2 教養としてのデータサイエンス教育の課題
RIMS 共同研究 (公開型) 教育数学の一側面 – 高等教育における数学の多様性と普遍性 – での講演予稿
2.1 はじめに
2019年3月に定年を迎えるにあたって、一旦大学からはなれ、「AI によって変わっていく世界」について考えるため、以前から計画していたように、MOOCs(Massive Open Online Courses)を中心に据えて、データサイエンスを学び始めた。
その秋、2019年9月17日に開催された、日本数学会教育委員会主催教育シンポジウム「文理共通して行う数理、データサイエンス教育」で、データサイエンスを学び始めた経験を踏まえて、講演する機会をいただいた。その後、2020年3月に開催予定だった京都数理解析研究所での研究集会「教育数学の一側面 ‒ 高等教育における数学の多様性と 普遍性 ‒ (II)」での講演依頼をいただき、準備していたが、コロナ感染拡大への懸念から、中止となった。同時期に、数理、データサイエンス、AI教育強化拠点コンソーシアムのよる、「数理、データサイエンス、AI(リテラシーレベル)モデルカリキュラム ~ データ思考の涵養 ~(案)」に対する、意見募集に投稿。さらに「数学セミナー」からの依頼で、原稿を書く機会が与えられた。
すでに、退職はしていたが、これらの機会においては、数学を専門とする大学人で、データサイエンス教育に強い関心をもちながら、学んでいるものとして、発言してきた。
その後、在職中に、一部担当していたこともあり、あることが契機となり、2020年度から、毎年、冬に、大学院一般向け(分野の指定なし)の授業、「研究者のためのデータ分析(Data Analysis for Researchers)」を担当している。複数の教員で担当しているが、核となる、コンピュータ言語 R を使った、Exploratory Data Analysis (探索的データ分析) の実際を教える部分は、わたしが担当している。受講生は20人程度、殆どが、外国人。それも、多国籍で、英語で教えている。
一緒に担当している、経済学の教員から、経済学の大学院のコースで、2コマ(70分x2)“Introduction to R” を特別講師として教えてほしいと依頼され、英語で講義、さらに、日本語で開講している「中級マクロ経済学」の授業でも、学生が、R で「計量経済学」を学んでいることを踏まえて、実際のバブリックデータによる分析の講義依頼を受け、講義 3コマ(70分x3)に、課題も課して、日本語で授業をする機会を得た。
これらが、契機となり、また、bookdown という R のパッケージと、Git-GitHub 連携で、電子出版が容易にできるようになったこともあり、“Data Analysis for Researchers”1 の講義録のようなものを、英語で、それ以外に「データサイエンスをはじめましょう」2を日本語で書き始めている。
このような経験を踏まえて、データサインエスを学び始めた数学を担当していた大学人という立場ではなく、実際に、データサイエンスを教えている経験を踏まえて、わたしの考えをお話ししたいと思う。まだ、始めたばかりではあるが「データサイエンス教育」も執筆していきたいと考えている3。
2.2 課題の整理
2.2.1 背景
課題をリストする前に、まずは、なぜ、いま、データサイエンスか。さらに、なぜ、すべての人、特に、大学などで学ぶ理系、文系を問わず、学生が、学ばなければならないかを短くまとめると次のようになるとわたしは考えている。
AI(人工知能)で、大きく変化しつつある社会において、ひとびとが、個人で、そして、協力して、どのように生きていくかを考え、準備するために、その背後にある、データサイエンスと、その考え方の基本を学ぶ必要がある。
インターネット上での、リコメンデーション、近い将来において実用化されるという自動車などの自動運転、最近では、Chat GPT などの、対話型 AI も実用化され、教育現場の対応も、喫緊の課題になっている。有効であるゆえに、行動決定や、意思決定に、大きく関わる存在になっていると共に、誤りや不適切なことが、AI の活用から生じることもあり、価値判断とともに、それに、どのように、向き合っていったら良いのか、規制は必要なのだろうか。これらは、コンピュータエンジニアなどの専門家だけに、任せられない、社会としての課題になっていると言うことだろう。
2.2.2 大学などでの、データサイエンス教育
DX(デジタル化)や、IT化が、日本は遅れていると言われている中で、データサイエンスの課題には、どのようなものがあるのか。まず、数学や統計学を学ぶことが不可欠なのだろうか。
データサイエンスは、論理的演繹よりも、さまざまなデータの関連性を読み解きながら、いくつかの指標の評価を求めていく手法である。古典力学的、決定論的な世界観や、厳密な論理を積み上げていく、数学的な考え方とは異なるものを、身につける心構えも必要であると思われる。
そして、数学教育においては、あまり生じない、学生と一緒に学びながら、課題と取り組んでいくことだろうか。その楽しさと魅力も、わたしが、みなさんにお伝えしたいことである。
多くの学生は会社に就職し、そこで、マーケティング戦略を練るためや、経営の効率化、高収益化、また、新製品開発などに、AI を使うことになるだろう。公的機関や他のサービス機関でも、似た傾向にあるように思われる。現在では、農業や、漁業、林業なども、例外ではない。では、そのようなことを大学で教えるのが良いのだろうか。
個人的には、そうは考えない。上で述べたようなことが重要でないと言うわけではないが、個別の課題に、向き合う前に、意思決定や、価値観の背後にある、考え方について、経験することで、現場でも、AI がなぜ、そのような提案をするのかも、ある程度理解し、間違いはどのような場所に起こるのか、どのようなことは、任せても良いのかなどの判断ができるようになることが大切であると思う。