Last Update : November 14, 1998

1998年11月3日のぞみ教会 YOUNG の集い

タイトル:人生全体を通して輝くために

これは、埼玉県狭山市上広瀬にあるのぞみ教会(河成海(ハソンへ)牧師)で高校生に向けて語ったメッセージからとったものです。

自己紹介

国際基督教大学

私は、国際基督教大学で、数学を教えています。ICUと言う名の方が聞き慣れているかたも多いかも知れません。この大学は、Liveral Arts Education を掲げています。Liberal Arts Education といっても聞き慣れないと思います。最初から細分化された専門に進むのではなく、人間として基本的なことをまずある程度広く学ぶ。そのあと、専門を学びますが、専門も concentration and integration といわれる集中と統合化の一つとして学ぶことを目標にしています。皆さんは将来、この様な勉強をして、この様な職に就いて、この様にして一生生きていきたい。と決まっていますか。決まっている人は、その目的としていることを実践するために、どんな問題が関係していて何を勉強すればよいのかを考える場所、決まっていない人にとっては、何をし、そのことをするためにはどんなことを勉強していけば良いのか考える場所です。その意味で、ICUは教養学部だけの一学部です。こういう大学は単科大学とよばれています。教養学部の中に6学科あります。人文科学科、社会科学科、語学科、教育学科、理学科、それに数年前にできた国際関係学科です。理学科には、5専攻、数学、物理、化学、生物、情報科学があります。私は、この理学科に属し、数学を教えているわけです。

数学

大学の宣伝はこの程度にして、数学について一言。皆さんは数学が好きですか。 皆さんの中にも「数学とはなるべくおつきあいをしたくない」、「高校レベル以上の数学は、専門家だけに必要なもの」、「趣味の範囲」、「あとで必要な人だけ勉強すればよい」。と思っていませんか。わたしが中学・高校で学んだ昭和40年代と比べると、現在は中学での数学の時間数は約5分の3になり、高校での数学の必修は約6分の1になったといわれています。こういうことを決める国の重要な地位にいる人にも数学で苦しんだ人が多いからではないかと思ってしまいます。

皆さんは、学校で体育の時間があったり、クラブで運動をしたり、学校を卒業してもいろいろと運動をしている人がいますが、それは、ボールをけったり、ラケットで打ったり、泳いだりすると何か人の役に立つからですか。あんなこと大体人の役には立ちませんね。では、なんのためでしょうか。大体理由は大きく分けて二つ、「楽しいから」、もう一つは「健康に良く、体力が付くから」。学校では運動が好きではない人もさせられます。それは、このあとの方の理由があるからでしょう。

数学にも同じことが言えます。2次関数とか、三角関数とか、微分積分とかは、おそらく、殆どの人に取ってはあまり高校を卒業してから直接的に必要なことはないでしょう。社会に出て使うことはおそらくないと思います。でも、そういう、「高度な」数学を学ぶことによって得られる、論理的思考力、論証力、計算をするときに、いろいろな条件を確かめながら一歩一歩進んでいく注意力などは、一生必要ですし、数学をしなければなかなか得られないことです。また、数学では、定義というのがあって、そのうえで理論を作り上げていきますが、それも、お互い誤解がないよう、まず、言葉をはっきり決めておいてそれから議論するということですが、これもとても大切なことです。仲間内でナーナーで話しができ、言葉もいらないというときは、おそらく「定義」は必要ないでしょうが、国際社会、お互いのバックグラウンドが違う人たちが一つのことをしていこうと言うときにはまず、この言葉が何を意味するのかをよく考えないと、そして、そのことについて合意しないと次のステップにいけません。そういったことをはっきりと定義して、議論を進める訓練をするのも数学です。もちろん、数学は、実際に科学技術になくてはならない大きな貢献をし、大事なものですが、そういうことに留まらない重要な意味があると思っています。どうでしょうか。数学の重要性が少し分かっていただたでしょうか。みなさんの中にも経験があるかたもおられるかと思いますが、数学には問題が解けたときの特別な快感があったり、他にもいろいろな魅力、人間が、人間としていきいきと生きていくために重要なことがたくさんあると思います。その魅力をどうにか分かち合えないかと思いつつ、かつ、訓練と言う面では厳しく、危機感を持ちながら、数学を教えています。

導入

皆さんは、いま teenager だと思います。teenager とはいくつ位の人を言うのでしょうか。知っていますか。実は、私もあまり意識したことがなかったのですが、13才から19才だそうです。英語で **-teen とつくのがこの時期だからだそうです。皆さんは若いすばらしい時にいまいるわけですね。でも実は私も自分が皆さんの頃には、そんなに素晴らしい時に自分がいるとは思っていませんでした。その時代の歌に「若いという字は苦しいという字に似ている」とありましたが、そんな雰囲気だった気もします。でも、皆さんは、少なくとも私よりは、さまざまな可能性のある将来を持っていることは確かですね。そのこれからの人生の中で、皆さんは、いつを一番輝きたいと思っていますか。何を目標に今生きていますか。今クラブをやっていてその試合の時、大学受験の時、就職の時、結婚の時、お墓に入るとき。最後のことを今から考えている人はいないかも知れませんが、どうでしょうか。今日は、「一人の人間として人生全体を通して輝くために」という題を付けました。ちょっと大きな題を付けすぎたなと思っているのですが、このことについていくつかの事を今日お話ししようと思っています。

「人間」

一人の人間としてと言いましたが人間て何でしょう。私の所属する大学の説明の中でも「人間として基本的なことをまず学ぶ」と言いました。また、数学も「人間が人間としていきいきと生きていくために重要なことをたくさん持っている。」といいました。「人間とは何か」というのはとても難しい問いです。でも、「人間」が何か分からなければ「一人の人間として」輝くことはできないと思います。是非、人間って何だろう。自分って何だろうと考えて下さい。そう簡単ではありません。でもそれを考えることができるのは人間の素晴らしいところだと思います。

聖書を読んでも、「人間とは何か」と言う答えがそのまま書いてあるわけではないと思います。あとで、河先生に聞いてみて下さい。でも、いくつかのことは書いてあります。マタイの福音書の4章にはイエス様が40日間断食をし、空腹になったときサタンの誘惑を受けて「これらの石ころにパンになるように命じたらどうだ」と言われる箇所があります。このとき、イエス様はなんとお答えになったでしょう。イエス様は旧約聖書を引用して「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と答えていらっしゃいます。パンは必要なのですよ。でもパンに目がくらんでそれが絶対的存在になってしまってはいけない。神様から頂く一つ一つの言葉ではじめていきいきと生きることができるのでよ。と言っているわけです。

旧約聖書で神様が人間を作るところは次のように書かれています。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった。」人間は元々は土の塵だったが、神様が命の息を吹き入れることにより生きるものとなった。と言うのです。人間の有機物としての組成はかなり解明されてきています。でも、聖書が言っているのは、人は単なる土の塵ではないと言うことです。それは、神様との関係によっていきいきと生きるものとなった、そういう存在だと言うことです。だから、皆さんの人生も、人間の存在そのものが、そして、人間としていきいきと生きることが神様との関係なくして考えられない。というのが、聖書の言っていることです。

いのちは誰のもの

キリスト教週間

さて、国際基督教大学では毎年春に一週間「キリスト教週間」というものがあり、あるテーマのもとで、様々な企画が持たれます。今年のテーマは、"Whose life is it, anyway?" と言うものでした。「いのちは誰のものか」、life は人生とも訳されますから「人生は誰のものか」ともとれます。みなさんは、どう答えられるでしょうか。「自分のいのちは自分のもの、自分の人生は自分のもの。これは当たり前のこと、なにを今さら」という答えでしょうか。

蒲池さんのこと

皆さんは、蒲池フクエさんと言う方をご存じですか。この、のぞみ教会がスタートした最初からこの教会におられた方です。2年位前に亡くなられました。私の家の玄関にはこのおばあさんが書いて下さった絵が掛かっています。かわいい動物たちの絵が書いてあってそこに、「神様はどんな小さな痛みも知っていらっしゃいます。あなたの痛みのそばにいらっしゃいます」と書いてあります。これは、私の家の長女が交通事故にあって入院していたときに描いて持ってきて下さったものです。長女は何の後遺症もなく元気になりました。このおばあさんはこのお見舞いに来て下さったときも、ご自分がたまたま退院していたときで入院したり、退院したり繰り返しているときでした。でも、この言葉を書いた色紙を持ってきて下さったのです。「神様はどんな小さな痛みも知っていらっしゃいます。あなたの痛みのそばにいらっしゃいます」。

ハイデルベルグ信仰問答

私は、今年の2月から5月末まで、鈴木通夫先生という数学の先生のお見舞いをし、お手伝いをしていました。癌だと宣告され、3カ月半で亡くなられましたが、毎日お見舞いに行きました。鈴木先生が亡くなられる1週間前、私の行っているICU教会の牧師と一緒にお見舞いに行きましたら、牧師先生が、 「ハイデルベルグ信仰問答」の第一問、ただ一つの慰めについて話して下さいました。

問一 生きているときも、死ぬときも、あなたのただ一つの慰めは、何ですか。
答 わたしが、身も魂も、生きているときも、死ぬときも、私のものではなく、私の真実なる救い主イエスキリストのものであることであります。

実はもうちょっと続くのですが、ここでは、 自分が、自分のものではなく、キリストのものであることが、生きているときも、死ぬときもただ一つの慰めだというのです。 かなり、人生を達観したような言葉ですが、実は、ツァカリアス・ウルジヌス Zacharias Ursinus (1534-1587) と、カスパール・オレヴィアヌス Caspar Olevianus (1536-1587) が 1562 年に起草し、1563年1月に若い信徒の教育のために、出版されたもので、ウルジヌスが28歳、オレヴィアヌスが26歳の時のものです。皆さんからみるとちょっと年上ですが、そんなに上ではないですよね。

わたしのいのちを自分のものとして生きるのではなく、キリストのものとして生きるとはどう言うことでしょうか。正直わたしにもよくわかっているわけではありません。

あと3カ月の命だったら

皆さんは、あと、3カ月の命といわれたら何をするでしょうか。わたしは、高校生のころ、私が兄貴のように慕っていた人の親友が白血病で亡くなりました。落ち込んでしまっているその兄貴とこの問題について考えたことがあります。ともかく、あと3カ月の命といわれたときにするであろう事を今、していたいと思いました。つまり、あと、3カ月と言われても、それまでとなんら変わらない生活をしようと言うことができるように今を生きようと言うことです。今もそうでありたいと思っています。私が、お見舞いしていた鈴木先生も、あと3カ月の命といわれて最初は動揺しておられましたが、しばらくしてから、最後の力を振り絞って数学の論文を仕上げていました。そして蒲池さんのおばあちゃんもそのように生きて、生き抜いておられたのだと思います。しかし、具体的に何をするのでしょうか。

夢:World Vision

何か、若い皆さんを前にして「3カ月の命」などという暗い? 話しになってしまいましたが、でもそれは、今を一番明るく、そして人生全体で輝いて生きる秘訣がそこにあると思っているからです。ぜひ、皆さんには大きな夢を持って欲しい、大きな夢を探して欲しいと思っています。大きな夢を探し続けることでも良いと思います。でも夢が実現してはじめて自分も、周りの人も、神様も幸せになるようなことを毎日していくかどうかはよく考えてもらいたいとも思っています。最終的に来ることが神様に本当に喜ばれることであれば、今の時点でも素晴らし事であるはずだと私は思っています。これはちょっと難しいことですが、大学の受験勉強で、やりたくないけど数学を勉強する人もいるでしょう。でも今は自分にはその価値が分からなくても、これをしているときに得られる素晴らしい事を神様は準備していて下さるのだろうと言うことを考えながら勉強してもらいたいと思っています。最初に数学の重要さの話しをしたように。神様は、本当に信頼に答えて下さる方です。

ではどんな夢を持てば良いでしょうか。私は、皆さんには大きな夢、世界にかかわるようなWorld Vision をもって欲しいと思います。世界の人が幸せになれるようなそのようなことにかかわること、その様な夢を持ってもらいたいと思います。

Navigators という、基督教の宣教団体を作った、Dawson Trotman という人は、いつも、「World Vision を持ちなさい」、と周りの人を激励していたそうです。ある時、「では、World Vision とはどういうものでしょうか。」との質問に、「World Vision とは、神様の心を、自分の心とすることです。」と言ったそうです。この方は、ボートから落ちた女性を助け、自分はその身代わりとなってなくなられました。

私も、キリストの思いを自分の思いとできたらと考えています。

祈り

先日私の行っているICU教会の修養会があり、「祈り」がテーマでした。その中である牧師が、「祈りとは、祈りながら神様の心をだんだん自分の願いに引き寄せてくることではなく、神様の心に自分の心を近づけていくことだ。例えば、船から艫づなをなげて、自分は船に乗りながらその綱を手繰り寄せるようなもの。自分が陸地を引っ張っているようでも、実際には船が近づいていく。」と説明していました。祈りながら、祈り続けながら、神様の心にだんだん自分の思いが近づいて行けば素晴らしですね。

神様を信頼して生きること

神様のものとして生きることは、神様の価値観を自分の価値観とする事です。最初に「人はパンだけで生きるものではない」と言う言葉のように、見えるものにのみ価値をおくのではない生活です。もう一つは、長い時の中で働かれる神様にかけると言うことです。これは、難しいことですが、「先人植木、後人下憩」という中国の言葉があるそうです。ICUは来ていただくと分かりますが、とても緑の多いところです。私は最初、武蔵野の緑をよくこれだけ残したものだと思っていました。でも実は、そうではないようです。ここは、中島飛行機という、今の富士重工の土地だったところを買い取ったのですが、最初は、草は生えていても、木は殆どなかったところだったそうです。そこに、ICUの創立者たちが皆で、木を植えた。それも自然の生態系を回復するように。それが50年たった姿がいまのICU、緑豊かなICUだそうです。昔のICUを知っている人はみなあの頃は木がみんなこんなに小さくてと言います。自分の時代には実は実らないかも知れない、でも神様を信頼して、神様が実らせて下さる時に期待するのは、簡単な事ではないかも知れませんが、素晴らしいことだと思います。私にも、5つ夢があります。それは、5人の子供たちです。私の時代にはどうにもならなくても、夢に託しています。次の時代に。そして今日お話しした皆さんに夢を託しています。大きな事、素晴らしいことを皆さんを、皆さんの人生を通して神様がして下さることを信じて。その流れの中で自分のまかされていることをしっかりしていきたいと思っています。神様を信頼して。

カラスのこと

今年の春、わたしが、鈴木先生の事で忙しくしていた頃、子供が傷ついた烏(からす)のひなを拾ってきました。それ以来、わが家の一員として暮らしています。わたしは、おつきあいすることがあまりないのですが、家内にはとてもなれ、子供たちの手にも乗り、子供たちが烏を散歩につれて行っています。放し飼いです。先日、家内が、「烏はとても賢い。その賢さは、信頼することができるということだと思うよ。」といっていました。賢くない動物は、いくら世話をしても信頼関係が持てない、というのです。確かに、わが家の烏は家内をとても信頼しています。人間にとっても賢さは、案外自分に頼るのではなく、信頼を持ちうるということなのかも知れないとふと思いました。

結論

皆さんにとってはどうでしょうか。皆さんの人生は誰のもの、そして、誰のものとして、どのように生きていかれるのでしょうか。神様に望みをおいて神様に信頼していきていっていただきたいと願っています。神様は本当に信頼に足る方です。

1998年11月3日 鈴木寛 のぞみ教会にて


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