Last Update: November 23, 2020
2020年読書記録
- 「なんとめでたいご臨終」小笠原文雄著、小学館(ISBN978-4-09-396541ー5, 2017.6.26)
日本在宅ホスピス協会会長で、1989年に岐阜市内に小笠原内科を開院し、以来、在宅看取りを1000人以上、独り暮らしの看取りを50人以上の経験をもち、癌の在宅看取り率95%を実践している著者が、在宅ホスピス緩和ケアについて事例を中心に語ったものである。「臨終」に焦点をあて、「希望死・満足死・納得死」を迎えるための、実際が語られている。これは、おそらく、本人を中心として、周囲が、死をそのように受け止められるようにする医療チームとしての最大限できることとして、書かれているのだろう。課題も見える。一つは、癌には、有効であるが、肉体的な痛みの除去以外が、中心的な課題である場合は状況が異なることなど、病気の種類に依存し、法律にも関係することが多く、万能のカードではないこと。臨終の瞬間をどう迎えるかは、その後の周囲の人々の人生にとっても、非常に大きなことだろうが、個人的には、あまりにそこに集中しすぎている感じを受けた。ひとりのいのちは、周囲のさまざまなひとたちに受け継がれていくものであり、それが、その人の存在がしっかりつ残ることでもあると同時に、その人の存在なしに、生きていくことを想起させられる、永遠といってもよいほどに継続する営みだとわたしが考えているからだろうか。あまりに明るいものに反発を感じ、生きる苦しさを感じ続けている人に囲まれた中で、なにか軽さを感じてしまうからだろうか。ある感動を持って、一つ一つの事例を読み、さらに、満足して死ねる幸せを持つ人たちが増えていくことを歓迎すると共に、わたしは、この人達とは、違う死に方がしたいと正直思った。イエスの地上での生涯、そして、死と相通じる部分を認めつつも、本質的に違う感覚を、私自身は抱いているからだろう。いずれ言語化してみたい。すこし、否定的なことを書いてしまったが、おそらく、小笠原医師の伝えたいことは、備忘録の最後に引用した言葉だろう。今の医療現場は、これとはあまりにも、かけ離れたものになってしまっている。それを変えていこうとする、大きな一歩であることは確かである。以下は備忘録:「在宅ホスピスケアの『在宅』とは、暮らしている"処"。『ホスピス』とは、いのちを見つめ、生き方や死に方、看取りのあり方を考えること。『緩和』とは、痛みや苦しみを和らげること。『ケア』とは、人と人とが関わり、暖かいものが生まれ、生きる希望が湧いて、力漲ることです。」(p.5)「希望死・満足死・納得死は、暮らしの中に。『安らか・大らか・朗らか・清らか』の4つの"らか"を実現できること。」(p.48)「病院では、ひっきりなしに看護師さんやお医者さんが来てくれるけど、誰とも心が通わなかった。人は大勢いるのに孤独死しそうだったんです。」(p.65)「痛みは薬で取れる、薬は安全に使用できるように工夫されている、医療用麻薬は、痛みの治療をしている限り、中毒にならず安心である、突然の痛みは我慢せず、レスキューですぐ取る、副作用による便秘や吐き気などは、予防できる。」(p.80)「恋をしたとき、結婚したとき、こどもが生まれたとき、会社の社長になった時も嬉しかった。でも、がんで死ぬとわかってから、先生やみなさんに支えてもらい、大いなるものに抱かれている我が身、生かされているいのちに気がついた。社長をしているときは『みんなを食べさせている』というおごりがあった。がんになって死ぬときは思った今が、一番幸せだし、信じられない。極楽にいるようだ。」(p.111-2)「課題:末期癌で独り暮らしは無理だという先入観、告知への否定的な考え方、大切なのは、告知を告知で終わらせない、フォローが大切であること。」(p.129)「在宅ホスピスケアとは、痛みを取り、笑顔で長生き、ぴんぴんころりと旅立つことです。」(p.177)「24時間いつでも往診しtれくれる診療所:A.在宅療養支援診療所、B.機能強化型在宅療養支援診断所、C.在宅緩和ケア充実診療所」(p.213)「この事例は、子どもが考える最善の選択が必ずしも親にとって最善ではないこと、それを大切な人の死をもって気づくのでは遅いと言うことを教えてくれました。」(p.229)「人はひとりでは生きていけません。最期の時もひとりではないのです。必ず誰かと関わり、お世話になったり、協力し合ったり、そういったコミュニケーションの中で生きています。だから、専門職だけが『死』と向き合い、関わるのではなく、地域全体で、『思いやりのコミュニティ作り』ができる日本になることを望んでいます。」(p.315)
(2020.1.2)
- 「SIM宣教シリーズ2 陶器師の手の中で 世界宣教と弟子訓練」SIM日本委員会.(ISBN978-4-9906740-1-4, 2019.5.10)
主たる著者で、SIM日本委員会委員長の小川国光先生から、開拓伝道をしておられる、東京恵約キリスト教会の礼拝に出席した時にいただいた。SIM は、Sudan Inland Mission の略だが、スーダンに限らず、宣教師を派遣している。日本から送っているのは、アジアとアフリカ。先生は、インドネシアへの宣教師、武蔵野福音自由教会牧師などの経歴をもつ。お子様二人が、SIM を通して、タンザニアに宣教師として赴任している。第一部 世界宣教に従事する喜びとチャレンジ、第二部 宣教師派遣の戦い・困難と祝福、第三部 世界宣教と弟子訓練:50年にわたる宣教奉仕の物語 宣教と弟子づくり:困難と祝福(小川国光)の構成になっている。一部と二部の明確な違いは不明。表題は、おそらく p.184 に引用されているエレミヤ18章4節から取ったものであろう。宣教師として派遣する、されることについて、考えてみたいととも思い、読んだ。正直、神からの啓示と召命が(神と人との間の)個人的なものなのか、交わりのなかからおこされるものなのかにおいて、前者が非常に強いことに、違和感がある。むろん、召されてから、ひとり一人が導かれ信仰的にも成長していくことに、共感も感じるが。いつか、小川先生とも、ゆっくり話してみたい。以下は備忘録。「このような人間関係(人格までも弟子に模範とされる師弟関係)が強い社会では、聖書が教えているキリストのご主権の下での、信仰者同志や共同体を脅かす危険を秘めている関係でもあると考えられます。何故ならば、個々人の神との直接の関係よりも、常に相互の人間関係が強調される傾向があるからです。パウロも『私に倣う者になってください。またあなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目をとめてください』(ピリピ3章17節)『私に倣う者になってください。』(1コリント4章16節)と言っているではないか、という人々もいるでしょう。しかしパウロは各々の文脈で明確にキリストのご主権を第一にしてこのような勧めを与えていることを理解することが大切だと思います。」(p.202-3)「私たちが本当に神の宣教に召され、キリストにならって弟子訓練を受けたいと願うなら、第一に耳を傾けるべきは、将来約束されている祝福と報いのみことば以上に、まず、今ここで、払うべき代価についてのみことばであると言えるでしょうか。」(p.206)
(2020.1.17)
- 「データサイエンス講義」Rachel Schutt, Cathy O'Neil著、瀬戸山雅人他訳、オライリー・ジャパン(ISBN978-4-87311-701-0, 2014.10.28)
原書のタイトルは “Doing Data Science: Straight Talk from the Frontline” 本書の目的は「データサイエンティストとはどのような人物で、どのような手法を使っているかを学ぶこと」(p.383)としているが、まさにそれが実現されていると思う。R. Schutt の講義で、それを聴講していた、C. O’Neil のノートなどを加えて、共著としているようである。O’Neil が加わっていることで、倫理的な問題にも頻繁に触れている。目次 を見ればわかるが、データサイエンスとはからはじまり、そのプロセス、アルゴリズムの概略を説明してから、ゲスト講義を含む、それぞれの分野での実際が書かれており、さらに、いくつかコードもあり、サイトからデータもとれるようになっており、その意味でもよくできている。ただ、英語版は2013年であるため、データなどがすでにダウンロードできなくなっているものもある。特にこの分野は、原本が出てすぐに手にするのがよいのだろう。以下は備忘録:「現状では、よいデータサイエンティストと言われている人は、データを使って解決可能な問題を特定できる人や、モデリングやコーディングなどのツールに熟知した人であったりします。しかし、わたしは、データに精通した人、統計的な思考ができる人(こういった人たちのことを「データサイエンティスト」と呼ぶことにします)などで構成された学際的なチームであれば、長い道のりを進んでいき、大きな役割を果たすことができると言うことを信じています。」(p.x)「Cathy O’Neil は『学術分野にいない数学者は、世界をよりよくするために何ができるか』という疑問にいつかよい答えを出したいと願っているとブログに書いている。」(p.xiii)「データサイエンスにおいて、人文主義者(人間の幸福、価値、尊厳について強い興味関心を持っている人)であるということは、自分の人間性が担う役割を認識することです。自分が人間性を持っているからこそ、モデルやアルゴリズムを構築することができ、コンピュータにはなく人間にはある性質について考えることができます(倫理的な意思決定をする能力などもそうでしょう)。構築したモデルを世界に公開したときに、人生に影響を与える人たちについて考えることもできます。」(p.xiv)「ビッグデータという言葉は、1つ目に、一連の技術を指す。2つ目に(データの量と多様性の増加によってもたらされる)測定における革命の可能性である。そして3つ目には、将来の意思決定がどのように行われるべきかということについての視点や指針を提供するものとしてのビッグデータを意味する。(スティーブ・ローア)」(p.19)「N=ALL: 標本は母集団に等しい、つまり手にしているデータがすべてであると考えてよいということ。」(p.27)「データは、私たちの社会における出来事を反映した定量的でおぼろげな単なる反響でしかないのです。」(p.29)「モデルは、建築学や生物学や数学など、特定のレンズを通して現実の性質を理解し表現しようとする試みなのです。」(p.31)「自動統計学者:Zoubin Ghaharamani」(p.98)「Competition: Knowledge Discoverty and Data Mining (KDD), Kaggle」(p.180)「データサイエンティストとは、次第に広がっていく調査対象を次第に深く学んで行く人のことだ。その学習は、すべてのついて学ぶことがなくなるまで続く(ウイリアム・キュキエスキ)」(p.184)「Google's Hybrid Approach to Research」(p.212)「プライバシーに関する懸念。個人情報の盗難による懸念点:金銭的な損失、デジタルな世界での懸念点:個人的なデータへのアクセス、自分が検索したかなりプライベートな情報、迷惑なスパム、性的な画像(自分の上司にみられてしまうなど)、迷惑な勧誘、望まない広告への対象化、現実世界での懸念点:オフラインでの脅威・迷惑、家族への危害、ストーカー、雇用に対するリスク、その解決策へのブレイン・ストーミング」(p.216-7)「情報が非常に細かく追跡され入手できる世の中で、私たちは本当に生きたいと思うのでしょうか。」(p.240)「『機械学習=Rスクリプトの作成』ではない。製品レベルのコードは自分より他者の方が何度も読み返してそのコードを基にソフトウェアが構築されるので、書き手ではなく読み手のためのコードを記述してください。『データ可視化=見栄えのよいプロットの作成』ではない。優れた企業では、可視化が浸透し組み込まれているものです。可視化によって何らかのアクションを取ることが可能になります。『機械学習とデータ可視化は、ともに人間の知能を拡張する』人間の認識力には限りがあります。しかし、データを活用すると、情報世界を把握して舵取りを可能にする外骨格を作り上げることができます。」(p.256)「Ian Wong の助言:現実のデータをいろいろといじる。学校で数学、統計学、計算機科学の基礎を築く。インターンシップをうける。統計学だけではない教養を身につける。好奇心を持ち続ける。」(p.271)「データサイエンティストと、データジャーナリストに必要なものは少し異なるでしょう。しかし、両方に必要なスキルの心臓部分となるのは、よい質問をする力やその質問にデータで答える力、そして発見したことをコミュニケーションする力です。」(p.275)「集団レベルでは因果効果の値を推定することができるかもしれませんが、ある個人に対して因果効果の値をえることはできません。」(p.312)「機械学習は新しい学術分野で、学会も論文誌も新しいです。しかし、私からすると、20年前の統計学と変わらない特徴もあります。それは、新しい手法を確立し、それをデータで試すというものです。専門知識へのかかわりという点では、機械学習のコミュニティは前進するというよりも後退しています。」(p.319)「人間はデータを理解するようには作られていない。感覚系の守備範囲外で、言語とは違い、数値に対して五感に近い感覚を有している人は殆どいません。また、不確実性を理解するようにも作られていません。そうではあっても、ベストを尽くしましょう。」(p.351)「ほぼすべての講師が言ったこと『君たちがこれまで何を学んできたのか知りませんが』」(p.372)「わたしと同世代のデータサイエンティストが専念しているのは、どうやったら消費者が広告をクリックしてくれるかについて考えることだ…、ひどいものだろう。(ジェフ・ハンマーバッカー)筆者らは、次世代のデータサイエンティストには、問題を解決でき、適切な問いができる人物になって欲しいと考えています。そして、そのような人が適切な設計やプロセスを考え、責任を持ってデータを扱い、世界をよりよい方向へ導いてくれることを期待しています。」(p.387)「理想を言うと、データサイエンティストは『サイエンティスト』の名に恥じぬ人物であって欲しいと考えています。すなわち、仮説を検証し、難しい課題や自分とは異なる理論も受け入れて挑んで行く人です。それは、自分の考えの欠点を指摘し、困難な課題も受け入れ、科学者として検証していくことを重視し、ごまかしや駆け引きで自分のモデルを擁護したりはしないひとであるということです。他の人に、自分よりもうまくできるという人がいたら、ぜひその人にやってもらいましょう。そして、評価の仕方は事前に意見を合わせておきましょう。物事は、客観的に捉えるようにしましょう。さいごに『これが世界にどのような影響をあたえるのか』もぜひ考えてください。」(p.390)
(2020.1.18)
- 「すっきり分かる『最強のAI』の仕組み 続 AIにできること、できないこと」藤本浩司監修、柴原一友著、日本技術評論社(ISBN978-4-535-78902-9, 2019.11.25)
1章 最強AIへの導入(AI の仕組みと機能)、2章 ResNet(画像認識)、3章 BERT(言語認識)、4章 AlphaZero(強化学習によるゲーム攻略) という構成になっている。ていねいに、AIの中身を、やさしいことばで説明しようとしている。特に、課題解決を四つの分野にわけ、動機:解決すべき課題を定める力(解くべき課題を見つける)、目標設計:何が正解かを定める力(どうなったら解けたとするかを決める)、思考集中:考えるべきことを捉える力(解く上で見当すべき要素を絞る)、発見:正解へとつながる要素を見つける力(課題を解く要素を見つける)とまとめて、それぞれの「最強AI」がどの部分を急速に改善したか、何が課題として残っているかを説明している。個人的には、ことばがまだこなれていないと感じたが、表題の「AIにできること、できないこと」については、ある部分、伝えることができていると思う。これをきっかけに、論文やネット上での解説なども、見ることができたので、あとは、自分で勉強したいと思った。
以下は備忘録:「『文章のある位置に当てはめられる単語を理解したい』『ある文章につなげられる文章を理解したい』という二つの課題を解決できるようになれば、『自然な文章を理解したい』という課題の解決へと近づけそうです。そう期待してこの二つの課題を学習し、作り上げられたのがBERTというAIなのです。」(p.140)「汎用型AIが実現できていないのは、『動機:解決すべき課題を定める力』『目標設計:何が正解かを定める力』がまだ、AIに備わっていないからです。自分で課題を発見して、それを解決するためにはどうなればいいのかを自分で決められなければ、日々生じる様々な課題を臨機応変に解決していくことはできません。よって、人間が課題や正解を設定したものだけを解決するAI、つまり特化型AIしか実現できていないわけです。」(p.141-2)「ちなみに、コミュニケーションを行えるAIというとチャットボットが思い浮かびますが、チャットボットは一般的に『相手の発言につなげることができる発言をする』ことを正解としています。なぜそうするのかというと、その方が人間同士の対話事例をそのまま問題集にできるため、大量に問題集を用意しやすいからです。つまりコミュニケーションで何かを解決しようとして作られたAIではないのです。」(p.189)「探索と知識利用のジレンマ:この解決はバンディット問題という名称で、強化学習の重要な問題となっています。」(p.210, no.56)
(2020.1.22)
- "Multilingualism - A Very Short Introduction", John C. Maher, Oxford University Press(ISBN978-0-19-872499-5, 2017, pp.148)
このシリーズの本を何冊か読んでみたかったが、いままでチャンスがなかった。たまたま、以前、同僚だった著者からのメールにこの本のことが書いてあり、手に取った。目次に、
1. A multilingual world
2. The causes of multilingualism
3. Multilingualism, myth, and controversies
4. People, language, and dangerous things
5. Individual multilingualism: one mind, many languages
6. Politics, language, and the state
7. Identity and culture
8. Lingua franca, hybrids, and constructed languages
9. Endangered languages
とあるとおり、社会言語学から広い視野で、Multilingualism について書いてある。個人的には、3 で扱っている、「母語・一言語をしっかり習得することが人間形成に重要」といわれる myth に疑いを持っていたため、わたしの違和感は、おかしなものではないとの確信もえることができた。多文化、多言語、難しい問題でもあるが、文化論から考える視点に、興味を持つことができた。以下は、備忘録。"M.A.K. Halliday: language is the creator and creature of human society." (p.3) "A multilingual person is not someone who has mastered several languages: rather it is someone who uses language for different functions in differennt contexts." (p.5) "By mistaken etymology, the meaning was taken from the Hebrew verb balal, ('to confuse', i.e., confusionn of lunguages)" (p.34) "The story of Babel demonstrated the absolute need for cultural 'privacy'. The story symbolizes the human desire for secrecy, territory, and cultural isolation that would create thousands of separate languages. The world's languages serve as exclusive codes to inhibit communication with the Other, with strangers, enemies, and competitors." (p.34) "Knowing other languages makes a person a little at home in the world, more prepared for its complexity. Learning another language is to enable me to do different things and see new perspectives." (p.61) "'Plurality', as the philosopher Hannah Arendt (1906-1975) wrote, 'is the law of the earth'." (p.130) "In the present day, multiculturalism and multilingualism together form not only a backdrop to an understanding of globalization, migration, and transnational identities, but also a platform to enable all person to participate in society." (p.131)
(2020.2.3)
- 「アルゴリズムが世界を支配する」クリストファー・スタイナー(Christopher Steiner)著、角川 Epub 選書004(ISBN978-4-04-080004-2, 2013.10.10)
原著タイトルは “AUTOMATE THIS: how algorithm came to rule our world” となっている。著者は、エンジニアで、起業家でもあり、フォーブスや、シカゴ・トリビューンのライターでもあったとのことで、書き方も、内容もすばらしい。訳は技術的な部分が多少弱い感じがしたが、違和感なく読むことができた。Wall Street での Quants の先駆けである Thomas Peterffy による Call Option, Put Option を Black–Scholes equation が発表される前から、試行錯誤で予測値を計算して、膨大な富を築くはなしから始め、Spread Networks (Dan Spivey, James L. Barksdale) による独自の光回線を引く話、Ben Novak の "Turn Your Car Around” からはじめて音楽作成の話、興味深い話が続く。試し読みサイト に目次も含まれる情報がある。理系エンジニアの栄光に偏りすぎ、その問題点は指摘するが、どうすればよいかなど、対応については、語らない。原著は2012年だから、まだリーマンショック(2008年9月15日)の後日談までが精一杯だったのかもしれない。 しかし、いまなら、メディア界では、AI ということばを使うが、この技術の発展と、世界への影響を書いた本としては、秀逸。以下は備忘録。「ハッカーの二つの相反する意味:以前のハッカーは機密データに進入する悪者。本書でのハッカーは、コンピュータ・コードを手際良く書き、会議室のホワイトボードに書かれたコンセプトをこともなげにアルゴリズムに転用して、難しい決断をしたり、株の売買をしたり、車の運転をしたり、大学の入学願書を整理したり、ポーカーの世界チャンピオンと互角に勝負したりする人間のこと。」(p.14)「1987年当時のピーターフィーは、ウォールストリートでは小物だったが、優秀なトレーダーの脳みそをとりだし、それを一連のアルゴリズムで表現する方法を考え出した。彼のプログラムには、腕利きの一流トレーダーが売買の判断をする際に重要視する要素がすべて含まれていた。なおかつ、データを計算し、価格をチェックして取引執行するまでの時間は人間よりもはるかに短くて済んだ。」(p.32)「型破りなプログラマーの基盤は、二十世紀の終わりから二十一世紀のはじめにかけて、我々の生活の様々な場面で展開していった。他分野に興味を抱いた腕の良いプログラマーがその分野の専門知識を得て、みずからのコンピュータ技術やプログラミング技術を使って人間のやり方を模倣する。そのアルゴリズムが産業や企業を転覆させ、昔ながらのスタンダードを崩壊させる。人間を模倣し、徐々に人間に取って代わっていくようなアルゴリズムを作り出せる能力が、これからの百年を支配するためのスキルだ。」(p.34)「華々しいアルゴリズムの背後にひそむ高度な数学の世界は、今復活の時代を享受している。それが実際行われている場をみたければ、Yコンビネータ・ハッカー・ニュース・メッセージボードを開いてみることだ。」(p.33)「ある特定の人間には大衆受けする音楽を書く才能があること、またマクレディのアルゴリズムはヒットソングの一般的特質を理解していること。それを考えれば、ポピューラーミュージックは、程なくポッドによって支配されるのではんあいかと容易に推測できる。時代のテイストがたとえどんなものであろうと、レコードレーベルが求めているのは確実性だ。だとすれば、いかにもおいしいヒット曲を生み出してくれるアルゴリズムこそ、他の何よりもその任務にふさわしいと言える。」(p.144-5)「コープは、新たな作品を創造する気持ちになれなかった。『単なるプログラマーとして見られていると感じ始めたんだ。クリテイティブなことに関わる人間というより、ファイルをダウンロードしてデータベースをつなぎ合わせる人間として。』」(p.160)「長い間、その方程式で最大のプラスを出し続けてきたのがウォールストリートだ。だからこそ、エンジニアから物理学者から数学博士にいたるまで、アメリカ中の優秀な頭脳がここに集まってきた。これだけの頭脳集団を結集してもなお、金融界は2008年の経済崩壊を防ぐことはできなかったし、人間性という最も悩ましい問題も解決されてはいない。彼らは、そんなことに取り組む気はないようだ。ゴールドマン・サックスのロイド・ブランクフェインCEOによれば、彼らは『神の仕事をしている』はずなのだが。」(p.194)「CIA分析官のほとんどは大学の新卒採用だが、旧来の分析方法においては、分析対象となる地域や国民性への深い知識が重要だと考えられているため、採用されるのは、理数系ではなく文科系の学生がほとんどだった。そのため、分析官の多くは権力者の個人的なバックグラウンドや、その側近とのドラマチックな逸話に焦点を当てがちだ。それは、話題性という意味では面白いかもしれないが、はるかかなたの国の人間が最終的にはどう行動するかを予測するのにはあまり役に立たない。文化の違い、宗教対立、民族や国、国民間の意見の食い違いなどの情報よりも、支配者にとって何が最も得策なのかを知ることが重要なのだ。これは、アルゴリズムを組み立てる側にとっても好都合である。重要人物と彼らの利害を特定することができれば(そして不通はできる)イランのように指導部が形式ばった国であっても、アルゴリズムは人間の分析官以上の予測結果をあげることができる。」(p.224)「1.感情重視型の人(全体の30%、女性がこのグループの4分の3)2.思考重視型の人、3.行動重視型の人、4.内省重視型の人、5.意見重視型の人、5.リアクション重視型の人(マグワイアとテイビー・ケイラー)」(p.274)「MBA社員たちは細かい点や、過程や数字にこだわりすぎてしまうのだ、彼が必要していたのは、創造力を持った技術系の人材だった。問題をすばやく理解し、他とは異なるユニークな解決方法を見つけられるような、懐の深いマインドをもった人材だ。」(p.295)「多額の学費ローンを抱えた彼らが、ゴールドマン・サックスから技術系企業の二倍の年収を提示されているのに、あえて技術系企業に行く理由がないからだ。」(p.298)「カスタマーサービスセンターにかかってくる電話の三千件に一件は詐欺目的の電話だ。eLoyalty の音声認識ボットは、詐欺電話を阻止する能力を持っている。人間の声とは、指紋と同じぐらい一意的に区別できる。」(p.305)「ケイパーズによれば、注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断されるこどものかなりの数は、単なる行動型の人間であり、そのような特徴に適した環境、人同士の交流や刺激が多く、直接的な指示が受けられる小規模な学校など、を与えられていないだけだ。」(p.308)「自分と違うタイプの人間や文化に接するパイプは無数にあり、遮断することはできないからだ。しかし、今テクノロジーがやているように人間を型にはめ分類することに、コンウェイのボットが加われば、問題はより深刻になっていくように思われる。」(p.310)「ハマーバッカーが西海岸に移ったのは、金やステータスやプライドのためではなかった。ウォールストリートに飽き飽きしたことと、自分にはもっと他にやるべき事があるのではないかという漠然とした思いからだった。そして世界をつなげるという Facebook の理念に飛びついた。しかし、この仕事もまた、日に日に大切なことではなくなっていくように彼には思われた。『僕の世代では、最も頭の良いやつの仕事は他人に広告をクリックさせることなんだ』と彼はしばしば言う。『最低さ』」(p.323)「イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校工学部では、化学、物理学、コンピュータ・サイエンス、理論応用力学まで過酷な『理数系学生の死の行進』で挫折してしまう学生が多い。少なくとも単位振替など融通がきく一部の人文系の学資恵に比べると、夜も寝ずに勉強し、難しい試験を何度もパスすることが要求される。しかし、それでもなお、理数系の学部を卒業するの天才である必要はないと私は断言する。必要なのは、高校で上級レベルの数学の基礎ができていること、入学後に人よりすこし努力することだけだ。」(p.344)
(2020.2.10)
- 「私はこうして世界を理解できるようになった」ハンス・ロスリング、ファニー・ヘルエスタム著、青土社(ISBN978-4-7917-7217-9, 2019.10.10)
"How I learned to understand the world” by Hans Rosling with Fanny Haergestam の訳。Factfulness の著者、Gapminder 創設者の自伝である。最後には、Factfulness につなげているが、個人的には、H. Rosling が世界を他の人のようには、バイアスなく見ることができるのには、最初に統計学を学んだことと、医学部の学生時代に休学して、インドで学んだり、おくさんと、インドネシアまで旅行したり、モザンビークで医師として、また、公衆衛生の学者として働いたり、コンゴや、リベリアや、キューバでも現地の人のなかで、調査をしたことなど、実際の世界を経験していることが大きいと思う。確かにバイアスは、いろいろな形が作られるし、経験から学ぶことと、統計学的な知見だけでは、世界を理解するのは難しいだろうが、その影響が大きいことは、自分の経験からも非常に納得できることである。夫婦で、赤ちゃんの世話のために、Hans のほうが、育休を取ると、約束したのに、上司に解雇を言われて、やはり無理だからと奥さんに、休んで欲しいと言ったときのことが書かれている。奥さんに、「あなたのシャツとパンツと靴下よ。私の人生から出て行ってちょうだい。二度と戻ってこないで。あなたが育休を取るって二人で決めたじゃない。私、学校にももう伝えたのに。」と言われて、目が覚めたともあった。わたしも、「5人を育てるために、わたしは、ずっと人生を犠牲にした」と、家内によく責められるので、わかっていない、自分に、ぎょっとさせられた。そんなこと、ばかりなのだろう。いろいろなバイアスで、なかなか理解できないことも知らされた。Factfulness を補完するうえでも、また、自伝としても、お勧めの一冊であるが、正直に言うと、誤植も含め、翻訳の荒さが気になった。以下は、備忘録。「私は無宗教で育てられたものの、我が家には確固たる価値観があった。『大事なのは、神を信じるか信じないかではないー同胞とどう接するかだ』というのが我が家の信条と呼べるかもしれない。」(p.12)「(ニューギニアで現地人をもてあそんだ話のあとで、父が語ったこと)スティン・ベイルマンは他人への敬意を欠いた、格好だけの男だ。奴は斧を手にいれたい人たちんお気持ちを弄んでいる。森で暮らす彼らにとっては当然、斧のあるなしは生死を分ける。ああいうやり方は我慢ならん。」(p.27)「私の世界像は、家で父や母から、またはラジオや人との出会いを通し、構築されていったものであり、学校で学んだものではなかった。」(p.29)「独立までは簡単だろう。ポルトガルの兵士らは、ファシズムと植民地主義が自らの命をかなぐり捨ててまで守る価値のあるものとは思わないだろう。つまりこの戦争に勝利しうるのは、わたしたちってことだ。私たちモザンビーク人にとっての課題は、戦争で勝利を収めることではない。独立後の国での人々の暮らしをよくすることだ。国民の期待は高まるだろうが、それに応えられるだけの十分な資本を私たちは持たない。(エドゥアルド・モンドラーネ)」(p.38)「ああ、ハンス。私は君が健康だと保証した。でも内心は、ひどく迷っていたんだ。君が進行性の癌によって、間もなく亡くなるだろうと踏んでいた。だが君の目を見ていたら、本当に向こうに行って、夫婦で準備してきた仕事をしたいのが伝わってきた。そこでわたしは考えたんだよ。あと数年しか生きられないのなら、一番したいことをしていけない理由がどこにあろうと?そこで私は君がモザンビークに行けるという虚偽の証明を出したんだ。(フォリケ・ノルドリング)」(p.65)「真言(マントラ):変えるべきことをとにかく最初に変えて、あとは様子を見よ。」(p.76)「職員を束ねる(ニヘリーワ):そんなにたくさんしゃべらず、普段は静かに問いかけをし、部下たちに話をさせ、それに耳を傾け、彼らの不安な気持ちを理解するよう努めるように。」(p.78)「モザンビークの子どもの死亡率は、私が働いていた1980年には、およそ26%と推計された。35年たった今では、その数字は8%まで下がっていた。こどもの死亡率を26%から8%に下げるのに、スウェーデンでは1860年から1920年まで60年かかった。モザンビークはここ35年で、血なまぐさい内戦を経験し、非常に深刻なヒブ感染症が広がっていた。それにも拘わらず、モザンビークの子どもの死亡率はスウェーデンと比べて約二倍の速さで減少した。ヨーロッパとアフリカ全体と比べると同じ事が言えた。それは事実をふまえた政策と投資が遂行されていたからだった。」(p.114)「しかし学校教育を受けていない女性が、民衆の前にあんな風に歩み出て、暴徒化した彼らをなだめられるほどの説得力ある明晰さをもって、科学の役割を説くことができるとは思ってもいなかった。彼女は周辺世界で起こっていることを、どうしたらあんな風に見事に理解できたのだろう。」(p.173)「すると講堂がざわめき始めた。後に教師経験を積むにつれて分かってきたことだが、こういう時がチャンスだ。生徒同士が話し始めることで、彼らは思考と経験を分かち合い、多くを学ぶ。」(p.177)「1. 自分の管轄区の人口を把握する。2. 管轄する人たちが年に大体何人のこどもを生んでいるのかを知る。3. 医療機関で出産されるこどもの割合はどれぐらいかを知る。」(p.180)「学生たちの多くは、倫理的に正しい行動をとるためには、数字が必要なんだということを受け入れられない。病院にやってくる患者をできる限りの医療を提供するのが、倫理的に正しいという考えに、彼らは固執してしまっている。」(p.181)「カストロに対して:あなたはハンモックで眠り、彼らと畑で汗を流していました。子どもたちの宿題や、女たちの食事の支度を手伝っていました。それで初めてあなたは彼らのことが真に理解できたのですよね。あなたはアンケートをとっていなかった。」(p.191)「大勢の学生は、子どもたちの生存率が増えると動物が死んでしまうという議論にしか反応していなかった。わたしは子どもたちの生存率があがるなら、母親一人につき産む子どもの数を減らさないと、人口が安定せず、動物によい影響を及ぼせないと再び説明した。私は質疑応答の際に、グローバル・ヘルスについての私の主な任務は、最貧国の子どもの死亡率を減らすことだと言った。」(p.208)「公衆衛生の専門家の多くは、ビジネス界に批判的だ。企業はやみくもにたばこや酒や、スピードの出すぎる車を生産しているという意見だった。しかし企業向けの講義をすることで、私はこれまでの経験で欠いていたビジネスの世界への敬意を抱くようになった。このことはまたわたしの意識を高め、NGOから金融業まであらゆる社会運動から一定の距離を置くことを教えてくれた。」(p.222)「このような疫病と闘うには、片手にエクセルを、もう一方の手に人間愛を持たなくてはならないものだ。」(p.275)「ヌコサザナ:でも極度の貧困を終わらせるのは、初めの一歩でしかない。たとえそれが、次のステップを踏む上で、どうしても欠かせないものであっても。今後50年間でわたしたちが立てたたくさんの目標の一つでしかない。私たちは極度の貧困をおわらせることにただ集中するってことはできない。私たちは極度の貧困の終焉と並行して、またその域に留まらず起こるべき長期的変化を目指して今日から早速、動き出すべきです。私はアフリカの国々が、前進し、他の世界の国々と対等になることを望んでいる。」(p.291)
(2020.2.18)
- 「ファクトフルネス」ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロランド著、日経BP社(ISBN978-4-8222-8960-7, 2019.1.15)
副題が「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」とあり、10の思い込みごとに、まとめられている。最初にチンパンジークイズと呼ばれる13問からなる問題がある。Gapminder ホームページの一番上に載っている。ログイン言語で受けることができる。共著者は、ハンスの息子と、その妻。Bill Gates は、アメリカの大学生でこの本を読みたい人にはわたしが、本の代金を払うとまでいい、サマリーを公開している。個人的な感想も含め、備忘録として記す。「この本は世界の本当の姿についての本でもあり、あなたについての本でもある。あなたや、わたしが出会うほとんどの人がありのままに世界を見ることができないのはなぜだろう。どうすれば、世界を正しく見られるのだろう。そんな質問にこの本は答えてくれる。」(p.25)「なぜ、わたしが乳幼児死亡率にこだわるかわかるかな?もちろんこどもは大事だが、話はそれだけではないんだ。乳幼児死亡率は、社会全体の体温を計ってくれる巨大な体温計みたいなものだ。」(p.29)「ファクトフルネスとは、話の中の『分断』を示す言葉に気づくこと。」(p.59)「それぞれの物語の裏にある数字を見ようとすることはたいせつだ。でもそれと同じぐらい、数字の裏にある物語を見ようとすることも大切だ。数字を見ないと、世界のことはわからない。しかし、数字だけをみても、世界のことはわからない。」(p.166)「中国とベトナムの戦争は、休戦期間も含めると、2000年以上続いた。フランスに占領されていたのは200年間、『対米抗戦』があったのは、たったの20年間。記念碑の大きさは、戦いの長さと完全に一致していた。」(p.172)「スウェーデンでは、クマが人を殺すのは100年に一度あるかないかの出来事だ。一方、女性がパートナーに殺される事件は、30日に一度起きている。頻度の差は1300倍だ。ところが、DVによる殺人はほとんどニュースにならず、クマによる殺人は大ニュースになった。」(p.173)「現在の人口分布:1・1・1・4、2100年は、1・1・4・5」(p.178)「ほとんどのクライアントはアフリカの国々の発展を見ようとせず、受け入れられないんです。アフリカがよくなるなんで考えられないんですよ。古臭い世界の見方を、先生のバブルチャートで変えてほしいんです。」(p.216)「いまでもアジアを旅すると、祖父のグスタフのような頑固オヤジに出会う。たとえば、韓国や日本では、妻が夫の両親を世話するのが当たり前だし、子どもの世話も1から10まで母親がするものとされている。そんな習慣を『アジアの男児の流儀』だといって自慢する男性もたくさんいる。わたしは数多くのアジア人の女性とも話してきたが、女性達の感じ方は違っている。こんな文化がいやで、だから結婚したくないと言う人も多い。」(p.228)「文化はかならず変わる」(p.229)「経済発展の最終的な目的は個人の自由だし、それはなかなか数字で表せない。」(p.248)「1週間より先の天気予報はあたったためしがない。国の経済成長と失業率も、驚くほど予想が難しい。それは複雑だからだ。そこには、考慮すべき要因が多く、変化の速度も速い。」(p.294)「心配している5つのリスク:感染症の世界的な流行、金融危機、世界大戦、地球温暖化、極度の貧困」(p.301)「ファクトフルネスのおおまかなルール 1.分断本能を抑えるには、大半の人がどこにいるかを探そう。2. ネガティブ本能を抑えるには、悪いニュースのほうが広まりやすいことを覚えておこう。3. 直線本能を抑えるには、直線もいつかは曲がることを知ろう、4. 恐怖本能を抑えるには、リスクを計算しよう。5. 過大視本能を抑えるには、数字を比較しよう。6. パターン化本能を抑えるには、分類を使おう。7. 宿命本能を抑えるには、ゆっくりとした変化でも変化していることを心に留めよう。8. 単純化本能を抑えるには、ひとつの知識がすべてに応用できないことを覚えておこう。9. 犯人捜し本能を抑えるには、誰かを責めても、問題は解決しないと肝に銘じよう。10. 焦り本能を抑えるには、小さな一歩を重ねよう。」(p.325)「わたしが世界について学んだことのほとんどは、データを調べたり、コンピュータの前に座って研究論文を読んだりして得たものではない。もちろん、たくさん、データを調べたり、論文を読んできたりしたけど、世界を本当に知ることができたのは、誰かと一緒の過ごしたり、話し合ったりした経験からだ。」(p.330)
(2020.2.23)
- "R for Everyone - Second Edition", Jared P. Lander, Addison-Wesley(ISBN978-0-13-454692-6, 2017)
著者は、New York Open Statistical Programming Meetup (the world’s largest R meetup) の主催者で、Colombia University でも、Adjunct Professor として、Data Science のコースを教えている Data Scientist である。Video Lecture なども提供している。R を基本的に勉強してきたので、ちょっとおさらいがてら、一通り通して学ぶために読んだ。Code などは、Rmarkdown で入力して、動作を確認した。いくつか、動かないものがあったが、殆どは問題なかった。様々な Package の集合体の、Tidyverse や、機械学習ぜんたいのとりまとめを可能にする、Caret さらに、Rmarkdown や、Shiny についても、書かれているので、それほど、分厚い本ではない(pp 560)。アカデミックな分野で活躍してきた人ではないので、技術本という印象はぬぐえないが、基本的な内容は確認できたと思う。目次情報などはたとえば紀伊國屋書店のサイトにもある。
(2020.2.28)
- 「世界を支配するベイズの定理 - スパムメールの仕分けから人類の終焉までを予測する究極の方程式」ウィリアム・パウンドストーン著、飯島貴子訳 青土社(ISBN978-4-7917-7240-7, 2019.12.30)
"THE DOOMSDAY CALCULATION, How an Equation that Predicts the Future is Transforming Everything We Know About Life and the Universe", by William Poundston の全訳。表題に興味をもって借りたが、訳者に申し訳ないが、個人的には、原著の表題ともあっていないだけではなく、内容とも不整合だと思う。ベイズの定理は登場するが、それを、中心に置いて予測することを重視せずにランダムネスに中心を置いて予測する、J. Richard Gott, III の論文 "Implications of the Coperunecan Principle for Our Future Prospects" Nature 363 (1993): 315-319 と "Future Prospects Discussed" Nature 368 (1994): 108 を中心に、Nick Bostrom や John Leslieの対応する論文や、発言を紹介しながら書かれている。正直言って、非常に高いレベルの科学書だと関心した。特に、Gott の議論は、詳細に正確に述べられ、それに対する、他のひとの反論などとともに、著者の評価も書かれている。十分に理解できたとは言えないが、この手の書として、怪しげなことは無い、好著だと思う。訳は概して正確だが、キリスト教が関係した用語には誤訳が多い。Gott の予測は、人口計算を修正すると、20年後から、3万年後の間が信頼区間だという。(p.37)著者は、標準的には760年と言っているそうである。以下は備忘録。「An Essay Towards Solving a Problem in the Doctrine of Chances" by Thomas Bayse (1701-1761), Philosophical Transiactions of the Royal Society of London 53 (1763): 370-418」(Ref (15))「ジョン・レスリー:あの観測がありふれたことだと容易に見なすことができる場合、それを途方もないことと仮定してはならない。」(p.50)「ニック・ボストロム:合理的な信念は、推論によって得られる結果の鎖だけでなく、確率推論(結果から原因を推論すること)の輪ゴムにも拘束されている」(p.54)「ブランドン・カーター:コペルニクスは、わたしたちは宇宙において特権的で中心的な地位を占めていると無意味に仮定してはならないと言う、きわめて健全な教訓をわれわれに与えた。残念なことに、これを、わたしたちの状況はいかなる意味においても特権化することはできないという旨の、最も疑わしい教義にまで拡張する強い(常に無意識的とは限らない)傾向が存在する。」(p.58)「アーサー・エディントン『物理科学の哲学』:ランダムな魚を100匹すくい上げ、一番小さな魚が15cm であるときに、15cm より小さな魚は珍しい、または存在しない、と結論してはいけない。この網は15cm 以上の魚しかすくうことができない。それよりも小さな魚はすべて、網の目から滑り落ちてしまうということだ。」(p.59)「人間原理:地球が典型的な惑星であると仮定すること。」(p.60)「ジョージ・キンズリー・ジップ(1902-1950)の法則:ある一定の単語の頻出度は、最も一般的な単語のリストのランキングに反比例する。ランキンががNなら頻出度は1/Nに比例。」(p.113)「ゴッドとジップの規則は同じ統計エンジンを共有している。」(p.114)「リンディ効果:他よりも長い過去をもつ企業、市場、そして経営者には、より長い未来がある可能性が高い。」(p.114)「ウィリアムズ『投資価値理論』(1937)いかなる資産価値の現在価値に割り引いた未来の収益の流れのなかにある。」(p.118)「ナシーム・タレブ(リンディの法則について)文化の中ですでに長い間実行されている何かーたとえばあなたが理解できない慣習や宗教ーがあるとしたら、それを『不合理なもの』と呼んではならない。そして、その習慣が途絶えることを期待してはならない。」(p.127)「日曜日に三日間効果がある睡眠薬を飲む、表が出たら、月曜日におこされインタビュー、裏が出たら、月曜日と火曜日におこされインタビューを受ける。インタビューでは『コインが表だった確率はどれくらいですか』またはコインの裏が出たら20ドル獲得、表が出たら30ドル負ける。この賭けを受け入れるか。」(p.132,p.134)「わたしの準拠集団は、単にこの目覚めだけなのか、それとも、『私の』目覚めすべてなのか、またはたとえ他人のものであっても、実験におけるすべての目覚めなのか?第一の推論は二分の一説に至る。第二の推論は解釈が自由、そして第三の推論には、三分の一の説の答えが暗示される。」(p.147)「先物取引:成功する取引は行動経済学、すなわち仲間のトレーダーがいかに確率を正確に推測しそこねたかを予測する行為。」(p.176)「エックハート:サイコロを振り6のぞろ目でなければ、100ドル。最初は1人、次は9人、次は90人、次は900人。(店側が必ず勝つ)」(p.183)「準拠集団の選択に関する無感覚(限度内で)こそが、その適用を、科学的に尊重すべきものにしているのだと言いたい。そうした頑健性こそ、科学的客観性のひとつの顕著な特徴なのである。」(p.188)「ボストロムのトリレンマ:1. 先祖シミュレーションをつくことができるテクノロジーは存在しないだおる。2.先祖シミュレーションを作りたいと思う人はだれもいないだろう(たとえその能力はあっても)3.われわれはおそらく、今現在、シミュレーションの中に生きている。」(p.198)「観測選択効果:私たちは、自分が持っている証拠をどのように手に入れたかを考えなければならない。それはもしかしたら、先入観にとらわれていて、ランダムなくじ引きではない可能性があるからだ。」(p.224)「ジョン・レスリーは偶然にも、新しい避妊法の記事を発見した。サルモネラ菌を遺伝子操作することで、良性の感染症を引き起こし、女性を数ヶ月間、赴任状態にすることができるというものだ。菌株が変異して、永遠に赴任になってしまったら。」(p.256)「アインシュタイン:神はサイコロを振らない。ニールス・ボーア:アインシュタインよ、神が何をなさるかを貴方が語るなかれ。」(p.270)「グッド:超知的マシーンを、どれほど頭がいい人間でも、そのあらゆる知的活動を貼るかに陵駕することのできるマシンだと定義しよう。このマシンの設計はこうした知的活動のひとつであるため、超知的マシンはさらに高度なマシンを設計することができる。そうすればまちがいなく『知的爆発』が起こり、人間の知能ははるかかなたに置き去りにされるだろう。こうして最初の超知的マシンは、人間がつくる必要のある最後の発明となる。ただし、これを管理下に置く方法を私たちに教えてくれるほど、このマシンが従順であればの話だが。」(p.314)「ロボット三原則」(p.317)「コペルニクス的方法が必要とするのは無知という、私たちの宇宙に供給されている数多くのもののなかのあるひとつの要素だけなのだ。」(p.333)
(2020.3.18)
- 「神のかたちとして- 聖書は女性をどう見るか」稲垣緋紗子著、いのちのことば社(ISBN978-4-264-03959-4, 2004.5.10, 2018.11.1 増補改訂)
ある教会を訪問したときに、著者からいただいて読んだ。フェミニスト神学として、聖書の新しい見方・解釈が広がっているが、福音主義信仰にたったものとして、主要なジェンダーが関係する聖句の解説が、ていねいに説明されている。殆どは、すでに、他の本や記事で知っていたものであるが、全126ページの本にコンパクトにまとまっている。最後に「女が男の創造者である、と教えてはならない 1-5」は、おそらく、著者のあたらしい解釈が多く含まれている部分なのだろう。個人的には、あまりに「対等」ということばが多く、切り口が狭いと感じた。平等ではなく、公平とか、尊厳をたいせつにし、尊びあうことを表現するには、もっと豊かな表現があるはずであると思う。聖書のことばをていねいに見ていく読み方、原語の意味をしっかりと理解するところまでは、わたしも心がけていることであるが、当時どのように、そのことばが使われていたかまでを判断に入れるには、根拠の検証があまりにたいへんであると感じた。それは、文化をどう理解するかの問題に入り込まざるを得ないからである。対等ではないと思われる文化の形態に対して、現実的に、向き合う必要があり、それに愛をもって対するときに、「対等」だけでは行き詰まると思うからである。アフリカや発展途上の国や、いなかに住む人々など、かなり異なる文化の中で、どう生きるかについて課題を残す。
(2020.3.22)
- 「みんなの量子コンピュータ - 量子コンピューティングを構成する基礎理論のエッセンス」Chris Bernhardt著、湊雄一郎・中田真秀監修・翻訳、翔泳社(ISBN978-4-7981-6357-4, 2020.1.24)
著者は数学で博士号を得た方で、理解しやすい。量子コンピュータは、多くの直感に反するアイデアが含まれているが、著者は、すべてをできるだけシンプルにすることで、非専門家にもこれらの重要なポイントを紹介している。第一章 スピン、第二章 線形代数、第三章 スピンと量子ビット、第四章 量子もつれ、第五章 ベルの不等式、第六章 古典論理、ゲート、および回路、第七章 量子ゲートと回路、第八章 量子アルゴリズム、第九章 量子コンピューティングの与える影響。1.6 の光子と偏向の実験はとても面白い、実際に見てみたい。3.12 の Charles Henry Benett と Gilles Brassard の、BB84 protocol は面白い。最後には、いくつか量子ゲートを説明してから、ドイッチージョサのアルゴリズムや、サイモンのアルゴリズムもていねいに説明されている。ショアのアルゴリズムとグローバーのアルゴリズムについては、説明が十分とは言えないが、さらに、一歩専門に近いものを学んで見たくなった。複素直交行列に関しては、MUB など、もう少し専門的にも考えてみたい。
(2020.5.3)
- 「エンディング・サイン - 感謝を伝え喜びを共にするために今から伝えよう「別れのサイン」!」小川吾朗著(ISBN978-4-902376-18-0, 2019.10.1)
「別れ・勝利・感謝」と「幸いなる死、い(いのち)・や(安らぎ)・さ(再会)・か(完成)」を薦めている。著者もよく知っているので、批判するつもりはないが、わたしのいまたいせつにしていることとはかなり違うと感じた。ただ、このような生き方・死に方をもとめるひとも多いのだろう。わたしには、少なくとも、イエスの生涯はこのようなものではなかったと思う。神さまの判断を先取りすることはできない。日々生きるように死に、死を前にしたように生きたい。つねに、探し求め、そのときに達し得たところに従って。
(2020.6.11)
- 「親子で学ぶ!統計学はじめて図鑑」渡辺美智子監修、青山和裕・川上貴・山口和範・渡辺美智子著、友永たろイラスト、日本図書センター(ISBN978-4-284-20394-4, 2017.4.25)
統計にからめてナイチンゲールの話を児童養護施設のこどもたちにすることにしたので借りて読むことにした。第2項目目にナイチンゲールのバラのグラフが登場する。Florence Nightingale のバラのグラフの説明では「中心からの距離で表している」としているが、原文では、The Areas of the blue, red & black wedges are each measured from the center as the common vertex. となっており、面積であるべきだと思う。監修者は数学教育で知っており、統計教育に熱心な方だが、全体としては、非常によく書かれている。ただ、親子でこれを理解して、学ぶのはよほどすぐれた親でないと無理だとも感じた。実証的(emperical)な学問で、実際の経験がないと、非常に薄くなってしまうからである。その項目に関わり親子や学校で取り上げられる実践課題の提示とヒント・注意点などに重点があったほうがよいとも思ったが、自分でそのようにできるわけではないので、まずは、一冊このようなものがあるということで素晴らしいと思うことにしよう。以下は個人的な備忘録である。「神の御心を知るには統計学を学ばなければならない」(p.11)「統計のグラフや数字は、1. 全体の姿を見る 2. 変化を予測する 3. 関係を見る」(p.15)「社会生活基本調査」(p.30, etc.)「環境省花粉観測システム(はなこさん)」(p.38)「警視庁:統計」(p.50)「アドルフ・ケトレー(1796-1874)は人間についていろいろなデータの平均値を求め、その平均をすべて持っている人間を平均人と名付けています。(『人間について』1835)」(p.62)「ボディマス指数 BMI ケトレー指数」(p.61)「学校保健統計調査」(p.74)「福沢諭吉『万国政表』1860:統計はとても重要で、あいまいな印象を統計数字で確かなものとし、その関係性を明らかにしていくことで文明は進歩するし、その統計を理解できる国民が普通にたくさんいることが文明国である。」(p.77)「グラフの種類と目的:棒グラフ:大小を比較する。円グラフ・帯グラフ・積み上げ棒グラフ:内訳(構造)をみる。折れ線グラフ:変化を見る。ドットプロット・ヒストグラム・箱ひげ図・幹葉図:集団全体のばらつきや散らばりをみる。レーダーチャート:パターン(型)を見る。散布図:関係を見る」(p.94)「棒グラフ:質的データや離散型の量的データを扱う区別のために棒の感覚を空ける。ヒストグラム:基本的に連続型の量的データを扱う、連続するので長方形の間隔を詰める。」(p.103)「カール・ピアソン(1857-1936):ヒストグラム:histogram = histos(船のマスト)+gramma(描く)」(p.105)「パレート図:度数の大きい順に並べた棒グラフと累積相対度数の折れ線グラフを組み合わせたグラフ」(p.106)「農林業センサス」(p.112)「割合を比較するだけでなく、量も比較したいときは、層別の棒グラフに変えてみる。」(p.113)「国立教育政策研究所:OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」(p.114)「スーパーマーケット統計調査」(p.123)「世界の人口ピラミッド(1950~2100年)」(p.127)「にいがた県統計ボックス」(p.129)「自分たちの身近な問題を調べて統計グラフにまとめることで、問題の重要度も理解できる!」(p.129)「統計グラフ全国コンクール」(p.131)「統計的探求プロセス:Problem, Plan, Data, Analysis, Conclusion(Data Detective Poster)」(p.134)このような情報が含まれるホームページがたくさんできオンラインで学びができることを願う。
(2020.7.15)
- 「ナイチンゲール神話と真実」ヒュー・スモール著、田中京子訳、みすず書房(ISBN978-4-622-07036-7, 2003.6.13)
原著タイトルは “Florence Nightingale: Avenging Angel” by de Hugh Small。同じタイトルの非常に詳しいホームページがあり、ビデオや実際のナイチンゲールの手紙のアーカイブをどのように利用するかも示されている。一番強い印象は、ナイチンゲールの身をもっての経験と自分の誤解を公衆衛生の統計的手法で学び自分の誤解を批判されることをおそれず真実を伝えようとしただけではなく、未来への宿題も提示したことだろうか。彼女のような考え方が受け入れられないことが、太平洋戦争の日本軍の悲惨さを増大させただけでなく、今日においても、世界が公衆衛生の課題について多くのひとの苦しみを残してしまっているように思われる。大きな宿題を受け取ったように感じた。序にある川島みどり氏の看護師からみた解説も秀逸で、スモールのみかたの弱い部分を補っているように思う。また、人物相関図などの図もわかりやすくて参照して読むことができる。産業革命以後のイギリスの思想と宗教、それを背景とした、ナイチンゲールの考え方と苦悩(おそらくそのように呼んでよいもの)も興味深い。以下は備忘録。「看護覚え書:皮膚を丁寧に洗ってもらい、すっかり拭ってもらった後の病人が、開放感に満たされている様子は、臨床ではよく見かける日常の光景である・・・その開放感や安らぎは、生命力を圧迫していたものが取り除かれて生命力が解き放たれた、まさにその徴候のひとつなのである。」(p.xiv)「すべての病気はその経過のどの時期をとっても、程度の差こそあれその性質は回復過程にある。(ナイチンゲール)」(p.xv)「不慮のできごとや事故などを調べてみると、ある人が『そこに不在であった』がために起こった何事かに原因のすべてが帰するといった例が多い(ナイチンゲール)」(p.xvi)「病院においても家庭においても、責任者は誰も、次の自問を頭に入れておこう。それは(どうしたらこの職務を何時も自分の手で果たせるか、という自問ではなく)、この職務が何時も果たされているようにするために、自分はどのような準備をすることができるか、という自問である。(ナイチンゲール)」(p.xvi)「自らの失敗を個人のものとせず、法則化して公衆のものとするために費やしたエネルギーは、その時代や社会の背景から想像に余りあるものである。本書の全ページにわたる苦闘のありさまと、改革を阻む勢力、ともに推進する友人たちの姿から、今世紀に生きる私たちが受け継ぎ発展させなければならない課題は何か。現代に通じる彼女の発想の新しさと、当時としては最新の統計学を用いた、根拠にもとづく緻密な分析力、そして信念のためには相手を恐れぬ闘争心を再認識しておきたい。」(p.xvii)「彼女は後になって次のように述べている。クリミアの野戦病院における看護の総監督だったとき、自分をはじめとする医療スタッフが初歩的な衛生事項への注意を怠ったがために1万4千人もの兵士を死なしてしまった、と。」(p.6)「もっとも注目すべきことは、彼女がその真実を武器にヴィクトリア朝のイギリス社会を一気に前進させたことだ。その先駆けである国民健康保険制度は彼女が赴任したスクタリの野戦病院に端を発しているといっても過言ではあるまい。」(p.6)「この小論文から、1852年にはすでに、名前はだしていないものの、ベルギーの統計学者で社会学者のアドルフ・ケトレの著作を勉強していたことがわかる。彼女は次のように述べている。ある特定の社会グループ内で起こる殺人の件数は今では予告可能であり、グループ間の差異を用いれば、殺人の率が高くなる環境を見つけだし、それを変えることができる、と。これは、統計を使って社会の傾向を探るというケトレの方法を参照したものだ。」(p.25)「ナイチンゲール自身が到着してから4ヶ月後の1855年3月5日にスクタルに到着した衛生委員団(ロバート・ローリンソン、ジョン・サザランド、ヘクター・ギャビン)はチャドウィックの委員団ではあったが、チャドウィックという名のリーダを欠いたものだった。」(p.59)「仰々しい肩書をもった役人が、准将の便所をみずからの手で掃除し、その功績を得々と内閣への報告書に書き連ねるとは、いかにもヴィクトリア朝らしい。サザランドと同僚たちは敷地内に放置されていた動物の死骸を埋め、建物の外の庭を舗装し、水はけをよくし、上水道をきれいにし、建物の下を走っている下水溝に水を流す設備をつくった。彼らは部屋の壁に害虫駆除剤を塗布し、建物の屋根の部分に効果的に換気が行なえる箇所に開口部をつくった。また、しぶる司令官をせっついて、それぞれの回廊に二重に並んだベッドの列を一列にするよう医師たちに命令させ、看護兵にはゴミ箱と尿瓶を毎日空にさせた。」(p.61)「タロック大佐は外国に駐屯している隊の病気と死亡のデータをとり(中略)その統計から、軍の恩給生活者たちはいやに長生きだという驚くべき傾向に気がついた。調査の結果、死亡した兵士の縁者が、恩給をもらい続けるためその死を隠していたということがわかった。」(p.66)「彼女が通り過ぎるのを見るのはなんと心がやすまることか。ひとに話しかけ、たくさんの兵士に向かってうなずき、微笑む。でも、ひとりももらさずにそうできるわけではない。わかるだろう。ぼくたち、何百人もが横たわっているんだ。でも、ぼくたちは通り過ぎる彼女の影に接吻する。そしてふたたび頭を枕に沈ませる。満たされた思いで。」(p.75)「戦争が始まっって最初の冬の5ヶ月で1万人の兵士が病気で死んだ。しかし、次の年の冬、同じ5ヶ月間で死んだのはたった500人で、それも今や二倍の規模にふくれあがった軍の総数のうちの500だった。このように改善されたのは二度目の冬の寒さがそれほど厳しくなかったためだけではなかった。というのはセバストポリの前に陣を取ったフランス軍の死亡率が二番目の冬は6パーセント上がっているからだ。」(p.77)「確かな観察によってどれが死をもたらす秘密の根源かをひとたび指し示すことができれば、人間は熟しきるまで長生きし、最後は老木のように静かに地に倒れるだろう。(ウィリアム・ファー)」(p.105)「現存する初稿の草稿からは、彼女がマクニールとタロックの結論を支持していたことがわかる。つまり不十分な衣食住と過労が重なってほとんど全軍がの死を招いたというものだ。」(p.105)「本当の病因は飢えである。(タロック大佐)」(p.106)「彼女も栄養失調や過労がほとんどの病気の原因であり、こどものときの貧しい生活環境が病気への抵抗力を弱めてしまうと信じていたらしい。」(p.108)「1856年11月の手紙からわかるのは、彼女がいぜんとして、死者を続発させたのは飢餓と風雨にさらされた野営環境であると考え、その野営のあり方に的をしぼって極秘報告書を書こうとしていたことだ。」(p.109)「文民による登記所の記録には、病気の原因とそれを取り除く手段とを決めるのに必要なものすべてがある。軍の記録には、女王陛下の軍の状態について女王陛下の大臣たちに何もしらせないでおくのに必要なものがすべてある。」(p.110)「ファーとともに異なった地域での死亡率の差を分析し、とくにクリミアの前線の病院とスクタリという後方地での病院との差を分析した結果、2万5千を数える軍のうち、1万8千人をも死なせてしまった原因は、誰もが信じていたように、不十分な食料や過労、あるいは不備な宿舎のせいではないことがわかった。その主な原因は衛生状態の悪さだった。病気がもっとも蔓延していた場所は、過密状態によって不衛生な環境の悪影響がさらに増大したところだった。その中でも群を抜いて悪かったところ、1854年から1855年にかけての冬にかけての冬の衛生状態の悪さで5千人もが死んだのはフローレンス・ナイチンゲールが拠点としていたスクタリの病院だった。ナイチンゲールが管理していたのは病院と呼べるものではなかった。それは死の収容所だった。」(p.122)「十いくつの連隊それぞれ、別個に結果を出すことで、タロックの改良された表ははっきりと、同じ種類の激務を行っていた連隊が、食料の供給の難しい塹壕任務であったとしても、非常に異なった死亡率を示しており、ナイチンゲールの病院に傷病兵を送る率が高くなると死亡率も高くなることを示していた。」(p.132)「ナイチンゲールは、内閣のために書いた極秘報告書の中で、イベリア半島戦争での古い報告書を掘り出し、星の下で震えていた部隊が生き延びているのに、宿泊施設が整って楽だったはずの部隊が大勢死亡していることを示している。当時その理由を解明しようという試みはなかった。」(p.151)「この図表を彼女は『コウモリの翼』と呼んでいたが、それぞれの病院間の相対的な死亡率については何も表現していない。」(p.162)「フローレンス・ナイチンゲールが出した結論を、アメリカの南北戦争のときも念頭においていたなら、何十万人もの命が救われただろうに。(中略)ファーの息子のひとりフレデリックは南北戦争で軍の病院で感染した熱病で死んだ。」(p.163)「民間、軍を問わず医師に関していうと、薬の臭いにはなにか、管理能力をまったく無能にする作用があるにちがいありません。そのうえそれは非常に強力なもののはずです。なぜなら医師というのは他のどんな職業よりも管理能力をのばす機会には恵まれているはずだからです。」(p.173)「(イギリス国教会に属している)あなたがたは、『疫病、ペスト、飢饉』にみまわれないよう祈りますが、神様は今週毎日のように、疫病を生ずる川から三メートルの高さのところに住んでいる者は死亡し、1メートルの高さのところに住んでいる者はたすかる大きな声でおっしゃっているではありませんか。」(p.177)「彼女はこのろくでなし(一般兵卒)ばかりかかわって、将校たたちには十分な時間を割かないと、絶えず問題になっていた。」(p.178)「ナイチンゲールにとって公衆衛生とは、『大衆が自分で自分の健康に関心をもつ』ような方法を奨励することを意味していた。」(p.191)「当時はイギリスのほとんどの裕福な人びとはまるで外国人のようなものだった。」(p.198)「ここに示す覚え書は、看護婦が自分で看護の仕方を学ぶための考え方を示そうとしたものでは決してありません。また、看護婦から看護婦へ教えるための手引でもありません。(中略)他人の健康の管理をまかされている女性のための思索のヒント」(p.207)「ほんとうの看護とは『新鮮な空気、日光、暖かさ、清潔さ、静けさをしかるべく取り入れることと、食事を適切に選び与えることーー患者の生きる力をなるべく損なわないようにすることすべて』と定義されねばならない。」(p.209)「文明の次の段階への進展ー病院をなくし、そこから生じる危険がなくなるときーを未来像として描いたとき、彼女はわれわれの時代、そしてそれから先の未来を予見していた。『すでにご存じとおもいますが、あらゆる看護の究極の目的は患者をそれぞれ自分の家でみることです・・・わたしは病院や救貧院の診療所などはすべて廃止されることを期待しています。でも、西暦二千年のことを話してもどうしようもありません。』その2千年も近づこうとしている今、病院でうつる感染症は、心臓病、癌、脳卒中、についておもな死因の第4位を締めている。イギリスの人口の約4パーセントが院内感染で死亡することになる。先進国では、病院で感染しない限り、微生物はほとんど無害なように見えるのが事実である。」(p.223)「ファーならこう言ったかもしれない。死にゆくものの最も貴重な遺産ー子孫の寿命を延ばす助けとなる、死の統計ーを認めようとしない、と。ナイチンゲールなら、それを神への義務の問題にしたことだろう。彼女は統計は、神が人間に神の法を示し、神にいかにしてつかえるべきかを示す言葉であると信じるようになっていた。神からのメッセージを見ようとさえしないのは神への冒涜だと、彼女ならたぶんそう言っただろう。」(p.225)「彼女の友人のジョン・スチュアート・ミルの『中央の行政当局の主たる仕事は指示を与えることで、地方の行政当局はそれを運用することである。権力は地方のものになるかもしれないが、非常に有益な知識は中央になければならない。』という考えを実証したものなのかもしれない。」(p.245)「当時のイギリスでナイチンゲールのような者がケトレの理論を実際に仕事に応用するとき、ずっと楽観的でいられた一つの理由は、イギリスでは産業革命によって、計量的な調査・分析法がいかに生産性を高めるか、実際に経験していたからである。ジェレミー・ベンサムの「最大多数の最大幸福」という考え方は、産業革命の概念を社会問題に応用しようとするものであり、人間の幸福とは、銑鉄の塊のように計量できるものではないと考えていた人道主義者を失望させるものだった。エドウィン・チャドウィックは世に出る前はベンサムの愛弟子であったし、チャドウィックの数字や生産性を強調する無神経さが、当時の世論を動かせなかった理由の一つでもあった。病床についたのち、ナイチンゲールが宗教的な面から問題を見るようになり、自身も悩んだりしたことが、かえってイギリスの社会科学をベンサムの罠から解き放つ一助となったのかもしれない。」(p.261)「神はわれわれが試行錯誤を重ねながら進むことを求めておられる。統計は事実のあとでしか有効ではない。早世をどのようにしたら防げるかを学ぶためには、一定に保たれた環境においてそのような死がたくさん起こらなければならない。そして得られた経験を誰かが利用したいと思わなければならない。今、自分にはわかったのだが、そのために神は自分に命じたのだ。」(p.263)「神の法はすなわち道徳の源です。肉体的な悪の源でもあるように。そうであることは神の正しい法の一部なのです。われわれは過ちを犯すことで、神の法を通して真実を見つけるのです。われわれの間違いから、知識を。われわれの苦しみから幸せを。われわれの悪から善を。」(p.266)「罰は、その言葉が罪や無知の結果としての苦しみや窮乏という意味で使われるなら、神が精神的に司るところで罰は存在するし、それが正しいことをわれわれは知っています。なぜならその影響を受けた結果、人間は遅かれ早かれ、それを起こした悪を改めるように導かれるからです。」(p.266)「あの方のお顔を見たことがある。茨の冠が絡みついた燦然たる頭部と同じ光を発しているのを。三度、わたしをお呼びになった。一度は1838年2月7日、われに仕えよと。一度は、1852年5月7日、救い主たれと、一度は1865年7月28日、十字架に架けられよと。これまで以上に苦しむために、苦しみか死、十字架に架けられればお顔が見えるだろうから。わたしはあの方に捧げられたのだろうか?すると、これがあの方の答え、光り輝く頭をとりまく茨の冠、そしてわが顔を見ることはすべてに勝るのではないか。わたしはもうひとりの神の子と思っていいのだろうか?同じようなもうひとりと、ああ、あまりにも幸せな、苦しみか死。ああなんとありがたいことか。神がわたしを同じようなもうひとりとみなしてくださっているとは、もうひとりの生け贄と、完璧さはすべてそこにあるのだから。(1868年)」(p.270)「知識がないために失態を起こしてしまうことについて、まだ世論の形成はないが、いずれ形成されるべきである。善意があれば十分だと思われている。しかし、失態は、それも組織的な失態は、犯罪よりも害をおよぼす。そう組織的な不注意は実際の罪よりも有害である。そのような世論を形成するまでは、ほとんど善はなされることはない。(「1999年にはわれわれの宗教はどうなるだろうか?」からの引用。1873)」(p.280)「英国人名辞典:パーマストンは軍事予算を使う当局ーすなわち陸軍大臣と軍最高司令官ーと国民の間に立ち、優秀な軍による優れた防衛力を損なうことなく、国益にもかなうよう、軍事費の抑制・節約に務めることが自分の義務だと考えていたようだ。」(p.286)「『ナイチンゲールの統計グラフー英国陸軍の衛生改革資料としてのー』多尾清子(1991)」(p.289)Coxcomb Diagram, 改訂版(いずれも H.Small のホームページより)
(2020.8.4)
- 「真理の探求〜抜粋と注解〜」フローレンス・ナイチンゲール著、マイケル・D・カラブリア他編著、竹内喜・菱沼裕子・助川尚子訳、小林章夫監訳、うぶすな書院(ISBN4-900470-18-X, 2005.7.11)
Florence Nightingale の原著 'Suggestions for Thought To Searchers After Religious Truth' をまとめて解説をつけたものの和訳である。クリミアに行く前の1852年ごろに推敲を重ね、1860年に私家版として6冊のみ印刷されたもので、ナイチンゲールの30代に書かれたものだが、非常に広範な思索が記されれている。1.神の概念について、2.普遍的法則について、3.神の法則と人間の意志について、4.罪と悪について、5.家庭生活について、6.霊的生活について、7.死後の生について。J.S. ミルズに意見を求めて送っているなど、当時の思想家との交流、さらにヨーロッパやエジプト旅行などで受けた刺激も反映されている。最初に、編著者の解説がついており、さらに、最後に、聖路加のチャプレンであった西村哲郎の読者への手引がついている。ナイチンゲールは、「生涯を公衆衛生の改善と人々の苦痛除去に捧げたことは周知の通りで、クリミア戦争でも適切な補給や施設さえ整えることができたなら、多数の兵士を死に追いやらずに済んだのにと、彼女を悩まし続けた。」(p.408, Cf.p.350)このナイチンゲールの背後にあるものを学びたかったので手にとったが、それなりに若い時代での思索であることに、驚いた。実際に、行動し、生きることにより深められたものは、思想としてことばになることはないのかもしれない。かえって、その価値の重さを感じる。以下は備忘録。「(ナイチンゲールも含め)多くの人は、フランスの哲学者オーギュスト・コントの実証主義哲学に目をむけるようになっていた。」(p.5)「ナイチンゲールといえば、実践的な看護に関する著作が最も有名だが、ほかにも看護教育と管理、病院建設とその運営、公衆衛生、統計学、社会改革、英国陸軍兵士の健康管理、インドの農業制度など、広範な主題の執筆を行っている。」(p.6)「ランベール・アドルフ・ジャック・ケトレー (1796-1874) は統計学の手法を社会行動学に応用し(多様なグループにおける年間の犯罪率が有名)、人間行動の規則性を説明しようとした。ケトレーもナイチンゲールと同様に、そのような規則性が人間集団を取り巻く社会状況に起因し、そうした社会状況を改善する法律を制定すれば、人間の行動も改善できると考えた。」(p.9)「宗教とは信心ではなく、神の愛のために働き、苦しむことだ。これこそが神秘主義者の偽りのない信条である。(中略)真の信仰心とは、神の意志以外、いかなる意志も受け入れないことだ。」(p.12)「ナイチンゲールは、看護学に関してほとんどを、独学で勉強したのである。何年間も、夜明け前から起き出しては、病院や公衆衛生の報告書を研究し、自分自身で統計分析を行った。イングランド中の病院や海外の病院を視察し、あらゆる機会をとらえて自ら病人の看護をしたが、その病人には親族ばかりか、実家の屋敷近くに住む貧しい人々も含まれていた。ナイチンゲールは観察と経験を通して看護の知識(すなわち『健康にまつわる法則の知識』)を習得した。そして健康は、神の恣意的な贈り物ではなく、人間が自分自身で達成しなければならない状態だと、結論づけた。『真理の探求』で彼女は、こう書いている『健康か病気かは、私たちを試すために神が「お与えになる」ものではなく、私たちが神の法則を守ったか、守らなかったかによるものなのです。だから神の法則を守るという意味は「神の御心に従う」ということであり、そうすることによって、健康にいられるのです。』」(p.17)「ともに真理を探求する人々へ。私があなたがたのところに来たのは、真理を告げるためではありません。私が来たのは(あなたがたが、もし道徳的真理という主題に関心があるなら)、神が私たちに与えてくださったその能力を用いて、ともに真理の探求に加わるように求めるためです。私はここに私自身の努力の成果と、大勢の人々の成果から私が知り得たことを提供しようと思います。」(p.67)「『truth(真理)』という言葉は『troweth(信じる)』に由来しているようで、人間が信じるものが『trowth』すなわち『真理』となったのです。ここで私たちは、人間にありがちな過ちを垣間見ることになります。人間はしばしば絶対的な『それが何であるか』を探求することなく、彼が『信じる』もので満足してしまうのです。」(p.112)「抗議することの中に、きわめて崇高で高尚なものは存在しません。真理の探求こそは、これから宗教が目標として掲げていくべきことなのです。」(p.126)「クリミア戦争中にスクタリの陸軍病院で衛生状態の改革をおこなうと、42.7%という信じがたい死亡率が 2.2%に下がったのである。ナイチンゲールは、疾病は不衛生な状態によって引き起こされると確信していた。そして世界が法則に従って働いている以上、人類にはこのような状況を変えて、疾病を回避する力があるとも信じていた。」(p.178)「確かに、環境が人間を支配している限りはそのとおりでしょう。しかし神の法則は、人間に環境を支配することを教えてくれます。」(p.182)「人間の行動は環境の産物であるという説は、クリミア戦争中、スクタリの陸軍病院における兵士たちの飲酒問題を巡って、ナイチンゲールによって検証されることになった。兵士たちは飲む以外に暇のつぶしようがないとこぼし、また飲酒に十分な金銭ももらっていた。小切手を家に送る方法を、彼らが信用していなかったからである。一方将校たちは、これに対して何の手も打たなかった。兵士たちを救いようのない飲んだくれと見下げて、この有害な液体のために、彼らが次々と命を落とすのを見殺しにしていたい。ナイチンゲールは事態を改善するために、月に4日、午後は部屋に留まり、家族への送金を望む兵士たちの金をあるかることにした。それは叔父のサミュエル・スミスを経由して郵便為替でそれぞれの住所へと送られた。ナイチンゲールはまた、自らの個人的な基金を利用して、読書室を一部屋と娯楽室を二部屋設けることに尽力し、自身も新聞や文具を提供した。(中略)ある証人の言葉を借りれば、『彼女は将校や役人に、兵士たちをキリスト教徒として扱うことを教えた』のである。」(p.183-5)「ナイチンゲールは、人間の進歩には人類全体の意識の改革が必要だと信じていたが、特定の個人、すなわち『救済者』が、その促進者の役割を果たす必要があるとも記している。」(p.188)「人々は、世界は惨めな泥沼の中にあって、そこにとどまっているしかないと思っています。世界が泥沼の中にあると思うのは、私たちも同じです。しかしそこにとどまり続けるべきではないと確信しているのです。」(p.190)「ジョン・スチュアート・ミルは、人間の心の働きは法則に従うが(すなわち、意欲や行為はある原因がもたらした結果であるが)、人間は一方の原因とは相反する、他の何らかの原因によって決定されることを選択できる。かくして人間には、ある程度、己の性格を変容させる自由がある。」(p.197)「神自身には自由意志はありません。善の霊である神の本姓は、常に変わらず、善きものへと向けられます。被造物に対する神の目的は、善と悪との間で選択する自由な意志を獲得させることではなく、善以外のものに引き寄せられない、つまり悪しきものにそそのかされることのない本性を獲得させることのはずです。」(p.202)「悪とは、単に人間の誕生における根源的な無知にすぎず、神は、私たちがやがて神の御心をすべて見出すように特別に私たちをお作りになったと考えるとすれば、人々が『悪は謎だ』『神の御業は計り知れない』などと言って平然としているのは、まったく驚くべきことです。」(p.214)「ラムセス二世:悪は神の左手、善は神の右手」(p.218)「断罪:被告人がその間、再び危害を及ぼさないように、社会から隔離しておくためなのでしょうか。あるいは、他の人々を犯罪の恐怖から開放するためでしょうか。あるいは犯罪を矯正するためでしょうか。永遠の断罪という概念は、実は罰を与えている社会の中にこそ、起源があったのです。人間が罰という言葉は存在しないことを理解し、改心だけが唯一の言葉だと理解すれば、私たちの宗教から、永劫の罰という言葉も直ちに消えるでしょう。そして永遠の断罪と死刑とは同時に消滅するでしょう。」(p.240)「社会は宗教の本質と調和すべきものである。本質は、『完全なものと不完全なもも、永遠のものと一時的なもの、無限の存在と有限の存在、普遍的な存在と個人とのつながり、絆、関係』である。」(p.254)「自らの宗教の実践となる生活を送らなければ、あなたが信じていることをはっきり示すことはできません。」(p.290)「人間の本性の不完全から完全に発達に資するものは何であれ、また無知から知への進歩に役立つものは何であれ、すべてが、私たちが父なる神を知り、神を感じ、私たち一人ひとりに内在する聖霊を豊かにする助けとなります。」(p.290)「私が時々奇妙な気持ちになったのは、共同下水がすべてテムズ川に流れ込み、下水の完備していない土地を熱病が襲い、これらが発生しそうな地域が特定されるようなときに『疫病、災難、飢餓』から救われるように祈ることです。私は、これらの原因を取り除かない限り、コレラは発生するのであって、神に祈ってもコレラをなくすことはできないと考えました。」(p.310)「傲慢は心の平静を欠いた状態であり、私たちが何者であり、なぜ存在し、何になるべきかに関する誤解から生じるのであり、それ以外から生じるのではありません。」(p.328)「下水の掃除をしてコレラを防止することは宗教的な行為です。しかし、(神頼みという意味での)祈りは、宗教的行為であるとは言えません。」(p.329)「当時広がっていた売春を例にして、社会は生活環境や男性の社会生活を改善しすることなhしに、売春部を『堕落した女』として
邪魔者扱いにし罰していると激しく糾弾する。関節的に女性に対する差別意識への批判も感じられる表現で、なぜそうなるのかと問う。」(p.393)
(2020.8.23)
- 「愛と勇気をあたえたひとびと8 ナイチンゲール〜人につくす喜びこそ生きる喜び」リチャード・テームズ著、来住(きしゅ)道子訳、国土社(ISBN978-4-337-15908-2, 1999.3.25)
Frore Nightingale by Richard Tames からの翻訳の児童書である。56ページ。ヴィクトリア時代に、ヴィクトリア女王の次に有名な女性と紹介されている。いままで、ナイチンゲールに関して専門書に近いものを二冊読んだが、この本は、わかりやすくてとてもよいと感じた。たしかに、専門書は断面としては、精緻に資料も丁寧にたどっているが、人間は全体として捉えるべきで、あることの謎を解き明かす一つの鍵とはなるだろうが、かえって、全体的な視野が欠けるように思った。これは、学問というものへの問いかけでもあるのかもしれない。写真も多く、年譜や、用語解説もついていて、このレベルのものを読むのはこれからも情報源として有効だと感じた。よく書けていると思う。むろん、掘り下げられていない面があるが。このシリーズは、全8巻。チャンスを見て、一冊ずつ読んでみたい。この本を読んで、ナイチンゲールが家族や親族、近隣の貧しいひとも含めて、看護を実際にかなりしながら学んだこともわかった。これは、クリミア後も続く。看護をたいせつなことと考えていた証拠でもあろう。救貧院改革など、全体的な学びもしてみたいと思った。学び方として、最初には、このような伝記がよいのかもしれない。表紙裏から引用する。「19世紀のイギリスで、上流階級に生まれ、華やかなくらしを送っていたナイチンゲール。しかし、そんな彼女には裕福な生活よりも、もっと大切な夢がありました。それは病人や貧しい人々のためにつくす看護婦になることでした。当時の病院は、どこもすたれきり、まともな訓練を受けた看護婦はほとんどおらず、悲惨な状態におかれていたのです。そうした状況を目の当たりにしたナイチンゲールは、自ら看護の問題に取り組もうと立ち上がります。看護婦という仕事を、ひとつの立派な職業として確立した彼女の愛に満ちた生きざまを見つめていきます。」このような紹介の仕方から、このシリーズの編纂意図が感じられる。目次:なじめない上流社会、ナイチンゲール以前の看護婦、看護への道へ、クリミア戦争、ランプを持つレディー、シドニー・ハーバート、改革者として、イギリス植民地下のインド、ナイチンゲール・ナース、あとがき(弱き人々のために)、年譜・用語解説
(2020.8.26)
- 「愛と勇気をあたえたひとびと1 マザー・テレサ〜すべての人に愛を伝える世界の母」リチャード・テームズ著、内藤ゆかり訳、国土社(ISBN978-4-337-15901-3, 1999.3.10)
Mather Teresa by Richard Tames からの翻訳の児童書である。56ページ。シリーズの一冊目である。1910年8月26日、ユーゴスラビアのスコピエで生まれた、ゴンジャ・アグネス・ボワジュ。マザー・テレサの本名である。お父さんも高額の寄付をしたり、お父さんがなくなってとても裕福とは言えない状態で、多くの貧しい子供をおかあさんが、食事に招いていたようだ。そのお母さん、宣教師になりたいというアグネスにかけた言葉「わかったわアグネス。では、やくそくしてちょうだい。なにかをはじめる時は、まごころをもってしなさい。でなければ、なにひとつはじめてはいけません。」(p.9)と伝える。1946年9月10日「修道院を去り、貧しい人たちとともにくらし、こまっている人の手助けをしなさい。」神の声を聞き、許可を得て、パトナにあるアメリカ医療宣教修道会の病院で4ヶ月の看護学の集中レッスンをうけ、一歩を踏み出す。米と塩だけの質素な食事を考えていたマザーに、マザー・テンガルは「そんな食事を続けていたら、助けをもとめてやってくる人たちよりも、もっともっと悪いことになりますよ。あなたは貧しい人たち、病気の人たちを助けたいのですか? それとも、ともに死にたいのですか? わかいシスターたちを、病気にしたいのですか? それとも健康で強くあってほしいですか? 健康なら、キリストのために働けるのではないですか?」(p.24)最初の協力者は、テレサの教え子のスバシニ・ダス、それも感動である。「わたしたちは共同生活の中で、キリスト自身の貧しさと、わたしたちの貧しさを分かち合うことを望んでいます。」(p.49)「貧しい人たちは、神がすがたをかえてあらわれています。貧しい人のからだに触れるとき、わたしたちはキリストのからだに触れているのです。」(p.49)死に臨んで「『とくべつな治療はいりません。貧しい人たちと同じように死なせてください。』そして、1997年9月5日『もう息ができません。』のひとことを残し、マザー・テレサはこの世を去りました。87歳でした。」(p.52)表紙裏からの引用「インドへ言って貧しい人のために働きたい。それがマザー・テレサのこどものころからの夢でした。やがて夢は現実に。18歳でシスターとなったテレサは、インドのカルカッタへ修道院付属学校の教師として派遣されます。しかし、そこはテレサのもとめた貧しい人のいるところとは別世界でした。自分がほんとうにしたいことは?悩むテレサに、ある日神の声が聞こえて来ます。迷わずスラムにとびこんだシスター・テレサは、たったひとりで貧しい人たちのために働きはじめました。お金より愛をもとめたマザー・テレサの活動は世界へと広がっていったのです。」目次:宣教師になりたい、ロレット修道会、シスター・テレサ 先生になる、カルカッタ、神様の声が! ベンガル地方とベンガル語、やすらかに天国へ行ってほしい、ハンセン氏病、世界へむけて、ノーベル賞、ノーベル平和賞、マザー・テレサのメッセージ、あとがき<ほんとうの豊かさとは>、年譜・用語解説。マザー・テレサについては、いずれまた学んでみたい。マザーの生き方が多くに人の日常の生き方になることはないのだろうか。
(2020.8.27)
- 「愛と勇気をあたえたひとびと2 ネルソン・マンデラ〜南アフリカの革命児”黒ハコベ”」リチャード・テームズ著、森泉亮子訳、国土社(ISBN978-4-337-15902-9, 1999.3.20)
Nelson Mandela by Richard Tames からの翻訳の児童書である。56ページ。シリーズの二冊目である。原著は1991年に書かれており、大統領の期間は、1994年から1999年。亡くなったのは、2013年12月5日。大統領時代などにも興味がある。生まれは、1918年7月18日である。イギリスの Westminster 寺院の前の銅像の端にあったのが、ネルソン・マンデラだった。三人の女性と結婚していることなど、今回はじめて知った。1955年の自由憲章「わたしたち南アフリカの国民は、わが国と世界のすべての人々に宣言する。南アフリカは、黒人でも白人でも、そこに住む国民すべてのものである。すべての国民がのぞまない限り、政府は国を支配できない。」(p.26)と始まる。自由憲章起草から、アパルトヘイト撤廃され、民主的な選挙が行われた、1994年までは、40年である。興味を持ったのは、非暴力から、暴力も辞さないと変化したときのことば。「暴力をつかわないやり方でANCは50年も政府と戦ってきましたが、アパルトヘイトはきびしくなるばかりです。ANCの戦いを政府が武器をつかってつぶそうとするならば、わたしたちも考え直さなくてはなりません。わたし自身は、暴力を使わない方法を終わらせるときが来たと思っています。」(p.28)暴力を放棄せよ、そうすれば釈放するという、ポタ大統領のことばに対し、娘のジンジが読み上げたことば。「わたしは暴力がすきな人間ではありません。武器をもって立ち上がる以外の方法しか、われわれに残されていなかったのです。ほかのやり方はすべて、政府に潰されてしまったのですから。・・・自由な人間だけが、話し合いの場を持つことが許されます。刑務所にいる人間と、相談して何かを決めようとしても無理なのです。あなたがたもわたしも自由でないときは、わたしは何の約束もできませんし、するつもりもありません。あなたがたの自由が、わたし自身の自由でもあるのです。わたしは必ず戻ってきます。」(p.45)「デ・クラーク大統領と会ったとき:こんなまじめで正直な白人リーダーに会ったことがない。一緒に仕事ができる人物だと思った。」(p.50)デ・クラークについても学んでみたい。あるイギリス人ジャーナリストの言葉「マンデラ氏は大勢のなかにいても、とりわけ光って見える。周囲にいる人間など、かすんで見えなくなってしまうので。」(p.50)そんな人に直接会ってみたかった。表紙裏からの引用「おさないときのマンデラの名前はロリシャーシャー問題を起こす人(トラブルメーカー)という意味です。成人したマンデラは、その名にふさわしい人生を送ることになります。少数の白人だけが国を支配するという、人種差別的な政策アパルトヘイトに、南アフリカの“問題児”として政府に立ち向かうための人生が待ち受けていたからです。逮捕、裁判、活動禁止命令・・・政府のいやがらせは続きました。それでもマンデラは、ANC(アフリカ民族会議)の中心メンバーとして活躍します。そんなマンデラについたあだ名は“黒ハコベ”でした。」目次:その名はトラブルメーカー、アフリカ民族会議 African National Congress、危険人物にされて、アパルトヘイトとは? 自由憲章、”黒ハコベ”、南アフリカを変えよう!、ブタバコ入り、世界の国々から受けた賞、釈放せよ!、あとがき<その後のマンデラ>、年譜・用語解説
(2020.8.27)
- 「伝記 世界を変えた人々 5 ナイチンゲール〜現在の看護のあり方を確立した、イギリスの不屈の運動家」パム・ブラウン著、茅野美ど里訳、偕成社(ISBN978-4-03-542050-7 1991.7)
フローレンス・ナイチンゲールの一生をていねいに記述している。おそらく、ナイチンゲールの伝記を読みたいと思って手にとった少年少女は、当惑するのではないだろうか。あまりにも、さまざまなことに一生をかけて取り組み、そのなかでひとが形作られていく、ひとりの人の苦悩と不屈の魂での努力と情熱と恵みふかいこころがここに書かれているのだから。無論、社会科学者が描く内容とは異なり、また、当時の状況を分析して書いているのでもないが(背景は書かれている)、ひとりのすばらしい人間を浮かび上がらせていることは確かだろう。写真で残っているものは少ないが、挿絵も当時のものが多く使われており、それに添えられたことばも興味深い。扉の次には次のようにある。「フローレンス・ナイチンゲールは、なんの地位ももってはいなかったが、まわりの男性がそうよぶように、まさに最高司令官なのであった。フローレンスが問題点をしらべ、正しい結論をまとめて文書にする。その書類を代弁者である彼らに教えるのであった。(セシル・ウーダム・スミス)」以下は備忘録「若い頃のフローレンスの写真に添えて:フローレンスは内気でひかえめ、それに親切でした。でも長年にわたる家族とのぶつかりあいのなかで、はがねのような強い意志を身につけました。これが将来、目的のために運動を続けていく上での力となりました。」(p.52)「コレラの大流行:1854年、ロンドンのスラム街でコレラが大発生しました。フローレンス・ナイチンゲールは手助けを申し出て、『病気の貧しい女性を世話する協会』の気の毒な患者に対してと同じようにこころをこめて、不潔で怯えきっている、娼婦や酔っぱらいの看護にあたりました。多くの者がフローレンスの腕のなかで息絶えました。フローレンスとしても、だいてあげることぐらいしか、なすすべがなかったのです。何十年ものち、フローレンスはスラム街の衛生状態改善のために力を尽くします。以来、ロンドンは二度とこれらの大流行に見舞われることはありませんでした。」(p.61)「備品庫におしいってシーツや包帯などを取り出す看護婦:兵士たちの苦しみについて新聞などを読んだイギリス国民は、シーツや包帯や食べ物を船に何隻分も寄贈しました。問題は、無能な医務官たちがそれをきちんとくばらないことでした。兵士たちはフローレンス・ナイチンゲールのことを『かなづちをもった婦人』とよびました。フローレンスは兵士の苦痛をすこしでもやわらげようと、ほんとうに備品庫におしいって包帯などを取り出しました。」(p.89)「1857年、陸軍の医療機関を見直すために作られた委員会(全員男性):何人かの委員は、フローレンス・ナイチンゲールを深く尊敬していただけでなく、直接指示をうけました。フローレンスは情け容赦無く陸軍を批判しました。」(p.121)「グラフは、クリミア戦争では、戦闘で死んだ兵士1人に対して7人が、ふつうなら防ぐことができる感染症や病気で死んでいったことをあらわしています。フローレンスは予防医学をはじめて訴えたひとでした。質のよい食事、清潔、それに換気をよくすることで、病気や死をふせぐことができるのです。フローレンスはたんねんな研究調査により、それを証明していきました。」(p.123)
表表紙裏:「毎日いっしょに仕事をした者でなければ、彼女のことをほんとうには知ることはできない。あの力、そのさえた頭脳、人なみはずれた能力と、なさけ深い心とのとりあわせがどんなものであるか、けっしてわからないだろう。ナイチンゲールは神がつくりだされたもののなかで、もっとも才能にめぐまれたひとりである。」ジョン・サザーランド医師(1857年のイギリスの衛生委員会のメンバー)裏表紙:フローレンス・ナイチンゲールは、現在の看護のあり方を確立しました。1854年のクリミア戦争で、負傷兵を看病してまわった、聖人のような「ランプを持った淑女」として知られてきましたが、それだけではなく、ナイチンゲールは、才覚があり、不屈の精神の持ち主で、病院の環境などの改善をもとめて、軍の司令官や政府の大臣とたたかいました。50年にわたって、骨身をおしまず力をつくし、病院看護のあらゆる分野についての専門家となり、病院の大変革をなしとげたのです。
(2020.9.6)
- 「看護覚え書き」フローレンス・ナイチンゲール著、小林章夫・竹内喜訳、うぶすな書院(ISBN4-900470-08-2 1995.11.24)
フローレンス・ナイチンゲールの書いたもので一番読まれている、主著といってもよいものである。原著名は、Notes on Nursing: What it is and What it is not. 次のように始まる。「以下の覚え書は、看護婦に看護を学ばせるための考え方の規範を示そうとしたのでは決してなく、まして看護婦に看護の仕方を教える手引書でもありません。この書は他人の健康に直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントをあたえるためにのみ書かれたものなのです。」(i) とある。しかしそれ故にこの書は時代を超えて、他人の健康に直接の責任を負っているひとたちに、示唆をあたえるものであり続けているのだろう。日本でも、たくさんの論文も書かれ、様々な方向から読まれているようである。さらに、序章の始まりもすごい。「まずは、病気について、一般原理を以下のようにたてることから始めましょうか。ーおよそ病気というものは、その過程のどこかで、程度の違いがあるにしても修復の作用過程なのであり、必ずしも苦痛が伴うとは限らないのです。つまりそれは、何週間も、何ヶ月も、時には何年も前から、気づかれることなく起こっている、毒され衰弱する過程を治癒しようとする自然による働きなのであり、病気がどんな結果で終わるかは、この修復の過程が刻々と作用している間に決定されるのです。」(p.1)「看護という言葉を使っていますが、これは他に良い言葉が見つからないからなのです。看護といえばこれまでは、薬を与えたり、湿布を施したりという程度の意味しか持ちませんでした。しかし看護とは、新鮮な空気や陽光、暖かさた清潔さや静けさを適正に保ち、食事を適切に選び管理する。すなわち、患者にとって生命力の消耗が最小になるようにして、これらすべてを適切に行うことである、という意味を持つべきなのです。」(p.2)これだけでは理解しづらいかもしれないが、読んでいくと非常に Inspiring である。ここにもある新鮮な空気に関しては、「アンガス・スミス博士の空気検査計が、もしもっと簡単に利用できるものであれば、すべての寝室の必需品となることでしょう。」(p.12)とある。現代は、センサー技術が非常に発達している。しかし、このようなものは、Covid-19 の流行っているいまも、使われていない。なんとも不思議である。ナイチンゲールがあまりに凄すぎて、十分理解されていない一つの証拠でもあろう。以下は、備忘録:「責任者がその場を離れていても、なすべきことが放りっぱなしにされていないと断言できるでしょうか?それこそが『責任を負う』ということで、これは非常に大切な意味を持つのです。」(p.24)「施設においても個人の家においても、責任者たる人物は、(なすべきことをいかにして常に自分自身でおこなうかではなく)なすべきことが常に行われるよう、いかに手立てを講じるか、という簡単な問を常に自分に投げかけてほしいと思います。」(p.40)「『責任者である』というのは、単に自分自身がしかるべき処置を取るだけでなく、誰もがそれを行うようにするための手立てを講じるということです。あるいはまた、故意であれ過失であれ、その処置を誰にも妨げられることのないように取り計らうということなのです。」(p.41)「したがって『食品分析表』を読むことではなく、患者の胃の声に耳を傾けることこそ、患者の食事を設定せねばならない人の努めだと言えます。食事は患者にとって、呼吸する空気に次いで大切なものなのです。」(p.73)「受け持ちの患者が見舞い客に以下のようなことを言われているなら、その患者は見舞い客から受け得る最悪の害をこうむっていることだと心得てください。1. あなたの体はどこも悪くない。2. このままではまるで自殺行為だからなんとかしなければいけない。3. あなたは誰かの目的のために利用されている、4. あなたは誰の言うことにも耳を貸さず、自分の流儀に個室している。5. あなたは義務感に目覚めるべきだ。あなたは神を公然と無視しているではないか。」(p.101)「思考力の衰えはなく行動力のみが奪われた病人が、もう善行に参加できなくなった時、その実践の話を聞くことをどれほど渇望しているか、あなた方には想像もつかないことでしょう。」(p.102)「正確な観察力さえ身につけていれば有能な看護婦であるということにはなりませんが、正確な観察力を抜きにしては、どんなに献身的であろうと看護婦の役目は果たし得ないからです。」(p.112)「正しい結論への道をしばしば人々に誤らせるものとして、二つの思考の習癖が挙げられます。それは、1. 状況に関する観察の不足。2. 平均に頼ろうとする根深い習癖、の二つです。」(p.120)「ふたつのたわごと:女性の『権利』に関するもので、とにかく男性のすることは何でも、医師などの専門職も含めて、女性にもさせようとする主張です。もうひとつは、とにかく男性のすることは何一つ女性にさせないという主張です。女性たちは、このどちらの声にも決して惑わされることなく、何であろうと、自分の持つ最善のものを、神の造られた世界のために捧げるべきです。外からの声に従って偉大なことや有益なことをやり遂げた人は、いまだかつていないのです。」(p.134)「何かに対して使命を感じるとはいったいどいう言うことなのでしょうか?それは、あなた自身の掲げる、何が正しく何が最善であるかという高い理想の実現を目指して、自分の仕事をするということではないでしょうか。」(p.138)「わたしは女性たちに、医師への絶対的な従順の必要はないと思わせようとしているわけではありません。ただ、医師にも看護婦にも、知性的従順ということの重視、すなわちただ従順なだけでは意味がないという認識が不十分だと言っているのです。」(p.140)「結核で死亡する患者はしばしば、清らかな喜びと平安に包まれて世を去り、その表情には歓喜さえ現れます。これに対してコレラや腹膜炎などの場合は、絶望に近い状態で死に至ることが多く、表情も恐怖に満ちています。赤痢や下痢や熱病の場合には、患者はたいてい、外界に対しては無頓着な状態で死亡します。また事例によっては、肺結核や腹膜炎でも、歓喜と失望の状態が交互に現れます。」(p.142)「感染の正しい定義:病気が真似んする一つの方法であり、感染が起こっているということは、誰かの、すなわち医師や看護婦や肉親の不注意や無知の証明になります。また、感染が起こるような場所は、病人にとても健康な人間にとっても、居住には適さないとうことなのです。」(p.151)「健康とは、単に元気であるだけでなく、自分の使いうる力を十二分に発揮できていることである。」(p.97)「神は確かな自然法則を定めておられます。神がこの法則を間違いなく遂行することで、私たち人間の責任(非常に乱用されている言葉ですが)というものも成り立っているのです。なぜなら、結果の予見できないー神の法則の遂行が、もしも不確かなものなら結果は予見できないはずです。ー行為には責任のと利用がないからです。」(p.208)目次:はしがき Preface、序章 Introductory、第一章 換気と保温 Ventilation and Warming、第二章 住居の衛生 Health of Houses、第三章 小管理 Petty Management、第四章 音 Noise、第五章 変化 Variety、第六章 食事 Taking Food、第七章 どんな食物を与えるか What Food、第八章 ベッドと寝具類 Bed and Bedding、第九章 日光 Light、第十章 部屋と壁の清潔 Cleanliness of Room and Walls、第十一章 身体の清潔 Personal Cleanliness、第十二章 余計な励ましと忠告 Chattering Hopes and Advices、病人の観察 Observation of the Sick、終章 Conclusion、補章 Supplementary Chapter、(付録)赤ん坊の世話、訳者注、訳者解説、訳者あとがき、『看護覚え書』ノート。訳者注以降がよくまとまっていて、参考になる。もう一度読んでみたくなる。今度は英語で読みたいが。
(2020.9.16)
- 「精神障害とキリスト者〜そこに働く神の愛」石丸昌彦監修、日本キリスト教団出版局(ISBN978-4-8184-1051-0 2020.1.25)
特別非営利活動法人キリスト教メンタル・ケア・センター(CMCC)の知人から頂いた。監修者は放送大学教授、専攻は精神医学で、キリスト教メンタル・ケア・センター副理事長。『信徒の友』に2017年4月号から2019年4月号まで連絡された「シリーズ精神障害」に加筆および修正を加えたものとある。精神障害当事者または支援者の投稿に、石丸医師が応答する形式になっている。社会とキリスト教会の役割を問うているが、石丸先生の応答が精神障害当事者および支援者によって書かれたことを丁寧に受け取るところから始めており、文章自体が癒やしを生み出している。帯のことばを引用する。「この原稿の依頼が編集部からあったとき、『向いていない』仕事にもがき苦しんでいることを書かずにはいられないと思いました。そうでないと、ただうつと躁に翻弄されているかのような自分の歩みは虚しいだけです。確かに虚しいのだけれども、そのなかの時々にイエスと出会ってきたとしか言いようがありません。(辻中徹也:島原伝道所牧師、『気がかり幻想襲来症』当事者)」(p.81)日本キリスト教団出版局のこの本のホームページに目次がある。ついつい、重い課題と向き合い、広い視点を失いがちだが、主として石丸先生の記事に含まれているグラフやコラムなども、世界を広げる役目を担っており、将来について考える機会も与えられる。良書である。CMCC内で読書会を企画したいと考えておられる方もおられ、わたしももう一度ゆっくり読んでみたいと思った。石丸先生の謙虚さからも学びつつ。
(2020.9.29)
- 「マンガで分かる心療内科」ゆうきゆう原作・作画ソウ、少年画報社(ISBN978-4-7859-3380-7 2010.5.26)
ゆうメタルクリニック発の心療内科について説明しているシモネタだらけのマンガである。ホームページにもマンガがある。基本的に、なにか、暗く近寄りがたい感じがする、心療内科、メンタルクリニックを明るく紹介しながら、基本的な情報を提供しているのだろう。娘が買ってきて手元にあったので、第一巻である本書を読んでみた。内容は、おそらく、4,5ページもあれば、書ける内容だろうと思うが、これが伝えるということなのかもしれない。解説文が挿入されまとめられている。1.1/5の確率で精神疾患、2. 精神疾患になる原因って何? 3. 3つの妄想は『うつ』の危険信号? 4. ロリコンはどこから病気なの? 5. 心のEDを改善する方法 6. 90%の正確さで『うつ』が診断できるCES-D 7. 実は男は女になりたい? 8. 幻聴を消す4つの方法 9. SSRIってなんですか? 10. 心療内科っていくらかかるの? 11. 『うつ』と宝くじの以外な関係 12. 認知症…あなたの知能は大丈夫? 13. 『うつ』と感情の心理テスト 基本的な内容をいくつか知ることができたことも、記録しておく。
(2020.10.5)
- 「援助の輪を広げよう - 心病む人々と共に」キリスト教メンタル・ケア・センター編、キリスト新聞社(ISBN4-87395-239-5 1993.5.10)
キリスト教メンタル・ケア・センターは、1991年5月6日、発会式なので、これは、二年後の発刊である。すでに、30年たっており、状況は多少変化しているが、内容も、レベルも非常に高いように思う。設立時の方々の意気込みが感じられる。初代理事長は、熊澤義宣師である。目次を書いておく。はじめに(熊澤義宣)心病む人と教会(平山正実)心の病と信仰(大宮司信)心でおきる体の病ー心身症(河野友信)アルコール依存症からの帰還(黒田勲・鈴木実・加藤祥子)登校を拒否する子どもたち(高橋良臣)性の悩みとキリスト教(奈良林祥)心病む人々の友となろう(熊澤義宣)法の現場から探る社会復帰(清水徹)社会復帰の周辺ー「野草の会」の試みから(益巌)心病む人への牧会カウンセリング(三永恭平)心の病の体験者から(田村真由美)家族への援助を考える(舟山紀)ボランティアの視点(福井節子・棟居勇)精神科医として(赤星進)キリスト教メンタル・ケア・センターについて、資料。以下は備忘録:「CMCCは基本的には受益者負担の原則をあえて取らない方針をたてています。従って、CMCCにおいてなされる相談(電話・面接・訪問・医療・法律・教育など)すべてのことは無料となっています。」(p.4-5)「おおよそ育児の成功失敗などは、人間が判断できることではありません。神にめされるまで、だれが成功だとか失敗だとか決めることができるのでしょうか。単なる一過程で将来をも判断してしまう暴挙が、登校拒否とその家族を苦しめ、孤立させてしまうのです。」(p.80)「『精神障害者』と呼ばれる人たち自身が、『他の人たちに対して心を閉ざす人』という意味であるならば『精神障害者』に対して心を閉ざす人もまた、『精神障害者』と呼ばれて当然のことであろう。」(p.122)「家族の人が名前を、家族の中においてさえ言わない状況に置かれている現実は、家族に心病める者がいることがわかると、本人だけではなく、家族の人たち自身が、就職や結婚にさしつかえるという現実があるからである。その現実を打開できるのは、個々の心病める人とその家族と、周りの人たちとの出会いが起こることによってであろう。」(p.129)「ボランティアとは、1. 誰からも強制されたものでなく、自ら進んで時間や賜物を提供すること(自発性)2.友に生きようと願うこと(連帯性)3.神の恵みへの応答のわざであること(無償性)といわれている。」(p.172)「心のボランティアはたとえば、1. 心病む人の隣人になっていく、2. 心病む人の家族を支える、3. 財政的、事務的なことで協力する。4.本人や家族のニーズ実現に協力する。5.社会のまなざしをかえる。6. 癒やしの共同体づくりに参加する、といったことを、個人、グループ、団体を通して行っていく、ここで大切なのは、病める本人もボランティアもお互いに今までの自分に留まることなく、成長し合っていく姿勢である。」(p.172)「ボランティアが心病む人や回復者にであうのは、1. 精神病院内でのコーラスや手芸などの技術提供、2. デイ・ケア、生活教室、患者会、地域作業所のプログラムへの参加、3. 電話相談などによる相談に応ずる場合ーなどあがる。」(p.175)「人間の力による宗教心的信仰は、すべての人に与えられている宗教心に基づいて『自我のわざとしての信仰』によって神に近づき、神と一体になることを願い求めるものである。仏教をはじめ、キリスト教以外の宗教はすべてそうであると私は思う。キリスト教はそれと全く反対に、神さまの方から人間に近づいて、神の独り子イエス・キリストの十字架の死の贖いによって人間を罪から救い、復活の主イエス・キリストとの交わりを与えて、神の方から人間と一体となってくださるという福音をもたらす。その信仰は、ルターが明言しているように『私たちの中に働きたもう神のわざとしての信仰』である、それが福音的信仰である。」(p.187-188)「トゥルニエ:すべての医師は、クリスチャンであろうとなかろうと、神の共働者である。」(p.191)
(2020.10.15)
- 「続・心病む人々と共に」キリスト教メンタル・ケア・センター編、キリスト新聞社(ISBN4-87395-370-7 2003.3.20)
「心病む人々と共に」の続編である。来年2021年が創立30周年となるが、現在まででも発刊はこの二巻だけである。設立当時の方々の多様性とともに、非常に高いレベルと意欲を感じさせる。しかし新しい人たちがどんどん加えられ、働きが広がっていくことは、困難であろうことは、この時点でも見て取れる。日本のキリスト教界の限界だろうか。まだ可能性はあるだろうか。以下は備忘録。「涙を流している人に問いたい。心というものを失ったため、悲しくても涙を流せない、涙を失った悲しさを、心を失った悲しさを ご存じですか。(いずみあいこ著『絶望をこえてーうつ病になった過程と光』より)(中村)」(p.17)「全人的苦痛(total pain)がん患者が抱えている、多方面にわたる複雑な苦痛(シシリー・ソンダース)(大西)」(p.55)「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。(出エジプト記15章26節)」 (p.95)「一般的には『父親はあてにならない』と思っている子どもが『頼りにしている母親の優しい気持ちを引き出す』ための言動が家庭内暴力です。彼らの多くは『父親は信頼できない。一番苦しい時にいてくれたことがない』と言います。『父親に話を聞いてもらおうと思っても「わかった、こういうことだな」って、話をいきなり結論に持って行かれてしまい、最後まで話を聞いてもらえない』という子どもが多くいます。(高橋)」(p.103)「電話相談の簡便性 1. 誰でも(幼児から老人まで)かけられ、2. どこからでも(日本の津々浦々、否今では世界の果てからでも)3. いつでも(真夜中でも、電話の線は生きて待っている)4. ダイヤルを回せば(ボタンを押せば)すぐに通じる。5. また、面接相談のときのようなアポイント(予約)を取ることもなる、応答してもらえる。6. 面接に必要な服装などを整える必要がなく、ありのままの姿で相談ができる(たとえ夫婦げんかのあとの乱れた髪かたちであってもそのままでよい)。7. 面接場所まで行く必要がなく、自分がいまいる所から話し合うことができる。8. 相談料が不要で、電話使用料を払うだけでよい。9. とくに電話相談にとっての最大の利点といえる『匿名性』が保たれるということ、すなわち名前も住所も職業も地位も、その他一切を秘めたままで相談することができるという点です。(三永)」(p.117)「電話相談において相手の顔などのボディ・ランゲージが見えないということは、一応の欠陥であるとはいえるものの、それはかえって相手の声や言葉に私たちの全神経を駐中し、聴こうとさせるに役立つものだ、ということができます。」(p.120)「頼む人・頼まれる人・監督する人・判断能力/被後見人・成年後見人・後見監督人△・日常的にない/被保佐人・保佐人・保佐監督人(臨時保佐人))△・著しく不十分/被補助人・補助人・補助監督人(臨時補助人)△・不十分/本人・任意後見受任者→任意後見人・任意後見監督人〇・ある→不十分/委任者・受任者・−・ある(清水)」(p.138)「心病む人々や家族から相談を受けたとき、直ちにこれらの社会資源を紹介するのは得策ではありません。相談者が何に悩み、困っているのか、共に考えることが大切だと思います。そのなかで、どうしたらよいか本人が方向性を見出し、その一つの方法として社会資源を活用できるとよいのではないでしょうか。(木村)」(p.164)「心病む人たちばかりでなく、誰もが必ず年齢を重ね、さまざまな支援が必要になります。病気や障害、または高齢であってもなくても、共に支え合い生きやすい地域作りが求められていると思います。(木村)」(p.165)「冒険とは、未知の世界へ挑戦することではなく、自分の心の軸を、自分でないほかのものに結びつけてその方向に共に生き、そこで学び、他者と共に苦しむこと。そして、他の人をも、自分をも豊かにされていく道だ、と言う意味のことを森有正が言っています。まさに、そのように、心病む人々と共に在ることによってCMFは豊かに養われています。(尾崎)」(p.198)「『神のかたち』とか、『神の似姿』と表現されていることの内実は、神は人間をご自分のふさわしい相手、パートナーとして造られたことを意味します。パートナーシップとは交わりです。(菊間)」(p.205)
(2020.10.30)
- 「統計解析入門」篠崎信雄著、サイエンス社(ISBN4-7819-0741-5 1994.10.10)
例が豊富で、ある程度理論的説明がある本として読んだ。個人的にはとても学ぶことが多かった。どうしても、経験がものを言うのが、実例と演習問題である。演習問題の答えも含めて、それらが非常に豊富である。ただ、解析ソフトを使っていないので、実際のデータはほとんど使っていない。演習問題や、プロジェクトと共に、実際のデータによる課題が豊富な本が、必要であろう。いずれ、bookdown で書ければと思う。そのときは、参考にさせていただきたい。データサイエンスで使うときにはどうしても英語の用語も必要だと感じている。それもできればと願う。目次 : 統計学への招待/ 統計データのまとめ方/ 2次元データのまとめ方/ 確率/ 確率分布とその特性値/ 主な確率分布/ 多次元の確率分布/ 標本分布と統計的推測/ 推定/ 仮説検定/ 直線回帰
(2020.11.15)
- "Hands-On Programming with R - Write our own functions and simulations", by Garrett Grolemund, Forward by Hadley Wickham, O'Reilly (ISBN:978-1-449-35901-0, 2014.7.8)
"R for Data Science (r4ds)" by Hadley Wickham & Garrett Grolemund を読み始めたら、最初に、前提として、この本が紹介されていたので、まずは、読むことにした。r4ds の、Hadley の 共著者でもある。Hadley が Rice University で教えたときに、TA を務めたとある。データサイエンスの本としては、ちょっと変わっている。しかし、R について熟知しているひとが、r4ds とは、違う路線で、その準備をしているように思われる。三つのパートにわかれ、Part I. Project 1: Weighted Dice, Part II. Project 2: Playing Cards, Part III. Project 3: Slot Machine とし、それぞれの中で、Program の重要性、R の基本、Objects, Function の書き方、Package and Help, Selecting Values, Modifying Values と進み、Environments についても、ていねいに説明している。すこし、Advanced な Program の書き方を説明してから、The S3 System の実際をていねいに説明し、Loop について例を述べてから、Speed について、R の特徴を説明しながら、ほかの言語との違う、高速化の技術を説明している。最後に付属の、Appendix には、各種ファイルの読み書きとともに、Debugging R Code についても、ていねいに説明している。ファイルとしては、247 ページで、この手の本としては、長くはないし、R の Reference としては、使い勝手がよくないが、面白い本である。Bookdown による、Online 版を無料で提供している。R Community のすごさ、RStudio の素晴らしさでもある。
(2020.11.23)