Last Update: April 3, 2012

TWC: ICU - PYU BUILD TOGETHER CAMP, March 2012

しあわせといえる生活


TWC HOME
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。 (マタイによる福音書6章25,26節)

 タイの村での生活。村のひとたちと、パヤップ大学の学生たちと、ICUの学生たちとともに働く。Make a line!! バケツリレーで、砂をはこび、いくつかの山を作り、セメントを加えクワでまぜ、またバケツリレーで砂利を運んで加え、水を入れ、しばらくおいて、クワとスコップでかき混ぜ、できたセメントをバケツリレーではこび、教会の床にすこしずつしき、職人さんがヘラと長い棒できれいに平らにしていく。

 バケツリレーは空のバケツを戻すラインもある。何カ所かきつい仕事、それほどでもない仕事もある。お互いを気遣いときどき持ち場が入れ交わる。ひとりひとりの力もさまざま、力のある人、ちょっと疲れている人、あたらしいことにどんどんチャレンジする人、自分の場をきめてもくもくと続ける人、見守る人。村の人とはことばは通じないけれど笑顔は通じる。村の人はいつもわたしたちを気遣ってくれている。

 笛が鳴る、休憩の合図。スナック、ジュース、フルーツ、匿名のバディーからこころづかいがとどくひともいる。しばらくの休憩のあとワーク再開。おなじことのくり返し。ここちよい疲れとともに、その日のしごとが終わる。

 おいしい食事やおやつ、村人との笑顔の挨拶、なかまとの語らい、星をながめ、しずかなすずしい夜を楽しむ。そして、こころからしあわせだと感じる。ここには、日常のなかでしあわせを感じ、しあわせだといえるときがあり、そう言い合えるひとがいる。

ICUでの生活の中でも、おなじようにしあわせということができるのだろう。しあわせのために、これをして、そのためにあれをしてではなく、そのときをしあわせに生きれば。得になることや、役に立つこと、便利さは、しあわせにつながることもあるけれど、しあわせ自体ではない。もっと得になること、役に立つこと、もっと便利なものがあらわれると色あせる。しあわせは、ゆったりとながいときとともにあるもの。しあわせを考えて生きることは、その一瞬だけを楽しむ生き方とは違う。この世の中は、複雑そうにみえても、たいせつなものは単純。いっしょにいるひとたちと、たいせつなものをたいせつにする生活をして、喜びを共にして生きる。かみさまの愛の内に生かされていることを知り、そのかみさまに信頼して。喜びをもって、一日一日を生きる。

しあわせとすなおにいえる生活を日々すごそう。タイの山のなかでのワークのときとおなじように。どこにいても、みんないっしょに。


TWC HOME