Last Update : September 19, 2000
GE : NS I 数学の構造
1998年度:通信欄メッセージ
- NSI に期待すること。最近感激したこと。等々。
- 高校以上の数学は何のためか。豊かさとは何でしょうか。
- ここまでの NSI について。将来の夢、目標、25年後の自分について、等々。
- あなたの「大人」と「子供」の定義を述べ、そのもとで自分が大人か子供か判定せよ。その他なんでもどうぞ。
- 結婚について、家庭について、子供について。
- 最近感激した本・映画・芸術・人・言葉など。
- 国際人(World Citizen)とは。国際化とは。あなたの定義と、御意見を。その他何でもどうぞ。
- 聖書をインクリ(キリスト教概論)以外で読んだことがありますか。キリスト教の印象。その他何でも。
この欄は QUIZ(小テスト)における通信欄での受講学生とのやりとりを記録したものです。QUIZ の問題についてはそのページを参照して下さい。このそれぞれに、返事を書いて翌週に返却していますが、ここでは、クラスでも話した鈴木の感想などをまとめたものを一部掲載することとしました。クラスで学生の許可をとってはいますが、何か問題がありましたら、鈴木寛 hsuzuki@icu.ac.jp まで御一報下さい。
QUIZ1 : NSI に期待すること。最近感激したこと。等々。
学生からのメッセージ:記録なし
学生へのメッセージ
- 毎回の授業で頭を能動的に働かすことを考えて下さい。頭の PE だと思って。授業中に良く理解できなかったことを、友達同士で、話し合うのもお互いにとってとても良い訓練になると思います。何かを覚えるのではなく、思考を体験し、できれば何回か「なーるほど」と、感激を伴った理解をしていただければ嬉しいです。頭を軟らかくして楽しみましょう。
- 「忙しくて感激をする暇もない」と書かれ方が何人かいました。感激することは生き生きと生きている証だと思います。感激、感動を大切にしたいですね。
QUIZ2 : 高校以上の数学は何のためか。豊かさとは何でしょうか。
- 高校以上の数学以前に中2位から数学とは、数、文字を使ったゲームの様にとらえており、何のためか考えたこともありましたが、自分なりの答えは見つかりませんでした。そもそも、(ー)×(ー) = (+)というのも赤字路線の廃止=鉄道会社の利益、位しか良い例が思い浮かばなかったので、実感しづらかったのです。
- 高校以上の数学は、趣味である。豊かさは、それを意識しないところにある。と思います。
- 心理学での統計を扱ったことが background になっていますが、数字にまやかされないための知識と、 Data から Intelligence を引き出すための道具。統計学をかじると、アンケートのやり方なんかにいちいち文句を付けたくなり、Information が何にを意図して発せられたか気になる。
心の豊かさでいうと、自分が愛され必要とされていることを受け止められること、自分が愛し、愛を必要としていることを表現できること。それが基本になり、ものや、時間の豊かさをあり難く受け止められると考えます。
- 何でしょう。各分野によって異なると思う。
- 公式を使って以下に正確な計算ができるかにかかっている。高校までの数学より exiting である。
- 問題解決型の問題は、その答を見つけなくてはいけない。見つけたいと思うので、考えやすいし、わかりやすいのですが、証明の問題というのは、いまいちなっとくがいきません。うまくいえないけれど、なぜか、その説明で証明できたことになってしまうのか、と思ってしまうし、あまり問題解決という目的もないので、面白くないのですが。
- 私は、数学は、旧制度対応で習いしかも私文系だったため数学が全くはじめての人用の説明をもっとして下さい。
以下3年生
- 高校以上の数学は、受験に必要な人以外の人にとっても知識を増やす、知識を豊かにして自分を広げる行為のものだと思います。
- 多角的な思考、問題解決能力を養うため。
- 今の自分にとっては、数学の問題を解くことは解けた時の満足感のためである。それが意味があるかはわからない。
- ピーターフランクルの「パズルの塔」というパソコン用のゲームソフトが我が家にあります。最初のうちはやさしすぎてつまらない位なのですが、どんどんむずかしくなって、しまいには、(私には)解けなくなってしまいました。実際には、ただ、単に全く同じパターンの問題が少しずつ複雑になっていくだけで、最初のやさしいうちに、見い出しておかなくてはいけない方法とか法則とかがあるのだろうと思うのですが、最初があまりにも易しくて、頭を使わなくても解けてしまうのために、その方法、法則が見い出せません。
こういうことは、ゲームやパズルだけにいえることではなく、生活と、世界のあらゆる場面でいえることだと思います。そういった時に「頭を使う」ということになれていないと、(頭って本当に錆ついたりすることがあるようなので)見い出すべきものを見い出せずに終ってしまいます。この授業は頭を回すことをするので。
- 高校以上の数学は、数というよりも数式の展開や変化などの美しさの追求だと思う。数学がわからなくても、授業などを聞いていると、その不思議さに美的なものを感じる。
以下2年生
- ちょっとした発想が、解答を導き出す手がかりになるのは面白い。
- 二次方程式や、微積が解けたところで何の役にたつのでしょうか。そんなのにあんなに時間をかけるくらいならフィールドワークの時間を設けて見たりするのはどうでしょうか。
- 日常生活の中で物事をいろんな角度から見ることができるようにするためのものだと思う。
- 豊かさは自分では気がつけないと思います。だから、豊かとは、と述べていっても、実際に自分が豊かかどうかなんてはっきりとはいえないと思います。豊かさ自体が抽象的だからということもあるのでしょが。でも、なんとなく、言葉に出せないけれど、皆に豊かさのイメージはあると思います。不思議ですね。
- 私は、実際には、自分で探求したりはしないが数学科などでやっている人たちは、好きだから続けるというか、より深く見つめていくことができているのだと思う。きっと、趣味と勉強が結び付いたものだとおもう。生活と直接関係のない(?)ものをやっていけてるのは、とても豊かだからではないだろうか。でも、他分野の学問だって、そうかも知れない。ということは、学問すべてが経済的、時間的、精神的飢えを知らない(?)豊かな人にしかできないもの?
- 今まで、数学は、一種抽象世界だけのためのものだと思っていたが、今日、1、2問でわかるように、2の抽象的なものと、1の目に見えるものとが互いに密接していて、「数学は決して抽象世界だけのものではない」ことがわかり、目からうろこがとれたと感じた。とても数学の可能性を感じた。
- 数学は思考。そして、思考こそが人間の豊かさのバロメター。と誰かさんが言っていた。PS、僕です、エへ。
- 高校以上の数学と言うのは、高校で習う以外の数学と言う意味か、それとも、高校を卒業してからも数学を学ぶと言う意味かわかりませんが、やはり、物を考える時に必要な思考力を養って、創造力を豊かにするためではないかと思います。この間、武道館に行った時、城壁の石は大きさが大小異なるのに、すべて同じ高さにつまれていることに驚きました。「豊かさとは何か」について書くと長くなりますが、最近思うのは、物質的には貧しくても心が豊かで(精神、霊的に)あることの方が人間にとって重要なことだと思います。
- 私は、高校数学は一応最後まで(数三まで)やったのですが、特別得意だったわけではなく、実際点数はあまり良い方ではありませんでした。しかし、それでも、何故か、数学嫌いになることはなく、今でももう一度やり直してみたいと思ったりしています。受験を意識しなければ、数学が苦手という人も、きっと少なくなると思います。数学というもの自体は、とても、奇妙で面白い学問なので。
- 普段の生活には、必要のないものだと考えます。遊びのようなものでは。
- 趣味、娯楽。でも他でものを分析する時その厳密な手順が適用できる。
- 数学も、0などの話しになると哲学のような話しになってなかなか面白い。
- はっきりいって、高校以上の数学は、日常生活では、使わないことが多いので、趣味でやるといった感じなのでは? 教養というか。その趣味や教養が積み重なって心の豊かさに通じると思います。
- 自然科学なり科学技術なりで身をたてるのであれば、利用するため。それ以外であれば先人の偉業を知って、驚く/うなる/楽しむため。外側から文脈というもの(神の視点)で見通せれば良いと思う。
- 高校以上の数学は、哲学ですかね。そんな数学をまだ味わってないのでわかりません。「豊かさ」っていうのは人の心の中にあると思います。心が満ちている人は、豊かな人だし、そういう人がたくさんいる世界は豊かな世界だと思う。
- 一般人の生活において、実用性のない学問=人生に豊かさを与えるもの。という主張は、常にこれを教える先生たちによってなされるが、何を豊かだと思うかは人次第で、客観性にかけるので数学的にみて正しいとはいえない。
- 高校以上の数学は、文学と同じように独特の世界を持っていると思う。その数学の世界に少しでも触れてみると、数学は中学までの数学が見せていたようすと全然ことなり、触れてみる人の考え方に多かれ少なかれ影響を及ぼすものであると思う。このように、数学は、人間が多角的視野から物事を見ることができるようにするためのものではないかと思う。
- 数学は、論理的な考え方を養うことに役立つと思うし、私自身にとっては楽しいので、それだけで数学をやる理由になります。
- 頭を使うため集中力を養うため。
- 思考力を高めるためのものと感じます。発想の転換、柔軟な頭を養うもの。NS 以外の学科では数学的な要素が少ないのでこの授業はいい気分転換になっています。(Quiz はいやだけど)
- 高校の頃、数学の問題を解くのが嫌いで(今でもそうですが)テストの前夜に毎回解き方を丸暗記していたきおくがあります。高校以上の数学はやたらといろんな考えを教え込まれるので、数学の苦手な人はそのスピードに戸惑い、数学的な考えについていけていないような気がします。私を含めて数学嫌いの人にとって、高校以上の数学は、あまり有益なものではないと思います。高校では、もっとわかりやすい実生活に役立つような数学(それがどういうものかわかりませんが)を身につけてそれ以上のレベルは、もっと数学をやりたい人たちだけがその知的好奇心を追求したら良いと思います。そうした方がきっと知識として残るのではないでしょうか。
- 高校以上の数学は哲学や論理学に結び付けることができるように思えるので、「考える」という作業に役立つ気がします。本当は高校の数学にもそういう要素があるとは思うのですがそれが見えにくいためほとんどの生徒は数学=特殊な人達にとって実用的なもの、あるいはたのしめるものだと嫌ってしまうのでは。
- 知的好奇心の為?
- 何でしょう?朝夕バイトしてて、ますますわからなくなりました。
- 高三、大一の二年間数学から離れてしまって思ったことは、頭を使うことが少なくなってしまった、ということでした。数学は他とは頭の使い方も使う部分も何となく違う気がするので、少しはなれてしまうとやはり取り戻すのに時間がかかる気がします。高校二年までは、特に数学ができた訳ではありませんが一生懸命考えていたし、訓練になったと思う。頭のたいそうは必要だと思います。そうしていると数学以外のにもつながると思う。
- 日常が数学のようにスパッとわりきれてしまうのなら、人生は楽なものになるのかなあと思います。そういう意味で数学はぼくをリラックスさせてくれる。
- 頭の体操のため。
- 実際高校で教わった数学は生活において役立っているのでしょうか...。
- 数学はその内容だけでなく、それをやることによって頭に良い影響を与えるので、一生付き合っていくものだと思います。
以下一年生
-
この答案をみると沢山の言葉が並んでいる。文字が発明される前の数学者は自分の声を用いて定理で証明していたのであろうか。そうだったら、証明問題でもけっこうゴマカシができたのではないだろうか。文字が発明されたことを憎む。
- この質問に答えるのは、非常に難しい。なぜかというと、中学時代から、多くの人々が数学が何の役に立つのか、という疑問をかかえているからだ。いや役に立たないといっているわけではありません。ただなくとも、というか、知らなくても問題はない。あとは、人間の知識欲を満たすためだとか、人生のヒマつぶしだとか、なんだか悪っぽいイメージの言葉ばかりうかんでくるな。いや悪くいっているのではないのだが。何を言っているのだろう。ま、ようするに、そういう、いわゆる「ムダ」な部分が、人間を人間たらしめているというか、文明文化というものを形成しているというか、「豊かさ」なんですよね。豊かさ(別名 ムダ)は好きですよ。
- 数学的想像力→論理的思考力の獲得のためで、これは多方面に役に立つと思う。
- 私にとっては
高校までの数学 → 受験用暗記パズル「以上」→教養やいつもと違う物の考え方を養うものという感じがします。
- 「豊かさ」とは、物理的にも精神的にも満たされていることではなく、「豊かさ」について考えることができる時間や能力をもっていることではないでしょうか。
- ICUで習う数学の役割は(私にとっては)脳味噌の普段使わない部分の活性化。
高校で習った内容(数Ⅰ)なのですごくなつかしい気がします。かつて解けた筈の問題も今やすっかり解き方を忘れてしまっていてくやしいです。
- 先生が普段、数学が役に立ったなあと思ったのは、お子様にキャラメルを配る時と、他には何かありましたか?
- 毎日しあわせなこと。
- 高校以上の数学は自然の中のふくざつな計算をするためにあるように思えます。
- 高校以上の数学は趣味のための手段。豊かさとはある意味脳内物質の分泌による満足の快感。なんか授業と全く同じ問題を出すんじゃ高校生の受験勉強の丸暗記と同じでいやです。
- 専門家養成
楽しみのため(彼らの)
数学だけではなく、たいていの自然科学によって、哲学の直接めざしているものに違う道でたどりつくため。(と聞きました、物理をやっていた人から)
- 目的:現実の問題解決に役立つような理論の形成、もしくはその実践
豊かさ:システムに組み込まれた平和、amenity
- 私にとって、高校以上の数学は頭をやわらかくするため、そして物事を違った見方で見ることができるようにするため。今この時間は脳のいい運動だ。豊かさとは、心の余裕、であると思う。
- 僕は去年の夏休み、受験勉強をしながら「高校以上の数学は何のためか。」ということを考えた。けれどもその答えが見つかることはなかった。数学とは何のためにあるのだろう。よくわからなかったが、その時は数学の問題を解くときの楽しさがすきで、数学を勉強していた。でも先生は何のためだとお考えですか。
- 数学は確かに必要不可欠であるが、しかし日常生活においては、たし算、ひき算、かけ算、わり算でことたりるわけであり、高校以上はもちろん、高校の数学も必要かどうかはあやしい。ただ高校で数学を教える意義が将来の数学者を養成するというところにあるのであれば考えものであると思う。ただそれが、考え方に幅をもたせえるというのであれば、大いにやるべきであり、その方針を全面に出すべきだと思う。
- 高校以上の数学は専攻している人にとっては将来のため、専攻していない人にとっては頭の体操や、日常生活の為だと思う。
私はずっと数学にはくるしめられてきたのであまりいい印象はもっていないが、問題が解けたときの嬉しさは、得意な人より大きいと思うので、それを励みにこの授業をうけようと思う。
- 論理的な考え方をやしなうため、発想の豊かさをやしなうため、でも数三、Cには拒絶反応を起こしました。
- 高校までやる数学はいわゆる骨組みのようだと思う。それがないと本当の、世の中の数学的事項を考えることができない。ただ日本の数学は中学校ぐらいまでの内容で十分だと思う。アメリカ人は数学はレベル的に(高校まで)とてつもなく低いが、数学者がでるのは、大学以降でのびるからである。高校生の数学(日本)はレベルが高すぎて、更に数学嫌いがでてしまっている気がする。
- プロを除いたら趣味でしょう。日常生活では使いようがありませんからね、頭の中を豊かにしてくれるものではないでしょうか
明日とあさっては我がモダンダンス部の公演です。ドキドキ......。先生もよろしかったらおいでください。
- 人間にとっての豊かさとは、自分の人生を楽しめる要素をどれだけもっているかということだ。
- 数学の問題を考えることで、論理的な考え方が身につくと思います。
- 一つ疑問がある。iについてだ。この世に存在しえない空想の数iをつかって、何のメリットがあるのだろうかこの世で役立つとは思えない。だってこの世に存在しない概念を扱うのだから、他にも高校の数学には実際に生活で役に立つものはないと思う。ということは役に立たない数学を、あえてやる意味は想像力を高める、感性を豊かにするということだろうか、でないと、私としては、ワケワカメなものをやっている意味が証明できない。
- 高校の授業の数学はつまらなかった。特に必要を感じる事もなかったので。浪人して自分で必死にやったときは、わかる喜びを味わえる時もあった。
豊かさとは、今の私にとっては笑顔の絶えない生活を送れる事。
- 今、他大で陸上やってます。とても楽しい。やっぱり物理的な目標があると毎日の生活がメリハリあるものになる。今週末には山形にいく。
- あいかわらずわかりません。盤を敷き詰める問題はわかったけどその前が全くわかっていません。それは別にかまわないんですか?盤のところがわかっていればいいんですか?(ダメっていわれると困るんですけど...)知識を豊かにするため?なら盤のところが理解できただけで十分豊かになっているんですけど...
それだけじゃマズイですか?
- せかいのにんしきのためだとおもいます。
- 豊かさとは...。
それぞれの人が自由かつ想像的に人生を過ごすことができること。 またそれを可能にする政治、社会のこと。
豊かさをはかるときによくGNPが引き合いに出されるが、独などでは、地価は高くて1m2=十万。家賃も1?=1000円ぐらい。住居も豊かさの一つであるので、一人あたりGNPの比較とか年間平均所得とかの比較は無意味である。
今日の天声人語のことば、about education
単に日本は経済、競争強国であるだけではないのか?大体、勉強ってホントはおもしろいものなんじゃないのか?土地は社会主義的に運営していくほうがよいのでは
- 考え方を豊かにするためのトレーニングの一つだと思って取り組んでいます。
- 理論的な思考を身につけるため。
学生へのメッセージ
- 数学の重要性はいろいろとあると思います。でも表現するのは難しいですね。実際、私も大学院生のころ数学は何のために勉強するのだろうかと考えたことがあります。専門家を目指そうとしていたわけですから、重要な問いです。いろいろとその重要性を考え、論理的に証明しようとしたあとで、しかし、自分が数学をする理由は、面白いから、知的好奇心のゆえだというところに行き着きました。このこと自体を誤魔化してはいけないと思っています。この意味では、高度の数学をするのは、「趣味でしょう」というのは当たっていますね。人間がその生の営みの中で感動するものに命をかけるのは、どんな分野でも素晴らしいことですが。
- 客観的な重要性・有用性はしかしながらやはり考えないといけないと思います。キャラメルの分け方がわかったり、布団のしき方がわかるから有用というわけではないですよね。高校で習う、2次関数、三角関数、微分積分などを直接的に使う人は確かに限られていますね。しかし、まず、考えてほしいのはたとえば、スポーツとの対比です。ボールを蹴ったり、ラケットで叩いたり、泳いだり、それによって何か人の役にたつわけではありません。しかし、あまり好きではない人もスポーツは体に良いと思っています。数学も同じです。数学をすることによって得られるものはたくさんあります。思考の論理性を高める、論証力をつけるといった、大体誰でも考えることがあります。これらは、数学をすることによって最も力がつくことです。それ以外にも、計算を、それも少し難しい計算をすることにより、ルールを守りながら一つ一つのステップを注意深くこなしていく力もつきます。他にも、定義をして、その上で様々な議論を積み上げていく訓練は、同じ環境のもとで育ち、なーなーで何でもやっていける時は問題ないでしょうが、背景の全く違った人たちが理解し合い(例えば国際的に)協力して何かを成し遂げていこうという時には本当に重要な力だと思います。
- 数学・科学は正直な真理追求の学問です。誤魔化したり、間違ったりする、そのときはそれが受け入れられることもありますが、いずれ、それは明るみに出され正されていく。結果オーライではありません。その意味でも、真理に対する、特別の感情をこの分野の人たちは持っています。ちょっと、持ち上げすぎかもしれませんが。科学者にクリスチャンが多いのも自然なことだと私は思っています。絶対的真理というものの存在を学ぶことは、特に日本では重要だと思います。どうですか。ま、これも試験で○をもらったらそれで良い、試験に受かればそれで良いとすり替えられては同じですかね。
- ではなぜ、数学を学校であまり楽しめないのでしょうか。私も、そのようなことの専門家ではないからわかりませんが、人間の思考の本質に関わるような数学では、理解するのに方法も、時間も、道筋も人によって非常に異なるということです。これは一括の多人数授業で対応することはできないということではないでしょうか。それと、チェックしやすい能力の教育に力と時間を注ぎ、いろいろな方法でじっくり考えることをおろそかにしたり、証明の力を養うことを減らし、共通テストでも証明問題が入れられないシステムにしてしまったりということも関係していると思います。そのような中で育ってきた人がまた教師となり、楽しさを伝えることがなかなかできなくなってきていることも問題でしょう。私は、ICUに来る前は、大阪教育大というところで教えていました。私自身の責任も強く感じています。
- 例えばアメリカでは、大学で数学は必修です。日本では、文化系といわれる分野では数学は殆んどしません。今までは、高校までのレベルでの数学の必修がある程度ありましたからそれでもどうにかなっていたと思います(実際、アメリカの大学で文化系の人に教えている数学は日本の高校レベルが殆んどです)。しかし、日本でも最近、数学は特に必修の時間が大幅に減り、必修に関しては1/6になったと言われています。これでは、これからの特に文化系の学生さんは大変ですね。外国の大学院に入るような人はどうするのでしょうか。皆さんは是非積極的に数学の授業をとっていって下さい。たとえは、微分積分は、ICUでは高校で、微分積分などを全く勉強していない人用の授業も出ています。(初等微分積分学)この NSI の授業のような、体験的な数学だけでなく、実際に使っていくための数学も積極的に学んでほしいと思います。
- 数学が科学・技術の世界で果たしてきた役割はだれも疑いのないものです。しかし、数学を専門に勉強している人もその重要性と、教育に関して、ある程度の貢献をしっかりして来たかは問われるべきだと思います。解けた時の嬉しさは、各別なものがある数学、この魅力をある特定の人しか味わうことができないとしたら問題ですね。
QUIZ3 : ここまでの NSI について。将来の夢、目標、25年後の自分について、等々。
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夢ですか ... 。実業家になって、ICUに多額の寄付をして、せめて自転車置き場にでも、自分の名を冠した屋根が作られるといいですね。なぜか一部を除く自転車置き場は雨ざらしなので。学生には、感謝されるでしょう。
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国内の院に進学します。本当は海外に行きたいけれどもお金がないので。チャンスがあったら、向うに行きたいです。
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たまには混乱してわけがわからなくなる時があるけれど、今のところ何らかのひらめきがあって楽しい。夢というわけではないが、いろいろなことを原点に返って当然と思えるようなことにも感謝したり疑問視することができるような人になりたい。今は、ちょっとしたことにもすぐなれてしまって慣性に従って動いているけれど、そうしては行きていけない時が来ると思う。((ex) 石油がなくなる、デフレスパイラル)そんな時に生きているだけの力とそれを感謝できる心を持っていたい。25年後。もしかしたら子どもが自分の歳ぐらいになっているかも知れないし、死んでいるかも知れない。生きていたなら、働いていたい。自分で行きている、周りに生きていることを許されていると思える存在でありたい。
- 私は、NS から転科して H にいるので数学にはなれているのですが、今まで余りやらなかった人には、ないよう難しいと思います。でも NS の時の数学の授業より面白いです。
- 小学生のころ、「将来の夢」という欄に書くことはたいていみんな、警察官、パイロット、先生、花やさん、etc. といった専門職だった気がするけれど、そういう人たちも殆んど、今日、企業の内定式へ行っているのでしょう。子供の「夢」と大人の「夢」の違いを感じます。これから持つ「夢」は「かなえる夢」でありたいと思っています。
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なかなか難しいです。え、これが答なの?と思うこともしばしばです。しかし、理数的論理的思考は、文系の人間にも必要だと思えることもしばしばです。やはり GE の NS 科目は、計算することよりも、思考方法の紹介ということで意味は大きいと思われます。
以下3年生
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今まで休ませていた脳みそを使うのでここちよい。
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鳩の巣原理は難しい。説明を聞けば聞くほど混乱する!?
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多分、なるようになってます。
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楽しいが、あまり授業中に納得できたことはない。あとで説明してもらってわかることが多い。脱サラで花屋を開く。
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45歳! いやですね ... 。
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将来の夢は
- 好きな仕事で稼げるようにする(これは結構重要なぜなら1ができれば2で失敗してもやり直しがきくから、)
- 結婚して幸せな家庭を築く。
です。
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*将来の夢*今はなんとか、無事に4年間で卒業して、その後、ステキな人と結婚して駐在マダムになることです
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生まれて初めて10月1日(都民の日)に学校に来ました。(小、中、高は公立だったので休日になってました。)
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いままで、ハゲが何だとか、生活密着系の話が出てきましたが。いつもと違う筋道を通って納得できるものや、数学で考えると違った答えになることもあって、普段、普通に考えるのは、ある種の偏見なのかなとも思いました。
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NS1:そこそこおもしろい、ちょっと難しい。
将来の夢:日本を動かす人間を動かしたい。
目標:ELPをはやくおわらせる。
25年後の自分:命と夢と友人のうちどれか一つを失っている。
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今までのNS1は証明する問題が多く、はっきりとした数学の答えをだす問題ではないので、イマイチすっきりしません。
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夢や目標はあるが、人に話すことではない。とりあえず、自分を高めること。25年後の自分についてなど想像もつかない。その日ぐらしをしているわけではないが、どんな可能性もありうる。生きているかさえあやしい。そんなものだと思う。
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ここまでは、楽しかったです。
25年後の自分は、社会学か何かの研究をしている(いたい)かも。または、放浪していたりして。または、人類がすでにいないとか。25年後はどんなになっているのか、(自分と世界が)見当もつきませんね。それだけに、想像するのは楽しいですが。
将来の夢、目標は教養人になること。少しでも多く何かを知ること。そして自分を成長させ続けることです。(実はそのために、ICUのリベラルアーツを選びました)
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基本的に分からない間は分からないままだけれど、たまにひらめいたように理解できた瞬間がとてもうれしい。その瞬間がなければきっと、全く理系ではない私が数学をやるのは不可能だろうと思う。
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将来の夢:自分でNGOをつくったり、国際問題を扱ったジャーナリストになりたいと思っています。目標というのは色々あるけれど、とりあえず先ずはスペイン語を喋られるようになりたい。
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鳩ノ巣原理は考え込むと良く分からなくなります。“最大”や“最小”という言葉も惑わせる一因だと思います。大学4年間は、一般常識的な知識と、英語力をつけることです。
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鳩ノ巣原理がちょっと難しい。なんか中学レベルの知識があれば良いって書いてあったのに...。将来の夢は高校の英語の教師。25年後は...何をしてるんだろ。40代だもんな...。先生は19才のとき25年後にどうなってると思いました?
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高2のときに数学とはお別れして、もう二度と会わないとおもったが、こうやって再会した。最初はいやだったが、やってる内容が、小学校のときのりんごや鉛筆の問題を思わせるようになってきたので算数が楽しかったころを思い出しなつかしい。
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自力で解法を思い付けないのが残念ですが、それでも楽しんでおります。
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将来の夢:受験参考書を作ること ワインを作ること
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鳩ノ巣原理は難しいです。高校の時も結局分らなかったような記憶が...。数学的帰納法はけっこう簡単だったのに。将来の夢...。まあ、職業とかは何でもいいですけど、とりあえず、周りに流されないで、しっかりとした自分の意見を確立している人になりたいです。
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だんだん難しくてよくわからなくなってきました。25年後の自分は44才で子供が2人くらいいればいいです。
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44歳。不惑、になっていないだろう。
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P.S. 私はカラスの「ガーちゃん」なるものを知っている。実は、先生の息子さんとキャンプ場で遊んだ。そうそう、C-WEEK の OPEN HOUSE の日のこと。「数学の鈴木」先生と言っていた。マイクやビルの子供ともいっしょに遊んだ。
数学の世界を考える。
(知しき、多面性、発想力、「数」というもの、その他etc、という言葉が中心にある小さな黒いてんからそれぞれでている一本の螺旋の先に書かれている図:図省略)
一見全く無関係と思われる数々の要素が融合し、はじめて数学の世界は形成される。
2の問題の欠点...ほんの遊びです。
「知り合い0人」と答える人と「知り合い146人」と答える人は共存しうる。
相手からは知り合いと思われていないのに、勝手に知り合いと思い込んでるサビシイ奴がいる場合。
虚言ヘキの激しい奴がいる場合。
イタズラしてみちゃったオチャめな奴のいる場合。
本当は知り合いだけど「知り合いと認めねぇ」と言う奴のいる場合。
知り合いだと思っていたのが双子もしくは片方で出席しているのが、双子のはじめて合うやつだった場合。
目の見えない人がいて、その人からは誰が誰だか認識できない場合。
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最近すっきりしない天気が多いので、一度さわやかな秋晴れになってほしいです。けっこう天気によって気分は左右されると思う。
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私は、大学入試直前まで数学をやっていて、数学の面白さを知ることができたので、この授業もenjoyできているが、そうでない人はけっこうキツイかもしれない。夢とか目標とかはいつも臨機応変に考えているので、いつもコロコロ変わるが、現在の目標はexchangeでイギリスの大学にいって、そのついでにアイルランド、スペインを旅行したりして、経験を積むというところでしょう。
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だいたいの授業は半分が理解できて、半分があいまいということが多いけれど、わかると“へえ、そうなのか”と思って、こういう考え方をすると数学もけっこうおもしろいなあと思います。でもできればもう少し多く理解できるともっとおもしろい...。
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ここまでは理解できてます。しょうらいのゆめは、だいがくにのこってきょうたくのまえでせいとといっしょにかんがえるひとになることでーす。
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将来の夢:哲学者
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ここまでのNS1について。定理とかが出てくると、何それ?という感じでしたけれど、具体的な問題は、なるほど、と思いながら楽しくできてます。
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これを書くのも3回目ですが、点数が低いのは決して放棄しているためではありません。一応は理解しようと努めているのです。最近は不運つづきで良い事が1つもありません。→自転車でころび、顔にあざができる、めがねがこわれる、コンタクトをなくす、睡眠不足、自転車タイヤのパンク。
将来の夢はとりあえず、大英博物館の学芸員になることです。エジプトに行ったのに、多くの、博物館でみられそうなものが大英博物館にあって、あまりみることができなかったためです。実際に行く前からわかっていたことですが。
学生へのメッセージ
- 「鳩の巣原理」は苦労されている方が多いようですね。「存在命題」というのは日常的にあまりつかいませんから思考の訓練も必要です。しかし、それとは別に、言葉、例えば日本語がそれを正確に伝えられるだけ試されていないという面もありますね。わたしも考え込んでしまう面もあります。数学ではそこで、記号をつかい、一つ一つこういう意味と約束していくわけです。それを省略していることからおこる混乱。いたしかたない面もあります。そこを厳密にすると、無味乾燥なことが延々と続いてしまいます。歴史的に見ると、数学者の世界でも、「存在定理」は専門家にもなかなか受け入れられなかったということもあります。簡単ではないですね。頭の、いつもと違うところが刺激されていることを快感として楽しんで下されば嬉しいのですが。
- 私は、現在45歳です。大体のかたにとって皆さんの25年後です。もう引退ですかね。私は、今青春まっただ中とはいわなくても、人生の一番豊かな時だと思って毎日楽しんでいきています。楽しいことばかりだからかな。絵にかいたような夢を持つ必要はないかも知れないけれど、Vision をもつことは人間の成長にとって大切だとおもいます。わたしもいろいろな夢を持っていました。そして今もたくさん夢を持っています。夢の内容は確かに少しずつ変わってきていますが、夢を心に抱く気持ちは、昔と変わらない気がします。
QUIZ4 : あなたの「大人」と「子供」の定義を述べ、そのもとで自分が大人か子供か判定せよ。その他なんでもどうぞ。
- 先週(10/1)は内定式だったため、授業を休んでしまいました。やはり1日休
むとその後授業についていくのがとても大変でした。
- 大人 → 自立している。子供 → 自立していない。この定義だと、一般
的に「大人」と言われている人も実は子供だったりします。わたしは、まず経済的に
自立すらしていないのでもちろん子供です。
- 心理学には ego-identity という概念がある。すべてを依存する状態から、独
立して、やがて協力できるまで成長するということだ。家族の中や社会の中でこれが
実践できるようになれば大人である度合いが高いと思う。ここで、度合いという言葉
を使ったがその前提として、わたしは大人と、子供をきっちり分けることはできない
と考えます。程度の問題だと思う。いつまでたっても大人になりきれない部分はある
のでは。
- 大人は自分のことがよく分かっている人(思いこみではなく)自分をはっきり
人に示せる人。他人に優しくできる人。その反対が子供。私はまだ子供です。
- 「定義」はできないし、する必要も感じない。一般的に大学生に求められる解
答としては、年齢や体の大きさよりも、精神面に重きが置かれるべきなのだろうし、
どこの本の読んでも、18歳以上が大人などと言うシンプルな意見を述べている学者
もいないはずである。にもかかわらずしかし、わたしは年齢以外の criteria をほか
に見いだすことができない。人にはそれぞれ様々な特徴があり、またほかから見たそ
の人と、うちのその人を他の人が知ることはできないし、また自分のことについても
そうである。社会的な振る舞いの中から判断することができるならば「人に迷惑を
かけない人間」と言いたいところであるが、もしその人の内面に確固とした主観が築
かれていなくこだわりや考えがなければ、わたしはその人間を大人と呼びたくない。
客観という名のものに人の意見に左右されている人間は、子供であると言うよりむし
ろ阿呆である。よって、子供か大人かどうかと言うことなど年齢や外見などのとりあ
えずはっきりした criteria に基づくしかないのだろう。しかし、あえて言うならば
、主観を持っているのが大人で、客観の中でさまようのが子供であると思う。そうい
う意味ではわたしは大人であると思うが、親から見ればいつまでも子供であるのは仕
方がない。おそらく社会的には子供だと思うし、いわゆる「子供の心」のようなもの
は保ちたい。
- 「大人」に対して、子供を「小人」と書きますが、これはふつう「こびと」で
はなくて「こども」と読むのがおもしろくないなと思います。「小人」はただの「ち
いさいひと」だけど「子供」は、「子ども」だから「子」がたくさんいるのでしょう
か ... ?
- 大人:自立している、子供:自立していない。だから、私はまだ経済的には自
立していないので子供(精神的には多分もう少し自立しているけど)。質問:どうし
て今日は「大人」と「子供」の定義について質問されたのですか?私がこの授業につ
いて思うことは、普段見逃しているバラバラな現象を整理してみようと言う発想です
。こういうものをまとめてみようとしたことは私にはないので極力難しいです。いつ
もテストできなくてごめんなさい。でも私なりに頑張って考えてみます。
- 毎回、とても授業おもしろいです。今回のテストは難しかった。
- 「大人」・・・ がまんができる。
「子供」・・・ 自分の欲求をかまわず出す。
私は子供です。先生、私はいつもこの Quiz ができない。ひらめきみたいなものがな
くて。いつもとけない。もっと頭を使わなくてはいけないのですよね。あーひらめか
ない。
- 大人=自立している。
子供=依存している。adult children なんて言うのは
依存を克服できずに自立している自分の理想と相いれなかったりしますよねえ。
- 分別があるかどうか。その意味で自分は子供であると思う。
- 20 才なので大人。
- むずかしーい!
- 「大人」・・・ 他人や、その他の様々な物事を許すことのできる人。かつ
、周囲に適当な気くばりのできる人。
「子供」・・・ 感情と欲求がそのまま表に
現れる。しかも行動基準がすべて感情と欲求である人。かつ、周囲に気配りができな
い人。
私は ・・・ 「大人」でも「子供」でもあり、そのどちらでもないです。私の定義
からすると。「許す」という動詞の重みをいつも感じます。私は「許す」事ができないことが多いので。皆どうやって「許し」ているのでしょう。「許す」ことができるのはやはり平和になることにつながるのでしょうか。
頭の悪い(動物・ヒトとして)人、みにくいもの・人を私は許すことができずに生き
てきました。今まではそれでも何とかなってきたのですが。これからはどうなるもの
か。
- 「大人」:個体、「子ども」:液体、「自分」:・・・ ゼラチン質?どち
らでもないような、でもどちらかといえば大人に近いような?
- 「大人」は自分の新年や考えを持っている人、自分らしさ、自分のアイデンテ
ィティを持っている人、「子供」とは、他人のいうままに考えを向けてしまう人。
以下2年生
- やっぱり鳩ノ巣原理はよく分かっていなかったみたいです。
- 大人:責任をとれる。自分の予測に基づいた気のきかせ方とか行動とかできる
。立場ができる。挫折を知っている。
子供:自分の興味・欲望に従う。行動はマネす
るのが中心で考えでなく感情的。
自分:両方あり得る。まだどっちにもあてはまっている。大人になり切れていない。感情的とか。
- 他人/周りの人がどう指図しようと、自分の意志を突き通せる(もちろん相手
の考えなども考慮に入れながら、ある程度認めながら)。「子供」はきっと殆ど誰か
に自分を委ねるが、「大人」はある程度独立。また自分を確立。また違う視点から見
ると、「子供」はきっと自分の感情・不思議に思ったことなど直接的(率直)に言え
る。「大人」はその点、人に言っておかしくないか、常識など考慮にいれてるから、
自分の中にそういった気持ちは閉じこめてしまうのではないか。(または、そういう
感情がうすい。)私自身はきっと中間。それでも、個人個人の生まれ育ちの環境、生
まれ持ってる性格、性質上、「大人」でも純粋で、感情などを素直に表せる人、「子
供」でそれらを表せない子、「大人」でも自分が確立できていない人もいるし、「子
供」でも自我だけでない堂々とした自分を持っている子もいるでしょう。
- 「大人」と「子供」の定義は様々あると思うが、私が今考える定義とは、「子
供」は夢を持ち、その夢の世界に生き、それを実現させようと周りを気にせずに行動
するもの。一方、「大人」は、周りを気にし、社会に生かされているものいわゆる「
常識」にしばられているもの。私は、この様な意味では、「子供」になりきれない「
大人」であると思う。夢があり、夢の世界に生きていて、それを実現させようとして
いるのだが、常に目の前に「常識社会」がちらついてそちらの世界でも生きなくては
ならない自分がいるのである。
- 「大人」「子供」は、人々によって概念は違うと思うが、私はこの様に思う。
「大人」とは、「自己判断によって自ら行動し、同時にその責任も負う」段階の人間
であり、「子供」とは、「親の保護によって行動はある程度制限されるが、同時に、行
動する責任はあまりない。」段階の人間である。自分は、まだ、経済的には自立して
おらず、親の保護下にあるという意味では、まだ「子供」である。しかし、一方、自
分の行動は、大学をえらぶ(親の反対もあった)ことや、自分の進路に関して、主体
的にやっている。完全の「子供」とまでは言えない。つまり、自分は今「子供」から
「大人」への移行期にあると私は考える。
- 大人 ・・・ 自分で大人だと思っている人。
子供 ・・・ 自分で子供だと思っている人。
自分 ・・・ 大人ときどき子供(皆そうだってね)。
大人 ・・・身体的成熟(性交可)、経済的自立(一人で食っていける)法律的
な社会基盤上で活動(保険などの社会保障、賃貸に関する契約などが可)、あとは
、飲みに誘われても相手の気分を損なうことなく(法律的に飲酒可)、でも 20 才
は大人に関係ない、全然ない。
- 私は「大人」とは自分で物事を判断し、自分に関することはなんでもでき(自
立)責任を持った行動をとることができる人で「子供」はまだ親の保護のもとにあ
り、自立できていない状態をいうものだと思っていました。しかし、最近受けている
教育哲学の授業において「家族」や「こども」ということを考えてから「子ども」に
関しての見方が少しかわりました。中世の13 世紀〜 14 世紀においては現在の
私達が「子ども」とか「大人」と分けているような概念はなかったようです。大人が
小さくなったような感じでとらえられていて、子供服などもなかったようで、「子ど
も」は低く見られていたようです。現代のたいていの大人は自分の子どもをかわいい
と思い、いとおしい愛する存在として子どもを大切に育てます。しかし、それもすば
らしいことだと思いますが、日本の一昔前に見られるような、子どもといえども一人
で物事を考え、行動できるような年齢に達すると、責任を持たせてきちんとしつけを
すべきだと思います。「かわいい子には旅をさせよ」といいますが、幼い頃、いくら
かわいいからといって甘やかしすぎてもいけないとおもいますし、でも、力いっぱい
愛してあげたい存在でもあると思います。そういうけじめをつけた教育をする事を大
切だと思います。
私自身、大学に入学し、一人暮らしをはじめ、本当に親に感謝しています。以前に比
べると成長した部分もありますが、まだ未熟で経済的にも親の世話になっているので
、一人前の「大人」とは思いません。
- 今年で20 才になりましたが、時々「ああ、もうこういうことは(子供じゃ
ないから)許されなくなるんだな」と思うようなことに出会います。もちろんその逆
もあるのですが(お酒とか)、今の自分は何となく中途ハンパな位置にいる感じです
。
- 問2 の基本的な考え方は分かるような気がするのですが、授業の問題で、式
になぜ 21 を足したのか、また、今回の問いならばどの数が授業の式にあてはめら
れるのかが余り分からずあっているのか不安です。ところでこういう問いに対してむ
きになって解こうとするのも「子ども」なんでしょうかね。なにも、こんなにむきに
ならなくても、というくらいがんばって考える時があります。(ex. 8 つの点でか
けない凸五角形)でもそういってしまうと、多くの数学者が「子ども」になってしま
いますね。とは言え、情熱を失ってしまうのが「大人」だとしたらそれも悲しいです
ね。
- 他人への影響を考慮にいれつつ自分の意志を遂行する事ができるバランスのと
れた人。自分はまだ。というかそういうことができる人ってすごく少ないですよね。
- NS の学問はやっぱりイイ。高2 のはじめに易々と文系にきめちゃったけれ
ど、時々道をあやまったと思う。NS の授業はとりたいやつ(とれるやつ)はほとん
ど他の学科の基礎科目と重なっててとれません。工学もおもしろそう。
- 音楽は良いですね。先生はどんな音楽きくんですか。私はクラシックからPOP
から広く浅く聞きますけど Morice Ravel と ピアソラは良いですね。Cocco も好き
。
- 黒板の字をもう少し大きめに書いていただくと助かります。
- 大人:何があっても動じない。冷静でいられる。
子供:すぐ感情が顔に出る。
(嬉しいときは良いが、怒っているなどはやっかい)
- 「大人」ここぞと言うときに自らの感情を押さえしかるべき態度のとれる人。
自らの責任をきちんととれる人。周囲の様子に気の配れる人。自分の人生においても
目標を見つけ、努力している人。美しい言葉を用い、美しい文字を書く人。私利私欲
、快楽だけを追求しない人。そんな人になれるものならなりたい。
- Final は open book ですか? それとも closed book ですか? 私としては
、open book で難しい問題を出されるよりは closed で今までやったような問題をや
る方が良いです。
説明の時、黒板の字が小さすぎて読めないので大きく書いて下さい。
人の心を思いやれる人は「大人」と呼んで良いと思います。逆に自分のことしか考え
られない。人は「子ども」なのではないでしょうか。でも人の心は流動的なものだか
ら常に「大人」という人も常に「子ども」という人もいないと思います。両方の間を
人は絶えず動いているように思います。ちなみに私は「子ども率」80パーセントと
いうところでしょうか。でも「子ども」だから悪いとは思いませんが。「自分のため
に生きる」というのも良いことですし。
- 難しいけれどぼくは子供。でもとりあえず「大人は夢をなくして汚れていて子
供は純粋」というような定義は最悪。
- 「大人」というのは経済的にも精神的にも1人でキチンとやっていける人(い
きなり一人になっても生きていける人)自分のことを自分でできる人。「子供」は、
何らかの形で親(必ずしも親だけではないけれど)に頼って生きている人 ...
じゃないかと思います。もちろん私はかせいでいるわけでもないので親に養ってもら
っている分けだし、1人暮らしでもないので必然的にけっこう面倒を見てもらってい
ます。よって自分はまだまだ「子供」だと思います。
- 大人:人からお金をもらわないこと。(年金は除く)
子供:人の金で生活すること(たとえ少額でも)私は親の仕送りも受けているのでまだ子供。
- 大人はいつでも自分のやることに責任が持てなくてはならない。私は(大人に
なれない)子供です。どこかに甘えをさがしています。
- 「大人」は世間体を考えて自分に自分でこれはいいこれはダメと制限をつける
ことができる。「子供」は自分の好奇心に思う存分従うもの。自分はその両方を持っ
ている。しかもかっとうがおこってます。
- あまり考えたことがありませんが、「大人」とは困難なことにたとえ失敗して
も勇気を持って立ち向かうだけの精神力を持っている人だと思います。かつ、そのと
きに上手に周囲の人に頼ったり相談したりして世間一般的に見てベストだと思える策
を最終的にとれるあるいは取ろうとする意志をかねそなえた人だと思います。もちろ
ん大人である人も私利私欲を追い求めたい(楽な方に進みたい)という欲求を持って
いるでしょうか、それを乗り越えられることが重要な気がします。
でも、そう定義すると本当の大人なんてこの世に一人もなくなってしまいそうです。
もちろん私は子供です。
- 自分の行動に責任が持てること、自分の社会的役割を自覚していること。私は
親の金銭的援助を受けている限り子供だと思います。
- 「大人」とは相手(他人)を思いやれる人。年齢は関係ないと思う。私は ... 中間でしょうか。最近だいぶ悟ったし。
- 大人になりたがるのが「子供」で、子供に戻りたがるのが「大人」。私はこの
辺(子供率2/3)
- 大人:日常を受け入れられる人(かしこい生き方)
子供:変化という未来に期待を持つ人(期待はたいてい、うちやぶられる)
ぼくは、子供だと思います。
- 「大人」・・・ 子供に戻りたいと思っている人(子供の頃のいい思い出しかお
ぼえていない)。
「子供」・・・ 早く大人になりたいと思っている人(大人の楽しそうな面しか見えてない)。
私は子供ですね。
- 私は「大人」というのはある意味で子供から見た偶像のようなもので、小学校
の時や幼い頃、大人が完璧であるという錯覚を私自身もよく抱いていました。けれど
中学、高校をその考えが錯覚でしかなく、大人も子供と同様に、不完全で、弱い(あ
る意味子供より弱い)生き物だということに気づきだして、そのことに気付いた時期
というのが、私が、それなりに、大人と対等に向かい合えるようになったとき、つまり
「大人」になったのではないかなと今考えて思いました。知らず知らずに大人になる
なんて嫌ですね。
- 「大人」と「子供」は一対一に存在するもので、どちらかの存在によって、も
う片方の存在も証明される。「子供」は社会の経済に影響をおよぼすことがまだでき
ず、その代わりに、大人がその子供の責任を担い、十分に成長したとき、子供は社会
で生きていける「大人」となる。
以下1年生
- 何も大人の世界から影響を受けていない「子供」はすごく無邪気で自分に素直
で夢を持っていて「できない」ことも「できる」と無条件で信じている。「大人」は
そういう子供の心をなくした人だと思う。自分のなかで、何かを客観的に理論的にま
た理性的に考え(例えば何かをできるできないにしても)られる様になったのは大人
になってきたからだと思いつつ、子供の目、心を失ってきているようにも多々思い寂
しいです。
- 違いはその人の「世界」が広く物事をいろんな面から判断できるか。
- 僕は大人だ。という僕を大人達は「子供だ」と考えている。そんな大人達を僕
は「子供だ」と考えている。どちらが勝つのだろう。僕はいう。「僕が正しい」と。
彼らはいう。「私達が正しい」と。ところで僕は、ものごとが分かったときが大人だ
と思うが、しばらくするとまた新たな見方を見つけたり、悟ったりする(学校、大学
の勉強とか知らなかったことを学習するのとはちがう、... 通じますが
)。大人になってもそうでしょう。つまり分かり切ってしまうことはないわけで、永
久に子供だよ、この定義だと。
- 大人:自分の行動に責任をとる人。
- 大人:自分の行動に責任がもてる。
子供:誰かに守ってもらって自分の思うま
まに行動する。そういう大人にならなきゃと努力はしているのですがやっぱり誰かを
頼る方が楽でそっちに傾きがちです。やっぱまだまだ「子供」ですね。でも私の定義
によれば「大人」な人は私達の年代では少ないです。
- 私は 10/18 でハタチになります。でも、気分は子供です。まだ。
- 子供は dependent、大人は independent。(私は親に扶養してもらっていると
いう点においてはまだ子供ですが。)自分の自分に対する責任の割合が増えるにつれ
て大人になるので今は、子供と大人の中間。
- 5、6年前の私なら、「大人」:ずるくて夢のない人、「子供」:夢を持って大
人に立ち向かう存在、だから私は「子供」と言っていたと思います。今は、ずるくも
なったけれど、まだ、捜し物をしているような感じなので、この定義ではどちらとも
言えないですね。別に大人だって夢が子供と違った感じでありそうです。
- 大人・・・ 責任が持てる人。自分・・・ 子供。
- Context で異なる。
- 大人は、子供と同じだけど、それを隠そうとする人で、子供は、隠そうとしな
い(たとえば感情とか)。自分は「大人」になっちゃいました。どちらが良いとかは
悪いとかは、なくて、各人が「大人」だったり、半「大人」だったり、「子供」だっ
たりするのかも知れません。すみません。難しくて、自分の言いたいことをはっきり
説明できませんでした。
- 「大人」・・・ 習慣的に自立している人。
「子供」・・・ 他者に依存し
ている人。
私はどちらでもないと思う。(70パーセント大人のところを図示し)だ
からどちらかというと、大人の方に近いところにいると考えている。
Suitable Size:人間は、一人では生きていけない。物理的にすべての生きる上での
必要な活動「生産、貯蓄、消費」を一人で行うのは甚だ困難である。それよりも、集
団を単位として生活した方が便利であり、効率的である。小は家庭から、大は社会の
国家まで人間は集団行動の中で生きている。だが、規模や構成とその集団の目的・目
標が conflict する場合もある。例えば、家庭生活を営むのに、父親が8人や 9人、
母親が20人もいる必要もないし意味もない。国家を独立国として経営しようと 3 人の
人間が頑張っても殆ど無駄であろう。
- 「大人」というのはつまらないことにいちいち角を立てずに穏便に物事をすす
めていける人のことじゃないでしょうか。そういう観点からすると僕は「子供」だ。
- すべての自分の行動に対し、責任をとる能力及び意志を持つ人が「大人」と言
えると私は考えます。だから、その人の年齢がいくら若くても(常識の限度を越えな
いくらいに!)上記のことを満たしているなら「大人」である。
- 子供です。精神的に自立できていないから。他力本願。酒に溺れる。
- 大人:自分の考えを持っていて、自分で判断できる人。極端な感情の起伏がな
く、他人を思いやれる人。自分で生活できる人(自立している人)。
子供:感情のま
まに行動してしまう人。自分をコントロールできない人。
私は、全くの子供というわけではないが、大人にもなりきれないと思う。もう少し自立していないといけないと思いながらも、家には家事をやってくれる母がいるので、ついつい頼ってしまうし、グチも言ってしまう。いつか自分の理想の大人になれるよう努力します!
最近、授業で扱う問題が難しくて大変です。特に公式というか文字におきかえて一般化したものがどうも理解できません。理解する手順みたいなものがあったら教えて下さい。
- 大人と子供の間に「もう子供ではないけれど、大人でもない」という段階があ
ると思う。大人というのは、自分自身が基をおける信念の様なものが完璧にできあが
っていて、子供はそれを作ったり壊したりして大人に近づいていくものだと思う。け
れども、それができあがってしまうのは、ある意味で、もう他への flexibility が
なくなってしまうことなので、私にとって大人は必ずしも positive なニュアンスだ
けではない。私は、まだ、大人でないとよく思うので、このまま、一生大人にならな
いのかも知れない。常に、自分の信念が変わっていっているような気がする。でも、
こういうことはきっと外から見たら、人は大人か子供にしか分類できないだろうとも
思う。もっと、自分を客観視できるようになりたい。それも大人への一歩かも知れな
いが ...
授業はますます難しくなってきたが最近は先生が説明を 2回して下さるので助かっ
ている。黒板を写しているときは、まるで先生の声が聞こえていないので。ただ、|
{ }| とか Σ がでてくると、先生は「とりあえず書いておきます」とい
う感じでお話ししますが、他の人は分かっているようなので、ときどき「本当に分か
っていなくて良いのだろうか。」と思う。その他の問題はがんばって理解している。
- 精神的にまず自立していること。親はもちろん他人にも甘えないのが大人だと
思う。
- 「大人」は自分の親。許可なしになんでもできる。「子供」はやらされること
を拒否する権利はあってもやりたいことをするのに親の許可がいる。自分はどちらと
も言えない。
- はやく「大人」といわれるような人になりたいです。
- 自分の過失に対して責任がとれる人を「大人」とれない人を「子供」とする。
自分はまあだ子供。収入もなく、例えば誰かにけがをさせてしまったときなど自分一
人では責任がとれない。
- 難しかった。
- 大人 ・・・ 自立している。
子供 ・・・ 自立していない。
私はその中間。経済的には自立できていないが、精神的には自立しているつもり。だって大学生って完全に自立できるような自分になるためだと思うから。
最近の疑問 and Objection :なぜ ELP はあんなにつらいのか?XXXX は宿題を出しすぎる。でも、ためになるから辛くてもやってしまう。でも睡眠時間が足りない(平均3時間ちょっと)。頭痛もしょっちゅうする。XXXXは一日2時間以上宿題に費やすなと言う。でも絶対不可能。時には7〜8時間かかる。土・日も勉強ばっか。受験の方がはるかに楽だった。俺の大学生活って一体何?明日(土)に友達と行く焼き肉だけが唯一の楽しみ。でもやらなきゃ。
- 電車の中で寝ている人が多いです。
- 大人とは子供を大人に育てることのできる人。子供とは子供を育てても子供以
上にはできない人。たとえば18才とかで子供を産んで育てても、その子供はまともな
大人に育たない。それは親が子供だから。子供が子供を産んじゃダメですよね。大人
が子供を産むと大人が育つけど、子供が子供を産むと子供が育つ。私は自分では大人
のつもりだけどきっとやってみたらまだ子供であることに気付くんだろうなと思いま
す。
それともう一つ。Σ ってどういう記号でしたっけ。授業を聞いていても全く理
解できませんでした。Σ の上の数は ... で 下のかずは ... とい
う風に説明していただけると嬉しいのですが。
- 僕は「大人」とか「子供」とか言うカテゴライズが嫌いです。僕は強いて言う
なら「子供」と「大人」の中間領域にいたいです。
- 自分の行動にすべて責任を持たなければならないのが「大人」だと思う。自分
は「大人」になろうと努力しているつもりですが、親に、学費、生活費を出してもら
っている今はまだ「大人」になれていないはず。
- 先週の QUIZ の先生のコメントについて。先生のお子さんと Field でたしか
に遊んでいました。ガーちゃんはいじめられているように見えたですけれど、ちゃん
とかわいがられているんですね。
ところで今日は寮生は Pajama and Pillow Day ということなのに、殆どの人が枕は
おろかパジャマを着ていません。Fr. で 2WD は私の他にあともう一人いますが、
彼女はネグリジェなので,パジャマを着ているようには見えませんし。寝癖はついて
いますが。それとあともう一つ。この前の日曜日。聖餐式があるということを行って
みてはじめて知ったので、びっくりしました。あっ先生が ... と思っていたん
ですけれど、他にも ELP の先生にも会ってしまいました。最後につけ加えとして、
集合は昔、好きだったものだから、何とかなると思っていたらひどいことになってい
ます。ベン図を前回見てICU入試対策に5日間だけ通っていたことを思い出しまし
た(去年の夏休み)。つくづく偶然はあるものと感じました。だからその夏期講習が
役に立ったとは全く考えていません。
- 大人とは自分が大人であるという責任を自覚し、身体・精神ともにそれなりに
成長した人間。私は子供。責任感がないから。
学生へのメッセージ
- 私は、高校の1年生のときに、学園紛争があり、3カ月以上授業がありませんでした。その中で、生徒の指導者の一人、とても賢い人が、「教師も未熟なのだから、生徒が未熟だからといって命令したり、しばったりできない」と言っているのを聞いて、自分の未熟さをとても強く感じていた私は、自分はそんなこと言えないなと思っていました。「子ども」「大人」に関する問いは、皆さんのころが一番いろいろと考えられるのではないかと思います。たくさんの方が書いて下さいましたね。気持ちが良く伝わってきます。
- いくら一番の関心事としても、経済的独立のみを考えるのはどうでしょうか。就職してお小遣いをもらわなくなっても、経済的にでさえ独立することはとても難しいことです。他にも様々な要素があるはずです。
- 子どもを、単に未熟としないで、魅力的で、大人とは違うものとしてとらえることも重要ではないかと思います。私も子どもを見ていて、とても豊かなものをたくさん感じます。私は、それをすでに失ってきていますが、それとは違ったものをたくさん得てきています。子どもをじっくり見ることのできる人と、あまりその経験がなく、過去の自分からだけしか子どもを見ることのできない人、いろいろといるのも面白いですね。どちらにしても、私の学生時代よりは皆さんは大人だなと感じました。「大人」を考えることは、「人間」を考えることでもありますね。
QUIZ5 : 結婚について、家庭について、子供について。
-
コメントするのは難しいです。ちなみに、このClassのささやかな目標は、「Quizですべて満点とるぞ!」です。なんてことをいっているとQuiz5でこけたりするかもし
れませんが。
-
結婚とはタイミングでするものだと思う。それを続けるのか、続けないのか選択肢はあってほしいと思う。これは私の言葉ではないのですが、
「あやしい宗教ときちんとした宗教の違いは抜け出せるかどうか」ではないかと考える人がいます。私は全てを一般化できないけれど、ある側面を言いあててると思うので、この考え方に賛成です。結婚もそうあってほしいと考えます。あくまで、女にとってですが、経済的に自立できないから、子どもがいるから、世間体がわるいから離婚できないという、ぬけ出せない生活になるのはいやです。
ところで、私の育った家庭は、そこそこに平和でした。親はよくけんかしていましたが、「けんかするほど...」というのも、それほど偽ではないらしく、仮面夫婦のように冷たい家庭ではありませんでした。子どもに対しても理解があり、「あなたの決めたことだから責任をもってやりなさい」というスタンスでした。これは、私にとっての財産です。失敗しても認められなくても、何とかやっていけるという感覚をもつことができたからです。
-
子供あと10年位いらないです。育てられないと思うので。
-
Q. なぜ今回は穴があいていないのでしょうか?
最近、テレビの調査で結婚したい若者が減っている、という話しをききました。いい人がいなければムリヤリ結婚しなくてもいいとか、いつまでもひとりでいるのを許さない社会の目がなくなったことももちろんあると思いますが、もしかするとそれだけ夫婦として、家族として、魅力的でない親が増えているのではないかと思いました。
-
結婚:(やはり共働きがいいかな、)玉の輿結婚はあまりにも何もすることがなくてむなしそう。
家庭:大家族でも小家族でもお互いの立場を理解し合った家族が理想。
子供:努力家かつ優しい子ならいいと思う。私は女性だし、特に幼時期はじっくり育ててみたいものです。
今回の部分について:
私は何を(どこを、どうそれぞれ組み合わせていけば良いのか分かりにくいです。皆さん分かっていらっしゃるのかもしれませんが...。あと、具体的事実の概念化(数式化)も難しいです。その点をもっと言って下さると有難いのですが(恐らく皆さん分かっていらっしゃるのでしょうが...)...。
以下3年
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子供、特に小学校3年生以下は動物だと思っていたが、最近かわいい面もあるなと思えてきた。
-
私は1年くらい前には、はやく結婚したかったが、今は、いつでもいいと思っている。結婚したら、子供は3人くらい欲しい。しかし、子供を育てるのはすごくお金がかかるときく。
-
結婚したいですね。
今の彼とはけっこう長くて、一緒にいても楽(いいイミで)だしずっと一緒に生活できたら楽しいだろうと思います。
2人とも自分のmajorで大学の先生になりたいって言ってるから、
家庭は?とか思うけど、
型にはまることなくやっていけたら楽しいだろうな。
でも子どもができたら、親との接触が必要な間は一緒にいてあげたいです。発達心理とかやってると、子どもと親の関わりの大切さを恐いほど感じます。だから自分の仕事を中断できないうちは子どもをつくりたくないですね。
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今後、結婚して家庭を持つことにどれほどのメリットがあるかよく分かりません。むしろ、リスクの方が大きいのでは。
-
結婚しない女の人は、やはり社会的に不利な立場におかれざるを得ないのでしょうか?そんな女の人は強くなりすぎ??
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結婚して、もうすぐ2年になります。子供は私が卒業してからも、しばらくはつくらないつもりですが...。
結婚して思うことは...。
当たり前のことですが、「愛だけでは暮らせない」ということと、「愛がなかったら(こんな暮らし)やってられない」、この2つに尽きると思います。たまに会ってデートするという訳でもなく、デートらしいデートなんて最近してないし、例えばお互いの家族にお互い気を遣ったり、帰ってくるのがどんなに遅くても晩ごはんを作るし、やはり「家事は女がするもの」らしく、あまり手伝ってもらえる訳でもなく...
(これはグチじゃないですよ、)(ホントに。)もちろん、後悔なんて(今のところは)していませんが。「うーん、これから我々のこの共同体はどこに向かうのだろう、」と考えるとむしろとてもワクワクします。
-
現状ではよくわかりません。まあ、そのうちするのかな、と。
-
子どもはほしい。
-
最近私の周りにも結婚する人がでてきて、私も結婚を意識するようになってきました。とてもうれしそうで、でもいろいろと大変そうです。でも、家庭をもつって、とてもあこがれます。子供や自分の結婚相手を毎日大切に思っていられるのではないでしょうか、私にとって、大切に思える人がいるということが何よりも大事な支えだから、とてもうらやましいことです。
以下2年
-
結婚生活と独身の時と、どちらが快適ですか。
-
結婚は、いつかはしたいけれど、自分が1人の大人として自立するまではしたくない。子供を育てられる自信がつくまではしないと思うので、当分先のことになるでしょう。子供は絶対ほしいです。
-
「結婚」は単なる制度だと思っている。なぜなら、この契約をかわせばいろんな権利や責任が生まれる。しかし、愛情などは、この契約があってもなくても関係ないのもののように思われる。家庭を保ったり子供を養う責任をもつための制度だ。
でも相手とずっといっしょにいたいと強くねがう人にとっては都合のよい制度かも。
「家庭」は、子供に大きな影響を与える。親がどう築くかによって、変わってくるから、すごくむつかしい問題だ。私は、活発な会話のある家庭や、笑顔のある家庭は、明るく素直な子供に必要だと思う。学校よりもあるイミ重要な人間形成の場だ。
-
日本の今の制度、風潮が維持されていれば結婚しない。でも、その中に自分を入れて、○○さんの奥さんとよばれてもいいと思うようになったら、結婚するかもしれない。子どもの戸籍の制度がかわって、結婚しなくても戸籍がもらえるというようなことになれば、同居という形でもよい。正式に結婚せず。でもわからない。
家庭について:母も父も兄弟もいる家庭(仙台)で育った。祖父母(宮崎/富山)や親戚(横浜/富山)と(よく会うが)近くに住んでみたかった。もし結婚などして家庭ができたら、私が育ってきたような環境つまり、親せき関係が密(苦にならぬくらいの仲のよさ)を保ってみたい。
-
結婚について、
最近の日本では晩婚化がすすんでいますが、これは生まれてくる子供の為にはあまり好ましいことではない様に思う。やはり男女問わず、小学生の中学年位までは、親と外で走りまわったりする必要があると思う。その中で信頼感だとか家族のきずなというものがでてくると思う。そんな時期が年で走れなかったり外で遊べないと子供がかわいそうである。
私ははやく結婚したいと思っているのだが、それは、私の夢の為であり、それを実現する為に一緒になってサポートしてほしいからである。何ともわがままなようだがなりたいものがオーケストラの指揮者であるからしかたがない、とにかく下積みの長いものなのだから、
しかし、すべてをいぞんしようというのではなく私の相手のサポートをしっかりしてしていくつもりである。それが夫婦であるべきすがただから、でも何だかんだ結婚は大いなる運と直感であると私は思う。
-
結婚のことを考えるようになったのは、ごく最近のことで、今までは自分とは全く関係のないことだと思っていました。しかし、おつきあいをするようになって、1年もたつと、自分は、このままいくと、どうなるのだろう、あと考えるようになり、結婚とは何か?ということを考えるようになり、本を読んだりするようになりました。結婚について最近の世の中では様々な考え方をする人がいて、どれが正しい考え方なのか、分からない時代になりました。でも、私はイエスさまを信じていることもあって、聖書にかかれていることを基準に考えることが人間にとってもっとも幸せになる方法だと思います。結婚する前に同棲したり、する人が増えていて、あたかもそれが正しく、しない人の方が、わるいというか遅れている...と思われるような世の中になっていますが、本当に人間の祝福された結婚、また家庭とはどういうものなのか、考え直す必要があると思います。私は祝福された結婚生活が中心となって、家庭も、子どもも祝福されるのではないかと思います。
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家庭の形も最近はいろいろあるみたいで、特にヨーロッパでは役所に届けなくても子供がいたり、非婚の親がいたりするそうです。しかもそれが法的に公認されていて、同棲でも夫婦と同じ地位が得られているらしくて。
中には同性愛者の結婚を認めろなんていう運動もあって、それはまだ認められていないそうですが、それを法的に認められた同棲とか結婚の違いって同性か異性かの違いだけなんでしょうか?じゃあ結婚と同棲の違いは?結婚って役所に出す紙1枚のことなんでしょうか?家庭と単なる同居と同棲と区別がはっきりしなくなっているような気がします。別に結婚して家庭をもつのが本人にとって一番幸せかわからないし、結局本人が自由に選ぶのがいいんでしょうか?
テスト中に何か言いながら歩くのはやめて下さい、気が散って集中できません。
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高校を卒業してから、同級生が結婚したという話をちらほら聞くようになりました...ということはつまり自分も結婚しようと思えばできる年齢になったということなのですが、今は全く想像がつきません。赤の他人と共に生活するのも窮屈に思えるし...(今の1人暮らしがとても楽なので)、
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電車が遅れていたので、遅くなりました。
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僕は3人男の兄弟ですが、先生の家での兄弟間での物の取り合いははげしいのですか。
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先生は説明に夢中になると、黒板の字が小さくなっていく傾向がおありになるようで...字が密集したりとか。見えなくなって困るので、大きく書いて頂けたら幸いです。
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結婚について。
結婚って必ずしないとダメなんでしょうか。同い年くらいの女性側の方はあんまり...っていう人が多いのですが。Newsで結婚意識調査みたいなものの結果について女性アナが「私もそんなに...」というコメントに対して「日本人が減るから」という返しをしていたけれど...そんな結婚したら子供産まなくてはならないわけではないんだし。私は結婚が何なのかいまいち分かりません。もしこの先もっと倫理とか無視するような風潮が広まれば単に書類のことになっていくし。(家庭外恋愛とか呼ばれるし。)
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難しい。家族というのは、自分をあずける/相手をうける組織だと思う。私は自分の家族は好きだが、私自身がそれを創るとは思わない。他者に対する自分というものの意識として。今のところは。
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結婚は全然考えていませんが、子どもは欲しいです。日本ももっと「Single-Mother」が働きやすい環境になればいいのにと思います。保育所やBabysitterを雇うのもすごくお金かかるのに、なかなか収入は増えないとなると厳しいですね。産休や育児休暇制度も、女性に有利なように使われていなくて、むしろ女性を家庭に向かわせて、男性をもっと働かせるようにできているような気がします。これからもっと女性が社会で活躍するようになるとますます少子化は進むんでしょう。そう考えると、こういう男性社会をつくりあげた人が高齢化時代で苦しむのもしょうがない気もします。手厳しいかもしれないけれど。年金制度にしても、いろいろな今の制度を見直す時期にはいっているのでしょう。21世紀になるし。そういえば日本のコンピューターはどれだけ2000年対応になっているのでしょうか?ロシアや北朝鮮などの国は核や兵器がコンピューター制御されていると思いますが、それも大丈夫なのでしょうか?
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結婚は何か面倒くさそうなのと、あまり同じ相手と一緒にいるとあきそうなのでしたくはありません。子供についても、自分が子供の時から子供が嫌いだった位好きでないので私にとって必要なものではありません。ただ、猫が家で一緒に暮らせれば私はそれで満足です。
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子供大好きです。今のバイトも子どもと関わることをしています。結婚願望も友だちより強いような気がします。でもそのためには、経済的な問題とか、それ以上に難しい問題もいぱいあって、世の中の家族をみると、みんなすごいことをしてるなと感動します。でも、誰かのためになにかできる、したいと思えるってすばらしいですよね。そういう人がいるというのもすてきなことだと思います。
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まだあまり結婚願望はないです。どういう時に、「あっ結婚しよう」と思いましたか?
(アトムニッコリの絵)
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自分で自分の子供は欲しいと思わないけど子供は大好きでしょうがない。
結婚はしたい。でも今はつきあってくれる人がほしい。
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質問なのですが、この毎回のメッセージの題材は先生が単に聞きたいと思っているものを選んでいるのですか。
結婚はお互いに考え方、価値観などが認め合える相手と出会ったらしたいです。お互いをよく知り合うために結婚に踏み切る前に同棲したいと思ってます。現実にはそんな人はいないような気がしますが、そういう人と家庭を築けたら本望です。子供についてですが、自分の子供を特にほしいとは思ってません。子供を育ててみたいという気持ちはありますが、変な話わざわざ辛い思いをして産まなくても、親のいない子供はたくさんいるのだから、引きとって育てればいいような気がします。血を分けた子と血を分けていない子だと愛情がちがうということは私個人としてはないと思ってます。余談ですが、ある知り合いの人は出会った瞬間にその人と結婚したいと思ったそうです。そういうのって運命的な出会いなのでしょうか。
授業でたくさんのアルファベット(例えば○とか×とか...)を使うので混乱することがあります。どうしてその文字を使うのか説明して下さるとうれしいです。
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自分のイメージと実際がどのような違いがでてくるのかはわかりませんが、同じようなイメージ、というか感覚の人と出会う確率を考えると、とても低い気がします。
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家庭はいちばんやすらぐ場所でなくてはいけないと思います。いままで家庭の力なんてたいしたことない(というかほとんど意識すらしなかった)と思っていたけど、それは自分が幸せなところで育ってきたからだと最近つくづく思う。
結婚していようがいまいが(法的に)、子供がいようといまいと、あるいは1人でも(これは家庭の定義に入るのかよく分からないが)、自分が一番居ごこちがよいと思えるスタイルが、ベストでしょう。それを見つけるのが私の今後の課題の一つでもあります。
ところで私は子供がほしいとは思いませんけど、それはまだ自分が子供だからなんでしょうかね?でも働こうとする女の人に実際問題子供はじゃまな人ですよね。いつになったらきちんと、夫婦で家事分担、保育園(24hの!)の施設充実という世の中がくるんでしょうか?
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はやく結婚したいっス。
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子供は苦手なんですが。自分の子供だとだいじょうぶなんでしょうか。大人が思ってる以上にいろいろ考えて行動してるのでなんかちょっとコワイんです。
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結婚というものの形式的な意味が問われている今、(離婚が増えているという意味で)本当の意味で尊敬し合える関係と同時に結婚というものに対する姿勢や価値観が同様でないと、途中で崩れてしまうのかなと思ったりします。結婚が忍耐であるというのは違うと思います。忍耐を試すような結婚が昔は多かった様な気がするのですが(大分昔ですが義務でする忍耐と愛情で耐える忍耐というのは違うと思うので、結婚しているからというだけで、ただそれを守るための忍耐をするだけでなくお互いに成長していける様な結婚が理想です。(どんな相手でも学ぶところはあると思いますが相性も考えて。)その結果子供が欲しくなると思います。(まだ良く分かりませんが。)
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今までは全然結婚したいという気持ちはなかったけれども、幸せな結婚生活、家庭生活を送っている人々を見ていると、私もしたいと思うようになりました。「ある人がどんなに外で仕事を頑張ってどんどん自分のキャリアを固めたいと思っても、ある時ふっと家庭に帰りたくなる。だって子供だって外で遊んでいても、必ずお母さんのところへ帰ってくるもの」と幸せそうな顔をして、自分の子供の顔を見つめていました。私はその時、私は絶対外に出てバリバリ仕事をしたい、子育てで人生が終わるのはなんかいやだなと思いました。でも今は、その人にとっては子育てが今の幸せであって、そういう幸せもあるんだなって思います。
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もっと分かりやすく説明して下さい。
結婚はきらいですが、女の子は大好きです。家庭はあります。子供はいません。外に何か聞きたい事あります?
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結婚の為に夢は捨てれません...と思ったことはないですか?
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結婚して子供をつくったら、離婚などするべきではない。自分達はそりが合わなくなったのでわかれるのだろうが、子供にとってはどちらも親、どっちかにつきたいと思う子よりも、どっちとも一緒にいたいと思う子供の方が多い。ほとんどといえるだろう。親の勝手で子供を悲しませてはならないと思う。
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年々人々の結婚感が変わってきているように見えます。仕事や遊びを満きつしている若い社会人は結婚を必ずしなくてはいけないという願望を失っているように思えます。子供を育てることも、特に女性の場合、仕事ができなくなる心配が強まり、なるべく避けたいと思う人もいると考えられます。
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結婚は男性と女性がお互いに一生を共にすごそうと決心すること。そこに築かれる社会が家庭。子供ができてはじめて家庭ができるような気がする。でも時代によっても個人の考えによってもちがうと思う。
以下1年
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結婚は悲劇的かしら、それとも喜劇的かしら。
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仕事をしている母を今までみてきて、小さいときは何かと伯母に預けられたり、錠っ子だったり、学童に通ったりと寂しい思いをしたこともありました。でも、今になってみると、自分の好きな仕事と家のことを両立している(もちろん、完ペキではないけれど...)母をみると、手に職をつけて自分の可能性や世界を拡げたいなあ...なんて思ったりもします。(仕事をしている母は、かっこいいと思います...はい。)
でも経験上子供には寂しい思いをあまりさせたくないなと思います。子供は3人位ほしいですね。(ところで先生のうちは5人お子さんがいらっしゃるそうでにぎやかで毎日楽しそうですね。)
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僕には affection, loveをうまく感じ、表現できないので、そっちの方をまず考えてほしいです。
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今はいらないけど、いずれ子供はほしいな、という人をよくみます。僕は子供はほしくない。だけど、今は、であって、将来ほしいと思うかどうかは分からない。人間は変わるものだから。
でも今の学校問題(いじめにかぎらず)とかを見ていると、子供ほしくなくなるな、というのも分かる気がする。くらい世の中だ。みんな、子供がいると、必ずいじめなどの問題にでくわすにちがいない、と考えているのだ。
結婚というのは、社会的にというか、法の面など色々な面が必要であるけれど、日常の部分は、結婚したいとしても今とあまりかわらないと思う。半同棲しているような人は。
その上、りこんが一般的になっているから、だったらはじめから結婚しなければいいや、と考えている人が多くなっているのではないか。その、結婚しているみたいな、家庭らしきものをもっている、法的には無縁の2人、というやつ。結婚サギならぬ同棲サギが横行しなければよいが。
先生のせきららな結婚前後の話しとかききたいです。きっと多くの人の参考になることでしょう。
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子供は欲しいですけど、私なりに幸せになれるのなら、結婚したりする必要はないと思います。
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私は、「この人だ!」と思えるいい人がいれば、明日にでも結婚したいくらい結婚願望が強いです。友達などは、そんな私に「結婚は28歳くらいでいいよ。早まらない方がいいよ。」と言いますが、私はできれば早く結婚したいです。恋愛を楽しむのもいいけれど、一方早く落ち着きたいとも思うのです。まあ、「結婚は人生の墓場」ということを聞くと少し戸惑ってしまいますが...。
去年は子供4人産んでバンドでも結成させたい!と、思っていました。でも、今は1人でもいいやって思います。出産するとプロポーションがくずれるし、現代っ子の教育費etcを考えると、ちょっと4人は無理かなあって思っていました。女性は結婚したらやっぱりいつかは仕事をやめなければならないんでしょうか...。もしやめることになったとしたら、子供4人産んで、子育てを楽しみたい、とも思います。
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『地図の4色問題』(すべての地図は4色で完全に塗り分けられる)というのを以前聞いたことがあるのですが、なぜ塗り分けが可能なのかわかりません。論理的な説明はありますか。
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「私に子供が育てられるかしら...」と思います。今まで母にいろいろ不満を抱いてきたけれど、それを忘れずに母親になれるのか、結局、自分も母と同じことをしたら、子供はイヤだろうなあ...と思います。ミラクルなパートナーが見つかればいいのに。
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授業でやったものを小テストでだしてほしいです。
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結婚とは、人間が社会生活を営むに当たり、夫婦という社会的単位を生むための制度のこと。昔は、(現在も行われている所はありますが、)一夫多妻や(こちらはまれですが)多夫一妻だったようですね。こういった一夫多妻制や多夫一妻制、一夫一妻制も、人間が、協力し、子孫を残していくために生まれたものだと思います。その証拠に、あまりより合う必要のない現在では、結婚が減っています。でも、結婚したことないんで、よくわかりませんね。うーん、私は将来結婚するのだろうか。
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結婚:生活の効率化、制度化された儀式。
家庭:次世代構成員養育のための最小単位。
子供:何もできない故に、全てなしうる可能性をもっているもの。少しうらやましい存在。
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家庭は人間社会の底辺であり、とても大切なもの。何より、人がそこから受ける影響の大きさがばかにならない。自分が家から離れて思ったことは、いかに私の考え方、道徳観念等が両親のそれに類似しているか、ということ。自分は自分であり、影響を受け、そうしてできた私の考え方を肯定した時点で私は、自分に責任をつれるようになったように思う。
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結婚、すごく不安だ。なぜかというと、まず自分が結婚をいつするかということもわからない。誰とするなんてこともわからない。いつごろ結婚するのがいいんだとか。だれとだとか。また、結婚してもすぐ終わるのだったら始めからしない方がいいのかもしれないと思ったりする。漠然としすぎてて不安だ。
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結婚は、自分に経済的余力ができたらしてもいいかな。でも子供は早くほしい。(すごく矛盾してる...)
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子供は欲しいが、子育てに失敗したくないです。子育ては難しいです。間違うと私みたいのが育ってしまいます。
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今日のテーマは難しいのでパスします。
奇数の国と隣接する国の数はなぜ偶数になるんですか?
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結婚について...。結婚ってしなければいけないものかな。そりゃ、好きな人と結婚するのはうれしいことだけど、結婚してずっと一緒にいるようになると、また事情は別もののような。たぶん結婚したてのころは、ノボセててわかんないんだろうな。
家庭というと親がいて、子供がいて、とにかく「一家」を思わせるけど...。先生、家庭をもてて嬉しいですか?まだ結婚のこととか考える年じゃないんで、実感がもてない。
子供は欲しいな。もちろん嫁さんをもらわんと、作れへんけど。子供って何でみんなほしがるんやろ?
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Quizがだんだん難しくなっている気がします。はじめの方は完全に理解していたこともあってか、けっこうおもしろかったけど、最近はドキドキしています。
今日は晴れてよかったです。結婚とは、ピンときた人が現れたとき考えるものだと私は思うので今は全く無関係な概念である気がします。
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家があんまり仲の良い親ではないので、結婚なんてしないぞ!1人で気楽に生きるのだと言いはっておりましたが、彼ができてから、んーどうしようと思っています。
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30歳までは結婚したくない。20代は全てを省みず、命懸けで自分の夢のことを考えていたいから。
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ひさしぶりにちゃんと解けた気がしてうれしい、答えが合ってるかどうかは分からないけど。
結婚といわれても 恋愛経験すら未熟な僕にとってまだまだ遠い先の話だと思います。でも最近サークルの先輩が結婚するので自分も徐々にその年令に近づいてきている気がします。
子供はすごい苦手です。何というかこちらの論理が通じないので困ります。実際僕には3才になる姪がいるのですが、全然仲良くありません。見てるだけならカワイイと感じるのですが...。まあ もし自分に子供ができたらそういう考え方も変わるかもしれません。
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部活の先輩が今度結婚する。丁度その人達が恩師に報告するときにその場に居合わせた為いろいろ話しが聞けた。やはり、結婚するとなれば生活していかなければならないという点から経済的面が注目されがちだが、そんな中でも夫婦の仲には、どこかお互い気になるところがなかればダメだし、全てを知ってしまったら恋人どうしではなくなる、というアドバイスを聞いてなるほどそうだと思った。とはいうものの自分自身まだ??には考えられなくて、目の前の??しでせいいっぱい。
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「愛はなぜ終わるか」という本に書かれていたことによると、男女の関係は4年間で破局をむかえるらしい。それは、動物としての人間の、種を保存しようとする本能に基づくものらしい。
しかし、次のようなことも書かれていた。結婚して4年間後が一番離婚率が高いものの、死ぬまでうまくいくカップルもたくさんある。これは、最初に夫婦を結びつけていたものとは違う感情が生まれるからで、親しみとかそういうものらしい。
僕は、この感情の変化は恋 → 愛という図式で表わすことができると思う。また、これは、人間の精神的な成長だと思う。
結婚という制度がどういう風に社会で必要なのかということを疑問に思うことはよくあるが、ひとつは、上に挙げたように、男女を半ば強制的に一緒にして ......
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結婚については今は全く考えられない。一生付き合う相手を決める...難しい。夫と妻の関係ってフシギですね。もとは、全くのアカの他人なのに...。
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結婚にはある程度、妥協が必要なのでしょうか。
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子供はほしいけど自分の生活をたのしむ方をゆうせんしたい。いても1人がいい。たしかに人数が多いのもいいが(じつは4人兄弟)でもやはりお金がかかるのであまり多くはいないでほしい。自分としては。
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以前は、絶対に結婚したくないと思っていたけど、最近はそんな道もあるなと、自分の中の選択肢に入ってきていて、でもその理由もあんまり自分ではわかっていない。でも、家庭を持つならいえのことをきちんとしたいし、子供も3人以上は欲しいと思う。1人っ子てけっこうさみしそうだし、過保護になってしまいそう。でも2人もお互いしか見なくて精神がせまいと思ったりして、3人なら、幼いころから 第3者(子供の中の)になることができて、いろんな物の見方ができるんじゃないかと思う。
そんな風に考えてから、前は結婚に対して気負いがあったんだと思う。3人育てるのってけっこう大変そう(私が3人きょうだいだったから)だし。でもやぱりその気負いがなくなったのか減ったのかその理由もわからない。
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結婚はすばらしいことだ。結婚というシステムを作ったことは人類の偉大な業績かもしれない。しかし、結婚を習慣化して、結婚するのがあたりまえとしてしまったのは人類の大きな欠点だ。
私の理想の家ぞく
私:(父)
妻:大石恵みたいな人orオードリヘップバーン
子どもたち:広末・ヒンギス・(かみ切ってないときの)マコノヒー・マシュー
今日の私:
7:55 いつもどうり家を出る
8:02 千葉県の北総線西白井駅発
8:50 浅草橋...この時点で5分遅れ
全然電車がこない
そこにアナウンス「只今次の電車は平井にとまています、浅草橋につくのに15分〜20分かかります。次の電車は超満員との情報で乗れないおそれがあります。」20分後に電車がきた少しも乗れるすきはない頑張ったが乗れず。
次の電車が5分後に来たがんばってのろうとしたらドアに胸と顔をつぶされた。でも、なんとかのった。まるでジャンプの原因だった(その図:省略)
お茶の水まで2駅なのになかなかつかない。お茶の水でのりかえなんと新宿まで20分かかった。
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中央線には腹立つ!!10分以上も遅れた。
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20才というと、まだまだだとも思うけど、3、4年後に結婚してもおかしくないとも思うし、微妙な感じがして、こういうことをじっくり考えようとすると子供の視点大人の視点がまざってなんだか難しいですね。こういうのはちゃんとある程度大人として一人前になってから考えた方がいいと思います。子供のうちは夢ぐらいで済ませておいた方が...。
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結婚とは、他者との契約です。だから、とても近代的な概念であり、また、非常に不自然な行為ともいえます。もし、いっしょにいたいと想い合う二人がいるならばただそれだけでいいんではないでしょうか。結婚、家庭、子供と、なれべられた時、結婚だけは異なる次元の話題です。ちなみに子供は男の子がいいなあ。
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知り合いのある人が言ったことですが、 「結婚という形に意味はない。紙きれ1枚で相手をしばるよりも、そんなものはなしで、相手に、どうして自分のそばにいるのか常に考えながらいてほしい」そうです。こういう考え方もあるのかと思いました。
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結婚はしたいが子供はいらない。というのが今の所の意見です。
理由は、両親をみていると、子供がいるために人生の楽しみの半分くらいけずられているような気がするためです。2人で余生を楽しみたい、というわけです。ちなみに私は一人っ子です。結婚はしたいけど、子供は要らない、+仕事をしたい、という点は10年以上前から変わりません。
前回のテストのコメントに戻りますが、ジェネードをとってから先生をよく見かけるようになりました。図書館でも見かけましたが、出席点がわりの点数をとった直後だったので声をかけ辛かったです。ちなみに、ガァちゃんは最近みかけません。
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結婚してもよいが子供は持ちたくない。老後まで2人でいたい。
学生へのメッセージ
- 結婚しない人が増えているそうですね。メッセージを読んでもそのような雰囲気が感じられ、正直にいうとちょっとショックでした。これで人類は本当に生き伸びられるのだろうか。今の時点は、このような、「結婚」「家庭」「子ども」を考えるのではなく、他の夢を考える時だからこの質問はちょっと良くなかったのかも知れませんが。歴史の中の一ページに私たちが属していて、私たちの、祖父母や、両親の世代から受け継いだものを次に伝えていく、そういう意識もしっかり持ってほしいなと思っています。どうでしょうか。このホームページの「信仰」の欄にもちょっと書きましたが、森本牧師が「先人植木、後人下憩」という中国の言葉を礼拝で引用されていました。この言葉は、ICUでは特に良くわかりますね。ICUの最初は、木が殆んどなく、植えたものも本当に小さな木だったそうです。
その下に、皆さんがいま、憩っています。「家庭」の継承はとても基本的だと思います。もちろん、特別な仕事のために、それをしない人がいるのも尊重すべきことです。しかし、「家庭」のことをしっかり考えなければ、日本もないでしょうし、人間もないでしょう。
- 「結婚」を一時点のこととして考えるのではなく、「結婚生活」「家庭生活」として考えてほしいと思っています。私は、好きになっておつき合いすることと、結婚生活を始めることは全く違うことだと思います。キリスト教では、結婚は神様が人間を創造された時に定められたもの、神様と、人々の前での「誓い」のうえに成り立ち、「二人は一体となる」という神様の宣言によっているものだと言っています。神様が合わせて下さったものをたとえそれが本人同士であっても、人は離してはならない。これが原則です。この神様の前での約束に忠実に生きていけるかどうか。その人の、命すべてをかけた大切な営みだと思います。どうでしょうか。
- 書きたいことはたくさんありますが、それより、「NSI ホームページの公開」を急ぐことにします。皆様からの応答がまたいただければ私も書き込みを増やしていきます。
QUIZ6 : 最近感激した本・映画・芸術・人・言葉など。
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そういえばBirthday Card 。
最近、忙しくて、心の余裕がありません。読書とかして、心をやすめたいとは思うのですが、
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本は、今、「小説聖書」(ウオルター・ワンゲリン著)を読んでいて、けっこう面白いです。私はクリスチャンではないので、聖書にはあまり触れたことがなく、歴史書とか物語として面白い。ただ、未だにこの聖書の言葉の奥にあるものがつかみとれず、感激したとまでは言えない。もう一度か二度は読んで少しでもつかみたいと思う。
映画は「CUBE」というカナダ映画に感激しました。(26×26×26)この6面体にとじこめられた7人の話でグルグルとCUBEの中を移動するのですが、結局は動かなければ外に出られることが移動しいくことによって分かり、最後にCUBEの外に出られるのは罪を知らないたった1人の人間だけというストーリーでした。人間は何のために生きるのかということや、「今から人生をやり直せるなら」という欲望への問いかけをしているようで考えさせられました。
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今ギャラリーのボランティアをやってます。かなり社会学的というかパフォーマンス性の強いもので、今までそいういうのに懐ギ的だったのですが、実際参加して考えが変わりました。昨日は作家がご飯をつくってくれた。それに感激。
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感激…って最近してないです。感心することはよくあるんですけど。
本では宮部みゆきさんの「龍は眠る」「魔術はささやく」とか、局南アサさんの「鍵」とか、真保さんの「連鎖」など、よく調べてあってなおかつ心理描写が見事なものが心に残ります。
感激…強いて言えばバスケ部の試合で勝った時の気持ちでしょうか。
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三浦綾子さんの本がとても好きなのですが、その中でも「泥流地帯」「続泥流地帯」はお勧めです。
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少し前ですが、飯田譲治の「NIGHT HEAD」小説版と「GIFT」小説版がとてもおもしろかったです。超能力者の話ですが、なかなか考えさせられるものもあって、はまってしまいました。でも最近はあまり感激できるものには出会えていないのかもしれません。
(火)は面接試験があったため休んでしまいました。すみません。
言葉といえば、「だけ」と「しか」のちがいを考えていたら、中々おもしろかったです。例えば、次の文を考えてみて下さい。(ランゲっぽくてごめんなさい)
(1)私だけ知らない、 (4)本だけある、
(2)私しか知らない、 (5)本だけない、
(3)私だけ知ってる、 (6)本しかない、
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昨日テレビで、心臓移植を必要とする娘を持つ夫婦のドキュメンタリーを見ました。海外で手術をする為保険がきかず募金で1億円程回収する時の世間の無関心、両親のやまない心労、しかしその後夫婦の友人達の協力のかいもありアメリカで手術が成功したことを追った番組でした。親の子を思う気持ちの強さが心にしみました。
以下3年生
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最近感動したものではないけれど、私の一番好きな本は「Shizuko'z シズコズ・ドーターDaughter」です。何回読んでも良い本です。映画の「ゴースト」も、23回くらいみたけど何回みても泣ける映画です。
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「映画」:
- 「Shine」:けっこう前ですけど。私は心理メジャーでピアノもやってたからはまりました。
- 「Lier Lier」:ジムキャリー好きなので。父子愛も感じれて更に爆笑できました。
- 「影武者」 馬が(最後のシーン)すごかった。
- 「男性・女性」 若さをフランス人はこうやって扱うよねーと思ったけど、感動させられてしまった。
「本」:
- 「文鳥」「夢十夜」:
夏目好きの私は何年来とこの2作品を愛し続けてます。特に夢十夜の第一夜は短いけど何度読んでも心が温かくなる。
「芸術」:
- <ピアノ> 高校の時から大ファンのピアニスト「マリア・J・ピリス」がまた来日したので横浜まで聞きに行きました。モーツァルト弾きだと思ってたけどショパンとかバッハとか系統の違う曲を弾いててびっくりしたけど、良かったー。でも彼女はモーツァルトの方がいい。
人や言葉は恥ずかしくて書けません。
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「燃える地の果てに」
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「オペラ座の怪人」、ストーリー知ってますか?9月に見に行きました。音楽もすごくいい。今すごい人気らしいです。
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考えてみると、最近「感激」と思える何かに出会っていません。小〜高校までの私はちょっと胸をつつく何かさえあればすぐに感激していましたが、その頃とくらべて読む本の量、映画、観る回数、…etcは増えている筈なのに、(しかも以前のように「何でも」読む、観る、という訳ではなく、選択眼もすこしは持てるようになったのに)「感激!!!!」ということは減った気がします。ナゼでしょう??私が思うのは、「感激」にも慣れがあるのではないかということです。今読む本、観る映画などの中に「あァステキだなァ」とか「こういうところはやっぱりイイよねェ、この人」とか思うことは勿論あります。ただ、そういう時に以前はもっと「感激」していたと思うのです。「感激」には「期待してなかった新しい出会い」というメタファーが含まれていると思うのです。最近は作家でも映画カントクでも画家でも何でも自分のシコウの方向性というのがだいぶ固まってきたのかなァ、と思います。それは喜ばしいことでもあるし少し悲しいことでもありますね。
先生はしょちゅう感激しますか?
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ヒマがなくてなにも(泣)。
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最近、あまりにも忙しくて、本も読めないし、映画も見に行けないし、美術館にも行けないし、もちろん、テレビすらまともに見られない状態です……(涙)でも、夢は大きく、見に行きたい映画はたくさんあります。
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シェークスピアのオセロー(和訳)
以下2年生
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有名な人でも何でもないのですが、ちょうど今週私達が絵の展覧会を会さいしていて、そこに出品された生徒達全員の絵に感動しました。おなじ先生にならっているのに、すばらしく、個性があふれていて、私達でも1芸術家になれるのではないか、と、
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グッド・ウィル・ハンティングを見ました。心に傷をもつ天才青年と似たような生いたちをもつカウンセラーが心を開いていく様子は感動的でした。涙がでそうだったけどまわりの友達がフツウに見てるから我慢したら実はみんな涙をこらえていたことが判明。とてもおもしろかったです。
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最近感動したことは、私の留学に関する相談に多くの先生がのってくれたことです。いそがしい時間を割いて話しを聞いてくれたことにとっても感謝しています。
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新潮社の本の池内紀さんの、「オーストリア」「ドイツ」という辞典風の本が、非常に密度が濃くて、為になりました。他の国の本はのぞいてませんが、少なくとも「ドイツ」「オーストリア」に関しては、旅行案内としても、留学案内としても、つかえそうな位、充実している本です。
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最近あんまり感激してないです。あえて言えば、(サッカーの)試合で、仲間が点を入れた時は感激しました。わたしは主にディフェンスなので特に苦しい試合展開の時は本当にうれしいです。
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最近ろくな本を読んでいないが、友達の漫画のクレヨンしんちゃんのしんちゃんの頭のよさに感動しているというより感心している。一度読み流すだけではなんてなまいきな子だ、などと思うだけだが、よく彼の言動をみてみると、ことばのあや、(わざとかどうかわからない)会話の取り違い、すれ違いがおもしろい。少し下品だが、こんな子が本当にいたら、とても頭の回転が早くて頭のよい子だと思う。
他に感動したこと、カゼをひいて週末ねこんでいたら、ルームメイトがみかんをくれたこと。
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先日、高校のクラス会がありまして、某美大へいっている友人と話しをしたのです。その友人がある時課題として静物の写生があたえられたんだそうです。そこで彼は2時間かけ描きあげ、提出したのだそうです。ところが後日教授から呼び出されこっぴどくしかられたんだそうです。彼はそれに対しいまだなっとくしていなくて教授とやりあっているそうです。彼が描いたものは何と米粒1つ実物大の大きさでした。じつにていねいに描いたものらしいのです。その話しをきいて私は少なからず感激しました。なぜなら彼もまた私と同じりっぱな芸術家の卵として日々成長していてさらにものすごい素質をもっていると感じたからです。私が思うにかの教授、年とってもうろくしたのでしょうかね、すばらしい芸術だと思うのですが。
(絵:省略:ps-file があるので時間があればいずれ掲載)
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最近映画は見てないし、演奏会や講演会にもいっていませんが、この間、N館で本棚をみつけて自由にとっていいとのことで、驚きました。うれしくて、ある、バジレア・シュリンクさんという人の本を少しよみました。それを読みすすめると、キリストの花嫁ということが書かれてあり、「キリストを愛する」ことはどんなに大切かを知り、とても感激しました。人間にとっては「キリストを愛する」というのは難しいですが、自分の人生の主人公はイエスさまだといえるようになりたいと思いました。あと、もう1コはこの前来日した金大統領の演説です。日本の首相にも、あのくらいのことが言える人がいたらすばらしいと思います。
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Q1の(b)で手こずってしまい、感想を書く余裕がありませんでした。
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著 たかはしあゆむ「毎日が冒険」
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私が、高校生の時に知り合った男の子が、1年程前に、わりと良い私立の高校を中退し、まったく知らなかった声楽の道を志した。久しぶりにあった彼は、様々な人に認められ、期待されているようだったが、自分の将来、(生計等)を考え、またスランプぎみでもあり、とても悩んでいた。私と友人の2人で彼をはげましたが、高校をやめてまだやりたかった声楽をあきらめようとまでする悩みの深さに驚いた。弟のような存在だっただけに、彼の成長ぶりがうれしいとともに、自分自身が何をしたいのか、いまだに見えてない私としては、あせりもした。だが、今後も、彼のことを応援しつづけていきたい。妥協せずにがんばっている彼は、とてもすばらしく思えた。
ところで、映画の話しですが、感激とまではいかないけれども、ハリウッド映画とはまったく異なるイギリス映画で、「スライディングドア」というものを見たのです。ある1人の女性が、地下鉄にギリギリ乗れるか、乗れないかで、その後の人生が大きく変わってしまう。そして、映画では2つの異なる人生が平行して進んでいく。何回か、Turning Pointのようなことがあり、すれちがう人生。そして最後。日本映画、ハリウッド映画ではちょっと見られない結末です、witに富んでいる映画です。ぜひ、見ることをおすすめします。
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--アインシュタイン--
なぜ自分を責めるのですか、他の人がいくらでも責めてくれるというのに。
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「Streeet of crododile」 パフォーマンス
舞台の表現はきちんとしたパーツがあり、かつ、それがかみあってひとつのものを伝えるためにあらわれることだとつよく感じた。
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問題の文章の日本語がわかりづらいです。英語にとらわれすぎて、訳が変になっているんだと思います。もう少しかみ砕いた日本語にして下さい。(ex 「連結な」→「連結した」)
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坂口安吾の「不良少年とキリスト」
キリスト教とはたいして関係のない文章だけど、文中でのキリストの扱いはキリスト教徒なら不愉快かも。でも僕はそうじゃないからただただ内容に感激しただけ。それと、こっちは音楽で、デヴィット・ボウィ「ジギー・スターダスト」音楽だからどんな風にいいか手短に文章で説明するのは無理。つまり、もしかして先生が聴いてらしたならば、という淡い期待のもとに書いたのです。
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最近、部活がらクラッシクばかりきいているのですが、どの曲もものすごく細かく、考えてつくられているのにいつもおどろかされます。チケットがもう少し安かったら、きっとコンサートにももっといきたいのですが……
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香港映画「Butterfly Lovers」- -中国の古典にのっとった悲愛の物語り。ストーリーは単純だったが、映画で1度も泣いたことのない私がとっても泣けた。
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(本・映画・芸術の下に波線を引いて)特に最近何もみたり読んだりしてないです。
友達との会話などの中に小さな感動はいろいろあります。友達はいいものです。
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「感激」したかどうかはともかく、「0歳児がことばを習得するとき」という本をついさっき読み終えました。その本によると人の赤ちゃんはお母さんのおっぱいを飲んでいる時期でさえ、もうお母さんとコミュニケーションをとっているそうです。赤ちゃんはのむときに一定のリズムをもっていて、飲んでは休み…を繰り返すそうです。実験の結果、赤ちゃんが休んでいるときお母さんは必ず赤ちゃんをゆすってあげていて、そしてその行動は無意識下で行われているらしいことがわかったそうです。よく赤ちゃんはお腹の中にいる時でもすでに母親の声をききわけられるというようなことをききますが、この本をよんで改めて赤ちゃんの能力の高さにおどろかされました。その他にも赤ちゃんのワーイングとよばれる言葉ではなく意味をもたないと考えられがちな発語?も実は声のピッチの高低によって様々な感情を表わしているというようなことが述べられていました。生命科学の授業のブックレポートのために読んだのですが、とても面白くためになりました。
芸術のジャンルに入るかわかりませんが、この前グリークラブでプロの指揮者の方をよんで指導して頂きました。毎回、その先生の指揮で歌う度に思うのですが、プロの人というのは手はふらない(拍子をとらない)のに、どう歌えばいいかははっきりと歌い手にわかるように指揮をするんです。プロとアマの違いといってしまえばそれまでですが、先生は体全体を使ってうったえかけてくるような指揮をして、歌い手をぐいぐい引っぱっていくんです。とても気持ちよく歌えますが、不思議でなおかつその「す・ご・さ」に感激をこえて圧倒されます。あしたはちなみにコンサート本番なので成功して感激したいです。
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春に川先生の授業で教えて頂いた、トルストイの芸術とは感染力のあるものという言葉に心から納得しました。いいものは人に伝えたくなるし、自分が芸術的なものを創作できなくても人に伝えることは可能だと思ったので。
「先週のこと」 私はICU生ほど未来に前向きな学生はいないと思います。ただ授業で現実的なこととかいろいろ聞いて考えてしまっているから現実的すぎるように見えるのかもしれませんが、心の中はみんな何らかの形で理想をもっていて、その方向に少しでも近付くよう、頑張っている気がするのですが。もちろん他大の人達もいろいろ頑張っていると思いますが、ICU生は自分の将来の道の為に、授業から様々なことを吸収しようとしてる姿が好きです。私は他大に行っていたことがあるので特にそう感じます。結婚についてはまだ現実味がないし、社会学やフェミニズム運動を学んでいれば、あまり理想がうかばないところもあったのでは...と思います。
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アナスタシア→映像とサウンドのすばらしさについにここまできたか!という感じだった。
本は少し前になってしまうけど、賞をとって話題になった「女たちの聖戦」by 篠田節子。5人のOLのいろんな生き方が等身大ですごく上手に描かれていて、これは本当に久々にいい本を読んだ、と思った。(ドラマ化されましたけど、こっちはクズ)
感動した言葉はすぐ忘れてしまうんですよね。考えさせられる言葉はたくさんあります。例えば「なぐる女」というドラマで、「自分がいるべき場所がどこかにあるはずだ」というのがテーマなんですけど、(ここでは、人に必要とされているという意味でいわれています。)
でも私は、他人に必要とされていたいなんて、おごりだと思うんです。本当は「自分がいちばんいたいと思う場所を探す」方が大切なのではないでしょうか。
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ピカソ展
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松本人志著「愛」はよかったッス。あと司馬遼太郎の「燃えよ剣」、もよかった。
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映画:「この森で天使はバスを降りた」今までで一番感動した映画です。もうビデオにもなってると思うのでぜひ。
本:「リトル・トリー」私の愛読書(中3から)
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映画では、やっぱり「タイタニック」を観て感激しました。あと、「ポネット」も私の中では印象が強かったです。(先生はご覧になりましたか?)
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誕生日に彼氏からカードをもらい、「ありがとう」て書いてあったのが非常にうれしかった。
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先生はこの間の授業で
教育とは人間が人間として人間らしく生きるためにあるといっておられました。私はその時あることばを思い出しました。
知ることを学ぶ
Learning to know,
為すことを学ぶ
Learning to do
他者と共に生きることを学ぶ
Learning to live together
人間として生きることを学ぶ
Learning to be
これはユネスコで教育において最も大切なものとしていわれてたものです。先進国日本で私は知ること(知識)や為すことは学んできたけれど他者と共に生きることや人間として生きることはあまり学んでこなかったような気がします。でもそういう状況にげん滅するのではなくこのような混とんとした時代・社会だからこそ、私はいろんなところにアンテナをはっていろんなことを吸収して心に感じ他者と共に生きたいと強く思うのです。
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イニシャルDというマンガ(最近ではテレビアニメとしても放送されている)。峠を車でかけぬける。いかに早くイイラインでコーナーをぬけるか。あのタイヤのスキール音、排気音あのスリルあるバトルを実際にやっている人達がいる。テレビやマンガでも楽しめるのに、実際に峠に行ったら感激という言葉だけでは表わせないものがあるのだろう。
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最近「Les Miserable」を読んで感激しました。とても長い話だったけれど、言葉がきれいで読みやすかったです。映画は、ディズニーの「ムーラン」を見て感激しました。でもその前にやっていた来年のDisney Film「The Egyptian Prince」の宣伝を見た時はもっと感激しました。コンピュータグラフィックスの映像が見物です。
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夏休みにカナダへ行き、ナイアガラの滝に行きました。(少し違いますが...)ありきたりだけれど、私はナイアガラの滝が大好きです。今回行ったのが3回目で、何回でも行きたいし、いつまでも見ていてもあきません。
以下1年生
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- 本: ミラン・クンデラ「笑いと忘却の本」
- 映画:「ローガンクランツとギルデンスターンは死んだ」Tom Stoppardかんとく
- 音楽:グレン・グールドの「ゴルドベルグ変奏曲」
- 言葉:ここがロドスだ。ここで跳べ!(ギリシア故事より)言葉の由来は知らぬが、口ずさむと威勢がよくて元気がでる。
ところで正義のヒーローは、黄金バットにしろ、バットマンにしろ、月光仮面にしろ、「戦隊」もののヒーローにしろ、みんな自分が正義をすることを隠すのはなぜでしょう。やはり正義を行うには遊撃手である必要があるのでしょうか。
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だいぶ前からある映画ですが、「ショーシャンクの空に」というティム・ロビンとモーガン・フリーマンの出ている映画がいいなと思いました。希望について、友情のこと、人生のこと様々なことを考えさせてくれたいい映画です。
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感激した人:鈴木先生、というと、できすぎで、ウソっぽいですが、何かひとつに、とことんはまってしまっている人を見ると、ああ、と感激することが多いのです。高校の古典の先生の授業を何気なく聴いていて(古典はニガテだった)、ある日その先生が本当に楽しそうに古文の話をしているのを発見したとき、戦リツが走りました。まるで、同じく高校の体育の先生が、自分の娘の話しをしていて「うちのななちゃんがかわい
いぞぉ」、と言った時の表情のようでした。その人の思いの深さに感激。
本は読まない、芸術は分からない(ごく一部の音をのぞく)、すばらしい音楽や言葉などとの出会いはしばらくないようです。ただ、映画では、「アマデウス」など、かなり強い何たるかを受けました。高校の選択科目音楽の授業でむりやり見せられて、気になって自分でレンタルして見ました。見たことはありますか。ぜひ一度は見ていただきたい作品です。
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「小鳥はなぜさえずるのか」小西正一著、その題名どおり鳥がなぜさえずるかということについて論じられていて、同じ種の鳥でも歌の数を多く持つ取の方がモテる傾向にあるというおもしろい記述もありました。
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「RENT」という、ニューヨークの若者がドラッグやエイズなどの問題を抱えながらも力強く生きていくって内容のミュージカル(でも演じてるのは日本人)を見に行ったんですけど、活気に満ちてて、とても良かったです。
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最近でもないですが...
movie: 「レオン完全版」「火垂るの墓」
book: 「シートン動物記」(特に「オオカミ王ロボ」「アンネの日記完全版」 etc
お世辞を言うつもりはさらさらないのですが、以前授業でおっしゃていた「高校や大学で習う数学は論理的思考を養う為にあるのだ」という主旨の言葉にはなるほどなあ、と感銘をうけました。
「Optimizing」の問題はパズルのようで面白かったです。あの種の問題をもっとやってほしいです。(昔やっていた「平成教育委員会」というTV番組が好きでした。)
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おととい、狂言を観てきました。中でも、野村万斎が脚本・演出したものがあって(「木実争(このみあらそい)」というタイトルでした)、言葉のしゃれも現代風にアレンジしてあって、ビジュアル的にも後楽園ゆうえんちのアクションショーみたいで、会場は盛り上がりました。古典狂言も昔の人が観たらあんなに楽しいんですね。
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特になし。
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最近あまり本をよんでいないのですが、感動した映画といえばタイタニック。本当にあの映画には泣かされました。今上映中の「プライベート・ライアン」は始まって20分はずっと戦闘シーンで、兵士たちがむごい死にかたをして気もち悪くなるけど、映画自体のテーマはすごく重くて、みた方がいいと友だちが言っていたので、感動するかどうかわからないけど自分もそれをみようと思います。
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「ワインの自由」掘賢一著、かなりいいワイン本だった。
映画 「マスク・オブ・ゾロ」アメリカで見てきた。
芸術 レンブラント
人 佐竹誠
言葉 明日があるからこそきちんと「さようなら」と言いなさい。
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「北斗のケン」、「Chaos」「麻雀放浪記」の3つはすごくおもしろかったです。とくに「北斗」は最高。あと久しぶりに「Queen」の曲をきいて涙がでました。
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「ジャン クリストフ」という本。長かったんですが、「生きる」ということに対する熱い思いがえがかれていた、と思います。何か、心を揺り動かすものがありました。その他にも、いくつか本を読んだり、読んでいるのですが、色々考えさせられたり、感動(色々な意味で)させられたりします。いやー、本はいいですね。
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最近見た映画では、黒澤明監督の「七人の侍」と「生きる」がよかった。黒沢監督がなくなるまでは「生きる」なんて映画の存在すら知らなかったが、レンタルビデオショップで黒沢映画特集をやっていてかりて見たがすごくよかった。最後公園で一人ブランコにのる姿に感動した。あと好きな映画はスティーブン・マックイーンの「大脱走」。戦争映画にもかかわらずすごく明るく楽しい感じがするので好きだ。
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最近、感激をするということがあまりなく、自分の感覚が鈍ってしまったのかと思うと、とても寂しい。でも、この前、高校の時に歌っていた水野源三さん(クリスチャン詩人、まばたきでしか、意志を表わせない)の詩を久々に読み返し、こんなにいい詩を歌っていたんだと感動した。
その中の一つ
「流れ」
浅い流れは
音が高い。
わたしの
祈りよ 言葉よ 行いよ
音が 高くないか
深い 流れは
音をたてない
キリスト教は奥が深い。
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はあーすいません。全くわかりません。これからがんばって授業にでて聴講します。最近感動した芸術ですか...
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握手のグラフに感動した。頭で考えているだけだったら絶対にわからなかったことも、簡単な図にしたら一目でわかってしまうなんてすごい!こんな方法を思いつけるような頭になりたいと思った。
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最近本とか、映画とかみてないので、思いつきません。
でも芸能でいうと、今、8chのめざましテレビで、7時55分以降にユーミンの五・七五選集っていうのがあって素人のつくった五・七五を紹介するんだけど、この素人につくられた五・七五がなかなかうまい。
最近の歌手は若い。驚き。モーニング娘なんて中学生もいるんじゃないのか?
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ILCの本棚でForest Gump
をみつけたので、映画とはまたちがうかもしれないと思って読んだ。映画のイメージも手伝ってか、すごく読みやすく、また本当におもしろい。心から笑えるという実感さえわいてきた。映画は終わったらあまりそれについて考えたりしないが、本の場合残る。Forrest Gumpはかなり極端に波乱万丈な人生を送ったが、とてもリアルで、私も人生を精一杯楽しんで、いろいろやってみたいという気持ちになる。というか、本当に、自分の人生は自分の好きなようにいきられるのだ、と、あたり前だけど、普段忘れがちなことに気づいた。
何から始めようか、思案中である。でもそれだけでも楽しい。
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三浦綾子の「氷点」と「続氷点」計4巻を読みました。長いのに全く飽きずに読みきってしまいました。読み終わって家族に優しくしようと思うようになりました。
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『ガンディー』(ビデオで見ました。)実にRealistic、欧米側、東洋側、どちらからの偏見もなく、非常によろしい。
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最近はなかなか映画を見る機会がないです。こんど黒澤明かんとくの「七人の侍」と「まあだだよ」を見にいくので楽しみです。あと「プライベート・ライアン」を見にいきいです。
こないだ見た「ダメージ」が印象に残りました。いままで見たことのある中で特に印象に残っいるのは「ショーシャンクの空に」「レオン」「テルマ&ルイーズ」「フルメタル・ジャケット」などです。こんどスタンリー・キューブリックの作品を全部見ようと思っています。
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「ボンベイ」初めてのインド映画。衝撃的だった。とにかく音楽(歌、踊り)や役者の表情の豊かさなど、見るべき点は多かったと思う。脇もいい味だしてた。
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レオン
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ジョン=トラボルタの「フィノミナン」です。感激したというかラストで泣いてしまいました。
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映画「グッドウィルハンティング」に感動した。頭のいい心を閉ざした青年が心をひらいていくというもの。頭の中でのことをけいけんしないと本当にわかったことにならんのではというメッセージ?愛とか。
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高校の時の数学の先生:高橋健じくん(千葉県立舟橋高校)…超やさしく人気者「才能ってものは存在するんだ、才能のない人はどんなにやっても才能のある人にはかなわないんだよ。誰だってイチローみたいになれるわけない。…でも、自分が才能あるか、ないか、やれるか、やれないか、…そんなのやらなきゃわからない…だから、あきらめずやるしかないんだよ。(絵:省略:ps-file があるので時間のある時に掲載)
その他、けんちゃんの名言
- 「ナメック星人って手がもぎおちてもまた手がはえてくるけどなんで、おちた手からはナメック星人がはえてこないんでしょう」
- 「受けんとかよりも大切なことはある。
- 階だんを右足でおりるか左足でおりるかだ。
- もし右足でおりて、そこにバナナの皮があったら
- すべって死ぬかもしれないのですよ。」
- 「私、駅のホームで人に背をむけるのがこわいんですよ」
- etc
-
「生命科学」の授業で遺伝についてやったので、家に母に「DNAは塩基配列っていうのがあって、その中の1コでも違うだけでいろんな影響がでるんだよ」という話しをしていたら母が「あんたえらかったわねー。そんなにたくさんの1つもまちがえんと生まれてきて」というような事を言ったのでちょっと感動した。
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最近イスラム世界に関する本を読んでます。イスラム教は、キリスト教とは違った面白さがあって、しかも馴染みの薄い宗教なんですが、4〜5億人の人が信仰してます
きっかけは今夏にアラビア人の友達ができた、ということで彼は酒は飲まないし、1日5回のおいのりもやってました。アラブ首長国連邦から来ていた人なんですが、アラビアの国々とか、イスラム教の話しとか聞いたりしました。スペインのグラナダとか、イエメンなどは古き良きアラビアを残していて、面白いそうです。行ってみたいです。
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最近感激した○○という前に最近あまり感激とか、そういう事に接するひまがないです。この年にしてTVに出ている人気タレントを見て「誰これ?」と思う自分がちょっとさみしいです...。
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独我論は正しいがそれは私が理解する唯一の言語の限界が私の世界の限界であることの内に示されているのみで語りえないことをいったウィトゲンシュタインの言葉。
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10/19が私の誕生日で、その前日に、福島の母から荷物が届きました。箱をあけると私の好きなものばかりがたくさんでてきました。なし、梅干し、化学調味料、もずくスープ、ツナ缶、私の愛用のリップクリーム、etc、そしておこづかい。これには本当に感激しました。
-
→Private Ryanはあまりよくないと思う。
最近感激した本といえば、エリザベス・バード(→よく覚えていない)というイギリス人が書いた『日本奥地紀行』です。江戸だか明治時代に日本を旅行した女性の本です。好きな本はアイザック・アシモフの『アシモフの雑学コレクション』です。それと、『存在の耐えられない軽さ』も最近読みましたが、今、途中で放棄している状態です。夏休みに、トルコ、エジプト、イスラエル、ヨルダンの旅に出る時に、読みかけで、持っていくには重すぎるということで、泣く泣くおいていったのに、帰国してから読んでないのです。今は、『バラ(→本当は漢字)の名前』という本を読んでいる途中です。でも、大学に入ってからはろくに本を読む時間もないほどELPにおわれているんでまた読みたいです。アメリカのジョン・ノールズの書いた『友だち』(「The Separate Peace」)という本は、数年来にわたって探していて、ずっと読みたいと思っていたのですが、やっと、新宿の紀伊國屋書店で、英語版をみつけたので、つい買ってしまいました。でも、少し難しいような気がしました。映画で感激したものといえば、ベッド・ミドラーが出ている「Forever Friends」(原題「Beaches」)です。好きなので何度も観ました。ちなみに、表にも書きましたが、今やっている「Private Ryan」は戦闘シーン及び殺人シーンが大すぎて好きではありません。昨日、香港人のルームメイトと観に言って来ました。好きな映画はヨーロッパ特にイギリス映画です。20世紀初頭頃が舞台となっているものは一番いいと思います。たんたんとしたものが好きなわけです。もちろん現代のことを取り扱っているものも好きです。
学生へのメッセージ
- 正直、「素晴らしいな」と思っています。ちょっと自分が恥ずかしいなとも思っています。このように書いてもらって、私が知っているのは、実に殆んどないのです。でも、皆さんが勧めて下さったもの興味を持ったものもいくつもあります。私は、最近、映画はもちろん、テレビも見ませんし、本はほんの少し、演劇や、音楽会はゼロだと思います。これでは、いけませんね。こんな、ホームページの仕事までしているのがいけないのですかね。
QUIZ7 : 国際人(World Citizen)とは。国際化とは。あなたの定義と、御意見を。その他何でもどうぞ。
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言語以外に芸術などの世界共通言語を身につけていることでしょうか。仮に数学
がその対象になるとしても少し敷居が高すぎるように思うので、音楽や踊りなど
の単純明快なものがより多くの人に通じると思います。
ある在日米軍の人が志村けんに会って感激して涙を流したと聞いた時に、彼はドリ
フの芸で国際人になったんだなと思いました。
(現代の東洋のチャップリンor Mr.ビーン的な扱いをされているそうです)
-
国際人=国民です、つまり国際化≠ボーダーレス、国際化=「自己確立」?!少しうまくいえません。
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私にとって、国際人とは、人間として何か普遍的なとらえ方をできることと、民
族的なこだわりの存在を理解できること。
「何何人」だからといって差別しないけれど、他の民族の人が民族ゆえにゆずれな
いこと、こだわっていることを、無理に変えようとしないで存在を理解するこ
と。
意見ではないですが、私は国際人でない。
なりたいとは思っているが、どうしても反応がそうならない。例えば、先に述べ
た民族をcultureに属す人ととらえ、セプテンcultureとエイプリルcultureに分け
るとすると、私はエイプリルです。そこで、私は、『セプテンには一般的に「声
がデカイ」とか「あけっぴろげすぎる」という傾向はあるけれど、話してみる
と、それぞれいろんなことを考えていておもしろい。』ということは分かってい
ても、初対面のセプテンの人にはやっぱり「ゲー、セプテンがデカイ声でしゃ
べってる」と思ってしまいます。「セプテン」ってくくってしまうことが、国際
人じゃないと感じてしまいます。これはただの例で他にもいろいろとくくってし
まうのです。でもとりあえず自覚してるのだからつぶしていけるとは思います。
それよりも自覚してない要素が問題だと思う。
「何でもの欄」先生はどう思いますか? 少しWorld Citizonと関係あるような
気がしたので書いてみました。
先日、友達と話ししていて歴史的建造物の話しになりました。
私の意見は、ある時期ある場所に金と力があつまって、ギセイがあったにせよ、
形ある芸術を残したことはすばらしいと思う。
Aくんの意見は、歴史的建造物をつくるためには、多くの人のギセイがはらわれて
いて、単純にロマンだ何だって言えない。
私の反論、(後で自分で思ったこと)
今こうやって生活していること自体が、何らかのサクシュによって成り立ってい
ると思う。今の生活をノホホンとすごしているのに昔のことばかりほじくって反
省しなくてもいいのに。
-
うまく言えない。けど今一般的に思われている国際人、化の定義は違うと思う。
-
「Internationalization」と「Localization」は違う。アメリカに詳しくなってもそれだ
けでは単なる地域化。その国のみ。InternationalizationをもとのLocalizeする
のが望ましい。UnixのMuleのように。
-
1ばんの問題はおもしろかったです。またこんな工夫された問題をつくってくださ
い。
-
国際化とは外国籍、外国のルーツを持つ人のこともその国の人と同じように「人
間」として見る社会になっていくこと。又、国際人とはそういうことができる人
のことと考えます。英語など外国語はそうしようとする際に使う道具でしかなく
て、話せたら即国際人とは思いません。ところで、最近不動産屋さんへたまたま
行く機会がありましたが、外国人の方に対する住居の貸出しについては差別があ
るのを目の当たりにしました。応対自体もとても失礼な態度で臨んでいました。
以下3年生
-
国際人になるために英ゴは便利な物だが、必須ではないと思う。また、英ゴがで
きたからといってそれが国際人を意味しないことはアメリカ人を見てもあきらか
である。ICUおよびICU生は、それを誤解していると思う。International CUでは
なくて American CU ← もしくはCollegeのCなだけではないかと思う。
-
国際化とは、こんな自分でも日本の代表として見られる機会が多くなったことか
な...? (自分だけでなくどの人も。もちろん、他の国の人もその人の国の代表を
することが多くなった。)
-
国内のことも知っていて母国を愛し、かつその母国向上、全世界向上を相互作用
的に考えること。
-
どのくらい主張して、どのくらいひくか。
-
なーんとなくですげど、国際化といって、ちゃんとした日本語も話せないのに英
語を熱心に勉強する、ファッションや食べ物など、やたら何でもマネしようとす
る、という人がかなり多いような気がする。
自分の国の文化をしっかりと自分のうちに持ちつつ、他の国の文化を尊敬したり
認め合いながら交流を深めていくことが大切なのではないかと思います。
-
一国の文化・歴史・利益他にとらわれることなく、公平・公正な視点を有する人
物のこと、ですかね? まあ、なかなか難しいでしょうが。
-
国際人: 多国において様々な経験のある人。また経験する能力(コミュニケーション力)がある人。
国際化:やっぱり英語。
-
自分の国・文化をまず心得た上で他の文化とかかわる人だと思う。日本の街並や
環境をみると、表面上の国際化をめざしているものとしか思えない。
日本文化の遺産が残っているからいいものではなく、日本色というものが消えて
きている。もっと日本のいい文化があったのに、
それににかよった外国の文化を大きくとりあげて、自国の文化を忘れてしまった
り。もっとこの国の文化を大切にしていきたいと、日々思っている。
以下2年生
-
異質なものを理解し、同時に自分を表現すること、
-
国際人とは、自分の国だけの利益ではなく、地球全体の利益や幸せを考えて行動
できる人だと思う。例えば、環境問題は地球全体にかかわることなので、日ごろ
から環境問題に関心をもつなど。
-
英語が話せることなどではなく、自国の文化・伝統を身につけ、それをよりどこ
ろとしてゆくべきものだと思う。
-
先生、漢字さがしって、熱中しますね、みつけないと気がすまない。
-
自分を持っている人。
文化、倫理観、価値観等が適度に身についてる。
他文化、他の人を認められる/受け入れられる。
どんな人も?
-
国際人とは、地球レベルで考え行動できる人。例えば、地球環境のためにリサイ
クルをする人、遠くの国の飢餓や災害に援助をしようとする人など。外国語を流
暢に話し、外国の人と交流し、外国の事情に通じていることだけでは国際人とは
いえない。
-
日本でいう国際化は「アメリカ化」と同じ意味で使われているとしか思えない。
グローバルスタンダードも「アメリカ基準」で外国語というと英語 (米語?)。数
日前新聞で紹介されていたインターネットで漫画を出しているフランス人の漫画
家は自分を登場させるとき必ず「僕は米国人
じゃない」と書いた服を着せているという、他にも日本に住んでいる外国人で勝
手にアメリカ人扱いされて迷惑がっている人もたくさんいるという話しも聞く
し、思い切って今の学校のシステムを変えて英語必修じゃなくいくつかの外国語
から選ぶようにした方がいいのでは?(ICUもELP以外にFLP、CLPも作るのもい
い?)、英語が国際語といっても通じるのは英・米・豪・加・ニュージーラン
ド・アイルランドぐらいなんだし、国によっては英語を学習しない所もある。英
語一辺倒よりも多くの言語やその背景となる文化に触れた方が視野も広がるし、
(本音!アメリカにばっかりエラソーな顔させてられっかよ!)アメリカ化だけ
で国際化とは言うことはできない。
-
改めて問われると漢字ってなかなか思い出せないものだなと思いました。あと、
私は普段からつづけ字を書いているのでひと筆書きできるかどうか違うことが多
かったです。
-
国際人とはただ英語能力が高いだけの人間ではなく外国の文化をも理解に受け入
れている人だと思う。同時に日本語の能力も高く日本をも理解している人。
-
先日も、かきあげFritters(サークル名です)のDiscussionで、ICUの「I」につ
いて、ということで話しをしたのですが、結論はでませんでした。ただひとつ言
えるのは、「国」ということを考えること自体、疑問を持つべきことかもしれま
せん。国籍を持って「国」というのか、文化も含めているのか、もしそうなら、
2カ国、あるいはそれ以上の国で育ってきた人は何人なのか、国に限定して考え
ていることこそ、「国際」とは言えないのではということを考えました。
-
難しい。とりあえず文部省の挙げてることとは違うといえそう。
先生はは何か楽器を弾き(吹き)(叩き)ますか? 私はピアノを弾きます。ピアノ
の調子がいい時はなんか身体の中の分子がきれいに整うかんじで、一度ピアノを
弾いてひき始めの風邪が治ってしまったこともあります。あと先生の超おすすめ
の曲がありましたら教えて下さい。
-
国際人とは、…この人は何人だとか、あの人は何人とかを気にしないで色々な人
と付き合える人。だと思う。
このような人になったらStereoTypeなしに人と付き合えるのではないかと思うか
ら。
-
期末試験どんなかんじで問題がでるのですか?
-
互いの違いを認め合いながら、自身の特異性を持っている人。
-
自分と全くちがう異文化・異宗教を受け入れることができ、そこに優劣を見ず、
なおかつ自分のアイデンティティを確立できている人。
-
国際化…様々な国の人が、自分の文化を大切にしながらも、他国との交流を通じ
てよい所をとり入れていくこと。
したがって国際人とは、様々な国籍をもつ人と自分の日本人としての identity を
自覚しながらつきあっていける人なんだと思います。だからといって妙に自国の
文化ばかりに優越感をもつのではなくて、世界の慣習やしきたりを公平な目で
もって見つめることが必要だと思います。この話題はすごく、ELPチックのような
気がします。理想論としては国際人はそういう人なんでしょう、きっと。
何においても、理論ばっかり素晴らしいのは現実とあまりにかけ離れているから
なのでしょうか。あと、よく思いますが、色んな意味での「積極性」がないと国
際人にはなれないのではないでしょうか。例えば、知ろうという好奇心とか、人
間関係における積極的態度など重要なのでは。
-
外国人に自分の意見を母国語で言える人。
-
国際的な感覚が私はまだまだ備っていなくて、せっかくICUにいながら英語もあま
り話せない、他国の友人もいない、国際的な授業もほとんどとってない、洋楽も
きかない…etc、といった感じなのですが、何度か海外に行ってみるといろんなこ
と(歴史の重みや文化や人柄の違い等)に驚かされて、人間とは奥深いものだと
感じます。日本にいて、その環境で考えて、感じていることが、人間の全てでは
ないと知ると、国際人である為には、世界の多種多様な文化や価値観を同等に尊
重し、理解しようとする姿勢が大切なのかもしれないと、わからないながらも
思っています。
-
異なる価値観の存在を認められる人。
自分の尺度だけで物事を計らない人。
-
それぞれの文化をひとつの文化としてとらえられること。「すすんでいる文化」
や「発展途上」「野蛮」という考えはまちがっていると思う。すすんでいる、
も、遅れている、もないと思う。
-
まず自分の国籍を意識し、その歴史と文化にプライドをもつこと、そして、他国
との違いを理解し、違いをそのままうけいれられる人。
今の日本はアメリカの属国だ、陛下バンザイ(ウソ)。
-
ひと筆書きはキライです。
-
国際人とは世界というbaseの中で自分の国を位置付けられる人のことで、世界的
な視野にたてる人、自分の国のことばかり考えていない人であることが第1条件
だと思います。
-
国際化とは今の私の中では国籍・人種・宗教が違ってもお互いを認め合い受け入
れることが出来ることだと思います。
私は推せんでICUに入学したのですが入学試験の面接の時(高校3年の秋)新津先
生に、「君、国際化(インターナショナリゼーション)とグローバル化はどう違
うと思う?」と聞かれ全く分からず「ICUに入って考えます」と泣きそうになりな
がら答えました。
今も考え中です。
-
本で読んで知っているという人ではなく、実際に多国に住んだことのある人。
-
国際化とは、ある国や団体が他の国々との交流、interactionやコミュニケーショ
ンを深め、互いに影響し合い、関係が多の国対多の国で築き上げることである、
このような変化を起こし影響する者が国際人である。
-
「国際人」は 「World」Citizenだから、「世界の」「どこの
国に行っても苦労しない人」、その国の言語も日常会話できるくらいしゃべれ
て、文化もよく知っていてとまどうことのないような人でしょうか…?
「国際化」はいろんな国の人が交流をもって、お互いの言語や文化を知って、自
分とちがう国の人に会ってもとまどわない人がどんどん増えて行くこと...で
しょうか?「定義」ときかれてもよく分かりません。先生はクリスチャンだそう
ですね。私もです。天国に行ったら、地上でどこの国の人だったか、なんて関係
なく、神様といっしょにすごすようになるのだから、みんなが私の書いた「国際
人」になり、「国際化」されるのかなー、と思いました。
以下一年生
-
僕にとって「寅さん」がごときとってもlocalな人も国際人である。で、クリント
ン大統領なんかはinternationalな人だけれども全然国際人なんかではない。だか
ら国際人の定義をと言われたら、わたすはこう答えるだろう。「本当に生きてい
ると他の人にまで感じさせる人」と、
-
・国際人とは自分の国や他の国の文化の可能性を常に求めて探している人だと思
う。
・国際化は他国との関わり方や、それを通じての自国の見直しをしている過渡期
のことだと思う。
-
国際人とか国際化ということが意識されなくなったときが、それが達成されたと
きだと思います。
-
この話題はELPの時もdiscussionして、いまだによく分からないんですけど私の定
義は、国際人「いろいろな国の人々の見ためや外面的な違いだけでなく、文化、
価値観の違いを理解できる人」です。
ICUは、外国の人達と触れ合う機会の少なさから、まだまだ「International」で
はないと思います。
-
国際化って、難しい。
定義できないです。
-
国際人とは、文化の違いを越えて様々な人と交流しようと試みる人、英語が喋れ
ることは必要条件でも十分条件でもない気がします。
(勿論、世界言語になりつつある英語を喋れることが多少なりとも役に立つこと
はあるでしょうが。)
おのおの文化には固有の価値感や習慣があるということ、そしてどの文化間にも
優劣はあり得ない(筈だ)ということを理解する必要があると思います。(…な
んだかELPのテキストのようだ…。)
-
他者に寛容である上に、人種の概念を忘れられる人。
-
いろんな国に知り合いがたくさんいる人。
-
他の国のことを知ろうとする好奇心をもった人。
そういう人たちが互いの文化を知ろうとすること。
-
・余裕がないです今回は。
・少なくとも2カ国以上にそれぞれ1年以上滞在した経験があり、かつ、世界の
主要言語のうちどれか1つを話すことができる人のこと。
・国際化の時代などと言われていますが、本当にそれ程交流が深くなっているの
でしょうか。一般レベルでは、ちょっと旅行に行くぐらいでしょうし、行ったこ
とのない人も多くいます。それに、日本は結こう閉鎖的な社会で、外から来る人
を大量に受け入れませんし。でも、やはりビジネス面などでは外の人達と交流す
る人が多いんですかね、昔よりは。でもやはり一般の人にとっては(今までの私
もそうでしたが)あまり国際化は実感できません。
-
国際人:地球単位で行動、思考できる人、
国際化:国家という枠のゆるやかな崩壊、
いずれ、100-150年後には国家は存在しないか、あるとしても国家連合という形に
なり、地域ブロック(現在でいうと例えばE.U.など)が数個あってその組織単位
で政治経済など動くだろう。ひょっとしたらSFのような話しだが、
他の太陽系惑星の開発が進み、地球生物の植民が始まったら、地球は1つの単
位となるだろう。国家は過去の遺物となり、人間は社会のコントロールにお
いて、進歩していると期待している。
ICUのI→Internationalは国際的という意味であるが国際的→必ずしもELPという
ことには、私は疑問がある。現在広く使われているのは確かに英語であるが、日
本人は否応なく日本人であるのだから、JLPをNJ以外にも希望者に門戸を開いてほ
しいし、また逆もしかりであろう。
-
私の考える国際人とは、可能な限り、自分の国以外の文化に理解を示すことので
きる人です。言語というものは、一手段であり、言語がたんのうだからといって
国際人とは言えない。
-
国際人とは、文化の違いを理解し、対等な目で相手(外国人)とつき合える人。
自分を卑下することなく、また高慢になることもなく、自然体で人とつき合うこ
とはけっこう難しいと思う。誰とでも自然に、快くつき合える人なんていないの
では…?
-
よゆうない。
-
国際人とは、自分の母国(もしくは祖国)のアイデンティティーと誇りをもちな
がら、同じ人間である他の国の人々と心の底からふれあえる人。この Quiz の漢字
の問題はずいぶん楽しませてもらいました。
-
国際人とは自己が、民族、宗教、国民性といったグループの一員ということより
も(その前に)一人の人間であるということが無意識的に自覚できる人。
-
少なくとも英語をしゃべれる人ではないと思います。
-
国際人とは他の国の人達と、自国の人達と同じ様に接することができる人のこ
と、(コミュニケーション全般において)ハッキリいってムズカシイ。どーして
も違う存在としてみてしまう。
-
前に誰からだったかは憶えていないが、日本を訪れたあるドイツ人の話しを聞い
たことがある。そのドイツ人は、別に有名な人でもなんでもないが、東北のどこ
かのむらを訪ねていって、古いわらぶき屋根やいろりの生活が気に入り、村の人
と一緒に田植えとかを手伝いながらしばらく暮らしたらしい。
別になんともない話かも知れないが、これを聞いたのがちょうどタイに旅に行っ
た後だったのでショックを受けた。というのも、自分がタイを旅していたとき
は、日本での生活をベースに考えることがどうしてもやめられず、タイ人の生
活レベルで生活することなど、どうしても考えられなかったからだ。だから、旅
をしてもトイレのないところには行きたくなかったし、クーラーのある所に吸い
よせられたりもした。つまり、結局......。
-
外人という言葉をつかわないこと。
-
写真をとられるのが好きでなかったのに、笑顔でうつって頂いて、ありがとうご
ざいました。まだネガから焼いていないのでどんな風にとれているかわかりませ
んが、きれいに撮れていることを願ってます。
というのも、YearBookの部員でありながら私はあまり(ほとんど全
然ですね)写真をとっておらず、〆切りが近づくなかでSnap写真が足りないこ
とに気づき、あわてて撮っているので、私のような者にもcameraを持たせてし
まっているのです。仕事をあまりしない(写真をとらない)、かわりによく暗室
には入って焼いてます。
だから先生の写真を焼くのもおそらく私でしょう。自分が撮映した写真を焼くの
は始めてなのですごく楽しみにしています。
-
国際人とは黒人だろうが白人だろうが、なんだろうが、共存できる
と思う人。(ただし無意識に)
外国人とせっするのが、友達とせっしているということと何の変わりもないと思
える人。「あっ外人だ」は×。あー時間が......。
-
自己をしっかりともちながらも、他者をうけいれられる心をもつことが国際人で
あるのに大切だと思います。
-
国際人とは、いかに日本人としてのアイデンティティーを失わないで、人々と交
流できる人だと思う。だから、外国文化に埋没し、日本文化を卑下するような人
間は、国際人とは言えない。
-
1番に必死で余裕がありません…。
すみません。
-
国際人とは他者を認められる人のこと。
つまり、自己同一性のない人のことです。
自己と他者の混沌を受け入れられる人のことです。
-
国際人とは、何故かわからぬが、たまたま世界中の人と意志ソツウできる人のこ
とである。「何故かわからぬがたまたま」というのは、世界中の人々と意志ソツ
ウすることを、意志ソツウするためのきまりに従うことだとする(文法とかマ
ナーとかを考えてほしい)とそれに正しく従わねばイミがない。では正しく従う
ためのキマリをまたつくればよいかというと、やはりそのキマリに正しく従うた
めのキマリが必要となり、これはきりがない。よってきまりは規定できない、だ
から「何故かわからぬが、たまたま」なのだ。
-
ICUに来て、いろいろな人に会いました。それぞれにいろんな考え方をもってい
て、話をするのが楽しいのと同時に、人とのつき合い方の難しさも少し感じま
す。今、身近に、私には考えつかなかったような価値感を持っている人がいて、
よく驚かされます。その人は私にとってとても大きな存在ですが、距離のおき
方、というか、その人の位置づけというか、そういうものがよく分からない状態
です。でもそれはそれでいいのかな、とも思います。
-
--訂正--前回のQUIZの、「日本奥地紀行」の著者はイザベラ・バードでした。絵
付きでなかなか面白い本です。
国際人というと、UNなどで精力的に働いている職員などを思い浮かべてます。す
なわち「国際」ときくと、ふとUNが出てくるのです。
国際化とは、国籍を問わずいろいろな人々がいろいろな場所で言語に不自由する
ことなくコミュニケーションがとれること、でしょうか。
-
1年なので、ELPをとってますが、これのおかげというか、勉強不足のためか、感
じを使う量がめっきり減り、ふとしたことで忘れてしまうことが多くなりまし
た。日本人で日本語を喋っているなら常用漢字ぐらいすらすら出てこなくてはい
けないという危機感にさらされています。
ところで、この秋休みは、LAおよびSanDiegoに行って来ようと思い、格安のチ
ケットをとったのですが、一人旅なのでどうなるか全然予想もつきません。6月
までICUにいたOYRでU.C.San Diegoに通っている人の所にStayするつもりです。
1番の問題は想像力も必要であるということを実感しました。
学生へのメッセージ
- さすが ICU生ですね。私の良く理解できない難しい学問的なことまでたくさん書いてありました。これなら将来の日本、世界も大丈夫だなと思います。
- 私は、国際人というとき、「違った背景を持った人とも人間としての尊厳をお互いに保って、ともに何かを創りあげていくことを、おそれず、積極的に挑戦していく人」なんていうのはどうかなと思っています。異性とおつき合いするのは、これの最初ではないかと私の個人的経験から思っています。私は、オクテだったので、どうもこれがなかなかうまくいきませんでした。それと、外国人とくに、西洋系の人とはかなり苦労しました。相手もそうだったでしょうね。本田勝一の極限の人々3部作、読んだことのある人はいますか。本田勝一という、探検部上がりのジャーナリストが「カナダエスキモー」「ニューギニア高地人」「アラビア遊牧民」と生活をともにしていくのですが、最初の2箇所では、「人間とはこれほどまでに似ている。理解し合えるものだ」、と感じていくのですが、3箇所目では、「人間とはなぜこれほどまでに違うのか」という結論に達し、このあとの、本田氏のジャーナリストとしての生き方と、視点を方向づけていくのです。私も丁度留学中にこの本を読み、すこし、英語で話しができるようになってきたころだったので、とても興味深く読みました。「人間何でこれほど違うのか」と思っていましたから。「何でクリスチャンでもこれほど考え方が違うのだろう」とも思っていました。そのような違いを違いとして認めてしまうのは、正直、本当に恐かったのですが、ある時、この違いを受け入れることにしてしまいました。私の中の「人間の定義」が広がった時でした。そのころから、醜い自分もマトモに直視できるようになった気がします。絹川学長から良い言葉を教えていただきました。「共生」から「共創」へ。「ともに生きることからはじめて、ともに創ることへ」というような言葉だと思います。そんなことができたら素晴らしいなと思っています。
- 私は、高校生の時、東南アジアを貨物船で53日間旅行し、留学先はアメリカでした。原体験というものは、その人にとって命と同じぐらいに大切なものですが、私のつたない経験から、皆さんにも、発展途上国といわれている国と、先進国といわれている国と、その両方を訪ねてほしいと思っています。それぞれの人の心を「そんな考え方もあるな」と思える程度には経験し、自分の「人間」の定義を深めるために。私も、このような、手紙のやりとりを通して、たくさんのことを学ばせてもらっています。本当にありがとう。
QUIZ8 : 聖書をインクリ(キリスト教概論)以外で読んだことがありますか。キリスト教の印象。その他何でも。
-
「ボルケーノ」という最近のパニック映画(ロスの地下に突然、溶岩の噴出口ができる&その溶岩流を海に導いて町が救われるという筋書き)で、またも人命救助のために溶岩にとびこむことを選んだ端役の人が、マタイ伝の一節(?)を死ぬ覚悟をする直前に唱えていました。ハリウッドの人は、こういう表現が大好きみたいです。「切れた電話に対して受話器をみつめる」など「定型化」した映像表現はどうにかならないものでしょうか。もっとも、自分が死ぬ前に一言いうとしたら、何を言うのかなあ?
-
あります。物語として。内容はおもしろいと思います。でも、キリスト教はよくわかりません。すべての宗教は、メシアとミラクルというものがあると思うのですが、現実主義の私としては、実感がわきません。
-
読んだことがある。以前にもメッセージの欄で書いたことがあるが小説聖書を読み終わった。ときおり聖書を比べながら読んだ。以外と日本人社会の中にも浸透している考え方、もののとらえ方もあると感じた。
-
ないです。
私は三浦綾子さんの本がとても好きです。気分が落ち込んだ時にはよく読みます。それは私がキリストを信じているわけではなく、自分以外の人に対して今までよりも優しくすることができる様になるからです。
-
カトリックの幼稚園に通っていたので、子供用の聖書をずっとよんでいました。中学も、イギリスで Religious Education という授業があったので読みました。高校のキリスト教概論でも読みました。ずっと身近にあるけれど宗教を自分の中によりいれることはあまりしようと思ったことがありません。
-
キリスト教の印象—厳しい 父性的 個人的(←寂しいととる人もいるのでは)
1学期間どうもありがとうございました。
数学が苦手な上に今学期は理由あってたくさん授業をとっていてこの授業を消化できないことも多く、すいません。でも、楽しかったです。
以下3年生
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私は高校からプロテスタント系のキリスト教の学校に通っていたので、聖書はその時の聖書のクラスや、毎日ある礼拝、たまに会食とか言って先生と一緒にごはんをたべる時の前にもよんだりした。聖書は読むのが大変だけど、助けられる様な言葉がたくさん書いてある。私は聖書も好きだが賛美歌のほうが好き。特にクリスマス用の賛美歌が良い。
-
神道にもかかわらず何度か教会へ行きました。すごく人を清らかな気もちにさせるけど(聖書)それを扱った人間自体の歴史がよくなかったと思う(ie 戦争、黒人、ユダヤ人圧迫→キリストはユダヤ人では?)
-
あります。キリスト教の印象は、少し押しつけがましいという気がしました。歴史的にみても責めの強い宗教だと思いました。人間を超える何か大きな力のようなものがあるとは思いますが、それが神なのかはわかりませんし、人間を保護してくれるような、いいものであるのかもわかりません。誰も真実は分かってないのに、それをいいものとして、神として決めつける必要があるのかが少し疑問です。
なんだか、全く分からない高校の時の数学の模試を思い出しました。それぐらい分かりません。
-
ありません。キリスト教の印象…幼稚園がミッション系だったので悪い印象はありません。ただそれについてホトンド何も知らないので、私が自信をもってキリスト教について意見を述べることはできません。キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、宗教は文化から生まれ文化を生むもののように最近は思えます。
-
インクリすらまだ取っていません。
「キリスト教」は嫌いです。まだしも仏教のほうが人間の真の姿について触れているようなのでマシです。とはいえ、キリスト教を信じている人を否定する気はありません。信じる、信じないはその人の自由ですから。
-
ないです。
キリストさんは好きだけどキリスト教は好きではない。
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高校の時の授業では読んでいました。(それもやはりキリスト教のクラスです。)キリスト教の学校に行っていて、自分自身でなっとくしてしまったのは、特に宗教信が強い人だからといって善人であるわけではない、ということです。こんなことをなっとくしてしまうのは、大変に駄目だとはわかっているのですが。たまたま出会った人がそうだったからだとは思っています。しかし私自身は決してキリスト教の考えや教えは嫌いではありません。
以下2年生
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アメリカ留学中にホストファミリーが毎週教会に連れていってくれてそこで改宗してしまいました。
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苦手意識が強かったが故に何となくさけてしまった数学ですが、もっとやっておけばよかったなーと今思います。
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ICUに入る前、他大学でキリスト教概論を勉強したことがあります。その時は、自分の命は自分1人だけのものではない、という観点から自殺や中絶などの問題について考えました。
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あります。
★ICU祭で会った、自転車にのった5人の子どもたちかわいかったです。たのしそうでした。
★ところで、先生の homepage みたいのですが秋休みになってしまいそうです、みるのが。Finalで痛い目に会ってでも、ホームページみますね。きっと。
Christianの人たち:思っていることが+やっていることが、絶対的に正しいと信じているように見える。でも、実際、何事も信じこんでやらないと達成感など味わえないのでね?+他の人の意見とか考えはなっとくしててもしっかりしたものをもっていて、全面的には受け入れない。
これは今まで出会った、限られた人々についてなので...。
-
4、についての質問。
まったく同じ所に玉が当たった(というか通過!?)としたらどうなるのでしょう。それも全部の玉が。スゴイかも。
-
私は、イエスキリストを自分の救い主と信じてから5年がたちますが、大学に入るまでは、あまり深く、読んだことがなく、新約聖書をパラパラ、旧約は有名なところくらいしか知りませんでした。しかし、大学に入って、神様と自分という関係が大切になるにつれて、もっともっと知りたいと思うようになり、新約を通読したり、旧約も全部読みたいと思うようになりました。Bible Studyに参加したり、日々、自分で、聖書を読んで神様からみことばを頂き、お話する時は私にとて欠かせない大切な時間です。
聖書を読めばよむほど、疑問がたくさんでてきますが、それを考えることで、さらに神様の奥深さ、すばらしさを知ることができ、本当に感謝です。
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・はい。
・似たところが多い(イスラムからみて)。
イサは神ではないと思うがキリスト教ではそうらしい?イスラムは、イサ→キリスト教は、イエス。
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今日は全くひらめきませんでした…。
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私自身はクリスチャンではないのですが、クリスチャンの知人が多く、聖書も読んだことはあります。小学校の頃、日曜学校で。そのころはあまり深く考えてはいなかったのですが、今現在、ICUに通い、YMCAでボランティアリーダーをやっていると、キリスト教について、考えることが多くなりました。信仰を持っている人の強さというものも感じますし、ただ、クリスチャンの人は寛容な人というか、人をあたたかくむかえいれてくれる雰囲気をもった人が多いと感じています。
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1 今インクリとっていてはじめて聖書を読みました。
またキリスト教概論Ⅰ(森本アンリ先生)☆でも同性愛の否定の場面での聖書の用いられ方という点でも扱いました。
そこで思ったのは、とてもきれいな書物ですけれども、悪用もされうるなどの点で、きけんな存在でもあるということです。また、あんり先生はキリスト教が西方において広まってしまったのが最大のまちがいだったという興味深い見解もおっしゃっていました。
2 私は仏教の方が考えが慣染みます。両者を比較するとおもしろい。☆はとーっても面白いですよ。
-
小学校以来のミッションスクールで過ごしてきたが、よくわからない。
小学校の頃はおはなし(説話)的で、一番宗教色が強かった。
中学校の頃はイエスについて考える。
高校では今現在生きている人の聖書との関わり方をきくという授業だった。
インクリは未経験。
今は、小学校の頃に育てたイメージと耳に残っている一節とを時折引き出すくらいの関わり方。
-
先生もICUの教授だから Chrisitian なんですよね。
私個人としてはこの制度は反対です。「それがICUの個性なんだ」という人もいますが、教授が皆 Christian であることにどれだけのメリットがあるのか疑問です。
キリスト教の印象というと、開発・援助と宗教をセット販売してるという感じ。土着の宗教をふみにじっているという印象をうけます。
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僕は信者ではないので授業以外で聖書は読まない。キリスト教を「知識として知っている・知っていない」は自分のものとして信仰しているのと比べればどちらも同じ様なものだと思うから。関係ない話しだが、僕がキリスト教やその他の宗教について考えたり人としゃべったりするときに頭の中には常にある種の辛らつさや意地悪さがあり、そういうものが過度にならない様に気をつけている。
-
子供の頃なぜか家にあった(我が家はキリスト教徒ではありません)絵本の様な「わかりやすい(たのしい?)聖書」を読んだことがあります。
キリスト教は基本的にあまり好きではありません。いろいろとおしつけがましい気がするし、けっこう狂信的な部分もあるような気がするのであと一神教という所も…。
私は特に宗教を信じているわけではないですが個人的には、山には山の神様がいて海には海の神様がいるといった考え方(アニミズム?)が好きです。
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高校が Christian 系だったので高校時代毎日礼拝があってよんでいました。
今も時々教会に行ったりしてます。
でも、信じることはできません。いつもうたがいの目をもちながら読んでしまいます。
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高校がミッション系の学校だったので「宗教」の時間に聖書を読みました。キリスト教といわれると「隣人を愛せ」としか思い付かないほど無知ですが、考え方は基本的にはすきです。ただ世界中の人がそういう考え方になったら世の中はつまらなすぎるほど平和になりそうだなと思います。(ありえないでしょうが)
インクリで今のキリスト教は他宗教とのつながりを大切にするときいたので割といい印象をもってはいます。私自身が無信仰でいまのところさしさわりがないので宗教は私の生活とは関わりが薄い気がします。
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中・高で毎朝礼拝をし、週に1度は聖書の授業がありました。今もHumなのでキリスト教史やキリスト教倫理の授業をとっていますが…まだまだわからないことが多いです。
でも私は三浦綾子さんの本が大好きで、そこに描かれている人々の心にはいつも心を動かされて、もっと知りたいとは常に思っています。
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中・高で宗教の時間に。キリスト教の印象は言うこととやることが違うなということ。ま、世界中何でも誰でもそうですけど。ex.宗教戦争とか。
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『旧約聖書を知っていますか?』あとうだなんとかさん。おもしろかった。
あとホテルにとまったときひき出しの中に入ってる聖書もよんだ。
-
友達がクリスチャンなどで、その人の書いたもの(文章とか)などから、また幼稚園がキリスト教主義だったので。
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私はクリスチャンなので人にキリスト教の印象を聞くと、「暗い」、「ノンクリスチャン」に対して疎外する態度が見られると言われました。そうかも知れないと思った。
でもある時、15才の高校生から「宗教をもつ人は暗く、弱い人間だとずっと思っていたが宗教をもつことでその人が前向きになり進むことができるのならその人は強いんじゃないか」と思うといわれ感動しました。
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アメリカでプライベートのハイスクールに通っていたのでそこは Catholic 系の学校だったので Religion のクラスがあり、キリスト教について教わったため、聖書を読みました。
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聖書を初めて読んだのは小学校の頃でした。Okutama Joy Bible Campというものに4回ぐらい夏休みになると参加していて、そのときに mission の時間があったので、聖書を読んだりキリストのスキットを見たり演じたりしました。その後、聖書をキャンプのsupervisor からもらい、大事にそれを読んだ、その中の絵をながめて考えごとをしたりしました。でも中学時代がいそがしくなってからは、ほこりをかぶったままで悪い気がします。
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私はクリスチャンなので、聖書を読んだことはあります。(通読はまだですけど…涙)今、東神大の Mr.Hastings のインクリをとっています。先生の個人的な(?)解釈が入ってきたり、カトリックの解釈が入ってきたりして時々、混乱してしまいます。
「キリスト教は宗教ではない」とよく聞きますが本当にそうだと思います。「他の宗教でも救いはある。自分にはそれがイエス・キリストだった」と言う人もいるけど、それはちがうと思います。
以下1年生
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新約聖書が家に1冊あるのですが、読んだことがありません。宗教に対して全般的に存在しているし、それを信ずる人が自由にいてよいと思っている一方で、自分自身は「最後に信じられるのは自分」と感じているので少し聖書にかんして抵抗があるから読まないのかもしれません。
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よんだことない。
差別的表現が多いだの何だの言われ、その抜け道をさがして解しゃくの仕方をくふうしているがどんな宗教だってそうさ。だめですか。だめですよね。
冬にインクリとります(とれたら)から、よく考えてみます。
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中学・高校がカトリック系だったので、読んだことはあります。キリスト教は「良心」の宗教だと思います。でも僕自身の宗教観は、「心の中にこそ神はいる」ということです。こうある方が、世界で起きている宗教同士の醜い争いは起きないと思うからです。
-
インクリでも聖書は読みませんでした。
自分がキリスト教系大学にいるという実感はほとんどありません。
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あまりありません。(インクリは来学期にとります。)でも興味はあります。「小説『聖書』」も読んでみたいです。(人気あるらしいので。)でもなんでクリスチャンの人って、キリスト教の言葉やキリスト教をあまり疑いもせずに信じ込んでしまうんでしょう(悪く言えば盲信的)。聖書ってたまに非論理的なところがある気がします。
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今学期は永田先生のインクリをとっていますが、あまり聖書は読んでいないです。高校が ICUHS だったのですが、1年生の時の夏休みの宿題が「創世紀」を読んで要約のレポートを提出するものでした。いろいろな話しがあって面白かったのですが、登場人物の寿命が時代を経るにつれて短くなっていくのが気になりました。高校のときからつい最近まで、現代まで続いている宗教対立にまつわる戦争ばかりが目についていて、それが私の宗教嫌いの1番の理由でした。ですが、インクリ受けているうちに、それだけの理由で簡単に嫌いだと決めつけることに疑問を持ち初めています。
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キリスト教のsituationを使っている漫画や本に出会った時期があった。今回は筆入れを忘れたので、消しゴムが使えませんでした。汚くてすみません。
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聖書は、まだ読んでいないんですが、何にしろ読みたいとは思っています。聖書は、何を読むうえでも、というか一般常識として必要なので。
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宗教はその地域で minority であるほど、信じられるかもしれない、と思わせるほどのまじめな活動をしているように思う。それはやはり、人に伝えたい、とういう熱意の表れなのだろうと思います。政治のために使われ、Top の人間が権力をふりかざすようでは、キリスト教もたいしたことはない、と思ってしまう。
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インクリもまだとっていないので聖書を読んだことは一度もありません。ただ、両親ともに、京都の同志社大学出身で特に父は同志社に中学から通っているので、聖書の中のことばをよく話してくれました。そのときのイメージとしては、表現方法が違うものの仏教と似ているところがあるな、と感じました。私は高校が仏教系の学校だったので特にそう思いました。ただ、世界史やユダヤの歴史に私は興味があり、ユダヤ関係の書籍を読んでいると、ユダヤ人差別の根本原因はキリスト教にあるように思われます。キリスト教の地位の確立されていない3〜4世紀ごろから、キリスト教同様にすぐれた宗教であったユダヤ教は、ローマ帝国にキリスト教が認められ国教とされたこともあり、徐々に排せきされていったかんじがします。それが大戦中のホロコーストに直接的に関連してるとはいいませんが、責任の一端があるような気がします。
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高校の倫理の時間に少しだけ読んだ。キリスト教はすごく理想的なことを言っている気がしてあまり好きになれない。クリスチャンの言う「神様がいつも守ってくださる」というのも、どうも他力本願的にきこえる。もちろん自分一人で生きていけるわけではないので、謙虚な姿勢はとても大切だし、理想を抱いて努力するのも大事なことだとは思うけれど。
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授業中ねていてスミマエセンね。この学校に来るために新聞奨学生をしながらきてるから。朝の3時におきて、くるから、寝ないでいようとがんばってんだけどね。本当にスミマセン。
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高校で聖書の時間があったのでその授業中ではあります。授業外では、KKKについて興味があるので、ある映画でKKKが白人至上主義を聖書が正当化せいいると主張をしいていたのでその部分を読んだりしました。あと今思い出したのですが、アメリカに住んでいた頃夏休み中に参加した summer camp で聖書を読み、それについて discussion をし、自分の反省をし、心から洗い流すという時間がありました。
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眠れないときに たまに聖書(旧約、創世紀)を読むと、すぐに眠くなり、よく眠れます。
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僕はカトリックの洗礼を受けていますが、キリスト教はあまり信じていません。僕が思うにカトリックのミサはほとんど儀式化されていしまっていて、やることに意義があるような状況になってしまってるように感じます。あと 理想を求めてて、現実にそぐわないようにも感じます。そろそろ法王が変わりそうなので、それに合わせてカトリックとキリスト教全体も変化していって欲しいです。
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幼稚園がミッション系のところだったのでそのころに少し読みました。
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今、歌劇でやっている Jesus の最後の1週間を扱う「The Last 7 Days」の練習で少し資料として。キリスト教って、そもそもの始まりは一部の熱狂的な支持者によって生まれたもので、ずいぶん後になって宗教として成立してきたものなんだなあと痛感すると共に、じゃあ Jesus Christ って本当は何だったんだろう、という思いが強くなってきています。やっぱりただの人だったのかな。まあ、そうなんだろうけど。だとしたら彼の功績は民衆を扇動しただけだったりして。
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私は高校の授業でキリスト教を学んだ。イエスが十字架の上で最後に口にした言葉が、「父よ、なぜ私をお見捨てになったのですか」だったというのが、とてもイエスが人間らしいと感じられるところだと思う。
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小学校のときカナダのシスターに教会で英語を習っていました。子供用の聖書でした。そこの教会ではいつも大きな声でしゃべると何かいけない気がしたものです。
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大学礼拝にいく時に牧師さんが読んでくれるところは読んでいます。キリスト教は好きです。映画、(洋)を見ていると海外とキリスト教のつながりの深さが知れておもしろい。 ex.天使にラブソングを、フェイス・オフ。サウンドオブミュージックでも他もある。時間がないのでかけない。
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インクリの授業もまだとっていないので、ほとんど読んだことがありません。幼稚園がキリスト教系だったのでお祈りはしていましたがもう忘れてしまいました。ICUに入ったからにはキリスト教にもう少しふれてみたいと思います。先生はどういうきかっけでキリスト教に関心をもたれたのですか?
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僕の両親は両方とも Christian なので、幼い時からキリスト教にふれあう機会が多かった。しかし両親は幼児洗礼に反対していたので、僕は Christian ではない。それで、中高生のときは反抗期でキリスト教など大嫌いで、ミッションスクールに行くなんて考えられなかったので、今自分が ICU にいるのがある意味不思議である。今夏アイルランドに行く時に、向こうはカトリックの国だからということで一様聖書(小型で日英訳つき)を持っていって読んだこともあった。個人的にはキリスト教にはいつも批判的な立場をとっているので、今後も洗礼をうけることはない。ただ、ヨーロッパの政治や文化を考える時、キリスト教は不可欠だとアイルランドでよくわかった。
-
読んだことありません。でも、アメリカ映画の翻訳をやりたいので、聖書とマザーグースを知ってることは字幕翻訳家の基本らしくて今苦戦しています。なにしろ今までキリスト教の知識がゼロだったのにいきなり英語のインクリをとってしまったので…。でもやってみるとけっこうおもしろいですね。
-
断片的になら。キリスト教を含めて私には宗教というものがどういうものかわかりません、というよりは純粋な宗教は手にとって、みることができません、それができたらその宗教は「お説教」のようなものです。
-
全然ダメ、でも、この前、かなり、(自分にも他人にもゴマかして生きてきた⇒自分に甘い人間ができた。)自分の人生を反省したので Final はなんとかしたいなあ。
-
今インクリをとっているので、聖書を読んでいると、はっきりとは覚えていませんが、昔同じようなおはなしを何かで聞いたことがあるなとか、読んだことがあるなと思います。私は、特定の宗教を信じているというわけではないので、宗教を否定はしませんが、神とかキリスト教とか言われても実感がわかない、というのが今のところの感想です。
-
あります。とりあえず、ICUをうけるにあたり、少しはキリスト教について知識をとりこもうと思ったため途中まで読みましたが途中で挫折し、阿刀田高の「旧約聖書をしってますか」と「新約聖書を知ってますか」と、新書を何冊か読みました。だから完全によんだということはできません。ちなみに、このシリーズはギリシャ・ローマ神話もあります。
学生へのメッセージ
- キリスト教徒の戦争について書いている人が何人もいましたね。私も宗教戦争なんてとても嫌いでした。でも、それをしているのは人間で、私自身も、自分の正しさを主張し続ける時に、いつしか本当に醜い状態になっているなと気づかされます。人間は、そして自分は本当にどうしようもないほど醜いものだと感じさせられます。特に自分の正しさを主張し合う時に。聖書に「われわれの義は汚れた衣のようだ」とあります。
- 私は、聖書の人間理解、そして、神がどのような神であるということの表現がとても深いと思います。単なる善人は聖書に出てきません。モーセも、サムエルも、ダビデも、エリヤも、アブラハムも、ヤコブも、その罪だらけの一人一人が聖書に描かれてはいますが、それでも、アブラハムは信仰の父であり、ダビデは、神様に「私の心にかなう」といわれるのです。神様が、この私をもどう見ておられるか、厳しさだけでなく、愛を感じる時でもあります。
- 聖書に関する本、キリスト教に関することではなく。聖書自体を読んでほしいですね。歴史的にもこんなにたくさんの人の人生に深くかかわってきた本はありません。「確かに、この本によって人生が変わってしまうような人もいるだろうな」と思えるぐらいに、読んで理解しなければ、世界の2/3の人の心を理解することを拒否してしまっているのと同じことではないかと思います。これもクリスチャンのごう慢かも知れませんね。でも、聖書を理解することにより、歴史の中の素晴らしい人たちとも、深い意味で出会うことができると私は思っています。
- 私のホームページの「信仰」の欄なども見てみて下さい。いま(1998年秋)、ちょっと中断していますが、我が家で聖書を読む会もしています。私は、専門家ではないので、教えることはできませんが、一緒に読むことはできると思います。私は、一時「エイジリーダー」(年齢以上の回数聖書を読む)になろうと読んでいたこともありますが、今は、のんびり読んでいます。30回ぐらいは通読していますが、毎回新鮮です。これってちょっとおかしいですかね。正直に言うと、新鮮に感じない時も良くあります。