Last Update : September 2, 2003
BCMM I
数学通論 I
2003年度:通信欄メッセージ :
- この授業に期待すること。要望。自分にとって数学とは。
- 日常生活において、論理的とはどういうことでしょうか。どういう場合に論理的なことが大切でしょうか。
- 数学における論理思考を日常における種々の問題の考察、議論に適用する時にもっとも注意すべきことは何でしょうか。そのほか、何でもどうぞ。
- 中学・高等学校などで、数学がきらいまたはとても苦手だと思っている生徒が多いようですが、原因は何でしょうか。改善方法はありますか。
- 理学科生以外に対する ICU における数学(または自然科学)はどのような内容をどの程度提供し、どの程度課すのが良いでしょうか。現在は必修は自然科学系一般教育科目として最低6単位。
- (a) 論理と集合について。(b) ここまでのこの授業について。
- ICU を選んだ理由は何ですか。ICU 理学科のより魅力的にするにはどうしたら良いでしょうか。
- 最近感激または感動したこと・本・映画、などなど。
- (1) この授業について。特に改善点について。
(2) ICU の教育一般について。特に改善点について。
この欄は QUIZ(小テスト)等における通信欄での受講学生とのやりとりを記録したものです。返事を書いて翌週に返却していますが、わたしからのメッセージの一部をまとめたものも掲載することとしました。個人情報については注意して運用していくつもりですが、何か問題がありましたら、鈴木寛 hsuzuki@icu.ac.jp まで御一報下さい。
QUIZ1 : この授業に期待すること。要望。自分にとって数学とは。
- 要望:丁寧な(わかりやすい)解説。
数学:できるようになりたいもの No.1。考えると頭の中に秩序ができてくる(ような気がする)。でもわからないー。
- この授業に期待すること......。非常に難しい質問ですが、特に何も期待してはいません。経済学専攻で、「数学というものが必要らしい」と聞き、「数学専攻にはどのような授業があるのだろうか」と思い、調べた結果、数学の魅力的な「何か」に触れ、数学が好きになりました。例えば人を好きになることとおなじく、きっかけはあったと思うが、それが何かははっきりしていない。今ではよく思い出せないという状態で好きだと思いつつ、対象を見ていると、どんどん好きになっていく。今、思い出せる数学を好きにならしめた「何か」はその「積み上げ方」だと思う。巨大な建築物をつくっていくように、土台からカッチリ積み上げていく。そんな、純粋さ、美しさにはまりました。線形代数 I をとったときはそれほど楽しいものには感じませんでしたが、去年夏の数学合宿に参加した頃から、面白いと思いはじめました。BCMM II, III ととっていくうちに、自分が感じた数学のすばらしさは間違いなかったと知り、BCMM I、代数、解析、幾何もとろうと思いました。特に何も期待しないと書きましたが、大きくみて、数学自体に期待することは「楽しむこと」「論理的になるトレーニング」「未知なる世界を知ること」です。2番目に書いたものはなかなか効果がでています。専攻の経済学に関して自分の中ですっきりと体系付けることができかけてきました。この BCMM I はその点で特に良いものかもしれないと思っていないこともないです。
- 就職活動の合間ですが、できるだけ授業に参加したいです。何とぞよろしく。
自分にとってすうがくとは?楽しいもの、理由はよく分かりませんけれど。「知らないと気が済まない」という感じです。
- ボゴシャン先生の講義とコンフリクトしてしまったので、レジはキャンセルしましたが、実際の時間は変更していただけそうなので、参加させていただきたいと思います。
- 数学とは、ものごとを抽象化し、構造化して、容量が限られている頭脳への効率がよく格納するための手段。
- 1年近く数学から遠ざかり、転科したものの、やはりわからないとくやしい、損をしている気がする。「これが分かるともっと楽しい。」と思う(思える)のが数学。もちろん、自分の努力次第ではありますが……。
- これからよろしくお願いします!!
- 高度な論理
- 物理専攻の3年ですが、集合論に興味があるので、基本的な概念だけでも、理解したいです。専門に役立てられればうれしいですが、関係なくても、それはそれでいいかなと思っています。
- ヒューマニとランゲの学科間専攻です。論理学に興味があります。公理系を考えていく上で、是非ともゲーデルの不完全性定理について学びたいです。
- 上の問題はよくわかりませんでした。
- 数学は”物理”がどんなものであるかを万人が認められるように記述することのできる偉大な tools だと思っています。
- 数学のつらさではなく、楽しさを知りたい。また実感したい。
- とても楽しく、刺激になります。物理専攻なので、(自分にとっては)数学は道具という面が今まで多かったのですが、本当の面白さに少しは近付くことができそうです。
- (1) の理由とは右辺 ≡左辺となる理由を書けばいいのですか? 論理的に数学をするのは大変です。いつも感覚でやっていたものだから…。自分と数学は正反対の存在でしょう。(negation of 自分)みたいなものです。
- 証明が苦手なので、論証力をきたえたい。
- この授業で数学が好きになるといいです。
- まだ、授業が始まったばかりで、具体的に何を期待するとはいえませんが、ある事柄に関する様々なものの考え方や、その証明である定理が正しいといえる理由についてできる限り詳しく話して欲しいです。
私にとって数学とは、物事を考えたりする際に、過不足なく筋道立てて実行していくための練習。人文科学系のことしかできなくなるのを避けるため。単にすき。パズルの一種。未だによくわからない微積分の考え方を知るために勉強する。などなどいろいろあります。表現したいことはたくさんあるのですが、うまく言葉が出てこないのであと一つだけ。十分な根拠はない持論ですが。なにかあることを勉強する際に、その分野だけでなく、多少なりとも、全く異なる分野を学ぶことで、もともと勉強していた分野が大いに理解できたり、全く新しい視点から考えることができるようになると思っています。私の場合、そのような異質のものとして、数学を位置づけているのかも知れません。受験用の、過程や考え方を無視して解法や公式を丸暗記するだけの数学は論外ですが、1つ1つ数学の公式の基になった考え方を勉強したり、疑問をもつことはどのうよな分野の事にでも応用のきく考える力がつくと思います。
- BCMM 面白いです! 解けると満足感と challenging な問題が同時に得られるような授業だと最高です(笑)。よろしくお願いします。
- 単なる計算とは違う数学の面白さを楽しめたr良い。自分にとって、数学はやればやるほど自信をなくさせるもの。しかし、時として、自分を夢中にさせる。
- 数学的な厳密さおよび思考法を少しでもマスターしたいです。要望は今のところ特にないので、気付いた時に書きます。数学とは、自分にとってしばしば難攻不落の城であり、コミュニケーションの道具として(理解が伝わる)言語のようなものであり、だんだんと興奮が高まっていく過程が結構音楽に似ていると思います。
- 授業が 12:50 に終わるようになったので、Due 提出時間を昼一時を1時20分ぐらいまでのばして下さい。
自分にとって数学とは、第二外国語。
- この記号論理は、ウィトゲンシュタインの論理哲学論にも登場したりして、数学以外にも、関連があって面白そうです。私は、心理学専攻なので、直接数学を利用する機会は少ないのですが、数学自体嫌いではないし、数学の問題を目の前にしてうんうん唸ってみるのも良いかなと思っていたりします。毎回 Quiz やるのは、忙しくなって大変そう…。知識を定着させるためには良いけれど……。
- わかりやすい授業を……。数学はきりたいのに、きれないものです。
- いままでにない数学のおもしろさを期待。
学生へのメッセージ
- たくさんのメッセージをありがとう。このクラスに登録した理由は様々でしょう。このクラスは大体「専門の数学の第一歩」です。その最初は論理そして集合へと進みます。上のコメントにありますが、数学は基礎をしっかりとかためてそこから進めていきます。揺るぎない土台です。完璧にするためには、まずかなりの数学的論理訓練がひつようなので、完璧は目指しませんが、しっかりとした基礎という部分は十分理解していただけるだけのことをしたいと思っています。いままで当然のこととして使っていたことを証明することになります。その証明には、前提がありますが、最後にいきつくところは、論理とそれぞれの数学の対象における定義です。一回目は、数学での論理として、命題、結合命題、論理関数、真理値などが出てきました。このつぎに集合について学びますが、そこで新しく加わる定義以外は、すべてこの論理にもどって証明することが基本です。論理演算を最初は記号論理で、だんだんなれてきて、それが頭の中でしっかりとできるようにしてください。ドモルガンの法則などをいくつかの命題に対して適応することがしょっちゅう出てきます。命題の否定はどんな命題なのかを考える時にカギとなります。
- このクラスで学びながら、数学の美しさ、堅牢さ、楽しさを一緒に味わえるとうれしいですね。一学期間よろしくお願いします。
QUIZ2 : 日常生活において、論理的とはどういうことでしょうか。どういう場合に論理的なことが大切でしょうか。
- 根拠にもとづく筋が通ってること。逆に聞くが、論理的なことが大切でない場合はどういう時だろう?愛を語る上で論理的なことは大切なのか?
- 言明や考え方が論理的であることが、その根底(前提)にある論理的でないもの、たとえば信念、願望、欲求、あるいは感性や創造力などがはっきりと立ち現れてくる。思考の出発点は直観主義でかまわない。それを構築・体系化して、長所も短所も正々堂々とさらすためには明晰判明な論理が絶対に必要。
- 人間の言動がある法則に則っていること。相手を説得する場合。
- 問題を解くことで力を尽くしてしまったので。また今度考えさせて下さい。
- 論理的であるとは、感情がどうあれひとまず納得してしまうこと。人を説得する場合において論理的であることは明らかに効力を持つ。理論的とみせかけて詭弁であることが日常では多いですね。
- 論理性が私たちの日常生活において重要な時、それは他人をー特に公の場ーで説得する時に、必要なのではないでしょうか? 論理的に主張されると説得力がありますよね。
- 話す(もしくは書く)内容に説得力があり、聞いてきて支障なく理解できること。「おかしいぞ?」と思わせないで話しを進められる能力。(これだと詐欺師も含まれちゃうかな…)民主主義(色々な人の意見を取り入れる方式)をしようとすると、論理的な意見が重要になってくると思います。
- はじめに言ったことをくつがえさないこと。これじゃただの頑固かもしれませんが。
- 日常生活において論理的とは、たとえば、ある行動に対して、そういった行動をとるに値する理由がある場合それを論理的行動というと思います。
- 誰もが正しいと認めるようないくつかの前提から出発し、自らの意見をそこからの明確な演繹・推論によって導き出すこと。公の議論でこそこのような論理性が求められる。
- 何の矛盾もなく、ある事柄を導き出すようにすること。複雑なことを1つ1つ解決していく時に大切だと思う。
- 提出期限を月くらいにしてください。短いです。論理的とは話しの筋道が誰が見てもなっとくのいくものだと思います。今の、イラク情勢は論理的に考える必要があると思います。他数の国が納得のいく方法(論理的?)こそが平和的解決につながると思うからです。BCMM I は私にはツラ過ぎます。数学は感性、左脳で考えるもの(笑)!
- 日常生活において論理的であることの例として、時間軸に沿って考えること、因果関係でとらえることがあげられると思う。例えば「今日遅刻をした」(ナゼ?)→「朝起きられなかった」(ナゼ?)→「眠かった」(ナゼ?)→「夜更かしした」(ナゼ?)→「宿題を残していたから」(ナゼ?)→「遊び過ぎた」。このように過去の事実を探ることで遅刻した理由が単に寝坊をしたからという表面的な原因よりも深いものが得られる。こういうふうに考える場合、「何か知らないけど」単に自分はよく寝坊する性質だ、どうしようもない」といういい加減な結論しか得られないが、論理的に考えると、「いつも遊び過ぎるから宿題が終らず夜更かしをする、遅刻しないためには遊ぶのを控えるか、先に宿題を終らせよう」と自身の反省ができ、改善することができる。このようなことは、「論理的」な例の一つではないでしょうか。実際はもっと様々な要素が複雑に絡んでいるがそれらを一つ一つときほぐし、背後にある事実をしることが論理と言えるのでは?
- 何らかの行動に対し理由づけがなされうることを日常の論理的と呼べると思います。
- 日常生活においても、大体のことは論理的だと思います。ただ、T や F のどちらでもなかったり、その間をいったり来たりすることが日常的には多くあります。自分がただ信じているものを疑ってみたくなったときに論理が有効かもしれません。
- 感情的じゃないってことでしょうか。その場のいきおいで、決めてはいけないとき論理的であるべきなのかと。そんな単純なものじゃない気もしますが…。
学生へのメッセージ
- たくさんのメッセージありがとう。むずかしい質問ですね。回を追うごとに私もすこしずつ話していければと思っています。今日は一つだけ。国際化といわれますが、背景の違った人が共通理解を得る時にもっとも大切なのが、前提の確認(定義に関する部分)と論理の正確さだと思います。背景の同じ人たちが何かを考える時は何が前提だかわからないほどたくさんの前提を共有しています。論理的にギャップがあっても、それを埋めるものがあるわけですね。なーなーでいけるわけです。しかし、当然、常識と思っていた前提や、通常の論理が通じないことを発見するのは、なかなかショッキングです。これを乗り越えるのはいたみもともない、めんどうなことですが、その認識こそが、人の理解につながり、新しい世界に導いてくれるものだと思います。ここを乗り越えずに、平和はないと思います。世界の違った文化背景の人たちの平和だけでなく、異性であったり、年齢の違いだったり、共有するものが多少すくない人と平和に生きるために。そして、このために大切なのは、もちろん論理だけではありません。そのことをしっかり確認しておかないと、いけませんね。日常生活で論理にたけていることがかえって問題の平和的解決を阻むこともあります。そのことは、またにしましょう。
- 今回の特に問題1は難しかったと思います。かなり詳しい解答をつけました。じっくり時間をつかって理解して下さい。世の中がスピードアップしても時間が短縮できないものもあります。そのようなものにしっかりと時間を使って下さい。実は、この問題はわたしにとってとても思いで深いものです。数学科の一年生として入学して、最初にうんうんうなりながら自分で考えたのがこの問題だったからです。私の行っていた大学は一コマが105分で、一年生は、数学3コースが必修でした。微分積分の講義が一コマ演習が二コマ、線形代数も講義が一コマ演習が二コマ、それに集合論が一コマでした。これには演習がついておらず、問題は出されるのですが、自分でする以外にありませんでした。そこで、何時間かかけて自分で証明し、理解したのがこの問題でした。同値関係がどのように使われるかを理解したのはもっと後でしたが。同じという概念を数学で定義し、その意味で同じものどおしをまとめて考える。その一歩です。教科書には、商集合というものが出てきます。これがなかなかの難物ですが、数学をするときこの理解が最初の大きなハードルではないかと私は思っています。それを定義するのがこの問題です。商集合については、もう少し後になってから扱おうと思っています。今は、この問題1の証明を100パーセント理解することを目指して下さい。自分の言葉で証明を書いたら何回でも見ますよ。
QUIZ3 : 数学における論理思考を日常における種々の問題の考察、議論に適用する時にもっとも注意すべきことは何でしょうか。そのほか、何でもどうぞ。
- 言葉の意味合いが違うこと。「ならば」は特になのだけど、その他の言葉も数学ではよく言えば厳密、悪く言えばやたら限定的。
- 日常における種々の問題は複雑で、不条理なことも多いので、数学的な論理思考でどこまでも考え詰めると、堂々巡りだったり行動を起こせなくなってしまうことがあると思います。
- 日常では数学のようにあいまいさを全て排除できるわけではないと言うことを念頭に置くべき。
- 日常の問題を議論する時に、事柄 A の否定は待遇、裏、逆と一つに定まらないこと。立場が異なると、同じ思考をしていてもそこに生じる利益、不利益も異なること。
- 今気付いたんですけど今回の宿題は写像と逆写像では包含関係が必ずしも一致しないと言うことですよね!!
[Suzuki, H.: 逆写像というときはその写像が全単射のときのみです。そのときは、一致します。問題は、像 f(A) と原像(逆像とも言います)f-1(A) の違いですね。f(A) と f(B) の共通部分は A と B の共通部分の像とは違うことをしっかり理解しておくことが大切だと思います。原像は新しい概念だと思います。間違いやすいので気をつけて下さい。「f-1(b) を f-1(B) からとってくると」などという間違いが多いですよ。]
- 日常にあてはめる時に、あまりに数学的にやるとまずいのではないかと思う。しかしながら言葉のみで話すと、それが真なのかはったりなのか時としてわからなくなるので(実例あり)。僕がベストだと思うのは、題材の一部を取捨選択して数学の論理で表すことではないだろうか。
- 数学的思考は悪く言えば、例外を許さない四角四面な考え方である。これを日常生活の諸問題に適用してしまうと、臨機応変な体操ができなくなってしまいそうです。例えば、感情的な人間をつきあう場合など。人生を堪能するには無駄を愛することも大切。
- 議論している相手が感情論を始めると歯が立たない。
- 数学に必要な厳密さをその他の分野にも求めてしまうと肝心なところを見落としてしまうと思います。直感にたよることも、時には大切なのではないでしょうか。
- 数学界の使用言語や文字には明らかに非日常的なものが含まれているので、それらを日常的にパラフレーズしなければならないと思う。
- 数学は純粋に論理だけの世界。日常生活は論理のみを活用しているだけではうまくいかない。感情的なものや、習慣など、非論理的な要素も日常の問題には大きなウェイトをしめていることを忘れないことではないでしょうか。
- 注意すべきことは、厳密姓にとらわれすぎないことでは? もちろん、論理思考の展開に厳密性は必要ですが、日常においてそれを求め過ぎると問題解決が計れないと思います。日常の問題が完璧に解決されるよりもある程度、当事者が満足するという、ある種の妥協の形が多いと思うので、徹底的に論理的に行うのは不可能かと思います。
- 数学も言語のひとつだと私は考えていますが、これは明確に意味が定義されている言語です。もしこの数学と言う言語を他の日常言語に対応させてみると、他言語にある不明確な部分と食い違ったり対応しきれなくなるので、通用しないことがあると思います。
- 例えば二重否定などのように、真理値は一致していても、実生活では微妙に含意が違ってくること。
- 論理における「前提」が日常生活においてはくずれたりくつがえったりする。またその前提がある領域で成立していても、一度そこから出ると成立しないということがある。
- 難しいですね……。日常は論理思考だけじゃ片付かないこともあるってことをちゃんと知っておかないとですね。
- いくら自分が出した考察、議論の結論が正しくても、そのプロセスに不備があれば、人々の信頼を失うので、説明のしかた、言葉の使い方にも、気をつけて相手を納得させねばならないと思う。
学生へのメッセージ
- たくさんのメッセージありがとう。これだけ応答して下さるのはすばらしいし、内容からもたくさん考えさせられました。このようなメッセージのやり取りはわたしにとってもとても勉強になります。このあとに私の考えを書きますが、これが絶対正しいとは思っていません。いろいろな考えがあるが私はこうだと言うことです。
- わたしはおそらく日常生活のすべてのことを数学の論理の枠組みで考えようとしていると思います。しかし、そのことをお話しする前に、私が注意していることを書いておいた方が多少なりとも誤解が少
なくなるかと思います。
- 日常的な問題だけでなく、自然科学や、工学、社会科学などで、数学の問題に翻訳すると解決が図れる問題があるが、その翻訳の部分は高度の問題をたくさん含み一般的には非常に難しい。
- 前提から導き出されることを考える時、その推論で仮定されている事柄をすべてあげることが非常に難しい。
- 命題の真偽が時とともに変化し、推論をするときの他の仮定と切り離して真偽を決定することができない場合がある。
- 一般的にある命題が真かどうかを判定することが目的ではなく、その状況の中で一番よい方法を見つけることが目的の中で議論される場合が多く、矛盾を指摘しても問題の解決にならないことが多い。目的をしっかり認識した上での議論でなければ意味がない。
- 知りうる情報が限られていて、前提や推論の条件をすべてあげることが実質的に不可能であることが多い。
- わたしはいつでも論理的に考えるよう努力しています。とくに、多くの人が関わることの決定の際には。感情論や、直感は共有することが難しいからです。たしかに直感の裏に重要な気付きにくい部分が隠されていることがあります。それはいくら難しくても論理的に理解する努力が必要です。背景が違った人間同士があることを決めていく、また他人にも関わることを決定していく場合、共有できる基盤をもつことはとても大切です。ことばの定義からしなければ、会話が成り立たないことは当然です。「人権」は何を意味するのか、「sustainable development」ということばを使うなら、development とは何を意味するのか、sustainable はどの範囲を sustain するのか、期間はどの程度を考えているのかといったことです。論理的に考えようとすると一つ一つのことばの定義が気になりすし、ある推論をするときの仮定がなんであるかの検証が必要です。これからの世界、ますますこのことの重要性が大きくなっていくと思います。この論理訓練を一番できるのが、数学だとわたしは確信しています。数学の証明をしていると、どこでどの条件を使ったかつねに注意しながら論理を展開しないといけません。日常の問題であっても、同じ基盤からスタートしたはずなのに、結論が違っているといったことはよくおこりますが、それは、どこかで何らの違った条件を入れているからです。そこに戻ることができれば、その背景にある違いを理解することができるはずです。ですから数学を勉強して数学の研究者になる必要はない。しかし、数学は社会の問題に関わる全ての人に必要不可欠のものだと思います。
- もちろん、いろいろな人の間で議論するわけですから、相手と共有できるものを育んでいくことが大切です。もちろん、相手自身を人間として個人として大切にしなければなにも始まりません。相手の論理に問題がある場合、単にそれが他に多くのことを仮定しなければ出てこないことだったり、このような例があって、必ずしもその命題は成り立たないと考えても、それを指摘することが問題の解決ではないことをしっかりと把握すべきです。通常すべての条件をのべて議論するわけではありませんから、言葉だけから判断して、問題を指摘したり、矛盾を証明しても何にもなりません。それが有効なのは、それによって、より高い共通の理解にたてる場合です。難しいですが、難しいからこそやりがいのあることだと思っています。
- 最後にわたしが一番大切だと思っているのは、たとえこの状況の中でこれが正しい、ベストだと結論でき、どう考えても自分の論理に間違いがないとなった場合にも、自分が間違っている、またはそれが最善ではないという可能性を認める部分を残しておくことですね。人間の知りうることは有限だからです。この大学のキリスト教精神を表すことばに「神以外のなにものをも神(絶対的なもの)としない」という言葉がありますが、まさにこの点だと思います。この背景のもとで聖書では「愛」を最高のものとしています。有限の世界に生きるものにとっても永遠のものを経験できるそれが「愛」なのだと思っています。「なぜなら神は愛だからです。」(聖書より)愛が神であるわけではありません。
QUIZ4 : 中学・高等学校などで、数学がきらいまたはとても苦手だと思っている生徒が多いようですが、原因は何でしょうか。改善方法はありますか。
- すいません。2、3よく分かりませんでした。しかも期限が過ぎています。Quiz 1, 2, 3もその内出します。一週目オーストラリア大使館でのディベート交流企画でオーストラリアに行ってて休みました。でも最近やっと追い付いてきた感じです。上の改善方法は、イメージしやすい問題を高校生にも解かせるのもいいんじゃないかと思います。
- 文字と記号だけの世界は一般に取り付きににくいものであるため。現実世界で数学を使って説明できるものを用いて具体的なイメージを描けるようにさせるといいと思う。
- 幸か不幸か数学を嫌いになったことはありません。ただ出来が良いというわけではありませんでした。(今でも…)僕が数学を苦手な人に対していえるアドバイスは「できなくてあたりまえ!!」だということです。僕らよりもはるかに賢い人が徐々に築いてきたものを一瞬にして理解できるわけがありません。(あくまで苦手の人が)僕自身はできなくてあたりまえとある人にいわれて本当に楽になりました。それ以降はとりあえず自分でじっくり考えてみてわからなかったら人に聞き、それでもわからなかったら、まあ仕方がないです。そういう取り組み方だったら、出来不出来を別にすれば、案外数学が楽しくなるのではないか、と個人的に思います。
- 数学嫌いな人はもともと生まれつき嫌いになるような思考回路を持っているのではないでしょうか。これは、文学に興味を持てない人や芸術を理解できない人達と同じ性質と思えるのですが。改善方法は数学を教える側が、学生が皆自分と同じような思考回路を持っていないことを自覚することかな。
- 原因:数学以外で楽しいことがたくさんあるから。
対策:「ゆとり教育」というか、ゆったり…とした学習を全教科に渡って行なう。その一方、教育期間15年のうち「5ー6年目は数学をやる!!」というような時間を本人の意志(その時の気分でも可)で選ばせて、その間はひたすら数学をする。…と、楽しさがわかるようになる(かもしれない)。
- 今回の2と3は結局同じ問題なんですよね。
原因:まず教える側に問題ありではないでしょうか。
- あたらしく学ぶ概念が抽象的になっていくからだと思います。
- 競争社会であるし、その人の自由なので数学ぎらいでも苦手でもどうでもよい。数学に大事な積み重ねを放棄した本人の責任である。しかし、その本人がもう一度数学をやりたいならば手を差し出してあげられる環境は必要である。
- 現在の教育法だと、実際世の中で数学がどのような人々の役に立っているかがわかりにくく、数学を学ぶ意義をかんじることができないので。
- 「数学を理解し、教える教師がなかなかにないこと。先生が一人でわかっていても生徒には伝わらないし、生徒が授業に入っていけるような授業の雰囲気のようなものをつくり出せる人がいない。授業についていけなくなった生徒へのケアを行なわない。」ためだと思います。
- 僕もそのひとりなので改善方法を知りたいです。
- 原因はいくつかあると思いますが、その中で私が経験から思いついた原因を一つ書きます。それは、教科書がまとまり過ぎていることです。高2から受験までで数学で非常に困ったのですが、その原因は教科書に書いてある証明がわからなかったことです。単に問題を解くだけだったら、公式の証明を理解することは不要になりますが、それではあまりにも数学がつまらなくなりますし、ある公式が本当に正しいかどうか疑わしくなります。一番危険だった時期で、教科書に書いてあることは全部出鱈目かと疑念を抱いたことも…。
それで証明を理解しようと試みたのですが、教科書の証明はきれいにまとまり過ぎていて、式と式の間で、どのような操作がなされているか全く分からなかったのです。さんざん悩み先生に質問し続けてやっとのことで「ああ、こういうことだったのか」と納得できました。
なんとかそうやって数学の危機的状況から抜け出した時に教科書を見てみると「数学が十分できる人なら、この証明を見ただけで分かる」ように証明が書かれているように感じました。けど、高校の教科書は専門家のものではなく、あまり数学を良く知らない生徒が使うもの。これでは数学嫌いが量産されると思いました。そのうえ、受験ではほとんどの場合、解法の暗記が主で、筋道立てて考えることを要求しないのもそれに一役買っているかと思います。
改善方法は教える内容が多い少ないは別問題として今ある教科書で教えられている内容を少なくとも2〜3倍の厚さの教科書で詳細に証明などを記述することではないでしょうか。式と式の間でどのような操作がなされているか分かるだけでもだいぶ面白さが変わると思います。学校でその教科書をすべて教えることができるかどうかでなく、生徒が一人で自学自習しても理解できるくらい詳しく書かれた(単に易しく記述しているのではなく)もの欲しいです。
こんなに教科書にこだわるのは、多くの生徒にとって数学に触れる最初の本が教科書だからです。その教科書がつまらなければ、他に数学のおもしろい本があったとしても生徒は教科書同様つまらないと思ってそういう本にも見向きしなくなると思うからです。
- 濃度の部分が勉強(理解)不足で変な回答を書いてしまってすみません m(__)m
- 数学を嫌いになりうる原因は大きくわけて二つに分けられるかと思います。一つは「計算自体が嫌い/苦手」もう一つは「教え方が理解できない」です。それぞれに対応した教育方法が必要かもしれません。
- 本当によくやりますが、機械的に公式を丸暗記したりうろおぼえで、数学をやると面白くないです。理解すると数学はとても楽しくなると思います。
- 生徒一人一人の理解する早さが異なるのに、授業がどんどん進んでいき、各生徒がフォローしきれていない点。
- いい先生に出会う。
質問:写像と関数はどう違うのでしょうか? 非可算無限集合は可算無限集合をふくみますか?
[鈴木:通常、定義域、値域が数(実数など)である写像を関数といいます。写像はそれよりも広い概念です。ただ、歴史的には関数の方が先ですから、関数ということばの方が使われることが多いかも知れません。無限集合はかならず可算無限集合を部分集合として含みます。可算集合ではない、無限集合については次回勉強します。]
- 苦手だから嫌いになるんですよね。その原因は、中・高では、受験のためっていうのが大きくて、実生活で無意味に思えたりするのではないでしょうか。
改善方法は… 思いつきません。"数楽”への道は厳しいですね。”数が苦”へはすぐですが…。
- 愛が足りない!! 愛そう、数学をもっと!!
学生へのメッセージ
- たくさんのメッセージをありがとう。耳がいたいコメントいろいろとありますね。わたしも、近年になってやっといろいろと考え始めましたので、少しだけ今回も書きたいと思います。他に「高校以上の数学は何のため?」といったホームページもありますので、興味のある方は読んでみて下さい。重複を厭わず、今回皆さんからのメッセージを読んで考えたことを書かせて下さい。
- 勉強するモチベーションが「受験」に偏っているというコメントなど、べつに数学に限ったことではない問題指摘もありますが、このモチベーションはとても大事ですね。学生がとってもよいと褒めるいい方に "well-motivated" といい方がありますが、このステップこそが一番むずかしいと思います。とくにリベラルアーツで人生を根本からとい直そうなどと大きな目標を掲げたり、必修でしかたなくとる科目だったり、どうも波長があわない先生だったり、これは大学も高校も中学も小学校も同じでしょう。わたしは、このメッセージ欄を大体一学期に一つずつふやしていますが、一般教育科目、基礎科目、専門科目で質問を大分変えています。一番おおきな理由は、その授業を履修するモチベーションがそれぞれのレベルでかなり違うからです。一般教育科目では、人間が成長する、または生き生き生きるとはどういうことだろうかというところから、その授業の位置づけを考えたりもしています。学生と一緒に。体育や音楽もそうですが、生まれつき得意な人と不得意な人がいる科目で、かつ実質的に大変さをともない、それによる評価が無視できないと感じられる数学は、それを学ぶ人の葛藤が大きいのは当然ですね。
- さて数学ですが、最近考えている二つのことを書きたいと思います。一つ目は、実社会との結び付きの問題、二つ目は、教科書の問題です。しかしこのどちらも、勉強する側の生徒・学生の多様性が背景にあると思います。この多様性は最近広がったというより、以前からすでにあったが最近やっと認識されるようになったと考えた方が良いと思います。前は、食べていくために多様性など考える余裕がなかった。どうにか生活レベルをあげ、先進国といわれるところに追い付くためには教育とくに、科学技術の研究・利用・推進が不可欠だった。その戦力になる人を見つけ出して、訓練することがまず求められたのだと思います。もちろん、トップ水準の優秀な人材の開発だけではなく、生産ラインの底辺の数学的スキル、その他の教育も重要だったでしょう。そこでどんどん落ちこぼれていっても、底辺を支える計算能力などはある程度ある人材を排出。日本の高度成長を支えたことは事実だと思います。しかし今はそれだけが目的ではなくなった。学ぶ側および教育システムを作る側双方における、教育の目的の多様化があると思います。
- 今のカリキュラムはこの多様性に対応できていないと思います。小学校などで学ぶ数学の基本的スキルの教育はすべての人にとって大切な部分だと思いますが、そのあとは、人さまざまだと思います。ということは、少なくても中学・高校で学び始める時、数学は学ぶ側にとって絶対的な必要を持っていないものだということです。それには最初にあげたモチベーションからゆっくり入らないといけないと思います。わたしはたとえば三つのことを考えています。社会との結び付きのなかで数理モデルを考える部分、論理・推論の重要性の認識と証明などによる訓練、実際に数学を使っていくために必要な数学自体の理解と訓練。人を三つのクラスに分けるといったことは考えていませんが、どこから入る、どこに時間を使うかは、人により違うと思います。これ以上は書きませんが、最初の社会との結び付きの中で考えていく時に避けて通れないと私が考えているのは、電卓またはコンピュータの利用です。生のデータを使うときっちりした美しい答えは出ない。統計処理などを早く学んだ方がイメージがつかみやすい、計算の不得意さのために、面白い部分までいけなくなることを防ぐなどのためです。わたしは、アメリカで教えていたり(アメリカで始めて大学でプログラマブル電卓を使って微分積分を教えるというクラスの助手をしていました)、特別研究期間のときに、子どもたちを小学校に二人、中学校に一人、高校に二人送り、勉強を見た経験も背景にあります。アメリカではこの教材が十分充実しています。
- 教科書は、日本の場合は小学校・中学校での無償配布と検定制度があり、薄いしかし、内容は非常に洗練された教科書となっています。最低限の内容をしっかりと含み、全体としても非常によく構成された教科書だと思います。わたしが作ろうとしても、なかなかあのようなものを作るのは難しいです。しかし同時に、一人一人の興味も、学び方、理解の仕方も、能力も違うということはほとんど配慮されず、おしえる教師にすべて任せてしまっている。教師は大体においては、数学が得意でかつ自分以外の人にとって数学は何なのかといったことを考えるとしても自分で考えざるを得ないなかで、理解が自分とは違う学生・生徒に対応していかなければならない。人はたくさんの人生を生きることはできませんから、経験である箇所の理解に困っている生徒への対応は段々できるようになったとしても、その箇所を勉強するモチベーションを持てない生徒にどう向き合っていったら良いのかは分からないのです。こんな大変なことを乗り越えていている先生はもちろんおられますが、それを先生の責任に押しつけるのはとても無責任だと思います。学ぶ側も、教育システムを考える側も共通とはいえないまでも似た一つの目的をもっている場合は可能でしょうが。それには、上のコメントにもありましたが、教科書で、さまざまな社会への適用や、論理の部分、そして理論の発展と応用がさまざまな形で入っているのが大切だと思います。厚い教科書がいいですね。わたしも授業をしていて、社会への応用をもっと知りたいとよくいわれます。いくつかそういう話も混ぜようとしていますが、これはとても準備が大変。だいたいその専門家ではありませんから。そして、実際に話すと理解してもらうための途中の部分で大変な計算が入ってしまったりする。それが少ないおあつらえむきの例をいくつか集めるのですが、それを個人の努力でするのは、とても大変。それぞれの専門家がチームとなって教科書を開発してくれないとできません。今は、大体学校教育の教科書は出版社主導で、大学の数学の先生に何人か声をかけ、実際の部分は高校の先生がサポートして教科書を作っています。社会のあらゆる分野から人が入って作らないととてもできません。
- どなたか、こういったことに真剣に取り組んで下さる人はいませんか。私にできることはいくらでも協力します。
QUIZ5 : 理学科生以外に対する ICU における数学(または自然科学)はどのような内容をどの程度提供し、どの程度課すのが良いでしょうか。現在は必修は自然科学系一般教育科目として最低6単位。
- 教養学部所属という観点から高校レベルの数学、物理、化学、生物、地学を15単位程度課すと良いと思う。内容は実生活で遭遇する事象からテーマを設定し、必ずしも高校での範囲を網羅する必要はない。
- 高校で数学をほとんどやらなかった、という声もあり、そういう学生はGEの数学を選ばない傾向にあるらしい(統計をとったわけではなく、聞いた話を総合するとそういう結論がでるだけのことです)。数学1科目ぐらい必須にしても良いと思うのですが。
- ICU の学生の多くは "数学は嫌い" で済ませてしまっている。しかもあまりたいした問題だとは思っていないみたいである。しかしほとんど全ての学問において、優れた考察とは、数学的(又は論理的)な見解も吟味しているように思う。論理的な証明などは文系にも重要だから BACON のもう少し簡単なクラスを開いてキリスト教概論や英語のように全ての学生に受講させるのも悪くなさそうですね。
実際、ICU では感情を判断基準にしている人が比較的多いように思います。(例えば反戦に対する意見など。)思考的/論理的に物事を考えるとは一体どういうことなのかを BACON のように数式だけでなく一般の事項も使って説明するクラスがあってもいいと思います。
- 少なくとも「分数ができない大学生」などと言われてはいけないと思います。数学は他の自然科学と違って思考力に重点がおかれていると思うので、数学は必修にしても良いのではないかと思います。
- 「高校生にわかる」範囲がどこか分からなくて混乱しました。私は高校では「写像」も「全単射」も聞かなかったので。そのつもりで考えましたが……。
2単位ずつ1年間にわたって履修できるようにする。高校を出た後一年ぐらいは数学に触れなおす機会があるといいのでは。
- 一般教育科目以外にも、例えば、経済、経営専攻者に微積などを履修義務として計算くらいできるようになれば、もしかしたら経済、経営の授業でも役立つのではと思います。
- 与えられた数学の問題を解く力ではなく、世の中の問題を解決していくために数学を利用できるようになりたい。
- 数学やら化学などを分類をせずに、自然科学に入門する程度の総合的なものを一つ作ればいいのではないでしょうか? 数学の微分は物理でも使うように、相互のつながりを分けるようにしてはいけないと思います。そして、その上で NS のファンデを取るなら最低限必要なものを学べるアドバンス的なものというふうに、科目ではなくレベルで分けた方がいいと思います。
- 今は分かりませんが、卒業する頃にはなにか考えられるかもしれません。今回の問題は濃度について復習するのにとても役立ちました。かなり時間がかかりましたが。
- 今までの問いで一番難しいです……。数学に対して、アレルギーを示す友人は多数いますが、だからといって大学の数学を中・高の復習のみに始終してよいか判断しかねます。仮にそれによって数学アレルギーが解消されるなら良いかもしれませんが、あまり大学での仕事とも思えません。数学が嫌いだと言いつつ、ヒューマニの論理学を取る人もいます。例えばこの授業は数学通論と多少かぶる面もあり、論理学が面白いなら数学が嫌いと言い切っていいのかどうか……。少なくとも、公式を暗記→計算という図式の授業はしてはならないと思います。数学は暗記科目という思い込みからの脱却がはかれるものが必要かと思います。
- 社会に出て困らない程度の論理力と解析力があれば良いかと思います。
- 他の多くの大学で文系の学生はほとんど理系の分野を勉強しないことを考えれば、4年で6単位必修としていること自体良いと思うし、分量としても妥当と思われる。ただ NS生も多くがELP に苦しめれれることを考えると、一般教育とはいえ、もう少し高度にしても良いかもしれない。これについては、いろいろ考えるところがありますが、時間切れで書ききれませんでした。
- ある分野における公式や定理が、どんな時代に誰によって作られ、それがどんな意味をもつか、等の話が公式に背景を与えて興味が引かれます。僕も文学部志望の文系だったのですが、科学に対して漠然とした憧れを持つようになったのは、伝記とかからだったと思います。しかし外伝的な話よりもその分野の本質や公式自体に魅力を感じる人もいるわけで、授業内容を決めるのは大変だと思います。NS の前半講義、後半演習のスタイルは気に入っていますが、これはなれでしょうか……?
- あまり強制しなくてもいいのではないかと思います。ある程度は高校までで習っているわけですし。興味のある人はどんどんとればいいと思いますが。とは言え、全くしないっていうのも悲しいので今のように一般教育としてで、そんなに専門的なものでなく、広く学ぶのが良いと思う。
- このレベルで教わる数学は、ほとんどの場合、社会人になってから使うことはないと思うので、習うか、習わないかはその人のヤル気にまかせるのがよいのではないでしょうか?
学生へのメッセージ
- たくさんのメッセージどうもありがとう。これとにたメッセージは「高校以上の数学は何のため?」というページに、私の、一般教育科目受講生に書いてもらっています。興味のある方はぜひご覧下さい。
- わたしは、もちろん数学がとても大切だと思っています。それは数学者の卵を育てる、または発掘するという目的だけでなく、数学を使う理工系の学生に数学の力をつけかつ楽しんでもらうためだけでもなく、一般的に高等教育を受ける者にとって、もう少しかっこつけると「人間がより人間らしくなるために、数学は基本的な要素の一つ」だと思っています。これは普遍的な真理であるが故に、日本の私立大学を例外としてのぞくと、世界のすべての大学の入学試験に数学が課せられており、さらに、ICU 理学科以外の世界のすべてにおいて自然科学を学ぶ学部・学科の入学試験で数学が課せられているのだと思います。ほんのわずか例外はあるかもしれませんが。わたしはこの非常に特異な状態を改善するため、ICU では自然科学能力考査を以前のように受験生全員に課すべきだとか、理学科受験生には数学を必修にしなければいけないと言っているのではありません。高校や中学の数学や自然科学教育がすでに、世界の他の国と違うのですから、ICU だけでそこをがんばってみてもどうにもならないでしょう。それなら、大学で何らかの教育をすべきではないかとずっと考えているわけです。
- わたしは、ICU に来る前から、理系学生以外に開かれたいわゆる一般教育科目の数学を教えています。しかしその授業で一番私が苦労しまたエネルギーを費やすのは、受講生のモチベーションをあげること、数学を勉強するのもひょっとすると面白いかもしれない、と学生が授業の内容と向き合うようになるための工夫をし、義務でしかたなく受講している学生と正面から向き合い、いったい勉強するってどんなことなんだろうかというところから一緒に考えることです。
- このメッセージ欄はそのようないきさつから、一般教育科目の受講生とのコミュニケーションの為に、15年ほど前からはじめたものです。最初は、ホームページ公開などは、もちろんしていませんでしたが。大体、Mosaic というソフトができて、ホームページという概念ができたのが、1990年頃ですから。一般教育科目、基礎科目、専門科目でトピックもいろいろとかえています。それはこのいきさつから当然のことです。だから単なる趣味でこのメッセージ欄をはじめたのではないのですよ。もちろんとても楽しんでいますが。
- 日本で一般教育がなかなか根付かなかったのも、教育の本質的な部分の難しさではないかとわたしは思っています。そのもっとも難しい部分を、高く評価し、積極的に取り組もうとしなかったから。それはここの課題ではありませんね。わたしは ICU での自然科学教育の大切さを感じつつも、正直、二の足を踏んでいるところがあります。日本の教育における価値観に挑戦するようなエネルギーがないとできないこと、そして、そのエネルギーを単なる一人の情熱ではなく、Institution とししての ICU に課すべきかの判断ができないからです。そこでいまは個人的な試みとして、あたらしくコースを作っていただいて NSI B 数学の方法というものを教えています。ここでは、論理と集合、線形代数と微積からいくつかのトピックをとり、数学自体のトレーニングをし、理学科の基礎科目を受講することのできる準備と、社会科学などで数学をつかう(または使って理解する)積極性を持ってもらうことを目的としています。かなりハードな授業なので、受講生はたしかに苦労していますが。もしかすると、一般教育科目としての位置づけを出てしまい、カリキュラムとして問題なのかもしれません。でもこれが私の ICU における挑戦ですから。
- みなさんの意見、一般教育科目受講生の意見、他の先生方の意見なども参考に、少しずつ考えていきたいと思っています。みなさんのアドバイスぜひお願い致します。
MIDTERM : (a) 論理と集合について。(b) ここまでのこの授業について。
- 4番のような問題は、できたようで確信が持てず、なかなか難しいです。
この授業を通じて、自分がいかに甘いか、目がふしあなであるかに気づかせられることが多いです。そういう意味で、この授業をとったことは、かなり良いことだと思いつつ、またがんばります。できなかった問題などは、また後に提出させていただきます。
- (a) 密接な関係にある。
(b) 授業内ですべてを理解することは難しいが、毎週クイズに取り組むことである程度理解することができている。
- (b) 授業の程度が自分には大体 fit していて満足しています。採点がんばってください。
- (a) 論理と集合について - もともと情報科学専攻のために仕方なく履修していたのですが、数学や情報科学を勉強していく上で、論理と集合の基礎知識がいかに大事かがすこしずつ分かった気がします。来年の春学期に人文科学の論理学のクラスもとる気になりました。
(b) ここまでの授業について ー 学生に興味を持たせるような授業内容だと思います。少し関係ないのですが、数学の問題は、できる日とできない日の"差"が大きいようなきがするのはぼくだけでしょうか?
- (a) 考えたら当たり前のようなことを厳密に証明することがすごく難しいということを実感した。
(b) 講義、演習と5,6,7 連続は数学に慣れるいい機会だと思うが、道は厳しい。
- (a) 論理と集合について:いくつかの定義から矛盾もなく様々な定理や証明が展開されていくのをみると、これを思いついた人はすごいとしか言えない。それと同時に、これは現実に何か応用ができる分野があるのだろうかと考えてしまう。例えば、実数の濃度が自然数より大きいと言うことが分かっても、それ以上他に応用できないのではないだろうか。しかしなぜだか分からないが、例えば全く役に立たない(科学技術の応用、道具として、もしくは日常生活で)としてもこれを勉強すると、絶対何かいいことがあると思ってしまうのは、単なるひいき目なのか……。ただ、役に立たないなら必要ないというのも変な話である。例えば夏目漱石を読んでも、研究しても、生活が便利になったりすることはない。だからといって、漱石の著作は全て抹消すべきだと主張する人はいないだろう。なぜなら、効率や便利ではかれないところにその価値があるからだ。同様に論理と集合も直接役に立たないようにみえても、必ず目に見えないところで大きな価値が思えてならない。
(b) 毎週、授業では分かった気になり、家で quiz なり問題をみてさっぱり分からないことにガクゼンとし必死になって理解しようとしています。どうやら教わってから2〜3週間で多少まともな理解に至れるようです。演習の時間に上手に証明する人を見ると、どこからあんなことを思いついたのか不思議に思ったりも……。授業自体は毎回楽しみにしていますが、数学専攻でもないのに、今学期の授業で、授業時間外で最も時間をかけてしまう科目になってしまってます。今後もこれまで通り続くのが一番と考えてます。あえて言うなら、おすすめの参考文献をいくつか紹介してもらえれば十分です。
- (a) 当たり前のように思って通り過ぎてしまった事を証明するのはとても難しいし、頭を使うけれど新しい発見ですね。
(b) 授業を聴いているときだけだとなかなか吸収しきれなくて、後でなんとか噛み砕いて理解しています。
- 前回(5/21)くらいの授業のスピードでないと、ついていけません。数学科の専攻の人が多いからでしょうか。
- 論理的というのは、ほんとに難しいです。授業のスピードが速すぎるとかいうことはないのですが、頭が毎回パニックすんぜんです。
- むずかしいです。
学生へのメッセージ
- 数学を進めていく土台が、論理と集合です。言葉としてこれらを使うと言う意味と、ここでの論理訓練がより複雑な数学を理解する助けとなると言う両面があります。昔は、中学などで、図形の証明をたくさんさせられました。難問もたくさん考えましたから、わたしもできないで唸る問題がたくさんありました。いまは、中学でそのような部分は大分減ってしまっているようです。ましてや論理を厳密にして証明を書き、それを直してもらうというのは非常に少ないようです。受験でそのような問題の出るのは、数学科以外はごくわずかの国立の理系だけのようです。つまり悪く言うとそう言うことを専門にする人だけが勉強することになってしまっています。でも、わたしはそれはおかしいと思います。数学を学ぶことはしっかりとした土台の上に建てあげていく構築物のすばらしさ、美しさとともに、論理という、どの分野でも必要な人間として基本的な能力の訓練になるからです。そのような貴重な大学での数学の最初のコースを履修して下さりありがとう。難しいですが楽しんで下さい。
- この後は代数系の話そして、その例として整数と多項式について扱います。この中でも論理と集合の考え方はとても大切です。どのように使われるかも楽しみにして学んで下さい。ただ、前にも言いましたように今年がわたしは、この授業を教えるのが始めて。特に演習問題などが十分作れないのが、申し訳ないと思っています。努力はしますが、せめて、出た問題はなるべくたくさん解いて下さいね。
QUIZ6 : ICU を選んだ理由は何ですか。ICU 理学科をより魅力的にするにはどうしたら良いでしょうか。
- リベラルアーツに魅かれた。数学の魅力をもっとアピールする。
- 幅広く学べそうだったから。N館にひきこもらないようにすると周りに魅力を見せられると思う。
- 他にいくところがなかったから。
- ICU を選んだ理由:忘れました。
より魅力的にするには:もっと外にアピールする。専攻する分野の幅を広げる。できれば工学系もやりたい。
学生へのメッセージ
- なんと、みなさんのメッセージお返事は書きましたが、打ち込むのを忘れてしまいました。手元に残っていたもののみ打ち込みました。本当にぼけてきていますね。もし、このタイトルでもう一度メッセージをメールで送っていただければ、載せさせていただきます。こんな失敗したのは、メッセージ欄を掲載し始めてはじめてです。申し訳ありません。
QUIZ7 : 最近感激または感動したこと・本・映画、などなど。
- 坂村健著「ユビキタス・コンピュータ革命」東大情報学環教授である著者は、10年以上も前にユビキタスの概念を提唱していた。今まさに時代はその方向に流れており、その先見性、発想力は驚くべきものである。
- ある GE でいろいろな1年生と仲良くなれたこと。面白いやつが多い!!
- 去年、河合隼雄氏が書いたユング心理学に関する書物に大変感激しました。特に「人間のタイプ論」は自身について深く考えさせられた。
- 死について。生きているもののために何ができるのか?
- 素数が無限にあるということです。
量子力学というのは、観測という事象が入った時点で、量子力学の領域をはみ出している。つまり、量子力学はミクロなものの力学であるが、観測はマクロであり、これは、量子力学ではないということ。
- 自分のサークル活動の発表。うまくいって良かった。
- 朝日新聞のアラビアのロレンスについての記事で引用されていたセリフ "Nothing is written." 心にしみる。
- 本場のキムチはうまかった。
- すぐに答えられない自分に戸惑いました。学期中なので、じっくり好きな本を読む時間があまりないのと、テレビで放映される映画は、あまりそういうものがないからでしょうか。日々の生活が彩りのないものだということはなく、毎日、様々な事に苦しめられつつもたのしんでいますし、新たな発見をしhては、驚いたり、一人、ほくそえんでいます。しかしながら、心が揺さぶられるような大きな感激とは少々御無沙汰しているようです。
- 最近は本、映画、テレビなどをみるひまなく宿題に追われています。時々何もなくても感激というか、気分が高揚する事はあります。
- 西洋古典の授業で聞いた、「イリアス」のギリシャ語での朗誦。
- 音楽で、平井堅の「Life is …]、森山直太朗の「さくら」、JUN SKY WALKER(s) の「MY GENERATION」を聞いて感動した。
- きびしい質問ですね。強いていうならバイクなんですが一つ面白い技を身につけました。後輪を浮かして前輪だけで前へ進む。下らんと思うかも知れませんができた時は夜眠れませんでした。
- 問題文の意味がわかりません。
- 感激とは程遠いのですが、まず「ドグラ・マグラ」。一回読んだだけではまったくつかめない。自分の居場所がわからなくなりました。次回はもっと時間をかけて読みたいです。それから細井重里氏のHPのコンテンツには面白いものが多いですね。特に、「新宿二丁目のほがらかな人々」というのが最近のお気に入り。キリスト教の信者である先生にとって、ああいった人々がどのようにうつるのかわかりませんが。
学生へのメッセージ
- メッセージどうもありがとう。私は今年になってから何回かありますよ。感激して、涙を流した事も。どうしようもなくつらくて声を出してそれもみんなの前で泣いた事も(こっちは小学校以来かな)。わたしは涙もろいことは確かですが。タイ・ワークキャンプも感激した事がいくつかあります。一番鮮明に残っているのは、月明かりがとても明るかったことかな。だんだん、お月さまが満ちていて、最後の日には満月だったのですが、村の電気のない生活の中で、夜道を歩くと月の明るさがとてもよくわかりました。自分が輝いているわけでもないのに、とても明るいのです。周りまで。あのぐらいの明るさがわたしはとても好きでした。
Final : (1) この授業について。特に改善点について。
(2) ICU の教育一般について。特に改善点について。
- BCMM I の中で、特に、集合の濃度に関するところが、すっきりしていません。代数では、群論がとても難しく II や III などで、環、体などやるよりも、もっと群論をしっかりやりたいと思っていましたが、この BCMM I で環の世界をかいまみて、とてもおもしろそうだと思いました。おそらく、卒論のために代数 II はとらないと思いますが、今のところ、楽しそうに思えるので、また卒論などが終ったら勉強しようと思います。授業についていけなくなると、教室から足が遠ざかる傾向にあるので、特に、代数はサボリがちですみませんでした。
- 基数らへんを詳しくやれて良かったです。Quiz があると、やらざるをえないので良いプレッシャーになりますね。
- (1) ハードだった分、力はついたと思う。
(2) 特色が生かされている。妙な改革をして迷走しないことを望む。
- (1) 木・金に Linear III, C 言語のラボがあり、水曜にもらった Quiz を金までに出すのはかなりきつかったです。とりあえず送れた分は今日出したんで見て下さい。
(2) 教育内容に特に不満なし。
- すみません。手がまわりませんでした。
- (1) ひさしぶりの数学の授業だったので辛かった。
(2) せっかく幅広く自由に授業がとれるのだから、学生が積極的に他分野の授業を受けた方がいいと思う。
- 時間切れでした。
- (1) 私の努力不足かも知れませんが、BCMM I はよくわかりませんでした。
- 書く余裕がないです。
- 今のままで良いと思います。
学生へのメッセージ
- メッセージどうもありがとう。期末試験の問題が大変で、メッセージまで回らなかったようですね。それは、私の責任です。今は、授業効果調査の方にもいろいろと書いて下さっていると思うので、そちらを見て反省材料にします。
- 前から教えたかった講義でしたが、やはり一回目は大変でした。しかし、論理訓練は、やはりとても大切。数学の基本というだけでなく。実は、これは9月になってから書いていますが、今朝の朝刊に法科大学院の一般適正テストが載っていました。論理の問題ばかり。時間がとれなかったので、すべて問いたわけではありませんが、最初の4問ほど問いてみました。あれはかなりの部分数学の問題です。このような思考が重要だということを証明されているようで、数学教育についても考えさせられました。あの問題をそのまま高校で数学の時間に解いてみてもよいのではないかとすら思いました。みなさんもよければ解いてみて下さい。
- このあとは、BCMM II-III へと続きます。お休みして、Algebra I へと進むのも一つです。ぜひ、つづけて数学を勉強して下さい。またお会いしましょう。