そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、からだのうちで、他より見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、麗しい部分はそうるす必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互いにいたわり合うためなのである。もしひとつの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。(日本聖書協会 口語訳)
みなさんには忘れられない日付けがありますか。10月13日 と言う日付けを、私は一生忘れられないと思います。最近、新聞にその日が特別な日だと書いてありました。明治天皇が江戸城に入った日、1868年10月13日。私の記憶から消し去れないのはこの日ではありませんが、10月13日と聞くとはっとしてしまいます。
1969年10月13日、月曜日。わたしはいつもの通り通っていた高校にいくと、どうもなにか雰囲気がおかしい。いつもと人の動きが違うのか、ある部分シーンと静まり返っているようで、それでいて騒然とした感じがある。その空気を今でも肌に感じるほどです。私の高校での学園紛争の始まりでした。一部の生徒と外部からの生徒も入って、校長室付近をバリケード封鎖したのでした。6回機動隊が入り、最後は長期間ロックアウト。この日から2月までほとんど授業はなく、退学処分、無期停学処分を含む、停学以上の処分者は数えきれないほどでした。毎日、朝から晩まで議論、ロックアウトされてからは近くの公園で討論集会。私にとって、一番ショックだったのは、その前の土曜日まで楽しく談笑し、つい一週間前まで近くの公園でボートを漕ぎ、人生について、夢について語り合った学友と、敵味方になってお互いを非難しあい、正しさを主張しあい、まるでののしりあうような状態になってしまったことでした。生徒も先生も3つ4つのグループに分かれ、相手の間違いと自分達の正しさを主張しあいました。先日、C-Week で、もとテロリストで現在は牧師をしている方が、メッセージをされました。その方も冒頭で「紛争地には中立はない」と言っておられましたが、まさにその状態でした。社会の矛盾、政治の腐敗、大企業の横暴、ベトナム戦争、といったことから、なぜ勉強をするのか、人生の目的はといった問い、教員の欺瞞を指摘したり、バリケード封鎖のような非合法な手段に訴えることを正当化する条件は何か、などなど。
実はわたしはこの機会をとおして、真剣に自分が立つべき土台を探し求め、キリストに導かれたのでした。クリスチャンになってからも、この紛争の中で「お前はキリスト教が絶対的な真理だと言っているが、イスラム教の家庭に生まれたら、それを自分の宗教とするのではないのか」と問われ正直答えられなかったのを覚えています。この時の紛争は、私にとっては、戦争でした。高校を中退していった仲間も多く、このときを機会に引き裂かれた友人関係もたくさんあります。あのときの同級生はどうしているのだろう。10月13日を境に分かれてしまった人たちは……。
そして、私にはなんとも言えない後悔があります。わたしは、10月13日の前に何かもっと本質的なことができなかったのだろうか。
ICU は平和ですか。人によって答えは異なるかもしれません。しかし少なくとも「紛争地には中立はない」という状態ではないと思います。この平和の中で育むものそれは何でしょうか。これは恐ろしく難しいトピックです。実は、わたしは「平和の中で育むもの」という題は決めていたのですが、いろいろと考えることはあるものの、なかなかこのあとに続けることができませんでした。そこで、私はこの ICU で何を大切にして生活しているのだろうという問いを考えてみることにしました。
私は、10年前にこの大学に移ってきました。今でも感動として私の心に残っているのは、この大学で入学試験を行う前の日、礼拝堂に皆が集まって説明を聞くのですが、そのときに聞いた「受験生一人一人を賓客(ゲスト)として丁寧に迎えて下さい。」という学長の言葉でした、その言葉を言われたのは、当時の学長の大口先生でしたが、これは、ICU が創立されて間もない頃から必ず言われることだと言うことでした。そして、教員も職員もアルバイトの学生もこのことを心に刻み、まさに賓客として受験生を迎えるよう努力をするのです。みなさんが受験をされたときはどうでしたか。新入生が「私が受験した部屋の監督はK先生だったけれども非常に丁寧で、最初にまず非常口のことなどを説明して下さった、自分は感激して、ぜひこの大学で勉強したいと思った。」と言うのを聞いて、私も次の年から非常口の案内を説明の中にいれたり、少しずつ、ゲストを迎える修行をしてきた気がします。それがたとい、一回しか会わない受験生だとしても、一人のゲストとして丁寧に接することを大切にする、そのような大学に来れたことを感謝しています。
わたしがもう一つとても感謝しているのは、いろいろな方々との出会いです。前の大学では数学の先生とのおつきあいがほとんどでしたが、この大学では様々な場で全く違う専門の先生方や出身国の違いも含めて、様々な背景を持った先生方と議論することが日常的にあります。他学科のカリキュラムや、専修ごとのまとまり方などを少し勉強するだけで、それぞれの先生方の言われることがなるほどと思えるような、そのような近さを感じたり、全く考えていなかった観点から意見を言われてうろたえるのも、それなりにたのしいことです。
もっとうれしいのは、たくさんの職員の方々と知り合えることでしょうか。わたしがこう言うことをしたいと、いろいろな問題を持って、走り回っているからかもしれませんが、それぞれの部署にすばらしい方々がたくさんおられる。この大学でいろいろな違った方々が、熱い思いを持って、働いておられるのを見ることができる。そして持ち場持ち場でいろいろと知恵を出して、協力して下さる。そのような経験をたくさんできているのも本当にうれしいことです。学生のみなさんも単に窓口での用件だけで終わるのではなく、もう一歩踏み込んだ関わりを持つと、すばらしい職員の方々といろいろと話ができ、その職員の方々が支える ICU の大切な部分が何なのかを知ることができると思いますよ。
もちろん、学生のみなさんとの出会いは、いつも新鮮です。それは授業をとおしてであったり、タイワークキャンプのように一緒に汗を流すことだったり、オープンハウスだったり……。年齢も30歳も違うようになってしまいましたが、新鮮なエネルギーと夢と熱い思い、そして悩み、いろいろな考え方の学生さんと出会います。最初は、学生さんの意見を、いろいろと批判していたこともありますが、最近は、どうにかして少しでも学ぼうとしています。多種多様な一人一人がここに集っていて、全体として、この ICUを造り上げていることを感じることができるのはとても幸せです。
平和の中で育むものとしてお話をはじめました。``Think globaly, act locally! " と言われますが、正直わたしは、最近、世界の問題を考えると、Local にある平和が築きあげられても、世界の構造悪はどんどん深刻化していく。その中で望みを持ち続けるのは生易しいことではないと毎日感じながら祈っています。世界と個人の間の階層があまりにも多く複雑化していることが原因であると思います。残念ながら、この問題に対する解決策をわたしは持っていません。しかし、ひとつだけ鍵を持っていると思います。
それは、異質なものとの積極的な出会いです。なぜそれが大切なのでしょうか。一つ目は、異質なものとの出会いを通して、より普遍的なものを理解する鍵を得ること。もう一つは、世界の人々の様々な願いと祈りと働きを知ることです。他の表現をすると、神様の大きさの理解を少しずつ広げることと、神様が愛しておられるのは実に多様な人々であり、神様はその一人一人を必要としておられるという事実を身をもって体験していくことです。
私は、他より弱く見える人たちが必要だとされるかどうかが、その社会が健康であるかどうかの基準であると思っています。一部の人たちだけが元気な社会それは、病んでいないでしょうか。ICU で世界で、現実はどうでしょうか。私たちの ICU は、他よりも弱く見える肢体が必要であることを認め、見劣りする部分を飾り、互いにいたわりあうコミュニティーでしょうか。もしひとつの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。平和の中で育まれるものそれが、そんな ICUであることを願っています。わたしは、ICUが受験生を賓客として受け入れる精神をもった大学であり続ければ、それは可能だと思っています。みなさんはどう思いますか。
皆さんは、平和の中で何を育んでおられますか。
最後に一言。今日のお話も、聖書を引用し、神様から示されたと考えていることをみなさんにお分かちしました。しかし、ひょっとすると間違っているかもしれません。私たちの知るところは一部分であり、神様のメッセージとしてお話しすることも不完全だからです。みなさんとともに、謙虚に、神様の導きを求めつづけていきたいと思います。
黙想をもってわたしの話を終えさせていただきます。目を閉じしばらく黙想のときを持ちまししょう。