Last Update: April 15, 2025
聖書通読の会 2025:
今週(2025/04/14-2025/04/20)は、ヨシュア記20章ー士師記9章
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聖書の各巻についての記述は、BRC2013 で配信したものを編集したものです。聖書ノートは、各章ごとに少しずつ「わたしが考えた事」「感じた事」「問い」などを通読にあわせて書いたものです。このようなことを考えながら読んでいる人もいるのだぐらいに読んで頂ければ幸いです。聖書からの引用は、今回わたしが通読している、聖書協会共同訳聖書からのものです。過去の聖書ノートは、BRC2013, BRC2015, BRC2017, BRC2019 のものです。新約聖書は二度ずつ読んでいますので、それぞれ(1)・(2)としています。
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創世記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.1.1-1.25)
- 創世記 1:1-3 初めに神は天と地を創造された。地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」すると光があった。
- このように天地創造を告白するまでどのような経緯があり、どのように人は考えたのだろう。むろん、人は、信仰者を表す。神様から、モーセが直接啓示を受けたとすれば、ことは単純化できるが、みこころを受け取ることについて、わたしたちへの意味づけはほとんどなくなる。モーセが関係したかどうかは別として、ひとりの信仰者が、あるメッセージをうけとり、それを、神のわざとして書き記すのはどのようなことなのかとも考える。おそらく、最初は神の業として書き記したのではないのかもしれない。しかし、この背後にある、創造信仰には、とても深いひとの営みと、ひとの神様を求めた記録があるのだろう。それを少しずつ学んでいきたい。矛盾をさがすことによってではなく、その背後にある信仰者との対話を通して。
- 創世記 2:19,20 神である主は、あらゆる野の獣、あらゆる空の鳥を土で形づくり、人のところへ連れて来られた。人がそれぞれをどのように名付けるか見るためであった。人が生き物それぞれに名を付けると、それがすべて生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、あらゆる野の獣に名を付けた。しかし、自分にふさわしい助け手は見つけることができなかった。
- 興味深い。神が、人と、それぞれの人の周りにあるものの関係に興味があったという記述である。むろん、その逆を考えると、わたしたちにとっても、神様のさまざまなものについての関係は気になるところである。名前をつけることは、関係性の構築の最初の段階なのだろう。ここで、助け手がいないことに至り、男と女のことが登場する。これがとても難しいことの始まりでもあるが。
- 創世記 3:22 神である主は言われた。「人は我々の一人のように善悪を知る者となった。さあ、彼が手を伸ばし、また命の木から取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
- 興味深いが、同時に、ひとにとって、知恵のことが重要であること、そして命が限られているということをどう理解したら良いかということが背景にあったのだろうとも思う。正直、これだけで説明のできるものではないが、ここからひとがさまざまな思いを巡らせたことは、とても重要な問題提起があるということなのだろう。とはいえ、善悪を知る者はなにを意味するのだろうか。本能とはことなる行動がありうることだろうか。もう少しよく考えたい。
- 創世記 4:10-12 主は言われた。「何ということをしたのか。あなたの弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる。今やあなたは呪われている。あなたの手から弟の血を受け取るため、その口を開けた土よりもなお呪われている。あなたが土を耕しても、その土地にはもはや実を結ぶ力がない。あなたは地上をさまよい、さすらう者となる。」
- アベルの血が叫んでいるとは何を言っているのだろうか。血は聖書ではいのちだからいのちが叫び声をあげていることか。呪われているもの、それゆえさすらうもの。われわれはその子孫なのだろう。セトのほうは、どうなのだろうか。聖書の記述は、カインの末裔とは違うというところから始まっているように見えるが、明確ではない。
- 創世記 5:1,2 アダムの系図は次のとおりである。神は人を創造された日、神の姿にこれを造られ、男と女に創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、人と名付けられた。
- どうもこの祝福には、カインの末裔も含まれている。祝福と呪いのもとに置かれているのが人間だということだろうか。そうかもしれない。そのなかで、祝福とのろいのもとである神様とどのようなものとして向き合うかということだろうか。とても挑戦的である。しかし、関係性というのは、すべてそのようなものなのかもしれない。そのなかで、愛すること、互いに愛することへの挑戦もあるのかもしれない。
- 創世記 6:5-7 主は、地上に人の悪がはびこり、その心に計ることが常に悪に傾くのを見て、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。主は言われた。「私は、創造した人を地の面から消し去る。人をはじめとして、家畜、這うもの、空の鳥までも。私はこれらを造ったことを悔やむ。」
- 神様もたいしたことがないなとまずは思ってしまう。しかし、同時に、それが神とひととの関係のもといだと伝えているのだろうとも思う。古代の信仰者は、どのように神様との関係、人々との関係、他者と自己を見ていたのだろうか。簡単には言えない。簡単には答えられない。それで良いのかもしれないが、同時に、たいせつな問いがあることも確かである。
- 創世記 7:1-3 主はノアに言われた。「さあ、あなたと家族は皆、箱舟に入りなさい。この時代にあって私の前に正しいのはあなただと認めたからである。あなたは、すべての清い動物の中から雄と雌を七匹ずつ、清くない動物の中から雄と雌を一匹ずつ取りなさい。空の鳥の中からも雄と雌を七羽ずつ取りなさい。全地の面にその種類が生き残るためである。
- 何がきよく、何がきよくないかは、まだ、人間には伝えられていない。それとも、もともと、清いか、清くないかは、定められているのか。「それは人の心に入るのではなく、腹に入り、そして外に出されるのだ。」このようにイエスは、すべての食べ物を清いものとし、」(マルコ7:19)七はすべての意味だろう。ただ、動物の定義など考えれば、これが、現実的ではないことは明らかである。これも、絶対的なものというより、当時の人が受け取った神様からの啓示としたほうがよいのだろう。それは、たいせつであっても、不完全である。
- 創世記 8:21,22 主は宥めの香りを嗅ぎ、心の中で言われた。「人のゆえに地を呪うことはもう二度としない。人が心に計ることは、幼い時から悪いからだ。この度起こしたような、命あるものをすべて打ち滅ぼすことはもう二度としない。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ/寒さと暑さ、夏と冬/昼と夜、これらがやむことはない。」
- ここで、どこまでのことが言われているのか不明である。最後は、「地の続く限り」とあり、「地が続く限り」生活が続くと考えるのは、あまり特別なことではない。命あるものをすべて打ち滅ぼすことはないと言っているが、これも「この度起こしたような」とついている。ある程度の留保をしているのだろうか。ここの中心は、最初の「人が心に計ることは、幼い時から悪い」という部分なのかもしれない。
- 創世記 9:25-27 そこで彼はこう言った。/「カナンは呪われ、兄弟の僕の僕となるように。」さらにこう言った。/「セムの神、主はたたえられ/カナンはセムの僕となるように。神はヤフェトの土地を広げ/ヤフェトはセムの天幕に住み/カナンはその僕となるように。」
- こんなことが記されている。むろん、知っていたが、今読むと、前の読み方とは変化している。聖書を絶対的なものとしなければ、これは、カナンとの争いがここから正当化されていると取れる。人間の浅ましさ、それを神も同じ考えだとする。ここでは、カナンへの呪いを、ノアの言ったこととしている。それがかろうじて救いだろうか。これがひとの思いである。”25 And he said, Cursed be Canaan; a servant of servants shall he be unto his brethren. 26 And he said, Blessed be the Lord God of Shem; and Canaan shall be his servant. 27 God shall enlarge Japheth, and he shall dwell in the tents of Shem; and Canaan shall be his servant.” (KJV: Gen 9:25-27)
- 創世記 10:15-17 カナンは長男シドン、ヘト、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、
- シドンは、ツロとともに海の民かと思っていたが、どうなのだろうか。シドン人と呼ばれた人は、やはりカナン人の中にいたのかもしない。いずれにしても、ここにリストされている人たちが、イスラエルが滅ぼす人々として後に登場するひとたちである。どう理解するかは難しい。
- 創世記 11:5-7 主は、人の子らが築いた町と塔を見ようと降って来て、言われた。「彼らは皆、一つの民、一つの言語で、こうしたことをし始めた。今や、彼らがしようとしていることは何であれ、誰も止められはしない。さあ、私たちは降って行って、そこで彼らの言語を混乱させ、互いの言語が理解できないようにしよう。」
- 有名な箇所である。現状を考えると、たしかに、言語やコミュニケーション方法は多様で、通じ合わない場合がほとんどである。それを聖書はこのように表現している。しかし、このことにどのように向き合うかも大切なのかなと思う。個人や、グループの尊厳の問題も含んでいる。全体として、大きなことをなそうということはできないようになっていることが表現されているが、それは、個人や尊厳を制限することとも関係しているのかもしれない。さまざまな考え方を尊重することは難しい。コストも大きい。しかし、真剣に向き合うべき課題なのだろう。
- 創世記 12:4 アブラムは主が告げられたとおりに出かけて行った。ロトも一緒に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。
- 現代の年齢とは異なるのかもしれないが、ある程度の歳となってから旅立ったのかもしれない。すくなくとも、テラが亡くなってからである。(11:32)私は、余生だと思っていまを生きている。いままでできなかった奉仕ができれば嬉しいと願っている。しかし、新しい人生がここにひらけているのかもしれない。アブラハムの苦難と奉仕は、わたしのこれから歩むべきそして、向き合うべきものとは異なるだろう。しかし、神様の前に丁寧に生きて行きたいとは願う。
- 創世記 13:1-4 アブラムは妻を伴い、すべての持ち物を携え、エジプトからネゲブへと上って行った。ロトも一緒であった。アブラムは家畜や銀と金に恵まれ、大変に裕福であった。彼はネゲブからさらにベテルまで旅を続け、ベテルとアイの間にある、かつて天幕を張った所までやって来て、初めに祭壇を造った場所に行き、そこで主の名を呼んだ。
- 初めに祭壇を造った場所についてはおそらく、12:7-9 が想定されているのだろう。しかし、おそらく、今回はかなりことなる意識があったろう。少なくとも、家畜や銀と金に恵まれていた。ロトとの話がこの章には書かれているが、新たな課題と向き合う時でもあったのだろう。わたしにとっての今の課題は何なのだろう。
- 創世記 14:13,14 あるとき、逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラムのもとに来て、そのことを知らせた。アブラムはアモリ人マムレの樫の木のそばに住んでいたが、マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと同盟を結んでいた。アブラムは親類の者が捕虜になったと聞き、彼の家で生まれて訓練された三百十八人の従者を動員し、ダンまで追って行った。
- いくつかの情報が書かれていて、興味を持った。マムレのことと、彼の家で生まれて訓練された三百十八人の従者である。マムレは創世記にしか登場しないが、地名としては、今後も何回か登場する。従者がこんなにいるだけではなく、数が明確なことは何を意味するのだろうかと思った。語り伝えられる中で、加えられていったのだろうか。興味深い。
- 創世記 15:1,2 これらのことの後、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」アブラムは言った。「主なる神よ。私に何をくださるというのですか。私には子どもがいませんのに。家の跡継ぎはダマスコのエリエゼルです。」
- 神の祝福への信頼と、現実的な困難さ、不安、ここでは、主は、「私はあなたの盾である」と言っている。守るものということだろうか。ただそれが「報い」とつながり「子孫」の不安へとつながっている。守っていただけるというところで止めておくのが良いのかもしれない。それが信頼だろうか。アブラムに不安や満たされないものもあったのかもしれない。難しい。
- 創世記 16:5,6 そこでサライはアブラムに言った。「あなたのせいで私はひどい目に遭いました。あなたに女奴隷を差し出したのはこの私ですのに、彼女は身ごもったのが分かると、私を見下すようになりました。主が私とあなたとの間を裁かれますように。」アブラムはサライに言った。「女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがよい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライの前から逃げて行った。
- なかなか難しい。「あなたのせいで」と言われて、アブラムも困ってしまったのだろう。しかし、主への信頼が問われているとも取れる。同時に、アブラムに任せられているとも取ることができる。後者だとしたら、どうしたら良かったのだろうか。それは、わからない。サライをたいせつにすること自体は、問題ではないだろう。あまりここで普遍的価値で議論してもいけないのかもしれない。そのわからないことを通して、神は導き、ひとは、学んでいくのだろうか。結局、わからないかもしれないが。
- 創世記 17:19-21 すると神は言われた。「いや、あなたの妻であるサラがあなたに男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい。私は彼と契約を立て、それをその後に続く子孫のために永遠の契約とする。イシュマエルについてのあなたの願いは聞き入れた。私は彼を祝福し、子孫に恵まれる者とし、その子孫を大いに増やす。彼は十二人の族長をもうけ、私は彼を大いなる国民とする。しかし私が契約を立てるのは、来年のこの時期に、サラがあなたに産むイサクとである。」
- この次には「こう語り終えると、神はアブラハムを離れて昇って行かれた。」(22)とある。無論、幻かもしれず、他者には理解できないことだが、否定できないことがあったのだろう。そして、この箇所は、アブラムが、割礼で応じたことが重要なこととして書かれている。単に、信じたということではないことが書かれているのだろう。パウロの考え方と同時にヤコブの考え方の両方がこの箇所からは読み取れると思われる。「では、この幸いは、割礼のある者だけに与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか、それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前です。」(ローマ4:9-10)「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義とされたではありませんか。あなたの見ているとおり、信仰が彼の行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたのです。」(ヤコブ2:21,22)
- 創世記 18:1-3 主はマムレの樫の木のそばでアブラハムに現れた。昼の暑い頃のことで、彼は天幕の入り口に座っていた。ふと目を上げると、三人の人が近くに立っていた。それを見ると、アブラハムは彼らを迎えようと天幕の入り口から走り出て、地にひれ伏して、言った。「ご主人様、もしよろしければ、どうか僕のところを通り過ぎて行かないでください。
- 地にひれ伏したことが書かれており、これは、主の使いではなく、主であると認識して書かれているとして良いだろう。つまり、この時期に連続して、主と出会うことが書かれているわけである。サラにも現れることが重要だったろうし、ソドムとゴモラのことを伝えることもあったのかもしれない。ハイライトとして書かれているのかもしれない。丁寧に読まないとわからない。
- 創世記 19:16-18 しかしロトはためらっていた。そこで二人の男たちは、主の憐れみによってロトと妻と二人の娘の手をつかんで連れ出し、町の外に置いた。彼らを外に連れ出したとき、主は言われた。「生き延びるために逃げなさい。振り返ってはならない。低地のどこにも立ち止まってはならない。山へ逃げなさい。滅ぼされないためです。」しかしロトは言った。「主よ、私にはできません。
- 文学としてもよく書かれていると思うが、読むたびに本当に悲しくなる。救いが用意されていても、それを素直には受け取れないのが人間なのだろうか。そのことは、自分でもわかるのかもしれない。本当に難しい。神がおられるかどうか以前の問題なのかもしれない。
- 創世記 20:11-13 するとアブラハムは言った。「この地には、神を畏れるということが全くありませんので、人々は妻のゆえに私を殺すだろうと思ったのです。それに実際、彼女は私の父の娘で、妹でもあるのです。ただ母の娘ではないので、彼女は私の妻となることができたのです。神が私を父の家からさすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『こうしてくれると助かる。行く先々で、私のことを兄と言ってくれないか』と頼んだのです。」
- よくこの人たちの前で、こんなことを言えるなと思うが、キリスト者もこれに近いことをしているように思う。非キリスト者にたいし、「神を畏れるということが全くありません」などという。おそらく、それは、神様がそのようなひとの背後にもおられることが見えないからなのだろう。神様を過小評価すると同時に、自分が神になっているのかもしれない。「人が神にならないために - 荒井献説教集」を、わたしも考えたい。
- 創世記 21:12-13 神はアブラハムに言われた。「あの子と女奴隷のことでつらい思いをすることはない。サラがあなたに言うことは何でも聞いてやりなさい。イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれるからである。しかし私は、あの女奴隷の子もまた一つの国民とする。彼もあなたの子孫だからである。」
- 創世記記者がこのように考えたのだろう。わたしは、こんなことを神様が言われるとは考えられない。このあとに「さあ、子どもを抱え上げ、あなたの手でしっかりと抱き締めてやりなさい。私は彼を大いなる国民とする。」(18)泣くイシュマエルのことが記されている。このときイシュマエルはいくつだったのだろうか。少し振り返ると、11:32 には、テラは205歳でハランで死んだことになっている。11:26 では、アブラムを産んだのは、70歳となっている。12:4 には、ハランを出てカナンの地に行ったのは、75歳の時となっている。さらにハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは86歳であったことが、16:16 にある。イサクが生まれたのは、21:5 (17:17参照)によると、アブラム100歳、サラ90歳のようである。アブラムが割礼を受けたのは、17:24 からすると99歳。そのとき、イシュマエルは13歳。すると、イサクが生まれた時、イシュマエルは、14歳である。引用句のときには、イサクは乳離れしているので(21:8)1歳とすると、イシュマエルは、15歳となる。当時はもう勇者だったのではないだろうか。さらに、ハランには、テラは、まだ、170−171歳で生きていることになる。その交流が、イサクの嫁探しまで描かれていないのは不思議である。
- 創世記 22:23,24 ベトエルはリベカをもうけた。ミルカはアブラハムの兄弟ナホルにこれら八人の子を産み、またレウマという名の側女も、テバ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。
- アブラムの兄弟がナホルということは、ナホルもかなりの歳となって、子を持ったのだろうか。このあたりも不明である。あまり、拘らない方が良いのかもしれない。ただ、民族の系譜のようなものは、ある程度重要だったのかもしれない。創世記をどのような書として読むかはとても難しい。
- 創世記 23:15 「ご主人、お聞きください。土地は銀四百シェケルです。それが私とあなたの間で何ほどのものでしょう。どうか亡くなられた方を葬ってください。」
- 1シェケルが 11.4g だとすると、4,560g である。おそらく、これは、相当の銀なのだろう。「こうして、マムレの向かい、マクペラにあるエフロンの畑地、すなわち、畑地とそこにある洞窟、および畑地の境界の中にあるすべての木々が、町の門にやって来ていたすべてのヘトの人々が見ているところで、アブラハムの所有と決まった。」(23,24)契約を大切にしたということだろう。しかし、後には戦争で奪い取る。この辺りの関係はどうなっており、どのように解釈されたのだろうか。それは、時代を超えて続いたものなのだろうか。
- 創世記 24:50,51 ラバンとベトエルは答えた。「これは主から出たことですから、私どもにはその良し悪しを言うことはできません。ここにリベカがおりますので、連れて行ってください。主が言われたように、ご主人の息子の妻にしてください。」
- どのように、だれが結婚について決めていたのだろうか。このあとの場面(57,58)では、リベカに聞いている。しかし、ここでは、どうも聞いているようには見えない。あまりそこにこだわるのはよくないと思うが、創世記の成立年代を議論するのであれば、このような習慣についても理解も大事なように思う。
- 創世記 25:1-3 アブラハムは再び妻をめとった。その名はケトラと言った。彼女はアブラハムに、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアを産んだ。ヨクシャンはシェバとデダンをもうけた。デダンの子孫はアシュル人、レトシム人、レウミム人であった。
- イシュマエルの子孫もそうだが、周囲の部族名が書かれている。アブラハムの末裔として、イスラムのひとたちもその意識をもつ箇所でもある。しかし、やはり選民は、直系。このあたりにも、編集意図はあるのだろう。そして、南アメリカの人たちなどは、そのスコープに入っていない。当時認識されている人たちだけである。
- 創世記 26:28 すると彼らは言った。「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで、私たちの間で、つまり、私たちとあなたとの間で誓約を交わしてはどうかと考えました。私たちはあなたと契約を結びたいのです。
- いろいろと編集意図を考えてしまうようになった。なかなかいくつかの読みかたを並行してすることはできない。このことは、しっかり考えてみたい。
- 創世記 27:40,41 あなたは剣によって生き/弟に仕えるようになる。/ただいつの日か、あなたは束縛から脱して/自分の首からその軛を解き放つだろう。」こうしてエサウは、父がヤコブに与えた祝福のゆえに、ヤコブを恨むようになった。エサウは心の中で言った。「父の喪の日もそう遠くはない。その時には、弟のヤコブを殺してしまおう。」
- 興味深いことが示唆されている。「ただいつの日か、あなたは束縛から脱して/自分の首からその軛を解き放つだろう。」である。そして、このあとのストーリでは、イサクはなかなか死なない。これも一つの主の導きなのだろうか。エサウの物語も、非常に興味深い。
- 創世記 28:8,9 さらにエサウは、カナンの娘たちが父のイサクの気に入らないということを知った。そこでエサウはイシュマエルのところへ行き、すでにいる妻たちのほかに、さらにアブラハムの子イシュマエルの娘で、ネバヨトの姉妹であるマハラトを妻に迎えた。
- なにかとてもかわいそうだ。精神が捻じ曲がるのは理解できる。こんなとき、どうしたら良いのだろうか。信頼し続けることだろうか。わからないことは、わからないとして。
- 創世記 29:13,14 ラバンは妹の子ヤコブの知らせを聞くと、彼を迎えに走って行き、彼を抱き締めて口づけした。そして彼を自分の家へと招き入れた。そこでヤコブがラバンに事の次第をすべて話すと、ラバンは言った。「あなたは本当に私の骨肉だ。」それでヤコブはラバンのところで一か月滞在した。
- 「あなたは本当に私の骨肉だ。」の意味するところは不明だが、ヤコブがエサウを出し抜いた背景には、リベカがいたことは確かだろうから(27:5-17)、自分達と似たところがあることを気取ったのかもしれない。真実(ことの次第すべて)を聞いて、このおひとよしのヤコブを信頼したのかもしれない。なんとも言いようのない戦いがここから始まる。これは、ある物語だとして、やはりヤコブの訓練としては、とてもたいせつなものだったのだろうとも思う。わたしもそのような経験を通して、学んだことはとても多いのだから。
- 創世記 30:32,33 今日、私はあなたの群れをすべて見回り、そこから、ぶちとまだらの羊をすべて、若い雄羊の中では黒みがかった小羊をすべて、山羊の中ではまだらとぶちのものを別にしておきます。それを私の報酬としてください。明日、あなたが私の報酬のことでやって来られるとき、私の正しいことはあなたの前で明らかとなるでしょう。もし山羊の中にぶちでもまだらでもないもの、若い雄羊の中に黒みがかっていないものがあれば、それは私に盗まれたものと見なして結構です。」
- この下りを読んで、遺伝的にどうなのかと科学的な判断を考えていたが、おそらく、重要なのは、このようなことがありうること、しかし、それほど一般的ではないことを当時のひとが信じうるかどうかにかかっていたのだろうと思った。たいせつなのは、巧妙で、通常はこのようなことはしないこと、そして、このようなことで実際、ここに書かれていることが起きそうだと考えるかどうかなのだろう。そう考えると、巧みに書かれていることは確かである。物語を読んでいて非常に興味深いものにしている。
- 創世記 31:38,39 この二十年の間、私はあなたと一緒でしたが、あなたの雌羊と雌山羊が子を産み損ねたことはありませんでした。また私は、あなたの群れの雄羊を食べたことはありません。野獣にかみ裂かれたものは、私にその弁償が求められたので、あなたのところへはそれを持って行かずに自分で償いました。昼盗まれたものも、夜盗まれたものもそうです。
- 文学的にも、とても緻密に書かれている。ここで、ラバンやラバンの息子たちの否定する言葉は書かれていない。すなわち、承認せざるをえないこととして記述されている。そして、ここにあることは、当時の当地のひとたちにとって、よくわかる内容だったのだろう。そして、わたしのように羊飼いについて、まったく知識のないものにも通じる内容が含まれている。やはり文学性としても高いと思う。その背後で働かれる主、ヤコブの信仰面は、まったく書かれていないが、それがかえって人生の重みを表現するものになっている。
- 創世記 32:28,29 男が、「あなたの名前は何と言うのか」と尋ねるので、彼が、「ヤコブです」と答えると、男は言った。「あなたの名はもはやヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。あなたは神と闘い、人々と闘って勝ったからだ。」
- 神と言われると、唯一神、主を考えるが、おそらくそうではないのだろう。「その頃、またその後にも、地上にはネフィリムがいた。神の子らが人の娘たちのところに入り、娘たちが彼らに産んだ者である。昔からの勇士で、名の知れた男たちであった。」(6:4)にあるネフィリムのようなものを想定したのではないだろうか。ネフィリムは『私たちはそこでネフィリムを見た。アナク人はネフィリムの出身なのだ。私たちの目には自分がばったのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。』」(民数記13:33)にも登場する。検索ではこの二件だけだったが。
- 創世記 33:15-17 エサウは、「では、私が連れている者を何人か、あなたのところに残しておくことにしよう」と言ったが、ヤコブは、「いえ、それには及びません。ご主人様のご好意だけで十分です」と答えた。そこでエサウは、その日セイルへの帰途に着いた。ヤコブはスコトへ移り、自分のために家を建て、家畜のために小屋を作った。それで、その場所の名はスコトと呼ばれた。
- 場所が良くはわからないが、セイルは死海の南東、シャケルはヨルダン側の西、だいたいガリラヤ湖と死海の中間だろうが、スコトは不明である。かなり離れており、理解が難しい。このヤコブの固辞も気になる。事実というより、ヤコブとエサウの関係を表現しているのかもしれない。ヤコブの述懐(思い出)として記述されているのかもしれない。
- 創世記 34:1,2 ある日、レアがヤコブに産んだ娘ディナは、土地の娘たちを訪ねて出かけて行った。ところが、その地の首長であるヒビ人ハモルの息子シェケムは、彼女を見かけて捕まえ、共に寝て辱めた。
- 事件勃発である。ディナについては、生まれたことが 30:21 に「その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名付けた。」とあるが、この事件の背景として書いており、娘が生まれたことは基本的に書かれていないのだろう。「三日目になって、男たちがまだ傷の痛みを覚えていたとき、ヤコブの二人の子、ディナの兄弟シメオンとレビは、それぞれ剣を取って難なく町に入り、男たちをすべて殺した。」(25)とも書かれており、女性の価値をどう考えるかは難しい。
- 創世記 35:2,3 ヤコブは、家族および一緒にいるすべての人に言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身を清めて衣服を替えなさい。さあ、ベテルに上ろう。苦難の日に私に答え、私の行く道で共にいてくださった神のため、そこに祭壇を造ろう。」
- ヤコブの信仰告白である。「苦難の日に答え、常に共にいてくださった神のみを主とする」ということだろう。その方が特別とういことだろうか。しかし、この時点では、他の神を否定してはいない。自分にとって、または、一族にとっては、この神こそが主であるということだろう。神として認めるということが、最初のステップなのだろう。
- 創世記 36:6-8 エサウは、妻、息子と娘、家のすべての者、家畜とすべての動物、カナンの地で蓄えたすべての財産を携え、弟ヤコブから離れてほかの地へと赴いた。一緒に住むには彼らの財産があまりにも多く、彼らが身を寄せていた地は、その家畜のゆえに、自分たちの生活を支えることができなかったのである。エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。エサウとはエドムのことである。
- 史実ではないかもしれない。しかし、エドムはセイルの山地にある時期に住んでいたことは確かだろう。カナン、特に、南部とセイルは土地としてはどうなのだろうか。どちらも山地のように見える。しかし、セイルの方が過酷な場所のように見える。いつか、そのような地理についても、学んでみたい。それを理解すると、ここに書かれていることから伝えようとしているメッセージが受け取れるのかもしれない。事実ではないとしても、真実は受け取れるかもしれない。
- 創世記 37:9-11 ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄弟に話した。「私はまた夢を見ました。すると、日と月と十一の星が私にひれ伏していたのです。」ヨセフはこれを父と兄弟に話したので、父はヨセフをとがめて言った。「お前が見たその夢は一体何なのだ。私やお母さん、兄弟たちがお前にひれ伏すとでもいうのか。」兄弟はヨセフを妬んだが、父はこのことを心に留めた。
- すでにこの時には、ヨセフの母、ラケルは死んでいるはずである。(35:19)とすると、これは、レアを意味するのだろうか。ヨセフは、どのように、これを理解していたのだろう。おそらく、十分な、理解はできていなかったのではないだろうか。しかし、推測はつく。どう理解したらよいかわからないが。
- 創世記 38:25,26 彼女は引きずり出されたとき、しゅうとのもとに人を送って言った。「この品々の持ち主によって私は身ごもったのです。」そして続けて言った。「どうか、このひもの付いた印章と杖が誰のものか、お確かめください。」ユダはそれらを確かめて言った。「彼女のほうが私よりも正しい。息子のシェラに彼女を与えなかったからだ。」ユダは再びタマルを知ることはなかった。
- 印章と杖をみたとき、引きずりだしてしもべたちも、それが誰のものか分かったのではないだろうか。ということは、ユダは、僕たちにも、恥となったということである。その状態で、このように認められるということは、やはり、神をおそれる気持ちは、あったのだろう。ヨセフの事件とどちらが先かはわからないが、時系列を重視して書かれたとすると、主をおそれず、イシュマエル人にヨセフを売り渡す提案をして、ユダはこれらによって、主を恐れるようになったのかもしれない。
- 創世記 39:20,21 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人がつながれている牢獄に入れた。彼はこうして、牢獄にいることになった。しかし、主はヨセフと共におられ、慈しみを示し、牢獄長の目に適うようにされた。
- 創世記には「主が共におられた」との表現が多い。ヨセフについては、39:2, 3, 21, 23 とこの章に集中している。苦難の中で、主が共におられたということなのだろう。ヤコブの「さあ、ベテルに上ろう。苦難の日に私に答え、私の行く道で共にいてくださった神のため、そこに祭壇を造ろう。」(33:3)の告白と通じているように見える。それぞれに表現のしかたは異なるが。最後にヤコブ(イスラエル)がヨセフに語る「私は間もなく死ぬ。だが神はお前たちと共にいてくださり、先祖の地に連れ戻してくださる。」(48:21)とも繋がるように見える。主が共におられることについて、もう少し深く考えたい。
- 創世記 40:16,17 料理長は、ヨセフの解き明かしが良かったのを聞いて言った。「私も夢を見たのですが、なんと三つのパン籠が私の頭の上にあったのです。いちばん上の籠には、料理人がファラオのために作ったあらゆる料理がありました。しかし鳥が私の頭の上で、籠からそれをついばんでいたのです。」
- 「これらのことの後、エジプト王の献酌官と料理人が主君であるエジプト王に過ちを犯した。」(1)と始まる。引用句の「ヨセフの解き明かしが良かったのを聞いて」に注目していた。他に、こんな劇的な差異が生じる理由が分からなかったからである。しかし、そのような因果関係をもとめてはいけないのかもしれないと考えた。この二人の違いは、他に理由があったかもしれないし、単なる、王のきまぐれであったかもしれない。理由を知ろうとすること自体は、間違いではないと思うが、因果関係を強調することは、神様のみこころを狭く解釈する、これも、単純化バイアスであるように思えるようになった。真実はわからないが。
- 創世記 41:25,26 ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は一つです。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。七頭のよく太った雌牛は七年のことで、七つのよく実った穂も七年のことです。夢は一つです。
- 夢解きからは、さまざまなことが考えられる。まずは、このような夢から、豊作や飢饉との関連について想起することは、それほど奇抜なことではないということである。しかし、それが現実のことだと考えるには、文化的な背景も必要だろう。さらに、それを食糧計画や、納税システムにまで発展させることは、この謎解きにたいする信頼も必要である。しかし、さまざまな予兆から、将来に備えることは、ひとの責務だと考えると、夢とは独立に考えられることでもある。それが賢く生きるということか。信仰とは、別のところ、人間理解に関係があるようにも思われる。
- 創世記 42:35,36 彼らが袋を空にしてみると、それぞれの袋の中には、めいめいの銀の包みが入っていた。銀の包みを見て、兄弟も父も怖くなった。父のヤコブは息子たちに言った。「お前たちは、私から子どもを奪ってしまった。ヨセフがいなくなり、シメオンがいなくなった。そして今度はベニヤミンを私から取り上げようとする。すべて私にばかり降りかかる。」
- 文学表現としてもよく書かれているが、このように、いくつかのことを関連させ、すべてがそうであるように考えてしまうことは、ひとによくある。だから、文学的表現にも使われ、ひとは納得してしまうのだろう。そして、そこから、主の御心を読み取ろうとすることを、否定してはいけないのだろう。しかし、さまざまな要因があり、科学的に考えるならば、さまざまな可能性がある。そのような考え方も、主は、ひとに与えてくださったようにも思う。すべての人にではないし、漸次的で、当時は難しかったのかもしれないが。御心の解釈は困難である。受け取り手にも依存してしまうのだから。よく考えたい。
- 創世記 43:23,24 その人は言った。「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、布袋に宝を隠してあなたがたにくださったのでしょう。あなたがたの銀は私のところに届いています。」そしてシメオンを彼らのところに連れて来た。その人は一行をヨセフの屋敷に招き入れ、水を与えて足を洗わせ、ろばには飼い葉を与えた。
- 他者の神を尊重する表現が現れている。特殊な状況ではあるが、寛容さや、愛が感じられる。これは、どのような書き手のもとで、表現されたのだろうか。唯一神、創造主のみということからは、現れてこないように思われる。「主が共におられる」こちらの方が、創世記の族長物語においては、中心なのだろうか。
- 創世記 44:32,33 僕は父にこの子の安全を請け合って言いました。『もし、この子をあなたのもとに連れ戻さないようなことがあれば、私は生涯、父に対してその罪を負います。』それでどうか僕をこの子の代わりに、ご主人様の僕としてここにとどめ置き、この子は兄弟と一緒に上らせてください。
- 特に、感動的な場面である。この前には、前回、穀物を買いに来た時の、家族に関する会話が含まれている。実際にこのことがあったときには、書かれておらず、ここで、それが明かされることも、感動の瞬間を盛り上げているように見える。さらに、ユダは「もし、この子をあなたのもとに連れ戻さないようなことがあれば、私は生涯、父に対してその罪を負います。」と、父、イスラエルに言うが、罪をどのように負うかは、明かされていなかったものが、ここで初めて明かされる。そのことも、特に、この場面が感動的であることの、理由でもあるように思う。ルベン、ユダ、この二人の行動が、興味深く、背景も多少描かれているが、やはり、ユダが、この時点で、リーダーとして描かれているのだろう。このあとの歴史においても、重要な位置をしめる。それが長男ではなく、四番目だということも、興味深い。
- 創世記 45:5-7 しかし今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのです。この二年の間、この地で飢饉が起こっていますが、さらに五年、耕すことも刈り入れることもないでしょう。神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、この地で生き残る者をあなたがたに与え、あなたがたを生き長らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。
- どのように解釈するかは難しいが、ひとつの解釈は、自分の苦しい時、大域的な観点から、状況を捉えることでもあろう。大飢饉の中で、父の家、神様が導いておられる民が滅びないために必要な苦しみだったとも言えないことはないと言うことだろう。神様の計画の一ピースというものではないが、他にも苦しんでいる人がいることに目を向けることもあるかもしれない。同様な苦しみの中にいる人を知ること。同じではなくても、おなじときに苦しんでいる人たちもいる。自分だけに、それが向いてしまっていては、ただ苦しむだけになってしまう。
- 創世記 46:29,30 ヨセフは車に馬をつないで、父のイスラエルに会いにゴシェンへ上って来た。ヨセフは父に会うなり、その首に抱きつき、その首にすがってしばらく泣いた。イスラエルはヨセフに言った。「これでもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。」
- 「これでもう死んでもよい。」と、ひとはどんなときに思うのだろうか。わたしは、家族が、どうやらやっていけそうになった時、死んでも大丈夫かなと思ったが、それとは、違うのかもしれない。わたしが、すべきことは、これからも、Be available, stay vulnerable! の精神で続けて行きたいと思うが、できなくもなってくるだろう。力が衰えて。だからといって、できなければ、死んだ方がよいというのも、違うだろう。ヤコブの場合は、痛み、神様との関係における棘のようなものが存在したのだろうか。それがこの表現なのだろうか。わたしはどうだろうか。
- 創世記 47:8,9 ファラオがヤコブに、「何歳になったのか」と尋ねると、ヤコブはファラオに答えた。「異国の地に身を寄せた年月は百三十年になります。私の生きた年月は短く、労苦に満ち、先祖たちが異国の地に身を寄せて生きた年月には及びません。」
- ファラオの質問から、ヤコブがかなりの老人であったことが見て取れる。ヤコブの答えからは、幸せではなかった、つまり、祝福の内に生きた年月は長くないことを言っているのだろう。それが、ヤコブが本当に思っていたことかどうかは不明である。ファラオの前だからこう言ったのか。そうすると、自分の先祖は、もっとすごいと言っているようにも見える。真意だからとすると、苦しかった日々を思い出しているのかもしれない。たしかに、ヤコブの物語は、苦難に満ちている。それでも、おそらく、主はともにおられたのだろうが。
- 創世記 48:21,22 イスラエルはヨセフに言った。「私は間もなく死ぬ。だが神はお前たちと共にいてくださり、先祖の地に連れ戻してくださる。私はお前に、兄弟よりも一つ多く分け前を与える。それは私が剣と弓によってアモリ人の手から奪ったものである。」
- 最後のことば「それは私が剣と弓によってアモリ人の手から奪ったもの」がわからない。預言として語られているのか。エフライムとマナセの祝福も、不思議である。イスラエルは、このような、ひとびとのねじれと、時代のねじれのなかで生きているということなのだろうか。なにを、創世記記者は伝えたかったのだろうか。
- 創世記 49:28 これらすべてがイスラエルの十二部族である。これが、彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らをそれぞれにふさわしい祝福をもって祝福した。
- ここでの十二部族には、レビが入っていて、ヨセフの子ら、マナセとエフライムはひとつにまとめられている。「後の日にお前たちにおこること」(1)と始まっているが、すでに起こっていた(創世記に記述されていること)と、書かれていない、おそらく、他の伝承に由来するものが含まれているように思われる。すなわち、これが書かれた時には、十二人のこどもたちは、みな死んでいることを考えると、すでに起こったことが記されているように見える。同時に、引用句にあるように、十二部族についての記述であるようにも見える。ユダや、もしかすると、ベニヤミン、また、ゼブルンは海辺に住むなどもそうかもしれない。混在しているように見える。同時に、これを読んだ、それぞれの部族のひとたちは、どのようにこのイスラエルの祝福を受け取ったのだろうかとも思った。複雑である。
- 創世記 50:15-17 ヨセフの兄弟は父が亡くなったので、ヨセフが自分たちを恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。そこで、人を介してヨセフに伝えた。「父は亡くなる前に、こう命じていました。『ヨセフにこう言いなさい。確かに兄弟はお前に悪いことをした。だがどうかその背きの罪を赦してやってほしい。』それでどうか今、あなたの父の神に仕える僕どもの背きの罪を赦してください。」この言葉を聞いてヨセフは泣いた。
- 物語ではあるが、ひとの人生は、そして、こころは、複雑であることがよく書かれている。ヨセフは、「心配することはありません。私が神に代わることができましょうか。あなたがたは私に悪を企てましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」(19b,20)と告白しているが、他の兄弟の信仰告白は書かれていない。信仰の父祖たちがこのように描かれていることも興味深い。
出エジプト記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.1.26-2.14)
- 出エジプト記 1:15-17 エジプトの王はヘブライ人の助産婦たちに言った。一人の名はシフラ、もう一人はプアであった。「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるとき、お産の台を見て、男の子ならば殺し、女の子なら生かしておけ。」助産婦たちは神を畏れていたので、エジプトの王が命じたとおりにはせず、生まれた男の子を生かしておいた。
- ある伝承があったのか。書く段階で、創作されたのか、不明である。この出エジプトをどのようなものと捉えるかは難しいのだろう。なにかの伝承があったのか、まったくの創作か。ただ、イスラエルの民と、エジプトとのなんらかのつながりは、かなり古くからあったように思われる。いつか少なくとも確実になってきていることだけでも、学んでみたい。
- 出エジプト記 2:13,14 翌日モーセが出て行くと、今度は二人のヘブライ人が争っていた。それで、悪いほうを、「なぜ仲間を打つのか」とたしなめた。するとその男は、「誰がお前を我々の監督や裁き人としたのか。あのエジプト人を殺したように、私を殺そうというのか」と言ったので、モーセは恐れ、きっとあのことが知られているのだと思った。
- 前日に助けたヘブライ人から話が伝わっており、その解釈が、ヘブライ人の中でも一定していなかった、少なくとも、信頼は得ていなかったということだろう。短い記述だが、非常に巧みに書かれている。創世記、出エジプト記の物語はどのように成立したのだろうか。おそらく、古代の人の知恵は、素晴らしいものだったのだろう。
- 出エジプト記 3:13,14 モーセは神に言った。「御覧ください。今、私はイスラエルの人々のところに行って、『あなたがたの先祖の神が私をあなたがたに遣わされました』と言うつもりです。すると彼らは、『その名は何か』と私に問うでしょう。私は何と彼らに言いましょう。」神はモーセに言われた。「私はいる、という者である。」そして言われた。「このようにイスラエルの人々に言いなさい。『私はいる』という方が、私をあなたがたに遣わされたのだと。」
- 創世記でも、「主が共にいてくださった」ことが信仰の基盤にあったと強く感じた。信仰の最初の形なのかもしれない。むろん、それは、そこにとどまるものではなく、主についての認識は広がっていくことでもあるのだろう。ここでも、「私はあなたと共にいる。これが、私があなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えることになる。」(12)と関係して、こう訳されたのだろうが、名前とすることは、慎重にすべきなのかもしれない。むろん、同じ言語ではないので、適切に表現する訳語がなかったとも言えるが。理解するものが適切にうけとらないといけないことなのかもしれない。
- 出エジプト記 4:12,13 だから行きなさい。私があなたの口と共にあり、あなたに語るべきことを教えよう。」しかしモーセは言った。「ああ、主よ。どうか他の人をお遣わしください。」
- 雄弁なアロンが助け手となるが「あなたは彼に語って、言葉を彼の口に授けなさい。私はあなたの口と共に、また、彼の口と共にあって、あなたがなすべきことを教える。」(15)とあり、ここでも、引用句とともに、共にあることが強調されている。その主の存在が、信仰の基本であることが表現されているのだろう。いくつかの奇跡を起こせる能力については、物語的意味しか感じないが、このあたりに、本質があるようにも思える。
- 出エジプト記 5:4,5 エジプトの王は二人に言った。「モーセとアロン、お前たちはなぜ民をその仕事から引き離そうとするのか。自分たちの労働に戻れ。」また、ファラオは言った。「今や、この地の民は増えているのに、お前たちは彼らの労働を休ませようとするのか。」
- エジプト人、または、使役するものの関心事は、労働である。この労働の搾取、その対象としてしか、民をみていない。他者、主がともにいる他者になるかどうかが、鍵なのかもしれない。そう考えると、現代でも、たくさん、関係することがらがあることを思う。これは、使役する側だけでなく、使役される側にもある認識なのかもしれない。労働をどう考えるかもあるが、違うものとして、自分を認識できることも重要なのだろう。もう少し整理して考えたい。
- 出エジプト記 6:6-9 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。『私は主である。あなたがたをエジプトの苦役の下から導き出し、過酷な労働から救い出す。またあなたがたを、伸ばした腕と大いなる裁きによって贖う。私はあなたがたを私の民とし、私はあなたがたの神となる。あなたがたは、私が主、あなたがたの神であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から導き出す者であることを知るようになる。私は、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓った地にあなたがたを導き入れ、それをあなたがたに所有させる。私は主である。』」モーセはこのようにイスラエルの人々に語ったが、彼らは落胆と過酷な労働のために、モーセの言うことを聞こうとしなかった。
- そう簡単に、関係が成立するわけではないのだろう。主もそれをご存知なのかもしれない。時間がかかることをひとはなかなか理解できない。時間をかけることをいとわず、ていねいに生きていきたい。
- 出エジプト記 7:17,18 それで、主はこう言われる。『次のことによって私が主であることを知るようになる。』私が手にする杖でナイルの水を打つと、水は血に変わる。ナイルの魚は死に、ナイルは悪臭を放ち、エジプト人はナイルの水を飲むのが嫌になる。」
- 今回は、杖が気になった。アロンの杖なのか、モーセの杖なのか。両方に、そのような力があったのか。確かな根拠はないが、羊飼いだとすると、男性は、杖を常に持っているのではないかと思う。すると、引用句で言われているのは、モーセの杖のように思われるが、実際に行動を起こすのは、アロンのようである。たいしたことではないのかもしれないが、気になった。
- 出エジプト記 8:1-3 主はモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『あなたは杖を持って、流れの上、水路の上、沼地の上に手を伸ばし、蛙をエジプトの地に這い上がらせなさい。』」アロンはその手をエジプトの水の上に伸ばした。すると、蛙が這い上がって来て、エジプトの地を覆った。魔術師たちも秘術を使って、同じように蛙をエジプトの地に這い上がらせた。
- 杖はアロンの杖のようである。もう一つは魔術と奇跡の違いである。魔術は人間の目的によって自然ではないことを行うこと、奇跡は神の意志を示すため自然には起こらないことを起こすことかと思うが、やはり区別は難しいし、ここでも判断はできないように思われる。
- 出エジプト記 9:14-17 今度こそ私が、あなた自身とあなたの家臣と民に、あらゆる災いを送る。それによって、私のような者は地上のどこにもいないことをあなたは知るようになる。事実、私が今、手を伸ばしてあなたとその民を疫病で打ち、地から滅ぼすこともできる。しかし、私があなたを生かしておいたのは、私の力をあなたに示し、私の名を全地に告げ知らせるためである。あなたは、私の民に向かってなおも高ぶり、彼らを去らせようとしない。
- このあと、「ファラオの家臣のうち、主の言葉を畏れた者は、自分の僕や家畜を家に避難させた。」(20)ともあり、周囲に変化もあることが書かれている。正直、描き方が乱暴に感じるが、それでも、伝承の中で整っていったことは確かなのだろう。人々は、主からどのようなメッセージを受け取ったのだろうか。苦難の中にあって、絶対的な支配下においても、主こそが主であることだろうか。こう言えるのは、捕囚よりは前のように思われる。
- 出エジプト記 10:7,8 家臣はファラオに言った。「いつまでこの男は私たちの罠となるのでしょうか。あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてください。エジプトが滅びかかっていることが、まだお分かりにならないのですか。」モーセとアロンがファラオのもとに呼び戻されると、ファラオは二人に言った。「行って、あなたがたの神、主に仕えなさい。誰と誰が行くのか。」
- 周囲の変化が描かれている。しかし、ファラオはまだ従順にはならないようにされている。物語としては、創世記の族長物語ほどではないが、緻密に構成はされているのだろう。脚色はあったとしても、背後に、それなりの事実があったのかは、これでは不明である。
- 出エジプト記 11:2,3 男も女もそれぞれ、その隣人から銀や金の飾り物を求めるように民に告げなさい。」主はエジプト人が民に好意を持つようにした。モーセその人もまた、エジプトの地でファラオの家臣や民から厚い尊敬を受けた。
- 正直、これが理解できない。エジプトでさまざまな災厄を与えているモーセがなぜ、尊敬されるのだろうか。災厄は一部、ファラオの周辺にしか及ばなかったのだろうか。どのように、異民族と認識できる、イスラエルの民やその指導者が好意を持たれたり、尊敬されたりすることになるのだろうか。尋常ではない。
- 出エジプト記 12:48 もし、寄留者があなたのもとにとどまり、主の過越祭を祝おうとするならば、男は皆、割礼を受けなければならない。そうすれば、過越祭に加わって祝うことができ、イスラエル人のようになる。しかし、無割礼の者は誰も、これを食べてはならない。
- 当時も今も、割礼を受ける民はイスラエル人だけではなく、特に中東からアフリカにはいる。割礼にこだわっている理由はわからないが、捕囚などの折には、明確に、イスラエル人を分ける根拠だったのかもしれない。いずれにしても、これは、男性の割礼を言っているのだから、男女差がある。イスラエルの子孫は、ヤコブの子供達には、おそらく、ひとつとは言えない分断があり、それは、パレスチナの部族集団説の場合も同様だろうが、それが一つになる重要な儀式として、過越祭があり、出エジプトの物語があるのだろうとは思う。しかし、これは、他の民族と分けるという意味で、分断を意味することも確かである。ここに根拠を置く以上、イスラエルの民に普遍的な神の意思は現れないように思う。
- 出エジプト記 13:13-15 ろばの初子はすべて、小羊で贖わなければならない。もし贖わないならば、その首を折らなければならない。あなたの初子のうち、男の子はすべて、贖わなければならない。将来、あなたの子が、『これはどういうことですか』とあなたに尋ねるときはこう答えなさい。『主は力強い手によって私たちをエジプトの地、奴隷の家から導き出してくださった。ファラオがかたくなになり、私たちを去らせないようにしたとき、主は、人の初子から家畜の初子まで、エジプトの地のすべての初子を殺された。それゆえ私は、初めに胎を開く雄をすべて主にいけにえとして献げ、また、自分の初子である息子をすべて贖うのである。』
- あがないという概念が登場する。牧師によると「『あがなわれる』とは、かつて、神がエジプトから⼈々を救い出してくださったように、買い戻されること、救い出されること、あわれみの⼼を忘れないことでした。」と説明していました。やはり、難しい概念である。イスラエルのような土地には、そのような商取引概念もあったのかもしれない。共観福音書にはあまりない概念であることも、理解を難しくしているようにも思う。イエス様が示される神様においては、あながいはどのように説明されるのだろうか。
- 出エジプト記 14:1,2 主はモーセに告げられた。「イスラエルの人々に告げなさい。引き返して、ミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前、すなわち、その向かいにあるバアル・ツェフォンの手前の海辺で宿営しなさい。
- 意図的にこのようにしたと書かれている。物語としてよめばよいが、どうなのだろうか。我々の人生においても、あとから考えると、そのように神様が意図されたと考えることもあるのかもしれない。そのようにして、信仰が形成されていくのだろうか。しかし、それだけであると、心配でもある。そのような、神の特別介入に依存することになる。この箇所でも、たみの訴え(11,12)と対比されている。掘り下げて理解しないといけないと言うことだろうか。よく考えたい。
- 出エジプト記 15:25,26 そこでモーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。彼がそれを水に投げ込むと、水は甘くなった。その所で、主は掟と法を示し、その場で彼を試みて、言われた。「もしあなたの神、主の声に必ず聞き従い、主の目に適う正しいことを行い、その戒めに耳を傾け、その掟をすべて守るならば、エジプト人に下したあらゆる病をあなたには下さない。まことに私は主、あなたを癒やす者である。」
- エジプトを脱出し、ミリアムが歌い、最初の水に関する訴えを主が聞かれる場面である。当時の人たちにとって、主はどのような存在だと描かれているのだろうか。ここには「癒す者」とある。「癒」の字は、創世記には一箇所「アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクと妻、および侍女たちを癒やされたので、彼女たちは子を産むようになった。」(創世記20:3)、出エジプト記では、この箇所だけである。主が共におられること、そして、敵を打ち砕く方なのだろうか。少しずつ、進化していくと考えて良いのだろうか。書かれた時代も複雑だろうが。
- 出エジプト記 16:2,3 イスラエル人の全会衆は荒れ野でモーセとアロンに向かって不平を言った。イスラエルの人々は二人に言った。「私たちはエジプトの地で主の手にかかって死んでいればよかった。あのときは肉の鍋の前に座り、パンを満ち足りるまで食べていたのに、あなたがたは私たちをこの荒れ野に導き出して、この全会衆を飢えで死なせようとしています。」
- このことばは否定されておらず、このあと、「私はイスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えなさい。『夕方には肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたは私が主、あなたがたの神であることを知るようになる。』」(12)と、主はモーセを通して答えている。ということは、食べるものが豊かではなかったからエジプトを出たわけではないことがわかる。主を主として礼拝するためだろうか。ある宗教的自由、良心の自由を得るためだったのだろうか。
- 出エジプト記 17:10,11 ヨシュアはモーセが言ったとおりに行い、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルが丘の頂に登った。モーセが手を上げているとイスラエルが強くなり、手を下げているとアマレクが強くなった。
- 魔術的にも感じるが、おそらく、民のためなのだろう。フルが登場する。フルはおそらく、この箇所が初出。12節にも登場するが、他に、「モーセは長老たちに言った。『私たちがあなたがたのところに帰るまで、この場所で待ちなさい。ここに、アロンとフルがあなたがたと共にいる。訴えのある者は誰でも、彼らのところに行きなさい。』」(24:14)に登場する。31,35,38章に「ユダの部族のフルの子ウリの子ベツァルエル」と登場するが同一人物かどうかは不明。フルはヨシュアとは違った形で、助けたのだろう。24:14 からは、アロンと同じくレビ人である可能性を感じるが。
- 出エジプト記 18:10-12 言った。「主をたたえよ/主はあなたたちをエジプト人の手から/ファラオの手から救い出された。主はエジプト人のもとから民を救い出された。今、わたしは知った/彼らがイスラエルに向かって/高慢にふるまったときにも/主はすべての神々にまさって偉大であったことを。」モーセのしゅうとエトロは焼き尽くす献げ物といけにえを神にささげた。アロンとイスラエルの長老たちも皆来て、モーセのしゅうとと共に神の御前で食事をした。
- モーセのしゅうとエトロの助言によって統治体制も変化していく。礼拝について、少し考えた。エトロの神への捧げ物は、どのように理解したら良いのか。エトロはミデアンの祭司である。(2:16,3:1 など)これは、ミデアンの神にささげたのだろうか。それとも、彼の宗教心の表現だろうか。
- 出エジプト記 19:21,22 主はモーセに言われた。「あなたは下って行き、民が主を見ようとして越境し、多くの者が命を失うことのないように警告しなさい。また主に近づく祭司たちも身を清め、主が彼らを撃たれることがないようにしなさい。」
- この箇所は、理解しにくい。しかし、民と祭司、さらに、祭司の中で、モーセとアロンを分けた重要な箇所でもある。エトロの助言(18:17-23)も関係しているように思われるが、なぜ、このような体制をとるかの説明でもあり、重要な箇所である。あるリーダーシップを仮定することは当然として、主が聖であることとの関係で書かれていることが、理解しづらい点なのだろうか。
- 出エジプト記 20:19 モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」
- 統治体制を、民が望んだように書かれている。固定するかは、またべつのように思うが。たしかに、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。」(7)は難しい。十戒は、どれが十個かも判断が難しい。この7節より前の部分は、序文または、前文であるように見える。すると、殺してはならない以降、5戒、父母を敬え、安息日とあわせると、8戒にしかならない。どのように当時は理解したのだろうか。現代は、教会によってある程度異なっているようだが。
- 出エジプト記 21:4-6 もし、主人が彼に妻を与えて、その妻が彼との間に息子あるいは娘を産んだ場合は、その妻と子供は主人に属し、彼は独身で去らねばならない。もし、その奴隷が、「わたしは主人と妻子とを愛しており、自由の身になる意志はありません」と明言する場合は、主人は彼を神のもとに連れて行く。入り口もしくは入り口の柱のところに連れて行き、彼の耳を錐で刺し通すならば、彼を生涯、奴隷とすることができる。
- 奴隷制度をどのように理解するかは、現代と社会的構造が異なる中で判断が難しい。しかし、そう考えてみると、神の義、公平さとは、なになにかを、当時の人たちなりに、考えた結果であるように思う。この世での正しさの判断には、多くの要素が関わっており、絶対的なものではないから。その中で、ここで「愛(אָהַב)」という言葉が登場するのは興味深い。
- 出エジプト記 22:20,21 寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。
- 背景としては、エトロが現れ、モーセがすべて裁かなければならない状態はやめなければならないと言う助言から律法ができたことを考えなければならないと思った。自分たちが寄留者であったことや、苦しんでいるものの保護などが、含まれている。これによって、当時のひとたちが考えた、神の御心が表現されているのだろう。同時に、ここに表現されていることが完全だとは思えないし、十分であるとも思えない。システムを作ることは、ある程度以上の人数になれば、必要で、それがなければ、公平性は担保できないことは確かである。そして、その公平性も、完全ではなく、少しずつ整えていくものなのだろう。
- 出エジプト記 23:1-3 あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはならない。あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。
- 当たり前かもしれないが、たいせつなことが書かれている。公平性、神の義(ただしさ)のお裾分けのような感じがする。今回読んでいて驚いたのは、これらのこと(段落)の最後
「あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。」(9)で締めくくられていることである。寄留者の弱い立場をあなた自身も知っているよねと語りかけているようである。このことを忘れてしまう、または知らないと、やはり、神の正しさを求めることが出来ないのかもしれないとも思った。むろん、それだけで、完璧になるわけではないが。
- 出エジプト記 24:12-14 主が、「わたしのもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。わたしは、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われると、モーセは従者ヨシュアと共に立ち上がった。モーセは、神の山へ登って行くとき、長老たちに言った。「わたしたちがあなたたちのもとに帰って来るまで、ここにとどまっていなさい。見よ、アロンとフルとがあなたたちと共にいる。何か訴えのある者は、彼らのところに行きなさい。」
- アロンとフルに山の下(地上)のことを任せて、モーセはヨシュアとつれて山に登る。しかし、このあとの悲劇を我々は知っている。本当に、難しいのだなと考えさせられる。そして、聖書はそのことを知っているということだろう。それは、神を畏れているからだろうか。ひとは神になってはならない。
- 出エジプト記 25:8,9 また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。
- どうも、ここから、わたしが苦手なところに入るようだ。幕屋の建設のために、献納物を集めるくだりである。その最初の段落、実際に作る具体的なものの記述の前に、この引用句がある。ここで、彼らのうちに住むとあるが、すでに、問題を引き起こす元凶とも言えるものが現れているように感じてしまう。他者(イスラエル以外)との区別が明確になると思われるからである。宗教の難しいさでもある。
- 出エジプト記 26:31 また青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で垂幕を作り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出さなければならない。
- 垂幕は、聖所と至聖所を分けるもの(33)である。至聖所には、さしあたり、証しの箱が置かれる。そこには、掟が書かれた石の板が納められるようだが、神の掟を固定するということは、間違いなく、神の御心を受け取ったことを意味すると共に、変更されないことが前提となる。そのような正しさをひとは受け取ることができるのだろうか。そのようなものとして受け取ったということは、確かであり、そう考えることを否定しない。しかし、社会は変化し、世界についての認識も広がっていく。正しさをある時点で固定することは、学ぶことを否定することにもつながるように思う。ていねいにこれからもみて、考えていきたい。
- 出エジプト記 27:1 アカシヤ材で祭壇を造りなさい。祭壇は長さ五アンマ、幅五アンマの正方形で、高さは三アンマである。
- このあと、詳細な記述が続く。ソロモン以降神殿が作られ、その記録はさまざまに残っていただろうが、幕屋についても、記録が残っていたのだろうか。伝承だろうか、想像だろうか。非常に正確に書かれていると、どう考えたら良いのかも考えてしまう。文書として残されていたのだろうか。
- 出エジプト記 28:21 宝石はイスラエルの子らの名に合わせて十二あり、十二部族に従ってそれぞれの名を印章を彫るように彫りつける。
- この十二部族は、(ヨセフの子のマナセ・エフライムを加えた)レビ以外の十二なのだろう。すると、レビについて祈ることはなかったのだろうか。祭司長などは良いとして、アロンの家系ではない、レビ人は、やはりかなり大変だったように言われており、このシステム自体も心配してしまう。どう考えられていたのだろうか。不満はなかったのだろうか。
- 出エジプト記 29:9 飾り帯を締めて、ターバンを巻きなさい。こうして、祭司職はとこしえの掟によって彼らのものとなる。あなたはアロンとその子らを任職しなさい。
- 「とこしえの掟」と書かれているが、おそらく、現在は、幕屋も、神殿もなく、このようには、守られていないだろう。それも、調べてみたいが、バビロン捕囚以降、困難になったことは、明らかである。それでも、律法を、とこしえの掟として守ることは、どのようなことを意味しているのだろう。キリスト者も同様だろう。何が変わって、何が変わっていないのか、神様の御心を求め続けることはしていきたいが、これが、とこしえの掟と断定することの嘘も感じる。
- 出エジプト記 30:23-25 「あなたは最上の香料を取りなさい。すなわち、液体の没薬を五百シェケル、香り高いシナモンをその半分の二百五十シェケル、香り高い菖蒲を二百五十シェケル、桂皮を聖所のシェケルで五百シェケル、オリーブ油を一ヒンである。あなたはこれで、聖なる注ぎの油を作らなければならない。香料作りの技に倣って調合した油は聖なる注ぎの油となる。
- 油や香料がたくさん登場する。最近、アラブの遊牧民の地域でのイスラム教の風習についての本を読んでいるが、香水、香りが、日常の一部として非常に重要なものであるらしい。水が十分になく、乾燥した地域で、つねに移動しているひとたちにとっては、匂いや香りをどうするかは、重要なのかもしれない。その延長線上にあるようにも見える。そして、特別の油、香油、没薬を作る。これが、都市文化の中でどうなっていくのか、そのあたりの変化も知る必要があるのだろう。
- 出エジプト記 31:4,5 それは、金、銀、青銅に意匠を凝らして細工し、宝石を彫ってはめ込み、また、木を彫るなど、あらゆる仕事をさせるためである。
- この前に「彼(ユダの部族のフルの子ウリの子ベツァルエル)を神の霊で満たし、知恵と英知と知識とあらゆる巧みな技を授けた。」(3)とあるが、道具だけでなく、炉のようなものもなければできなかったろうと思う。基本的なものは、もってでたのかもしれないが、もしかすると、実際には、もっとあとのことをここに入れているのかもしれないとも思った。このあと、安息日のことが書かれ、唐突に「主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の証しの板、神の指で書かれた石の板を授けられた。」(18)と書かれている。
- 出エジプト記 32:4 アロンは彼らの手からそれを受け取り、のみで型を彫り、子牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これがあなたの神だ。これがあなたをエジプトの地から導き上ったのだ」と言った。
- 「のみで型を彫り」とかいてあるが、モーセへの説明ではアロンは「私が彼らに、『金を身に着けている者は外しなさい』と言うと、彼らは私に渡しました。それを火に投げ入れたら、この子牛が出て来たのです。」(24)と言っている。自己弁護なのだろう。今回は、特に「宿営に近づくと、子牛の像と踊りが目に入った。そこで、モーセの怒りは燃え、手にしていた板を投げつけ、山の麓で打ち砕いた。」(19)が目に止まった。神の前でどうすればよいか、細部に至るまで、掟について祈り求めてきたであろうモーセ、そのある基本が書かれている、神から与えられたとしてもってきた板、民の状態とのあまりの乖離に怒りとしてしか表現できなかったのだろう。しかし、これが現実でもある。急いではなにもできない。ひとの愚かさを軽くみてはいけない。そして、その愚かさは、アロンだけではなく、おそらく、モーセにも本質的にあるのだろう。
- 出エジプト記 33:2,3 私はあなたに先立って使いを差し向け、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。乳と蜜の流れる地に上りなさい。しかし私は、あなたの間にいて一緒に上ることはない。私が途中であなたを滅ぼすことのないためである。あなたはかたくなな民であるから。」
- 自分たちの弱さから、このように人々は神が考えられると想像したのだろう。神の性質として、自然な考えなのかもしれない。しかし、イエスが伝えた神は、少し異なっている。その弱さを担ったわたしたちを愛し、互いに愛し合うことを促している。神が喜ばれることはなになのかの理解が変化したということだろうか。神様の御心を行うとは、神様が喜ばれることをすること。神がお嫌いになることを排除することとは、ずれがあるのかもしれない。
- 出エジプト記 34:11,12 私が今日あなたに命じることを守りなさい。見よ、私はあなたの前からアモリ人、カナン人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。あなたはよく注意して、入って行く地の住民と契約を結ばないようにしなさい。彼らがあなたの中にあって罠とならないためである。
- 二つのことが気になった。まずは、追い出すと言っておきながら、契約を結ぶな、つまりは、そこに人が残っていることを前提としていること。もう一つは、このように、断絶することで本当によいのか、まさに、このあとの、厳格な保守的ユダヤ教徒の基礎が築かれてしまうのではないかということである。ここだけで、結論を出すつもりはないが、まず、短絡に結論にいたらないことの大切さ、そして、おそらく、さまざまな考え方が当時からあったろうと思われること、そして、イエスはどう言っておられるかを丁寧にみていこうとすることだろうか。ゆっくり進んでいきたい。
- 出エジプト記 35:1-3 さて、モーセはイスラエル人の全会衆を集めて言った。「これは主が行うように命じられたことである。六日間は仕事をすることができる。しかし、七日目はあなたがたにとって主の聖なる、特別な安息日である。その日に仕事をする者はすべて死ななければならない。あなたがたの住まいのどこであっても、安息日には火をたいてはならない。」
- 「火をたいてはならない」は、現代ならエネルギーを消費するなだろうか。いずれにしても、これが、世界にひろがり、休日のもととなったことなのだろう。その意味でも、影響は大きい。同時に、これは、聖なる日、安息日、その過ごし方も大切なのだろう。神の前にたつ日なのだろうか。こちらは、もう少し整理して行きたい。
- 出エジプト記 36:8 仕事をする者のうち、心に知恵のある者たちは皆、幕屋を十枚の幕で造った。上質の亜麻のより糸、青や紫、また深紅の糸を使って、意匠を凝らしてケルビムが織り出されていた。
- 引用箇所はどこでも良かったが、当時、その場でできることを結集して、幕屋を作ったことが描かれているのだろう。そのいみで、美しい。同時に、さまざまなひとが関わることで、この作業や、その後の礼拝も重要な意味を持ってきたのではないかと思う。ただ、いろいろなバランスもあり、現代では、教会建設が原因で、分裂が起こる場合も多いが。
- 出エジプト記 37:29 また、香料作りの技に倣って、聖なる注ぎの油と純粋なかぐわしい香を作った。
- この章は「ベツァルエルはアカシヤ材で箱を作った。」(1)と始まり、ここでも、主語は、ベツァルエルのようである。香料作りが香料を作るのではなく、ベツァルエルが作ったように書かれている。実際には、職人が加わっていたかも知れないし、そのように変化していくのかもしれないが。香料が、乾燥地の遊牧民にとっては、大切で、みな、鼻も良かったのだろう。現代とは少し違う感覚が、匂いにはあったのかもしれない。
- 出エジプト記 38:25,26 会衆の中で登録された者が献げた銀は、聖所のシェケルで、百キカル千七百七十五シェケルであった。これは、二十歳以上の男で登録された者、六十万三千五百五十人が一人当たり一ベカ、聖所のシェケルで半シェケルを献げた量であった。
- 聖書協会共同訳聖書の巻末の表によると、ベカは、1シェケルの二分の一で、約5.7g 、シェケルは 約11.4g。キカルは約34.2kg とある。すると、1キカルは、3000シェケル、または、6000ベカとなる。銀の方が重要だったのかもしれない。この前には、「聖所のすべての仕事のために用いられた金の総量、つまり、奉納物の金は聖所のシェケルで、二十九キカル七百三十シェケルとなった。」(24)とある。87730シェケル。100122g 約1t となる。銀は、3440235g ぐらいだろうか。3.4t となる。
- 出エジプト記 39:14 宝石はイスラエルの子らの名に合わせて十二あり、十二部族に従ってそれぞれの名を印章を彫るように彫りつけた。
- 十二部族が公平に扱われること(レビ族は別だが)が基本としてあるように思う。十二部族のための祭儀である。同時に、ある程度、大きくなっており、どの時代であっても、かなりの違いや差があったと思われる十二の部族をまったく同じように扱うことにはなんらかの合意があったのだろう。それが「部族同盟」と言われるものかもしれないが、やはり、そこにいたった背景を知りたいと思った。ひとはどうしても、違いや優劣に注目してしまうものだから。さらにこれが人間一人一人に広がるのは、理念は単純でも、意識としてはとても難しいのだろうとも思った。
- 出エジプト記 40:17 第二年の第一の月の一日に、幕屋が建てられた。
- 第2年については厳密にはよくわからないが、おそらく、出エジプトから考えられているのだろう。それがニサンの月(通常は、過越祭はその14日)であるとすると、この時も、ニサンの月だったのだろうか。いまは、年の初めもカレンダーとして変わっているようだが。いずれにしても、ここまで一年で到達したとするとそれも驚かされる。そのようなまとめ方なのかもしれないが。何らかの形にはしたのかもしれない。荒野の40年と言われるが、その記述は日誌のようには書かれていないことは、覚えておくべきだろう。
レビ記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.2.15-2.28-1)
- レビ記 1:1,2 主はモーセに呼びかけ、会見の幕屋から告げられた。「イスラエルの人々に告げなさい。あなたがたのうち誰かが主への献げ物を献げるときは、家畜、すなわち牛や羊を献げ物として献げなければならない。
- 出エジプト記の最後には、会見の幕屋が建設される。レビ記では、会見の幕屋で語られたとされる律法がはじまる。基本的には、モーセまたは祭司が神から受け取ったとされたことが神からのことばとして記録され、守るようにされていくのだろう。そして、それが神と人々の契約として人々は守り、主は祝福するという関係となる。律法主義の始まりでもある。
- レビ記 2:1,2 人が穀物の供え物を主への献げ物にする場合、その献げ物は上質の小麦粉でなければならない。その小麦粉に油をかけ、乳香を載せ、祭司であるアロンの子らのもとに携えて行きなさい。祭司は油のかかった上質の小麦粉一握りとすべての乳香をつかみ、記念の分として祭壇で焼いて煙にする。これは主への火による献げ物、宥めの香りである。
- 1章冒頭では「あなたがたのうち誰かが主への献げ物を献げるときは、家畜、すなわち牛や羊を献げ物として献げなければならない。」としていたが、2章では、穀物の献げものについて書かれている。関係は不明確である。これは、べつの献げものであって、基本は、1章で述べたものということだろうか。荒野では、穀物の献げものはできないだろうから、追加されていったのだろう。修正し、さまざまなことが加味されていったのかもしれない。すべて神からの律法としたのだろうが、ひとの責任でなすことのようにも思う。
- レビ記 3:17 これはあなたがたがどこに住もうとも、代々にわたって守るべきとこしえの掟である。脂肪も血も決して食べてはならない。」
- 「もし献げ物が会食のいけにえで、その人が牛を献げるなら、雄であれ雌であれ、欠陥のないものを主の前に引いて行かなければならない。」(1)とはじまり、6節からは羊の場合、12節からは雄山羊の場合について書かれ、最後が引用句になっている。規定が細かく決まっているということは、専門職でないと不可能ということになるのだろう。ある敬意も生じる。しかし、それが目的ではなかっただろう。どのように、礼拝するのが適切かが追求され、このような形になっていったと思われる。そのような営みは貴重であるが、結果は形式であり、そちらが一人歩きして逆にひとを縛るようになっていく、難しいとも感じてしまう。
- レビ記 4:1,2 主はモーセに告げられた。「イスラエルの人々に告げなさい。主が行ってはならないと命じた戒めの一つについて、人が過って違反した場合、次のようにしなければならない。
- 最初に祭司(3)、次に全会衆(13)、さらに民を導く者(22)、この地の民の一人(27)と続く。だれでも、違反があることが想定されている。祭司の項には「民にもその罪責を及ぼすことになるなら」、全会衆の項には、最初会衆の目に隠されていて「その過失が知らされた場合」などなどと書かれている。注意深く書かれていることも確かなのだろう。これをどう解釈するか、解釈学も発展していかざるを得なかったろう。法律も似た部分があるだろうが、正しさをもとめることで、救いはないようにやはり感じてしまう。間違いだろうか。
- レビ記 5:26 祭司がその人のために主の前で贖いをすると、その人が行って罪責ある者となった、どのようなことも赦される。」
- いくつかの罪について書かれている。証言をしない場合が最初にあり、それ以外に、汚れた場合からはじまり、背信の罪を犯した場合も、主の聖なるものに対して犯した場合と、主に対して犯した場合に分けているようである。正確には、一つ一つ理解できない。しかし、罪を負うことがとても大きなことで、それが償われなければ主の前に出ることができないと考えられていたのかと思う。主は、全く清い方ということだろうか。日本には、すくなくとも現代ではそのような感覚はないと思う。そのような神との交わり、またはそのような方が共にいてくださることは、無理だと考えてしまう。どうなのだろうか。可能だと考えられていたのだろうか。
- レビ記 6:1,2 主はモーセに告げられた。「アロンとその子らに命じよ。これは焼き尽くすいけにえについての指示である。焼き尽くすいけにえは、夜通し朝まで祭壇の炉の上に置き、祭壇の火を燃やし続ける。
- 全焼のいけにえについての指示である。規定により、あがないや供物がひつようであれば、それを行う、作業は膨大になったことだろう。レビ族がみなそれにあたらなければ実行できなかったことは、ある程度想像はつく。ただ、やはり、人間の捉え方、神の認識の仕方に無理があるように思われる。ある意味で、自然なのかもしれないが。神聖なものに最初に思い至ったひとから、発展していった考え方なのだろうか。正直、異常に感じる。わたしの思考は、あまりに、信仰から離れてしまったのだろうか。
- レビ記 7:37,38 以上が焼き尽くすいけにえ、穀物の供え物、清めのいけにえ、償いのいけにえ、任職の献げ物、会食のいけにえについての指示である。これはモーセがシナイの荒れ野で主に献げ物を献げることをイスラエルの人々に命じた日に、主がシナイ山でモーセに命じたことである。」
- 引用句はこのまとまりの最後のようである。ところが、このあとに、任職の献げ物の規定が8章に続く。引用句には、シナイ山でうけたことのように書かれているが、それは、これが一番基本的な戒めであることを主張しているのだろう。任職はアロンの子らから始まるのだろうか。難しいエピソードもあるので、ここで分けているのかもしれない。記録は、大変である。
- レビ記 8:33 あなたがたの任職式の期間が明けるまでの七日間、会見の幕屋の入り口から外に出てはならない。七日間かけて任職式が行われるからである。
- 任職式の規定は、7章までには書かれていないが、ここにあるのは、具体的な任職について書かれているのだろう。それを範とせよということだろうか。モーセとアロンの関係も微妙で、やはり、アロンもモーセを通して任職されているように見える。最初は難しかったのだろう。引用句では、任職式の期間は、七日間だったようで、何曜日かは書かれていないが、安息日もなく行われたということなのだろう。正確にはわからない。
- レビ記 9:6 そこで、モーセは言った。「これは、あなたがたが行うように主が命じられたことである。行えば、あなたがたに主の栄光が現れる。」
- 主の栄光をみるためのきよめのための犠牲について書かれている。主が共におられる、主の素晴らしさを味わえる、それは、素晴らしいことだろうが、このような儀式には抵抗がある。日常的な、苦しみや困難のなかに、主を見出すことにこそ意味があるのではないだろうか。おそらく、これも、教育の一段階なのだろう。イスラエルの厳格な保守派も、おそらく現在は遊牧や、牧畜が主ではないだろうから、たとえ、神殿ができても、この礼拝形式には戻れないのではないかと思う。
- レビ記 10:1 アロンの息子ナダブとアビフは自分の香炉を取って、火を入れて香をたき、命じられていない規定外の火を主の前に献げた。
- 詳細は書かれていないので、この二人にどのような意図があったのか不明だが、このような清さについての限界も感じる。たとえ、形式的に整っていても、こころのなかは、そうではないこともあるだろう。なにか、ずれを感じてしまう。これも、ひとつの教育段階なのだろうか。こういうのも、安易すぎるかもしれない。わたしのような、そして、あとで、パウロもある程度する議論は、どう考えられていたのだろうか。
- レビ記 11:3,4 反芻するもので、ひづめが割れ、完全に分かれている動物はすべて食べることができる。ただし、反芻するだけか、あるいはひづめが割れているだけのものは食べてはならない。らくだ、これは反芻するが、ひづめが割れていないので、あなたがたには汚れたものである。
- このあとも、水の中に住むもの、鳥について述べられ、さらに、死骸に触れるなどで、汚れることについて、続けてかられていてる。何らかの理由もあると思われるが、それは書かれていない。汚れは清めを必要とする。清くあれということと同時に、汚れることがあることも想定されているということでもある。最後に書かれているように(45)、主が聖なるもんだから、民も聖でなければならないということに依拠しているのだろう。そのような清い、聖なる方との出会いがあったということだろう。
- レビ記 12:6,7 男児あるいは女児のための清めの期間が満ちたなら、彼女は焼き尽くすいけにえとして一歳の雄の小羊、そして清めのいけにえとして若い家鳩か山鳩一羽を、会見の幕屋の入り口にいる祭司のもとに携えて行かなければならない。祭司がそれを主の前に献げて贖いをすると、血の汚れから清められる。これが男児か女児を出産した女のための指示である。
- 血が流れることとともに、やはり、生命が誕生する出産に関して、神秘的なものを感じていたのだろう。血の汚れをたんに、悪いことと考える必要な内容にも思う。むろん、ひとは、いろいろな受け止めをしたのだろうが。そして、これらも、男性目線であることも、確かなのだろうが。
- レビ記 13:45,46 規定の病にかかった人は衣服を引き裂き、髪を垂らさなければならない。また口ひげを覆って、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。その患部があるかぎり、その人は汚れている。宿営の外で、独り離れて住まなければならない。
- 規定の病と訳しているが、基本的に、法定伝染病のようなものなのだろう。共同体としての対処方法を定めている。科学が未発達な状態では、できることは限られていたのだろうし、それを汚れとすることも、他に適切な方法はなかったのかもしれない。しかし、その人たちにたいする対処をみると、悲惨である。そのような事例がいくつもあったのだろう。そして、現代から考えると、誤って、そのように宣言される場合も。共同体として生き抜く術としても、苦しみと痛みを覚える。
- レビ記 14:8,9 清められた人は衣服を洗い、すべての体毛をそり、水で洗うと清くなる。その後、宿営に戻ることができる。ただし、七日間は天幕の外で暮らさなければならない。七日目になって、すべての体毛、すなわち、髪やひげや眉毛などをそる。すべての体毛をそらなければならない。衣服を洗い、体を水で洗うと、彼は清くなる。
- 「規定の病を患っていた人が清められるときの指示」(1b)が書かれている。後編には、家のかびの扱い方についても述べられている。このようなものが、祭司のもとで扱われていたということで、それが社会制度だったのだろう。しかし、神に仕えるものとして絶対化された面もあるだろう。だからこそ、従わざるを得なかったのだろうが、現代に移して考えると、これは、ひとの責任とも言える。しかし、それは、改善ともいえるが、難しいくなったとも言える。責任の大きさをも感じる。
- レビ記 15:2 「イスラエルの人々に告げなさい。人が陰部から漏出しているなら、その漏出物は汚れている。
- よく知らなかったが、いくつか病気はあるようだ。ただ、ここに書くほど一般的なのだろうか。尿失禁・遺精・膀胱炎や過活動膀胱などのようだが、最初の二つが想定されているのだろうか。女性の場合は月経以外にも、いろいろな種類があるようである。排卵期出血・無排卵性出血・更年期の不正出血・妊娠時の着床時出血・切迫流産や早産・膣炎や子宮頸管炎・萎縮性膣炎・腫瘍性疾患・性交時の裂傷・薬剤性の影響のようだが、どの程度の知識があり、想定されていたのだろう。体内から通常ではないものが出てくることに恐れがあったのか。
- レビ記 16:29-31 これはあなたがたのとこしえの掟である。第七の月の十日には身を慎みなさい。どのような仕事もしてはならない。イスラエル人も、あなたがたのもとでとどまっている寄留者も同じである。この日には、あなたがたを清めるための贖いがなされる。主の前であなたがたの罪はすべて清められる。この日は、あなたがたにとって完全な安息の日でなければならない。身を慎みなさい。これはとこしえの掟である。
- 清めは、わたしだけではなく、一般の現代人には、なかなか理解できないことなのではないだろうか。しかし、神が共におられるということが、このような清めの徹底に結びついていったことはおそらく確かだろう。これがなければ、神がともにいてくださらない。このあたりは、神は、わたしたちが不完全であることを、当然、理解して下さっているだろうという甘えなのだろうか。清さについては、もう少し考えてみたい。
- レビ記 17:11,12 肉なるものの命、それは血にある。私はあなたがたの命の贖いをするために、祭壇でそれをあなたがたに与えた。血が命に代わって贖うのである。それゆえ、私はイスラエルの人々に言った。『あなたがたの誰も血を食べてはならない。あなたがたのうちにとどまっている寄留者も、決して血を食べてはならない。』
- 「肉なるものの命、それは血にある。」は、14節にもある。どうしてそうなのかではなく、いのちが血にあるのであれば、食べてはいけない。いのちは、神のもの、神から与えられたものだからということなのだろう。それゆえ、祭壇で、血が命にかわって贖うとされているのだろう。いのち、われわれが生きているのは、神から与えられたいのちによるということは、理解できるように思う。自分のうちにあるものであっても、自分のものではないということなのだろう。よく考えたい。
- レビ記 18:3-5 あなたがたは、住んでいたエジプトの地の風習に倣ってはならない。また私が連れて行くカナンの地の風習に倣ってはならない。その掟に従って歩んではならない。私の法を行い、私の掟を守り、それに従って歩みなさい。私は主、あなたがたの神である。私の掟と法を守りなさい。人がそれを行えば、それによって生きる。私は主である。
- 「あなたがたより先にいた者がこれらの忌むべきことをすべて行ったので、その地は汚れた。」(27)ともある。これは、先住民も、神様のもとにあるという信仰からでているとも言える。引用句は、分離を聖なるものとして主に従うことの、基本としている。このことと、愛し合うこととには、根本的に、相容れない部分があることは、確かである。どう考えたら良いか、完全なこたえは、わたしは持っていない。ただ、分離して、ほんとうに、主が聖であるように、聖であることができるかというと、できないということは、確かである。そして、その地の風習に倣っていて、主の望まれるように生きることも、おそらく不可能だろう。謙虚に、求め続けたい。
- レビ記 19:20 男が、他の男のものになるはずの女奴隷と寝て交わり、まだ身請け金が支払われていないか、彼女に自由が与えられていなかった場合には、男に償いの義務はあるが、二人は死刑にはならない。彼女は自由の身ではなかったからである。
- こんなことがあってはいけないと思う。自由の身ではないものの存在を許容すること自体に問題がある。イスラエルの民は、その奴隷または自由ではないところから逃れてきたのではないのか。むろん、実際には、人間社会の歪みで、自由ではない存在は、こどもや、雇用上の問題で、実際には、さまざまなかたちで現在も存在しているのだろう。どのように向き合えば良いのだろうか。正直、ここからはわからない。
- レビ記 20:13,14 人が女と寝るように男と寝るなら、両者ともその忌むべき行いのゆえに、必ず死ななければならない。血の責任は彼らにある。人が女とその女の母親を一緒にめとることは恥ずべきことである。その男も女たちも火で焼かなければならない。あなたがたの間に淫らなことがあってはならない。
- 女性どうしの場合は書かれていない。おそらく、血の責任とあり、いのちに関わる生殖行為が意識されているのだろう。このあとには、獣姦のことも書かれているが、これに関しては、男性女性両方について書かれている。そこでも、血の責任である。正直、よくはわからない。
- レビ記 21:6,7 彼らは神にとって聖なる者でなければならない。また、神の名を汚してはならない。彼らは神の食べ物である、主への火による献げ物を献げるのである。彼らは聖なる者でなければならない。遊女や汚れた女をめとってはならない。離縁された女をめとってはならない。祭司は神にとって聖なる者でなければならない。
- 聖なる神の前に出、その神に仕える祭司が聖でなければならないということから、細々と決まって行ったのだろう。それが、敬虔の表現だったのだろうが、逐一神の言葉だとするところには、やはり無理があると思う。礼拝の仕方が変わっていくこともあるだろうが、神の認識も自分たちの置かれた状況に即して変化することもあるだろう。硬直化した律法に、大きな疑問を感じる。ひとの弱さだろうか。よかれと思ってすることでも、実際には、問題を生じてしまう。現代でも同様の問題がたくさんあるように思う。
- レビ記 22:26,27 また主はモーセに告げられた。「牛か羊か山羊が生まれた場合、七日間、母親のもとにとどめなければならない。八日目からは、主への火による献げ物として受け入れられる。
- 憐れみのこころが語られているのだろうか。しかし、それが何になるのだろうかと考えてしまう。そのいく先には、動物の肉を食べないということもあるのかも知れない。いのち、人間のいのちと近いものを慈しむということなのかも知れないが、それをルールとして、守っていくことが、本当にみこころなのか、真理なのか、やはりわたしには、わからない。
- レビ記 23:5,6 第一の月の十四日の夕暮れに主の過越祭、その月の十五日から主の除酵祭である。七日間、種なしパンを食べなければならない。
- まず、安息日のことが描かれ、過越祭・除酵祭のあと、初穂祭(ペンテコステ)、贖罪日、仮庵祭と続く。少し不明の点もある。まず、ユダヤのカレンダーで祭りの曜日が決まっているのかという問題。イエスの時代には、過越祭の曜日は変化していたようだが、そうなると、祭りの週の途中、安息日があるときはどうしていたのだろうか。
- レビ記 24:10,11 イスラエル人を母とする、その男が御名をそしって呪ったので、人々は彼をモーセのもとに連れて行った。母の名はシェロミトと言い、ダンの部族に属するディブリの娘であった。
- イスラエルのコミュニティの中にいる混血のひとの信仰についての問題である。このあと、一般的に主を呪うことについて描かれ、処罰が下されている。信じるものが異なる、信仰の形式が異なる場合の対応でもあり、共同体の中では難しい問題である。個人的には、寛容でなければいけないと思うが「でなければいけない」ということを、適用するのは難しい。少しずつ合意して、その合意も修正していかなければいけないように思う。それが法律であり、人に委ねられている公平さなのだろう。
- レビ記 25:32-34 レビ人の町の場合、彼らの所有の地である町に建っている家屋は、レビ人にはいつでも買い戻す権利がある。レビ人が買い戻さない場合でも、ヨベルの年になると所有物であるその町の家屋は戻さなければならない。なぜなら、レビ人の町に建っている家屋は、イスラエルの人々の中にある彼らの所有物だからである。彼らの町に属する放牧地は売買できない。それは彼らのとこしえの所有地である。
- ヨベルの年の規定についてはいつも驚かされる。ここでは、それとは別に、レビ人の所有の土地についての買い戻しの権利などについて定めている。レビ人はどの程度かは不明だが、貧しかったとも言われている。大きな土地を所有しておらず、かつ、共同体のためや、イスラエル全体にたいしてすべき奉仕がいろいろとあったからでもあろう。ただ、実態はあまりよくわからない。いつか調べてみたい。
- レビ記 26:36 あなたがたのうちの残りの者に対し、私は敵の地で、その心を臆病にする。揺れる木の葉の音さえ、彼らを追い立てる。彼らは剣で追われるかのように逃げ惑い、追う者もいないのに倒れる。
- このあとには「以上が、シナイ山において、主がモーセを通してご自分とイスラエルの人々との間に授けられた掟と法と指示である。」(46)とあり、27章は続くが、レビ記の最後の部分である。この章には、祝福と呪いが描かれている。最初は、偶像のことが書かれ、つぎに、「掟に従って歩み、戒めを守り行うなら」(3)とあり、次に、「しかし私に聞き従わず」(14)「でも私に聞き従わないなら」(18)「それでも私に逆らって、私に聞き従おうとしないなら」(21)「それでもなお、それを戒めとせず、逆らって歩むなら」(23)「それでもまだ私に聞き従わず、逆らって歩むなら」(27)とあり、その次の段落が引用句である。そして「彼らは背信の罪を犯した先祖の過ちと、また私に逆らって歩んだ自らの過ちを告白するようになる。」(40)とあるが、イスラエルの歴史について語っているようにも見える。どの時点でこれが書かれたのかは不明だが。
- レビ記 27:2-4 「イスラエルの人々に告げなさい。人を査定額に従って主に奉献する、特別な誓願を行う場合、二十歳から六十歳までの男の査定額は聖所のシェケルで銀五十シェケル、女は銀三十シェケルである。
- このあと、五歳から二十歳まででは、男銀二十シェケル、女銀十シェケル、一か月から五歳までなら、男銀五シェケル、女銀三シェケル、六十歳以上なら、男銀十五シェケル、女銀十シェケルと続く。誓願のためとなっているが、神様に対しては、男と女、おとなとこどもと老人は、区別されるが、それ以外の区別はないと伝えているのだろう。男と女などの区別については、いかがなものかとも思うが、この時代としてはすごいことなのかもしれない。一人一人を見ないとも言えるが。わたしのような年寄りについても、考えた。家族や、共同体や、社会的な価値なのか、神様のお仕事の貢献度なのか、わたしは、あまり貢献できていないなとは感じる。難しい問題でもある。
民数記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.2.28-2-3.18-1)
- 民数記 1:18 第二の月の一日に全会衆を召集し、それぞれの氏族と、その父祖の家に基づいて、二十歳以上の男子一人一人の名を数え、系図に記した。
- 系図に記したことばが目にとまった。それが後代まで続いた場合もあったのだろう。ここには、レビは含まれない。軍への登録(3)であり、神殿関係の仕事をするものは、除外されたのだろう。一族すべてをそうすることにも驚かされるが、軍の編成、兵役につくものを数えることも、公平さともいえるが、とても重要だったのだろう。レビ記の最後には、誓願を行う場合の査定額が書かれていたが、この章には、年齢の上限はない。六十歳以上など、としよりは、ごく僅かだったのかもしれない。
- 民数記 2:34 イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行った。それぞれの旗の下に宿営し、それぞれの氏族と、父祖の家ごとに進んだ。
- これだけの人数が、宿営も伴って移動したとすると、広大な面積が必要なはずである。それも、荒野であれば、水の問題もあったろう。これだけでも、不可能としか言えないだろう。しかし、当時の人たちは、納得させられたのだろうか。戦いの時の体勢で、通常は異なるのかもしれない。どちらにしても、非現実的ではある。
- 民数記 3:11,12 主はモーセに告げられた。「私はイスラエルの人々の中で初めに胎を開くすべての初子の代わりに、イスラエルの人々の中からレビ人を取る。レビ人は私のものである。
- このために、レビ人の生後一ヶ月以上のレビ人の男子を数え総数が、二万二千人であったと、39節にあり、一方、イスラエルの「登録され、名を数えられた生後一か月以上の初子の総数は二万二千二百七十三人であった。」(43)とある。この差を、一人当たり、銀五シェケルを捧げるということが書かれている。まずは、レビは他の十二部族と比較して、非常に少ないと思う。他は、軍に登録する、20歳以上としているのと比較して、こちらは、一ヶ月以上、マナセとベニヤミンが少ないがそれでも、32,200人と、35,400人。当時の人口中央値は不明だがおそらく、20歳ぐらいだったろうと思われるので、そう考えると、レビが軍に加われば、この半分ということになる。11,000 あまりにも少ない。しかし、そのあたりも、レビが選ばれたことと関係しているのかもしれない。
- 民数記 4:46-48 モーセとアロン、およびイスラエルの指導者たちが、それぞれの氏族と、その父祖の家によって登録したレビ人は皆、会見の幕屋での仕事に就き、運搬の仕事をすることのできる三十歳から五十歳までの者たちである。登録された者の数は八千五百八十人。
- 一ヶ月以上では、男子が、二万二千人とあった(3:39)それから考えると、0.39 約 40% である。五十歳以上もむろん、いただろうが、やはり、三十歳よりも、すこし若いあたりに中央値があったのではないだろうか。成人男性の死亡率はあまり高くなかったかもしれない。戦いが多い場合は別だが、レビはおそらく戦わなかったと思われるので。人工分布がどのくらいわかるか考えてみたい。
- 民数記 5:19 祭司は彼女に誓わせ、こう言う。「もし、別の男があなたと寝たことがなく、またあなたが夫のもとにありながら道を外し、身を汚したことがなかったなら、この呪いの苦い水の害を免れる。
- 実際に姦淫を犯した場合も、犯さなかった場合も、疑いが生じると、それを消し去るのはとても難しかったろう。しかし、そのための、方策が決められていたことは興味深い。これは、他の地域でもあったのだろうか。歴史的には、どうだったのだろうか。調べてみたいとも思う。
- 民数記 6:2 「イスラエルの人々に告げなさい。男であれ女であれ、特別な誓願を立て、主に献身するナジル人の誓いをするときは、
- 神を中心とする生活においては、誓願も重要だったのだろう。「神かけて誓う」ことだろうか。ただ、ナジル人の規定は、特別なものだったのだろう。ここでは、男であれ女であれとある。サムソンのような例を思い出すが、女性はどのようにして、どのようなことについて、誓願をしたのだろう。具体的な事例もおそらく記録にあるだろう。調べてみたい。
- 民数記 7:1 幕屋を建て終わった日、モーセはこれに油を注いで聖別した。また、幕屋の祭具、祭壇、祭壇の祭具のすべてに油を注いで聖別した。
- 幕屋の奉献式のようなものなのだろう。十二部族が部族ごとにまったく同じ献げものを献げていることが書かれている。部族の大きさはさまざまだったことがわかっているが、ここでは、まったく同じである。代表ともいえるが、部族集団であることが、明確になっている。どのようなものだったのか、やはり気になる。新しい情報を今後得ることは難しいのかもしれないが。
- 民数記 8:13-15 あなたはアロンとその子らの前にレビ人たちを立たせ、彼らを奉納物として主に差し出す。あなたはこうして、レビ人をイスラエルの人々の中から区別し、レビ人は私のものとなる。その後で、レビ人は会見の幕屋に入って仕事に携わることができる。あなたは彼らを清め、奉納物として差し出した。
- レビ人が他の種族とはことなり、主に仕えるものとなることを、理論づけるとともに、儀式としても確立したと言うことだろう。これが引き継がれていく。現代では、どうなっているのだろうか。おそらく、系図も残り、アロンの子孫と言われる人たちもいるのだろう。調べてみたい。
- 民数記 9:2,3 「イスラエルの人々は、定められた時に過越祭を祝いなさい。あなたがたは、この月の十四日の夕暮れ、定められた時にそれを行わなければならない。そのすべての掟とすべての法に従ってそれを行わなければならない。」
- のちにしばらく、過越祭が持たれていなかったことも書かれている。しかし、この最初の時がここに記録されている。イスラエルにとって、特別な祭りだったのだろう。どこに、自分たちの起源をもつのか。それが崩れていた時はなにを意味するのだろうか。「王はすべての民に命じた。『この契約の書に記されているとおりに、あなたがたの神、主の過越祭を祝いなさい。』実に、イスラエルを治めていた士師の時代から、イスラエルの王、ユダの王の時代を通じて、このような過越祭が祝われたことはなかった。ただヨシヤ王の治世第十八年に、エルサレムでこの主の過越祭が祝われただけであった。」(列王記下23:21-23)ダビデや、ソロモンの頃もしていなかったようである。経緯が気になる。滅亡の直前に、整備したと言うことだろうか。
- 民数記 10:11-13 第二年の第二の月の二十日、雲が証しの幕屋から離れて昇ったので、イスラエルの人々はシナイの荒れ野を出発し、雲はパランの荒れ野にとどまった。彼らは、モーセを通して示された主の命によって、初めて旅路に着いたのである。
- 一年と一ヶ月で、このような体勢が整えられ、出発することとなったことが書かれている。これだけのものができるなら、このあとの計画も十分に練られたと思われるが、どうなのだろうか。このあとには、彼のアドバイスによって、制度などが整えられた、モーセのしゅうとが帰っていくと言う記事があるが、実際に、離れていったのかどうかの結論は書かれていない。(29-32)このあと三日の道のりを進んだとある。ここまで丁寧に書かれていると、何かしらの、実体があったと思わされるが、やはり、水や食料のことなど、さまざまな現実的な面が、気になる。どのようなことを表現しているのだろうか。すでに、敵の存在が描かれているが(35)、敵とはどのようなものだったのだろうか。
- 民数記 11:31,32 さて、主のもとから風が起こり、海の方からうずらを運んで来て、宿営の周囲に落とした。それは一方の側に約一日の道のり、他方の側に約一日の道のりがあり、地面より二アンマほどの高さに積み重なっていた。民は立ち上がり、終日終夜、さらに翌日も一日中、うずらを集めた。最も少ない者でも十ホメルを集めた。彼らは自分たちのために、宿営の周りにそれらを広げておいた。
- 宿営には、うずらは来なかったのかなど、非現実的と思われる面もあるが、このように伝承が、語られていたのだろう。アンマは、おそらく、45cm 程度、ホメルは230リットル程度とのこと。ここに、もっとも少ないものでも、十ホメルとある。2300リットル。風呂桶になみなみ二杯分ぐらいだろうか。やはり非現実的に見える。それも、うずらだけで、どうするのだろうか。
- 民数記 12:9,10 主の怒りが彼らに対して燃え上がり、主は去られた。雲は幕屋の上を離れた。その時、ミリアムは規定の病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンが振り向くと、ミリアムは規定の病にかかっていた。
- 「ミリアムはアロンと共に、モーセが妻にしたクシュ人の女のことで彼を非難し、『モーセはクシュの女を妻にした』と言った。」(1)から始まるが、ミリアムが首謀者であったとしても、アロンはなにも害を受けないことに疑問を感じる。また、「彼女の父親が彼女の顔に唾を吐きかけたとしても、彼女は七日間、恥を負うではないか。彼女を七日間、宿営の外に隔離しなさい。その後、彼女は癒やされる。」(14)も記されているが、主が語ったことになっており、このようなことを主がよしとされたと言うことか。このことばは、聖書には記されていない。ただ、引用句にあるように、主がおられるかどうか、目で見てわかると言うのは、すごいこと、恐ろしいことでもある。
- 民数記 13:27-29 モーセに説明した。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行って来ました。そこはまことに乳と蜜の流れる地でした。これがそこの果実です。しかしながら、その地に住む民は強く、町は城壁に囲まれ、とても大きいのです。私たちはそこでアナク人の子孫さえも見ました。ネゲブの地にはアマレク人が住み、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人が住み、海辺とヨルダンの岸辺にはカナン人が住んでいます。」
- 荒野とは異なるだろうが、パレスチナ北部の三日月地帯は別として、一般的には山地で、乾燥気候ではないだろうか。しかし、ここには、「乳と蜜の流れる地」とある。気候がいまとは、多少違っていたのだろうか。いずれにしても、良い点と悪い点を見てきている。一般的にはこのあとの、カレブの発言が素晴らしいとされるが、侵略、征服である。善悪を判断することは、本当に難しい。
- 民数記 14:8,9 もし、私たちが主の御心に適うなら、主は私たちをあの地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる地を私たちに与えてくださるでしょう。ただ、主に逆らってはなりません。その地の民を恐れてもなりません。彼らは私たちの餌食にすぎないのですから。彼らを守るものは彼らから離れ去り、私たちには主が共におられます。彼らを恐れてはなりません。」
- とても乱暴に感じてしまう。それも、このあとに、「あなたがたは、私があなたがたを住まわせると誓った地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別である。」(30, 参照24)と、主が語られ、これを契機に、40年間、荒野を彷徨うことが書かれている。御心をこのように理解して、伝えようとしたのだろうが、どの時代まで、このことが続いたのかとも思わされる。いまも、カレブや、ヨシュアは好まれるので、今もこの認識が続いているのかもしれない。
- 民数記 15:40,41 あなたがたは私の戒めをすべて思い起こしてこれを行い、あなたがたの神にとって聖なる者となりなさい。私は、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出したあなたがたの神、主である。私は主、あなたがたの神である。」
- 戒めを思い起こすために、「衣服の四隅に房を作り、その四隅の房に青いより糸を付けさせなさい。」とあるあとに書かれている。戒めが、契約のもとであることを証言している箇所でもあるのだろう。これは、ひとつの方向性なのだろうが、神のことばとしなければならない問題が起こってしまう。神理解は変化するにも関わらず。
- 民数記 16:3 彼らはモーセとアロンに逆らって結集し、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。会衆全体、その全員が聖なる者であり、その中に主がおられるのだ。それなのに、なぜあなたがたは主の会衆の上で思い上がっているのか。」
- これは、自然なのかもしれない。モーセはひれ伏し、そして、神に判断を委ねている。結果は、「彼がこれらのすべての言葉を語り終えるやいなや、彼らの足元の大地が裂けた。地はその口を開き、彼らとその家族、コラに属するすべての者たちとすべての持ち物を吞み込んだ。」(31,32)これをどのように理解するかは、分かれるところだろうが、現実問題とすると、基本的には、主は、われわれ人間に対応を任せておられると思う。どうしたら良いのだろうか。
- 民数記 17:6 翌日、イスラエル人の全会衆は、モーセとアロンに対して「あなたがたは主の民を殺した」と不平を言った。
- このあと、主は「この会衆から離れなさい。私は即座に彼らを滅ぼす。」(10)と言われ、疫病がはじまる。しかし、モーセはアロンに「火皿を取り、それに祭壇から取った火を入れ、香を載せ、急いで会衆のもとに行って、彼らのために贖いをしなさい。主の前から怒りが出て、疫病が広まり始めたのだ。」(11)といい、疫病がとまる。なかなか興味深い表現である。ゆっくり考えてみたい。主と、人との関係が表現されているようでもある。
- 民数記 18:14,15 イスラエルにおいて永久に奉納されたものはすべて、あなたのものとなる。主に献げられた肉なるもの、すなわち人であれ、家畜であれ、その初子はすべてあなたのものとなる。ただし、人の初子は必ず贖わなければならない。また、汚れた家畜の初子も贖わなければならない。
- 主のアロンへのことば「あなたには私への献納物の管理を、すなわちイスラエルの人々が献げる聖なる献げ物の一切を任せ、そこからの取り分を、あなたとあなたの子らに与える。これは、とこしえの掟である。」(8)から始まる箇所である。ここにも、初子のあがないが登場する。初子は、すべて主のものだから、それを贖わなければならないと言うことなのだろう。牧畜文化とも密接に関係していると思われるが、本当にここに固執することが大切なのか疑問を感じてもいる。イエスも、多くの人ための死であることは言っており、あがないということばも、福音書で一回使われるが、多くの人のためということを大きく出るものではないように見える。普遍性を求めすぎているのだろうか。
- 民数記 19:7 祭司は自分の衣服を洗い、体を水で洗う。その後、宿営に入ることができるが、祭司は夕方まで汚れる。
- 祭司が最も汚れを受ける仕事であることをあまり考えたことがなかった。動物を屠るしごとは、日本でも、汚れる仕事だとされていたときもある。それが、祭司である。牧畜文化では、違ったのだろうか。命と関わること、動物の命と、人間の命がおなじであり、それを媒介するものが、血であることを、当時のひとたちは思ったのかもしれない。この文化から自由になって、聖書を理解するのは難しいのだろうが。
- 民数記 20:10-12 モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「聞け、反逆する者たちよ。私たちがあなたがたのために、この岩から水を出さなければならないのか。」モーセが手を上げ、杖で岩を二度打つと、水がたくさん湧き出たので、会衆も彼らの家畜も飲んだ。だが、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたは私を信じることをせず、イスラエルの人々の目の前に、私を聖としなかった。それゆえ、あなたがたは、私が彼らに与えた地にこの会衆を導き入れることはできない。」
- 厳密にいえば「私たちがあなたがたのために、この岩から水を出さなければならないのか。」とモーセとアロンが水を出すようなことを言って、主がそれをなされることを示さなかったと言うことなのだろう。ただ、この章の最後にはアロンの死が書かれておりそこでも、「アロンは先祖の列に加えられる。私がイスラエルの人々に与えた地に、彼が入ることはない。あなたがたがメリバの水のことで私の言葉に逆らったからである。」(24)と確認されている。酷だと正直に思うが、アロンの死を控えて、ひとは誰でも、自分の罪のために死ぬことを明確にしていると言うことなのかもしれないと思う。ひとはいずれは死ぬ。様々なことを背負って。理由づけは、そのひとの一生をとても狭いものとみてしまうことのように思う。それを静かに見守ることで十分であると思うが。わたしも、いいことも悪いこともたくさんしてきただろう。いのちを粗末にしてはいけないが、主がいのちをとられるときまで、ていねいに、そのいのちをたいせつに生きていければと願う。
- 民数記 21:29,30 モアブよ、あなたに災いが下った。/ケモシュの民よ、あなたは滅びた。/彼は自分の息子たちを難民とし/自分の娘たちをアモリ人の王シホンの捕虜とした。私たちは彼らを討ち滅ぼした/ヘシュボンからディボンまで。/私たちは荒廃させた/ノファまで、メデバに至るまで。」
- 前の章からエドムの地の通過についてと、アモリびとシホンとの戦いについて書かれている。ただ、書かれていることは微妙である。「イスラエルはこうして、ヘシュボンにあるアモリ人のすべての町と、その周辺のすべての村落に住み着いた。ヘシュボンは、アモリ人の王シホンの町であった。シホンは先代のモアブ王と戦い、その手から、アルノン川に至るまでの土地をことごとく奪い取っていたのである。」(25b,26)は、何らかの記録があるのだろう。この地域にイスラエルが住んでいることの経緯を示しているように見える。ヨルダン川の東の地域である。理由づけや、記述の詳細は、少し後の時代に属するものかもしれない。
- 民数記 22:28-30 すると、主が雌ろばの口を開かれたので、雌ろばはバラムに、「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは」と言った。バラムが雌ろばに、「お前が私にひどいことをするからだ。私の手に剣があったら、今お前を殺していただろう」と言うと、雌ろばはバラムに、「私は、あなたが今日までずっと乗ってこられた、あなたの雌ろばではありませんか。私が今までこのようなことをしたことがありますか」と言い、彼は「いや、なかった」と言った。
- 霊的な(お告げを受けようと日常的にそのような感覚を研ぎ澄ましていたと思われるので)なにか日常と異なることの中から、霊的なことを読み取ったのだろう。興味深い話に紡がれている。周囲のモアブとミデアンにとっては、大変な恐怖であったことは、確かだろう。史実がどの程度のものであっても。そして、その中で、なにを伝えるかも興味深い課題であるが。
- 民数記 23:23 まことにヤコブのうちにまじないはなく/イスラエルのうちに占いはない。/神はそのなすところを直ちにヤコブに告げ/イスラエルに示される。
- このようなことを伝えるメッセージが、ベオルの子バラムの言葉として伝えられている。イスラエルの神が、おそらく当時有名だった、バラムにも及ぶと言うことを伝えながら、ここにあるように、イエラエルに神が語られるのは、託宣などとはことなることを伝えようとしているのだろう。何らかの伝承もあったのだろうが、それがこのようにまとめられ、文学的にもすぐれたものに作り上げられていることには驚かされる。教育的な価値は十分あったのだろう。
- 民数記 24:1,2 バラムは、イスラエルを祝福することが主の目に適うのを見て、いつものようにまじないを行うことをせず、顔を荒れ野に向けた。バラムが目を上げ、イスラエルが部族ごとに宿営しているのを見たとき、神の霊が彼に臨んだ。
- バラムの物語は興味深い。批判しようとすれば「主の目に適うのを見て」とあり「まじない」は不明だが、問うことをせずと言うことなのだろう。自分が信じる神に問わずにと言うことなのだろう。これは、一人の人間として、やはり問題であると感じる。「たとえバラクが彼の家を満たすほどの銀と金を私にくれようとも、わが神、主の言葉に逆らうことはできません。善であれ悪であれ、自分の心のままに告げることなど、私にはできません。私は主が告げられることを語るだけです」(13)と言っていたとあるが、基本的にこのような姿勢を持っていたと言うことなのだろう。これは、立派だが、自分の信念だけでは、御心・真理を問い続けることは難しいのかもしれない。
- 民数記 25:1-3 イスラエルがシティムにとどまっていたとき、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。娘たちは民を招いて、自分の神々にいけにえを献げ、民はそれを食べて彼女たちの神々にひれ伏した。イスラエルはこうして、ペオルのバアルに付き従ったので、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。
- 14,15節には、このことに関わったイスラエル人と、ミデアン人の女の名も書かれている。モアブと、ミデアンの関係も、明確にはわからないが、同盟関係にあったと言うことだろうか。いずれにしても、このような色仕掛けには、弱いこと、そして、疫病は神の罰だと考えられていたと言うことだろうか。
- 民数記 26:5-7 イスラエルの長子ルベン。ルベンの一族は、ハノクとハノク家の氏族、パルとパル家の氏族、ヘツロンとヘツロン家の氏族、カルミとカルミ家の氏族。以上がルベン家の諸氏族であり、登録された者は四万三千七百三十人であった。
- エリコの対岸、モアブの平野での人口調査である。主として、一回目の人口調査のときの人が、ヨシュアとカレブ以外「生き残った者は一人もいなかった」(65)ことを伝えるもののように見える。ただ、あまり今まで考えなかったこととして、氏族についてある程度の情報が書かれていることである。1回目の人口調査(民数記1章)では、それは書かれていないようである。引用したルベンのところのに例として書くと「イスラエルの長子ルベンの一族について、それぞれの氏族と、その父祖の家の系図により、兵役に就くことのできる二十歳以上のすべての男子一人一人の名を数えると、ルベン族の登録者数、四万六千五百人。」(1:20,21)となっている。人口は微増だが、ほとんど変わっていない。氏族についても、いずれ調べてみたい。
- 民数記 27:8-11 イスラエルの人々にこう告げなさい。ある人が死に、息子がない時は、相続地を娘に渡しなさい。もし、娘もない場合には、相続地を兄弟に与えなさい。もし、兄弟もない場合には、相続地を父の兄弟に与えなさい。父の兄弟もない場合には、相続地を氏族の中で最も近い親族に与え、その人に相続させなさい。主がモーセに命じられたとおり、これはイスラエルの人々にとって判例による掟となる。」
- このように書かれているが、永続性は難しいように思う。前の章で氏族について記されているのも、この相続地が関係しているのかもしれない。氏族、そして、近しい家族ごとに分けなければ、相続地を近親者で守ることは難しい。そして、それは、長い期間においては、やはり無理なのだろう。とはいえ、何らかのルールは大切である。それが、男系であるにしても、娘しかいない場合にも、考えられたことは、興味深い。
- 民数記 28:22 また、あなたがたの贖いをするために、清めのいけにえとして雄山羊一匹を献げる。
- 「第一の月の十四日は、主の過越祭である。また、その月の十五日は祭りの日であり、七日間、種なしパンを食べなければならない。最初の日に聖なる集会を開き、どのような仕事もしてはならない。」(16-18)の続きで、過越祭での購いについて述べられている。ここでは、雄山羊となっている。雄羊ではないのだろうか。最初の日は、第一の月の十四日のことだろうか。最後の晩餐は、この日の夜だと考えて良いのだろうか。いくつか、明らかにしたいことがある。
- 民数記 29:12 第七の月の十五日に、あなたがたは聖なる集会を開く。あなたがたはどのような仕事もしてはならない。あなたがたは七日間、主のための祭りをしなければならない。
- 贖罪の日について言われているようである。「同じ第七の月の十日に、あなたがたは聖なる集会を開く。あなたがたは身を慎み、どのような仕事もしてはならない。」(7)ともあり、断食のことも書かれている。この期間の捧げ物についても書かれているが、焼き尽くすいけにえとして献げる若い雄牛が13頭から毎日減り、七日目には、七頭となり、八日目には何と急に一頭になる。何らかの意図があるのだろうが、ほかのいけにえの数は変化していない。不思議である。
- 民数記 30:17 以上が、夫と妻の間、および父と父の家にいる若い娘の間に関して、主がモーセに命じられた掟である。
- 女性は請願も自立的にはできないことが書かれている。教育の問題があるのだろうか。社会的(宗教的を含む)な責任を男性が持っている世界では、学校のような教育制度が整備されていなくても、判断力に大きな差が生じることはありうる。その意味でも、教育の機会均等はたいせつだとおもうのだが、この社会構造とも密接に関係しており、変革には時間がかかるとうことだろうか。現代の先進国と言われるところ、または、教育制度が整っているところでは、かえって女性の教育レベルの方が高くなっている。社会的地位はそうではなくても。これは、またべつの課題がいろいろと関係しているのだろう。
- 民数記 31:53,54 兵役に就いた人々は、それぞれ略奪したものを自分のものとした。モーセと祭司エルアザルは、千人隊の長と百人隊の長から金を受け取り、それを会見の幕屋に携えて行って、主の前で、イスラエルの人々のための記念とした。
- これは、ダビデのころに変更があったようだが、戦いが続く前に、兵役を奨励する必要があったのか。いずれにしても、「だから今、子どもたちのうち、男の子は皆、殺しなさい。男と寝たことのある女も皆、殺しなさい。ただし、まだ男と寝たことのない少女たちは皆、あなたがたのために生かしておきなさい。」(17,18)ひどいとしか言えない。イスラエルの民の命もふくめ神のもので、イスラエルの民のものは、贖われているという考え方が背後にあるのかもしれないが。このような考え方をとくに宗教のなのもとで正当化してはいけない。
- 民数記 32:31-33 ガドの一族とルベンの一族は答えた。「主があなたの僕どもに語られたとおりに、私たちは行います。私たちは主の前で武装し、カナンの地に渡って行きます。私たちの相続地は、ヨルダン川のこちら側です。」モーセは、ガドの一族とルベンの一族、また、ヨセフの子マナセの部族の半数に、アモリ人の王シホンの王国とバシャンの王オグの王国、すなわちその領内にある町、およびその周辺の地にある町を与えた。
- この決定は合議のために民に問うこともなく、くじもひかず、神に問うことも書かれておらず、主が言われるということも、モーセの言葉からは出ていないことに驚いた。大変な決定であるにもかかわらずである。ほかの理由がありそうである。
- 民数記 33:38,39 祭司アロンは、主の言葉に従ってホル山に登り、そこで死んだ。それは、イスラエルの人々がエジプトの地を出て四十年目、第五の月の一日であった。ホル山で死んだとき、アロンは百二十三歳であった。
- 旅程を見ていて、引照箇所が非常に少ないことが気になる。つまり、聖書にここにしか書かれてない地名とうことである。すなわち旅程のかなりの部分は、民数記、または、モーセ五書の中では、省略されているということである。現実味がない。引用句では、アロンは、ほとんど最後まで生きていたことが書かれている。出エジプトの旅程については、正直、疑惑をもってしまう。
- 民数記 34:13 モーセはイスラエルの人々に命じた。「これは、あなたがたがくじによって受け継いだ地である。主はこれを九つの部族と、マナセの部族の半数に与えよと命じられた。
- これを、それぞれの時代のイスラエルのひとたちはどう読んだのだろうか。そして、その地に住むひとたちは、どのように受け取っただろうか。さらに、われわれは、どのように読んだら良いのだろうか。大きな問いである。公平性に関することは、ひとにかかわることで、絶対的なことではなく、人が神とともに考えながらそのときそのときに、検討していくべきこと、だとわたしは考えている。絶対的なものはないと同時に、これが神の義でもあるのだから。
- 民数記 35:24,25 会衆はこれらの法に基づいて、人を殺した者と、血の復讐をする者との間を裁かなければならない。会衆は、人を殺した者を、血の復讐をする者の手から救い出さなければならない。会衆は、彼が逃げ込んだ逃れの町に彼を戻し、聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで、そこにとどまれるようにする。
- 逃れの町の規定は、不思議なものである。過失致死のような罪を犯した場合に、復讐するものから、守るものである。復讐で、ひとを殺すことは赦されていたのだろうか。それがまずは問題である。そして、大祭司が死んだときには、恩赦で、すべて赦されるということか。いろいろと理不尽にも感じることがあるが、いろいろと神が望まれることを人間が考えた結果なのだろう。
- 民数記 36:7 イスラエルの人々に属する相続地が、ある部族から他の部族に移ることはない。イスラエルの人々はそれぞれ、父祖の部族の相続地を固く守っていかなければならないからである。
- ある程度は守られていったのだろう。しかしむろん、絶対的なものではない。ということは、解釈が重要になり、律法学者などの考えに従うことになっていくのだろう。前提として、制度や、法律が神によって与えられたものとして変更できないということがあるからである。ここに大きな問題がある。宗教の問題だとも言えるし、宗教をどのように理解するかという問題でもあるのかもしれない。ひとの責任は大きいし、ひとが神にはならず、他者理解を広げ、合意を築いていくことだろうか。これも、非常に難しい道である。
申命記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.3.18-2-4.4-1)
- 申命記 1:30,31 あなたがたの神、主があなたがたの前を歩まれる。その方が、エジプトであなたがたの目の前で行ったように、あなたがたのために戦われる。それに荒れ野では、この場所に来るまで、あなたがたが歩んだすべての道のりを、人がその子を背負うように、あなたの神、主があなたを背負ってくださったのを、あなたは見た。
- わたしたちの前を歩み導いてくださる方、わたしたちのために戦われる方、子を背負うように背負ってくださる方、これ以上のことはないように思う。しかし、この次に書かれているのは、「しかし、あなたがたは、あなたがたの神、主を信じなかった。」(32)である。ひとの性(さが)とは何なのだろう。主を求めながら、主が望まれることをこころに抱きながら歩んでいくとはどのようなことなのだろうか。ひとは、そのように生きられるのだろうか。考えさせられる。
- 申命記 2:24-26 「立ち上がって出発し、アルノン川を渡りなさい。見よ、私はヘシュボンの王、アモリ人シホンとその地をあなたの手に渡す。占領を開始せよ。彼との戦いに挑め。今日私は天の下のすべての民があなたにおびえ、恐れを抱くようにする。彼らはあなたの噂を聞いて震え、あなたのためにおののこう。」そこで私は、ケデモトの荒れ野からヘシュボンの王シホンに使者を遣わし、友好の言葉を伝えた。
- 本章には、エサウの土地セイル、ロトの子孫モアブの荒野、ロトの子孫アンモン人の地は、主が与えたものとして占領しなかったことが書かれている。実際には、さまざまな衝突があったことが他の聖書に書かれていたと思う。いずれ丁寧に調べてみたい。そして、引用句にある、ヘシュボンの王、アモリ人シホンについて、上に書かれている。ただ、26節には「友好の使者」を送ることも書かれており、結果論のように思われる。後付け理論のようでもある。これだけの人が移動したことがどの程度史実なのかは不明だが、衝突がさまざまな箇所であったことは確かだろう。
- 申命記 3:12,13 私たちはその時、この地を占領した。私は、アルノン川沿いのアロエルからギルアドの山地の半分、およびそこにある町を、ルベン人とガド人に与えた。ギルアドの残りの地域とオグ王国のあったバシャン全土、すなわちアルゴブの全域は、マナセ族の半数に与えた。バシャン全土は、レファイム人の地と呼ばれていた。
- ヨルダンの東側の支配に関する歴史は不明だが、どうも、完全掌握したように読める。ルベンは、長子、マナセは、ヨセフの長子であることを考えると、イスラエルはもともと、この地域にいて、ヨルダン川の西の地域に、進出していったのかもしれないと思った。東から南の地域が、エサウや、ロトの子孫の地とすると、部族の親戚関係とも辻褄があうようにも思われる。むろん、このようなことを確定することはほぼ不可能だろう。アッシリアが攻めてきた時に、消滅した可能性も高い。
- 申命記 4:40 だから今日私が命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすればあなたもあなたの後に続く子孫も幸せになり、あなたの神、主が生涯にわたってあなたに与える土地で長く生きることができる。
- 主および律法について、いくつかの基本的なことが書かれている。「あなたがたは、私が命じる言葉に何一つ加えても、削ってもならない。私が命じるとおり、あなたがたの神、主の戒めを守りなさい。」(2)とまずあるが、「私が命じる言葉」をどの範囲にするのかがまずは、問題である。申命記は、成り立ちが、モーセの説教であり、さらに、後の時代に成立したともいわれている。キリスト教の新約聖書も、原理的に考えるなら、問題が生じる。「また、今日、あなたがたに与えるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民が、ほかにあるだろうか。」(8)このことをはじめ、イスラエルの民が特別であることが繰り返されている。その中で、国として滅んでいく。考えさせられる。
- 申命記 5:32,33 あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおり、守り行わなければならない。右にも左にもそれてはならない。あなたがたの神、主があなたがたに命じられた道をひたすら歩みなさい。そうすれば、あなたがたは生き、幸せになり、あなたがたが所有する地で長く生きることができる。」
- この章には十戒が書かれている。十戒ということばは、現在読んでいる日本聖書協会共同訳では、二箇所、「主はあなたがたに契約を告げ、あなたがたに行うよう命じられた。それが十戒である。主はその言葉を二枚の石の板に記された。」(申命記4:13)と「あの集会の日に山で火の中から主があなたがたに語られた十戒と同じものを、主は板に記して、私に与えられた。」(申命記10:4)口語では、「十誡」となっており、これは、出エジプト記にも登場する。対応する箇所を記する。「モーセはそこに、四十日四十夜主と共にいて、パンも食べず、水も飲まなかった。彼は、板の上に契約の言葉、十の言葉を書き記した。」(出エジプト記34:28)
- 申命記 6:24,25 そして主は、私たちにこれらの掟をすべて行うように命じ、私たちの神、主を畏れ、今日あるように、いつも幸せに生きるようにしてくださった。命じられたとおり、私たちの神、主の前で、この戒めをすべて守り行うならば、それは私たちにとって義となるであろう。」
- 「もしも将来、あなたの子が、『私たちの神、主が命じられた定めと掟と法とは何のためですか』と問うならば、」(20)から続いている、最後の部分である。いくつか興味深いことが書かれている。「今日あるように、いつも幸せに生きるようにしてくださった。」これは、実際には、そうでもない時も想定されているのだろう。そのような時にこそ意味がある内容であると思う。さらに、戒めを守ることが書かれ、最後に「それは私たちにとって義となる」としている。これこそが、神の御心という意味なのだろう。しかし、それには、やはり戒めの部分を求め続けなければいけないように思う。そうでなければ、イエスは必要とされなかっただろう。
- 申命記 7:22,23 あなたの神、主は、これらの国民を、あなたの前から少しずつ追い払われる。あなたは彼らを一気に滅ぼすことはできない。あなたのところで野の獣が増え過ぎないためである。あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、大混乱に陥れ、ついには破滅に至らせる。
- 興味深い。このあとも、多くの人たちが残ることも書かれている。おそらく、ソロモンの時代には、ほとんど平定されたのだろうが、そのあとの分裂なども考えると、平定とは言えなかったかもしれない。実際、先住民を滅ぼすことは基本的にできない。一方的な価値観が背後にあるように見える。危険でもある、
- 申命記 8:15,16 この方は、炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広大で恐ろしい荒れ野を進ませ、あなたのために硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖も知らなかったマナを、荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめ、試みても、最後には、あなたを幸せにするためであった。
- 「あなたの神、主を忘れないようにあなたは注意し、今日あなたに命じる戒めと法と掟とを守りなさい。」(11)とあり、14節にも「忘れないように」とあり、他にも「思い起こしなさい」などと書かれている。記憶、または、歴史なのだろう。自分の歴史のなかのことから、民族の歴史の中のことへとなっていくのだろう。しかし、これは、学ぶことの一部であるように思う。特に、社会全体が大きな変化をしている時には。難しい。
- 申命記 9:20 アロンに対しても主は激しく怒り、滅ぼそうとされたが、その時、私はアロンのために執り成しをした。
- 出エジプト記32章の記事である。アロンは、罪を告白し、「今もし彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。しかし、もしそれがかわなないなら、どうぞあなたが書き記された書から私を消し去ってください」(出エジプト記32:32)とあり、執りなしたのは、アロンが民のためにであり、モーセがアロンのためではない。引用箇所のように書かれているのは、大祭司でも罪を犯すことがあること、そのとりなしは、モーセがすでにしているということだろうか。人は基本的に罪の中に生き、主に従い通すことはできない。
- 申命記 10:17-19 あなたがたの神、主は神の中の神、主の中の主、偉大で勇ましい畏るべき神、偏り見ることも、賄賂を取ることもなく、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛してパンと衣服を与えられる方である。だから寄留者を愛しなさい。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。
- 自分の信じる主、神がどのような方かを知り、それを証言することは、信仰の中心であるように思う。ここでは、偉大で勇ましい畏るべき神として、そのあとは、弱者に寄り添う姿が描かれている。おそらくイエスもこのようなイメージを持っておられたのではないかと思う。そして、それを信仰の中心にして生きられた。むろん、特に旧約聖書には、さまざまな神観が描かれているのだが。
- 申命記 11:10-12 あなたが入って所有しようとしている地は、あなたがたが出て来たエジプトの地とは違う。エジプトでは、あなたが種を蒔くと、野菜畑のようにあなたの足で水をやらなければならなかった。しかし、あなたがたが渡って行って所有しようとしている地は、山や谷のある地で、天の雨で潤っている。あなたの神、主が心にかけ、あなたの神、主が、年の初めから年の終わりまで、常に目を注がれている地である。
- わたしは、エジプトもイスラエルが所有したと言われるカナンの地も知らない。エジプトはナイルの恵みはあっても基本的に乾燥地、カナンの地、パレスチナは、北部は、チグリス・ユーフラテス流域から続く三日月型肥沃地帯の西南の端、南部は、ユダの山地と理解しているがどうなのだろうか。時代とともに気候は多少変わってきているかもしれない。しかし、ここに描かれているようには、わたしは想像していない。どうなのだろうか。どうしても、行きたいとは願っていないが。
- 申命記 12:8 あなたがたは、私たちが今日ここで行っているように、それぞれ自分が正しいと見なすことを行ってはならない。
- 文脈からすると主として、礼拝の場所、その仕方などについてであろうが、自分が正しいと見なすことを行えないのは、新たな困難を生じさせることもある。判断がつかない、つきにくいことも多いからである。さらに、主のみこころを求めることも、衰退してしまう。むろん、自分勝手に行動することは、問題を生じるだろう。現代にも通じる、非常に難しい問題である。教育だけで、これが、解決するとも思えない。それが人間なのかもしれない。
- 申命記 13:2-4 あなたの中に預言者や夢占いをする者が現れ、しるしや奇跡を示し、その者が告げたしるしや奇跡が実現して、「さあ、あなたの知らない他の神々に従い、仕えようではないか」と言っても、あなたは預言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。あなたがたの神、主はあなたがたを試し、あなたがたが心を尽くし、魂を尽くしてあなたがたの神、主を愛するかどうかを知ろうとされるからである。
- この章には、他の神々に従うことについて書かれている。どうしても、分離主義的になり、孤立するように思われる。正しさが絶対化するということだろう。ただ、この申命記が成立した時代の事情もあったのかもしれないとも思った。ある背景のもので書かれるのだから。政治的には、かならずしも強くなく、外からの脅威もあるなかで、まずは中を整えなければならないという時には、このようなことを考えるかもしれない。出エジプトの途中だとすると、あまりに、予防的すぎるようにも思われる。
- 申命記 14:21 自然に死んだ動物は一切食べてはならない。町の中にいる寄留者に与えて食べさせるか、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。子山羊をその母の乳で煮てはならない。
- ここには、普遍主義はない。分離主義の自然な帰結でもある。ユダヤ教の弱点だとも言えるが、普遍主義は、実行不可能なことを、綺麗事として唱えているのだろうか。非常にむずかしいことに、挑戦していることは、確かだ。どうしたら良いのだろうか。わたしにもわからない。
- 申命記 15:13,14 自由の身としてあなたのもとを去らせるときは、何も持たせずに去らせてはならない。あなたの羊の群れから、あなたの麦打ち場から、あなたの搾り場から惜しみなく与えなければならない。あなたの神、主があなたに祝福したものを、彼に与えなければならない。
- 「もしあなたのもとに、ヘブライ人の男か女が売られて来たら、六年間あなたに仕える。しかし、七年目には自由の身としてあなたのもとから去らせなければならない。」(12)と始まっているので、ヘブライ人だけに適用される規定である。しかし、このような互助規定がある程度は行われていたのだろう。国のようなあるグループ化が行われば可能なのかもしれない。完全な普遍主義を強制しなくても、スタート地点を与えることには繋がるのかもしれない。やはり、難しいが。
- 申命記 16:6,7 あなたの神、主がその名を置くために選ぶ場所で、夕方、日の沈む頃、あなたがエジプトを出た時刻に、過越のいけにえを屠らなければならない。あなたの神、主が選ぶ場所でそれを煮て食べ、朝になったら自分の天幕に帰りなさい。
- エルサレムが意識されているようだ。いずれにしても、屠られる時まで指定されている。イエスの弟子たちとの最後の晩餐は、過越の食事かどうかの議論があるが、どうなのだろうか。記録からは、木曜日の夜のようであり、また、翌日にイエスは十字架にかかる。これは金曜日、その日が、過越の祭りの日であることが、伝統的な理解である。すると、過越の食事ではないが、いくつか不自然な点もある。イエスの処刑の日は、本当に過越の日だったのだろうか。祝祭日には見えない。同時に、非常に多くの人たちが、地方から出てきているようなときに、一晩だけで、この食事ができるだろうかということである。前者は、曜日が違うのではないかということにつながり、後者は、伝統的な解釈を支持する。よくわからない。
- 申命記 17:18-20 王座に着いたら、レビ人である祭司のもとにある書き物に基づいて、律法の書を書き写し、傍らに置いて、生涯、これを読みなさい。それは、王が自分の神、主を畏れ、この律法の言葉と掟をすべて守り行うことを学ぶため、また、王の心が同胞に対して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれないためである。そうすれば王もその子孫も、イスラエルの中で王位を長く保つことができる。
- この記述は、ダビデや、ソロモンには、似つかわしくないように思われる。適切なのはヨシヤ王だけだろうか。このあたりも、申命記が、ヨシヤの時代に書かれたとする理由だろうか。むろん、追記されていった可能性も否定できないので、簡単ではない。
- 申命記 18:2-4 同胞の中には、彼の相続地はない。主の語られたとおり、主が彼の相続地である。祭司が民から、牛でも羊でも、いけにえを屠る民から受け取ることのできるものは次のとおりである。肩と両頰と胃は祭司に与えられる。穀物、新しいぶどう酒、新しいオリーブ油の初物、および羊毛の初物も、彼に与えられる。
- このあとには「あなたの神、主が全部族の中から彼を選び、彼とその子らを主の名によっていつまでも仕えるようにと立てられたからである。」(5)と続く。かなりの量だったのではないかとか、肩と両頰と胃とは、ちょっと偏った部位なのではないかなど。ただ、レビ人は下級祭司のようなもので、一般的には、貧しかったと言われている。そのあたりも、また、調べてみたい。
- 申命記 19:8,9 あなたの神、主が、あなたの先祖に誓われたとおり、あなたの領土を広げて、先祖に与えると告げた地をすべてあなたに与えられるなら、そして、私が今日命じるこの戒めをあなたが守り行い、あなたの神、主を愛し、いつもその道を歩むならば、その時、これら三つの町のほかに、さらに三つの町を加えなさい。
- のがれの町についての規定の改定について書かれている。動かすことができないものではないことを証言しているとも言える。実際にどうだったかは、また調べてみたい。それらの町では、逃れてきたひとたちを歓迎したのだろうか。複雑な場合もあるように思われる。
- 申命記 20:16-18 あなたの神、主があなたに相続地として与えるこれらの民の町からは、息のあるものを決して生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように、必ず滅ぼし尽くさなければならない。これは、彼らがその神々に対して行ってきたあらゆる忌むべき行いをあなたがたに教えて行わせ、あなたがたの神、主に対して、あなたがたが罪を犯すことのないためである。
- 根本にあるのは、神が命じられたからという正しさだろうか。人間が神になることでもある。宗教の恐ろしさがここにあるように思う。むろん、自ら探し求め、受けたと信じることについてどうするかは、非常に難しい。人々の社会での倫理と言いたいが、これも絶対的なものを求めら得ないとすると、合意だろうか。それも、人間に委ねられているように思う。
- 申命記 21:7,8 次のように証言しなければならない。「私たちの手はこの血を流しておらず、目はそれを見ていません。主よ、あなたが贖い出されたあなたの民、イスラエルの罪を赦してください。あなたの民、イスラエルの中で無実の血が流された責任を負わせないでください。」こうして、流された血の罪は赦される。
- これは、神に対するものであるとともに、周囲の町に対する、宣言でもあるのだろう。コミュニティとしての責任を果たすと言うことだろうか。死体に一番近い村がこのようなことをするようで、それを超える、組織がないということは、コミュニティ単位までであったことも意味するのだろう。殺された人について特定されたときはどうするのだろうか。不完全に見える。
- 申命記 22:5 女は男の服を身にまとってはならない。男も女の服を着てはならない。こうしたことをする者をすべて、あなたの神、主は忌み嫌われる。
- 現代なら責められるところばかりであろう。厳格に守っている人たち以外は。これが、人々が考えた神の御心だということだとわたしは理解してしまうが、謙虚に求め続けたいとは思う。おそらく、イエスもすべてに答えを持っていなかったのではないかと思う。彼の出会う範囲で、伝統的なものとは、異なる解釈を示している。その根拠はというとそう簡単ではない。しかし、それが、イエスの神観、神様との交わりの中で得たことであることは確かなのだろう。謙虚に、御心を求めていきたい。
- 申命記 23:8,9 エドム人を忌み嫌ってはならない。彼は、あなたの兄弟だからである。エジプト人を忌み嫌ってはならない。あなたはその地で寄留者だったからである。彼らに生まれた子どもは、三代目には主の会衆に加わることができる。
- 創世記によれば、他の周囲の民族も、親戚だとはいえる人たちが多い。エドムと他のひとたちをどう区別するのか。不明確である。それとは、別に、エドムと、別の理由で、エジプト人との関係を特記していることは興味深い。イスラエルは、エジプトにルーツを持つ民の集団だったということなのだろう。このあとも、エジプトとの交流は、王朝が変わっても続くように見える。最後のことばは、理解が難しいが、厳格にこのようなことを守ろうとしていた人たちもいたのだろう。
- 申命記 24:21,22 あなたがぶどう畑でぶどうを摘み取るとき、後で摘み残しを集めてはならない。それは、寄留者、孤児、そして寡婦のものである。あなたがエジプトの地で奴隷であったことを思い起こしなさい。それゆえ私は、あなたにこのことを行うように命じるのである。
- 経験は共通ではないが、エジプトの地で奴隷であったことは、共通の経験とすることで、このような説明の一部にもなっているのだろう。過越の祭り・除酵祭などは、それを共に体験することだったのかもしれない。一般的にはむずかしいが、これが、民族を独立・分離したものにしていった面もあるように思う。
- 申命記 25:17-19 あなたがたがエジプトを出て来たとき、その途上で、アマレクが行ったことを、あなたは思い起こしなさい。彼らは道であなたと出会い、あなたが疲れ切っていたとき、あなたの後方にいる、疲れ切ったすべての者たちに背後から襲いかかり、神を畏れることがなかった。あなたの神、主が相続地としてあなたに所有させる地で、あなたの神、主が周囲にいるすべての敵からあなたを守り、休息を与えてくださるとき、あなたは、アマレクの記憶を天の下から消し去りなさい。このことを忘れてはならない。
- アマレクは遊牧民だったのだろう。それも、おそらく少数民族になっていたと思われる。脅威であったことは確かだろうが、このような民とどう向き合うかは難しい。
- 申命記 26:12,13 十分の一を納める三年目に、すべての収穫の十分の一を納め終わって、レビ人、寄留者、孤児、寡婦にこれを施し、彼らが町の中で食べて満足したとき、あなたは、あなたの神、主の前でこう言いなさい。「私は聖なるものを家から取り出し、すべてあなたが命じられた戒めに従って、レビ人と寄留者、孤児と寡婦に与えました。私はあなたの戒めに背いたり、それを忘れたりはしませんでした。
- この前には、「あなたの神、主があなたとその家に与えられたすべての恵みを、あなたと、レビ人と、あなたの中にいる寄留者と共に楽しみなさい。」(11)ともある。本当に、寄留者と共に楽しむことができるのだろうか。ここには、十分の一について、「レビ人、寄留者、孤児、寡婦に施し」とある。現在の税金を考えると、もっと高額のように思うが、本当に、必要が満たされ、共に喜べるのかに疑問もある。社会は変化していく。そのなかで神の義、公平さを求めていくのは、ほんとうに難しい。これをめざさなければいけないが。
- 申命記 27:2,3 あなたの神、主が与える地に向かって、あなたがたがヨルダン川を渡る日に、あなたは複数の大きな石を立て、それらに漆喰を塗りなさい。そしてあなたが渡ったとき、それらの上にこのすべての律法の言葉を書き記しなさい。そうすれば、あなたの先祖の神、主が告げられたように、あなたの神、主が与える地、乳と蜜の流れる地にあなたは入ることができる。
- 石に書くのだろうか。たとえば、申命記も書くのだろうか。たしかに、バビロンなどには、石に非常に多くの記録が彫られたいたようである。しかし、あまり、現実的だとも思えない。いつも見ることもできないから。おそらく、このように書いてあることは、当時は、文字を読める人たちも、非常に限られていただろう。なにを伝えているのだろうか。この前に書いてある、「モーセはイスラエルの長老たちと共に民に命じた。「私が今日あなたがたに命じるすべての戒めを守りなさい。」(1)を強調されているということなのだろうか。
- 申命記 28:43 あなたの中にいる寄留者は徐々に力を蓄え、あなたは次第に衰えてゆく。
- これが呪いのひとつの表現である。ここから脱却して、寄留者と共に生きることは、現代でもできない。そちらに心は向かない。対立軸でしか考えられないのだろうか。この前に、「あなたに息子や娘が生まれても、あなたのもとにいることなく、捕らわれて行く。」(41)とあるが、現代もこれに近いのかもしれない。捕虜のようなものかもしれない。しかし、それを喜ぶ社会体制もあるのかもしれないとも思う。寄留者と共に住むように。難しい。本当に難しい。呪いも祝福も。
- 申命記 29:17,18 あなたがたの中に、今日、心変わりして私たちの神、主を離れ、諸国民の神々のもとに行って仕えるような男や女、氏族や部族があってはならない。あなたがたの中に毒草や苦よもぎの根があってはならない。この呪いの言葉を聞いても、心の中で自分を祝福し、「心をかたくなにして歩んでも、私は大丈夫だ」と言うなら、潤っている地も乾いている地と共に滅びる。
- 因果関係で、祝福と呪いを理解することは、現代でもある。それにひとのこころが支配されているとも言える。実際には、非常に多くの要因が関係しているにも関わらず。そして、主のみこころもほんとうに引用したようなものかもわからないにも関わらずである。そこまで、聖書から、離れていってはいけないのだろうか。正直、わからない。
- 申命記 30:6,7 あなたの神、主はあなたとその子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主を愛し、命を得るようにしてくださる。あなたの神、主は、これらの呪いをすべて、あなたの敵とあなたを憎んで迫害する者にもたらす。
- 「あなたは、あなたの神、主があなたを追いやった先のあらゆる国民の中で、その言葉を思い起こし、」(1)とあり、「たとえ天の果てに追いやられても」(4)ともある。このようなことが想定されているというのは、捕囚後にも加筆されたのか。北イスラエルはすでに捕囚・離散していた時期なのだろうか。しかし、ここの思想は「憎んで迫害する者」に対する呪いでもある。「心に割礼を施し」は、エレミヤ4:4 や、エゼキエル11:19 などを思い出させる。しかし、このような文脈でおそらく最初に語られていたことも考えさせられた。
- 申命記 31:29 私の死んだ後、あなたがたは必ず堕落し、私があなたがたに命じた道からそれるので、後の日に災いがあなたがたに降りかかることを私は知っている。あなたがたは主の目に悪とされることを行い、その手の業によって主を怒らせるからである。」
- 最初に、モーセは「私は今日、百二十歳で、もはや思うように出入りすることができない。」(2)と言っている。「ホル山で死んだとき、アロンは百二十三歳であった。」(民数記33:39)と比較すると、モーセはまだ若い。しかし、アロンのことからも、老いを考えることはあったのかもしれない。最後の思いが、引用句として書かれているように思う。それでも、主に望みを置くということだろうか。
- 申命記 32:49,50 「エリコの向かいのモアブの地にある、アバリム山地のネボ山に登り、私がイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの地を見渡しなさい。あなたの兄アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように、あなたも登って行く山で死に、先祖の列に加えられなさい。
- 命令形ではあるのだろう。”“Go up this mountain of the Abarim, Mount Nebo, which is in the land of Moab, across from Jericho; view the land of Canaan, which I give to the children of Israel as a possession; “and die on the mountain which you ascend, and be gathered to your people, just as Aaron your brother died on Mount Hor and was gathered to his people;’ (NKJV) モーセの最終説教の形式を取っているが、なにか、違和感を感じる。人生とはそのように終わるものなのだろうか。わたしはどうなるのかな。どのようであってもよいと思ってはいるが。
- 申命記 33:17 ヨセフの雄牛の初子には威光があり/その角は野牛の角。/それによってもろもろの民を突き/共に地の果てまで進む。/それはエフライムの幾万の戦士。/それはマナセの幾千の戦士。」
- ヨセフの長子マナセと次男エフライムには、これだけの差がついてしまっていたのだろう。万と千である。ほかにも、祝福の順序がよくわからない。ルベン、ユダ、レビ、ベニヤミン、ヨセフ、ゼブルン、イッサカル、ガド、ダン、ナフタリ、アシェルと十一部属しか出てこない。シメオンはどうなっているのだろうか。ユダに取り込まれてしまっているのだろうか。
- 申命記 34:10,11 イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、彼をエジプトの地に遣わして、ファラオとそのすべての家臣、およびその全土に対して、あらゆるしるしと奇跡を行うためであり、
- モーセという人物はおそらくいたのだろう。そして、すばらしい指導者だったのだろう。しかし、そのようなリーダーの後、どうするかは、常に問題である。人間には、その知恵は、ないのかもしれない。今後の世界についても、同じなのだろう。不完全な人間が責任を担っていかざるを得ない。超人的なすばらしい指導者がいたとしても、いなかったとしても。
ヨシュア記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.4.4-2-4.16-1)
- ヨシュア記 1:10,11 ヨシュアは民の役人たちにこう命じた。「宿営の中を巡って民に言いなさい。おのおの食料を準備するように。あと三日で、あなたがたはこのヨルダン川を渡り、あなたがたの神、主が与える地に入り、それを所有するのだから。」
- これは、マナによる給食とは異なる状況をあらわしている。明確な背景は書かれていない。ヨルダンの東側に残った民(ルベン人、ガド人、マナセ族の半数の家族)もいたはずである。詳細は書かれていない。引き継ぎは、簡単ではなかったはずである。実際を再現することも、おそらくできないのだろう。そして、ヨシュアの時代も、完全な征服を記しているわけではない。
- ヨシュア記 2:9-11 二人に言った。「主があなたがたにこの土地を与えられたこと、そのため、私たちが恐怖に襲われ、この地の住民たちもあなたがたの前に恐れおののいていることを、私は知っています。あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたの前で葦の海の水を干上がらせたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたアモリ人の二人の王、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、私たちは聞いています。それを聞いて、私たちの心は挫けてしまい、もはやあなたがたに立ち向かう勇気は誰にもありません。あなたがたの神、主こそ、上は天、下は地において神であられるからです。
- 大変な勢力でせまっている敵にたいして、心が挫け、立ち向かう勇気がないことは、当然だろう。どうすれば良かったのだろうか。これは、それほど簡単ではない問いである。他者視点は、双方にとって、難しいが、それ以上に、ある程度それを理解した時に、どのように御心をもとめるかはさらに難しい。自分たちも罪人だが、相手はさらにひどく、主はその人たちを滅ぼそうとしていると、そんなことは、わたしには考えられない。お互いに正しさにおいて不完全であっても、共に生きるものを模索するものでありたい。
- ヨシュア記 3:7,8 主はヨシュアに言われた。「今日、イスラエルのすべての人々の目の前で、あなたを大いなる者とする。私がモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、彼らが知るためである。今、契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水辺に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれ』と命じなさい。」
- モーセに引き連れられて紅海をわたったときの再現なのだろう。ヨルダン川はいろいろな意味で、障害となっていたのだろう。防御のためにも、攻撃のためにも。実際になにが起こったのか、不明だが、エリコを攻略したことが、大きな転換点となったことを伝えていることは確かだろう。歴史的事実としては、おそらく、不明としか言えないのだろう。
- ヨシュア記 4:23,24 あなたがたの神、主は、あなたがたがヨルダン川を渡り終わるまで、その水を涸らしてくださった。それはちょうど、あなたがたの神、主が、私たちが葦の海を渡り終わるまで、その水を涸らしてくださったのと同じである。それは、地のすべての民が主の手の力強さを知るためであり、またあなたがたが常に、あなたがたの神、主を畏れるためである。」
- 芦の海での奇跡の再現、モーセの時から、ヨシュアの指導体制への、神が共におられることの証言の更新なのだろう。最後に地のすべての民とあり、すくなくとも、周囲の先住民に対する証言でもあったとある。多少、聖書には記録されている(ヨシュア記5:1など)が、実際は、どうなのだろう。士師記などの時代を考えると、あまり効果はなかったのだろうと、そして、記録としても、不十分だったのだろうとおもわされる。
- ヨシュア記 5:9-11 主はヨシュアに言われた。「今日、私はあなたがたからエジプトでの恥辱を取り除いた。」そのため、その場所はギルガルと呼ばれ、今日に至っている。イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕方、エリコの平野で過越祭を祝った。過越祭の翌日に当たるちょうどその日に、彼らは土地の産物を種なしパンや炒り麦にして食べた。
- 「恥辱を取り除いた」ということはあまり理解できないが、新しい生活に入ったことが記されていることは確かだろう。上の引用句のあとには、「彼らが土地の産物を食べた翌日からマナは絶えた。もはやイスラエルの人々にマナはなく、彼らはその年、カナンの地で収穫されたものを食べた。」(12)ともある。略奪以外に方法はないだろうが、60万人以上の民が食べるのは、おそらく不可能だろう。ただ、このカナンに入る日を、新たな出発としていることは確かである。そのようなものとして覚える、過越祭だったのだろう。
- ヨシュア記 6:23 斥候の若者たちは町に入り、ラハブとその父、母、兄弟、および彼女に連なるすべての者を連れ出し、また彼女のすべての氏族の者を連れ出して、イスラエルの宿営の外にとどめておいた。
- エリコ攻略はヨシュアの戦いにおいて、非常に重要だったのだろう。ここでは、斥候をかくまったラハブとその家族のことが書かれている。最後に、イスラエルの宿営の外にとどめておいたとある。ただし、このあと、「また、遊女ラハブと彼女の家族、彼女に連なるすべての者たちはヨシュアが生かしておいたので、イスラエルの中に住み着き、今日に至っている。彼女は、ヨシュアがエリコを偵察しに遣わした使者をかくまってくれたからである。」(25)ともある。最初の部分は、儀式的な異民族との分離を考慮したものであろう。実際にどう行われたかは不明でもある。ただ、すべての氏族は当時、どの程度を意味していたのかにも興味をもった。ある程度の数だとすると、たいへんな分裂がエリコ内部でも起こったことだろう。それが内部から壁が崩れ落ちたことに関係していないともいえないように思う。
- ヨシュア記 7:11,12 イスラエルは罪を犯した。私が命じた契約を破り、滅ぼし尽くすべき献げ物に手を出し、盗み、欺いて自分たちの持ち物の中に置いたのだ。だから、イスラエルの人々は敵に立ち向かうことができず、敵に背中を向けることになった。自分が滅ぼし尽くすべき献げ物となったからだ。もし、あなたがたの中から滅ぼし尽くすべきものを一掃しないならば、もう二度と、私があなたがたと共にいることはない。
- 10節の語り初めは、「主はヨシュアに言われた。」となっているので、主の言葉として伝えられている。主と共にいることと、主が滅ぼし尽くすべき献げものとが対比されていて、そのどちらに、身を置くのかが問われている。ひとは、そこまでは考えないのだろう。その教育が十分ではなかったとも言えるかもしれない。しかし、いずれにしても、これが主のことばでなければ、大問題である。わたしは、疑いを持ってしまうだろう。
- ヨシュア記 8:2 あなたは、エリコとその王にしたように、アイとその王にしなさい。ただし、戦利品と家畜はあなたがたのものとしてよい。町の裏手に伏兵を置きなさい。」
- ここにある戦利品とは何なのか。この前に、「ゼラの子アカンとその銀、外套、金の延べ棒、そして彼の息子、娘、牛、羊、彼の天幕と全財産」(7:24b)は、火で焼き払い、石を投げつけられたようである。区別がよくわからない。息子、娘はいるのに、妻は入っていない。戦利品には、別途定めがあったのか。「主が滅ぼし尽くすべき献げもの」が明確に共有されていたようには見えないがどうなのだろうか。申命記2:35, 3:7 が引照箇所にあるが、不明確である。不明確だが、「主が滅ぼし尽くすべき献げもの」に手をつけると裁かれるよというメッセージなのかもしれない。
- ヨシュア記 9:16,17 契約を結んで三日が過ぎた。イスラエルの人々は、彼らが近くの者であり、自分たちのうちに住んでいることを聞き、出発して、三日目に彼らの町に着いた。その町とは、ギブオン、ケフィラ、ベエロト、キルヤト・エアリムであった。
- 三日とあるが、おそらく、距離は近かったのだろう。アイから20km ぐらいだろうか。地図には書かれているが、どの程度正確かは不明である。
- ヨシュア記 10:41,42 ヨシュアは、カデシュ・バルネアからガザまで、ゴシェンの全土をギブオンに至るまで討ち取った。これらすべての王と土地を、ヨシュアは一度に捕らえ、占領した。イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。
- 五王、エルサレムの王アドニ・ツェデク、ヘブロンの王ホハム、ヤルムトの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビル(3) を一気に打ち破ったことが書かれている。五王は、捕えられて処刑されたが、城壁に囲まれた町に逃げ込んで(20)とあり町は残ったようである。これらは、ユダの山地と言われる南部に属する地で、このあたりで反抗する勢力が、制限されたのは大きな戦果だったのだろう。この戦いは、まだ続くことがヨシュア記・士師記、そしてサムエル記上に書かれているが。気になったのは、ゴシェン全土と書かれていることである。ゴシェンは、イスラエルが定住したエジプトの地名である。(創世記45:10, 46:28、出エジプト記8:18, 9:26など)ヨシュア記には、ここ以外に、11:16, 15:51 に登場するが、エジプトの地に対応する地としてこう呼んだのだろうか。
- ヨシュア記 11:22,23 そのため、アナク人はイスラエルの人々の地から一人もいなくなった。ただ、ガザ、ガト、アシュドドに残るのみとなった。ヨシュアはこうして、すべて主がモーセに告げられたとおり、この地のすべてを獲得した。ヨシュアはそれを、各部族の割り当てに従って、イスラエルの相続地として与えた。こうして、この地の戦いは終わった。
- 「ヨシュアは長い間、これらすべての王たちとの戦いに明け暮れた。」(18)とあるが、一段落ついたことが描かれ、かつ、完全ではなかったことも書かれているのだろう。このあとの、士師記、サムエル記の戦いを考えると、そう簡単ではなかったこともわかる。力で圧倒したということだろうか。書き方は単純で、他者視点はないし、イスラエルでも、ヨシュア以外は、登場しない。サムエル記への橋渡しなのだろうか。
- ヨシュア記 12:24 ティルツァの王一名。全部で三十一名の王である。
- 「ヨシュアとイスラエルの人々は、ヨルダン川の西側をも討った。ヨシュアは、レバノンの谷にあるバアル・ガドから、セイルの途上にあるハラク山に至る地を、イスラエルの各部族の割り当てに従って所有地として与えた。その地の王たちは次のとおりである。」(7)とあり、三十一王の名前が記されている。引用句はその最後。とはいえ、この地域に、三十一の近代の意味での王国があったわけではないだろう。どのようなものだったのだろうか。部族の長だろうか。ヨルダン川の東側は、ヘルモン山にまで至ることが書かれているが、そこまでイスラエルの支配が及ぶことはなかったろう。支配権を宣言しているのだろうか。イスラエル以外の人には、かなり乱暴に見える。
- ヨシュア記 13:1 ヨシュアは多くの日を重ねて年を取った。主は彼に言われた。「あなたは多くの日を重ねて年を取ったが、占領すべき土地はたくさん残っている。
- 人生は、このようなものなのだろう。使命として受け取っていても、それを、成し遂げるには、程遠い、それは、とても難しいという状態で、年を取る。わたしは、どうなのだろうか。ある時点から、あまり、そのようなものを望まなくなったようにも思う。いつ命が取られても良いし、なにかをやり残したとも考えていない。それは、使命を受け取っていなかったということなのだろうか。正直よくわからない。やろうとすることはないことはないが、なにが良いのかもわからない。ヨシュアは、どのように考えていたのだろう。いろいろな人についても、その晩年を学んでみたい。
- ヨシュア記 14:11,12 今日もなお、モーセが私を遣わした日のように健やかです。戦いのためであれ、日常の務めであれ、今の私の力は当時と同じです。ですから今、主があの日約束してくださったこの山地をください。あの日、あなたも聞いたはずです。そこにはアナク人がおり、城壁に囲まれた大きな町が幾つもありますが、主が私と共にいてくださるなら、主が約束してくださったとおり、私が彼らを追い払います。」
- 偵察に行った時40歳、そして、この時、85歳という。自分自身歳をとると、このように言えることが羨ましい。ヘブロンが与えられることになるが、それを成し遂げるだけの気力や実力が残されていたということだろう。むろん、伝承として、正確だとすることにも問題があるのだろうが、どう生きるかについて考えさせられることも確かである。歳と共に、弱気になることを押し留めるのは何なのだろうか。社会的な役割は減っても、求め続けること、考えさせられる。
- ヨシュア記 15:52-54 アラブ、ルマ、エシュアン、ヤヌム、ベト・タプア、アフェカ、フムタ、キルヤト・アルバすなわちヘブロン、ツィオル。以上、九つの町とそれに属する村。
- これらの町が正確にわかるわけではない。おそらく、ヘブロンだけだろう。ヨルダン川西側の分割の最初が、ユダ、そして、まず、カレブの話が書かれている。地図を見ると、ユダが圧倒的に広い。いくら山地とはいえ、公平とはどうしても思えない。何らかの理由は必要だったろう。そして、最後は、ダビデによる攻略を暗示させる次の節で終わっている。「ユダの一族は、エルサレムの住民であったエブス人を追い出せなかったので、エブス人はユダの一族と共にエルサレムに住み続け、今日に至っている。」(63)
- ヨシュア記 16:9,10 また、エフライムの一族に配分された町は、マナセの一族の相続地の中にもあった。そのすべての町とそれに属する村もエフライムのものである。彼らはゲゼルに住むカナン人を追い出さなかったので、カナン人はエフライムの中に住み着き、今日に至っている。ただし、カナン人には苦役が課された。
- ユダ(15章)の次は、エフライムである。最後には、マナセ一族の相続地の中にもあったとある。第何子ということが、どのように伝承されてきたのかは不明だが、ユダ(創世記によると第4子)、そして、北イスラエルでは、エフライムが盟主であることは、ここからもわかるように思う。そして、ヨセフ(第11子)の子としては、マナセが長男で、エフライムが次男であるが、それが逆転していることも、反映されている。ある時点では、過去の部族関係とは別に、この二つの部族が優勢になっていたと言うことなのかもしれない。同時に、地図で見ると、ユダの広さと比較すると、エフライムの地は、狭い。
- ヨシュア記 17:14 ヨセフの一族がヨシュアに言った。「あなたはなぜ、一つのくじ、一つの割り当てによる相続地しかくださらないのですか。主が私をこんなにも祝福してくださったので、私は数の多い民となりました。」
- 「ヨシュアはヨセフの家、すなわち、エフライムとマナセに言った。」(17)とあり、エフライム、マナセ両方に関係していることがわかる。歴史的には、ヨセフの一族としてひとくくりにして語られるのは、基本的に、ヨシュア記だけのようである。行動として、一緒にしているのは、この17章の、17,16節。そして、ヨセフを葬る「イスラエルの人々は、エジプトから携え上って来たヨセフの骨を、シェケムの野の一画に埋葬した。そこは、ヤコブが百ケシタで、シェケムの父ハモルの息子たちから買い取った地であり、ヨセフの一族の相続地となっていた。」(ヨシュア24:32)だけのようである。エフライムは、おそらく特に、王国時代においては、ユダのリーダーシップについて異議を唱える部族として、登場しているようだ。
- ヨシュア記 18:1-3 イスラエル人の全会衆はシロに集まり、そこに会見の幕屋を設置した。この地はイスラエルの人々によって征服されていたが、彼らの中には、まだ相続地を割り当てられていない七つの部族が残っていた。ヨシュアはイスラエルの人々に言った。「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのをいつまでためらっているのか。
- どうみても公平とは言い難い。ガド、ルベン、マナセの半部族(7)は、ヨルダン川の東に割り当て地を得、ユダは南の山地、エフライムとマナセの半部族はユダの北に割り当て地を得ていたところで終わっていた。ここでは、残りの7つの部族について「あなたがたは部族ごとに三人ずつ選び出しなさい。私が彼らを遣わすから、すぐにこの地を巡回させ、相続地ごとに土地のことを調べ、戻って来てもらおう。」(4)と言っている。これも、おそらく、イスラエルの成り立ちが、部族連合だったろうとの予測の背景にあるのだろう。状況を確認することは、困難である。さらに、多くの先住部族がいたことも、確認できる。難しい状況でのスタートである。
- ヨシュア記 19:51 以上が、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、親族の頭たちが、イスラエル人の諸部族のために、シロの会見の幕屋の入り口で、主の前において、くじで相続させた土地である。こうして彼らは土地の割り当てを終えた。
- 前の章の最後に、ベニヤミン族の割り当て地について書かれ、この章に残りの六つの族の割り当てが描かれている。ヨルダンの東の部族以外では、ユダ、エフライム、それに、ベニヤミンが特別な地位があったのかもしれない。ベニヤミンについては、微妙だが。ヨシュアの役割は、本当に難しい。戦いでは平和は来ない。実際の状況についてもやはり知りたいと思う。すべてを覆い隠することはできない。
- ヨシュア記 20:7,8 そこで彼らは、ナフタリの山地ではガリラヤのケデシュ、エフライムの山地ではシェケム、ユダの山地ではキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンを聖別した。また、ヨルダン川の向こう側、すなわちエリコの東では、ルベンの部族からは台地の荒れ野にあるベツェル、ガドの部族からはギルアドのラモト、マナセの部族からはバシャンのゴランを聖別した。
- これらの逃れの町のひとたちは、何らかの影響を考えなかったのだろうか。日本なら必ず、嫌がる人が出てきたり、差別する人たちが出てくるのではないかと思った。むろん、同情したり、支援するひともでるだろうが。生活を確保することも、おそらく、困難があったと思われる。聖書には、具体例は書かれていないと思うが、いつか、調べてみたい。
- ヨシュア記 21:1,2 レビ人の親族の頭たちは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、イスラエルの部族の家長たちのもとに進み出て、「主はモーセを通して、私たちの住む町と、私たちの家畜のための放牧地を与えるようお命じになりました」と、カナンの地にあるシロで申し出た。
- へブロン(11)やシェケム(21)やガリラヤのケデシュ(32)のように逃れの町が含まれている。すべてはチェックできていないが、これも意図的だったのだろう。広い範囲の町に、レビ人が住むようにしたことも、理解できる。エルサレムでの祭儀のためには、不便だったろうが。難しい問題も生じるように思われるが。いずれにしても興味深い。
- ヨシュア記 22:5,6 あなたがたはただ、主の僕モーセが命じた戒めと律法をひたむきに守り行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道を歩み、その戒めを守って主に付き従い、心を尽くし、魂を尽くして、主に仕えなさい。」ヨシュアは彼らを祝福して送り出し、その天幕に帰らせた。
- まだまだ、戦いは続く。この判断をしたのは、ヨシュアの治世が終わったことを意味しているのだろうか。このあと、ルベン人、ガド人、マナセ族の半数が、祭壇を築いたときは、祭司ピネハス、および会衆の指導者、イスラエルの大隊の頭たち(30)が判断をしている。難しい時期であったことも確かなのだろう。
- ヨシュア記 23:1 主が周囲のすべての敵からイスラエルを守り、安住の地を与えてから、長い歳月が過ぎ去った。ヨシュアは多くの日を重ねて年を取った。
- おそらく、中心となって率いるのは、このときより、だいぶ前に終了していたのだろう。しかし、ヨシュア以降のリーダーシップをどうするかは、難しい。どのような背景があり、次を決めなかったかも不明である。士師の働きは、散発的で、地域的にも限定されているように見える。統一王朝には、遠いことが示唆されていると言うことなのだろうか。難しい時期である。
- ヨシュア記 24:2-4 ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたがたの先祖は、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでいた。アブラハムとナホル、その父テラは他の神々に仕えていた。しかし、私はあなたがたの先祖アブラハムをユーフラテス川の向こうから連れ出して、カナンの全土を歩ませ、彼の子孫を増し加えた。私は彼にイサクを与え、イサクにはヤコブとエサウを与えた。私はエサウにセイルの山地を与え、彼はそれを得たが、ヤコブとその子たちはエジプトに下って行った。
- ヨシュア記記者が述べる起源である。ここには、「私はあなたがたの先祖アブラハムをユーフラテス川の向こうから連れ出し」とある。そして元々は、他の神々に仕えていたとある。主は、神々の一人なのだろうか。すくなくとも、これを読むとそう感じる。おそらく、アブラハムにとっては、自分の主となる神と出会ったのだろう。そう考えても、聖書は、信仰者の書である。信仰者が受け取った、神について書いてあると言うことだろう。それは、聖書記者もそう思っていたのではないだろうか。
士師記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.4.16-2-4.26)
- 士師記 1:3 ユダは兄弟シメオンに言った。「私に割り当てられた土地へ一緒に攻め上り、カナン人と戦おう。私もあなたに割り当てられた土地へ一緒に行こう。」そこで、シメオンはユダと一緒に行った。
- シメオンは、ユダの割り当て地の中に割り当て地を持っているが、ここからも、共闘関係がみえる。もう一箇所、「ユダは兄弟シメオンと共に行き、ツェファトに住むカナン人を討ち破り、滅ぼし尽くした。それゆえ、この町はホルマと呼ばれた。」(17)ともある。シメオンは、次男、ユダは四男であるが、三男がレビであることを考えると、最初から、近い関係が示唆されているのかもしれない。シメオンは、エジプトに食料を買いに行き、一人だけ残ることになったのは、シメオンで(創世記42:24)で、ユダも、ベニヤミンを連れていく時に、特別の役割を持っている。創世記29章31-35節にある、最初のレアの四人の子らは、重要な絆があったと表現されているのかもしれない。
- 士師記 2:1-3 主の使いがギルガルからボキムに上って来て言った。「私はあなたがたをエジプトから導き上り、あなたがたの先祖に誓った地に入らせ、こう告げた。『私はあなたがたとの契約を決して破らない。だから、あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇は壊されなければならない。』しかし、あなたがたは私の声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。それゆえ、私は告げる。『私もまた、あなたがたの前から彼らを追い払わない。彼らはあなたがたにとって落とし穴となり、彼らの神々はあなたがたにとって罠となるだろう。』」
- 士師記のテーマのような言葉である。しかし、「あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない」については、やはり気になる。分離主義を強いているからである。未熟ということだろうか。イエスの時代は、交流も活発で、このような生き方は不可能だったろう。そして、それは、捕囚の少し前ぐらいからは、近い状況だったかもしれない。大きな、変化が必要だったのかもしれない。それが、イエスだったのだろうか。
- 士師記 3:5,6 だが、イスラエルの人々はカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の中に住み続ける間に、彼らの娘を自分たちの妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ、彼らの神々に仕えるようになっていた。
- 女性の信仰への影響は大きいだろう。しかし、そうであっても、交流を禁止することで良いのだろうかとの疑問も生じる。これは、難しいチャレンジとして、受け止めなければならないのではないだろうか。多くの場合、失敗に至ることは多いと思うが。どうなのだろうか。主イエスは、喜ばれないのだろうか。よくわからない。
- 士師記 4:11 カイン人ヘベルは、カインにいるモーセのしゅうと、ホバブの一族から離れ、ケデシュに近いエロン・ベツァアナニムの辺りに天幕を張った。
- カイン人ということばは、創世記、民数記、歴代誌上にも一回ずつ登場するが、基本的には、この士師記(1:16, 4:11, 4:17, 5:24)と、サムエル記上(15:6, 27:10, 30:29) に登場する。士師記1:16 には「モーセのしゅうとであるカイン人の一族は、ユダの一族と共に、なつめやしの町からアラドのネゲブにあるユダの荒れ野に上って行き、その民と共に住んだ。」とある。「シセラはカイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕に徒歩で逃げて来た。ハツォルの王ヤビンと、カイン人ヘベルの家とは親しかったからである。」(4:17)ともあるが、複雑な友好関係があったのだろう。しかし、最後は、悲しい。イスラエルの一部とならなかったことの、良し悪しは、簡単には、判断できないだろう。
- 士師記 5:15,16 イッサカルの長たちは、デボラと共にいる。/イッサカルはバラクと同じく/歩兵と共に平野に送られた。/ルベンは枝分かれし、心の迷いは大きかった。なぜ、あなたは二重の柵の中で座り/家畜の群れを導く笛の音を聞いているのか。/ルベンは枝分かれし、心の迷いは大きかった。
- 「ルベンは枝分かれし、心の迷いは大きかった。」が二回繰り返されている。一つにまとまって戦わなかったということだろう。しかし、同時に、ガドは、この章に現れないと思ったが、なんと、士師記に登場しない。マナセや、ギレアドは登場するが、ルベンも実は、ここで引用した二箇所以外には、登場しない。つまり士師記の時代には、ヨルダン川の東は、ギレアドのマナセしか認識されていなかったということだろうか。もう少し、調べてみたい。
- 士師記 6:22-24 ギデオンは、彼が主の使いであることを悟った。ギデオンが「ああ、主なる神よ。私は顔と顔を合わせて主の使いを見てしまいました」と言うと、主は言われた。「安心しなさい。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、それを「主は平和」と名付けた。それは今日に至るまでアビエゼル人のオフラにある。
- 正確にはわからないのかもしれないが、戦いの地域は、イズレエルの平野(33)とあるので、ヨルダン川の西、ガリラヤの南あたりだろう。ギデオンの属するヨルダン川西のマナセ以外には、アシェル、ゼブルン、ナフタリ(35)が応じたとあり、地域としても、だいたい、近隣の部族ということになる。主の使いと、主の区別がなされているかは不明だが、ギデオンは、「顔と顔を合わせて主の使いを見てしまいました」といい、それに主が「平安」と告げる。「力ある勇士よ、主はあなたと共におられます」(12)とあり、そのことを具体的にしめすことを求めていることもあり、それだけ、主が共におられることを意識することが難しかったのだろうとも思わされる。燔祭を献げるが、レビ人は出てこない。宗教集団とは言えない時代なのだろう。
- 士師記 7:24 ギデオンはエフライムの山地の至るところに使者を送り、こう言った。「攻め下ってミデヤン人を迎え撃ち、ベト・バラまでの水場とヨルダン川を占領せよ。」エフライムの兵士全員が召集され、ベト・バラまでの水場とヨルダン川を占領した。
- マナセ、アシェル、ゼブルン、ナフタリの南がエフライムである。(Swartzentrover.com | Holman - Holman Bible Atlas - Part II - Chapter 7) 地図41,41a,44 参照。エフライムが、北イスラエルの盟主なのだろう。どの程度全域的な戦いなのかは不明である。しかし、ギデオンの物語は面白い。300人の選抜は興味深いと同時に、日本のギデオン協会はどうなっているのか心配でもある。
- 士師記 8:20,21 彼は長子イエテルに「今すぐ彼らを殺せ」と言った。しかし、その若者は剣を抜かなかった。まだ若く、恐ろしかったからである。すると、ゼバとツァルムナは、「あなた自身が私たちを打ちなさい。力は人それぞれなのだから」と言った。ギデオンは立ち上がり、ゼバとツァルムナを殺し、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを奪い取った。
- このあとを見ても、ここが一つの鍵であるようにみえる。それぞれに違う「力」がある、ギデオンが殺し、さらに、宝の一部を受け取る。そのこと自体を責めるのは酷かもしれないが、「イスラエルの人々は、周囲のあらゆる敵の手から救い出してくださった自分たちの神、主を思い起こすことはなかった。」(34)につながっていったようには見える。残念ながら。
- 士師記 9:21 こう言ってヨタムは逃げ去った。彼は逃れてベエルに行き、兄アビメレクを避けてそこに住んだ。
- ヨタムがこのあとどうなったかは書かれていない。「また、シェケムの人々が行ったすべての悪事に対しても、神はそれぞれ報復を果たされた。こうしてエルバアルの子ヨタムの呪いが彼らの上に降りかかったのである。」(57)とあるだけである。治めることは、考えていなかったのかもしれない。世襲での統治は、よほどの組織がないと難しいのだろう。ギデオンも戦いには勝ったが、統治に関しては、何も書かれておらず、特になにもできなかったのかもしれない。
- 士師記 10:7-9 主は怒りに燃え、イスラエルをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡された。そこで彼らはその年、イスラエルの人々を打ち砕き、また十八年にわたり、ヨルダン川の向こう側にいるすべてのイスラエル人を打ちのめした。そこはアモリ人の地であり、ギルアドにあった。さらに、アンモン人がヨルダン川を渡り、ユダ、ベニヤミン、そしてエフライムの家にも戦いを仕掛けて来たので、イスラエルは苦境に立たされた。
- ヨルダン川の東、ギルアドについて時々登場するので興味がある。この直前に「その後、ギルアド人ヤイルが立ち上がり、二十二年間イスラエルを治めた。」(3)ともあるが、アンモン人などの影響で、ヨルダン川の東側は常に脅威に晒されていたのだろう。海岸沿いには、ペリシテがいる。マナセの半部族は時々登場するが、ルベンやガドはどの程度、存続できたのだろうか。ヨルダン川の西からの援助も受けにくいことも影響したのかもしれない。
- 士師記 11:1 ギルアド人エフタは力ある勇士であったが、ギルアドが遊女に産ませた子であった。
- 10章9,10節などは、このエフタの物語の背景説明だったのか。ここでは、ギルアド人とし、同時に、ギルアドの名前が登場する。創世記にもギルアドという地名は登場する。(創世記31:21,23,25,37:25)「マナセの一族は、マキルとマキル家の氏族。マキルはギルアドをもうけた。ギルアドとギルアド家の氏族。」(民数記26:29)とあり、マナセ一族では重要な名前だったのだろう。「モーセは、マナセの子マキルにギルアドを与え、そこに住まわせた。」(民数記32:40)とも書かれている。ヨルダン川の東を、ギルアドと呼んだのかもしれない。
- 士師記 12:4 エフタはギルアドの兵士全員を集結し、エフライムと戦った。ギルアドの人々はエフライムを討った。それは、エフライムが、「ギルアドよ、お前たちはエフライムの逃亡者なのだから、エフライムの中、マナセの間でじっとしているがいい」と言ったからである。
- 最終的には「この時、四万二千のエフライム人が倒れた。」(6b)とある。民数記の二回目の人口調査で、エフライムの兵力は、32,500(民数記26:37)とある。推移は明らかではないが、かなりの数の兵力が失われたということを伝えているのかもしれない。エフライムが北イスラエルの盟主としても、その力は、落ちていった一つの原因として伝えているのかもしれない。
- 士師記 13:7,8 その方は言いました。『あなたは身ごもって男の子を産むであろう。今後は、ぶどう酒や麦の酒を飲まず、汚れたものを一切食べないよう気をつけなさい。その子は胎内にいるときから死ぬときまで、ナジル人として神に献げられているからである。』」マノアは主に祈って、「わが主よ。どうぞ、あなたが遣わされた神の人をもう一度私たちのもとに来させ、生まれてくる子に何をすべきか教えてください」と言った。
- 再度主の使いが現れたとき「私がこの女に言ったすべてのことを、彼女は守らなければならない。彼女はぶどう酒を作るぶどうの木からできるものは一切食べてはならず、ぶどう酒や麦の酒を飲んではならない。汚れたものも一切食べてはならない。私が彼女に命じたすべてのことを、彼女は守らなければならない。」(13b,14)と答えている。前半が付加され、少し異なるが、ナジル人の部分が省略されているから、基本的には、同じであると考えて良いだろう。夫が責任を持つという文化の表れとしてのやりとりが表現されているとも言えるが、とても、重要なことであれば、自分も直接聞きたいというのは、自然なことでもあろう。「マノアはその人が主の使いであることを知らなかった。」(16b)とある。信頼の問題なのかもしれない。
- 士師記 14:4 両親は、これが主から出たものであり、ペリシテ人から脱する機会をうかがうものであることを知らなかった。この頃、ペリシテ人がイスラエルを支配していたからである。
- 前の章の主の使いのことば「なぜ私の名を尋ねるのか。私の名は不思議だ。」(13:18b)と関連しているのだろう。この章の最後に「その時、主の霊が激しく降り、サムソンはアシュケロンに下って行った。そこで三十人を打ち、彼らから剝ぎ取った衣を、謎を解き明かした者たちに晴れ着として与えた。彼は怒りに燃え、自分の父の家に帰った。サムソンの妻は、彼に付き添っていた友人のものとなった。」(19,20)が投影しており、後半は、次の章につながるのだろう。伏線回収など、関連性もよく、物語としては、よくできている。ただ、ペリシテ相手では、どうにもならなかった時代なのかもしれない。一矢を報いたということだろうか。
- 士師記 15:6 ペリシテ人は言い合った。「こんなことをしたのは誰だ。」「ティムナ人の婿サムソンだ。サムソンの妻が友人のものになってしまったからだ。」ペリシテ人は攻め上り、女とその父を火で焼き滅ぼした。
- 前の章に「七日目に、彼らはサムソンの妻に言った。『夫をうまく言いくるめて、あの謎の意味を解き明かすようにしてほしい。さもないと、あなたと家族を火で焼き払うぞ。あなたがたは、まさか我々から奪い取るために招いたのではなかろう。』」(14:15)とある。このサムソンの妻の家は、とんだとばっちりだと感じてしまう。このようなことがあって良いのかと。ただ、このペリシテの人たちの行動原理をみていると、そもそも、ひどい時代だったとも思う。どう考えたら良いのだろう。仕方がなかったのだろうか。悲しい。神の御心がなる、希望はない。
- 士師記 16:20 女は言った。「サムソン、ペリシテ人が襲って来ました。」サムソンは眠りから目を覚まし、「いつものように出て行き、暴れて来よう」と言った。彼は、主が自分から離れたことを知らなかったのである。
- この前に「ついにその心のすべてを女に伝えた。」(17a)として書かれている「私の頭には、かみそりを当てたことがない。私は母の胎にいたときから神に献げられたナジル人だからだ。もし髪をそられたら、私の力は抜け、全く並の人間のように弱くなってしまう。」(17b)と矛盾するようにも見える。しかし、サムソンは、ある程度知っていても、その効果を確認することはなく、ある意味では、信仰にはなっていなかったのかもしれない。「主なる神よ。どうか、私を思い起こしてください。神よ、どうか、もう一度私を強めてください。私の両目のうち、片方のためだけにでも、ペリシテ人に復讐させてください。」(28b)にあるようなサムソンの叫びとともに、乱暴だともいえるが、物語としては、興味深いものとなっている。士師記の形式にあわせて、最後は、「彼は二十年間イスラエルを治めた。」(31)で終わっているが、ペリシテという文明・文化的にも先を行っている、ペリシテに対抗しうる存在として、伝承されてきたのだろう。
- 士師記 17:2-4 男は母に言った。「かつて銀千百シェケルが奪われたとき、あなたは呪い、そのことを私にも伝えてくれました。その銀は私が持っています。実は私が奪ったのです。」母は答えた。「主が私の息子を祝福されますように。」男が銀千百シェケルを母に返すと、母は言った。「この銀は、私がこの手で聖別し、主に献げたもので、息子のために彫像と鋳像を造ろうとしたものです。さあ、あなたに返しましょう。」男は母に銀を返し、母は銀二百シェケルを取って鋳物師に渡し、彫像と鋳像を造らせた。それはミカの家に置かれた。
- 不思議だともいえる話である。核心は、このあと、ベツレヘムから旅をしてきた、レビ人がここに住み着いたということなのだろう。一般的には、レビ人は、十分な割り当て地がなく、貧しかったと思われる。ただ、そのようなレビ人の役割として、祭司の仕事をすることがあったのだろう。非常に原始的だが、想像力を逞しくしていろいろと考えてしまう。まだ、神殿もなく、イスラエルが統一されているとも言い難く、外敵から、守られているとも言えない時期、実際は、レビ人は、どのように暮らしていたのだろうか。興味を持つ。
- 士師記 18:29-31 その町を、イスラエルに生まれた彼らの父祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。それ以前には、その町はライシュと呼ばれていた。ダンの人々は自分たちのために彫像を立てた。また、モーセの子ゲルショムの子ヨナタンとその子孫が、この地の民が捕囚とされる日までダンの部族の祭司を務めた。こうして、神の宮がシロにあった間、彼らはミカの造った彫像を据えていた。
- なんとも乱暴な物語である。しかし、そのように描いているともいえる。そして、おそらく、ダンがこの地域に住み着いた由来と、シロの彫像の由来を伝えているのだろう。さらに、「エフォドとテラフィム、彫像と、鋳造があった」(14)とも書かれているが、ミカの証言「あなたがたは私の造った神々と祭司を奪い去りました。」(24b)からも、イスラエル的には、そのもの自体を貶めているようにも見える。そのような時代を伝えているのだろう。
- 士師記 19:9,10 男と側女、従者が出発しようとすると、娘の父であるしゅうとが男に言った。「御覧なさい。日も暮れかかっています。さあ、もう一晩お泊まりなさい。もう日も傾いています。ここに泊まってくつろいでください。明日の朝早く起きて出発し、あなたの家に向かえばよいでしょう。」だが、男に泊まる意思はなく、出発し、エブスすなわちエルサレムの向かいまでやって来た。鞍を付けた二頭のろばと側女が男と共にいた。
- おぞましい事件のはじまりである。一般的に、危険があったこと、しかし、情報は共有されていなかったのだろう。ベニヤミンについて書かれているが、統治自体が乱れていたのだろう。まさに、自分の目に正しいことを行なっていたのだろう。それでは、いけないことを伝えているのか。「その頃、イスラエルには王がいなかった。そして、おのおのが自分の目に正しいと思うことを行っていた。」(21:25)
- 士師記 20:27,28 イスラエルの人々は主に問うた――その頃、神の契約の箱はそこにあり、アロンの子エルアザルの子ピネハスが御前に仕えていた――。「同胞であるベニヤミンの人々との戦いに、もう一度出陣すべきでしょうか。それともやめるべきでしょうか」と彼らが問うと、主は言われた。「攻め上りなさい。明日、彼らをあなたの手に渡す。」
- 神の契約の箱がベテルにあったこと、さらに「イスラエルのすべての部族から百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人を選び取り、兵の食料を調達させる。兵はベニヤミンのギブアに行き、その住民がイスラエルで行ったあらゆる恥ずべきことに対して報復するのだ。」(10)とあるにもかかわらず、「一方、ベニヤミンを除くイスラエルの人々は、剣を携えた兵士四十万人を動員した。その全員が戦士であった。」(17)ともあるということは、おそらく、戦士の人口は、400万人ということになる。女も子供も老人も加えた数かもしれないが、一世代の間に、六十万人からこれだけ増えるのは不思議である。さらに、出エジプトから、何百年かたっているかとわれるのに、アロンの孫が祭司をしていることも、不思議である。いろいろな加筆・修正もあるのかもしれない。たいせつなのは、ベニヤミンが少なくなった経緯だろうから。
- 士師記 21:20-22 彼らはベニヤミンの人々に命じた。「ぶどう畑に行って待ち伏せし、よく見ていなさい。シロの娘たちが踊りを踊りながら出て来たら、ぶどう畑から出て、シロの娘たちの中から妻とする者をそれぞれ捕まえ、ベニヤミンの地に連れて行きなさい。もし彼女たちの父や兄が我々に文句を言いに来たら、我々は彼らに言おう。『私たちに免じて、彼らに憐れみをかけてください。私たちは戦いの間、それぞれ妻をめとることができなかったし、あなたがたも彼らに娘を嫁がせることができなかったからです。嫁がせていたら、あなたがたは罪に問われたでしょう。』」
- 倫理的な枠組みというより、法治でも、宗教国家でもない。非常に乱れてはいるが、全体としての一致はあったこと、十二部族は維持する強い意志があったことを伝えているのだろうか。乱暴だとだけ、認識したのでは不十分なのだろう。なにを伝えているのだろうか。
ルツ記 聖書通読ノート
BRC2025(2025.4.27-2-4.28)
- ルツ記 1:16,17 しかしルツは言った。/「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰るなど/そんなひどいことをさせないでください。/あなたが行かれる所に私は行き/あなたがとどまる所に私はとどまります。/あなたの民は私の民/あなたの神は私の神です。あなたが死なれる所で私は死に/そこに葬られたいのです。/死に別れでなく、私があなたと別れるならば/主が幾重にも私を罰してくださいますように。」
- 飢饉に瀕した民は、異邦人・異教徒の地に移っていくことは、必然だったのだろう。その中で、その民が、イスラエルの土地に帰ってくることもある。そのような状況で、この告白は、美しい、お手本をされたと思われる。もしかすると、男性目線かもしれないが。ダビデの家系について、記録することは、たいせつなことであったのだろう。どれほどの伝承が残っていたかは不明だが。
- ルツ記 2:8,9 ボアズはルツに言った。「よく聞きなさい、娘さん。よその畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから移ったりしてはいけません。召し使いの女たちのそばを離れず一緒にいなさい。刈り入れをしている畑に目を留めて、彼女たちの後に付いて行きなさい。私は僕たちに、あなたの邪魔をしないように命じておきます。喉が渇いたら水がめのところに行って、僕たちが汲む水を飲みなさい。」
- ただしさよりも、たいせつなものがここにあるように感じる。これらのことばや態度には、惹きつけられる人は多いだろう。そして、それは、イエスの教えにもつながるように思う。愛は、Welcome まさにそれもここで表現されているように思われる。同時に、そうしない人が周囲にいることも意識されていることは興味深い。
- ルツ記 3:15 ボアズは言った。「あなたの羽織っている肩掛けをよこし、しっかりつかんでいなさい。」ルツがそれをしっかりつかむと、ボアズは大麦を六杯量って彼女に背負わせ、町に帰って行った。
- ルツ記は、書かれた背景もあるのだろうが、いずれにしても、美しく書かれている。引用箇所は、責任うんぬんとはことなり、別れる前の、最後の追加の配慮のようなもので、細やかな心遣いが表れている。そこにいるかのような感じが得られるが、記者の思いでもあったのだろう。他民族との交流も含め、興味深い。
- ルツ記 4:5,6 ボアズは言った。「あなたがナオミの手から畑を買い取るときには、故人の妻であったモアブの女ルツも買い取ってください。先祖から受け継いだ地に故人の名を興すためです。」するとその親戚の人は言った。「私には買い戻すことはできません。私が先祖から受け継いだ地を損なうことになります。親戚として私が果たすべき責任はあなたが果たしてください。私は買い戻すことはできません。」
- 不明の点もある。「先祖から受け継いだ地に故人の名を興す」ことは、伝統だったのか、それとも、不文律だったのか、それとも、賞賛されるが、不文律のようなものではないというぐらいか。最後のものではないだろうか。次に、「私が先祖から受け継いだ地を損なう」とあるが、どのような意味だろうか。買い戻すために、自分の土地を失うのだろうか。どのように「損なう」のか不明である。オベドもボアズの子となっている(21)エリメレクの名は、消えるのではないのだろうか。不明。
サムエル記上 聖書通読ノート
BRC2025(2025.4.29-2-5.14-1)
- サムエル記上 1:4-6 エルカナは、いけにえを献げる日には妻のペニナ、および息子、娘に、その取り分を与えた。そしてハンナには二人分に匹敵するものを与えた。それはエルカナがハンナを愛していたからである。だが、主は彼女の胎を閉ざしたままであった。ハンナと対立するペニナは、主がハンナの胎を閉ざしたままだということで、ハンナを悩ませ、苦しめた。
- ペニナは悪者の役になってしまうが、エルカナのハンナ贔屓も背後にあったこともわかる。エルカナの配慮とも言えるが、ペニナはそのことも、納得できなかったのではないのだろうか。子のことは、現代に至るまで、難しい問題である。現在は、一夫一婦が圧倒的だが。夫婦関係は、難しい。
- サムエル記上 2:25,26 仮に人が人に罪を犯したとしても、神が間に立ってくださる。しかし、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれようか。」しかし、息子たちは父の声に従おうとはしなかった。それで主は彼らの命を絶とうとされた。一方、少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。
- この対照が記者の書きたかったことなのだろう。12-17にある、エリの息子たちの非道は、当時、どのように、祭儀が行われていたかにもより、士師記とのギャップを考えると、不思議にも思う。そこまで、丁寧には、なされていなかったのではないだろうか。ここは、後の時代から、すこし遡って、書かれたということなのかもしれない。基本的には不明なことだが。
- サムエル記上 3:13,14 私はエリに告げ知らせた。彼の息子たちが自ら災いを招いているのを知りながら、戒めようとはしなかった罪のため、私はエリの家をとこしえに裁くと。私はエリの家について誓った。エリの家の罪はいけにえによっても、供え物によっても、とこしえに償われることはない。」
- この事実自体は、人々によく知られており、サムエルも耳にすることが多かったろう。そのなかで、本当なのか、サムエルも悩んだに相違ない。エリを慕って仕えていたのだから。それを、エリに言った経緯が、このように、美しい物語で描かれているのだろう。サムエルに「戻って休みなさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」(9b)と教えたのも、エリであることが書かれている。このような美しい物語に仕上げたのは誰なのだろうか。サムエルがそう伝えたのかもしれない。
- サムエル記上 4:3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ、主は今日、我々がペリシテ人に打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから運んで来よう。そうすれば、主は我々のただ中に来られ、敵の手から救ってくださるであろう。」
- 神様がどう導かれたかを、十分深く理解できていない、魔術的なものとして、すなわち、自分たちの都合の良いようにだけ、主の働きを理解しているということだろう。この章を読むと、内憂外患、エリも、息子たちのことは、もう、諦めていたようにも見える。しかし、それで良いわけではない。エリは、士師としてイスラエルを治めた、責任ある立場だったようだからである。(18)複雑なことを、このように描くことはひとつの歴史観ではあっても、まったく不十分であるとも思う。人の側の責任は、大きい。
- サムエル記上 5:9,10 さて、箱が移されて来ると、主の手が町に大きな混乱を引き起こした。町の住民は子どもから大人まで打たれ、腫れ物が彼らの間に蔓延した。そこで彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着くと、住民は大声で叫んだ。「イスラエルの神の箱をここに移し、私と私の民を殺すつもりか。」
- ある伝承なのだろうが、明らかに、神の箱(契約の箱)は、魔術的な存在として描かれている。この時代では、そのように描いた方が、わかりやすかったのかもしれない。しかし、現代人がそのように理解したのではいけないのだろう。そのための情報は十分ではない。このようなことから、我々は、何を学べば良いのだろうか。
- サムエル記上 6:4,5 ペリシテ人は言った。「それでは、返すにあたって、償いのいけにえには何がよいのか。」彼らは答えた。「同じ災いがあなたがた全員とあなたがたの領主に下ったのですから、ペリシテの領主の数に合わせて、五つの金の腫れ物と五つの金のねずみにするとよいでしょう。腫れ物の像と地を荒らすねずみの像を造って、イスラエルの神に栄光を帰すなら、恐らくイスラエルの神は、あなたがたとあなたがたの神々、そしてあなたがたの地に重くのしかかっているその手を引いてくださるでしょう。
- なぜ、ネズミなのか、ChatGPT に聞いてみると、根拠資料もつけて、答えが帰ってきた。腫れ物が、ペスト的な疫病の象徴で、それとネズミが関係していると考えられているから。金属の像に呪術的効用があると考えられていたから、ネズミが農業的被害の象徴であるからなどが応答としてあった。どれも、ある程度は、合理的な説であると思われる。
- サムエル記上 7:13 こうしてペリシテ人は屈服し、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの生涯にわたって、主の手がペリシテ人を抑えていた。
- 事実というより、真実なのだろう。サムエルの「あなたがたがもし心を尽くして主に立ち帰るなら、自分たちの中から異国の神々やアシュトレトを除き、主に心を定め、専ら主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はペリシテ人の手からあなたがたを救い出してくださる。」(3b)は、少なくとも、内憂の部分に向き合うためには、十分だったろう。外患にどの程度効用があったかは、不明である。このあとも、サムエルの生きていた間に、サウルや、ダビデなどの戦いからもわかるように、戦いはずっと続いたからである。しかし、このようなリーダーシップを著者はよしとしているのだろう。やはり著者に興味を持つ。
- サムエル記上 8:17-19 また、あなたがたの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたがたは王の奴隷となる。その日、あなたがたは自ら選んだ王のゆえに泣き叫ぶことになろう。しかし、主はその日、あなたがたに答えてはくださらない。」しかし民はサムエルの声に聞き従おうとはせず、言い張った。「いいえ、我々にはどうしても王が必要なのです。
- 主の声(7-9)には従わず、サムエルは、民を説得しているようにも見える。おそらく、受け入れる前に、伝えているのだろう。サムエルは知識人である。教育は、そう簡単には、いかないということなのだろう。ただ、リーダだけが正しくても、困難な状況は改善しない。サムエルの立場で、どうしたら良いのかは、難しい。
- サムエル記上 9:12,13 娘たちは答えた。「はい、おられます。この先です。お急ぎなさい。今日、町に来られました。そして今日、高き所で民のためにいけにえを献げられるのです。町に入るとすぐ、その方に会えるでしょう。その方は食事のために高き所に上られるところです。人々は、その方が来られるまで食べません。その方がいけにえを祝福してくださるからです。祝福の後で、招かれた人々は食べるのです。今、上って行けば、すぐにでもその方に会えるでしょう。」
- 当時のことかどうかは不明だが、なんとなく、ある時期の儀式を彷彿とさせられて興味深い。順番がわからないが、おそらく、いけにえをささげ、それを、サムエルが祝福し、招かれたひとたちが食べるということだろうか。それが、その町を拠点とした、宗教活動だったのだろうか。
- サムエル記上 10:26,27 サウルもギブアの自分の家に帰った。神に心を動かされた勇士たちはサウルに従った。しかしならず者たちは、「こんな男に我々が救えるか」と言って彼を侮り、贈り物を持って行かなかった。だがサウルは何も言わなかった。
- 正確にはわからないが、「神に心を動かされた勇士」ということばが使われているので、サムエルによる祝福が、直接間接に、それぞれの心に働いたということだろう。それに応答したということか。しかし、それを受け取らなかったものたちを、責めるのは、これだけでは、根拠不十分であるように思う。ただ、「こんな男に」とサウルを人間としてみていることは確かなように思われる。その差はあるのだろうか。
- サムエル記上 11:6-8 それを聞くや、神の霊がサウルに降り、彼は怒りに燃えて、一軛の牛を捕らえて切り分け、それを使者に持たせて、イスラエル全土に送り、次のように言わせた。「サウルとサムエルに従って出陣しない者があれば、この牛のようになる。」主への恐れが民に広がり、彼らは一斉に出て来た。サウルがベゼクで彼らを点呼すると、イスラエルの人々が三十万、ユダの人々が三万であった。
- ギルアドのヤベシュ(1)は、士師記21章に登場する、この後も、ひとつ鍵となる地域である。ヤベシュからベニヤミンを攻める戦いに参加しなかった、すなわち、同盟関係を守らなかったことが書かれている箇所である。ここでは、逆に、それを助けている。ヤベシュの関係者がベニヤミンにいたのかもしれないが、十二部族の同盟関係について、ある示唆は与えているように見える。ユダだけ別記されているのは、後のことを考えれば、自然なのかもしれないが、この時は、同盟関係を確かめる大切な時だったのかもしれない。
- サムエル記上 12:12 ところが、アンモン人の王ナハシュが攻め上って来るのを見ると、神である主があなたがたの王であるにもかかわらず、『いや、王が我々を治めるべきだ』と私に言った。
- サウルをサムエルが選んだのは、以前のことであるが、あたかも、この時がその転機であったように書かれている。おそらく、十二部族がひとつになる、重要な機会だったのだろう。サムエルが、サウルを立てた理由には、歳をとり、他のひとに任せたいという、または、そのような人が是が非でもいなければという気持ちが強かったのかもしれない。サムエルと、神様の関係はどうだったのだろうか。このあたりには、あまり書かれていない。しかし、指導体制の移行期間であることは、確かなのだろう。
サムエル記下 聖書通読ノート
BRC2025(2025.5.14-2-5.26-1)
列王記上 聖書通読ノート
BRC2025(2025.5.26-2-6.6-1)
列王記下 聖書通読ノート
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歴代誌上 聖書通読ノート
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エズラ記 聖書通読ノート
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ネヘミヤ記 聖書通読ノート
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イザヤ書 聖書通読ノート
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エレミヤ書 聖書通読ノート
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哀歌 聖書通読ノート
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エゼキエル書 聖書通読ノート
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ローマの信徒への手紙聖書通読ノート
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コリントの信徒への手紙一聖書通読ノート
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コリントの信徒への手紙二聖書通読ノート
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エフェソの信徒への手紙聖書通読ノート
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フィリピの信徒への手紙聖書通読ノート
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コロサイの信徒への手紙聖書通読ノート
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テサロニケの信徒への手紙一聖書通読ノート
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テサロニケの信徒への手紙二聖書通読ノート
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テモテへの手紙一聖書通読ノート
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テモテへの手紙二聖書通読ノート
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テトスへの手紙聖書通読ノート
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フィレモンへの手紙聖書通読ノート
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ヘブライ人への手紙聖書通読ノート
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ヤコブの手紙聖書通読ノート
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ペトロの手紙一聖書通読ノート
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ペトロの手紙二聖書通読ノート
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ヨハネの手紙一聖書通読ノート
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ヨハネの手紙二聖書通読ノート
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ヨハネの手紙三聖書通読ノート
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ユダの手紙聖書通読ノート
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ヨハネの黙示録聖書通読ノート
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BRC 2023 Memo
登録人数は以下の通り
- BRC 2023から継続: 79人
卒業などで、メールが届かなくなった方は、省いています。私は人数に入れていません。
2024.12.31