これは、2012年3月10日から19日にかけて行われた、PYU-ICU Build Together Camp において、12日から17日まで滞在した Houykung Village(ホイクン村)についての記録である。
チェンマイの西約200km、立派な舗装道路があるので、休憩時間を除くと、3時間弱で ホスト大学であるチェンマイの Payap 大学(学生数6000、神学校、看護学校ももつ、プロテスタントの長老派系キリスト教大学)から着く。住所は Sob Mauy District, Mae Hong Son Province, Thailand
以下は主としてPayap 大学の牧師を通訳として、わたしをはじめ4人の先生たちのホストファミリーである村のまとめ役Sさんから聞き取った内容である。
村に住んでいる人は150人程度、2世帯を除いて、カレン族とのこと。仕事は殆どが農業であるが、出稼ぎに出ている者も多い。基本的には米や野菜を山間の畑で作っている。「ケシをコーヒーに」と、コーヒーをつくることを支援する Royal Project(プミポン国王(ラーマ9世)による事業)によってコーヒーを作っている農家もあるという。Royal Project は慈善事業的色彩が強く、これも国王が尊敬される要因となっている。
村の高台にはかなり立派な家もあった。基本的に家は、木造またはコンクリートブロック造りで、貧しい家はバンブーハウスである。いろりのように灰が下にあるところに素焼きの窯がおいてある。いろりの上は棚になっていて、保温のためや燻製などの保存食を使うために利用している。タイの先生も自分のこどものころは、タイの町でもこのスタイルだったと言っていた。燃料はガス(おそらくプロパン)もあるが、ここでは木が主のようだ。トイレと水浴び場は、家の外の小屋の場合も、家の中の場合もある。Sさん宅では、いろりがあり食事をするのは、住居とは別棟の二階になっており、二階建ての母屋の中にトイレと水浴び場があるが、外にもトイレと水浴び場の小屋があるようだった。靴は脱いで上がる。
村は100年ぐらい前にできたとのことで、一般的には、山地族の中には、タイ国籍を持っていないひとも多いが、この村の住人は、基本的に身分証明書を持ちタイ国籍を持っている。電気も20年前ごろに使えるようになったとのこと。数は少ないが街灯も何カ所かにあった。電気製品は、各家によって異なるだろうが、照明器具以外に、テレビのある家は多く、タイ語のテレビを観ている。J-POP や K-POP、日本・韓国のドラマ、日本のアニメなども人気のようである。Sさんの家には、冷蔵庫、炊飯器、ホットプレート(電気調理器)もあった。
この村に、バプテスト派の教会があり、住人の約半分がクリスチャンであるという。近くの村に、カトリック教会の支部のようなものもあるとのことで、この村にもカトリックの洗礼を受けたひともいた。現在新しい礼拝堂を建設中、それを支援するのが今回のワークキャンプの目的である。古い木造の礼拝堂は20数年前にできたとのことである。村の残りの半分の住人の宗教はアミニズムである。
村には連絡用の拡声器がある。われわれの滞在中はその日の予定などをSさんが朝6時ごろ放送していた。村の朝は早い。3時ごろ雄鳥が鳴き始め、4時頃には犬が鳴き始める。村の住人は、5時半ごろには、活動を開始する。
村に店は(少なくとも我々のいた地域には)一件、雑貨、食料品を売っている。
幼稚園から9年生までの学校が1つあり、約170人がここで学ぶ。この学校を訪ねる機会があったので、学校について記す。タイでは高校までが義務教育(教科書、食事、寄宿舎、制服二着を含めて無償)。ただし、この村には高校はないので、高校は寄宿舎生活となる。土日が休みであることから、月曜日朝と金曜日夜乗り合いトラックでの移動となる。この学校にも、少し遠い村からの子供たちの寄宿舎と大きな食堂があり、ある学年以上のクラスでは、生徒も教員を手伝って食事の準備をするという。アムウェイと冠した図書館の建物があったので、寄付かもしれない。鍵がかかっていたので、中をみることはできなかった。学校内のグラウンドは小さく、ハンドボール、バスケットボール程度、ただ学校の近隣には大きく立派なグラウンドがあったので、それを利用しているのかもしれない。入り口近くや、学校内のグラウンドの周辺には、チェス盤の形をした石のテーブルがいくつも置いてあったが、利用されているか不明。
クラスは男女混合である。いくつかのクラスを見せてもらったが、コンピュータ(Windows XP、システムは英語、タイ語キーボード)が20台程度ならんだ部屋もあり、二人で1台という感じで文字を打ち込んだり図を書いたりしていた。私たちが訪ねたときには、ホストファミリーのSさんの9年生のお嬢さんもそこで勉強していた。確かめたわけではないが、おそらくコンピュータはインターネットに接続していないと思われる。いくつかの携帯電話会社の携帯電話はこの村でも繋がり、Payap 大学の先生の一人は、コンピュータをインターネットに接続させて Facebook をしていた。いままでに訪ねた村とは大違いである。政府は、学校すべてにコンピュータが使える教室をつくり、一年生にはタプレットを配布すると公約しているとのこと。まだ電気が来ていない地域もあるのにと茶化すひともいるが、確実に進んでいることはおそらく確かだろう。
2年生のクラスには、かけ算表などが貼ってあったが、24x24までの表であった。Payap の先生(50台前半)に聞くと自分のころは、12x12までだったとのこと。英語も以前は5年生からだったが、いまは、もっと早くから勉強するようになっているようだ。ただ、日本の中学生に対応する生徒も、殆ど英語を話すことはできなかった。おそらく先生もそれほど話すことはできないのではないだろうか。
学校からは4時ごろ家に帰ってくる。遠い村のこどもたちは、小型トラックにぎゅうぎゅう詰めで送られていく。ちょうど我々のワークが終わるのもこの時刻だったので、子ども達と出会ったが、子供はみなタイ式でワイを作っての挨拶をていねいにする。肌はすこし浅黒いが彫りが深めで端正な顔のとてもかわいい子が多い。 貨幣単位はバーツで、1バーツ 2.7円程度。日本円でバーツを買うと、1バーツ3円程度である。わたしは基本的に買い物をしないが、知った範囲で書くと、ペットボトルの飲み物やアイスクリームは10バーツから15バーツ。途中で休憩した国立公園内のトイレは3バーツだった、タイでの最低賃金(もしかするとチェンマイでのものかもしれない)は、日給170バーツ、タイにたくさんあった、セブンイレブンでアルバイトをすると、日給220バーツだと学生が言っていた。今のタイ政府は、この最低賃金を日給300バーツにあげ、大学の新卒給与を月給15000バーツにすると公約しているという。現在はおそらく、大学の新卒給与は月給 10000バーツ程度。
所得の少ない家庭には、Gold Card と呼ばれるものが配布されている。これはタイ市民権を持っている人用でそうでない人で所得の少ない人にはPink Card とか Green Card とか呼ばれるものが配布されるとのこと。このカードを持っていると、医療費(一回につきか、一ヶ月かなども不明だが)の上限が 30バーツとのことで、医療は、所得の少ない人も問題なく受けられるという。低所得者でも月極の手当を支給されるわけではないようだが、60歳をすぎると月600バーツ、年齢とともに、少しずつあがり、90歳以上は、月1000バーツ支給されるとのことである。また、電気代は、家族単位で、各月90units (どのような単位か不明)以下であれば、電気代無料とのこと。この村の住人は殆どが、Gold Card をもち、電気代は無料とのことだった。パヤップ大学の先生は、自分の家にはエアコンがあるので、この範囲には収まらないとのこと。車の購入も一台目は無税。
Sさんについて書いておく。Sさんは、村のまとめやくで、地域医師(local physician)と紹介された。この仕事は、地域の役所で任命され、月5000バーツを支給されている。正式な医師ではなく、簡単な応急手当をして病院に送ることと、地域で人が亡くなったときに報告することが、主な仕事だと言っていた。これは、副業で、主たる仕事は、農業である。しかし、上記の学校の理事長、村のまとめやく、教会長老などもして、村に大変な貢献をしていることは、簡単に見て取れた。おくさんと9年生のお嬢さんがいる。お嬢さんとても優秀で、レクレーションなどの時にも村の子供たちのリーダー的存在で、ゲームなどもすぐ理解していた。数学のノートを見せてもらったが、日本の中学三年生とほぼ同じ幾何などを勉強しており、ノートも非常に丁寧にきっちり書かれていた。よく理解できていると判断できる。数学のノートにはグラフや表から読み取るような問題も書かれていた。英語のノートも見せてもらうようにお願いしたが、結局果たせなかった。英語に関しては、学校の他の子供と同様、殆ど話せなかった。親は、高校を出たら、神学校か、看護大学に行ってほしいと願っているが、同時に自分で決めるのがよいと言っていた。この家庭にも、Gold Card 3枚がテレビの横においてあった。
最後にタイについて一言。特にPayap 大学の先生と話していて、”Because of ASEAN ” (プラコンASEAN)ということばをよく耳にした。積極的というより「タイのやりかたを守りたいが国際化の波の中では仕方がない」といったことを表現することばのようである。特に、ASEANの中で遅れないようにと、英語教育を推進しようとしている部分に関しては本気が感じられた。サンプルとしては少ないが、前回までと比べて、Payap 大学の学生たちの英語力の向上を肌で感じることができたことは確かである。