Last Update : December 8, 2000
GE : NS I 数学の構造
2000年度:通信欄メッセージ
- NSI に期待すること。高校以上の数学は何のためか。
- 前の世代から受け継ぎ、次の世代へと委ねてきたい大切なものは、あなたにとって何でしょうか。
- 将来の夢、目標、25年後の自分について。
- あなたの「大人」と「子供」の定義を述べ、そのもとで自分が大人か子供かを判定せよ。
- 結婚について、家庭について、子供について。
- 最近感激した本・映画・芸術・人・言葉など。
- 自分が {女性、男性} に生まれて......。 同性について、異性について。
- 国際人(World Citizen)とは。ICU の「I」について。
- 聖書、キリスト教、ICU の「C」について。
- 期末試験における学生からのコメント
この欄は QUIZ(小テスト)における通信欄での受講学生とのやりとりを記録したものです。返事を書いて翌週に返却していますが、ここでは、クラスでも話した鈴木の感想などをまとめたものを一部掲載することとしました。クラスで学生の許可をとってはいますが、何か問題がありましたら、鈴木寛 hsuzuki@icu.ac.jp まで御一報下さい。入力は、今年は、コースヘルパーの人にお願いしています。
QUIZ1 : NSI に期待すること。高校以上の数学は何のためか。
- 高校以上の数学を習っているのか、という判断は私にはできません。
高校時代に数学は専攻してはいなかったので上か下かわからないのです。
ただそういった私は、この数回の授業で、自分が今まで考えもしなかった対象の分類
の仕方を知る事に、感動しています。
“1対1対応”は特に数学の授業の出だしとして私の心を掴みました。
数えにくいものは数えやすいもので数える、という単純なこと
私は物事を複雑に考える風潮があるので、実際に簡単に問題がみえると目が覚める思
いです。
NS1に期待するのは、私のような数学に接してこなかった人で、これからも数学にか
かわりをもたない人間に、数学というものが問題にどういったアプローチをする学問
なのかを、これからも簡単に示してくれたら、世の中がもっと分かりやすく見えるよ
うになるかもしれません。
- ぼけ防止、忍耐力をつける
- 数学嫌いの人が肩に力を入れることなく参加できて、数学と万物のつなが
りを改めて知って驚くことができるようなおもしろさがあるといいですね。
- 数学は、向き不向きがあるようですから、高校以上の数学は、向いている
人が、研究、物理など世界に貢献する様なものをやっていくために、必要だと
思います。あとは、仕事柄に必要な場合は必修科目にする必要があると思いま
す。
- 問題を解くことの楽しさを期待する。人文、社会科学と異なり、(一応)
正解が存在するから、そこに到達できたという喜びが得られるような気がする。
そして、それとは矛盾するかもしれないが、高校以上の数学は、正解を得るこ
とよりも、そこに至る道筋を試行錯誤して考えることに意味があるのではない
か。もっともこれは、お勉強として数学をする場合のことであって、学者や研
究者の数学とは違うだろう。
- 柔軟な思考力を養う。ものごとを論理的に考える力を養うために高校以上
の数学は必要。
- [NSI に期待すること] Webの過去問なんですが、小テストが終わったら、
解答もupしてもらえると嬉しいです。
就職活動で授業に出られないときもあるもので。
[高校以上の数学は何の為か] わたし的には、
趣味とかライフワークじゃないかと...。内容が専門的になって
くると、好きじゃないとやっていけないと思います。方程式を「美しい」って
表現する人がたまにいるみたいですが、そういう人から見たら美術と同じよう
なものなのかもしれない。
- 頭の体操になる。発想の転換が今までよりもできるようになりそうな気が
する(気のせいかもしれないけど)。私は高校の時、数学が好きだったけど、
それはあくまでもパズルとか、クイズの感覚で式を解くものが多く、同じ「頭
を使う」ということをしていても、その使い方が違うんだなと、この授業に数
回参加してみて思いました。(当時)得意だったハズの科目なのに、新たな発
見とかおどろきなどが多く、とてもおもしろいです。今後の授業も楽しみにし
ています。
- 5年ぶりの数学で、かなりとまどっています。高校の時には解けたはずな
んだけどなあA頭がにぶっているのを実感しました。授業はクイズのよう
なものでおもしろいです。高校の数学の先生も、これくらい楽しかったら、数
学を途中であきらめなかったのに。
- 教養としての数学は、論理的思考法を訓練する為に有効だと思います。頭
の体操として、楽しく講議に参加しています。
- 高校での数学にあまりいい思い出がありません。自分の中で、数学=公式
の暗記になっていたので...。このクラスで、そうじゃない数学にやっと出会えま
した。
- 数学のおもしろさ、たのしさが分かると世界が広がると思います。なるべ
く、身近でおもしろい問題を扱っていただきたいです。
- (研究者以外には)頭の体操みたいなもの。
- 高校以上の数学は社会のため?
- 頭がもみしだかれるようです
- 高校までは数学が好きでも嫌いでも義務的にやらされるが、大学では好き
でも嫌いでも専攻としない限りあまりやる機会はない。
- 私は高校生時代、数学が好きだったけど、大学では他を専攻にしたかった
ため、やりたくてもあまりやる機会がなかったので、このコースをとりました。
- 今までの様に日常生活と関連のある問題が扱われると嬉しいです。高校以
上の数学は、何が何でもいろいろなものの数値を出すためにあるのではないか
と思います。
- 柔軟な頭で考えないとなかなか難しいです。一生懸命聞いているんですけ
ど
- 柔らかい授業を。
- リベラルアーツの園で学ぶにも関わらず、受験時から引き続きあまりにも
文系に偏った学び方しかしてこなかったことを悔いているので、数学的“思考”
というものの少なくとも一端に触れたいと期待しています。高校以上の数学は、
(数I までしかやっていないのですが、それまでの数学の応用なのでは。し
かし、今は基礎は暗記で、本当に身についたかどうかも定かではないところに
どんどん難しい段階へ進む。基礎の“理解”があれば、高校以上の数学はもっ
とCreativeなものになると思うのですが。Creativeなものになったからといっ
て、数学が好きになるかは、は定かではないのですがB学校教育とは難しい
ですね。
- 脳の老化防止、世界理解の一つの方法。
- 高校以来忘れていた数学を思い出せて面白いです。数学の面白さを教えて
くれる授業を期待します。
- 高校以上の数学は、私にとって入学試験のためにあるものでした。
- 高校以上の数学が何のためにあるのかははっきり言ってよくわかりません
が、それはどの学問でも(文学や経済学でも、物理でも)ふつうの人にとって
はあまり直接の関係がないということでは同じなのではないでしょうか。いろ
いろな技術に数学やその他自然科学の成果が使われている、という事はあるで
しょうが、それを専門にしていない人間から見れば、あまり役立っているとい
う実感はないものです。だからといって、四則演算だけできれば、大体日常生
活には困らないから、それでいいかといえば、そうではないわけで、そう考え
ていくと学問の意味って難しいです。実用的な事だけやっていればよいとうわ
けではなく、かといってあまりにも非実用的なものもちょっと...。
難しいです。
- 知的興奮が味わえることを期待しています。高校時代に、わからなくて泣
きながらテスト勉強をした記憶があります。その時は、その問題を解かなきゃ
いけない理由さえわからなかった。大学に入って、数学専攻の人が「数学は芸
術だ」と言っていて、少しわかったような気がしました。
- 脳を活性化させたい。
- 頭の体操。論理的な思考力を養うため。数学で論理的な証明ができれば、
文章を読んだり書いたりする力もつけていることになると思う。
- 何のためだかよくわからないけど、この授業は面白い。授業で受ける限り、
このテストも然り。点数や評価を気にしなければいけないんだけれど、自分が
楽しめる範囲で行える数学は、人智のすごさを感じることが(たまに)できる。
- 普段使わない頭を使う。
- あたまのたいそう
- 授業のペースが早いように感じます。もう少しゆっくりしていただけたら
と思います。
- 概念みたいなものが多く、思考回路を柔らかくするもののような気がしま
す。数学アレルギーの僕にとって、大学数学なるものは科目を見ただけでじん
ましんがでてきそうで想像もつきません。ただ、友達の話などを聞いていると
どうもいかに頭を柔らかくして問題を解くかがポイントのような気がして、頭
がカタイ僕には難しい話だなぁと思いました。
- 高校以上の数学は、私達の生活を便利にするためだと思います。そのため
の仕事をする人たちがやればいいことなのに、みんなそろってただただつめこ
まされるから、ちっともおもしろくない。考え方の面白さとか美しさとかじゃ
なくて公式をおぼえてテストできるように、ってやるのは本当に本当につまら
ない。3年間で数学をおもしろいと思ったのは、ベクトルぐらい。できなくて
も文系受験だったらほっとかれるし。
- 高等数学は趣味。前回の授業聞いてないから難しいや。問1わからん。
- 高校で数学が苦手であってもついていけるような授業を期待します。[高校
以上の数学は]より実用的な理解を持たせる[ため]。
- 数学はやっていますが、最近基本的なものの考え方の欠落を感じています。
また、先生が他学科の人にどういった授業を行うのか興味をもったのでこの授
業をとりました。結構忘れていたことも多く、勉強になっています。
- 新しい発想を知ることができるといいです。
- 頭の体操のためだと思っています。NSI には様々なQuizで楽しませてほ
しいです。
- 数学は普段あまり使われない脳の部分の活性化だと思う。私はそういう頭
の使い方が苦手みたいだけど、たまに「なるほど」と感心する。違う見方で情
報を処理する能力って大切かもしれないと思う。
- 高校以上の数学は、美しさの追求、一種の芸術だと思う。
- 教養?
- 高校以上の数学は、日常生活において必要な数学(算数)の域からは外れ
ているので、本当に数学の好きな人が、趣味でやるためにあると思います。
- 数学の楽しさを教えてほしい。[高校以上の数学は]楽しむため。
- パズルのようなものをしながら、数学の根底にある大きなものに触れたり
感じたりしたい。高校以上の数学とはH高校以下のものとあまり変わらない
と思う。
- [NSI に期待することは]「無」。です高校以上の数学は、エンターテイメ
ント。
- 論理的思考の育成のためであると思う。Quizには出してほしくないのです
が、「数学おもちゃ箱」という本が、とても面白いので、その本に出ている問
題の1つなどをとりあげて、解説していただいたりすると、面白い授業になる
と思います。
- 高校の時に、数学は「面白いけど成績が悪い教科」だったので、もう少し
苦手意識がなくなればいいなとは思います。高校以上の数学は目に見えないも
のを見える形に直す作業?ではないでしょうか。
- 高校ではやったことのないようなことを期待する。ただ答えを書くだけで
はなく、この授業の名前の通り、構造を考えていきたい。
- これまで暗記と戦って凝り固まった私の頭をほぐしてください。お願いし
ます。
- 忘れかけている数学的思考方法をとりもどすこと。高校以上の数学は、頭
の体操。いかにルールにのっとって。
- 久しぶりにやる数学。頭の体操になります。できる限りがんばるので、1
学期間よろしくお願いします
- 高校までは生物系のクラスにいたので、NSの分野はとても身近なもので
したが、暗記ものも多くて、はっきりいってあまりおもしろくありませんでし
た。物理や数学は、根本的な考え方さえマスターしていれば、自分で考えるこ
とができるのでおもしろいです。高校以上の数学は、必要無いというひともい
るかもしれませんが、今日のQuizみたいな問題は「考える」ことができてと
てもいい頭の体操になります。
- ふだん使われてなくてサビついている右脳を刺激してほしい。数学で学ん
だ頭の使い方(発想、論理の組み立て方etcjをSSの方にも応用して、違う
視点を発見できたら、と思って苦手な数学と格闘しています。
- ぼくはテディベアが大好きです。この授業もね。
- 私達が日々テレビなどで
政治・経済など社会状況を知るのは、生活に必要だと感じるからかもしれない
が、今まで勉強してきたことの続きを自分で学んでいると言ってもいいと思う。
数学も同じように、学び続けることはできるが、ニュースになるほど必要を感
じられていないようだ。だから、大学で論理的かつ合理的に考えることの大切
さや、新しいものの考え方を学ばなければいけないと思う。
- 四角い頭を丸くするような問題があると、驚きがあって良いと思う。[高校
以上の数学は]応用力をつけるためと、想像力をつけるため。
- [NSI に期待することは]難しい問題をたくさん解けるようになることでは
なく、このクラスのように、その思考に重点をおくこと。数学史を扱うのも面
白いと思う。人類が、徐々に数を扱えるようになってきた足跡をたどるのであ
る。
- [NSI に期待することは]数学の本質に迫る美しい授業。[高校以上の数学
は]Paper Testのtoolを越えた本質を味わうため。
- 特になし
- 数学の面白さを知りたい。
- [NSI に期待することは]しばらく数学に触れていなかったので、また数学
のおもしろさを知りたい。頭を柔らかくして、頭の回転を良くしたい。 [高校
以上の数学は]何のためだろう。たぶん理系の人たちにとってはこれからもっと
深く追求しなければいけないものだが、自分にとっては教養をもうちょっと深
めるものと、ちょっとした興味。
- 論理的に物事を考える楽しさを味わえたらいいなと思います。高校の数学
は、広く浅くといった感じで、個人的にはあまり面白くありませんでした。大
学では暗記力ではなく、思考力を養いたいです。
- 楽しい数学を学びたいと思っています。高校では、順列・組み合わせを、
論理を考えたのではなく公式を覚えただけなので、“考える”という知的楽し
みを満喫したいです。
- [NSI に期待することは]今までに知らなかったような問題を解きたい。ク
イズみたいで面白いものを。受験までのテクニック的なものではない、ひらめ
きを使ったような問題に触れたい。[高校以上の数学は]①個人的な趣味②論理
的な考え方を身につける③知識を増やす。
私自身は大学受験の国立二次まできっちり数学を使った文系です。数学は(時々
わけがわかんなくなってたけど)結構好きな方なのでこのクラスも楽しんで受
講しています。でも、高校の途中で数学をやらなくなった人にはやはりこのク
ラスは難しいのではないでしょうか?
- [NSI に期待することは] 分かり易い授業を。[高校以上の数学は]脳ミソの
トレーニング。
- NS以外の生徒が楽しめるような授業にしてほしい。
- ELPづけの生活から解放される数学を心から楽しめる時間を過ごしたいで
す。高校以上の数学は、柔軟性を身につけるためにやるのだと思います。
- 高校以上の数学は、より頭の回転を速くするためだと思う。また数学は、
論理的に導かれているので、そうした論理性を養うのに数学が与える影響は大
きいと思う。しかし、こういっておきながら自分は高校で数I, II Aしかやって
なかった。今になって結構後悔していることが多い。数学の勉強がしたくなっ
たのでこの授業をとった。この授業で期待することは、数学をいかに身近に生
活の中で役立たせてつかうことができるかというの実感させてくれるものにし
てほしいです。
- 高校での数学は大学受験をひかえているため、あまり考えることがなかっ
た。大学では数学の不思議なところとかを考えたり、知ったりしたい。授業で
問題の答えや解き方があいまいな時が多いので、しっかり説明してほしい。途
中で脱線したり、別の問題にいったりしてわからないことがある。
- [NSI に期待することは]オタクな話。[高校以上の数学は]インスピレーシ
ョン
- [NSI に期待することは]数学の楽しさを教えて欲しい。[高校以上の数学は]
学び続けることが人間の使命だから。数学を「役に立たない」とする人がよく
いるけど、学問はそもそも役に立たないものだと思う。哲学も芸術学も全く役
に立つ学問ではない。社会科学だって、生きていくために必ずしもいるもので
はない。パンと魚さえあれば、まあ生きてゆけるだろう。学問はすべからく「よ
りよく生きる」ためのものである。数学は比較的実生活から遠いが、実利と関
係ないものを否定することは人間性を否定することにつながるような気がする。
- 好奇心を満たすため。
- わかりやすくシンプルな解説をお願いします。あと、HPのQuizが見えに
くいです。
- 論理的思考をきたえるために、数学をするんだと思います。
- 自分の興味、脳の老化を防ぐ。
- 普段は接しないような問題に触れてみたい。論理を楽しむため。
- 数学はあまりわかっていないので、NSI に期待することは得にありません。
毎回の授業が楽しみです。大学でも数学を勉強したいと思ったのは、数学的な
考え方を忘れないようにするためです。知識と考え方をたくさん持っている方
が、しなやかな思考ができるじゃないかと思っていますから。
- 高校以上の数学はヒトのつながりを密にする。文系の私は高校の時たくさ
んの人に支えられる問題をといていたから、根気よく教えてくれた友だちや先
生のありがたみをひしひしと感じていた。数学ほど友だちのできる授業はない。
- 数学の楽しさが理解できるような授業を期待しています。
- 私に論理的思考能力を授けてくれること。②数学のおもしろさを知る。
それを知って何になるわけでもないが、生活する上で、1つのおもしろみ、い
ってみればスパイスになってくれる。私にとってはそういうものです。
- 自分はDivisionがISであるが、昔から数学だけはどちらかといえば好きな
方だったので、このクラスを受けてみました。授業を受けている時に「おー、
すげー」と思える様な機会が沢山あればと思っています。
- 9月にICUに入りました。イギリスでは数学を教えるとき、ちゃんと論理
を説明してくれます。日本で分からなくなった数学も向こうで問題の解き方を
聞いて好きになりました。だから大学でも物事のすじみちを知りたいです。
学生へのメッセージ
- 1998年のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- たくさんのかたが書いて下さったように、楽しんで下されば、それで、この授業に大きな意味があると思います。一緒に楽しみましょう。
- しかし、数学は「趣味のようなもの」でしょうか。「必要な人だけやればよい」ものでしょうか。使わないことまでなぜするのでしょうか。ぜひ、この授業に出席しながら、一学期かけて考えて頂きたいと思います。人間は、何なのでしょうね。私は、人間が、ひととして生き生きと生きるために数学は、非常に基本的なものの一つだと思います。そのように教えられているかどうかは、別として、高校で勉強することも、その勉強をとおして得られることは、人間にとって基本的なことではないかと思います。
- 最後のメッセージは、いろいろと考えさせられます。私は、ICUに来る前は、大阪教育大学にいましたので、日本の数学教育には、ある責任があると思います。問題を解く技術を覚えることは大切です。自分で考えただけで問題を解くことはできないからです。でも、考えることをしないで、解き方だけを覚えるのは、なんとも悲しいですね。でも、問題解決をする技術が大切で、ただ、数学のように、日常から離れた問題を考えるのは、役にたたないとする考えが底辺をささえているのだとすると、残念ながら、上の皆さんからのメッセージのなかにもそのような考えが見えかくれしている気がします。どうでしょうか。
- わたしも、もう一度、ゆっくり皆さんからのメッセージを読んでみて、考えたいと思います。他の人の意見も交換することができる。それが、すばらしいことだと思います。考える機会をこの授業をとおして一緒に持っていけたらと思います。今学期、宜しくお願いします。わたしも、皆さんから、色々なことを学び、様々なことを感じていくことができればと思います。
QUIZ2 : 現代は忙し過ぎて、今という時に価値が集中し過ぎ、時の流れの中の今を見失っていると私は感じています。人はそれぞれ多くのものを前の世代から受け継ぎ、次の世代へと委ねていくものだと思いますが、次の世代に委ねていきたい大切なものは、あなたにとって何でしょうか。
- I like the indivisuality that is very characteristic for our time.
- 人間社会にとって一番大切なことは、生き続けることだと思います。です
から、次の世代、いくらテクノロジーで人間の生き方が変わって、メチャクチ
ャで分からなくなっても、必ず人類を絶滅させてしまわない努力だけは、次の
世代に委ねていきたいものだと思います。一人の人間にとって生きていれば必
ずいいことがあるのと同じ様に、人類も生き続ければ必ず何かがあると思いま
す。
- ある程度の不便さ。それがなければ人生はつまらなくなってしまう。
- 無駄と思える時間を過ごすことが大切だということ。[その時間が]後にな
ってから大切だと気付くこと。
- 「今」を生きるのに忙しすぎて、「歴史」を見失っているということでし
ょうか。でも私は逆説的かも知れませんが、私達が次の世代に伝えていくべき
は、まさに私達が生きている「今」のような気がします。そして、「今」を生
きるだけでも真剣に生きようとするなら、「今」だけを生きるわけにはいかず、
過去からの膨大な遺産を消化しなければ不十分なことは当然で、結局それらす
べてが次の世代に託されていくと思います。
- 一人の人として生きる喜び。
- 夢。現代の子供は夢を持つ心のゆとりさえ失っている気がします。
- 音楽!!
- 物はいずれ壊れるものであり、世代を超えて受け継いでいくのには不都合
がある。しかし、物質ではなく思想や言葉は、次の世代がそれを受け入れる限
り生き残る。ただし、形ないものは、受け継がれていく過程において、何かし
ら変わっていく可能性が高い。変質することを自然だとするならば、後の世代
には人間として多くの思想を残しておきたい。心を豊かにするために。
- 前の世代から、自分は何を受け継いできたのか、すぐに思い出せない自分
が恥ずかしいです。
- 「平和を愛する心」です。これを忘れて再び世界大戦などが起きてしまえ
ば、人類は必ず滅亡するからです。私はいつも「爆弾なんかを落とす代わりに、
花を投げればいいのになぁ・・・」と思っています。
- 自然でしょうか。漠然としてますけど。次に世代に「委ねる」っていうの
は、残すってことでしょうか。それならば表に書いたように、自然とか、多様
な文化とか思いますけど。僕が文字から受けたイメージは、あとのことはまか
せたというような、自分の世代では実現できなかったけど・・・という、あき
らめ(?)のような感じがあり、もしそのようなことがあるのなら、自分(の
世代)がまず何かじなければならないのだろうな、などと思いました。(自分
自身はそのような目標のようなものを未だ見い出していないもので)
- 第一に、地球そのものと言えると思う。なぜなら、近代化による温暖化、
核戦争の危機などによって、今、地球自体が存亡の危機にあると思うから。
- 山か川か海や空(自然)を愛するこころ。
- 委ねていくものではなく、次の世代が受け継ぐべきと価値を見出せるもの
が、引き継がれていくのだと思う。
- 何ものも排除しない愛ですね。
- 感覚が機械化によって失われないこと。
- 自然、かなぁ・・・?
- 本を読むことです。特に、子どものとき、母親に読んでもらったような本
が、読み続けられていくといいなと思います。
- 私は次の世代の人々には、これまでの歴史を受け入れる力を持ってもらい
たい。先人達によってつくられた歴史の誇りとでもいうべきでしょうか。あと、
限りある自然や資源、環境はもちろんのことです。
- 「世代」が具体的に何を示すかによって、答えは違ってくると思う。例え
ば、今の自分の考えでは、親から受け継いだ功利主義を否定したい気持ち、自
分の代で止めようという思いがあるし、逆に予備校の時に出会った先生から受
け継いだ柔軟な感性と知的好奇心は、次の世代に伝えていきたい。
- 感動する心
- 日常生活のちょっとした工夫、というか、おばあちゃん、お母さんが教え
てくれるようなくらしの中の知恵みたいなもの。あとは、やはり家庭の味とか。
お正月にお節をつくるのを手伝っていて、ふとそう思いました。お節とかは教
わらないとわからないし、これにはこういう意味があるのよ、とか。
- 特にありません。「大切さ」の基準は時代によって変わると思うので、気
にしません。さらに、「時の流れの中の今を見失ってい」ることに、ネガティ
ブな態度を持つことにも疑問がある。「次の世代」と言っても、「今の世代」と
は時代的(?)にもかさなるところがあり、「今」に集中し、「今」の中でベス
トを尽くすことで「次の世代」は何かを受け継ぐのではないか。それが「今の
世代」には大切でないものかもしれない。「集中しすぎている」と感じるのは、
集中しきれていないことの裏返しでは?
- 美しい自然
- e-mailはお金も時間もかからず、気軽にコミュニケーションすることがで
きる手段だと思います。しかし、誕生日、年賀状、暑中見舞いなどに手で書い
た、心のこもった手紙を出すことはずっと続けるといいなぁと思います。
- まだ確立できていないけれど、持続可能な世界を残してゆけたらいいと思
う。
- 私は今、山登りをしています。たしかに今に集中しているとは思いますが、
山頂に立ったり、歩いている途中に風雨にあうと、地球の歴史を感じます。そ
んなえらそうなことではないけれど。私は、こう感じることのできる心が、ど
の人にもあればいいのじゃないでしょうか。帰納法、むずかしかった。
- いろいろな時代に、いろいろな人がその時その時の問題を解決しようと必
死に生きてきた、という事実。
- 人と人のかかわり。
- 耐え忍ぶ心
- 平和であると思います。僕は正直に言って、全世界平和が成し遂げられる
とは考えていません。イデオロギーや宗教の対立はそんなに生易しいものでは
ないからです。ただ、世界大戦のように世界中の人々が、ごったになって苦し
むようなことだけは絶対に避けるべきだと思います。毎日死が隣り合わせにな
っているような生活は、絶対に過ごしたくない、そう思うと平和は大切だと思
います。
- 想像力。想像でしかなかったものが次々と科学で実現されている。想像力
は思いやりなどにもつながる。
- 歴史。人は、それぞれの時代で何を考え、どう行動を起こしたのか、それ
が顕著にあらわれているのは歴史というものではないでしょうか。
- そりゃとーぜん、私の愛♥でしょう。
- ポジティブな遺産としてはnature です。nature は破壊するのはひどく簡単
で、でも修復するには多大な労力と金、そして時間がかかります。また、場合
によっては不可能です。今、心ない大人達が、自己の欲と目先の利益という狭
い視野のもとでnature をexploit し続けています。例えば莫大な予算を使った
ダムの公共事業など、もうout of timeではないでしょうか。negative なものと
しては、戦争の負の記憶とcompensationです。傷みのない反省は同化しやすい
ものかもしれません。だからつねにあやまちはどんなに時がたとうとも追求さ
れるものだと実感し、また追求され続ける国がみせしめとして存在していなけ
ればならないでしょう。
- 物質ではなく気持ちの部分
- 自然
- 歴史
- のんびりとする時間の大切さ。
- 福音
- 自然
- 次の世代では、テレビやコンピューターなどがさらに発達していき、直に
何か(例えば自然)に触れる機会が少なくなると思うので、そのような直感的
な経験が次の世代でもできるようになってほしいと思う。
- 医療のことについて少し勉強した時、医療とは未来に病気を残してしまう
ものだということを学んだ。個人の命を救うことは大切なことだが、個や今と
いう時に注意がいきすぎて自分達の子孫のことを考えられていないのだという
ことがいえると思った。「ケンコウ」な人を残したい。
- 今の私には何もありません。自分以外の人にわからないことばかりしか持
っていません。でももし、誰かに何かをあげることができるのならば、それは
私の「大丈夫」というconvictionです。
- 思いやり、わび、さび、の心。
- 前の世代から受け継がれた大切だと思うもの。
- お金とかは価値が変わってしまうので、教育とか、人間的な豊かさ等です。
- 自然、腹八分目、やりすぎない、何かが欠けていて完璧である、といった
日本独特の美意識。
- 平和を創り、維持する努力。
- やはり道徳心だと感じます。やはりいくら技術が発達しても、道徳心やモ
ラルといった、人間として持つべきものを失ってしまっては何事もうまくはコ
ントロールできず、かえって何かにコントロールされてしまいますから。とは
いえ、あえてその何か人間をコントロールするのに全てを委ねるのも、一種の
方法かもしれませんが。
- 読書の楽しさ
- 日本文学の美しさ、昔からの日本語のおもしろさ
- どんなに忙しくても、そうして今、自分がこうしているのかをふと考えて
みたり、考える時間が必要なんだということを今の世代の人達も考えていたこ
とを考える心の余裕があってほしい。なんかわけのわからない文になりました。
- うちのテディベアの“モンブラン“
- 生命です。どんどん医学が発達して女性が子供を産まなくてもいい時代が
くるかもしれません。しかし、人工的に育てられた子と苦労を重ねて育てられ
た子は違いと思うのです。生命はつないでいきたいです。
- スポーツ。人間は機械に頼ることが多くなってきているので、将来、スポ
ーツなどで自分の体を動かすことが少なくなると思う。それでも、オリンピッ
クなどを続けてもらいたい。
- 自分とは違う価値観を受け入れようとすること。
- 智
- 自然
- オリンピック等を見るたび、柔道がスポーツ化していくように感じます。
剣道をやっている自分自身としては、失われつつある礼を重んじる武道の精神
うを伝えていってほしいと思います。
- 思いやり
- 数学
- 万物は変化するのだから、特に次世代に委ねていきたいと思うものは思い
つかないけれど、習慣とか文化とか、そう形にならないものが何か一つでも続
いていったら良いなと思う。
- “心”
- 自然とその中で過ごすのんびりとした時間
- 人を愛する心。どんな人でもけっして侮辱せず、やさしく付き合える力。
- 両親から学んだ生活の知恵や、常に人に対して感謝する気持ち。これらは
生きていく上で大切なものではないでしょうか。つねづねそう感じています。
こんなことを言いながら、上の問題分かりません。先週の講議に出れなかった
もんで・・・。(入院していました)
- 音楽、むしろ「残す」音楽とは何かを考えなくてはならない。神が存在す
ることの真実。(事実ではなく。歴史において事実などはどうでもよい。)
- もしかして、1と2は同じ問題ですか?
- 古代から現代までの様々な思想と、その欠点、長所を見抜き冷静に分析で
きる批判精神。
- とても一言で語る力がないのであきらめました。
- 誠実な心。自分に正直に生きようという意志。自分はみんなに支えられて
ここまできたんだという感謝。自分が成し遂げたことへの誇り。そして、傲慢
になってしまったときの反省。
- 音楽
- おもいやり
- 過去、現代と受け継いできたものをさらに改善していく心
- 対象が何であるにせよ、それを大切だと気付いて、大切にしようという気
持ち。
- 経験と知識
学生へのメッセージ
- 数学的帰納法は、少し難しかったですね。小テストの点数が、思っていたより、低かった人が多いかと思いますが、あまり気にしないで下さい。この手の問題は、確かに、「n=1, 2, 3, 4 あとは、同様」でできますが、同様をしっかりと、アルゴリズム(算法、「同様」の具体的意味)として、記述できるかは重要だと思い、厳しく付けました。しかし、「2は、1より明らか」という解答はもう少しあっても良かったと思いました。「1は、2から出る」という間違いだけはして欲しくなかったです。
- 「自然」、そして「音楽」が多かったですね。
- 自分達が、何かを受け継いできたのだという意識を持つのは、難しいのかなと思います。しかし、生物学的には、無から生まれた人はいないと思います。長い長い間、遺伝子を受け継いで、今、の一人一人がいるわけです。両親の元に生まれれば、親から受け継いだものは、遺伝子とは言い切れないたくさんのものを持っていると思います。そして、社会の中で生きることにより、文化も、文明も、歴史も、環境も、良いものも、悪いものも受け継いでいるわけです。自分自身を知ることの中で、大きな意味を持つのが、何を受け継いできているかを知ることだと思います。
- その中で、何を大切に自分は生きていくのか、何を大切なものとして、委ねていくのかと言う視点を持って、今を生きるのではないでしょうか。今をどう生きるかが一番大切であることは良いでしょうが、それは、ある時間の経過のなかの今であることを無視しては、いけないと思います。
- 現代は、非常に忙しくなってきています。電子メール一つとっても、瞬時に、たくさんの人に情報を殆んどただで送れるようになりました。非常に短い時間で、今までなら、大変な時間と労力を使わないとできなかった事ができるようになりました。それゆえ、今と言うときに、そのつい先日まで、大変な労力を使わないとできなかったことをすることを、何か、それがとても有益な時間の使い方のような気がして、それをどんどんしていく。忙しくなる一つの要員がこのへんにあると思います。一方で、上で、「読書」と書いてくれた人がいましたが、「読書」などは、昔も今も同じぐらい時間を使う事だと思います。具体的には、電話をしていたり、メールを見ていたりして、読書をしたり、手書きの手紙を書いたりする時間が無くなってきてしまうわけです。
- 次の世代に残していきたい大切なものとして、「自然」を書いた人は多かったですね。でも、「自然」を残すとは、どういうことなのでしょうか。50年先、100年先、1000年先を考えたとき、何が今大切なのかを考えることは、簡単な事ではありません。今の、自然にたいする人間の態度を非難することは、簡単です。でも、自分がどう生きるかは、非常に難しいことです。「自然」と答えた人は、是非、自然をもっと勉強して下さい。そして、すばらしいものとして、残していくために、自分はどう生きていくのか是非、考えて頂きたいと思います。
- 私は、委ねていくという言葉を使いました。自分の世代だけ、幸せに生きられればよいと言うことではいけないと思いますし、同時に、自分の世代で、問題が解決したり、次の世代の人が心配しなくて良いようになることは、無いと思うからです。長い歴史の中で、ほんのひとかけらの命です。しかし、そのちっぽけな一つの命こそがかけがえのない、次の世代の命への継承者なのだと思います。
- 生命工学、ロボット工学、バーチャルリアリティー、などなど考えると、人間のできることは、今、爆発的に増大していると思います。その大変な物をもちうる今の時代の中で、何をどのようにして、次の世代に委ねていくのか、一人一人の責任は、非常に増大していると思います。一人一人の責任の大きさとともに、他人がすることを無視して生きていくこともできないと思います。
- 皆さんが残していく「大切なもの」に期待しています。
QUIZ3 : 将来の夢、目標、25年後の自分について、等々、何でもどうぞ。
- 25 years from now, hopefully I will be in the middle of my professional carreer, having a job I found important, interesting and useful.
- 夢、目標、特にない。25年後、わからない。でも元気に楽しく生きていれ
ばいいと思う。
- おぼうさんになってみるのもおもしろいかも。
- やりたいことが色々あってまだ一つに絞り切れずにいます。一度就職して
経済的に自立したら本当にやりたいことを思いきりやりたいです。25年後は自
分が本当に好きだと思えることに、情熱を持って生き生きと取り組んでいたい
です。そうしたら、年齢に関係なく人生を若々しく送れると思います。
- 音楽やってる。
- まず、自分が25年後も生きていることを祈るばかり。生きていれば何とか
なる。でも本当は、何年後であっても、どのとき「いろいろつらいかもしれな
いけど今がいちばんいいな」と思える自分でいたい。
- 将来の夢は、英語を活かした仕事をし、できれば海外に行くことです。
- 今のところとりあえずの目標は、3年間は会社員でいること。というか社会
人になること。でも25年後も目先のことだけ考えない、常に新しいことに興味
を持ちつづけるということを忘れないでいたい。
- 自然に気持ちの良い生活をしていたい。
- 子供が欲しいです。
- 大学院をDoctorまで行って世捨て人・・・なんてことは避けたいです。
- ロバート・デニーロのような渋いおっさんになる。
- クラシックギタリストとして9年以内に日本三大コンクール優勝が当面の
目標です。25年後もクラシックギターを弾き続けていることでしょう。プロ、
アマともかくとして。
- アフリカで動物の生態を研究していたいというのが素直な気持ちですが、
小さいころの私のほうがもう少し現実的な夢を持っていた気がします。それな
のにどうしてだんだん現実から遠ざかってしまったのかはなぞです。かといっ
て今からもう少し現実的に考えようって気もしません・・・
- 25年後は見当もつかないけれど、年をとるにつれ時間の流れが速くなって
いるのであっという間に来ると思う。
- 旅行に行くのが好きなので、適度に旅行に行けるような生活ができたらい
いなあと思います。
- Speech Therapistになりたいが、どうにか数学から逃れたい。
- 今と変わらず幸福感、愛する心、信頼する心を失わないで、瞬間瞬間何か
を繊細に感じ取りながら生きたい。肉体の盛衰と精神の盛衰か別ものやからね。
- 将来は、ばりばり働いていたいです。25年後にはそれなりのキャリアをも
っていたいです。会社で働くか、国際機関で働くか、何をしているかはわから
ないけど、せっかくだから何か大きなことをやりたいです。専業主婦にだけは
なりたくない。できれば、途上国の開発に関わる仕事がやりたいです。
- 別になし。
- 言語学者になって言語と脳の関係を研究したいです。(ただし、金持ちには
なれないらしいです。)
- きれいな肌を保ちつつ、かっこよく働く。生活につかれて仕事のみも嫌だ
し、専業主婦にもなりたくないです。
- 人を愛し、人に愛され、音楽を楽しみ、笑っている自分でいたい。当面の
夢は、ICUタイワークキャンプに参加すること。
- 「やりたいコト」のある人間でいたい。具体的なヴィジョンは何もないけ
れど、これからの一つ一つに何一つ無駄はないのだし、それらをちゃんと吸収
していられればいい。教養の数学もその一つ。まだまだ不確かだけれど・・・。
授業が終わって、先生くらいの年令になった時は理解できているかな?
- 3人目の子育てにおわれつつ(子供の運動会にいったりして)仕事をバリバ
リやっているパワフルママでいたいです。
- 根底に流れるものが不幸な感覚ではなく、幸福感絵あるような人生を送り
たい。
- 頼もしくて優しい夫とかわいい双子の子供とともに翻訳の仕事をしながら
幸せに暮らす。
- がんばり屋さん。
- 年をとったらギリシアに住む。その少し前は小料理屋(なごみ系)の女将
さん、その少し前は火星の大統領、その少し前はボランティアをする、その少
し前は吉祥寺に住む。
- 教師と限定しているわけではないのですが、教えることをしたいと思いま
す。物理の原子などに興味を持っているのですが、式などがいきなりでてくる
物理の前に数学をやりたいと思って勉強しています。物理と数学をつなげるテ
クニック的数学はあまり好きではないですが、できるとうれしいですね。BCMM
I や、線形などの数学も好きです。
- 将来の夢はまだ決まっていません。25年後の45才になった私は、全く見当
もつきません。今と同じような様子で過ごしているようにも思います。
- 教育を受けることってとても楽しい+重要であると私は19年間を経て思っ
ているので、“勉強したい”と思っている人がみんな勉強できる世の中になれば
いいなと思っています。例えば知識が少なければ、判断を充分にすることは難
しいです。フィリピンのエストラダ大統領が実質にも関わらず民衆に支持され
るのは、彼の映画スター時代のイメージだけで国民が彼をヒーローととらえて
いるからだとフィリピンの友達が言っていました。いったい何が自分達に本当
の利益を与え、何が自分達を搾取するのか、また搾取されるのは何がいけない
のかを考えるには知識が必要です。
- 家庭を築き、子供と犬と猫と暮らす。できたら仕事する。でも趣味に生き
るのもあこがれる。
- 好きな時にぷらっと旅に出られるくらいのお金と時間と心の余裕を持って
いたいと思います。
- 成田空港に勤めるという夢がある。仕事の内容は後付け。まだ考え中。
- 25年後、闘病生活(家系が糖尿病)
- テレビ番組を作る仕事か、CMを作る仕事につきたい。
- 何かをつくりだす人になっていたい。何でもいいから。あと自由気ままで
ありたい。(大学生活が終わったらそんなことをいってられないかもしれないけ
ど・・・)25年後は想像できない。世界が変わりすぎているかもしれないから。
- 人生の目標:死ぬ時に「幸せだった(もしくはHappyだ)」と思えること。
将来の夢:かわいいおばあちゃん。こたつとみかんが似合う。25年後の自分:
50才前後で、いいおばあちゃんになっていること。(突然言われてもこれぐらい
のことしか書けません!)
- 将来の夢:海外で活躍し、アメリカに移住。目標:帰国子女にまけないく
らいの英語力をつける。25年後:(43歳)アメリカ在住。仕事をしつつ、夫も
いて、二児の母。
- 25年後、44才なのですが、若作りをしないで、けれどフケてはいないよう
な人?になっていたいです。楽しそうな仕事ができていたらいいと思うけれど、
結婚しているかどうかわからないです。10年後ぐらいなら予想できるけれど、
25年だともうわからない。
- 想像もつかないけれど幸せでいたいです。
- スペイン語を活かした仕事。
- 43才、海外で働いていたい。結婚して夫は日本にいる。
- 死ぬ前に宇宙旅行をしてみたい。
- 記録か記憶に残る人間になっていたい。
- 自分が何かの世界に入って、何かをするには最低10年といわれているから、
一つの世界でがんばっているかもしれないし、別の世界に入っているかも知れ
ないが、自分の納得できるものに挑戦、もしくは実行できるような世界にいた
い。
- 25年後、44歳。主婦になっていると思う。おばさんくさいおばさんにはな
りたくない。
- 将来の夢は、きちんと仕事をもって、生き生きと生活すること。オースト
ラリアでトライアスロンをやる。
- 44才、主婦をしつつ、自分のやりたいことも趣味として楽しんでいたい。
- 英語をペラペラにしゃべれるひとになる。退屈でない日々を送っていたい
な、と、エキサイティングな日々か退屈な日々かは分からないけど。
- 自分の目標を見失わず、幅広い視野を持って世の中に貢献していたいです。
- 剣道が好きなので、いくつになっても剣道は続けていきたい。
- 目標は死ぬ前に「悔いのない生き方をしてよかった、幸せな人生だったな
あ」と思えるような人生を送りたい。25年後は仕事を楽しんでこなせる人間に
なりたい。
- 25年後、44才。全く想像がつきません。
- 25年後、健康であること。結婚しているとなお良い。
- 将来の夢は、自立して好きなように生きることです。30代くらいにもう一
度大学で勉強してみたいです。海外に出て、さまざまな経験をして自分を成長
させたいです。
- とりあえず、今の自分の目標であるアパレル関係に就職し、様々な人々と
出会う。25年後、40代半ばには、かっこ良いおばあちゃんになりたい。
- 将来の夢:うーん、「働きたくない」だけど、かなり難しそうですね・・・。
ひたすら眠っている、非生産的な生活をしたいのですが・・・。そうですね、
言語学系統の仕事をしたいです。25年後:私の母親くらいの年ですね(笑)全
く想像がつきません。きっと母親みたいな人になっているのでしょう。顔も似
てるし。
- おそらく、死んでますね。「イイ奴は早く死ぬ」と、相場が決まっています
し。・・・憎まれっ子世にはばかるとも言いましたネ。
- 満員電車で通勤する日々。
- (目標)25年後、バリバリのキャリアウーマンとしての自分と家庭の両
立!!開発学!!発展途上国への援助に関わりたいのです。ムズカシソーです
が。44才になれば、子育ても落ち着くと思うので、再び社会に出て働きたいな
ー、なんて思ってます。44才まで独身の可能性もあるので、その時はバリバリ
のキャリアウーマンとして、趣味を楽しみつつenjoyします。
- 言語学を極める。いろんな国に行ってみたい。
- 上の問題をラクラクとけるようになりたい。
- 将来は映画の字幕翻訳か、テレビ関連の仕事がしたい。でもまだはっきり
目標がきまっていない。25年後は44才だから、今の私の母ぐらいの年齢になる。
それを思うとあまり25年後を考えたくはない。できれば母のように専業主婦に
はならずに、ずっと仕事を続けていたい。
- 将来の夢、旅人、目標、グル、25年後の自分、チベットで修行
- どこかの大学で英語を教えつつ、自分の研究に取り組んでいるか、路頭に
迷っている。
- 今からは想像もつかないような自分になりたい。
- 平凡でも、幸せであれば問題ありません。
- 自分を表現できる仕事に就きたい(作家など)。少なくともしっかりした根
拠のある意見を冷静に述べられるようになりたい。何らかの形で国際平和にも
役立ちたい。25年たっても自分の基礎的な考え方は変わっていなさそうだ。
- 絶対幸せになる。子供と一緒にピアノをする。
- 心に余裕のある生活をしたいです。天気の良い休日に写真を取りに出かけ
るような。
- 今自分が何気なく作り出せる笑顔を25年後にもできるようでいろ!!
- 将来の夢は楽しく自分のやりたいことをめいっぱいやっていること。目標
は最低でも数学の基礎はしっかりできて卒業したい。
- 照明のスペシャリストになりたい。そして、照明を使った照明が主役のすばらしいショーを創る。いつも何かを創っていたい。25年後、私は43才、そろそろジャズバーかおもちゃ屋さんの準備を始めている頃でしょう。もちろん、
隣には愛するダンナさんも。
- 44歳の誕生日を前にバツ2の危険。
- 将来の夢は正直まだ分かりません。目標としては自分のやりたい方をやり
ながら結婚をして家庭を築きたいです。25年後の自分・・・43歳ですね。まだ
そういう自分を想像したくないのです。
- 大人になっても自分の好きな音楽や絵を楽しんでいたい。周りの流れにの
まれちゃってつまんない大人にはなりたくない。
- マンデラ元大統領みたいな人になっているといいです。
- 頭をつかっていたい。
- 作家になりたいと言いたいところですが、25年後には、違う形態の本とか
あると思うので、なんとも言えません。
- 全く違う人格の人間として生きてみたい。
学生へのメッセージ
- 1998年のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- 具体的な「夢」を書いてくれた人が非常に少なかったのは、ちょっと驚きました。(もちろん、そうでない方もたくさんおられましたが。) その傾向が強くなって来ているとは、最近思っていましたが。二つのことを考えました。
- 私が若かった頃は、「こう言うことをしたい」「こうなりたい」と言う夢を一人一人が抱いていたような気がします。生活が苦しかったから、生きていくこと自体がそれなりに大変だったからでしょうか。現実のこのような生活ではなく、この夢のような生活を目指して、と考えたのかも知れません。世の中も変わって来て「Do」よりも 「Be」が大切だというようなことも言われるようになりました。何をしたか、何をしているかが、大切なのではなく、どのようにあるかが大切だという考え方です。それは、その通りだと思います。その意味で、皆さんが、「こんなことをしたい」ではなく、「仕事や、やっていることが何であれ、かくかくしかじかな状態であればそれでよい」といえるのは、それだけ「夢」が高度になって来ている結果なのかも知れませんね。
- 前回のメッセージ欄とも繋がるのですが、あまり、将来のことを考えていないのではないか。将来のことを考えて、今を生きていないのではないか、とも感じました。どうでしょう。前回のメッセージは、「自分がどこから来たかを考えて生きていますか」という問いでした。今回のメッセージは、「自分がどこにいこうとして今を生きていますか」という問いです。前回の問いの最初に書いたのは、「今」に全てが凝縮してしまい、この両方の問いを考えてはいない、生き方に反映してはいないのではないか。ということでした。もちろん、このように問うこと自体が、古典的な人生観、職業観に裏打ちされた古い考え方なのかも知れません。私の若い頃は、「Beruf」「Calling」「Vocation」ということばを仕事をかさねあわせて考え、仕事と、人生を考えました。
- 私のこのような考えに対する反論も色々あるでしょうね。チャンスをみて皆と話す機会があればいいなと思っています。わたしが、何を考えて、青春時代を、そして、若い頃を、今を生き、生きて来たかをお話するときもあるかと思います。ここでは、ある人がいった言葉を記すにとどめます。「人は、夢のかずと同じぐらい子どもが欲しいものだ。」たしかに、私は、5人の子ども達に、私とは違った、わたしが生きることができなかった人生を「夢」と一緒に生きて欲しいと思っているような気がします。
- 反論、意見などメールで送って下さる方は、「掲載可」かどうかも書いて下さい。私が「古典的人生観」といっているものは明確ではありませんが、自分でも皆さんの意見をもとにもう一度考えてみたいと思っています。
QUIZ4 : あなたの「大人」と「子供」の定義を述べ、そのもとで自分が大人か子供かを判定せよ。その他なんでもどうぞ。
- どんなに年老いても初めて体験することに対しては
好奇心を持ったりあるいは狼狽したりするのではないでしょうか。
幼児から思春期を経て成人するまでは初めて経験することばかりで
経験和の微分係数は非常に高く、成人した後は個人差があるものの
乳幼児の微分係数と比較してほぼ同じと思ってよいのではないでしょうか。
n年生きた人にとって次の一年が1/n年に感じられるように
だんだん密度の薄い人生を送ることになるのでしょうね。
大人と子供の定義はどう答えても一般性を失うような気がするので
避けることにして、自分が大人か子供かということについては
数学に関しては赤子同然だと思いますが、その他の面では
大人と呼ばれてもいいのではないかと思います。(外見は除く)
- 単純に、社会に出て自分でガンバリだしたら大人なのかな。自分はもう大人になってるはずだけどな・・・
- 大人:やるべきことをちゃんとやる。子供:やるべきことをちゃんとやらず、できないと「むずかしい」とか「いそがしい」とかいう。わたしは子供。
- 大人:自分が大人だと考えている人。子ども:自分が子供だと考えている人。私は子供・・・でしょうか。
- とりあえず経済的に親に負担えおかけている間は「子供」だと思う。経済的に自立すれば、全て自分の責任で動けるわけだから。「大人」と言えると思う。この意味で、残念ながら自分はまだ子供。
- 大人:尊敬できる(される)ところがある。子供:されない。徹夜明けのいい頭の体操ですね。難しい。
- 大人:「あきらめる」事を知り、世の中にはどうがんばってもできないコトもあるんだと分
かって、ある種冷めてしまう状態。子供:自分の辞書に不可能という文字がない時代。私は・・・
大人になってしまったけど大人になりたくないとあがいている状態。しかし戻れない・・・。
- 大人:言動と行動に責任を持てる。子供:言動と行動に責任を持てない。ゆえに私は大人で
ある。だが、他人も私をそのように見ているかは未解答である。
- 自分の欲望を周囲との兼ね合いを考えて抑制できるのが大人。できないのが子供。大学生に
なっても「子供」な人が最近増えたと思う。私も大概わがままなほうだが、3年前の私も今年の
04ほどじゃなかったと・・・。
- 「大人」とは自分を知っている人である。「子供」とは無知を許される人である。私は子供
では既になく、大人にならんと努力する人である。
- 精神的に自立しているかどうか。僕はまだ大人と子供との間をさまよっています。
- 子ども:欲求に対して、社会規範、道徳、常識からの圧力が少ない。大人:社会で生きるた
め、社会規範、道徳、常識からの圧力が大きく、抑えぎみ。私は中間。
- 周りに自分がどう思われているのかわからないのが子供、わかるのが大人。大人だろうけど
たまに子供になりたい。
- 大人:自分で自分の生活をまかなっていける人。精神面でも自立している人。小人:そうで
ない人。私は小人です・・・先生はどうお思いですか?
- 大人:自分がどういった人間でありたいかという理想像を構築し、常に自己分析の上、今の
自分の状態と照らし合わせ、目先の欲望よりも成長に向かう行動を選択できる、欲望をコントロ
ールできる人。
- いつもこのMessage欄って書く時間がないのでさみしいです・・・。
- 自分を客観的に見られる人が大人、だと思う。子供はその逆で、自分を客観的に見られない
から、常に自分が正しいと思い込んでいる。私はほとんど「子供」だけど、ちょっと「大人」の
部分もあって、そんな子供な自分を「客観的」に見て、総体としての「私」を自分嫌いたらしめ
ている。
- 大人は自分で生計を立てている人だと思います。なので、私はまだ子供だと思います。
- 日本で成人は20歳からで、社会的に「大人」なんで言われますが、果たしてどうかとお思
っていました。私は「大人」なのは自分よりも、自分の命よりも大切なものを持って、長いスパ
ンで物事をとらえ、考えることができる人、「子供」なのは「大人」よりも視野や世界が限られ、
絶対的なものがつかめていない、今を中心に生きている人。私はまだ「子供」ですが、「大人」
な面も持っていますし、なろうとしています。他にも定義の仕方はあるんですけど・・・難しい
ですね。
- 「大人」と「子供」の定義、というか違いは抑制力の有無のような気がする。私にはないも
のであるから、まだまだ子供だな、と思う。
- 大人は好奇心を失った人、子供は好奇心を失っていない人です。ボクは子供で、大人になら
ないよう気をつけています。
- 社会的責任を果たせるかどうか。自分はまだ子供。
- 責任能力の差。自分は全てにおいては責任を取れないので、まだまだかも。
- 子供:実は意外に大人、大人:実は意外に子供、あまり定義になっていないが、これでいう
と私は大人。
- 社会的責任をともなう20歳からは大人であると思います。ただ、精神的な「大人」とは、
自分を確立している人で、その点ではまだ「子ども」のような気がします。
- 大人;さりげなく他人に対して気を使える人。子供:さりげなく他人に対して気を使えない
人。その意味で私はまだまだ子供です。大人になれるようにしたいものです。
- Until recently, I considered myself as being half child and half adult.
Though I would like to always keep the child in me. I am becoming more and
more an adult. Not because I want to, but because surroundings except it from
me.
- 客観的に自分やものごとを見ることができる。6割大人だと思います。
- 考えうるもっともらしい定義は数あるだろうが、たいてい納得いかない。だから、大人=20
才以上、子供=20才未満でよい。よって私は大人だ。
- 大人:自分のしたことに対し責任のもてる人、子供:そうでない人。私は後者です。
- 大人:現実を見ている人、子供:夢を見ている人、僕=子供:いつでも夢を見ていたいから。
- 自分のしたことに自分で責任をとれるかどうかだと思います。私は、がんばってはいるけれ
ど、まだまだ親やその他のまわりに人に甘えてしまっているので、子供かな。だけど、責任をと
らなくてはいけない年齢なので、その意味では大人かも。私は人に思いっきり頼ったりするのは
よいことだと思います。でも、頼ると甘えるは違うので、そこを履き違えない大人になりたいで
す。使い分けていたりするとも思います。例えば、バイトをしている社会の中では大人だけど、
学校という社会の中では子供。授業さぼったりするし。
- 大人:自分をよく知っている人。子供:その反対。
- 物事を考え、受け止めることのできる価値基準がはっきりしたら大人。まだまだ成長中。
- 大人とは、やはり自分で働いて生活できていることが前提だと思います。また、責任を感じ
ながら、やりたいことのできる人ではないでしょうか。最近はいつも何ごとも半端な私はまだま
だ子供です・・・。それだけが大人ではないですが。
- 大人とか子供とかにちなんで言わせてもらうと、今日10月10日は私の誕生日で、やっと
成人というわけです。今まではこの日は体育の日で常に休み、朝の早起きや教室のイス、紙、ペ
ンとも離れて楽しい日々だったのですが、今年からはそうとは限らない。今日はなんと、数学の
小テストがあるではないか!最高のプレゼントをどーもありがとー。
- 今そのことをよく考えています。でも大人はきっと最終的責任がほとんど全て自己に還元さ
れる存在で、子供はやはり誰が責任をもってくれる存在なのではないでしょうか。
- いろいろ考えることはあるのですが、書く時間がありません。
- 大人:自分のことだけではなく周囲の人、ものにも気を配ることのできる人。子供:自分の
世界がすべての人。私は時に子供、時に大人の中間人(ずるい立場かもしれない)
- 「大人」と「子供」は結局年齢で定義するしかないと思う。親にとっては、子供は永遠に子
供であるわけだし、年齢以外にはっきりと定義する方法はないのではないのだうか。私はまだ
19歳なので子供です。
- 大人:すれてる 子供:バカ 自分:大人
- 大人:経済的にも精神的にも親に頼らず、自分で責任を持つことができる。子供:よくわか
りません。自分:まだ全然大人ではない。
- 心が大きい人が大人。自分の心は中くらい。
- 大人は「慣れていく、あきらめていく、納得する、正当化する、守る」、子供は「思うがま
ま、人間らしく、守られていく」、私は子供になりたがっているちょっぴり大人。
- 大人は自分の行動に責任の持てる人。あまり年齢は関係ないと思うけれど、自分の行動に責
任が持てるというのは自分で稼いでいるということもふくまれると思うから、あまりに小さい子
が「大人」にはなれないと思う。だから私はまだ「子供」です。
- 税金を払っている人は大人だろうか。
- 「大人」とは私には良いことと悪いことの区別ができたり、他人のことを考えることができ
る人のことを言うと思う。自分はというと、・・・「大人」のときも、また「子供」のときもある。
- 自分の生活を自分が快適であるように(社会的な視点からも)自身でOrganizeできるのが
「大人」、できないのが「子供」。私は経済的に生活をたてていけないし、Organizedな生活をし
てみようと努力している最中(部屋を快適に住めるように掃除や整理したり、よく練られたDaily
Scheduleをたてたり)なので、まだ「子供」です。
- 大人:子供に(童心)に戻りたがる。子供:背伸びをしたがる。私は子供である。
- 自分の行動に責任を持てるのが大人、そうでないのが子供。僕はまだ親に頼っている部分が
多いので子供である。
- はっきりいって自分の意識の中でしか定義できないし、その価値の正当性を他人に押し付け
ることはできない。よって自分としては、まだ子供であると思うので子供。
- 時間がなくて書けませんでした。
- 私は・・・感情のコントロールができない、冷静な判断ができない、よって子供。大人:ど
っちがいいとはいわないけど、物事をふかく考えていて、その場にあった対応の仕方ができる人。
- 大人:夢を実現する能力と引き換えに、夢そのものを失った人、子供:実現できない夢を持
っている人。
- 自分より感情的に優れていると感じる人は大人。幼いと感じたら子供。自分中心にものごと
を考えるので、自分のことは判断できません。でも最近、包容力のある人を知り、自分の幼さを
感じました。
- 大人:自分の行動に責任を持っている人、子供:親に頼っている人、私はまだ子供だと思い
ます。
- 「子供」は自分のことで精一杯。「大人」はもっと広く世の中を見て考えられる。自分はま
だその中間点だと思います。
- 経済的、精神的に自立していること。私自身は、ほど遠いのでまだ子供。
- 子供:無知であるがために自由である人々。大人:知とひきかえに自由を失った人。
- 大人:自立して生活できる人、自分の行動の全てに責任をもてる人。子供:まだ自立できな
い人、まだ自分の行動の全てに責任をもてない人。親に頼って生活しているから、まだ自分は子
供です。
- 大人:世話をやくひと。子供:世話をやかれる人。法的に言うなら「20歳以上か未満か」
で簡単にわけられるけど、それではあまりしっくりこないので、精神的にとらえることができる
のなら、これは相対的なものだと思うので、以上のようにしてみました。自分は・・・相手によ
って大人にも子供にもなるので一概には言えません。
- 子供:大人でないもの。大人:子供でないもの。よって、自分は自分でしかないのです。
- 自分の失敗を自分自身で補えるような人が大人。私はまだ子供です
- 「大人」は18才以上、「子供」は18才未満。高校生まではどうしても「子供」のイメー
ジがあるので。こう考えると、私は「大人」の部類に入るのですが、親は成人するまでは「子供」
だと考えているので、門限など、様々な事を私に言います。今はとてもわずらわしく感じられま
すが、言われなくなったら、逆に寂しくなるのか、それとも、「ヤッター自由だ!!」って有頂
天になるのか、今の私にはまだ分かりません。両方という可能性が高いかもしれませんね。
- 子供:まわりの人に援助してもらって生活している。大人:自分で生活できる。自分は子供。
- 大人は自立して物事をなんでも解決していける人。私は子供だ。それができないからだ。鳩
の巣原理は役に立たないと思います。
- 大人:自分の価値観をしっかりもっている。その価値観は独特ではあっても、倫理性のある
もの。判断できる。子供:純粋。ふとした瞬間にどきっとさせられる。自分がどちらともいいき
れない。
- 「大人」は自分で生産活動をして金をかせげる人。「子供」はそれができない人。と私は思
う。なので私はあきらかに子供であると考える。
- 私は、大人と子供の思考や判断力にはそれほど差がないと考えている。差があるとすれば、
それはそのような能力に直接生きてくる経験のあるなしなのではないか。そういう意味では私は
まだ子供であると思う。しかし、世間全体を見るとこの定義だと子供の方がずっと多いような気
もする。
- 「大人」は人のせいにしない人、「子供」は人をうらやましがる人。自分はまだ子供です。
- 自分が大人と考えている人との相違よりも、自分が子供と考えている人との相違よりも少な
くなったときが子供と大人の違いと定義。自分はモラトリアム人間!?
- 大人[おとな]名詞 自分の行動に責任を持ち、また周囲に対しても責任を持ちながら行動
できる人間。本音と建前を使い分けられることも大切。
子供[こども]名詞 本能のおもむくままに行動しても許される存在。=親(大人)の保護のも
とにある。が、それはまた、親(大人)にその行動を制限されることも意味する。
松本有希子[まつもとゆきこ]大人になりゆく子供。年令的にもそろそろ大人として扱われる頃
だが、まだ学生のための親の庇護のもとにある。だから、あまり突飛すぎることはヌキとして、
何をしても許される、また、制限されないというなんとも喜ばしい身分を利用して、日々楽しく
生活しているのである。 広辞苑第17版ミレニアムエディション 106頁より抜粋
- 「大人」とは、ちゃんと手に職がある人のことを言うと私は思います。「子供」は、その大
人からお金を出してもらっている。よって、私はまだ「子供」であると思います。
- 子供から大人になる時なんて誰が決めるのだろうか。「あなたはもう大人なんだから・・・」
zが、時によって「まだ子供なんだから・・・」に変わるいい加減さ、大人らしい、子供らしい、
誰かが決める様名ことではないと思う。
- 大人とはコーヒーが飲める人です。
- 大人は大人でいろいろして、頭のかたい人見ててやになる。知識がたくさんあって柔軟な考
え方ができる人に魅力を感じる。子供の発想は楽しい。でもたまにうるさい。自分は大人になり
かかっていると思う。知識があんまりないのに・・・。
- 子供:自分の好きなことしかしない人。大人:自分の嫌いなこともできる人。
学生へのメッセージ
- 「定義」は、手元の国語辞典には、「一つの概念の内容をはっきり決めること」とありました。数学では、数学の対象物、言葉を厳密に定義することから始めます。仲間内で、特に「ことばはいらないよ」というような場合はべつとして(こんなことがあるのかどうかわたしにはわかりませんが)、定義された言葉を使って議論することは、学問だけでなく、特に国際社会(背景が様々に異なるひとたちのあつまるところ)で何かについてはなすとき、とても大事なことだと思います。そのような意味で定義を考えるとき、幾つか大切なことがあると思います。これは、今回のメッセージとは直接関係ありませんが私見を少しだけ書いておきます。数学ととても関係していますので。
- 客観性があること。「何でも定義だからよいのだ」とも言えますが、上記の目的を考えると、大切なことです。
- 定義されていない言葉、または、広く受け入れられていない言葉を使うときはそれも定義しないといけない。数学は、これを厳密にしますが、数学以外では、厳密には難しいでしょう。しかし、ある概念を定義するとき、この重要性の認識がなければ、定義はできません。
- 一方を定義し、他方をそれ以外と定義するときは、それら両方を含んでいるおおもとを定義しておかないといけません。例えば、今回の例で言うと、「子供」を定義し、「大人」をそれ以外と定義するときは、両方を含む「人間」をまず定義しないといけませんよね。
- 「大人」「子供」について出しているのはそれを考える一番大切な時に皆さんがおられると思うからです。今しか本質的にはできないことだと思います。その意味でも、皆さんの考えを聞くことのできる「おじさん」はしあわせですね。
- 一般的には「大人」は、成長した人間、「子供」は、成長過程にある未熟な存在でしょう。ということは、「人間」とは何かと言う問題と深く関わっています。「大人」を「一人前の人間」とするのは、一般的解釈だと思います。
- 「経済的独立性」を書いたかたが多かったですね。そのことを学生という身分で考えることは非常に普通ですし、まじめな考えだと思います。しかし、「一人前の人間」という見方で見ると、人間にとって経済的な活動は重要な部分ですが、それは、ほんの一部に過ぎないとわたしは思っています。もっと色々な面を考えてもらいたいですね。
- 「子供」と「大人」をどちらが良いという価値観を背景に定義しているかたが多かったですが、私は、それぞれが違う存在として、価値のあるものだと思っています。大人も、子供も、それぞれを価値のある貴い人間として、それぞれを尊重できたらと思っています。もちろん、成長期にあり、ある部分未熟な存在である、子供に、ある経験から教えたり、注意を払ったり、見守ったりという大切なことが「大人」の重要な仕事ですから、単に大人も、子供も同等な一人の人間という視点しか持たないのは、とても危険ですが。
- ある韓国の方に、最近の日本の若者は、年寄りを大切にしませんね。といわれました。「子供」「大人」の問題とは離れますが、QUIZ 2 の問題も思い出され、色々と考えてしまいました。自分自身の存在を見つめること、忙しいからといってないがしろにしては、人間ではなくなってしまうのではないかと危惧します。
- 皆さんのご意見、歓迎します。
QUIZ5 : 結婚について、家庭について、子供について。等々、何でもどうぞ。
- 親を見ていると自分は一生無理ではないかと考えてしまいます。
- 子供の育児日記、発話データなどをつけて、大きくなったら見せたい。早
く子供が欲しい。それに先立つ相手がいないけど(笑)
- 結婚は、他人同士が家族になる、という一大作業。セクメや部の先輩が結
婚するというので、ICUチャペルでの式に出たが、「重たいなぁ」と思うばか
りだった。愛はあるものではなく、生まれるものでもなく、作って維持してい
かなくてはいけないもので、大変なんだなぁ、と。子供ができて、一つのまと
まりになる時に、この二人の絆がより重要になるんだなぁ、たまには子供がそ
れを強めたりするんだなぁ、とブツブツ思った。自分のことで精一杯で、人の
ことなんて構っていられない、と今は思うのです。でも、それができるときに、
なおさら自分の心に余裕が生まれて、他の周囲の人々にも分かち合えるように
なるのかな、とぼんやり考えています。
- 結婚はしても3年は子供をつくらないでおこう。
- 結婚・・・したことないのでよくわからない。家庭・・・私自身の家族(父、
母、すでに結婚した妹)の家庭経験からすると、それほど悪いものではないと
思う。子供・・・自分自身の子供経験からすると、子供本人は実に気楽でいい
ものだが、親の心を推測すると、かなりハラハラドキドキ疲れるものだろう。
- まだまだ先そうです。
- 友人が次々に結婚していくのでうらやましいです(笑)。私も早く結婚し
たいです。でも学生だし、ムリだ・・・。あと、夫婦別姓は反対。子供がかわ
いそうだから。子供はかわいいけど、いろいろ考えると恐ろしい。9才下の妹
がいるから、ある程度想像がつくので・・・。(子育ての大切さとか)
- 「幸せ」であれば全ては成功の方程式です。
- 結婚はしたいなぁと思う。老後になって、一人きりというのはちょっと寂
しい。でも私は子供をきちんと育てる自信がないので、子供は欲しくない。子
供のいない家庭は家庭ではないという人もいるけれど、それはどうかと・・・。
- 家庭はやすらぎの空間であってほしい。結婚はそれをつくり出すきっかけ。
子供はかすがい。
- 結婚を「し」なくても、「でき」なくても、子供を「産ま」なくても「産
め」なくても私なりに生きたい。
- パートナーとして理解しあって、助け合って、一緒にいることがとっても
幸せなこと。お互いの責任は大きくなるけど、それがいちばんの条件です。
- 将来は、結婚をし子供を育てて平凡でも幸せな家庭を築きたいです。
- 不思議なものでほんの5年前には結婚したいとも、まして弧度もを持ちた
いなどと思ってもみなかったし、自分がいつか子供をほしがることがあるとも
思っていなかった。今でも子供は好きではないが、自分がいつか自分の子供を
育てたいと思っている。今はまだ自分が誰かの親になるという自信はないし、
非常に不安に思ってもいるが。
- 核家族化が進んでいる。
- 良い家庭ってなんだ?愛を育む、結婚、家庭は目標にするまでもなく、人
類のさだめ。子供だって育てなきゃ。それがNature。
- 結婚・・・まだピンとこない言葉だが、若さなら勢いで、年をとる分、現
実的に考えていくものですかね。家庭・・・一番の教育の場。子供・・・まだ
様々な社会的立場が弱い者。精神面も含まれる。
- 3人姉妹で育った私としては、やはり子供は2人以上欲しいです。
- 結婚も家庭も子供も、どれも自分の夢をかなえるためには、さまたげにな
るものかもしれない。でも一人じゃ淋しい気もする。
- 今はどれについてもかなり自由になってきているので、しなきゃいけない
とか、持つべきだという義務感が、うすれていっているように思います。私自
身も、子供は欲しいですが、結婚を絶対したいとは思っていません。
- 自分の家庭環境を客観的に見るとということをした人は、ICUの中では少
ないと思います。しかしそういうことをしなければ前に進めない人がいること
を頭の中にとどめておいてほしいです。
- まあ幸せに暮らしたいですね。なごめる場となりますように。
- 男の人は、女性ほど結婚や子供について真剣に考えてないように思います。
女性は結婚、出産で人生が大きく変わってしまうのに、男性にとってはそれほ
ど変わらないので、あまり深く考えていないのだと思います。男女の差別がな
くなってきたとはいっても、やはり結婚して姓をかえるのは女性の方が多いわ
けだし、結婚、出産の結果、家事や育児を女性ばかりが負担することが多く、
仕事を続けられなくなったり、たとえ家事を平等に分担しても、出産の時には
肉体的に仕事を続けるのはムリになるし、やはり女性の方に大きなハンディが
あると感じます。
- 「少年犯罪」について考えてしまいます。理由のない犯罪に原因もないと
は思えません。
- 家族以外の人が常に家庭にいる状態を今は想像できないのですが、結婚し
て幸せそうな人を見ていると、いつかは結婚したいなぁとも思います。
- 私は自分の育った家庭は、お互いが尊重されているのですごく好きです。
ただ、両親は、父が働き、母は主に主婦ですが、彼等とちがう世代に育ち、ジ
ェンダーなどに興味を持って勉強している私は、そのような形の家庭を作らな
いような気がします。子育てはぜひしてみたい。
- 結婚はまだまだ実感がわきません。どういう結婚をしたいのか、そもそも
しないのか、わかりません。きっと答えは見つからないまま生きていくのでし
ょう。
- 大学を卒業し、就職して落ち着いたら結婚したいです。だんなとはいつま
でも恋人気分で、かわいい女の子が欲しいです。
- 結婚に妙なあこがれを抱いていますが、現実はそんなに上手くはないと思
います。うちの実家が良い例です。
- 結婚という形をとってもいなくてもすきなひとと一緒にいられればいいと
思う。そこをあえて結婚するきっかけとして、「できちゃった結婚」っていう
のはありだと思う。本当に愛し合っていれば、の話ですが。
- 結婚は人生の墓場だと聞きました。
- 人それぞれ。その人が幸せならそれでいいと思う。
- 結婚すると、やはり家庭できちんと子育てしたいと思うため仕事に不利な
気がします。したいとは思いますけど。
- 子供にいろいろ教えられるような家庭を持てればよいと思います。
- 家族とは不思議な特別な関係だと思う。特に父と母の関係。彼等は絶対に
血はつながり得ない。それでも様々な周囲の状況、互いの感情のみによって
specialな存在と互いになっていく。1年以上つきあっていると思うのだが、段々
と多くのプロセスを経て「大変だ」と思いながらも一緒につくりあげてきた関
係を他の人と再構築するのは面倒だと感じるようになってくる。きっとパート
ナー探し、づくりはエネルギーを消耗するので、よほどマメでタフな人しか浮
気をしていられないのではないか?人は「本当に帰る場所」になりうると思う。
- 結婚は仕事を持ったら1、2年でしたい。家庭は人数は少なくてもいいか
ら明るく楽しいものにしたい。子供は2〜3人ぐらいがいい。、
- 今のところ自分の子供が欲しいとは思いません。結婚はしたいけれど、自
分のやりたい事が制限されるのなら、しなくてもいいかもとも思う。子供がい
らないのも同じ理由です。もちろんそれにかわる喜びなどもあるのでしょうが。
- 結婚願望は特にありません。仮に結婚したとしても、子どもは欲しくあり
ません。何が幸せなのかはわかりませんが、夫や子供の為に自分の時間が犠牲
になるのは嫌だと今は思っています。家族に縛られず、好きな時に好きな事を
したい。社会に出ればまた考えも変わるかもしれませんが・・・。
- まだ遠い先の事のような気がする。自分のことで精一杯だから。
- 結婚はしたいと願っています。
- 結婚は、人と一緒に住むのが嫌なのでしないです。子供生むの痛そうなの
で嫌です。
- 子供は欲しいと思う。
- 未知のもの、人間。
- 結婚は・・・とりあえず今は考えていない。でもやっぱりあばあちゃんは
おじいちゃんがほしいかも。家庭は大切。すごく社会生活においての基本単位
だと思う。家庭ほど個人に影響するものってないかもしれない。(無いなら無
いことが影響する)子供は、今できたら困る。女の人は「子供とその他すべて」
の選択肢を強いられている。「子供が生める」本当は女の人にしかできないす
ばらしいことなのに、そのために男に人からも、社会からも罰せられているよ
うな気がする。
- 結婚:同じ人を半世紀以上も(30で結婚したとしても)愛しつづけるのは、
すごいと思う。恋愛感情が家族愛へと変化するからこそなせる技なのでしょう
か。
- 結婚するのも、子供を産むのも興味があるからしてみたいと思うけれど、
まだ当分先の話だと思うので、具体的にはわかんないです。恋人ができるとま
た考えも変わってくるかもしれないけど、今のところ自分の生活とは遠いもの。
- 階級などにとらわれずに家庭を持つことが全世界の人にできることを望み
ます。
- 将来やりたいことをさまたげない結婚なら、早くしたい。
- 通い婚がいい。
- 自分はいつ結婚するかと問われれば、その答えは結婚したいと思う相手が
見つかり、かつ相手が同意した時となるだろう。が、結婚は何のためにするか
と問われると分からないし、どのような相手となら結婚したいと思うかもわか
らない。ただ、結婚=人生のパートナーを選ぶ行為とすると、それが異性に限
定されているのはもしかするとすごく不便なことかもしれないと思う。
- 自分がより責任を持たなくてはいけないが、その分、自分がやらなければ
という実感がわくので、結婚し、子供もほしい(一度は・・・)。
- 結婚は絶対にしたくない。でも、「空気のような存在」のおくさんにはな
りたくない。結婚後も恋人みたいな夫婦がいい。子供は、2人(双児の男と女)
がいい。
- 結婚もしたいし子供もほしい。でも。子育てをしてる間にいつのまにか50
になってて・・・、というのがこわい。
- 子供は欲しいと思う。どうしてかといわれても理由はよく分かりません。
結婚は「この人」と思う人がいなければしない。あせりを感じてするものでは
絶対ないと思う。
- 早く孫がほしいです。
- 結婚は、簡単なようで考え出すと難しい問題です。自分だけのことではな
いので、解決もなかなか難しい・・・。2人で自然に結婚したいねってなれば
いいと思うのですが、相手からの押しが強くても困ります。はやく結婚してし
まいたいです。
- 早く結婚して家族がもちたい。
- 結婚に対して甘い幻想は抱かない方がいい。
- 何も思い浮かばない。
- 結婚なんてしなくてもいいし、してもいい。結局は僕にとって大した問題
ではありません。
- 最近色々疲れてきた。もうちょっと家族と話した方が良いかも知れない。
私は自宅生である。小さい(小学校1年)弟がいるから、子供はしばらくいら
ないなぁ。
- 結婚はあまりしたくないが、「素晴らしいパートナー」にはめぐり会いた
い。子供もほしい。
- 結婚はしたいと思うけれど、子供はほしくない。ききわけが悪かったり、
わけもわからないまま泣かれたりすると、「どうして私のいうことがわからな
いの!?」とか怒ってしまいそうだから。(私自身はききわけの良い、手のか
からない子だったそうです)かわりにネコがほしいなー、うちの家は転勤族で
動物を飼うことができなかったから。前回私が大人と子供について、「大人」:
世話をやくひと、「子供」:世話をやかれる人、としたことに対して、先生は「こ
れは親のことではないですか?」とおっしゃいましたが、私はそうでないと思
います。例えば何人か友達同士で集まった時でも世話をやいてくれる人とやか
れている人といると思うし、そういう時前者は「大人」で後者が「子供」だと
思います。でももちろんある面では前者、また別の面では後者というような人
がほとんどだと思うので、一概に決めてしまうことはできないですが。
- 結婚・・・既に前時代的制度、家庭・・・学校とは異なる「人間性」を育
む教育の場、子供・・・大人でない
- 安定思考なので、早めに結婚したいとは思っています。昔は一生独身って
思っていましたが、最近は結婚っていいカモって思ってきています。子供大好
きなので、育ててみたいですしー。
- 結婚は日本人としたい。子供は2人ぐらいほしい。
- 恋愛はしたいけど結婚はしたくない。互いの「人を好きになる権利」を束
縛するものであるから。結婚という社会的(外的)圧力によるものではなく、
自発的に選ぶ関係こそ本来あるべき姿のはずだと信じる。それから。私のした
いdedicationalな生き方にも家庭はそぐわない。
- 結婚は現実味がなくて、真剣に考えるときが来ることはあり得ないように
感じるのは私だけでしょうか・・・。
- 昔は20になったら結婚するものだと思っていた!!でも今考えると、ま
だまだとんでもない。自分が結婚できるのかちょっと心配になる。いま19で
す。
- やはり一番信頼できる相手と結婚したい。結婚後も仕事ができたらいいと
思うので相手にはそれを理解してほしいし、それくらいやりがいのある仕事を
見つけたい。家にはあまりこだわらないが、私個人のアイデンティティとして
名字は変えたくない。(でもそれほど深刻な理由もないのでどうなるかはわか
らない)
- 結婚適齢期ってなんだろう?って思う。14才の時に心から大スキな人に出
会っても結婚はカンタンにできないのに、24〜30才くらいのときに出会ったふ
つうにスキの人とならみんな結婚しちゃうと思う。そんなのってなんだか変。
- 一度きりのりこんなきけっこん。
- 私は30才を過ぎてから結婚します。あっ、でも子供は若いうちに欲しい。
これはつまり矛盾です。
- 家庭は持ちたいですね。
- 子供は2人以上がいいです。
- この問題やっていてめちゃめちゃ思いました。日本の数学は計算機使っち
ゃいけないんですね。しばらく自分で計算していなかったのでヘンな間違いし
てないといいんですが・・・。
- 特定の誰というわけではないが、最近とても結婚して子供のいる家庭を作ることに憧れている。夫婦で協力して家庭を築きたいと思うので、家事・育児に協力的な男性と会えるといいのだけれど。子供の発達(誕生そのものも)が、とても神秘的でおもしろいと思うし、可能性に満ちた輝いた目に感動させられることもある。実際育てるとすると、感動ばかりしていられないのだろうけれど、自分の手で育ててみたいとわくわくする。でも、その前に自分がもう少し成長する必要があるとも思うので、今すぐは、恐い気がする。「生んだら性格が母親になるわよ。」と母が言っていたのだけれど。(女は弱し、されど母は強し・・・とも言っていた。)
学生へのメッセージ
- 1998年のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。わたしからのメッセージも。
- 1998年度の部分にも基本的なことは、書きましたが、2年前の時よりさらに、結婚について考えていない方が増えているような気がしました。人生にとってとても大切な事だと思いますが、どうでしょうか。大切なことについてあまり考えていない、それも近い将来の可能性が皆さんにはあると思いますが、それでも考えないというのは、そのときどうにかなる、別に考えておく必要なないことなのでしょうか。
- 「結婚」の定義にもよるかも知れませんが、皆さんのご両親の結婚なしに、皆さんの存在はないのではないでしょうか。その又ご両親達の結婚なしには。ずっと大切なこと、人生にとって非常に大切な部分が、ちょっとした物の考え方の変化や、社会の変化で、価値がなくなるものなのでしょうか。十分考えて、人間として責任をもって結婚について否定的になっているのでしょうか。もちろん、「結婚しないこと」は人生において一つの選択です。それを否定するつもりは毛頭ありません。しかし、そんなに簡単に選択できるものだとは私には到底思えません。
- 「めんどう」「わずらわしい」「自由が制限される」なども感ぜられました。それで社会における関わりの中で、様々な問題に立ち向かうことができるのでしょうか。一人の異性との生活、そして、家庭の様々な問題を避けて、解決できる問題もあるのですかね。
- わがやを考えると問題ばかりです。夫婦が、家族が崩壊しそうな中でしかし、私は、とても大切な問題、避けて通れない問題だと思っています。それは、私が命を持って生き生きと生きられるかに直接的に関わる問題だと思うからです。
- いつもは、様々ないき方を許容する書き方をしていますが、このトピックに関しては、なにかつい強くなってしまいますね。時代の流れにさおさしたいのが私の性格だからかも知れませんね。あまり強く書かないで、皆さんに考えて頂くことが良いのでしょう。このへんで止めておきます。
QUIZ6 : 最近感激した本・映画・芸術・人・言葉など。解説も加えて下さい。
- 「真夏の夜の夢」という学生公演。演出も、演技もすごかった。
- 映画「Truman Show」、テレビの主人公としての人生を24時間流して、その主人公の奴はテレビに写っていると知らされなかったらどうなるという話。現実に出てきそうな話。
- 月。何故かわからないけど、月を見ていると胸がいっぱいになる。
- 立ち読みしていた雑誌に、誰だか忘れたが「素敵な人に出会える環境をつくっていくこと、その中で自分も素敵になっていくこと」が大切だとあった。環境はあるものだったり、与えられたりするものではなく、自分で作っていくものなのだ、とカツを入れられた。
- How small a thought it takes to fill a whole life
- 本:光瀬龍「100億の昼、1000億の夢」今年亡くなりました。SFです。相当古いです。このことを漫画化した萩尾望都の同名作品もいいです。
人:金大中、やっぱりすごいと思う。
言葉:マイナスの感動という意味で、政治家の言葉が軽すぎる。
- 映画「グリーンマイル」死刑囚の人たちを描いた映画です。
- 映画「パッチアダムス」とその原作本「パッチアダムスと夢の病院」医療現場の問題に興味があったので観ました。奥の深い言葉がたくさん出てきます。
- バーン・ジョーンズ(だっけ?)の絵で「Golden Stairs」とか、精緻な絵を見ると「この人根性あるなー」と思います。言葉はいろいろあるんですがパソコンにメモしてしまうと忘れてしまいます。自分の記憶の拡張としては便利だけどパソコンがないとどうにもこうにも。
- 本:Richard Bach の "ONE"
映画:Il postivo, ガイヤ・シンフォニー I ・II・III
芸術:Rene Magrite, Georgia O'keefe
人:Richard Branson (ヴァージングループ会長)
言葉:直指人心
- 昨日、DVDで映画「アンドリューNOR114」を観た。せっかくDVDプレイヤーを購入したのだから、サラウンドスピーカーの威力も試してみたいし・・・と思っていたら、話に入り込んで音響どころじゃなかった。アンドロイドに人権は認められるのか?人間とアンドロイドの違いは?と考えさせられる所もあり。ラブストーリーとしても楽しめます。泣けた。
- オリンピックの高橋尚子選手が言っていた「私は中・高校時代は無名だったけど、ずっと思いつづければ夢は必ずかなう」という言葉です。彼女の努力は並大抵ではなかっと思います。希望が与えられました。
- 映画:「サイダーハウスルール」少し前ですが、良かったです。孤児院みたいなところで育った人が自分にできることを見つけるみたいな話。それに従う人のために作られていないルールなんて意味がないというような話かな?
テレビ:プロジェクトX(NHK)何かの転換期に勇気があったり信念を持って事にあたった人たちのお話。だまっていると表に出てこないこと、出ようとしない人達を伝えてくれるNHKはすばらしい。日本人のよさを見失わないようにしようと思った。
- 映画「マルコヴィッチの穴」
- 映画:「ライフイズビューティフル」おどけた性格の男性が、その態度やユーモアをどんな状況でも保っている所に感動した。ふざけた人だと最初は冷めて見ていたが、それを徹しきる所に強さを感じた。
芸術:ICUのモダンダンス、身体で表現する美というもの自体、そしてそうして何かを表現しようとする学生に感動した。
- うーん、高橋尚子の走りかなぁ、ありきたりだけど・・・。
- 「深い河」を最近読み直しましたが、新たな発見が多くてびっくりしました。またテーマの重さというものに大きく心を揺さぶられました。
- 吉川英治著「宮本武蔵」武蔵を英雄視せず、一人の人間として描いている様は素晴らしい。人間描写の視点からその人間性を十二分に描いている。正に、読まないと人生を損している小説と言える。
- 本「ハリーポッターと賢者の石」
- 「自分は全てができるわけじゃない。だけれども何もできないわけじゃない」なんかほっとするような言葉だと思います。
- 映画で「リアリティ・バイツ」大学を卒業してからの若者を描いた話。
- 22日まで渋谷のBunkamuraでやっていた、描かれた馬という展覧会で見た、ジョン・ダンカンというスコットランド出身の画家の絵には感激させられました。タッチがとてもデリケートで本当にキレイでした。
- 映画「セントラルステーション」人間同士のつながりを考えさせられました。10/20のICU Glee Club Concert でも感動しました。人間から発せられる声ってとても魅力的。私はよく音や声やリズム、風景など小さなことで感動したり考えたりします。
- 遠藤周作の「沈黙」
- "Traume dein Leben Nicht lebe dein Traum!" 「人生を夢見るのではなく夢を生きろ!」(ドイツ語です。もしかしたら活用とスペルが間違っているかもしれません。)
- 韓国の金大中大統領の「奇跡は奇跡的には訪れない」という言葉。長年、韓国の民主化運動を引っ張ってきた人だからこそ言えた言葉だと思う。奇跡はたゆまぬ努力から成し遂げられるものなのだ、と思った。
- 感激したというか、そうだなー、とすごく感じる事があったのは「真剣になってもいいけど深刻になってはいけない」という言葉。確か、小林幸子さん?Hanakoの1ぺージ目に、ぐっときたセリフ紹介みたいなコラムがあって、そこで読みました。ちょうどその時、プライベートでいろいろあって悩んでいたりした時に、この言葉をみて、あ、ほんとにそうだ、深刻になっちゃいけない、深刻になってもうじうじ落ち込むだけなんだって思えて、更に「真剣」と「深刻」の違いみたいなものを前から感じてはいたのですが、すっぱり言葉になっていて、あ、これだ!みたいに感じました。あと、自分でもなぜ?と思うのですが、モーニング娘。の“I WISH”にすごく勇気づけられたというか、元気が出ました。“人生ってすばらしい〜♪”って歌詞に、本当に勇気づけられました。落ち込んでいる時には最高の歌です。自分でもまさかモー娘の歌に感動するとは思わなかったけれど・・・。
- チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルト、今までブラックミュージックばかり聴いていたので、クラシックのすばらしさにおどろいた。鳥肌がたった。
- 最近一番感動したのは、オリンピック水泳の女子メドレーに出ていた田中雅美さんです。個人では全く結果が出せなかったのに、他の三人をひっぱり、支えている姿が印象的でした。
- The latest film I have seen in the cinema is "Autumn in New York" and I can recommend it to everyone.
- ある本の中の言葉に、人生を豊かにするのは人との出会いだとありました。その通りだなと実感し、感激しました。
- 「神々の山巓」夢枕獏、山でしか生きられない男と、ある一つのカメラをきっかけとしてそれを追い続けたカメラマンの話。はじめはただのフィクションという認識だけで読んでいたけれど、「人間」ってこんなもんなのか、と背筋がビリビリいうのをかんじました。
- 中学一年生のある男の子が、キャンプのときに小さい小学生の能力、経験などを考慮しながら的確な指示を出していたこと(しかも上手にほめながら)に感動しました。
- 映画「何かいいことないか子猫チャン」ウディ・アレンのコメディです。
- 「あいのり」というテレビ番組をみて感動した。男女8人くらいが旅をしながら恋愛をしていく様子を放送していく。
- チャイコフスキーの6番「悲愴」彼の人生や性的し好を考えながら聞くと涙が出てきました。
- 映画:一年くらい前だけど、黒猫・白猫というのがよかった。ジプジーの映画。音楽がすてき。
本:小沢征爾さんと武満徹さんによる対談「音楽」20年くらい前の対談なのに、今読んでもはっとさせられるような新しい時代の目を持っていて驚いたとともに、本質ということについて考えさせられた。
- タニグチクニオ・ムジツィーレン
タニグチクニオ先生という若さあふれる偉大な指揮者のもとに、音楽を愛する人たちが集まり、たった一週間で大曲を仕上げて演奏会を開いてしまおうという企画です。友達たくさんできます。初対面の人たちと心を通じ合わせて音楽をつくる、ということを通して音楽のすばらしさに感激することまちがいなし!!毎年夏にやります。ぜひみてね。http://kyoto.cool.ne.jp/haluna/musizieren/top.html
- 「ストレイトストーリー」地味だけどハラハラし最後はじんわりとでも強く感動します。VIVA老人!!
- まだ、読み途中ですが、ハドソン・テーラーの本(彼の生涯)祈り、祈られる姿にじーんときてしまいました。
- Music of Hart という映画を見ました。自分もヴァイオリンをやっているので壮大なキャストに身震いもし、実話ということも感銘を受けました。
- ベートーベンのピアノソナタ「田園」。音楽の授業で聴いて、はじめてベートーベンもいいな、と思えた。オーケストラを聴いているような感じがピアノで表せるなんてすごい!!
- 「話を聞かない男、地図の読めない女」って、今ベストセラーだけど、ちょーおもしろい。私はミーハーではないつもりなので、こういう宣伝効果抜群の本はなるべく敬遠しているのだが、夏休みに成田空港でFlight待ちしている時、本屋で立ち読みしていたら、おかしくておかしくて、一人でいたのに、こらえきれずにクスクス、ニヤニヤしてしまった。はずかしー。内容は、男はどーして言語習得が下手で、映画の話についていけないのか、また女はどうして方向オンチで人混みで他人にぶつかるのか、というようなこと。読んでいると、なぜうちの父が母や私のひんしゅくを買うのかが大変よくわかった。御一読あれ。
- 映画「Gandhi」この映画ももちろんよかったが、最近勉強している内容と関連して泣けた。
- 「自分に同情するな」
- オリンピックの開会式は感動しました。本当にたくさんの国があって、いろいろな人たちがいて、でも平和を願う気持ちはみんな同じなんだなあと思ったら涙がでました。
- 映画「うちへ帰ろう」アメリカの家族のあり方が描かれている映画です。長年離ればなれになっていた家族が再会し、愛情を確認し合っているのを見て、家族というものの絆の深さを感じました。
- 「女たちのジハード」という本。強い女性の姿が見られます。
- 映画「π」この世のすべては数字で解明することができるという、ちょっと狂った数学者の映画。すごくおもしろかったです。
- 「ホワイトアウト」という日本の映画を最近見にいった。ダムが乗っ取られて、男の人が一人で敵と戦う話。感激というほでではないが、けっこうおもしろかった。
- 道ばたでだれかのらくがきを見て、なにか刺激を受けたけど、それがどんなものだったか覚えていない・・・。人にはつねに感動する。発見が多いかな。
- 本:ムラカミハルキの「ダンス・ダンス・ダンス」やっぱり私達は果てしなく独りなんだなあ。
芸術:けっこう前になるが、「MEGADEATH」という空間アート。時間と人と死と生と。とにかくすごかった。
人/言葉:「泣きそうだった」・・・「あなたを人間的に好きです。」と言った後に戻ってきた言葉。
- 柔道のやらわちゃん。
- 景色。SEAプロでCanada University of Victoria にいったのですが、その期間中に、友達と旅行にいったBanff の景色はすばらしかったです。Canadian Rocky すごいきれいでした。
- 澁澤龍彦さんの本。サディストの語源になった作家、サドの日本語訳をされた方です。秘密結社や黒魔術などの文化のダークサイドといえそうなもののエッセイがたくさんあるのですが、幻想的な小説がとてもきれいな日本語でおすすめです。
- 映画、レナードの朝、この映画は実話をもとにしたものであり、ある病院でよく解明されていない病気を持った患者と、その病気を必死に解明しようとする医者の話である。その病気を持った患者は生きてはいるが、ある特定のものしか反応しなくなる。医者が必死に研究したところ、治る薬が発見されたが、その効果は一時的なものでしかなかった。治ったと思われた患者が再びもとの病気に戻っていってしまう。そうした中での人間関係に感動した。
- 自分の先生の演奏に感動。「こんなに上手なのか」とあらためて感動し、「これは一生懸命教わらなければ損だ」と心に決めた。
- 音楽で、Love Phychedelico という日本のバンドの「Your Song」という曲が大好きです。日本人らしからぬ日本語と英語の発音で、聴いていてとても心地よいです。
- 白金の東京都庭園美術館。大正時代(アールデコ)とは思えない現代的なデザインだった。むしろ今より新しい。東洋と西洋の新しい融合というテーマが理解できた。
「『時間がない』んじゃない、『時間を創らない』だけだ。」先輩に言われたことば。
- 友人。今までかなり誤解してたが、実はかなりいい人だとわかった。
- 小学館、フラワーコミックの「天は赤い河のほとり」。これを読んで、僕の女性観が変わった。女性は自分を癒してくれる存在でありさえすればよいと思っている人たちにはぜひ読んでもらいたい。
- タイトルはわからないが、CGを使った、幾何学的で無機的な線の配列で海底や太陽といったものを表現し、それを一枚一枚は二次元の作品だが、三次元にはりめぐらすことによって(天井、壁、床まで)なんとも言えないが妙な落ち着きを感じさせるArtがあった。
- 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画。試写会で見ました。母の強さと母の愛についての映画です。涙なしには見られません。12がつ23日公開。おすすめです。
- 先週の日曜日の夜に、NHKでやっていた「セントラルステーション」(ブラジル1998)という映画をみました。駅で代筆業をしている中年の女性が、少年と出会い、その少年の父親探しの旅に共に出る、というストーリーでしたが、けっこう性格の悪かった女性が、少年と生活していくうちに、少しずつかわり。けんかをしながらも本当に少年のことを愛していることが伝わってきて、とても感動しました。テストがまた、とても感動的で、久しぶりにいい映画をみた、という満足感にひたることができました。先生も一度みて下さい。
- 最近まで夏の夜の夢をやっていたので、その中で気に入ったセリフ(松岡和子訳)。「人に摘み取られ香水にされるバラのほうが幸せは大きい。人に摘まれぬ野バラとして生き、立ち枯れのまま死ぬよりも・・・」表現の仕方、うまいなあ、キレイだなあ、さっすがシェークスピア。少し偏った見方だとかいう意見もあるかもしれないけど・・・。
- X Japan 久々に聴くとやっぱりすごい。
- 最近ではないけれど、「風と共に去りぬ」。正に不朽の名作だと思う。ハマる人とそうでない人と極端にわかれるらしいが、スカーレットと自分を重ねて考えてしまう子はハマるのだと思う。スカーレットの強さに魅かれました。
- 井上康生選手。一本勝ちにこだわった強い姿勢と、母への強い思いに感動した。
- 夏の夜の夢最高!!
- 「First Sight」(映画)子供の時から目の見えなかった主人公が、手術によって少しずつ見えるようになり、しかし今まで全く知らない世界に対して惑いを感じる。結局彼にとってどちらが幸せなのか、考えさせられます。
- 「ダーティーハリー5」シリーズ中最高の出来。ガンマニア必見です。
- なにか最近感激したことがあるかと考えた時に何も思いつかない自分は、さみしい人間だなと思いました。
- 「目標がその日その日を支配する」・・・ある監督が有名なスポーツ選手に言った言葉。「人生楽しむのも才能」・・・あるDJがラジオで言った言葉。
- 最近あまり本や映画に触れる余裕が(精神的に?)ないのですが、ICU祭を無事に終わらせられたらきっと私は感激するでしょう。私は祭の実行委員会に入っていて、今日こそ自分の仕事が終わりそうなのです。
- 最近は時間に追われて結局悪循環となり、勉強も意欲を失っていた毎日が続いていました。EXCUSEばかりしていて、自己嫌悪感がつのってしまっていました。留学したい気持ちも強く、gradeも気にし始めるとますますやる気が失せてきて、どうしようもない状況でした。それで久し振りに同郷の友だちに電話すると、「元気?お前何か嫌なことあったんやろ。」と、すぐ見破られてしまい、変な安心感も覚えつついろいろと話を聞いてもらいました。恋愛や部活、人間関係などにおいて言葉は必要不可欠とはわかっていますが、やはり個人主義の西欧でもお互いの呼吸をわかりあったり、言葉なしで信頼しあうことも大切だと思います。今から思えば、もっと相手を信じて尊重しあうべきだったと感じる経験もあります。
- オードリーヘプバーンが、「スリムな体を保つには貧しい人々と食べ物を分かち合えばいい」と言っていたことに感動。
- 私は村上春樹と江國香織の本が好きで、特に前者の著者に関しては(中でも長編小説は)カルトクイズにでられる一歩手前位まできています。その中で一番好きなのはやはり(ありきたりのようですが)「ノルウェイの森」です。この小説の中で流れている空気は透明で、読む度に森の奥の湖のほとりにいるような気持ちになります。多分この本は今までに確実に50回以上通しで読んでいますが、今だに飽きません。この本がなかったら多少なりとも私の人格は今と変わっていたんじゃないかと思います。(やっぱり解説というからには内容の説明もするべきだったとは思いますが、私にとってこの本はあまりに思い入れが強いので、きちんと内容をまとめて字にするということができないのです。)
- 本:太宰治「駆け込み訴え」ユダの話。最高です。
映画:「汚れなき悪戯」(伊)少年の起こす奇跡
美術:ガレのガラス工房
- 「青のフェルマータ」村上由圭、感動したというより、今読んでいる本。まだ半分も読み終えていないけど、今のところは面白い。
- "Only to do my best in any case!!" by Masumi Kuwata
Giants ファンの私は特に桑田真澄投手の大ファンで、ケガ、手術、リハビリの手記を読み、この言葉と出会いました。「どんな時もベストをつくすだけ」簡単なようで、ムズカシイですネ。
- あわてない、恥ずかしがらない。(自分で考え、大切だと思います)
- 本:ワイルドスワン、映画:マイフレンドフォーエバー、エイズの少年とその友人の話。今までで一番泣いた映画です。言葉:コリントⅡ4:7-9
- 日々感動してまーす。
- 「俺はこびねえ、つるまねえ」友人の友人の言葉より。自分の考えを無理に曲げてまで人とはつきあいたくないということらしい。なあなあで人と付き合っても自分にとっても相手にとってもプラスにはならない。
- 下高井戸にある「Noriette」というケーキ屋さんのケーキがすごくおいしかったです。おいしい食べ物との出会いは人生を幸せにしてくれます。音楽、本はたくさん買うのですが、最近すごいものには出会っていません。昔観た映画ですが「Momo」(ミヒャエル・エンデ原作)がよかった。未だに泣けます。あとは時間の都合で書けません。
- 「2位が世界を面白くする」、KDDIのキャッチコピーより。
- 本:沈黙、深い河(遠藤周作)
映画:Natural Born Killers
- 全然最近の映画じゃないけど、リプリーの原作の「太陽がいっぱい」はすごくよかった。映画はリメイクしちゃうとたいてい話が複雑になっちゃってつまらなくなっちゃう。「太陽がいっぱい」は、すごく単純だけど、雰囲気と音楽と俳優がすごくいい。最近の映画よりも昔のほうがぐっとくる映画が多いような気がする。
- 最近友達と話していて、その人に感動しました。言葉の選び方、表現の仕方にセンスの良さを感じたので。
- 「人は自分の意志で生まれてきたのではないので、自分の意志で死んではいけない。」相田みつをより。自殺する人に聞かせてあげたい!
- PiCNiC 浅野忠信、CHARA主演。衝撃の作品です。
- 最近忙しくて本を読んでいないので特にないです。大学に通うまでに私は2時間あるのですが、その間も混んでいるので(電車)読んでいません。
- 兄。音楽とダンスをする兄のステージを日本にきて初めて見た時に感激した。やりたい事を楽しくせいいっぱいやっている姿は、いつもだらしない兄がカッコ良く見えた。
- 芸術。遠藤すすむという人がいます。その人のア_トは写真ですが、それをコンピューターを使って彼の思い通りに自然の写真を彼の世界にしてしまうものです。自然(森、草原)がいつも彼のテーマですが、同じものでもそこからいくつもの自然の顔を見ることができます。彼はいろいろな場所の自然と会話をするように、自然の中での沈黙の時間というものを見つけだし、時が止まった時に流れる時間を写真の中にコンピューターで見つけだします。僕は彼の作品は数学的な考え方、やり方を芸術にとっても上手につかったと思いました。
- 「深い河」遠藤周作
学生へのメッセージ
- 1998年のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- いろいろご紹介くださりどうもありがとう。私も、たくさんの本、音楽、映画、芸術、人、言葉等に感動し、教えられ、考えさせられ、支えられて来ました。今回は、何も私から書く必要はないと思います。このような、感動をわかちあって下さった皆さんとの出会いを心から感謝しています。たとえほんの1学期の一つの授業を通してではあっても。
QUIZ7 : 自分が {女性、男性} に生まれて......。 同性について、異性について。
- 異性に生まれ変わって、やってみたいことがたくさんあります。
- あんまり気にしたことがなかったような気がします。男子にまじってビッ
クリマンシール集めたりとかする小学生でした。関係ないけどICUはフェミニ
ストの人が多いかも。
- 女性は、仕事とかで制限がたくさんあり、男性のようにはやりたいことが
できない気がする。私のやりたい仕事もまだまだ男性が優位に働いているし。
ただ、レディースデーなどのサービスはありがたい。レストランで水曜は女性
は半額!とかのサービスがある店がある。
- 木登りも出来るし、子供も産めるし、女性に生まれてよかった。
- 自分が女性に生まれて。良い、悪いという判断を下すことは出来ない。け
れど、性別、社会的性差はわずらわしい。
- 女に生まれて良かった・・・と思います。何故なら男性よりfragileでない
気がするから。
- ずっと共学だったので、あまり同性/異性を特別に意識したことがありま
せん。
- 今朝、フジテレビのとくダネで、偶然、「性同一性障害」をかかえる夫婦
の話を見ました。妻は本当は男、夫は本当は女なんですが、見た目はどう見て
も普通の男性、女性であり、本当は性が逆であるなんて信じられませんでした。
そして、とても楽しそうに生活していたのが印象的でした。今まで自分は「女
性」であることに疑問を持ったことはありませんでしたが、自分の性にコンプ
レックスを持って悩んでいる人や、性転換をして生き生きと生活している人な
ど、世の中にはいろいろな人がいて複雑であることを考えさせられました。
- 今朝、性同一性障害についてTVでやっていたけど、性とは先天的なもの
か、後天的なものか考えた。
- 女性の方が選択肢が広い気がする。絶対に自分が稼がなきゃというわけで
も、家にいなきゃというわけでもない。仕事に対して自由な姿勢でいやすいの
では?
- 社会に出るには男性、恋愛に関しては女性のが有利かなぁ・・・?と最近
思います・・・でも、どっちも勝ち取ってやる!!
- 難しい問題ですが、今のところ女性に生まれてきて、あんまり損したと思
ったことはありません。
- 私は男女の性別も考えますが、とにかく人間という意識、一つの人格とし
て接している気がする。どんな人であるかが大切。それに性別はのっかってき
ていると思う。
- 次は男に生まれたい。
- うーん、難しい質問ですね。今の自分があるのは、今が「男性」として生
まれたからだし、「男性」として生まれてきてよかったと思います。
- そのうちヒトも「メス化」する時代が来るのでしょうか。
- 自分が女性だということで嫌な思いをするのは社会に出てからだと思いま
す。おそらく家を継がなければならない弟は実家から離れることは許されない
ので、その点、女性でよかったなぁとも思います。
- 体の構造上、社会の仕組み上、男性に生まれた時点で女性よりも利点が多
くなっている。男性、女性という性を踏まえた上での平等をこれからも考えな
ければならないと感じる。「男性」としては。
- ジェンダーの影響は避けられないもの。でもその上で、自分らしい生き方
をすることが私には重要です。もし男に生まれていたら、きっと別の人生にな
っているでしょうが、それでも自分らしく生きるという姿勢は同じだったろう
と思います。
- 小学生の時と今の性別や性差に関する考え方は大きく変化したと思う。昔
は一般社会で言われているような「女らしさ」を身につけることがごく自然と
思われたけど、現在ではその「らしさ」が社会生活を円滑に営むための一つの
手段のようにつよく感じられる。男、女という表立った差別、扱われ方をしな
い所(環境)にいるせいかもしれない。
- 男でよかった。なぜなら、差別されない(女性差別)、経済的に自立しや
すい、子供を生まなくてよい、女性に比べ危険が少ないなどの理由から。
- 女に生まれてよかった。でももう一回生まれ変われるとしたら男になりた
いかも。
- 最近は女性がうらやましいなあと思います。が、自分が男性に生まれて、
女性になりたいと思ったことはありません。
- 男性の方が基本的に単純な気がする。あと、ICUでは男性より女性の方が
強いと思う。
- よかったと思う。でも女性に生まれたとしてもまたよかったと、その時に
思える気がする。
- やはり自分は女性ですが男性というのは違うなと思います。物事へのアプ
ローチの仕方などが違うと思います。物事を単純に、かつ女性よりも新しいこ
とを受け入れやすいような気がします。色々な意味で自分も男性がよかったな
と思うこともありますが、女性ならではの楽しみもまた沢山あり、世の中はう
まくできているなと思います。
- 男にうまれて、得することも損することもあったけど、それは女性だって
同じはず。だから、どっちに生まれればよかったなんて思わない。運命として
うけとめる。
- 男女の友情ってないのでしょうか?最近よく考えることの一つです。
- 女性に生まれてヨカッタ!
- だんだん運動に不向きな体型になってくるのが女であって損だと思うこと。
あとは不満はない、と思う。
- 女性に生まれれば良かったと思ったことはほとんどありません。女性とい
う自分は、あり得なかったと思うからです。
- 男に生まれたかった。
- 仕事をはじめたら、女性差別とかあるんだろうかとちょっと考えてしまう。
- 男性に生まれて・・・今ぐらいの年になると、男性と女性のRoleがなに
かはっきりしてきたような気がする。男性が権力を持つというけれど、結局男
女は「互いを補う」関係にあると思った。男性同士の関係も異性同士の関係も
8-9割ぐらい(?)同じものだと思う(であってほしい)。「互いをオギナウ」
が大事だと常に感じます。
- 女性はなんでこんなに損をするのか。なんでこんな社会なのか。どこまで
が「生物」で、どこまでが「人間(個人)」なのか。どうして2つしか性がな
いのか。どうしてセックスなのか。どうして「愛」「結婚」「付き合う」なのか。
生物としての本能(reproduction)と「愛」。表現がどうして一緒(セックス)
なのだろうか。どうして、どうして、どうして。
- あまり性別のことを考えないようにしている。考え出すとキリがないので。
- 男に生まれたかったと思った時期もあったけど、今は女で良かったと思う。
- 私は女で良かったと思うことの方が多いです。
- ICUは女が主導権を握っていると強く感じる。パワーがあるし、いきいき
している。男よ、がんばれ。私は女で満足している。女であるからかは分から
ないが日常生活に幸せを見つけるような機びんなど、女でうれしい。文学作品
の半分以上は女で成り立っているのではないか。しかし、女らしさ、男らしさ、
といわれると、そのモデルが最近大変分かりにくい。
- 自分は男に生まれて良かったか、もし女だったらどうだったか、などと考
えてもわからない。自分は女ではないので。ただ、もし自分が女だったら、中
学、高校以来続いている良い悪友たちと巡り会うことはおそらくなかっただろ
うから(中高一貫の男子高だったので)その点は男に生まれて良かったと思う。
大学に入って、小学校以来久しぶりに同じ学舎に女性がいる環境になった。「男
か女か」ということを気にせず、「人間として」付き合っていける友達が欲し
いと思う。
- やっぱり自分の性のadvantageを生かし、disadvantageは別性に解決するよ
うにしてもらって、positiveに考えたい。
- 女に生まれてよかった。なんでかわかんないけど、とりあえずよかった。
- 男に生まれて良かったとは、女に生まれた場合の人生を知らないからには
死ぬまで言えませんが、男に生まれてしまったからには、楽しく生きるしかな
いですね。
- 小学校の時は、男に生まれれば良かったと思ったこともあったけど、(ス
ポーツの分野で、当時やはり男性優位だったから)今は女性に生まれてよかっ
たと思っている。時代と共に女性に対して、少しずつやさしい社会になってき
ているとおもう。
- 女性に生まれて・・あまり考えたことはない自分のできることをめいっぱ
いやれるように生きていこうと思う。異性について・・・同性と同じようにつ
きあっているけど好きな人とはうまくしゃべれない。
- 女性に生まれて良かった。でも結局、自分を受け入れて楽しまなければい
けないのだと思う。
- 女にうまれて良かったか、いまいちわかりません。
- 砂漠、雪山での遭難、飛行機事故等の生存率は女性の方が高いとか。女性
に生まれた方が良かったか?
- 男でよかった。生まれ変わっても男がいいです。「女は強い」とよく言い
ますが、やっぱり人によりけりです。男も強い人は強い。
- 私は男として生まれましたが、少なくともこの大学は女子が多いので、春
学期からsectionの人たちとも交流を深めるため、女性に少し慣れたようです。
普通に話せるようになりましたし。私は小学校の頃は何故か悪い意味で有名で、
下校時などは私が走って帰っていると、女子はみんな走って逃げていったりす
ることが日常で、私の半径1米には異性が近付くことはほとんどなく、給食の
時も机を少し離して食べてたし、オクラホマミキサーでも手を触れて踊ること
のなかった私でしたので、大いなる前進と言えましょう。同性について、楽し
い友達がサークルなどやリトリート委員で増えました。うれしい限りです。同
性、異性に限らずみんな将来のことを真剣に考えています。自分も祭が終わっ
てからエンジン全開できたら良いと思います。
- 女性として成長していきたいと思っています。
- 女性で良かったと思う。きれいになることにどん欲でいることができる。
それに、すばらしくてきれいな洋服がたくさんある。
- 女性にうまれてよかったと思うこと・・・女性であるというだけで周りか
ら親切にしてもらえる(重労働をしなくてもすんでしまう、とか)
男性に生まれたかったと思うこと・・・生理がない!(月に一回、私はとても
不機嫌になって、周りの仲のよい男性にあたりちらします。男性だからという
だけで。・・・あとで冷静になって、理不尽なことをした、とか思うのですが。)
- 男にうまれてよかったデス。
- 男でよかった。別に服とかにも気をつけないし、子供を生まなくていいし。
異性についてはよく分からない。男子高だったもので。
- おしゃれとかできて楽しいですが、門限は男性の兄よりも厳しいので辛い
です。心配してくれるのはわかるのですが。
- 体育の授業で走る距離が短くて嬉しい。
- 男性に生まれてよかった。
- よく男と女どっちに生まれたかった?という質問がされるけど、どちらし
か経験できないのだから、比べるのは非常に難しい。昔は異性をけっこう気に
して、うまく話せなかったりもしたが、最近は異性も同じ人間だし、あまり区
別しないようになった。女性差別が今だによく言われるが、私は女性への差別
はなくならないと思う。男と女では体のメカニズムも気質も違うようにできて
いるのだから、男と女が本当に対等な立場に立つのは不可能に近い。ある程度
の役割分担がされてしまうのは仕方ないと思う。
- 今朝NHKで女性のムエタイの特集をやっているのを見て、女でもいいか
な、と思ったダス。
- 自分が男性に生まれて、同性は、自分にとって最高の親友であり、異性は
自分にとって一番大切なもの。
- 男には「男の日」がないから楽でよかった。でも、子供が生めないのは男
の悲しさか。
- 男に生まれたこと→ロマンティストであること(女性の方が身体性を生き
ているゆえによりリアリストであると言うこともできる)→くだらないことを
考えるのが得意なこと→考えた気になっていることもある→賢い振りをしてい
るだけバカかもしれない→女性にはずっと借りをつくりっぱなしか?→一般化
すると、男がより単純で、女がより頭が切れる・・・こんなことしていいのだ
ろうか?→ミュージシャンや政治家などに男が多いのは、たぶんそれしかでき
ないから→男は女に勝てない、という言い方もあるけれど・・・→「相互理解」
とはすごく耳ざわりのいい言葉だが、男の女の関係はもうちょっと違うものだ
ろう→というふうに考えてみたことも、女性が見たらきっと笑うだろうと思う。
- (男性に生まれて)異性は理解するのが難しい。
- 女性だからどうだ、というイメージには捕われたくないが、社会的に自分
が助成であることはきちんと受け止めて、その上で色々考えて行動したいと思
う。
- 初めて男と女の体の違いを意識したのは8、9歳の頃。「女の子の体を持っ
ていたらどういう感じがするだろう」というようなことを2-3年間思っていた。
「生まれ変わったら女の子になりたい!」なんて思ったことがあります。しか
し、男性として筋力が発達してきて、「男性優位」の社会現状などを意識する
ようになるにつれて、「男に生まれて良かった」とさえ思うようになった。14-15
歳になって、「人は男と女に分かれている」ことと、「自分は男である」ことが
頭の中で定着して、女の子を「異性」として意識し始め、二つでありながら一
つになりたいという願望が頭に浮かんでくるようになった。(事実しか述べて
いませんが、他の人とはどのような成長の違いがあるのか知りたいです。)
- 異性同士の友情ってほんとにあるんでしょうか?あたしはあると思うけど、
でも、やっぱり女友達と男友達ってどこかが違うと思う。だって、男と女だっ
たら恋になるかもしれないし。
- 敵に回して恐いのは女性だと思う。自分が同性だとまだ理解ができるので、
女でよかった、と思う時がある。
- 男同士の関係は女同士の関係よりある意味すんなりいく。男は単純!?
- 私は女性に生まれてよかったです。それは今、とても楽しいということで
す。男に生まれたなら、それはそれで楽しかったハズ。
- 男女平等という言葉はなかなかむずかしい。
- 男に生まれたかったです。弟とバトルをしても力負けしないように。
- どんどん同じようなことになってきている。
- 同性・・・どうしてこんなにちがうのだろう、もっと似ていてもいいのに。
異性・・・どうしてけっこう似ているんだろう、もっと違っていてもいいのに。
- 私は自分が男性であることを意識せざるをえなかったという経験がない。
他方よく言われることに、女性は自らが女性であることを(少なくとも社会に
おいて)常に意識させられている(らしい)。そしてこれが差別の根拠だとい
う。そう言われるとそうかもしれない。
学生へのメッセージ
- 「女」が「男」が、「得だ」とか「損だ」とか言う意見、そして、自分の「性」を受け入れて生きると書いて下さった方が多かったですね。
- 「異性」との違いについてもう少し出て来るかなと思いいました。おつき合いの仕方等も含めて。ICUでグループなどで活動していると特にそういうことは感じないのかも知れませんね。それは、それですばらしいことですね。でも、違いを認識することも大切なのではないでしょうか。
- 社会の問題として捉えるときは、単なる違いの認識で終わらず、それが統計的差異であるのか、本質的な差異であるのか、また、社会的制約から生じた差異なのかを区別すること、それを人間の尊厳をまず第一にする中で、どうしたら良いかということを是非考えて欲しいと思います。そして、その中で自分がどう生きていくかと言うことです。
- 個人的な「男女」の関係も是非、考えてもらいたいと思います。違いを認識し、それを認めた上で、お互いに補っていくすばらしい人生がここにあると思うからです。
QUIZ8 : 国際人(World Citizen)とは。あなたの定義を。ICU の「I」について。
- やっぱり浅薄な意味でも本質的にも
英語ができるってことなんでしょうね。
昨今「国際人」という言葉がとってもいい意味で
捉えられていることを鑑みて掘り下げると、
弱い立場の人の気持ちがわかる人のことだと思います。
- 国際人とは・・・自分の個性を大切にしながらも、自分とは違う他者を尊重できる人だと思う。
- 宗教やファッションが違うというraceのカテゴリーにこだわらず、またはそれにすぐにな
じめるカメレオンみたいな人がいれば理想だけど、自分の文化にほこりをもちつつ他をうけいれ
られること。
- 文化的価値相対主義を体得している人。それにもかかわらず、自らのよって立つ価値観(民
族性、国民性など)を確立している人。
- 外国に行っても自分が外国人だと実感しない人。それくらい多様な環境に慣れ、それを理
解している人。
- 学者さんとかが考えた言葉じゃないかな?と思います。(国際人)そういう感覚が必要なの
は外交とかの仕事している人だけで、私みたいな普通の人が外国の人とつき合うのに必要なのは、
その人に対する好意とか信頼とかであって、それは日本人同士でつき合うことの延長線上にしか
ないと思います。私ひとりが国際人になったからって、世界の大半の人はその地域のローカルな
視点で生きてる人達だし。それって自分との差異が大きいか小さいかくらいの差でしかない気が。
- 国際人とは、国境にこだわらず、異文化の存在を認め、世界には多種多様な人々が存在し
ているんだという事を理解し、お互いを尊重しようという心を持ち、その実践を心がけている人。
ICUのIは、International(国際)、わたしのI(自分)、いろはのい(初め/始まり)さらにこじ
つければいくらでも出てきます(笑)。一番のい、IndependentのI、色々のい、ものを見る眼(eye)
にかけてI(アイ)、などなど。
- I = Infinite、World Citizen = 独立心
- 国際人とは、自分の属する国を意識した上で異文化を受け入れることのできる人。アメリ
カ崇拝の日本人は国際人とは言えない。かといって自国以外認めないというのも困る。思想にも
バランスが必要です。
- I = 私自身。自分が何者であるか、自分の存在する場がどんなところなのか、それがはっき
り分かっていない今の自分には、「国際」なんてまだ先の話です。
- 国際人とは、自分そのものの見方、日本人のものの見方にこだわらずに、いろんな国や文
化の人達のものの見方も理解できる人のことだと思います。日本では、なぜか欧米人と交流する
ことが国際人だという考えが強いですが、もっとアジアやアフリカも考慮すべきだと思います。
- 自己、他者をきちんと理解しようとする人。I : International ・・・しかし、アメリカ一辺倒
ではなく、真の意味でInternational
- 異文化の存在を認めて、積極的に接触しようと考える人。
- 他の国とコミュニケーションがとれる、文化・人種・宗教などの相違に対する寛容な理解
力がある、社会に対して責任感がある、などなど。
- 国際的なことに関心を持ち、同じ国籍以外の人と何らかの関わりをもっている人。
- 偏見などを持たず、そんなに自国と違う文化でも存在を認められる人。ICUの教育はそう
いう人を育てるという意味ではすごく有効だと思う。
- 別に海外にどんどん出て行けるとか、そういうことではなく、とにかく偏見を持たず、あ
らゆる文化を相対的に見れる人が国際人だと思います。国内の他国籍の人に対する偏見を持って
いないことが、まず、今求められていることなのではないでしょうか。
- 現代では国際人というと英語が堪能だとか、外国へよく出かける、働いているというよう
な高い教養や地位というイメージがあるかもしれませんが、私は全くそう思わないです。自国以
外のことを知っていること、考えられることが大切だと思います。International「国際的」という
と、日本以外ばかり考えがちですが、他国から見れば日本もその中に含まれるんだと思います。
相互に作用しあって成立している、そんなものじゃないかなぁと思います。
- 国際人=世界中のどんな人とも差別なく接することの出来る人。
- もはや「I」は古いように思う。今は「国(nation)」を単位として考える時代ではなく、Global
な視点を持って行動すべきである。また、「世界」の中の「日本」もいいが、日本の中にある「世
界」ももっと注目していかなければ、本当のInternational、Globalとは言えないと思う。
- 「国際人」とは、多様性をうけいれられること。
- A 国際人 to me is foremost someone who doesn't consider some nationalities to be better than
others and who respect the national differences. If you are able to adjust to and get into different environment
and cultures then you are a real 国際人.
- 国際的なコンテクストや多様な文化を知っているだけでなく、その中に自分がどのような
立場に位置し、どのような文化の中に暮らしているかを理解する人。
- 国際とか国際的とかうるさく言わず、またそれを過剰に意識しないでも、ものごとを地球
規模でとらえ、世界の幸せのためにその人のできる精一杯の行動に移せる人。
- 自分の国のidentity をもち、かつ国の枠組みを越えて物事を考えることのできる人。
- 自分のナショナリティを世界に向けて発信できる人。また、逆に他国のナショナリズムと
の違いを認識できること。
- 世界中どこへ行っても自分のidentityを持っていて、他の人のidentityも認められる人。必
ずしも海外で暮らし、英語をすらすら話せる人とは限らないと思う。
- ICUって、International Christian University の略らしいけど、たいしてInternationalじゃない
と思う。だって、U.S.A.とかEuropeとかAsiaに関する授業は一通りあるけど、Africa、Latin America
や、オセアニアを見落としています。
- 国際人についての認識も非国際人の認識も忘れている人。
- 自分の文化を語ることができる、他国の文化を尊重することができる、自国語以外の言語
をしゃべることができる、協調性があること。
- biasなく世界の在り方や現状をとらえられるような人。(そうであってほしい)ただ単に海
外にたくさん行くとか英語を話せるとか表面的なことではなくて、内面的に国際的理解のある人。
- 広い視野を持って、日本の問題とを世界の問題へと連動させて考えられる人。世界に出て、
世界をよく知って、改めて自己、自国を見つめ直せる人。
- どんな人種、文化も差別したり、偏見を持ったりしないように努力している人。(人は自分
の文化、人種を基準に見てしまいがちだけれど。)
- 人類を愛している人?
- 異文化を理解できる人。
- どこの国とも態度が変わらずに接することができる人。
- 色々な国のcultureを尊重する人。色々な国の人に対してsociable でいられる人。
- 国際人−ありえないかもしれない。「I」−かざりかも。まだまだ。本当に「I」なのかな。「他
の大学よりも」かもしれないけど、「I」?疑問を持ってしまう。
- 母国語以外の言葉もでき、また自分の国の文化のみならず、他国の文化にも理解を示し、
コミュニケーションできる人。
- 国際人:ただ語学力にたけるだけではなく、(語学力があることを前提として)異文化と積
極的にかかわりを持ち、理解していくことに努める人。
- 国際人の定義は難しすぎてわかりません。ICUの「I」は、半分ぐらいは正しいと思うけれ
ど、OYRを見ても、欧米からの人やアジアでも日本に近い国からしか来ていないように思われ
るので、もっとイスラム圏やアフリカの方から留学生が来てくれれば本当の「I」になれるので
は?でもそうすると「C」が弱くなってしまいますね。
- 人種のステレオタイプにとらわれない人。
- 世界の人々に限らず、いろいろな立場の人々を平等に理解しようとする人。(ICUのIはも
ちろん"Isolated")
- 国際人とは自分とは違う価値観、考え方を認めることができ、なおかつ自分のアイデンテ
ィティーを失わずにいることができる人のことである。必ずしも外国語ができる必要はない。
- どの国の人とも分けへだてることなく接することのできる人が国際人だと思う。どんなに
たくさん言語がしゃべれても、他の国の人に偏見を持っていたら真の国際人とは言えない。
- 国際人とは、自分のオリジナルな国を尊重しつつも、他の国を柔軟に受け入れ、個人レベ
ルで各国の人とつきあうことのできる人だと思う。ただ、ステレオタイプ的な知識ばっかり持っ
ていて、世界の情報に詳しい人が「国際人」とかいわれているけど、それはとても疑問に思う。
ICUの「I」は「International」だけど、今はどっちかというと、「A」Americanの影響がとてもつ
よいと思う。
- 自分と違った考え方も受け入れられる人、かな?
- どこで誰に対しても、偏見の目を持たない人、また持たれない人も含みたいです。
- 世界で活躍していて、自分の国と他の国のために働いている人。ICUではいろいろな国籍
をもった人が共存しているので、国際化されていると思う。
- 自分の文化をしっかり持ち、理解した上で、他の文化を学び理解することのできる人。
- 異なる価値観に敬意をはらえる人。
- 「国際人」・・・自分の価値観を深く見つめ、他者のそれを受け入れることのできる人。僕
の定義では、同じ国の人との付き合いにおいても国際人になることができます。
ICUの「I」・・・Isolated
- 自分の文化以外のものも受け入れられる人。
- アイデンティティを強く意識しつつ、自分との違いを認められる人。
- 国際人という概念は存在しない方が、世界は平和でいられると思う。何かの基準で人々を
categorizeしてしまうから争いがおきたり、優劣をつけたくなるのだから。真の国際人とは、た
ぶん単なるhuman being だと考える。
- 私はあまり「国際」という言葉がよくわかりません。よく「国際人になるには英語ができ
なくては!!」とか言うけど、それで英語のできる人々と話していれば即ち国際的だと言えるの
かどうかと言えば・・・??internationalがよくてintranational(?)が悪いということにはなら
ないでしょうし。なんだかねー。
- 異人種に対して、優越感とか、劣等感とか感じない人。
- 国際人とは、自分の国の良いとこも悪いとこもあらゆる面で知っていることである。ICU
のIとは、Infruence worldである。
- 偏見やstereotypeをもたずにあらゆる国の人と付き合える人。個人に対する[偏見や
stereotype]は○。e.g. 「○○さんはいつも人の気にしていることをいう、きつい人だ」→○「○
○さんはアメリカ人だからいつも人の気にしていることを言うきつい人なんだ」→×つまり、他
国の人という意識よりも同じ人間で、上下関係も何もない、equalなんだと無意識的に受け入れ
られる人。
- 国際人とは、自分の国のことをきちんと理解し、他国の人に自信を持って説明できる人で
す。
- それぞれの国の事情をきちんと理解してる人。
- [国際人](World Citizen)偏見、先入観なしに、異なった文化圏の人たちと交流する。知
的探究心の固まり。核に確固たる自己のアイデンティティをもっている。
- 様々な地域の文化を偏見を持たずに受け入れられ、自国の文化を他の地域の人に魅力的に
紹介できる人。SEAプログラムなどは充実していると思う。少なくとも他大よりは。
- 二ヶ国語以上話せる社交的な人。「ICU生」の類義語。
- 自分の国の文化を理解した上で他の国のことを見られる人。
- 自分の語学力を他人にshow offしない人。
- 自分にはない他の「常識」にも客観的に公平にのぞむことができる。
学生へのメッセージ
- 1998年のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- いくつかの言葉には、ぐっと来てしまいました。皆さん、ありがとう。
- 皆さんは、語学力からしても、知識としても、モラルからしても、様々な意味で「国際人」としての、すばらしい素養を持っていると思いますし、これからそれを築いていくことは十分できると思います。しかし、実際に思っているように行動できるかどうかは、全く別問題。一緒に生活したり、一緒に仕事をしたり、自分の生活の中に、相手が入って来たときにどうか、という問題だと思います。その意味では、これからの時代であっても、それを避けて通ることは、おそらくできるでしょう。しかし、それを避けて通る人を、たとえ、十分な知識を持ち、寛容な心を表明していても、私は、「国際人」とは呼びたくないです。
- その意味では、面倒を厭わないで、一人の人と共に歩むことができるかどうかではないでしょうか。グループに変な奴がいなければ、多くのことがスムーズにいきます。でも、たとえ面倒であっても、変な奴と一緒に歩むことが人間の尊厳に本質的にかかわることだとして、その面倒を引き受けるかどうかではないかと思います。
- 生物の種は、遺伝子の多様性が低くなると滅んでいくそうです。その種の数ではなく、その種のなかの遺伝子の多様性が重要なのだそうです。幾つかの種類の優秀な遺伝子だけを残すと言うことを是とするようには、生物は設計されていないようです。雄と雌の生殖によって子孫が残されていくメカニズムもこのことに特に貢献しています。便利なこと、みんなの都合の良いこと、という言葉は、特に気をつけないといけないのではないでしょうか。
- ともあれ皆さんの意見を読んでいると、ICUの「I」は、大丈夫だなと思います。しかし、これは、もちろん、皆さんが、国際カフェに顔を出したり、OYR と親しくしたり、サマーコースのボランティアをしたりだけではなく、へんな奴と一緒に仕事をしたり、学生とは全くちがう世界の人と一緒に働いたり、「数学」なんて、どう見ても役に立ちそうにないものを勉強したりといった日々の生活があって、初めて実現する「国際人」だと思いますが。
QUIZ9 : 聖書をインクリ(キリスト教概論)以外で読んだことがありますか。キリスト教の印象。ICU の「C」について。
- 聖書そのものを読んだことはありません。一口にキリスト教といってもどうやら色々な種
類があって、何をもってキリスト教と考えればよいのかがよくわかりません。カトリック、プロ
テスタント、その他もろもろにおいてこれだけは共通であるという「核心」は何でしょうか。
「C」:Communityというのはどうでしょう。
- 今学期取った他のclassで、ICUを卒業するまでに読んだ方がよい本として聖書が取り上
げられていたので、クリスチャンではないですが、いま始めから読んでいます。人間の一つの真
理を表すものとして興味深いです。
- 読んだことないです・・・。でもICUで少し習ったおかげで宗教に対する偏見が減ったと
思う。
- Christianity Communication
- 高校の時に夏休みの宿題で旧約聖書を全て読み、レポートを書いた。C as for creativity
- 初めて読んだ(と言うより聞いた)のは幼稚園の礼拝。キリスト教の私立幼稚園でした。
それ以来、途中何年か抜けた時期もありますが、ずっと日曜礼拝に通っていたので、聖書は何度
か読んだことがあります。キリスト教はやはり西洋のものだなぁと思う。考え方が日本とは違う
なぁと思うことがたまにあります。やはり日本の思想は、仏教や中国の影響を受けているのでし
ょう。聖書より孔子を読む方が共感できる部分が多いですから。
- 僕は教会学校の教師をしていますが、毎週の課題となる聖句を子どもたちと考えることで、
自分自身も成長していければと思っています。せっかく国際基督教大学にいるんだから、もっと
キリスト教に積極的な関心を持ってほしいです。
- クリスチャンではないですが、時々近くの教会に日ようびに顔を出しています。その時に
ちょっと聖書を学びます。あとは阿刀田高の「新(旧)約聖書を知っていますか」を読んだこと
があります。
- 幼稚園がキリスト教であり、カブスカウトにも入っていたので持ってはいました。礼拝も
ありました。しかし自分で読んだおぼえはありません。今、インクリを(4年になって)取って
いますが、村上先生の言を待つまでもなく、今まで自分が学んできた(つもりの)学問を理解す
る上でキリスト教との関わりを意識しないことは誤解のもとになり得ると感じました。大学は
(主に西洋の)学問の府であるので、もちろん「信じる」ということでなく、“C”の部分があ
るということは本来の姿なのではないかとさえ思われます。ICUの先生方は単に自分の研究を
していたりということでなく、自分に分かることを学生に伝えよう、学生の興味にこたえよう、
興味をかきたてよう、学生の学びに力を貸そうとして下さり、あるいはそういったものがキリス
ト教的精神の1つの現れなのかと思います。(そうでない方も残念ながらおられるようですが)
しかし、待遇が悪いのか仕事が大変なのか良くわかりませんが、先生の数が足りてないようにも
思われ、いわゆるCコードについて(昨今キリスト教徒である学者がそもそも多くないのか)
疑問を感じることも確かです。個人的にはキリスト教的な歴史/理解をふまえた上での疑問を実
践する場が残っていて欲しい気もします。ちなみに自分は宗教としては無宗教を貫くつもりです
が。(それには日本的かもしれない科学信仰からの脱却も含まれます)
- 人間が救われるために生みだしたものという思いがぬぐわれない。
- ないです。
- 私は中高一貫のミッションスクールで聖書を学んできました。毎朝礼拝があり、出席して
賛美歌を歌い、聖書を読み、説教を聞くというふうでした。聖書はそれだけなじみのあるものと
なっていきました。卒業してこの大学に入り、当時ほど聖書を手にすることはなくなりました。
でも、様々な時にふと読みたくなり、本棚に向かいます。うれしい時、感謝したい時、さみしい
時、つらい時、何だか落ち着かない時、心が弱い時・・・。実はきのうの夜もパラパラと見てい
たのです。キリスト教に出会わなければ、今の私はないと言っても良い位、とても大きな存在で
す。私が一番最初に心に残って、より深く学ぼうと思った聖句は「汝の敵を愛せよ」でした。私
は歴史学、特に西洋史なので、切っても切れない存在でもあります。西洋の人々の倫理、価値、
道徳の根底には、深くキリスト教があり、それを知らずして学ぶことなど、きっとできないだろ
うと思います。
- 母の名がルツ(Ruth)なので、旧約聖書でルツ記を読んでみた事がある。(うちの母は純
ジャパなのだが、祖父がChristianである上に大学で英語を教えていたものだから、西洋風の名
になったらしい。)
- インクリでもまともに読んでない。だって難しいんだもーん♡。でも印象は○。それにキ
リスト教なかったらICUも存在しないわけでして。
- 高校時代に少しだけ。
- crazy
- 聖書やキリスト教には幼稚園や教会学校で触れてきました。高校生の時、聖書を改めて読
んでみたことがありますが、疑問がたくさん出てきました。1人で読んで理解できるものではな
いですね。難しいというのが聖書の印象です。
- パラパラっとめくる程度にはあります。
- 中学高校6年間学校でほぼ毎日読んでました。最初とっつきにくく全然わかんなかったけ
ど、なかなかおもしろい話もあってためになりました。
- 高校がプロテスタント系の学校だったので、毎朝、礼拝がありました。最初は非常にうさ
ん臭く感じていたのですが、だんだんと慣れてくると全てではないにしろ心に残る詩句がでてく
るようになったため、ICUに入るきっかけのひとつになりました。
- 受験直前に、ICUを知ろうと思って読みました。クリスチャンに限らず、宗教ってどうい
うきっかけで入信するのかがなぞ。キリスト教徒については、「本当に教えを守っているの
か??」と思います。信者が多すぎて、キリスト教に対する姿勢がまちまちすぎるんじゃないの
かなぁ、という印象を受けます。論拠はないけど。私は、「何教」とかは関係なく、自分がよい
と思ったことを信じればいいと思うのですが、これって日本人独特の価値観なのでしょうか?で
もチャペルで結婚するとき神に誓うのは私はできないと思います。みんなの憧れになる「チャペ
ル挙式」もたしかにすてきだけど、神に誓っても仕方ないから、2人で誓えばいいのに。あと、
まわりの人たちとかに。
- 自分はクリスチャンなので毎日読んでいます。家族が昔からそうであったため、印象とい
われても、なかなか答えるのが難しいです。でも知らない人に伝えるには何をどう答えるべきか
準備しておく必要はありますね。
- 聖書って文学作品としてもすばらしいと思う。
- 少しだけ、新約聖書の方ですけど。中世ぐらいまではヨーロッパの文化の土台だったキリ
スト教は、やはり宗教が歴史に深い関係があると納得させるのに十分なものだと思いました。キ
リスト教を中心に大学を創ったからしょうがないと思うけど、教授はプロテスタントしかだめと
いうのは改善したほうがいいと思う。
- ありません。C-codeはなくしてほしいと思います。
- 去年度、ELPの先生のお宅で週に一度開かれるバイブルスタディーに参加していました。
今年度は、その先生が退職されてしまったので、聖書に触れる機会が殆どありません。旅先で教
会に礼拝に行った時くらいです。
- 入学式の時だけ。よく分からない。これから勉強したい。
- C-codeを甘くしないで、しっかりと残してほしい。
- ありません。
- 少しだけ読みました。未だに明確にとらえることができていないと思う。キリスト教と一
口に言ってもいろいろな種類があるし・・・印象としてはあまりDiplomatic Openな宗教では
ないように思える。あまりに大きくなりすいているので
- インクリ以外でのバイブル・・・小さい時に、友達のChurchに遊びに行った時だけ・・・
たまにホテル(アメリカの)とかでも読んでいた。
キリスト教の印象:なんか悪い。抑圧されているかんじ。なんかキリスト教の思想よりもそれら
を利用した権力者や教会などの印象が強い。
ICUのC・・・C-codeの存在が未だに理解できない。God以外に人をjudgeできる人はいない
と言っているのに人をjudgeするキリスト教信者。かんゆうとかも・・・なんか。Mission trip
もどうなんだろう。We'll help you if you pray with us とか。なんか、なんか、なんか・・・。
私の理想と現実とのギャップが激しい。宗教っておしつけるもの?キリスト教は多くの人におし
つけられてきた気がする。とはいってもそんな詳しいわけでもないし。キリスト教にも色々ある
のだろう。だけど、そういう印象がつよい・・・。
- 小学校の日曜学校で。ICUという名だが、特にCを外しても変わらないのでは・・・。折
角ICUなんだから、Cの特徴をemphasizeしても良いと思った。信教の自由だけど、その名の
大学を選んで入ってきた学生たちしかいないのだから。
- ない。No interest.
- 高校の時、かねてから「英語を学ぶのに良い方法は2つある。1つは聖書を読むこと。も
う1つはポルノを読むこと」と言っていた。英語の先生が本当に聖書を配ってくれたので、一通
り読んでみたことがあるが、当時の僕の英語力では理解できなかった。(なお、配られた聖書を
見て「どうせならポルノを配ってほしかった」と言っていた者が多数いた。
- 昔に、親戚に連れられて、町の教会の日曜礼拝で少し読んだ気がする。ICUのCは
思ったほど厳しくないし、触れないで卒業するわけでもないのでそこらへんのバランスが、校風
にも表れていると思う∵まんべんなく適度ということ。
- 小・中・高がカトリックだったからいっぱい読んだ。カトリックの学校だったからキリス
トよりマリア様についていっぱい学んだから、私の中ではキリスト教=マリア様
- 未だにありません。でも永田教授のインクリを受けて、聖書がただ単に教えだけをつらつ
ら書いたものではなく、人の苦難の経験から経たものを神の啓示として受けとめて示すなど読み
ものとしても面白そうだなと興味を持ちました。今までキリスト教というか宗教自体は私にとっ
てとても遠いものでした。でも、私は宗教的感覚というものをまったく知らなかったわけではな
く、自分では、どちらかというとアニミズムの考え方が一番あっていて、宗教とはいかないかも
しれないけど、それが自分の中にある宗教的感覚なのではないかと思います。ICUに入って普
通にまわりにキリスト者の人がいて、(友だちで)宗教ってこんなにも身近なものなんだなぁと
正直おどろきました。それまでは○○教とか色々なものについて偏見をもっていた面もあるので、
視野を広げるという意味で、ここの大学に入ったことがとても自分によって+の方向に働いてい
るとおもいます。
- 高校の聖書の授業で読んだことがあります。幼稚園もキリスト教だったので印象は良いで
す。"C"を考え方の1つとして自分の中で生かしていきたいと思っています。
- YES. 高校がミッションスクールだったので。全学年週1回「宗教」という授業がある。
そのうち中1〜3はBibleをやりました。昔住んでいたオーストラリアの小学校でも、紙芝居や
videoや、ぬりえなどで聖書の話を学びました。しかし大学で「キリスト教」精神に基づいた教
育とは果たして意味があるのか?別に信者になることを強制するわけでもないのに。1つの考え
方としてのキリスト教を身につける(学ぶ、知る)ってほしいだけなら別に大学名にまで
Christianity をうたうことはないのではないか。
- 僕は実は、キリストより「いいヤツ」です。
- 中・高とキリスト教の学校だったので、毎朝の礼拝で必ず読んだ。私はキリスト教の精神
が好きです。
- 小説版旧約聖書を読んだことがある。(ベストセラーになっていたと思う)話として純粋
に楽しんでしまった。人間の反省のなさ、愚かさがよく出ていた。
- アメリカにhome stayしたときにhost familyとchurchに行ったりSunday schoolに行っ
て読んだ。生きていく上で、どこかで支えになってくれるものではないかと思った。
- 高校がプロテスタント系の学校で、聖書の授業があった。
- はい。キリスト教に触れる度に思うのは、人間の内面に大きな柱(自分の存在を支えるも
の)があるクリスチャンは素敵だなぁということです。
- ありません。
- ないです。まだインクリをとったことがないのですが、キリスト教の印象は、チャペルの
雰囲気はなかなか好きです。シーベリーチャペルの国際カフェも好きです。でも神様はたくさん
いたほうが効率が良いいような気が私には以前からしています。
- 子供用の聖書(いくつかの話がやさしく書いてある)は小学校の時に読んだことがありま
す。でも、キリスト教に限らず神の存在というのはよくわかりません。神というのはそれぞれの
人の中にいて、その人がいると思えばいるし、いないと思えばいないのだと思います。私自身は
わりと「苦しい時の神だのみ!」ですが、そういう時に「何か他の強い者の力をたのめる」とい
うゆとりみたいなものが私を安心させるのだと思ってすごしています。(神の奇跡をあてにする、
とかいう意味ではなく。)
- 高校時代に。印象・・・全て「愛」に集約させるが故に嘘臭い。しかし詳しくないので、
特にそれ以上は何とも思いません。
- 読んだことはないです。
- ありません。キリスト教の印象は奉仕活動、礼拝、クリスマス、教会など、集団で物事を
行うイメージがあります。「C」はcrazyとも言われていますが、私的にはcreateがいいなって
思います。大学で新しい物を自分の中(Inside)に取り込み、それをもとに創造し(Create)、
そうしたことができる世界(Union)でICUなんていかがでしょうか?
- キリスト教は完全ではないはずだ。なぜなら人間(キリスト)がつくったから。
- クリスチャンなのであります。
- あります。「C」はC級のC。インターナショナルC級大学?
- キリスト教とは、自分にとって生活の一部、いや全てといえるでしょう。ICUの「C」は、
そういうものです。
- 旧約聖書を読んだが、印象としては、万人の為の神ではなく、ある一民族だけの為の神の
存在がより強く書かれている印象を持った。新約聖書はまだ読んだことがないが、興味はある。
Christianityの話からは少しズレるが、ICUのIを「I」、Uを「You」として考えると、Cに
入る単語によって意味が大きく異なっておもしろい。
Cに「criticize」を入れたら、→I criticize you
「create」→ I create you × No.
「care of」→ I care of you ○
「control」→ I control you × Never
「consider」→ I consider you △
「change」→ I change you △
Iというのを誰と定義するかによっても、もちろん大きな変化がもたらされる。
- 高校がプロテスタントだったので、聖書の授業と毎日礼拝があった。印象は、内には優し
いけど外には厳しい感じがした。学校はプロテスタントなのでカトリックをぼろくそに言ってい
たりしたので。でも嫌いではない。ICUではあまりキリスト教を意識していない。でもC-week
のラビリンスは、無宗教の私にも何か感じるものがあった。
- 高校の時にある。聖書にはうそ(作りごと)がいっぱいだと思っていたけれど、それは解
釈のしかたの問題だって知った。
- 4月まで基督教をキトク教と思っていた。
- えんどうしゅうさく「沈黙」のイメージが。
- はい。長い童話のようなが、キリスト教すべてのことわりを通しているのがすごい。
- 英国の学校のReligious Studyで読みました。あと、絵本が家にはありますが、特に興味は
ないです。
- ない。
- めんどくさいなーって。でもどこか、どうしようもなく困って誰にも話せなくなり、心の
よりどころになればいいかなー。
- けっこう残ぎゃく。
- 無いですね。
- 少し超人的すぎる。どうしてみんな身近に感じられるのかきいてみたい。ICUにいてあま
りCは感じないので、やっぱりかかわるか、かかわらないかのAll or nothingになってしまう気
がします。
学生へのメッセージ
- 1998年のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- 私のホームページの「信仰」の部分も読んで頂けたらと思います。また、チャペルでのメッセージも集めています。
- ICU の「C」について、私は、この大学のようにユニークな大学ができ、そして、今まで続いていることの背景として「キリスト教」なしには、考えられないと思います。また、数あるキリスト教主義大学のなかで、「神学校」牧師になるための学校が、新しい学部を増やした所を除いて、C-CODE (教授会メンバーは原則的にクリスチャン)という規定を保っているところは、ICUだけです。ICUにおけるキリスト教について、教員の中でも見方は様々です。しかし、私は、C-CODE がこの大学にとって命だと思っています。「神以外の何ものをも絶対的なものとしない」強い意志、これは、神を絶対者とし、その相対において、自分を、人間を、物を、思想を、学問を、その他全てのものを不完全なものとすることに強く根ざしているからだと思います。
- (近日中に追記)