Last Update: November 1, 2015
2015年読書記録
- 「傷付いた癒し人 - 苦悩する現代社会と牧会者」H.J.M ナウエン著、西垣二一・岸本和世訳、日本キリスト教団出版局 (1981.8.21, ISBN978-4-8184-2144-8)
以前からナウエンの本を読みたかったが、機会がなかった。しかし、この書名を見て、すぐ借りて読んだ。最近、ずっと考えていたイエス・キリストについての一つの表現がこのタイトル「傷付いた癒し人」にあまりに、ぴったりしていたからだ。正直に言うとナウエンの文章がしっくり来ない部分もあったが、以下に書く以外にも考えさせられる言葉が多かった。もう少し、ナウエンの本を読んで考えてみたい。以下は備忘録。「牧会的会話は、人びとを神の国へと送り込むために会話の技術を上手に操作することではなく、それは混乱の中にありながら、生の確固たる核に触れる道を見いだそうと求めている人に、自分自身の信仰と懐疑とを、自分の希望と失望とを、自分の光と闇とを提供する人間の深い出会いである。」(p.61), 「全人格をもって苦しむ状況に立ち入ることなしに、感情が害され傷つけられ、途中で殺されそうになる危険を犯すことなしに、人は他者を助けることは不可能であるという、基本的原理を再建する必要があるように思える。」(p.105), 「エリー・ヴィーゼルは、(中略)私たちの記憶が癒される必要があることを想起させ、またそうすることによって、より悲惨な状況を回避させようとしてそれらを思い起こさせるのである。」(p.148), 「良い思い出は(中略)目に見えるしるしによって表されるが、つらい思い出は、忘却の片隅で私たちから隠されたままになりがちである。この隠れた場所で、つらい思い出は癒されることからまぬがれて多くの害をもたらすのである」(p.152),「牧師の大きな使命は、人間の物語と神の物語とを不断に結びつけることである。」(p.155), 「癒すといことは、もともと痛みを取り去ることでなのではなく、私たちの痛みはより大きな痛みの一部であること、私たちの悲しみはより大きな悲しみの一部であること、私たちの経験は『キリストは必ず苦難を受けて、栄光に入るはずではなかったのか』(ルカ24:2)と言われたお方の大いなる経験の一部であることを明らかにする事である。」(p.156), 「もろもろの支配や権威(エペソ1:21)がとる戦略は、私たちをばらばらにし、神をおぼえることから切り離すことである。」(p.160), 「ボンヘッファーは『私たちと共に在り給う神は、私たちを見捨て給う神である(マルコ15:34)私たちは、神のみ前で、神なしに生きる』と記している。」(p.173), 「牧師は人々を元気づけるように召されているのではなく、痛みと試練のただ中において、新しい命のはじめの徴しが見いだされることを、また悲しみのさなかで喜びを経験できることを、謙遜な至聖で思い起こさせるように召されているのである。」(p.178), 「支持する想起者としての牧師について論じてきた中で、三つが主要点であった。第一は、わたしたちは不在と現存の絶えざる相互作用の中で、お互いに与え合うこと。第二に支持するミニストリーは、牧師が建設的に現存するだけではなく、建設的に不在であることを求めること。第三に、建設的不在は、祈りにおいて神とますます深く交わっていき、それをミニストリー全体の源泉とするように促されていることである。」(p.184)
(2015.5)
- 「かわいくて、わがままな弟」金澤絵里子著、講談社(2005.12.22. ISBN 978-4-06-213255-9)
「全身の筋肉がだんだん衰えていく難病筋ジストロフィーと闘いながら、つねに目標に向かって挑戦し続け世界に目を向けた国際基督教大学生の奮闘記」である。個人的な接点はないが、毎日のように見ていた。本は出版されてすぐいただいていたが、興味を持って読み始め、一晩で読み通した。「だいたい、死にそうで死なないのが僕なんよ。自分を守ることは憎たらしいぐらい上手なんよ」「ちゃっかり者の正和は21歳の生涯を行ききった」「私を正和の姉に生んでくれた母に感謝します。」「先に死ぬ人は何か残しなさい。私たちがそれを読んで、まーくんのいた生活を忘れないように。そしてそれを読んでずっと笑っていられるように。」として正和君が書いた原稿が元になっている。「マサの平和構築論賞」もできている。
(2015.6)
- 「群論入門 対称性をはかる数学」芳沢光雄著、講談社 BLUE BACKS B1917(2015.5.20. ISBN 978-4-06-257917-9)
著者から献本でいただいた。わたしと同年、分野も近く、数学教育に興味がある点でももっと交流したいと願っている一人である。このタイトルにぴったりの内容である。1.集合と写像とあみだくじ、2.置換群の導入、3.群の定義といろいろな例、4.いろいろな対象の自己同型群、5.群と置換群の基本的性質、オイラートラテン方陣。16パズルなど、結果はよく知られていても、証明までも丁寧に書かれている良書である。ただ、「群論入門」として閉じている感じがして、このあとどこへ向かうのかが、不明。教育書の難しさでもある。学修背景の多様性とともに、学修目的も多様である。そして、それに適した本に出会うのは難しい。春学期に群論を教えたが、その最後に勧めてみた。簡単に読め、かつ新しい発見も多いかなと考えて。
(2015.7.4)
- 「回勑 信仰の光」教皇フランシスコ著(FRANCISCI SUMMI PONTIFICIS)、カトリック中央協議会(2014.2.10. ISBN978-4-87750-179-2)
LITTERAE ENCYCLICAE, LUMEN FIDEI からの翻訳。教皇フランシスコの発言に興味を持って読んでみた。教皇は、学者であること、そして、確信をもって勧めをすることが教皇の仕事と感じた。残念ながらあまり波長は合わなかった。以下は備忘録。「若きニーチェ(1844-1900)は妹のエリザベートをこう招きます。危険を冒しなさい。『独り立ちでふらふらしながら……新しい道を進んでゆ』きなさいと。ニーチェは続けて言います。『ここで人間の歩む道は分かれるのだ。おまえがもし魂の安らぎと幸福を得ようと努めるのなら、信仰をもつがいい、もし真理の使徒であろうとするなら、探求するがいい』信仰と探求は相いれない。このことから出発して、ニーチェはキリスト教批判を展開することになります。」(p.7)「自律的な理性の光は、未来を十分照らすことができません。結局のところ、未来は依然として不明であり、人間は未知のものを畏れ続けます。こうして人間は偉大な光を、偉大な真理を探究するのをやめ、ささやかな光で満足しました。この光は短い瞬間輝きますが、道を示すことはできません。光のないところでは、すべては混乱し、善悪を区別することも、目的へと通じる道と、方向を失って堂々巡りに陥る道とを区別できません。」(p.8)「信仰は、未来の記憶である限りにおいて、希望と密接に結びついていることがわかります。」(p.14-15)「聖書の中で信仰は『エムナー』ということばで示されます。これは『アマン』という動詞に由来します。この動詞の語根の意味は『支える』です。『エムナー』ということばは、神の忠実と人間の忠実の両方を意味することができます。」(p.15)「アウグスチヌス(354-430)はそれをこう解説します。『人は神の真実を信じるとき忠実である。神は人間に約束したことを行うとき誠実である。』」(p.15)「信仰は、人が愛に開かれれば開かれるほど、その人の全体を造り変えます。」(p.39)
(2015.7.14)
- 「戦後70年 司教団メッセージ 平和を実現する人は幸い」カトリック中央協議会(2015.5.3)
戦後70年 司教団メッセージに、戦後60年 非暴力による平和への道と戦後50年 平和への決意を加えて合本にしたものである。7月19日国際基督教大学教会主日礼拝で北中晶子牧師が、1.教会は人間のいのちと尊厳に関する問題に沈黙できない、にある「二十世紀の前半、ヨーロッパを中心としたキリスト教会は、二つの世界大戦やナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺などを経験しました。これらの悲劇の反省から教会は、いわゆる宗教的な領域に閉じこもるのではなく、人類の問題を自分の問題として受け止めなければならないと自覚するようになりました。」を引用され、最近考えていたテーマと近いために、すぐ入手して読んでみた。戦後60年の文書には「人間の尊厳」の項で、世界人権宣言と日本国憲法も引用されており、さらに、戦後50年の文書には、1986年の白柳司教の日本の戦争責任に関する告白も掲載されている。カトリックのまとまりを感じると共に、「人類の問題を自分の問題として受け止め」ることにどの程度積極的に活動しているのか興味をもった。
(2015.7.20)
- 「平民の福音」山室軍平著、救世軍出版供給部(明治32年10月1日印刷、昭和48年2月1日510版発行, 300円)
救世軍の方とのおつきあいから10月に京橋中隊の120周年記念行事があると聞いて家内の書棚にあったこの本を手にとった。昔読んだかなと思っていたがそれは間違いだった。山室軍平は1872年(明治5年)生まれ、1940年(昭和15年)没。日本で最初の救世軍士官で、後に東洋人で最初の救世軍将官となり、1926年から日本軍国指令官。日本では救世軍の山室というより、山室の救世軍とも呼ばれるほど救世軍の活動に尽力。このことは、銀座教会牧師の渡辺善太氏が「山室軍平先生と『平民の福音』」の文として最後のページに含められている。現代文ではなく、かつ印刷も良くないため、それだけでかなり読みにくかった。タイトルが「平民の福音」となっているが、山室は貧しい農家の出身でまさに平民。矢嶋楫子(1833年生、湯浅初子・徳富蘇峰・徳冨蘆花の叔母、1879年受洗、女子学院初代院長)、新島襄(1843年生)、海老名弾正(1856生)、植村正久(1858年生、1874年受洗)、内村鑑三(1861年生、1878年受洗)、新渡戸稲造(1862年、1878年受洗)などと比較すると、若いが、他のキリスト教指導者が皆士族であったことを考えるとまさに平民のキリスト教指導者第一号といってもよいだろう。この「平民の福音」の内容も、非常に平易に例を多く交えて書かれている。510版を読んだが、何版まで刷られているのか不明だが、いまは絶版のようだ。現代語版の出版が待たれる。39ページから40ページには福沢諭吉に関する酒と煙草についてのエピソードも書かれている。
(2015.7.29)
- 「こんなに役立つ数学入門 - 高校数学で解く社会問題」広田照幸・河西琢也編、ちくま新書653(2007.4.10. ISBN 978-480-06358-8)
誰がどのように入手したか不明だが、我が家の書棚にあり、手にとって読んでみた。序論におわりににもあるように「この本は、『高校数学』が社会の中でどのように役立つかについて、みなさんに知っていただくことを意図しています。」となっている。はじめに - 高校数学が社会問題を解く:広田照幸、第1章 学歴社会の収入格差を考える:佐藤香、第2章 選挙における得票と議席:田辺国昭、第3章 格差社会を生むもの:上島康博、第4章 松枯れと闘う高校数学:鎌田直人、第5章 高校数学でわかる地震:平松良浩、第6章 環境問題を解く高校数学:川西琢也、あとがき、となっている。著者の熱意が感じられるだけでなく、それぞれの分野の専門家が話題を提供しており情報の信頼も高い。どれも興味をもったが、授業にすぐに生かせそうなのは、それと近いトピックまたは内容をこれまでも扱ってきた、積分の利用に関する、第1章(賃金構造基本調査による生涯賃金の計算)、第4章(マツノザイセンチュウを媒介するマツノマダラカミキリの発育限界温度との差の和、有効積算温度)および、地震に関する第5章だろうか。このような本(実際には、website の方が有効だろうが)が増える事が望ましい。数学者は、殆ど実際の数学の活用を知らない。しかし大学で数学を教えるのは、数学者である。また学ぶ者は、殆どが数学者とはならない。このねじれを緩和する努力が必要である。以下は備忘録。「数理的な手法による実証分析は(中略)複雑な現実の中から、確実に言える知見を引き出すための道具です。」(p.15)「高校の数学の先生方は、理学部の数学科とか教育学部の数学教員養成課程などを出た先生が多いようです。だから、数学が現実のさまざまな事象の考察に使われている様子をよく知らないまま教員になる人が少なくないように思われます。そういう出身の先生たちは、現実世界の具体的な問題を解くための数学ではなく、むしろ、純粋な数学の面白さに魅せられて勉強を深めていった人が多いのです。」(p.18-19)「ソメイヨシノの場合、立春からの最高気温の積算が540度くらいになると開花することがしられていいるので、これに基づく桜の開花予想を行っているのです。(要チェック)」(p.130)「リヒター博士は地震のマグニチュードを『震央からの距離が100キロメートルの地点に設置されたウッド・アンダーソン式地震計の記録紙上の最大振幅をマイクロメートル単位で測り、その常用対数をとったもの』と定義しました。」(p.145-146)「自然の中では小さな地震をたくさん起こして大地震のエネルギーを解消させるということは夢物語なのです。」(p.152)
(2015.8.2)
- 「入門UNIXシェルプログラミング ー シェルの基礎から学ぶUNIXの世界 [改訂第2版]」ブルース・ブリン(Bruce Blinn)著、山下和典訳、SoftBank Creative(1999.3.27, 2003.2.5. ISBN 4-7973-2194-6)
シェルには、コマンドインタプリターとしての機能と、スクリプト言語としての機能がある。本書ははじめににも書かれているように「UNIX の使い方だけがわかればいいというのではなくシェルプログラミングができるようになるまで」を目標として学ぶ人を対象に書かれている。夏休みに朝起き出す前に、ベッドで少しずつよみ、最後まで読み通した。この種類の本を、寝床で読むのは殆ど意味が無いとするのが常識である。そのことを否定しないが、それでも価値がある本だと感じた。それは、本書の底を流れる、異なる UNIX システムでも動くように、他の人が利用して改変するときにもしやすいようにという思想である。オープンソースや、フリーソフトなどは、非常に基本的な概念であるが、そのような枠組みのもとでプログラムが書かれていても、実際に特定の環境のもとでしか利用できない、または、理解しにくいプログラムでは、有効なリソースとしては、活用できない。ユニバーサリティ(普遍性)を支える配慮と、他の環境をつねに意識する精神であろうか、非常に感銘をうけた。コンピュータプログラムの解説書で、それまで深い思想に触れるとは、驚きでもあった。それが、必要に迫られてもいないのに、最後まで読み通した理由の一つでもあろう。もう一つの理由はあまりにレベルが低すぎで書くに忍びないが備忘録として書いておく。朝のひととき、元気ではあるが、頭がまだフルスピードでは活動していないときに、頭を働かせながら読む本として、適切であった。そのレベルの論理性として、活動の初めとして、脳の活性化にも役だったように思われる。夏は厚い本をゆっくり時間をかけて余裕をもっt読むことができる幸せな時でもある。
(2015.8.22)
- 「並木浩一著作集 1 ヨブ記の全体像」並木 浩一著、日本基督教団出版局(2013.9, ISBN-13 978-4818408654)
並木先生の専門書としては、私が読んだ一冊目である。著作集という名前に違和感を感じるが、これまでの研究の中心部分としてもよいものがこの書に入っていることは確かなのだろう。並木先生の広い学識が顕著で、いろいろと考えさせられるが、言語の分析などは、わからないので、おそらく主要な根拠なしに、上っ面をすくうことしかわたしにはできない。そうであっても、10回程度読まないと、私の能力で理解できるレベルにも達することができないと思われるほど、濃密である。第一部 ヨブ記の全体像を求めて、第二部 ヨブ記の主張と表現の特色、第三部 ヨブ記と取り組んだ人々、の三部構成になっている。全体のなかで最後の「ヨブ記と賀川豊彦」はかなりトーンが異なる。この部分は、学術書というより、賀川豊彦への献呈文とも言えるような文章である。賀川が関東大震災の前に準備し、その支援のためのテント生活の中で仕上げたヨブ記研究(『苦難に対する態度』警醒社書店、1924 年(T24)2 月 25 日発行、全 187 頁。35 歳。)に対する一文である。たしかに、賀川の檄文などに驚かされる。ノーベル文学賞の候補に日本人としてははじめてなったと最近報じられていたが、賀川はもっと読まれるべきなのだろう。わたしもぜひ挑戦してみたい。
(2015.10.2)
- Sage for Undergraduate, Gregory V. Bard, American Mathematical Society(2015. ISBN 978-1-4704-1111-4)
Open-Source である Freeの数式処理システム SageMathを大学での教育を目的とした活用のための情報をまとめた本という表現が正しいだろうか。活用のための、SageMath の解説と思い手に取ったが、その部分は意外と少ない。すべてていねいに読んだわけではないが、背景には、数学だけではなく、さまざまな分野での学生の研究プロジェクト支援をしてきた著者の広さを感じさせられる。日本の大学教育では殆どなされていない分野だろう。プロジェクトの例とともに、そこで必要な、Plotting など、いくつかのトピックについて解説されている。章は以下の通り。1. Welcome to Sage! 2. Fun Projects Using Sage 3. Advanced Plotting Techniques 4. Advanced Features of Sage 5. Programming in Sage and Python 6. Building Interactive Homepage with Sage このあとの Appendix も面白い。
(2015.10.11)
- 「科学者は戦争で何をしたか」益川敏英著、集英社新書0799(2015.8.17, ISBN-13 978-4-08-720799-6)
「ノーベル賞受賞の記念講演で『戦争』の話をしたのは、戦争体験を語れる最後の世代としての責務だからです」と始まる。記念講演で戦争について語ることへの批判を浴びたことなどから、ノーベル物理学賞受賞者の著者が、恩師の坂田昌一先生から受け継いだこととして、科学者の責任を書いている。非常なエネルギーを感じるが、科学者への提言という形にもなっておらず、本人の良心としての行動と、坂田先生の考えのみが書かれており、普遍的でも実際的でもないように思われる。科学はそれ自体は、良くも悪くもない。このことは、デゥアルユースからも見て取れる。どうしていけばよいのか。その提言が待たれる。以下は備忘録「科学者は科学者として学問を愛するより以前に、まず人間として人類を愛さなければならない」(p.19)「私は、科学というものは常に中性であると言っています」(p.25)「十九世紀のフランスの生化学者・細菌学のルイ・パスツールは『科学に国境はないが、科学者には祖国がある』」(p.43)「勉強だけでなく、社会的な問題も考えられるようにならないと、一人前の科学者ではない。(坂田先生の持論)」(p.69)「科学者には現象の背後に潜む本質を見抜く英知がなければならない」(p.115)「私が二五歳くらいの時です。アカデミックな議論が展開されている物理学会の席で、いきなり『ベトナムでの毒ガス使用反対!』と叫んで、毒ガス使用禁止の動議を堕したのです。騒然とした空気の中で、出席していたある先生が『若造、そんなこと学会のような席で言うべきじゃない』と、きつい調子で私をたしなめました。私が次に叫んだ言葉は『ポンコツ、黙れ!』」(p.141)
(2015.11.1)