Last Update: December 27, 2022
2022年読書記録
- 「伊豆の踊子・温泉宿 他四篇」川端康成作、岩波文庫 緑81-1(ISBN4-00-310811-6, 1952.2.25 第1刷発行, 2003.9.17 改版第1刷発行, 2017.4.5 第12刷発行)
出版情報。川端康成二十代の作品から六篇とある。1921年〜1930年の十年間に書いたもので、作者あとがきと、川端康成略年譜がついている。十六歳の日記・招魂祭一景・伊豆の踊子・青い海黒い海・春景色・温泉宿の順で収録されている。伊豆の踊子だけは、昔読んだ記憶があるが、他の作品は、初めてである。伊豆の踊子は、その後、美空ひばり、吉永小百合、山口百恵、それぞれが主演の映画版もある程度見ているので、自分の中で映像化された部分もあり、今回、元の川端作品を確認した形となった。それぞれの作品は、最初に書かれたときから、修正もされ、書き直して出版されていることもあり、背景にある経験の順序、書かれた順序、この本に収録された形で出版された順序などは、複雑である。同僚であった先輩の教員が、調べている途中でわたしの読書記録も見たと一筆書いて「『伊豆の踊子』を読む」を送ってくださったので、まずは、「伊豆の踊子」を読み返すことにした次第である。何回も出版されているが、近くの図書館でみつけたという理由の他、青年時代に書かれたものが収録されていることにも惹かれて本書を選んだ。「伊豆の踊子」は表現も生き生きしていて、小品として名作であると思うが、ほかの作品は、良い作品と言えるのか、正直疑問であった。あとがきに「招魂祭一景」を菊池寛氏などに褒めてもらったこと、「青い海黒い海」を横光利一氏に褒めてもらったことを自ら書いていることが、気になったが、これらによって、川端が小説家として認められていくことが見て取れる。描写表現の美しさが持ち味なのだろう。それがこれらの作品ですでに、現れているということだろうか。最初の「十六歳の日記」は、両親を早くに亡くした川端が、祖父を看取った記録で、日記調になっている。このことは、他の作品にも通じる。日記を書きながら文章を磨いていったのかもしれない。やはり、日常がたいせつである。小説を読むことはあまりないが、久しぶりに、読み、また、読んでみたいとは思った。それが日常になるかどうかはまだわからないが。
(2022.1.4)
- 「モモ - 時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳、岩波書店(ISBN4-00-110687-6, 1976.9.24 第1刷発行, 1993.7.15 第48刷発行)
出版情報。こどもたちのベッド・タイムに読んでいたが、通して読んだことはなかった。知人の紹介で、連絡をとったかたが、「ミヒャエルエンデの『モモ』を読んで、モモのように生きたいとも思いました。」とあったので、お話をするまえに、ほんの少しでも、この方のことを理解できる方向に進みたいと願って、手にとった。効率的な時間の使い方をして生産性を上げることにすべてを費やし、たいせつなものを失っていく世界へのメッセージとして、モモの生き方、その勇気を描いた、児童文学である。論理的にあまりに、不整合が強い、設定のではあるが、引き込まれるような、物語を組み立て、読者をひきつけて、最後は幸せに導くとともに、自らの生き方に課題も示し、問いかける作品として、愛読者が多いことはわかるように思う。ただ、「モモのように生きたい」という気持ちには、より添えなかった。高校時代ぐらいから考えてきている、たいせつなもの・ことと、そのたいせつなものを得るために、たいせつだとおもうもの・こととの区別のなかで、時間やお金のことを位置づけ、自分の中で整理してしまっていることが一つ。さらに、ひとりのヒーローを求めるのではなく、困難であはっても、互いに、協力し合いながら、目的は、かならずしも、ひとつには決まらない中でも、少しずつ進んでいこうとする意思に、こころが向いてしまっているからかもしれない。そうであっても、モモのような生き方を美しい、そのように自分も生きたいという願い、そのように願う方を、たいせつにしたい。
(2022.2.12)
- 「チャレンジ - 聖書通読」鎌野善三著、YOBEL, Inc.(日キ販)(ISBN978-4-909871-61-9, 2021.12.10 初版発行)
出版情報。ICUの出身の牧師で、関西聖書神学校の校長も勤められた方で、一度お会いしたこともある。聖書通読の頁をご覧になったようで、出版と同時に、送ってくださった。著者は「3分間のグッドニュース-聖書通読のためのやさしい手引書」を律法・歴史・詩歌・預言・福音の五分冊にして出版もされている。いずれ手にとって見たいと思う。本書は、1.聖書通読の益、2.聖書通読の秘訣、3.『3分間のグッドニュース』の用い方、4.通読でない読み方、5.聖書通読の証し、からなり、最後の5章は、「3分間のグッドニュース」を手引として通読をしておられる方の、文章である。牧師が導く通読のひとつの完成形なのかもしれない。引用されている、いくつかの内容を見ても、また、紹介されている構成をみても、優れていると思わされる。教会で、聖書を読むこと、通読を推奨されるが、それができるように、教師として、できる限りのことをしておられる著者は、素晴らしいと思う。ただ、わたしは、読むために必要な、最低限の、基本的事項は別として、やはり、読むものが疑問や問を、自然に出せることがもっともたいせつだと思っている。わたしが、学生や、若い人、特に、キリスト者以外の人たちや、悩み多き、キリスト者と、ずっと関わってきたからかもしれない。その意味でも、教えるのではなく、伴走者として、共に悩み、学び、考え、苦しみながらも、時々発見をしながら、互いを励まし、聖書から離れないように、生きていきたいと願っている。求道者・探求者としてだろうか。探索的にということだろうか。主体を持ちつつ、耳をすまして聴き、他者の声をたいせつにすることだろうか。ひとりひとりの尊厳をたいせつにしていきたい。苦しみ・悲しみ・悩み・喜びは、その人の尊厳を形作るものであり、神様とその方との関係が現れてくるものだと思うので、それを最大限尊重していきたいと思う。いつか、著者ともゆっくりお話をしてみたい。
(2022.2.25)
- 「生命の冠 - 中国・キリスト教会指導者の戦い」王明道著、マルコーシュ・パブリケーション(ISBN978-4-87207-298-3, 1987.4.19 第1版、2021.9.1 改訂版)
Gospel Light Store: 目次など。英訳版からの翻訳として最初出版されたが、その後中国語の原文と対照させて訳を修正されたと1987年の第1版にあるが、2021年に出版されたものは、改訂版とある。改訂の経緯は書かれていない。実はこの書は、友人が中国語の原文に基づいて改訂を手伝ったのでと送ってくださったものである。本人は、名前を出していない。王明道(本名は王明、鐵と呼ばれたともある)は、家の教会とか地下教会とか呼ばれる教会の指導者で、ウォッチマン・二ー(1952年投獄、1972年獄中で召天)、ジョン・宋(サン)(1944年、42歳で召天)とともに、有名な伝道者で、ジョン・宋は「私よりも立派な人がたくさんいます。私は聖書の講解ではウオッチマン・二ーには及びません。説教者としては、とても王明道の域にまでは達していません。」との言葉も残している。自身、三自愛教会の運動に反対し、文化大革命の期間を含め22年間投獄され、釈放後も軟禁状態が続いたとされている。基本的には、根本主義の論者である。第二部「我ら信仰のゆえに」(1955年出版)で、その信仰について詳細に論じている。1. 聖書はすべて神の啓示である。2.キリストは処女マリアから生まれた。3.十字架上のイエスの死は人を罪から贖うための犠牲であった。4.イエスは復活した。5.イエスは再臨する。この五項目こそが中心で、これを認めない自由主義者を不信者と強く糾弾する。少年時代の生い立ちから詳細にかかれており、まだ母親の胎にいる間に、父が義和団の乱で死亡。極貧の生活をおくったことからはじめ、母・姉と妻の関係なども、赤裸々に書かれている。生い立ちが、根本主義の信仰にも強く反映していると思った。わたしの信仰とは正直異なるが、まっすぐな、語り口や、赤裸々に、自分のことを語る正直さなど、好感をもったことも確かである。現代の地下教会と、三自愛教会を、この書の背景にあるものと同じ分け方で理解するのは、問題があるように思うが、もっと、それぞれについて深く学びたいとも思った。
(2022.3.26)
- 「徳田虎雄に育てられた男」森孝著、Bandaiho Shobo 万代宝書房(ISBN978-4-910064-48-2, 2021.8.8 第1刷発行)
万代宝書房(出版社の頁):森孝氏(1940〜)の人生な大きな影響を与えた出来事、自分史の一部とある。徳田虎雄(1938年2月17日〜)は医師、衆議院議員(4期)で、医療法人徳洲会理事長。2002年頃に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、その後政界から引退した。ちょうどその頃、医療事故で慈恵医大青戸病院を追われることになった松井道彦経理担当理事を助けるべく徳田虎雄に会いに行き、周囲に隠しつつも ALS 発症を自覚していた徳田に、徳田の奥さんを連れて世界を回れと言われ、世界を飛び回った人である。バングラデシュのグラミン銀行総裁を徳田の名で、ノーベル賞に推薦した経緯なども書かれている。本人は、1940年、福岡県、門司港生まれ。父親は結核でなくなり、本人もかかり、熊本県人吉で育ち、立教大学に一浪して入学、3M入社。米国CDCで研修を受けたことなどが、後々、医療法人の仕事でも、力を発揮することにもつながっている。クリスチャンで、結婚式は、芦屋山手教会で挙げている。精緻さは無いが、行動力があり、既成観念にとらわれない発想で、ことをなしていくところが、徳田から学んだことなのだろう。本人の行動理念には、キリスト教が強く息づいていると思う。この本をくださったかたを通して、一度、お会いしてみたいものである。
(2022.3.28)
- 「LIFE OF THE BELOVED 愛されている者の生活 - 世俗社会に生きる友のために - SPIRITUAL LIVING IN A SECULAR WORLD」ヘンリー・ナーウェン HENRI J.M. NOUWEN, 小渕春夫訳孝、あめんどう(ISBN978-4-900677-08-6, 1999.11.8 初版発行、2017.8.10 第9刷発行)
あめんどうブックス(出版社の頁)目次・引用など。副題の通りの内容である。メッセージとしては、本文の最後の章にもある「私達は選ばれ、祝福され、裂かれ、分かち与えられる者として、深い内なる喜びと平和を抱いて人生を生きるように召されています。それは、愛される価値があることを実証する責任が自分にあると、つねに説得しようとするこの世で、神に愛されているものとして生きることです。」(143)にまとまっている。正直、印象的なことばはいくつかあったが、この書き方では、世俗社会に生きる友にたいせつなことを伝えるという、目的を達することはできないだろうと思って、最後まで読んでいた。しかし、驚いたことに、その事自体を、その友の言葉として書いていた。「フレッドはいつも私の著作を気に入ってくれたのだが、彼自身の必要に直接語りかける本として気にいってくれたことは一度もなかった。彼にとって、私の著作は、『回心した』人のためであり、真に世俗的な人々のためではなかった。彼はこの点で、今度の本もあまり変わらないと感じたのだ。」(p.157)「あなたが自分の中心から書こうとしてくれたことは間違いないし、あなたにとって、もっともたいせつなことを表現してくれました。けれど、あなたのいるところから、僕たちがどんなに遠く離れているかわかっていません。あなたは、僕たちと異質な背景や伝統から語っている。それにその言葉は、僕らの共有していない多くの前提に基づいています。僕たちがどんなに世俗的か気づいていませんね。あなたの言っている愛されている者の生活について、すべてを受け入れられるようになるには、それ以前に答えてもらわねばならない質問が、それこそたくさんあります。」(p.158)「私が生きるために、幸せであるために、人生を楽しむために、自分のもとで、もっとも深い願望をかなえるために、本当に神が必要でしょうか?きちんとした、創造的な生活を送るために、信仰が必要でしょうか。」(p.161)と語る人たちに、わたしは答えることができるだろうかと、正直に語っている。生きる場所を分けてしまっている、聖職者が理解するのは、一般信徒より、さらに難しいのではないかと正直思った。以下備忘録「あなたは、私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(p.29等)を聞いたところから、イエスは、神の国宣教を始めるが、神の国が近いということと、この言葉が深く関係していることに、今回気付かされた。「高慢とは、自分が見ているような自分の姿を他人に見られまいとして、自分を高い位置に置くことではないでしょうか。高慢とは、突き詰めて言えば、自分には価値がないという感じ王を別な仕方で表しているにに過ぎないのではないでしょうか。」(p.31)「単に神の子で『ある』だけでなく、神の子に『なる』必要があるとしたら、さらに、ただ、兄弟姉妹で『ある』だけでなく、兄弟姉妹に『なる』必要があるとしたら、そしてこれらがすべて真実であるなら、どうすればその『なる』というプロセスに取り組めるでしょうか。もはや霊的生活が、在り方(being)のみでなく、『なる(becoming)』ことであるとすれば、この『なる』ことには、どんな性質があるのでしょうか。」(p.45)「なる」ではなく「なろうとこころみる」と表現したいが、それも、まだ、わざとらしく、適切な表現をわたhしは持たない。「(バル・ミツヴァで)息子よ。これからあなたの人生になにが起ころうと、また、あなたが人生で成功しようとしまいと、また有名になろうとなるまいと、健康であろうと健康を失おうと、あなたの父と母が、どんなにあなたを愛してイルカを、いつも思い起こしてほしい。」(p.72)「祝福:bene(善いこと)dictio(語る)」(p.73)残念ながら、すべて、司祭のことばで、われわれの一人のことばではないと感じた。イエスがそのひとの苦しみ、痛みのそばにまず寄り添ったことを覚えたい。それが尊厳をたいせつにすることのように思う。
(2022.4.5)
- 「神の出番の新時代 - カオスから光へ -」荘内教会 矢澤俊彦著
冊子で、通常の本ではない。交流をもたせていただいている、鶴岡にある教会の牧師で、すでに「鶴岡の荘内教会宣教物語」「天国を激しく襲おう」「人間復活へ」「大空に飛翔しよう」「キリストによるマグマ爆発」「続人間復活へ」「ただ愛されるものだけが」「復活の喜びを目指してー汝の墓を出よー」「汝を宇宙の主につなげ」「忖度世界への挑戦ーC.S.ルイスの落雷ー」があると、書いておられる。おそらく、すべて読んでいると思う。今回、記録しておこうと思ったのは、いくつか理由があるが、それは、よいとして、内容として、特に、第2部 神探求の旅日記に、ご自身の苦闘について書いておられたからである。第1部の現代人へのメッセージや、これまでに書かれたものについては、素晴らしいと思う面と、議論をしたくなる、疑問点なども、あったが、この第2部を通して、ほんのわずかであっても、矢澤牧師のことを知る緒がえられたと思ったからである。あと、一冊手元にある。「内面的飛躍を目指そうー希望ある明日のためにー」を読み終わったら、お手紙を書きたいと考えている。すこし、乱暴な言い方をすると、日本だけではないだろうが、都市ではなく、地方での、宣教の困難さだけではなく、キリスト教の本質について、共に、考えてみたいからである。「あなたのことを教えて下さい。矢澤牧師の神探求の旅を一緒にたどらせてください」という気持ちからである。
(2022.4.10)
- 「『伊豆の踊り子』を読む - 分析と推論の間」立川明著、川島書店(ISBN978-4-7610-0944-1, 2021.11.20 第1刷発行)
著者から頂いた。小説もこれまであまり読んでこなかったし、ましてや解題だろうか、小説の解釈は、正直に言うとあまり、興味を持たなかった。川端康成の作品には、どうしても馴染めなかったこともある。最初は、著者が、この小説に関しては、ほとんどが実際にあったことと語っているようだが、実際と小説上の表現のどちらについて語っているのかも不明で、混乱もした。しかし、教育学者の識見、特に、デゥーイの「民主主義と教育」や、他の様々の古典からの引用や、英訳、ドイツ語訳からの引用など、内容を語る、著者の声が聞こえてくるようでもあった。また、進むに従って、著者の解釈の背後にあるものや、ジェンダー論にまで発展し、少女の年齢の特殊性などにも、触れるに至って、興味は深まっていき、考えさせられ、正直十分に楽しむことができた。あくまでも、解釈であり、何箇所かにおいて、わたしは、少し違うのではないかと思ったり、やはり、川端は、事実を手前に置いて、向こう側に投影された、踊り子の像(イメージ)を美化して描いているのであり、実際について詳細を詰めることには、抵抗感も残ったことは確かだが。最後まで読んで、毎日新聞が中心となって行っている、読書世論調査の結果(p.196,197)が興味深かったので、図書館で眺めてみたり、補録2の「雪国の踊り子」(荻原アンナ著)への手紙に凝縮された、著者の思いに興味を持ち「雪国の踊り子」(海燕に最初発表されたようだが、いくつかまとめられている「私の愛毒書」)を読んで確認もしたことからも、かなりハマってしまったことは確かである。退職後の時間の余裕が、こころのゆとりひろがりへと向かっていったのかもしれない。新しい、世界にこころを開いてくださった、著者に感謝。「伊豆の踊子・温泉宿 他四篇」を読んだ以外にも、YouTube にあった「伊豆の踊子」の朗読を二度聞き、「雪国」の朗読劇も聴いたことも付け加えておく。
(2022.5.15)
- 「長崎活水の娘たちよ〜エリザベス・ラッセル女史の足跡〜」白浜祥子著、彩流社(ISBN4-88202-852-2, 2003.12.1 発行)
版元の情報・目次。1836年に生まれ、南北戦争を経験し、日本では 1873年禁教令が解かれてあまり期間がたっていない1879年(43歳の時)、アメリカメソジスト教会婦人外国伝道協会から、ギーア女史(当時33歳)とともに、長崎に派遣され、11月23日に到着、12月1日には、後に「活水」となるミッションスクールを開校。この日に一人目の生徒、風説定役(ふうせつさだめやく)の家柄の官梅能(かんばいよし)を迎える。最初は、鹿児島(薩摩)からの生徒が何人が与えられるが、そのことで、かえって、地元からは警戒され、なかなか生徒が与えられない期間が長かったようだが、40年間滞在し、後に、活水女子学院となる元を築く。官梅能が連れてきた、女の子(メイ)を引き取り、幼女とするが、私財をなげうって、孤児院も運営、様々な困難を乗り越えていく姿が描かれている。著者は、活水中・高の卒業生で、アメリカにもラッセル女史の足跡をたずねて訪れている。英語が不自由と見えて、名前表記など、もう少し、英語名があるとよいと感じたが、思いも込められており、一気に読んでしまった。よくまとまっていると感じた。北にクラーク博士、南にラッセル女史ありと言われたとあるが、そのような評価は、地道な働きを見て、誇大ではないと感じた。このような働きは、おそらく、クラーク博士のものと比較しても、大きな価値があるのだろうと思う。1982年、幼女のメイを看取ってから、4年後に召天。
(2022.5.19)
- 「〜歴史の交響〜活水学院と長崎プロテスタント教会の百二十年」活水同窓会編、香柏有限会社(2015.5.20 発行)
加納孝代学長の希望でまとめられ、新書版として、同窓会編として発行されているが、基本的には、活水女子大学文学部現代日本文化学科服部康喜教授が著者である。活水学院のことが中心で、最後には、同窓会についてもまとめられていることもあり、一般の出版社ではなく、同窓会編として、同窓会が運営している、有限会社発行となっているようである。第三者のチェックが十分ではないように思われるが、長崎プロテスタント教会の歴史が、詳細にかつ背景も丁寧にかかれており、労作である。活水の由来「问渠那得清如诉 为有源头活水来 - 朱子 观书有感诗 Wèn qú nà dé qīng rú sù wèi yǒu yuántóu huà shuǐ lái - zhūzi guān shū yǒu gǎn shī(Ask him how clear it is for the source of living water)朱氏」
(2022.5.19)
- 「私の愛毒書」荻野アンナ著、福武書店(ISBN4-8288-2398-0, 1991.9.10 第一刷印刷、1991.9.17 第一刷発行)
「『伊豆の踊り子』を読む - 分析と推論の間」に引用されており、女性視点の「雪国の踊り子」が含まれているものを探して読んでみた。「鼻と蜘蛛の糸」のみ文學界、残りの「小僧の、お客様は神様です」「おめでたき小説」「雪国の踊り子」「旅愁の領収書」「走れトカトントン」「ミッシマ精神研究所」は海燕に出たものを収録している。表題から想像できる原著もあるが、個人的には、4冊のみ読んだことがあるものだった。パリの第四大学に3年間留学した経験もあるとのことで、女性視点といっても、一般的とは言えないかもしれないが、個人的には、二度読むことになった「雪国の踊り子」は、上記の本を読むときに、丁寧に読んでいったこともあり、考えるヒント、うけとるメッセージはあった。しかし、個人的には、馴染みのない、小説を題材にした、エッセーというジャンル。わたしが、はまるようになるには、かなりのときが必要に思った。
(2022.5.28)
- 「ユーモアの極意 文豪たちの人生点描」中村明著、岩波書店(ISBN978-4-00-025429-8, 2019.2.26 第一刷発行)
出版社の頁:本の内容・目次・著者略歴。辞書の編纂も含め、日本語関連の多くの著作がある著者が、以前から書いてみたいと思っていた「ユーモア」について書いた本である。序章:人生のかけらが映る風景、I. 漱石一門、II. 職人一芸、III. 井伏一隅、終章:秋の夕陽に熟れて、と分けてある。この分け方については、多少終章に説明があるが、個人的には、描く側の文豪の心持ちの違いが現れているのかと思った。文学には、他者視点や、様々な異なる人物が描かれるものもあるが、ここで取り上げられているトピックは、文豪たちの、非常に個人的な視点の深さを面白さ、ユーモアとして、著者が描いているように見える。連続で、4コマ漫画を見ているような、軽快な文体が、この方の持ち味なのだろうが、言っていることは通じるが、その深さを味わい深いとは、思えなかった。深さをもった日本語の味わいを芸術として鑑賞するという世界が、広がりにも欠け、教養人のお遊びに見えてしまうからか。おそらく、わたしが読者として、ふさわしくないのであろう。以下は備忘録:小津作品「東京物語」から老妻がなくなった直後、崖の上で海を見下ろしている老人心配して見に来た次男の嫁に「ああ、綺麗な夜明けじゃった」「今日も暑くなるぞ」(p.8)「外国語を習いながら難しいとこぼすぐらい、くだらない不平はない。人間は一つの言語を知っているのを神からの特別の贈り物だと感謝しなければならないのに、そのうえ欲張った別の言語を覚えようなどとするのは、神の摂理を無視し、自然の法則に背くことであり、外国語学習にともなうくるしみはその罰なのだ(内田百閒)」(p.50)「凡そ億劫という言葉ほど、千万無量の味の籠もったものはない、億劫を抜いた心の中から、ほんとうの学問も芸術も生まれては来ない。(岩本素白『訪西樹斎記』)」(p.75)「事実と虚構をないまぜる小説家井伏鱒二」(p.134)「昔の文理科大学の同僚だった数学者は『数学をやってやりぬいているうちに、お経が好きになり、哲学教室から仏典を借りて来ては読んでいた』がそのうち自分で古本屋から珍しい仏典を見つけ出して、哲学教室にせがんで買ってもらっていたらしい。つまり、『数学を究極するところを仏典の中に発見した』ことになる。読書は結局、『娯楽と知識を通じて、人生を知ることであり、人間の幸福を招来する』ことなのだと福原(麟太郎)は語っている。」(p.180)「苛酷な現実を克服して人間らしい生活を守るため、荷を軽くする転身の術を英国人は『ヒウマー』に求めたのだと(福原は)いう。」(p.186)
(2022.6.2)
- 「新約聖書のギリシャ語 NEW TESTAMENT WORDS」ウィリアム・バークレー (William Barclay) 著、滝沢陽一訳、日本基督教団出版局(ISBN978-4-8184-0730-5, 2009.12.15 初版発行)
要旨・目次抜粋・著者・訳者紹介。新約聖書のギリシャ語について61の節に分けて解説している。特に、古典ギリシャ語での用法、七十人訳(セプチュアギンタ)、新約聖書が書かれた頃のパピルスでの用法を踏まえて、新約聖書に使われていることばを解説している。バークレーの学識に負うところが多いが、示唆的で、学ぶことも多かった。特に、いくつかの語が印象に残った。また、いずれゆっくり学び返したい。以下は備忘録:「アガペーは、神が人間を扱われるようにわたしたちが人々に対すること」(p.17)「アガペー:初代において異教徒が驚いて発した言葉は、『キリスト者相互の愛の深さを見よ』であった。現代の教会の重大な欠陥は、外部から見るならば、しばしばつまらないことについて激しく口論する人々の一団であるということであり、教会が完全に平和な相互の愛の中に包まれることは極めてまれな現象である。すべての人が、すべてのことについて同じ一致した意見を持つような教会は教会でない。人々が意見を異にするがなおお互いに愛しあう教会が教会であると言えよう。」(p.20-p.21)「アガペー:リンカーンが敵対者をあまりにも丁寧に親切に取り扱うと非難され、敵を破ることが大きな義務であること指摘された時に、彼は答えた、『わたしの敵をわたしの友人にする時に、その人々を傷つけるだろうか』。キリスト者が敵対者を破る唯一ほ方法は、彼らを愛して、友人とすることである。」(p.21)「アガペー:わたしたちは神学上の意見を異にし、方法上の見解を異にする。しかしこの相違を超えてわたしたちがキリストを愛し、それゆえ互いに愛しあうべきことを絶えず覚えていなければならない。」(p.23)「アンガルーエイン(強制徴用):もしだれかがあなたに対してもっともいやな、屈辱的な使役を強いるならば、もしだれかがあなたの権利を犯すことや要求する権利のないことをするように強制するならば、もしあながた被占領国における防備のない被害者のように扱われるならば、それを恨み、怒ってはならない。求められたことをしなさい。それ以上にしなさい。善意をもってしなさい。それがわたしの道である。(マタイ5:41)」(p.27)「アイオーニオス:永遠の生命とは神ご自身の生命にほかならない。」(p.32)「アペケイン:お前が望んでいた全額支払いはこれか。」(p.52)「アフォラーンとアポベレペインは、『驚きと愛と賛美の中に我を忘れている』魂の持つ『まなざし』」(p.55)「偉大な作家や芸術家に尊敬を払うが、神々を敬う心のない人の行いをソクラテスが論じるところがある。ソクラテスは尋ねる。『あなたがたはどちらが尊敬に値すると思うか。感覚も動きもない幻想の創造者か、それとも生ける、知的な、活動的な(エネルゴス)人間か。』」(p.82-p.83)「プルタルコスは、エウセベイアは、アテオテース『無神論』とデイシダイモニアー『迷信』の中間であるといい、フィロンは『不信心』と『迷信』の中間であると言っている。」(p.115)「プラトンはいう、『一つの意見が勝ち、理性の助けによってわたしたちを最善へと導くならば、その勝ちを占める原理は克己・自制(ソーフロシュネー)と呼ばれる。しかし、理性を欠いた要望が私達を支配し、快楽へと導く時に、その無法の力はフィブリスとよばれる。』」(p.141)「真に賢い人間は原理的(ソフィア)と実際的の両方の知恵を有している。(中略)ソフォス『賢い』、フロネーシス『思慮深い、分別ある』、シュネトス『理解力のある』」(p.294)「ソーテリア:『あなた方のソーテリアについて手紙をください。』『いかにお過ごしかお知らせください。』一般的な安全、保障、困難からの救出」(p.300)「もしだれかがその人に影響を与えうるならば、その人の感情を変えたり、幸福にしたり、悲しませたりすることができ、その人に力を持つ、すなわち、その時だけでも、その人よりも偉大な存在となる。もし、神が人間に起こることに対して悲しみや喜びを感じるならば、人間が神に影響を与える、すなわち、人間が神に対してより大きな力を振るうことになる。」(p.311)「神は本質的に、永遠に感情から自由であるが、『わたしたちのために、苦難を受ける能力をもった肉体をとり』『感覚の中に下りたもうた。キリスト教の神観の本質は、神がみずから進んで人間を共に、人間のために感ずることを選びたもうたということである。』」(p.313)
(2022.6.10)
- 「名人」川端康成著、新潮文庫 か-1-14(ISBN978-4-10-100119-7, 昭和37年(1962年)9.5 発行, 平成30年10月5日44刷)
出版情報。「悟達の本因坊秀哉名人に、勝負の鬼大竹七段が挑む……本因坊の引退碁は名人の病気のため再三中断、半年にわたって行われた。この対局を観戦した著者が、烏鷺の争いの緊迫した劇にうたれ、「一芸に執して、現実の多くを失った人の悲劇」を描く。盤上の一手一手が、終局に向って収斂されてゆくように、ひたすら“死”への傾斜を辿る痩躯の名人の姿を、冷徹な筆で綴る珠玉の名作。」とあるが、どうなのだろうか。昭和13年6月から12月にかけて打たれた、本因坊秀哉名人の引退碁の観戦記(東京日日新聞:現在の毎日新聞)をもとにした小説で、相手は、木谷實であるが、小説では、大竹七段となっている。名人はこの碁のあと、一年ほどで他界。最後の精魂を絞り出しての碁であったことは、理解できる。歴史的には本因坊の名跡を継ぐ形での本因坊名人はこれで終わり、実力制の本因坊戦が始まる。今年は第七十七期である。名人は最後の十年間、三回しか勝負碁を打っていないという。雁金準一、呉清源、木谷實である。(若い頃は皆、先二程度まで打ち込んだようだが、後半には負け続けたこともあるようで、実力が近くなってきている棋士が増えてきたことは確かだろう。)打った日数は、66日、それぞれ40時間が持ち時間で、白は、19時間57分、黒は、34時間19分使ったという。隔世の観がある。KataGo(AI碁)で少し調べてみた。3目以上損な手を打ったのがそれぞれ一手ずつ(黒27,白130)。一応、この白130を敗着と解説しており、その手を打った背景も書かれている。1目以上損な手はそれなりにあり、もっと前に逸機があったように思われる。打ち方もふくめ、大きく変化していることがわかったが、古い碁をそのように検討することは、礼を失するということでしていないのだろうか。結果は、黒5目勝ちであるが、今は、6目半がコミだから、白1目半勝ちとなる。「しかしむしろ六十五の老名人が病いに苦しみながら、現役の第一人者の必死に食い下がるのを、先手の効を大方失わせるところまで、よくも打ったと言わねばならない。黒の悪手に乗じてではなく、白が策をほどこしたのではなく、おのずから微妙な勝負に導いていた。でも、病気の不安で根気が及ばなかったのだろう。『不敗の名人』は引退碁に敗れた。『名人は常に第二位の者、つまり自分の次に続く者だけは、戦力を挙げて打つという主義だったそうです。』と弟子は話した。名人がこのような言葉を、口にだしたかどうかはともかく、名人は生涯これを実行してきたのだ。」(p.160,161)引退碁のあと「名人はそのまま伊東に残っていて、目方も五百目ふえ、八貫五百になったと聞いた。また盤石二十面を持って、傷病兵の療養所を見舞ったということだった。昭和十三年の暮は、もう傷病兵の療養所として、温泉旅館が使われ始めていた。」(p.160)川端作品はどれもあまり好きになれないが、興味がある囲碁の小説ならと読んでみたが、やはりあまり興味が持てなかった。人生観の違いだろうか。解説者「山本健吉」は描き方の背後に川端の死生観があるという。「生きた相手だと、思うようにはっきりも出来ないから、せめて死んだ人にははっきりしとくのよ。『雪国』」(p.168)だそうである。はっきりかけない、木谷實の部分については、大竹と違う名前を使ったのかもしれない。
(2022.6.18)
- 「非暴力非まじめ〜包んで問わぬあたたかさ Vol.1」櫻井淳司著、ウネリウネラBOOKS(ISBN978-4-9911746-1-2, 2022.05.20 初版第1刷発行)
出版社の頁:本の内容、目次情報等。知り合いの方が、出版まもない、興味深いタイトルの本を送ってくださった。出版社および版元に、ある程度の情報が書かれているので、内容については、省略する。前半には経緯とともに基本的な考え方が書かれ、後半は説教集となっている。丁寧に、表題にある課題について考え、生きておられること、そして、海外研修も含めて学んでおられることも感じたが、非常に大きな課題であり、もっと、広く、話し合わなければ、ある規模で、進むことはできないと感じさせられた。しかし、これは様々な意味で、非常に価値のあるかつ喫緊の課題である。多くの人達が、この問題と向き合う必要を強く感じた。イサクとアビメレクのやりとりの解釈は興味深かった。「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。 以前、我々はあなたに何ら危害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください。あなたは確かに、主に祝福された方です。」(創世記26章28-29節)ただ、個人的には、複雑な問題に短絡に答えを導こうとしているようで、気になる箇所も多かった。以下は備忘録:「日本国憲法第九条を踏み潰そうとする最も強大な力は『日米地位協定』だ。これは、日本の米国への隷属を強化、固定しようとする『不平等協定』だ。これの改訂、撤廃こそが『世界の宝』を救い、活かすため緊急に取り組むべき課題である。参考になる事例は多い。かつて不平等条約の改正に全力で挑み、成し遂げた外交び天才陸奥宗光の事蹟を学ぶときである。」(p.45)「人が心から愛し合うところ、感謝し合うところ、喜び合うところ、赦し合うところ。そこが天国である。自分は妻以外、主人以外愛さないなどと言うなら天国は遠くなる。愛の貧困国の住人になって、愛に飢えて渇き、真面目なしかめ面をして、心の弾まない日々を送るだけになる。それこそ生き地獄である。」(p.47)「『不真面目』は善を拒否して悪だけを受け取る。『非まじめ』は悪を拒否しない。それを包み込んで善に転化する。これが本当に善を生む道ー非まじめ道ーである。」(p.47)「およそ、この世に出現したあらゆる存在、すべての現象、一切の概念は、それなりの異議を持って出てきており、その意義を一つとして殺すことなく活かして進むことこそが真に正しい人間的行為と言うものだ。(森政弘)」(p.48)「父への手紙:戦地で負傷して両足を切断した友達ができた。一生その友の世話をしてほしい。自分はその親友と分かれることは絶対にできない。この条件を承諾してくれなければ、帰宅することはできない。父の応答:会って話し合ってからにしよう。両足を失っていた息子自殺。(三浦綾子著『藍色の便箋』)」(p.132)「小野弘牧師夫妻:おはずかしいことに礼拝出席者は二人しかいないので。」(p.136)「聖書の『しかし』は、われわれに、人間の意味と無意味の前と後ろと上方に、しかし、同時にその内部にも常に存在する神の意味を、われわれに想起させる。あらゆる瞬間における最も新しい可能性、あらゆる瞬間におけるまったく他なる可能性ーそれが神である。(カール・バルト『大いなる「しかし」』)」(p.137)
(2022.6.20)
- 「活水学院百年史」活水学院百年史編集委員会編、活水学院(昭和55(1980)年3月31日発行)xiv-434頁-付録等122頁-ix-索引5頁
1879年12月1日創立の活水学院の創立百年史である。目次:序章 近代の夜明け、第一節 開国と新教の戦況、第二節 幕末から明治の長崎、第一章 創設時代、第一節 開校、第二節 校舎、教育方針、校名、第三節 教育体制の確立、第四節 活水の校風、第五節 宗教教育、第六節 同窓会の誕生、第七節 ラッセル女史休暇帰国、第二章 充実時代、第一節 ヤング女史ー人とその時代、第二節 学校認可、第三節 新しい体育、第四節 教育組織の改革、第五節 生徒の活動、第六節 活水の行事、第七節 活水女園と幼稚園、第八節 別離と交代、第三章 発展時代 近代化の第一歩、第一節 ホワイト時代、第二節 学校の機構改革、第三節 教員組織、第四節 校舎の改築、第五節 活水女子専門学校、第六節 生徒指導と生徒の活動、第七節 創立五〇周年記念、第八節 歴史の中の生命、第九節 ホワイト女史帰米と辞任、第四章 戦争前時代 第一節 戦時体制へ、第二節 創立六〇周年記念と校地拡張、第三節 国家主義の浸透、第四節 YWFMS との関係、第五節 米英両国に宣戦、第五章 戦時下時代、第一節 校長の交代、第二節 戦時体制の浸透と活水、第三節 学徒動員と学校工場化、第四節 学制改革、第五節 戦時下の宗教活動、第六節 原爆と終戦、第七節 授業再開、第六章 復興時代 第一節 刷新から復興へ、第二節 新しい担手、第三節 新教育制度発足、第四節 ペカム女史来任、第五節 復興、第七章 学院の成立と整備 ペカム院長時代、第一節 活水学院の発足、第二節 学院の整備、第三節 創立七五周年記念式、第四節 中等教育、第五節 新しい時代へ、第八章 学院の近代化と拡充、第一節 橋本院長時代、第二節 クラーク院長時代、第三節 河野院長時代、第九章 学院の現況と展望、第一章 大久保院長時代、第二節 創立一〇〇周年記念、別章 外郭団体、東山手教会、学友自治会、活水高等学校・中学校生徒会、活水中学校・高等学校PTA、同窓会、教職員組合、付録 卒業生の思い出、活水学年略年表、活水学院学制変遷表、生徒学生、在籍者数調査表、五四年度学校法人役員、現教職員名簿、活水宣教師名簿、旧職員名簿、あとがき、図・表・写真目次。すばらしい歴史資料である。学校を作っていくときから、自分をその場において、考えながら読んだ。すばらしい、リーダがそのとき、その時に与えられたのだと思う。特に、戦争へと向かい、戦時下となり、最後は原爆で終わる太平洋戦争時のこと、そこで生き抜いたかたがたと共に、過ごすことをさせていただいたようで、非常に勉強になった。教員側の証言だけでなく、卒業生の証言からも、学ぶことが多かった。備忘録:「(部科制を作ったのは果たして宣教師の仕事であるかと、問われたのに対し、ラッセル女史は)誰がこれら日本人に教えるのか。私達は皆それをしなければならない。科學を知ることは科學の創造主を知る助けとなるであろう。音樂を學ぶことは思想を音樂で表現することであり、美術は思想を鉛筆や筆や鑿で具体化することである。これらは皆神のみ思いであって、日本人の美を愛する魂は主のご用のために啓發すべきものであることを見いださないのは遠くを見ない人である。」(p.43)「IN LOVING MEMORY OF ELIZABETH RUSSEL WHOSE FAR REACHING FAITH UNFAILING LOVE AND UNDISCOURAGEABLE BILIEF IN THE ABILITY AND THE FUTURE OF JAPANESE WOMANHOOD MADE POSSIBLE THIS SCHOOL(ラッセル先生記念碑)」(p.163)「戦時体制がますます強化され、学校令の強行で私立学校、特にキリスト教主義の学校には風当たりが激しくなり、女学部の人は制服を着て通学しているのに、星条旗の星をつけて非国民だ、セイラー服の星を取れとか、活水はスパイだろうなど、電車の中や浜の町の人混みの中で随分いわれました。女専の人も、活水の生徒とわかると髪がながいから、くくりなさい、モンペの裾はきちんと結びなさいと、目の敵にされ、世間の人から大変冷たい目で見られ、つらい思いをしました。報国隊の配置も危険の多い香焼にやられ、船で毎日往復する途中、機銃掃射されそうで命がけの通勤でした。学校の方でもこの様な生徒の状態をとても心配されて、少しでも風当たりが緩和されるよう心を配っておられ、伝統のある朝の礼拝のあと、”海ゆかば”を歌うようにされたり、体育館の横の崖を軍の防空壕に提供されたり、前記の食料増産に協力して、他の学校に先駆けて国策にそうよう努力しておられるのが、私達生徒にもよくわかりました。その後香焼へ行くのが危険ということで体育館を川南造船所の工場にされ、これで生徒たちは毎日危険がうすれ、ほっといたしました。二年生の私達は長崎連隊区司令部に動員され、兵籍(兵隊の戸籍)や一号室(動員の係)に配置され、師団司令部から招集の命令が出ますと、一号室では大変で各兵科から兵隊の人数を選び、召集令状、いわゆる赤紙を感無量の思いで大分書きました。三年生までほとんど授業がなかったので、なんとか授業を受けられるようにと、二部に分けて午前中保健科が工場の時は被覆が授業を受け、被服科が午後工場のときは保健科は授業というように、女専卒として社会に出る私達のためにいろいろと心配してくださいました。昔のよき時代の活水を知っておられる方々は、この様な学校の姿を複雑な思いでみていられたことと思います。私達生徒も何のために授業料を収めて学校に来ているのかも疑問もでました。でもあの時代はこうしなければ活水はどうなっていたかわからなかったと思います。当時の校長武藤先生はキリスト教的精神においては誰よりも優れたお方でしたから、さぞかし断腸の思いでいらしたことでしょうが、この時にはどうにも仕方のないことでした。又それに対して不平をいう人もなく純粋にお国のためとのみ、精一杯自分たちの仕事に励みました。その後終戦となり世の中は米軍の上陸と共に混乱し、婦女子に危険が加えられる恐れがあるので、女子は山中へでも避難しなければという流言が全市に立ちました。生徒は無論職員の方の中にはこれを恐れた人が多分にあられたようでした。これを耳にされた武藤先生は『米軍は絶対に婦女子に暴行を加えるようなことはしないから、逃げ惑う必要はない』と指示され、その英断によって生徒職員の不安や同様も静かになりました。先生が若い日、米国に学び、米国人をよく知っておられたこと、先生の不動の信仰がこの勇気ある決断の支持となったと思います。しかし、戦後、軍国主義でキリスト教教育に反した教師として密告され、『他の職員に累を及ぼさない』という条件で公職追放をお受けになり長崎を去って行きました。同じ時代、学生として過ごした者は、活水の大きな受難時代を思う時、活水を守ってくださった武藤先生を忘れることはできません。本当に偉大な先生でした。(昭和20年家政科卒 大賀寿子記、一部のみ)」(付録 p.61)
(2022.7.18)
- 「ネグカドネザル2世〜バビロンの再建者」山川重郎著、世界史リブレット人003、山川出版社(ISBN978-4-634-35003-8, 2017.01.30 初版第1刷発行)
出版社の頁:目次など。ネグカドネザル2世(旧約聖書名で、アッカド語名はナブー・クドゥリ・ウツル(「ナブー神よ、わが世継ぎを守りたまえ」の意))は、ユダ王国を滅ぼした新バビロニアの大王である。(北)イスラエルは、アッシリアに滅ぼされるが、そのアッシリアを滅ぼし、(南)ユダ王国を滅ぼし、パレスチナ、そしておそらくエジプトまでも覇権を広げた王について歴史学的にどの程度わかっているのか興味があり読んだ。一般的には、アッシリアについては、あまり記録が残っておらず、バビロニアからは、記録があるとされていると思う。発掘作業は何回かに渡って行われ、様々に研究はされているようだが、資料が多い割に、歴史という観点からはあまりわかっていないとの印象を受けた。さらに、もう少し続けて学んでみたい。紀元前8世紀から紀元前1世紀まで編年で記した粘土板資料「バビロニア歴代記」(p22)もあるようだが、簡単なもののようである。建築物や、粘土板に書かれたものでは、限界があるのかもしれない。最後についている年表を記す。前626 ナボポラサル、バビロンで即位。新バビロニア王国開始、前614 アッシリアの古都アッシュル陥落、前612 アッシリアの首都ニネベ陥落、前610 アッシリア最後の拠点ハラン陥落。アッシリア帝国の滅亡。前505 バビロニアの皇太子ネブカドネザル、カリケミシュでエジプトのファラオ・ネコと会戦、さらに南進してハマテ地域を制圧。ナボポラサル没。ネブカドネザル、シリアから急遽帰国してバビロンで即位。ネブカドネザル(2世)の治世始まる。前604 ネブカドネザル、はじめて王としてバビロンの新年祭に参加。シリア・パレスチナへの数次にわたる軍事遠征(アシュケロン占領、エジプト軍と衝突〜前601)。前599 シリア・パレスチナ遠征(〜前597)前598 エルサレム包囲。第一次バビロン捕囚。前596 エラム遠征。前595 シリア遠征(〜前594)。前588 ユダ王国攻撃、エルサレム包囲(前586)。前586 エルサレム陥落、ユダ王国滅亡。第二次バビロン捕囚。前585 ティルス包囲(前573頃)。前583 バビロン新王宮建設(前572)。前572 バビロン近郊のユダヤ人居住地由来のアール・ヤフード文書の作成(〜前483)前562 ネブカドネザル2世死去、ネブカドネザルの子アメル・マルドゥクの治世(前560)。前560 ネグリッサル、反乱によりアメル・マルドゥクの王位を簒奪。前556 ネグリッサル死去、その子ラバシ・マルドゥクの王位を簒奪。前556 ネグリッサル死去、その子ラバシ・マルドゥクが即位するも三ヶ月後、ナボニドスが王位を簒奪して即位。前547 ナボニドス、バビロンを留守にし、アラビアのテイマに滞在(前539)。前539 アケメネス朝ペルシャのキュロス2世(大王)、バビロンに無血入場。新バビロニア王国の終焉。
(2022.8.1)
- 「歴史学の現在 古代オリエント」前田徹・山田重郎・山田雅道・鵜木元尋・川崎康司・小野哲共著、山川出版社(978-4-634-64600-1, 2000.07.31 初版発行)
出版社の頁。目次・著者情報。第一章:総論、第二章:都市国家から統一国家へ―前三千年紀、第三章:群雄割拠から再統一へ―前二千年紀前半、第四章:多極化する世―前二千年紀後半、第五章:帝国の時代 I(前一千年紀新アッシリア時代)、第六章:帝国の時代 II (前一千年紀新バビロニア・アケメネス朝時代)。エジプトを切り離して、古代中東の歴史学を学ぶ者への入門書となっている。どの程度、明らかにされているのかを知りたいと思い、手にとった。帝国の時代II の新バビロニアあたりから、発掘された資料が多く、アケメネス朝ペルシャでは、異論など確定されていないことも多いが、それだけ、資料が多く、整理されているようだ。おそらく、アケメネス朝ペルシャの時代は、ギリシャなどとの交流も多くあり、外から見た視点に基づいて書かれたものも残されているからだろう。聖書で、歴史として書かれているのは、アブラハムの時代ぐらいからで、これは、概ねBC2000年ごろが想定され、ダビデ・ソロモンの王朝は、BC1000年ごろだが、基本的には、前一千年期である。そのころの混沌とした状況の中から、帝国の時代に入るあたりが概観されていて、興味深かった。歴史学がどのように研究されているかも、ほんのすこし垣間見ることができたように思われる。
(2022.8.9)
- 「可能性を広げる道しるべ〜10代のための資格・検定」大泉書店編集部編、大泉書店(ISBN978-4-278-08414-6, 2020.4.30)
出版社情報、目次情報。資格とか検定にあまりこれまで関心を持っていなかったが、若い人たちが就職などを考えるときに、とても重要な要素と考えられていることもあり、基本的な情報を知ろうとして手にとった。扱っている資格は、リンクをつけた目次情報をみるとわかるが、広範囲の資格・検定を扱っている。表題に「10代のための」とあり、おそらく、実務経験が必要なものなどは、あまりあげないようにしている。リンクも付いている場合が多く、調べられるようになっているが、資格名がわかれば、それで検索ができるが、やはりリンクが印刷してあるのなら、せめて QR code などがついている方が親切だと感じた。出版社情報をみるとこの本に関連した本が何冊が出ているようだ。
(2022.8.16)
- 'Permutation Groups', Peter J. Cameron, London Mathematical Society Student Texts 45, Cambridge University Press(ISBN 0-521-65302-9, 1999)
O'Nan-Scott の定理を理解したいと思い手にとった。久しぶりに完読した数学書である。完読といっても、最後の2つの章は完全に理解したとは言えないが。無限置換群についてや、古い結果など、Cameron の知性と幅の広さや嗜好がよく現れているとも言える。証明はすべて書かれているわけではないが、美しい証明にいくつか出会うことができたことが、最後まで読み通した理由でもあると思う。やはり数学が好きなのかもしれない。Contents: Preface, 1. General Theory, 2. Representation Theory, 3. Coherent configuration, 4. The O'Nan-Scott Theorem, 5. Oligonomorphic groups, 6. Miscellanea, 7. Tables, Bibliography, Index.
(2022.8.16)
- 「図説 ロシアの歴史」栗生沢猛夫著、河出書房新社(ISBN978-4-309-76224-1, 2010.5.30 初版発行、2014.10.30 増補新装版初版発行)
出版社情報。内容説明に「広大な大地に多民族が紡いできた壮大な歴史。ロシアの古代から現代までをひもとく永久保存版。なぜ、革命はおきたのか?強権による専制はどうして必要だったのか?近くて遠い国、ロシアの真実。」とある。図説とあり、写真や図なども多いので、サラッと読めるかと思って借りたが、とても内容の濃い、すばらしい本だった。わたしは、本当に、断片的にしか知らず、それもおそらく、ヨーロッパ視点からの知識だけだったのだろう。遅れて発展した大国の難しさ、農民や、労働者の苦悩、指導者皇帝や貴族の舵取りの難しさ、少領主、官吏、聖職者、商人層などの多様な意見が出てくる中での困難など、ほんの少しだが理解できたように思う。バランスがとれた公平な視点から書かれていて、むろん、著者も書いているように、違った視点も多くあるのだろうが、読者に丁寧に伝えようとしている姿勢が感ぜられ、好感を持って読むことができた。嬉しかったのは、増補新装版で、2014年のクリミア併合までも含まれていたこと。ウクライナの危機が高まっていることが十分に感じられた。目次:第1章 ロシアという国、第2章 キエフ・ロシア(キエフ大公国)―ロシア史の揺籃時代、第3章 「タタールのくびき」―モンゴル支配下のロシア、第4章 モスクワ大公国―ユーラシア帝国への道、第5章 近代ロシア帝国1―貴族と農奴のロシア、第6章 近代ロシア帝国2―苦悩するロシア、第7章 ソヴィエト・ロシア―社会主義をめざすロシア、第8章 ペレストロイカからロシア連邦へ―今日のロシア。備忘録:「ヴ・ナロード(人民の中へ):(アレクサンドル二世の)大改革をきっかけに世論が活発となった。ロシアでは人生の意味を問い、理想に献身する批判的な知識人のことをインテリゲンツィアと読んだが、ツルゲーネフの小説『父と子』(62年)に見事に描かれているように、世紀前半には、貴族出身のいわば『父』の世代のインテリゲンツィアが活躍したのに対し、世紀後半になると、『子』の世代、すなわち少領主、官吏、聖職者、商人層などいわゆる雑階級出身の人々が中心になるに至った。子の世代は、父の世代が形而上学的、哲学的であったのと違って、実利的、唯物的であり、専制を含む既存のあらゆる権威や価値を否定するニヒリストであった。彼らは大改革に厳しい批判を展開したが、とりわけ、革命的民主主義者のチェルヌィシェフスキーは農奴解放令が解放どころか強奪的な性格をもつと考え、専制打倒のための蜂起と秘密結社の結成を主張した。彼は62年に逮捕、投獄され、終身のシベリア流刑を宣告された。獄中彼は『何をなすべきか』を書き、解放された男女の『新しい人』の姿を描いて、若い世代に強い影響を与えた。」(p.98)「歴史を、その後に起こった事実を絶対化し、ひたすらその地平からのみ解釈するのは、決して正しい歴史の見方とはいえない。すべてがその事実(この場合であれば革命)に帰着する過程、あるいはそれを引き起こした前史とみてしまうことになりがちだからである。おそらく歴史には、実現しなかったがそうなる可能性が少なからずあった幾多の道があったと考えるべきだろう。実際に起こったことのすべてが合理的、ないし必然であったわけではない。『十月革命』を成功させ、ソヴィエト社会主義共和国を樹立させた人々のように、革命が必然であったとするわけにはいかない。」(p.104)「ソ連崩壊直後に公表された統計によると、反革命罪で有罪とされた者は、概数で37年は79万人、38年が55万人、39年は6万3千人であるという。これだけでも決して低い数字ではないが、これが党=テロルの全貌を伝えているわけではない。(中略)80年代になってから欧米でこれに関する論争があり、相対的に大きく見積もる研究者は、30年代の犠牲者数を1600-2200万としている。内訳は集団化による犠牲医者500万、飢餓の死者500-750万、テロルの犠牲者500万以上(〜1000万)などである。第二次世界大戦後の分も含めると、総数2500万以上に上り、これは大戦期の死者数を上回るという。もっともこれには統計学者や人口学者からの反論があり、それによると、26〜39年の犠牲者数が480〜550万、うち飢餓によつもの300〜400万、テロルのそれは、100〜200万であるという。ペレストロイカ後に発表された数字によれば、26〜39年の過剰死亡者(通常の状況以外の死者)総数は790万、飢饉の犠牲者400〜600万(うちウクライナで200〜300万)集団化の犠牲者50〜100万、刑事弾圧による死者150〜300万である。ただし、これは誤差が大きいと考えられている。30〜53年に反革命罪で有罪となった者406万人、うち銃殺刑80万とする発表もある。39年に内務人民委員部の収容所(ラーゲリ)に拘禁された者132万、特別居住区への追放者(多くは集団化時に『クラーク』として追放された者ら)94万という数字もある。すべて概数であるが、いずれをとるにせよ、衝撃的な数字であった。」(p.141)「ウクライナ危機から欧米に対する対抗姿勢を崩さないプーチン政権の強硬姿勢がいよいよ鮮明になってきたように見える。本書の冒頭で、ロシア史の基本問題は『ロシアとヨーロッパ』という問題であることを指摘した。ロシア史の最後の時代には、ロシアはキリスト教の導入により『ヨーロッパ』の一員となった。だがその後ロシア帝国としての歩みを始めるとともに、次第にヨーロッパへの対抗意識を高め、『ロシアとヨーロッパ』は『ロシア対ヨーロッパ』ないし『ロシアかヨーロッパか』という構図で語られるような事態となった。はたしてこうした対抗的な構図が今後緩和されるときが来るのか、注目し続ける必要があるように思われる。」(p.176. 本書増補新装版の最後の言葉)
(2022.8.20)
- 「現代ロシアを見る眼〜『プーチンの十年』の衝撃」木村汎・袴田茂樹・山内聡彦共著、NHK出版(ISBN978-4-14-091162-4, 2010.8.25 第一刷発行
出版社情報、内容説明・目次。ロシアの歴史の概観をいちおう頭に入れて、現代ロシアについての本書を手にとった。すこし飛びすぎたかもしれない。しかし、プーチンがどのような人物か、また、プーチンの十年の経済発展は何に支えられたか、彼が信頼している人たち、などなど、よく書かれている。三人が別々の視点から書いているが、やはり、限られた視点だとも言えるのだろう。現代ロシアを、そして、プーチンの率いたロシアを理解するには、まったく不十分だが、多少は、背景を理解できたように思う。以下は備忘録。「1999.12.31 エリツィンの辞任表眼の演説:『改革は思ったよりはるかに困難であった。われわれはあまりにもナイーブだった。この混乱をもたらしたことに対して、国民の皆様にお詫びしたい。』民主化や市場経済への移行に関して、あまりにもナイーブで楽天的に過ぎたという言葉に、ペレストロイカ以後のロシア改革の問題点がすべて集約されている。」(p.36)「市場経済がまともに機能するためには、単に資金やインフラ、政治的、法的な枠組みがあるだけでは不十分である。契約を絶対に守るとか信頼を重視するとかいった文化、エトスがかけている所では、市場経済は育たない。改革派、市場派の知識人たちも、社会主義体制という重石さえ取り除けば、人材、科学技術、資源など諸条件に恵まれたロシアでは、市場経済は雑草のようにどんどん伸びていくというのは、あまりにもナイーブな幻想だったおいうことに気づかされた。司令経済のソ連時代には、国家が恐怖と強制力によって国民を搾取する代わりに、個人は国家や社会から奪えるものは盗んででも奪い返した。このような社会では、個人が責任を持って社会行動をおこなうとか、信頼や約束を重んじるという文化やエトスは育たない。ソ連が崩壊したあと、社会的なモラルも危機状態におちいっているということが明らかになった。一部のロシア知識人が、資本主義の発達のためには、独特のモラル、エトスが必要だというマックス・ウェーバーを再発見したのも、九十年代である。二十世紀初めにウェーバーはロシアでも読まれた。しかし、ソ連時代には、資本主義発展の要因として精神面を重視するウェーバーは観念論者として否定された。著者はこれを『ウェーバー・ルネッサンス』と呼ぶ。」(p.38)「ボボ・ロウ『個人は、その環境、歴史的、文化的、職業上の産物である。』プーチンの場合も、その権力や政策へのアプローチがしめしているのは、『彼が種々様々な自己の体験から影響を受けながら、自ら(の考え方)を形成してきている』ことである。」(p.42)「国民大衆が政治指導者に求めるものは、おそらく種々様々だろう。とはいえ、彼らの生命、財産、領土が内外の驚異から守られることは、最小限度の要求であるに違いない。それが保障されることといわば交換の形で国民は、国家に対して納税、徴兵、その他の義務に応じるのだ。このような社会契約が履行されなかったり、あまりにもバランスを欠く場合に、被治者は統治者に対して、講義する権利を持つ。- 英仏の思想家たちの社会契約論」(p.68)「ソ連邦の崩壊および1990年代の混乱と無秩序および貧困は、かつて米国と覇を競ったロシア人にとってまさに屈辱的であった。この状況のなかで、一般のロシア国民が何よりも求めたのは、知識人が求めた自由や民主主義ではなく、まず秩序であり安定であった。また、そのための強い指導者でもあった。」(p.94)「皮肉なことに、ソ連邦の崩壊と無政府状態の中で国民的なアイデンティティを失ったロシア人は、NATO拡大とチェチェン紛争、プーチンの登場のおかげでようやくあらたなアイデンティティを確立したのである。プーチンが99年末にインターネットで発表した論文『世紀の境目にあるロシア』、いわゆるミレニアム論文では、ロシアが進むべき基本的な立場について、民主主義と市場経済という普遍的な価値と、ロシアの伝統的な価値の結合を訴えているが、ここで言う伝統的な価値とは『愛国主義』『偉大な国家』『強い国家権力』である。」(p.99)
(2022.8.25)
- 「FIRST PERSON プーチン、自らを語る」ウラジミール・プーチン Vladimir Putin、ナタリア・ゲヴォルクヤン、N チマコワ、A コレスニコフ、高橋則明訳、扶桑社(ISBN4-594-02960-4, 2000.8.31 第1刷)
出版社情報、内容説明・目次。現代ロシアを見る眼〜『プーチンの十年』の衝撃」で、プーチン個人に関することは、本書からの引用が多かったため、手にとって読んだ。2000年3月にロシア語で出版されたものに、新聞に掲載されたインタビューを付け加え、読者の理解を助けるために注記を充実させた英語版が 2000年5月に刊行され、さらに、ミレニアム論文と言われるものの訳を含めてあるのが、日本語訳である。大統領選挙前にロシア語でまず出版されたこともあり、あるプロパガンダ的要素はあるが、感じることが多かった。特に、少しずつ、自分に似たところがあるなと感じさせられ、最後には、自分はとてもプーチンに似ていると感じ、正直怖くなった。こんな感覚は初めてかもしれない。理念や欲得で動くのではなく、ひとつの価値だけをもって、そのための実効性と有効性を判断して実務的に決断を下していくところだろうか。冷静で、感情をあまり出さないが、実際、親しい人にはそれを気取られる棘があるような部分も似ているのかもしれない。チェチェンについてはあまりにもあからさまに書かれていて、わたしは十分背景を理解しているわけではないが驚かされた。しかし、実はその部分は、英語版には入っているが、ロシア語版には入っていないと書かれていて(p.282)、さらに興味深かった。以下は備忘録:「友人はたくさんいるが、ごく親しい者はほんの数人だ、彼らはけっして去ることはない。裏切られたことも、裏切ったこともない。私は、それがもっても大事なことだと思う。わたしには友人を裏切る人間の気持ちがさっぱりわからない。キャリアのためか?キャリアなど、それだけでは大した意味を持たない。もちろん、キャリアは成功する機会、何かおもしろいことをする機会を与えてくれる。しかし、自分自身を欺いておいて、成功などありうるのか。とてもわかりやすいことだよ。権力を得るため、人を操るため、金を稼ぐための道具と見て、そして、すべてを失ってもいいと覚悟しているならば、それは、また別の話だ。しかし、人生に優先順位がー基準や価値がーあるならば、自分自身や自分の人生の一部である人々を犠牲にすることは意味がないと気づくだろう。とにかく、無意味なのだ。得るものより多くを失うはずだ。そうじゃないだろうか。」(p.201)「はっきりとはわからないが、物事を成し遂げるのに四年あれば足りると思う。我々の専門家は一年ごとの行動計画を立てている。最初年は、目標を設定し、チームを作る。二年目と、三年目の最初には叙情に具体的な結果を得る。三年目と最後の年のはじめには、我々は成果を示して、次の選挙のキャンペーンを始める。この周期が崩れ、すべてが四散してしまえば、我々はなにもできず、次の選挙んび備えることもできないだろう。」(p.229)「コールがロシアの歴史や現在の暮らしについてくわしく知っていることに強く印象付けられたのだ。ロシアで起きた様々な事件の本質を理解していた。彼の言葉の中でもっとも嬉しかったのは、ロシアの欠けたヨーロッパなどは、想像できないというものだった。ドイツはロシアの市場に興味があるだけではなく、ロシアと尊敬しあえるパートナーになることに関心があると彼は言った。」(p.241)
(2022.8.30)
- 「新版世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史」伊東孝之・井内敏夫・中井和夫編、山川出版社(ISBN4-634-41500-3, 1998.12.15 1版1刷発行、2002.12.15 1版2刷発行)
出版社情報、内容説明・目次。内容説明に「ポーランド・ウクライナ・ベラルーシ・リトアニア・ラトヴィア・エストニア。世界全域を網羅した新版世界各国史」とある。各国史とはあるが、まえがきに次のように書かれている。「人々が『国』とか『国民』という意識を持つようになったのはヨーロッパのこの地域では比較的最近のことである。(中略)意識のあり方は時代によって、また、帰属した国家、社会層、文化などによって異なる。(中略)ヨーロッパのこの地域では、国家の境界線も民族の境界線もたえず動いている。国家も、しばしば民族さえも、登場したり消えたり、大きくなったり小さくなったりしている。」(iii)さらに、国家が存在しなかった時代の歴史をどう書くか、国家を持たなかった、数々の遊牧民族、ユダヤ人、ロマ人(ジプシー)などの扱いはさらに難しいと書かれている。まさに、それがこの地域のそして、多くの地域の歴史なのだろう。ポーランドでさえ、近代になってからも、120年ほど国家を持てなかったことも含め、複雑な歴史のいち部を垣間見ることができた。最後の年表や索引もたいせつな資料だと思う。両大戦からソビエト時代、そして、独立と民主化の近・現代史の複雑さ、最初にある6カ国のそれぞれの違いなどについて、多少なりとも、頭を整理することができてよかった。そのような複雑さを単純なことばで表現するのは、非常に危険であるが、こころに残ったのは、たんなる民族主義ではなく、最終的には、ソヴィエト連邦がその地域の人々の信頼を得ることはなかったということである。ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的な悲劇」とはとうてい結論できないというのが個人的感想である。これからも、この地域が安定して発展していくことは見えないにしても。以下は備忘録:「キエフ・ルーシの建国を巡っては、18世紀以来、ロシアの内外でノルマン(北欧スカンディナヴィア系ヴァイキング)説とアンチ・ノルマン(スラブ)説が論争を続けてきた。(中略)ノルマン説を最初に発表したのは、ロシア帝国アカデミーのお雇いドイツ人の歴史家ゲルハルト・ミューラーである。彼は1749年9月6日、ペテルブルグのロシア帝国アカデミーで『ロシアの起源について』と題する講演を行った。そこでミューラーは、10年ほど前に発表された中世フランク王国の『ベルタン年代史』を紹介し、ルーシから西方にやってきたルーシン使節団のメンバーの多くがスカンディナヴィア系の名前であったことを根拠に、キエフ・ルーシンの支配者がノルマン人であると結論した。(このことが怒りを誘発し、ミューラーはシベリア流刑となる。)」(p.96)「9世紀のバグダッドの政治家イブン・フルダーズビフの業務日誌から、750年頃からユダヤ人系のラダニヤ、少し遅れて、ハザール・ハンからキリスト教商人団がやはり奴隷貿易で来ていたとの記録がある。」(p.97)「9世紀にこの地域で帝国としての地位を認められていたのは、ビザンツ帝国、アラブ帝国(アッバース朝)とハザール・ハン国の三つ」(p.99)「モンゴル帝国の人口調査(1245年):ベラルーシ(白ルーシ)・ウクライナ西部(赤ルーシ)、北(黒ルーシ)、東(青ルーシ)、キプチャク汗国は黄金。ウクライナは辺境を意味する。」(p.109)「1863年6月20日、アレクサンドル二世の承認のもと、ウクライナ文化活動を弾圧するため、ウクライナ語の利用を禁止。1875年9月さらに徹底したものに。ウクライナ語の出版、講演、公演、教育での使用の禁止、学校図書館などから、ウクライナ語を排除。」(p.241)「アレクサンドル二世の遺言:ロシアの強さは国の統一に基づいている。それゆえ、その統一を弱めるようなものすべて、そして様々な民族の分離主義的発展はロシアにとって致命的であり、許容できない。」(p.242)「経済史学者ランダウによれば、社会主義時代の経済はサイクルをなして発展している。一つのサイクルは消費優先、強制的工業化、経済操縦の三段階からなり、一巡するとまた新しいサイクルが始まる。」(p.374)「1970年代のポーランドには他の社会主義国にはない注目すべき発展があった。それは、共産党や政府の統制を受けない社会運動が発生したことである。ギエク政権が、輸入主導型経済発展戦略のため西側諸国の好意を買うため緊張緩和政策をとったこと。労働者が政権に対して自信をもち、たえず圧力を行使したこと。ポーランド人、最初のローマ教皇として、ヨハネ・パウロ二世が就任し、カトリック教会が影響力を強め、共産党が戦後営々とおこなってきた政治的社会化の努力が一夜にして水疱に着せしめた感があった。」(p.387)「連帯のワレサと貴族の出身で職業軍人のあがりのヤルゼルスキー」(p.393)
(2022.9.4)
- 「アンのゆりかご〜村岡花子の生涯」村岡恵理著、新潮文庫 む-16-1(ISBN978-4-10-135721-8, 2011.9.1 発行、2014.4.25 7刷)
出版社情報・内容紹介・目次。小学校三年生(1963年?)のころ祖母に連れられて村岡花子の大森の家を訪ねたこともあり、以前から村岡花子に興味は持っていたが、なかなか学ぶ機会がなかった。今回、妻に勧められこの本を手に取り読んでみることにした。村岡花子は、父の思い入れもあり、10歳から東洋英和で寄宿舎生活をしながら、孫である著者の言葉によると「キリスト教、英語、文学、社会改革の意識」(p.387)を学び、後に家庭生活に密着した文学を著したいとの願いを持ち、出版までには長い年月を経る、モンゴメリーの「赤毛のアン」など、多くの翻訳をし、著述や、通訳でも活躍している。貧しい茶商の長女で、父は、社会主義運動に傾倒したこともあり、家族も四散してしまう家庭、大恋愛の末、印刷業の社長、村岡儆三と結婚するが、関東大震災で印刷業は一旦廃業、アジア・太平洋戦争の中を、他の女性著述家と様々な活動をしながら、生き延び、戦後、アンシリーズなどを出版している。当時の特に女性たちの様々な活動も書かれており、興味深く読んだ。巻末についている注釈もそれぞれの項目ごとに短くよくまとまっていて、ほとんど知っていることではあったが確認にもなり、ありがたかった。最後に梨木香歩が、東洋英和の校長の言葉「最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続けて、進んでいくものでありますように」を引用して一文を寄せているが、ここに、ひとり一人の尊厳と信仰とも関係する希望が表現されており、本書においても、客観性や普遍性からすると、様々な評価を受ける個人の人生や時代の見方とは、異なる軸が文学と個人の歩みとうい形式で描かれていると感じた。いままで興味をあまり持てなかった「赤毛のアン - 'Ann of Green Gables' by Lucy Maud Montgomery」も読んでみたくなった。時代が異なるとも言えるが、現代に、語りかけるメッセージもあるのかもしれない。
(2022.9.10)
- 「赤毛のアン - Anne of Green Gables」L.M.モンゴメリ、村岡花子訳、翻訳編集 村岡美枝、村岡恵理、講談社(ISBN978-4-06-521319-3, 2022.3.22 第一刷発行)
出版社情報・内容紹介・目次。戦時中に帰国するカナダ人から託された "Anne of Green Gables" を、村岡花子が、戦争中に翻訳、なかなか出版できずにいたが、1952年にやっと出版、ベスセラーとなったアンシリーズの抄訳本を底本として、孫にあたる二人が、抜けていた箇所を補い、言葉を見直して改訂した「愛蔵版」である。「主人公の少女は、容姿端麗でも、特権階級でもありません。従来の物語のヒロイン像とはおよそかけ離れ、孤児で赤毛で、痩せっぽち、おまけにおしゃべりで癇癪持ちときています。しかし、豊かな想像力と男の子にも負けない快活さで、アンはたちまち若い世代の心を掴み、多くの『腹心の友』を得ました」(p.493)と、翻訳編集の二人が紹介している。小学生のときに抱いた「赤毛のアン」のイメージにしばられて、読んでいなかったので、今回手にとってみた。自分の周囲にも、このアンのような少女が何人か居て、コミュニケーションに困ったことも思い出させられた。また、関係している児童養護施設のこどもたちには、あまりの時代背景の違いや、孤児をもらい子として(今のことばでは里親としてアドプトして)育てる文化が未発達の日本では、読んで聞かせることはできないなとも感じた。しかし、途中で何回か、アンの言葉としても出てくるように、最後には少し教訓めいたことばも出てきて、たんなる豊かな語彙と表現力を用いた描写・叙述ではなく、読者に価値のある印象を残すものになっているようにも思う。最後の一割ほどに限られるが印象に残ったことばを備忘録として記す。「『もし、あたしが男の子だったら。』(中略)『そうさな、わしには十二人の男の子よりも、おまえひとりのほうがいいよ、アン。』とマシュウはアンの手をなでた。『いいかい?ー十二人の男の子よりいいんだからね。そうさな、エイブリーの奨学金をとったのは、男の子じゃなくて、女の子ではなかったかな?女の子だったじゃないかーわしの娘じゃないかーわしのじまんの娘じゃないか。』」(p.465)「『ああ、マリラ、泣かせてちょうだい。』アンは泣きじゃくりながらいった。『泣くほうがずっといいわ。胸が痛くて苦しいのはたまらないけど。しばらく、ここにいて、あたしを抱きしめてほしいの。ダイアナには一緒にいてもらうわけにはいかなかったの。親切でやさしくて、いい人よーでも今度のことはダイアナの悲しみではないものーこれはあたしたちーマリラとあたしの悲しみなんですもの。おお、マリラ、マシュウおじさんがいないこの先、あたしたちはいったいどうしたらいいの?』」(p.471)「『マシュウは生きていたころ、あなたの笑い声を聞くのが好きだったわ。あなたが身の回りの世界に楽しみを見つけると喜んでいたんじゃなくて?』アラン夫人はおだやかに言った。(中略)『でも、あなたの気持ちは、よくわかります。みんな同じような経験をするものだわ。愛する人がこの世を去って、喜びを分かち合えなくなると、なにかに心浮き立つことが、ひどくいけないことのように思えるのね。そして人生が再びおもしろいものに思えてくると、悲しみに忠実でないような気がしてくるのです。』」(pp.472-473)「『わたしたちは、けんかをしたんだよ。ジョンがあやまったのに、わたしが許してやらなかったのさ。ほんとうは、許すつもりだったんだけどーわたしは、ふくれて怒ってしまい、まず、ジョンを罰してからと思ったんだよ。ところが、ジョンは帰ってこなかったのさーブライスの人たちは、みな、ひどく自尊心が強いからね。けれど、わたしは、いつもこうー後悔したものさ。あのとき、許さばよかったと思ってね。』」(p.476)「『あたしがクイーンを出てきたときには、自分の行く手は、まっすぐにのびた道のように思えたのよ。先までずっと見とおせる気がしたの。ところがいま、曲がり角にきたのよ。曲がり角を曲がった先になにがあるのかは、わからないの。でも、きっと、いちばんよいものにちがいないと思うの。その道がどんなふうにのびているかーどんな光と影があるのかーどんな景色がひろがっているのかーどんな美しい丘や谷が、その先にあるのか、それはわからないの。』」(p.482)「アンは、笑って、手をひっこめようとしたが、だめだった。『あたし、あの日、池のところで許していたのだけれど、自分でもわからなかったのよ。なんてがんこで、まぬけだったんでしょう。あのときからー白状するけれどーずっと後悔していたの。』」(pp.487-488)「アンの地平線は、クイーンから帰った夜をさかいとしてせばめられた。しかし、その道にも幸福の花が咲きみだれていることを、アンは知っていた。真剣な仕事と、りっぱな抱負と厚い友情はアンのものであり、だれも、アンがうまれつき持っている空想と夢の国をうばうことはできない。そして、道にはつねに、曲がり角があるのだ!『神は天にあり、世はすべてよし。』と、アンはそっとささやいた。」(p.489)"“Anne’s horizons had closed in since the night she had sat there after coming home from Queen’s; but if the path set before her feet was to be narrow she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it. The joy of sincere work and worthy aspiration and congenial friendship were to be hers; nothing could rob her of her birthright of fancy or her ideal world of dreams. And there was always the bend in the road! “‘God’s in his heaven, all’s right with the world,’” whispered Anne softly.”
(2022.9.21)
- 「村岡花子遺稿集 生きるということ」あすなろ書房(1969年10月28日印刷、1969年11月8日発行)
著者紹介:村岡花子(1893〜1968年)山梨県生まれ。東洋英和女学校高等科を卒業。『赤毛のアン』などの少年少女のための多くの本を紹介。著訳書『赤毛のアン』『小公女』『愛について』など多数。と、ある。昭和四十四年十月二十五日付の村岡光男氏の送り状が挟まっている。東洋英和女学校で、村岡花子の学友だった祖母から1970年1月にいただくとの記録がある。「横浜歩道」に連載されていた記事を中心とした、エッセイ集で、ほとんどの短文に日付がついており、記された順ではないことがわかる。最後から2つ目が少し長めの「生きるということ」という名の講演記録(1964年1月15日)、そして最後は「大阪の休日」(1968年10月23日最後の原稿)とあり、娘さんの家族と過ごした事が書かれている。そして、1968年10月25日に亡くなっている。これで、村岡花子を描いた「アンのゆりかご」ベストセラーとなった翻訳書「赤毛のアン」と本人が記したエッセーを読んだことになる。特に、この遺稿集からは、村岡花子の地の人柄が読み取れる気がする。「はじめて入学した日」に次のような一節がある。「考えてみると、どうもこれはわたしの性質のどこかを象徴しているようである。割合に人の思わくを気にとめず、自分は自分の思うままを行うという性質が、年来わたしからとれない。ずいぶん人に笑われても、わるくちをいわれても、案外気にかけない。『わが道をいく』というふうが、わたしにはある。それをもっともよく象徴しているのは、小学校入学の最初の日である。」(p.138)「なつかしさの中に生きて」には「二人のPTA夫人が訪ねてきた。幸福論をしきりに二人でたたかわせている。私はだまって聞いていたが、心の中で考えた。どうしてこのごろのひとたちはこんなに『幸福、幸福』と言うのだろう? 幸福の追求だけが生活ではない。ほかのことをしているあいだに結果として幸福を得るというふうに考えられないものかしら?」(32)
(2022.9.26)
- 「TOKYO外国人裁判」高橋秀実著、平凡社(ISBN4-582-82391-2, 1992.8.20 初版第1刷発行)
出版社情報、内容説明・目次。出版社情報には「激増する外国人〈不法就労者〉。潜在的犯罪者の烙印を押された彼らが犯罪者となったとき、日本の裁判所はどのようにその罪を裁くのか。アジアへの差別を法廷から問いかける。」とあり、内容説明(紀伊国屋書店)には「東京地方裁判所408号法廷、通称、外人部。肉親から遠く離れ、弁護士からさえ見放された「アジア系外国人」が、言葉の檻に閉じ込められたまま、今日も裁かれていく。法廷から日本とアジアを照射する気鋭の長編ノンフィクション。」とある。区民図書館のリサイクル棚に載っていたので少し読み始め興味を持ったので、持ち帰った。アジア系外国人の場合、日本国籍をもつものや、欧米のひとと、裁判所の対応があまりに異なり、ショックを受けた。特に米国人に関しては日米安保条約が背景にあるようだが、一般的には「外国人はわが国に入国し、在留する権利を有せず、また、一般に国民に比してわが国との密着性も乏しい」(p.54)ことを根拠に、同じ犯罪であっても、公平性ではなく、その犯罪を犯したものが、管理されるものとして、裁かれる現実が、浮き彫りにされている。ほんとうに久しぶりに怒りがこみ上げてきたというのが正しいかもしれない。しかし、おそらく、日本には、就労ビザなしでアジアから出稼ぎに来ている人たちの入出国管理に関わる処遇だけでなく、あらゆる差別があり、裁判においては、公平は望めないような状況があるのだろう。国民感情なのか、そのように行政が導いているのか。東京地方裁判所408号法廷で傍聴もしてみたい、または傍聴すべきだとも思った。もっと学びたいと思ったが、書籍はあまり出ていないようである。サイトは多少あるが、外国語などでも記され、支援体制をとっているところは少ないように思われる。(英語がついているものも希少。それ以外のサポートは見つからないが、それぞれの言語で探す必要があるのかもしれない。)もう少し調べてみようと思う。以下は備忘録:「すべてのバングラデシュ人は、英語を話すことができる、すべてのインド人もまたしかり、すべての韓国・朝鮮人は日本語が、すべてのインドネシア人はオランダ語がということを述べる裁判官の言葉『旧植民地の人間は(旧)宗主国の言語ができるという、事実上の推定が働くのです』」(p.21)「(外国人が起訴されたケースをあげ)これらの犯罪を犯したのが日本人であれば、いずれも検察段階で起訴猶予になるはずのあまりに軽微な事件である。(中略)そのもっとも大きな理由は、日本と外国の法制度の違い、また法感覚の違いである。日本では『犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により』(刑事訴訟法248条)事件を起訴しないことがあり、これを『起訴便宜主義』と言う。これに対し、多くの国々では『起訴法定主義』をとり、有罪と考えられる事件はすべて起訴され、裁判になる。」(p.41,p.42)「みせしめ:こうした犯罪(マレーシア人が、不正に入手したダイナースクラブカードを利用し、新宿の京王百貨店で、ショートコード、43000円相当を不正に購入し、現行犯逮捕)を野放しにすることは、いろいろな意味で日本の平穏な社会に、無秩序と混乱をもたらします。従って、あなたのやったことに対しては、この刑期が相当すると認定します。(中略)最近、外国人のこの種の犯罪が頻発しており、その一般的観点からも、厳しい処罰(懲役10ヶ月の実刑)が望まれるものであります。」(p.50)「(在留期間更新の)申請があった場合には、法務大臣は、当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を適当と認めるに足る相当の理由があるときに限り、これを許可することができる。(出入国管理及び難民認定法第21条3)」(p.53)「外国人は、憲法上、わが国に在留する権利、ないし引き続き在留することを要求し得る権利を保証されていない(1978年10月4日。最高裁・マクリーン判決)」(p.53)「本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資することを目的とする。(外国人登録法第1条)」(p.53)「彼らの訴えはほとんど無視された。犯罪予防を偏重する裁判所、言葉を正確に伝えない通訳、無気力な国選弁護人。これまで繰り返しのべてきた外国人裁判の矛盾の中で、彼らの声は消されていったのである。」(p.194)
(2022.10.2)
- 「枕草子への招待」田中澄江著、光文社文庫(ISBN4-334-70034-9, 1984(昭和59年).10.20 初版第1刷発行)
出版社情報。「枕草子」を読んでみようと思ったが本書が家の本棚にあったので手にとって読んだ。著者が「自分の好きな古典を一冊あげるようにと言われたら、迷いなく私は『枕草子』をあげる。」と書いているように、その愛は伝わってくる本である。時の流れにあわせて引用し、その現代訳を付け、背景を説明している。1.枕草子への招待、2.清少納言の人柄、3.清少納言と結婚、4.清少納言の出発、5.中宮定子と宮廷正確、6.大きな落日、7.夕映えの中に、8.定子の死、9.女のいのちは、あとがき。「この草子、目に見え心に思ふ事を、人やは見んとすると思ひて、つれづれなる里居のほどに書き集めたるを、あいなう、人のためにびんなきいひすぐしもしつべき所々もあれば、よう隠しおきたりと思ひしを、心よりほかにこそ漏れ出にけれ。(これは見たり考えたりしたことを、まさかだれの目にもふれないであろうと、家にひきこもっている日々のつれずれのままに書きあつめたものである。見る人によっては、感情を害するおそれのある所も多少あるので、絶対に人に見せないつもりであったのに、思いもよらず、世間に知られてしまった。)」(p.256)枕草子の執筆についての多少のことなど、断片的には覚えていることもあったが、人物関係や、実際に起こったことなどがわかって、繋がっていったように思う。特に、清女(清少納言)が仕えた、定子との関係、本書で描かれている定子の魅力も伝わってくるようだった。ただ、漢詩や和歌の知識を元にした言葉遊びは、当時の教養人の遊び心とはいえ、あまりに狭い世界に映った。次に「枕草子」を読んでみようと思う。以下は備忘録:「わたくしたちのまわりでは、十年もたつと、いや、半年もたつと、流行が変わり、人間の考え方もちがってしまうように思っているひとが少なくない。しかし『枕草子』を読めば、そうした考え方は、いかに浅いかがわかる。枕草子の中には、どんな色を自分の身につけたら、自分が美しく見えるか、髪を整えるのは、自分のからだつきや顔の形と相談してとか、四季それぞれの衣装は、自然とよく調和するものをとかいうように、日常的な生活の知恵はもとより、ひととひととのつきあいには、どんな心づかいをしたらよいか、どんなことをすれば嫌われるか、どんなひとが好かれるか、言葉づかいや手紙の書き方にはどういうたしなみがひつようかというような、細かい気くばりが、じつに生き生きととらえられている。職場で、家庭で、また、学校で、わたくしたちが、ふと見すごし、忘れてしまって、そのために他人をきずつけなければならぬようなことを、清少納言は『枕草子』の中で教えてくれる。女はまた、どんな生き方をするのが仕合わせか。家庭か仕事か、子どもがあって仕事に生きたい女はどうしたらよいか。夫にはどんな男をえらべばよいか。いろいろの男とつきあってみて、どんな男が情愛も深く、女の心もよく汲みとってくれるのか。それらについての鋭い描写は、今日にそのまま生かすことができるほど新鮮である。その新しさにおどろくというのは、現代に通じることを、千年もまえに言っているからではない。現代にあっても気づかないようなことを、あざやかにも衝いているからである。」(pp.12-13)「清女に、ひとつの縁談が持ち込まれた。相手は、塩田良平博士の説によれば、橘則光といわれている。その父は中宮亮敏政。橘氏は敏達天皇の後裔で、万葉の歌人として名高い、橘諸兄を出した名家であり、敏政は氏長者であった。清原家より裕福であり、敏政の官位もまた、正五位下で、元輔より上である。」(p.43)「よる鳴くもの、なにもなにもめでたし。ちごどものみぞさしもなき。(ほととぎすでも、千鳥でも、夜な雲のの声はなにもかもおもしろいが、みどりごの、赤ん坊の声だけは辛い。)」(p.74)「定子『思ふべしや、いなや。人、第一ならずはいかに。(そんな気弱なことではだめ。いつも第一のひとに第一に思われようとしなければ。)』」(p.96)「いとをかしき薬玉ども、ほかよりまゐらせたるに、青ざしという者を持て来るを、あをき薄様をえんなる硯の蓋に敷きて『これ、ませ越しにさぶらふ』とてまゐらせたれば、『みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける』(定子)この紙の端をひき破らせて給ひて書かせ給へる、いとめでたし。」(p.204)
(2022.10.10)
- 「枕草子(上)」清少納言、島内悠子校訂・訳、ちくま学芸文庫(ISBN978-4-480-09786-6, 2017.4.10 第1刷発行)
出版社情報。内容紹介「大人のための、新訳。北村季吟の『枕草子春曙抄』本文に、文学として味わえる流麗な現代語訳を付す。上巻は、第一段「春は、曙」から第一二八段「恥づかしき物」までを収録。全二巻。」枕草子に挑戦してみようと思い、手にとったが、わたしの力では、味わうのは、難しいと感じた。宮中で中宮に仕えた当時の教養のある女性の生き方が、生き生きとした文章で描かれていることは、確か。特に宮中では、男性の役割、女性の役割がはっきり分かれており、活躍と言っても、限りがあるが、教養ある男性にひけをとらず和歌をやり取りするなどを通して、高い評価をうけていく姿には、驚かされ、有る爽快感もある。その教養は、日本の和歌とともに、漢詩が中心で、高度の教養ではあるが、狭い世界とも言える。その狭さが大きく影響しているが、「凄まじき物」「弛まるる物」「人に侮らるる物」「憎き物」「心悸する物」「心行く物」「覚束無き物」「喩無き物」「味気なき物」「いとほし気無き物」「心地良気なる物」「めでたき物」「艶めかしき物」「妬き物」「傍痛き物」「あさましき物」「口惜しき物」「遥かなる物」「絵に描きて、劣るもの」「描き増さりする物」「哀れなる物」「心付無き物」「侘びし気に、見ゆる物」「暑気なる物」「恥づかしき物」など、すべて独特であるが、鋭く切り取り、観察力が並外れていることも確かなのだろう。現代に通じることもあるものの、やはり、特定の時代に花開いた文学なのだろう。いつか、わたしも味わえるようになるのだろうか。以下は備忘録:「生ひ先無く、忠実やかに、似非幸ひなど、見て居たらむ人は、鬱悒(いぶせ)く、侮らはしく、思ひ遣られて、猶、然りぬべからむ人の女などは、差し交はせ、世の中の有様も、見せ馴らはさまほしう、内侍などにても、暫し、有らせばや、とこそ、覚ゆれ。宮仕へする人をば、淡々しう、悪ろき事に、思ひ居たる男こそ、いと、憎けれ。実に、其も、又、然る事ぞかし。(訳:この世に女性として生まれながら、将来、これといった展望の開ける見込みもなく、ただただ家庭人として真面目一方に生きて、小さな幸せに満足して、それを守り通そうとしている人間は、まったく鬱陶しく、ほんとうに軽蔑せずにはいられない。やはりそれ相応の身分の娘などは、宮中に出仕させて、世の中がどのような仕組みで動いているのかという実情なども、見習わせたいもので、天皇様に近侍する内侍などの宮仕えを、少しの間でもお勤めさせたいと、わたしは思うのだ。宮仕えする女性のことを、軽々しく、よくないことに思っている男性は、ほんとうに憎らしい。ただし、それももっともかな、と思わぬ節もないではない。)」(p.82)「いずれにしても、『枕草子』には、人間の振る舞い方に対する批評文学という側面がある。」(p.448)
(2022.10.24)
- 「枕草子(下)」清少納言、島内悠子校訂・訳、ちくま学芸文庫(ISBN978-4-480-09787-3, 2017.4.10 第1刷発行)
出版社情報。内容紹介「冴えわたる批評精神。優雅で辛辣で洗練された洞察は、また普遍的な文明批評の顔をもつ。女性だからこそ、男性だからこそ、文学として味わえる現代語訳を付す。下巻は、第一二九段「無徳なる物」から第三二五段「物暗う成りて」までを収録。」どうみても、枕草子を読み通したとは言えないが、一応、これで全段読んだことになる。味わうには、まだまだ修練が必要だが、70の手習いで、古典文学も少しずつ読んでいきたいと思う。宮廷文化は特殊であるが、教養人の語る言葉は、時代を超えて人々の感性を刺激することは確かだと思う。自分のみかたを、これだけ、言語表現できるのには、やはり驚かされる。自分のみかたを嫌い、極力普遍性を保った視点を、高校生のころから強く意識してきた、わたしが、触れてこなかったというより、避けてきた世界であることは確かだ。以下は備忘録:「朝廷(おほやけ)」(p.54)「この(第144)段は、『枕草子』という空前の自著に関する『自注』として、きわめて重要である。心に思ったことを、嘘偽りなく、紙の上に書いてゆく。それが自然と草紙の体裁となって、いつの間にか、かなりの分量となる。けれども、いくら書いたからと言って、他の人に見せるための記録でもなければ、創作的な物語でもない。誰にも見せないという、自分自身との(そして中宮定子との)黙契によって成り立つもの、それが『枕草子』なのだ。」(p.64)「大納言の伊周様はと言えば、中宮様お付きの女房たちとお話をなさり、ちょっとふざけた冗談を口になさったりする。それに対して女房たちも、まったく恥ずかしげもなく向かい合い、切り返して応答している。また、伊周様がわざと、嘘をおっしゃると、女房たちが、遠慮したりせず、それに反論申し上げる。そういった、自由で闊達な、遠慮のないやりとりは、本当に目も眩むほどで、聞いているだけのわたしでさえ、顔が火照るほど。中宮様のお側は、そんな楽しさと機知とが渦巻き、初参のわたしは、興奮状態でぼうっとしていたが、ちょうど、その火照りを冷ますかのように、果物が運ばれ、伊周様は召し上がり、また、中宮様もお召し上がりになる。」(p.176-7)「『枕草子』には、一方通行の大きな時間の流れはなく、一段ずつの時間は、その中にたとえ小さな回想がはいっていても、常にたった今、生まれたばかりの現在である。『永遠の現在』というものは、本来、現実にはありえないのだが、それを描くのが『枕草子』であって、中宮定子一族の栄華から凋落への歴史上の事実は、『枕草子』の世界には侵入できない。」(p.208-9)「第243段 唯過ぎに、過ぐるもの(またたくまに、どんどん過ぎてしまう物)、帆、上げたる舟。人の齢。春・夏・秋・冬。」(p.293.)「中宮様は、『これには、いったい何を書こうかしらね。天皇様の所では「史記」という中国の歴史書を、お書かせになるそうなのだが』などとおっしられるので、わたしは、ふと思いついて、『この草紙を枕頭において、気がついたことを書き留めましょう』と申し上げた。遠い中国の歴史ではなく、毎日使っていて一番身近なところにある『枕』。その日にあった楽しいことや、以前の忘れられない出来事。誰にも知られない心の秘密。空の美しさや、四季折々の季節の風情。だから、この草紙に書くべき言葉は『枕言』(ふだんから口癖のようにしている言葉)であるべきだ。そのように、わたしは思ったのだ。わたしの言葉をお聞きになった中宮様が、すぐさま、『それなら、お前に得させようではないか』と応じられ、わたしに貴重な白い紙の束を賜ったのも、不思議な成り行きであった。枕に載せる頭から湧き出てくる思いが無尽蔵であるように、いただいた紙も膨大であったけれど、『これを書こう。あれも書こう』などと、すべて書きつくそうとしたのだった。その結果、自分でもよくわからなくなることばかりになってしまった。」(p.497-8)「近代になると、『枕草子』の章段は、類聚章段・日記章段・随想章段(回想章段とも)の三種類に分類されることが多い。ただし、本書では、類聚章段を、『列挙章段』と名付け、日記章段と随想章段は、まとめて『宮廷章段』と名付けてみた。」(p.512)
(2022.11.6)
- 「『社会的うつ病』の治し方〜人間関係をどう見直すか」斎藤環著、新潮選書、新潮社(ISBN978-4-10-603674-3, 2011.3.25 発行)
出版社情報・目次。内容紹介「軽症なのに、なかなか治らない。怠けるつもりはないのに、動けない。服薬と休養だけでは回復しない「新しいタイプ」のうつ病への対応法を、精神科臨床医が、具体的かつ詳細に解説する。「自己愛」が発達する過程に着目し、これまで見落とされがちだった〈人間関係〉と〈活動〉の積極的効用を説く、まったく新しい治療論。」以前から読みたかった斎藤環の本にたどり着いた。発言などから学ぶこと、共感することが多かったが、本書の中で「自己愛」の発達を、人間関係(「人薬」とも呼ぶ)と活動による治療を説く内容に触れ、私の考えてきたことと非常に近く、共感するのは当然だとも思った。わたしは、尊厳の理解の進化と、互いに愛し合うことに向けた同労の場を重視しているわけだが。自身が専門とする「ひきこもり」についても学んでみたい。以下は備忘録:「彼らはよく『仕事中はうつになるくせに、遊ぶときだけは元気になる』などと批判されます。(中略)これをたとえば『ストレスの少ない活動はこなせるが、ストレスが高まると難しくなる』と言い換えれば、それはむしろ当たり前のことです。」(p.12)「治療の中でいかにして人間関係を活用していくか、この点が最も重要である。」(p.16)「厚生労働省『患者調査』WHO『障害調整生存年数(DALY)』」(p.22)「『私が正常であるという診断書を書いてください』『正常の診断にはとても時間がかかります。少なくとも一ヶ月は入院して経過を見せていただかないと』」(p.28)「生存の不安から実存の不安から自分探し『心理学化・心理主義化』」(p.33-34)「うつ病新時代(内海):メランコリー型の失効をもたらしたのは、高度成長経済による目的達成=喪失、『勤勉、節約、服従』といった通俗道徳の没落、価値観の多様化、権威の失墜ないしその存在の不明確化、などと呼ばれるものである。極東の片隅で例外的に行きながらえた『プロテスタンティズムの精神』は、いったんその崩壊が始まるや、雪崩をうって、『ポスト・モダン』と呼ばれる状況に突入していったのである。」(p.40)「いまや個人の実存を主に支えているのは、互いに互いのキャラクターを確認し合うような、再帰的コミュニケーションなのです。ここでの再帰性とは、実存(自分のキャラクタを理解すること)とその記述(他人からそういうキャラとして承認されること)が、相互に強化し合うような循環的な関係を指しています。」(p.52)「コーナー・デヴィッドソンのレジリアンス・スケール(CD-RISC:The Connor-Davidson Resilience Scale)」(p.83)「プラセボ高価が現れやすい患者(1)他者との持続的パートナーシップがある(2)自責的にならない自己寛容さがある(3)病気に対してポジティブな意味付けができている」(p.86)「1.忘れるための練習、2.働くこと、3.愛:お互いにケアし合うこと」(p.91)「自己愛の乖離:プライドが高いので他人からの助けをあてにできない。しかし自信もないので自ら一歩踏み出すことも難しい。ーひきこもり」(p.120)「孤独感の低さと収入の増加はどちらも幸福感の増大と関係があるものの、収入の増加は幸福感の増大には貢献せず、孤独感をへらすこともない。実は、両者の関係は逆なのだ。幸福感の増大は、社会的なつながりに対するポジティブな効果を通して、収入の増加に貢献する。幸せな人は、孤独感が減り、孤独感の低い人はより多くのお金を稼ぐ傾向にある。」(p.126)「100万円をばらまいたひと:自由な反面、市場から利益をもぎ取るだけで、世間に何のプラスも生み出していない。この世界に自分がいてもいなくても同じだと思うと、たまらない気持ちになった。警察から厳重注意を受けた時、両親が心配そうな顔で現れた、ばらまきも取引と同じように自己完結したと思っていたけど、大事な人に迷惑をかけたんだなと気づいた。これからは外に出て他人と交流を持ちたい。2004.1.25.毎日新聞」(p.127)「社会関係資本:他者性とは、自分にとって重要でありながら意のままにならないこと。」(p.139)「アブラハム・マズロー:欲求段階説、1.生理的欲求、2.安全欲求、3.関係欲求、4.承認欲求、5.自己実現欲求」(p.148)「ブリーフ・セラピー(1)うまくいっているなら現状維持、(2)うまくいかないならやり方を変える、(3)かつてうまくいったことをもう一度やってみる。」(p.149)「アイ・メッセージ:私が感じていることをできるだけ冷静に伝えるやり方」(p.159)「ベーシック・インカム:すべての個人に、無条件かつ普遍的に、生存を可能にする基本的必要を満たすと同時に生産=表現の自由を行使しうるだけの一定額の所得を給付する。」(p.204)「発達障害 DSM-IV:かなり恣意的」(p.218)「サヴァン症候群:精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状」(p.223)「ベルフェッティ:運動療法の本質は、脳の中の身体の消失または変質であり、認知運動療法によって脳の中に失われた身体を取り戻すことができる。」(p.243)
(2022.11.10)
- 「ひきこもりは なぜ『治る』のか?〜精神分析的アプローチ」斎藤環著、ちくま文庫、筑摩書房(ISBN978-4-480-42995-7, 2012.10.10 発行)
出版社情報・目次。内容紹介「「ひきこもり」の治療や支援は、どのような考えに基づいて行われているのだろうか。その研究の第一人者である著者が、ラカン、コフート、クライン、ビオンの精神分析家の理論を用いて、「ひきこもり」の若者かたちの精神病理をわかりやすく解説する。なぜ、彼らはひきこもるのか?家族はどのように対応すればよいのか?「ひきこもり」に対する新たな視点が得られる。」理論と臨床が十分結びついているわけではないが、ある程度の説明はできているようにも思う。しかし、理解するには、ラカン、コフート、クライン、ビオンなどを、原典にあたるかは別として、ある程度学ばないと、難しいように思う。その意味では、中途半端なのかもしれない。神田橋條治や中井久夫などから学んだことも多いようなので、それらの方の本もいずれは読んでみたいと思う。ただ「ひきこもり」の場合の家族(またはそれに対応する役割の人々・たとえば児童養護施設などでのスタッフ)の対応が鍵だということは、そのとおりだと思う。以下は備忘録:「ニートというのは簡単に言えば『若年無業者』のことです。日本の定義を紹介するなら『仕事をしない、失業者として求職活動もしていない非労働力のうち、十五歳から三十四歳で、卒業者、かつ未婚で、通学や家事を行っていない者』がニートです。」(p.39)「ニート:23歳と19歳のところにピークがあり、大学や高校を卒業した直後の若者に問題。2002年全国で85万人(内閣府調査)、男女ほぼ同率、親との同居率が高い、8割以上が現状に焦りを感じている。一度も求職活動をしたことがないニートの、してこなかった理由としては『人付き合いなど社会生活をうまくやっていける自信がない』が最多。」(p.41)「社会的ひきこもり:社会参加をしない状態が6ヶ月以上持続しており、精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの。ただし、『社会参加』とは、就学、就労しているか、家族以外に親密な対人関係がある状態を指す。」(p.43 )「ラカンは、特定の信仰や思想にコミットしすぎることで、救済されたと思いこむような一切の幻想を否定。」(p.49)「自己愛:自分は自分であるという当たり前の感覚」(p.50)「ラカン:欲望は他者の欲望である。」(p.67)「ひきこもり:プライドは高いが自信はない。理想はあるのに野心がうまく機能しない。」(p.81)「鏡自己ー対象、理想化自己ー対象、双子自己ー対象」(p.100)「家族の対応方針:安心して引き込もれる環境を作ることから」(p.141)「腹立ち紛れに「けしからんから家から追い出す」vs「その決意は両親の間で合意ができているのか?」「ホームレスになったり自殺しても仕方がない、くらいの覚悟ができているのか」「追い出した後で、ついついかわいそうで仕送りをしてしまいたい気持ちになっていないか?」」(p.143)「安心させるためには、積極的に構うこと」(p.150)「相互性のあるやりとりとは、コミュニケーションを重ねた結果として、互いに何らかの変化が起こるようなもので、それがと共感性を生む。」(p.151)「距離感:友達のお子さんを一人預かっている」(p.173)「治療者はカリスマになってはいけない。治療美談を求めない。」(p.186)「原因追求より:この困った状況に対してどんなふうにたいしょしましたか。その結果どうなりましたか。これからどういうふうになりたいと思いますか。」(p.192)「フロム・ライヒマン:精神療法家は、まず自分の生活を充実した幸福なものにしておくように心がけるべきである。それはクライアントに対する責任である。」(p.199)「一般に観察する人は関係できないし、関係する人は観察できないという限界があります。精神分析が発明した転移という言葉は、関係そのものを観察するということを可能にする、ほぼ唯一の視点です。転移関係そのものを別の視点から眺め、解釈して介入する、これが治療において欠かせないとフロイトは考えました。この点の業績だけでも、フロイトは本当に天才的だったと言えるでしょう。」(p.201)「神田橋條治:してみせず、説いて聞かせて、させてみて、けちをつけては、人は育たぬ。山本五十六『やってみて、説いて聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ』のパロディ」(p.215)「結語:わたしたちは、最終的に患者さんの心が、より『自由』な状態になることをめざしているのだ、という印象をもっていただけたら幸いです。」(p.218)「自分が引きこもることがあるとしたら、せめて『自由で』『救われて』『静かで豊か』にひきこもりたいものだ。」(p.220)「私自身は、精神分析の理論家として、ジャック・ラカンの理論を最も信頼しています。しかしラカン理論は、知的に洗練されすぎていて、泥臭い臨床現場ではあまり役にたたないことも多いのです。」(p.223)「コフート理論に『他者』はないが、その分『自己愛』の成り立ちを精密に記述できる。ラカン理論はナルシズムを軽蔑的に扱うが、それは『他者』の持つ計り知れない価値を知るためだ。」(p.229)
(2022.11.17)
- 「旧約聖書がわかる本〜<対話>でひもとくその世界」並木浩一・奥泉光共著、河出新書、河出書房新社(ISBN978-4-309-63156-1, 2022.9.30 初版発行)
出版社情報。内容紹介「旧約聖書とは、問いかけ、働きかける姿勢があれば、驚くほど面白くなってくるテクストである。小説のように自由で、思想書のように挑発的なその本質をつかみ出す〈対話〉による入門。」目次情報。図書館の寄贈図書のコーナーにあり、多少、学生さんなどに申し訳ないと思ったが早速お借りして読んだ。旧約聖書の成立の背景から、問と対話の中で出来上がった稀有な書として、奥泉氏が進行を担い問い、背後にある思想を並木氏が読み解き、それに奥泉氏がコメントし、現代につながる特に日本の課題をも問いながら進んでいく。正直に言うと驚きはなかったが、旧約聖書全体を神と人間との対話と捕らえ、それを対話形式で読み解いていくという面では興味深い。並木氏が、ヨブ記の注解をしたあとでもあり、そこに多くの頁を使っているが、ヨブ記の一つの読み方としてもまとまっている。以下は備忘録:「『対話性』というのは、関係できない世界をお互いに認めることなんです。世界は常に外に開かれていく。言ってみれば、外にあるもの、未知のものを常に内にいれてくるという決意がないと、対話性は成り立たない。他者も未知のものですから、対話の条件とは、他者を支配的ないと覚悟するということです。他者から問いかけられていくものとして、テクストも対話性を持っている。(中略)テクストの問いと答えというのは、一つではないんですよ。その時々の問題設定に応じて、テクストも問と答えをあらわしてくる。そいういう性格を聖書は、特に旧約聖書は持っています。」(p.21)「ハンナ・アーレントが『人間の条件』のはじめのところで「男と女をつくった」ことについて、人間はたくさんいるのだという複数原理をここに見出した。」(p.39)「他者の根拠付けは神にあり。一般的に言い換えれば、超越的なものを意識することが他者を成り立たせている。他者そのものが超越ではなく、超越のあらわれにすぎないのだけれども。」(p.42)「『我々は』は神の自己内対話」(p.44)「神という超越者を設定することで、人間が対等に結びあい、対話的関係を可能にするような場、あるいは構造を作り出す装置である。とも言える。」(p.84)「人間が人間としての尊厳をもっていること、人間らしくあるということがなければ、創造は完成できない。だから安息日を守れという。(中略)安息日には、支配し合うことをやめる。(中略)支配・被支配の関係から免れて相互に存在を認め合おうということ。」(p.98)「祭司文書は世界を超越する神による創造に関心を注ぐような真面目な姿勢を保つのだから、一神教的世界と葛藤を引き起こすような異教的な神々の物語は書けない。(中略)ヤハウィストにとってのヤハウェはイスラエルだけの神ではない。人類の神です。人類史的な地平を全部視野にいれるので、異教的な神々についても書けるのですよ。平気で多神教的世界に言及する。結果的には叙述の仕方が素朴で神話的な色彩を帯びている。」(p.103)「いちばん考えるべきことは、この世界が過去において一度クリアされた、世界が一度滅ぼされたのだということです。イスラエルは文明の発展が世界を滅ぼすことがあると認識した。それはすごいことです」(p.114)「シャガールの天地創造の絵のノア」(p.118)「ミケランジェロのモーセ」(p.136)「イスラエルの神はオイコス(家)の内部のことにも関心を注ぎ、預言者が批判する。」(p.152)「個々の預言者が召命体験を持つので、画一的ではない。預言者それぞれの個性が活き、魅力的。」(p.154)「国家と社会が切り離されていて、預言者は社会のありかたを問題にする。社会のありようが国家の運命を決する。」(p.184)「神の行動基準を人間が認識するのは、神の自由を制約することになるから。神の自由は徹底的に尊重される。神の自由が守られるから、人間も自由人として行動できる。」(p.201)「想像力が働かなければ誘惑にかからないといことが、この話でよく分かる。だいたい想像力が働かないと、人間には善悪の判断ができないですよ。(中略)神が人間をつくるときにそういう力を与えていた。自由の行使のためには想像力の発動が不可欠なんですよ。」(p.246,8)「性がひととひととの間に割り込むことによって、人は自己抑制の及ばない暗部を包み込んだ。それを弱点として意識する。だから人間は自分の弱点をさらしたくない。」(p.248)「裸を見せてはいけないという感覚がある。あなたに恥をかかせないようにわたしたちは隠れたんです。と神のための行動に仕立てるわけです。それを言うだけの知恵がついている。」(p.250)「暴力は政治的対応の反対ですよね。政治的に未成熟な国家が死刑を存置する。処刑は言葉を抹消する。それに対して、言葉による説得の争い、それが政治なんです。それから、直接的な人間関係を間接化する手段が法で、法定論争が重視される。」(p.260)「反抗的になるためには自意識過剰にならなくてはいけない。ヨブも自意識丸出しの言葉遣いをするわけです。いきなり(ベンやイェレドではなく)『益荒男』として生まれちゃうんです。誰それの子ヨブと言わない。」(p.323)「応報原則:善も悪もなしうる自由である人間の行為が、錯誤を孕みつつも、正義の貫徹を求めていかなければならない。それが応報原則。応報思想は、人間がどのように行動しようと、それとは関係なく、応報は必ず実現するのだと信じる立場。」(p.334)「ヨブはミシュパート(正義、正しさ、公義)を求める。」(p.335)「ヨブが神の応答に納得した理由。1. 神自身が直接応答を行ったこと。2. 無知は指摘するが、隠れた罪については指摘しない。3. 神が邪悪な者たちへの怒りを持っていることを知った。4. 神は人間の都合の良いようには創造の秩序を定めていない。5. 神は自然界を整えるだけで、動物にも自助努力を求める。人間にたいしてはなおさら。」(p.399-404)「無自覚な罪など神にとってはどうでもいいという確信があって、問わない。ヨブはそうは言っても神は無自覚な罪を処罰しているのかもしれない。この理不尽さを説明するにはそれしかない。」(p.342)「友人たちは人間には神の正しさは問えないと考えている。でも、彼らも見かけは神義論的なんですよ。だった神は正しい。ということを言うわけですから。」(p.424)「だから、『なぜですか』という問いには神は答えない。形の上では神はヨブの問を無視している。しかしそのことによって人間の自由を守った。」(p.429)
(2022.11.27)
- 「万葉の秀歌」中西進著、ちくま学芸文庫、筑摩書房(ISBN978-4-480-09457-5, 2012.7.10 第一刷発行)
出版社情報・内容・目次。枕草子を読んで、和歌の世界、万葉集、古今和歌集などの知識がある程度ないと、理解できないことが多いことを悟り、この書を選んだ。あまり知識がなかったが、良い本と出会ったと思う。万葉集は、4,500首の歌があり、そのうちの、252首をとりあげている。著者には、全訳・注もあるが、一つ一つを、この本にあるように、鑑賞してみたいと言う。鑑賞についてのたいせつさについて書かれているあとがきから引用する。「鑑賞ということが、世上しばしば虐待されていると私は考えている。(中略)鑑賞をはずしてしまうと、学問はどこにも文学を追求する方向を持つことができないからだ。学問が実証にもとづくものであることはもちろんだから、おもいつきが学問でないことはいうまでもない。歌を前にして気持ちがいい、読んでうっとりするなどだけいっていてははじまらない。しかし、なぜどのように、快いのかをもとめることこそが、本当の作品との対話だろう。私にそれができているなどとは、ゆめ思っていないが、すくなくとも万人が、万葉なら万葉で、その確かな手応えを感じつつ作品と対話できたら、これ以上の楽しみはないのではないかと、私は思う。」(p.537-8)万葉集は、雑歌・相聞・挽歌に分類されているとのことである。雑歌の、防人の歌にも興味があったが、それはほとんど最終巻である、第二十巻に入っているようで、あまり数は、取り上げられていなかった。素朴ということは、不明なことばも多く、鑑賞するには、難しいのかもしれない。一首のみ記す。「(4419)家(いは)ろには葦火焚けども住み好(よ)けを筑紫に到りて恋しけむはも」(p.522)。以下は備忘録:「(488)君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く(額田の王)」(p.106)「(113)大和へに君が立つ日の近づけば野に立つ鹿も響(とよ)みてそ鳴く(麻田連陽春)」(p.113)「(661)恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うるわ)しき言尽くしてよ長くと思はば(大伴坂上郎女)- 訳:長いあいだ恋つづけてやっと逢えたのなら、せめてそのときだけでもうれしいことを尽くしてください。この恋を長くとお考えでしたら。原文は『愛寸』とあり『愛』は『うつくし』とも訓める。しかし、『うつくし』は、弱小の者に対するいたわり、愛すべきいとしさをいうことばであり、一方、『うるわし』は、整って破綻のない美しさを言う。」(p.126)「全万葉集のうち約半数が作者未詳歌である。このことは『万葉集』という歌集の性格を考える上で重要である。無名歌は、一首一首の歌がだれの作であるかといった関心のまったくない、歌が民衆共有のものであった時代の初産であった。」(p.193)「(1281)君がため手力疲れ織りたる衣ぞ 春さらばいかなる色に摺りてば好(よ)けむ(柿本朝臣人麻呂の歌集):彼女たちは強制労働によって調布を織るという、厳しくみじめな現実のなかにありながら、集団のみなに共感を呼ぶ男性を話題にし、共通の色彩豊かな夢を描きつつ、声を揃えて歌いつつ仕事を進めた。これが集団の労働歌であり、旋頭歌の本質でもあった。われわれはこれを痛ましいとも思うが、しかし彼らの表現に一切の哀切はない。ここに万葉人の詩心があった。現実逃避というよりも、巧みな生活の知恵というべきであろう。」(p.204-5)「(1615)大の浦のその長浜に寄する波寛けく君を思ふこの頃(聖武天皇)」(p.232)「(2173)白露を取らば消ぬべしいざ子ども露に競ひて萩の遊びせむ:『いざ子ども』は官人仲間に呼びかけるときの常套文句」(p.234)「(1639)沫雪のほどろほどろに降り敷けば平城の京し思ほゆるかも。(大伴宿禰旅人)旅人は情の人で、歌い方も理論的ではない。(中略)いままで教理として知っていた『世の中は空しきものだ』ということを、年若い妻の死によっていまあらためて体感的に理解したのである。悲しみは理屈ではなく、情念に属する。そのとき、ますます悲哀の情が増大する。」(p.235-6)「(1658)わが背子と二人見ませば幾許かこの降る雪の嬉しからまし(光明皇后)16歳で聖武天皇に嫁ぎ崩御まで44年間ともにあり、聖武は皇后の崩御後4年目に崩御」(p.237)「(1740)浦島伝承のひとつ」(p.245-6)「(2173)白露を取らば消ぬべしいざこども露に競ひて萩の遊せむ:『見る』のはほめることであり、『狩る』とはそれを手に入れることであろう。これに対して『あそび』は、生活のなかのゆとりとかふくらみをいうようである。現実的な価値より、精神的なものであろう。対して『狩』『見』は現実的である。『萩の遊』には、現実的に得るものがない風雅への廷臣たちを誘いこむものがある。」(p.285)「反歌は、歌いおさめとして、長歌のおわりの旋律をもう一節くりかえし歌うという音楽的要求によって必要であった。ところが、やがて歌が書きとめられる時期になると、長歌は叙事を、反歌は叙情をあらわすようになる。そして奈良時代になると、もっぱら形式的要求から反歌をともなうようになった。」(p.337)「琴や鼓笛などの楽器は『あそぶ』もので、あそぶはアソ(ぼんやりした・陶酔と恍惚を作り出すもの)なる状態になることであった。」(p.345)「『かなし』は、切なく胸を責める感情で、愛(かな)しとも悲しとも漢字で書けよう。愛しい感情は、いとおしく悲しみをともなうもので、愛しさの極限は悲しさにあるから、愛と悲は重なってくる。」(p.371)「万葉人の多くの恋愛とて、もちろん共寝を願っていただろうが、都の歌は『逢ふ』ということばでしか表現しない。ところが東歌では具体的に『寝』という。また、愛とはなにかという自問は、性の交わりののちに出発するであろう。もし愛が性交に終わるのなら、愛はなにも人間を苦しめない。恋しあい、出逢いを欲するのは、愛の前段階であろう。その点、ほんとうに性愛を問題とするのは、これら東歌だけだと言えよう。」(p.373)「『柱に題著(しる)せる(落書きした)歌』:落書きは書かざるをえない内面的欲求があって、効果などまったく期待せずに書いてしまうものであろう。平城宮跡から出土する土器などの落書きも同じである。」(p.465)
(2022.12.12)
- 「いじめ加害者にどう対応するか〜処罰と被害者優先のケア」斎籐環・内田良著、岩波ブックレット No.1065、岩波書店(ISBN978-4-00-271065-5, 2022.7.5 第1刷発行)
出版社情報・内容・目次・著者略歴。いじめ加害者と被害者それぞれにどう対応するか、この難しいトピックについて、斎籐環氏がどう語るかに興味を持って手にとった。内田氏は、教育社会学の教授、部活動などの問題に取り組んでいる。特に、スクール・カーストを作らないための小グループでの活動と、当事者によるオープンダイアログが印象に残った。「オープンダイアログ」は前から学んでみたかったが、ぜひ斎籐環の本も読んでみたいと思う。以下は備忘録・要約:「いじめ加害者への対応が鈍くなる背景としては、暴力を丸抱えしてしまう教員文化がある。それゆえに、加害者をも抱え込んでしまう。そして、現場における判断・手続きの困難ゆえに、出席停止といった対応を行うハードルが高い。被害者への対応として、フリースクールなどのオルタナティブは整備され、心的ケアも充実してきたが、それが、被害者の学校からの離脱につながっている。対して、加害者のオルタナティブは、未整備。」(p.17)「いじめ加害者生徒の出席停止を市長が教育委員会に勧告できるように、いじめ防止条例案を岐阜市が策定したが、『教育における政治的中立性の確保』を理由に削除。」(p.20)「中井久夫『アリアドネからの糸』いじめの三段階。①孤立化:加害者が修理の生徒や教師に対して、被害者がいじめられても仕方がない人間であるという印象操作を行う。②無力化:被害者の反抗的態度にたいして、懲罰として激しい暴力を加え、他者に助けを求めることを『チクリ行為』として卑怯と非難する。③透明化:孤立無援となった被害者は風景の一部のように『透明化』し、被害者の世界は狭くなり、加害者との関係だけが唯一の対人関係のように思われてくる。」(p.26-7)「いじめの温床となる、スクール・カーストを作らないための小グループでのダイアログ」(p.28)「滝沢龍:いじめの長期的被害。'Adult health outcomes of childhood bullying victimization: evidence from a five-decade longitudinal British birth cohort'」(p.30)「絶対に必要なこと:加害者の謝罪、加害者への処罰(加害は恥ずかしい行為であるとの認識を徹底・いじめ加害をスティグマ化)、被害者の納得」(p.34)「いじめ当事者によるオープンダイアログ:いじめ当事者、場合によっては家族、2名以上の教師またはスクールカウンセラー。それぞれの当事者の言い分を十分傾聴し、議論・説得・尋問・アドバイスはしない。指導は行わない。傾聴のあに教師間で『リフレクティング(感想や対応のアイディアの交換)』を行う。一回30分から60分を毎週実施し、5回から10回繰り返す。」(p.38)「すばらしい実践の紹介ではなく『エビデンス・ベースドな教育の議論』」(p.40)
(2022.12.15)
- 「桃尻語訳 枕草子 上」橋本治著、河出文庫 河出書房新社(ISBN4-309-40531-2, 1998.4.3 初版発行、2005年9月30日 7刷発行)
出版社情報・目次情報。妻に勧められて手にとった。人気らしく、区立図書館で予約をして手元に届くまでにそれなりの時間がかかった。「春って曙よ! だんだん白くなっていく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの! 夏は夜よね。月の頃はモチロン! 闇夜もねェ・・・。蛍が一杯飛びかっているの。あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりポーッと光ってくのも素敵。雨なんかが降るのも素敵ね。秋は夕暮ね。夕日がさして、山の端にすごーく近くなったとこにさ、烏が寝るところに帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛び急いでくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながったのがすっごく小さく見えるのは、すっごく素敵! 日が沈みきっちゃって、風の音や虫の声なんか、もう・・・たまんないわねッ! 冬は早朝(つとめて)よ。雪が降ったのなんか、たまんないわ! 霜がすんごく白いのも。あと、そうじゃなくても、すっごく寒いんで火なんか急いでおこして、炭の火持って歩いてくのも、すっごく”らしい”の。昼になってさ、あったかくダレてけばさ、火鉢の火だって白い灰ばかりになって、ダサイのッ!」(25-26)に代表される特徴的な訳に、驚かされるのだろうが、最初に、「まえがき(Male Version)」「まえがき(Female Version)」があり、このような訳があるいみでぴったりであることの解説がされている。すこし、独断に感じるが、この上巻の最後にある、「解説:女の時代の男たち」(291-325)が、日本文化論・現代の政治の解き明かしも含み秀逸。文庫本で読んでいると、字も小さいので、正直、疲れてくるので、上巻でやめておこうかと思っていたが、やはり、中・下も読んでみたくなった。内容は、枕草子に関するものを最近、2種類読んでいるので、新鮮味はあまりないが、やはり、桃尻語で、清少納言に語らせている、さまざまな解説が詳しく、新しく知ることも多かった。原典の前に、こちらを先に読んでおけばよかったとさえ思った。十分吸収できたわけではないが、古典のまた違った楽しみ方を教えていただいたように思う。
(2022.12.27)