Last Update : June 15, 2001
NS I Mathematics B : Mathematical Methods in Science
自然科学 I 数学 B :数学の方法
2001年度:通信欄メッセージ :
- アンケートテストにおけるメッセージ
-
- (1) この授業をとった理由
- (2) この授業に期待すること
- (3) 高校以上の数学は何のためか
- 将来の夢、目標、25年後の自分について、世界について。
- 前の世代から受け継ぎ、次の世代へと委ねてきたい大切なものは、あなたにとって何でしょうか。
- あなたの「大人」と「子供」の定義を述べ、そのもとで自分が大人か子供かを判定せよ。
- 結婚について、家庭について、子供について。
- 最近感激した本・映画・芸術・人・言葉など。
- 自分が {女性、男性} に生まれて......。 同性について、異性について。
- 国際人(World Citizen)とは。ICU の「I」について。
- 聖書、キリスト教、ICU の「C」について。
この欄は QUIZ(小テスト)等における通信欄での受講学生とのやりとりを記録したものです。返事を書いて翌週に返却していますが、ここでは、クラスでも話した鈴木の感想などをまとめたものを一部掲載することとしました。クラスで学生の許可をとってはいますが、何か問題がありましたら、鈴木寛 hsuzuki@icu.ac.jp まで御一報下さい。入力は、今年は、ティーチングヘルパーの人にお願いしています。
アンケートテストにおけるメッセージ
(1) この授業をとった理由
(2) この授業に期待すること
(3) 高校以上の数学は何のためか
- (1)最たる理由は単位を埋めるため。知人には意外に数学嫌いが多く、比較的に言えば自分は数学好きなのか、と考えていたから。
(2)問題を解くためでない新鮮な数学。ベンズ(?)の集合数を増やしていくと、と考えるのは楽しいと思った。
(3)哲学と同じで、考える愉しみを味わうためのもの。
- (1)単純に「数学」という概念が懐かしかったからと共に、SSにおいても必要であるということがわかったから。
(2)抜本的にとは言わないまでも「とっつきにくい」「むずかしい」といった文系特有の数学に対するイメージを修正できればと思う。
(3)ロジカルに物事を考える手段ではないでしょうか(文系にとって)。
- (1)高校で数I・AしかとっていないのにLiberal Artsを語るのは恐れ多いと思ったから。
(2)モデルとしての数学と実用される数学をバランスよく知りたい。
(3)自分の職業の基礎に数学が必要ならばその基礎のため。その他の人には論理的思考の涵養が主だと思う。もちろん、ひたすら学ぶこと自体が目的であるということもありだろう。
- (1)GENS科目が足りなく、4年生で時間もないため一番理解しやすいと思われる数学を選びました。
(2)今までは何で数学を学ぶかも考えずただ公式覚えてきましたが、それが何のためにあるのかを知りたいです。
(3)高校までは小中の延長。ただもっと理論的なことから入ってもいいと思う。
- (1)高校のとき数学が好きだったが、大学に入ってからほとんど触れることがなく忘れていく一方で、それが悲しかった。以前大口先生の「数学の構造」を受けたが、大学や和算の歴史が中心で、あまり私の趣味と合わず正直つまらなかった。今回はRepeatになるが、今までの「数学の構造」と内容も変更し、私のやりたいことと合致するのでは・・・と思い、この授業をとることにした。
(2)今まで学習したことを思い出しつつ、ただ問題を解くだけでなく、数学的思考を学び、理解を深めたい。
- (1)NSのGEをとらなければならないので。
(2)高校までは(「集合」とか)日本語で習ったので用語は日本語でも言って下さい。
(3)抽象的なことがらを理論立てて考える訓練。
- (3)わからない。生活上(日常)あまり高校以上の数学は使わないので。興味のため?
- (1)経済専攻予定なので、微積分・線形代数の知識が必要らしいので、学びたいと思った。またGEのNSだから。
(2)経済学の応用についていくための基礎が身についたらうれしいです。
(3)“高校以上の数学”の概念がよくわからないのでなんとも言えないが、社会が発展するためのtoolなのではないでしょうか。それは、論理的思考という面もあるし、技術発展のベースという側面があると思います。
- (1)Quey先生のクラスがキャンセルされたため。
(2)数学の楽しみを学びたい。
(3)研究のため。
- (1)NSの授業を今までとったことがないので、今回とってみようと思った。
(2)高校で数学嫌いになってしまったのでこの授業で数学へのイメージをポジティブなものにできたら良いと思う。
(3)実際に科学技術などに応用するためのもの。
- (1)数学のおもしろさは微分をやらないとわからないと聞いたことがあったので。(高校ではやらなかった)
(2)数学の魅力を知ることができるような授業を期待しています。
(3)論理的思考力を磨くもの。また、社会科学などその他の学問にも応用したい。
- (1)必修で、時間の都合がよかったから。
(2)大学受験以来すっかりなまってしまった数学の頭をはたらかせて、普段つかってない部分を刺激できればよいと思う。
(3)日常で数学を使うことは計算くらいしかないので、教養だと思う。
- (1)数学とは何なのか知りたかった。
(2)わかりやすくして下さい。
(3)わかりません。脳の訓練?
- (1)・キャンセルされたGEの埋めあわせ。・数学への興味(専門である言語学との関連)・高校で挫折した数学への、再挑戦。
(2)・今後数学を独習するための足がかりを得られること。・この様な問いの答えを知りたい:—数学は何を問題にしているのか。—数学の各分野はいかに関連しているのか。—数学を知ることで、何を知れるのか。—現在の数学の課題は何か。
(3)NSの人:研究のため。以外の人:楽しみ。
- (1)経済学の理論をやる上で数学が必要で。高校で学んだものを忘れてしまっているから。
(2)高校の数学+α
(3)専門分野で使う数学の学習。
- (1)経済に必要な数学が学べるとあったので、また、数学の構造では楽しく数学が学べたので。
(3)以前も書いたようにも思えますが、より実践的なものに用いられるように学ぶ。
- (1)経済学を勉強しようと思うので数学を少しかじろうと思いました。
(2)より楽に数学をいろいろな場面で応用できるようになりたいです。
(3)世の中のしくみなどをより分かりやすくとらえるための道具として使えれば良いと思います。
- (1)数学に興味があったから。
(2)高校で行列を学べなかったのが心残りだったのでLinearを勉強したい。あとサインとか積分してみたい。授業中に質疑応答があればいいなと思ったのですが、あまりそういう雰囲気ではなく皆ノート書きに必死なのでハンドアウトがあればと思います。
(3)高校までの数学がなんのためだったという前提なのかが謎ですが、自分は教養、論理的思考の訓練だと解釈しています。
- (1)(2)数学は苦手なまま高校を卒業してしまったので、この授業をきっかけに数学の面白さを新たに見つけられたらいいなと思っています。
(3)数学を学ぶ意味、目的を見つけたいです。一体何のためにこんなことをしなきゃいけないの!役に立たないし!と思いがちでした。
- (1)数学にふれる機会がなかったから。
(2)論理的思考。
(3)現象を数式であらわすためのもの。
- (1)「数学」という学問にもう一度ふれてみたかった。
(2)高校までの数学は、答えを出すため。方法論にすぎなかった。だから、姑息な感じがして、きらいだった。この授業では、数学の論理性とおもしろさを感じられるとうれしい。
(3)論理的思考の訓練。
- (1)経済の授業のため。
(2)線形代数の知識。
(3)趣味。
- (1)経済の勉強のため。
(2)Elementary Calculusについていくための基礎をつくる事。
(3)世界平和のための道具。
- (1)経済、経営を学ぶ上で、数学の知識は必要だと思うから。また、数学の世界を受講して、数学が楽しくなったし、考える喜びを知ったので。ついでに言うと、先生の話を聞くのも楽しいし、一緒に考えるのが楽しいから。
(2)経済で用いる、線形代数、微積の基礎につながることも教えてほしい。
(3)必要。自分自身、大学で数学嫌いが数学好きになったから。
- (1)時間的に都合がよかったこと、数学をやってみたいなと感じたから。
(2)楽しく、また数学を思い出せたらよいと思います。
(3)知識、社会で働きに出たとき、数学と向き合う機会は多いはずなので。また、いろんなことを分析していくのに役立つはず。
- (1)NSの人にばかにされたので(笑)。もしかしたら微積が分かるようになるかもしれないという期待を抱いて。
(2)もう少しゆっくりやって下さるとうれしいです。
(3)知的な遊び・楽しみの増幅。
- (1)一度捨てた数学を見直す為。
(2)突然数学用語を書き連ねないこと。
(3)理系を専攻する人には将来その知識を用いて、世の中へ利益をもたらす為。それ以外の人は社会生活を送る上での必要あるもの。
- (1)面白いという評判を聞いて。
(2)自分の頭で考えることを促進してほしい。
(3)思考の訓練のため。というのも1つの目的だと思う。
- (1)「言語科学」がキャンセルになったため。しかし、もともと第2希望だった。久しぶりに数学を楽しみたかったから。
(2)たくさん問題を解かせながら解説してほしい。
(3)実生活への応用。思想としての数学を学ぶため。
- (1)経済・経営専攻なので、数学を思い出した方がいいと思ったから。
(2)数学的な思考などが文系にも必要だと思うのでそういったこと。
(3)正直よく分かりません。
- (1)経済学を勉強していて、自分の数学の知識のなさが支障になっていたので、もう一度数学を勉強したかったから。
(2)高校で習った事、理解していたことを思い出させてほしい。そして、高校時代よりは少しは広くなったであろう視野から数学を勉強して新たな発見をしたい。
(3)高校の数学も何のためだかわかりませんが(日常生活においてあまり必要性がないと思っています)、高校以上の数学は人類の科学技術発達のため、より豊かな生活のため、問題解決のため、意思決定のために必要だと思います。けれど、高校以上の数学が、一体どんなものかわからないので何とも言えません。
- (1)数学を使って他の勉強をしたいから。ものごとの本質が数学にもかくされてるような気がしたから。
(2)公式ならその公式の起源みたいなものを知りたい。
(3)世界をより深くみるため。
- (1)数学は苦手だけれども好きで、数学的な物事の考え方は自分にプラスにもなると思ったから。
(2)中学、高校までのように答を出すためだけの数学ではなく、論理的な組み立て方や関連する考え方を含めて、幅広い授業を期待している。
(3)理系や経済、経営学の分野においては基礎であり学問を助けるもので、実際には数学と関連しない文系の分野では、知的好奇心の対象であったり思考能力を育成するための良い場であったりすると思う。
- (1)高校の授業の復習。
(2)数学的な考え方ができるようになる。
(3)様々な考え方ができるようになるための1つの手段としての数学。
- (1)これから数学を使っていこうと思うため、忘れない程度に学ぶ機会を持とうと思った。
(2)1つの答えになるためにはどのような考え方をとるのか、いろいろな考え方を示して欲しい。また、歴史的な観点からも数学を学べたらうれしい。
(3)高校以上は、“頭の体操”としての数学であって欲しい。楽しく自分の思考回路を磨くことができるものと思う。
- (1)もう一度数学をやってみたかったから。微積分の考え方を確認したかったから。
(2)公式を覚えるような授業ではなく、むしろ、作っていけるような授業を期待する。
(3)どの学問に応用できるように論理的思考能力を養うため。そして、数学的思考を他の学問の媒体として使えるようにするため。
- (1)シラバスを見た限りではおもしろそうであり、NS以外の生徒を対象としていたため、自信がなくても乗り切れそうだから。
(2)頭の体操のようなパズル的要素を含み、式の羅列だけでないおもしろい数学。
(3)数学という一つの分野への限りない追及のため。
- (1)1年近く数学をやっておらず、突然NSの数学科目をとるのはためらわれたから。
(2)高校時代のつめ込み式の教え方でなく数学の本質にふれ、公式の意味をしりたい。
(3)教養。
- (1)GEの1つだから。
(2)少しでも数学的なことを学べたらいいなと思う。
- (1)単位うめ。
(2)分かりやすさ
- (1)高校がゆとり教育の私立文系の女子校で、大学受験はレコメンICU一本だったので数学の知識がまったくない。もともと、小学校の算数からダメで、きらいだったのでできるだけ数学、数字をさけていきてきた。しかし、今経済を勉強しようと思った時、自分の数学への弱さを痛感し、変えたいと思うようになった。大学はきっと私にとって数学を勉強しなおすラストチャンスだと思い、がんばろうと思っています。ちなみに高校では数Iをかじった程度で、それも成績が3といった程度です。もう因数分解もわすれたといったひどい状態です。高校1年で数学はおわり、今2年間のブランクがあいた状態です。
(2)先生が授業のはじめにおっしゃったように、数学の知識は他の分野を勉強するとき必要だと思うので、私の場合経済なのですが、その知識をつけたいです。
(3)ものごとの考え方の1つとして存在すると思います。それとやはり、他の分野であって、数学と関連している教科を深く知るすべとして必要だと思います。 - (1)言語科学の授業がcancelとなり、NのGEが必要だったから。
(2)暇潰しになればよい。
(3)特に目的は無いと思う。高校以上は自主性に任されているのだから、本人に興味があれば良く、それ以上でも以下でもない。目的が欲しければ勝手に創ればよい。
- (1)高校時代、数学がとても苦手で嫌いだったのですが、久々に数学をやってみたくなりました。
(2)数学を面白いと感じてみたいです。
(3)論理的思考を身につけるため。でも必ずしも高校以上の数学を学ばなければならないとは限らないと思います。
- (1)国際関係学科で経済を専攻しようと思い、そのために数学を復習し新たに勉強することが必要であると感じたから。
(2)微積分など、経済数学に関係のある題材をできるだけ扱ってほしい。
(3)頭の訓練。物事の原理をよりよく知るため。
- (1)数学は苦手できたが好きなので。
(2)受験期の苦い思い出を思い出さないおもしろい講義を期待しています。
(3)論理的な思考の訓練のため。
- (1)もう1度数学を勉強したかったから。
(2)数学の楽しさが伝わる講義内容。
(3)脳の活性化。
- (1)久しぶりに数学に触れたくなったから。
(2)数学を楽しく学びたい。
(3)教養。
- (1)数学の“方法”っていうのが何だかよくわからなかったから。
(2)色々な視点から数学を教えてほしい。
(3)教養のため。
- (1)Fr.ELPのおかげで漢字が書けなくなり、数学もだいぶ抜けてしまっただろうなあと思ったから。
(2)(受験)高校数学は解法の暗記で、それが嫌だった私は教科書で基礎を理解しようとしたが、基礎ほど難しく思った。なので、なぜその公式が考え出されたのかという歴史的な側面に触れてほしい。
(3)抽象的な思考(ある種の非日常)に出会うため。
- (1)数学を久しぶりにやりたかったから。
(2)考える力を身に付けたい。
(3)思考力を高める。現状の高校教育では数学や物理などでしか、それが期待できない。
- (1)久しぶりに数学をしてみたくなったから。
(2)理論ばっかりの数学にしてほしくないです。
(3)理論を実際にいかに利用するか。数学的考えを、応用する方法を学ぶためにあると思います。
- (1)数学に興味があったから。
(2)高校でやらなかったことをどんどん教えてほしい。
(3)新しい考え方を身に付けるため。
- (1)GEのNSの単位埋めとしてだけじゃなくて数学が好きで大学でもう一度数学をやりたい(触れたい?)と思ったから。
(2)高校までやっていたようなもの +「これも数学でできるんだー」というようなことを知りたい。
(3)考えて解くものが多いから(公式があるにせよ、考えなければ出来ない)考える力をつけるというか数学的思考で何か他のことを考えるようにできるためか? 正直なところよくわかりません。
- (1)言語科学がcancelになったから。高校以来数学をやっていないから。
(2)To recollect what I heve forgotten from high school calculus.
- (1)若さ故の過ち
(2)ていうか履修変更するし
(3)時々、数学をやってハッとするような感動を覚えることがある。その感覚を知るため、とは言っても、僕の場合高校ではそんな体験はなく、予備校もしくは中学の頃読んだガモフ・シリーズなどで感動を経験した。
- (1)数学をもっとやりたかったから。
(2)人文科学科生だが物理と科学をやりたいので(生物は既習)それができるようにさせてほしい。
(3)やることによって論理的思考力をつける為。スキルの獲得。
- (1)数学が好きだから。基本をおさえたかったから。
(2)数学のおもしろさを味わいたい。数学の世界を知りたい。
(3)知的探究。
- (1)今までは理系だったので大学での数学に少し興味があるので。
(2)楽しく数学を学びたいです。
(3)自分の可能性を広げる為。
- (1)自然科学の中で数学が一番好きで、社会科学をする時役立ちそうな気がしたから。
(2)数学と他の学問のつながりが見えるような授業。
(3)数学は、論理的に考える事が必要で、それは他の学問をする時も、必要だから、思考力を養うためだと思う。
- (1)英語の次に数学が好きだから。
- (1)経営を学んでいく上で、数学は外せないものであるけれど、高校時代どちらかといえば苦手な科目であったので、理学科の授業をいきなりとるのには不安があったから。
(2)おもしろく分かりやすい授業を望みます。レベルを下げるよりも充実した説明を期待します。
(3)教養のため、かな?(実際に社会で役立つこともあるだろうし)論理的な思考力を養う為。副産物的なものとしては忍耐力がついたりするのかもしれない・・・。私の個人的な理由はやりたい学問に必要で、なかなかおもしろいから、です。
- (1)国公立が第1志望だったので数学に関して抵抗感がない。大学入学後、バイトの家庭教師をにらんで数学のカンをにぶらせたくないこと。
(2)ムズカシイことをいかに容易に、オモシロクかたれるか。
(3)別に高校以上も以下も同じ。論理的思考を非文系的考察方法で行うことに価値があると思う。
- (1)数学が好きだから。あと、英語とか社会系の授業ばかりなので、数学も必要だと思ったのでとりました。
(2)数学は昔から好きだけど、もっと好きになれるような楽しい数学の話を聞きたいです。
(3)高校までは受験のためにやってきた気もするので、これからは楽しめて、かつ実社会で応用できるような数学、考え方を身につけることを目標としたいです。
- (1)数学がやりたかったから。
(2)もしかしたらそれは数学Aの方かもしれないんだけど、新しく数学を見直せる授業ができたらいいな、と思う。「1+1は本当に2なのか?」とか。
(3)論理的思考というか、いろんなものごとの考え方とかそういうのを身につけるため・・・でしょうかねえ。
- (1)この時間のGEで一番やりたかった(他はやりたくなかった)。数学は好きなほうだから。
(2)「考える」ことをしたい。公式を覚えるだけではつまらないから。
(3)役に立つ役に立たないとかではなく、好きだったらやればいいと思う。日常生活で微積ができないとこまることはないから。日常生活は四則演算がこなせればなんとかなるし。
- (1)楽しそうだったから。
(2)楽しいこと。
(3)数学で飯を食っていくわけではないので問題が解けた時の喜びを味わうため。
- (1)SSで使うため。数学苦手だから。
(2)SSで活用できるようになりたい。
(3)研究のため。
- (1)数学は一通り履修したのですが、文系の大学ばかりうけたので、一切数学をしなくなり、ほとんど忘れてしまいました。しかし社会科学の分野で数学が必要と聞き、また初めからやり直そうと思い、とることにしました。
(2)これから数学の必要な社会科学の分野で使われる最低限の基礎の部分や、その他にも、上級の数学科目をとるときに必要な部分を丁寧に教えて欲しいです。
(3)日常の生活には必要ないと思う。しかし、大学とかで行うたぐいの学問をする上で、いろいろな問題解決の糸口となるために、必要不可欠なものだと思う。
- (1)数学がけっこう好きだから。
(2)単におもしろいだけではなくて思考力を要する問題も扱ってほしい。
(3)論理的に物事をとらえることができるようになるため。
- (1)久しぶりに数学の感覚を味わいたかったから。
(2)再び数学嫌いにならない程度に刺激を与えてほしいです。
(3)頭を使うため。趣味。
- (1)GEのため。
(2)少しでも数学が好きになるようになりたい。
(3)高校では受け身だったけど、数学を使った様々な方法に触れて形にはまらずに色々な場で数学的思考を利用して問題を解決することができるようになるため。解くことよりもどうやって答が出せるか考える。おもしろさを追及(問題に取り組むための!)。数学の点とかはテストでよくなかったけど興味はあるので期待しています。
- (1)他の科目と比べると数学が楽しいと思うから。
(2)楽しく学びたい。
(3)各専門分野において必要だから。数学の中に美を求める。
- (1)経済を学ぼうと思っているから高校の数学が中途半端で終わっていると思ったから。家庭教師をやるときに出来たほうがいいと思ったから。
(2)上記の理由に少しでも役に立つことをやってほしい。
(3)応用的に他の分野で使う。純粋に楽しむため。
- (1)経済・経営等を学ぶ上で必要かと考えた。好き。
(2)基礎からきっちりとやってほしい。
(3)やりたいことをやるために必要なもの。
- (1)NSの単位のため。
(2)使える数学。
(3)論理的思考の養成と論理が通用しないこともあるということをあえて知ること。
- (1)「数学」にかかわること、話題になると身をひいてしまう自分を変えたいと思ったから。そのために世界がせばまってしまうのが嫌だから。
(2)数学だっておもしろいということを感じてみたいです(4つの種類わけのべん図はおもしろかったです)。受験のためにとにかく覚えた数学じゃなくて、本当に理解したら数学って絶対おもしろいはずと期待。基礎数学が実社会でどう役立っているのかもっとしりたいです。
(3)この社会をもっとよりよく知るため。
- (1)統計などで数学を使うのかなと思って。高校の数学と違った視点で数学を理解するため。
(2)数学がわかりやすいといいです。
(3)趣味。よくわからない。
- (1)数学が好きでしたが進学については理系を希望していなかったので2年の数Aまでで数学の授業を取れなくなりました。GEを見た時まず目をひかれました。加えて消去法で考えていくと結局最も興味があるのがこのclassでした。
(2)音楽を専攻したいのですが音楽と数学が何処かしらで結びつかないかなあという期待を持っています。
(3)論理的思考を身に付ける手段。他にもあると思いますが・・・
。
- (1)数III・Cまでやったので、この先も、微積とか理系科目をとりたいから。今回は、微積(理学科基礎)と迷ったが、これが落ちたら理・基にしようと思い、選択した。
(2)テンポのよい授業、眠くならない程度に進めていってほしい。パズルっぽい(楽しむ)より数学っぽいのも希望。
(3)探究心を満たすため。
- (1)私は昨年1年間(高3)、日本の高校でセンター試験のためだけの数学(I・A)の勉強をしていたのですが、その時、今まで苦手だった数学が次第に楽しく感じられるようになりました。そこで今、数学が楽しいと思えるうちにもう少し数学の勉強をしておこうと思い、この講座を受講しました。
(2)今回受講してみて、いろいろと自分で考える時間が与えられるのが良かったので、これからもそのような時間があるといいです。
(3)社会人として知っておくべき教養のため(?)(もちろん、将来的にそれを用いて仕事をする人もたくさんいますが・・・。またそれを知らない人も・・・。
- (1)大学でも数学をやっておきたかったから。
(2)高校までとは一味違った数学。
(3)何のためかではなく数学そのものの論理性が好きだからやっているので特に目的はない。強いて言えば数学が目的。
- (1)高校でできないままだった数学を再び学んで、自分の力をのばしたいから。
(2)教わることがどの程度活用できるのか知りたい。
(3)受験や、化学・物理の計算のためではなく、自分の周囲に常に存在する数の世界を計算するため。
- (1)高校時代、数学は得意ではなかったが、キライではなかったので、もう一度数学に触れてみたいと思ったから。
(2)かといって、高校のように、教科書のとおりに型にはまった授業はイヤなので、例えば、今日やった「じゃあ4つだとどうか?」などという、今まで考えたこともない用なこともやってほしい。
(3)生活の基盤かな?
- 大学に入って、高校時代にがんばった数学とはなれるのが残念だったし、数学的な思考というものにふれてみたかった。高校以上の数学はもしかしてSSに必要かもしれないし、そうでなくても幅広い知識を身につけるのに役立つと思う。
- (1)こないだまで数学やってたから。
(2)楽しくやりたい。
(3)趣味。
- (1)つまらなかった高校の数学以外のおもしろい数学の話が聞けるのではと思ったから。
(2)(1)のようであること。
(3)数学を用いる専門を学ぶため。受験数学に疑問を持つため。
- (1)HPをのぞいてみて、単に受身なのではなく、??しながら進めていく授業だと感じたから。
(2)意見を交わしながらやっていく。
(3)高校以上に続けるのはただの数字や記号の操作だけでなく、そこから何かを見出すため。
- (1)数学がおもしろそうだと思ったから。
(2)おもしろい数学。数学がおもしろいと思える授業。
(3)興味。 - (1)SSで将来的に数学が必要になると思ったから。
(3)自分の知識欲。
学生へのメッセージ
- (2), (3) については、他のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- (1)については Quay 先生の授業がキャンセルになったからというかた沢山おられましたね。今、カナダに帰って療養しておられます。一日も早く回復されますことお祈りしています。
- (1)の答えとして社会科学などを勉強するために必要だからと書いておられる方がかなりの数おられました。分野により、また、そのなかで何を勉強するかにより必要なものは変わって来ると思いますが、数学的な考え方、論理性、数式での表現とそれから導き出されることの推論、数値の読み方、統計の読み方使い方、微分積分や、線形代数といった理論を使う以前にも数学を必要とすることは沢山あるはずです。Liberal Arts Education においても。何度も言いますが、基礎学習能力は、言語能力と数学的な能力だと私は思います。ICUは、この前者をELPを通してトレーニングしています。後者は甚だ遅れていますが、この授業が多少の意味をなせばと思っています。
- (2)の皆さんの期待に全て答えるのは難しいと思いますが、私にとってもチャレンジングな授業ですね。努力したいと思います。ただ、この授業ですべて解決すると期待されるのは困ります。他の箇所でも書いているようにこの授業は高校までの数学を振り返って「なーんだこういうことだったのか」とか、「色々な問題があるのだな」、とか「こんなことにつながっていたのか」というような経験をみなさんにしてもらったり、または、「こんな数学は大切そうだから(または、面白そうだから)もっと勉強したいな」と思えるような授業であればと思っています。時間も限られていますから網羅的な話し、十分な訓練を伴う演習はできません。この授業の後、理学科の基礎科目を取って欲しいですね。数学だけでなく、自然科学の科目を。社会科学を勉強するとき数学が必要ならそのときに「On-demand」で勉強するのも大切です。すべて数学がわかるようになってから勉強すると言うのは、大学の勉強法としては、どうかと思う面もあります。そのときに、「よしもう少し数学を勉強してみよう」という意欲がわくような準備をここでできればとも思います。単なる高校の復習はしません。その意味でかなり高度のことも勉強しますが、そのことは覚悟して下さい。しかし、細かいところまですべてわかることを目的としていないトピックもありますから、そのことも心のどこかにしまっておいて下さい。
- (3)については、前に他の箇所に色々と書いています。そちらを見て下さい。実際私も、上手に説明できるような答えを持っているわけではありません。でも、高校までほとんどその意味を問うことも許されずひたすら勉強して来なければいけなかった皆さんと一緒に考えられればと思っています。高校以上の数学をポジティブに考えている人もそうでない人も。
- みなさんがこの授業を楽しんで下さればこの上ない喜びです。
QUIZ1 : 将来の夢、目標、25年後の自分について、世界について。
- 夢は:本を書きたい。25年後:本は書いていないだろう。INVESTMENT BANKERにな
ってると思います。世界は:つまらなくなる。
- 将来の夢等はわかりませんが、日本が25年後も経済的繁栄の中にいるかどうかはとても疑問に感じます。心配ではないですが生活levelが諸々変化しそうで興味深いところですね。
- ものを考えて、機会があればそれを公にすることが仕事とされるような立場にありたい。
- 4年生だというのにいまだ進路が決まっていません。やりたいことが多すぎて1つに決められないという状態で就職活動はとりあえずしてません。なので、25年後の自分というのは全く分からないし、想像もつきません。非現実的なことをいえば、世界中を旅しながら生きていくというのが将来の夢というか希望です。
- 私の将来の夢は素敵なおばあさんになることです。前に本で、イタリアなどでは年をとった人ほどおしゃれで、魅力的とされるという記事を読みとても共感しました。
でも正直、5年後の将来を考えるほうが今の私には大変です。何ができるのか、それを今模索しているところです。でも25年後、45歳ですが、もし子供がいるなら、その子に尊敬されるような人でありたいです。
- 25年後平和な家庭が築けていればよいのですが。
- 自分の将来の夢は、Cognitive Psychologist になり、人間に生まれながらに与えられている mental organ はなにかを研究する仕事です。例えば生成文法などの研究。
25年後の自分は、上記の夢を持ちながら地味な仕事をしている普通の中年だと思います。
世界は、小規模な regional conflicts が多発して、食料と energy 資源が乏しくなっていると思います。
- 25年後ものほほんと。成り行きにまかせます。ただ普通のサラリーマンはやっていないと思う。
25年経っても基本的なライフスタイルは変わらないのでは? 近未来的なものは想像に過ぎないかも。
- Asiaの地域で何か人に役立つことをかげでほそぼそとしていたい。用務員さんみたいな仕事が理想。Asiaの国がもっともっと豊かな国になっていてほしい。いろいろな面で(経済的、精神的、教育etc.)。
- 将来の夢は、仕事も趣味も家族生活も全てを満喫できるような充実した生活を送りたい。25年後、私は45才である。家庭を持っているだろうが、家庭以外の場所で何かできることを見つけられていればうれしい。
世界はもっと地域統合が進み、国境が低くなっているかもしれない。だが、環境破壊は今より進んでいるだろう。
- 将来の夢は立派な理科の先生になる∧楽しい家庭を築くことです。
- 私は45歳なので、結婚して、お料理がとても上手な奥さんになっていたいです。
- 世界はますます貧困が進んでいます。25年後、自分は貧困に苦しむ人たちのサポートをしていたいです。
- 子供と一緒にいろんなところに旅行する。
- 私の将来の夢は外交官になることです。なぜならば、私は、日本をより良い国にしたいからです。これからの国際社会では、他国との関係がより大事な物になり、外交官の責任や任務はより大きなものになってくる。私は国際社会の中で、日本を背負って、日本のために働きたい。その外交官になるためには国Iを合格しなくてはならないので、経済を勉強しているのですが、どうも数学がちんぷんかんぷんです。これからもご指導をよろしくお願いします。
- (将来の夢)機械的なデスクワークでなくクリエイティブな職業に就きたい。
(25年後の自分)25年後というと46歳...。考えたくない。
(25年後の世界)様々な問題、特に環境問題がシリアスになっていると思う。それをどうにか
改善できるように力になりたい。
(あと授業に対するコメント)数学の世界のときほどの驚きと感動がまだ授業で感じられない。
まだ、ちゃんとスタートしていないからでしょうか? また、楽しい問題を多く紹介してくれるとうれしいです。
- 将来は、経営学を学んで、企業経営にかかわる仕事をしていけたらと思っています。できれば、広い世界を知りたいとも思うので、留学もしくは海外にいける機会があればと思っています。
- 自分が25年後どうなっているのかは想像もできないが、少なくとも会社で働いていることはないと思う。
- 今まで出会った数人の、「本当にステキだ」と思える人物のようになっていたいと思います。
その人たちは、生命力にあふれていて、現在自分が行っている事柄(例えば、絵を描くことや仕事)に生きがいを見出しているようだった。そのような人生は、楽しいと思えるので、自分もそのようになりたいと思います。具体的には、社会学の研究者になることが将来の目標です。
- 学芸員になる。オフィスワークをせずに済む、語学を生かせる、自分達で展覧会を企画運営するクリエイティブな仕事だから。
- 将来は自分で会社をつくりたい。何でもいいから。小さくてもいいから日本人として世界に誇れるようなものをつくりあげたい(これも今は特にアイデアがあるわけでもなし)。
- 将来の夢
私の将来の夢は母親になることです。誰にでもなれるのかもしれませんが、私にとって母親というものは偉大です。実際に姉の子育てを間近で見ていると実感します。善と悪を区別でき、自分の考えを持つ子供に育てるということには、責任が多いし、相手は人間なので大事業です。母親という仕事はとてもやりがいのある仕事だと思います。一方ではバリバリのキャリアウーマンになりたいという気持ちもあり、将来の事を考えると複雑な心境です。現在資格をとるために勉強中です。
25年後の自分
36歳の自分は、結婚して子供が3人位いるといいです。そのかたわらで何らかの形で仕事にもたずさわっていたいです。
世界について。
世界はすごく広いものだと思います。1人の人間が知ることが不可能な事であふれていて、神様は偉大だなと思います。(私自身クリスチャンなので)
- 夢:近眼を治す。
25年後:裸眼で駅の運賃表がわかる。
世界:マクドナルドは平日半額じゃなくて土日倍額と表記すべきだと思う。
- 誰でも叶うような夢を持ちたくはない。代わりの人材ではだめだという人になり、人に必要とされる者になりたい。
25年後、私は44歳である。おそらく今より知的好奇心は多少衰えると思うが、冒険心を多少持っていて、まるで幼稚園児が世界とは大きいなあ、と思うように、また自分も持っていると思う。
25年後世界は食料がなくなっている。かなりの危機に陥ると思う。
- 25年後の日本はゆとり教育の影響で勉強をするものは塾へ行き、学力の差が今より確固なものとなり、一部のエリートとその他となり、さらに貧富の差を拡げているであろう。
- なにかprofessionalな仕事(未定)をしていきたい。また、これ以上環境破壊が進んでいない事を望む。環境問題に関係する仕事もあこがれるが...どうなんでしょう。
- 将来の夢や25年後の自分についてなど、まだ将来設計がぜんぜんできてないからわからない。
- 将来の夢: 子どもを幸せにしたい。子どもは親をえらべないし、生まれる環境もえらべないので、いろいろな選択肢を持てない子にいろいろな選択肢を提供したい。そのために自分は生きたいのですが、どの方向からそれに私がかかわっていけるのか今考え中です。そして経済を勉強しはじめています。
25年後の私、世界: 中国が世界に与える影響が大きくなっていると思います。私は夢を今よりもっと現実的に実現していきたい。
- 将来の夢: 自分らしく生きる。挑戦しなかったことに後悔しないように生きる。
25年後の自分: 子供はいる。
25年後の世界: 変わらず混沌としている。
- 昨日たまたま友達と手相の話になったのですが、私とその友人の生命線の途中には別の線が交わっていて、生命線を分断しています。これは手相占い師によると、早く死ぬか大きな病気をする恐れがあるということですが、先生は手相占いを信じますか? もしこの占いが当たっていたら、私の25年後は不幸なことになっているかもしれません。ああ恐ろしい。といっても私はあまり占いの悪い結果は信じないので、人間は誰でもいずれは死ぬのだということを自覚した上で精一杯生きていくのが大事だと思っています。
将来の具体的な夢はまだわかりませんが、世界平和に貢献できたらいいなと考えています。
- 私は電車の車掌になっていると思います。
- <私の予定> ICU日本語教授課程修了。→さたに日本、世界をより深く理解する為、外国の大学に入学し、勉強するかたわら、日本語や日本を広める。→自分の興味が語学なのか全く別の分野なのかをこの頃までに発見し又学者として進むのか、知識を活かせる職業につき活躍するのか選ぶ(どちらにしても結婚して子供をたくさんもちたいのでムリはしない)。これからICUで、又いろいろな場で学ぶことを自分の為にも他の人の為にもうまく活用して生きる人生にしたいです。
- 45歳になっている自分は家庭を築き平凡に生きていると思われる。世界はもっと平和になっていることであろう。
- MBA holderになっていたいですね。世界は環境問題を第1に考えるようになると思います。
- 一人でもいいから、その人に尊敬され、その人の人生に衝撃を与えるような正しいことをしたい。
- 将来の夢: International Communicationを助けていく人になりたいです。
- 夢: 清貧。物はなくても心は豊かに、と。
25年後: 未来は、予測がつかないから面白い。
- 将来の夢: まだ決まってません。Area Majorもまだ決めかねています。以前はただ漠然と国際的な舞台、または少しでも国際的と言える仕事に就きたいと思っていましたが...。(今もそれは変わらないのですが) 最近は公務員もいいなあ、やるなら国際公務員?とか迷っています。とりあえずは目標の舞台に出れるような知識、あと語学力をつけることが必要みたいです。
世界: 相変わらず各地で小さなもめ事がおこっているので少しでもそれがなくなってれば、と思います。
- My dream in 25 years. I will be 44 years old. I would like to have a family of my own by that age. However, before I settle with a family, I hope to be successful in my dream career. My dream is to be fully fluent in three languages: English, Japanese, and French. I like to work as an interpreter [? could not read] in a field I'm interested in.
- 高校の時も同じ質問をされたが、答えられなく、大学生活の中で考えようと思っていたので今はまだわかりません。(ただバスと電車の運転手は子供の頃からのあこがれです。しかし...)
- 多くの人を犠牲にした日本の生活を改善したい。
- 将来の夢ははっきりとはないけれど、何か自分の好きな事を見つけてそれに関わることをしていればな、と思っています。25年後の世界は、多少の具術の発達があるけれどそれほど変わらない様な気がします。
- 社会科学科やELPで学んだことが生かせる仕事につきたい。
- 中学校の先生になりたい。25年後は43歳だから学年主任くらい。
- 将来の夢は国際的な仕事をすること。今は会社経営をやってみたいと思っていますが、青年海外協力隊のように自分の技術や能力を活かして外国でそれを伝えることにも興味があります。
日本国内だけという限定された範囲にとどまらないような仕事をしてみたいです。もちろん大前提としてあるのが“人の役に立つ仕事”です。25年後の世界はそれ程変化していないでしょう。
私の希望としては争いのない世界になっていてほしいと思いますが。ただ、情報技術に長けた国がより強い発言力を持つようになるのではないでしょうか。現在のようなアメリカ合衆国の動向が世界に与える影響というものは今よりも小さくなっているように思います。
- 国連のUNICEF職員として、途上国の児童援助にかかわっていきたいです。がんばります!!
- TBS系の放送局につとめる。25年後には結構えらくなっている。世界はまったく想像がつかない。
- 将来はよくわからないけど、人と深く関わる仕事をしたい。自分は25年たってもそれなりに人生を楽しんでやってると思う。世界は女性がもっと進出するようになって変わると思う。あと温暖化で大変なことがおこる。
- ごめんなさい。もう授業は休みません。従弟の結婚式で海外に行っていたのでどうしようもありませんでした。論理和と論理積がわかりません。
音楽系の雑誌、もしくは音楽業界(裏方、ミュージシャン問わず)に就職したい。
- 働ける人。
- 株式投資家になって、大金持ちになっている!
- 自分が始めたベンチャー企業が大きく成長する。
- 将来は、もっと広い世界に出て働くこと。NGOで働きたい。そして、通訳の仕事もしたい。
数学を通して数学的思考を身につけたい。
- 25年後、現在の高校の英語教育を変えなければ日本はアジアの他の発展途上国に負けているだろう。だから、変えたい。
- 私はパートナーをみつけ、かつ仲間との共同作業の楽しさを味わえるようなやりがいのある仕事をしていたいです。専門が何かはこれからICUでみつけます。世界はやっぱり戦争とか飢えとか、不安定な国と国との関係がもうちょっと改善されててほしいです。私も何かしたいんで
すけどね...。だからとりあえず今はよく学びよく遊びます。
- 25年後45歳になっているから10ヶ国語くらいしゃべれていろんなところを旅行して
いるといいな。生きているかわからないが生きてたら宇宙にすんでいるという予定。
世界は25年たったらもう少し平和になっているかな。
- 将来の夢: 音楽が好きなので何かしらそれに関われる仕事につきたいです。
25年後の自分: 結婚して仕事もしていなさそう。
25年後の世界: 環境破壊がすすんでいそう。
- 夢: 発展途上国で働きたいと考えています。
25年後: 考えてもしょうがないと思う。
世界: 今より良い世界になって欲しい。
- 25年後44歳になるときは、母親になって家にいながら、仕事ができる環境で暮らしてい
たい。
- その時したいことを実現できる人物になりたい。
- 写真をとっているかもしれないです。そうだとよいのだけれど...。
- 将来の夢はまだきまっていません。私は単純なので、その人の話をきくと、すぐにその仕事をしてみたくなってしまいます。
最近三浦綾子の泥流地帯を読んで、田舎の先生になりたいなぁ...なんて思いはじめました。でも
そのことを高校の先生にはなしたら、先生は学校によって理不尽なこともしなければいけないか
らやめておけと言われました(スカートのながさをチェックしたりとか)。
私の姉は就職活動中で、昨日某新聞社の試験に落ちた、と言っていました。
ちょっと前までは家庭裁判所の調査官を本気でめざそうと思っていました。なぜかというと、“家裁の人”というまんがで、調査官の仕事がとてもやりがいのあるように書かれていたからで
す。
高校生の時にワークキャンプで発展途上国を訪れたことがあって、その人たちのために何かしたいと思ったりもしました。
とに角、やってみたいことがありすぎて、しぼることができないという感じですが、どれも自分に向いているとは思いません。というよりもむしろ自分に向いている職業なんてそもそもないのかもしれないわけだから、するとやはり目指す道をきめるのは自分の情熱、ということになるのでしょう。自分の研究をひたすらやる、興味のあることをおっかけるという大学の職員にもあこがれます。やっぱり大学の職員になるというのは大変なのでしょうか?
学生へのメッセージ
- 他のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- 「25年後・夢」については、大分他の箇所に書きました。実は、このコラムを始めた頃は25年後は、この授業の受講生のみなさんが私の年齢になることを想定していました。そろそろ30年に変えた方が良いかなとも思いましたが、トピックの継続性も大切だと思いますので、このままとしました。25年から30年前の自分を考えると、皆さん程しっかりとした考えをもってはいなかったと思います。少なくとも、表現はできなかったと思います。高校生のころ書いたものを見付けましたので、いつか、この欄に書いてもよいなと思っています。私は当時、自己中心的なヒロイズムと、自分などこの世界にとって全く必要ないのではないか、私の存在を必要とする人はいないのではないかという二つの思いが交錯していたと思います。その中で、アジアの人と関わることや、福祉の仕事に関わることなどを将来の夢として思い描いていました。いつしか数学に魅了され、しかし、そこに没頭することはできず、形のある夢を描いていたような気がします。いまその形の部分は、かなり変わっていますが、夢を生きているような気がして感謝しています。しかし、同時に今も形のある夢、形のない夢をともに思い描き追いかけています。
- 今回は、朝日新聞2001年4月21日の曽野綾子氏による「若者にー《与える》ことが大人への道」の紹介にとどめます。
インド人の神父が、日本人の若者たちの印象として「彼らは皆、自由、経済力、健康、知能すべてを持っているのに幸福そうには見えない。彼らは自分のしたいことをしているだけで、人としてすべきことをしていない。」と言っている言葉を受けて、大人になること、与えること、愛することについて書いている記事です。言葉の使い方は、私と違いますが、私も同感と書くことにします。図書館などで是非読んでみて下さい。人間は、(創造されたときに与えられた) 自由意志をもっているゆえに、人間として成長して行くことに苦悩があり、難しさがあるのだと思います。
- 私は、25年後この世にいない可能性が高いですが、このページが残っていれば面白いですね。時の経過を経て自分と出会う経験は貴重ではないでしょうか。
QUIZ2 : 現代は忙し過ぎて、今という時に価値が集中し過ぎ、時の流れの中での今を見失っているのではと私は感じています。人はそれぞれ多くのものを前の世代から受け継ぎ、次の世代へと委ねていくものだと思いますが、次の世代に委ねていきたい大切なものは、あなたにとって何でしょうか。
- 日本独特の文化、生活様式
- FAITH IN GOD, and the ability think through to understand that faith
- それは“歴史”であると思います。言い方を換えれば“経験”と言ってもよい。極めて抽象的な話になってしまいますが、過去の上に未来というものが見えてくると思います。必ずしも、教科書、テキスト的な“歴史”ではなく、“おばあちゃんの知恵袋”程度のものでも世代間で伝えていくべきものだと思いますね。
- 言語です。次の世代、次の世代が読み/書き/話すことを続けなければやがて1つの言葉とそれが担う文化は永遠に失われてしまうからです。(当たり前のような感じがするけど、実際たくさん起こっていることだから。)
- その時代の人が造り出したもの。人間が自分勝手に時の流れを速くし、私達はその中でおどらされているような気がします。(とくに東京での生活はそう思います。)私達の要求、欲求を満たそうと自分自身がするあまり、自分を見失う。何か大切なものがあるかもしれないと思っても便利すぎて、現状を変えない。変えたくない。なにか自己矛盾のようなものに陥っているのでは? 便利すぎるのも、どうかと思います。
- 私の家族から得た“文化”です。確かに文化という言葉にすると非常にあいまいかもしれません。しかし、私の頭の中に浮かぶものがはっきり実体を持ったものではないので上手く表現できません。ただ、“目上の人を敬う”等、形として残すことができないものこそ、次の世代に残していきたいと思います。(もちろん自然、伝統文化、物等も次世代に委ねていきたいです。)けれども、本当に現代は忙しすぎて、そういったものを伝える時間もないような気が私もします。
- 人の理性。
- 夏の夕方にひぐらしの声が聞こえる環境。
- 例えば環境、資源の問題などは以前から叫ばれていますが、実際の市民の生活の中ではついつい今だけを重視して、使いすて商品を大量消費したりすることが多いのではないかと思います。今はうすれがちな、1つのものをずっと大切に使うという昔からの習慣をこれからの時代にまた見つめ直していく必要があると思います。
- なぜ、今という時に価値が集中し過ぎると、今を見失うのでしょうか。
- 公的年金制度。
- 日本の文化、だと思います。
- 美しい地球(自然)。争い(特に戦争)が必要でないということ。非人道的であるということ。
- 常識。礼儀、義理と人情っぽいもの。
- 人を愛する心。学問とか政治、科学も大切だけど、心が一番大切。
- まだ分かりません。
- これからどんどんコンピューター技術が進めば、コンピューター1つで、インターネットを通じて何でもできるようになるだろう。そうすれば、人々が外出する機会や必要性はぐんと減る。それはつまり家の中にいる人以外の人と接触する機会が減ってしまうということである。人にとって、他の人々と触れ合うということは、非常に大切な事であり、必要な事である。人と触れ合う温かさ、それをこれからコンピューター世代に伝えなくてはならないと思う今日この頃です。
- 幸福。
- 私には未来に価値が集中し過ぎて、今という時に全ての人が注意をはらっていないように感じます。
- 家族と過ごす時間。
- 僕たちが持っている思想である。今僕たちは現代が特別な時だと思っている。それは間違いではないが、大きく見れば歴史の中の1部分でしかない。僕たちの思想を後世にうまく伝え、歴史としてきちんと刻まれてほしい。
- 私は日本人であるというアイデンティティー。
- 今流れているこの何気ない時間。
- 自然。
- いろいろあると思うのですが、特に手紙(筆跡)だと思います。メールの時代で、私もほとんど手紙を書かなくなりました。先生からいただくHand outもPCでつくられたものになっていますが、私が中学のときは先生が手書きで中間テストや期末テストをつくってくださいました。字でその人がどんな人なのか、伝わる部分もあると私は思います。列とかそろっててきっちり書いてる先生もいれば、小さい小さい字でこちょこちょと書かれているものもあり、そういうぬくもりがPCによって失われていると感じます。
- 「時の流れの中での今」という考え方はとても素晴らしいと思います。私が次の世代に委ねていきたい大切なものは、他人を思いやる心です。しかし、よく「今の若者は自己中心的だ」と言われますが、もっと前の時代の人々が、今よりも他人を思いやっていたかどうかは疑問です。そういう人もいれば、そうでない人も今と同じくらいいたのではないかと思います。ですから、「前の世代から受け継いで次の世代へと委ねていくもの」というよりは、「前の世代から引き続いて築き上げていくべきもの」として、他人を思いやる心が大切だと思います。ただ、現代では「他人を思いやらなければいけない」という考え自体が薄れかかっているような気はします。
- 自国の歴史、スポーツの素晴らしさ。
- 豊かでおいしい食事。
- 教育(教養)。
- ちょっとはずれますが、僕は逆に、今という時がいつでも安定していて、それが大前提となる未来にみんなが目を向けなくてはならなくなっていると思います。そういう意味で現代人は今を見失っている。
- 全てを包み込むような何か。精神論ですが、本来人間が持っている人間らしいものを伝えられたらいいです。
- 心だと思う...。
- 何かにがんばろうとする気持ち。無気力になる人が増えて、これから科学がもっと発展したら人ががんばらなくてもよくなるかもしれない。でもいろんな人が頑張ってきたからこそ今があるし、何か1つでも頑張れることがあればそれだけでも少しは充実感を得られると思う。だからいくら便利になっても、「頑張る気持ち」をみんなが持っていればいいのではないかと。
- 平和を守ろうとする気持ち。
- お年寄りが次世代に大切なことを語り継いでいく社会に。
- 茶道部に入っているので茶道を伝えていきたいです。(はじめたばかりですが)
- 人間としての基本的な感情(喜びとか悲しみとか)。私も含めて、今感動などあまりできなくなってる人が多くなっている様な気がします。
- 考えるということ。
- 地球の歴史から見た人間の歴史の短さを感じ、謙虚になれるだけの心の余裕。確かに人間の歴史は地球環境の破壊であったし、最近では失われたものを改善しよう、取り戻そうとする試みも数多くあります。でももし人類が滅びたとしても地球はまた何十億年という時間をかけてでもまた元の状態に戻っていくように思います。人間は絶対に必要ではないということ、環境を破壊したり他の動植物や資源を根絶させる権利もないということを自覚してほしい。
- 人の感情、音楽。
- 人と人とのつながり。
- 音楽というものの素晴らしさ。
- 今はまだ答えられない。
- わかりません。今探している最中です。
- 共存共栄の精神。
- 反戦感情。自然。
- 先生はそう言いますが、僕はこの忙しい世というのが今の時代であって、時代は常に変わり続けるものだから、その流れに乗るのは自然なことだと思う。ただ、次の世代へ委ねていきたいのは、人のやさしさとか思いやりといった、ごくあたりまえのことを委ねるというか、忘れないで変わらずずっとそのままであってほしい。
- 考えてみたこともなかったです。やっぱり地球そのものではないかと思います。地球がちゃんとあればたぶんたいていのことは大丈夫です。
- 平和を願う心。
- 雛祭りとか端午の節句など季節ごとの日本の行事。
- 真心。
- 正しい日本語。
- 芸術、芸術を感じるこころ。芸術家はまれにしかいないかもしれないが、感じとるこころは人間がみな持っているべきものであると思う。忙しすぎる時(たとえば今のELPの課題)こそ芸術作品に何か触れたいと感じるし、自分が生みだすことができたら、と願う。
- 私が委ねていきたい大切なものは、人々が地球規模でものごとを考えるようになって、自分(や自分の国、地域)だけではなくて、みんながよりよく生きられるようにと考えられるようになってきたこの想い(←これは本当のものかはまだワカラナイけれど)は大切にしていかなければいけないのではないかと思う。普遍的な価値観というものがあるのかどうか、わからないけれど、それでもいつの時代、どこの場所でも大切にされるべきものはあると思う。
- どんなつらい事、大変な事でも、のり越えていけない事はないんだということ。そして人づきあいにもまれ、その中で、友達、家族を大切にし、自然も大切にし、人と自然とが共存していかなければならないんだということ。長く短い一生をだらだらすごさず、目的を持って、自分を律すること、その人生のなかで、本当に心から愛せる人を見つけること。そして、キリスト教の神の愛、です。
- 周りの物事を感じる心。一日一日、一瞬一瞬を感動をもって生きていきたいと思います。グローバルな情報がたくさんあってそれらは刺激的だけど、身近なところにも、すべてのものが感動に値するということを実感できたらいいなと思います。たぶん前の世代の人々は(もう1つ前かもしれないけど)、本当に身の周りのところから、かなりのことを感じ、感動して生きていたと思います。いろんなことを見られるようになった分、感覚は鈍っていると思います。
学生へのメッセージ
- 他のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- 難しいですね。私も何も答えを持っていません。でも、「過去」があり「未来」がありそして過去の反省、未来への希望のなかで今を生きていたはずが、最近の忙しさの中で、その当り前のことが難しくなっているような気がします。便利になるということが、そのために失うものも大きいのに簡単に受け入れてしまい、「今」が忙しくなって行く。「今」から逃れようとは全く思っていませんが、湯水のように時間を使って数学を考え、勉強し、本を読んだり、囲碁をしたり、ゆっくりと人と話したり、手紙を何時間もかかって書いたり、そんなすばらしいものを今失おうとしているのだとしたら問題だと思います。時間を縮められるものもありますが、縮められないものもありますね。縮められればなにか濃縮な時間のような気がしますが、人間の営みはそんなに単純ではない気がします。
- 私達の持っているものは、ほとんど先人から委ねられたものばかり、それをどのように次の世代に委ねて行くか、とても大きな責任があると思います。それを考えるには、自分がどこからきてどこへ行こうとしているかをしっかりと考えることではないかと思います。「緊急」を要すると見えるようなことで、「本質的な大切なもの」が脇へ追いやられることはないようにしていたいと思っています。難しいですが。自分が何にお金を使っているか見てみるのも良いかも知れませんね。聖書にもあるように「あなたの宝のあるところに心もあるから」。心のありかを調べるのに、お金の行き先を調べると一つの指標となります。
QUIZ3 : あなたの「大人」と「子供」の定義を述べ、そのもとで自分が大人か子供かを判定せよ。
- 自己行動によって自己責任が持てるか、自己行動を自己でまかなえるか → 学生のうちは「否」だと思う。
- 大人とは リスクを最小にできる力をもつものであり、 子供とは リスクを最大にできる勇気をもつものである。
いいかえるならば 大人は 正の二次関数の傾きを小さくして精神の安定をはかり、 子供は その傾きを大きくすることで最大の幸福を得ようとする。
しかしながら、
- 「大人」と「子供」の差は、どれだけ自分以外の人に対してやさしくなれるかだと思います。概して、人間は自己中心的になりがちですが、いかにそこをコントロールできるかでその人の成熟度がでてくるのではないでしょうか。同じことを伝えようとするのでも、ちょっと相手を気遣うかどうかの一言で印象はずい分変わってくるものです。
私はまだ自分が目指すような「大人」にはなれていません。よく、まだまだ自分は「子供」だなあと感じることも多いです。けれども、反省のくり返しばかりですが、素敵な「大人」になりたいと常に思うし、努力しているつもりなので一応、今の私は「大人」の一年生といったところだと思います。
- 自立しているかどうか。自分は経済的に自立していないので子供です。
- 「大人」:自分の行動に責任を持てる人。「子供」:自分の行動に対し、他の人が責任を持っている人。
私は、ある場面では大人で、ある場面では子供である。だが、私の定義により判断すると、多くの場面においてまだ子供であるように思う。
- 社会に適応できる能力を持っていて、自分の未熟な面を自覚しコントロールする方法を知っているのが「大人」だと思います。
私はまだ社会の中の立場が定まっていないので子供だと思います。もうすぐ否応なしに大人にならなくては。
- 大人:自分の親はいつまでもそばにいてくれるわけではない。自分がたすけて楽にさせてあげたいと思う。
子供:親はいつまでも自分のそばにいて自分をたすけてくれると思う。
私は「大人」です。20才になって「ハッ!」と気付いたことです。
- 子供が、いろんな事を経験して、知っていくと、大人に近づいていくと思う。でも、どんなに年をとっても、きっと“ああ、自分はこの点では未熟だなあ”と思うだろうから、決して完全には大人にならないと思う。でも、自分の未熟さに気づけるのは幸せだと思うから、もし完全な大人の人がいたら、きっとその人はつまらない毎日を送っているだろうな、と思う。
- 「大人」約束を守れる人。「子供」約束を守れない人。 大人になれるよう、努力しています。
- 私にとっての大人とは、自分も周りもしっかりと、かつ落ちついて見ることができて、考えることができる人です。自分というものをちゃんともっていて、なおかつ周りの人のこと、周りの状況などを考えてうまくやっていける人が私にとっての大人の人です。
子供は、簡単にいえば、それができない人。自分を大切にしすぎていたり、周りのことを考えられないような所がある人だと思います。
私自身は、大人な人であろうと努力し、周りのことをしっかり見て、でも自分らしくいようと、そして協調性を身につけていこうとは思っていますが、思い通りにはいかず、ふりかえって考えて、勝手な行動だったな、まだまだ子供っぽい点がたくさんあると反省する毎日です。
- 少なくとも年齢ではない。
- 大人と子供はあまり変わらない。子供の時にけんかしたように大人も広くなった世界こそ違うけれどけんかするし、人間的な違いが存在するとすれば、年をとって自信をつけていくことによってすこし冷静にいろいろな事に対処するようになるということ。
だから私自信もどちらでもある。
- 大人になると〜である、とか、子供は〜だ、という明確な基準はなく、周りの人間がその人を大人だと認めた時点でその人は大人であると言えると思う。法律で「成人」と定められたのは20才であるが、それ以前は、例えばある儀式を通してその社会内で「大人」だと認められる文化が多く存在した。そのような特別なものがない現在の日本では、複合的な要素のからみ合いから周りの人間が判断するようになっているのではないか。
- 大人は経済的にも精神的にも1人で暮らしていける能力を持った人。ちなみに私はまだ子供です。
- 大人は物事を客観的に見ることができ、自己中心的にならない人。 子供はその逆。
自分は大人になったと思う。しかし、自分が大人だと勝手に決めるけているエゴがあるので実は子供かもしれない。
- 大人とは物事の善と悪が自分で判断できる人。子供とは、周りの事が考えられない人。 でしょうか...。
- 「大人」とは、ただ単に年齢がどうこうというだけでなく、精神手にしっかりしていて、社会に対して一種のモラルをもっているものである。
「子ども」とは年齢的に若いだけでなく、社会の中で利己中心的な考えを持っているものである。
今の社会には、歳は大人でも精神面が自分中心で利己的な者が多くあふれていると思う。これらは「大人」というものを完全には満たしていないと思う。
自分の場合、まだまだ精神的にしっかりしているとは言えず、まだまだ養われの身という感じがしており、「大人」とは言うことができないと思う。
- ピーターパンシンドロームかかっていると自覚していると思ってる人=大人。残り=子供。 いや。なんとなく。
- 大人とはいろいろな欲求をおさえる(処理)できることを言うと思います。ねむいけど、明日までにやらねばならない仕事があったらねないetc.。
きのうねたので私はまだ子供です。
- 私の中に年齢(もちろんこれは20才以上か未満か)以外の定義はない。なぜなら言葉で表す定義は一面的なものでしかなく、しかし生の人間は決して一面的なものでは測れないから。
- 特に定義はない。なんとなく。 自分は子供。
- 「大人」とは責任を持ち、自分で自分の生活費等を稼ぎ、一人でも生きていける者。
「子供」とは親や何らかの人々に頼らずして生きていけない者。よって自分は「子供」。
- 大人=状況やコンテクストを読み取る力をもち、それに自らを合わせるように調整して振舞える人。
子供=自分の思い通りに行動してしまう人。Ex.どんな時でも“オレ流”、“ワタシ流”をつらぬこうとしてしまう人。
→自分は“子供”。
- まだ私は子供です。大人には責任がついていると思うから。
- 大人=「自分で自分を養うことができる能力があって、自己管理ができてまわりにある程度順応できる人」。
子供=上にあてはまらない人。
だと思います。だからたとえ40才でも、働かないで親や他人をあてにして生きている人(理由があって働けない人は別ですが...)とか自己中心的な人、自分のすべきことができない人はある意味子供だと思います。だからその逆で18才でも大人としてのことができればその人は大人と言えるんじゃないでしょうか。
私はもうすぐ20才で世間一般で言われる「大人」になりますが、自分を養えないのでまだ子供だと思います。
- 大人とは、社会において、自分の力で最低限の生活を送ることができる人。
子どもとは、生活の根本的な面での助けが必要な人。
私は学費、生活費など親に全面的に支えてもらっているのでまだ大人とはいえません。
- 本人が自分が「大人」と思えば大人。だから私は「大人」ではなく「青年」。
- 大人—経験を積んでいる人。 子供—経験が少ない人。
- 「大人」誰の助けも借りずに自分自身の力で生きて行ける人。
「子供」誰かの力を借りないと、やって行けない人。
自分はまだ子供だと思います。沢山のことを親に頼りきっているので。
- 「大人」とは、多くの痛みや苦しみを味わっていることで、「子供」とはそれを味わっていないこと。
自分も生きてきた中で苦しい事は多かったけど、大人になりきれているかというと、まだなりきれていないかもしれない。
- 精神的に自立しているかどうか。あとは自由に伴う責任を独りで負うことができるか。 経済的に自立していることも考えたけれど、専業主婦は大人じゃないか、と聞かれると返答に困ってしまうので...。
私自身はまだ「子供」だと思います。さっきあげた視点から見ても、社会的な常識があまりないことから見ても。
- 「大人」とは、相互愛の有無でもって性行為へ及ぶか否かを判断できる者。
「子供」とは、「大人」の定義に漏れる全ての者を指す。
私は「子供」である。その理由はまさに、愛情を示さぬ者同志において性行為に及ぶことを可として、また実際に行為に及んだ経験を有するからである。この定義づけからいけば究極的には『すべての男は、「子供」である。』というすさまじい命題を導くことができるかも知れない。また愛情を媒介とせぬ性行為に及ぶ理由、動機を一重に、本能にまつわる性欲だとすれば、「大人」=本能に打ちかつ理性をもつ者。「子供」=本能に打ちかつ理性を有さぬ者。となり、実にもっともらしい結論にたどりつくことになる。しかし、さらにおもしろいのは、話は全くをもって「男性」の枠におさまるものではないことだ。男の「子供」の数だけ女の「子供」が存在することになるわけで、とすればまた『すべての女は「子供」である。』という命題を真へと導けるわけである。ようするに、この世の中に「大人」はそんなにいないわけで、ほとんど皆は「子供」なのである。
この論議には絶対的に1つのevidenceが必要です。どこに必要でしょう?
- 大人は自立して生活できる人。 私は親の仕送りを受けているからまだ子供だと思います。
- 「大人」であるということは経験が増えて、ものごとを判断するときの基準が増えるということ。
「子供」であるということは自分をとらえるしがらみがないということ。
そんなにいろんな経験もしるわけでもないし、自分が何かにとらわれているということもないと思うので、自分は「子供」だと思う。
- 自分自身で決めた自分が行動したりするときの決まり、信念があるかどうか。
ある部分とない部分があるのでどちらともいえない。
- 大人:自分の行動に常に責任がもてること。 子供:大人の逆 だと思います。
自分はそういう観点で見るとまだまだ子供のままだと思います。でも、親から見たら、(自分が大人だと思ったときが来たとしても)永遠に子供のままだと思う。
- 難しいところだが、結局のところ責任を持つか持たないか、だと思う。何をしても自分で責任をとれるようになって初めて、大人と呼ばれるようになる。
この基準で考えると、僕はいま一歩、大人になりきれていない。
- 子“供”と呼ぶように、一人じゃ何もできないのが日本語でいう子供。 つまりオレはまだ子供か...。
- 大人=自由であると同時に自分の行動に責任がもてる人。
子供=ときに責任が軽減されるかわりに自由に制約がある人。
私は時に大人であり時に子ども。
- 大人:自分のした事の責任がとれる。 子供:自分がした事の責任がとれない。
現在、私は子供です。
- 自分は子供
大人は自分の主張を心の中に持っていてもいなくても周りに配慮できる人。自分の言動に責任を持てる人。それも、よっぽどでない限り「常に」
子供はそうでない人。
これは大人のほうが「良い」というイメージの考え方?
- 真心があるか否か。
- 稼いでいるかいないか。
- 考え方。
- 精神的、経済的な親からの独立が基本。 自分はまだ経済的な独立を果していないので「大人」とはまだいえない。
- 「大人」:あたり前のことをあたり前だと思う。というかその真相はどうでもいいと思っている。
「子供」:好奇心。
- 大人は自分の考え方が構築されている人。 子供は考え方が柔軟で、吸収力のある人。
難しいことだけど、常に子供のように、周りにオープンでありたいと思う。いろいろなものに影響されつづけていきたいと思う。
- 大人:保護者から離れて自分の力で食べて行ける人(もちろん家族をもって不要されるのも同じく)
子供:逆
学生へのメッセージ
- 他のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- 小テストが難しいとどうしてもメッセージが減りますね。でも今回のメッセージ中身が濃いものが多かったと思います。どうもありがとう。
- わたしも自分の未熟さを意識し始めた高校一年生のころから、「子ども」と「大人」そして「人間」「自分」について考えてきました。自分に子どもができて、成長を見守っているとまた、すこし自分の考えも変わって来ているように思います。子どもたちも成長し、今は一番上が高校2年、一番下が小学2年。いつも会っている大学生の皆さんとも歳がつながって来ました。「大人」と「子ども」の定義を考えることは、人間の成長 (人間がより人間らしくなること)とは何かを考えること、つまり、人間とは何かを考える側面と、それぞれが一人の独立した生の尊厳をもった存在として見たとき、子どもとは、大人とはなんなのかを考える側面とを持っていると思います。後者において大切なのは、優劣でみるのではなく、違いとして受け入れることです。どちらも難しいですが、大切なことだと思っています。そして、そのなかで自分を見つめるわけです。このそれぞれの面について、時間をみつけて、わたしの考えを近日中に書いてみたいと思います。
QUIZ4 : 結婚について、家庭について、子供について。
- 前回のQuizの際に「大人になる」ということはどういうことか、という意見を書いたのを覚えているが、結婚自体は、それなりに互いに自立した上でするものだと考える。もちろん、いきあたりばったりではなく例えば生活、人生設計とか子供の有無などは相手とよく相談した上で決めることであり、その意味では自分の家族、子供観は相手がいなければ決められないと思う。
- 絶対子供産んでみたいし、家庭をつくってみたい。
- 自分が大切だと思える人といっしょに何かをやっていく、ということはすごく大事なことだと私は思います。結婚して、子供がうまれて家庭をつくって...といった中で自分の本当に好きな人のために、好きなことをのために、何でもがんばっていけたらよいと思います。
- 結婚はできることならしたい事です。子供をつくって家庭を持つことは私の夢でもあるからです。人間は1人では生きていけないと思うので、家族という仲間と一緒にいることでより幸せになれると思います。子供を育てるという事は、生まれてきたからにはするべきだと思います。
結婚は人生の中で最も大きな転換のように見えます。どのようにして決心するのでしょう?
- 家庭を持つというのは夫婦と子供が揃ってはじめて意味をなす言葉だと思う。なるべく家庭を持つべき。責任感がたくさん身につく。
- 結婚とは男女の仲における世間に対しての一種のけじめである。また、夫婦ということで、
お互いの気持ちのかたちともいえる。しかし、結婚をしてしまったために、別れるという行為が世間体的に非常に難しくなってしまうということが起こり、逆につらくなるということを起こしてしまう。結婚とは華であるが、しがらみをも持つものである。
子どもは昔は働き手として必要であった。だが、今はそんな必要なくなった。虐待をする親たちに問いたい。なぜ子をつくるのかという理由を。子は親に対して苦労をかける存在であるが、それ以上に大きな喜びや幸せ感を与えてくれるものなのである。
家庭はあたたかいものであるべき。冷めきった、もしくは冷めた家庭は子どもにとって幸せなものではなく、多大な悪影響を与えてしまう。
- 強く、幸せな家庭を築きたいと思っています。自分の娘又むすこの理解者になりたいです。
何か、親にかくさなければいけないのはつらいし、かといってありのままを見せると親は子をそのままでは受け入れてくれない。子のあやまちを正そうということばかりに目がとらわれてしまうような。でも、その場合の親のいう“あやまち”とは、子供にとって大切なことだったりする時もある。私の思う幸せな家庭とは、家族の構成員が皆幸せであること又、そのためのつながりです。
- 子供 — 気の合う、ちょっとませた男の子が欲しい。
結婚 — 気が合えばとても若い結婚も悪くない。
家庭 — よく分からないが、洗濯はしたくない。
- 家庭は子供にとっては大切なものだと思います。
- 早く結婚したいです。子供はできれば男の子の双子がホシイ。両手で1人ずつ抱えて公園に行くのが一番の夢です。
- 結婚したいし、子供も欲しい。他人と、そしてこれからを含めた世界と深くつながっていくことは大事なことだと思う。家庭は笑いのある家庭にしたい。楽しいということはとても大事なことだと思います。
- 結婚したいって思える相手がいればいつでもいい。相手の職とか希望によるけど、家事は嫌いじゃないから主夫でもいいし。
- 結婚は奥が深い。子供はたくさんほしい。
- 両親が院生+新社会人の時期に結婚していて自分が今その年齢に近づいているので緊張です。ともすると自己中心的に考えがちなので、結婚についてみこころが成るよう祈り中です。
- 結婚は30才位でしたいです。円満な家庭がいい...。子供は2人欲しいです。赤ちゃん大好きなので、もっといっぱい欲しいけど、多いと大変そうで...。先生は5人のお子さんをお持ちですよね? 一番下の子が20才になるころ先生は一体おいくつですか? (60才)
- 2人姉妹なので、子供を産むなら3人兄弟がいい。
- 結婚すると好きなことができなくなってしまうような気がするのに世の中の人はどうして結婚するのでしょう?
↑というより、好きなことをするエネルギーがなくなってしまいそう。
- 数学を勉強すると真理みたいなものがわかるのですか。そういう経験がありますか。
(別に数学に真理なんてわかるわけない、という意味である反語ではありません。素朴な疑問としてです。)
- 授業と、自分で復習したときは理解していたつもりだったのに問題が全然どう解いたらいいのかわかりませんでした...。
- Function & Continuityのところがさっぱりわかりません。特にこのテストに出ているところなのですが、Quizの答えと一緒に説明をもう一度してください。
- よく(oftenの意)、解らないことがあるけれどあまりに静かなので自分だけが解っていないことをなかなか口に出せません。その上office hourに行けなかったりして(授業などで)解らないまま突っぱしります。少々ゆっくりせつめいしてください。
学生へのメッセージ
- 他のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- 今回は問題が難しく、メッセージも少なかったですね。ちょっと残念。次回、もう一度似たテストをしたいと思います。
- 最近「家庭」の大切さをいろいろと考えさせられています。暫く私が異常に忙しく、家族でゆっくり話す時間が持てなかったことも反映していると思います。一緒に住んでいながら、人生を共有できないとしたらとても残念ですね。みなさんとも30時間程度のおつき合いですが、ある人生を共に生きることができればと思っています。お互いに命の炎を燃やし合う、それもお互いの人生に関わり合う形で、生きることがこの世での大切な一ページかなと思います。その特別に濃い関係が家族ではないでしょうか。病めるときも健やかなるときも、機嫌のよいときも調子の悪いときも、あるときは傷つけ合い、あるときは感動を共有して、そのようななかで、子どもたちの成長を見守って行けたらと願っています。それが私の一番の楽しみかな。私が家内と言い争いをすることも子どもたちに取って大切な人生の一ページなのだろうと思っています。すこしずれた話しになってしまいました。
- この「家庭」が人によってとても異なります。その人の人生そのものであったりもするわけですから、その大きな部分が違う二人が「一心同体」になるのが「結婚」なわけですから、単に社会的単位として、夫婦や、家族を考えるのは非常に問題だと思います。結婚する前にたくさんの家庭をのぞくことができると良いですね。ICUの場合には、先生方の家を訪ねるのもとても良いことだと思います。我が家もいつでも Welcome ですよ。
QUIZ5 : 最近感激した本・映画・芸術・人・言葉など。
- Finishing off my Senior Thesis is on Nietzche, I see similarities of his philosophy and
Christianity in GENEALOGY OF MORALS even though he was adamantly against
Christianity.
- ロバート・キャパ賞の作品を集めた展覧会が最近印象に残りました。戦争、紛争という状況
をこれだけvividにとらえることのできた作品の陳列は圧倒的な迫力と沈黙の訴えを感ずること
ができました。
- 感激したというより感動したものですが、
(1)(本)ミラン・クンデラ著『不滅』。
(2)(映画)黒澤明監督作品全般。
(3)(芸術)1と2が芸術だと思います。最近美術館とかに行ってないので挙げられません。
(4)(人)尾上菊之助。
(5)(言葉)嘉納昌吉作『花』、竹内浩三『骨のうたう』
理由として、(1)ものすごく、深く何度呼んでも味わいがあり、新たな発見がある。読むたび
に新しい本として私の目の前にあらわれます。これは、私のおすすめする本の1つです。
(2)最近『乱』を見たのですが映像の美しさにびっくりしました。色彩感覚や光の使い方など。
今、『生きる』を見ている途中ですが、テーマが現代にも通じているものがあり、みごたえ十分
です。
(3)芸術とは何かわからないのですが、(1)と(2)が芸術だと思います。
(4)NHKの番組にゲストとして出演していたのですが、華がある役者だなーと思いました。
あまり年齢も違わないのに、物事への取り組み方など見習わなければと思いました。
(5)言葉にあげた『花』は歌の詞(歌詞)です。誰でも知っていると思うのですが、すばらし
いと思います。『骨のうたう』は詩です。第二次世界大戦中亡くなった方ですが、詩を読むと現
代にも通じるものがあり、感動しました。
(3)の芸術、書いてる途中に思いました。劇の坂手洋一脚本『ピカドンキムジナー』です。
忙しい日々を送っていると、日々感動したものが、すぐ忘れ去られてしまう(自分の中で)気が
しています。
- 『晩年の子供』山田詠美。
- まだ、全部読み終わってないのですが、“自閉症だった私へ”という本で、自らの過去、自
閉症で、まわりから理解してもらえず、虐待もされたり、他の人とどうつきあっていってよいか
わからない...といった中で、そのつらさにまけずに自分の世界をつくり懸命に生きていくようす
がかかれていて、私自身とは全くちがう生き方に、(自閉症のためそうしなくてはいけないので
すが)、おどろきを感じたり、また、彼女自身の強さを尊敬しながら、読みつづけています。
- 孫子の言葉「先に勝ちて、後に戦う」。
- 感動...竹中さんと佐藤さんの書いた“経済ってそうゆうことだったのか会議”。
- 「我を捨てて 汗と涙に道を問ひ 行き果ててなを 人に抱かれむ」
↑これは自分の価値観をとっぱらうということ。 ↑神でも誰でもよい
あるある人の言葉です。大好きです。
- 「バカボンド」(マンガ)
日々変わりない毎日を送っている自分にとって、この本は、野望、強さへの憧れをえがいたもの
で、“生”への執着ということを考えさせてくれた様な気がしたため。
- 赤川次郎「姫椿」。泣けます。表現きれいで。
- 感動した映画 レナードの朝。
実際に起こった病院内での奇跡を描いた物。しあわせって何なのかを考えました。もしみるとき
は必ずハンカチを用意したほうがいいと思います。必ず泣くので。レナード!
- 映画が好きでよく見ます。映画は、話の内容の他に映像や音響などにも感激できるのでいい
と思います。最近見た映画は音響がとても上手でボロボロ泣きました。
- ダンサー・イン・ザ・ダーク(映画)
- “神様は背負いきれない重荷はお与えになれない”
確かコリントの手紙にあった言葉です。言葉はあやふやですが、こんな内容のことが書いてあり
ました。ちょうどそれを読んだ時期が私にとってかなり精神的に辛い時期だったので、余計心に
残りました。
- Traffic(トラフィック)−[movie. U.S.A.]
カメラアングルと場面転換が絶妙でカッコよかった。自分もいつかメキシコに旅行してみたいと
思いました。
- アメリカンビューティー(映画)
コントラストを使って出演者達の存在を印象づけている。
バラが一貫して登場され、赤いドア、血の色等で赤色が強調されている。
日常的にタブーとされていることに焦点を当てている。
- 昨日誕生日だったのですが、寮の友達が私に内緒でパーティーの準備をしてくれていて、い
きなり祝ってもらった時にすごく感激しました。寮に入って良かったと感じました。
それと、この前東京学芸大学オーケストラのコンサートに行ってきたのですが、その時演奏され
ていた「ピアノ協奏曲第2番(byラフマニノフ)」がすごく良かったです。ピアノの音がきれい
で、オーケストラの特に管楽器が上手で聞きごたえがありました。CDではきいたことがあった
けど、やっぱり実際の演奏を生で見ながらきくと感動は倍増します。
- 最近黒澤明監督の「生きる」を見ていて、胃がんでもうすぐ死ぬ主人公の渡辺さんが、ひど
い仕うちをうけてもあきらめないで仕事を成しとげようとしていて、他の人に「なんで怒らない
んですか?」っていわれた時に、「僕には人を恨んでいる時間なんてないんだ。」って言ってたこ
と。
いつ死んでも後悔しないような生き方がしたいと思っている自分の生き方について考えさせら
れた。「私はそういう生き方をしているだろうか?」と。自分が生きることに一生懸命なのだっ
たら、人を恨んでいる暇などないのだと思う。
- Humのリトリート内での特別講演で聴いたカンツォーネ。イタリアの音楽だから歌詞がイ
タリア語で、何言ってるかは全然わかんないけど、すごく心に響いた。音楽っていいものであれ
ばジャンルとか国とか全然関係ないんだって改めて思った。
- テレビ番組ですが、NHKスペシャルのドキュメンタリー。タイトルは忘れましたが、内容
は、JCOの放射能もれ事故で被曝した大内さんの闘病記で、助からないとわかりつつも、献身
的に介護する人たちに感銘を受けました。
- 映画 パッチアダムス
医者の本来あるべき姿を見た気がした。綺麗事だけで終わらないところがよかった。
- 映画 「運動ぐつと赤い金魚」
ただ感動だけでなく、豊かさとは?優しさとは?思いやりとは?兄妹とは?etc.いろいろ考えさ
せられる。アラビア語に魅かれる。
- セクメに感動した。本当にポジティブで優しくて心がきれいな人がいるとは思わなかった。
- 埴谷雄高の本。
- 本 小説家を見つけたら
本を読みたくなった。
- 感激したというか考えたこと。
目のみえない人を被写体に写真をとったこと。撮った写真をどうやったら伝えることができるの
だろうか。視覚を他の感覚におきかえられないだろうか。
- “私の人生60年間戦いでした。”ハンセン病患者さん。感激というより、ちょっと衝撃で
した。
- コソボ小学校を描いたNHKスペシャル。セルビア系住民とアルバニア系住民と依然小競り
合いが続く中、以前のように遊べなくなってしまった違う民族の友達に、新年のカードを手渡し
に行った女の子。
- 分数を分けることからできなくなっていると気づきました。数字の列をみても何をいみして
いるのかことばで書かないとわからないです。こんなんで経済続けられるのかなと不安になりま
す...。数学ぎらいは小学校からはじまり、高1で数Iの途中でおわって、「やったー」と思った
のですが学問をするには数学が必要なのでつらいです。3年のブランクで公式もぬけきっていま
す。自学しようと思うのですが何からやれば経済に役立てるように成長できるのでしょうか?
アドバイスを下さい。
学生へのメッセージ
- 他のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- 最近忙しかったこともありますが、みなさんと共通のもので感激をしていないのは残念ですね。最近、映画も見ることがなくなりました。かつては良く見ていたのですが。感激ができることは、生き生きと生きている証拠だと思います。一つ一つの感激を大切にして行けると良いですね。
- 私は、最近その感激をあとでまた思い出すことができればとおもい、読書記録等を書くようになりました。まだ、始めてあまり立ちませんし、落ち着いて読んだ本も最近はほとんどないので、少し残念ですが、ホームページ上の本の欄に載せていますので、興味のある方は覗いて見て下さい。じっくりと本が読めた時に、感想を書いておいたら良かったと思います。皆さんにもおすすめします。私は、4歳4ヶ月から日記をつけていますが、一番大切であるはずの中学2年から結婚の少し前まで抜けてしまっています。その頃の心の記録がいとおしく感じられるのは、大分後になってからだと言う皮肉ですね。1983年からは聖書を読んだ感想に付け加えて日記的なものを書いています。子どもの頃のは、両親が製本をしてくれていますので、大切な宝になっています。
QUIZ6 : 自分が {女性、男性} に生まれて......。 同性について、異性について。
- My theory at the present, man and woman are unequal. But it was not so from the beginning. When GOD created man and woman, he created them as equals. Unequality, the male being over the female, came as a result of sin (Genesis 3). In one sense though, we are all equals. We are all sinners in need for redemption through Christ that is if Christianity is truth.
Answer to your previous question:
I said before that I wanted to have faith in GOD and to be able to pass this faith to generations to come. You asked me, How would do this?
My answer : Matthew 28:18-20.
- 数学のテストをやった残りの片手間の時間で考えるにはちと重いテーマなのですが...。よく男性からみれば「女性は永遠の謎」などと言われていますがそれは言いすぎだと思います。ICUという環境にいるからなんでしょうがそんな言葉が出てくるのは結局互いの理解が足りないことに起因していると思うようになりました。僕はそのような言葉を吐くようにはなりたくないと思いますね。
- 自分が女性に生まれて嫌だなと思う、というよりも男性の方がいいなと特に思うのは、冒険的というか危険性があることをするときと、男性と一緒にスポーツをするとき。私は長期休みのときに一人旅に出たりするのだが、周囲の人は心配したり、反対したりする。他の人の話を聞いても、こういうこと
- そんなの関係(性差)ないと思いたい。
- 自分は男性ですが、今の時代は男女平等といいはしますが男性に負担がかかることが多いので大変だと思います。
- 近頃、私は三島由紀夫の本にハマっています。彼の本には(少なくとも私の目には)男らしさ、女らしさというものを強調している気がします。私は、そういう描写が嫌いではありません。最近はunisexという言葉に代表されるように、一見してただよう男女差というものが無くなってきていると思います。でも、本来、生まれもったgenderなのだから、“らしさ”というものはもう少し意識してもいいのではないかと最近は思います。(もちろん男尊女卑とかいった差別的概念には反対です。)
- 男に生まれたかった...。女は何かと「女の子一人で危ない」と言われ、行動しづらい。
- 男に生まれていろいろ損をした。
- 女に生まれて子供を産んでみれるのがとりあえず楽しみです。今度は男にも生まれてみたい。
- 性(生物学的な)など大して重要でない、と宣言したいが、やっぱりできない。一生背負っていかねばならないもの。
- 自分が女性に生まれてよかったと思います。子供を産めるし。けど男の子になってみたいこともあります。男の子ファッションをしたり、スポーツしたり、けんしたり...。けど自分はけんかが得意じゃないし、けんかを避ける方法で今まで物事を対処してきてしまったので、男の子には向いてないかもしれません。男らしさに欠けてしまいますね。でも周りの友達からは男気があると言われます。仕事をする上では男の人がうらやましいです。本当に。私もお嫁さんがほしい...。
同性と異性...。あまり意識しません。した方がよいのでしょうが、同性でも異性でも人として尊敬できる人が好きです。同性といて楽しい時と異性といて楽しい時の両方があって、どっちかが欠けてしまってもだめだと思います。自分は長い間女子校に行っていたせいもあって、子供は共学の学校に入れたいです。
- 自分は男に生まれて、よかったと思う。もし女に生まれていても、それはそれでよかったと思う。どっちが良いのかという議論は不毛だ。その理由は、それぞれ男女固有の特徴があり、良し悪しでは考えることができないのだ。
- 自分は男であるが、女性の方がお得な感じがする。レストランなどではレディースプランなるものがあり、男性にはない。他のところでは女性は無料だとか半額だとかがあり、これはお得な感じがする。ICUの先生方の中で、女子生徒に甘い男性教師というのは耳にしたことがあるが、男子生徒に甘い女性教師という話は耳にしたことがない。これらは差別まではいかず区別であると思うが、男としてはちょっとばかり悲しい気がする。
- いろいろ不便なので男性だったらよかったなあと。
- 女性に生まれて損だと感じることが多いです。親は“女の子”なんだから...と心配します。夜遅く帰ってはいけないし、一人ぐらしはきけんだし...、それがすべて否定できないのもまたくやしいです。たしかにちかんは出るし女のひとりぐらしでパンツほしてたらとられるし...。男の子はパンツほしててもとられないのはいいなと思う。バイトも力がいる系は男で、自給がいい。たしかに力がある。くやしいですねぇ。
でも女に生まれて1つよっしゃ!と思うのは、にんしんできることです。自分の1細胞を自分の中で育てることができる! しかも愛する人との(だったら良いのですが...)命をやどすことができる。これはとても幸福なことだと思います。
- 私は女ですが、女性に生まれて良かったと心から思ったこともなければ、男性に生まれたかったと思ったこともありません。今のところは女性であるからといって差別された経験もないので、まあ女性で良かったかなとも思いますが、世の中にはまだまだ女性を差別的に扱う場面も多くあると聞くので、自分がそれを体験したら、男に生まれれば良かったと考えるかもしれません。
あ、女性に生まれて良かったことありました。それは、子供を産む能力を持っていること。この能力のために差別を受けることも多々あるだろうと思いますが(仕事上では特に)、誰が何と言おうとこれは女性だけの能力、権利だと思います。
- 女性でよかった。運動のできないインドア派の男の子になるところだったので。同性の友達こそ、自分のためになる。
ところで、Quizの出来が悪くてすみません。Finalまでには究めます。
- 私は女性に生まれて嬉しいです。理由はよくわからないけれども。(多分おしゃれができるから...とか、理由はあまり深いものではないと思いますが...。)
- 男に生まれたが、男で良かった。しかし、だからといって女だったら嫌だという訳でもない。男も女も好きだけど、男と話したり遊んだりする時が1番楽しい。
- 同性でも異性でも友達は大切です。
- 自分は男に生まれて良かったなとは思うけど、今の世の中は男に厳しい世の中かもしれない。
- あんまり深く考えたことはありません。ただ女性に生まれて良かったなーと(別に具体的な利点?を挙げることもできないけれど)思っています。
たまに異性の考えることは分からない、と言う人がいたり、実際私もそう考えたこともあったけど、今では同性or異性に関らず、他人を理解するということが難しいことなんだと思うようになりました。私はまだ経験がないけれど、これからの人生で性の違いで冷遇又は厚遇されることがあれば、またその時は違う視点が生まれてくるんじゃないでしょうか??
- 男に生まれてよかった。女より、ずっと身軽な気がするから。
- 今の自分の人間関係は、私が女性だからこそ築くことができたものだと思います。女友達も男友達もみんな大好きだから、女に生まれてよかったです。
あと、私は小さい頃からピアノをしていますが、4才から始めたので親に習わさせられたと言ってもいいと思います。私がもし男の子だったら、親はピアノを習わせようと思わなかったかもしれないし、もしかしたら途中でやめて野球とかをしていたかもしれません。別に野球がだめとかそういうわけじゃないけど、私にとってピアノはかけがえのないもので、私が音楽に触れた最初のきっかけなので、これも女性に生まれたおかげなのかも、と思います。
- 中学生の時は女の子だと不良に誘われなくていいな、と思ってた。今はもう不良に誘われることもないが、女性であることは好きだ。女性の方が損をすることが多いと言われるが、優位な立場にいるより、不利な立場で努力することの方が好き(多分)だと思うので。でもきっと男性だったら男性で「男でよかった」と思っていると思う。基本的に自分であることが好きなので。でも女の子っぽいこと(グループになったりとか、トイレにいっしょに行ったりだとか)、そういうものはずっとあんまり好きではない。仕度も素早いし。同性とか異性とかいう垣根についてはあまり考えない。
- 女に生まれてたらどーゆー人生送ってるのかなって少しだけ思う。
- どっちが得かとかは考えないようにしています。多分大して差はないと思います。
- 全ての異性を異性として見てるとつかれるので、問題が生じない程度に同性と同じように見ている。
- 私は今までずっと女の子としてたのしく生きてきたし、とくに男の子だったらよかったこととか思ったことはなかったけれど、ごく最近、ほんとに大学に入ってから、将来のこととか学問のこととかを考えるとき、男性だったらなあと思うことがよくあります。別に女性であることに不満はないし、女性ゆえのメリットというか自由もたくさんあるし、生まれかわっても女性がいいとは思うけど、今の社会で、“もし自分が男性だったらどういうせんたくをするか”ということを考えると、たぶんそれは性別と関係なく自分の意志の面もすごくあるけど、それでもやっぱりちょっと考え深いものがあります。先日、ある教授に授業後質問にいったとき、「まあ君みたいな若い女の子にはわからないかなあ」みたいなことをいわれて、悔しかったです。そりゃあ事実でしょうけど。自分も含め、男性も女性も、考えのおくふかくにしっかりくみこまれている男性女性の定義のようなものに、みんなが不自由というか、不自然をどこかで強いられているような気がします。私も女であることに甘えているところ、きっとたくさんあるけれど...。
- 女性に生まれて、せっかくだから、早く子供を生みたい。同性(女性)のほうが華やかでかわいらしくて好きです。
- 子供を産めると考えると女性に生まれてきたことを幸せに感じられるけれど、女性だけでは子孫を残すことはできないので男性に生まれてきても、良かったと感じられていたいと思います。体外受精の話がでてくるとまた別です(あまり考えたくない)。同様に、男尊女卑、女尊男卑のような話になると自分の利害で頭がいっぱいになってしまうと思います。
- 私は私立の小学校を出た後、中高は女子校に通っていたので、大学に入ってしばらくの間はどうしていいのかわかりませんでした(笑)。でも、最近は話し易いということもあり、男友達と話していることが多くなりました。女の子は...何とも思いませんが、女子校でさんざん女同士の嫌な人間関係を見てきたので(笑)、女だけの集団はもういいやという感じです。
- 時々、男性に生まれなくて良かったと思うこともあるけど、女性は男性よりリスクが多いと思う。
- 男性のさっぱりした人間関係(それも偏った見方ではあるけれど)が好きなので、うまれかわったら男性になりたいと思ったこともあったけど、今は女性の性をそのままうけいれている。性によって性格の傾向はあるかもしれない。しかし傾向は傾向でしかない。良かったとか悪かったとか、そういった判断をできることではないと感じている。
- はたして、社会的な扱いの他に、女性と男性のもともとの違いはあるのだろうか? 男性の方が力があるから、昔は男性に生まれたかったと思っていたが、今では、女性も悪くない、と思うことがある。
- 幼い頃はずっと自分が男であったら良いと思っていました。男の子のマンガや遊び方が好きで、幸い両親はさほど女の子らしくとは言いませんでしたが、実際女の子からは白い目でみられ、男の子からは女のくせにといわれます。男の子と同等の技術やエネルギーを持っていると認めてもらえるまで、どれだけ時間を費したでしょうか。男の子の仲間、友達という感覚が好きです。現在、女として生きていることに、さして嫌気はさしていません。まだ、だらしなく、子供の男と女が一つの身体に同居しているような感じではありますが。理想としては自分の中の男気が魅力的だと感じるような女性になりたいと思っています。私は泣けば許してもらえるような、女の子どもが嫌いでした。女は弱い、かっこうが悪いというのは、私自身が社会の概念に縛られていたのだと、今は思います。だから今は女として生きるのも悪くはないと思います。
学生へのメッセージ
- 他のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- メッセージどうもありがとう。ある本に「親は二人目の子どもを持つまでは環境論者でいられるが、二人目の子どもができると遺伝論者となる、と行動遺伝学者は言う。」とありました。これは性差について述べたものではありませんが、子供を持って、子供の関わる世界を見ていると、性差は無視することができないと思います。我が家の子供男の子3人と女の子2人とても違います。でも同時に、男の子3人もとても個性豊かですし、女の子2人も同じ親から生まれたか心配になるほど違います。性差には「身体的なもの」「社会的なもの」そしてそれらと関係して「統計的差異」の問題がありますね。男女平等がある程度皆が受け入れられるものとして提示されている社会においては「性差」はなるべく強調しないようになっていると思います。過去に違いを優劣や、社会的役割の差に置き換えて来たことから変わって行かないと行けないというときには当然でしょう。しかし、違いを違いとして認めることは、わたしは何も悪いことではない、かえって相手を大切なものとすることができると思います。社会的な差別は今でも非常に大きいと私も感じています。個人的違いそれが性差においてある統計的差異を生み出している場合、特に気をつけないといけませんね。たとえ統計的差異があったとしても、個々のケースはまた別で一人一人の個人の尊厳をまず大切することが基本ですから。お互いをお互いにとってかけがいのない存在として受け入れ合うような関係が様々な人との間でもてるとすばらしいと思います。
QUIZ7 : 国際人(World Citizen)とは。ICU の「国際性」について。 この授業への要望、その他何でも。
- ICUの国際性はよくわかりません。国際的といっても日本の事をおろそかにしすぎではないでしょうか。グローバル化で国の結び付きが弱くなり、国家という概念が通用しなくなっています。しかし、歴史的に国家という枠組の中で生きてそれらを知らずに本当の国際性を持てるのか疑問です。国際化の中でこそ、私たちが生きてきた風土、文化の過去を知ることは必要ではないでしょうか。そうしなければ、国際性は本当に身につかないように思います。これは、国家主義という概念でなく、昔の人達がどのように考えてきたかを知ることによって、私達の現在をも知るということが可能ではないかと思うからです。近代以前は全ての人が国際人であったような気がします。現代になり、それが昔と違う方法で全ての人が国際人になっていくのではないでしょうか。
今日の朝日新聞でヨーロッパからの留学生が、“私よりヨーロッパ中世のことがくわしく(専門的知識の事だと思いますが)、日本の近代について知らない学生がいる”ということを話していました。これは、歴史教科書にからめた対談のようなものだったので参考(きちんとした)にならないと思うのですが、システムの中で生きる人間にとって、そのシステムを知らず、他のシステムを知るということはおそろしいことではないかと思います。知らない間に動かされていること程、こわい事はありません。
私は、他の文化やシステムを知る事はすばらしいと思います。私もいろいろ知りたいです。しかし、それが他文化至上主義のようなものにはダメだと思いますし、自分達のシステムを知り、それだけしか信じないような考えもダメだと思います。両方のバランスが非常に重要ではないでしょうか。
ここで、ICUの国際性を考えると、片側だけによりすぎてはいないかと思います。
- 国際人であることの必須条件は、自国のことをきちんと理解していることだと思う。自国のことを話せて、他国についても語れるようになるのであろう。次に、英語を初めとするコミュニケーション能力や広い支店が表れると思う。
確かにICUは国際人としてのtoolを与えてくれると思うが、もう少し、日本的なものもとり入れるべきだと思う。ICU生の中には、ICUにいるだけで国際人と思っている人が少なからずいると思い、この点はICU全体を通して、もう一度考えるべきだと思う。
- 国際人とは、国際的に(international)かつやくしている人。
- 何かの雑誌のランキングでICUは国際性No1でした。その理由にほとんどの授業が英語で行われ、会話の中にも英語がまざるからとのことです。どこまであたってるのでしょうか。
- 物の見方が一つの国の価値観に偏っていない人が国際人ぽく感じます。
- 私は、自分が日本人だという意識が強いので、国際人として日本の良いところをアピールできるような人になりたいと思います。でもICUでは、日本だとかアメリカだとか、そういう国がどうこうというこだわりは別にないよ、という人がけっこう多いように思います。それはそれでいいんじゃないかな、とも思います。(変にAmericanizeされるのも困りますが)
- 国際人とは何か? 語学をしゃべれる人? 色々な国に行ったことがある人? 私はそうは思わない。世界には様々な文化がある。それらの文化、つまり自分の文化とは異なる世界に入った時に、自らの文化を捨てるわけではなく、自らの文化を持ちつつも、他の文化に対応する事ができる人こそが国際人なのではないだろうか。言語なんて、誰でも勉強すればできるようになる。金があれば色々な国にだって行く事ができる。そんな誰でもできる様な事をやっている人を国際人と呼ぶのではなく、「自分」というものをしっかりと持ち、「他人」をしっかりと認める事ができる人こそが国際人であり、これからの国際社会で生きていくのには、必要不可欠な能力ではないだろうか。
- 国際人とは世界単位で物事を考える人。別に日本にずっといてもいいが、世界が1つになっていることを考えられる人。
- 国際人とは、母国語以外の言葉も話すことができるという要素は一切含まず、自分の国以外の国について、その土地の文化や生活様式に触れ、それを理解している者のことであると思う。
- おとなりのクラスの、英語で中国語を習うのなんて、ICUっぽいと思います。経済と経営において大切な用語は英語だったし、先生はそれをまぜて話される。ことばの面だけをとればICUは国際的だといえるかもしれない。けれど、その“国際”って英語圏のことしか示せていないような疑問が残ります。
- 自国に対する愛着と誇りを持つと同時に他国の固有の文化、特質を尊重し、積極的にコミュニケーションをとれる人のことを「国際人」というと思う。
- 国際人とは、頭がやわらかいことが条件。
- ICUは日本にあるけど日本の文化とは全く違うと思う。
- 授業中の私語(GE)があるのに少しおどろいている。私の高校では一切私語はなかった。それは別に指導があるわけでもなく、ただそうなっていた。それが当然と思っていたから私語をする人に対しておどろいている。
- 国際人とは国家を越えて地球人という認識をもつことであると思う。また同時に自分の国、地域の特色を知っていることも必要であると思う。国際人として日本の生活と世界の人々の生活との関わりや日本が世界におよぼしている影響について知りたいです。
- 国際人とは世界各国で色々な仕事やしゅみなどを成し遂げてる人のことを言うと思います。
- 自分の国と自分のことをよく理解している事だと思います。そのためにはcritical thinkingが大事だと思います。ICUはそういう点で国際性があるのではないだろうか。
- 国際人とは、究極のidentityの持ち主です。国連職員になると、半ば国籍を剥奪されたも同然です。では彼らは一体何のために働くのか。見えない祖国と、目の前の地獄のような国に。人生をそんなところにかけれる人々に、私もなりたいです。
- <国際人> 自分の国だけで活動するのではなく、自分の国と他の国、あるいは他の国とまた別の他の国との間で働く人。
<ICU> 国際社会で広く使われている英語を学ぶことはICUの「国際性」の一つだと思います。留学生が少ないというのは意外に「国際性」が少ないなと思います。
- 国際人とは、国という枠にとらわれない人だと思う。ICUは他大よりもnon-Japaneseの先生や学生、海外経験のある人が多いから、うまく利用すれば「国際性」を身につけられる環境だと思う。
- 国際人とは他人のことを理解しようとし努力し自分のことを伝えようと努力し、そして共に歩んでいこうとする人だと思う。ICUの多くの人がそういう意味で国際的であるとはいえないし、国際化=アメリカ化みたいなとらえ方をしている部分が多いように思う。
- 確か司馬遼太郎さんの言葉に「和魂洋才」というのがあったと思います。なんか古めかしい感じがしますが、意味は、和の精神を基盤として、洋の物を理解し、受け入れるといった感じのことで、自分の中の国際人のイメージもこれに近い感じです。やはり「国際人」といっても、ある程度自国の事を考えていないと結局、他の国のことも理解できないような気がします。
- 国際人とは、世界の文化を偏見なく理解し、合わせることができ、さらに自国のことをとてもよく知っている人である。ICUでは確かに、「世界語」である英語教育の面では充実しているが、他文化適合など、そういったものが不足している。
- 人間的に魅力のある、心が他人に対してひらかれた自由と責任を持つ人をWorld Citizenであるというのだと思う。そう考えると、ICUはけっこう国際性のある(魅力的な人多い。)もあるし、まだまだな面もやっぱりあると思います。最近私はInternational Christian UniversityにいるというよりIsolated Crazy Utopiaにいる気がしてならない...。
- 国際人とは自分の国と同じように他の国も大切にできる人。
- 国際人とは、国際人だ!と意識してない奴。
- ELPをやってるからといって英語をぺらぺらに話せるようにならないのと同じく、ICUに入ったからといって国際性は身につかない。しかしそれを受身的に求めて入学する学生は多いのだと思う。
- OYRと交流する機会がない。
学生へのメッセージ
- 他のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- 皆さん、国際人、ICUの国際性については考えたことがあるようで、一人一人おもみのある考えを書いて下さいましたね。感謝します。ICUの国際性について正直に言うと私もいろいろと危機に感じている部分があります。しかし、それでもなおかつ、皆さんには積極的にICUの「I」を体験して頂きたいと思います。私も海外に住んだことがありますが、海外に住んでいても、最近はほとんど日本人社会で生活してしまうことも良くあるようです。それで生きて行ければそれの方が楽ですから。違った背景の人とおつき合いするのは面倒なことです。ですから避けて通れば、べつにICUだけでなく外国に住んでいても違った背景の人とほとんど心を通わさずに生きることができるのです。しかし、その面倒なことに積極的に挑戦することによって、人間というものに普遍的なものを到達することができるのだと思っています。私のホームページの信仰のところにもそんなことを書いたものもあります。面倒なことに挑戦する意志がありますか。
- 私も詳しいわけではありませんが、タイワークキャンプ、国際カフェなどは良いと思います。どちらも宗務部主催ですが、前者は人生へのチャレンジ、後者は気軽な出会い。夏には日本語のサマースクールがあり、Conversation Partner というものを求めています。JLP のオフィスに尋ねてください。食堂などで OYR の輪に入って行くことも良いと思いますよ。めんどくささを厭わずに。
QUIZ8 : 聖書をインクリ(キリスト教概論)以外で読んだことがありますか。キリスト教の印象。ICU の「C」について。
- 聖書は読んだことはありません。キリスト教系の高校に行っていたわけでもなく、家も仏教なので聖書が身近にありませんでした。ICUに入った時、インクリでちょっと真剣に聖書を読みました。あまり、これといった印象はありません。ただ、ICUに入った事で、C−Weekや教会がとなりにあるetc.、キリスト教を目にする事は多くなりました。しかし、キリスト教に対してのスタンスは以前と変わることはないと思います。逆に、仏教のほうに興味を持つようになりました。
- 授業でヒンドゥー教を学びました。インドがイギリスの植民地支配下におかれていたとき、キリスト教がヒンドゥー教を拒絶しながら伝道していったことについて、うまくいえないのですが悲しみを覚えました。新たなキリスト教の一面です。
- あります。幼稚園は教会付属でした。また、中学・高校もキリスト教主義の学校でした。→毎日礼拝がありました。キリスト教は嫌いではないけれども、信仰しようと思ったことはありません。聖書はおはなしとして読むのはおもしろいこともあります。
- キリスト教、意外とおもしろかった。人間は不完全なんだと思った。
- Sophomoreになるが、インクリもまだとっておらず、聖書に触れたことが全くない。よくホテルとかに置いてあるような気もするが。ICUの中の「C」というのは、チャペルがある、というくらいで、キリスト教をモットーとしている大学にいる気はしない。
- 今まで宗教にあまり興味がなかったから、聖書をちゃんと読んだことはない。キリスト教の印象...というと世界史で学んできたことぐらいしか知らない。ICUのCはChristianだが、実際にキリスト教の信仰を強要されるわけでもなく、礼拝も自主参加だから、あまりChristian Universityという感じはしない。むしろ、ICU生がよく言うCrazy Universityの方があてはまってる気がする。変わった人が多いから。
- カトリック幼稚園にて。魚が増えるのとか、モーセが海を渡るところとか好き。
- 聖書はあまり読んだことはありません。
- あります。高校時代は殆ど教会にも行かない信者でした...。でも、そんな時でも、やっぱり生活の中で意識することはないけれど自然にあるものがキリスト教でした。ICUでは私の今までの人生の中で(教会以外で)自然に信者であることを受け入れてくれる環境です。私にとってはとても居心地の良い雰囲気ですが、ICUの大学教育の中でいわゆるChristianityを感じることはあまりありません。教育に宗教をどう結びつけるのか、またはそれは果たしていいことなのか、というのは難しい問題だと思います。でもICUを選んだ1つにこの“C”であった私には少し残念、というのが正直な感想です。キリスト教は私にとっての支えであり、またいつも自然と側にあるものです。
- まだインクリをとったこともないし、キリスト教を学んだこともありません。思想そのものもそうだけどキリスト教が社会に与えた影響にもきょうみがああります。
- 家にあるのをパラパラと。聖書を読むとキリスト教というものがよく分からなくなる。異教徒とかそういうものを認めているのか、とか。ICUにとってクリスチャンの人にとってもキリスト教であるということがどういうことなのかが知りたい。クリスチャンであることとないこととはどう違うのかとか。
- ないです。
- ありません。インクリはすごくよかったし、この世界で生きてく以上、キリスト教をはじめ宗教について学ぶことはすごく大切なことだと思う。インクリがあってよかったと思います。が、私はここに来たいと決めて親に説得するとき、いろいろ教育内容のすばらしさとか語って説得し、それは納得してもらえたけど、最後まで、学校名に「キリスト教」と入っていることが、親にとって、また私にとっても、ネックになっていたと思われます。友人、親戚etc.、みんなに学校名をいうと、「えっ? キリスト教?!」っていう感じであまりいい反応はかえってこないところをみると、やっぱり日本人にとっての、いわゆるキリスト教に代表される「宗教」観というのは、何というか、タブーとでもいいましょうか、日本がこれからもっともっとグローバル化していくなかで、ちょっと深くかんがえていみたい問題だと思います。
- 英語の勉強によもうと思って1章のほんのちょっと読んでやめた。キリスト教は十字架?
- 高校がキリスト教だったので、少々よんだことはあります。キリスト教の印象は、とても慈悲深いようで、実は心が狭いところもあるなあ...。信じないと天国にいけないところとか。
- ありません。嘘? 自分の中では、余り意味をもたない。
- 教訓になるものと、理解できないものとがある。高校で読んだ。
- 読んだ事ある。何だかんだいってメシアを求めてる気がする。
- ICU High schoolの時のキリスト教概論の授業中、Assignmentのためによんだことがあるのみ。Positiveだと思う。罪を神にゆるしてもらうという思考の転換だけで救われたと感じるのならば。しかしそんなに理解していないのでよくわからない。
学生へのメッセージ
- 他のメッセージ欄にも似たトピックがありますから、御覧ください。
- 時間があまりなかったようで書いて下さった方が少なかったですね。残念。聖書は是非読んで欲しいですね。聖書の中の「イエス」がどういう人かをまず見極めて欲しいと思います。聖書の人間理解はとても深いと思いますよ。キリスト教のして来たことは、昔もそして今も悲しいことが多いですね。権力をもった人間はなぜこうもみにくくなってしまうのでしょう。人間はなぜこれほどまでに弱いのでしょう。例えばアメリカ大統領のブッシュさん。政治家としての評価はまだこれからでしょうが、個人的にはかなり熱心なほうのクリスチャンのようですね。若者と話し込んで、伝道をする光景が時々報道されます。しかし同時にアメリカと言う力を背景に世界の中ではすでに様々な問題が指摘されています。対北朝鮮などに対する対応、地雷や、二酸化炭素排出規制の問題、迎撃ミサイルなどによる軍事支配、保守的なアメリカを支えるのは熱心なクリスチャンが多いことを思うと、クリスチャンに弁解の余地がないように思えます。アメリカインディアンの問題、黒人の奴隷制度でアフリカの空洞化、ベトナム戦争などアメリカの問題だけをとっても歴史上で重大な問題ばかり、そしてそれを支えてきたのがキリスト教です。同時にICUに目を向けると、キリスト教が全く感じられない方が多いようですが、それでも、キリスト教信仰なしにこの大学は設立されませんでしたし、現在、それなりに評価されている教育のシステム、そしてそれを実際に動かしている人、ここにおいてはキリスト教抜きには考えられないと思っています。「神以外のなにものをも絶対としない」という精神が強く流れていることは事実だと思います。実行は難しいですが。私は、この大学が教授会メンバーは原則的にクリスチャンと条件を課しているゆえに、応募してこの大学に移って来ました。国際主義、キリスト教主義の大学を建て上げようというこの大学の建学の志に賛同したからです。ここで何をするべきか、何を神様は私に求めておられるかを毎日考えて生きています。高慢にならないよう自らを顧みながら。皆さんからのメッセージ待っています。