Last Update: April 18, 2022

わたしにとってたいせつなもの、たいせつにしたいこと

あるキリスト教の牧師への手紙の中で、書いたものです。


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はじめに

この、トピックは、大学で数学の一般教育科目(数学の世界数学の方法数学の構造)を教えていたときに、毎週小テストをし、それに、メッセージ欄をつけて書いてもらっていたものの一つです。最初は、それぞれの数学に関する学習背景や授業への期待などを聞く質問ですが、二番目が

「将来の夢、目標、25年後の自分について、世界について。」

そして、三番目が

「あなたにとって一番たいせつな(または、たいせつにしたい)もの、ことはなんですか。」

でした。わたしのホームページには、許可を得て、学生が書いてくれたメッセージを掲載しています。一人ひとりに手書きで応答を書き、それとは別に、ホームページに応答を書いていました。最後の何年かは英語で教えたので、わたしの語学力では、十分なことが書けませんでしたが、記録として残してあります。しかし、いずれも、応答であって、自分がこのトピックについてどう考えているかについて書いたわけではありません。このようなトピックを選んだのは、自分でも、その時々に考えたいたからでもありますが。ともかく、今回、一段落ついたところで、対話の前に、このトピックについて書いてみようと思った次第です。

これは、学生の質問にも答えて書いていますが、なぜ、数学とは一見ことなる、このような一連のやりとりを学生とするのかについて、ひとこと追加しておきます。まず背景として、一般教育科目の数学は履修したくないのに履修することになった学生、数学は苦手という学生がかなりの数受講者の中にいます。同時に、苦手だが、大切かもしれないと思っている学生もいます。不得意なことにエネルギーを費やすことはあまり楽しいことではありませんし、やはりとてもエネルギーを使います。そのような受講生と、ひとと人との関係、できれば、信頼関係を築くことができればと願って始めたことです。さらに、数学では難しい問題に出会ったときは、直接向き合うのではなく、問題を一般化(制約条件を減らして)して、大きな問題の中の一部として考えたほうが、緒(いとぐち)を見つけやすい。出口(かもしれないもの)が(実際に出ることができるかどうかはわかりませんが)何箇所も見えてくることが多いからです。ということから、数学と向き合うことについて、もう少し広い、人生をどう生きるか、何をたいせつにいきるかということから考えてもらいたいと願っていたからです。

わたしにとってたいせつなもの、たいせつにしたいこと

最近は「尊厳・公平さ・相互性」と答えることにしています。いずれも、日々聖書を読みながら、そして、自分の経験から考えたことですが、直接的に聖書や、キリスト教信仰とつながっているわけではないかもしれません。

尊厳

まず、簡単に説明します。ひとつめは、尊厳。人間、一人ひとりのたいせつさです。国際基督教大学の学生宣誓にも含まれる世界人権宣言の第一条には「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」とあります。なぜ、尊く侵し難いかは、難しい問題だと思いますが、一人ひとりが神様に愛されている存在だからかなと考えています。「たいせつな方(神様)をたいせつにすることは、たいせつな方のたいせつな一人ひとりをたいせつにすること」と学生には、説明しています。しかし、少し、客観的な見方をすると、お互いが、理解し難い、異なる存在であることが、背景にあるのかなと思います。それは、悲しみ、辛さ、怒り、喜び、なにを楽しみとするかは、生まれつき持っている特性もあり、一人ひとり異なり、特に歩んできた環境や背景、道によって、これらに大きな差があり、簡単に、自分と同じものさしで、痛みなどを、測ることができないからではないかと思います。一人ひとりの尊厳について語るときは、よくわからない、簡単に判断できないということを意識することがたいせつかなと思っています。あることが、自分にとって、正しくても、他者にとって、正しくないかもしれないことの根拠です。最近は、同情ということばよりも、共感という言葉がのこまれると思いますが、この背景にも、簡単に同じになることは、できないが、ある部分、共有することはできるかもしれないという考え方があるように思います。個人的には、ジェンダーや、エスニシティによる差異だけでなく、一般的には、共感も非常に困難ではないかと思います。二人で、まず自分の手をつねってみて、次に、それぞれ相手の手をつねってみて痛さを感じたとしても、そのような共通の経験を通しであっても、相手の痛さはやはりわからないのではないかと思います。

公平さ

ふたつ目は、公平さです。尊厳ついて、書いたことと関係していますが、その異なる他者と共に住む社会における、公平さです。聖書の言葉では「このきょうだいのためにも、キリストは死んでくださったのです。」(コリント一8章11節b)が関係しているでしょうか。平等ではなく、公平。他者視点とともに、どのようにすれば、公平に近づくことができるかを、他者視点を働かせながら、共に考えていく営みです。それぞれの内面にあることが関係していますが、同時に、客観的に、判断、評価することも必要です。科学的視点、ものさしが必要だと思います。尊厳は一人ひとりの絶対的な価値についての言葉だと思いますが、公平さは、絶対的なものではなく、それぞれのグループによってあることが公平かどうかも変化することであり、時代とともにも変化することもあるように思います。さらに、違いから生じる公平さは、なかなか外からは見えないだけでなく、当事者も、明確に把握できないこともあるように思います。一人ひとりの尊厳をたいせつにすることはもちろんですが、尊厳ということばだけでは片付けることのできない、複雑な状況が非常に多く存在するように思います。完全な解決はそれぞれの時点で得られないでしょうが、幸せと、平安のためには、不可欠なことのように思います。クリスチャンと呼ばれる人と、ノンクリスチャンと呼ばれるひとが、一緒に、聖書の言葉と向き合うことができるかにも関係しているように思います。これについては、あとからまた書きたいと思いますが、社会において、日常的に、公平さの問題は、一人ひとりが関わっていることのように思います。

相互性

みっつ目は、相互性と書きました。わたしが一番たいせつにしたいと思っていることばは「互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13章34,35節、15章12,17節)です。特にこの「互いに」ということでしょうか。完全な愛で愛するというのとは、少し違っているように思います。一方が努力しても不可能で「互いに」はそう簡単に実現することはありませんが、愛は関係とも言われますし、ヨハネ文書を読むと、父なる神と子なるキリストの関係がこの互いに愛することのモデルでもあると思うので、たいせつであるとともに、ますます難しいとも言えます。愛するは、動詞はアガパオーが使われていますが、意味の一番目に書かれているのは「Welcome 歓迎する」です。互いに歓迎する関係は、難しいですが、たいせつにしたいことだと思っています。尊厳が担保され、公平さが整えられていっても、それだけでは、まったく不十分なのでしょう。ダイナミックな関係、それも、二者だけでなく、多者において、相互に、歓迎すること、それも、開かれた関係、つまり、その人達の中だけで、閉じられているのではなく、外の人にも、ドアが開かれている。そう簡単なことではないでしょう。イエス様が、おそらく、最後の晩餐で、新しい戒めとして、教えられた「互いに愛し合いなさい」その前には「わたしがあなた方を愛したように」とありますが、十字架につながるとしても、「愛した」とありますから、それまでのイエスとの交わりを思い出し、ヨハネは、そして、弟子たちは、このメッセージを受け取ることができたのかもしれません。ヨハネによる福音書では、他の共観福音書とは異なり、弟子たちがイエスを残して逃げ去ったのではなく、イエスが、捕まえにきた人たちに頼んで、弟子たちを逃したことが書かれています。そのような背景のなかで、十字架に架かって死んだ、イエスが、自分たちへの愛、そして、おそらく、神様との愛の関係を土台として、弟子たちが互いに愛し合うようにとの思いを、弟子たちは受け取ったのではないかと考えています。十字架からスタートするのではなく、一緒に生活したなかでの愛を通して、十字架上での死の意味について考えたのではないかと思うのです。

世界人権宣言は、個人的には、しっくりこない面もあるのですが「人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」とある第一条の後半に込められたメッセージを受け取らないと、尊厳と公平(権利についての平等)までで終わってしまっては、いけないと思っています。

学園紛争

少し、思考の背景について書かせてください。思考の起点は、高校一年生のときに経験した学園紛争です。1969年10月13日、わたしが通っていた高等学校に違う学校の高校生も加わり、校長室付近をバリケード封鎖。三度機動隊が入り、年末まで授業ができませんでした。その中で、いろいろな議論をしましたが、個人的には、紛争の直前までとても親しく人生などについて語り合っていた友人と、違う立場になり、議論を戦わせるなかで、次のように聞かれました。「キリスト教のことをいろいろというが、鈴木が、イスラム原理主義の家庭や、共産主義や社会主義で無神論の家に生まれても同じように考えると思うか。」わたしは「真理を探求し続けると思う」と答える一方、正直、よくわかりませんでした。そして、キリスト教で、または聖書で説いている真理と言われるものが、その人の背景に関わらず、真理だと認められるのかという問を持つようになりました。今でも、しっかりとした答えを持っているわけではありません。一人ひとりの不完全さ、課題、困難の元にあることについては、ある程度、客観的に、共通理解を持つことは可能だが、何を救いとするかは、それほど簡単ではない。そして、それは、それぞれの人が日常の中で抱えている、課題などとも深く結びついており、その人のことばで語ることなしには、共通のものは、見つからないのではないかということです。そして、このことには、尊厳と公平性も深く関係してくるように思います。

東南アジアへの旅行

ふたつめは、高校二年生のときに、貨物船で行った、東南アジアでの経験です。わたしは、遠い親戚が牧師夫人でもあった日本基督教団東京池袋教会に両親と姉と家族で行っておりましたが、その加藤亮一牧師が、戦時中インドネシアに宣教師として行っており、現地の人たちと、軍との間で様々な経験をし「アジアのひとたちへのつぐない」の仕事を、教会に併設した東南アジア文化友好協会を通して行っており、東南アジア学生寮も運営しておりました。その牧師が、学園紛争のころ、若い人が社会問題を考えることはたいせつだが、それよりも、アジアを見てくることがたいせつだと思うと言われ、教会の青年会の7人が、財団で関係のあった小山海運の貨物船に安く乗せていただき、その貨物船の寄港地を訪ねることになったのです。6人は大学生、大学生たちの金魚のフンのようにくっついていた、わたしも行かせていただくことになりました。約一年間、アルバイトをし、バザーも開いて、お金をため、小山海運に払う一人72,000円を作りました。アルバイトでいろいろな社会勉強をしたことも、わたしにはとても良かったと思います。1970年、横浜本牧埠頭から出た船は、神戸三ノ宮、広島宇品と寄港し、シンガポール、マレーシアのペナンで、中古の機械をおろし、インドネシアのバリクパパンとサマリンダというボルネオ島の町でラワン材を仕入れ、このときは揚げ地は韓国の釜山でした。取引の予定が決まっているわけではなく、本社からの連絡で行き先も決まる、合計で53日間の旅でした。神戸からは、大阪万博を見に行ったり、広島の平和記念公園に行ったり、帰りには、台風の中を船が右往左往したり、韓国ではコレラ蔓延の時期で、下関の検疫で時間がかかったりといろいろなことがありましたが、濃厚なときでした。

特に印象的だった3つのことを記します。シンガポールに着き、岸壁には着けられず、港の中に停泊していたときに、はしけで、コールガールが船にくるということがありました。そのうちの一人は、おじいさんに連れられた、当時高校2年生だったわたしよりも若い女の子。見てはいけないものを見てしまったという感じで、部屋で布団にくるまって、いろいろと考えてしまいました。サマリンダというジャングルの中の村へは、7200トンの私達の船が河を上っていってたどり着いたところにありました。いまは、かなりの町になっているようですが。そんな、ジャングルの村でも、中国人の教会がありました。熱帯雨林の伐採が始まった頃で、活気があり、河に停泊しているわたしたちの船にも村の人がよく乗ってきました。あるとき、船の甲板にいると、こどもが、親しそうにいくつかの日本語のことばを使って、わたしが履いている、サンダルをほしいというのです。自分は、靴を持っていないが、お前はそのサンダル以外にも靴を持っているだろうというのです。ことばもなかなか通じない中で、だいぶ時間が経過し、なにか、わたしは、そのサンダルをあげなければいけないような気になり、あげることにしました。すると、その子は、そのサンダルを手で持って見て、いらないというのです。裏のゴムが少し欠けていたのです。これは売れないというのです。このしたたかさに、唖然としました。非常に美しい自然のジャングルの中の村、そこに住むこどもの心にも、すでに、拝金主義のようなものが、入り込んでいる恐ろしさを感じました。三番目は、釜山、やはりはしけで、50歳ぐらいでしょうか、作業着のような服を着た男性が三人、乗ってきました。ラジカセなどの電気製品を売ってくれというのです。まだ、戒厳令下の韓国、ことばたくみに、言って、わたしも持ていた、ラジカセを売ることになりました。ただ、いま金はないから、売ってきてから金をわたすということで、二人が行き、一人が人質のように残りました。結局、一等航海士に、それは、違法なことだからしてはいけないと言われ、はしけ代を我々が払うことになり、ものは戻ってきました。ただ、その間、その一人としばらく話しました。三人とも、それなりに日本語が上手でしたので、いろいろと話すことができました。しばらくすると、日本は大嫌いだということ、これだけ、韓国を足蹴(あしげ)にしたあげくに、いまは、経済発展と遂げている、ずるい。ゆるせないと言っていました。多少は、日韓関係のことを知っていましたが、直接、おじさんたちの肉声で聴いた、これらのことばは、ずっと残りました。まとめる必要はないと思いますが、これら三件のこと、わたしが、その後、折に触れて何かを思考するときに、通奏低音のように響く出来事でした。 これは、高校生の時のできごとですから、このあとにも、様々な経験をしていますが、この辺にしておきたいと思います。最初に、たいせつにしていることを3つあげました。理念として、そういう哲学を持っているということではなく、経験を通して言語化して行き着いていったことです。背景には、すでに書きましたが、とてもむずかしい、わからないことだらけだという感覚が強くあります。それを、探求者として、求め続けてきたのが、わたしの一生のように思います。理不尽なことに出会ったり、そのようなことをする人に出会ったときは、簡単に、善悪の判断をするのではなく「あなたのことをおしえてください」とその人の背後にあるものを受け取りたいと願って、聴くことをしてきました。

Be available, stay vulnerable!

そのために心がけていることで、学生にも行動においてわたしがたいせつにしていることとして、伝えているのは、

Be available, stay vulnerable!

です。どちらも日本語に訳しにくい言葉ですが、いつも、お役に立てるなら、わたしを使ってくださいというこころをもつことと、傷つくことは、自分が変えられ成長することでもあるので、傷つくことを理由に、その場から身を引くことはしないということでしょうか。ただ、わたしのようなものが使う言葉としてはちょっとカッコを付けているようにも見えるので、大学などでは、「お忙しいですよね」などと聞かれると「ひまです」と答え「たいへんですね」と言われると「わたしは火中の栗が好物なので」と答えることにしていました。それゆえに、一般には、あまり経験することのないたいへんさも、いくつか経験しましたが、それを通して、成長させていただいたと、こころから思っています。

わたしが挙げたたいせつなこと3つはどれも、とてもむずかしいことです。一人ひとりが違うことを認めた上で、それぞれの尊厳を尊重すること。この基礎となっているものに、それぞれの方の感情も含まれますから、尊重しにくいこともたくさんあります。その人の中で不安定なときもあります。「てめいなんか人間じゃねー」とか「かみさまはあなたのようなかたは愛しておられません」と切り捨ててしまえば簡単ですが。そのような相異なる、いびつな一人ひとりが構成するひとの有機的なあつまり(社会)の中で、一人ひとりを歓迎し、公平さを求め続けることをたいせつにしたいと願っています。理不尽、不公平に直面しているひとは、「かみさまはなぜこんなことを許容されるのか」「神様なんかいない」と思われる場合も多いでしょう。そんな考えは、間違いだと議論するよりも、その理不尽さ、不公平感に共に向き合うことがたいせつなように思うのです。ひとを愛することが難しいように、神様の愛もよくわからなくなることがあります。しかし、イエス様は、

「あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るであろう。」(ヨハネ13章33,34節)

と言っておられます。「私があなたがたを愛したように」とヒントを与えてくださっているのですから、聖書を丁寧に読んでいきたいと願っています。

キリスト教について

わたしは、クリスチャン四代目ですから、キリスト教の伝統のなかで、育ってきました。そこで、教義もふくめキリスト教の伝統を無視したり、軽く見るつもりはありませんが、わたしがたいせつにしているのは、イエス様がどう生きられたかなので、一番、近くにいて、直接証言しているといってもよい、ヨハネによる福音書とヨハネの第一の手紙、それに加えて、3つの共観福音書を通して得られる、イエス様の歩みから学ぶことを中心に聖書を読んでいます。むろん、パウロ文書や、その他の新約聖書の文書、旧約聖書も読んでいますが、わたしが一番学びたいのは、十字架上の死だけに偏らない、イエス様の「神の子としての」そして「神の国(支配、地上で神様のみこころがなること)が近づいた」と宣言され、私達に語られ、ひとびとに向き合われた歩みです。

聖書を一緒に読んでみませんか

わたしは特別研究期間で家族とアメリカに住んだ最初に、ワールド・トレードセンターなどのテロ事件を経験したのですが、2002年、911から半年後、わたしも学生時代に立ち上げに関わった留学生宣教をしている団体のセミナーで、Why are Japanese Christians so few? という話をしました。それ以来、わたしにできることはなんだろうということを考えはじめ、2003年4月から「聖書を一緒に読んでみませんか」と案内をし、聖書を読む会をはじめました。これは、407回続きました。家内が、毎回、ケーキやクッキー、紅茶などを用意してくれたことが大きかったと思いますが、これだけ続いたこと、さらに、最後の方は、毎回20人以上の人たちがあつまり、ディスカッション・スタイルではありましたが、最後に一言ずつ言ってもらう時間が何時間にもなってしまうような状態になっていました。国際基督教大学の学内住宅という特殊環境であることは確かですが、それでも、聖書を毎回4節から10節ぐらいずつ読む会であるにも関わらず、これだけの若い人たちが集まってくれたこと、自分でいうのも変ですが、不思議に思っています。

聖書を一緒に通読しませんか

途中で、通読もしたいという人たちが現れ、わたしは、1982年から聖書ノートをつけて毎日通読をしていたので、では、と、「聖書を一緒に通読しませんか」をはじめました。毎日二章、二年で、旧約一回、新約二回読むペースで、BRC(Bible Reading Club)2011, 2013, 2015, 2017, 2019, 2021 といま続いているものが、6回目となっています。こちらは、毎週サポートメールを送るという形式で、現在は、79人が受信しています。むろん、全員が通読を続けているわけではありませんが。これも、ホームページに出してあります。

聖書の会でたいせつにしたこと

通読の会でもそうなのですが、「聖書を一緒に読んでみませんか」の方で、たいせつにしていたことを少しだけ、書かせてください。ひとことでいうと、来てくださる方を Welcome 歓迎することです。基本的に、クリスチャンとノンクリスチャンを分けないこと。そのために、その回に読む聖書のテキストをたいせつにすること。なにを言っもよい、何を聞いても良い、なにも言わず聞いているだけでも良い。しかし、最後には、パスしても構わないがと前置きをして、一言ずつ感想を言ってもらっていました。ときどき、個人的な深いはなしも出てきました。記録にありますが、読んでいたのは、福音書が中心です。マルコによる福音書、マタイによる福音書、ルカによる福音書、使徒言行録、ヨハネによる福音書、ヨハネの手紙一・二・三で終了でした。毎年一回、東南アジアを回ったときの仲間が経営している、万座温泉日進舘で、合宿をおこない、そのときは、少し異なる箇所も読みました。

「その回に読む聖書のテキストをたいせつにすること」においては、読む箇所、前後関係、多少、その記事に至る流れ、そして、必要に応じて、共観福音書の他の箇所の記述を参照し、他の聖書の箇所は、参考程度には引用するが、他の箇所を根拠に解釈はしないようにしていました。メッセージを読み取り受け取るまえに、客観的に、聖書記者が書いている内容、伝えたいこと、そこから浮かび上がること、イエスの行動とメッセージ、イエスが、神様のみ心、メッセージとして伝えようとしたこと。これらを、丁寧に読み取ることを、問をいくつか準備しておいて、答えてもらい、議論する形式でしていました。実際に、これらを丁寧に読み取ること、それを問にすること、また、その場で出たことにも、ある程度対応することは、わたしのようなものには、なかなか大変ですから、毎回の準備に、最低でも、6時間ぐらいは使っていたと思います。それでも、わたしが気づいていないことが、いくつも出てきて、わたしにとっても、学びの多いときでした。

客観的に読み取れることをまずは大切にしようと思った理由は、クリスチャンとノンクリスチャンをわけないということもありますが、クリスチャンのなかも、様々ですし、911のときの、受け取り方、アメリカのいろいろなキリスト教団体の危うさなども経験していたので、そこをしっかり読むことにエネルギーを費やしたいと願ったのでした。これも、出席してくださるみなさんを歓迎し、たいせつにすることとともに、一人ひとりの尊厳(それぞれにとってたいせつなこと)を守り、一人ひとりと公平に向き合いたいという願いからです。それが実際にできていたかどうかは不明ですが。たいせつな居場所だったと何人もの出席者が言ってくださっていましたので、少しは、そのような場所の提供になっていたのかもしれないと思っています。そして、このようなことを神様も喜んでくださるのではないか。わたしが受け取っている御心とも表現できるかもしれません。

聖書の会のその後

学内住宅を出て、わたしが家でできなくなってからも、それを惜しんで、若い人たちが「やっぱり一緒に聖書を読みませんか」という名称(略称は「やっぱり会」)で続けてくれています。現在は、月1回、司会を毎回交代し、10人ぐらいの参加でしょうか。わたしも、参加者のひとりに加えさせていただいています。最近は、Zoom が続いていますが。

終わり


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