Last Updated : July 9, 2000

私たちの受け継いだもの、そして託すもの

鈴木 寛 (Hiroshi Suzuki)

2000年7月2日 大韓民国 ソウル市 セハヌル教会 礼拝にて


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聖書

しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたしはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
(日本聖書協会 新共同訳 ローマの信徒への手紙5章9-11節)


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はじめに

本日は、このような場でお話させていただく機会をお与えくださりどうもありがとうございます。

本来でしたら韓国語でお話するのが礼儀だと思いますが、日本語で話させていただく非礼をまずお許しください。

私は、国際基督教大学で、数学を教えています。International Christian University が英語名で、1949年、戦後間もなく、日本と北米のクリスチャンが中心となって、キリスト教主義に立ち、世界の平和のために働く人材を送りだすため、国際的な大学を設立することを決めました。大学としての開学は1953年です。教授会メンバーは基本的には全員がクリスチャンです。

国際基督教大学では、毎年5月にキリスト教週間と呼ばれる週があり、テーマを決め、学生が中心となり、様々な企画をするのですが、今年のテーマは、「誤解、理解、和解」でした。

「アメリカ人として、アメリカ合衆国が苦しめてきた、アメリカインディアン、黒人とよばれているアフロアメリカン、中米の例えばエルサルバドルの人などと、どのように共に生きて行くかを、自分の研究、教育、人生のテーマにしておられる先生」「アイルランドで、いま、急速に動きつつある和解の中で多くの痛みを経験してこられた方」「クリスチャンになっても、どうしても家族を、とくに父親を許すことができないと告白する職員」。学生にも、教職員にも、ひとり一人にとって、それぞれに、重大なテーマだったようです。そして私も、ちょうどそのころ、韓国に来ることが決まっていましたから、「誤解、理解、和解」はとても重いテーマでした。

私はクリスチャンホームに育ち、東京池袋教会に行っていました。この教会の初代の牧師は、加藤亮一といい、従軍牧師として、インドネシアの特にアンボン(アンボンは、半数ぐらいがクリスチャンですが、最近、暴動で、いくつもの教会が破壊されたことが報道されていました)で働いておられた方です。加藤先生は、戦後すぐ、戦争加害者としての日本人が、「つぐないのわざ」をなすべきだと説き、募金をつのって、財団法人東南アジア文化友好協会を設立、一生をこの「つぐないのわざ」にかけた方でした。日本人が虐殺をしたアジアの人たちの孤児の、留学の手助けをしたり、研修のため日本に呼び、寮で寝起きを共にして生活したり、日本人兵士と現地の女性の間にできた子供の父親探しをしたり。

私もその働きを見てきて、私は何をなすべきかをずっと考えてきました。1970年(私が高校二年のころですが)には、教会の青年会のメンバー7人で東南アジアへ貨物船で53日間旅行し、教会などを訪問しました。最後の訪問地は、釜山で実は、今回は、私にとって2度目の韓国となります。

千年程前までは、日本に住む人たちは朝鮮半島の方々から、そして、朝鮮半島を通して、文化、技術をたくさんいただいてきましたが、ここ500年程、特にここ100年、日本は、侵略行為、残虐行為、搾取など、心も体も奪い取るような行為をたくさんしてきました。そして、戦後もそれらの略奪行為の上に日本の経済的繁栄は大きく拠っていると思います。私は、それらを学んで行く中で、アジアの人たちと直接向き合うことができず、自分にできることはただ、ひたすら、謝罪することだけではないかと思っていた時期もあります。謝罪は大切なステップです。しかし、私が次の世代にゆだねて行くものは、この謝罪によってつくり出されて行くものなのでしょうか。

さらに私を悩ませたのは、日本が過去にしたこれらの残虐行為、日本に住むアジアの人たちへの差別の背景にある、「アジア人という似たもの同士のなかの、好きになれない部分を、どうしても受け入れられない心」です。おそらく、皆さんも、「日本人のこんなところが嫌い」という部分をたくさん持っておられるのではないでしょうか。私を悩ませたのは、隣人をそして同じ理由で自分をも本質的に受け入れることができない、愛することができない自分の存在でした。神様が、「キリストは、この兄弟のためにも死んで下さったのです」と言われるにもかかわらずです。

「和解」へとつながる「理解」はどうやって得られるものでしょうか。今日の聖書では「神様の愛」「十字架上の犠牲による義認」「和解」「キリストのいのちによる救い」について書かれています。これらは、キリスト教のそして聖書の根本思想ですから、私のようなものが語る資格はないでしょう。罪によって神との敵対関係にあった私達が、キリストの十字架上での死による犠牲によって神様との和解がえられ、キリストのいのちによって救われ、そして生かされるとあります。このキリストのいのちに生かされているものが和解の福音をのべつたえ、神様に愛されているもの同士、神様との和解を受けたもの同士が、共に和解をしあう。そして愛しあうことへ招かれているのがキリスト教信仰だと思います。皆さんにとっての和解は何との和解でしょうか。


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支える会

河成海(ハソンヘ)先生は、1993年始めでしょうか、日本に来られました。私が当時所属していた、日本キリスト改革派甲子園教会に出席され、はじめてお会いしました。最初は、英語で少しお話をする程度でしたが、河先生はすぐに日本語を上達され、すばらしい交わりが持てるようになりました。私は、1993年夏に東京に移りましたので、それからは電話などでお話することも多くなりました。

1994年には阪神大震災。いろいろなことがありました。日本、日本人、日本の教会、教団に不満をもたれ、先生に同情したり、先生をなだめたり、日本の人たちの対応について説明したり、弁護したり、河先生と一緒にかなり暗い気持ちになったこともありました。もちろん、先生とお話して、教えられることもたくさんありましたし、日本人が気付かずに韓国の方やその他、アジアの人たちを傷つけていることを知らされ、自分も含めたひとり一人の罪の深さを思い知らされたり。しかし、そのような期間を通して得られた一番大きなことは、お互いの信頼関係と、違いを乗り越えて、好きな部分も、嫌いな部分もお互いの前において、キリストの福音、ひとり一人の救いのために、そして互いに愛しあうために、喜びも、苦しみも共にする、同労する心を育てられたことではないかと思います。

1996年、東京の近郊、埼玉県狭山市で河先生が開拓伝道を始めたときから、「河宣教師支える会」をスタートしました。設立の時に会の皆さんに書いた手紙には次のようにあります

主の御名を讃えます。

河先生は、日本宣教の志を与えられ、三年前に日本に来られました。そして、二年間にわたり、日本語の習得に努め、さらに神戸改革派神学校で、特別研究生として研鑽を積まれました。そのような準備期間を経て、いよいよ、埼玉県狭山市において、開拓伝道を開始されました。

河先生の人柄については、皆さんもご存じの通り、誠実で、前向き、いつも明るく、笑顔を絶やさない方です。そして何よりも、日本人のたましいの救いを祈り求める熱い心と、愛の深さに私たちも常に教えられ、励まされます。また、そのメッセージについても、神様からの福音をわかりやすく、説いてくださる点において、私たちは心から信頼を寄せております。

今までの日本における宣教師の方々の活動といえば、派遣して下さった本国から、ほとんどの援助を受けて良しとしておりました。しかし、そのことが、その活動の功罪を生み出してきたことは否定できないように思います。私たちは、より積極的に、日本人キリスト者として、河先生の働きを、祈りと捧げもので支えることによって、私たちの国籍は天にあり、神の国を待ち望むことにおいて一つであることを確認できると思います。河先生の働きを通しての神様の恵みに、共にあずかりたいと望んでおります。

河先生は、奥様の洪性姫(ホンソンヒ)さんとハヌル君(小2)ハヤンちゃん(小1)のお二人のお子さんを伴って、日本に来ておられます。お聞きするところによると、本国からの援助は、年間1800万ウォン(日本円約200万円)とのことです。これは、韓国国内では、二つの開拓伝道を支援するのに十分な額だそうです。このことは、河先生が、韓国の教会から十分に信頼されて送り出されてきた宣教師であることを証していると同時に、これ以上韓国の教会に頼ることの是非を問うているように思います。

この日本宣教のために真実に献身されている河先生ご一家のことを覚えて祈りのうちに支えさせていただきたくお願いいたします。

主の1996年新春

河宣教師を支える会世話役 鈴木寛 貫洞賢次

それから4年が過ぎました。党派心や、虚栄ではなく、愛を持って奉仕されている河先生、そして奥様の洪さんのはたらきは、すばらしいものです。時々教会に伺いますが、教会に来ておられない方でも、教会のことをよく知っておられ、また、洪さんが、教会が一階を借りているマンションの周りをいつもきれいに掃除しておられることなども良く見ておられ、このことも、非常に良い証になっていると思います。

キリストの福音を全く聞いたことのない人への宣教は、様々な形でなされていますが、それ以外に、他の教会で問題を感じて訪ねてこられる方、しばらく教会を離れていて来られるようになった方、まさに心から、その人を愛しているか、それとも教勢がのびることをまず意識しているか、それが問われるような場面場面で、河先生は、まさに神様からの福音に忠実に、愛を持って接しておられると思います。「ほのぐらい灯心を消すことなく」(マタイ12:20)時間はかかるかも知れませんが、ひとり一人が神様との和解の上に、隣人と、隣国の人と和解し、互いに愛しあう、一歩だと思います。この、河先生ご一家のはたらきの後ろには、この教会を始め韓国のたくさんのキリスト者の方々の祈りと愛があることをおぼえ感謝いたします。河先生にとって河先生のお母さまのお祈りがなければ、牧師、宣教師にはならなかったと思いますが、いま、皆さんのささえが日々の生活の中でどれ程価値のあるものか、みなさんも日本には来ておられなくても、河先生と共に働いておられるのだと思います。感謝いたします。


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おわりに

6月13日金大中大統領と、金正日総書記が握手をするのを見たときは、非常に感激しました。そのことを河先生に言いましたら、先生は毎日感激でテレビを遅くまで見ていて寝不足だと言っていました。サッカーでも、交流がどんどんなされているようですね。朝鮮半島で、そして日本との間で。ワールドカップ、まだ日本では、韓国との共催の重要性の認識が十分ではない感じがしますが、これらの一つ一つを通して、それぞれが、神様との和解を土台として、ひとり一人のレベルで和解が、そして互いの愛が築かれて行けばと願います。

「和解」の英語は Reconciliation ですが、これは、「もう一度、一緒に、座る」と言うことを意味するそうです。私には、河先生と、座って何時間でも話したその経験が思い浮かびますが、もう一度、一緒に、座り、次の世代に何を残して行くか、そのために今をお互いどのように生きて行くかをじっくり考えたいと思います。まず、神様との和解、そして神様がキリストによって示された愛によって互いに愛し合うこと。

韓国は、キリスト教に関して、アジアでもっとも先進国であるばかりではなく、世界でも先進国と言われています。和解の福音の中心的な部分を担って、神様からの祝福が溢れ出るような、愛の宣教のリーダーシップをとっていただくことを期待し、祈っております。日本のためにもお祈りください。

今日は、お話する機会をお与え下さりありがとうございました。



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反省・その他


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