Last Update: December 27, 2022, Revised: April 29, 2026

2022年読書記録


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  1. 「伊豆の踊子・温泉宿 他四篇」川端康成作、岩波文庫 緑81-1(ISBN4-00-310811-6, 1952.2.25 第1刷発行, 2003.9.17 改版第1刷発行, 2017.4.5 第12刷発行)
    出版情報。川端康成二十代の作品から六篇とある。1921年〜1930年の十年間に書いたもので、作者あとがきと、川端康成略年譜がついている。十六歳の日記・招魂祭一景・伊豆の踊子・青い海黒い海・春景色・温泉宿の順で収録されている。伊豆の踊子だけは、昔読んだ記憶があるが、他の作品は、初めてである。伊豆の踊子は、その後、美空ひばり、吉永小百合、山口百恵、それぞれが主演の映画版もある程度見ているので、自分の中で映像化された部分もあり、今回、元の川端作品を確認した形となった。それぞれの作品は、最初に書かれたときから、修正もされ、書き直して出版されていることもあり、背景にある経験の順序、書かれた順序、この本に収録された形で出版された順序などは、複雑である。同僚であった先輩の教員が、調べている途中でわたしの読書記録も見たと一筆書いて「『伊豆の踊子』を読む」を送ってくださったので、まずは、「伊豆の踊子」を読み返すことにした次第である。何回も出版されているが、近くの図書館でみつけたという理由の他、青年時代に書かれたものが収録されていることにも惹かれて本書を選んだ。「伊豆の踊子」は表現も生き生きしていて、小品として名作であると思うが、ほかの作品は、良い作品と言えるのか、正直疑問であった。あとがきに「招魂祭一景」を菊池寛氏などに褒めてもらったこと、「青い海黒い海」を横光利一氏に褒めてもらったことを自ら書いていることが、気になったが、これらによって、川端が小説家として認められていくことが見て取れる。描写表現の美しさが持ち味なのだろう。それがこれらの作品ですでに、現れているということだろうか。最初の「十六歳の日記」は、両親を早くに亡くした川端が、祖父を看取った記録で、日記調になっている。このことは、他の作品にも通じる。日記を書きながら文章を磨いていったのかもしれない。やはり、日常がたいせつである。小説を読むことはあまりないが、久しぶりに、読み、また、読んでみたいとは思った。それが日常になるかどうかはまだわからないが。
    (2022.1.4)

  2. 「モモ - 時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳、岩波書店(ISBN4-00-110687-6, 1976.9.24 第1刷発行, 1993.7.15 第48刷発行)
    出版情報。こどもたちのベッド・タイムに読んでいたが、通して読んだことはなかった。知人の紹介で、連絡をとったかたが、「ミヒャエルエンデの『モモ』を読んで、モモのように生きたいとも思いました。」とあったので、お話をするまえに、ほんの少しでも、この方のことを理解できる方向に進みたいと願って、手にとった。効率的な時間の使い方をして生産性を上げることにすべてを費やし、たいせつなものを失っていく世界へのメッセージとして、モモの生き方、その勇気を描いた、児童文学である。論理的にあまりに、不整合が強い、設定のではあるが、引き込まれるような、物語を組み立て、読者をひきつけて、最後は幸せに導くとともに、自らの生き方に課題も示し、問いかける作品として、愛読者が多いことはわかるように思う。ただ、「モモのように生きたい」という気持ちには、より添えなかった。高校時代ぐらいから考えてきている、たいせつなもの・ことと、そのたいせつなものを得るために、たいせつだとおもうもの・こととの区別のなかで、時間やお金のことを位置づけ、自分の中で整理してしまっていることが一つ。さらに、ひとりのヒーローを求めるのではなく、困難であはっても、互いに、協力し合いながら、目的は、かならずしも、ひとつには決まらない中でも、少しずつ進んでいこうとする意思に、こころが向いてしまっているからかもしれない。そうであっても、モモのような生き方を美しい、そのように自分も生きたいという願い、そのように願う方を、たいせつにしたい。
    (2022.2.12)

  3. 「チャレンジ - 聖書通読」鎌野善三著、YOBEL, Inc.(日キ販)(ISBN978-4-909871-61-9, 2021.12.10 初版発行)
    出版情報。ICUの出身の牧師で、関西聖書神学校の校長も勤められた方で、一度お会いしたこともある。聖書通読の頁をご覧になったようで、出版と同時に、送ってくださった。著者は「3分間のグッドニュース-聖書通読のためのやさしい手引書」を律法・歴史・詩歌・預言・福音の五分冊にして出版もされている。いずれ手にとって見たいと思う。本書は、1.聖書通読の益、2.聖書通読の秘訣、3.『3分間のグッドニュース』の用い方、4.通読でない読み方、5.聖書通読の証し、からなり、最後の5章は、「3分間のグッドニュース」を手引として通読をしておられる方の、文章である。牧師が導く通読のひとつの完成形なのかもしれない。引用されている、いくつかの内容を見ても、また、紹介されている構成をみても、優れていると思わされる。教会で、聖書を読むこと、通読を推奨されるが、それができるように、教師として、できる限りのことをしておられる著者は、素晴らしいと思う。ただ、わたしは、読むために必要な、最低限の、基本的事項は別として、やはり、読むものが疑問や問を、自然に出せることがもっともたいせつだと思っている。わたしが、学生や、若い人、特に、キリスト者以外の人たちや、悩み多き、キリスト者と、ずっと関わってきたからかもしれない。その意味でも、教えるのではなく、伴走者として、共に悩み、学び、考え、苦しみながらも、時々発見をしながら、互いを励まし、聖書から離れないように、生きていきたいと願っている。求道者・探求者としてだろうか。探索的にということだろうか。主体を持ちつつ、耳をすまして聴き、他者の声をたいせつにすることだろうか。ひとりひとりの尊厳をたいせつにしていきたい。苦しみ・悲しみ・悩み・喜びは、その人の尊厳を形作るものであり、神様とその方との関係が現れてくるものだと思うので、それを最大限尊重していきたいと思う。いつか、著者ともゆっくりお話をしてみたい。
    (2022.2.25)

  4. 「生命の冠 - 中国・キリスト教会指導者の戦い」王明道著、マルコーシュ・パブリケーション(ISBN978-4-87207-298-3, 1987.4.19 第1版、2021.9.1 改訂版)
    Gospel Light Store: 目次など。英訳版からの翻訳として最初出版されたが、その後中国語の原文と対照させて訳を修正されたと1987年の第1版にあるが、2021年に出版されたものは、改訂版とある。改訂の経緯は書かれていない。実はこの書は、友人が中国語の原文に基づいて改訂を手伝ったのでと送ってくださったものである。本人は、名前を出していない。王明道(本名は王明、鐵と呼ばれたともある)は、家の教会とか地下教会とか呼ばれる教会の指導者で、ウォッチマン・二ー(1952年投獄、1972年獄中で召天)、ジョン・宋(サン)(1944年、42歳で召天)とともに、有名な伝道者で、ジョン・宋は「私よりも立派な人がたくさんいます。私は聖書の講解ではウオッチマン・二ーには及びません。説教者としては、とても王明道の域にまでは達していません。」との言葉も残している。自身、三自愛教会の運動に反対し、文化大革命の期間を含め22年間投獄され、釈放後も軟禁状態が続いたとされている。基本的には、根本主義の論者である。第二部「我ら信仰のゆえに」(1955年出版)で、その信仰について詳細に論じている。1. 聖書はすべて神の啓示である。2.キリストは処女マリアから生まれた。3.十字架上のイエスの死は人を罪から贖うための犠牲であった。4.イエスは復活した。5.イエスは再臨する。この五項目こそが中心で、これを認めない自由主義者を不信者と強く糾弾する。少年時代の生い立ちから詳細にかかれており、まだ母親の胎にいる間に、父が義和団の乱で死亡。極貧の生活をおくったことからはじめ、母・姉と妻の関係なども、赤裸々に書かれている。生い立ちが、根本主義の信仰にも強く反映していると思った。わたしの信仰とは正直異なるが、まっすぐな、語り口や、赤裸々に、自分のことを語る正直さなど、好感をもったことも確かである。現代の地下教会と、三自愛教会を、この書の背景にあるものと同じ分け方で理解するのは、問題があるように思うが、もっと、それぞれについて深く学びたいとも思った。
    (2022.3.26)

  5. 「徳田虎雄に育てられた男」森孝著、Bandaiho Shobo 万代宝書房(ISBN978-4-910064-48-2, 2021.8.8 第1刷発行)
    万代宝書房(出版社の頁):森孝氏(1940〜)の人生な大きな影響を与えた出来事、自分史の一部とある。徳田虎雄(1938年2月17日〜)は医師、衆議院議員(4期)で、医療法人徳洲会理事長。2002年頃に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、その後政界から引退した。ちょうどその頃、医療事故で慈恵医大青戸病院を追われることになった松井道彦経理担当理事を助けるべく徳田虎雄に会いに行き、周囲に隠しつつも ALS 発症を自覚していた徳田に、徳田の奥さんを連れて世界を回れと言われ、世界を飛び回った人である。バングラデシュのグラミン銀行総裁を徳田の名で、ノーベル賞に推薦した経緯なども書かれている。本人は、1940年、福岡県、門司港生まれ。父親は結核でなくなり、本人もかかり、熊本県人吉で育ち、立教大学に一浪して入学、3M入社。米国CDCで研修を受けたことなどが、後々、医療法人の仕事でも、力を発揮することにもつながっている。クリスチャンで、結婚式は、芦屋山手教会で挙げている。精緻さは無いが、行動力があり、既成観念にとらわれない発想で、ことをなしていくところが、徳田から学んだことなのだろう。本人の行動理念には、キリスト教が強く息づいていると思う。この本をくださったかたを通して、一度、お会いしてみたいものである。
    (2022.3.28)

  6. 「LIFE OF THE BELOVED 愛されている者の生活 - 世俗社会に生きる友のために - SPIRITUAL LIVING IN A SECULAR WORLD」ヘンリー・ナーウェン HENRI J.M. NOUWEN, 小渕春夫訳孝、あめんどう(ISBN978-4-900677-08-6, 1999.11.8 初版発行、2017.8.10 第9刷発行)
    あめんどうブックス(出版社の頁)目次・引用など。副題の通りの内容である。メッセージとしては、本文の最後の章にもある「私達は選ばれ、祝福され、裂かれ、分かち与えられる者として、深い内なる喜びと平和を抱いて人生を生きるように召されています。それは、愛される価値があることを実証する責任が自分にあると、つねに説得しようとするこの世で、神に愛されているものとして生きることです。」(143)にまとまっている。正直、印象的なことばはいくつかあったが、この書き方では、世俗社会に生きる友にたいせつなことを伝えるという、目的を達することはできないだろうと思って、最後まで読んでいた。しかし、驚いたことに、その事自体を、その友の言葉として書いていた。「フレッドはいつも私の著作を気に入ってくれたのだが、彼自身の必要に直接語りかける本として気にいってくれたことは一度もなかった。彼にとって、私の著作は、『回心した』人のためであり、真に世俗的な人々のためではなかった。彼はこの点で、今度の本もあまり変わらないと感じたのだ。」(p.157)「あなたが自分の中心から書こうとしてくれたことは間違いないし、あなたにとって、もっともたいせつなことを表現してくれました。けれど、あなたのいるところから、僕たちがどんなに遠く離れているかわかっていません。あなたは、僕たちと異質な背景や伝統から語っている。それにその言葉は、僕らの共有していない多くの前提に基づいています。僕たちがどんなに世俗的か気づいていませんね。あなたの言っている愛されている者の生活について、すべてを受け入れられるようになるには、それ以前に答えてもらわねばならない質問が、それこそたくさんあります。」(p.158)「私が生きるために、幸せであるために、人生を楽しむために、自分のもとで、もっとも深い願望をかなえるために、本当に神が必要でしょうか?きちんとした、創造的な生活を送るために、信仰が必要でしょうか。」(p.161)と語る人たちに、わたしは答えることができるだろうかと、正直に語っている。生きる場所を分けてしまっている、聖職者が理解するのは、一般信徒より、さらに難しいのではないかと正直思った。以下備忘録「あなたは、私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(p.29等)を聞いたところから、イエスは、神の国宣教を始めるが、神の国が近いということと、この言葉が深く関係していることに、今回気付かされた。「高慢とは、自分が見ているような自分の姿を他人に見られまいとして、自分を高い位置に置くことではないでしょうか。高慢とは、突き詰めて言えば、自分には価値がないという感じ王を別な仕方で表しているにに過ぎないのではないでしょうか。」(p.31)「単に神の子で『ある』だけでなく、神の子に『なる』必要があるとしたら、さらに、ただ、兄弟姉妹で『ある』だけでなく、兄弟姉妹に『なる』必要があるとしたら、そしてこれらがすべて真実であるなら、どうすればその『なる』というプロセスに取り組めるでしょうか。もはや霊的生活が、在り方(being)のみでなく、『なる(becoming)』ことであるとすれば、この『なる』ことには、どんな性質があるのでしょうか。」(p.45)「なる」ではなく「なろうとこころみる」と表現したいが、それも、まだ、わざとらしく、適切な表現をわたhしは持たない。「(バル・ミツヴァで)息子よ。これからあなたの人生になにが起ころうと、また、あなたが人生で成功しようとしまいと、また有名になろうとなるまいと、健康であろうと健康を失おうと、あなたの父と母が、どんなにあなたを愛してイルカを、いつも思い起こしてほしい。」(p.72)「祝福:bene(善いこと)dictio(語る)」(p.73)残念ながら、すべて、司祭のことばで、われわれの一人のことばではないと感じた。イエスがそのひとの苦しみ、痛みのそばにまず寄り添ったことを覚えたい。それが尊厳をたいせつにすることのように思う。
    (2022.4.5)

  7. 「神の出番の新時代 - カオスから光へ -」荘内教会 矢澤俊彦著
    冊子で、通常の本ではない。交流をもたせていただいている、鶴岡にある教会の牧師で、すでに「鶴岡の荘内教会宣教物語」「天国を激しく襲おう」「人間復活へ」「大空に飛翔しよう」「キリストによるマグマ爆発」「続人間復活へ」「ただ愛されるものだけが」「復活の喜びを目指してー汝の墓を出よー」「汝を宇宙の主につなげ」「忖度世界への挑戦ーC.S.ルイスの落雷ー」があると、書いておられる。おそらく、すべて読んでいると思う。今回、記録しておこうと思ったのは、いくつか理由があるが、それは、よいとして、内容として、特に、第2部 神探求の旅日記に、ご自身の苦闘について書いておられたからである。第1部の現代人へのメッセージや、これまでに書かれたものについては、素晴らしいと思う面と、議論をしたくなる、疑問点なども、あったが、この第2部を通して、ほんのわずかであっても、矢澤牧師のことを知る緒がえられたと思ったからである。あと、一冊手元にある。「内面的飛躍を目指そうー希望ある明日のためにー」を読み終わったら、お手紙を書きたいと考えている。すこし、乱暴な言い方をすると、日本だけではないだろうが、都市ではなく、地方での、宣教の困難さだけではなく、キリスト教の本質について、共に、考えてみたいからである。「あなたのことを教えて下さい。矢澤牧師の神探求の旅を一緒にたどらせてください」という気持ちからである。
    (2022.4.10)

  8. 「『伊豆の踊り子』を読む - 分析と推論の間」立川明著、川島書店(ISBN978-4-7610-0944-1, 2021.11.20 第1刷発行)
    著者から頂いた。小説もこれまであまり読んでこなかったし、ましてや解題だろうか、小説の解釈は、正直に言うとあまり、興味を持たなかった。川端康成の作品には、どうしても馴染めなかったこともある。最初は、著者が、この小説に関しては、ほとんどが実際にあったことと語っているようだが、実際と小説上の表現のどちらについて語っているのかも不明で、混乱もした。しかし、教育学者の識見、特に、デゥーイの「民主主義と教育」や、他の様々の古典からの引用や、英訳、ドイツ語訳からの引用など、内容を語る、著者の声が聞こえてくるようでもあった。また、進むに従って、著者の解釈の背後にあるものや、ジェンダー論にまで発展し、少女の年齢の特殊性などにも、触れるに至って、興味は深まっていき、考えさせられ、正直十分に楽しむことができた。あくまでも、解釈であり、何箇所かにおいて、わたしは、少し違うのではないかと思ったり、やはり、川端は、事実を手前に置いて、向こう側に投影された、踊り子の像(イメージ)を美化して描いているのであり、実際について詳細を詰めることには、抵抗感も残ったことは確かだが。最後まで読んで、毎日新聞が中心となって行っている、読書世論調査の結果(p.196,197)が興味深かったので、図書館で眺めてみたり、補録2の「雪国の踊り子」(荻原アンナ著)への手紙に凝縮された、著者の思いに興味を持ち「雪国の踊り子」(海燕に最初発表されたようだが、いくつかまとめられている「私の愛毒書」)を読んで確認もしたことからも、かなりハマってしまったことは確かである。退職後の時間の余裕が、こころのゆとりひろがりへと向かっていったのかもしれない。新しい、世界にこころを開いてくださった、著者に感謝。「伊豆の踊子・温泉宿 他四篇」を読んだ以外にも、YouTube にあった「伊豆の踊子」の朗読を二度聞き、「雪国」の朗読劇も聴いたことも付け加えておく。
    (2022.5.15)

  9. 「長崎活水の娘たちよ〜エリザベス・ラッセル女史の足跡〜」白浜祥子著、彩流社(ISBN4-88202-852-2, 2003.12.1 発行)
    版元の情報・目次。1836年に生まれ、南北戦争を経験し、日本では 1873年禁教令が解かれてあまり期間がたっていない1879年(43歳の時)、アメリカメソジスト教会婦人外国伝道協会から、ギーア女史(当時33歳)とともに、長崎に派遣され、11月23日に到着、12月1日には、後に「活水」となるミッションスクールを開校。この日に一人目の生徒、風説定役(ふうせつさだめやく)の家柄の官梅能(かんばいよし)を迎える。最初は、鹿児島(薩摩)からの生徒が何人が与えられるが、そのことで、かえって、地元からは警戒され、なかなか生徒が与えられない期間が長かったようだが、40年間滞在し、後に、活水女子学院となる元を築く。官梅能が連れてきた、女の子(メイ)を引き取り、幼女とするが、私財をなげうって、孤児院も運営、様々な困難を乗り越えていく姿が描かれている。著者は、活水中・高の卒業生で、アメリカにもラッセル女史の足跡をたずねて訪れている。英語が不自由と見えて、名前表記など、もう少し、英語名があるとよいと感じたが、思いも込められており、一気に読んでしまった。よくまとまっていると感じた。北にクラーク博士、南にラッセル女史ありと言われたとあるが、そのような評価は、地道な働きを見て、誇大ではないと感じた。このような働きは、おそらく、クラーク博士のものと比較しても、大きな価値があるのだろうと思う。1982年、幼女のメイを看取ってから、4年後に召天。
    (2022.5.19)

  10. 「〜歴史の交響〜活水学院と長崎プロテスタント教会の百二十年」活水同窓会編、香柏有限会社(2015.5.20 発行)
    加納孝代学長の希望でまとめられ、新書版として、同窓会編として発行されているが、基本的には、活水女子大学文学部現代日本文化学科服部康喜教授が著者である。活水学院のことが中心で、最後には、同窓会についてもまとめられていることもあり、一般の出版社ではなく、同窓会編として、同窓会が運営している、有限会社発行となっているようである。第三者のチェックが十分ではないように思われるが、長崎プロテスタント教会の歴史が、詳細にかつ背景も丁寧にかかれており、労作である。活水の由来「问渠那得清如诉 为有源头活水来 - 朱子 观书有感诗 Wèn qú nà dé qīng rú sù wèi yǒu yuántóu huà shuǐ lái - zhūzi guān shū yǒu gǎn shī(Ask him how clear it is for the source of living water)朱氏」
    (2022.5.19)

  11. 「私の愛毒書」荻野アンナ著、福武書店(ISBN4-8288-2398-0, 1991.9.10 第一刷印刷、1991.9.17 第一刷発行)
    紀伊國屋書店による出版情報「『伊豆の踊り子』を読む - 分析と推論の間」に引用されており、女性視点の「雪国の踊り子」が含まれているものを探して読んでみた。「鼻と蜘蛛の糸」のみ文學界、残りの「小僧の、お客様は神様です」「おめでたき小説」「雪国の踊り子」「旅愁の領収書」「走れトカトントン」「ミッシマ精神研究所」は海燕に出たものを収録している。表題から想像できる原著もあるが、個人的には、4冊のみ読んだことがあるものだった。パリの第四大学に3年間留学した経験もあるとのことで、女性視点といっても、一般的とは言えないかもしれないが、個人的には、二度読むことになった「雪国の踊り子」は、上記の本を読むときに、丁寧に読んでいったこともあり、考えるヒント、うけとるメッセージはあった。しかし、個人的には、馴染みのない、小説を題材にした、エッセーというジャンル。わたしが、はまるようになるには、かなりのときが必要に思った。
    (2022.5.28)

  12. 「ユーモアの極意 文豪たちの人生点描」中村明著、岩波書店(ISBN978-4-00-025429-8, 2019.2.26 第一刷発行)
    出版社の頁:本の内容・目次・著者略歴。辞書の編纂も含め、日本語関連の多くの著作がある著者が、以前から書いてみたいと思っていた「ユーモア」について書いた本である。序章:人生のかけらが映る風景、I. 漱石一門、II. 職人一芸、III. 井伏一隅、終章:秋の夕陽に熟れて、と分けてある。この分け方については、多少終章に説明があるが、個人的には、描く側の文豪の心持ちの違いが現れているのかと思った。文学には、他者視点や、様々な異なる人物が描かれるものもあるが、ここで取り上げられているトピックは、文豪たちの、非常に個人的な視点の深さを面白さ、ユーモアとして、著者が描いているように見える。連続で、4コマ漫画を見ているような、軽快な文体が、この方の持ち味なのだろうが、言っていることは通じるが、その深さを味わい深いとは、思えなかった。深さをもった日本語の味わいを芸術として鑑賞するという世界が、広がりにも欠け、教養人のお遊びに見えてしまうからか。おそらく、わたしが読者として、ふさわしくないのであろう。
    以下は備忘録: (2022.6.2)

  13. 「新約聖書のギリシャ語 NEW TESTAMENT WORDS」ウィリアム・バークレー (William Barclay) 著、滝沢陽一訳、日本基督教団出版局(ISBN978-4-8184-0730-5, 2009.12.15 初版発行)
    要旨・目次抜粋・著者・訳者紹介。新約聖書のギリシャ語について61の節に分けて解説している。特に、古典ギリシャ語での用法、七十人訳(セプチュアギンタ)、新約聖書が書かれた頃のパピルスでの用法を踏まえて、新約聖書に使われていることばを解説している。バークレーの学識に負うところが多いが、示唆的で、学ぶことも多かった。特に、いくつかの語が印象に残った。また、いずれゆっくり学び返したい。
    以下は備忘録: (2022.6.10)

  14. 「名人」川端康成著、新潮文庫 か-1-14(ISBN978-4-10-100119-7, 昭和37年(1962年)9.5 発行, 平成30年10月5日44刷)
    出版情報。「悟達の本因坊秀哉名人に、勝負の鬼大竹七段が挑む……本因坊の引退碁は名人の病気のため再三中断、半年にわたって行われた。この対局を観戦した著者が、烏鷺の争いの緊迫した劇にうたれ、「一芸に執して、現実の多くを失った人の悲劇」を描く。盤上の一手一手が、終局に向って収斂されてゆくように、ひたすら“死”への傾斜を辿る痩躯の名人の姿を、冷徹な筆で綴る珠玉の名作。」とあるが、どうなのだろうか。昭和13年6月から12月にかけて打たれた、本因坊秀哉名人の引退碁の観戦記(東京日日新聞:現在の毎日新聞)をもとにした小説で、相手は、木谷實であるが、小説では、大竹七段となっている。名人はこの碁のあと、一年ほどで他界。最後の精魂を絞り出しての碁であったことは、理解できる。歴史的には本因坊の名跡を継ぐ形での本因坊名人はこれで終わり、実力制の本因坊戦が始まる。今年は第七十七期である。名人は最後の十年間、三回しか勝負碁を打っていないという。雁金準一、呉清源、木谷實である。(若い頃は皆、先二程度まで打ち込んだようだが、後半には負け続けたこともあるようで、実力が近くなってきている棋士が増えてきたことは確かだろう。)打った日数は、66日、それぞれ40時間が持ち時間で、白は、19時間57分、黒は、34時間19分使ったという。隔世の観がある。KataGo(AI碁)で少し調べてみた。3目以上損な手を打ったのがそれぞれ一手ずつ(黒27,白130)。一応、この白130を敗着と解説しており、その手を打った背景も書かれている。1目以上損な手はそれなりにあり、もっと前に逸機があったように思われる。打ち方もふくめ、大きく変化していることがわかったが、古い碁をそのように検討することは、礼を失するということでしていないのだろうか。結果は、黒5目勝ちであるが、今は、6目半がコミだから、白1目半勝ちとなる。「しかしむしろ六十五の老名人が病いに苦しみながら、現役の第一人者の必死に食い下がるのを、先手の効を大方失わせるところまで、よくも打ったと言わねばならない。黒の悪手に乗じてではなく、白が策をほどこしたのではなく、おのずから微妙な勝負に導いていた。でも、病気の不安で根気が及ばなかったのだろう。『不敗の名人』は引退碁に敗れた。『名人は常に第二位の者、つまり自分の次に続く者だけは、戦力を挙げて打つという主義だったそうです。』と弟子は話した。名人がこのような言葉を、口にだしたかどうかはともかく、名人は生涯これを実行してきたのだ。」(p.160,161)引退碁のあと「名人はそのまま伊東に残っていて、目方も五百目ふえ、八貫五百になったと聞いた。また盤石二十面を持って、傷病兵の療養所を見舞ったということだった。昭和十三年の暮は、もう傷病兵の療養所として、温泉旅館が使われ始めていた。」(p.160)川端作品はどれもあまり好きになれないが、興味がある囲碁の小説ならと読んでみたが、やはりあまり興味が持てなかった。人生観の違いだろうか。解説者「山本健吉」は描き方の背後に川端の死生観があるという。「生きた相手だと、思うようにはっきりも出来ないから、せめて死んだ人にははっきりしとくのよ。『雪国』」(p.168)だそうである。はっきりかけない、木谷實の部分については、大竹と違う名前を使ったのかもしれない。
    (2022.6.18)

  15. 「非暴力非まじめ〜包んで問わぬあたたかさ Vol.1」櫻井淳司著、ウネリウネラBOOKS(ISBN978-4-9911746-1-2, 2022.05.20 初版第1刷発行)
    出版社の頁:本の内容目次情報等。知り合いの方が、出版まもない、興味深いタイトルの本を送ってくださった。出版社および版元に、ある程度の情報が書かれているので、内容については、省略する。前半には経緯とともに基本的な考え方が書かれ、後半は説教集となっている。丁寧に、表題にある課題について考え、生きておられること、そして、海外研修も含めて学んでおられることも感じたが、非常に大きな課題であり、もっと、広く、話し合わなければ、ある規模で、進むことはできないと感じさせられた。しかし、これは様々な意味で、非常に価値のあるかつ喫緊の課題である。多くの人達が、この問題と向き合う必要を強く感じた。イサクとアビメレクのやりとりの解釈は興味深かった。「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。 以前、我々はあなたに何ら危害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください。あなたは確かに、主に祝福された方です。」(創世記26章28-29節)ただ、個人的には、複雑な問題に短絡に答えを導こうとしているようで、気になる箇所も多かった。
    以下は備忘録: (2022.6.20)

  16. 「活水学院百年史」活水学院百年史編集委員会編、活水学院(昭和55(1980)年3月31日発行)xiv-434頁-付録等122頁-ix-索引5頁
    1879年12月1日創立の活水学院の創立百年史である。目次:序章 近代の夜明け、第一節 開国と新教の戦況、第二節 幕末から明治の長崎、第一章 創設時代、第一節 開校、第二節 校舎、教育方針、校名、第三節 教育体制の確立、第四節 活水の校風、第五節 宗教教育、第六節 同窓会の誕生、第七節 ラッセル女史休暇帰国、第二章 充実時代、第一節 ヤング女史ー人とその時代、第二節 学校認可、第三節 新しい体育、第四節 教育組織の改革、第五節 生徒の活動、第六節 活水の行事、第七節 活水女園と幼稚園、第八節 別離と交代、第三章 発展時代 近代化の第一歩、第一節 ホワイト時代、第二節 学校の機構改革、第三節 教員組織、第四節 校舎の改築、第五節 活水女子専門学校、第六節 生徒指導と生徒の活動、第七節 創立五〇周年記念、第八節 歴史の中の生命、第九節 ホワイト女史帰米と辞任、第四章 戦争前時代 第一節 戦時体制へ、第二節 創立六〇周年記念と校地拡張、第三節 国家主義の浸透、第四節 YWFMS との関係、第五節 米英両国に宣戦、第五章 戦時下時代、第一節 校長の交代、第二節 戦時体制の浸透と活水、第三節 学徒動員と学校工場化、第四節 学制改革、第五節 戦時下の宗教活動、第六節 原爆と終戦、第七節 授業再開、第六章 復興時代 第一節 刷新から復興へ、第二節 新しい担手、第三節 新教育制度発足、第四節 ペカム女史来任、第五節 復興、第七章 学院の成立と整備 ペカム院長時代、第一節 活水学院の発足、第二節 学院の整備、第三節 創立七五周年記念式、第四節 中等教育、第五節 新しい時代へ、第八章 学院の近代化と拡充、第一節 橋本院長時代、第二節 クラーク院長時代、第三節 河野院長時代、第九章 学院の現況と展望、第一章 大久保院長時代、第二節 創立一〇〇周年記念、別章 外郭団体、東山手教会、学友自治会、活水高等学校・中学校生徒会、活水中学校・高等学校PTA、同窓会、教職員組合、付録 卒業生の思い出、活水学年略年表、活水学院学制変遷表、生徒学生、在籍者数調査表、五四年度学校法人役員、現教職員名簿、活水宣教師名簿、旧職員名簿、あとがき、図・表・写真目次。すばらしい歴史資料である。学校を作っていくときから、自分をその場において、考えながら読んだ。すばらしい、リーダがそのとき、その時に与えられたのだと思う。特に、戦争へと向かい、戦時下となり、最後は原爆で終わる太平洋戦争時のこと、そこで生き抜いたかたがたと共に、過ごすことをさせていただいたようで、非常に勉強になった。教員側の証言だけでなく、卒業生の証言からも、学ぶことが多かった。
    以下は備忘録: (2022.7.18)

  17. 「ネグカドネザル2世〜バビロンの再建者」山川重郎著、世界史リブレット人003、山川出版社(ISBN978-4-634-35003-8, 2017.01.30 初版第1刷発行)
    出版社の頁:目次など。ネグカドネザル2世(旧約聖書名で、アッカド語名はナブー・クドゥリ・ウツル(「ナブー神よ、わが世継ぎを守りたまえ」の意))は、ユダ王国を滅ぼした新バビロニアの大王である。(北)イスラエルは、アッシリアに滅ぼされるが、そのアッシリアを滅ぼし、(南)ユダ王国を滅ぼし、パレスチナ、そしておそらくエジプトまでも覇権を広げた王について歴史学的にどの程度わかっているのか興味があり読んだ。一般的には、アッシリアについては、あまり記録が残っておらず、バビロニアからは、記録があるとされていると思う。発掘作業は何回かに渡って行われ、様々に研究はされているようだが、資料が多い割に、歴史という観点からはあまりわかっていないとの印象を受けた。さらに、もう少し続けて学んでみたい。紀元前8世紀から紀元前1世紀まで編年で記した粘土板資料「バビロニア歴代記」(p22)もあるようだが、簡単なもののようである。建築物や、粘土板に書かれたものでは、限界があるのかもしれない。最後についている年表を記す。前626 ナボポラサル、バビロンで即位。新バビロニア王国開始、前614 アッシリアの古都アッシュル陥落、前612 アッシリアの首都ニネベ陥落、前610 アッシリア最後の拠点ハラン陥落。アッシリア帝国の滅亡。前505 バビロニアの皇太子ネブカドネザル、カリケミシュでエジプトのファラオ・ネコと会戦、さらに南進してハマテ地域を制圧。ナボポラサル没。ネブカドネザル、シリアから急遽帰国してバビロンで即位。ネブカドネザル(2世)の治世始まる。前604 ネブカドネザル、はじめて王としてバビロンの新年祭に参加。シリア・パレスチナへの数次にわたる軍事遠征(アシュケロン占領、エジプト軍と衝突〜前601)。前599 シリア・パレスチナ遠征(〜前597)前598 エルサレム包囲。第一次バビロン捕囚。前596 エラム遠征。前595 シリア遠征(〜前594)。前588 ユダ王国攻撃、エルサレム包囲(前586)。前586 エルサレム陥落、ユダ王国滅亡。第二次バビロン捕囚。前585 ティルス包囲(前573頃)。前583 バビロン新王宮建設(前572)。前572 バビロン近郊のユダヤ人居住地由来のアール・ヤフード文書の作成(〜前483)前562 ネブカドネザル2世死去、ネブカドネザルの子アメル・マルドゥクの治世(前560)。前560 ネグリッサル、反乱によりアメル・マルドゥクの王位を簒奪。前556 ネグリッサル死去、その子ラバシ・マルドゥクの王位を簒奪。前556 ネグリッサル死去、その子ラバシ・マルドゥクが即位するも三ヶ月後、ナボニドスが王位を簒奪して即位。前547 ナボニドス、バビロンを留守にし、アラビアのテイマに滞在(前539)。前539 アケメネス朝ペルシャのキュロス2世(大王)、バビロンに無血入場。新バビロニア王国の終焉。
    (2022.8.1)

  18. 「歴史学の現在 古代オリエント」前田徹・山田重郎・山田雅道・鵜木元尋・川崎康司・小野哲共著、山川出版社(978-4-634-64600-1, 2000.07.31 初版発行)
    出版社の頁目次・著者情報。第一章:総論、第二章:都市国家から統一国家へ―前三千年紀、第三章:群雄割拠から再統一へ―前二千年紀前半、第四章:多極化する世―前二千年紀後半、第五章:帝国の時代 I(前一千年紀新アッシリア時代)、第六章:帝国の時代 II (前一千年紀新バビロニア・アケメネス朝時代)。エジプトを切り離して、古代中東の歴史学を学ぶ者への入門書となっている。どの程度、明らかにされているのかを知りたいと思い、手にとった。帝国の時代II の新バビロニアあたりから、発掘された資料が多く、アケメネス朝ペルシャでは、異論など確定されていないことも多いが、それだけ、資料が多く、整理されているようだ。おそらく、アケメネス朝ペルシャの時代は、ギリシャなどとの交流も多くあり、外から見た視点に基づいて書かれたものも残されているからだろう。聖書で、歴史として書かれているのは、アブラハムの時代ぐらいからで、これは、概ねBC2000年ごろが想定され、ダビデ・ソロモンの王朝は、BC1000年ごろだが、基本的には、前一千年期である。そのころの混沌とした状況の中から、帝国の時代に入るあたりが概観されていて、興味深かった。歴史学がどのように研究されているかも、ほんのすこし垣間見ることができたように思われる。
    (2022.8.9)

  19. 「可能性を広げる道しるべ〜10代のための資格・検定」大泉書店編集部編、大泉書店(ISBN978-4-278-08414-6, 2020.4.30)
    出版社情報目次情報。資格とか検定にあまりこれまで関心を持っていなかったが、若い人たちが就職などを考えるときに、とても重要な要素と考えられていることもあり、基本的な情報を知ろうとして手にとった。扱っている資格は、リンクをつけた目次情報をみるとわかるが、広範囲の資格・検定を扱っている。表題に「10代のための」とあり、おそらく、実務経験が必要なものなどは、あまりあげないようにしている。リンクも付いている場合が多く、調べられるようになっているが、資格名がわかれば、それで検索ができるが、やはりリンクが印刷してあるのなら、せめて QR code などがついている方が親切だと感じた。出版社情報をみるとこの本に関連した本が何冊が出ているようだ。
    (2022.8.16)

  20. 'Permutation Groups', Peter J. Cameron, London Mathematical Society Student Texts 45, Cambridge University Press(ISBN 0-521-65302-9, 1999)
    O'Nan-Scott の定理を理解したいと思い手にとった。久しぶりに完読した数学書である。完読といっても、最後の2つの章は完全に理解したとは言えないが。無限置換群についてや、古い結果など、Cameron の知性と幅の広さや嗜好がよく現れているとも言える。証明はすべて書かれているわけではないが、美しい証明にいくつか出会うことができたことが、最後まで読み通した理由でもあると思う。やはり数学が好きなのかもしれない。Contents: Preface, 1. General Theory, 2. Representation Theory, 3. Coherent configuration, 4. The O'Nan-Scott Theorem, 5. Oligonomorphic groups, 6. Miscellanea, 7. Tables, Bibliography, Index.
    (2022.8.16)

  21. 「図説 ロシアの歴史」栗生沢猛夫著、河出書房新社(ISBN978-4-309-76224-1, 2010.5.30 初版発行、2014.10.30 増補新装版初版発行)
    出版社情報。内容説明に「広大な大地に多民族が紡いできた壮大な歴史。ロシアの古代から現代までをひもとく永久保存版。なぜ、革命はおきたのか?強権による専制はどうして必要だったのか?近くて遠い国、ロシアの真実。」とある。図説とあり、写真や図なども多いので、サラッと読めるかと思って借りたが、とても内容の濃い、すばらしい本だった。わたしは、本当に、断片的にしか知らず、それもおそらく、ヨーロッパ視点からの知識だけだったのだろう。遅れて発展した大国の難しさ、農民や、労働者の苦悩、指導者皇帝や貴族の舵取りの難しさ、少領主、官吏、聖職者、商人層などの多様な意見が出てくる中での困難など、ほんの少しだが理解できたように思う。バランスがとれた公平な視点から書かれていて、むろん、著者も書いているように、違った視点も多くあるのだろうが、読者に丁寧に伝えようとしている姿勢が感ぜられ、好感を持って読むことができた。嬉しかったのは、増補新装版で、2014年のクリミア併合までも含まれていたこと。ウクライナの危機が高まっていることが十分に感じられた。目次:第1章 ロシアという国、第2章 キエフ・ロシア(キエフ大公国)―ロシア史の揺籃時代、第3章 「タタールのくびき」―モンゴル支配下のロシア、第4章 モスクワ大公国―ユーラシア帝国への道、第5章 近代ロシア帝国1―貴族と農奴のロシア、第6章 近代ロシア帝国2―苦悩するロシア、第7章 ソヴィエト・ロシア―社会主義をめざすロシア、第8章 ペレストロイカからロシア連邦へ―今日のロシア。
    以下は備忘録: (2022.8.20)

  22. 「現代ロシアを見る眼〜『プーチンの十年』の衝撃」木村汎・袴田茂樹・山内聡彦共著、NHK出版(ISBN978-4-14-091162-4, 2010.8.25 第一刷発行
    出版社情報内容説明・目次。ロシアの歴史の概観をいちおう頭に入れて、現代ロシアについての本書を手にとった。すこし飛びすぎたかもしれない。しかし、プーチンがどのような人物か、また、プーチンの十年の経済発展は何に支えられたか、彼が信頼している人たち、などなど、よく書かれている。三人が別々の視点から書いているが、やはり、限られた視点だとも言えるのだろう。現代ロシアを、そして、プーチンの率いたロシアを理解するには、まったく不十分だが、多少は、背景を理解できたように思う。
    以下は備忘録: (2022.8.25)

  23. 「FIRST PERSON プーチン、自らを語る」ウラジミール・プーチン Vladimir Putin、ナタリア・ゲヴォルクヤン、N チマコワ、A コレスニコフ、高橋則明訳、扶桑社(ISBN4-594-02960-4, 2000.8.31 第1刷)
    出版社情報内容説明・目次。現代ロシアを見る眼〜『プーチンの十年』の衝撃」で、プーチン個人に関することは、本書からの引用が多かったため、手にとって読んだ。2000年3月にロシア語で出版されたものに、新聞に掲載されたインタビューを付け加え、読者の理解を助けるために注記を充実させた英語版が 2000年5月に刊行され、さらに、ミレニアム論文と言われるものの訳を含めてあるのが、日本語訳である。大統領選挙前にロシア語でまず出版されたこともあり、あるプロパガンダ的要素はあるが、感じることが多かった。特に、少しずつ、自分に似たところがあるなと感じさせられ、最後には、自分はとてもプーチンに似ていると感じ、正直怖くなった。こんな感覚は初めてかもしれない。理念や欲得で動くのではなく、ひとつの価値だけをもって、そのための実効性と有効性を判断して実務的に決断を下していくところだろうか。冷静で、感情をあまり出さないが、実際、親しい人にはそれを気取られる棘があるような部分も似ているのかもしれない。チェチェンについてはあまりにもあからさまに書かれていて、わたしは十分背景を理解しているわけではないが驚かされた。しかし、実はその部分は、英語版には入っているが、ロシア語版には入っていないと書かれていて(p.282)、さらに興味深かった。
    以下は備忘録: (2022.8.30)

  24. 「新版世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史」伊東孝之・井内敏夫・中井和夫編、山川出版社(ISBN4-634-41500-3, 1998.12.15 1版1刷発行、2002.12.15 1版2刷発行)
    出版社情報内容説明・目次。内容説明に「ポーランド・ウクライナ・ベラルーシ・リトアニア・ラトヴィア・エストニア。世界全域を網羅した新版世界各国史」とある。各国史とはあるが、まえがきに次のように書かれている。「人々が『国』とか『国民』という意識を持つようになったのはヨーロッパのこの地域では比較的最近のことである。(中略)意識のあり方は時代によって、また、帰属した国家、社会層、文化などによって異なる。(中略)ヨーロッパのこの地域では、国家の境界線も民族の境界線もたえず動いている。国家も、しばしば民族さえも、登場したり消えたり、大きくなったり小さくなったりしている。」(iii)さらに、国家が存在しなかった時代の歴史をどう書くか、国家を持たなかった、数々の遊牧民族、ユダヤ人、ロマ人(ジプシー)などの扱いはさらに難しいと書かれている。まさに、それがこの地域のそして、多くの地域の歴史なのだろう。ポーランドでさえ、近代になってからも、120年ほど国家を持てなかったことも含め、複雑な歴史のいち部を垣間見ることができた。最後の年表や索引もたいせつな資料だと思う。両大戦からソビエト時代、そして、独立と民主化の近・現代史の複雑さ、最初にある6カ国のそれぞれの違いなどについて、多少なりとも、頭を整理することができてよかった。そのような複雑さを単純なことばで表現するのは、非常に危険であるが、こころに残ったのは、たんなる民族主義ではなく、最終的には、ソヴィエト連邦がその地域の人々の信頼を得ることはなかったということである。ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的な悲劇」とはとうてい結論できないというのが個人的感想である。これからも、この地域が安定して発展していくことは見えないにしても。
    以下は備忘録: (2022.9.4)

  25. 「アンのゆりかご〜村岡花子の生涯」村岡恵理著、新潮文庫 む-16-1(ISBN978-4-10-135721-8, 2011.9.1 発行、2014.4.25 7刷)
    出版社情報・内容紹介・目次。小学校三年生(1963年?)のころ祖母に連れられて村岡花子の大森の家を訪ねたこともあり、以前から村岡花子に興味は持っていたが、なかなか学ぶ機会がなかった。今回、妻に勧められこの本を手に取り読んでみることにした。村岡花子は、父の思い入れもあり、10歳から東洋英和で寄宿舎生活をしながら、孫である著者の言葉によると「キリスト教、英語、文学、社会改革の意識」(p.387)を学び、後に家庭生活に密着した文学を著したいとの願いを持ち、出版までには長い年月を経る、モンゴメリーの「赤毛のアン」など、多くの翻訳をし、著述や、通訳でも活躍している。貧しい茶商の長女で、父は、社会主義運動に傾倒したこともあり、家族も四散してしまう家庭、大恋愛の末、印刷業の社長、村岡儆三と結婚するが、関東大震災で印刷業は一旦廃業、アジア・太平洋戦争の中を、他の女性著述家と様々な活動をしながら、生き延び、戦後、アンシリーズなどを出版している。当時の特に女性たちの様々な活動も書かれており、興味深く読んだ。巻末についている注釈もそれぞれの項目ごとに短くよくまとまっていて、ほとんど知っていることではあったが確認にもなり、ありがたかった。最後に梨木香歩が、東洋英和の校長の言葉「最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続けて、進んでいくものでありますように」を引用して一文を寄せているが、ここに、ひとり一人の尊厳と信仰とも関係する希望が表現されており、本書においても、客観性や普遍性からすると、様々な評価を受ける個人の人生や時代の見方とは、異なる軸が文学と個人の歩みとうい形式で描かれていると感じた。いままで興味をあまり持てなかった「赤毛のアン - 'Ann of Green Gables' by Lucy Maud Montgomery」も読んでみたくなった。時代が異なるとも言えるが、現代に、語りかけるメッセージもあるのかもしれない。
    (2022.9.10)

  26. 「赤毛のアン - Anne of Green Gables」L.M.モンゴメリ、村岡花子訳、翻訳編集 村岡美枝、村岡恵理、講談社(ISBN978-4-06-521319-3, 2022.3.22 第一刷発行)
    出版社情報・内容紹介・目次。戦時中に帰国するカナダ人から託された "Anne of Green Gables" を、村岡花子が、戦争中に翻訳、なかなか出版できずにいたが、1952年にやっと出版、ベスセラーとなったアンシリーズの抄訳本を底本として、孫にあたる二人が、抜けていた箇所を補い、言葉を見直して改訂した「愛蔵版」である。「主人公の少女は、容姿端麗でも、特権階級でもありません。従来の物語のヒロイン像とはおよそかけ離れ、孤児で赤毛で、痩せっぽち、おまけにおしゃべりで癇癪持ちときています。しかし、豊かな想像力と男の子にも負けない快活さで、アンはたちまち若い世代の心を掴み、多くの『腹心の友』を得ました」(p.493)と、翻訳編集の二人が紹介している。小学生のときに抱いた「赤毛のアン」のイメージにしばられて、読んでいなかったので、今回手にとってみた。自分の周囲にも、このアンのような少女が何人か居て、コミュニケーションに困ったことも思い出させられた。また、関係している児童養護施設のこどもたちには、あまりの時代背景の違いや、孤児をもらい子として(今のことばでは里親としてアドプトして)育てる文化が未発達の日本では、読んで聞かせることはできないなとも感じた。しかし、途中で何回か、アンの言葉としても出てくるように、最後には少し教訓めいたことばも出てきて、たんなる豊かな語彙と表現力を用いた描写・叙述ではなく、読者に価値のある印象を残すものになっているようにも思う。最後の一割ほどに限られるが印象に残ったことばを備忘録として記す。 (2022.9.21)

  27. 「村岡花子遺稿集 生きるということ」あすなろ書房(1969年10月28日印刷、1969年11月8日発行)
    著者紹介:村岡花子(1893〜1968年)山梨県生まれ。東洋英和女学校高等科を卒業。『赤毛のアン』などの少年少女のための多くの本を紹介。著訳書『赤毛のアン』『小公女』『愛について』など多数。と、ある。昭和四十四年十月二十五日付の村岡光男氏の送り状が挟まっている。東洋英和女学校で、村岡花子の学友だった祖母から1970年1月にいただくとの記録がある。「横浜歩道」に連載されていた記事を中心とした、エッセイ集で、ほとんどの短文に日付がついており、記された順ではないことがわかる。最後から2つ目が少し長めの「生きるということ」という名の講演記録(1964年1月15日)、そして最後は「大阪の休日」(1968年10月23日最後の原稿)とあり、娘さんの家族と過ごした事が書かれている。そして、1968年10月25日に亡くなっている。これで、村岡花子を描いた「アンのゆりかご」ベストセラーとなった翻訳書「赤毛のアン」と本人が記したエッセーを読んだことになる。特に、この遺稿集からは、村岡花子の地の人柄が読み取れる気がする。「はじめて入学した日」に次のような一節がある。「考えてみると、どうもこれはわたしの性質のどこかを象徴しているようである。割合に人の思わくを気にとめず、自分は自分の思うままを行うという性質が、年来わたしからとれない。ずいぶん人に笑われても、わるくちをいわれても、案外気にかけない。『わが道をいく』というふうが、わたしにはある。それをもっともよく象徴しているのは、小学校入学の最初の日である。」(p.138)「なつかしさの中に生きて」には「二人のPTA夫人が訪ねてきた。幸福論をしきりに二人でたたかわせている。私はだまって聞いていたが、心の中で考えた。どうしてこのごろのひとたちはこんなに『幸福、幸福』と言うのだろう? 幸福の追求だけが生活ではない。ほかのことをしているあいだに結果として幸福を得るというふうに考えられないものかしら?」(32)
    (2022.9.26)

  28. 「TOKYO外国人裁判」高橋秀実著、平凡社(ISBN4-582-82391-2, 1992.8.20 初版第1刷発行)
    出版社情報内容説明・目次。出版社情報には「激増する外国人〈不法就労者〉。潜在的犯罪者の烙印を押された彼らが犯罪者となったとき、日本の裁判所はどのようにその罪を裁くのか。アジアへの差別を法廷から問いかける。」とあり、内容説明(紀伊国屋書店)には「東京地方裁判所408号法廷、通称、外人部。肉親から遠く離れ、弁護士からさえ見放された「アジア系外国人」が、言葉の檻に閉じ込められたまま、今日も裁かれていく。法廷から日本とアジアを照射する気鋭の長編ノンフィクション。」とある。区民図書館のリサイクル棚に載っていたので少し読み始め興味を持ったので、持ち帰った。アジア系外国人の場合、日本国籍をもつものや、欧米のひとと、裁判所の対応があまりに異なり、ショックを受けた。特に米国人に関しては日米安保条約が背景にあるようだが、一般的には「外国人はわが国に入国し、在留する権利を有せず、また、一般に国民に比してわが国との密着性も乏しい」(p.54)ことを根拠に、同じ犯罪であっても、公平性ではなく、その犯罪を犯したものが、管理されるものとして、裁かれる現実が、浮き彫りにされている。ほんとうに久しぶりに怒りがこみ上げてきたというのが正しいかもしれない。しかし、おそらく、日本には、就労ビザなしでアジアから出稼ぎに来ている人たちの入出国管理に関わる処遇だけでなく、あらゆる差別があり、裁判においては、公平は望めないような状況があるのだろう。国民感情なのか、そのように行政が導いているのか。東京地方裁判所408号法廷で傍聴もしてみたい、または傍聴すべきだとも思った。もっと学びたいと思ったが、書籍はあまり出ていないようである。サイトは多少あるが、外国語などでも記され、支援体制をとっているところは少ないように思われる。(英語がついているものも希少。それ以外のサポートは見つからないが、それぞれの言語で探す必要があるのかもしれない。)もう少し調べてみようと思う。
    以下は備忘録: (2022.10.2)

  29. 「枕草子への招待」田中澄江著、光文社文庫(ISBN4-334-70034-9, 1984(昭和59年).10.20 初版第1刷発行)
    出版社情報。「枕草子」を読んでみようと思ったが本書が家の本棚にあったので手にとって読んだ。著者が「自分の好きな古典を一冊あげるようにと言われたら、迷いなく私は『枕草子』をあげる。」と書いているように、その愛は伝わってくる本である。時の流れにあわせて引用し、その現代訳を付け、背景を説明している。1.枕草子への招待、2.清少納言の人柄、3.清少納言と結婚、4.清少納言の出発、5.中宮定子と宮廷正確、6.大きな落日、7.夕映えの中に、8.定子の死、9.女のいのちは、あとがき。「この草子、目に見え心に思ふ事を、人やは見んとすると思ひて、つれづれなる里居のほどに書き集めたるを、あいなう、人のためにびんなきいひすぐしもしつべき所々もあれば、よう隠しおきたりと思ひしを、心よりほかにこそ漏れ出にけれ。(これは見たり考えたりしたことを、まさかだれの目にもふれないであろうと、家にひきこもっている日々のつれずれのままに書きあつめたものである。見る人によっては、感情を害するおそれのある所も多少あるので、絶対に人に見せないつもりであったのに、思いもよらず、世間に知られてしまった。)」(p.256)枕草子の執筆についての多少のことなど、断片的には覚えていることもあったが、人物関係や、実際に起こったことなどがわかって、繋がっていったように思う。特に、清女(清少納言)が仕えた、定子との関係、本書で描かれている定子の魅力も伝わってくるようだった。ただ、漢詩や和歌の知識を元にした言葉遊びは、当時の教養人の遊び心とはいえ、あまりに狭い世界に映った。次に「枕草子」を読んでみようと思う。
    以下は備忘録: (2022.10.10)

  30. 「枕草子(上)」清少納言、島内悠子校訂・訳、ちくま学芸文庫(ISBN978-4-480-09786-6, 2017.4.10 第1刷発行)
    出版社情報。内容紹介「大人のための、新訳。北村季吟の『枕草子春曙抄』本文に、文学として味わえる流麗な現代語訳を付す。上巻は、第一段「春は、曙」から第一二八段「恥づかしき物」までを収録。全二巻。」枕草子に挑戦してみようと思い、手にとったが、わたしの力では、味わうのは、難しいと感じた。宮中で中宮に仕えた当時の教養のある女性の生き方が、生き生きとした文章で描かれていることは、確か。特に宮中では、男性の役割、女性の役割がはっきり分かれており、活躍と言っても、限りがあるが、教養ある男性にひけをとらず和歌をやり取りするなどを通して、高い評価をうけていく姿には、驚かされ、有る爽快感もある。その教養は、日本の和歌とともに、漢詩が中心で、高度の教養ではあるが、狭い世界とも言える。その狭さが大きく影響しているが、「凄まじき物」「弛まるる物」「人に侮らるる物」「憎き物」「心悸する物」「心行く物」「覚束無き物」「喩無き物」「味気なき物」「いとほし気無き物」「心地良気なる物」「めでたき物」「艶めかしき物」「妬き物」「傍痛き物」「あさましき物」「口惜しき物」「遥かなる物」「絵に描きて、劣るもの」「描き増さりする物」「哀れなる物」「心付無き物」「侘びし気に、見ゆる物」「暑気なる物」「恥づかしき物」など、すべて独特であるが、鋭く切り取り、観察力が並外れていることも確かなのだろう。現代に通じることもあるものの、やはり、特定の時代に花開いた文学なのだろう。いつか、わたしも味わえるようになるのだろうか。
    以下は備忘録: (2022.10.24)

  31. 「枕草子(下)」清少納言、島内悠子校訂・訳、ちくま学芸文庫(ISBN978-4-480-09787-3, 2017.4.10 第1刷発行)
    出版社情報。内容紹介「冴えわたる批評精神。優雅で辛辣で洗練された洞察は、また普遍的な文明批評の顔をもつ。女性だからこそ、男性だからこそ、文学として味わえる現代語訳を付す。下巻は、第一二九段「無徳なる物」から第三二五段「物暗う成りて」までを収録。」どうみても、枕草子を読み通したとは言えないが、一応、これで全段読んだことになる。味わうには、まだまだ修練が必要だが、70の手習いで、古典文学も少しずつ読んでいきたいと思う。宮廷文化は特殊であるが、教養人の語る言葉は、時代を超えて人々の感性を刺激することは確かだと思う。自分のみかたを、これだけ、言語表現できるのには、やはり驚かされる。自分のみかたを嫌い、極力普遍性を保った視点を、高校生のころから強く意識してきた、わたしが、触れてこなかったというより、避けてきた世界であることは確かだ。
    以下は備忘録: (2022.11.6)

  32. 「『社会的うつ病』の治し方〜人間関係をどう見直すか」斎藤環著、新潮選書、新潮社(ISBN978-4-10-603674-3, 2011.3.25 発行)
    出版社情報・目次。内容紹介「軽症なのに、なかなか治らない。怠けるつもりはないのに、動けない。服薬と休養だけでは回復しない「新しいタイプ」のうつ病への対応法を、精神科臨床医が、具体的かつ詳細に解説する。「自己愛」が発達する過程に着目し、これまで見落とされがちだった〈人間関係〉と〈活動〉の積極的効用を説く、まったく新しい治療論。」以前から読みたかった斎藤環の本にたどり着いた。発言などから学ぶこと、共感することが多かったが、本書の中で「自己愛」の発達を、人間関係(「人薬」とも呼ぶ)と活動による治療を説く内容に触れ、私の考えてきたことと非常に近く、共感するのは当然だとも思った。わたしは、尊厳の理解の進化と、互いに愛し合うことに向けた同労の場を重視しているわけだが。自身が専門とする「ひきこもり」についても学んでみたい。
    以下は備忘録: (2022.11.10)

  33. 「ひきこもりは なぜ『治る』のか?〜精神分析的アプローチ」斎藤環著、ちくま文庫、筑摩書房(ISBN978-4-480-42995-7, 2012.10.10 発行)
    出版社情報・目次。内容紹介「「ひきこもり」の治療や支援は、どのような考えに基づいて行われているのだろうか。その研究の第一人者である著者が、ラカン、コフート、クライン、ビオンの精神分析家の理論を用いて、「ひきこもり」の若者かたちの精神病理をわかりやすく解説する。なぜ、彼らはひきこもるのか?家族はどのように対応すればよいのか?「ひきこもり」に対する新たな視点が得られる。」理論と臨床が十分結びついているわけではないが、ある程度の説明はできているようにも思う。しかし、理解するには、ラカン、コフート、クライン、ビオンなどを、原典にあたるかは別として、ある程度学ばないと、難しいように思う。その意味では、中途半端なのかもしれない。神田橋條治や中井久夫などから学んだことも多いようなので、それらの方の本もいずれは読んでみたいと思う。ただ「ひきこもり」の場合の家族(またはそれに対応する役割の人々・たとえば児童養護施設などでのスタッフ)の対応が鍵だということは、そのとおりだと思う。
    以下は備忘録: (2022.11.17)

  34. 「旧約聖書がわかる本〜<対話>でひもとくその世界」並木浩一・奥泉光共著、河出新書、河出書房新社(ISBN978-4-309-63156-1, 2022.9.30 初版発行)
    出版社情報。内容紹介「旧約聖書とは、問いかけ、働きかける姿勢があれば、驚くほど面白くなってくるテクストである。小説のように自由で、思想書のように挑発的なその本質をつかみ出す〈対話〉による入門。」目次情報。図書館の寄贈図書のコーナーにあり、多少、学生さんなどに申し訳ないと思ったが早速お借りして読んだ。旧約聖書の成立の背景から、問と対話の中で出来上がった稀有な書として、奥泉氏が進行を担い問い、背後にある思想を並木氏が読み解き、それに奥泉氏がコメントし、現代につながる特に日本の課題をも問いながら進んでいく。正直に言うと驚きはなかったが、旧約聖書全体を神と人間との対話と捕らえ、それを対話形式で読み解いていくという面では興味深い。並木氏が、ヨブ記の注解をしたあとでもあり、そこに多くの頁を使っているが、ヨブ記の一つの読み方としてもまとまっている。
    以下は備忘録: (2022.11.27)

  35. 「万葉の秀歌」中西進著、ちくま学芸文庫、筑摩書房(ISBN978-4-480-09457-5, 2012.7.10 第一刷発行)
    出版社情報・内容・目次。枕草子を読んで、和歌の世界、万葉集、古今和歌集などの知識がある程度ないと、理解できないことが多いことを悟り、この書を選んだ。あまり知識がなかったが、良い本と出会ったと思う。万葉集は、4,500首の歌があり、そのうちの、252首をとりあげている。著者には、全訳・注もあるが、一つ一つを、この本にあるように、鑑賞してみたいと言う。鑑賞についてのたいせつさについて書かれているあとがきから引用する。「鑑賞ということが、世上しばしば虐待されていると私は考えている。(中略)鑑賞をはずしてしまうと、学問はどこにも文学を追求する方向を持つことができないからだ。学問が実証にもとづくものであることはもちろんだから、おもいつきが学問でないことはいうまでもない。歌を前にして気持ちがいい、読んでうっとりするなどだけいっていてははじまらない。しかし、なぜどのように、快いのかをもとめることこそが、本当の作品との対話だろう。私にそれができているなどとは、ゆめ思っていないが、すくなくとも万人が、万葉なら万葉で、その確かな手応えを感じつつ作品と対話できたら、これ以上の楽しみはないのではないかと、私は思う。」(p.537-8)万葉集は、雑歌・相聞・挽歌に分類されているとのことである。雑歌の、防人の歌にも興味があったが、それはほとんど最終巻である、第二十巻に入っているようで、あまり数は、取り上げられていなかった。素朴ということは、不明なことばも多く、鑑賞するには、難しいのかもしれない。一首のみ記す。「(4419)家(いは)ろには葦火焚けども住み好(よ)けを筑紫に到りて恋しけむはも」(p.522)。
    以下は備忘録: (2022.12.12)

  36. 「いじめ加害者にどう対応するか〜処罰と被害者優先のケア」斎籐環・内田良著、岩波ブックレット No.1065、岩波書店(ISBN978-4-00-271065-5, 2022.7.5 第1刷発行)
    出版社情報・内容・目次・著者略歴。いじめ加害者と被害者それぞれにどう対応するか、この難しいトピックについて、斎籐環氏がどう語るかに興味を持って手にとった。内田氏は、教育社会学の教授、部活動などの問題に取り組んでいる。特に、スクール・カーストを作らないための小グループでの活動と、当事者によるオープンダイアログが印象に残った。「オープンダイアログ」は前から学んでみたかったが、ぜひ斎籐環の本も読んでみたいと思う。
    以下は備忘録・要約: (2022.12.15)

  37. 「桃尻語訳 枕草子 上」橋本治著、河出文庫 河出書房新社(ISBN4-309-40531-2, 1998.4.3 初版発行、2005年9月30日 7刷発行)
    出版社情報目次情報。妻に勧められて手にとった。人気らしく、区立図書館で予約をして手元に届くまでにそれなりの時間がかかった。「春って曙よ! だんだん白くなっていく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの! 夏は夜よね。月の頃はモチロン! 闇夜もねェ・・・。蛍が一杯飛びかっているの。あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりポーッと光ってくのも素敵。雨なんかが降るのも素敵ね。秋は夕暮ね。夕日がさして、山の端にすごーく近くなったとこにさ、烏が寝るところに帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛び急いでくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながったのがすっごく小さく見えるのは、すっごく素敵! 日が沈みきっちゃって、風の音や虫の声なんか、もう・・・たまんないわねッ! 冬は早朝(つとめて)よ。雪が降ったのなんか、たまんないわ! 霜がすんごく白いのも。あと、そうじゃなくても、すっごく寒いんで火なんか急いでおこして、炭の火持って歩いてくのも、すっごく”らしい”の。昼になってさ、あったかくダレてけばさ、火鉢の火だって白い灰ばかりになって、ダサイのッ!」(25-26)に代表される特徴的な訳に、驚かされるのだろうが、最初に、「まえがき(Male Version)」「まえがき(Female Version)」があり、このような訳があるいみでぴったりであることの解説がされている。すこし、独断に感じるが、この上巻の最後にある、「解説:女の時代の男たち」(291-325)が、日本文化論・現代の政治の解き明かしも含み秀逸。文庫本で読んでいると、字も小さいので、正直、疲れてくるので、上巻でやめておこうかと思っていたが、やはり、中・下も読んでみたくなった。内容は、枕草子に関するものを最近、2種類読んでいるので、新鮮味はあまりないが、やはり、桃尻語で、清少納言に語らせている、さまざまな解説が詳しく、新しく知ることも多かった。原典の前に、こちらを先に読んでおけばよかったとさえ思った。十分吸収できたわけではないが、古典のまた違った楽しみ方を教えていただいたように思う。
    (2022.12.27)


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