておきます。喉が渇いたら水がめのところに行って、僕たちが汲む水を飲みなさい。」
- ただしさよりも、たいせつなものがここにあるように感じる。これらのことばや態度には、惹きつけられる人は多いだろう。そして、それは、イエスの教えにもつながるように思う。愛は、Welcome まさにそれもここで表現されているように思われる。同時に、そうしない人が周囲にいることも意識されていることは興味深い。
- ルツ記 3:15 ボアズは言った。「あなたの羽織っている肩掛けをよこし、しっかりつかんでいなさい。」ルツがそれをしっかりつかむと、ボアズは大麦を六杯量って彼女に背負わせ、町に帰って行った。
- ルツ記は、書かれた背景もあるのだろうが、いずれにしても、美しく書かれている。引用箇所は、責任うんぬんとはことなり、別れる前の、最後の追加の配慮のようなもので、細やかな心遣いが表れている。そこにいるかのような感じが得られるが、記者の思いでもあったのだろう。他民族との交流も含め、興味深い。
- ルツ記 4:5,6 ボアズは言った。「あなたがナオミの手から畑を買い取るときには、故人の妻であったモアブの女ルツも買い取ってください。先祖から受け継いだ地に故人の名を興すためです。」するとその親戚の人は言った。「私には買い戻すことはできません。私が先祖から受け継いだ地を損なうことになります。親戚として私が果たすべき責任はあなたが果たしてください。私は買い戻すことはできません。」
- 不明の点もある。「先祖から受け継いだ地に故人の名を興す」ことは、伝統だったのか、それとも、不文律だったのか、それとも、賞賛されるが、不文律のようなものではないというぐらいか。最後のものではないだろうか。次に、「私が先祖から受け継いだ地を損なう」とあるが、どのような意味だろうか。買い戻すために、自分の土地を失うのだろうか。どのように「損なう」のか不明である。オベドもボアズの子となっている(21)エリメレクの名は、消えるのではないのだろうか。不明。
サムエル記上 聖書通読ノート
BRC2025(2025.4.29-2-5.14-1)
- サムエル記上 1:4-6 エルカナは、いけにえを献げる日には妻のペニナ、および息子、娘に、その取り分を与えた。そしてハンナには二人分に匹敵するものを与えた。それはエルカナがハンナを愛していたからである。だが、主は彼女の胎を閉ざしたままであった。ハンナと対立するペニナは、主がハンナの胎を閉ざしたままだということで、ハンナを悩ませ、苦しめた。
- ペニナは悪者の役になってしまうが、エルカナのハンナ贔屓も背後にあったこともわかる。エルカナの配慮とも言えるが、ペニナはそのことも、納得できなかったのではないのだろうか。子のことは、現代に至るまで、難しい問題である。現在は、一夫一婦が圧倒的だが。夫婦関係は、難しい。
- サムエル記上 2:25,26 仮に人が人に罪を犯したとしても、神が間に立ってくださる。しかし、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれようか。」しかし、息子たちは父の声に従おうとはしなかった。それで主は彼らの命を絶とうとされた。一方、少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。
- この対照が記者の書きたかったことなのだろう。12-17にある、エリの息子たちの非道は、当時、どのように、祭儀が行われていたかにもより、士師記とのギャップを考えると、不思議にも思う。そこまで、丁寧には、なされていなかったのではないだろうか。ここは、後の時代から、すこし遡って、書かれたということなのかもしれない。基本的には不明なことだが。
- サムエル記上 3:13,14 私はエリに告げ知らせた。彼の息子たちが自ら災いを招いているのを知りながら、戒めようとはしなかった罪のため、私はエリの家をとこしえに裁くと。私はエリの家について誓った。エリの家の罪はいけにえによっても、供え物によっても、とこしえに償われることはない。」
- この事実自体は、人々によく知られており、サムエルも耳にすることが多かったろう。そのなかで、本当なのか、サムエルも悩んだに相違ない。エリを慕って仕えていたのだから。それを、エリに言った経緯が、このように、美しい物語で描かれているのだろう。サムエルに「戻って休みなさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」(9b)と教えたのも、エリであることが書かれている。このような美しい物語に仕上げたのは誰なのだろうか。サムエルがそう伝えたのかもしれない。
- サムエル記上 4:3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ、主は今日、我々がペリシテ人に打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから運んで来よう。そうすれば、主は我々のただ中に来られ、敵の手から救ってくださるであろう。」
- 神様がどう導かれたかを、十分深く理解できていない、魔術的なものとして、すなわち、自分たちの都合の良いようにだけ、主の働きを理解しているということだろう。この章を読むと、内憂外患、エリも、息子たちのことは、もう、諦めていたようにも見える。しかし、それで良いわけではない。エリは、士師としてイスラエルを治めた、責任ある立場だったようだからである。(18)複雑なことを、このように描くことはひとつの歴史観ではあっても、まったく不十分であるとも思う。人の側の責任は、大きい。
- サムエル記上 5:9,10 さて、箱が移されて来ると、主の手が町に大きな混乱を引き起こした。町の住民は子どもから大人まで打たれ、腫れ物が彼らの間に蔓延した。そこで彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着くと、住民は大声で叫んだ。「イスラエルの神の箱をここに移し、私と私の民を殺すつもりか。」
- ある伝承なのだろうが、明らかに、神の箱(契約の箱)は、魔術的な存在として描かれている。この時代では、そのように描いた方が、わかりやすかったのかもしれない。しかし、現代人がそのように理解したのではいけないのだろう。そのための情報は十分ではない。このようなことから、我々は、何を学べば良いのだろうか。
- サムエル記上 6:4,5 ペリシテ人は言った。「それでは、返すにあたって、償いのいけにえには何がよいのか。」彼らは答えた。「同じ災いがあなたがた全員とあなたがたの領主に下ったのですから、ペリシテの領主の数に合わせて、五つの金の腫れ物と五つの金のねずみにするとよいでしょう。腫れ物の像と地を荒らすねずみの像を造って、イスラエルの神に栄光を帰すなら、恐らくイスラエルの神は、あなたがたとあなたがたの神々、そしてあなたがたの地に重くのしかかっているその手を引いてくださるでしょう。
- なぜ、ネズミなのか、ChatGPT に聞いてみると、根拠資料もつけて、答えが帰ってきた。腫れ物が、ペスト的な疫病の象徴で、それとネズミが関係していると考えられているから。金属の像に呪術的効用があると考えられていたから、ネズミが農業的被害の象徴であるからなどが応答としてあった。どれも、ある程度は、合理的な説であると思われる。
- サムエル記上 7:13 こうしてペリシテ人は屈服し、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの生涯にわたって、主の手がペリシテ人を抑えていた。
- 事実というより、真実なのだろう。サムエルの「あなたがたがもし心を尽くして主に立ち帰るなら、自分たちの中から異国の神々やアシュトレトを除き、主に心を定め、専ら主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はペリシテ人の手からあなたがたを救い出してくださる。」(3b)は、少なくとも、内憂の部分に向き合うためには、十分だったろう。外患にどの程度効用があったかは、不明である。このあとも、サムエルの生きていた間に、サウルや、ダビデなどの戦いからもわかるように、戦いはずっと続いたからである。しかし、このようなリーダーシップを著者はよしとしているのだろう。やはり著者に興味を持つ。
- サムエル記上 8:17-19 また、あなたがたの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたがたは王の奴隷となる。その日、あなたがたは自ら選んだ王のゆえに泣き叫ぶことになろう。しかし、主はその日、あなたがたに答えてはくださらない。」しかし民はサムエルの声に聞き従おうとはせず、言い張った。「いいえ、我々にはどうしても王が必要なのです。
- 主の声(7-9)には従わず、サムエルは、民を説得しているようにも見える。おそらく、受け入れる前に、伝えているのだろう。サムエルは知識人である。教育は、そう簡単には、いかないということなのだろう。ただ、リーダだけが正しくても、困難な状況は改善しない。サムエルの立場で、どうしたら良いのかは、難しい。
- サムエル記上 9:12,13 娘たちは答えた。「はい、おられます。この先です。お急ぎなさい。今日、町に来られました。そして今日、高き所で民のためにいけにえを献げられるのです。町に入るとすぐ、その方に会えるでしょう。その方は食事のために高き所に上られるところです。人々は、その方が来られるまで食べません。その方がいけにえを祝福してくださるからです。祝福の後で、招かれた人々は食べるのです。今、上って行けば、すぐにでもその方に会えるでしょう。」
- 当時のことかどうかは不明だが、なんとなく、ある時期の儀式を彷彿とさせられて興味深い。順番がわからないが、おそらく、いけにえをささげ、それを、サムエルが祝福し、招かれたひとたちが食べるということだろうか。それが、その町を拠点とした、宗教活動だったのだろうか。
- サムエル記上 10:26,27 サウルもギブアの自分の家に帰った。神に心を動かされた勇士たちはサウルに従った。しかしならず者たちは、「こんな男に我々が救えるか」と言って彼を侮り、贈り物を持って行かなかった。だがサウルは何も言わなかった。
- 正確にはわからないが、「神に心を動かされた勇士」ということばが使われているので、サムエルによる祝福が、直接間接に、それぞれの心に働いたということだろう。それに応答したということか。しかし、それを受け取らなかったものたちを、責めるのは、これだけでは、根拠不十分であるように思う。ただ、「こんな男に」とサウルを人間としてみていることは確かなように思われる。その差はあるのだろうか。
- サムエル記上 11:6-8 それを聞くや、神の霊がサウルに降り、彼は怒りに燃えて、一軛の牛を捕らえて切り分け、それを使者に持たせて、イスラエル全土に送り、次のように言わせた。「サウルとサムエルに従って出陣しない者があれば、この牛のようになる。」主への恐れが民に広がり、彼らは一斉に出て来た。サウルがベゼクで彼らを点呼すると、イスラエルの人々が三十万、ユダの人々が三万であった。
- ギルアドのヤベシュ(1)は、士師記21章に登場する、この後も、ひとつ鍵となる地域である。ヤベシュからベニヤミンを攻める戦いに参加しなかった、すなわち、同盟関係を守らなかったことが書かれている箇所である。ここでは、逆に、それを助けている。ヤベシュの関係者がベニヤミンにいたのかもしれないが、十二部族の同盟関係について、ある示唆は与えているように見える。ユダだけ別記されているのは、後のことを考えれば、自然なのかもしれないが、この時は、同盟関係を確かめる大切な時だったのかもしれない。
- サムエル記上 12:12 ところが、アンモン人の王ナハシュが攻め上って来るのを見ると、神である主があなたがたの王であるにもかかわらず、『いや、王が我々を治めるべきだ』と私に言った。
- サウルをサムエルが選んだのは、以前のことであるが、あたかも、この時がその転機であったように書かれている。おそらく、十二部族がひとつになる、重要な機会だったのだろう。サムエルが、サウルを立てた理由には、歳をとり、他のひとに任せたいという、または、そのような人が是が非でもいなければという気持ちが強かったのかもしれない。サムエルと、神様の関係はどうだったのだろうか。このあたりには、あまり書かれていない。しかし、指導体制の移行期間であることは、確かなのだろう。
- サムエル記上 13:22,23 戦いの日になっても、サウルとヨナタンと一緒にいた兵の誰の手にも剣や槍はなく、持っていたのはサウルとその息子ヨナタンだけであった。ペリシテ人の本隊はミクマスの渡しまで進んで来た。
- 客観的に、ペリシテが優位であることは、ここからもよくわかる。サウルとともに2000人、ヨナタンと共に、1000人という常備の兵力の武器も鋤や鍬または棍棒だったのだろうか。ペリシテは「戦車は三万、騎兵は六千、兵は海辺の砂のように多かった。」(5)とある。ただ、この章の最初は、「ヨナタンはゲバに配備されていたペリシテ人の守備隊を討ち破った。」(3)から、始まっているが、このことについての評価は書かれていない。サムエルの動きもよくわからないところがある。伝えたいことははっきりしていても、背後のことまでは、明確ではないのかもしれない。推測で、解釈するのは危険かもしれない。
- サムエル記上 14:45 兵はサウルに言った。「イスラエルにこの大勝利をもたらしたヨナタンが死ななければならないというのですか。とんでもないことです。主は生きておられます。彼の髪の毛一本なりとも地に落ちてはなりません。神が共におられたからこそ、ヨナタンは今日これを成し遂げたのです。」こうして、兵がヨナタンをかばったので、彼は死を免れた。
- 興味深い。この章は、サウルの権威が失われて行くことを描いているとも言えるが、それほど単純ではないようにも見える。このような勇気のある、兵がいたことも素晴らしいし、このあとにも、「サウルはイスラエルに対する王権を握ると、周囲のすべての敵、モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、そしてペリシテ人と戦った。向かうところ敵なしであった。」(47)とあり、客観的には、サウルはかなりイスラエルに貢献していることもわかる。サムエル記記者の伝えようとしていることとはずれているのだろうが。
- サムエル記上 15:17-19 サムエルは言った。「あなたは自分では小さな者と思っているかもしれないが、イスラエルの諸部族の頭ではないか。主はあなたに油を注いで、イスラエルの王とされたのだ。主はあなたに出陣を命じ、『行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし、彼らを滅ぼし尽くすまで戦え』と言われたのではないか。なぜ、あなたは主の声に聞き従わず、戦利品に群がり、主の目に悪とされることを行ったのか。」
- ここに書かれているだけでは、十分わからないが、おそらく、主の声に従うことに関して、大きな問題があったのだろう。それがこのように表現されていると理解するのが正しいだろう。しかし、結局はわからない。サムエルの主のみこころの理解なのか、もう少し広がりのあるひとたちのある人たちがそこにいるのか。逆に、皆がそう思うのであれば、問題も感じる。御心の理解は難しい。基本的なことは、イエスによって告げられたように思うが。
- サムエル記上 16:12,13 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。彼がその人である。」サムエルは油の入った角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。この日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。
- この章の内容も分かりにくい。基本的に、このサムエルによる油注ぎと、琴を弾く名手としてのダビデが登場する。いくつかのエピソードを、ダビデの紹介として載せているのだろう。伝承がいくつかあったのかもしれない。そして、かなりあとから、編集したのかもしれない。理解は難しい。
- サムエル記上 17:34,35 しかしダビデはサウルに言った。「あなたの僕は父の羊を飼う者です。ライオンや熊が出て来て、群れの中から羊を奪うこともあります。その時は追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。
- もう少しあとの時代まで、ライオンや熊がこの地域にも、いたようである。一説には、王などの、娯楽として、ライオン狩り、熊狩などをしていて、絶滅したとも言われているようだ。講演集にあった話で、根拠はないが、調べればわかるかもしれない。ダビデの時代には、娯楽ではなかったのだろうが、寂しいことである。おそらく、ここに書いてあることは、事実なのだろう。羊を飼うものも、命懸け、同時に、力を出す場面があったのだろう。
- サムエル記上 18:12-14 主はダビデと共におられ、サウルから離れてしまったので、サウルはダビデの存在を恐れ、自分のそばからダビデを遠ざけ、千人隊の長に任命した。ダビデは兵の先頭に立って出陣し、帰還した。ダビデはその行く所どこでも勝利を収めた。主が彼と共におられたからである。
- サムエル記上9:2 には「彼には息子がいて、名をサウルと言った。優れた若者で、その美しさに並ぶ者はイスラエルにおらず、民の誰よりも肩から上の分だけ背が高かった。」ということばもある。このサウルも、ゴリアトと戦うことはできなかったのか。神により頼むことができなかったということも可能だが、それだけを理由として良いのかもよくわからない。自分の足りない部分を認めることだろうか。神様は、さまざまな形で、助けてくださるのではないだろうか。
- サムエル記上 19:18 逃げて難を避けたダビデはラマのサムエルのもとに行き、サウルが自分にしたことをすべて話した。ダビデとサムエルはナヨトに行き、そこにとどまった。
- このあとに、「彼もまた衣服を脱ぎ捨て、サムエルの前で預言者のようになった。そうして、丸一昼夜、裸のまま倒れていた。このため、『サウルもこの預言者たちの仲間なのか』と言われるようになった。サウルもこの預言者たちの仲間なのか」(24)に関するエピソードが続く。ダビデがサムエルのもとに行ったこと、その会話などは、記されていないが、サムエルの影響がまだあったことを示しているのだろう。同時に、そのサムエルの影響によって、サウルやその使者たちも、神のことばに預かったということが語られているのかもしれない。魔術的ではあるが、この時期、このようなことに、光明を感じたことはあったのかもしれない。
- サムエル記上 20:3 それでもダビデはこう誓った。「お父上は、私があなたの好意を得ていることをよくご存じです。それでヨナタンが悲しむといけないから、知らせないでおこうと考えておられるのです。主は生きておられ、あなたご自身も生きておられます。私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。」
- 美しい友情物語である。しかし、その中でも、一人一人に見えている世界と、見えにくい世界がある。ダビデは冷静に、殺される可能性が高いことを見ていたのだろう。それでも、ヨナタンを傷つけないようにはしている。文学としても、すぐれているように見える。
- サムエル記上 21:7 そこで祭司は、聖別されたパンをダビデに与えた。その日は、パンを取り替えて焼き立てのパンを備える日で、普通のパンがなく、主の前から取り下げた供えのパンしかなかったからである。
- 祭司アヒメレクがダビデに、パンとゴリアトの剣を与える場面である。これを見ると、普通のパンはなく、主に献げたパンを取り替える時だったとしている。ということは、これは、祭司が食べるもので、これがなければ、祭司や家族、そして、もしかするとエドム人ドエグはなにも食べるものがなかったということだろう。このことによって、サウルに殺されることになる。このあとの、ガトのアキシュのもとに逃げる。ダビデとしては、サウルに敵対するペリシテのもとに行くのが安全と思ったのかもしれないが、真実だけでは生きられない、難しい時である。ヨナタンとの友情は美しいが、美しいだけでは済まない、現実もある。
- サムエル記上 22:17-19 傍らに立っている護衛たちに命じた。「ここに来て、主の祭司たちを殺せ。彼らもダビデに味方し、彼が逃亡中であるのを知りながら、私の耳に入れなかったのだ。」だが王の家臣は、主の祭司たちを打つために、誰も手を下そうとはしなかった。そこで王はドエグに、「お前がここに来て祭司たちを打て」と言った。エドム人ドエグは近寄り、祭司たちを打ち、その日、亜麻布のエフォドを身に着けた者八十五人を殺した。サウルはさらに祭司の町ノブをも襲い、男も女も、子どもも乳飲み子も、牛もろばも羊も剣にかけて殺した。
- 正直、これだけの大虐殺があったことをあまり注意してみておらず、祭司だけが殺されたと思っていた。祭司85人に加えて、「男も女も、子どもも乳飲み子も、牛もろばも羊も」とある。恐ろしい。ドエグなどの背景も知りたいと思った。「サウルの牧者の中のつわもの」(21:8)とあり、サウルに仕えることになった背景もあるのだろう。難しいが、本当に悲しい事件である。
- サムエル記上 23:2,3 それでダビデは主に伺いを立てた。「行って、あのペリシテ人を討つべきでしょうか。」主はダビデに言われた。「行って、ペリシテ人を討ち、ケイラを救え。」しかし、ダビデの部下は言った。「我々はここユダにいてさえ彼らを恐れているのに、ケイラに行ってペリシテ軍と相対するなら、一体どうなることでしょう。」
- 主に伺いを立てて、行動を決定するダビデ、そして、様ざな窮地の中でも、ユダの町が襲われるそうになるとそれを助けに行くことが書かれている。事実の詳細はどうであれ、このようなダビデが多くのひとに好まれていったことは、確かだろう。そして、そのように、サムエル記も書かれている。ただ、普遍性はあまりない。おそらくこの時期には、個人的に、主に従うことについて学ぶ時だったのだろう。実際には、わからないことばかりである。そう考えれば、客観性・普遍性・他者視点をもとめて・たいせつにして、結局、判断できず、何もしないことが良いかどうかもわからない。価値判断は簡単ではないということでもあるだろう。
- サムエル記上 24:21,22 今、私は知った。お前は必ず王となり、イスラエルの王国はお前の手によって確立される。どうか今、主によって誓ってくれ。私の後に続く私の子孫を絶つことなく、私の名を父の家から消し去ることはないと。」
- サウルのことばはとても印象的である。この直後に、サムエルの死(25:1)が記録されているのは、興味深い。このあとも、サウルとダビデの対峙は、26章などにあるが、ここにあるように悟ったことは、なにか理解できるように思われる。ただ、父の家について書かれていることには、やはり、文化的背景の違いを感じる。おそらく、書かれてはいないが、守るべきものたちが、たくさんいたのだろう。
- サムエル記上 25:41,42 彼女は立ち上がり、地に伏して礼をし、「仕え女は、ご主人様の僕たちの足を洗う者になります」と答え、すぐに身を起こしてろばに乗り、彼女の五人の侍女を連れて、ダビデの使者の後に従った。こうして彼女はダビデの妻となった。
- このあとには、ダビデの妻について書かれてあることからも、エピソードの一つとして書かれたのだろう。ナバルの応答の同期や、その最後など、不自然に感じる部分があるが、逃亡時代のダビデが、食べ物などにも苦労したことは、容易に想像がつく。ダビデとその従者・一軍にたいして、好意的となり、サウルからは睨まれるか、または、敵対的または無視するか、難しい判断がそれぞれにあったのだろう。放牧民は、その生業から、一般的には、友好的ではないように思われるので、その背景も考慮する必要もあるだろう。
- サムエル記上 26:21,22 サウルは言った。「私は罪を犯した。わが子ダビデよ、帰って来なさい。今日、私の命を大切にしてくれたお前に、もう二度と危害を加えることはない。私は愚かにも大きな過ちを犯していた。」ダビデは答えた。「王様の槍はここにあります。配下の者を一人よこし、これを持ち帰らせてください。
- このようなことが繰り返され、矛盾を指摘するものもいるが、かえって真実味を感じる。だんだんと、サウルも追い詰められ、心深くで理解していくのだろう。ここで、槍を返すなどは、屈辱だったろう。また、アブネルにとっても、義が消え失せる経験だったかもしれない。むろん、不確定で、他の理解もあるだろうが。
- サムエル記上 27:10,11 アキシュが、「今日はどこを襲ったのか」と尋ねると、ダビデは、「ユダのネゲブを」とか、「エラフメエル人のネゲブを」とか、あるいは「カイン人のネゲブを」と答えていた。ダビデは男も女も誰一人、生かしてガトに連れて来ることはなかった。「彼らが我々について『ダビデはこうした』などと言い触らすことのないように」とダビデは考えたからである。ペリシテ人の地にいる間は常に、このようなやり方をした。
- 「ダビデとその部下は上って行っては、ゲシュル人(ヨシュア13:2,13)、ゲゼル人(ヨシュア16:10, 士師1:29)、アマレク人(出エジプト17:8, 16, サムエル上15:3,7,8)を襲った。これらの人々は昔から、シュルからエジプトの地にかけて住んでいた。」(8)とある。ここに出てくる民族は、イスラエルが征服すべきとして登場する民族の名前のようである。それによって正当化したのだろう。ただ、詳細は不明。推測としては、遊牧民だったのではないだろうか。引用句に出てくるのは、ユダはダビデの出身部族、カイン人は不明だが、何回か登場し(士師記1:16, 4:11)、一般的にはユダや、イスラエルと近い関係を持っていたことがわかる。エラフメエルについてはもう一度、サムエル上30:29に登場するが、やはりわからない。歴代誌上2:9, 25 にユダ族として登場する、ペレツの子の、ヘツロンの子の中に、エラフメエルが登場するが、それだけのようである。ユダ系の部族として知られていたということか。
- サムエル記上 28:1,2 その頃、ペリシテ人はイスラエルと戦うために軍勢を集結させていた。アキシュはダビデに言った。「承知していると思うが、あなたもあなたの部下も私と一緒に軍勢に加わってもらいたい。」ダビデはアキシュに言った。「それなら間違いなく、僕の働きがお分かりになるでしょう。」アキシュはダビデに言った。「では、これからあなたは私の警護に当たってくれ。」
- 危機である。ダビデはどう行動しようと考えていたのだろうか。このあとには、サムエルの霊媒をサウルが呼び寄せる記事が挟まっているが、基本的には、ダビデは、ペリシテと行動を共にしない。客観的にみれば当然な帰結になるわけだが、背後に、ダビデが、アキシュを欺いて信頼を得ていたことがある。サムエル記上21:11-16 に似た記事があり、真正性が疑われているが、いずれにしても、困難な状況であったことは、確かだろう。このダビデを主は守られたということなのだろう。危険な賭けである。
- サムエル記上 29:4,5 だがペリシテ人の長たちはアキシュに腹を立てて言った。「この男を帰らせ、あなたが与えた居住地に引き止めておくべきだ。我々と一緒に、戦いに参加させてはならない。戦いの最中に裏切らないとも限らない。ここにいる者たちの首だけで、この男の主人を喜ばすのに十分だ。この男は、/『サウルは千を討ち/ダビデは万を討った』と人々が歌い踊ったあのダビデではないか。」
- 冷静で、客観的、表現としては、科学的判断だとも言える。サムエル記記者は、このあたりをどう考えていただのだろうか。個人的には、御心の受け取り方が、ある発達段階にあると思うのだが。もしかすると、サムエル記記者も、ある道理を弁えて、このように記しているのかもしれない。それも、また恐ろしいことにも感じる。イエスが、ダビデをほめないことは、個人的には救いに感じる。
- サムエル記上 30:1,2 さて、三日目にダビデと部下たちがツィクラグに戻ってみると、アマレク人がネゲブとツィクラグを襲っていた。彼らはツィクラグを攻撃して火を放ち、女たちを、若い者から年老いた者まで一人も殺さず、捕虜にして連れ去っていた。
- このあとには「ダビデは非常な苦境に立たされた。というのも人々は皆、自分の息子、娘のことで苦しみ、ダビデを石で打ち殺そうとまで言いだしたからである。だがダビデはその神、主を信頼して揺るがなかった。」(6)とも書かれているからである。この対処のしかたが、立派で、信仰的だとダビデを称賛するものは、考えるのだろう。たしかに、信仰者として立派である。そして、このあとに、分配についても、(おそらく悲しみも加わって)疲れ果てて、戦いにいかなかったものとも分け合うようなある意味、福祉的な行為も行なっていてそれを「イスラエルの掟と法」(25)にまでしている。さらにユダの地にも戦利品を送っている。いずれにしても、自分の周辺に対する愛は細やかである。このあたりにも、現代の分裂のひとつの根があるようにも思われる。おそらく、どちらが正しいとは簡単に言えないことを、サムエル記記者は考えているのかもしれない。
- サムエル記上 31:7 谷の向こう側と、ヨルダン川の向こう側にいたイスラエルの兵士たちは、イスラエル軍が敗走し、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、自分たちの町を捨てて逃げ去った。ペリシテ人は町に入り、そこにとどまった。
- 地図で調べると、「ギルボア山は、イズレエルの南東に位置する518 mの山。また、その周辺の山岳地帯の名前でもある。「丘陵地帯」を意味すると言われる。最高峰はベテ・シャンの西9 kmにあるジェベル・フクアと呼ばれる山である。」とある。ヨルダン川の西、ガリラヤ湖のだいぶん南、エルサレムの北方にあり、サマリアと呼ばれるあたりである。これを見ると、イスラエルのほとんどの部族が関係しているように書かれているが、まとめのような記事なのかもしれない。しかし、ある地域の町からは、退かないといけない大敗だったのだろう。その中心として、サウルと三人の息子の死は、象徴的なものだったとしているのだろうか。記録は少なかったかもしれない。
サムエル記下 聖書通読ノート
BRC2025(2025.5.14-2-5.26-1)
- サムエル記下 1:13,14 ダビデは、知らせをもたらした若者に尋ねた。「お前はどこの出身か。」彼は答えた。「私は寄留者のアマレク人です。」ダビデは彼に言った。「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か。」
- アマレク人であったことが、原因だろうか。あまりに、ひどいと考えてしまう。ダビデが好きになれない理由だろうか。寄留の異国人は、つねに、難しい状況にあっただろう。これは、イスラエルだけではなく、他国に寄留している、イスラエル人も同様だったかもしれない。サムエル記上31章の記述との矛盾があるかも、考慮する必要がある。この若者の言っていることが真実ではないかもしれないからである。しかし、この時点で、明らかに矛盾、この青年は、虚偽を申し立てているとも言えないだろう。
- サムエル記下 2:26,27 アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまで剣で決着をつけようとするのか。悲惨な結果になることが分からないのか。自分の兄弟たちを追うのはやめよと、いつになったら兵に命じるのか。」ヨアブは言った。「神は生きておられる。もしあなたがそう言いださなかったら、兵は朝までそれぞれ兄弟を追い続けたことであろう。」
- 30,31節には、ダビデの家臣20人が欠け、ベニヤミンとアブネルの部下のうち360人が打ち殺されたと書かれている。かなりの数ではあるが、近代的な戦争とは違うようでもある。引用句は、興味深い。おそらく、このようなやり取りができなくなったのが、現代の戦争なのだろう。どのあたりで分けるかはわからないが、おそらく、このように気付かされる場面が登場しても、もう、自分たちではどうにもならなくなってしまっている現実があるのだろう。困難である。
- サムエル記下 3:38,39 王は家臣たちに言った。「今日、イスラエルにおいて一人の偉大な武将が倒れたことを、あなたがたは知っておかなければならない。私は油を注がれた王であるとはいえ、今は無力である。あの者ども、ツェルヤの息子たちは私の手に余る。悪をなす者には主がその悪に報いてくださるように。」
- ダビデは、油を注がれたサウルに忠実・誠実だったのだろうか。それとも、政治的に行動したのだろうか。背後には、イスラエル十二部族を一つにまとめなければという考えがあったからか。これは、不明である。編集者にはある程度、意図があったかもしれないが、これまでの行動から、ダビデに、十二部族という意識はなかっただろう。ただ、このようなことが、ダビデ王朝をある程度堅固なものとしたことは確かなのだろう。
- サムエル記下 4:2 このサウルの息子のもとに略奪隊の長である二人の男がいた。一人の名はバアナ、もう一人はレカブと言い、共にベニヤミンの者で、ベエロト人リモンの息子であった。というのも、ベエロトはベニヤミンに属すると見なされていたからである。
- このバアナとレカブの話も、かれらが殺したサウルの子イシュ・ボシェトの話が書かれている。ただ、ヨナタンには両足の萎えた子メフィボシェトがいたことが挟まれており、混乱しそうになる。これらに対する、ダビデの対応を書いているのだが、対応が難しかったことは理解できる。ただ、正直、わたしは、支持できない。そのようなことも、ダビデがなかなか好きになれない理由だろうか。
- サムエル記下 5:3 イスラエルの長老たちは皆、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の前に彼らと契約を結び、彼らはダビデに油を注いでイスラエルの王とした。
- すでに、「サムエルは油の入った角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。この日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。」(サムエル記上16:13)でサムエルによって油が注がれている。ここでは、イスラエルの長老たちが、ダビデに油を注いでいる。民の王となったということなのだろう。この区別が興味深い。バアナとレカブのことなども、このときに向けて書かれているのかもしれない。
- サムエル記下 6:7,8 すると主の怒りがウザに対して燃え上がり、神はウザが箱に手を伸ばしたということで、彼をその場で打たれた。彼は神の箱の傍らで死んだ。ダビデも怒りに燃えた。主がウザに対して怒りをあらわにされたからである。その場所はペレツ・ウザと呼ばれて今日に至っている。
- 以前は、たとえば、「主がウザに対して怒りをあらわにされたからである。」とあれば、そのまま受け入れていただろうが、いまは、聖書の読み方が変わってきている。基本的に「神の言葉として受け取った人々の信仰告白」として、聖書を読んでいるからである。このことに対する、ダビデの対応・応答が書かれているが、これも、ひとつの信仰告白だろう。すると啓示についてどう考えるかが問題となるが、啓示は否定しないが、なにが啓示で、なにがそうでないかは、基本的に、ひとには、正確には判断できないと思う。数学に携わってきた、論理的厳密性だろうか。まだ、聖書に対する考え方は変化するかもしれないが、現時点のものを記録するという意味で書いておく。
- サムエル記下 7:15,16 あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえに続く。あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。』」ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに語った。
- 代々王がその家系に続くことが、大切だと考えられていたのだろう。しかし、直前に「私は彼の父となり、彼は私の子となる。彼が過ちを犯すときは、私は人の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。」(14)とあるように、過ちはつきものである。そうであっても、子にするのは、安定性からだろうか。そして、引用句にある「とこしえ」は、有限の期間であることを、わたしたちは、知っている。特別の解釈をすれば、別だろうが。自然に読んでいきたい。そのなかから、それぞれの時代の人々の苦しみ、悲しみを受け取れるように思う。
- サムエル記下 8:5,6 アラム・ダマスコがツォバの王ハダドエゼルを助けに来たが、ダビデはこのアラム軍二万二千人をも討ち、アラム・ダマスコのもとに守備隊を置いた。こうして、アラム人もダビデに隷属し、貢を納める者となった。主はダビデに、行く先々で勝利を与えられた。
- 「アラムが貢を納めるものになった」これは大変なことなのだろう。ただ、この章のダビデについての記述をみると、武力による勝利が続けて書かれていて、このことが事実であったとしても、かえって心配になる。反発を買うのだから。そして、イスラエルがある程度の国であったことは、おそらく歴史的事実であろうが、その最大の時として描く描き方がすこし単純であるようにも思われる。後から書かれたものかもしれないとも考えてしまった。ダビデの実像はどのようなものだったのだろうか。作り上げられたヒーローは危険でもある。
- サムエル記下 9:9,10 王はサウルの従者であったツィバを呼んで言った。「サウルとその家の所有であったものはすべて、あなたの主人の息子に与える。あなたとあなたの息子たち、それに僕たちは、彼のために土地を耕して収穫し、あなたの主人の息子を養う糧としなさい。あなたの主人の子メフィボシェトは、いつまでも私の食卓で食事をするだろう。」ツィバには十五人の息子と二十人の僕がいた。
- ヨナタンとの友情をたいせつにするということは理解できるが、これは、かなり乱暴である。これまでの期間、サウルの土地がどうなっていたかは語られていないが、あとからも、出てくるように、ツィバにとっても、難題だったかもしれない。「メフィボシェトはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足が不自由であった。」(13)とあるが、このダビデの意思決定に異議を唱えるものはいなかったのだろう。それが歴史を作ってしまうことにもなる。
- サムエル記下 10:3,4 アンモン人の高官たちは主君ハヌンに言った。「ダビデがお父上に敬意を表して弔問の使いを送って来たとお考えですか。ダビデがあなたのもとに家臣をよこしたのは、この町を調べ、探り、覆すためではないでしょうか。」そこでハヌンはダビデの家臣たちを捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣服も半分、尻までに切り落としてから追い返した。
- このあと、さらに、軍備増強をする。「アンモン人はダビデの憎しみを買ったことを察し、人を遣わして、ベト・レホブおよびツォバのアラム人から歩兵二万人、マアカの王から歩兵一千人、トブ人からは一万二千人を雇い入れた。」(6)そして、この戦いにダビデ軍が勝つことが書かれて、アラムを破ったとしている。さまざまな背景、そして伝えたいことがあったように見える。また、それを、このように単純化して伝える手法もあるのだろう。ダビデの時代、アラムは巨大な王国、そして、強力なペリシテ、この二つが大きな脅威だったのだろう。しかし、それ以外にも、ヨルダンの東中心にアンモンがいたのだろうが、それは、ヨルダンの西にもいたということか。正確にはわからない。
- サムエル記下 11:1,2 年が改まり、王たちが出陣する季節になった。ダビデは、ヨアブに自分の家臣を付けて、イスラエルの全軍を送り出した。彼らはアンモン人を皆殺しにし、ラバを包囲した。この時ダビデはエルサレムにとどまっていた。ある夕暮れ時、ダビデは寝床から起き上がり、王宮の屋上を散歩していたところ、屋上から一人の女が水を浴びているのを見た。女は大層美しかった。
- この背後にあるものは、すべては書かれていないのだろうが、今回は、「ダビデは、ヨアブに自分の家臣を付けて、イスラエルの全軍を送り出した。」に目がとまった。ダビデは、アブネルのことなどで、ヨアブを危険視している証拠なのだろう。ウリヤことばとして書かれている「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、私の主人ヨアブも主君の家臣たちも野営しておりますのに、私だけが家に帰って食べて飲み、妻と寝ることなどできましょうか。あなたは確かに生きておられます。私には、決してそのようなことはできません。」(11b)を見ると、ダビデは、エルサレムにとどまることに慣れていなかったというか、戦いの中にいることしかできない人だったのかもしれないと思わされる。どのような環境でも、主と共に生きられるかどうかが問われているように思う。退職してから、そのことをも、考えさせられることが多い。
- サムエル記下 12:20 すると、ダビデは地から起き上がり、体を洗って香油を塗り、衣服を着替えて、主の家に入り、礼拝した。それから自分の家に帰り、料理の用意をさせ、食事をした。
- ダビデは、個人的に、いろいろと問題があり、ダビデを救い主のようにすることに、違和感を感じる。イエスもそう考えたのではないかと思われる。しかし、ここでの態度は興味深い。地から起き上がり、主の家に入り、礼拝している。どのように、主に向き合ったのかは書かれていないが、さまざまな整理を行い、主に従う決意、どのように生きるかを整理したのだろう。むろん、それほど、簡単に整理できないことも、あるだろうが。興味深い。
- サムエル記下 13:4 ヨナダブはアムノンに言った。「王子よ、なぜか、あなたは日に日にやつれていかれる。差し支えなかったら、その訳をお話しくださいませんか。」アムノンは彼に言った。「弟アブシャロムの妹タマルに恋をしてしまった。」
- 「恋」ということばに驚いた。ヘブル語では、אָהַב (1. to love, 2. to like) である。210 回も使われている、おそらく一般的なことばだろう。「その後のことである。ダビデの子アブシャロムにタマルという名の美しい妹がいた。ダビデの子アムノンは彼女に恋をした。」(1)でも恋とされており、創世記にはハモルのことばとして「息子のシェケムは、あなたがたの娘さんを恋い慕っています。どうか娘さんを息子の妻にください。」(創世記34:8)とあり、ほかにも何回か恋とされているようだ。
- サムエル記下 14:1 ツェルヤの子ヨアブは、王の心がアブシャロムに傾いているのに気付いた。
- ヨアブとダビデはいとこだと思うが、特に、この話は興味深い。ヨアブは「一人の知恵ある女」(2)を使って、ダビデに助言する。そして、ダビデも「あなたのしていることは、すべてヨアブの指示であろう。」(19)と理解している。これに対して、ヨアブは「今日、あなたの僕は、王様のご厚意にあずかっていると悟りました。王様は僕の願いを聞き入れてくださったからです。」(22)と答え、このあと、アブシャロムが無理をしてきても、簡単には応じない。ヨアブはダビデの命令で最終的にはソロモンに殺されることになるが、ヨアブは興味深い。おそらく、これを読むものは、理解や善悪の決定はそう簡単ではない、と考えただろう。はっきりさせないのがよいように思う。
- サムエル記下 15:19-21 王はガト人イタイに言った。「なぜ、あなたまでが我々と一緒に行くのか。戻ってあの王のもとにとどまりなさい。あなたは外国人で、祖国を離れた亡命者なのだ。昨日来たばかりのあなたが、今日我々と共に放浪者になるというのか。私は行けるところまで行くだけだ。自分の同胞を連れて帰りなさい。慈しみとまことがあなたと共にあるように。」イタイは王に答えた。「主は生きておられ、王様も生きておられます。生きるも死ぬも、王様のお出でになるところが僕のいるべきところです。」
- イタイにはじまり、ツァドクと神の契約の箱をかつぐレビ人、友、アルキ人フシャイがダビデに従いたいとついてくる。アブシャロムについて知っていた、ダビデについても知っていた人たちなのだろう。不完全なものであっても、このような仲間、信頼してくれるひとたちがいることは、本当に幸せである。わたしは、どうだろうか。
- サムエル記下 16:10-12 王は言った。「ツェルヤの息子たちよ、あなたがたと何の関わりがあるのか。主がダビデを呪えとお命じになったから、あの男は呪っているのだ。『どうして、あなたはこんなことをするのか』とは、誰も言えまい。」そしてダビデは、アビシャイとすべての家臣たちに言った。「私の身から出たわが子でさえ、私の命を狙っている。ましてこのベニヤミン人なら、なおさらのことではないか。呪わせておきなさい。主が彼に命じているのだから。主が私の苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」
- これも、ダビデの信仰形態がよく現れていることのようにも思う。まず、シムイのことについては、神から出ているかもしれないから、それを罰しないこと。つまり罰するのは神のされることということだろう。そして、憐れむことも。しかしこの前のツィバのことは、公平さを丁寧にもとめることではないようにも見える。やはり判断は難しい。
- サムエル記下 17:25 アブシャロムはヨアブの代わりにアマサを軍の司令官に任命した。アマサはイトラという名のイスラエル人の子で、イトラの妻はナハシュの娘アビガイルであり、ヨアブの母ツェルヤの姉妹であった。
- この章でいままで登場していなかった人たちの名前もたくさん登場する。ダビデの周囲にさまざまなひとたちがいたということだろう。そして、深い関係をもっている。それを一つ一つ評価することは困難である。自分で把握していると考えるのは傲慢なのだろう。一人一人個人の判断も、正確とは言えず、また、欲得も現れる。わからないことを知ることは大切である。
- サムエル記下 18:12,13 その男はヨアブに言った。「たとえ、この手のひらに銀千シェケルを積まれたとしても、私は王のご子息に自分の手を伸ばすようなことはいたしません。私たちは、王があなたとアビシャイとイタイに命じて、誰であれ、若者アブシャロムを守れ、とおっしゃったのを聞いているからです。仮に、私が彼の命を奪ったうえで、それを偽ろうとしても、王には何一つ隠し通すことができませんし、あなたも冷淡な態度を取るでしょう。」
- 民・兵のダビデについての認識がよく現れているようにみえる。ダビデの考え方は、一般的ではないが、この兵はそれを知っていたのだろう。ヨアブももちろん知っていただろう。しかし、ヨアブには、ヨアブの考え方があった。それが、一緒にそだったいとこと他者との違いか。ヨアブの判断は正しいと思うが、おそらく、違う考え方もあるのだろう。
- サムエル記下 19:44 イスラエルの人々はユダの人々に言い返した。「王に関して言えば、我々には十の持ち分がある。ダビデ王に対してもあなたがたより多くの分がある。なぜ、我々をないがしろにするのだ。私たちの王を呼び戻そうと言ったのは、我々が先ではなかったか。」しかし、ユダの人々の言葉はイスラエルの人々の言葉よりも激しかった。
- イスラエルとユダの確執は、ずっと背後にあったのだろう。ここも、その一つの表れである。それを、修正していくのは難しい。しかし、それも、ダビデまたはソロモンなどの務めだったように思う。やはり部族連合は、なかなか一つの国にはならないということなのだろう。
- サムエル記下 20:6,7 そこで、ダビデはアビシャイに言った。「我々にとって、ビクリの子シェバはアブシャロム以上に危険だ。彼が城壁に囲まれた町を手に入れ、我々の目を逃れることのないよう、あなたは自分の主人の家来を率いて、彼を追跡しなさい。」ヨアブの兵、クレタ人とペレティ人、および勇士全員が彼に従ってエルサレムを出発し、ビクリの子シェバを追跡した。
- 早いうちに、叩いてしまおうということだろう。しかし、まずは、アマサからヨアブは叩く。行動が早い。むろん、ヨアブがつねに正しいわけではないが、どうしても、わたしは、ダビデよりも、ヨアブを支持したいと思う。むろん、すべての行為というわけではないが。いろいろと考える素材を提供しているというだけでも、聖書は、多くのひとにヒントを与えているのだろう。興味深い。
- サムエル記下 21:13,14 ダビデはそこからサウルの遺骨とその子ヨナタンの遺骨を移し、また、さらされた者たちの骨を集めた。彼らはサウルの遺骨とその子ヨナタンの遺骨を、ベニヤミンの地ツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬った。人々は王の命令をすべて果たした。この後、神はこの地の祈りに応えられた。
- サムエル記を読んでいると、なにが良いのかはわからない箇所が多い。おそらく、我々の人生においてもそうなのだろう。ただ、ダビデは、ある一貫性は失っていないように思う。それが正しいのか、主に喜ばれることなのかは不明だが。それをもって、主に問うているのかもしれない。わたしは、どうだろうか。生き方が異なるように思う。わたしも、主に問う気持ちはつねに持っているが。
- サムエル記下 22:50,51 それゆえ、主よ/私は国々の中であなたに感謝し/御名をほめ歌う。王に大きな勝利をもたらす方/油注がれた者、ダビデとその子孫に/とこしえまで慈しみを示す方。」
- 美しく歌われている。これを批判はできない。しかし、このようなダビデの子孫の国は続かない。それをこれを読んでどう考えれば良いのかは、よくわからない。その時々のことしか、信仰者には、わからない。その中で、主に問い、主を賛美し、主について学んでいけばよいのだろうか。そうなのかもしれない。あとからわかったような顔をして、裁いてはいけないのだろう。もう少し、素直に、詩を味わいたい。
- サムエル記下 23:9,10 アホア人ドドの子エルアザル。三勇士の一人。集結して戦いに挑んで来たペリシテ人に対し、ダビデに同行して屈辱を与え、イスラエルの兵士が退却した際にも、ペリシテ人に向かって立ち、手が疲れ、手が剣に張り付いて離れなくなるまでペリシテ人を討った。主はその日、大勝利をもたらされ、彼の後に戻って来た兵には略奪することのみが残った。
- この章だけで、ペリシテが、6回登場する(引用句以外 12, 13, 14, 16)みな、勇士についての記述である。ダビデの戦いは、基本的にすべてペリシテに対する戦いであったことが窺い知れる。そして、勇士には、ペリシテ人はいない。敵だったのだろう。パレスチナの名前の由来でもある。海洋民族だったのだろうか。
- サムエル記下 24:9 そしてヨアブは民の総数を王に告げた。すなわちイスラエルには、つるぎを抜く勇士たちが八十万あった。ただしユダの人々は五十万であった。
- 複雑でよく理解できないエピソードである。しかし、結果から見るとこの時期には、兵士のレベルではあるが、ユダが38.5% (これを全体が80万ととると62.5%)になっていることが書かれている。ユダの勢力が強くなり、かなりそれ以外と拮抗した状況になっていることがわかる。イスラエルで、協力する兵なのかもしれないが。最後の銀50シェケルは、570g である。多いのか少ないのかもあまり明らかではない。疫病での7万人の死(15)は、たいへんな数だが、当時は、このようなことは、それなりにあったのかもしれず、判断が難しい。ヨアブの諫言も記録されており、興味深い。ここで、サムエル記が終わっている。
列王記上 聖書通読ノート
BRC2025(2025.5.26-2-6.6-1)
- 列王記上 1:29,30 すると王は誓って言った、「わたしの命をすべての苦難から救われた主は生きておられる。わたしがイスラエルの神、主をさしてあなたに誓い、『あなたの子ソロモンがわたしに次いで王となり、わたしに代って、わたしの位に座するであろう』と言ったように、わたしはきょう、そのようにしよう」。
- ダビデは父としては問題があったのだろう。(5,6)個人的な 信仰に頼ったことも関係しているように思う。歳をとって、判断が鈍ってくると、適切には行動できなくなる。ここでも、主からのことばの扱いもなにか明確ではない。(13節参照)このあたりも、考えなければいけないことなのだろう。後継争いが起こることは確実だったし、ダビデの子孫に継がせることは、それなりの共通認識だったのではないだろうか。批判するだけでは、いけないだろうが。人間が、主の導きを求めつつ、適切に行動するたいせつさも感じる。
- 列王記上 2:46 王がエホヤダの子ベナヤに命じたので、彼は出ていってシメイを撃ち殺した。こうして国はソロモンの手に堅く立った。
- ダビデの遺言からはじまり、この句で終わっている。最初のアドニヤ以外は、ダビデの遺言を実行した形式になっている。最後に、国が堅く立ったとある。ダビデの治世との変化とも見ることができるが、それがダビデの遺言の実行という形式をもとっている。どう理解するかは難しい。ソロモンは、個人的な判断ではなく、政治的な判断をしたのかもしれない。それを、ダビデの遺言としてまとめて。難しいことが多い。
- 列王記上 3:27 すると王は答えて言った、「生きている子を初めの女に与えよ。決して殺してはならない。彼女はその母なのだ」。
- 「彼女はその母なのだ」は良い言葉だと思う。母とは、産んだものというより、その子を愛するものだということなのだろう。むろん、この話は創作かもしれないが、このようなものを記す列王記記者はどのような人なのだろうかと思う。本当に、すごい人だと思う。この最初のいくつかの章のまとめ方も含めて。思想とはまた異なる力のように感じる。
- 列王記上 4:7 ソロモンには、イスラエル全土に十二人の知事がいて、彼らが王と王室に食料を調達した。一人当たり、年に一月、食料を調達するのであった。
- 年に一月は、不明だが、12分の1の租税だったのだろうか。代官をおくということは、それだけ、支配が安定したことを言っているのだろう。ダビデの時代には、考えられないようなことである。このように整備していった過程は書かれていないので、詳細は不明だが。ダビデとはよく言うと相補的、かなりことなる王だったのだろう。
- 列王記上 5:1 ソロモンは、ユーフラテス川からペリシテ人の地、さらにエジプトの国境に至るまで、すべての王国を支配した。国々はソロモンの在世中、貢ぎ物を納めて彼に服従した。
- このあとに「実に、ティフサからガザに至るユーフラテス川西方の全域と、ユーフラテス川西方の王侯をすべて支配下に置いたのは彼であり、周囲のどの地域も平和であった。ソロモンの在世中、ユダとイスラエルの人々は、ダンからベエル・シェバに至るまで、どこでも皆それぞれ、自分のぶどうの木や、いちじくの木の下で安心して暮らした。」(4,5)とあり、このあと軍馬のことも書かれている。軍事的にも、かなりの力を持っていたと言うことだろうが、範囲は、かなり広いように見える。誇張があるかもしれないが、驚かされる。経緯も不明だが。この章の最後には、神殿建設にかかる。ティルスのヒラムが友好関係から材木を送ることが書かれており、ある程度の、範囲と良い関係を持っていたことも窺い知れる。
- 列王記上 6:1,2 イスラエルの人々がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となって四年目のジウの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の神殿を建て始めた。ソロモン王が主のために建てた神殿は、長さ六十アンマ、幅二十アンマ、高さ三十アンマであった。
- アンマは従来キュビトと書かれていたもので、大体、肘から手先までの長さ45cm とされるので、9m x 13.5m となる。この周りに、廊があったとある。この設計図については、ヒラム(7:13,14)なのかもしれないが、だれが考えたかは書かれていない。また、神からの指示とも書かれていない。どこかの神殿を模倣したのだろうか。ここで大切なのは、12, 13節の主のことばなのだろうが、簡単に書かれ、内容にも特別なことはなく、どのような場で、どのように伝えられたかも書かれていない。このあたりにも、列王記記者の意図があるのだろうか。
- 列王記上 7:8 ソロモンが住まいとした建物は、この広間の後ろの庭にあり、これと同じ造りであった。またソロモンは、妻に迎えたファラオの娘のために、この広間と同じ建物を造った。
- 「ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚関係を結び、ファラオの娘をめとった。ソロモンは彼女をダビデの町に迎え入れ、宮殿、主の神殿、エルサレムを囲む城壁の建築が終わるまで、そこに住まわせた。」(3:1)の、ファラオの娘なのだろう。ソロモン王朝の繁栄に、この婚姻関係が影響していることは確実だろう。ファラオも認めるものを作ったと言うことが背景にあるように思う。安泰になったと同時に、難しい配慮も生じたのだろう。難しい。
- 列王記上 8:6-8 祭司たちは、主の契約の箱を定められた場所、すなわち神殿の内陣である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。ケルビムは箱のある場所の方に翼を広げ、その下にある箱と担ぎ棒を覆っていた。担ぎ棒は長く、棒の先端は内陣の前の聖所からは見えたが、外からは見えなかった。それは今日に至るまでそこにある。
- 後半には「罪を犯さない者は一人もいませんから、人々はあなたに罪を犯し、あなたは怒ってその人たちを敵の手に渡されるでしょう。人々は敵の捕虜として遠く、あるいは近くの敵地へ連れて行かれるでしょう。」(46)ともあり、引用句と、この箇所は、単に予見しているのか、ある時代を見据えて記録しているのか不明である。列王記を最後まで書いた記者は、むろん、捕囚を知っていたろう。そして、契約の箱が失われたことも知っているはずである。どのような気持ちで記録したのか、興味深い。
- 列王記上 9:16 かつて、エジプトの王ファラオが攻め上って来て、ゲゼルを占領し、火を放って焼き払い、その町に住んでいたカナン人を殺すということがあった。その時ファラオは、この町をソロモンの妻である自分の娘に贈り物として与えていた。
- この記述をみると、ファラオとの関係は、かなり良かったように見える。しかし、列王記記者は、どのようにしてそうなったかを書かない。たいしたことではないと考えたと言うより、そのようなソロモンの働きは重要ではないと考えたのだろうか。しかし、列王記は一章が長く、十分読み込めていないことも感じる。
- 列王記上 10:23 ソロモン王は、富と知恵において、地上のいかなる王にもまさっていた。
- シェバの女王や、アラビアの王たちの来訪などについて書かれているが、知恵やそして富も、もう少し、知恵を用いて使えなかったのかと考えてしまうが、それは、後知恵だろう。それにしても、人間は愚かだと思わされてしまう。なにをたいせつにするかも、わからない。ソロモンも、このあとの、王国分裂などを見れば、もう少し、違ったことをしたのではないかと考えてしまう。エジプトのファラオの娘を娶ることだけでは、十分ではないことは、知っていたのではないかと思うが。市民意識へとつながっていくのは難しい。限界なのだろうか。
- 列王記上 11:1,2 ソロモン王はファラオの娘をはじめとして、モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。これらの国民について、主はかつてイスラエルの人々に、「あなたがたは彼らと結婚してはならない。また彼らもあなたがたと結婚してはならない。さもなければ、必ずやこれらの国民が、あなたがたの心をその神々へと向けさせるだろう」と言われた。だがそれにもかかわらず、ソロモンはこうした者たちを愛して離れることがなかった。
- 人間の弱さと、主の命令を犯すことが書かれている。このあとの、問題を、このことに集約している。女性問題、または、性的嗜好を含めた様々な欲に関する事柄は、正しい判断を邪魔することは確かだろう。しかし、正直、それを、「あなたがたは彼ら(モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人などなど)と結婚してはならない。」ここに集約してしまうことには、単純化バイアスが働いてしまっていると思う。見えていない、または、神様からうけとっていない、様々な御心があることを無視してしまっていると言うことのように思う。やはり、探求だろうか。あなたのことを教えてくださいには、このことも含まれていると思わされる。
- 列王記上 12:26,27 ヤロブアムは思った。「今のままでは、私の王国はダビデの家に戻ってしまう。この民がいけにえを献げるため、エルサレムの主の神殿に上るようなことがあるとすれば、民は再び彼らの主君であったユダの王レハブアムのもとに戻ってしまうだろう。彼らは私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに戻ってしまうだろう。」
- そして、二体の金の子牛を造り、民に拝ませる。ここには、さすがに、「主から出た」(15,24)こととは、書かれていないが、やはり、なぜこのようになってしまったのか考えてしまう。長老とレハブアムと一緒に育った若者たちの助言のうちの後者にしたがったとしているが、この傾向を安易に普遍化してはいけないだろう。それと、ヤロブアムは街を建て直している(25)。引用句の思考も含めて、とてもまともである。信仰とは何なのかを同時に考えさせられる。
- 列王記上 13:2,3 その人は主の言葉に従って、祭壇に向かって叫んだ。「祭壇よ、祭壇よ、主はこう言われる。『見よ、ダビデの家に男の子が生まれる。その名はヨシヤと言う。彼は、お前の上で香をたく高き所の祭司たちを、お前の上で屠り、人の骨をお前の上で焼く。』」同時に神の人は、一つのしるしを示して言った。「これが主の告げられた不思議な出来事である。『見よ、祭壇は裂け、その上の油にまみれた灰は流れ出る。』」
- サムエル記と列王記、『もろもろの王国』とも呼ばれる記録が、どのように書かれたのか興味を持つ。イスラエル、ユダの滅亡後に一気に、いくつもの資料を、伝承をもとにまとめられたのだろう。引用句には、ヨシヤの名前が登場する。その役割を予見してはいるが、そのときは、すでに、北イスラエル王国は滅亡したあとの王である。実際のヨシヤを知っていて書いたとも、そうではないとも言えるところが不思議でもある。
- 列王記上 14:8,9 私はダビデの家から王国を引き裂いて、あなたに与えた。だが、あなたは僕ダビデのようではなかった。ダビデは私の戒めを守り、心を尽くして私に従い、ただ私の目に適う正しいことだけを行った。あなたはこれまでの誰よりも悪を行い、自分のために他の神々や鋳像を造り、私を怒らせ、私を背後に捨て去った。
- これは、預言者アヒヤの言葉である。おそらく、多くのユダヤ教徒、キリスト教徒は、このことから、ダビデを評価するだろう。本当にそれでよいのだろうか。同時に、ダビデについて語る時、これ以外の評価を語ることは困難でもある。御心を受け取るのは、本当に難しい。
- 列王記上 15:4,5 それにもかかわらず、神である主は、ダビデに免じて、エルサレムに灯を与えられた。それは跡継ぎを立てて、エルサレムを存続させるためであった。ダビデは主の目に適う正しいことを行い、ヘト人ウリヤのことを除けば、生涯を通じて主が命じられたすべてのことに背くことがなかったからである。
- 列王記記者のダビデ評価はほとんど絶対的である。サムエル記にかかれている、ヘト人ウリヤのことは上げているが、それ以外は、人口調査などもふくめて、断じていない。列王記記者の重視することには忠実だったということなのだろう。御心を全体として受け取るのは困難だと言うことなのだろう。
- 列王記上 16:29,30 オムリの子アハブがイスラエルの王となったのは、ユダの王アサの治世第三十八年のことであった。オムリの子アハブは、サマリアで二十二年間イスラエルを統治した。オムリの子アハブは、彼以前の誰よりも主の目に悪とされることを行った。
- アサは41年間エルサレムで治めている(15:10)。しかし、北イスラエルは、王が頻繁にかわっている。ジムリにいたっては7日間(15)となっているし、そのあとのオムリは12年間(23)、そして登場するアハブは22年間(29)と長い。ジムリのあとは、分裂していたこともかかれており、オムリがどの程度の期間、統一していたかは不明である。ただ、他の記録には、北イスラエルをオムリの国と書いている文献もあるとか。おそらく、評価は難しいのだろう。列王記だけの評価を鵜呑みにしてはいけないのだろう。歴史理解は、難しい。
- 列王記上 17:24 彼女はエリヤに言った。「あなたが神の人であることが、たった今分かりました。あなたの口にある主の言葉は真実です。」
- 感動する箇所である。しかし、性差(Gender Bias)もありそうだし、エリヤのことばは、乱暴にも感じ、すんなりとは受け入れられない。「わが神、主よ、どうかこの子の命を元に戻してください。」(21)も、あまり愛を感じられない。しかしエリヤは、イエスの時代もヒーローだったのだろう。やはり、神の人と簡単に言うことに、複雑さを感じる。あまり、イエスが言ったことばだけに、根拠をおいてもいけないのかもしれない。
- 列王記上 18:45,46 こうするうちに、空は厚い雲に覆われて暗くなり、風も出て来て、激しい雨になった。アハブは戦車に乗って、イズレエルへと向かった。エリヤには主の手が差し伸べられたので、彼は裾をからげ、イズレエルに着くまでアハブの先を走って行った。
- イズレエル(יִזְרְעֶאל:神が種を蒔いてくださる)とあるが、三日月型肥沃地帯の西南端にある地域だと思う。雨がふらなかったことは、作物が取れなかったことと関係しているので、この地域は、特別に重要だったと思われる。また、シリアからエジプトへの主要幹線道路にあったようである。遺跡についても、いずれ学んでみたい。エリヤは、おそらく、最も重要な預言者なのだろうが、どうも、好きになれない。その再来とされる、バプテスマのヨハネにも、人々は聞かなかったようである。
- 列王記上 19:20,21 するとエリシャは、牛を打ち捨て、エリヤの後を追い、「どうか父と母に別れの口づけをさせてください。それからあなたに従います」と言った。エリヤは、「行って来なさい。私があなたに何をしたというのか」と答えた。エリシャはエリヤを残して帰ると、一軛の牛を引いて来て屠り、牛の軛を燃やしてその肉を調理し、人々に振る舞って食べさせた。それから、直ちにエリヤに従い、彼に仕えた。
- とても興味深い。エリヤとエリシャの違いを述べているようにも見える。「ほかに、弟子の一人がイエスに、『主よ、まず、父を葬りに行かせてください』と言った。イエスは言われた。『私に従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。』」(マタイ8:21,22)「また別の人も言った。『主よ、あなたに従います。しかし、まず私の家の者たちに別れを告げることを許してください。』イエスはその人に、『鋤に手をかけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない』と言われた。」(ルカ9:61,62)を思い出させるが、この多様性も興味深い。
- 列王記上 20:42,43 彼は王に言った、「主はこう仰せられる、『わたしが滅ぼそうと定めた人を、あなたは自分の手から放して行かせたので、あなたの命は彼の命に代り、あなたの民は彼の民に代るであろう』と」。イスラエルの王は悲しみ、かつ怒って自分の家におもむき、サマリヤに帰った。
- 乱暴というか、非常に原始的なお話が書かれている。預言者の働きも、イスラエル側も、アラム側も、適切だとは思えない。その結びが、引用句である。主のことばについても、それを受け取った、預言者についても、ほんとうにこれでよいのかとも考える。昔なら、疑問を抱きながらも、肯定していたと思うが、私のような読み方も、ある時点のもので、また、変化していくのだろうが。難しい。
- 列王記上 21:28,29 この時、主の言葉がテシベびとエリヤに臨んだ、「アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているゆえ、わたしは彼の世には災を下さない。その子の世に災をその家に下すであろう」。
- ナボトのぶどう園を取る話である。むろん、アハブの妻、イゼベルは問題だと感じるが、それだけの問題ではないようにも思う。これを、この引用句のようにして、結論とすることで良いのだろうか。エリヤの役割は何なのだろうか。悪を指摘はしても、それに対して、どうひとのこころを変えていくか、または、みこころがなるようにということとは、だいぶん異なるように思う。
- 列王記上 22:49,50 ヨシャファトは金を求めてオフィルに行こうとして、タルシシュの船を数隻造った。しかしながら、船団はエツヨン・ゲベルで難破したため、行くことができなかった。そこでアハブの子アハズヤはヨシャファトに、「私の家臣をあなたの家臣と一緒に船に乗り込ませましょう」と提案した。だがヨシャファトはそれに同意しなかった。
- 判断が難しいことが書かれている。おそらく、世の中は、判断が難しいことばかりなのだろう。無理に判断しないほうが良いのだろう。ただ、列王記記者の考えはある程度あり、これは、書くべきだと判断したということだ。どのようなメッセージなのだろうか。
列王記下 聖書通読ノート
BRC2025(2025.6.6-2-2-6.18)
- 列王記下 1:3,4 この時、主の使いがティシュベ人エリヤにこう告げた。「すぐにサマリアの王の使いの者たちに会いに行き、言いなさい。『エクロンの神バアル・ゼブブのもとに伺いを立てに行くというのは、イスラエルには神がいないためなのか。それゆえ主はこう言われる。あなたは上ったその寝台から下りることはない。あなたは必ずや死ぬであろう。』」そこで、エリヤは出て行った。
- 旧約最大の預言者といわれるエリヤ、このイスラエルで神のことばを伝え続けることは、大変なことだろう。そして、日常的には、何をしていたのだろうか。ただ、わたしには、やはり、わからない。なぜ、最大の預言者なのか。列王記は、ここで上と下が別れている。エリヤからエリシャとも言えるが、アハブの死のほうが明確だろうか。
- 列王記下 2:9,10 彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った。「私があなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何ができるだろうか。何なりと願いなさい。」エリシャが、「どうかあなたの霊の二倍の分け前をくださいますように」と言うと、エリヤは答えた。「あなたは難しい願いをするものだ。私があなたのもとから取り去られるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見なければ、そのようにはならないであろう。」
- エリヤに「主は私をベテルまで遣わされるが、あなたはここにとどまっていなさい」と言われ「主は生きておられ、あなたご自身も生きておられます。私はあなたを離れません」と答えるエリシャ(2)、印象的だが、引用句を見ると、そのように、常に師と仰ぐひとにとことんまで従っていくことが、長子として二倍の分け前をもらうことにつながったように見える。師の指示に従わずに従っていくこと、すこし、奇異に感じるが、いずれにしても、イエスに従っていくことはしたい。
- 列王記下 3:26,27 モアブの王は、戦争が自分に不利な状況になったのを見て、剣を抜いた七百人を引き連れ、エドムの王のもとへ突進しようとした。だがそれは果たせなかった。そこで彼は、自分に代わって王になるはずだった長男を取り、城壁の上で焼き尽くすいけにえとして献げた。するとイスラエルに対して激しい怒りが起こったので、彼らはそこを引き揚げて国に帰った。
- なにか、古代の戦いの描写のようにみえる。このあとのアッシリア、さらに、バビロニアのような帝国とは異なるのだろう。このような巨大帝国は、どのようにして強大な力を持っていったのだろうか。それも、学んでみたい。
- 列王記下 4:33-35 彼は中に入って戸を閉め、二人だけになって主に祈った。そして寝台に上がって子どもの上に身を伏せ、自分の口をその口に、目をその目に、手をその手に重ねてかがみ込むと、子どもの体は暖かくなった。それから彼はまた起き上がって、家の中をあちこち歩き回り、再び寝台に上ってかがみ込んだ。すると、子どもは七回くしゃみをして、目を開いた。
- この章には、エリシャに関する奇跡がいくつも書かれている。引用箇所は、シュネムの女のこどもが生き返る箇所である。これでは、エリシャはすごいということにはなっても、神様、主を信頼して生きることにはならないのではないかと思ってしまったが、おそらく、これが一つのステップなのだろう。難しいが。
- 列王記下 5:15 ナアマンは、陣営の皆と一緒に神の人のところに戻り、その前に現れて言った。「イスラエルのほか、全地のどこにも神はおられないということがよく分かりました。さあどうか、僕からの贈り物をお受け取りください。」
- 印象的な箇所である。このことを、列王記記者は伝えたかったのだろうか。しかし、やはり魔術のように感じてしまう。ひとの世界の話のように見える。結局、よくわからないとしか言えない。
- 列王記下 6:12 家臣の一人が答えた。「いいえ、王様。イスラエルにいる預言者エリシャが、寝室でお話しになることさえイスラエルの王に知らせているのです。」
- この章にも、たくさんの奇跡が書かれている。奇跡だけを考えると、エリヤよりも、エリシャのほうがずっとたくさんの記録があるように思われる。それなのに、なぜ、エリヤが、旧約最大の預言者だと言われるのだろうか。不思議に思った。旧約聖書を学ぶ人にとって、預言者の役割は、何なのだろうか。 ChatGPT Deep Research に聞いてみた。興味深い。
- 列王記下 7:19,20 その侍従は、「主が天に窓を造られたとしても、そんなことはありえない」と神の人に答えた。だが神の人は、「あなたは自分の目でそれを見ることになる。だが、それを食べることはない」と言い、そのとおりのことが起こった。民衆が門のところで踏み倒したので死んでしまったのである。
- 正直、エリヤもエリシャも愛は感じられない。もう少し、神の前に、みなと共に、生きることはできないのだろうか。北イスラエルとアラムなどの戦いも描かれるが、平和にはならないし、幸せは訪れていないように見える。寂しい。
- 列王記下 8:7-9 エリシャがダマスコにやって来たとき、アラムの王ベン・ハダドは病気であった。だが、「神の人がここに来ました」との知らせを受けると、王はハザエルに、「贈り物を携えて神の人に会いに行き、私のこの病気が治るかどうか、あの人を通して主に伺ってきてほしい」と言った。ハザエルは、贈り物としてダマスコのあらゆる良いものを、らくだ四十頭に載せて携え、エリシャに会いに行った。彼は到着するとエリシャの前に立って言った。「あなたの子、アラムの王ベン・ハダドは、自分のこの病気が治るかどうかと言って、私をあなたのもとに遣わしました。」
- エリシャがアラムにまで影響を及ぼしている記述がある。この章までは、ほとんど、イスラエルの王も王だけ書かれていて、名前は書かれていない。そして、ここから、また王の年代記に移る。いくつかの資料があったということか。
- 列王記下 9:32,33 すると、イエフは窓の方を見上げ、「誰かいないか。私に味方する者は誰かいないか」と叫んだ。この時、二、三人の宦官が彼の方を見下ろしたので、「そいつを突き落とせ」とイエフは言った。彼らはイゼベルを突き落とし、その血は壁や馬に飛び散った。イエフは彼女を踏みつけて、
- 一部の宦官は、イゼベルは滅ぼされるべきだと考えていたということか。その次代に王に仕えることの難しさを感じる。エリシャを批判するより、難しい時代だったのかなと思わされる。
- 列王記下 10:30,31 主はイエフに言われた。「あなたは私の目に適う正しいことをよく成し遂げ、私が心に定めていたことをことごとくアハブの家に対してやり遂げた。それゆえ、あなたの子孫は四代にわたってイスラエルの王座に着く。」しかしイエフは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に従って歩もうと努めず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった。
- この章には、アハブの子らと、バアルの祭司などを皆殺しにすることが書かれている。これも主のみこころにかなったことだったと言っている。本当にそうなのだろうか。みこころの一部しか、受け取っていなかったということなのだろう。そう考えない人もいるだろうが。抹殺していくと残るのは、だれもいないだろう。むろん、わたしも。
- 列王記下 11:19b,20 こうしてヨアシュは王座に着いた。国の民は皆喜んだが、都は静まり返っていた。彼らはアタルヤを王宮で剣にかけて殺したのである。
- これは、ユダ王国のこととして書かれているようだが、もしかすると、文書に混乱があるかもしれない。ヨアシュは、イエフの二代下にもおり、ユダ王国も、このあたりで、クーデター的なものがあったことが書かれているからである。混乱の時期なのだろう。北イスラエルは、ヨアシュのさらに次のヤロブアム二世のころには、安定し、経済的には繁栄、ユダは、ヨアシュから二代あとの、ウジヤそしてさらにその二代あとのヒゼキヤあたりは、記録がしっかりしているが、世界史的には、激動のときでもある。
- 列王記下 12:11-13 箱に多くの献金が溜まったのが分かると、王の書記官と大祭司が上って来て、主の神殿にあるその献金を幾つかにまとめて数えた。こうして確かめられた献金は、主の神殿の監督である工事担当者に手渡された。彼らはそれを、主の神殿で働く木工や大工、石工や石切り工に支払い、神殿の破損を修理するための木材や切り石の購入に充てた。すなわち、それは神殿を修理するためのあらゆる出費に充てたのである。
- ヨアシュの治世は、謎に満ちている。最初には、祭司ヨヤダの教えを受けたことが書かれ、主の目に適う正しいことを行ったとあり、引用句では、祭司が神殿の破損箇所を直さないので、王の書記官も加わって、行動したこと、このあと、アラムが攻めてきて、宝物庫のものを差し出すことになったこと、そして、クーデターである。しかし、結局、血筋は守る形で、ヨアシュの子が後を継ぐ。歴史的に何かわかっていることはあるのだろうか。
- 列王記下 13:25 ヨアハズの子ヨアシュは、ハザエルが父ヨアハズの手から攻め取った数々の町を、ハザエルの子ベン・ハダドの手から取り返した。ヨアシュは三度彼を討ち破り、イスラエルの町を取り返した。
- ここに、イエフの子、ヨアハズの子、ヨアシュのことが出てくる。こちらは、北イスラエルである。アラムの力が強かったようだが、エリシャも登場している。おそらく、すでに、世界史的な変化の時、武力による巨大王国の誕生が近づいたいたのだろう。
- 列王記下 14:26,27 主は、あまりに厳しいイスラエルの苦境を御覧になったからである。そこには奴隷もおらず、自由な者もおらず、イスラエルを助ける者もいなかった。しかし、主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言われず、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。
- ヤロブアム(2世)の記述が非常に興味深い。「ユダの王、ヨアシュの子アマツヤの治世第十五年に、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムがサマリアで王となり、四十一年間統治した。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムのあらゆる罪から離れなかった。」(23,24)と列王記記者の評価があるにも関わらず、イスラエルを救ったと引用箇所にある。歴史的にも、ある程度の繁栄が取り戻されたようである。この章は「イスラエルの王、ヨアハズの子ヨアシュの治世第二年に、ユダの王ヨアシュの子アマツヤが王となった。」(1)とあり、名前を覚えるのが苦手なわたしとしては、混乱する箇所だが、アハブの子孫の時代、ユダも、イスラエルも、混乱に陥ったこともあり、アハブ、そして、当時活躍した、エリヤやエリシャが中心にかかれているのかもしれないとも思った。いずれ、ゆっくりこの時代を学んでみたい。
- 列王記下 15:1,2 イスラエルの王ヤロブアムの治世第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。彼は十六歳で王位につき、五十二年間エルサレムで統治した。母の名はエコルヤと言い、エルサレムの出身であった。彼は父アマツヤが行ったように、主の目に適う正しいことをことごとく行った。
- 実は、アマツヤについては「彼は主の目に適う正しいことを行ったが、父祖ダビデほどではなかった。彼はすべて父ヨアシュが行ったように事を行った。」(14:3)とあるとともに、詳細は書かれていない。しかし、アマツヤ、アザルヤの治世は、それぞれ、29年、52年と長く、北イスラエルのヤロブアムも41年間と長いことを考えると、安定していた時代なのかもしれない。しかし、そのような時代についての、記述は多くない。預言者アモスなどは、この時代なのだろう。
- 列王記下 16:7 アハズは、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに使いを送ってこう言った。「私はあなたの僕、あなたの子です。どうか上って来て、私に立ち向かうアラムの王の手とイスラエルの王の手から、私を救い出してください。」
- (北)イスラエルと、アラムの王レツィンとに攻められ(5)、アッシリアのティグラト・ピレセルに援助を依頼する。難しい時期であるが、この後の時代を映すような事態になっている。いずれにしても、アッシリアに抗することは、できなかったのかもしれない。
- 列王記下 17:28,29 こうして、サマリアから捕囚として連れ去られた祭司の一人が戻って来て、ベテルに住み、どのように主を畏れ敬うべきかを教えた。しかし、諸国民はそれぞれ自分たちの神を造り、サマリア人が造った高き所の宮に安置した。諸国民はそれぞれ自分たちが住む町でそのようにした。
- アッシリアによって、イスラエルが滅ぼされ、「アッシリアの王は、バビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりに、彼らをサマリア各地の町に住まわせた。そこで、彼らはサマリアを所有し、各地の町に住むことになった。」(24)の後のことが、引用句に書かれている。このようなことでは、どうにもならないのである。ということは、この前にある、「あなたがサマリア各地の町に移り住まわせた諸国民は、この地の神のしきたりを知りません。」(26)は、ある程度正しいかもしれないが、解決方法は、これでは、どうにもならないということだろう。ひとは、どうにかなると思ってしまうのだろうか。もっと、根本的な部分に、問題があるともいえるし、試行錯誤を繰り返しながら、解決に向けて、信頼関係と合意を築いていかないといけないのであって、正しさは、意味がないということのように、思う。
- 列王記下 18:15-17 ヒゼキヤは主の神殿と王宮の宝物庫にあった銀をすべて供出した。この時、ユダの王ヒゼキヤは、自分が金で覆った主の聖所の扉と柱を切り取り、アッシリアの王に供出した。アッシリアの王は、タルタン、ラブ・サリス、ラブ・シャケを、ラキシュから大軍と共に、エルサレムのヒゼキヤ王のもとに送り込んだ。彼らはエルサレムに向かって上って来た。彼らは上って来て、洗い場に至る大通り沿いにある、上貯水池の水路に現れた。
- (北)イスラエルが滅ぼされ、(南)ユダに向かってきたときのことである。何が起こっているのかは、正確にはわからないが、アッシリアの王が課した「銀三百キカルと金三十キカル」には、神殿にあるものなどでは、足りなかったのかもしれない。1キカルは34.2kg とあるから、30キカルでも 1026kg つまり、約1t、300キカルは、約10t となる。すでに、これを満たすだけのものはなかったのかもしれない。「一年間にソロモンのもとに入って来る金の重量は、六百六十六キカルであった。」(列王記上10:14)とあり、ソロモンの時代であれば、問題なかったのかもしれないが、「そこでユダの王ヨアシュは、先祖であるユダの王、ヨシャファト、ヨラム、アハズヤが聖別したすべての聖なるもの、また彼自身が聖別したもの、および主の神殿の宝物庫と王宮にあるすべての金を取り出し、アラムの王ハザエルに送った。それで彼はエルサレムから引き上げて行った。」 (列王記下12:19)ともあり、金は十分にはなかったのだろう。ラブ・シャケは、将軍の一人のようだが、ユダヤのことばも話、有能でもある。国際社会といえるものが、広がっていたのかもしれない。
- 列王記下 19:8,9 ラブ・シャケは、アッシリアの王がラキシュから移動したことを聞いて引き返し、リブナを攻めていた王と落ち合った。王はそこで、クシュの王ティルハカについて、「あなたと戦うために出陣した」という知らせを受け、再びヒゼキヤに使いを送って言った。
- 国際情報戦のようなものを感じる。イザヤもある情報を持っていたのかもしれない。しかし、この章の最後にある、ことばを告げる。正直にいうと十分理解できていないが、主への信頼の表明なのだろう。また、時間をかけて学んでみたい。
- 列王記下 20:17,18 『見よ、王宮にあるものすべて、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものすべて、それがバビロンへ運び去られる日がやって来る。何一つ残されはしない』と主は言われる。『また、あなたがもうけた息子の中には、連れ去られてバビロンの王の宮殿で宦官になる者もいるであろう。』」
- ヒゼキヤはこれを「自分の在世中は平和と安定が続くと思」(19)い、「ありがたい」(19)としているが、わたしには、とうていそのようには言えない。自分のできることは、残していけるものをすこしでも大切にすること。直接、間接、ともに生きるものの幸いを願うこと、それに資することをすることのように思う。ヒゼキヤからはそれを感じられないのだが、わたしの理解が浅すぎるのだろうか。将来を考え、わたしが、いま、できることに忠実でありたい。それが、わたしの信仰表現・告白である。
- 列王記下 21:7,8 彼はまた自分が造ったアシェラの彫像を神殿に置いた。その神殿について、かつて主はダビデとその子ソロモンにこう言われていた。「私はこの神殿に、イスラエルのすべての部族の中から選んだエルサレムに、私の名をとこしえに置く。私が命じたすべてのこと、僕モーセが命じたすべての律法を守り行いさえすれば、私は先祖に与えた土地から、イスラエルを二度と迷い出させることはしない。」
- 律法を守り行う主体が書かれていない。この流れからは、王がそれを代表しているのだろうか。マナセはヒゼキヤの子だが、ヒゼキヤの生き方からは、何を学んだのだろうか。ヒゼキヤへの主のことばがすべて実行されたわけではないように思う。何を残すのかは、難しいのだろう。しかし、このような契約も、適切ではないように思う。ユダヤの民は、律法を行うことを、個人ではなく、共同体として実行しようとしたのだろうか。
- 列王記下 22:14 そこで、祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャファン、アサヤは、女預言者フルダのもとに行った。彼女はハルハスの子ティクワの子である衣装係シャルムの妻で、エルサレムのミシュネに住んでいた。彼らがフルダに尋ねると、
- 聖書学者のなかには、申命記などの成立をこの時期とする。そうなのかもしれないが、フルダに興味を持った。どのような役割なのだろう。どのように生きていたのだろう。ユダが滅ぼされること、エルサレムが廃墟となることとともに、ヨシヤは安らかに自分の墓に葬られるとあるが、実際には、戦いで死ぬ。それも安らかな死なのだろうか。(23:29,30)
- 列王記下 23:33 ファラオ・ネコは、エルサレムで王位にあった彼を、ハマトの地のリブラに幽閉し、この国には銀百キカルと金一キカルの罰金を科した。
- 彼はヨアハズである。「ヨアハズは二十三歳で王位につき、三か月間エルサレムで統治した。母の名はハムタルと言い、リブナ出身のイルメヤの娘であった。」(31)時代の変わり目なのだろうか。ファラオ・ネコがアッシリアと戦うために上ってきて、そこで、ヨシヤ王を殺す。背景は書かれていないが、アッシリアと戦うためにも、ユダヤを取り込もうとしたのかもしれない。イスラエルは、すでに、アッシリアの勢力下にあったわけだから。ただ、この次の章には、ネブカドネツァルが侵攻してくることが書かれている。「ヨヤキムは二十五歳で王位につき、十一年間エルサレムで統治した。母の名はゼブダと言い、ルマ出身のペダヤの娘であった。」(36)とあり、少しの期間はあるようだが、この時代については、復習してみないといけない。
- 列王記下 24:3 ユダでこうしたことが起こったのは、まさに主の命令によるものであり、ご自分の前からユダを取り去るためであった。それはマナセの罪のためであり、彼の行ったすべてのことのためである。
- マナセの罪のためなのだろうか。それほど、単純ではないし、世界状況も影響していると思ってしまう。これが、列王記記者の歴史感なのだろうが、それを、主の御心と同一視してよいのだろうか。公平さ、御心がなることが、神の国の到来だと信じるのだが。
- 列王記下 25:27,28 ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の第十二の月、その月の二十七日のことである。バビロンの王エビル・メロダクが即位した年だったので、ユダの王ヨヤキンに恩赦を与え、牢獄から解放した。バビロンの王はヨヤキンに親しく語りかけ、バビロンで共にいたどの王たちよりも高い地位を与えた。
- ヨヤキンについては「ヨヤキンは十八歳で王位につき、三か月間エルサレムで統治した。母の名はネフシュタと言い、エルサレム出身のエルナタンの娘であった。彼は父が行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った。」(24:8,9)とあり、バビロンへの一次捕囚として連れて行かれる。そのおじである、マタンヤをゼデキヤという名前で即位させ、結局、反逆したことで、「そしてゼデキヤの子どもたちをその目の前で惨殺し、ゼデキヤの両目を潰し、青銅の足枷につないでバビロンに連行した。」(25:7)とある。このゼデキヤについては、書かれていないが、ヨヤキンについて書かれているのが引用句である。これは、なにを意味するのだろうか。記録があるのだろうか。正直不思議に思う。エゼキエルは一回目の捕囚で、バビロンに連行された祭司のようだから、このような人が記録を残したのだろうか。
歴代誌上 聖書通読ノート
BRC2025(2025.6.19-7.3-1)
- 歴代誌上 1:34,35 アブラハムはイサクをもうけた。イサクの子らはエサウ、イスラエル。エサウの子らはエリファズ、レウエル、エウシュ、ヤラム、コラ。
- これらがアブラハムの子らということになる。このような系図をたいせつにする民はどのようなひとたちなのだろうかと考えた。自分の先祖をみつけるにしても、同じ名前は、おそらく何回もでてくるだろうから、系図をある程度保存していないと、自分を系図の中に見出すことはできないだろう。そう考えると、かなり頻繁に、自分の系図での位置づけを確認し、それを伝えていなかければいけない。それは、記録が大変な時代に、たいへんなエネルギーを使うことだったろう。それは、他の民族との交流にエネルギーを使えないことでもる。当時は、別れて住んでいて、それでも良かったのだろうか。
- 歴代誌上 2:18-20 ヘツロンの子カレブは妻アズバとエリオトとの間に子をもうけ、その子らがイエシェル、ショバブ、アルドンである。アズバが死ぬと、カレブはエフラトをめとり、エフラトはフルを産んだ。ルはウリをもうけ、ウリはベツァルエルをもうけた。
- カレブは人気だったのだろう。その家系をしりたいということか。アブラハム、イサク、イスラエル(ヤコブ)、ユダ、ペレツ、ヘツロン、そして、このヘツロンの子がカレブである。やはり、このユダの氏族の系図は、興味深い。歴代誌記者のメッセージも感じる。すべての系図や家系を書くわけではないので。
- 歴代誌上 3:4 ヘブロンで六人の子がダビデに生まれた。彼は七年と六か月の間そこで統治し、またエルサレムでは三十三年間王位にあった。
- この段落には、六男までが列挙されている。この次の段落には、バト・シュアの子4人、さらに、九人の名前が書かれ、これらが側女以外の子らだという。勢力を確立するには、息子たちの人数は大切だったのかもしれないし、みなが、おとなになるまで成長するわけではない当時としては、必要なことだったのかもしれないが、19人、これ以外に、側女の子らがいる。側女も合わせると、4つのグループの書き方が異なる。それも、興味深い。何を意味しているのだろうか。
- 歴代誌上 4:9,10 ヤベツはほかの兄弟よりも重んじられていた。母は「私が苦しみの中で産んだから」と言って、彼の名をヤベツと呼んだが、ヤベツがイスラエルの神に「どうか私を祝福して、私の領土を広げ、御手が私と共にあって災いを遠ざけ、私が苦しむことのないようにしてください」と呼びかけると、神は彼の求めをかなえられた。
- 「ヤベツ」で検索すると、この二節以外には、歴代誌上2:55 に「ヤベツに住む書記の氏族」と現れるのみである。すなわち、系図について書かれているにも関わらず、突如登場する。ヤベツは「苦しみ」という意味のようで興味深いが、これだけしか書かれていないのが残念である。主に求める姿は印象的である。
- 歴代誌上 5:1,2 イスラエルの長男ルベンの一族は次のとおり。ルベンは長男であったが、父の寝床を汚したので、その長男の権利はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。そのため彼は長男として登録されていない。兄弟の中で力があったのはユダで、そこから指導者が出たが、長男の権利はヨセフのものとなった。
- このことは、サムエル記ぐらいまでを学べば、推測はできるが、明確に書いてあるのは、ここだけだと思われる。歴代誌はかなりあとに成立したと思われるが、確定した、明確な記述はないようにも思う。この章には、「ルベンの一族、ガド人、およびマナセ族の半数」(18a)があるが、たとえば「その子ベエラ。ベエラはアッシリアの王ティグラト・ピレセルにより捕囚とされた。彼はルベン人の代表であった。」(6)と書かれている。25,26節参照。
- 歴代誌上 6:47,48 ゲルションの家系の諸氏族には、イッサカル族、アシェル族、ナフタリ族、バシャンに住むマナセ族から十三の町が与えられた。メラリの家系の諸氏族には、ルベン族、ガド族、ゼブルン族から十二の町がくじによって与えられた。
- これらは、基本的には北またはヨルダン川の東であって、ケハトの氏族に与えられたところと比較して(29-46)辺境の地のように見える。以後の用務には、大きく影響するだろう。何を日常的に担っていたかなど、レビ族についても、学んでみたい。あまり、書いてないように思うが。
- 歴代誌上 7:20-23 エフライムの子らはシュテラ、その子ベレド、その子タハト、その子エルアダ、その子タハト、その子ザバド、その子シュテラ。それにエゼルとエルアドもいたが、この地の生まれであるガトの人々が二人を殺した。二人が下って行って彼らの家畜を奪おうとしたからである。二人の父エフライムは長い間喪に服し、その兄弟たちが彼を慰めに来た。彼は妻のもとに行き、妻は身ごもって男の子を産んだ。彼はその子の名をベリアと付けた。妻が災いの中、彼の家にいたからである。
- ベリアは、「災の中」との意味であるとの注がついている。直前には、背景も書かれている。ここにしか書かれていないエピソードがそれなりに多い。伝承があったのだろう。系図の部分を見ると、その子が続いており、エフライムからは、8代目だろうか。ある程度のときが下っていることもわかる。この世代についてどうしても加えたかったのだろう。
- 歴代誌上 8:28 以上は、系図に記された親族の頭である。頭である彼らはエルサレムに住んだ。
- 「以上」がどの部分を表すのかは不明である。しかし、(ベニヤミン族の)頭はエルサレムに住んだということばは印象的だ。エルサレムを攻め落としたのは、ダビデの時代だから、ダビデの時代には、ベミヤミン族の有力者がエルサレムに住んでいたということだろう。情報が部分的で、あまりよくはわからないが。
- 歴代誌上 9:1-3 イスラエルの人々はすべて登録された。彼らのことは『イスラエルの列王の書』に記されている。ユダは背信の罪のために、バビロンに捕囚として連れ去られたが、最初に自分たちの町の所有地に戻って住んだのは、イスラエルの人々、祭司、レビ人、神殿に仕える者であった。エルサレムにはユダの子孫の一部、ベニヤミンの子孫の一部、エフライムとマナセの子孫の一部が住んだ。
- このあとこの章のどこまでが、捕囚から帰還して、エルサレムに住んだ人のリストなのかわかりにくいが、かなり神殿に仕える人たちが中心であったように見える。これでは、街としては成立しないだろう。また、エフライムとマナセの子孫の一部も含まれることが書かれているのは興味深い。アッシリアによって滅ぼされたときに、まったく消滅したわけではないことがわかる。ただ、なぜ、この二部族なのか。エルサレム以外には、他の部族も帰還したのかは、不明である。長子として記されているのか、考えさせられる。
- 歴代誌上 10:4,5 サウルは自分の武器を持つ者に言った。「お前の剣を抜いて、私を刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもがやって来て、私をなぶりものにすることがないように。」だが、武器を持つ者は非常に恐れ、そうしようとしなかったので、サウルは剣を取り、その上に身を投じた。武器を持つ者はサウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に身を投げて死んだ。
- 主を恐れる、または、主に(実際にはサムエルだが)油を注がれたものに対する畏敬があったということだろうか。ダビデだけではなく、イスラエルの人々にこのような信仰があったということだろうか。わたしも、主を畏れることについて、考えてみたい。
- 歴代誌上 11:7,8 ダビデがこの要害に住んだことから、そこはダビデの町と呼ばれるようになった。彼は町の周囲、すなわちミロから石囲いに至るまでを再建した。町の他の部分はヨアブが修復した。
- ダビデとヨアブは石囲いなど街の再建をしたとあり、戦略的にも重要だったのかもしれない。このあとに、勇士のリストがあるが、これらのうちのかなりのひとたちは、戦死したのではないかと思った。実際に戦死した人が含まれているだけではなくちょっとしたエピソードがそれを匂わせているようにも感じる。武装集団としてダビデ軍は力を持っていたということなのだろう。
- 歴代誌上 12:23,24 ダビデに加勢する者が日ごとに増えて、ついに神の陣営のように大きな陣営となった。ヘブロンのダビデのもとにやって来た、武装した者たちの頭の数は次のとおりである。それは主の言葉に従って、サウルの王位をダビデに渡すためであった。
- サムエル記下2章11節に「ダビデがユダの家の王としてヘブロンにとどまった期間は、七年六か月であった。」とあり、エルサレムに移るまでの期間、ヘブロンにダビデがいたことが書かれているが、そこに、全イスラエルが、集結していったことが書かれているのだろう。求心力の強さを描いているのかもしれないが、あるていどは、一体感があったのかもしれない。
- 歴代誌上 13:6 ダビデとイスラエルのすべての人々はバアラト、つまりユダのキルヤト・エアリムに上って行き、「ケルビムの上に座す主」という名で呼ばれる神の箱をそこから運び上げた。
- 「『ケルビムの上に座す主』という名で呼ばれる神の箱」との表現が注意をひいたが、他にもあることを知った。「民はシロに人をやって、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の契約の箱を運んで来させた。エリの二人の息子ホフニとピネハスも神の契約の箱に付き添って来た。」(サムエル記上4:4)「ダビデは、彼に従うすべての民と共にバアレ・ユダを出発し、『ケルビムの上に座す万軍の主』という名で呼ばれる神の箱をそこから運び上げた。」(サムエル記下6:2)「主の前で祈って言った。『ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたが天と地をお造りになったのです。』」(列王記下19:15)神の箱とその上に、ケルビムはあるが、それは、あくまでも、神の座・乗り物(?)ということなのだろう。
- 歴代誌上 14:13-15 ペリシテ人は再び谷に侵入して来た。ダビデがもう一度神に伺いを立てると、神は言われた。「彼らを追って攻め上るのではなく、彼らを避けて回り込み、バルサムの茂みの反対側から彼らに向かいなさい。バルサムの茂みの先から進軍する音が聞こえたその時、戦いに出なさい。神があなたに先んじて出陣され、ペリシテ人の陣営を打つからである。」
- この前には「ダビデは神に伺いを立てた。『ペリシテ人に向かって攻め上るべきでしょうか。この手に彼らを渡してくださるでしょうか。』主はダビデに言われた。『攻め上りなさい。私は彼らをあなたの手に渡す。』」(10)とある。まさに神がかり的だと思わされるが、祭司を呼んでというような記述もない。ダビデが稀有の
戦略家であることを示しているのか。それを、人々は、ダビデは、特別に主に愛されたと賞賛したのだろう。ヨアブはそのことを認めつつも、ダビデのそれ以外の面も見ていたということか。
- 歴代誌上 15:1,2 ダビデは、ダビデの町に宮殿を造り、神の箱のための場所を用意し、その場所のために天幕を張った。その後、ダビデは言った。「神の箱を担ぐのはレビ人でなければならない。彼らこそ、主の箱を担ぎ、とこしえに主に仕えるために主に選ばれた者である。」
- サムエル記下6章と歴代誌上13章に書かれていた、ウザが死ぬことになった事件のことから、このような万全の措置に踏み切ったのだろう。それが整備されていく様子を記録することも、歴代誌の使命なのだろうか。儀式については、どうしても、価値を低くみてしまう。文化的な背景のもとで、継続していくために重要だと言うことだろうか。信仰とは少し違うように見える。
- 歴代誌上 16:35 そして言え。/「我らの救いの神よ、私たちを救い/国々から集め、救い出してください。/私たちはあなたの聖なる名に感謝し/あなたの誉れを誇ります。」
- 15章で、エルサレムの天幕に、神の箱を運び入れたことが書かれており、この章には、ダビデによる感謝の詩篇が書かれている。サムエル記では、神の箱を運び入れたときには、ナタン預言、ダビデ王の祈りと続いている。歴代誌では、さらに、引用句がついている。実際に、離散している状態で書かれたと考えられているが、その願いは、アブラハム契約、イサクに対する誓(16)、そして、ナタン預言なのだろうか。もう少し、構造を丁寧に理解したい。
- 歴代誌上 17:1 ダビデが王宮に住むようになったときのことである。ダビデは預言者ナタンに言った。「見なさい。私はレバノン杉の家に住んでいるが、主の契約の箱は幕屋にある。」
- このような思いに行くことは自然なことなのだろう。しかし、神の大いなることを考えると、違うかもしれないというところに行き着く。「主よ、私たちの知るかぎり、あなたのような方はなく、あなたのほかに神はありません。」(20)これも、謙虚で、よい表現だと思う。ダビデを崇拝することに懸念があるが、ダビデの素直な信仰は、一人の信仰者として、学ぶことが多い。
- 歴代誌上 18:6,7 主よ、私たちの知るかぎり、あなたのような方はなく、あなたのほかに神はありません。ダビデは、ハダドエゼルの家臣が携えていた金の盾を奪って、エルサレムに持ち帰った。
- 「ツォバの王ハダドエゼルが、ユーフラテス川流域を手に入れようとハマトの方へやって来たとき」(3)ツォバは、シリア人の王国のようだが、北の古い国、ダマスコのアラムをも打ち破ったことが書かれているのだろう。だからといって、支配したわけではないかもしれない。今後も、ずっと戦いは続く。しかし、ダビデが連戦連勝であったことを記録しているのだろう。
- 歴代誌上 19:16 アラム人は、自分たちがイスラエルに敗れたのを見ると、使者を遣わし、ユーフラテス川の向こうにいたアラム軍を出動させた。彼らの先頭に立つのはハダドエゼルの将軍ショファクであった。
- 当時の戦い、戦争のしかたが書かれていて興味深い。引用句には、ある程度遠いところまで、アラムは覇権を持っていたことがわかるが、ダビデの時代には、まだ対応可能な程度だったのだろう。帝国にはなっていないということか。歴史も確認してみたい。「銀千キカル(1キカル=34.2kg)」(6)は、かなりの額だと思うが、それだけ、銀が会ったのだろうか。
- 歴代誌上 20:2 ダビデもやって来て、彼らの王の頭から冠を奪い取った。それは金一キカルの重さがあり、中に宝石がはめ込まれていた。これはダビデの頭を飾るものになった。ダビデはこの町からおびただしい戦利品を持ち出した。
- 「この時ダビデはエルサレムにとどまっていた。」(1)との表現もあり、ダビデが戦いのすべてをしなくて良くなったこともあるのだろう。他の言い方では、単なる戦いのリーダーではなく、「王」統治するものとなっていたのかもしれない。
- 歴代誌上 21:28-30 この時、ダビデは主がエブス人オルナンの麦打ち場で答えられるのを見て、そこでいけにえを献げた。その頃は、モーセが荒れ野で造った主の幕屋も、焼き尽くすいけにえを献げる祭壇も、ギブオンの高き所にあり、ダビデは主の使いの剣を恐れ、神の前に伺いを立てに行くことができなかったのである。
- この章は不明なことが多い。人口調査がどのような意味で罪なのかも明らかではないが、3つの選択肢についても不明、「ダビデが目を上げると、主の使いが地と天の間に立ち、手にした抜き身の剣をエルサレムに向けているのが見えた。粗布に身を包んでいたダビデと長老たちはひれ伏した。」(16)も、さらにこの節と、引用句との関係もよくわからない。このあとには「オルナンもまた御使いを見た。」(20)もあり、ダビデだけが関係しているわけでもないようである。次の章の、神殿建設と関係はしているだろうが。いずれ時間を取って考えられるとよいのだが。
- 歴代誌上 22:11,12 わが子よ、今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建設を成し遂げることができるように。主があなたに悟りと分別を与え、イスラエルの上に立つよう命じて、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。
- こどもたちのことを思い、祈ること、あまりできていないように思う。それは、わたしがなにを願ったら良いのか、こどもたちにとってなにがよいことなのかわからないからのようにも思う。さらに、おそらく、こどもたちと、ほかの人たちとの区別について、それをすべきかどうかも、よくわからないからでもある。これについても、わたしは、答えを持っていない。しかし、そうであっても、祈ることはできるように思う。
- 歴代誌上 23:4,5 そのうち、二万四千人は主の神殿の仕事の責任者に、六千人は役人と裁判官に、四千人は門衛に、四千人はダビデが賛美のために作った楽器を奏でて主を賛美する者になった。
- 「モーセは神の人であり、その子らはレビ族の者と呼ばれた。」(14)正確さを欠くと思うが、レビの子らではなく、モーセの家系ということなのだろうか。「神の人」は聖書にたくさん登場するようだが、最初は、「これは、神の人モーセがその死に臨んで、イスラエルの人々に述べた祝福の言葉である。」(申命記33:1)のようである。14節以外にも、ヨシュア記14:6、歴代誌下30:16、詩篇90:11、エズラ3:2にも「神の人モーセ」とあり、サムエル、エリヤ以外にも何回か登場する。ダビデも歴代誌下8:14ネヘミヤ12:24,36で、神の人と呼ばれている。新約では一回だけのようである。「しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。」(1テモテ6:11)引用句は、レビ人の仕事だが、これだけの人数が必要だったのだろうか。役人と裁判官は支配下の町が増えていけば、必要だろうが。不思議な感じがした。
- 歴代誌上 24:4 男性で頭となる者の数では、エルアザルの一族のほうがイタマルの一族より多いことが分かったので、エルアザルの一族は十六人の親族の頭のもとに、イタマルの一族は八人の親族の頭のもとに分けられた。
- 男性で頭となる者ごとに、仕事を割り振ったことがわかる。このあとには、「(メラリの子)マフリにはエルアザルがいるが、彼には息子がなかった。」(28)不明な点も多い。
- 歴代誌上 25:6-8 彼らは皆、父の指示に従って主の神殿でシンバル、竪琴、琴を奏で、歌を歌って神殿の奉仕を果たし、王やアサフ、エドトン、ヘマンの指示に従った。主に歌を歌うための訓練を受け、熟練したその兄弟たちの数は全部で二百八十八人であった。彼らは年少者も年長者も、熟練した者も修業中の者も等しく、任務のためのくじを引いた。
- 宿命としてこうなっていたということなのだろう。音楽がこれだけ大事にされたのは、ダビデの影響だろうか。不思議にも思う。「以上は皆、王の予見者ヘマンの一族であり、権勢を高めよという神の言いつけに従った。」(5)も興味深い。
- 歴代誌上 26:29 イツハル人ではケナンヤとその息子たちが、神殿の外でイスラエルのために務めを果たす役人や裁判官となった。
- 歴代誌上 23:4にも登場する、役人がここに書かれている。これも、世襲制だったということだろう。支配者ではないのかもしれないが、有能かどうかは、あまり関係なかったのかもしれない。門衛や宝物庫の管理は、勇士や有能な者ということばも登場しているが、詳細は不明。
- 歴代誌上 27:1 イスラエルの人々の数は次のとおりである。親族の頭、千人隊と百人隊の長、それに役人たちは王に仕え、一年中どの月も、月ごとに交替する各組のあらゆる事柄に当たった。一組は二万四千人から成る。
- ダビデ王のもとの守備隊のようなものだろうか。月替りの、十二の組になっているが、十二部族に割り当てられているわけではない。このあとに、「イスラエルの各部族を率いた者」(16)があり、そのあとに「ダビデは二十歳以下の者を数に入れなかったが、それは主がイスラエルを空の星のように数多くすると言われたからである。ツェルヤの子ヨアブが数え始めたが、終わらなかった。この時に神の怒りがイスラエルに臨んだためで、その数が『ダビデ王の年代誌』に載ることはなかった。」(24)とある。これが、サムエル記下24:10-15 や、歴代誌上21:1-7 の記述を実際に補足しているかどうかは不明だが、これが書かれた時代に、このように考えられていたことは確かなのだろう。
- 歴代誌上 28:19 「すべては主の手によって記されたもの、主が私に悟らせたもので、この見取り図が作業のすべてである。」
- 全てを制御することはできない。ダビデの熱情を記録したものなのだろうが、これでは、ソロモンが主に従っていくのは難しいように思う。いずれにしても、難しいのだが。信仰が受け継がれるとはどのようなことなのだろうか。それぞれが主に従っていく、イエスに従っていく、これは、本当にむずかしい。それも、習慣ではないとすれば。わたしは、どうしたらよいのか、正直よくわからない。過去も、そして、今も。
- 歴代誌上 29:15,16 私たちは、先祖が皆そうであったように、あなたの前では寄留者であり、滞在者にすぎません。私たちの地上での生涯は影のようなもので、希望などありません。私たちの神、主よ、聖なる御名のためにあなたの神殿を建てようと準備したこの大量のものは、すべて御手から出たもの、すべてあなたのものです。
- 自分は、どのようなものか、これを告白することが、信仰なのかなと思った。とはいえ、自分についてすら、本当は、よくわかっていないのだが。13節から続いているが、まず、感謝し、御名をほめたたえ(13)そして、神殿のためにささげたものは、すべて主からいただいたもの(14)と告白してから、引用句となる。寄留者という告白は、ユダヤ民族の特徴かもしれないが、これは、国籍は天国にあるという信仰にも結びつくのだろう。そのあとには、生涯は影のようなものだと告白している。謙虚さだろうか。そして、神殿のためにささげたものは、すべて主のものと、14節の内容が繰り返されている。ダビデに由来するかどうかは確かめられないが、信仰のたいせつなかたちのように思う。
歴代誌下 聖書通読ノート
BRC2025(2025.7.3-2-7.21-1)
- 歴代誌下 1:11 神はソロモンに言われた。「あなたの心にあったのは、富を求めることでもなく、財宝を求めることでもなく、栄誉を求めることでもなく、憎む者の命を求めることでもなく、また長寿を求めることでもなかった。あなたが願ったのは、私の民を治めるための知恵と知識だった。私があなたをその民の王として立てたのだ。
- 「治める知恵と知識」これは、ソロモンの言葉としては「この民の前でどのように振る舞うべきかを悟」(10b)るためとなっている。ダビデに欠けていたと表現するのが良いかは不明だが、ソロモンが、このように告白することは、素晴らしいと思う。歴史を学ぶと、「治める知恵と知識」は、持つことがとても困難だと思わされる。むろん、ソロモンにとっても十分ではなかったのかもしれないが、これがなければ、どうにもならないと告白していることからは学ばされることも多い。当時のひとたちの信仰告白でもあるのかもしれない。
- 歴代誌下 2:4,5 私が建てる神殿は壮大なものです。我らの神はすべての神々よりも大いなる方だからです。天も、天の天も、主をお入れすることはできないのに、一体誰が主のために神殿を建てる力を持っているというのでしょうか。主のために神殿を建てるというこの私は、一体何者でしょうか。ただ主の前に香をたくためだけの者です。
- いつ記されたのかは不明だが、ここに「我らの神」についての表現がある。「すべての神々よりも大いなる方」と言っている。そのような方の神殿を建てることに恐れおののいている。ソロモンの時代には、すでに、ほぼ、イスラエル全土が安定し、その神という意識があったのだろう。その表現でもある。しかし、あくまでも、他の神とおなじように、民族の神なのだろう。アブラハム、イサク、ヤコブにとっては、族長の神、共にいてくださる存在だったが、歴代誌の時代には、どのような神で、それは、変化していくのだろうか。考えながら読んでいきたい。
- 歴代誌下 3:8-10 ソロモンはまた、至聖所を造った。その長さは神殿の幅に従い二十アンマ、幅二十アンマであり、これを上質の金六百キカルで覆った。釘の重さは、金五十シェケルであった。階上の部屋も金で覆った。また、至聖所の中に二体のケルビムを鋳物で造り、金で覆った。
- 1キカルは34.2kg、1シェケルは11.1g である。かなりの量だが、これが、ダビデが用意したものなのだろう。そして、それが最善・最高のことだと考えたのだろう。ただ、至聖所は、祭司しか入ることができなかったはずで、それによって威光をしめすことはできなかっただろう。少し驚いたのは、釘である。釘を金で作るのは、錆びないためか。木に打ち込むことはできないように思う。釘までも金ということを強調しているのだろうか。
- 歴代誌下 4:1,2 ソロモンは青銅の祭壇を造った。その長さは二十アンマ、幅は二十アンマ、高さは十アンマであった。彼はまた、鋳物の「海」を造った。縁から縁までが十アンマの円形で、高さは五アンマで、周囲は測り縄で測ると三十アンマであった。
- アンマは、口語訳などで、キュビトと書かれていたもので、約45cm。すなわち、9m 四方となる。羊などは、複数同時に捧げることもあったのだろうか。祭壇は、モーセのころや、サムエルのころにもあり、もしかするとイスラエルに複数あったかもしれない。それは、どのようなものだったのだろう。祭壇はおそらく、一般人も見ることのできる、たいせつなものだったのだろう。天の神様との接点だろうか。
- 歴代誌下 5:10 箱の中には二枚の石の板のほか何もなかった。それは、主がエジプトを出たイスラエルの人々と契約を結ばれたとき、モーセがホレブでそこに納めたものである。
- 列王記8:9に同様の記述がある。また、「あなたは贖いの座を箱の上に置き、箱の中に私が与える証しの板を納めなさい。」(出エジプト25:21)とあり、また「主はベト・シェメシュの人々を打たれた。彼らが主の箱の中をのぞいたので、主は五万の民の中から七十人を打たれた。主が民に大きな災いを与えられたので、民は喪に服した。」(サムエル記上6:19)また、次のような一節もある。「主はモーセに言われた。『アロンの杖を証しの箱の前に戻し、反逆する子らに対するしるしとして保管しなさい。私に対する不平をやめさせれば、彼らが死ぬことはない。』」(民数記17:25)しかし、新約聖書には「そこには、香をたく金の祭壇と全面を金で覆われた契約の箱があり、その中にはマナの入った金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板がありました。」(ヘブライ9:4)との記録もある。(マナの壺については、出エジプト16:33)このときには、すでに、箱は失われているのだが。
- 歴代誌下 6:16,17 そこで今、イスラエルの神、主よ。あなたの僕、父ダビデに約束されたことをお守りください。あなたはこう仰せになりました。『あなたが私の前を歩んだように、あなたの子孫もその道を守り、私の律法に従って歩みさえすれば、イスラエルの王座に着く者が私の前から絶えることはない。』今、イスラエルの神、主よ。あなたの僕ダビデに約束されたことが確かに実現されますように。
- 神様の約束は基本的には契約で、条件が付されているのだろうか。約束を守ることは簡単ではない。破られることは当たり前なのかもしれない。その意味でも、やはり神様との契約は特殊なもののようだ。御心を受け取ることは難しいということだろうか。条件がなければよいのだろうか。それも、難しい問題である。
- 歴代誌下 7:11,12 ソロモンは、主の神殿と王宮を完成し、また、主の神殿と王宮の中に造りたいと思っていたものすべてを造り終えた。その夜、主はソロモンに現れ、こう言われた。「私は、あなたが乞い求めた祈りを聞き、この所を、いけにえの献げられる私の神殿として選んだ。
- このように、御心が示されたことの背後には、「ソロモンが祈り終えたとき、火が天から降って、焼き尽くすいけにえと会食のいけにえを焼き尽くし、主の栄光が神殿に満ちた。」(1)のような、奇跡的なことがあったのだろうか。これは、演出だろうか。それとも、このように表現しただけだろうか。この章にあることを、御心として受け取ったことは、理解できるが、それが御心であることの保証はどのように受け取ったのだろうか。やはり、信じるか信じないかなのだろうか。
- 歴代誌下 8:8,9 すなわち、イスラエル人が滅ぼし尽くすことができず、この地に生き残った彼らの子孫を、ソロモンは労役に徴用し、今日に至っている。しかしソロモンは、自分の工事のためにイスラエルの人々を奴隷にすることはなかった。彼らは戦士や補佐官の長、戦車隊や騎兵隊の長だったからである。
- これをもって、奴隷を許容する考え方も、キリスト者の中にあったのだろう。これも、聖書をどのようなものとして読むかである。固定したものか、すこしずつ御心が知らされ、受け取ったと信じるものを書いていったものかということだろう。原理主義的な固定した「聖書は誤りなき神の言葉」という理解では受け入れられないのだろうが。
- 歴代誌下 9:8,9 あなたを王座に着け、あなたの神、主のために王とすることをお望みになった、あなたの神、主はたたえられますように。あなたの神は、イスラエルをとこしえに続くものとするほど愛しておられるので、公正と正義を行うために、あなたを王とされたのです。」彼女は金百二十キカルと非常に多くの香料、宝石を王に贈った。シェバの女王がソロモン王に贈ったような多くの香料が入って来たことはなかった。
- シェバの女王のくだりである。ソロモン自体が主の証となったことが書かれ、贈り物について書かれている。たしかに、このように評価されることもあるのだろう。ただ、神は、独立の存在とみれば、被造物による証は二次的なものだともいえる。もう少し、違った考え方のほうがよいだろう。
- 歴代誌下 10:7 すると、彼らは次のように答えた。「もしあなたが、この民に優しくして好意を示し、利益になることを彼らに約束されるなら、彼らはいつまでもあなたの僕となるでしょう。」
- 存命中の父ソロモンに仕えていた長老たちの言葉である。王と一緒に育った若者たちは、まったく、ことなる答えをする。ここでは、長老たちがまともであることが書かれているが、逆の場合もあるのだろう。その相異なる助言を適切に判断するのが王の役割なのだろうか。意思決定は、王ひとりや、すくない人数でも、多くてもやはり困難である。政治的判断は、正直よくわからない。
- 歴代誌下 11:22,23 レハブアムはマアカの子アビヤを頭とし、兄弟たちの指導者として立てた。彼を王にしようとしたのである。王は賢く行動し、息子全員をユダとベニヤミンの全土、すなわちすべての砦の町へ配置し、彼らに食料を豊富に与え、また大勢の妻を探し与えた。
- 指導者選びは簡単ではないのだろう。ある教育をうけたひとも多くはないなかで、ある程度指導力を発揮したのだろうが、そう簡単にはいかなかったろう。これが人間のできる限界なのだろうか。大帝国で長く続いたところでは、もうすこし制度化されていたところもあるようだが。人間の知恵が成熟していくことにも神様は委ねられたのだろうか。
- 歴代誌下 12:12-14 王がへりくだったので、主の怒りは彼から離れ、彼を完全に滅ぼさなかった。ユダにも良いことがあった。レハブアム王はエルサレムで勢力を増し、国を治めた。レハブアムは四十一歳で王位につき、十七年間エルサレムで統治した。そこは、主が名を置くために、イスラエルのすべての部族の中から選ばれた都であった。母の名はナアマと言い、アンモン人であった。彼は、心を定めて主を求めることをせず、悪を行った。
- この章の最初は「レハブアムは王権を確立し、自らが強くなると、主の律法を捨てた。イスラエルのすべての人々も彼に倣った。」(1)と始まっている。歴代誌のように、ひとの評価をはっきりとできるわけではないだろうが、王としての責任は、重いということなのだろうか。引用句でもエルサレムが特別の場所であること、そして、レハブアムやユダにも良いこともあったとしている。歴代誌を書いたひとたちは、どのような人たちなのかと考えてしまう。
- 歴代誌下 13:6-8 ダビデの子ソロモンの家臣であったネバトの子ヤロブアムは、立ち上がって主君に反逆し、また命知らずのならず者が彼のもとに集まって、ソロモンの子レハブアムを圧迫した。レハブアムは若くて心も弱く、彼らに立ち向かうことができなかった。そして今あなたがたは、ダビデの子らの手にある主の王国に立ち向かおうとしている。あなたがたは、おびただしい軍勢であり、ヤロブアムがあなたがたのために神として造った金の子牛を持っているからだ。
- アビヤは三年間しか王位にとどまらなかったようだが(2)、ユダが持ちこたえられた鍵を握る人物なのかもしれないと思った。だから言葉が残されているのだろうか。列王記上15:1-8 では簡単に書かれていて評価もことなるように見える。記述が短いだけではなく、列王記ではダビデのことを書き、アビヤムのことはあまり書かない。不思議た。
- 歴代誌下 14:10 アサは彼の神、主に叫んだ。「主よ、あなたにとって、力の強い者を助けるのも、力の弱い者を助けるのも変わりはありません。我々の神、主よ、我々を助けてください。我々はあなたを頼りとし、あなたの名によって、この大軍に向かってやって来ました。あなたは我々の神、主であって、いかなる人間もあなたには対抗できません。」
- アサのこのような態度は基本的に、主に喜ばれることだとされているのだろう。ただ、アッシリアやバビロンなどの巨大勢力が攻撃してくると、そう簡単には、主のみこころをうけとれなくなる。信仰・宗教が深まるともいえるのだろうが、難しいこともたしかである。ひとは、御心を受け取る力の限界もあるように思う。なかなか難しい問題でもある。
- 歴代誌下 15:13 子どもから大人まで、男も女も、イスラエルの神、主を求めない者はすべて死ななければならないこととした。
- 脚注に「小さな者から大きな者まで」が直訳とある。そのままのほうがよいように思われる。オデドの子アザルヤの言葉に対する、アサのことばである。アサの真っ直ぐなこころが表現されてはいるが、これが「こうすればよい」と、ある手法になってはいけないのだろう。さらに、主は、ご自身に計画もあり、それは、手を出されないことかもしれない。
- 歴代誌下 16:9 主の目は全地を行き巡り、心が主と一つである者たちに御力を示す。このことについて、あなたは愚かなことをした。今後、あなたには戦争が続く。」
- アサについては、14章からこの16章までそれなりに詳しく書かれている。小国として、他国との関係をどうするかは、つねに困難だったろうことは理解できるが、ここでは、北イスラエルとの争いの仲裁をアラムに依頼し、先見者ハナニから批判されている。ただ、引用句は興味深い表現である。興味深い信仰告白である。
- 歴代誌下 17:9-11 彼らは主の律法の書を携え、ユダの教育に当たった。ユダのすべての町を巡って、民の教育を行ったのである。主への畏れがユダの周囲の地のすべての王国にあったので、彼らはヨシャファトと戦おうとはせず、ペリシテ人からは贈り物や銀の貢ぎ物がヨシャファトに運び込まれ、アラビア人も雄羊七千七百匹、雄山羊七千七百匹を運び込んだ。
- ヨシャファトの治世のことである。このあとには、「ヨシャファトはますます勢力を強め、ユダに城塞や倉庫の町を築き、」(12)とあり、城塞には、頼ったようだが、その批判はない。歴代誌記者たちにとって、何が良いこと、正しいこととされているのかは、丁寧に見ていかないとわからない。
- 歴代誌下 18:1,2 ヨシャファトは大いに富と栄誉に恵まれたが、アハブと姻戚関係を結んだ。数年の後、彼がサマリアのアハブのもとに下ると、アハブは彼とその民のために多くの羊と牛を屠り、ラモト・ギルアドに攻め上ろうと彼を唆した。
- 富と栄誉がヨシャファトにすきを与えたのだろうか。婚姻関係が直接的な理由かは不明だが、数年後とある。難しい。ヨシャファトの誠実さも見て取れるが、アハブの悪を変えられると考えるのは間違いなのだろう。兄弟の国であっても、友好関係をもつのは、本当に難しい。
- 歴代誌下 19:8 ヨシャファトはまた、エルサレムでは、レビ人と祭司たちの一部、イスラエルの親族の頭たちの一部を、主の裁きと訴訟のために任命した。こうして彼らはエルサレムに帰った。
- 適切なことをしているように見えるが、このようなことで、すべて順調にいくこともないのだろう。御心がなる世界の到来はどのように待ち望んだらよいのだろうか。難しさを感じる。答えは、わからないとするのが正しいように思われる。
- 歴代誌下 20:1,2 その後、モアブ人とアンモン人がヨシャファトに戦いを挑み、さらにメウニム人も敵に加わった。人々がヨシャファトのもとに来て、次のように伝えた。「海のかなたのエドムから、大軍が攻めて来ました。彼らはハツェツォン・タマル、すなわちエン・ゲディにいます。」
- この危機にどのように対応したかが書かれている。おそらく、歴代誌記者にとって理想的な対応が書かれているのだろう。最後は、戦わず、これらの民が同士討ちをして倒れ、戦利品を得ることができたことが書かれている。しかし、アッシリア帝国、バビロニア帝国に至っては、どうにもならなかったというのが、歴史の教えるところなのだろう。むろん、それらの場合も、対応や、信仰的なことが不足していたということはできるだろうが。このような機会をとおして、神理解や信仰について、少しずつ深くなっていったと思われるが、歴代誌はそれをどう記録しているのだろうか。
- 歴代誌下 21:12-15 彼のもとに、預言者エリヤから次のような手紙が届いた。「あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。『あなたは父ヨシャファトの道、ユダの王アサの道を歩まず、イスラエルの王たちの道を歩み、アハブの家が淫行を行わせたように、ユダとエルサレムの住民に淫行を行わせた。また、あなたの父の家で、あなたよりも優れた兄弟たちを殺した。それゆえ、主は大きな災いをもって、あなたの民、子ども、妻、財産のすべてを打たれる。また、あなたは内臓の病で大病を患い、日に日に病が進み、内臓が外に出るまでになる。』」
- エリヤにより、列王記との関連を匂わすように思われるが、対応箇所はない。ヨシャファトについては、列王記上22章に記録があるが、歴代誌の内容とはかなり異なり、このようなエリヤの手紙もない。ヨラム自体、イスラエル王にもヨラムがおり、混乱ではないと思われるが、アハブとの関係もあり、ヨラムがアハブの娘の子ということもあり、複雑である。整理はできるのだろうか。
- 歴代誌下 22:9 さらにアハズヤを捜し求めたところ、サマリアに潜んでいたアハズヤは捕らえられ、イエフのもとに連れて来られて処刑された。人々は、「これは心を尽くして主を求めたヨシャファトの子だ」と言って、彼を葬った。こうして、アハズヤの家には国を治める力を持つ者がいなくなった。
- クーデターだろうか。イスラエルの王アハブの家を根こそぎにするというニムシの子イエフにアハブの家系オムリの孫娘が母である、ユダの王アハズヤが殺される事件である。なんとも凄惨な事件である。なにが正しいのか、わからない時代ともいえる。基本的に、みな、悪いのだから。血筋で考えることにも限界がある。そして憎しみが生じるのだろう。
- 歴代誌下 23:19-21 またヨヤダは主の神殿の門に門衛を立て、どのような汚れであれ、汚れた者は入れないようにした。さらに百人隊の長、有力者、民の支配者および国の民全員を率いて、主の神殿から王を連れて下った。彼らは王宮の上の門の中に入り、王を王座に着けた。国の民は皆喜んだが、都は静まり返っていた。彼らはアタルヤを剣にかけて殺したのである。
- 祭司ヨヤダのリーダシップのもと、アタルヤが殺され落ち着いたということだろうが、都は静まり返っていたはなにを意味しているのだろうか。これは、もう、最終段階に近いということだろうか。あまり、いままで注意していなかったが、このあたりは、丁寧に学ぶ価値があるようにも思う。
- 歴代誌下 24:22 ヨアシュ王は、彼の父ヨヤダが示した慈しみを思い起こさず、その息子を殺したのである。ゼカルヤは死の間際に言った。「主が御覧になり、この血の責任を追及されますように。」
- ヨアシュ王について学ぶことは良いように思う。「というのも、悪女アタルヤとその子らが神殿に押し入り、主の神殿の聖なるものもすべてバアルのものとしていたからである。」(7)ともあり、それを一掃するヨヤダの働きもあったろうが、130歳でなくなっていることからも、すでにかなりの年齢だったこともわかる。すると、その息子ゼカルヤもかなりの歳だったろう。ヨアシュの側についたのは、どのような人たちだったのか。
- 歴代誌下 25:23 イスラエルの王ヨアシュは、ヨアハズの子ヨアシュの子であるユダの王アマツヤを、ベト・シェメシュで捕らえた。それから、エルサレムに引いて行って、エフライムの門から、突き当たりにある門まで、四百アンマにわたってエルサレムの城壁を破壊した。
- なんとも大変な状況が続く。いままで、あまり正確に理解しようとはしていなかったことが明らかになった。時間をとって、一度、しっかりと考えてみたい。名前も難しい。ヨラムやヨアシュは、イスラエルとユダ両方の王としているようである。整理しないといけない。いずれにしても、混乱の時代、アラムとの関係も複雑である。理解できるだろうか。この次がウジヤで、それは、列王記ではアザルヤと名前が異なっていることもあり、聖書の記述のどこまでが正確なのかも不明である。
- 歴代誌下 26:15,16 彼はまた、エルサレムで、技術者の考案した兵器を造った。それは塔や城壁の角の上にあって、矢や大きな石を放つものであった。ウジヤの名は、遠くにまで及んだ。彼が神の驚くべき助けを得て、強くなったからである。ところが、彼は強くなると、その心が驕り高ぶり、身を滅ぼすことになった。彼は自分の神、主に背き、主の聖所に入り、香をたく祭壇の上で香をたこうとした。
- ウジヤについて興味深いことがいくつか書かれている。ウジヤは農業も愛したようである。(10)「神を畏れることを教えたゼカルヤの在世中は、ウジヤも神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を繁栄させられた。」(5)は、悲しいことばでもある。同時に、このような祭司の存在がたいせつであることを述べてもるのだろう。それが、死後にも影響がある教育にはならないのか。
- 歴代誌下 27:2 彼は父ウジヤが行ったように、主の目に適う正しいことをことごとく行った。ただ主の聖所に入ることはしなかった。民は依然として堕落していた。
- 彼、ヨタムに関する記述は長くない。ここでは、民について書かれ、堕落していたとある。民にもいろいろとあるだろうが、なにを意味しているのだろうか。王だけの問題ではないと言っているのかもしれないが、歴代誌は難しい。評価基準が適切かどうかも、考えさせられる。人が判断するのは、難しいし。神様が愛の神様であるなら、評価ということが、適切なのかも考えさせられてしまう。
- 歴代誌下 28:5 それゆえ、その神、主は彼をアラムの王の手に渡された。アラムは彼を討ち、多くの捕虜を連れ去り、ダマスコに引いて行った。さらに、アハズはイスラエルの王の手にも渡され、大きな打撃を被った。
- アハズに関しては、かなり批判的に書かれ、その度合も高い。この次がヒゼキヤではあるが、このときには、アッシリアが非常に強くなってきており、大帝国を築いていた時代でもある。その変化も理解できていなかったのか。知っていて、自暴自棄になっていたか、ここには語られていないこともあるのかもしれない。しかし、16年は重要な期間だったのかもしれない。
- 歴代誌下 29:3-5 彼はその治世の第一年の第一の月に、主の神殿の扉を開き、それらを修理した。また祭司とレビ人を連れて来て、東の広場に集め、彼らに言った。「レビ人よ、聞きなさい。あなたがたは今、身を清めて、あなたがたの先祖の神、主の神殿を清め、聖所から汚れを除き去りなさい。
- ヒゼキヤは、アハズの子ではある。母親は、ゼカルヤの娘とある、祭司の家系(24:20-22, 26:5)なのかもしれないが、正確にはわからない。まずは、神殿を清めるところから始める。民はどのような状態だったのだろうか。あまりよくはわからない。
- 歴代誌下 30:6 急ぎの使いは王とその高官たちから託された手紙を持って、全イスラエルとユダに行き、王の命じたとおりに言った。「イスラエルの人々よ。アブラハム、イサク、イスラエルの神、主に立ち帰れ。そうすれば主は、アッシリアの王たちの手から逃れて生き残ったあなたがたのもとに帰って来てくださる。
- ヒゼキヤの時代ではるが、いつのことだか書かれていない。しかし、引用句から、すでに、アッシリアによってイスラエルが蹂躙されてからのことのようである。最後を見ると、「エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代以来、このようなことはエルサレムになかった。」(26)とある。ダビデと書かなかったのは、当時は神殿がなかったからか、他の配慮もあるように見える。列王記にはない記述で、実際については、よくわからないが、歴代誌記者は、このような一体感がたいせつだと考えていたのだろう。
- 歴代誌下 31:20,21 ヒゼキヤはユダの全土でこのように行い、彼の神、主の前に良いこと、正しいこと、真実なことを行った。彼は、神殿の奉仕について、律法と戒めについて、主を求めるために始めたすべての事業を、心を尽くして行い、成し遂げた。
- これが歴代誌記者の書きたかったことなのだろう。祭司による適切な礼拝だろうか。しかし、そう単純ではないようにも思われる。このあとに、セナケリブの攻撃が書かれていることを考えると、その前に、このようなことをしたことの重要性を伝えているのだろう。そのような余裕があったのかも考えてします。どうなのだろうか。
- 歴代誌下 32:22,23 こうして主は、アッシリアの王センナケリブの手、およびすべての者の手から、ヒゼキヤとエルサレムの住民を救い、周囲から彼らを守り導かれた。多くの人々が、主のために供え物を、またユダの王ヒゼキヤのために貴重な品々をエルサレムに運んで来た。それ以来、彼はすべての国々から仰ぎ見られるようになった。
- ヒゼキヤに関することは、列王記下18-20章にも書かれている。どちらも、詳細に書かれているが、焦点が異なるようである。歴代誌では「『我々の神、主がアッシリアの王の手から救われる』と言って、お前たちを唆し、飢えと渇きで死なせようとしているのはヒゼキヤではないか。その神の高き所と祭壇を取り除いたのはヒゼキヤではなかったのか。あの者はユダとエルサレムに向かい、『ただ一つの祭壇の前で礼拝し、その上で香をたけ』と言った。」(11,12)などから、前の章に書かれているヒゼキヤの宗教改革に中心が置かれ、列王記では、イザヤのことば(20)が引用され、預言者視点が重視されている。この両面がおそらく、重要で、働きあったのだろうが、編集として興味深い。
- 歴代誌下 33:9-11 だがマナセはユダとエルサレムの住民を惑わせ、主がイスラエルの人々の前で滅ぼされた諸国民よりもさらに悪いことを行うようにした。主はマナセとその民に語られたが、彼らは耳を傾けなかった。そこで主は、アッシリアの王の将軍たちに彼らを攻めさせた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足枷で縛り上げ、バビロンに引いて行った。
- このあとには、悔い改めた様子も書かれている。列王記下21:1-18では、大筋は同じであるが、異なる記述があり、さらに、「マナセの他の事績、神への祈り、およびイスラエルの神、主の名によって予見者たちが語った言葉は『イスラエルの列王の記録』にあるとおりである。」(18)のようなことは、書かれていない。列王の記録と、列王記は異なるのだろうか。歴史の理解は難しく、複雑である。
- 歴代誌下 34:9,10 彼らは大祭司ヒルキヤのもとへ行って、主の神殿に納められた献金を渡した。これは門衛であるレビ人が、マナセとエフライムをはじめとするイスラエルのすべての残りの者、また、ユダの全土とベニヤミン、およびエルサレムの住民から集めたものであった。そしてそれを主の神殿で監督をしている工事担当者に手渡した。主の神殿で働く工事担当者は神殿を修繕し、修理するためにそれを用いた。
- ヨシヤについては、列王記下22-23:30 までに書かれているが、歴代誌下のほうが詳しいように思われる。やはり対照表を作って丁寧にみないと、列王記と歴代誌の関係はよくわからない。なにを目的に読むかにもよるだろうが。ヨシヤのときには、神殿に関わる部分、御言葉に関する部分が適切に行われていたと確認しているように見える。ユダ王国の終わりはもう近いのだが。なぜ、滅びたのかを確認しているようにも見える。列王記はどうなのだろうか。
- 歴代誌下 35:20,21 ヨシヤが神殿を整えたすべてのことの後、エジプトの王ネコが、ユーフラテス川のほとりのカルケミシュで戦うために攻め上って来た。ヨシヤは彼を迎え撃つために出て行った。ネコは使者を送って言った。「ユダの王よ、私はあなたと何の関わりがあろうか。今日上って来たのはあなたに対してではなく、私が戦っている家に対してである。神は私に急ぐよう命じられた。私と共にいる神に逆らうのはやめなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる。」
- ヨシヤは世界の状況について十分理解していなかったということか。国内を治めることに全力を注いでいたように見える。このときには、すでに、アッシリア帝国は滅び、(新)バビロニア帝国が力を持ってきたときなのだろう。アラムなど、ほかの勢力はどうなっていたのだろうか。わたしも詳しく見る必要がある。
- 歴代誌下 36:6,7 彼のもとに、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来て、彼を青銅の足枷につなぎ、バビロンに連行した。ネブカドネツァルは主の神殿の祭具もバビロンに運び去り、バビロンにある彼の宮殿に納めた。
- 引用句はヨヤキム(元の名はエルヤキム)についてであるが、この前のヨアハズは、エジプトに連れて行かれている。世界の状況の変化を感じる。その中で、ユダにできることはあったのだろうか。歴代誌の歴史観をどう評価したらよいのだろうか。難しい。
エズラ記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.7.21-2-7.26-1)
- エズラ記 1:5 ユダとベニヤミンの親族の頭、祭司やレビ人など、神に霊を奮い起こされた人々は皆、エルサレムにおられる主の神殿を建てるために帰還しようと立ち上がった。
- この人たちはたしかに実際をあまりしらずに、旅立っていったのだろう。同時に、9節以降にある、神殿の祭具などは、キュロスにとって、重要ではなかったのだろうか。キュロスについては、やはり他の歴史的資料からも学んでみたい。どのような背景があるのだろうか。
- エズラ記 2:62 ホバヤ、ハコツ、バルジライの一族は、自分たちの系図が書かれたものを捜したが見つからず、祭司職を剝奪された。
- 捕囚前に、どのような状況であったのかはわからないが、主に従わない王が多かったことを考えると、祭司職についても、不安定な状況が続いていたのだろう。捕囚の二世代または三世代ぐらいの間に、これらのひとたちの系図が失われたとは思えない。とはいえ、捕囚帰還のひとたちの前途も困難なのだろうが。
- エズラ記 3:3 彼らはその地の民に恐れを抱いていたので、元の土台の上に祭壇を築き、そこで主への焼き尽くすいけにえ、朝と夕の焼き尽くすいけにえを献げた。
- 帰還した、このひとたちの生活はどのように支えられていたのだろうか。ある程度、その地の民から、食料などを買うことはできたかもしれないが、それが十分できたとも思えない。その地の民との軋轢があれば、生活の基盤を得ることは困難である。急に、42360人(2:64)、もしかすると、これは、成人男性だけかもしれないが、土地のひとにとっては、かなりの脅威でもあったろう。なにかの情報は残っていないのだろうか。
- エズラ記 4:8 アルタクセルクセス王に宛てて、長官レフムと書記官シムシャイはエルサレムに関する一通の書簡を書き送った。
- この章には、神殿建設中止に至る嘆願書について書かれている。王もキュロスから代わっているようだし、バビロンにも、ユダヤ人がたくさん残っていたと思われるので、継続的に神殿建設をするのであれば、丁寧にことを運ぶ必要もあったように思う。許可が一回得られればそれでよいと考えるのではいけないだろう。同時に、ある程度の人数とはいえ、アッシリアによって連れてこられたひとたちが住んでいる土地でもあり、その人たちとの関係は、絶対的に重要であったろう。それが困難だったということだろう。日常生活については書かれていないので、情報が不足しているが。
- エズラ記 5:12 ところが、私たちの先祖たちが天の神を怒らせたため、神は彼らをカルデア人であるバビロンの王、ネブカドネツァルの手に渡されました。王はこの神殿を破壊し、民を捕囚としてバビロンに連れ去りました。
- アケメネス朝ペルシャの時代、おそらく、ダレイオス3世の時代まで、神殿建設が中止されたのだろう。ペルシャとギリシャが戦っていた時代でもある。世界史的に、大きな動きがあったのだろう。信仰のことが語られている。なにをたいせつに生きるかは本当に難しいとも感じさせられる。祭司集団などがしっかりしていたからだろうか。他の文書で当時の様子を知ることができればよいのだが。
- エズラ記 6:8,9 この神殿を再建するために、あなたがたがユダヤ人の長老たちになすべきことについて、私は命令を下す。その経費は、アバル・ナハラ州からの税収による王の資産から、これらの人々に確実に支払われるようにし、滞ることのないようにしなさい。また必要なもの、すなわち、天の神に焼き尽くすいけにえとして献げる若い雄牛、雄羊、小羊、それに小麦と塩、ぶどう酒と油が、エルサレムにいる祭司の提言どおり、日々彼らに支給されるようにし、手抜かりのないようにしなさい。
- おそらくこれは、望んでいた以上の結果だったろう。バビロンの側にも、エズラやネヘミヤのような、王につかえるユダヤ人がいたのかもしれない。このあとに、捧げ物のリストもあるが、これも、このように支給されたものだろうか。たくさんの、家畜を持っていたとは思えない。それでよいのかは、簡単には、判断できないが。
- エズラ記 7:25,26 エズラよ、あなたに委ねられた神の知恵によって、アバル・ナハラ州のすべての民のために統治者や裁判官を任命しなさい。神の法を知るすべての者を指導し、知らない者にはあなたがたが教えなさい。あなたの神の律法と王の法律に従わない者は皆、あるいは死刑、あるいは流刑、あるいは財産没収、または投獄によって、厳格に処罰されなければならない。」
- エズラは律法に精通した書記官(6)とある。適任と言えるだろうが、このような書簡を得ることができたということは、王の十分な信頼を得ていたということだろう。ネヘミヤや、ダニエル書で描かれている状況が背景にあったのかもしれない。詳細は不明だが。
- エズラ記 8:18-20 神の恵み深い手が私たちの上にあったので、彼らはイスラエルの子レビの子であるマフリの一族のシェレブヤという聡明な人物を、息子たち、兄弟たち十八人と共に連れて来た。さらに、ハシャブヤと共に、メラリの一族のエシャヤとその兄弟たち、彼らの息子たち二十人、また、神殿に仕える者、すなわち、レビ人に奉仕するようにとダビデと高官たちが定めた者として二百二十人を連れて来た。彼らは皆、指名された者であった。
- レビ人がまったくいなかったのかどうか不明、また、エルサレムを中心とした地域にもある程度いたと思われるが、ここでは、何人が集まったのかもよくはわからない。「レビ人に奉仕するようにとダビデと高官たちが定めた者」は、レビ人ではないのだろう。すると、38人となる。レビ人がすべきことは多かったと思われるが、これで良いとしたのだろうか。レビ人は、下級祭司、生活も良くなかったのかもしれない。
- エズラ記 9:9 確かに、私たちは奴隷です。しかし、神は奴隷の身の私たちを捨て置かれず、ペルシアの王たちの前で私たちに慈しみを示されました。それは私たちに生きる力を与えるため、私たちの神の宮を再建するため、廃虚を復興するため、ユダとエルサレムで私たちに城壁を与えるためでした。
- キュロスがなぜ解放し、ユダヤ帰還を許可したか不明だが、基本的に、アケメネス朝ペルシャは、首都がスサなどでバビロンが首都ではないから、征服した国の首都の人などを解放したのかもしれない。エズラなどがどこにいたのかもはっきりしない。8章の最初には、バビロンから帰還となっている。ネヘミヤなどは、また別なのだろうか。捕囚民がどのような町にいたかの記録はあるのだろうか。
- エズラ記 10:1,2 エズラが神殿の前で祈り、泣き伏して罪を告白していたとき、彼のもとにイスラエルの男、女、子どもたちが集まって来て、非常に大きな会衆となった。こうして民は激しく泣いた。エラムの一族であるエヒエルの子シェカンヤはエズラに言った。「私たちは神に対する背信の罪を犯し、この地の民である外国の女と結婚しました。しかし、この件についてイスラエルには希望があります。
- 外国の女との結婚、子どもを設けていたことについてである。歴史を見ると、王が、そのようなことをしたことが、国の乱れにつながっていたということはある程度は正しいかもしれないが、長く、土地に住んでいたものすべてに、離婚を勧めるなど、わたしには、理解できない。これも、エズラ記、歴代誌の神観、歴史観なのだろう。難しい。
ネヘミヤ記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.7.26-2-8.1)
- ネヘミヤ記 1:8,9 どうか、あなたの僕モーセに命じてこう言われたことを思い起こしてください。『あなたがたが背信の罪を犯すならば、私はあなたがたをもろもろの民の中に散らす。だが、私に立ち帰り、私の戒めを守り、それらを行うならば、追いやられている者が天の果てにいるとしても、私はそこから彼らを集め、私の名を置くために選んだ所へと連れて来る。』
- スサにいるネヘミヤの祈りである。離散した民にとって、書かれた律法が重要だったのだろう。神の約束は、そのなかで最も注意すべきことであったことは理解できる。主の御心を受け取るのは難しく、一般化は、問題も生じるが。
- ネヘミヤ記 2:7,8 さらに、私は王に言った。「もし王様が良しとされますならば、私がユダに着くまで、私を通過させるようにと、エベル・ナハル地方の長官たちに宛てた書状をくださいますようお願いいたします。また、神殿の城塞の門に梁を置くため、町の城壁のため、私が入る家のため、木材を私に与えるよう、王の森林を管理するアサフに宛てた書状もくださいますようお願いいたします。」神の恵み深い手が私の上にあったので、王は私に許可を与えた。
- 「もし王様が良しとされ、僕があなたの前に好意を得ますならば、私をユダに、先祖の墓のある町に遣わしてください。町を再建したいのです。」(5)というのは、勇気が必要だったろう。同時に、引用句を見ると、かなり周到に計画をしていたようにも見える。ここは、スサであり、バビロンではないことも、考えておく必要があるだろう。バビロニアが破壊したものを、信頼できるものが、再建することには、大きな異議がなかったのだろう。この背景に、信頼の構築があったこと、おそらく、それは、ある程度の時間がかかっていたことも考えるべきであろう。
- ネヘミヤ記 3:36,37 私たちの神よ、お聞きください。私たちは辱められています。彼らのそしりを彼らの頭上に返し、捕囚の地で略奪を受けるようにしてください。彼らの過ちを覆わず、彼らの罪を御前から消し去らないでください。彼らは再建する人々を侮辱したのです。
- 神に向かった心による正しさから、敵を愛するようになるには、なにが必要なのだろう。わたしは「あなたのことを教えて下さい」と、神が愛される他者として、そのひとのうちに、神の働きを知ろうとすること、個人として、Welcome しながら、信頼関係を気づいていくことと、表現しているが、実践はむろん、そう簡単ではない。それは、どのようにして実現できるのだろうか。試しながら、考えていきたい。
- ネヘミヤ記 4:4,5 しかし、ユダは言った。「荷役の力は衰え、瓦礫の山はおびただしい。城壁を再建するなど、私たちには不可能だ。」我々の敵は言った。「気付かれず、見つからないように彼らの中に入り込んで、彼らを殺害し、工事をやめさせよう。」
- ユダと書かれているのは民を代表させているのだろう。主要なひとたちはユダだったのかもしれない。いずれにしても、これに対抗するネヘミヤの策をみると、民の組織の仕方、また部下の使い方など、ネヘミヤがいなければ、ことはならなかったのだと思わされる。引用句にもあるが、困難な状況だったのだろう。
- ネヘミヤ記 5:6-8 彼らの叫びとこれらの訴えの言葉を聞いて、私は大いに怒り、よく考えた末、貴族と役人を責めて、彼らに言った。「あなたがたは同胞どうしで利息を取り合っている。」私はまた大きな集会を召集して、言った。「私たちは異国の民に売られていた同胞のユダヤ人をできるかぎり買い戻した。それなのに、あなたがたはその同胞を売ろうというのか。彼らは私たちに売られることになるのに。」彼らは黙り込み、一言も発せなかった。
- ネヘミヤが率先して、この問題についても、解決しようとしていることが見て取れる。ネヘミヤ書の成り立ちも気になるし、このあと、「同胞どうしで利息を取り合」うことだけを悪しきこととして、高利貸しとなっていくユダヤ人を思うと、ことは簡単ではないことも確かだが、この節につづく「あなたがたのしていることは間違っている。私たちの敵である異国の民にそしられないように、私たちの神を畏れて歩むべきではないのか。」(9)は、印象的である。
- ネヘミヤ記 6:17,18 またその頃、ユダの貴族たちは頻繁にトビヤに手紙を送り、トビヤも彼らに返事をしていた。トビヤはアラの子シェカンヤの娘婿であり、彼の子ヨハナンはベレクヤの子メシュラムの娘をめとっていたので、ユダの多くの人が彼と誓約を結んでいたのである。
- 名前が登場する一人ひとりについて正確にはわからないが、トビヤは、この章の冒頭にも登場する「サンバラト、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他私たちの敵」(1)とあるうちの一人のトビヤだろう。おそらく、ユダの貴族と婚姻関係を結んでいたことを証言しているのだろう。ユダヤ系かどうかは不明だが、このことも、かなり複雑である。捕囚帰還の民にも貴族などがおり、おそらく、持っている富もかなり異なったのだろう。ここで、一致するのは、難しい。そして、ネヘミヤも王に報告はしていただろうが、信頼の深さが鍵だったようにも思う。それは、日常的に、どのように仕えていたかだろうか。
- ネヘミヤ記 7:4,5 町は両側に広がり、大きかったが、その中に住む民は少なく、再建された家屋はなかった。神が私の心に指示を与えたので、系図を作成するために、私は貴族と役人と民を集めた。その折に、私は最初に帰還した人々の系図の書を発見した。そこに次のように記録されているのを発見した。
- 城壁ができ、門がつけられても、中身はまだまだだったと言う事だろう。このことに対応するため、まず、系図を作成している。部族、家族ごとに、まとまりを理解したかったのだろう。しかし、統治はそう簡単ではない。ネヘミヤは献酌官とあるが、ほかにも、様々な仕事をして、王に直接仕える職についたのかもしれない。そうであっても、かなり困難な仕事であるとお思われる。
- ネヘミヤ記 8:1 民は皆、水の門の前にある広場に一丸となって集まった。彼らは書記官エズラに、主がイスラエルに授けられたモーセの律法の書を持って来るように言った。
- ネヘミヤはペルシャから遣わされた総督、エズラは書記官をしていたようだが、学者、宗教指導者、しかし、ここには、王はいない。貴族はおり、王になりたいものは、いたのかもしれない。しかし、宗教行事を、エズラや、祭司、レビ人の指導のもとで行ったのだろう。律法の書を朗読し、仮庵祭を守る。民主導である。国なしに、宗教活動をしているとも言える。新しい形だったのかもしれない。なにが問題だったのだろうか。考えてみたい。
- ネヘミヤ記 9:1-3 その月の二十四日に、イスラエルの人々は集まって断食し、粗布をまとい、土をかぶった。イスラエルの血筋の人々は立ち尽くし、すべての外国人との関係を離れ、自分たちの罪と先祖の過ちを告白した。彼らは自分たちの場所に立ち、その日の四分の一は、彼らの神、主の律法の書を朗読し、また四分の一は、罪を告白し、彼らの神、主を礼拝した。
- このあと、祈りによる罪の告白が続き、次の章で、誓約について書かれている。新しい、宗教集団が作られたことを意味するのだろう。エズラたちが主導ということだろうか。背後でネヘミヤのようなひとが支え、民が従ったということだろうか。ここに至るには、ネヘミヤのリーダシップは重要だったと思われるが、どのように組織が作られていくのだろう。興味を持った。エズラ記7章1-6節によると、エズラは、アロンに続く、大祭司の家系であることが書かれている。
- ネヘミヤ記 10:29,30 このほかの民、祭司、レビ人、門衛、詠唱者、神殿に仕える人々、その地の民から離れて神の律法のもとに集ったすべての人、彼らの妻、息子、娘、理解のできるすべての人は、彼らの同胞の有力者たちに賛同し、神の僕モーセを通して与えられた神の律法に従って歩み、私たちの神である主の戒めと法と掟をすべて守り行うことに同意し、誓約するものである。
- このあとに、守るべきことの要点が書かれその第一として「私たちは娘をこの地の民に嫁がせず、彼らの娘を私たちの息子の妻に迎えない。」(31)となっている。主の戒めと法と掟を守り行うことを約することは、よいことだと思うが、これが、裁きにつながるとすると、問題も感じてしまう。それが、まずは、自分たちを律することだったのだろう。おそらく、形式的には、守れるひともいたことだろう。難しい。
- ネヘミヤ記 11:20 イスラエルの他の人々、祭司、レビ人は、ユダのすべての町で、それぞれ自分の受け継ぐべき地に住んだ。
- このあとの記述をみると、かならずしも、捕囚前に割り当てられた土地とは限らないようだが、このときすでに定住していたひとたちもいたであろうから、問題も起こったのではないだろうか。そのことは、書かれていないので、不明としか言えない。十人に一人ずつエルサレムに住み(1)ほかは、それぞれの地に住んだようである。このときは、軍隊も率いている、ネヘミヤが総督なので、ある程度の強制力も会ったのかもしれない。やはり、他の視点からの歴史も必要であるように思う。
- ネヘミヤ記 12:47 ゼルバベルの時代とネヘミヤの時代のイスラエルの人々は皆、詠唱者と門衛のその日一日の分を提供し、レビ人には聖なる献げ物を与え、レビ人はアロンの子らにその聖なる献げ物を分け与えた。
- 城壁が完成して、その奉献式の様子が書かれ、最後がこの節である。これでは、レビ人たちは、不十分であったと思われるが、できることは限られていただろう。もっと情報がほしいが、他の聖書箇所と比較すると、情報がたくさん書かれているようにも思った。ネヘミヤ記も興味深い。
- ネヘミヤ記 13:25,26 私は彼らを責め、呪い、その幾人かを打ち、その毛を引き抜き、神にかけて誓わせた。「あなたがたの娘を彼らの息子に嫁がせてはならない。彼らの娘をあなたがたの息子の妻に、またはあなたがた自身の妻に迎えてはならない。イスラエルの王ソロモンは、これらのことで罪を犯したのではなかったか。多くの国の中でも彼のような王はおらず、彼は神に愛され、神は彼を全イスラエルを治める王に立てられた。その彼でさえも、外国の女たちによって罪へと引き込まれてしまった。
- ソロモンの過ちが背景にあることがここでも確認できる。しかし、これが、ネヘミヤ記の最後の章であることは、とても残念である。トビヤなどがしたことの粛清や、安息日など、掟に従っていなかったことの発見とそれを正すことをしているが、おそらく、そう簡単ではないのだろう。どうして行ったら良かったのだろうか。
エステル記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.8.2-8.6)
- エステル記 1:3,4 その治世の第三年に、すべての大臣および家臣たちのために酒宴を催した。ペルシアとメディアの軍人、貴族たちおよび諸州の高官たちも王の前にいた。王は王国の輝かしい富と、偉大な誉れと威光を示し、それは百八十日に及んだ。
- クセルクセス(Xerxes)は、ペルシア帝国の王で、アケメネス朝の第4代の王、在位期間は、紀元前486年頃から紀元前465年頃まで、ダレイオス1世の子で、エジプトの反乱を鎮圧し、ギリシャにも遠征、サラミスの海戦で敗れとある。半年も酒宴をしていては、判断がおかしくなるように思う。威光を示すとうことなのだろうが、なんとも悲しい人間の性でもある。
- エステル記 2:21,22 その頃、モルデカイが王の門に座っていると、王の部屋の入り口を守る王の二人の宦官ビグタンとテレシュが、怒りに任せてクセルクセス王を討とうと謀っていた。モルデカイはそのことを知ると、王妃エステルにこれを告げた。エステルはモルデカイの名を挙げて、これを王に話した。
- この事件も、エステルの信用を増すことになっただろう。あまり、関係のない事件がはいっていることを考えると、かえって重要なのかと思う。(6:1-3参照)
- エステル記 3:15 急ぎの使者は王の命令によって迅速に出て行った。スサの都でこの法が発布されたとき、王とハマンは座して酒を飲んでいた。この時、スサの都は騒然となっていた。
- なんと、傲慢なのだろうか。しかし、これも、ひとの性なのかもしれない。それが、少ないひとたちに権力が集中する中で起こると、問題が大きいと言うことなのだろう。神様の働きと簡単にことを片付けたくないが、主が望まれることを考えていきたい。
- エステル記 4:1,2 モルデカイは事の一部始終を知ると、衣を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、都の中に出て行って、大きな声で苦しみに満ちた叫びを上げながら、王の門の前まで来た。粗布をまとって王の門に入ることは禁じられていた。
- 「一部始終」とあるが、なぜこのようになったか、その背景にモルデカイがハマンに跪かず、ひれ伏さなかったことがあることも知ったのだろうか。一般的には、そのような状況では、モルデカイ批判も起こるように思われる。それとも、ユダヤ人は、そこまで強固な一致を保っていたということだろうか。このようなときの行動は困難である。
- エステル記 5:10,11 だが、ハマンは怒りを抑えて自分の家に帰り、使いを送って親しい者たちと妻のゼレシュを来させた。ハマンは、自分の富の豊かさ、息子たちの多さ、自分が王に重んじられたこと、王が他の大臣や家臣たちより上に自分を昇進させたことを、彼らに余すところなく語り聞かせた。
- 妻のゼレシュについて特別な書き方をしているように見える。このあとの、ゼレシュの助言(14, 6:13)からも、ハマンには、ゼレシュの影響が強かったのかと思わされる。見えていないだけで、様々な弱さを抱えていたのだろう。それを虚栄で打ち消そうとしていたのだろうか。悲しく、寂しい。
- エステル記 6:1,2 その夜、王は眠れなかったので、日々の出来事の記録の書を持って来るよう命じた。それは王の前で読み上げられた。そこには、王の部屋の入り口を守る王の二人の宦官、ビグタンとテレシュがクセルクセス王を討とうと謀り、これをモルデカイが告げたと書かれているのが見つかった。
- 最初の宴会では、願いを言わないで、二回目の宴会に招待するなど、不思議だがそれも、話に非常に適合していて、話はよく作られている。ユダヤ人には痛快な物語だろう。ただ、他のひとには、どうなのだろうか。ユダヤ人は、人々には、どう思われていただろうか。ここからは、わからない。「あなたは、すでにモルデカイに負け始めているのに、もし彼がユダヤ人の子孫なら、あなたは彼に勝つことはできません。あなたは必ず彼の前に敗れるでしょう。」(13b)やはり、他の被征服民族とは、分離して生きていたのだろうか。
- エステル記 7:7 王は憤ってぶどう酒の宴の席を立ち、宮殿の庭へ向かった。ハマンは王妃エステルに命乞いをしようとしてとどまった。王が自分に害を加えることが決定的になったのを見たからである。
- ハマンには、悔い改めが残されていない。この場面は、「その後で、ほかのおとめたちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『よく言っておく。私はお前たちを知らない』と答えた。」(マタイ25:11,12)これが、もっとも小さいもの、それがイエスなのかもしれないとも思う。どうなのだろうか。
- エステル記 8:11 その中で王は、すべての町にいるユダヤ人に、集まって自分たちの命を守り抜き、迫害しようとする民族や州の軍隊を、子どもや女に至るまでことごとく根絶やしにし、殺し、滅ぼし、その財産を奪い取ることを許した。
- これを見ると、ユダヤ人を迫害しようとしていたひとたちは、ハマン以外にいたということなのだろう。はやりその背景が知りたい。ほかには、文書は残されていないのだろうか。
- エステル記 9:22 すなわちユダヤ人が敵からの休息を得た日として、悲しみが喜びに、嘆きが祝いの日に変わった月として、これらを祝宴と喜びの日とし、互いに食べ物を贈り合い、貧しい人々に施しをすることとした。
- 「月」なのか「日」なのか不明である。しかし、内容的には、特別のこととして祝ったということだろう。「ユダヤ人は敵をすべて剣で打ち、殺し、滅ぼし、自分たちを憎む者たちに対してほしいままに行った。」(5)とあり、敵が常にいたことを物語っている。その敵を滅ぼすことが、願いであったことも一面としてあるのだろう。本書が正典に入るのに、時間がかかったようだが、いろいろな背景も想像できる。おそらく、この様な面を否定してはいけないのだろう。そして、これが、聖書の教える中心的なメッセージではないとしても。
- エステル記 10:3 ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王に次ぐ地位に就き、ユダヤ人にとって偉大な者となり、多くの兄弟たちに愛された。彼はその民の幸福を求め、そのすべての子孫に平和を語ったのである。
- モルデカイについての記録は見つかっていないと書いてあるものを以前見たことがある。ユダヤ人にとって偉大な者だったかもしれないが、それが長くアケメネス朝ペルシャの歴史に残らないことも自然であるように思う。キュロスに対する特別な意識はあるにしても、普遍的な価値観として御心を捉えるのは、難しいのだろう。同時に、このようなことなしには、信仰が繋ぎ止められず、普遍性だけを求めていては、愛も非常に限定的なものになってしまうのかもしれない。
ヨブ記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.8.7-8.27)
- ヨブ記 1:1-3 ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけていた。彼には七人の息子と三人の娘があった。また、彼は羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百軛、雌ろば五百頭の家畜を持ち、僕も非常に多かった。この人は東の人々の中で最も大いなる人であった。
- これが「あなたは私の僕ヨブに心を留めたか。地上には彼ほど完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけている者はいない。」(8)の一つの根拠かつ設定なのだろう。このあとにも、「私一人が、あなたにお知らせするために逃れて来たのです。」(15,16,17,19)が同文で繰り返されていることからも、論理的な設定であると仮定してよいだろう。さらに「このような時でも、ヨブは罪を犯さず、神を非難しなかった。」(22)も同様だろう。哲学的問だと考えてよいのだろう。
- ヨブ記 2:12 遠くから目を上げて見ると、それがヨブであると見分けることもできなかった。彼らは声を上げて泣き、それぞれ上着を引き裂き、天に向かって塵をまいて自分の頭の上に散らした。
- 三人の友人も肉体的な苦しさは見て取れたということなのだろう。やはり痛さは、ものの損失ではないのかもしれない。「皮には皮を、と言います。人は自分の命には、すべてを差し出します。あなたの手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってごらんなさい。彼は必ずや面と向かって、あなたを呪うに違いありません。」(4,5)これについては、もうすこしゆっくり考えたい。
- ヨブ記 3:3 私の生まれた日は消えうせよ。/男の子を身ごもったと告げられた夜も。
- 自分の生まれた日を呪うということは、人生全体を呪うことである。なかったほうが良かったと。それはとても悲しい。しかし、これは、そのことを主張しているのではなく、それだけ、いまが辛いことを伝えているのだろう。「死を待ち望んでも、それは来ない。/彼らは隠された宝よりも死を求めている。」(21)や「私は安らかではなく、憩うことはない。/私に休息はなく、心は乱されている。」(26)もそれを表しているのだろう。そうであっても、死を選ばない。それは、問うこころ、探求する信仰心の発露とも言えると思う。「恐れていたことが私に起こった。/恐怖が私を捕らえた。」(25)は、何を伝えているのだろうか。やはり、祝福をうけていたときにも、何らかの不安があったということだろうか。
- ヨブ記 4:3-5 あなたは多くの人を諭し/その萎えた手を強くした。あなたの言葉はつまずく者を起こし/弱った膝に力を与えた。しかし今、あなたにそれが降りかかると/あなたは耐えられない。/それがあなたの身を打つと、あなたはおびえる。
- 前章のヨブのことばをそのまま取っているのだろう。問う姿勢のヨブはやはり信仰者であると思う。エリファズにとっては、神のような存在が、信仰者なのかもしれない。わたしも、いろいろな方の相談を受けたり、悩み苦しんでいると見える方と話そうとしているが、それは、教えることが目的ではなく、そのひとの苦しみ、そのひとの悩み、神様への問いをともに考えたいと思うからである。ヒントを受け取ってくださる方が、あるがそれも、わたしの言葉からではなく、ともに考え、真理を求め、神様に問う中で、その人が見出しているのだと思う。
- ヨブ記 5:1 呼んでみてほしい。/あなたに答える者がいるだろうか。/あなたは聖なる者たちの誰に向かおうとするのか。
- エリファズは、ヨブを責める。神は、因果応報、勧善懲悪で、もし、状況に問題があれば、その人に問題があるとする。しかし同時に、「神は貧しい人を彼らの剣の刃から/強い者の手から救い出す。それゆえ弱い人にも希望があり/不正はその口を閉ざす。」(15,16)とも語り、必ずしも、望ましいことばかりが世の中にあるとはせず、希望も語っている。現実を見る目は、それが現実なのだから、あまり変わらないのかもしれない。しかし、生き方は変わってくる。神の働きをどうみるかによってだろうか。難しいことも多くはらむ。冷静に読んでいきたい。
- ヨブ記 6:2-4 どうか、私の憤りが正しく量られ/私の災いも一緒に秤にかけられるように。今、それは海の砂よりも重い。/そのために、私の言葉は激しいのだ。全能者の矢が私に突き刺さり/私の霊はその毒を飲んだ。/神の脅威が私に向けて陣を構えている。
- 神様と正面から向き合おうとしていることが伝わってくる。それが信仰者の態度だと考えられていたのだろう。しかし、同時に、一般恩寵など、他者に対する神様の働き、社会性のようなものは、薄かったのだろうか。エリファズへの言葉も心に響く。「私に教えてほしい、そうすれば沈黙する。/私がどんな過ちを犯したか/私に悟らせてほしい。」(24)明確ではない理由で、たんに憶測で、実際に苦しんでいる人を前に、語ることがどれほど残酷かということだろうか。答えが無い問いでもあり、難しい。
- ヨブ記 7:1-3 地上の人には苦役があるではないか。/その日々は雇い人の日々のようではないか。奴隷のように日陰をあえぎ求め/雇い人のようにその賃金を待ち望む。そうだ/私は空しい月日を受け継ぎ/労苦の夜が割り当てられた。
- 他者における、苦役の期間なのだろうということは、認識している。しかし、続けて、「思い起こしてください/私の命が息にすぎないことを。/私の目は再び幸いを見ることはありません。」(7)などと、人は、息にすぎないこと、苦難の意味を主が教えようとするときには自分はいないということを告白する。ここで、死後の世界に望みをおくことは、安易すぎるように思う。苦しさは、その苦しさの中での安らぎによってはじめて癒やされるもの、また、信じよと言われても、確信をもつことも、その苦しみの中では難しいだろう。やはり苦悩を、苦悩として受け入れることが基本だろう。それが自分のことであっても、他者のことであったも。
- ヨブ記 8:20,21 見よ、神は完全な者を退けない。/悪をなす者の手を強くしない。ついには、神はあなたの口を笑いで満たし/あなたの唇に歓喜の叫びを溢れさせる。
- ビルダドも因果応報からはじめ、最後は引用句に行きつく。おそらく、待てということなのだろう。正義は行われると。しかし、これも、苦しみの中にいるひとには、限界があるように思われる。ただ、ビルダドのことばは、短く、わたしも十分理解できているかわからない。特に、三人の友人のことばとそれに対する、ヨブの応答を中心に置くなら、異なるアプローチが三人に課せられていると思われるが、そこまでの違いを感じない。わたしが、まだよく理解していないということなのだろう。
- ヨブ記 9:21,22 私が完全なのかどうか/もう私自身にも分からない。/私は生きることを拒む。すべて同じことなのだ。/それゆえに私は言う/「完全な者も悪しき者も神は滅ぼす」と。
- このあとには「私はすべての苦痛を恐れている。/あなたが私を罪なき者とはしないことを/私は知っています。」(28)ともある。正しさを求めて読むのではなく、この苦痛・苦悩を受け取るのが良いのだろう。「わからない」と正直に告白している。これこそが人間なのだろう。神の主権のもとで、どう生きるか。非常に難しい問いである。安易な応答をしないようにしたい。問として受け止めて。
- ヨブ記 10:16,17 私が頭を持ち上げると/あなたは獅子のように私を追い詰め/私に対し、驚くべき業で応えられます。あなたは私の前に新たな証人を呼び/私に向かって怒りを募らせ/私に向けて次々に苦役を課せられます。
- わたしは、これほどの苦痛を苦悩を味わったことがない。それほど、追い詰められ、生きていることができず、生まれたことをも呪うことはできない。ただ、この違いをどう考えたら良いのかは、明確とまでは言えない。批判もできないが、わたしも、どうしたら良いのかもわからない。誠実に、世の中の、苦しむ人から目を背けず、生きていきたい。
- ヨブ記 11:2,3 言葉を多くすれば、反論されずに済むだろうか。/口達者な者が正しいとされるのか。あなたの空しい話は人々を沈黙させるだろうか。/あなたに嘲られて、恥をかかずに済むだろうか。
- わたしは、ナアマ人ツォファルのようには、語らないが、わたしとて、ヨブのよき理解者ではない。そして、主のなさることを理解できるわけではない。苦悩をともにすることは、困難であり、その人を理解することはできないし、その背後にあるものに思い巡らすこともできないということか。次のヨブの応答もしっかり読みたい。
- ヨブ記 12:2 確かに、あなたがたは優れた民である。/しかし、あなたがたと一緒に知恵も死ぬだろう。
- 丁寧な応答は難しいように思う。神が超越した方であることが、語られている。神が愛であると、告白できる人は幸いだが、みながそう言えるわけではないだろう。そんなとき、神を呪う人の前で、何が言えるのだろうか。祈る以外にでいることはない。神と人との間だけではなく、人と人との間は、さらに複雑だと感じさせられる。イエスは、互いに愛し合いなさというなかで、なにをわれわれに願っているのだろうか。
- ヨブ記 13:8,9 あなたがたは神に取り入って/神のために言い争うのか。神があなたがたの内を探ってもかまわないのか。/あなたがたは人を欺くように、神をも欺くのか。
- 友人たちと、ヨブとの違いは、主と直接的に、向き合っているかどうかだろう。友人たちは、主、神から受け取ったと考えることを、他者に向けて入るが、受け取ったと思うことを、さらに深く理解するために、神に問うことは、していないように見える。背景に、苦しみがあるかどうか、生きている状態の違いもあるのかもしれない。ヨブには、必死さがあるのだろう。安定して豊かであったときに、ヨブがこのように真剣に求めていたかどうかは不明である。難しい。わたしは、どうなのだろうか。
- ヨブ記 14:7-10 木には望みがある。/たとえ切られても、また芽を出し/その若枝は絶えることがない。たとえその根が地中で古び/幹が土の上で死んでも 水気に会えば芽を吹き/苗木のように枝を伸ばす。しかし、人間は死ねば横たわる。/人は息絶えれば、どこにいるのか。
- 木と人間の違い、死んだらおしまいという意識が強い。「もし人が死ねば、また生きるでしょうか。/そうであれば、解き放たれる時が来るまで/すべての苦役の日々を忍んで私は待ちましょう。」(14)しかし、これは、人との関係で、人間を捉えていないからのように思う。わたしも、単なる正しさで書いていることは確かだが。神との関係の中で生かされるものは、神が愛される、人との関係の中で、生かされていることも確かだろう。そして、それは、永遠に関わることでもある。新しいいのちに生きるかどうかまではわからないが、イエスが「『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」(マルコ12:26b,27a)というとき、それは、イエスが、この人たちと対話をして生きている実感があったということを意味するように思う。
- ヨブ記 15:2-4 知恵ある人は風にすぎない知識で答え/東風で自分の腹を満たすだろうか。無益な言葉で論じ/役に立たない議論をするだろうか。あなたは神への畏れを捨て/神の前で祈ることをやめている。
- 答えられない神の前では、神に問う姿勢を示していても、それは、無益な言葉、役に立たないのではないかとの批判は、十分理解できる。それに対するのは、聖書の証言なのだろうか、または、信じるイエスの教えだろうか。あるいは、超自然的な応答を受け取ることだろうか。難しい。結局は、そのように、求め続ける中で、みこころにそった生き方ができるかということだろうか。これも、難しい。
- ヨブ記 16:20-22 私の友は私を嘲るが/私の目は神に向かって涙を流す。この方が神に向かって人のために/人の子とその友の間に立って/弁護してくれるように。僅かな年月が過ぎ去れば/私は帰らぬ道を行くだろう。
- これほど、苦しくても、神が、意識され、神に向かって嘆いている。そして頼るのは、神のみである。不適切なことがあったとしても、これが、信仰者の姿勢だとは思う。しかし、同時に、ここには、強い意志が必要であり、それなしには、この姿勢を続けられないようにも思う。それを、支えてくださっていると信じるのだろうか。正直、よくわからない面も多い。
- ヨブ記 17:13-16 もし、私が陰府をわが家として望み/闇に寝床を広げ 墓穴に向かって、「あなたはわが父」と呼び/蛆に向かって、「わが母、わが姉妹」と言うならば 私の望みは一体どこにあるのか。/誰が私の望みを見つけるだろうか。それは陰府に下り/私たちは皆、共に塵の上に横たわる。
- ヨブの苦しい訴えが伝わってくるが、わたしは、死をそのようには、捉えていない。人の命をどう捉えるのかが違うのか。では、ヨブが望んでいたのはどのようなことなのだろうか。だんだん、それが心配になってきた。正しいそして謙虚な生き方が幸せにつながっていく生き方なのだろうか。正直、わたしには、わからない。
- ヨブ記 18:1,2 シュア人ビルダドは答えた。いつまで、あなたがたは/言葉の罠を仕掛け続けるのか。/まず悟りなさい。それから私たちは語ろう。
- どうも、ますます、わからなくなってきた。三人と、ヨブの断絶はどんどん深くなっていく。違いを乗り越える方向には行かない。それが、ヨブのそして、ヨブ記者の伝えたかったことなのだろうか。もうすこし、考えながら読み続けたいが。
- ヨブ記 19:23,24 どうか私の言葉が書き留められるように。/どうか碑文に刻まれるように。鉄の筆と鉛によって/永遠に岩に彫られるように。
- ヨブの嘆きが続くが、引用句には、このまま滅びるとしても、生きた証を残していきたいと言っているようにみえる。ヨブが証、ある人が誠実に生きた証は残るのではないだろうか。その人が望んでいるような形でかどうかはわからないが。わたしは、それを信じているように思う。そのわたしと、共に生きる人達が、残されていくように思う。このつぎには「私は知っている。/私を贖う方は生きておられ/後の日に塵の上に立たれる。」(25)と続くが、これが信仰なのだろう。たとえ、ヨブや、わたしが、生きている間に、贖う方と見えることがなかったとしても。
- ヨブ記 20:7-9 彼は自分の汚物のように永遠に消えうせ/彼を見たことのある者は言うだろう/「彼はどこにいるのか」と。彼は夢のように飛び去って/見いだされることはなく/夜の幻のように消え去る。彼を見た目は再び彼を見ることはなく/彼のいた所はもはや彼を認めない。
- 「悪しき者の喜びは短く/神を敬わない者の楽しみは/つかの間にすぎないのだ。」(5)に続いているので、主語「彼」は、悪しき者だろう。しかし、では、悪しき者でなければ、違った存在なのか。わたしは、現世利益がその人の評価ではないこと、そして、死は、良いものにも、悪いものにも臨むことを考えれば、引用句も、だれにとっても、同じことのように思われる。しかし、わたしは、人と人との関係、ひとと神との関係は、やはり違ったものではないかと思う。たとえ、常に応答が得られるわけではない。その応答には、時間がかかるかもしれず、それをその人は、受け取れないかもしれないが。
- ヨブ記 21:25,26 しかし、ある者は魂の苦しみを抱いて死に/幸せを享受することがない。彼らは等しく塵に伏し/蛆が彼らを覆う。
- ヨブの大きな問いは、ここにあるように思う。しかし、それは、やはり、祝福を望む、おそらく、それよりも、神の義を求める姿勢なのだろう。それは、基本的に、正しいが、その中に自らを置き、希望を抱くことだろうか。神との協働である。イエスも、そこまで語っているかどうかは、不明だが。
- ヨブ記 22:2,3 人は神にとって益となるだろうか。/悟りある者も自分を益するだけだ。あなたが正しいとしても/それが全能者を喜ばせるだろうか。/あなたの道が完全でも/それが神の利益になるだろうか。
- 一通りの解釈はできないが、この観点は、興味深い。たしかに、神は十全、人がなにか神のためにするのではないというのはひとつの考え方だろう。わたしは、そう考えていないわけだが。ただ、正しさが自らの益となる部分は、すぐには、受け入れられない。神とともに生きる、神に生かされている自らを生きる、そのような隣人と共に生きる、相互に関係し合っているが、いずれも、簡単ではない。
- ヨブ記 23:10 しかし、神は私と共にある道を知っている。/その方が私を試せば、私は金のように価値を現す。
- ここから神との交わりについて書かれている。私が神とともにある道ではなく、神が私とともにある道を知っているとあり、その応答がヨブの人生だということは、理解できる。ここに至ってきたのだろうか。それとも、混在しているのだろうか。
- ヨブ記 24:1 全能者は時を隠していないのに/なぜその方を知る者が/その日を見ることができないのか。
- ヨブは、その日を見る、希望を持っているということなのだろう。それでは、自分の苦難の意味が理解できないということなのだろうか。ひとは、全能者について、ほんの僅かしか知らない。その方を知るものとは、言えないのだと思う。まさに、探求が委ねられているのではないだろうか。
- ヨブ記 25:6 まして、人は蛆/人の子は虫けらにすぎない。
- シュア人ビルダドの強烈な言葉である。本当に、神からみたらそのような存在だとも思う。しかし、新約聖書で特にイエスが伝えている、神様は、そのように思われる神様ではないということだろう。しかし、実際どうなのかは、不明、個人的な経験知を越すものではないのかもしれない。
- ヨブ記 26:2-4 どのようにして、あなたは力のない者を助け/無力な腕を救ったのか。どのようにして、知恵のない者に助言し/豊かでよき考えを授けたのか。あなたは誰に対して言葉を告げ/誰の息があなたから出たのか。
- 特に、4節は、何を伝えているのか明確ではないが、この直前のことば、25:6 から考えると、人間ですら、力のないものを助け、無力な腕を救い、知恵のない者に助言し、豊かなよき考えを授けるということから、神は、どれほど憐れみ深い方かを思い起こさせているように見える。最後は、すくなくとも、ヨブ自身そうしてきたことを告げているのか。
- ヨブ記 27:11-13 私は全能者と共にあるものを隠さず/神の手についてあなたがたに教える。あなたがたは皆、それを見たのに/どうして空しいことを吐くのか。これは悪しき者が神から受ける分/冷酷な者が全能者から受け継ぐもの。
- どうも、ビルダドに反発し、「人は蛆/人の子は虫けらにすぎない。」(25:6)に反発しているように見える。それ故、「あなたがた」「悪しき者」に結びつけて、「彼は虫のように自分の家を建てる/見張りが作る仮小屋のように。」(18)と言っているようにも見える。
- ヨブ記 28:12-14 では、知恵はどこに見いだされるのか。/分別はどこにあるのか。人はそこに至る道を知らない。/生ける者の地には見いだされない。深い淵は言う/「それは私の中にはない」と。/海は言う/「私のところにもない」と。
- この知恵は、まさに、23-28節にあるように、神のもとにあるのだろう。「主を畏れること、これが知恵」(28a)と言っているが、おそらく、そのとおりなのだろう。しかし、やはり人は問う、求める。それも正常なことだとは思う。それが、知恵に行き着くことができないとしても。
- ヨブ記 29:24,25 彼らが確信を失っているときでも/私は彼らにほほ笑みかけ/彼らのせいで顔の光を曇らせることはなかった。私は彼らに道を示し、頭として座した。/私は軍勢の中の王のように住まい/嘆く者を慰める人のようであった。
- ここでは、神のような、非常に立派な存在である、ヨブが記述されているように見える。ヨブに対する、神はそうではないとも言っているのだろうか。同時に、そう簡単ではない、人々一人ひとりの、苦しみ、悩みを、ヨブが理解できていたのかも考えてしまう。わたしの周囲にも、苦しみを担っているひとがたくさんいる。最近、その苦しみの一端が、垣間見えるようになってきたが、それは、むろん、一部分なのだろうが。
- ヨブ記 30:1 しかし今は、私より年若い者が私を笑っている。/彼らの父親は、私が退け/群れの番犬と一緒に置いた者だ。
- そうであるなら、祝福されているヨブを見る目は、単に憧れの目であったとも言える。そう考えると、29章の記述は、浅薄だったとも言える。どうなのだろうか。なかなか、人が学ぶのは、それも、よく分かるわけではない、心が読めるわけではない、他者の人生から学ぶことはとても難しいということか。その背後にあるものを、学びたい。
- ヨブ記 31:4-6 神は私の道を見つめ/私の歩みのすべてを数えていないのだろうか。もし、私が空しいものと共に歩み/私の足が欺きへと急いだとするなら 神に、義の秤で私を量り/私の潔白を知ってもらいたい。
- むろん、わたしは、このようには、言えないが、やはり、この背後にあるのは、因果応報、自業自得である。しかし、そうではないことが多いのが、そして、明確には見えないことが、この世の難しさであると思う。それゆえ、われわれは、神に問う。神の苦しさは、ほとんど理解できないにも関わらず。しかし、その一旦を理解することが、新しい扉を開くことかもしれない。たとえば、十字架を見つめることによって。
- ヨブ記 32:8-10 だが、人の中に知恵の霊はあるが/人に悟りを与えるのは全能者の息なのだ。多くの人が知恵深いわけではなく/年長者が公正を悟るわけでもない。それゆえ、私は言うのだ。/聞け、私もまた自分の意見を述べよう、と。
- これは真実だと思う。そして、年長者は、その若年者が語ることばを聞き、しっかり受け止めなければならない。それが、稚拙に聞こえ、簡単に、捨て去ることができるように見えたとしても。同時に、そのことばが、全能者の息によって得られた悟りなのかどうかも、そう簡単には、わからない。特に、そのことばが、完璧ではない場合は。
- ヨブ記 33:12,13 これについて、「あなたは正しくない」/と私は答える。/神は人より偉大であるからだ。なぜ、あなたは神と争うのか/自分の言葉に神が一つも答えないからといって。
- 偉大だとはどのようなことだろう。思考の次元が違うようにも思う。人間の世界だけで見ていると、理不尽にみえても、次元を超えると、合理的かつ、将来を見据えていることもある。ただ、その説明で、ヨブが納得できるかは不明である。わからないことを、神はご存知だろうから。やはり、難しい。
- ヨブ記 34:31,32 人は神に言えるだろうか。/「私は懲らしめに耐えました。もう不正はしません。私に見えないものを私に教えてください。/不正を働いたならば、もう二度といたしません」と。
- エリフのことばをどう理解すればよいかは、あまり簡単ではない。しかし、あまり豊かなものは、含んでいないようにも見える。すると神に語っていただかなければならないということになる。それもまた難しいように見える。どう考えたら、どう読んだらよいのだろうか。
- ヨブ記 35:14 確かに、「あなたはそれを顧みられない」と/あなたは言っている。/しかし訴えは御前にある。/あなたはただ神を待つべきだ。
- エリフのことばをどのように理解すればよいか難しい。人間社会と神その関係が一方的で、人間側のことは神に影響しないという考えがあるようだ。わたしは、そのようには考えていないが、わからないとも言える。引用句では、訴えは御前にあるとして、神を待つべきことが語られている。そのことは、そのとおりだろう。しかし、ただ待つのだろうか。疑問も残る。
- ヨブ記 36:24 思い起こせ/あなたが神の業をたたえたことを。/それを人々がほめ歌ったことを。
- エリフの部分はよくわからないが、考えさせられる部分もある。ヨブは、いま、非常によくない状況にある。以前とは大きく変化している。そのときに、引用句のようなことを考えることは、自分自身の信仰について考えることとも深く結びついているように思う。わたしは、どうだろうか。なにを本当に大切にして行きているのだろうか。それは、継続性が確保されているのだろうか。それとも、その時々の状況に揺れ動いているのだろうか。正直、よくわからない。
- ヨブ記 37:17 また、南風が吹いて地が静まるとき/あなたの衣服がいかに熱くなるかを。
- 「ヨブよ、耳を傾けてほしい。/立ち止まって、神の驚くべき業を悟ってほしい。」(14)に続くものの一つが引用文である。いまは、本当に暑く、どうして、こんなに暑いのか問いたくなるので、このことばを選んでしまった。主に問いたいことはたくさんある。しかし、そのうちのある部分は、人間の側に考えなければいけない課題があるようにも思う。「南風」のあとの「衣服」興味深い。
- ヨブ記 38:4 私が地の基を据えたとき/あなたはどこにいたのか。/それを知っているなら、告げよ。
- この章から主が嵐の中からヨブに答える。ヨブは、主の声を聞いたということだろう。主の大きさ、自分との関わり以外の様々なことがあることをまずは、伝えているように見える。おそらく、それは、ヨブも知っていただろう。ただ、その先にあることまでは、考えていなかったということだろうか。
- ヨブ記39:13-16 駝鳥は威勢よく翼を羽ばたかせるが/こうのとりの羽と羽毛を持っているだろうか。駝鳥は地面にその卵を置き去りにし/土の上で温め 足がそれを潰すことにも/野の獣がそれを踏みつけることにも/考えが及ばない。駝鳥はその子らを/わが子ではないかのようにあしらい/その苦労が無駄になるのも恐れない。
- 駝鳥は、中東にも、20世紀までいたとの証言があるようである。そして、アフリカのサハラ砂漠以南に。化石もあるようなので、そうなのだろうが、どうも、実感がわかない。イスラエルでは、駝鳥を飼育し、野生にもどす取り組みもあるとか、驚かされる。
- ヨブ記40:27 レビヤタンがあなたに嘆願を繰り返し/あなたに優しい言葉で語るだろうか。
- レビヤタンは、ヨブ記40章、41章以外にも、詩篇74:14「あなたはレビヤタンの頭を打ち砕き/荒れ野の獣の餌食とされました。」、詩篇104:26「そこには舟が行き交い/あなたの造られたレビヤタンも/その中で戯れる。」、イザヤ27:1「その日、主は/鋭く大きく、強い剣によって/逃げようとする蛇レビヤタンと/曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し/また、海にいる竜を殺される。」に登場する。扱い方が少し違うように見える。
- ヨブ記41:25,26 地の上にはこれに肩を並べるものはない。/レビヤタンは恐れを知らぬ被造物だ。これはすべての高ぶるものを見下す/誇り高い獣たちすべての王である。
- 正直、これほど、レビヤタンについて書かれていると知らなかった。何度もこれまで読んできたにもかかわらず。ということは、ある意味で、煙に巻いていた、わからないだろうと言っているだけのようにも見える。レビヤタンは、悪の世界の支配というより、巨大で恐ろしく力のあるものという位置づけなのだろうか。落ち着いて、また、考えてみたい。
- ヨブ記42:2,3 私は知りました。/あなたはどのようなこともおできになり/あなたの企てを妨げることはできません。「知識もないまま主の計画を隠すこの者は誰か。」/そのとおりです。/私は悟っていないことを申し述べました。/私の知らない驚くべきことを。
- ここがおそらく、結論なのだろう。つまりは、かみは、全知・全能、人間は、悟っていない。悟れないとは、違うのだろうか。これを知っただけで、ヨブは満足なのだろうか。すこし、がっかりでもある。
詩篇 聖書通読ノート
BRC2025(2026.1.5-3.20)
箴言 聖書通読ノート
BRC2025(2026.3.21-4.5-1)
コヘレトの言葉 聖書通読ノート
BRC2025(2026.4.5-2-4.11-1)
雅歌 聖書通読ノート
BRC2025(2026.4.11-2-4.15-1)
イザヤ書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.4.15-2-5.18-1)
エレミヤ書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.5.18-2-6.13-1)
哀歌 聖書通読ノート
BRC2025(2026.6.13-2-6.15)
エゼキエル書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.6.16-7.9)
ダニエル書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.7.10-7.15)
ホセア書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.7.16-7.22)
ヨエル書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.7.23-7.24)
アモス書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.7.25-7.29-1)
オバデヤ書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.7.29-2)
ヨナ書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.7.30-7.31)
ミカ書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.8.1-8.4-1)
ナホム書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.8.4-2-8.5)
ハバクク書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.8.6-8.7-1)
ゼファニヤ書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.8.7-2-8.8)
ハガイ書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.8.9)
ゼカリヤ書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.8.10-8.16)
マラキ書 聖書通読ノート
BRC2025(2026.8.17-8.18-1)
マタイによる福音書聖書通読ノート
BRC2025(1)
- マタイ 1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。/その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは、「神は私たちと共におられる」という意味である。
- 系図には、マリア以外に、ルツ(5)と、ウリヤの妻(6)が含まれている。少なくとも、ルツは、モアブの出身であるとルツ記に書かれており、申命記23:4には「アンモン人とモアブ人は、主の会衆に加わることはできない。十代目であっても、いつまでも主の会衆に加わることはできない。」とあり、エズラ、ネヘミヤによると、異邦人の妻を徹底的に排除することが書かれている。イエスが生まれた頃、どこまでそれが守られていたかは別として、厳格なラビ集団からは、忌避されていた事実であることは確かだろう。それを意識せずに単に挿入されたとも考えにくい。マタイ記者の主張が含まれているのだろう。ユダヤ教とは区別される、キリスト教の成り立ちの重要な部分だったのかもしれない。
- マタイ 2:22,23 しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞き、そこへ行くことを恐れた。すると、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方へ退き、ナザレという町に行って住んだ。こうして、「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現したのである。
- ハスモン朝の王たちは勢力拡大の中で、ガリラヤ地方に住む異民族(非ユダヤ人)を追い出すか、ユダヤ教に改宗させた、とされているが、ガリラヤとサマリヤの境界線などは、どのように決められたのだろうか。ローマ時代には、すでに行政区として別れていたことは確かだが。サマリヤやユダヤ人とは誰かという問題は難しい。
- マタイ 3:9,10 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
- この言葉自体とても重い。ユダヤ人の問題を正面から指摘していると思われる。しかし、ヨセフスなどには、記録されているのだろうか。調べてみたい。当時のユダヤ人は、どのように聞いたのだろうか。同時に、これは、自分自身の悔い改めが本質的で、なにか外部的なものに頼ることでそれを避けるようなことでは解決にならないということを述べているとも言えるので、すべての人に適応されるべき言葉なのかもしれない。
- マタイ 4:1 さて、イエスは悪魔から試みを受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた。
- 何度読んでも興味深い。イエスは、その公生涯のあいだ、このことを思い出しながら、いくつかの誘惑にたいして、御心を確認するようにして、歩んでいかれたのだろう。荒れ野での経験がどのようなものだったのか不明だが、イエスが主の御心を求めるたいせつな時だったことは、確かだろう。それぞれに御心を確認したということか。そこでは、聖書のことばが重要だったことは、見て取れる。聖書のことばをすべて受け入れることとは異なるかもしれないが。
- マタイ 5:3,4 「心の貧しい人々は、幸いである/天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである/その人たちは慰められる。
- 印象的な言葉である。このあと「へりくだった人々」「義に飢え渇く人々」「憐れみ深い人々」「心の清い人々」「平和を造る人々」「義のために迫害された人々」とあり、最後に、「私のために、人々があなたがたを罵り、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いである。」(11)となっている。やはり心の貧しい人々とはどのような人々かがわからないといけないが、ルカでは、もっと単純で「貧しい人々」「今飢えている人々」「今泣いている人々」(ルカ6:20,21)となっており、通常いわれているように、ルカのほうがもともとのイエスのことばに近いように思う。まさに、これらの人々に語りかけているということなのだろう。逆転だろうか。もう少し、丁寧に表現できないだろうか。やはり福音と言えるものかもしれない。マルコとは福音の伝え方が異なるのか。
- マタイ 6:12 私たちの負い目をお赦しください/私たちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。
- ルカ11:2-4を見ると、9b, 10, 11, 12 までなので、ここが核なのだろう。そして、マタイでは、祈りのあとに、「もし、人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」(14,15)がついている。これは、他のところで言われた付け足しかもしれないが、そう考えると、マタイは、6:12 がたいせつだと考えて、これを付け加えたと思われる。引用句は、イエス特有のものだったのかもしれない。赦す、赦される、これを神様とのあいだでのこととして、伝えているのだろう。わたしも、このように祈りたい。
- マタイ 7:1,2 「人を裁くな。裁かれないためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量られる。
- 戦争における被害を語り合うことは多いが、加害について検証し、被害者の側の痛みを思うことは少ない。アジア・太平洋戦争では、詳細は不明だが、日本人犠牲者は、310万人、内民間人が80万人と言われる。兵士の死については、あまり語られない。証言も少ない。では、この時期にアジアで亡くなったかたは、日本人以外ではどのくらいいたのだろうか。一つの資料によると、最低で2000万人とされる。すくなくとも、13パーセント程度が日本人となる。日本が戦争を起こさなければ、日本人以外のひとは死ななくて良かったのだろう。それをどう考えるのだろうか。わたしの高校生からの問を、発信しなければいけないように考えている。聖句は続く「きょうだいの目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある梁に気付かないのか。きょうだいに向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に梁があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、きょうだいの目からおが屑を取り除くことができる。」(3-5)悔い改めは、イエスの最初のメッセージにも含まれる、たいせつな鍵である。
- マタイ 8:2,3 すると、規定の病を患っている人が近寄り、ひれ伏して、「主よ、お望みならば、私を清くすることがおできになります」と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「私は望む。清くなれ」と言われると、たちまち規定の病は清められた。
- 山上の垂訓の直後にある、癒やしの記事である。印象的なのは「主よ、お望みならば」に対する「私は望む。清くなれ」。清くなることができるのだろうか。わたしも、それを望みたい。汚れも理解しつつ。
- マタイ 9:35-38 イエスは町や村を残らず回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒やされた。また、群衆が羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
- この章の記事は、16節までは、マルコなどと並行している。二人の盲人の癒やしと、口の利けない人の癒やしがあり、「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(13)ではイエスの宣教の目的について語られている。そして、この最後の節に至る。それだけの苦しみをみたということか。ガリラヤのカペナウムあたりであれば、イエスだけでも活動可能だったかもしれないようにも見える。どうなのだろうか。弟子の育成のほうに、視点があったのか。
- マタイ 10:5-7 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
- すでに、異邦人と思われる、百人隊長の子を癒やし、悪霊に憑かれたガダラ人を癒やし、罪人に遣わされていることが書かれており、将来的に、宣教対象を限定しているわけではないのだろう。実際、直後に「また、私のために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。」(18)とも書かれている。
- マタイ 11:28-30 すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」
- イエスは本当に皆が来てそれに対応することを考えておられたのだろうか。一般的には、そのような人たちが大勢入れば、身動きが取れなくなってしまう。限定された条件、または、特定のひとしかこないと考えていたのだろうか。
- マタイ 12:25,26 イエスは彼らの思いを知って言われた。「どんな国でも内輪で争えば荒れ果て、どんな町でも家でも、内輪で争えば立ち行かない。サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。それでは、どうしてその国は立ち行けよう。
- これだけでも、イエスは十分賢いと思う。イエスは、どのような人だったのだろうか。よくはわからないが、主との時をたいせつにしていたことはたしかなのだろう。ついつい、その賢さがほしいと考えてしまう。
- マタイ 13:51,52 「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは「分かりました」と答えた。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す一家の主人に似ている。」
- 正直、たとえを用いて話す理由もふくめて、弟子たちが本当に理解できたのか、正直不明である。マタイ著者が、理解できたと思ったいたとすると、とても、危険でもある。丁寧に読んでいきたい。
- マタイ 14:13,14 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、独り寂しい所に退かれた。しかし、群衆はそれを聞いて、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人を癒やされた。
- 深く憐れみ(σπλαγχνίζομαι)がここに使われている。全体では、12回だが、マタイには、5回と多い。9:36「また、群衆が羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」 14:14(引用箇所), 15:32「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。『群衆がかわいそうだ。もう三日も私と一緒にいるのに、何も食べる物がない。空腹のまま解散させたくはない。途中で動けなくなってしまうから。』」 18:27「家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、借金を帳消しにしてやった。」 20:34 「イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。」である。福音書によって使い方が少し異なるように見える。しかし、群衆にたいして、イエスがこの言葉を使った視線で見ておられたことは、確かなのだろう。
- マタイ 15:12,13 その時、弟子たちが近寄って来て、「ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、つまずいたのをご存じですか」と言った。イエスはお答えになった。「私の天の父がお植えにならなかった草木は、みな根こそぎにされる。
- この部分は、ファリサイ派ではない、群衆に語っているようにみえる。いずれにしても、厳しい。本当に、このように言ったのかも疑問でもある。マタイの記者の周辺では、シリアの、ユダヤ人に対することが重要だったのだろう。このあにある、汚れたものに対する、おそらく、コルネリオの話にもつながる、ペテロなど由来のマルコに含まれる話が中心なように思う。
- マタイ 16:6 イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に十分注意しなさい」と言われた。
- マルコ8:15では、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種に十分気をつけなさい」となっている。文字通りとると、すでに、ヘロデのような力はなくなっていた時代なのだろう。しかし、やはり、もともとのメッセージが、政治的なものと取れば、意味は十分大きい。このあたりは、難しいが、丁寧に福音書の違いを見ていきたい。
- マタイ 17:3,4 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口を挟んでイエスに言った。「主よ、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、ここに幕屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのために。」
- どのような光景なのかと思うが、このあとに、復活のことが出てくる。マタイの17:9の言葉に添えて、マルコ9:10では「彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。」とある。この光景も復活と関係していると考えたのだろう。モーセとエリヤと話し合う、これは、これらのひとが今も生きていることを表現しているものである。イエスは、そのように生き続ける状態になることを伝えたのだろう。弟子たちも、そのことを思い、十字架後も、イエスと語り合ったのではないだろうか。
- マタイ 18:4,5 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の国でいちばん偉いのだ。また、私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。」
- イエスはやはりこどもが好きだったのだろう。そして、自身を神の子どもと考えていたことも確かだろう。そこからだろうか、最も小さいものに優しさがあり、このあとを見ていると、赦しのメッセージまで続いている。マルコは、異なる構造になっているが。
- マタイ 19:13-15 その時、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスは言われた。「子どもたちをそのままにしておきなさい。私のところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」そして、子どもたちに手を置いてから、そこを立ち去られた。
- 「その時」(マルコも同じ)と始まり、この前の結婚・離婚に関する問に続いている。こどもは、基本的に、結婚の祝福である。独身を勧めるわけでもないことと関係しているのだろう。しかし、こどもの祝福については、謎も多い。なぜ、天の国は、こどもたちのものなのか。この次には、するとと金持ちの青年の話がつながることを考えると、そのこととも関係しているかもしれない。前後関係から考察したが、ほかにもありそうだ。(マタイ 21:14-16参照)
- マタイ 20:32-34 イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。
- ここでも、σπλαγχνίζομαι(はらわたが引き裂かれる)が使われている。そして、マルコ、ルカでは、一人なのが、ここでは、二人になっている。今回は、他の共観福音書にない、マタイ9:27-31の盲人の癒やしでも二人であったこと、また、マルコ、ルカでは、一人なのに、悪霊に憑かれたガダラ人の箇所も二人になっていることを思い出した。二人にこだわっているようにも見える。なぜなのだろうか。
- マタイ 21:14-16 境内では、目の見えない人や足の不自由な人たちが御もとに来たので、イエスは彼らを癒やされた。しかし、祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、また、境内で子どもたちが叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を整えられた』とあるのを、あなたがたはまだ読んだことがないのか。」
- ここにも、幼子や乳飲み子が登場する。その前には、目の見えない人や足の不自由な。どちらも、なにのこだわりもなく、癒やしてもらい、賛美をするのだろう。おとなは、健常者は、それができないのかもしれない。
- マタイ 22:31,32 死者の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
- イエスにとって、アブラハム、イサク、ヤコブは、生きているのだろう。そして、それが復活の真の意味でもあるように思う。救いと関連させたり、体のよみがえりに固執してはいけないように思う。弟子たちにも、いろいろな受け取り方があったのだろうが。
- マタイ 23:29-31 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしている。そして、『もし先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流す側には付かなかったであろう』などと言う。こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫だと、自ら証明している。
- 「だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆きょうだいなのだ。」(8)ここにも「きょうだい」が使われている。引用句からは、アジア・太平洋戦争をどう考えるかにも、似た側面があると感じた。戦争について、深く考えず、犠牲者としてのことばかり考えていたのでは、同じことをするとも言える。イエスから学びたい。
- マタイ 24:48-51 しかし、それが悪い僕で、主人は遅れると思い、仲間を叩き始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。もしそうなら、その僕の主人は、全く思いもよらない日と時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
- これが具体的にどのような意味を持っているか、よく考えないといけない。「いつ」について弟子たちは、関心が強くあったのだろう。イエスは、「だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」(44)とこたえ、引用句に進む。イエスも、心配だったのかもしれない。
- マタイ 25:45 そこで、王は答える。『よく言っておく。この最も小さな者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである。』
- 問題は、ここでの「この最も小さな者」が誰かということである。最近は、「さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。」(28)として、取り上げられたもの、そして、「しかし主人は、『よく言っておく。私はお前たちを知らない』と答えた。」(12)と言われた愚かな乙女ではないかとも思う。そう断言できない理由も多少ある。文脈として、「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから。」(13)がやはり鍵のように思う。また、40節の、「わたしのきょうだいであるこの最も小さい者」との異本もあるとのこと。もし、そうであるなら、きょうだいとしていることは、ある意味があるかもしれない。
- マタイ 26:27,28 また、杯を取り、感謝を献げて彼らに与え、言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である。
- 本当に、ここまで明確に言われたのあろうか。わたしは、疑いの心をもってしまう。イエスの死は、そのような仕組まれたものだったのだろうか。やはり、あとの人たちが、考えたことなのではないだろうか。イエスに聞いてみたい。
- マタイ 27:22 ピラトが、「では、メシアと言われているイエスのほうは、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。
- ここに自分がいたらどうだろうか。わたしは、どのように反応するだろうか。イエスの愛に触れていたとしても、ここで、声は挙げられないかもしれない。イエスは、これらの最も小さいものとともにおられるのではないだろうか。
- マタイ 28:14,15 もしこのことが総督の耳に入ったとしても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。
- 戦争のことを考えると、様々な人間の弱さが見えてくる。自分が正しい側にいることはできないということである。イエスが伝えたかったことを受け取りたい。マタイも、もう少し丁寧に読んでみたいとも思う。
BRC2025(2)
マルコによる福音書聖書通読ノート
BRC2025(1)
- マルコ 1:14,15 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」と言われた。
- このあとには「人々はその教えに驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者のようにお教えになったからである。」(22)ともある。宣言だけではなく、それには、権威が伴ったということだろう。それは、神の国が近づいたことが、現実のものと思われるようなことが次々に起こったということなのではないかと思う。癒しであるが、同時に、イエスの奉仕であり、神の義、神の国がすぐそこにあるということだろうか。
- マルコ 2:8-10 イエスは、彼らが考えていることを、ご自分の霊ですぐに見抜いて、言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。この人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、体の麻痺した人に言われた。
- ここでは、罪を赦す権威について語られている。神の国は近いことを実感させられるような、ことだけではなく、罪の赦しが得られこと。それを、神の国が近づいたことと関連させているのだろう。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(17b)「だから、人の子は安息日の主でもある。」(28)も驚かされることなのだろう。
- マルコ 3:24-26 国が内輪で争えば、その国は立ち行かない。また、家が内輪で争えば、その家は立ち行かない。もしサタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
- このあとには「また、まず強い人を縛り上げなければ、誰も、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。」(27)ということは、イエスは、その強い人を縛っている、または縛ろうとしているということだろう。その戦いは、あまり、わたしたちからは、見えない。しかし、そのことを問として持ち、それには、どうしたらよいか、おそらく、それには、聖霊が鍵だと、考えておられるのだろうとおもう。主と共に働く、戦うということか。ひとのこころに巣食う、サタンや、悪霊と戦うために。
- マルコ 4:40,41 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信仰がないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「一体この方はどなたなのだろう。風も湖さえも従うではないか」と互いに言った。
- イエスに驚く。しかし、このようにして、弟子たちが、すべてを学んでいったわけではない。わたしたちも、同じように、学んでいかなければ。少しずつ、理解することができるのだろうか。不安ではある。本当に、互いに愛し合うことは難しい。
- マルコ 5:3-5 この人は墓場を住みかとしており、もはや誰も、鎖を用いてさえつなぎ止めておくことはできなかった。度々足枷や鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり足枷を砕くので、誰も彼を押さえつけることができなかったのである。彼は夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分の体を傷つけていた。
- この状況には驚かされる。あまり、想像ができないが、イエスは、このことを聞いて、この地まで、わざわざ来たのかもしれない。このひとと、ひととして、関係を築くことは、みな諦めていたのだろう。しかし、イエスは、そうではなかった。印象的なのは、イエスが、まずは、「汚れた霊、この人から出て行け」(8)のあとに、「名は何と言うのか」(9)という場面である。そして、願いを聞く。不思議ではあるが、感動的でもある。ほとんどのひとに見放されたひと。それを、救うために、だろうか。神の御心を行うためだろうか。
- マルコ 6:38 イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」
- ヨハネ6:1-14 には、この背後にいろいろな人が登場する。ピリポ、アンデレ、そして子供。ここには、その記述がない。やはり、こちらがオリジナルだったのかもしれないと思う。同時に、無名のだれかが、これらを献げたこともあったのかもしれない。そのことも、書いておいてほしいと考える背景を考えると、書かないこともそれなりに重要なのかもしれないと思った。
- マルコ 7:20-2 さらに言われた。「人から出て来るもの、これが人を汚す。中から、つまり人の心から、悪い思いが出て来る。淫行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪意、欺き、放縦、妬み、冒瀆、高慢、愚かさ、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」
- イエスが、弟子たちが、洗わない手で食べていたことに対する批判に対して、一番伝えたかったことがこれなのだろう。ここに、あらゆる悪のことばが書かれている。しかし、興味深いのは、ここにおける「人」がこれを語る人なのか、語られる人なのかがあまりはっきりしないことである。両方の可能性もあるかもしれない。汚れたものなのだから。
- マルコ 8:15 その時、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種に十分気をつけなさい」と戒められた。
- ヘロデのパン種は、ある程度時代が下ると、理解がむずかしかったろう。だから、マタイでは、これをサドカイ派に変えたのだろう。それは本質をも変えてしまっていると思うが、それよりも、この最後の部分はよく理解できない。数がたくさんでてくるが、おそらく、それは、あまり関係がないのだろう。それよりも、パンを持っていないことにとらわれていることを叱っているのか。はっきりとはわからない。
- マルコ 9:28,29 イエスが家に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、私たちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ追い出すことはできないのだ」と言われた。
- イエスが、弟子たちの状況に満足できなかったことも、このようにイエスが言った背景にあるかもしれない。「なんと不信仰な時代なのか。いつまで私はあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子を私のところに連れて来なさい。」(19)ただ、このあとすぐ、この問題とイエスは向き合っている。恐ろしいほどの、その場に自らを置く、こころの転換と集中である。祈りは、すべてにかかっているのかもしれない。イエスにとって我慢ならない状況を神様に委ねる祈りと、常に用いられるように祈っていることが、ここですぐ使えることができたこと、そして、祈りを通して、弟子たちが、イエスから学ぶことだろうか。またさらに考えたい。
- マルコ 10:14-16 イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。よく言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子どもたちを抱き寄せ、手を置いて祝福された。
- どう理解したらよいかわからない。しかし、構造としては、マタイとマルコでは、離婚の箇所の直後に置かれている。ルカでは、ファリサイ派のひとと徴税人の祈りのあとに置かれている。自然に出てきたことなのかもしれない。あまり、理屈をこね回してはいけないのかもしれない。難しいが。とても、すばらしい、イエスの言葉のように思う。
- マルコ 11:24,25 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて、すでに得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」
- 祈りの中心を語っているように見える。イエスのことばは、最後に重要なことを持ってくるように見える。すると、まさに、この部分なのだろう。「私たちの罪をお赦しください。私たちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」(ルカ11:4a)と呼応している。(マタイにもあるが、ルカのほうがシンプルでもとのことばに近いと言われている)
- マルコ 12:26,27 死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどのように言われたか、読んだことがないのか。『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたがたは大変な思い違いをしている。」
- 最近、よく考えさせられる箇所である。復活について、イエスが語ったと思われる、おそらく、最古の(伝承)記録である。(通常は、コリント前書15:1-11をあげるが。)パウロが伝えるものとは、異なる。それは、どちらかが正しいということではなくても、イエスのことばをしっかり受け取ることは重要である。『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』これが、復活した族長を表すと考えた人がいたのかどうかはわたしは知らないが、イエスは、少なくとも、族長と聖書のことばを通しても、日々語り合っていたのではないだろうか。9:2-13 で、エリヤがモーセと共に現れたこととも、関係しているように思う。
- マルコ 13:4 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、それがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」
- 質問は、イエスが「この大きな建物に見とれているのか。ここに積み上がった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」(2)と言われたことへの応答である。しかし、このあとの流れからして、世の終わり、終末について語られている。しかし、イエスの答えは、そう簡単にはその時は来ないということと、注意していなさいということに尽きるように思う。たとえば「こうして、まず、福音がすべての民族に宣べ伝えられねばならない。連れて行かれ、引き渡されたとき、何を言おうかと心配してはならない。その時には、あなたがたに示されることを話せばよい。話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。」(10,11)すべての民族に宣べ伝えられるなど、すべての民族がなにかという問いをしたとしても、大変なことである。そのなかで、重要なことも述べられている。弟子たちや、当時のひとたちのの関心、再臨のキリストを待ち望むひとたちの気持ちが背景にあるように思う。イエスの伝えたかったことを丁寧に受け取らなければならないと思う。
- マルコ 14:6-8 イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、私はいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もって私の体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。
- この女性(ヨハネ12:1-8によるとマルタの姉妹マリア)がなぜこのようなことをしたかは不明である。しかし、特別のことをしたことは確かで、これを何回もすることができる状況ではなかっただろう。すると、この女性は、できる限りのことをしたことになる。嫁入り道具のようなものだったのかもしれない。このときが、特別の時であることは、ある程度周囲のひとたちは聞いていただろう。しかし、そのようなことを受け取って、行動に移した人は、この女性だけだったのかもしれない。考えさせられる。この章を通読で短時間で読むのは難しい。
- マルコ 15:21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、畑から帰って来て通りかかったので、兵士たちはこの人を徴用し、イエスの十字架を担がせた。
- この章に、12弟子は登場しない。40-41節には女性たちが十字架のもとにいたことが書かれており、そして、ここには、はじめて登場する「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」が登場する。キレネはリビアあたりのことのようだが、おそらく、黒人だろう。「ニゲルと呼ばれるシメオン」(使徒13:1)とあり、このシモンとシメオンが同じであろうとされている。黒人である。キリスト教は、コプト教など、スーダンあたりで守られていたようだが、黒人の力はあまり多くはなかったようである。ここに、登場することは、興味深い。イスラム教には、アラビアの位置が関係しているようだが、初期から、黒人の間でも、広がっていったようである。マルコムX はそのことに、力を受けたと言われている。キリスト教世界での人種差別は、キリスト教とは関係ないのかもしれないが、厳然として存在したことも事実である。
- マルコ 16:7,8 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』」彼女たちは、墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
- ペトロには、少しして伝えたということだろうか。ここでマルコは終わっているので不明だが、マルコは、しばらく経って書かれたことを考えると、伝えられたこととともに、おそらく、ガリラヤに行ったことも確かだろう。復活証言の多くが、エルサレムであることとは、多少食い違う。イエスは、やはり、ガリラヤでの生活の中で、心の中のイエスと語り合ってほしいと願ったのかもしれないと、マルコだけを読んでいると思う。一般の人は、それでは満足しないだろうが。
BRC2025(2)
ルカによる福音書聖書通読ノート
BRC2025(1)
- ルカ 1:32,33 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
- ルカに記されている、イエスについての最初の証言である。まず、「いと高き方の子と呼ばれる」とあり、「である」とは、書かれていない。また、「永遠にヤコブの家を治め」とあり、ヤコブの家の支配に限られている。どちらも興味深いことである。ルカ記者も、ヤコブの家が関心の中心であり、そこから離れていないということである。どうなのだろうか。使徒言行録も「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」(1:6)の問から、始まっている。
- ルカ 2:25,26 その時、エルサレムにシメオンと言う人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。また、主が遣わすメシアを見るまでは死ぬことはない、とのお告げを聖霊から受けていた。
- 「イスラエルの慰められるのを待ち望」んでいたとある。つまりは、緩やかにだが、イエスの誕生は、この実現のためだということなのだろう。ヤコブの家に配慮しているのかもしれないが、ルカが書くことに、どのような意味があるのか、不明である。まだ、このあたりが、中心だったのだろうか。これは、今回の通読の中で、一つのテーマとして考えていきたい。
- ルカ 3:23 イエスご自身が宣教を始められたのは、およそ三十歳の時であり、人々からはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それから遡ると、
- 十分調べたと思うが、マタイでは、ヨセフはヤコブの子となっており、ここでは、エリの子である。母マリアは、ゼベダイの子らの母の姉妹だったとすると、母系は、ある程度わかっていたのかもしれない。また、およそ三十歳とあるが、これも、十字架に架かった日の特定などから、37歳ぐらいではないかとされている。若く見えたということだろうか、歳に関して7歳も誤差が生じさすことはあるのだろうか。不思議な記述である。
- ルカ 4:18,19 「主の霊が私に臨んだ。/貧しい人に福音を告げ知らせるために/主が私に油を注がれたからである。/主が私を遣わされたのは/捕らわれている人に解放を/目の見えない人に視力の回復を告げ/打ちひしがれている人を自由にし主の恵みの年を告げるためである。」
- ルカでは、ガリラヤで宣教をはじめたとしているものの、宣教の詳細は、ナザレからはじめている。その中にも、カファルナウムですでに、活動しておられることが書かれているので、それを否定しているわけではないが。マルコでは、ほとんど、中間、または、エルサレムに向かう前に、北方をさまよう前にナザレの記事をいれている。かなり位置づけが異なるように見える。引用句は、少し違和感がある。本当にこのことによって、権威が示されたのだろうか。マルコなどの記述から受ける印象とかなり異なる。
- ルカ 5:8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの膝元にひれ伏して、「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間です」と言った。
- この章の後半は、基本的にマルコ2章の記事を辿るが、前半は少し異なる。特に、ペテロ以下、漁師を招く記事が異なる。正直にいうと、ルカの創作ではないかと思う。ヨハネ1:35以下にあるエピソードを知らず、マルコの弟子の招きの記事では、納得できず、他のところからエピソードをとったか、創作したのではないかと思う。全体の流れや、ペテロや、漁師の扱いが、不自然である。さらに、最後の「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」(10b)の印象も薄れる。
- ルカ 6:20,21 さて、イエスは目を上げ、弟子たちを見て言われた。/「貧しい人々は、幸いである/神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである/あなたがたは満たされる。/今泣いている人々は、幸いである/あなたがたは笑うようになる。
- 単純である。これが Q 文書のオリジナルに近いという。わたしには、よくわからない。いろいろな形式があることは、考えないのだろうか。資料が少ないから、仕方がないのかもしれない。可能性の問題なのだろう。ただ、独り歩きすることには、疑問も感じる。これを聞いていた、貧しい人、飢えている人、泣いている人は、希望を感じたことは確かだろう。マタイの方だと、難しいかもしれない。
- ルカ 7:41,42 「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。ところが、返すことができなかったので、金貸しは二人の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」
- この章には、他の福音書にない記事が二つはいっている。「やもめの息子を生き返らせる」(11-17)そして引用句を含む「罪深い女を赦す」(36-50)独自記事は、どのように収集されたのだろうか。引用句を選んだのは、背景によって、どちらが多く金貸しを愛するかは、状況によってことなり、簡単には、言えないと思う。イエスの問の秀逸さが、ここには現れていないようにも見える。個人的な、対話との設定なので、これで良いのかもしれない。あるファリサイ人と登場して、途中でシモンという名前が登場するのも、気にかかる。そのあたりも、興味深い。
- ルカ 8:1-3 その後、イエスは神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせながら、町や村を巡られた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気を癒やしてもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に仕えていた。
- ルカにとって、この女性たちや、これらの女性を知っているひとたちは、たいせつな情報源だったのかもしれない。それも、独自記事の特徴に含まれているのかもしれない。また、このような人たちも一緒にいたことが、イエスの宣教旅行について、想像できることを豊かにする。これが独自記事であることは、少し心配でもあるが、十字架に架かる時にいた女性たちの記述は、4つの福音書に入っていることを考えると、おそらく、問題ないのだろう。
- ルカ 9:23-25 それから、イエスは皆に言われた。「私に付いて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、私に従いなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、私のために命を失う者はそれを救うのである。人が全世界を手に入れても、自分自身を失い、損なうなら、何の得があるだろうか。
- ペテロの信仰告白の直後に、イエスが、死と復活の記事の直後に置かれている。イエスの決意の反映としてこのように書かれているのかもしれないと思った。弟子の使命なのかもしれない。しかし、その中身は、つまり、自分の十字架を負って、イエスに従う中身は、語られていない。それを受け取れなければ、いけないだろう。わたしは、それを、語れるだろうか。正直、あやしい。イエスについていきたいとは思うのだが。
- ルカ10:41,42 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を遣い、思い煩っている。しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない。」
- 善きサマリア人のたとえに続いて、この記事が置かれていることからは、ルカの編集の意図が考えられるし、マルタの嫉妬を戒められたとする解釈もあるだろう。しかし、一人ひとりの違いに焦点があるように思う。そして、マリアが、多少特別なキャラクターであったことも考えられる。そのようなひとにとってのたいせつなものを取り上げてはならないということが、伝わってくる。
- ルカ11:20 しかし、私が神の指で悪霊を追い出しているのなら、神の国はあなたがたのところに来たのだ。
- ベルゼブル論争にもいくつかポイントがあり、マタイやマルコの記述との比較も必要だろう。ただ、あまり、議論において、イエスの答えが秀逸だということよりも、イエスが伝えたかったことをうけとることが、たいせつなのだろう。すると、ここでは、引用句なのではないかと思う。すなわち、悪霊が追い出されることから、神の国が近い、すぐそこに来ていることを認めること、そして、それこそが、イエスの宣教の主目的だったと思うからである。わたしたちは、おそらく、多くの場合、神の国を身近に感じることはない。では、どのようなことから、神の国の到来を知ることができるだろうか。
- ルカ 12:1-3 とかくするうちに、数万人もの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種、すなわち、彼らの偽善に注意しなさい。覆われているもので現されないものはなく、隠れているもので知られずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
- 「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい」とあると、マルコ8:14-21 を思い出す。そこでは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種に十分気をつけなさい」(マルコ8:15)とあり、マタイ16:6に「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に十分注意しなさい」とある。時代とともに、ヘロデと言っても伝わらず、意図を伝える適切な変更も難しかったのだろう。いずれにしても、わたしたちが、注意すべきことは色々とあるのだろうが、中心は偽善なのだろう。本質をついていないものは、化けの皮が剥がれるときがくるとも言える。よく考え、発言したい。
- ルカ 13:16,17 この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではないか。」こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさったすべてのすばらしい行いを見て喜んだ。
- この章には、最初の悔い改めなければ滅びる、「実がならないいちじくの木」のたとえ、そして、この安息日に、腰の曲がった女を癒やすの三つの独自記事がある。しかし、いずれも、似た記事は、他の福音書にもある。そして、引用句では、この女性自身のことばが書かれていないことが気になる。「女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を崇めた。」(13b)だけである。ルカが伝えたかったことは、引用句の反応の部分、それとも、この女性またはその関係者か聞いたことを含めようと思ったのか。よくわからない。
- ルカ 14:26,27 「誰でも、私のもとに来ていながら、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命さえも憎まない者があれば、その人は私の弟子ではありえない。自分の十字架を負って、私に付いて来る者でなければ、私の弟子ではありえない。
- この前には、客と招待する者への教訓、「大宴会」のたとえと、「宴会を催すときには、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。」(13)「急いで、町の大通りや路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。」(21b)とある。このことを踏まえて、引用句は語られているのかもしれない。家族ではなく、このような人たちを大切にすること、イエスは、まさに、そうされていたのだろう。
- ルカ 15:7 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にある。」
- これは、この章にある三つのたとえの最初の「見失った羊」のたとえの最後にある言葉である。このあとの「無くした銀貨」のたとえの最後にも、「言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の天使たちの間に喜びがある。」(10)、さらに、放蕩息子のたとえの最後にも「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。喜び祝うのは当然ではないか。」(32)とある。探し、見つけ、そして、このように喜んでくださる、イエスは、この神様を伝えているのだろう。神の子(のひとり)として。これが、本当にそうなのかどうか、わたしには、わからない。しかし、このイエス様の父なる神様を信じたい。
- ルカ 16:25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出すがよい。お前は生きている間に良いものを受け、ラザロのほうは悪いものを受けた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
- この章には、途中に、最初のたとえを嘲笑したファリサイ派の人々へのことばが含まれているが、「不正な管理人」のたとえと、金持ちとラザロのたとえが書かれている。すべて、いま、わたしたちが生きている世界と、神の国がつながっている、ある意味では、近いということなのかもしれない。イエスの、神の国は近いは、そのような意味も持っているのかもしれないと思った。もう少し、このことも続けて考えたい。
- ルカ 17:17-19 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を崇めるために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
- これは、ルカの独自記事だが、ルカが伝えたかったことなのかもしれない。ここには、サマリヤ人を、外国人とあり、血筋的には、ガリラヤ人とあまり変わらないひとを登場させていて、さらに、信仰を最後に強調している。ただ、メシヤをユダヤ人たちへの預言としてもルカは理解しているようだが。
- ルカ 18:4,5 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかったが、後になって考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わないが、あのやもめは、面倒でかなわないから、裁判をしてやろう。でないと、ひっきりなしにやって来て、うるさくてしかたがない。』」
- 神様は、めんどくさがりやなのかと思う。しかし、愛は、もともと面倒なことだと思う。そのことを想起させるには、
表現なのかもしれない。わたしの辞書には、めんどうくさいということばはないといいたい。そのこととも、関係しているように思う。
- ルカ 19:26,27 主人は言った。『言っておくが、誰でも持っている人は、さらに与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。ところで、私が王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、私の目の前で打ち殺せ。』」
- 「タラントのたとえ」という似たものが、マタイ25章にある。そこでは、三つまたは四つ(24章の最後のたとえを入れれば)の関連したたとえが続いており、その中で考えると、その最後の羊と山羊を分けるたとえが中心だと思えるが、ここでは、文脈が異なる。ザアカイの記事に続いてあるが、主への応答に中心があるようである。関連はよくわからない。ここに関しては、マタイのほうがイエスの伝えたいことを表しているように見えるが。
- ルカ 20:37,38 死者が復活することは、モーセも『柴』の箇所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、明らかにしている。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きるからである。」
- このように言い切ることには驚かされる。この箇所を復活と結びつけて理解している。イエスは、これらのひとたちとも語り合っていたのだろう。そこまでの理解で良いのだろうか。「次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々」(35)は、どう理解したら良いのだろうか。よくわからない。
- ルカ 21:36 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」
- この章の内容は、マルコ12章の最後から、13章全体と対応していて、細かい表現は別として、ほとんど同じである。13章には、終末の徴について書かれているが、いくつかの話がまとまられているように見える箇所なのと、実際の問題として、どのように受け取るかは難しいので、大きな修正は、ないのかもしれない。いろいろと考えてしまうが、情報が少ないように思う。
- ルカ 22:67-70 「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と言った。イエスは言われた。「私が言っても、あなたがたは決して信じないだろう。私が尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は力ある神の右に座る。」そこで、皆の者が、「では、お前は神の子か」と言うと、イエスは言われた。「私がそうだとは、あなたがたが言っている。」
- イエスは、なぜこのように答えたのだろうか。神の右に座るなどは、いままでのイエスからは考えられない。仕えることをつねにしてこられたのだから。神の子であることを示しておかなければならないと考えたのだろうか。しかし、なにか、しっくりこない。
- ルカ 23:39-41 はりつけにされた犯罪人の一人が、イエスを罵った。「お前はメシアではないか。自分と我々を救ってみろ。」すると、もう一人のほうがたしなめた。「お前は神を恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
- 最後に「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」(43)とあり、重要とされるが、正直不自然に感じる。本当に、「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。」というだろうか。こころの声だろうか。消耗刑のなかで、どのような状況なのだろうか。ただ、このあとの、「本当に、この人は正しい人だった」(47)も、不思議である。
- ルカ 24:48,49 あなたがたは、これらのことの証人である。私は、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力を身に着けるまでは、都にとどまっていなさい。」
- 使徒言行録1:8や、2章の聖霊降臨につながる。一方「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』」(マルコ16:7)とは、非常にことなる。イエスによる復活証言をどう理解するかに背景があるように思う。
BRC2025(2)
ヨハネの福音書聖書通読ノート
BRC2025(1)
- ヨハネ 1:40,41 ヨハネから聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「私たちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
- おそらく、アンデレおよびシモンのイエスとの最初の出会いは、このようなものだったのだろう。しかし、アンデレのイエスとの出会いはある程度積極的でも、シモンのそれは、この時点では、能動的ではなかったのかもしれない。それが、マルコによる福音書の出会いとして書かれているように思う。同時に、アンデレが、イエスに会ってから、シモンに、シモンに伝えるまで、間がなかったかどうかは不明である。アンデレの関わり方も興味がある。バプテスマのヨハネの影響が強かったのかもしれない。
- ヨハネ 2:19,20 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、三日で建て直すと言うのか」と言った。
- なにか、イエスに若さを感じる。単に、マルコに記されているときの、一年では無いのかもしれない。この出来事は、やはり過激である。弟子たちは、驚いたことだろう。どのように、理解したのだろうか。それも不明である。
- ヨハネ 3:5-7 イエスはお答えになった。「よくよく言っておく。誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれなければならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
- ニコデモがひっかかったのは、なになのだろうか。霊から生まれるということが、新しかったのか、または、それを想像できなかったのか。霊の理解が追いつかなかったのか。では、わたしは、理解できるだろうか。正直、わたしもわからない。霊的生活は、想像はできても、具体的には理解できない。理解できなくても良いというのは、乱暴に思う。丁寧に読んでいきたい。
- ヨハネ 4:34 イエスは言われた。「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。
- サマリアの女との対話は非常に興味深い。ユダヤ人以外に、より本質的なことを伝えたことを記録したとも理解できるが、最初に、イエスが「水を飲ませてください」(7)と会話をはじめるところも興味深い。交際をしていなかったサマリア人との対話をはじめるには、まずは、お願いすることだったのかもしれない。イエスはなぜそのようなことができたのだろうかと考えてしまう。
- ヨハネ 5:17,18 イエスはお答えになった。「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ。」このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと付け狙うようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を自分の父であると言い、自分を神と等しい者とされたからである。
- なぜ、イエスを殺そうとしたのか、考えなければならない。自分の正しさ、そして、正しさの基盤の上にたった生活、その上で築かれた社会的地位を失いたくなかったのだろうか。おそらく、それだけではなく、論理についていけない。仲間を失いたくないなどもあっただろう。他にもあるだろうか。相手のあら捜しのなかで、受け入れられないことがあったということか。私の父と言い切るイエスを友にはできなかった。神の理解を大きく変えることはできなかったということか。
- ヨハネ 6:9 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、それが何になりましょう。」
- こどもに焦点をあてて話したこともある。そのような説教を聞いたこともある。しかし、大麦のパン五つと魚二匹は、大勢の群衆(2)には、足りないことはたしかだが、こどもには、多すぎることも確かだと思う。経緯は不明だが、こどもをとおして、献げたひとたちがいたのかもしれない。まさに、神様がこころを動かして、ささげられたものが、増えていくということなのかもしれない。常におこることではないし、ここには、おおよそ五千人とある。興味深い。
- ヨハネ 7:3,4 イエスの兄弟たちが言った。「ここをたってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世に現しなさい。」
- すこし不思議なことばである。ユダヤで、業を弟子たちに見せてやりなさいということは、ユダヤでなければ見せることができない業があるのか、または、ユダヤに多くの弟子たちがいるのかの何れかだと思うが、後者は考えにくい。ある程度は、いたと思われるが。弟子をもっと広く取って、学ぼうとするもの、とすることもできるかもしれないが、確定は難しい。学ぶ側にたって、このあとの「私の時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている。」(6b)は、真実だと思う。
- ヨハネ 8:28-30 そこで、イエスは言われた。「あなたがたは、人の子を上げたときに初めて、『私はある』ということ、また私が、自分勝手には何もせず、父に教えられたとおりに、話していることが分かるだろう。私をお遣わしになった方は、私と共にいてくださる。私を独りにしてはおかれない。私は、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」これらのことを語られたとき、多くの人がイエスを信じた。
- 難しいが、これがイエスが信じていたことなのだろう。父なる神が、イエスと共にいること。そして、使命(十字架上の死による贖いだろうか)を果たしたら、イエスがそのようなかただとわかるという。一つの真理ではあるのだろうが、その意味するところは複雑である。
- ヨハネ 9:39 イエスは言われた。「私がこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
- 目の見えなかった人が見えるようになった記事の最後の部分である。聖書記者が、伝えたかったのは、おそらく、引用句の部分なのだろう。裁きといっても、このあとにあるように、「見えない者であったなら、罪はないであろう。しかし、現に今、『見える』とあなたがたは言っている。だから、あなたがたの罪は残る。」(41)と合わせて考えると、自己認識の問題なのだろうか。謙虚に求め続けなさいと表現すると、すこし矮小化してしまっているようにも思われる。この表現に欠けているものは何なのだろうか。
- ヨハネ 10:37,38 もし、私が父の業を行っていないのであれば、私を信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、私を信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父が私の内におられ、私が父の内にいることを、あなたがたは知り、また悟るだろう。」
- 「私と父とは一つである。」(30)とあるが、この内容は、引用句にあるように、イエスが、神の業を行っているということ、この章の前半からは、神が愛される(神の思いを自分の思いとして)羊を飼っている・養っているということだろうか。明確には理解できないが、父がこうされることを、このように生きることを望んでおられるということを明確にもっておられ、そのように生きているということだろう。わたしも、そのように生きたいが、確信はない。
- ヨハネ 11:11,12 こうお話しになり、また、その後で言われた。「私たちの友ラザロが眠っている。しかし、私は彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。
- 「私たちの友」は、聖書内でここだけである。「互いに愛し合いなさい」が含まれているヨハネによる福音書を考えると、このことばは、特別な意味を持つようにも思う。しかし、ここでの弟子たちの応答からは、友への愛、互いに愛する気持ちは、まったく現れていない。非常に残念である。この章でもう一つ気になるのが、「憤り(ἐμβριμάομαι: to charge with earnest admonition, sternly to charge, threatened to enjoin)」(33,38)である。他には、マタイ9:30「二人は目が見えるようになった。イエスは、『このことは、誰にも知らせてはいけない』と彼らに厳しくお命じになった。」, マルコ1:43「イエスは、彼を厳しく戒めて、すぐに立ち去らせ、」、マルコ14:5「この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。」 である。また学んでみたい。
- ヨハネ 12:35,36 イエスは言われた。「光は、今しばらく、あなたがたの間にある。闇に捕らえられることがないように、光のあるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」
- イエスに会いに来たギリシャ人たちの記事のあとにある箇所である。つながっているのか、つながっていないのか不明である。しかし、ギリシャ人たちが、近くにいたとすると、まずは、異様さを感じただろう。同時に、メッセージというより、衝撃も受けたかもしれない。イエスは、このギリシャ人たちとは、向き合えなかったのだろうか。考えさせられる。わたしには、わからない。
- ヨハネ 13:33,34 子たちよ、今しばらく、私はあなたがたと一緒にいる。あなたがたは私を捜すだろう。『私が行く所にあなたがたは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今あなたがたにも同じことを言っておく。あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
- 通常は、35節「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るであろう。」との関係で、34節を理解するが、今回は、33節との関係が気になった。ここでは、イエスが離れていくことが中心に書かれている。つまり、そのイエスが「私があなたがたを愛したように」と言っているのである。むろん、このヨハネ福音書が書かれたときには、イエスは、その場にはおられない。だからこそ、イエスがどのように愛されたかを思い出すことが鍵となるのである。それを学んでいきたい。
- ヨハネ 14:30,31 もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼は私をどうすることもできない。私は、父がお命じになったとおりに行う。私が父を愛していることを世が知るためである。立て。さあ、ここから出かけよう。」
- ここで区切りのようであるが、このあと、メッセージと、祈りが続く。何れにしても、ここがひとつの区切りなのだろう。しかし、同時に、最後に、「私が父を愛していることを世が知る」と言っている。これは、意味深いが、不明でもある。何を伝えようとしているのか。ヨハネは、やはり、一度、丁寧に読んでみたいと思う。
- ヨハネ 15:4,5 私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない。私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。
- イエスにつながっているべきことが繰り返されている。具体的には、何を意味しているのだろうか。イエスによる救いという概念なのだろうか。罪をみとめ、キリスト・イエスによる贖罪をいのちのみなもととする。しかし、そうではないように思われる。やはり、イエスがどう生きたか、なにをたいせつにしたか、この地上での、イエスの生涯、イエスのように生きることが、イエスにつながることのように、わたしには思われるのだが、どうなのだろうか。イエス教だといわれそうだが、それで良いのではないだろうか。
- ヨハネ 16:22,23 このように、あなたがたにも、今は苦しみがある。しかし、私は再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたが私に尋ねることは、何もない。よくよく言っておく。あなたがたが私の名によって願うなら、父は何でも与えてくださる。
- イエスが再び会うことを、ヨハネ記者はどのように理解していたのだろうか。イエスが、何回か、弟子たちに現れた、通常復活と呼ばれることだろうか。または、パウロなどにも現れたというその後の顕現をも意味しているのだろうか。この章には、助け主(おそらく聖霊)のことも書かれている。その聖霊が注がれている状態を言うのだろうか。しかし、どれも、常にと考えると、問題があるように思う。信仰によって、いつでも、イエスと語り合えるということは、ある程度理解できるように思う。祈りである。「今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(24)正直、ヨハネが伝えようとしていることも、よくわからない。
- ヨハネ 17:23 私が彼らの内におり、あなたが私の内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたが私をお遣わしになったこと、また、私を愛されたように、彼らをも愛されたことを、世が知るようになります。
- この章は特に感じるが、エルサレム入場以降も、マルコのような論争はなく、弟子との関係をたいせつにしているように見える。ヨハネが受け取ったことなのか、当時、このことがとても大切だったのか。これが本質なのか。まだ良くわからないが。ヨハネのひとつの特徴なのかもしれない。世が知るのも、神が愛しておられることを知ることによってというのも、特徴的である。
- ヨハネ 18:8,9 イエスは言われた。「『私である』と言ったではないか。私を捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」それは、「あなたが与えてくださった人を、私は一人も失いませんでした」とイエスが言われた言葉が実現するためであった。
- 弟子が逃げたのではなく、イエスが逃がしたという、ヨハネの記述は興味深い。ここも、イエスが、愛し通されたことを伝えるものなのかもしれない。イエスの行動としては、毅然としていて、こちらのほうが自然なように思う。同時に、そうではあっても、弟子たちは、イエスを見捨てて逃げたと考えたのだろう。たとえ、それが、みこころであったとしても。
- ヨハネ 19:25-27 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「女よ、見なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
- 他の箇所と比較すると、クロパの妻マリアが加わっているとみてよいだろう。これがクレオパの妻かどうかは、不明だが、マルコの情報源が語られた初期には名前を出せなかったのかもしれない。マリアとサロメは、イエスや、ゼベダイの子らの母とすると、年齢的にある程度上で、早く亡くなっていたかもしれない。やはり、難しいのは、愛する弟子だが、これが、ゼベダイの子ヨハネだとすると、サロメとの関係を書くのが自然で、それが書かれていないということは、やはり、ゼベダイの子ではないだろう。長老ヨハネと呼ばれている人かどうかは、明確にはわからないが、ある程度若年で、しばらくは、マリアと、ひっそりと暮らしたのかもしれない。
- ヨハネ 20:26-29 八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。」
- マグダラのマリアへの顕現は、非常に限られた情報しか提示しておらず、証人もいない。すると、この弟子たちに、現れ、さらに、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない。」(25)と言ったトマスにも現れたところが復活の証言としては、鍵なのだろう。しかし、トマスに教える最後のことばは印象的だが、内容はあまりないように思われる。ヨハネによる福音書は、重要な証言だと思うが、復活証言は、丁寧に見ていかなければいけないと思う。21章は、イエスの愛する弟子の証言が関係しておらず、付け足しだとも言えるのだから。
- ヨハネ 21:17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。
- 「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちにご自身を現された。その次第はこうである。」(1)から始まる。イエスの指示に従うと、たくさんの魚が取れたことがまず書かれているが、ほとんど内容がない。「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。」(14)で終わり、ペトロとの対話に入る。ここは、意味のある内容を含んでいる。ペテロは、このような会話をまさに経験したのだろう。そして、それが、ペテロを一生導いたのではないかと思う。すると、イエスの顕現の仕方はあまり重要ではないように思う。わたしだけの感覚だろうか。
BRC2025(2)
使徒言行録聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 使徒 1:6,7 さて、使徒たちは集まっていたとき、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父がご自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。
- このあとに、聖霊について語られるが、この会話は不思議である。使徒たちの興味は、イスラエルのための国の立て直しである。このことを、イエスは、否定していない。ルカのような、異邦人キリスト者にとっても、このことが重要だったのだろうか。具体的に、なにを意味しているのだろうか。聖霊降臨について書こうとする時に、其の前に、このことを書いたのは、どのような意図によっているのだろうか。正直よくわからない。
- 使徒 2:38,39 そこで、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるでしょう。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また、遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださる者なら誰にでも、与えられているものなのです。」
- パウロ以後のものと、イエスのメッセージがつながっているような印象をうける。罪の赦しがどのように語られたのか、贖いについては、ここからだけではよくわからない。このあとには、「そして、一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた。」(42)とあり、43-47節にも、より詳しい記述がある。非常に美しい表現で、このような生活について、憧れてしまうが、日々の生活については、書かれていないように見える。どのようにしていたのだろうか。
- 使徒 3:18-21 しかし、神は、すべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。だから、自分の罪が拭い去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために定めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなる時まで、天にとどまることになっています。
- 悔い改めからはじめ、慰めのとき、再臨についてまで書かれている。ここまで、どの程度、弟子たちは、理解していたのだろうかと考えてします。どうなのだろうか。
- 使徒 4:12,13 この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」人々は、ペトロとヨハネの堂々とした態度を見、二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であることも分かった。
- 二つのことを感じた。1つ目は、イエスがおそらく言わなかったこと。前半である。イエスに従うべきことを弟子たちには伝えたが、それは、イエスに学ぶためであった、イエスを通してしか救いがないと言っているわけではない。イエスは、弟子たちを通して、福音を、神様を伝えることを考えていただろう。そして、そのために選んだのが、無学な普通の人である。このように書かれていることは、ペトロとヨハネにとって、特別な表現だったろう。ここに、この二人であることから、ほかの弟子たちがどうであったかは、不明である。ヤコブは、12章で殺されているが、まだ、時間があるように思われる。他の使徒たちの活動については、著者は知らなかったのだろう。その時代には、エルサレム周辺にはいなかった、または、すでに、亡くなっていたのかもしれない。
- 使徒 5:17-20 そこで、大祭司とその仲間たち、すなわち、そこにいたサドカイ派の人々は皆、妬みに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。ところが、夜間に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と言った。
- ここでは、使徒たちとなっている。使徒たちという表現はこのあとも続くが、どの程度、全体を表現しているのかは不明である。ここでは、その使徒たちが公の牢に入れられたとあるが、これも、どのような範囲なのか、不明なのかもしれない。すこし、表現も荒いように見える。アナニアとサフィラのこともふくめて、評価しにくいことがいくつかあったのかもしれない。
- 使徒 6:9 ところが、「解放奴隷とキレネ人とアレクサンドリア人の会堂」と呼ばれる会堂の人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などが立ち上がり、ステファノと議論した。
- キレネは、キレネ人シモンが十字架を負うエピソードがあるが、Cyrene, Libya すなわち、リビアの都市のようである。アレクサンドリアは、エジプト、キリキア州は、パウロの出身地である、タルソも含む、現在のトルコ(小アジア)の南の海岸沿いのローマの属州、アジア州は、現在のトルコの西のあたりのようである。何れにしても、地方の人たちであることがわかる。解放奴隷ということばもあり、もしかすると、異邦人からの改宗者もいたのかもしれない。その人達にとっては、異邦人に囲まれ、自らの、正しさが、信仰に関して重要だったろう。議論ではない方法はなかったのだろうかと考えてしまう。ひとの、正しさの議論は、そう簡単に、相互理解には、至らない。
- 使徒 7:51-53 かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。一体、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となったのです。あなたがたは、天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」
- ステファノに反対する人たちと同じ基盤に立っていることを示そうとして、歴史を語ったのかもしれないが、ここでは、ソロモンの神殿の話から急に、批判的なことばになっている。これがそのとおり、スタファノが語ったことかどうかは不明だが、これでは、相互理解に至るのは難しいだろう。使徒言行録記者がここで伝えたかったことは何なのか。このあとの部分がたいせつで、ここは、関係ないのか。少し、不安になる。
- 使徒 8:18 シモンは、使徒たちが手を置くと霊が与えられたのを見、金を差し出して、言った。「手を置けば、誰にでも聖霊が受けられるように、私にもその力を授けてください。」
- この章には、フィリポの活動が書かれている。特に、この記事はシモニア(聖職売買)と言う名でもよばれる悪名高き例だが、まずは、驚くほどの変化が、イエスを受け入れた人たちに起こったということだろう。そして、そのような力をほしいと思った。とても自然なことである。その背後にあることを理解するのは、それほど簡単ではないのは、いまも同じであるように思う。ここから、なにを受け取るのかは簡単ではない。しかし、このような人にも福音が届けられたことのほうが大切なように思う。こんなのはいけないと切り捨ててはいけないと思う。
- 使徒 9:3-6 ところが、旅の途中、ダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」と語りかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「私は、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが告げられる。」
- パウロ(サウル)回心に関する最初の記述で、このあとには、「同行していた人たちは、声は聞こえても、誰の姿も見えないので、ものも言えず立っていた。」(7)とあり、パウロの個人的体験であったことがわかる。このときが、最初かどうかは不明だが、神に問うことは、イエスの弟子たちの迫害を始めたときからあったろう。向き合える場合と、そうではないものを分けるのはなになのかと考えるが、難しいのだろう。神様の側に理由があるとも言えるが、基本的には不明である。問う姿勢を維持していたい。つねに。
- 使徒 10:1,2 さて、カイサリアにコルネリウスと言う人がいて、イタリア大隊と呼ばれる部隊の百人隊長であった。敬虔な人で、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。
- このような人の存在は、興味深い。どこの出身の人なのか不明だが、少なくともユダヤ人ではないのだろう。しかし、「神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」とあり、このことが敬虔なひとであることを表現する慣用句だったのかもしれない。神は、民との関係からも、ユダヤ人が礼拝している神だったのだろう。そのようなひとに福音が伝えられる。最高の宣教だと思う。神様とコルネリウスと、キリスト者の協働だろうか。
- 使徒 11:13-15 すると彼は、自分の家に天使が立っているのを見、また、その天使がこう告げたと言うのです。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉を話してくれる。』私が話しだすと、聖霊が最初私たちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。
- 天使だと認めるところも、いろいろな考えがあるだろうが、これだけ特別なことが必要だったのかもしれない。そして、それを、解釈することだろうか。さらに、証すること。それが書き留められることだろうか。このあとの、アンティオキアのことも、背景としては大きいのだろう。「さて、ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外の誰にも御言葉を語っていなかった。ところが、その中にキプロス島やキレネから来た人がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスの福音を告げ知らせた。」(19,20)も興味深い。
- 使徒 12:1,2 その頃、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
- このあとに「そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、さらにペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。」(3)とある。詳細はわからないが、ヘロデにとっては、人気取りが必要であったようで、キリスト者の教会との衝突があったわけではないということなのだろう。しかし、おそらく、そのころの中心であったペテロが殺されることになると大きな影響があったろう。ただ、ヨハネのことなど、全体像がわからない。十二弟子はこの時点でそれぞれどのような状況だったのか、書かれていないのが不思議である。一致した動きではなかったのかもしれない。
- 使徒 13:46,47 そこで、パウロとバルナバは堂々と語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だが、あなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命にふさわしくない者にしている。そこで、私たちは異邦人の方へと向かいます。主は私たちにこう命じておられるからです。/『私は、あなたを異邦人の光とし/地の果てにまで救いをもたらす者とした。』」
- 「ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。」(44b)となっているので、一般の人ということだろう。どうして、この人たちは、パウロたちの話を聞きに来たのだろうか。面白いもの見たさだろうか。ユダヤ人が嫌われていたからだろうか。これだけではわからない。また、これを歓迎したからと言って、キリスト者として生きるまではそう簡単ではないのだから。「異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を崇めた。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。」(48)この表現も信仰告白としては理解できるが、実際の状況の表現としては微妙である。
- 使徒 14:4 町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側に付いた。
- 背景は「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。ところが、信じようとしないユダヤ人は、異邦人を唆して、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。」(1,2)と書かれている。宣教が分裂を生んでいる。これで良いのだろうか。わたしは、良くないと考えているわけだが、これでよいと考える人も多いだろう。正直良くわからない。このような分裂を
イエス様は、神様は当然のこととして、喜んでおられるのだろうか。分裂は、分断を生む。ますます、相互理解ができなくなる。愛することが困難になると思うのだが。
- 使徒 15:1,2 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。そして、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい対立と論争が生じたので、この件について、使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムに上ることになった。
- ここでは「激しい対立と論争」とある。これも、わたしは、好まない。対立していて、そして、論争していて、共に賛美し、互いに愛し合うことができるのだろうか。わたしは、難しいと考えてしまう。そして、共に、神の御心を求め、互いに愛し合うように導かれることこそがたいせつで、わたしたちの望むことのように思うのだが。
- 使徒 16:17-19 彼女は、パウロや私たちの後ろに付いて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると、霊は即座に彼女から出て行った。ところが、この女の主人たちは、金儲けの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、広場の役人のところに引き立てて行った。
- たいせつにしていることが異なるのだろう。この章には、価値観の違いが見て取れることがいくつか出てくる。このあとの、牢獄で大地震が起こったときの様子もそうだが、最初に、テモテに割礼を施したことも、その一つかもしれない。そのひとが、なにを大切にしているのか、そして、なにを大切にして自分は生きるのか、それを考えながら行きていきたい。
- 使徒 17:4,5 それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスの仲間になった。その中には、神を崇めるギリシア人が大勢おり、貴婦人たちも少なくなかった。しかし、ユダヤ人たちはそれを妬み、広場にたむろしているならず者たちを抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。
- ねたみはなぜ起きるのか。たいせつにしていることの差や違いが示されたときだろうか。それでも、たいせつにしているものをたいせつにするのか、それとも他者から学び、すこしずつ修正していくのか。柔軟に、謙虚さを持って、自己修正していくみちをていねいに考えていきたい。
- 使徒 18:7,8 パウロはそこを去り、神を崇めるティティオ・ユストと言う人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家を挙げて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼(バプテスマ)を受けた。
- 2節には「ポントス州(アナトリア地方の黒海南岸、特に南岸のうち東部の地方名)出身のアキラと言うユダヤ人とその妻プリスキラ」が登場し、引用句では、「神を崇めるティティオ・ユスト」「会堂長のクリスポ一家」が登場する。様々な人、しかし、一部の人が、信仰を受け入れたということだろう。そして、協力者となった。そうならなかった人たちの存在も確認できる。「口汚く罵ったユダヤ人」もいた。どうすればよいのだろう。これは、とても大切な問だと思う。
- 使徒 19:35,36 そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスと天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者がいるだろうか。これを否定することはできないのだから、冷静になるべきで、決して無分別なことをしてはならない。
- それなりに寛容に書かれている。パウロたちは、どのような態度だったのか。正しさ優先か、一人ひとりにたいする神様の愛を伝えることか。現代にまでつづく、難しい課題でもある。使徒記者は、このように言い切っていて、騒ぎを収めようとする、市の書記官をたいせつにしているように見える。論争で、なにが生み出されるのかを見極めるのはそれほど簡単ではない。
- 使徒 20:4,5 同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスで私たちを待っていたが、
- このあとに「私たちは」と続く。自然に考えれば、著者が「私たちに」含まれていること、すると、引用したリストに、著者が含まれるかと考えるが、自分をここで書くことは避けるのも十分考えられる。同行者は7人だったのか、8人だったのか、もう少し多かったのか不明である。いずれにしても、パウロをふくめて、10人ぐらいのグループだったか、パウロの弟子と考えてよいのかも不明だが、ここからの、記述は、証人がたくさんいるということも言えるのだろう。
- 使徒 21:17-19 私たちがエルサレムに着くと、きょうだいたちは喜んで迎えてくれた。翌日、パウロは私たちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。
- エルサレムに長老たちがあつまっていたということは、べつに、ここで迫害によって、散り散りになっていたわけではないことを意味しているのだろう。パウロのことと、異邦人との関係がおそらく問題だったのだろう。それがこの後の騒動からもわかる。だからといって、パウロを退けることは、15章のエルサレム会議以降は難しかったろう。同行者がたくさんいたことも、活動が進展していることの証明だったのかもしれない。引用句は、このときの状況を知ることができる箇所でもある。
- 使徒 22:17,18 「さて、私はエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。『急げ。すぐエルサレムから出て行け。私についてのあなたの証しを、人々は受け入れないからである。』
- この前には「アナニアは言いました。『私たちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人々に対してその方の証人となる者だからです。さあ、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を呼び求め、洗礼(バプテスマ)を受けて罪を洗い清めなさい。』」(14-16)と言われている。しかし、引用句では、人々は証を受け入れないから、エルサレムから出ていけという。パウロにとっても、苦しい時期だったのではないだろうか。自身の混乱を表しているとも、そのなかで、御心を探し続けたともいえる。わたしにも、そのような時が、あったと思う。そんなときも必要なのだろう。背後で起こっていることは、ひとには、わからない。
- 使徒 23:14-16 彼らは、祭司長たちや長老たちのところへ行って、こう言った。「私たちは、パウロを殺すまでは何も口にしないと、堅く誓い合いました。ですから今、パウロについてもっと詳しく調べるという口実を設けて、彼をあなたがたのところに連れて来るように、最高法院と組んで大隊長に願い出てください。私たちは、彼がここに来る前に殺してしまう手はずを整えておきます。」しかし、パウロの姉妹の息子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営の中に入って来て、パウロに知らせた。
- パウロの姉妹の息子もエルサレムにいたことが書かれている。タルソ出身であっても、家族で、エルサレムに来て、長くいたのだろうか。パウロについて、個人的な背景はほとんど語られていない中で、貴重な情報である。この誓を立てた人たちは、どのような人たちなのだろう。今の日本では考えられない血気にはやる人たちなのだろう。後先は考えられない時代だったのかもしれない。
- 使徒 24:14,15 ただ、このことははっきり申し上げます。私は、彼らが分派と呼んでいるこの道に従って、先祖の神に仕え、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。さらに、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。
- 前半は訴えているユダヤ人と同じ事、しかし、後半は、議論があることは確かだろう。さらに、最後に、「彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」(21)でも、復活のことについて。ファリサイ派の復活についての理解をしらないと、判断はできない。さらに、ここに言われていることだけが論点ではなく、たんに、サドカイ派とファリサイ派の分断を考えているようにも見える。正直、課題も感じる。
- 使徒 25:25 しかし、彼が死刑に当たることは何もしていないということが、私には分かりました。ところが、この者自身が皇帝陛下に上訴したので、護送することに決定しました。
- 実際にどのように考えられていたのか不明であるし、このパウロの罪状もはっきりしない。また、上訴したら、かならず皇帝のもとにいくということも十分は理解できない。パウロというひとについて書いてある使徒言行録の後半、どうも、わたしには、しっくりこない。難船のことは、実際のことだろうと思うが。
- 使徒 26:22,23 ところで、私は今日まで神の助けをいただいて、しっかりと立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになる、と述べたのです。」
- ここに、パウロが語ったとされていることが書かれている。旧約聖書の中で証しされていることを語っているだけだということ、その内容は、メシアがどのような方かということだろうか。このことの証には、どうしても、ユダヤ人との正しさの議論になるように思われる。イエスがどのように生きたか・歩んだかとは、やはり違うようである。その生き方、一人ひとりとの出会いは、学ばなかったわけではないだろうが。
- 使徒 27:23,24 私が仕え、礼拝している神からの天使が、昨夜私のそばに立って、こう言いました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』
- 本当に、これが御心だったのだろうか。わたしには、客観的には、判断できない。そうだったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。神様は、導かれた生き方も、思い込みでしたことも、用いられることもたしかだろう。詳細は、わたしには、判断しかねるが。わたしには、御心はよくわからない。しかし、その時点で、これが御心かな信じることに、誠実に向き合い、御心か問い続けながら、修正しながら歩んでいきたい。
- 使徒 28:26-28 『この民のところへ行って告げなさい。/あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らず/見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り/耳は遠くなり/目は閉じている。/目で見ず、耳で聞かず/心で悟らず、立ち帰って/私に癒やされることのないためである。』だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」
- このあと2節あるが、ほとんど、ここで終わっている。そう考えると、ある結論ということになるが、「だから」と結論するのは、乱暴だと感じてしまう。イザヤ書からも変更があるが、七十人訳などを丁寧に見てはいないが、このことばをどう理解するかは、そう簡単ではない。単純に、ユダヤ人から異邦人と理解するのは、異邦人を傲慢にしてしまうことにもなるだろう。使徒言行録の締めがなになのか、ここまでの経緯を考えると、このときには、皇帝の法廷には、立たなかったのではないかと思う。
BRC2025(2)
ローマの信徒への手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
- ローマ 1:4,5 聖なる霊によれば死者の中からの復活によって力ある神の子と定められました。この方が、私たちの主イエス・キリストです。私たちは、この方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
- 「神の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マルコ3:35)などからみて、神の子についての表現が、すくなくともイエスが語っていたこととは異なるように見える。復活によって神の子と定められる根拠は、どこにあるのだろうか。異邦人と言いつつ、ここでは、ローマのユダヤ人に語っているようである。整理されていることは確かだ、根拠は不明確に思う。
- ローマ 2:12,13 律法なしに罪を犯した者は、律法なしに滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は、律法によって裁かれます。律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを行う者が義とされるからです。
- パウロはここで「律法を行う」ことをどのようなことだと考えていたのだろうか。おそらく、ファリサイ派の一人として「律法を行う」ということとは異なるのだろう。しかし、必ずしも明らかではない。イエスは、それをどう考えたいたのだろうか。どのように、伝えていたのだろうか。すくなくとも、このローマ書から、このことについては、理解したい。
- ローマ 3:27,28 では、誇りはどこにあるのか。それは取り去られました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。なぜなら、私たちは、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
- 「なぜなら、律法を行うことによっては、誰一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」(20)と連動させれば辻褄はあう。しかし、それは、本当にイエスが伝えたことなのだろうか。イエスの世界観、イエスの言う、神の国、神の支配のもとで御心を行い、生きることと同じだとは正直わたしには言えない。ひとつの解釈、それも、ある意味で、単純化バイアスに陥っているようにも見える。どうなのだろうか。
- ローマ 4:10,11 どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか、それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前です。アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証印として、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。
- 信仰義認が語られ、割礼によって義と認められるのではないことが縷縷語られている。このことが重要だったのだろう。ただ、ユダヤ人の割礼は男性のみ、そして、引用句では、割礼は「信仰によって義とされた証印」とされ、そうであれば、ある価値を主張しつつ、アブラハム以外の他のひとにとっての意味については述べていない。ユダヤ人への一つの議論ではあるとしても、そして、パウロにとっては、大切だったのだろうが、わたしには、議論が乱暴であるように思う。
- ローマ 5:18,19 そこで、一人の過ちによってすべての人が罪に定められたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
- 疑問を感じる。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。」(8)は、印象的ではあるが、そのように受け取ったのは、イエスの地上での歩みがあったから、理論や理念が最初にあったわけではない。そして、そのように、明確に示されているわけでもない。引用句の原罪の考え方もどうだろうか。人間が過つものである、罪を犯すものであることは示しているが、それ以上のものではないように思う。そろそろ、落ち着いて、神学書をよみ、どのように語られているか学ぶときなのかもしれない。
- ローマ 6:16-18 知らないのですか。あなたがたは、誰かに奴隷として従えば、その人の奴隷となる。つまり、罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従う奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。しかし、神に感謝すべきことに、あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から聞き従って、罪から自由にされ、義の奴隷となったのです。
- 難しいが、このように、A か B かということは、説明としてはわかりやすいが、現実の説明には、十分ではない、ある意味では、極端すぎるとも思う。このようなことが、分断を生むように思う。冷静に、丁寧に考えていきたい。「罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従う奴隷となって義に至るか」これをうけいれないといけないのだろうか。
- ローマ 7:15-17 私は、自分のしていることが分かりません。自分が望むことを行わず、かえって憎んでいることをしているからです。もし、望まないことをしているとすれば、律法を善いものとして認めているわけです。ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。
- 現実を考えると、このようなジレンマに陥る。ここでは、この困難を、憎んでいることをおこなっているのは、私ではないと言い切るが、それは、「私」の定義をも変更することで、罪をわたしの外にある実体だとしている。では、罪とは何なのか。どこまでが私で、どこからが罪なのか。これは、さらなる困難を引き起こすように思う。ていねいに、謙虚に考えていきたい。
- ローマ 8:31,32 では、これらのことについて何と言うべきでしょう。神が味方なら、誰が私たちに敵対できますか。私たちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないことがあるでしょうか。
- 正直、パウロ神学は、人間の神学だと思ってしまう。イエスが救い主であることを、考え抜いたものなのだろう。しかし、それが現代でも残っているのは、神の理解が、愛の神である、イエスの死の背後にも、神の愛があることを、説いており、パウロが解釈したキリスト論の背後にある、神理解が、イエスの行動や説いたこととつながることがあるのではないかと思う。引用句も、それを表現している。ある意味で、イエスと共に生きた弟子たちが、その意味では、拒否できないものがあったのかもしれない。続けて考えていきたい。
- ローマ 9:19,20 そこで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのか。神の御心に誰が逆らうことができようか。」ああ、人よ。神に口答えするとは、あなたは何者か。造られたものが造った者に、「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。
- ユダヤ人の問題に至り、選びと摂理へと進み、そのようになった理由を、ユダヤ人が信仰ではなく、行いによる義へと進んだからだとしている。乱暴であるとも思う。わからないとするしかないのではないだろうか。人間が神の御心を理解したと考えることこそ問題だと感じる。たしかに、イエスは地上ですべてを明らかにしたわけではない。しかし、神について、さまざまなことを教えてくださった。それを受け取って、謙虚に生きていくこと、それで十分であるように思う。
- ローマ 10:2-4 私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心さは、正しい知識に基づくものではありません。なぜなら、彼らは神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。キリストは律法の終わりであり、信じる者すべてに義をもたらしてくださるのです。
- 正しさの議論がここにある。さらに、キリストは律法の終わりだと宣言している。本当に、イエスは、そのように意識していたのだろうか。わたしには、そう思えない。律法を全うすることはその行動の中にあったと思うが。ユダヤ人も様々な、その熱心さを一括りにして良いのだろうか。コミュニケーションの仕方がわたしは気になっているのだろうか。そうかも知れない。丁寧に考えてみたい。
- ローマ 11:23,24 彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は彼らを再び接ぎ木することがおできになるからです。もしあなたが、自然のままの野生のオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、良いオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。
- 以前にも、接ぎ木について考えたことはあるが、整理してみよう。接ぎ木は、根は元のものを使うが、接ぎ木されたものが育っていき、接ぎ木されたものの形質を受け継ぐことになるはずである。元のオリーブの木についていた枝は、もとの形質を保つことになる。ということは、その段階で、本質が変化したものが接ぎ木されることを言っているのだろう。しかし、それがどのようにして変化するかは述べられていない。そこが問題なのか。
- ローマ 12:2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい。
- これがたいせつなことは、理解できるが、これをどのように知ればよいかが問題である。それを、イエスに求めるのではないかと思うが、ここでは、一般的なことが3節以降に書かれている。それぞれに与えられている賜物を活かすこと、そして、「善に親しみ、互いに深く愛する」(9,10)ことだろうか。パウロは、イエスの地上での歩みについてどう考えていたのだろうか。
- ローマ 13:8-10 互いに愛し合うことのほかは、誰に対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、貪るな」、そのほかどんな戒めがあっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
- このように言ってもイエスには、もどらない。なぜなのだろうか。ここまで、きっぱり言うには、イエスの影響も多いと思うのだが。根拠は、どのように考えていたのだろうか。単に、当時、福音書がなかった、一般的ではなかったということでは、説明できないことがあるように思う。
- ローマ 14:22,23 あなたは自分の持っている信仰を、神の前で持ち続けなさい。自ら良いと認めたことについて、自分を責めない人は幸いです。しかし、疑いながら食べる人は、罪に定められます。信仰に基づいていないからです。信仰に基づいていないことはすべて、罪なのです。
- 謙虚に求め続けること。同時に、これで良いのだとも思う。第一原則。わたしたちが、知っている知識は一部分に過ぎない。第二原則。わたしたちは、間違える。それを修正していくことにつねに心と強い意思を持つこと。第三原則。謙虚に、求め続け、ともに学び続けること。今日は、このように表現してみた。この信仰を、神の前で持ち続けたい。
- ローマ 15:14-16 きょうだいたち、あなたがた自身は善意に溢れ、あらゆる知識で満たされ、互いに相手を戒め合うことができると、この私は確信しています。記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、私が神から恵みをいただいて、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そして、それは異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、御心に適う供え物となるためにほかなりません。
- パウロとはどのような人なのだろう。なかなか複雑。文章だけでは、理解できないのかもしれない。ここには、祭司の役を務めているとしている。それだけの確信を持っているのだろう。ここでは、教義は持ち出さない。祭司とはなどと語り始めたらそう簡単にはいかないだろう。ある幅も持っているのだろうが、それが適切に伝わったかはわからない。背景が十分わからない、私たちには、さらに難しいわけだが。
- ローマ 16:17,18 きょうだいたち、あなたがたに勧めます。あなたがたが学んだ教えに反して、分裂やつまずきを引き起こす者たちを警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。こういう人々は、私たちの主であるキリストに仕えないで自分の腹に仕えている。そして、甘い言葉やへつらいの言葉によって、純朴な人々の心をだましているのです。
- 最後の章で、挨拶が記されているで突如厳しい言葉が挿入されている。背景の説明もなく、驚かされる。ローマには、パウロはまだ行っていないようだから、知っている人は何人もいるようだが、このような伝え方には、疑問も持つ。パウロの性質だろうか、何らかの部分が紛れ込んだのだろうか。内容が、誤解なく、適切に伝わったのだろうか。「自分の腹に仕えている」など、あまりにも、厳しいことばで驚かされる。以前は、あまりこのようなことは考えなかったが。
BRC2025(2)
コリントの信徒への手紙一聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 1コリント 1:11,12 私のきょうだいたち、実は、あなたがたのことをクロエの家の者たちから知らされました。あなたがたの間に争いがあり、あなたがたはめいめい、「私はパウロに付く」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」などと言い合っているとのことです。
- まず書かれているのは、分裂・争いである。これが人間なのかもしれない。戦争という人間の悲しい現実を避けるためには、分裂・分断を解消することだと思うのだが。不可能なのだろうか。聖書を読んでいて、とても、苦しい気持ちになる。
- 1コリント 2:2 なぜなら、あなたがたの間でイエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
- このあと、「私の言葉も私の宣教も、雄弁な知恵の言葉によるものではなく、霊と力の証明によるものでした。」(4)と語り、霊のことを語り、霊によってのみ、霊ことを理解できる(14)としています。「そちらに行ったとき、私は衰弱していて、恐れに捕らわれ、ひどく不安でした。」(3)という状態だったと告白しており、神にのみ頼ることは、十分理解できるし、素晴らしいが、これを一般化するのは、危険でもあるように思う。イエスの語ったこと、弟子を教えた事、イエスが地上でなした様々なことを、知恵の言葉も用い、丁寧に語り、様々な力を使って理解を促すことも重要なのだろう。
- 1コリント 3:1 きょうだいたち、私はあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまりキリストにある幼子に対するように語りました。
- 2章の内容とは食い違っている。妬み、争いがあるということは、霊の人であることを受け入れられないということだろう。現実は、そう簡単ではない。すなわち、霊の導きをもとめつつ、現実の肉の人と向き合うことだろう。どちらかに単純化するのは、危険である。丁寧に読んでいきたい。
- 1コリント 4:15,16 あなたがたに、キリストにある養育係が無数にいたとしても、父親が大勢いるわけではありません。キリスト・イエスにあって、福音を通して、あなたがたを生んだのは、私なのです。そこで、あなたがたに勧めます。私に倣う者となりなさい。
- 本当に、なにもないところから、ユダヤ教の背景もなく、神についてもかなりことなることを考えていた人たちにとって、パウロが説いたことは、すべてが新しかっただろう。とはいえ、一章にあるように、分派が起こるということは、他のひとからもある程度情報が得られるようになったこともあるだろう。そう考えると、パウロのことばは、強すぎるようにも思う。パウロの中にも様々な葛藤があったのかもしれないが。わたしは、十分背景を理解できているわけではないが。わたしの考えることとはだいぶん乖離を感じる。
- 1コリント 5:11 今度はこう書きます。きょうだいと呼ばれる人で、淫らな者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人を罵る者、酒に溺れる者、奪い取る者がいれば、そのような人とは交際してはいけない、一緒に食事をしてもいけない、ということです。
- 教会内の分断は、許容するように見える。ひとつひとつそれほど簡単ではないことは、キリスト教の歴史を見れば明らかなように思うが、どうなのだろうか。パウロが許容できない、見えている世界が、私が考える世界と異なっているのだと思うが、線をひくことは、極度に難しいと思う。そのような中でどうしたらよいか、わたしにもよくわからない。平和は、分断を回避することは、本当に難しい。
- 1コリント 6:19,20 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
- 私にはこのような感覚はない。折に触れて祈り、主に問うことはするが、そして、自分で決めたとしても、そのとおりになるわけではなく、主に委ねることが多いことも確かだが、やはり、選択はわたしに委ねられていると考えている。それが、主体的に生き、責任をもって行動するわたしの生き方だと思う。むろん、これに関しても、神がともに居てくださることを求めつつだが。パウロのような感覚にはなれない。十分理解できていないということか。
- 1コリント 7:25,26 未婚の人たちについては、私は主の命令を受けていませんが、主の憐れみによって信任を受けた者として、意見を述べます。現在迫っている危機のゆえに、人は現状にとどまっているのがよいと思います。
- この章の内容も難しい。それだけ何に関しても、パウロが判断しようとしたということなのだろうが。危険でもある。理由として理解できるのは、ここにある「現在迫っている危機のゆえ」ということばだが、具体的な内容は書かれていない。他のキリスト者がある程度合意するには、しばらくのとき(これがどのぐらいだか不明だが)が必要だったように思う。終末論は、そのうちの、主たるものなのだろうか。
- 1コリント 8:12,13 このように、きょうだいに対して罪を犯し、その弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです。それだから、食物が私のきょうだいをつまずかせるなら、きょうだいをつまずかせないために、私は今後決して肉を口にしません。
- たいせつな教えであるが、同時に、愛するように導かれているきょうだいは、たくさんおり、かつ多様であり、何をすることが愛するのかは難しいということでもある。夏に、石破首相が真榊を靖国神社に捧げたことについて、偶像にささげられた肉についての解釈を踏まえて、朝日新聞ポッドキャストで、朝日新聞で記事「(多事奏論)詫びる首相 クリスチャンを自認、胸の内は」「『石破君も覚えているはず』クリスチャン首相、神社に祈る胸の内は」を書いた田玉恵美さんらが話していた。より深い議論が必要だともまた説明責任もあると感じた。あまり、簡単ではない。
- 1コリント 9:21,22 私は神の律法を持たないのではなく、キリストの律法の内にあるのですが、律法を持たない人には、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人には、弱い人になりました。弱い人を得るためです。すべての人に、すべてのものとなりました。ともかく、何人かでも救うためです。
- 素晴らしいと同時に、疑問も抱く。「得る」とは何だろうか。この意味が明確にならなければ、いけないだろう。背後には、イエスをとおして、神のみこころを伝えることがあるように思われる。つねに、答えがあると考えるのはやはり傲慢だが、イエスならと考えたいのがわたしの立場である。党派心的な誘惑は常にあるので。
- 1コリント 10:4 皆、同じ霊の飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに付いて来た霊の岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
- なぜ、このように言えるのだろうか。わたしには、とても理解できない。このような解釈は、みなに許されているのか、それとも、パウロは特別なのか。特別だとすると、なぜなのだろう。8節に「彼らの中のある者がしたように、淫らな行いをしないようにしましょう。淫らな行いに及んだために、一日で二万三千人が死にました。」とあるが、民数記では一日とは書かれていないように見える。このあとも、「これらのことが彼らに起こったのは、警告のためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちを戒めるためなのです。」(11)とあるが、これは、一般的に、高解釈されるということなのだろうか。解釈は難しい。
- 1コリント 11:26 だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲む度に、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
- この部分は、福音書の記述とことなる。また、主の晩餐の制定の文章も、「食事のとき、各自が勝手に自分の食事を済ませ、空腹な者もいれば、酔っている者もいるという始末だからです。」(21)とあり、制定の文章のあとにも、「私のきょうだいたち、こういうわけですから、食事のために集まるときは、互いに待ち合わせなさい。空腹の人は、家で食事を済ませなさい。あなたがたが集まることによって裁きを受けることにならないためです。その他のことは、私がそちらに行ったときに決めましょう。」(33,34)とある。こちらが主のように思われる。どう厳密に解釈すべきかは、よくわからない。
- 1コリント 12:26-28 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です。神はご自身のために、教会の中でいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に癒やしの賜物を持つ者、援助する者、管理する者、種々の異言を語る者などです。
- とてもよい言葉だが、疑問ももつ。教会とは、世界の教会全体なのだろうか。すると、多くは、ここに挙げられている役割を担うものではないように思う。共に苦しみ、共に喜ぶのは、すばらしいが、なぜそうなるのか、ここが難しいように思う。そして、排他的にはならないのか。疑問をもってしまう。
- 1コリント 13:12,13 私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ていますが、その時には、顔と顔とを合わせて見ることになります。私は、今は一部分しか知りませんが、その時には、私が神にはっきり知られているように、はっきり知ることになります。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残ります。その中で最も大いなるものは、愛です。
- 今回は「それゆえに」を考えてみたい。「今は一部分しか知りません」にかかっているのか「その時には、私が神にはっきり知られているように、はっきり知ることになります。」の方なのだろうか。すくなくとも、今は、よくわからない時代を生きている。しかし、その今でも、神様には、はっきり知られている。これが、どのように、この次に繋がるのだろうか。正しさは不完全、しかし、その現在においても、完全に知られ、神様に愛されている。ということだろうか。やはり、明確には、わからない。
- 1コリント 14: 34-36 女は、教会では黙っていなさい。女には語ることが許されていません。律法も言っているように、服従しなさい。何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねなさい。女が教会で語ったりすることは、恥ずべきことです。それとも、神の言葉はあなたがたから出て来たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ来たのでしょうか。
- 背景としては、女性は公的な、教育を受ける機会がなかったのだろう。そうであっても、「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。」(33b)と、普遍化してしまうところに、問題があるのだろう。批判ばかりしては、いけないだろうが、変化の後の世界でのことを考えるのは難しいが、必要なことなのだろう。より本質的な問をたいせつにすることが一つだろうが、ほかには、どのような事があるだろうか。
- 1コリント 15:42-44 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものに復活し、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものに復活し、弱いもので蒔かれ、力あるものに復活し、自然の体で蒔かれ、霊の体に復活します。自然の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
- どのような体で復活するのかについても、語られている。肉体とは、分けて考えているように見える。通常霊体と呼ぶが、実際のところはよくわからない。個人的には、関係をもてることが大切なのかと思い、イエスは、神とも、悪魔とも、エリアやモーセとも、そして、おそらく、アブラハム、イサク、ヤコブとも個人的な関係を持っていたのだろう。肉体てきなものに近いことを否定しなくてもよいだろうが。
- 1コリント 16:8 しかし、五旬祭まではエフェソに滞在するつもりです。
- この記述からは、この手紙は、エフェソで書かれたようである。「私は、マケドニア経由で、そちらへ行きます。」(5a)からもある程度推測が立ち、「アジアの諸教会があなたがたによろしくと言っています。アキラとプリスカとその家の教会が、主にあって心からよろしくと言っています。」(19)からもそのことがわかる。ここには、アキラとプリスカのことも書かれている。ローマの信徒への手紙16:3には「キリスト・イエスにあって私の協力者であるプリスカとアキラによろしく。」とあり、このときには、この二人は、ローマにいたことになる。どちらが先かは不明だが、献金をエルサレムに送ることが書かれていることからすると、コリントの信徒への手紙一のほうがあとに書かれたと考えられるかもしれないし、プリスカとアキラは、頻繁に移動していたのかもしれない。拠点は、コリントにあったのだろうか。
BRC2025(2)
コリントの信徒への手紙二聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 2コリント 1:15,16 このような確信をもって、私は、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。そして、そちらを経由してマケドニアに行き、マケドニアから再びそちらに戻って、ユダヤに送り出してもらおうと考えたのでした。
- また、「私は、神を証人として、命にかけて誓いますが、私がコリントに行かなかったのは、あなたがたに情けをかけたからです。」(23)とある。手紙が他にもある可能性もあるし、不明の部分もあるが、おそらく、エペソにいて、船で、コリントにわたり、それから、陸路マケドニアに行き、それから、また、コリントに戻って、そこから、ユダヤに出発を考えていたのだろうが、それを変更し、エペソから、直接ユダヤに向かったのだろうか。なにが良かったかは不明である。コリントにいる人たちの顔も見えない。もう少し情報があると良いのだが。
- 2コリント 2:9-11 私が前に書き送ったのも、あなたがたが万事にわたり従順であるかどうかを確かめるためでした。あなたがたが何かのことで人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かのことでその人を赦したとすれば、それは、あなたがたのために、キリストの前で赦したのです。私たちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。
- パウロについていけない人もいただろうなと思う。人間指導者の限界でもあるが、プロテスタントのように分裂をする大本がこのあたりにあるように思う。たしかに、多くのことについて、パウロが知識を持っていたことは確かだろうが、知識は、真理と関係はしていても、神の知恵、御心そのものではないだろう。ここで、落ちこぼれてしまう人、離れていく人、どうするのが良いのだろうか。わたしも、どうしたらよいかよくわからない。
- 2コリント 3:16-18 しかし、人が主に向くならば、覆いは取り去られます。主は霊です。そして、主の霊のあるところには自由があります。私たちは皆、顔の覆いを除かれて、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに変えられていきます。これは主の霊の働きによるのです。
- 「人が主に向くなら」これが具体的になにを意味しているかが重要であるように思う。わたしの考えと、パウロの考えとは異なるように思う。わたしにとっては、これは、福音書を中心として描かれているイエスの行動から学ぶことを意味しているが、パウロにとっては、十字架上での贖いの死と、復活を通して示されているとする御心ではないのだろうか。むろん、これは、相対するものではないかもしれない。しかし、日常生活、そして福音理解には、大きな差があるように思う。丁寧に、求め続けたい。ひとつの考えに固まらずに。
- 2コリント 4:10-12 私たちは、死にゆくイエスをいつもこの身に負っています。イエスの命がこの身に現れるためです。私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。イエスの命が私たちの死ぬべき肉体に現れるためです。こうして、私たちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働くのです。
- わたしには、ここまでの法則は見えない。そして、「すべてのことはあなたがたのためであり、こうして、恵みがますます多くの人に及んで、感謝を満ち溢れさせ、神の栄光となるのです。」(15)このような手紙を受け取ったら、苦しくなってしまうように思う。イエスの死を通して示された愛は、ある程度理解できる。そして、その死によって生かされているとも思う。しかし、イエスの地上での生涯を負って生きたいとの願いはあるが、それ以上のものかどうかは、私には不明である。このようなメッセージを受け取ったら、どのように応答したらよいのだろうか。
- 2コリント 5:14,15 事実、キリストの愛が私たちを捕らえて離さないのです。私たちはこう考えました。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人が死んだのです。その方はすべての人のために死んでくださいました。生きている人々が、もはや自分たちのために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きるためです。
- この論理も、正確にはわからない。キリストによって生きるようにされたこと。死んでくださったかたを思い、生きることは、理解できるが、それ以上に進めることは、観念的でもあるように見える。実質的に、キリストの愛を感謝して生きることができればと願う。
- 2コリント 6:12,13 私たちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたのほうが自分で心を狭めているのです。子どもに話すように言いますが、あなたがたも同じように心を広くしてください。
- 具体的にどのようなことを言っているのかは不明である。何らかのトラブルがあることは確かだが。受取人は、それが何なのか理解できたのだろうが、内容によってどのように判断するかは、変わってくるように思う。おそらく、パウロたちに対する批判があったのだろう。これも、コリント前書の冒頭にある分裂と関係しているのだろうか。ひとつとなることは、本当に難しい。
- 2コリント 7:11,12 神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱い思い、弁明、不快、恐れ、慕う心、熱意、処罰をもたらしたことでしょう。あの事件に関しては、あなたがたはすべての点で自分が潔白であると主張しました。ですから、私はあなたがたに手紙を書きましたが、それは不正を働いた人のためでも、その被害者のためでもなく、あなたがたが私たちに抱いている熱い思いが、神の前に明らかになるためだったのです。
- ここもあまりはっきりしない。背景が明確でないからだろう。いずれにしても、パウロの側は、自分たちに問題があったとは、
言っていないようである。同時に、引用句から、コリント教会も潔白であるという。批判したのは、パウロ側であることを考えると、どれがどう説明されるかが重要だが、それは、されていないように見える。正直、よくわからない。いつか、ゆっくり学んでみたい。
- 2コリント 8:7,8 あなたがたは、信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、私たちから受ける愛など、すべての点で満ち溢れているのですから、この恵みの業にも満ち溢れる者となってください。こうは言っても、私は命令するのではありません。ただ、他の人々の熱心に照らして、あなたがたの愛が本物であるか、確かめたいのです。
- このあと、献金のところに至るのだが、正直、この言説が嫌な人、受け入れられない人はいただろう。愛とは、このようなものなのだろうか。愛が本物かどうか、たしかに、本物ではない愛は、多いのだろうが、このように言うことで、本物の愛が得られるのだろうか。それも、ユダヤの貧しいひと(聖なる者)たちへの献金を集めるという背景があるなかで。現代でもあるように思う。自発的な、ある意味で本物の愛は難しい。イエスはどう考えていたのだろうか。このようなときに、どうされただろうか。考えてしまう。
- 2コリント 9:8,9 神は、あらゆる恵みをあなたがたに満ち溢れさせることがおできになります。こうして、あなたがたは常にすべてのことに自足して、あらゆる善い業に満ち溢れる者となるのです。「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与え/その義は永遠に続く」と書いてあるとおりです。
- 引用は、「主を畏れ/その戒めを大いに喜ぶ人」の幸いについてのべた、詩篇112:9「貧しい人々には惜しみなく分け与え/その正義はいつまでも続く。/彼の角は栄光の中、高く上げられる。」からの引用とある。引用句で「彼」は、神なのか「あらゆる善い業に満ち溢れる者」なのか不明だが、神と共に働くものとなることが語られているのだろう。その基本のほうが、たいせつであるようにおもう。献金を集めるのは、どの時代でもあまり簡単ではない。受ける側も同様に簡単ではないのかもしれない。
- 2コリント 10:1-3 さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強気になる、と思われている、この私パウロが、キリストの優しさと公正さとをもって、あなたがたに願います。私たちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に振る舞うつもりです。そう確信していますが、私がそちらに行くときには、強気にならずに済むようにと願っています。私たちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦っているわけではありません。
- このように人々が口にするのは、なにが原因だったのだろうか。ユダヤの貧しい聖なる者たちへの献金が関係しているのではないだろうか。コリントの人たちにとっては、偶像礼拝から、キリスト教に移行したことはある意味を持っていただろうが、この人たちのことを思い見ることは簡単ではなかっただろう。イエスの歩みについてパウロが丁寧に語っていれば、そして、証人たちの価値が通じるかたちで話していれば違ったのではないだろうか。福音書を好むわたしには、十二弟子やそこにいた目撃証言は重要に思うが、死と復活だけに集中していたとすると、新しい教えとしての価値しかなかなか理解できなかったのではないだろうか。つづけて考えたい。
- 2コリント 11:7-9 それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたことが、私の罪になるのでしょうか。私は他の教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための賃金を得たのです。あなたがたのところにいて生活に困ったときも、私は誰にも負担をかけませんでした。マケドニアから来た兄弟が私の欠乏を補ってくれたからです。私は何事につけ、あなたがたの重荷にならないようにしてきましたし、これからもそうするつもりです。
- やはり、共通理解が進まない背景に、経済的な問題があったように思う。最初に、キリストを受け入れた層の問題もあるかもしれない。パウロの神学を理解できるのは、ある程度教育のある人たちだけだったろう。経済的な余裕もある人たちだったかもしれない。イエスが伝えた層とは、ことなる。その社会のなかで、共生や、弱者をも神に愛されているものとして受け入れ、愛するのは難しかったのではないだろうか。どうすればよかったかは簡単ではない。そこで、パウロを批判はできないが、構造的な問題が、背景にあり、福音についても、やはり一面しか伝えられていないように思う。どうだろうか。
- 2コリント 12:16,17 それはともかく、あなたがたに重荷を負わせなかったのに、私は悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。そちらに遣わした人たちの誰によって、あなたがたから貪り取ったでしょうか。
- 十分な信頼関係が築けていないのだろうか。推測の域をでないが、多くの人は信頼しているにも関わらず、中には批判する人がいたということではないのだろうか。ついついそれに強く反応してしまう。それが、とくに、自分がたいせつだとして注意していることについてであったりするとなおさらである。この場合がそれに当たっているかどうかは不明だが。この章の始めは「私は誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示とについて語りましょう。」(1)となっている。「このような人のことを私は誇りましょう。しかし、私自身については、弱さ以外は誇るつもりはありません。」(5)とあるので、中心ではないことは確かだが、なぜこのようなことを書くのか気になる。このような経験をしているひとを好む傾向がコリント教会にあったのだろうか。異言のことなどを考えると、否定はできない。個人的には、このようなことを書くのは適切だとは思わないが、わたしには、理解できない、様々な難しい背景があったのだろう。
- 2コリント 13:11 終わりに、きょうだいたち、喜びなさい。初心に帰りなさい。励まし合いなさい。思いを一つにし、平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
- どうも、まとまりがよくない終わりになっている。通常の他のひとからの挨拶などもかかれていない。この章の最初に「私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の人の証言によって確定されるべきです。」(1)とあり、そのような背景が、このような手紙になったのかもしれない。望みは平和である。しかし、それは、難しいのだろう。現実社会では、それはないのかもしれない。
BRC2025(2)
ガラテヤの信徒への手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
- ガラテヤ 1:4 キリストは私たちの父なる神の御心に従って、今の悪の世から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身を献げてくださったのです。
- まず冒頭に「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、この方を死者の中から復活させた父なる神とによって使徒とされたパウロ、」(1)とあり、さらに、「きょうだいたち、どうか知っておいてほしい。私が告げ知らせた福音は人によるものではありません。なぜならこの私は、その福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、実にイエス・キリストの啓示を通して受けたからです。」(11,12)とされており、御心が啓示により、使徒とされたのも直接神によると断言し、その内容が引用句に書かれている。贖いの死である。ここまで断定されると、反論はできない。しかし、とても危険でもある。これをそのまま受け入れないと、キリスト者にはなれないのか。
- ガラテヤ 2:9,10 私にこのような恵みが与えられたのを認めて、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、私とバルナバに交わりのしるしとして右手を差し出しました。こうして私たちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。ただ、私たちがこれからも貧しい人たちを顧みるようにとのことでしたが、私はこのことのためにも大いに努めてきたのです。
- 使徒15章のエルサレム使徒会議について述べているように見える。そこには「聖霊と私たちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことにしました。すなわち、偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉と、淫らな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。では、お元気で。」(28,29)と末尾にある手紙がついている。この正確性については、問われているのでわからないともいえるが、ある程度詳細に関する議論は残ったのではないだろうか。さらに、「貧しい人たちを顧みるように」とのことが含まれているが、懸念があったということだろう。それは、知的な議論に対するものであったのかもしれない。不明な点が多いと思わされる。
- ガラテヤ 3:16 さて、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して「子孫たちとに」とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この子孫とは、キリストのことです。
- 「主はアブラムに現れて言われた。『私はあなたの子孫にこの地を与える。』アブラムは、自分に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。」(創世記12:7)からの引用である。’לְזַרְעֲךָ אֶתֵּן אֶת־הָאָרֶץ הַזֹּאת’ たしかに、זֶרַע(seed, sowing, offspring)の単数のようである。一般的には、イシュマエルなどではなく、イサクのみを指すと理解されていると思う。ここで、キリストのこととするのは、飛躍があると思う。そうとも理解することができるということだろうか。
- ガラテヤ 4:30,31 しかし、聖書は何と言っているでしょう。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷の子は、断じて自由な身の女の子と一緒に相続をしてはならない」とあります。それゆえ、きょうだいたち、私たちは女奴隷の子どもではなく、自由な身の女の子どもなのです。
- 「エジプトの女ハガルはアブラハムに子を産んでいたが、サラは、その子が遊び戯れているのを見て、アブラハムに言った。『この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子が、私の子、イサクと並んで跡を継ぐことはなりません。』この言葉はアブラハムにとって大変つらいことであった。その子も自分の子だったからである。神はアブラハムに言われた。『あの子と女奴隷のことでつらい思いをすることはない。サラがあなたに言うことは何でも聞いてやりなさい。イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれるからである。しかし私は、あの女奴隷の子もまた一つの国民とする。彼もあなたの子孫だからである。』」(9-13)これが原文である。だいぶん、印象が異なる。ここでは、イサクとイシュマエルを差別しているように見える。本当にそれが核心なのだろうか。イスラムのことも考えると、より進んだ理解が必要だと思う。
- ガラテヤ 5:13-15 きょうだいたち、あなたがたは自由へと召されたのです。ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい。なぜなら律法全体が、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句において全うされているからです。互いにかみ合ったり、食い合ったりして、互いに滅ぼされないように気をつけなさい。
- ここには、たいせつなことがたくさん含まれていると思う。自由について十分語っていないが、自由であることは、その行動からみてとれる。そして、互いに仕えることは、そのように、伝えられてはいないが、教えていたことは確かである。ここは、もっとじっくり考えたい。他者、それも、仲間とは思えないようなひととどう対応するかである。丁寧に学びたい。
- ガラテヤ 6:9,10 たゆまず善を行いましょう。倦むことなく励んでいれば、時が来て、刈り取ることになります。それゆえ、機会のある度に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
- 刈り取ることを期待するのは、どうかと思うが、このあとの、特に信仰によって家族になった人々に対してもふくめ、まずは、そのような自然な、身近なところからは、真実を含んでいると思う。
BRC2025(2)
エフェソの信徒への手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
- エフェソ 1:3-5 私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上で、あらゆる霊の祝福をもって私たちを祝福し、天地創造の前に、キリストにあって私たちをお選びになりました。私たちが愛の内に御前で聖なる、傷のない者となるためです。御心の良しとされるままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、前もってお定めになったのです。
- 予定説といえる内容が書かれている。これは確かめることができない、すなわち、反証可能性がない。同時に、このような宣言が、差別を引き起こす危険性があることも思わされる。世界の中での分断が生じる。それは、著者の意図したことでは無いだろうが、人間の罪の結果であるように思う。難しい。
- エフェソ 2:18,19 このキリストによって、私たち両方の者が一つの霊にあって、御父に近づくことができるのです。ですから、あなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者たちと同じ民であり、神の家族の一員です。
- キリストがすべての分かれ道である。キリストの十字架上の死のあがないの前と後で完全に世界が変化しているとする。これは、福音宣教の核だとも、言えるが、個人的に、危険性も感じる。キリスト以前のひとびとを切り捨ててしまっているからである。大きな歴史の中で捉える歴史認識もこの危うさを含んでいる。神は、そのような方なのだろうか。分断である。ここから、逃れなければいけないように、わたしには思われる。
- エフェソ 3:6 すなわち、異邦人が福音により、キリスト・イエスにあって、共に相続する者、共に同じ体に属する者、共に約束にあずかる者となるということです。
- これは、ユダヤ人にとっては、とてつもなく大きなことだったろう。受け入れられない人も多かったと思う。これを、パウロは啓示によりとしているが、「この秘義は、前の時代には人の子らには知らされていませんでしたが、今や霊によってその聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。」(5)このようにも書かれており、パウロへの啓示だけではないとしているのだろう。それは、イエスによるものか、ここでは、明確ではない。福音書からも、おそらく、明確とは、言えないのだろう。否定はできない、証拠はいくつもあるが。
- エフェソ 4:14,15 こうして、私たちはもはや子どもではなくなり、人の悪だくみや、だまし惑わす策略によるどのような教えの風にも弄ばれたり、振り回されたりすることなく、愛をもって真理を語り、頭であるキリストへとあらゆる点で成長していくのです。
- このように、望みたいが、実際、そうなっているかは、わたしには、よくわからない。たくさんの試練があり、誘惑もある。変化はしており、学んでもいると、それが、頭であるキリストへと成長しているのかはっきりはしない。確信はない。それでよいのだろうか。正直よくわからない。
- エフェソ 5:1,2 ですから、神に愛された子どもとして、神に倣う者となり、愛の内に歩みなさい。キリストも私たちを愛して、ご自分を宥めの香りの供え物、また、いけにえとして、私たちのために神に献げてくださったのです。
- そのとおりと言いたいが、神に倣うものの実際がわからない。イエスの生き方に倣うことはある程度学ぶことができ、わたしはそれをめざしている。この章には、日常生活における、倫理的な教えがおおい。それは、おおむね理解できるが、これが神に倣うものの生き方、歩み方だとすると、疑問を感じる。危険性をもかんじてしまう。
- エフェソ 6:1-3 子どもたち、主にあって両親に従いなさい。それは正しいことだからです。「父と母を敬いなさい。」これは第一の戒めで、次の約束を伴います。「そうすれば、あなたは幸せになり、地上で長く生きることができる。」
- 敬うことと、従うことは同じなのか。わたしには、そうは思わない。両親は、自分で選ぶものではなく、神様から与えられている、定められているともいえる。その両親を尊重することは、神が定められたことを受け入れることでもある。神に従うことと、権威に従うこととの違いでもある。尊重しつつ、御心に照らして丁寧に考えるべきだと思う。時代性や、社会性もあるかな。
BRC2025(2)
フィリピの信徒への手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
- フィリピ 1:6,7 あなたがたの間で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までにその業を完成してくださると、私は確信しています。私があなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、獄中にいるときも、福音を弁明し立証しているときも、あなたがた一同を、共に恵みにあずかる者と思って心に留めているからです。
- わたしは、昔からフィリピの信徒への手紙が好きだが、その理由は何なのだろうか。いろいろな出会いが背後にあることは、確かだが、パウロとフィリピの人たちの友好関係がよみとれる、いい雰囲気の手紙だからであるように思う。パウロの厳しさがときどき現れるが(この章では、例えば16節)一定して親しさを感じる。パウロの晩年ということも関係はしているかもしれないが、信頼関係、自分を支えてくれているひとたちという意識があるからかもしれない。そんなことも考えながら読んでいきたい。
- フィリピ 2:30 彼はキリストの業のために命を懸け、死にそうになったからです。私に対するあなたがたの奉仕の足りない分を補おうとしてくれたのです。
- エパフロディトに関することだが、実際になにがあったかはわからないが、なにか気持ちが伝わってくる感じがする。フィリピのひとたちも、エパフロディトにも感謝するとともに、パウロとの関係も深くなるだろう。不明な点は多いが、あたたかいものを感じる。
- フィリピ 3:2,3 あの犬どもに気をつけなさい。悪い働き手たちに気をつけなさい。形だけ割礼を受けた者に気をつけなさい。神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉を頼みとしない私たちこそ真の割礼を受けた者です。
- 分断は、回避できないのだろうか。あの犬どもと、わたしたちの対比、正しさによる裁き・判断、わたしには、ここに大きな課題があると思うが、正しくないと思われるひとたちとの対応のしかたが鍵なように思う。暴力をもって闘って来たら、対応は簡単ではない。「あなたのことを教えて下さい」と向き合えるだろうか。
- フィリピ 4:8 なお、きょうだいたち、すべて真実なこと、すべて尊いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判のよいことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。
- 美しいことばである。これらとの出会いがあることも含んでいるのだろう。学びは日々あり、出会いがある。その背景には、知らないことが非常に多いことがあると思うのだが、ひとはなかなかそのことを受け入れられない。ここに争いのもとがあるように思う。
BRC2025(2)
コロサイの信徒への手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
- コロサイ 1:28,29 このキリストを、私たちは宣べ伝え、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています。それは、すべての人を、キリストにある完全な者として立たせるためです。このために、私は労苦し、私の内に力強く働くキリストの力によって闘っているのです。
- 「すべての人」が二回登場する。これは、全世界のひとなのだろうか、パウロが福音を伝えた、コロサイのひとたちなどなのだろうか。世界観がよくわからない。パウロの時代に世界全体を語ることはできなかったとは思うが、わたしたちには、その責任がある。
- コロサイ 2:20-22 あなたがたは、キリストと共に死んでこの世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、この世に生きている者のように、「手を付けるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのですか。これらはみな、使えばなくなるもの、人間の戒めや教えに基づくものです。
- ここまで言い切るのは、当時は、とても、たいへんなことだったろう。人間世界の決まり事と、普遍的な神のがわの決まり事を区別する。そう簡単ではないと思うが、ここに、パウロの教えの強さと弱さがあるのかもしれない。しかし、わたしには、なにもできないように思う。キリスト教の中で、すこし異なることをとくことも、キリスト教のそとで、新たな道を伝えることも。
- コロサイ 3:5 だから、地上の体に属するもの、すなわち、淫らな行い、汚れた行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかなりません。
- これはできない。肉体を持って生きている以上できないとも言えるし、気づかず、少しずつ気付かされることもあり、一生気づかないこともあるだろう。理想を言っているだけでなく、キリストを救い主と信じれば、すべてが新しくなるとの考え方が背後にあるのだろう。たしかに、多くのことが新しくなる。しかし、すべてではない。そのことも、心しておくべきことなのだろう。
- コロサイ 4:1 主人たちよ、奴隷を正しく公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも天に主がおられるのです。
- 3章のおわりでは、奴隷にたいして語っている。そして主人にたいして。正しく公平に扱うなら、すでに、奴隷ではなくなるだろう。そこに至るには、2000年近くかかることになる。現代でもそうかもしれない。神様が正しく、公平なかただと理解するなら、すこしずつ見えてくることなのかもしれない。おそらく、すこしずつなのだろうが。
BRC2025(2)
テサロニケの信徒への手紙一聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 1テサロニケ 1:9,10 私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたのか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち帰って、生けるまことの神に仕えるようになり、また、御子が天から来られるのを待ち望むようになったのかを、彼ら自身が言い広めているからです。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方、来るべき怒りから私たちを救ってくださるイエスです。
- 聖書に含められている中で、パウロが最初に書いた手紙だといわれている。このあとも、ずっとこの意識だったかどうかは不明だが、この時点では、1. 偶像から神に立ち返った、2. 生けるまことの神に仕えるようになった、3. イエスの再臨を待ち望むようになった。ことが核なのだろう。正直にいうと、個人的には問題点も感じる。イエスは、異邦人にたいするときも、このように対したのだろうか。分断のもとではないのか。平安祈りたい。
- 1テサロニケ 2:11,12 あなたがたが知っているとおり、私たちは、父親が子どもに対するように、あなたがた一人一人に、神にふさわしく歩むように励まし、慰め、強く勧めました。神は、あなたがたをご自身の国と栄光へと招いておられます。
- テサロニケの人たちの指導内容はここに書かれている。神にふさわしく歩むということは、ユダヤ教についても、ほとんど知識のないひとには、非常に理解しづらいことだったのだろう。その内容はどのようなものだったのだろうか。このあとに書かれているのか、丁寧に読んでいきたい。おそらく、倫理的に高い人達は、どの社会にもいたと思われるが。
- 1テサロニケ 3:12,13 私たちがあなたがたを愛しているように、主があなたがたを、互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ち溢れさせてくださいますように。また、あなたがたの心を強めてくださり、私たちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共に来られるとき、私たちの父なる神の前で、あなたがたを聖なる、非の打ちどころのない者としてくださいますように、アーメン。
- パウロの熱情と愛情だろうかは、伝わってくる。しかし、前半は、一生のことであり、後半を強調するのは、問題もあるようにおもう。一方で、再臨を差し迫ったものとして伝え、他方、前半を目指せば、自らの欠陥がますます明らかになっていくのだから。それを避けようとすると、目に見える判定条件を持ち出すなどの、危険性も増すことになる。
- 1テサロニケ 4:15-17 主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、続いて生き残っている私たちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に出会います。こうして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。
- このあとには「ですから、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい。」(18)が続く。愛する人を天に送り、悲しみの中で、再臨のときにどうなるのだろうかとの不安が生じていたのだろう。人間の通常の思いの中で理解するのは、問題も生じるだろう。そのように伝えられたのなら、パウロの責任もあるように思う。主の再臨は、どうしても、興味をもたれ、一足飛びに、それを眼の前に描こうとする。気をつけなければいけないと思う。実際、世の終わりかと思わされる状況は、起こるのだから。
- 1テサロニケ 5:11-13 ですから、あなたがたは、今そうしているように、互いに励まし合い、互いを造り上げるようにしなさい。きょうだいたち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを導き、戒めている人々を重んじ、彼らの働きを思って、心から愛し敬いなさい。互いに平和に過ごしなさい。
- 主の再臨のとき、終わりのときの迎え方が書かれている。しかし、引用句のように、基本的には、パニックになったり、特別なときと考えてそのために特別のことを準備したり企画したりするのではなく、日常を、御心にそって、イエスを思い見て過ごすことのように思う。その生活において、大切なことが書かれており、引用句もまさにそのような生き方なのだろう。このことを、大切にして日々を生きていきたい。
BRC2025(2)
テサロニケの信徒への手紙二聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 2テサロニケ 1:3 きょうだいたち、あなたがたのことをいつも神に感謝せずにはいられません。また、そうするのが当然です。あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがた一同の間で、互いに対する一人一人の愛が豊かになっているからです。
- このように言えるのは幸せ。互いに対する一人ひとりの愛、これが広がっていくことはできないのだろうか。分断を引き起こさず、互いのことを思い、その背後におられる神様のはたらきを思い見て、信頼しつつ愛を育むことだろうか。
- 2テサロニケ 2:8 その時、不法の者が現れますが、主イエスはご自分の口から吐く息で彼を殺し、来られるときの輝かしい光によって滅ぼしてしまわれます。
- 何年ごろのことか不明だが、「主の日がすでに来たかのように言う者」(2)もいて、混乱していることが見て取れる。婉曲表現を使っているのは、そのような断定ではなく、パウロの語っているようなことが一部起こっているという人がいたのだろう。終末論は、日常生活を豊かにするのは、難しい。気をつけて日々を送るのは、難しい。引用句に書かれているようなことは、正直想像できない。大変な混乱があったのだろう。パウロの働きの意義はある程度理解できるが、終末論は、混乱を引き起こしていると感じる。
- 2テサロニケ 3:6,7 きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、私たちから受けた教えに従わないすべてのきょうだいを避けなさい。どのように私たちを見習うべきかは、あなたがた自身がよく知っています。私たちは、あなたがたの間で、怠惰な生活を送りませんでした。
- 生き方は、怠惰な生活を送らず、適切に働いていたのだろう。しかし、主の日、世の終わり、新しい世界になるというメッセージが混乱を生じさせていることがこの手紙の背後にある。これが、イエスの生き方を学ぼうとする働きにつながったのかもしれない。そのような資料はないのだろうか。
BRC2025(2)
テモテへの手紙一聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 1テモテ 1:13,14 私は、かつては冒瀆する者、迫害する者、傲慢な者でしたが、信じていないときに知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。私たちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛と共に満ち溢れたのです。
- 変化があったことを述べている。しかし、このことによって、本当に死から命に移ったのだろうか。フィリピを書いた頃のパウロであれば、求め続けていること、達成はしていないことを付け加えたのではないだろうか。すこし、心配する。回心にあまりに依存することの危険性だろうか。わたしは、同じように、目が開かれたという経験があるが、結局、ほとんど何もわかっていなかったとその後も何度も感じさせられた。求め続けるものでありたい。
- 1テモテ 2:11-13 女は静かに、あくまでも従順に学ぶべきです。女が教えたり、男の上に立ったりするのを、私は許しません。むしろ、静かにしているべきです。なぜなら、アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。
- このあとには「また、アダムはだまされませんでしたが、女はすっかりだまされて、道を踏み外しました。」(14)さらに「しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と清さを保ち続けるなら、子を産むことによって救われます。」(15)とまで書かれている。これを文字通り受け入れる人たちがいることも知っているが、「アダムはだまされませんでしたが」とどのような考察から言えるのか、誤りも含まれる。むろん、これも、啓示で、神から直接霊感によって示された、神のことばだとする考え方もあるだろうが。難しい。
- 1テモテ 3:4,5 自分の家をよく治め、常に気品を保って、子どもを従順な者に育てている人でなければなりません。自分の家を治めることのできない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。
- たいせつなことではあるが、すでに組織化が進んでいることも確かである。イエス様の時代は、そうではなかったのだろう。イエスが選ばれたのは、おそらく、このような人たちではなかった。しかし、ひとの世界では、やはり必要なことであるとも思う。判断は難しいが。イエスならどうされただろうか。
- 1テモテ 4:16 自分のことと教えとに気を配り、それをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。
- これは、すでに、ひとの世界の事になっている。それで良いのだろうか。やはり、イエスが求めておられたことは違うようにおもう。だからといって、こうすればよいとはわたしには、書けない。どうしたら良いのだろうか。そういう中で、ここに落ち着くしかなかったのかもしれない。つまらないことを書いてしまったか。
- 1テモテ 5:3 本当にやもめである人をやもめとして大事にしてあげなさい。
- どうも、いろいろと切り捨てているように見える。限られた富の分配なのだろうが、このように原則を並べ立てるのは、気になる。甘くすることが良いわけではないが、このようなやり方は、神の愛からは、程遠くなってしまうだろう。ていねいに、向き合いたいものである。
- 1テモテ 6:6 もっとも、満ち足りる心を伴った敬虔は、大きな利得の道です。
- わたしは、ケチと言われても、自分の持てるもので満足しようとしてきた。それは、アジアの人たちに恥ずかしくない生き方をしようと決意したからである。自分を敬虔に、謙虚にみせるためではなく、責任をもった生き方として、アジアの、日本が侵略した国々のひとたちと、共に生きる道を模索したいからだろうか。そして、最初に出会った人たちが、ほんとうに貧しい人たちだったから。それ故の、満ち足りる心をもった、敬虔な求めてきたということだろうか。
BRC2025(2)
テモテへの手紙二聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 2テモテ 1:10 今や、私たちの救い主キリスト・イエスが現れたことで明らかにされたものです。キリストは死を無力にし、福音によって命と不死とを明らかに示してくださいました。
- キリストを起点として大きな変化が起こったとあるが、イエスはそう思われていただろうか。「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と言われたとき、そして、エリヤ、モーセと語り合ったとき、イエスの死の前と後とを区別されたのだろうか。わたしには、そうは思えない。どのような区別があるのか、それも不明である。
- 2テモテ 2:4 兵役に服している者は、生計を立てるための仕事に関わることなく、ただ自分招集した者を喜ばせようとします。
- わたしには、正直わからないが、おそらくそうなのだろう。すると、価値観は明らかにことなる。このことから、ある程度自由な人もいるだろうが、特に、職業軍人においては、この意識が強いのだろう。それを、否定していくのはむずかしいい。このことは、もっとしっかりと理解したい。
- 2テモテ 3:1,2 このことを知っておきなさい。終わりの日には困難な時期がやって来ます。その時、人々は、自分自身を愛し、金に執着し、見栄を張り、思い上がり、神を冒涜し、親に逆らい、恩を知らず、神を畏れなくなります。
- これは、一般のひとについて言っているのだろうか、それとも、キリスト者について言っているのだろうか。おそらく、そういう区別は必要ないのだろう。ひとりの人の中でも、このような面が現れてくると、言っているのかもしれない。人間のなかには、このような面が常にあり、闘っているように思う。すくなくとも、わたしはそうだろう。それが人間であるとも言える。
- 2テモテ 4:6-8 私自身は、すでにいけにえとして献げられており、世を去るべき時が来ています。私は闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今や、義の冠が私を待っているばかりです。かの日には、正しい裁判者である主が、それを私に授けてくださるでしょう。わたしだけでなく、主が現れるのを心から待ち望むすべての人にくださるでしょう。
- わたしには、このように言えない。しかし、ある人たちにとって、パウロはそのような立派なモデルだったのだろう。そのことはある程度理解できる。それを拡張適用していくことは、やはり危険であると思う。そのような真理は絶対化され、独り歩きを始めてしまうからである。霊感と啓示いうようなことばで。
BRC2025(2)
テトスへの手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
- テトス 1:15,16 清い人には、すべてが清いのです。しかし、汚れた不信仰な者には、何一つ清いものはなく、その知性も良心も汚れています。こういう者たちは、神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定しているのです。実に忌まわしく、不従順で、どんな善い行いについても失格者です。
- このような二元的な原理が、さまざまな場所で使われることは致し方ない。ひとつの省エネなのだから。しかし、実際の人間社会は、そのような単純な構造ではない。そして、愛は、そのような中で働くのだと思う。人間には、不得意な、確率や度合いの問題。これは、いつまでも、どうしたらよいかわからないものとして、続くことだろう。
- テトス 2:11-13 実に、救いをもたらす神の恵みはすべての人に現されました。その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲とを捨てて、今の時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生きるように教え、また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。
- 最初の一文に依存はないが、そのあとは、どうも、イエス様のメッセージとはことなるように感じてしまう。おそらく、さらなる啓示が必要なものなのだろう。そして、それもキリスト教の一部であると受け入れたものが、継承されてきたのだろう。否定はしないが、絶対的なものだとは、わたしには、言えない。
- テトス 3:9,10 愚かな議論、系図、争い、律法についての議論を避けなさい。それらは無益で空しいものだからです。分裂を引き起こす人は、一、二度、戒めたうえで、除名しなさい。
- 議論が、分裂を引き起こすとし、それを避けなければとしている。分裂について、その中身もみないといけないのだろうが、わたしも、共に生きられなくなる分裂・分断は避けなければいけないと思う。議論も、そこに至るかどうか、これは、そこにいる人に依存するので、一概にはいえないのだろう。難しい。どうしたらよいのだろうか。人間に判断できるのだろうか。
BRC2025(2)
フィレモンへの手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
- フィレモン 18 また、彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負っていたりしたら、それは私の借りにしておいてください。私パウロが自分の手でこう記します。私が返済します。あなたが自分を、私に負うていることは、言わないことにしておきましょう。
- どうも、あまりよい雰囲気ではないが、これも、パウロの性格なのだろう。人間味溢れていると理解しておこうか。ひとに任されていることで、そう簡単ではないことは、多い。どのように、生きていったらよいのかは、あまり簡単ではない。
BRC2025(2)
ヘブライ人への手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
- ヘブライ 1:3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の現れであって、万物をその力ある言葉によって支えておられます。そして、罪の清めを成し遂げて、天の高い所におられる大いなる方の右の座に着かれました。
- ヘブライ1章冒頭は、いろいろなものが詰まっている。ここには、イエスについて、栄光の輝き、本質の現れ、すなわち素晴らしいものがすべて現れているとしている。わたしの信仰告白とも通じる。その次の、万物を支えることば、わたしは、ここまでは言えないが、本質的なたいせつなことが、イエスの言葉と歩みに現れていると思っている。そして、罪の清めを成し遂げてと続く。このイエスによって生きるようにさせられていることには、単純にアーメンと応じたい。
- ヘブライ 2:18 事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
- おそらく、これも、神の栄光の輝き、本質の現れなのだろう。神も、苦しんでおられ、悩んでおられるのだと思う。神の痛みがどのようなものかはわからないが、イエスが苦しまれたことは、神の苦しみでもあったことは、確かだろう。人間が互いに愛し合うことは本当に難しい。神の設計ミスなのだろうか。自由意志の難しさを感じる。
- ヘブライ 3:12-14 きょうだいたち、あなたがたのうちに、不信仰という悪しき心が芽生えて、生ける神から離れ去る者がないように気をつけなさい。あなたがたのうち誰一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。私たちは、初めの確信を終わりまでしっかりと保つなら、キリストにあずかる者となるのです。
- 不信仰が、荒野の40年を生み、安息に入れず屍を荒野にさらした(17)とある。それを回避する道として、ここでは、日々励まし合うことが書かれている。すこし、頼りない感じをうけるが、これこそ、互いに愛し合うことであり、新しい命に生きることなのかもしれない。ヘブライ書の伝えることを丁寧に受け取っていきたい。
- ヘブライ 4:6,7 こういうわけで、この安息に入る機会は人々にまだ残されており、先に福音を告げ知らされた人々は、不従順のゆえに入ることをしなかったので、神は、改めてある日を「今日」と定めて、すでに引用したとおり、長い年月の後に、ダビデを通して言われました。/「今日、あなたがたが神の声を聞くなら/心をかたくなにしてはならない。」
- 論理としては乱暴に感じる。パウロとの違いだろうか。ただ、このあとの、「神の言葉は生きていて、力があり、いかなる両刃の剣より鋭く、魂と霊、関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができます。」(12)、「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点で同じように試練に遭われたのです。」(15)など、印象的なことばも多い。これも、ひとつの役割なのだろうか。
- ヘブライ 5:7 キリストは、人として生きておられたとき、深く嘆き、涙を流しながら、自分を死から救うことのできる方に、祈りと願いとを献げ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。
- これは、ゲッセマネのことをいっているのだろうか。この前には、「あなたは私の子/私は今日、あなたを生んだ。」も引用されている。最後には、「その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」とある。もし、これがゲッセマネのことであるなら、すこし、特殊な解釈のようにも思うが、どうなのだろうか。いずれにしても、人として生きておられたとき、このことの理解が重要だと思う。わたしは、人間イエスだけに集中するわけではないが、その地上での生き方を学ぶことは、やはり大切だと思う。
- ヘブライ 6:18,19 それは、この二つの不変の事柄によって――この事柄に関して、神が偽ることはありえません――目の前にある希望を手にしようと世を逃れて来た私たちが、力強く励まされるためです。私たちはこの希望を、魂のための安全で確かな錨として携え、垂れ幕の内側へと入って行くのです。
- ヘブライ書は、不思議な書だ。印象的なことばが多いが、福音書とも、パウロ書簡とも、かなり違った印象を受ける。神の約束が不変であること、すなわち、わたしたちが、希望をもち、魂が安全であることを、保証される。そして、神との交わりに入れてくださるということなのだろう。わたしの思いとは、少しことなるが。
- ヘブライ 7:4 この人がどんなに偉大かを考えてみなさい。族長のアブラハムが最上の戦利品の中から十分の一を彼に与えたのです。
- 前の章の最後には、「イエスは、私たちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクに連なる大祭司となられました。」(6:20)から繋がっているが、正直、あまり根拠がないように見える。おそらく、論理的には、レビ族につらなる祭司職が絶対的ではないこと、そして、この章の最後に書いてあるように、「律法は、弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後から来た誓いの言葉は、永遠に完全な者とされた御子を大祭司としたのです。」(28)へと繋がっているのだろう。やはり、祭司の役割が不可欠と考えたえてたのだろう。わたしのような門外漢には、わからないが。
- ヘブライ 8:10-12 『それらの日々の後/私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と/主は言われる。/『私は、私の律法を彼らの思いに授け/彼らの心に書き記す。/私は彼らの神となり/彼らは私の民となる。彼らは、自分の同胞や兄弟の間で/「主を知れ」と言って教え合うことはない。/小さな者から大きな者に至るまで/彼らは皆、私を知るからである。私は彼らの不正を赦し/もはや彼らの罪を思い起こすことはない。』
- 「その日の後、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである――主の仰せ。私は、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に書き記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。もはや彼らは、隣人や兄弟の間で、「主を知れ」と言って教え合うことはない。小さな者から大きな者に至るまで、彼らは皆、私を知るからである――主の仰せ。私は彼らの過ちを赦し、もはや彼らの罪を思い起こすことはない。」(エレミヤ31:33,34)からの引用だとされるが、このような新しい戒めには、いまだなっていない。心には書き記されておらず、やはり「主を知れ」と言わなければならないし、私にしたところで、主を知っているという確信はない。どう読んだらよいのだろうか。
- ヘブライ 9:25,26 それも、毎年自分のものでない血を携えて聖所に入る大祭司とは違い、キリストは、ご自身を何度も献げるようなことはありません。もしそうだとすれば、天地創造の時から、度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりに、ご自身をいけにえとして献げて罪を取り除くために、ただ一度現れてくださいました。
- 人間の論理に見える。神様は、つねに、人々を見て、苦しんでおられたのではないだろうか。たしかに、キリストにおいて、それは明示され、わたしたちに知らされたが、それ以前も神の側の愛の故の苦しみはあったのではないかと思う。わたしたちには、キリストの死なしには、神の痛みがわからなかったと思うが。
- ヘブライ 10:37,38 「もう少しすれば、来るべき方がお出でになる。/遅れられることはない。私の正しい者は信仰によって生きる。/もしひるむようなことがあれば/その者は私の心に適わない。」
- ハバクク2:3,4「この幻は、なお、定めの時のため/終わりの時について告げるもので/人を欺くことはない。/たとえ、遅くなっても待ち望め。/それは必ず来る。遅れることはない。見よ、高慢な者を。/その心は正しくない。/しかし、正しき人はその信仰によって生きる。」からの引用とある。ハバククの背景は、ここでのものと同じなのだろうか。理不尽に、なかなか裁きが来ず、正しいものが苦しみから解放されず、悪がはびこる。その中での信仰を歌っているようだ。イエスにより、贖罪の死がなされたとしても、まだ、不十分なのだろうか。理不尽でない、神の支配が見える形で来ることが必要なのだろうか。わたしには、そこまででなくても、よいように思うが。
- ヘブライ 11:5,6 信仰によって、エノクは死を経験することなく天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証しされていたからです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神がご自分を求める者に報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
- エノクについての記述が興味深い。まず、エノクが、死を経験することなく、天に移されたということは、神に喜ばれており、それは、エノクに信仰があったことを証しするものだとしている。論理は、厳密とは言えないが、創世記の不思議な記述も、信仰者の歩みとして、位置づけるのは、興味深い。
- ヘブライ 12:2 信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。この方は、ご自分の前にある喜びのゆえに、恥をもいとわないで、十字架を忍び、神の王座の右にお座りになったのです。
- イエスにとって、自分の前にある喜びとは、何だったのだろうか。神の王座の右に座ることだろうか。おそらく、そうではない。み心に生きることだろうか。そうかも知れない。神のこころを心として生きることだろうか。わたしには、すでに、十分は、理解できない。
- ヘブライ 13:1-3 兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人をもてなすことを忘れてはなりません。そうすることで、ある人たちは、気付かずに天使たちをもてなしました。自分も一緒に捕らえられているつもりで、捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、虐げられている人たちを思いやりなさい。
- ヘブライ書は、だいぶん異なる感じがするが、このような言葉に出会うと、安心する。同時に、この3節はどう理解したら良いのか考えてします。牢屋に入っていることなのか、それとも、もう少し、一般的なことをさしているのか。最後に、肉体を持っていることが書かれ、「虐げられている人たちを思いやりなさい」としている。やはり、肉体的な苦しみを持っていることが、想定されているのだろう。迫害下ということだろうか。「また、他の人たちは、嘲られ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。彼らは石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、欠乏し、苦しめられ、虐げられ、荒れ野、山、洞穴、地の割れ目をさまよいました。世は、彼らにふさわしくなかったのです。」(11:36-38)世にふさわしくない、肉体をもった人間は、ほんとうに、大変だろう。
BRC2025(2)
ヤコブの手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
- ヤコブの手紙 1:1-3 神と主イエス・キリストの僕ヤコブが、離散している十二部族に挨拶いたします。私のきょうだいたち、さまざまな試練に遭ったときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生まれることを、あなたがたは知っています。
- このあとには、「あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、何一つ欠けたところのない、完全で申し分のない人になります。」(4)が続く。十二部族をどの予定度意識しているのか、よくわからない。十二部族は、確認されていたのだろうか。それとも、慣用句だろうか。忍耐は、その結果として、完全に申し分のない人になると書かれている。難しいさも感じる。そうなっていくと信じてよいのだろうか。約束だろうか。妄想だろうか。
- ヤコブの手紙 2:8 もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。
- ヤコブにおいては、「隣人を自分のように愛しなさい」が、ちょっと肩身が狭い感じでおかれている。「きらびやかな服を着た人に目を留めて、『どうぞ、あなたはこちらにお座りください』と言い、貧しい人には、『あなたは、立っているか、そちらで私の足元に座るかしていなさい』と言うなら、」(3)このことを中心におき、貧しい人をたいせつにしないことを、断罪している文章になっている。貧富によって、別け隔てをすることを責めている。おそらく、エルサレムのユダヤ人キリスト者は、ユダヤ教のひとから疎まれ、貧しい生活をしていたのだろう。貧富に本質はないだろうが、それだけ、たいへんな状況にあったのだろう。その背景がわからないと、誤解することになる。ガラテヤ2:10のような背景もあったのだろう。
- ヤコブの手紙 3:14-16 しかし、あなたがたが心の内に、苦々しい妬みや利己心を抱いているなら、誇ったり、真理に逆らって噓をついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から降って来たものではなく、地上のもの、自然のもの、悪魔から出たものです。妬みや利己心のあるところには、無秩序とあらゆる悪い行いがあるのです。
- ここでは、「妬みや利己心」について語られている。しかし、それは、不適切だとしても、なかなかそれを捨て去ることはできないものなのだろう。断罪ではなく、その背後にある、ひとの弱さを理解したほうが良いように思う。人の努力によって、これを消し去ることはおそらくできないだろう。謙虚にともにいのるものでありたい。
- ヤコブの手紙 4:1-3 あなたがたの中の戦いや争いは、どこから起こるのですか。あなたがたの体の中でうごめく欲望から起こるのではありませんか。あなたがたは、欲しがっても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、求めないからです。求めても得られないのは、自分の欲望のままに使おうと、よこしまな思いで求めるからです。
- 欲望(ἡδονή: pleasure, desires for pleasure)と欲しがる(ἐπιθυμέω: to turn upon a thing, to have a desire for, long for, to desire, to lust after, covet of those who seek things forbidden)と熱望(ζηλόω: to burn with zeal to be heated or to boil with envy, hatred, anger [in a good sense, to be zealous in the pursuit of good], to desire earnestly, pursue to desire one earnestly, to strive after, busy one's self about him; to exert one's self for one (that he may not be torn from me; to be the object of the zeal of others, to be zealously sought after), to envy)と、求める(αἰτέω: to ask, beg, call for, crave, desire, require)ことを区別しているようだ。日本語での表現は、難しいのかも知れない。自分のための欲求をみたすことと、神が与えてくださるよいものを求めることの違いだろうか。
- ヤコブの手紙 5:19,20 私のきょうだいたち、あなたがたの中で真理から迷い出た者を、真理へと連れ戻す人があれば、その人は、罪人を迷いの道から連れ戻し、彼の魂を死から救い、また、多くの罪を覆うことになると、あなたがたは知っていなさい。
- わたしには、このようなことはできない。御心を探求することはしており、これからも求めていきたいが、わたしがそれをそれを得たとは思っておらず、探求者に過ぎないのだから。できるとしたら、一緒に求めることだろうか。
BRC2025(2)
ペトロの手紙一聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 1ペトロ 1:1,2 イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散し、滞在している選ばれた人たち、すなわち、父なる神が予知されたことに従って、霊により聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血の注ぎを受けるために選ばれた人たちへ。恵みと平和が、あなたがたに豊かに与えられますように。
- 「聖なる者」「選ばれた人」という表現が登場する。また「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛しており、今見てはいないのに信じており、言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れています。それは、あなたがたが信仰の目標である魂の救いを得ているからです。」(8,9)とも書いている。このあとの「聖なるものとなりなさい」というメッセージをみると、聖であることを断言したり保証したりはしていないこともわかる。励ます内容なのだろう。しかし、それが、聖であり、ほかとは区別することになってしまう危惧ももつ。難しい。どうしたらよいのだろうか。
- 1ペトロ 2:23-25 罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。そして自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり監督者である方のもとへ立ち帰ったのです。
- このような定型句がすでに、共有されていたのだろう。それは、パウロ由来とも、ペトロ由来とも言えないものだったのかも知れない。キリスト者の信仰告白の一つの形として、多くのひとたちに告白されていったものなのだろう。確定したものとしては、告白できないが、わたしも、その列に加わっているとしてよいように思う。その構造をまだよくは理解できていないが。
- 1ペトロ 3:10-12 「命を愛し/善い日々を過ごしたい人は/悪から舌を/欺きの言葉から唇を守れ。悪から離れ、善を行え/平和を求め、これを追え。主の目は正しい者に注がれ/その耳は彼らの祈りに傾けられる。/主の御顔は悪を行う者に向けられる。」
- 「命を慕い/日々を愛して恵みにまみえる人は誰か。悪からあなたの舌を/欺きの言葉からあなたの唇を守れ。悪から離れ、善を行え。/平和を求め、これを追え。主の目は正しき人に注がれ/その耳は彼らの叫びを聞く。主の御顔は悪を行う者に向き/彼らの記憶を地から絶つ。」(詩篇34:13-17)これは、かなり近いと言ってよいだろうか。ただ、文脈として、この引用が適切なのかは、不明である。9節に続けての引用で、関連性はよくはわからない。詩篇は、みな、暗唱していたのだろうか。
- 1ペトロ 4:18,19 「正しい人が辛うじて救われるのなら/不敬虔な者や罪人はどうなるのか。」ですから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂を委ねなさい。
- 「すなわち、律法は、正しい者のためにあるのではなく、不法な者や不従順な者、不敬虔な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、」(1テモテ1:9)ちょっとよく関連がわからない。不敬虔なもの、罪人は、どうしたら良いのだろうか。創造主に魂を委ねる、その平安を持ちたい。
- 1ペトロ 5:8,9 身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、誰かを食い尽くそうと歩き回っています。信仰をしっかりと保ち、悪魔に立ち向かいなさい。あなたがたのきょうだいたちも、この世で同じ苦しみに遭っているのは、あなたがたも知っているとおりです。
- この前には、謙虚になること、委ねることなどが書かれており、それは、その通りであるが、やはり、上に引用したように、ある種の訓練をしながら、備えをすることは、必須であると思う。しかし、同時に、それが仲間、互いに愛し合う兄弟のもとでできれば、幸いである。失敗も、間違いも、苦しい経験も。そのようなひととともにいる人は幸いである。
BRC2025(2)
ペトロの手紙二聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 2ペトロ 1:5-7 こういうわけで、あなたがたは力を尽くして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には節制を、節制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
- これは、良い言葉だが、背後に、深い思いもあるように思う。信仰、徳だけでは、十分でないと言っているように見える。知識、節制、忍耐、これらは、技術的なことであもる。しかし、それだけでも、不十分なのだろう。ここには、敬虔と、兄弟愛、さらに、愛と書かれている。もうすこし、説明があった方がよいが、わたしも、私なりに、一つ一つに思いがある。おそらく、ある程度、キリスト教会コミュニティで、共有されていた言葉でもあるのだろう。この背後にあるものは、これを通してどう生きるかが大切なのだろうが。
- 2ペトロ 2:1-3 しかし、民の間には偽預言者も現れました。同じように、あなたがたの間にも偽教師が現れることでしょう。彼らは滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を否定して、自らの身に速やかな滅びを招いています。しかも、多くの人が彼らの放縦を見倣い、そのために真理の道がそしりを受けるのです。彼らは欲に駆られ、噓偽りであなたがたを食い物にします。この者たちに対する裁きは、昔から滞りなく行われており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。
- 偽預言者の問題は難しい。できることは、自ら生活を立することなのだろうが、迷うものも多く出てくるだろう。正しさの議論は、恵みとはならない。本当に難しい問題である。平安を祈る。
- 2ペトロ 3:3,4 まず、次のことを知っておきなさい。終わりの日には、嘲る者たちが現れ、自分の欲望のままに振る舞い、嘲って、こう言います。「主が来られるという約束は、一体どうなったのか。先祖たちが眠りに就いてからこの方、天地創造の初めから何も変わらないではないか。」
- この再臨についての批判は、わたしも共感する面がある。このあとに書かれているように、「ある人たちは遅いと思っていますが、主は約束を遅らせているのではありません。一人も滅びないで、すべての人が悔い改めるように望み、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(9)をそのときの答えとしているが、終わりの日について初期のパウロがたとえばテサロニケの信徒への手紙一などで強調しすぎ、それを待ち望むことが正統な信仰だと考えた人が多かったということではないだろうかとの疑念は持つ。
BRC2025(2)
ヨハネの手紙一聖書通読ノート
BRC2025(1)
- 1ヨハネ 1:1,2 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの、すなわち、命の言について。――この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです。――
- この感覚は、著者にはあったのだろう。それを伝えたかったと取るのが自然である。しかし、もし、そうでなかったらどうだろうか。それを、受け継いだ、これがリアルであるように、感じられるほどにということだろうか。そういうことが言える人はどのくらいいたのだろうか。疑問に思う。難しい。やはり、実際に手で触れた人を、想像したい。
- 1ヨハネ 2:6 神の内にとどまっていると言う人は、イエスが歩まれたように、自らも歩まなければなりません。
- このことをわたしは、もっともたいせつなこととしてきた。むろん、それは、福音書を通して示されている、イエスの歩みである。それが十分魅力的だからよいと考えているが、それは、おそらく、弟子たちが受け取ることのできた、ほんの一部分に過ぎないのだろう。しかし、ほかのことを、理解することはできないのだから、それでよいとわたしは、思っている。あまり、異なるものも含まれうる、想像上のものを加えることなく。
BRC2025(2)
ヨハネの手紙二聖書通読ノート
BRC2025(1)
BRC2025(2)
ヨハネの手紙三聖書通読ノート
BRC2025(1)
BRC2025(2)
ユダの手紙聖書通読ノート
BRC2025(1)
ヨハネの黙示録聖書通読ノート
BRC2025(1)
BRC2025(2)
BRC 2023 Memo
登録人数は以下の通り
- BRC 2023から継続: 79人
卒業などで、メールが届かなくなった方は、省いています。私は人数に入れていません。
2024.12.31