Last Update: December 26, 2018
2018年読書記録
- 「イスラームの歴史 1400年の軌跡」カレン・アームストロング著、小林朋則訳、中公新書 2453 (2017.9.25, ISBN978-4-12-102453-4)
「どの宗教であれ、その外面史は信仰のあるべき姿とかけ離れているように思えることが多い。そもそも霊的探求は内面を探る旅であり、魂の遍歴であって権力をめぐる政治ドラマではない。」と「まえがき」が始まる。"ISLAM: A Short History" by Karen Armstrong, 2000. 2001年の9.11の直後の2002年に出たペーパーバック版の翻訳である。New York Times のベストセラーを何週間か続けている。全体を通して、アームストロングのイスラームの人たちと言うより、それをとりこむような多くのひとたちに寄りそう愛、「共感」と彼女は表現するようだが、を強く感じる。著者の履歴も興味深いがこの方の本を続けて読んでみたくなった。イスラームの歴史を学ぶと、聖書の解釈、コーランの解釈、イエスの教え、ムハンマドの教え、それぞれの弟子たちの伝えたこと、その権威、どれも、その後の世界、信仰と政治の問題、信仰覚醒運動、哲学と信仰、科学と信仰、合理主義をどのように考えるかなど、イスラム教における困難な問題とキリスト教の中でのそれとの間に類似性と並行関係があり、イスラームの人たちと共に学びたいと感じた。イスラームと、キリスト教や、ユダヤ教の最初の出会いを学ぶと、今に通じる、様々な問題を感じる。信仰は特定の信条を信じることではなく、信じたことを生きることであると思った。第1章 イスラームの成立、第2章 イスラーム国家の発展、第3章 イスラーム世界の繁栄、第4章 世界帝国の時代、第5章 戦うイスラーム、あとがき、解題、イスラーム史の重要人物、アラビア語の用語解説、読書案内、年表、索引、とかなり最近の事まで書かれており、本文以外の付録も充実している。以下は備忘録。「近代西洋では、宗教を政治と分離することが重視されてきた。これを政教分離または世俗化と言い、もともとはフランス啓蒙思想家たちが、宗教を国政運営の腐敗から救い出して本来のあるべき姿に近づけるための手段と見ていたものだった。」(vi)「しかし、超越者を直接体験することは絶対にできる、法悦はつねに『地に足をつけたまま』下界の物や人を通して体験される。」(vii)「ヤスパースのいう『軸の時代』(紀元前700年頃〜前200年頃)」(p.7)「宗教には無理強いということが禁物(クルアーン2章256節)」「それから、お前たち、啓典の民と論じる場合には、立派な態度でこれにのぞめ。というても、特に不義なす徒輩(やから)を相手にする時は別だが。こう言っておくがよい、『わしらは、わしらに下されたものも、おまえたがに下されたものも信仰する。わしらの神もお前がたの神もただ一つ。わしらはあのお方にすべてを捧げまつる』と。(クルアーン29章46節)」(pp.11-12)「原理主義者たちは、近代の歩みに対する不満を表現する際、自分たちの伝統が持つ、近代化に抗する諸要素を極端に強調することが多い。(中略)つまり原理主義は、強引な近代化と共生関係にあるのだ。」(p.222)「各種の調査によると、ヴェールを着用する女性たちの大部分は、ジェンダーなどの問題について進歩的な意見を抱いている。女性が、農村地帯から大学へ進み、男女を問わず家族で初めて基本的な読み書きだけで終わらず高等教育を受けるものである場合、イスラーム服を着用することで連続性を感じ、近代への移行で受ける精神的ショックを、着用しない場合よりも小さくすることができる。」(p.231)
(2018.1.2)
- 「オックスフォードからの警鐘 グローバル時代の大学論」苅谷剛彦(オックスフォード大学教授)著、中公新書ラクレ 587 (2017.7.10, ISBN978-4-12-150587-3)
著者のまとめによると「グローバル化とは、2000年代以降の流出留学生数の急速な増大、とりわけ中国からの留学生の増加と、それらによって拡大したグローバルな高等教育市場のシェア獲得競争の中で英語圏の大学、とくにイギリスの大学が国策として留学生の受け入れ拡大を戦略的に進めたこと、その一環としてイギリスの主要メディアを中心に世界大学ランキングがつくられ普及し、マーケティング戦略の一端をになったことに象徴される現象である。」(p.221)下にあげる目次が示すように、文部科学省の支援事業への著者の疑問が背景にある。それに関しては、一面のみ語られていると思う。さらに、いくつかの原稿をまとめたものであり、内容としてはそれほど豊かであるとも言えない。最初に引用した、まとめに、ほぼ含まれている。含まれていないとすると、日本の大学が何を目指すべきかについて多少書かれている第二部後半の「日本の文系の強み・量より質優先の政策を」であろうが、内容が豊富であるとは言えない。それでも、イギリスでの教育政策について、上記のシェア拡大の論理や、グラマー・スクール復活かなど、日本では触れることがまれな情報は含まれている。目次 序章 日本の大学が世界の「落ちこぼれ」になる 第一部 「スーパーグローバル大学」の正体 第二部 文系学部廃止論争を超えて 第三部 海外大学・最新レポート 第四部 ガラパゴスからの脱出 終章「グローバル大学」への警鐘 日本の大学は何をめざすべきなのか。以下は備忘録:「Prime Minister's Initiative for International Education: PM I, II」(pp.188-190)「上流階級が通う私立のパブリックスクール(高額の授業料を徴収する。多くは寄宿制の学校)、中産階級が主流のグラマースクール(公立、無償)、労働者階級中心のセカンダリーモダン(公立、無償)という棲み分けが成立した。」(pp.112-113)「私たちの目的は、グローバルなメリトクラシー(能力主義)をつくりあげることです。そこでは、あらゆるバックグラウンドを持った人々が歓迎される。若者、年配者、男性、女性、いかなる人種や国籍を問わず、身体的な能力によらず、宗教、さらには性的嗜好や同一性をとわずに。(Brown and Tannock, 2009, ブリティッシュ・ペトロリアム社HP)」(p.186)「大学力ランキング:THE Times Higher Education、QS World University Ranking」(p.192 等)「グローバル化が加速する21世紀の世界経済の中にあっては、豊かな語学力・コミュニケーション能力や異文化体験を身につけ、国際的に活躍できる『グローバル人材』を我が国で継続的に育てていかなければならない。(内閣官房国家戦略室『グローバル人材育成推進会議』2011.6『中間まとめ』)」(p.212)
(2018.1.8)
- 「世界で一番美しいサルの図鑑」京都大学霊長類研究所、X-Knowledge(ISBN978-4-7678-2402-4, 2017.11.25)
ヒトを含む霊長類を知る上で重要な、4つの特徴、霊長類の進化、形態、社会生態、保全が最初におかれ、地域毎に、130種類のサルが美しい写真とともに紹介され、最後に「なぜ霊長類が問題なのか」(湯本貴和)の一文でとじられている。社会生態は読んでいて興味をひくが、なんと言っても、美しい写真を眺めているのが楽しい。殆どの写真で目をひくのが目である。視線かもしれない。なにを考えているのか、考えさせられる。多くの場合、疑いの目のように見える。そして、ひとつ気づいたのは、少なくともこれらの写真には、毛づくろいをしてもらっているのか、気持ちよさそうな表情はいくつかあるが、喜々としている喜んでいる表情は見られない。笑顔がない。ヒト科ゴリラ属、ヒト科チンパンジー属、特に、ボノボには興味を持つ。霊長類研究所では「くらし・からだ・こころ・ゲノム」の様々な研究領域からアプローチする独自の体制で研究教育活動を展開しているという。興味を持つ学生が多いのは頷ける。「ヒトとはなにか」「ヒトはどこから来て、どこに向かうのか」今西錦司、伊谷純一郎が戦後間もなくはじめた研究に興味をもつ。焦らず、丁寧な研究から出てくるものに興味をもって少しずつ追っていきたい。
(2018.1.20)
- 「見えない希望のもとで 永田竹司説教集」永田竹司、教文館(ISBN978-4-7642-6121-1, 2016.11.30)
著者は、1974年生まれ、東京クリスチャンカレッジ、ゴードン・コンウェル神学校、プリンストン神学校(哲学博士)、国際基督教大学名誉教授(宗教・新約聖書学)、ICU教会名誉牧師(1981年から92年までICU教会副牧師、2002年から13年まで主任牧師)はじめにに、聖書をどう読むかについて書かれており、編者あとがきは、焼山満里子東京神学大学准教授が書いている。全体を、三部に分け、第一部 世界に開かれた生、第二部 自由を与えるキリスト 第三部 さらにまさる道と、I・C・Uに、説教がまとめられている。以下は備忘録「本来、個別の聖書テキスト自体は、信仰共同体が依って立つところの多様な諸伝統と、それらの伝統を新しい必要に迫られつつ解釈して新たな伝統を再創造するという、解釈循環のダイナミックなプロセスに位置しています。(中略)大胆に表現すると、聖書テキストは歴史的批評的釈義の対象であるというよりは、本質的にはむしろ信仰に生きることを共有する人々の解釈の対象であるということです。」(はじめに,p.4, p.5)「結局、大事なことは、このことではないかと思うにいたりました。それは『無理なことは何もしなくてよい』『何かをしようとするな』ということです。『何をしなければいけないか』という問いから始めると大切なことを見失ってしまいます。」(p.34)「『どのようにして』『なぜ』キリスト者になったのですか、と聞かれれば、最も率直なわたしの答えは、『成りゆきです』ということになります。」(p.120)「あらゆる懐疑や批判にもかかわらず、いまだに見ることができない神の計画、神の真意を信頼して、見えない希望に生きるキリスト者の信仰の視点が、目に見える日常の現実の偏狭さから自分を多少なりとも解放し、何が人間にとって真実であるか、大切であるかをそれなりに問い続ける力、支えとなってきたことを改めて自覚しています。」(p.123)「豊臣秀吉に対する修道士ルイス・フロイスの批判は鋭い」(p.133)「真理を求めて新しい世界に挑んでいく大学、また新しい自画像を求めていく大学生活とキリスト教信仰とは、その根本において深く関わり合っているのではないでしょうか。」(p.134)「全く絶望的で何をやってみたところで無駄で無意味としか思えない現実に取り囲まれてなお人間が人間として生き生きと高潔に生き続ける。本当の喜びと希望をもって、葛藤し続け、成長し続けていくことができる。その可能性を与えるのが、信仰です。」(p.140)「身体欠損というマイナスを生む原因を神のせいにすることは、許されることではない。したがって、神によるあるべき人間創造の姿、あるいは秩序に劣り、それに反することしか考えられない身体障がいは、人間の罪が原因であり、その罪の報いであると理解されました。いわゆる因果応報の論理です。」(p.167)「わたしたち現代人はただ失敗を通して学ぶ恵みだけでなく、愛されるなることを恐れ、失敗することを恐れる必要のない人間関係、失敗できる恵みを味わう必要があります。」(p.178)「Oxford Research International 調査」(p.226)「神ではなく、権力を握っている人間が弱い人を支配する。神の御心ではなく、人間の勝手な計りごとが他の人々の尊厳を踏みにじる。さらには、人間を自己破壊へと追い込む悪魔的な力が人間世界を支配する。それが、神ならざるものが支配する姿です。」(p.272)「自分と同類の仲間だけを抵抗なく愛する友愛(フィリアー)に限定されることなく、自分とは異質なもの、他なるものを創造的に愛する愛(アガペー)に生かされることが求められています。自らを解放して、自己束縛から自由になって、他なるものと幸福も苦難も痛みも共感できるものになることが求められています。」(p.286)「贖罪:愛される資格のない者のためにイエスの命を犠牲にして愛し、愛に応えられない者に赦しをもって応答される神の愛こそ、不条理のきわみです。この神の愛に支えられる時、わたしたちは、不条理を叫び立てることを、ふと、やめることができるかもしれません。」(p.302)
(2018.1.20)
- 「新聖書講解シリーズ4 ヨハネによる福音書」村上久著、いのちのことば社(ISBN4-264-00554-X, 1992.11.1)
2015年4月から三年かかって、我が家の聖書の学びの会で、ヨハネによる福音書を読んだ。そのときに利用した一冊である。下に読書記録を書く、二冊と比較すると、正直、この本から学ぶことは殆どなかった。分析的とは言えず、文献からの直接の引用も殆どないからであろう。それでも、最後まで読んだのは、平易に基本的なことを確認できたからだろうか。
(2018.2.11)
- 「聖書注解シリーズ5 ヨハネによる福音書上」「聖書注解シリーズ6 ヨハネによる福音書下」ウイリアム・バークレー著、柳生望訳、ヨルダン社(1968.3.25, 1968.12.10)
The Gospel of John Vol.1 and 2, by William Barclay の翻訳である。英国のキリスト教の伝統のもとでの、豊富な情報が書かれている。しかし、参考文献が明確ではないので、資料のソースについての検証ができたとは、言えない。いくつもの解釈が紹介されてはいるが、分析的とは言えない。基本的な解釈の幅を理解するには、十分な情報であったと思う。
(2018.2.11)
- 「ヨハネによる福音書講解 下巻」榊原康夫著、小峰書店(1978)
上巻しか所持しておらず、図書館で古書を購入して頂き読むことができた。聖書の会での分析的な読み方は、榊原康夫先生の読み方から得たことは、殆ど間違いないだろう。ヨハネによる福音書は、講解説教を記録したものである。これだけ、豊かな講解説教を毎週続けて、聞くことができた人たちは幸いだと思う。しかし、わたしも、ルカ、使徒行伝、マタイと、榊原先生のものを利用してきたので、ヨハネでは少し違う読み方もできたように思われる。すなわち、講解から、榊原先生が考えた問いを自分の問いの一部とするという読み方である。その読み方から、多くの自分の問いや、学生が持つであろう問いを加える事ができた。以前は、解釈も吸収しようとしていたが、ヨハネにおいては、一つの情報としてのみ、記録し、自分で考えながら読むことができたのではないかと思う。先生の訓練のもとで、どうやら、自分で読むことができるようになったように思われる。むろん、それでも、榊原先生の本から学ぶことは、まだまだ多いが。このようにして読むことができたのは、本当に幸せであった。講解説教をきくことの数倍の恵みを受けることができたように思われる。すでに、先生は天に召されているが、高校生時代に、先生の説教を聞きに、東京恩寵教会を訪ねたことを、思い出す。上巻・中巻・下巻と学ぶことができたことを心より感謝する。
(2018.2.11)
- 「赤道の国でみつけたもの - アフリカの子どもたちと共に生きて」市橋さら著、光文社(ISBN 4-334-97474-2, 2004.12.20)
アフリカのケニアで幼稚園などを経営している一家のエッセー。ケニアにサービス・ラーニングのプログラム開発のための視察へ向かう、電車と、飛行機の中で読んだ。品川教会からの派遣牧師である夫、市橋隆雄と、5人のこども(うち二人はケニア人の養子)の家族の記録でもある。22歳で単身ケニアに、その後、夫とともに先に学んだ大学に、夫が講師として招かれたことから、家族で移住、キューナという比較的裕福な世界各国からの子供がつどう幼稚園と、スラムにある貧しい子供の通うコイノニアを運営している。このように、ケニアに根をおろしている、日本人または外国人との交流も学生たちにとっては、有益からもしれない。以下は備忘録。「"Third Culture Kids (TCK)” 親の育った文化圏で育たない、また育っている国の文化を100パーセント自分のものとしてとけこむことのできない、第三の文化をもつ子供たちのことを指す。」(p.194)「我が家の子どもたちのように、固定観念にとらわれない『第三の子』が、世界を新しい道を開いてくれるかもしれません。」(p.196)「世界のどこへ行ってもいい。どんな職業に就いてもいい。ただ、自分のためだけでなく、誰かのために生きる生き方をしてほしいと、パパとママは願っているからね。ー」(p.197)
(2018.3.7)
- "THE 2030 AGENDA FOR SUSTAINABLE DEVELOPMENT", United Nations 2015, 40pp
2015年までの開発目標を記した、"Millennium Development Goals” を踏まえ、2030年までの目標を記した、国際連合の文書である。Service-Learning の新しいプログラム開発のために、ケニアを訪れた際、ナイロビにある国際連合の本部の一つを訪問することになり、予習として読んだ。それぞれの Agent から上がってきたものと思われる。数値目標の設定や、現在までの実績、過去の Agenda などの取り上げ方が様々であるが、国連という枠組みでできることと扱えないことの可能性と限界も考えることができ、国連での会話の準備となった。"SUSTAINABLE DEVELOPMENT GOALS", United Nations, 24pp は標語的で、内容は、2030 agenda をまとめたもので 1.No Poverty 2.Zero Hunger 3.Good Health and Well-being 4.Quality Education 5.Gender Equality 6.Clean Water and Sanitation 7.Affordable and Clean Energy 8.Decent Work and Economic Growth 9.Industry, Innovation and Infrastructure 10.Reduced Inequality 11.Sustainable Cities and Communities
12.Responsible Consumption and Production 13.Climate Action 14.Life Below Water 15.Life on Land 16.Peace, Justice and Strong Institutions 17.Partnerships for the Goals [?] What Can I Do to Help.
(2018.3.9)
- 「関係性の学び方 『学び』のコミュニティとサービスラーニング」サラ・コナリー(Sara Connolly)、マージット・ミサンギ・ワッツ (Margit Misangyi Watts)著、山田一孝、井上康夫訳、晃洋書房(ISBN978-4-7710-2108-2, 2010.2.10)
Student Orientation Series の "LEARNING COMMUNITIES" と "SERVICE LEARNING" の訳を一冊にまとめたものである。第一部は、大学入学1年後の退学率を下げるために、多くの大学で開発された、幾つかの形の、Learning Community について記されている。学生コホート・統合ゼミ、連携科目・科目群、調和した勉強、生活し学ぶ「学びのコミュニティ」と続く。最後のものは、Living Learning Community として、新々寮(Momi-Maple)建設にあたって、議論したものである。ICUでは、他の形で学びのコミュニティと言えるものもある程度あるので、それを踏まえて、かつこの学びのコミュニティの背景などについて理解して議論していればと反省する。第二部は、サービスラーニングであるが、基本的なことを除いて、実践的なフォームや、課題案がある。英語版を読んでから、利用できる部分を捜したい。以下は備忘録「互いから学ぶこと:ためらってはいけない。自分の殻をすべて破って、他者とともに成長し育つ意思を持とう」(p.67)、Washington Center、「サービスは『学び』と結びついている。それは、その双方の価値を高め、お互いを変化させる。(Jack Kendall)」(p.93)「1.サービスラーニングは、市民性や学業上の目標、技能、価値について学ぶ方法論である。それはアクティブラーニングを含んだものである。また、それはサービス活動を成し遂げるという経験を通して『学び』を引き出す授業である。2.サービスラーニングは、注意深く構成されたサービスに取り組むことを通して学生が学び、成長するための方法論を示す。それは地域社会のニーズに導かれ、対応するものであり、高等教育機関と、地域社会によってコーディネートされたものである。それに取り組むことは、学生の市民としての責任感を育成し、学生が登録する学業上のカリキュラムと結びついてその効果を高める。サービスラーニングには、学生のサービスの経験を振り返るように構成された時間が含まれる。3.サービスラーニングは地域社会に対するサービスと学業上の興味・関心を結びつける教育方法論である。それは、批判的・省察的思考と市民としての責任感に焦点を当てている。サービスラーニングのプログラムは、学生を系統立った地域社会サービスに取り組ませるものである。それは、地域のニーズに対応しており、学業上の技能や市民としての責任感、地域へのかかわりの意識を成長させる。4.サービスラーニングは、単位が出る教育経験である。学生は特定された地域社会のニーズに対応するように、系統だったサービス活動に参加する。それは、科目内容や学問へのもっと広い理解、市民としての責任感の理解を促進させるものである。5.サービスラーニングは、地域社会サービスと学業上の『学び』とをつなぐことで、それぞれを強化する多様な教育学である。サービスラーニングの基本的な理論は、デューイに依るものである。それは、知識と技能の経験を通したやりとりは、『学び』の鍵となる、というものである。」(pp.93,94)
(2018.3.13)
- 「大学における海外体験学習への挑戦 Challenges to Overseas Experience Learning at University」子島進(ネジマススム)、藤原孝章(フジワラタカアキ)編、ナカニシヤ出版(ISBN9784779512018、 2017.12.15)
サービス・ラーニング・センターのコーディネータも書いており、原稿段階から読ませていただいたので、少しずつ読んでいたが、海外への出張中に読み終えた。日本中の大学において、様々な形で、海外体験学習が為されており、かなりの経験をもった教員、職員もいることも分かった。以下は備忘録「帰国後しばらくしてからの発症は、盲点になりがちである。」(p.7)「(1)クリティカル・シンキング:より深く多角的な観察を促す(2)全人的な関わり:学んだ知識を批判的に見るだけではなく、学びへの全人的な関わりを意図的に作っていく(3)学びの共同体の創造:学生たちが相互に影響を与え合う学びの環境を作り出す」(p.7)「優れたふりかえりのための四つのC:Continuous(継続的)Connected(連結化)Challenging(挑戦的)Contextualized(文脈化)」(p.8)「『いい思い出』から、次の行動を導き出す『経験』へと深化」(p.9)「海外体験学習のよいところは『誰かが何かを教えてくれる』という環境から離れていること」(p.13)「ねらい:(1)建学の理念に導かれた教育実践(2)グローバル社会を批判的に検証するもの(3)太平洋戦争を経た日本とアジア諸国との新しい関係構築を願うもの(4)異文化体験を通して自己理解、相互理解を深めるもの(5)海外インターンシップをめざすもの」(p.20)「1.体験と調査を結びつける 2.体験の中で問いを投げかける 3.体験の後に受講生は全員の前で考えたことを述べる 4.何もしない時間を意図的に確保する」(pp.36,37)「J.メジローの『変容プロセス:10のPhases』」(p.69)「共同体:成員は異なる関心を寄せ、活動に多様な貢献をし、様々な考えを持っている。共同体ということばは、参加者が自分たちが何をしているか、またそれが自分たちの生活と共同体にとってどういう意味があるかについての共通理解がある活動システムへの参加を意味している。(レイヴ・ウェンガー)」(p.78)「自分自身を確立するプロセスが、大多数の『ふつうの青年』にとってまずは最も重要な基盤であることを確認しておきたい。」(p.95)「ポジティブ・フィードバック」(p.122)「リスク管理予算」(p.161)「OECE 21世紀キーコンピタンシー:言語を含めた多様な道具を相互作用的に活用し、自律的、主体的に判断し、多様な他者との協働を通して社会を創っていく能力」(p.162)
(2018.3.17)
- 「ケニアの教育と開発〜アフリカ教育研究のダイナミズム〜」澤村信英・内海成治 編著、明石書店(ISBN9784750337081、 2012.12.12)
ケニアの小学校でのサービス・ラーニング・プログラムを始めるため、現地を訪問・調査した帰途から読み始めた。多少、現地の状況を知ったのみであるが、開発教育というもの自体について、考えさせられた。著者に、長期間にわたって、現地で教育に関わったかたはいないようである。記述を見ても、一つ一つの課題について、共通理解をえるための、分析も議論も十分できていないようである。アフリカでは、教育に関してはすでに途上国とはいえない、ケニアでもこの程度なのだと知らされた。学生たちが、ケニアの人たちに仕え、ケニアの人たちの教育への関わり、現地の方たちと、現在の外的・内的要因に起因する変化とともに、現状と課題をしっかりと学ぶことが、できることを願っている。本書は、3部に分かれている。第1部 伝統的社会と学校、第2部 子どもの生活世界と学校、第3部 地域コミュニティと学校。以下は備忘録:情報源、World Bank Open Data, (Africa Development Indicators in World Bank Open Data), Kenya National Bureau Statistice (KNBS), Kenya 2009 Population and Housing Census, KNBS and ICF Macro, Kenya Demographic and Health Survey, KNBS Economic Survey, EFA (Education For All), MDGs (Millenium Development Goals), 「二つの課題:伝統的な社会が近代教育システムとどう向かい合っているか。教育を担う行政のキャパシティが不十分なため、辺境地や伝統的社会のこどもが近代教育から遠ざけられている。」(p.17)「高い退学率は、女子の早婚と男子のボラン主義(moraism)によっている(か)。」(p.44)「対立パラダイム:サンブル文化と学校文化の両立不可能性(incompatibility between Samburu culture and that of schools)[Holsteen 1982]」(p.45)「有害な文化的慣習」(pp 60, 61)「血の花弁(Petals of Blood), Ngugi 1977, 文化爆弾(cultural bomb), Ngugi 1981」(p.79)「ジルーの『境界教育(border pedagogy)』により、こどもたちは『境界を越える人(border crosser)』となり、他者を理解し自らのアイデンティティのための新しい空間を創造することを目指し、文化の境界を行き来する。『境界教育』では異なる文化的規範、経験、言語を構成している多様な準拠枠にこどもたちが関わる機会を提供する。」(p.82)
(2018.3.23)
- 「西郷隆盛と聖書〜『敬天愛人』の真実〜」守部喜雅著、フォレストブックス(ISBN978-4-264-03878-8、 2018.1.25)
西郷隆盛は、現在NHK大河ドラマで放送中の「西郷(せご)どん」でも、内村鑑三の「代表的日本人」にも取り上げられているが、政治的な役割の背後にある実像について理解できないでいた。評価には100年かかると内村が書いているが、亡くなってから、100年を遙かに超した今も、十分理解されていないのだろう。ここに書かれていることの裏付けは、簡単ではない部分もあるが「敬天愛人」は本当によい言葉である。キリスト教の一つの本質の最も短い表現とも言える。さらに、知りたくなった。勝海舟なども。以下は備忘録。「月照との入水で一人だけ助かり自分を『土中の死骨』と呼ぶ」(p.25)「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。この仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業はなしえられぬなり『南州翁遺訓』第30ヶ条」(p.25)「これは私の持論だが、『思想とは何か』と問われたとき、私はいつも次のように答えることにしている。神ああるいは仏と対決して、それを信じるか信じないか、いずれにしても神あるいは仏に対する自己の精神的位置を決定するための持続的な戦いが、思想形成の根本であると。信、不信、あるいは懐疑のゆえの心の戦いなくして、どんな思想が可能だろうか。(亀井勝一郎編『内村鑑三』)」(p.55)「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人と咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし『南州翁遺訓』第25ヶ条」(p.68)「宗教の生命は信仰にあって、知識にあるのではない。人生を生きるための力として求めるのであるから、信仰は教義の比較検討という方法によって学び得られるものではない。宗教の本質は、霊的な神が人間各自のたましいに対して直接の啓示であり、直接の呼びかけであるから、我々のたましいが神の呼びかけに感応して、愛を呼び起こされるならば、それで神を信じるのである。キリスト教が他の宗教よりも『比較的に』すぐれていることを結論したとしても、それによってキリスト教を信ずる信仰は興らない。信仰はその人にとっては絶対的なものであって、比較的・相対的な価値ではないのである。(矢内原忠雄『キリスト教入門』)」(p.80)「陽明学とキリスト教(坂本陽明)」(p.80)
(2018.3.27)
- 「風と土の秋田〜二十年後の日本を生きる豊かさのヒント〜」藤本智士著、リトルモア(ISBN978-4-89815-465-6、 2017.8.3)
秋田県発行フリーマガジン「のんびり」取材制作チームによる「のんびり」Vols. 04「マタギから授かったもの」, 05「のんびりまっすぐ寒天の旅」, 06「20年後の日本酒」, 09「秋田弁でした伝えられないもの」, 16「田舎の教養、決して消えないローカルメディアの灯」からの文章を含む。「人間が道路を作っちゃうとみんな一緒になっちゃってるなぁ」(p.241)つまりは、グローバル化が進む世の中で、ローカルとは何かという問いが背景にある。そのなかで「高質な田舎」(p.243)というコンセプトの「あきたびじょん」を考えているひとたちからの発信である。「のんびりの思い。秋田にはうまい飯とうまい酒があります。その豊かさが秋田の実直なものづくりを支えてきました。」と始まる。「なんもっす!なんもっす! なもなもなもなもなも!」(p.206)謙虚さもある、仕える心を持って「どういたしまして」を伝える言葉か。Na Li(哪里哪里)に近い。授かりものという意識のもとでの、マタギ勘定。棒寒天がつなぐ、茅野と、秋田。純米酒にこだわる酒造り。標準語教育が、方言の豊かさを育むという「遠藤熊吉と秋田西成瀬小学校(無明舎出版)」にも教えられた。このフリーマガジンの編集の中心は、秋田以外の人たちである。外から見ての気づかされる良いところ、中のひとに寄り添って発信するサービス。グローバル化を排除してはいない。学ぶことが多いが、答えはまだない。
(2018.4.1)
- 「途上国世界の教育と開発〜公正な世界を求めて〜」小松太郎編、上智大学出版(ISBN978-4-324-10115-5、 2016.4.15)
ケニアに行った際に、勧められた。開発教育という分野の教科書として書かれており、よくまとまっていると思う。基本的な部分は、一般常識とも言えるが、学生がまず理解すべきことはまとまっているのだろう。目次:序章 なぜ、途上国世界の教育なのか? 第1部 途上国世界の教育:4つの視点 第2部 途上国世界の教育分析レベル 第3部 国際教育協力のアプローチ 第4部 途上国世界の教育課題 の四部構成。編者はJICA, UNESCO などでの経験を持つ。以下は備忘録。「開発は、人それぞれが望む生き方を送れるように、人生における選択肢を拡充していくプロセスである。(マブーブ・ウル・ハク Mahbub ul Haq)」(p.25)「基礎教育の役割は、識字・算術能力および自己の権利を守るための法的知識の獲得、グローバル時代の雇用に必要な知識と技術の育成に加え、個人が持つアイデンティティの複数性(multiple identities)を認識させ、状況に応じたアイデンティティの選択を可能にするという文化的権利の確保を可能にすることである。(Amartya Sen『人間の安全保障』)」(p.35)「(内発的発展への道筋と目標は)それぞれの社会および地域の人々および集団によって、固有の自然環境に適合し、文化遺産にもとづき、歴史的条件にしたがって、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に創出される。(鶴見和子)」(p.38)「内発的発展(endogenous development)」(p.40)「市民による自発的な組織(Private Voluntary Organization, PVO)」(p.135)「第一世代:慈善、第二世代:エンパワーメント、第三世代:持続可能性、第四世代:公正・正義(『NGOとボランティアの21世紀』Korten, David)」(p.1995)「インクルーシブ志向を持つ通常の学校こそ、差別的態度と戦い、全ての人を喜んで受け入れる地域社会をつくりあげ、インクルーシブな社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段である。(サラマンカ声明 Salamanca Statement(1994))」(p.191)「Child Friendly School (UNICEF), Coomunity Based Rehabilitation(JICA)」(p.202)「contact hypothesis」(p.228)「THE TWO FACES OF EDUCATION IN ETHNIC CONFLICT Towards a Peacebuilding Education for Children (2000)」(p.233)
(2018.4.8)
- 「影裏」沼田真佑著、文芸春秋(ISBN978-4-16-390728-4, 2017.7.30)
著者紹介には、本作で第122回文學界新人賞を受賞しデビューとあるが、本作で、第157回芥川賞(2017年)も受賞している。選考理由としては「私の意見では、この作品は3.11の大震災を踏まえ、人間の外部と内部の“崩壊”を描いたものだと思います。大震災を小説化するには、こういう描き方しかないと思い、私は強く推しました。」(高樹のぶ子)とある。殆ど小説を読まないわたしが興味を持ったのは、あるラジオ番組で、著者が「アンチ共感」「簡単に共感ということへの反発」と述べていることに、(あえて論理的矛盾を含む書き方をすると)共感したからである。94ページととても短いことも、読もうとした決断に影響しているが。確かによく分からない。しかし、意識的に謎めいた人として書くよりも、ひととは謎めいた者として、一人ずつについて、最初からほんの少しだけ表現するということは、わたしがいま考えていることと近い。選考理由にもあるように、特に、大震災でひとり一人の人間の尊厳を思うとき、その人を分かったように書くのはかえって冒涜であろう。美化して書いたとしても。人は分からないものだから。分かったような設定をすることは、ひとを、人の作り物にしてしまう。ただ、小説という、ある種の娯楽がこれでよいのかは、議論もあろう。実際、わたしも、さらに読みたいとは思わないのだから。
(2018.4.15)
- 「サンプリングって何だろう - 統計を使って全体を知る方法」広瀬雅代、稲垣佑典、深谷肇一著、岩波科学ライブラリー271、岩波書店(ISBN978-4-00-029671-7, 2018.3.6)
統計に関する啓蒙書に興味があった。どのように教えるのだろう。その教育方法における数学との違いにも考えたかった。三つの章に別れている。第一章 サンプリングの有用性ーその科学的根拠、第二章 世の中の動向を捉えるー社会調査とサンプリング 第三章 生物を数えるー生態調査におけるサンプリング、もっと深く学びたい人に向けてー文献案内、となっている。第一章では、こども教室での、BB弾サンプリングについて記し、第二章は、社会調査、統計数理研究所での「日本人の国民性調査」について記されているが、プライバシーの観点から調査が困難になってきているという統計的記述が興味深かった。第三章は、生態調査についてで、捕獲再捕獲法のリンカーン・ペテルセン推定量について説明している。正直に言うと、物足りなかっただけでなく、まだ教育プログラムとしては、洗練されているとは言えないと思った。また、数学でたいせつにしていることを、含めることはできないのかとも考えた。もう少し勉強してみたい。
(2018.4.24)
- 「不可能を証明する - 現代数学の挑戦」瀬山士郎著、青土社(ISBN978-4-7917-6546-1, 2010.6.4)
大学の授業のネタのためにと思ったが、予想以上に、分かった気にさせる工夫もされていて、調べるだけのはずが全部読んでしまった。「おわりに」に「不可能を証明しようとすれば、それは単に難しいだけではなく、まったく新しいアイデア、概念、考え方、証明技法を考え出す必要があった。不可能の証明は数学を新しいステージに導くステップだったのである。」とある。背後にある、背理法の考え方など、丁寧に説明されている良書である。ただ、巻末を見ると、似た書名の本も挙げられており、わたしが単に知らないだけなのかもしれない。数がくとしても、よい内容を多く含んでいるが、一般教養科目などで教えるとすると、演習問題が常に鍵となる。個人的に、テーマ毎に、問題を付けてみても良いと思った。備忘録「しばらく前に有名な4色問題がコンピュータを駆使して証明されたとき、やはり一部の数学者からは不満の声があがった。4色で塗れることはわかった、しかし、なぜ4色なのかは以前として謎だというわけである。『理由が知りたい』は数学のもっとも根源的な欲望なのだろう」(p.126)AIでいま問われている問題と通じている。「第1章 1つの単位で世界が測りきれるか」「第7章 どんなときでも個数はかぞえられるか」「第8章 正しいことはいつでも証明できるのか」など言葉の使い方もうまい。
(2018.4.29)
- 「不完全性定理-数学的体系のあゆみ-」野崎昭弘著、ちくま学芸文庫(ISBN4-480-08988-8, 2006.5.10)
大学の授業の準備のためにと考え、説明が分かりやすく、教養豊かな野崎先生の本を手に取った。多少冗長なところもあるが、裏話など、全く知らなかったことも書かれており、内容も豊かである。本質は十分に記述されているが、数学的に理解したい場合は、適切とは言えないかもしれない。ただ、数学的に書かれた本は、専門的になりすぎて、楽しめないこともある。要点のみ、もう一度、確認しながら読んでみたい。以下は備忘録。「『言葉は何でも良い』とは『言葉と意味を切り離す』ことである。」(p.59)「ヒルベルトは『素早い、無意識的な、絶対に確実とは必ずしも言えない』直感の重要性をよく知っていた」(p.60)「『我々は生まれつき、ユークリッドの枠組みでものごとを認識するようにできている。』カント」(p.89)「定理 ポンLはピンPをパンするが、ピンQをパンしていないとする。そしてPとQをパンするポンL’を考える。するとそのポンL’ともとのポンLとがどちらもパンしているピンはPだけで、それ以外の同じピンを両者ともにパンすることは決してない。(このあとに証明まで付けている。人を納得させる方法か。)」(p.91)「1. 数学の中で使う文は、その文の中のすべての語句が、その意味を確定できるものではなければならない。2. 数学おn中で使われる文は、自分自身を直接または間接に指示する語句(自己言及 self-reference)を含んではならない。」(pp.120-122)「論理学は数学の青年時代であり、数学は論理学の壮年時代である(Bertrand Arthur William Russell)」(p.128)「ゲーデルの仕事 1. 結果のスケールが大きい『客観的・形式的な方法が完全ではあり得ないという原理的限界を示した』2. 目標の設定を賞賛すべき 3. 方法が独創的 4. このような結果が、人間の知性によって厳密に証明されたことの素晴らしさ 5. 理論の終わりでなく、新しい理論の始まりになった。」(pp.267-269)
(2018.5.6)
- 「四色問題-どう解かれ何をもたらしたのか-」一松信著、BLUE BACKS B-1969 講談社(ISBN978-4-06-257969-8, 2016.5.20)
大学の授業の準備のためにと考え、2016年版と新しかったので手にとった。少し残念だったのは、1997年に発表されている、Robertson-Sanders-Seymour-Thomas について p.259 に引用されているにもかかわらずなにも書かれていなかったことである。しかし、BLUE BACKS のレベルとしては全体的に丁寧によく書かれていると思う。不可避集合(unavoidable sets)と、可約配置(reducible configurations)とその還元(p.55)について丁寧に説明され、その土台を確認しながら、ケンペ(A.B. Kempe, 1849-1922)の方法、ヘーシュ(H. Heesch, 1906-1995)の放電法(Discharging Method)についても丁寧に説明されており、K. Appel と W. Haken の証明(1976)において、コンピュータによる検証が必要になっていくいきさつと、何に、コンピュータが使われたか、その検証についても理解できる程度に書かれている。解決の余波についての備忘録。「四色問題の解決は、残念ながら、画期的な新アイディアによるもので、それが数学の他の分野にも応用されて大発展の契機になるような方向ではなかった。」(p.234)「とくに高速計算機の発展以前に教育を受けた多くの数学者は、計算機を標準的な数学の道具として使うことに抵抗した。彼らは全部または一部が手計算で簡単に検証できない議論は、数学的に弱いと感じた。」(p.238)「27^5+84^5+110^5+133^5 = 144^5 (1966)」(p.242)「もし多くの数学者が長たらしい証明に悩まされるというのならば、それはたぶんつい最近まで、彼らが短い証明を生ずる方法のみに携わっていたからだろう。(Appel-Haken)」(p.254)
(2018.5.12)
- 「経済数学入門の入門」田中久稔著、岩波新書 1707 岩波書店(ISBN978-4-00-431707-4, 2018.2.22)
経済学で数学がより頻繁に使われるようになり、実証科学としての経済学と言う面が強くなってきたとされ、一次関数、二次関数、関数の微分(需要関数と供給関数の導出)関数の最大化(市場の均衡)多変数関数の最適化(マーシャル型需要関数)、マクロ経済学と差分方程式(最適成長理論、オイラー方程式)、動的計画法(ベルマン方程式)などが紹介されている。平易に書かれているが、ある程度の数学的素養がないと、追うのは難しく、追わないと何のことか分からなくなりそうである。クルーノー、レオン・ワルラス、ポール・サミュエルソンなどが、紹介されている。ケインズの師匠でもある、アルフレッド・マーシャルの「経済学者に必要なものは、冷たい頭脳と
温かい心である」(p.29)も紹介されている。入門書として以下の三冊が紹介されている「改訂版 経済学で出る数学 高校数学からきちんと攻める」小山大輔・安田洋祐編著、日本評論社(2013)、「経済数学入門 初歩から一歩ずつ」丹野忠晋著、日本評論社(2017)、理系の人向けとして "Fundamental Methods of Mathematical Economics" by Kevin Wainwright Professor, Alpha C Chiang, McGraw-Hill Education (4th Edition, 2004)「現代経済学の数学基礎(上・下)」A・C・チャン、K・ウエインライト著、シーエービー出版(2010)が紹介されている。数学者用には「経済数学教室(全9巻)」小山昭雄著、岩波書店(2010)を紹介している。
(2018.6.10)
- 「目からウロコ 福音書の中にイエスを『見る』祈り」祈りの学校校長来住英俊著、女子パウロ会(ISBN978-4-7896-0667-7, 2009.1.15)
ある方から頂いた。カトリックの大学と交流のあったときに、持って行き、移動中に読んだ。「福音の中にイエスを『見る』ための心得(1)つねにまず、イエスその方にスポット・ライトを当てる。(2)イエスの発言より、まず先に、行動・振る舞いに注目する。(3)目立つ出来事だけでなく、イエスの日常の生活を見つめる。(4)現代の問題、今の自分の生活に性急に結びつけようとしてはいけない。(5)場所と時間を意識する。(6)想像力を働かせるのは、福音書の正しい読み方である。」(pp.19,20)
(2018.6.21)
- 「アマルティア・セン講義 グローバリゼーションと人間の安全保障」アマルティア・セン 著, 加藤幹雄 翻訳、筑摩学芸文庫 C0133、セ-5-2(ISBN978-4-480-09819-1, 2017.9.10)
1998年度ノーベル経済学賞受賞者 Amarutya Sen 氏による第13回石坂記念講演(第1章 グローバリゼーション―過去と現在、第2章 不平等の地球規模拡大と人間の安全保障)に、東京大学名誉博士授与(1人目)を記念した講演(第3章 文明は衝突するのか―問いを問い直す)と「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」に掲載された論文の和訳(第4章 東洋と西洋―論理のたどり着くところ)が加えられている。アマルティア・センの業績との関係などを付した山脇直司の解題がついており、他の業績などとの関係もわかる構成になっている。以下は備忘録:「グローバリゼーションの課題を、地球規模での不平等の拡散と結びつけて論じる」(p.15)「日本の開国:外の世界からの知的孤立主義の見直し」(p.32)「1913年には日本はまだ貧しい開発途上国でしたが、世界最大の書籍出版国になっていました。すなわち、日本で出版される書籍点数は、イギリスを凌ぎ、アメリカの二倍に達していたのです。日本の経済発展のすべてが、人材養成によって支えられ推進されてきたとも言えるでしょう。」(p.35)「グローバリゼーションの逆は、頑迷な分離主義であり、執拗な自給自足主義です。鎖国主義には『井の中の蛙』という憂慮すべきイメージがあります。」(p.37)「1998年『アジアの明日を創る知的対話』小渕首相:人間は生存を脅かされたり尊厳を冒されることなく創造的な生活を営むべき存在であると信じています。」(p.47)「経済ブーム時にすべての人々が一緒に上昇気流に乗った場合でも、落下するときにはばらばらになり、弱い立場に置かれている人々が最も大きな打撃を蒙ることになるのです。」(p.48)「家族として生活することから男性も女性もともに恩恵を受けていることを認めた場合でも、恩恵の配分が公平か否かという問題が残るのです」(p.65)「国際ビジネス社会のより強い関心は、民主主義体制が未整備な社会に対してよりも、社会の秩序と組織化度合いが高い独裁的社会の方へ傾斜し、その結果、平等性の高い経済発展が交代します。(ジョージ・ソロス)」(p.70)「私はこの講演で、『文明は衝突するのか』という問いが間違った方向の研究を始める契機をつくり、それを助長する作用があると主張するつもりです。その問いは、人類がはっきりとした形で個別に分類できるという、ほとんど分析されておらず、また十分に擁護されてもいない前提に立脚しているからです。」(p.81)「『人間は多様で異なっている』今日の世界に潜在する紛争の主要な源は、すでに述べたような、文明に基づいて人々を手際よく分類できるという前提にあると私は主張したいのです。さらに、このシステムこそ今日の世界で人類を分類する唯一のものであるという前提も、紛争の源の一つであると言えましょう。」(p.82)「アイデンティティーというものは(コミュニタリアニズムを支持する哲学者たちがよく主張するように)「見い出す」だけのものではありません。それは、選択の問題でもあるのです。」(p.85)「ユダヤ人哲学者であるマイモニデスが12世紀の不寛容なヨーロッパから離れ(中略)最終的には、カイロにあるサラディン王(十字軍と戦った)の宮廷で名誉ある地位に落ち着きます。」(p.99)「私たちの多様な所属や関係、そして価値やコミットメントのすべてを考慮した上で何をするかを決める自由と選択の受容性、そして選択に伴う個人の責任の重要性にあるのです。」(p.106-7)「何人たりとも宗教を理由に干渉されることなく、いかなる人も自らの好む宗教に傾倒することを許されるべきである(アクバル王)」(p.116)「道徳上の判断を下す場合には、理性を宗教上の要請に従属させたり、あるいは『伝統という湿地帯』に依拠したりしてはならない。(アクバル王)」(p.117)「人間性からの反応:1.他者に対してある種の経緯をもって対応する性向。2.他人の窮状や喜びに対する共感。(グローバー)」(p.125)「コンゴ国内においては奴隷売買も、そのための市場も存在してはならないというのが我々の意思である。(コンゴのムベンバ王 1526)」(p.144)「自分の宗教的信条は、『無分別な信仰心』や『伝統』という因習の湿地帯からではなく、自らの論理と選択から生まれたものであった。(アクバル的発言)」(p.149)「実質的自由とは『政治参加の自由』や『基礎教育や医療をうける機会』などと意味し、GNPや個人所得の増大は、実質的自由のための『手段』ではあっても『目的』ではない。」(p.171)「貧困は単なる物質的窮乏ではなくて、『潜在能力の剥奪(人が価値ある生活を送るための自由を奪われている状態)』と定義する」(p.172)「International Human Development Indicators of UNDP:HDI, IHDI, MPI, GII」(p.173)「人間の安全保障:人間の生命をむしばむ危険や不安を軽減し、可能な場合には取り除くこと、不安定のこうむるリスクを減らすこと」(p.176)(p.165以降は山脇の記述内)
(2018.6.29)
- 「国際基督教大学ーシリマン大学 国際サービス・ラーニング・モデル・プログラム 報告書」平成19(2007)年3月、国際基督教大学サービス・ラーニング・センター
United Board of Chrstian Higher Education in Asia (UBCHEA) の支援に加えて、平成17年度「大学教育の国際化推進プログラム」に採択され、2006年度から三年間、Silliman University, Lady Doak University, アフリカの Malawi と三カ所で実施したモデルプログラムの一回目の報告書である。Silliman University で、30日間のサービス・ラーニングを行う学生に引率して来たときに読んだ。学生は、最初24名参加の計画だったようだが、結局は、20名、国際基督教大学(6人)以外は、Lady Doak College(1人), Seoul Women's University(2人), Soochow University(東呉大学・台湾 1人), Silliman University(8人)。教員は、Silliman University から、Betsy Joy Tan 副学長を含む、8人、国際基督教大学からは、西尾隆、センター長以下、Tamario Rivera 教授、毛利勝彦準教授、村上むつ子、コーディネーター、Florence McCarthy 特別顧問が参加、それ以外に、UBCHEA, LDC, 香港中文大学、東呉大学からもひとりずつ参加している。以下は備忘録:「サービス・ラーニングの考え方:1.サービスの実践と心の教育。つまり、知識を自らのキャリアのためだけでなく、他者や社会のために役立てることを目指し、体験を通して奉仕の実践教育を重視する考え方。2.現場経験と異文化ラーニング。つまり、実際のサービス活動を通じて現場で多様な人々と出会い、異文化を体験し理解するというラーニング(学習)重視の考え方。3.ネットワーク形成。つまり教室で教える知識と現場の実践とのリンクに注目し、大学(教員)・学生・サービス機関が相互に連携しつつ、社会全体の問題解決力と実践知を豊かにしていこうとするネットワーク重視の考え方。(西尾隆)」(p.1-2)「How are we going to balance the positive effects of globalization and the negative sides of it? One of the creative responses to these challenges is to go back to the basics and to link liberal education dimension with academic service-learning. Based on what was written in the Sillman Journal (p.7, vol.43, Number 2, July-December 2002), a very good definition of service-Lerning is: "... with this new paradigm, where service-learning is integral to the mission and practice of higher education, we would see students not as empty vessels to be filled with knowledge, but as active learners who build meaning through context. We would see the camnpus not as an ivory tower, but as a socially engaged institution. We would see community service not as charity but as reciprocal process with reciprocal benefits..."(Shanti Manuel, UBCHEA)」(p.27)「82才の現地の老人が個人で運営している『第二次世界大戦記念館』を訪問し、戦時中の軍服やかぶと、日章旗や銃剣のコレクションを、参加学生と共に見る機会もあった。香港から参加した中国人学生がその老人に『ちょっと微妙な質問をさせていただきますが、日本政府は先の戦争を悪かったと思っていないようですが、そのような日本を許せるのですか?』と質問していたのが印象に残る。老人は『私に関する限りは問題ないね、当時の日本人にも親切にされたからね』と答えていた。(村上むつ子)」(p.43)「週の終わりにホストファミリーから『お金を貸してくれないか』と頼まれたり、(仲間)から聞いた話で、彼らは私に残ってほしいのではなく、私がホームステイをする家庭に支払われるお小遣いが目当てだということに気づきました。(中略)(その後の誹謗中傷。)(学生)」(p.51)「50年前、日本人は武器を持ってここへやってきたが、今、ユミは愛をもってここにやって来てくれた(学生)」(p.54)「Deutcher Entwicklungsdienst (DED) の支援で立ち上がった Buglas Bamboo Institutte(BBI)の活動の進むべき方向について(学生)」(p.58-59)
(2018.7.3)
- 「超入門 インドネシア語」左藤正範著、東京大学書林発行(ISBN978-4-475-01830-2, 平成9年5月30日)
サービス・ラーニングでのインドネシア引率時に読む。とても、よくできている、または、わたしにあっていると思う。DVD, CD も付いていないが、この本は読みやすい。例が多く、言い回しがたくさん書かれており、辞書も付いているので、チェックしながら進められる。何回か読めば、基本的な会話がすぐにでもできそうな気がする。インドネシア語は、発音も、文法も、比較的簡単なことと、以前、ほんの少し学んだからもあるかもしれないが。ぜひ、また、インドネシアにくる時は、この本を友としたい。
(2018.7.21)
- "DIRT, The Ecstatic Skin of the Earth" by William Bryant Logan, W.W. NORTON, NEW YOIK - LONDON (ISBN:978-0-393-32947-6, 1995, pp.202)
ミンダナオでの植林事業について、サービス・ラーニングで調査に行くときに、環境研究で土壌の専門家でもある方から、お借りして読んだ。実際には、ほかの本も読んでいたからだが、土壌という、勉強したことのない分野で、知らない単語も多く、何を意味しているのか想像することも困難で、辞書も使ったため、時間がかかってしまったことも確かである。予想していたとおり、すばらしい本である。裏表紙にある次の言葉だけでも十分である。"You are about to read a lot about dirt, which no one knows much about." 以下は備忘録。"'We are all stardust,' says a friend of mine. He understates the case. In fact, everything is stardust. (p.7) "Humus(腐植土), human. The dictionaries say there is a connection between the words, but they don't elaborate. What does the root hum- mean? It must have to do with humble, or with humilis, humiliate. Those words come from roots meaning "of the ground, lowly." But humus does not refer to the ground itself. It refers to the end product of decaying litter and dead creatures. It also has to do with being humourous, that is in original meaning "wet." Both people and humus are wet inside." (p.15) "In his (Charles Darwin) The Formation of Vegitable Mould through the Action of Worms (1896), a classic of soil ecology and a charming book, Darwin not only summarized all the knowledge then current on earthworms(ミミズ)but also reported on his own experiments with exposing worms to light and heat." (p.147)
(2018.7.22)
- 「On Ethics and Economnics, Amartya Sen アマルティア・セン講義 経済学と倫理学」アマルティア・セン、徳永澄憲・松本保美・青山治城訳、ちくま学芸文庫セ−5−1(ISBN978-4-480-09744-6, 2016.12.10)
アマルティア・センの少し古い講義である。ちくま学芸文庫版となったものを、インドネシアとケニアへの旅行中に読んだ。備忘録にも引用しているように、経済学の基本前提として「実際の行動の決定要因は自己利益最大化」であるとしていることに対する問いから論じている。倫理学と経済学が離れてしまったことに違和感を感じていると言っても良いだろう。互いに、もっと影響しうるものとしている。以下は備忘録「実際の行動の決定要因として自己利益最大化を仮定することは、どれほど妥当なのだろうか。」(p.41)「私たちは、妥当な量の知識を持つ人々が自己利益を求めて知的に行動する世界の中に生きている。(ジョージ・スティグラー(1981))」(p.41)「自己利益と、言葉として広く重みを持つ倫理的価値観が相反する状況において、行動の組織的かつ包括的な実証結果を予測するなら、多くの場合ーむしろ実際には大半の場合ー自己利益理論(私はスミスの考えをこう解釈している)が勝つであろう。(ジョージ・スティグラー)」(p.41)「現に日本の場合、自己利益に基づく行動から義務や忠誠心や善意を重んじる方向への体制的移行が、工業化の過程で大きな役割を果たしたことを、明らかに示す実証的証拠がある。」(p.42)「人々は常に自己利益だけで行動するのではないことと、人々は常に利他的に行動することとは同じではない。」(p.43)「パレート最適とは、他人の効用を減らさずには誰の効用も増やせない社旗状況を言う。」(p.58)「道徳原理としての功利主義は、以下の組合せ 1. 「厚生主義」ある状態の良さが、その効用だけに依存する関数であることを要求する。2. 「総和の順位」どのような状態に関する効用の情報も、その状態いおけるすべての効用の総和だけで評価されることを要求する。3. 「結果主義」行動、制度、動機、規則など何であろうと、それらにおけるいかなる選択も、結局は結果の良さによって決定されることを要求する。」(p.65)「1.豊かな生だけに価値があるのではない。2. 効用は豊かな生を確実に表さない。」(p.73-4)「自由は、それが何らかの成果を得るのに役立つからだけではなく、実際に達成された生存状況に対する価値以上に、それぞれ事態の重要性によっも評価されるだろう。」(p.91)「自由という視点は、『豊かな生の側面』にも『行為主体性の側面』にも鉄器洋できるので、『豊かな生の達成』、『豊かな生をもとめる自由』、『行動主体性の達成』、『行為主体性を求める自由』という四つのカテゴリーに分類することができる。」(p.91)「功利主義とか経済人といったきわめて単純化・抽象化された概念は、本来、分析のための、第一次近似として導入されたもので、分析が進むにつれ、このような概念は、’人間の現実の行動をより正確に把握するように緩められなければならないにもかかわらず、実際の理論的展開においては、いつの間にか多くの経済学者は、この一次近似という前提を忘れてしまい、あたかも普遍的な概念であるかのように錯覚してしまっているからである。」(p.177)
(2018.7.23)
- 「山口組 顧問弁護士」山之内幸夫著、角川新書 K107(ISBN978-4-04-082093, 2016.10.10)
ヤクザが行く場所の無い社会的弱者の受け皿となり、一般的に好まれない仕事(産廃・倒産)の処理を行っていることを知り、2015年11月に弁護士資格を失うまでその弁護士をしていた山ノ内幸夫氏に興味をもった。温和そうな顔立ちにも惹かれ、自分は、ヤクザの弁護をするか考えたいと思い、読むこととした。実際のヤクザ社会と関わって来ているため、文章に勢いがあるが、こなれているとは言えない。以下は備忘録:「ヤクザの仕事は(代紋で)相手の恐怖心を利用してお金に換えること。」(p.45)「組織犯罪処罰法(改正暴力団対策法):ヤクザの行動原理から推論する使用者責任」(p.47等)「ヒットマンの動機:愛や恩に報い負の精算をする」(p.49)「ヤクザの家庭では銀行口座が作れないため子供の授業料引き落としができず、暴力団員の子供と判っていじめられ、保育所や、私立学校に子供を入れようとしても断られる。」(p.57)「科学警察研究所:組員になった人間の生まれ育った環境は、親もしくは両親もいない欠損家族の出身が四割。子沢山の貧乏人というケースが多く七人兄弟というのがヤクザの平均兄弟数。」(p.64)「三代目田岡組長:山口組は、愛情に乏しい寂しがり屋が助け合って生活する集まり」(p.70)「ヤクザになれば懲役は当たり前、ヤクザになるということは一般社会と訣別して悪いことは何でもするということだ。その発想の転換が落ちこぼれに人生のかつるを与える。」(p.82)「文藝春秋1984年11月号『山口組顧問弁護士の手記』『悲しきヒットマン』(1989)」(p.160)「私にすればヤクザに対する法の運用は歪められており、弁護士なら本来そんな分野にこそ身を挺するべきではないか、社会の少数派に目を向ける視点は弁護士にとって大切なもの」(p.183)「岸本才三:金は人の恨みを買う。絶対に近づいたらあかん。」(p.195)「公然としているが故に組織内の自主規制も少なからず機能しており『薬物には手を出すな』『カタギを泣かすな』『強盗や窃盗はするな』『困った人がいたら助けよ』と言ったことがかなり実践されている。」(p.199)「犯罪組織が地下に潜れば検挙は益々困難になり組織も犯罪を過激化させる。」(p.199)「暴対法:暴力団とは、集団内における幹部もしくは、構成員全員の犯罪経歴保有率が、政令で定める率を超える集団。」(p.200)「ヤクザが一般のカタギと違っている点はたった一つ。計算に合わないバカなことができるのがヤクザ。」(p.202)「結局ヤクザとは社会に順応できない人が通常とは別の方法で生きていくために集まった組織だと思います。世界にはいくつか似た集団があり、各国それぞれに組織を弾圧し検挙していますが、日本は国による制圧姿勢が緩やかでヤクザ組織が公然と存在します。他国では類を見ない特徴で、公然たる存在故の独自様式を持っています。」(p.204)「ヤクザ社会は社会に順応できない者のセーフティネットとして機能している他、破産や離婚など人生に一度失敗した人の敗者復活の場も提供しています。そして一般社会へは賭博、薬物、売春など違法サービスを提供し、あるいは債権取立、地上げ、倒産処理など暴力による紛争解決機能も担っています。」(p.205)
(2018.7.29)
- “Service-Learning in Asia, Curricular Models and Practices”, Edited by Jun King and Carol Hok Ka Ma, Hong Kong University Press (ISBN 978-988-8028-47-4, 2010)
Three themes: service-learning and indigenous traditions; service-learning and social justice education; and service-learning and multicultural education. Contents. Forward by Edward K.Y. Chen, President of Lingnan University 1995-2007. List of Contributors. Introduction: Service-learning in Asia by Jun Xing and Carol Hok Ka Ma. [The introduction covers the essense of the book.] Part I: Variations in Meaning and Forms. 1. Bringing Classrooms to Communities in Service-learning Programs by Charn Mayot, Assumption University. [This article provides an introduction to "service-learning".] 2. An Appreciation of Cross-cultural Differences through International Service-learning at International Christian University, Japan, by Yutaka Sato, Florence McCarthy, Mutsuko Murakami, Takashi Nishio, and Kano Yamamoto. [This article tells us a short history and the structure of service-learning program at International Christian University.] 3. Building Students’ Total Learning Experience through Integrating Service-learning into the Teacher Education Curriculum by Kwok Hung Lai. 4. Service-learning Models in the Asia-Pacific Region and Lady Doak College by J. Chithra and Helen Mary Jacqueline. Part II: Case Studies. 5. The Community-based Instruction Program at Hong Kong Baptist University by John H. Powers. [Quote: The principle behind service-learning is that students' knowledge is enhanced by putting it into practice within the community to help accomplish socially meaningful results. In contrast, problem-based learning was defined as a teaching method that builds the instructional process around one or more complex problems that the course content may be used to solve.] 6. How Actions Can Become Learning: The Cross-cultural Effectiveness of Service-learning in Asia by Jens Mueller and Dennis Lee. 7. Intercultural Service-learning and Multicultural Symbiosis by Enrique G. Oracion, Silliman University. [A reoport on International Service-Learning Model Program in 2006 at Silliman University] 8. Service-learning in University Curricula: A Case Study at Fu Jen Catholic University by Jen-Chi Yen and Bai-Chuan Yang. 9. International Service-learning: A Singapore Experience by Dennis Lee. 10. A Cross-cultural Service-learning Program Model: W.T. Chan Fellowships Program by Jane Szutu Permaul. [A report on the program run by Zhongshan University and Lingnan University sending 8 students to University of Calfornia at Berkeley and Los Angeles] Table of Contents, List of Contributors and Introduction is avaible as preview.
(2018.8.3)
- 「『維新革命』への道 『文明』を求めた十九世紀日本」苅部直著、新潮社(ISBN978-4-10-603803-7, 2017.5.25)
「明治維新で文明開化が始まったのではない。すでに江戸後期に日本近代はその萌芽を迎えていたのだ。」と裏表紙にある。サミュエル・P・ハチントンの「諸文明の衝突?("The Clash of Civilization?" Foreign Affairs, Summer 1993)」から始めて、明治維新を理解する「和魂洋才」と「民衆不在」の二つの罠(p.26)について説く。この分野は勉強したことがないが、おそらく意欲作なのだろう。興味深かったのは「維新」は「復古 Restoration」か「革命 Revolution」かを、西洋での受け止め方と、日本における理解とを対照させた点。「文明」と「開化」の言葉の語源と意味、儒学は「堯舜三代」や文王など、過去の名君を理想の統治者とし、西洋の将来の理想を追う進歩と比較している点である。「江戸後期にすでに日本近代は萌芽を迎えていた」というのであれば、この書を読む限り、徳川吉宗の享保の改革で1720年に「中国から長崎を通じてもたらされる漢訳洋書について、キリスト教と関係のないものについては輸入を解禁する措置をとった」(p.133)ことと、このあと、米の生産量も増え、商業が振興するなかで、学問を学びたいという意欲が一般の人にも広がり、広く学ばれたことが鍵であると思った。懐徳堂、山片蟠桃、Rutherford Alcock「大君の都ー幕末日本滞在記」に興味を持った。本人も「研究の中間報告」(p.272)としているが、論理的には、粗い部分が多く感じられる。以下は備忘録「『理想の文明』はどこにあるか。西洋近代の歴史観では、人類が無限に進歩した先にあると信じた。しかし儒学の歴史観では、中国古代の『先王の道』にあると考えていた。歴史観の相克は、どう解決されたのか。」(p.75)「儒学思想を根源とする『貧しい百姓』というイメージと、反商業主義が流布していた江戸時代。しかし一方で、町人の世界では市場を通じた商業活動を肯定する『経世済民』の思想が芽生えつつあった。」(p.113)「過ぎ去った『封建社会』の残存物としての『士族』を『廃物』と罵倒し、その価値を認めない蘇峰のことを、(中江)兆民は『静恬(てん)なる傍観者』と批判する。そのように『進化神』の法則をただ適用するだけで済ませる態度が、兆民には許せない。過ぎ去った歴史を振り返り、現在の世の中を眺めながら、登場人物としての他人たちとともに憤り、泣く。そうした心情の活発な動きを通じてこそ、社会を本当に『進歩』させる構想が、我々の精神『吾人の脳中』に浮かれてくるのではないか。兆民はそう批判した。」(pp.268-9)最後の文章は、サービス・ラーニングに通じる。著者の専門である「思想史」の研究手法に通じる要素があるのかもしれない。
(2018.8.7)
- 「高俊明詩集 瞑想の森」高俊明著、医学出版社(2018.2.9)
著者は1929年台湾で生まれる。台南神学院卒業、(山地族など原住民のための)玉山神学院院長13年、台湾基督長老教会幹事18年、4年3ヶ月台湾の人権運動のために入獄、台湾と世界各地で伝道、夫人高李麗珍との間に一男二女。一老人の死:身もとに残したのは八十二円と十銭(中略)人の眼にはいやしい者、神の眼には貴い宝、人の眼にはあわれなもの、神の眼にはさちあるもの(p.20)ひきさかないでください:イエスはささやいた、私はあなたがたのものです、私をひきさかないでください、私を四つざき(天主教・ギリシャ正教・プロテスタント・無教会)にしないで下さい、あの凄惨な十字架の苦杯を最後まで飲みほした私ではあるけれども、あなたがたの残酷な四つざきには、堪えられないのです。(p.96)百合は百合らしく:迷信化したからプロテスタントに!形式かしたから無教会になりたい!よくけんかわかれするからカトリックになりたい!などと考えてはいけない。雄々しく担うのですその罪となやみを!責め且つあげつらうのです愛するが故に!ひきさかれるまで戦うのですその場で!(p.106)サボテンと毛虫(p.111)美しい日本に(p.113)最後に「台湾に光を」が掲載されている。おそらくここにすべてが詰まっている。それは、ネットには掲載できないのかもしれない。台湾に光を:愛、それは結婚と友情を通して台湾の住民、つまり高砂族、台湾人、大陸人、客家のひとたちを、美しく調和した一つの民族に、織り上げる。(p.154)
(2018.8.8)
- 「分かちあう心の進化」松沢哲郎著、岩波科学ライブラリー 273(ISBN978-4-00-029674-8, 2018.6.14)
著者は霊長類学者で、チンパンジーの研究を中心にすえアイ・プロジェクトを行っている。比較認知科学の紹介、また、化石には残らない、こころの進化の研究とも著者はいう。類人猿を名前でよび、男性、女性について語る著者からは、類人猿たちへの敬意と表現してもよいほどの、愛情を強く感じ、研究手法にも、共感をもつ。以下は備忘録「すべての生命は進化を通してつながっている。人の心の何が特別で、どんな道すじで今あるような人の心が生まれたのかを知るために、人間にもっとも近いチンパンジー、ボノボに始まり、ゴリラ、オランウータン、霊長類、哺乳類... と比較の輪を広げていこう。そこから見えてきた言語や芸術の本質、暴力の起源、そして愛とは。」(裏表紙より)「チンパンジーと人間のゲノムは98.9パーセント同じ。」(iii)「ヒト科4属:ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン」(p.11)「チンパンジー:1.人間の子どもと発達過程が似ている。2.人間と同じように育てても、人間のことばを話すようにはならない。3. 大きくなると『粗暴』になり、家庭では育てられない。」(p.22)「チンパンジーはおよそ50年人生きます。人間一般の平均寿命が75歳として、1.5倍するとつりあう人生です。」(p.60)「SAGA:アフリカ・アジアに生きる大型類人猿を支援する集い」(p.73)「SAGA:1. 彼らの自然の暮らしを守る。2. 飼育下の暮らしをより良いものにする。3. 侵襲的(不可逆的ダメージを与える)実験を廃止し、人間の理解を深める研究を推進する。(中略)人間でできないことをチンパンジーにしてはいけません。隣人です。絶滅危惧種です。」(p.74)「利他性(altruistic)こそが人間を特徴付けている」(p.113)「互恵性の成立が難しい」(p.125)「文化:世代を超えて集団に引き継がれる知識や技術や価値」(p.138-9)「言語の本質:経験を分かち合う」(p.158) 「餌付けは、食べ物を与えることで人にならします。それに対して、まったく食べ物は使わずに、ただ人の存在にならす方法を人付けと呼びます。このほうが時間こそかかりますが、自然な姿を見ることができます。」(p.178)「人間はチンパンジーとボノボのキメラ(共通祖先:700万年前・100万年前)」(p.188)「(チンパンジーに想像する力がないとか、未来を予測しないと言うわけではないが)『想像するちから』が人間をして人間たらしめている。希望を持ち、互いを思いやり、心に愛が生まれる。」(p.191)
(2018.8.11)
- 「東京バプテスト教会のダイナミズム 日本唯一のメガ・インターナショナル・チャーチが成長し続ける理由(わけ)」渡辺聡著、YOBEL,Inc.(ISBN978-4-946565-43-4, 2010.8.25)
東京都渋谷区にある国際教会の内部からのレポートである。2000年ごろには300人程度の教会だったが、2009年時点で1300人程度が5回の礼拝に集っているとされている。約半数が日本人で残りの半数は世界中から集っているという。知人も知り合いの学生も通っている教会である。アメリカでいくつかのメガ・チャーチを訪ねた。その経験もあり、個人的には、メガ・チャーチといわれる教会、その宣教とは距離をとっているが、学ばせていただきたいとは思っているので、今回、手にとった。簡単に、なぜ距離をとっているかについて書いておくと、神様の御心または真理を、自分は得ていないと考えていること、それゆえに、他者と接するとき、一人ひとりの尊厳(神様の作品、愛しておられる存在)をたいせつにすることは、自分が信じていることを直接的に伝えることではなく、愛を持って互いに仕え合い、ともに生きる道を模索する営みだと考えているからである。この本を読んで、わたしの現在の信仰とはかなり異なること、しかし、多くの学ぶことがあること、すなわち、わたしにはわからないことがよりたくさん見えてきたことを記しておく。以下は備忘録「生きる目的:あなたのクリスチャンライフの目標はキリストのようになること」(p.36)「永遠のいのちとは、永久に生きることではありません。永遠のいのちとは、神を知ることです。永久に生きることは、イエス・キリストによって神をしることの結果に過ぎません。」(p.38)「好きな音楽のことばかり考えていた時、私は実際には神を礼拝するというより、むしろ礼拝していたのです。」(p.61)「ある教会(多少批判的に):おにぎりをホームレスに差し出す時、彼らを驚かせないように目線に目をあわせて自分もしゃがみこむこと。決して自分がクリスチャンであると自己紹介したり、キリストを信じなさいなどと強制しないこと。なぜなら食べ物を持っているという高い立場から福音を語ることは、ホームレスの人たちに対して傲慢な態度であるから。」(p.75)「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(ペテロ一2:9 新改訳)」(p.81)「クリスチャンは自分の罪が神によって赦されていることを知っている罪人であるという点である。(中略)クリスチャンになると、複数形の罪が自分と無関係なものになってしまうというわけではない。だから神はクリスチャンに、残された人生を一生かけて成長し続けるように求めているのだ。」(p.103)「SHAPE:Spritual Gift, Heart, Ability, Personality, Experience」(p.122) 他にも 101, 102, 103, 104 と呼ばれる学びが準備されている。
(2018.8.13)
- 「人生で一番知りたかったこと ビッグクロスの時代へ」高橋佳子著、三宝出版社(ISBN4-87928-041-0, 2003.5.8)
この本をはじめとして、友人から合計で5冊の同著者の本を頂いた。そのうち、この一冊のみを読んだ。著者は宗教法人GLA(God Light Association の略とある)を主宰し、各種、TL(トータルライフ)人間学(魂の学)を提唱しセミナーなどで講演をしている。本書の印象は、著者が求めて、理解したり、示されたとしていることを、丁寧に書いているということである。普遍的な問は含まれているが、全体としての普遍性には疑問を持つ。現代の世界の問題はわたしには、もっとずっと複雑に思われる。むろん、わたしが、答えを持っているわけではない。問自身や答えを求めて日々生きていきたいと願い考え行動しているが。表題にかけるなら、人生で一番知りたいことがなにかという問からも、わたしはまだはるかに遠い場所にいるように思われる。そのぐらいにしておこう。
(2018.8.13)
- 「みんなで学ぼう その人を中心にした認知症ケア」長谷川和夫・中村考一共著、ぱーそん書房(ISBN978-4-907095-33-8, 2016.5.8)
"Person Centered" による認知症ケアに関する小冊子。長谷川氏が主として書いているのは、最初の序文と、項目に時々現れるコメントのみ。42項目の問題行動について「原因を考えてみましょう」「ケアのコツ」そして「寄り添う視点」が書かれている。基本的な考え方以外は、実際の原因は個人個人異なり、不明なことが多いので、記述に重複が多い。以下は備忘録。「認知症の人が求めていること:1.なぐさめ(安定性)2.愛着(きずな)3.帰属意識(仲間に入りたい)4.たずさわること(役割意識)5.その人らしさ(物語性)("Dementia reconsidered -- person comes first" by Kidwood 1997)」(pp.3,4)「認知症ケアとは、自分の人生の時間の一部を、それを必要としている人のために自分を磨きながら使うという素晴らしい仕事だと思う」(p.4)「何かに注意を向けて集中し続けることが難しくなる場合がある。」(p.5)「譫(せん)妄:脱水や薬の影響などで起こる意識の障害」(p.16)「From Hasegawa:1.認知症の人をだます。2.急がせる。3.行っていることを止めさせる。4.放任する。5.できることなのにさせない。6.その人の心の体験を認めない。これらは、認知症ケアの大切な中核を損なうものです。」(p.51)「悪性の社会心理:だます、できることをさせない、子ども扱い、脅かす、レッテルを貼る、汚名を着せる、急がせる、主観的現実を認めない、仲間はずれ、もの扱い、無視、無理強い、放任、非難、中断、からかう、軽蔑」(pp.53,54)「社会的に不適切とみなされる行動について、抑制がきかなくなる場合があります。例えば、初対面の相手に対して『笑顔が気持ち悪いね』『太っているね』などの発言をしたり、万引きや信号無視といった行動も見られます。これは前頭側頭型認知症の症状であり、本人の人間性や性格の問題ではありません。」(p.79)「パーソンセンタードケアの『パーソン』は、認知症介護にかかわる全員のことを指します。関係者全員の負担を公平に軽減することを考えることが大切です。」(p.86)「身体拘束は、事態が差し迫っているときに(切迫性)、ほかに方法がない場合(非代替性)、終了の目処を定めた上で(一次性)あれば、実施が認められる場合がありますが、現在原則として認められていません。」(p.92)「虐待が疑われる場合には、市区町村を含めて対応を検討します。市区町村の責任であるからといって丸投げするのではなく、適切に連携を取りながら、解決を目指すべき事案で、虐待に至ってしまった家族介護者は非難されるべき対象ではなく、支援の対象になります。」(p.94)「From Hasegawa:人は生きている限り尊い存在です。人としてこの世に生まれたこと自体が奇蹟なのです。何億という人たちの中で誰もほかの人はもっていないユニークな自分史を抱えています。ここに人の尊厳性があるのです。」(p.98)
(2018.8.15)
- 「いま世界ではトヨタ生産方式がどのように進化しているのか!」中野冠著、日刊工業新聞社(ISBN978-4-526-07722-7, 2017.6.23)
「日本のものづくり」「トヨタ生産方式」「ひとづくり」に興味を持って、手にした。わたしの目的には合った本ではなかった。しかし、京都大学の数理工学から豊田中央研究所にはいり28年働き、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授として、世界の有名大学からも大学院生を受け入れ指導している著者から学ぶ点はあったように思う。最初の目的に合った本はまた探してみたい。以下は備忘録「理論的体系とは、本来、ある条件が満たされれば普遍的に成り立つことを論理的に説明することで得られるものです。トヨタ生産方式は、生産システムの基本に立脚しており、ある条件の下では十分に真実であると思いますので、論理的説明ができないとあきらめる必要はないはずです。」(p.9)「"Sustainable development is development that meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs." 持続可能な開発は、現在と将来のどちらも世代も妥協する必要があって、一方の世代だけに不幸を押しつけてはいけない。(Brundtland Report, 1987)」(p.34)「企業内の活動:顧客価値を 1. 付加、2.付加しないが必要、3.付加しない不必要、4.減ずる」(p.51)「トヨタ自動車の社員は金太郎飴:1.業績が向上しているため、従業員の忠誠心が保たれて会社の目標や考え方に同調する機運が醸成される。2.業務の目的や手段について『なぜ』とその理由を深く考える癖(なぜなぜ五回法)がついており、関係者で『なぜ』を深く考えて共通意識を作っている。」(p.53)「ジャストインタイム(在庫を減らす):需要変動、平準化が達成されていないこと、トラブル時の柔軟性の欠如、不良品や廃棄、期日を守らないサプライヤー、配送のゆらぎ、にすぐ気づくことができる。」(p.76)「ある歯科医の治療時間は平均12分の指数(ポアッソン)分布、患者の到着時間間隔は、平均15分の指数分布とする。1.医院にいる患者の平均人数(4)2.医師が暇である確率(0.2)3.患者が医院内で過ごす平均時間(60分)一定値なら、1.0.8、2.0.2、3.12分」(p.111)「日本で働きたい理由:安全・自然が美しい・歴史資産が豊富・食べ物もおいしい。海外のひとで日本で働きたくない理由:長時間労働・若者にとって少ない給与・英語ができる人が少ない・日本人しか昇進できない。」(p.137)「ブラックスワン:輸出の多いものづくり企業は為替が低い方がよい?(スイス)充実した社会保障は財政破綻を招く?(フィンランド)原発コスト?金利が低いと景気がよくなる?大学生の就職活動を在学中に行うのは誰にとっていいこと?」(pp.183, 184)
(2018.8.18)
- 「人間性尊重のモノづくりを極める トヨタ式人財づくり」トヨタ生産方式を考える会編、日刊工業新聞社(ISBN978-4-526-05925-4, 2007.7.31)
トヨタ式カイゼンと言われているものは、日本の文化的背景のもので、特殊な状況下の最適解を求めたものなのか、それとも、普遍的なものが読み取れるのかを考えながら読んでみた。Community Development の要素が強いと思うが、普遍性が高いものとして移植できるかは、もう少し考えたい。そのためにも備忘録を残す。「ムダは自分が向上しようと思っていないと見えない:危機感を持続し、徹底したムダ取りで向上心を養う」(p.16)「7つのムダ:つくり過ぎ、手持ち、運搬、加工そのもの、在庫、動作、不良を作る、さらに、工数、スペース、材料、産業廃棄物発生、情報」(p.17,p.20)「品質管理で活用される5W1Hの5Wを全部Whyでやってみて最後にH(どうしたら)でやりなさいということだ」(p.18)「1. 問題点を顕在化させ(見える化して) 2. 徹底したカイゼンで問題を潰していく」(p.26)「7つの習慣:1. 話をよく聞く、2. 事実に基づく(現地・現物主義) 3. 何が問題か考え、4. お互いに相談し、5. 徹底的に勝つための知恵を出し、6. まずはやってみる、7. 励まし、さらに提案する」(p.27)「俺だって無い知恵をふりしぼって教えているんだ。君も無い腕を出せ。(夏目漱石)」(p.28)「現場改善と人間性尊重:人は『価値ある仕事』をしなければならない(徹底的なムダ排除)」(p.36)「コミュニケーション:1. オープン:異質性の受容、2. フェア:聴く耳をもつ文化」(p.38)「基本的な『ものの見方、考え方』を教え、体験を通して人材育成する」(p.60)「事務・間接部門のスリム化:1. 業務の割合順に並べ優先順位、2. 仕事かムダか、3. ムダを徹底的に無くす、4. 仕事の目的を徹底追求、5. 改善と目標設定」(p.78)「報告相手は2段階上の上司」(p.104)「乏しきを分かつ」(p.108)「労使の決意:1. グローバルな企業として、世界経済発展に寄与し、国際社会に貢献する 2. 労使関係は相互信頼と相互責任を基盤にする 3. 日本全体を視野に入れ、働くものの真に豊かな社会・生活を実現する」(p.110)「能力開発:OJT(業務遂行) Off-JT(集合教育) 自主的活動」(p.115)「組織能力・風土:1. 現場をまとめあげる能力、2. 迅速かつ正確に問題を発見し解決する能力、3. 組織全体として学習し進化していく能力」(p.118)「1にユーザー、2にディーラー、3にメーカー」(p.121)「最も強いものでもない、最も賢いものでもない、変われる者のみが生き残る(ダーウィン)」(p.129)「パラダイムを変えるには:変化に対応できる企業風土づくりへの挑戦、違う分野から来た経験豊かな人(アウトサイダー)の活用」(p.129)「独自理論:動くと働く、自動化と自働化、なぜを5回繰り返せ、原因と真因、目で見る管理、省人化と少人化、7つのムダ、稼働率と可(べき)動率、作業改善から設備改善、ゼロを一つとって発想しろ、人は苦しまなければ良い知恵は出ない、早すぎるのはダメ、部下は頑張らせるな、上司のいうとおりにするやつはバカだ、答えは部下に見つけさせる、現地・現物、不良はみんなのみえるところに、言い訳を考える頭で実行を考えろ」(p.138)
(2018.8.22)
- 「こどのも貧困 日本の不公平を考える」阿部彩、岩波新書1157(ISBN978-4-00-431157-7, 2008.11.20)
著者は、Massatusette Institute of Technology 卒業、Tafts University フレッチャー法律外交大学院修士・博士、国際連合、海外経済協力基金を経て、現在、国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部長。サービス活動に関わっていると「こどもの貧困」は大きなテーマである。しかし、サービス・ラーニングで学生の大学での学びとの関連づけを経験してもらうためには、ぜひ、このような本も読んでほしいと願っていたが、次女が政治学のテキストで読んだと家にあったため、読むことにした。「筆者は、児童福祉関係者でもなければ『貧しいこども』に日々接しているわけではない。そのため、現場における一人一人具体的なこどものケースや描写を本書に含めることはできない。本書の目的は、日本の子どもの貧困について、できるだけ客観的なデータを読者に提供することである。データは、政治を動かす上でパワフルなツールである。これらのデータを精査しながら『日本の子どもについて、社会が許すべきでない生活水準=こどもの貧困』が何であるかを、読者と共に考えていきたい。」(vi)とはいえ、アンケートによる質的調査での自由記述結果も含む。相補的で、適切な本である。以下は備忘録「岩田:貧困家庭の子育ちは、単にお金が不足することだけではなく、子どもたちの家庭環境や生活経験などの違いとなって現れてくる。」(pp.14-15)「貧困と成長を繋ぐ経路は、一つではなく複合的であり、貧困世帯のさまざまな側面を反映している。」(p.29)「underclass 論:継承は、親からうけつがれる資質による」(p.33)「母親の就労率が非常に高いにもかかわらず、経済状況が厳しく、政府やこどもの父親からの援助も少ない」(p.109)「最初は何もないところから始めて、がむしゃらに働くんですね。でもそうやってがむしゃらに働いていると、だいたい五年目くらいで、体が壊れてしまうんですよね」(p.136)「保育所の目的:保育に欠けている乳児または幼児を保育すること(児童福祉法第39条)」(p.163)「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家および社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする(教育基本法第5条2項)」(p.164)「相対的剥奪(relative deprivation):人々が社会で通常手にいれることができる栄養、衣服、住宅、住居環境、就労、環境面や地理的な条件についての物的な標準にこと欠いていたり、一般に経験されているか享受されている雇用、職業、教育、リクリエーション、家族での活動、社会活動や社会関係に参加できない、ないしはアクセスできない。調査:合意基準アプローチ」(p.181)「『教育・機会の平等』が支持されない社会」(p.210)「UNICEF Well-being 1. 物品的充足、2. 健康と安全、3. 教育、4. 家族と友達、5. 行動とリスク、6. 子ども自身の生活の満足度」(p.212)「CPAG:こどもの貧困ゼロ社会への10のステップ」(p.220)「現役世代の中でも、子どもを育てていたり、貧困線を下回る生活をしている世帯に対しては、せめて、負担が給付を上回ることがないように、税制、公的年金、公的医療保険、介護保険、生活保護を含めたすべての社会保障制度で考慮すべきである。」(p.222)
(2018.8.24)
- 「聖書の全体像がわかる 神の大いなる物語」ヴォーン・ロバーツ著、山崎ランサム和彦訳、いのちのことば社(ISBN978-4-254-03482-7, 2016.7.10)
"God's Big Picture: Tracing the Storyline of the Bible" by Vaughan Roberts の翻訳。訳者を個人的に知っていることもあり、いつか読もうと考えており、積んであったので、旅行中に読んだ。「聖書の内容を一つにまとめる最も重要な主題が一つあります。それは、イエス・キリストを通して神が提供される救いです。」(p.23)「神の言葉=聖書が一人の著者」として統一的に見る見方は、今のわたしの聖書理解の立場ではないが、宗教の聖典とするとき、このことから逃れることが困難であることも、理解はしている。以下は備忘録「神の国 神の民が神の場所で、神の支配と祝福のもとにあること」(p.31)「1. The patern of the, 2. The perished, 3. The promised, 4. The partial, 5. The prophesied, 6. the present, 7. The proclaimed, 8. The perfected kingdom」(p.33)「『善悪の知識』とは、単に何がよいことで何が悪いことかを知ることを指しているのでは無く、何が善で何が悪であるかを決定することを意味しているのです。」(p.57)「ひとたび神との垂直方向の関係が壊されてしまうと、人間同士の水平方向の関係も壊されてしまうのは避けられないことです。」(p.61)「たとえばエゼキエル書の内容が二十世紀の中東で文字通りに成就されるのを期待することは、これからの偉大な確信がすでにキリストにおいて現実的かつ最終的に成就された事実を無視した、短絡的な考え方である。それはまるで、すでに自動車が届けられているのに、まだ馬を受け取ることを期待しているようなものである。」(p.169)人は単純な理解に魅力を感じるのだろう。
(2018.8.27)
- 「解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡」加藤和也著、日本評論社(ISBN4-535-78223-7, 1995.10.15)
1993年6月23日に、プリンストン大学のA.ワイルスが、フェルマーの最終定理の証明を宣言し、その後、証明の不備が見つかり、1年以上に苦考の末、1994年9月19日にその修正に成功したこの期間に、著者が証明の解説として数学セミナー読者向けに書いたものを集めたものである。厳密性はないが、極力丁寧に、正確に伝えようとする、著者の誠実さと、理解の深さが伝わってくる。原論文の 1. A. Wiles; Modular elliptic curves and Fermat's last theorem, 2. R. Taylor, A. Wiles; Ring theoretic properties of certain Heck algebras にも、整数論にも、非常に惹きつけられる内容だった。購入時にも読んだと思われるが、詳しく覚えていないところをみると、理解しようとはしていなかったのかもしれない。むろん、今回も十分な時間をかけて読んだとは言えないが。以下は備忘録「砂田利一『基本群とラプラシアン、幾何学における数論的方法』」(p.37)「ワイルス『ぼくは、フライとリベットの結果を知ったとき、風景が変化したことに気がついた。(中略)この時まで、フェルマの最終定理は、何千年間もそのまま決して解かれることがなく数学がほとんど注目することがない数論の他の[散発的かつ趣味的な]ある種の問題と同じようなものに見えていた。フライとリベットの結果によって、フェルマの最終定理は、数学が無視することのできない重要な問題の結果という形に変貌したのだ。(中略)ぼくにとって、そのことは、この問題がやがて解かれるであろうと言うことを意味していた』」(p.67)「清水英夫著『保型関数I, II, III』、志村五郎著『Introduction to the theory of automorophic functions』、Knapp『Elliptic curves』、河田敬義著『数論I, II, III』、藤崎源二郎・森田康夫・山本芳彦著『数論への出発』、上野謙爾著『代数幾何学入門』、J.H.シルヴァーマン・J.テイト著(足立恒雄〔ほか〕訳)『楕円曲線論入門』」(p.123,4)「田口雄一郎さんの手紙に『Deligne さんの家はこの道の始まりのところ、森の入り口にあります。Deligne さんといへども、森羅万象の真理の最奥に至る道のほんの入口のところにゐるに過ぎないといふ、これは自然による卓抜な比喩であると思われます。ところが、恐ろしいことに彼の子供たちは毎日この道を通って森のむかうの学校に通ってゐるらしいのです。』とありました。フェルマーからの350年は大進歩でしたが、人類が続いてゆけば、それは今後何千年の数学の序曲であり、何段も何段も自然の深奥への新しい段階があることでしょう。」(p.239)「ガウス『どのように美しい天文学上の発見も、高等整数論が与える喜びには及ばない』ヒルベルト『数論には古くからの問題でありながら、今日も未解決のものが少なくない。その意味で、多くの神秘を蔵する分野であるが、他方、そこで展開される類体論のような、世にも美しい理論がある』」(p.245)「岩澤健吉『代数体と、有限体上の一変数関数体は、どこまでも似ていると信じてよい』」(p.246)「志村五郎は『整数論いたる所ゼータ関数あり』と述べたが今その言葉に『ゼータ関数のある所 岩澤理論あり』と続けて考えたい」(p.261)
(2018.8.29)
- 「ありがとうも ごめんなさいも いらない 森の民と暮らして 人類学者が考えたこと」奥野克巳著、亜紀書房(ISBN978-4-7505-1532-8, 2018.6.22)
著者は1962年生まれで、立教大学異文化コミュニケーション学部教授。人類学。ボルネオの狩猟採集民「プナン」でのフィールドワークから、自らの価値観を問い直し、ニーチェのことばを手がかりに「当たり前」をひっくり返していく、人類学を通しての知の探検のエッセイである。東南アジアの最初が、わたしも1970年に訪ねた、ボルネオ島のサマリンダであったことも、興味を惹かれた。ニーチェのことばの引用に興味を惹かれた。いつか、挑戦してみたい。以下は備忘録「フィヒテによれば、自我の反省理論は『自分と関係し、自分自身のうちへと向きを変えることによって、自分自身を認識する自我ー主体』について語ることであるらしい。」(p.45)「プナンは状況主義。その時々に起きている事柄を参照点として行動を決めるということをつねとしていて、万事うまくいくこともあれば、場合によっては、うまくいかないことも承知している。そのため、くよくよと後悔したり、それを反省へと段階を上げたりしても、何も始まらないことを良く知っているのである。」(pp.50-51)「伝達機能を持たないが、一体感を生み出すような社会的機能を持つ話し言葉を用いることを『交感言語使用』と呼ぶ。プナンには『おはよう』や『こんにちは』『元気ですか』『さようなら』といった定型句がない。つまり交感言語使用が殆どないのである。人々がずっと一緒に行動し、密に接して暮らしていると、一体感を生むために交わす言葉など殆ど必要ないのだと言えよう。」(p.86)「所有は、原理的に(1)他者による承認を前提とし(2)『私』であることと『排他的』であることの関係に関わる、人間的な概念である。(大庭)」(p.113)「(農耕以前の狩猟を生業とする社会では)すべての財産は、物質性をもたない『無』の領域から『有』の世界に、贈り物としてやってくる。だからその出現も、喪失も、神と人とのあいだのデリケートな関係に左右された。すべてが変化しやすく繊細で、壊れやすく、安定した財産は少ないかわりに、人間には自然にたいする、深い倫理観が成長できた。(中沢新一)」(p.118)「プナンの社会では、実の子であれ他人の子であれ、親とのあいだに結ばれるのが、親子の関係に他ならない。」(p.159)「プナンのアロペアレンティングを駆動させているのは、むしろ、養子を所有することによって逆説的に、個人的な所有への本能を緩める力なのでは無いだろうか。」(p.160)「森の中では、掛け算や割り算は役に立たないし、英語を身につけても使う機会がない。学校教育では、若者の頭脳には、生の直接的直感からではなく、過去の間接的知識から抽象された莫大な数の概念が詰め込まれていく。」(p.170)「森本斎は『アナキズム入門』の中で、思想家・鶴見俊輔の言葉を引きながら、アナキズムを、権力による強制なしに人間が助け合って生きてゆくことを理想とする思想である定義している。」(p.185)「西プナン、共同所有、貸す・借りるということばがない、(ありがとうのかわりに)よい心がけだ」(p.191)「寛大な贈与精神の最も重要な体現者が『大きな男(lake jau)』共同体の中で最もみすぼらしいなりをした男こそがそのグループのアドホックなリーダーなのである。」(p.194)「エゴイズムというものは感情のもつ遠近的法則だ。これによれば、近いものが大きく、また重要に見えるし、その反対に、遠くなるにつれてすべての事物の大きさと重さとが減ってゆく。(ニーチェ『悦ばしき知識』)」(p.317)
(2018.9.2)
- 「AI時代に『頭がいい』とはどういうことか」米山公啓著、青春出版社(ISBN978-4-413-04550-6, 2018.8.15)
興味のあるトピックの新刊だったので、読んだが、正直、著者(作家・医学博士、脳神経内科)はAIの最近の状況についてなにも勉強しないで書いているようだ。それでも、脳神経内科の知識などが得られるかと思い、読み進めたが、残念ながら、あまり益はなかった。一応、以下は備忘録。「私たちはどうしても自分がいる世界でしか人の能力の価値判断ができません。つまり、『頭がいい』という評価がどうしても偏ったものになりがちなのです。」(p.4)「機械自らが、何らかの目的を持って、まったく新しいものを作り出すということが起きない限り、AIが人間の知性をはるかに超えていくことはないであろう。それまではAIと人間はうまく共存していけるはずだ。」(p.19)「患者が持つ内面的な問題までAIは踏み込めない。顔の表情だけでは人の内面は読み切れないだろうし、逆に患者さんの立場からしても、機械相手では本気で自分の悩みを打ち明けないだろう。つまり、医療の世界ではそういった心の問題などもあり、まだまだAIだけにすべてを任せることはできない。」(p.22)「天才はなすべきことをなし、才人はなしうることをなす(E.B.リットン)」(p.36)「天才とは異常なる忍耐者をいう(トルストイ)」(p.86)「賢い人間は、愚者が賢者から学ぶよりも多くのことを愚者から学び取る(大カトー)」(p.136)「知能:1. 言語的能力、2. 論理数学能力、3. 音楽能力、4. 空間的能力、5. 身体運動能力、6. 対人的能力(他人の気持ちを推測して察知)、7. 個人内の能力(自分の気持ちを認識し、行動をコントロールできる能力)、自然界のものを認識・分類する能力(H.ガードナー)」(p.143)
(2018.9.14)
- 「交わりの宗教 ヨハネ書翰講釈」松村克己著、西村書店(昭和二十二年十二月二十日)
ヨハネの手紙一・二・三を聖書の会で学んだときに、少しずつ読み進めた。他に注解書を6冊ほど最初は借りたが、結局、基本的な聖書注解で情報を確認する以外は、この書のみが残った。キリスト教神学からの解釈から聖書の一巻を読む姿勢は、変わらないため、講釈に本質的に同意できるとは言えないが、交わりの宗教として、そこに本質を見定めようとして、そこから、解釈しようとする、著者の一環した読み方に、しばしば目を開かれる思いがした。日高善一、山谷省吾両先生にささぐととびらにあり、石原謙文庫の印が押されている。「基督教の本質・特徴は何であろうか。色々の方面から色々にこれを規定することが出来ようが、わたしは『交わりの宗教』としてこれをいひ表はすことができると思ふ。基督教は愛の宗教と言はれる。がその愛とは交りにおける愛に他ならぬ。神と人との間の交り、それによって開かれ、また固くされる人と人との間の交り、愛の共同としての結合、それが基督教の真髄だと思う。そして、この両面の交りを同時に成立たしめ可能にするものがイエス・キリストである。基督教信仰は所詮イエス・キリストにおける交りとして現実となり、彼との交りのうちに生きる。これは私の二十余年に亘る信仰の生活と基督教に関する学問とを通して確かめられた単純な真理である。」(はしがき)一気に読んでわけでは無く、十分理解はできていないが、このような古い書物から、学びを得ることができたことは、喜びでもあった。
(2018.12.10)
- 「アリになった数学者」森田真生・文、脇坂克二・絵、福音館書店(ISBN978-4-8340-8434-4, 2018.10.5)
絵本ではあるが、子どもがどのように受け取るのかは不明である。プレゼントして頂いたので、数学者として読ませていただいた。「『数』や『図形』は、からだや星とちがって、この宇宙のどこを探してもない。3本のペンとか、3匹の羊ならあっても、『3そのもの』はどこにもない。『このあいだほんものの3を見てきたけど、思ったよりも小ぶりで青かった!』なんて話は聞いたことがないはずだ」「数学者は、存在しないものについて研究しているのだ。」「存在しないものに興味があるのは、数学者だけではない。だれだって友達の笑顔を見たらうれしくなるし、落ち込んでいる人を見たら悲しくなる。このひとはいまうれしいとか、この子はいま悲しいとか、そういうことがわかるはずだ。では、喜びや悲しみ『そのもの』はどこにあるのか。」「数学のいいところは、国を超えて、人種を越えて、世界中の人と通じ合うことである。」「数学は、人間どおしであれば、だれにでも通じるのである。でも、この地上の生きもののほとんどは、人間ではない。その人間ではない生きものたちに、果たして数学は通じるのか。」「『だれにでもつうじるはずだ』とぼくが信じていた数学のことばは、アリには少しも伝わらないのだ。数のない世界。数学の通じないくらし。それがアリの日常なのだ。」「わたしはここで、朝の露をかぞえていたのよ。今朝数えただけでも三万五千六百七十一の露・・・」「あなたにはそれが、みえるんですか?」「見えるというより、じっと耳を澄ませて聞くの。音で、味で、あるいはにおいで、あらゆる感覚で、露のことばを聴きわけるのよ」「わたしたちにとっての数は、人間の知っている数とはちがう。わたしたちにとって数には、色や輝きや動きがあるの。」「昨日も雨が降るまえに、アリたちはいち早くそれを察知していた。人間が膨大な計算をしても外れることがある天気予報とはちがうしかたで、アリたちは未来を正確に『計算』していた。その計算を支えていたのは、人間の知っている数とはまったくちがう種類の『数』だった。」「人間が知っている数もいまだに変化し続けている」「『うごいて生きている数』ということばが人間にもわかる日がくるかもしれない。」ほんの一部をとりだしたが。安野光雅氏が帯に書いているように「この本は、数学の核心にしっかり触れたとても美しい『絵本』なのです。」上手に数学のひとつの本質が表現されている。
(2018.12.23)
- 「バルト自伝」カール・バルト、佐藤敏夫編訳、新教出版社(新教新書279)(ISBN978-4-400-834050-8, 2018.4.30)
1939年「クリスチャン・センチュリー」誌の企画で「最近十年間に私の心はいかに変化したか」(How My Mind Has Changed in the Last Decade)とのテーマで依頼された寄稿文である。ヨーロッパからはバルト一人、同じ企画に3回応じた文章が収録され、それに、含まれていない1939年以前のことと、背景を訳者がつけている。バルトは1886年5月10日生まれであるから、I.1939年(バルト42歳から52歳)、II.1949年(52歳から62歳)、III.1959年(62歳から72歳)、歴史的にも、ナチの台頭で、ミュンスターのあとに赴任したボンからバーゼルに戻った時代、戦中・戦後と、冷戦時代にわたっており興味深い。個人的にはIIIの冷戦時代のものが最も興味深い。教義学は、私がもっとも距離をとる分野であるが、その中に、自らを置いて、最大の貢献をし続けたバルトに敬意を表すると共に、そのすべての知的営みを冷静に行い、特に冷戦時代において、西側に単純に与しないで批判もつづけ、冷静に共産主義を批判し、そこにいるキリスト者との関係を大切にするバルトの姿勢と、それをなかなか理解できない世界状況に最も感銘をうけ、考えさせられた。以下は備忘録。「あなた方がすべてよくご存じのように、一方では人間の生の問題、他方では聖書の内容という二つのものの間にあって、正しい道を見出そうとつとめたのであった。」(13)「この新しい発展の積極的な面は次の点に存している。すなわち、キリスト教の教説は(中略)われわれ人間に語りかける、生ける神のことばとしてのイエス・キリストの教説であるということを、わたしはこの十年間に学ばねばならなかった。」(76,77)「何が危うくされたのか、また現在危うくされているのであるか。それは、単純に次のことである。すなわち、神はあらゆる神々の上にいまし、民族と社会のなかなる教会はどのような事情のもとでも国家と相対しつつ、聖書の中に定められている教会自身の課題、宣教、秩序をもつという真理に固執し、その真理をまったく新しい仕方で理解し、実践に移すことである。」(83)「事実私はずっと平和を好むようになり、人は結局その反対者と同じ舟に乗っているのだということをもっと容易に認めるようになり、また時には不当な攻撃をうけても自己防御のために敢えて乗り出そうとせず、他人を攻撃するにもそれほど熱心ではないということもあるようになった。『然り』ということが『否』ということよりも(それもまた重要なことであるにせよ)もっと重要であるように思われてきた。」(93)「私の好きな喫煙も健康によいので、私の賢明な医者から禁じられていない。」(p.115)「わたしは原理的な反共産主義を共産主義よりも悪であると考える。共産主義は歓迎されないものではあるが、その無作法も含めて、西側の発展の自然の結果であるという事実を、人は見逃すことができるであろうか。」(117)「さらに、われわれは、共産主義に対する絶対的な敵対関係を唯一の可能性として宣言し実践しようとすることによって、共産主義の影響下に苦しんでいる人々や、その脅威にさらされている人々を、共産主義の影響下に苦しんでいる人々の中のたった一人さえも、救助するのだなどと考えることができるであろうか。(中略)この『絶対的敵対』関係こそまさしく、今は亡き独裁者たちの典型的な発明品(またその遺産)であることを、そして『わたしたちのうちなるヒトラー』のみが原理的な反共産主義たりうるということを、われわれは忘れたのであろうか。」(p.118)「西側の新聞と文学は、非人間的なものに対いして、非人間的なものをもってする代わりに、東側の個人と諸関係をその弁証的現実において静かに観察して理解することによって、西側のほめそやされている人間性なるものを論証すべきだったと考える。」(121)「モーツァルト音楽の黄金の音色と調べは、若い時代から、福音としてではないが福音において啓示された神の自由な恩寵の国の比喩として、私に語りかけてきた。このような音楽なしには、わたしは神学と政治の両方において個人的に私を動かしているもの、またここで二、三のことを述べようとしたこの十年間の生活をも考えることはできないであろう。カルヴァンとモーツアルトの像が同じ高さに並んで掲げられている神学の研究室はそうないだろう。」(135,136)
(2018.12.26)