Last Update: November 29, 2014
2014年読書記録
- "Amazing Love", by Corrie ten Boom, Christian Literature Crusade, London (1953.5)
コリー・テン・ブーンは、オランダ人で第二次世界大戦中に、ユダヤ人をかくまった罪で一家で強制収容所に入れられ、姉の Betsy と Ravencrow Concentration Camp に送られ、そこで姉は死ぬが、愛と赦しの福音を携えて、世界中を講演してまわった、キリスト教の証し人。Contents. I. Plans, II. Forgiveness, III. The Way Back, IV. An Unexpected Feast, V. Be Not Afraid, VI. The Word of God is Living and Powerful, VII. The Sea is Deep, VIII. Never Again to Germany, IX. My Chocholate Sermonm, X. Preaching the Gospel in Word and Deed, XI. Once a Soldier of Hitler, XII. Holland, XIII. The Manufacturer of Our Faith, XIV. Intercessory Prayer, XV. Refugees in Distress, XVI. Chairs in the Camp, XV. Refugees in Distress, XVI. Chairs in the Camp, XVII. Hollywood, XVIII. In London, XIX. May, XX. Switzeland, XXI. Unpaid Debts, XXII. Bermuda, XXIII. Finances, XXIV. The Second Coming, XXV. Two Little Girls, XXVI. The Children of Light May not Walk in Darkness, XXVII. Everlasting Life.
この本においても、Forgiveness が一番感動的だった。内容まで書けないのが残念。
(2014.1.13)
- 「牧師夫人 新島八重」雜賀信行著、雜賀編集工房(2012.12.1)
2012年NHK大河ドラマ「八重の桜」で描かれた、同志社の創立者新島襄の夫人で会津藩出身の新島(山本)八重を中心に描いた第一章につづき、やはり会津藩の山川浩・健次郎の妹で、岩倉視察団と一緒に留学した5人の女性(当時11歳、他は、津田梅子(当時6歳)、永井繁子(当時9歳)、吉益亮子(当時14歳)、上田悌子(当時16歳))、日本人女性ではじめてアメリカの大学を卒業し、帰国後は、大山巌陸軍大将の夫人となり鹿鳴館時代を彩る大山(山川)捨松(咲子)を中心に描いた第二章と、熊本バンドの一員で、雑誌「国民之友」や「国民新聞」を刊行した、徳富蘇峰の弟、徳富蘆花を中心に描いた第三章からなっている。徳富蘆花の「黒い眼と茶色い目」や「蘆花日記」などから、なぜ、八重や捨松が悪妻のように描かれたかの解き明かしが全体を貫いている。徳富蘇峰や蘆花の姉の初子は、湯浅治郎に嫁ぎ、その子が、湯浅八郎であることもあり、これまで断片的には、知っていたが、その母の久子の妹で女子学院の初代校長で、キリスト教婦人矯風会の初代会長でもある、矢島楫子らの矢島家のことも書かれており、明治時代のキリスト教会の熊本バンドの歴史にも詳しい。自分自身が福島出身であることも手伝って、会津藩の歴史には、興味があるが、そのことと、日本人キリスト者の歴史のつながりについても、理解が深まった。文章も平易で読みやすく書かれている。参考文献も貴重である。
(2014.1.25)
- 「改訂版 点字・点訳 基本入門」当山啓著、産学社(2002.7.30. ISBN4-7825-3070-6)
学修支援で、視覚障害者支援を担当するようになり、点字・点訳の基本についても知っておきたいと思い、それに関する業務の合間に読んだ。非常によくできた本である。最初には実際の点字のページもついており「点字を読んでみよう」での2ページにわたる点字文は、平易であり、読む練習になる。正直、1ページ目は、殆ど墨字をみないと分からなかったが、2ページ目は、拗音、拗濁音、拗半濁音など以外は、ほとんど読むことができた。むろん、完璧からはほど遠く、点訳には、教えてもらうべき事が多いが、最低限の知識を得、よい経験になったと思う。もくじ 第1章 点字を理解するために 1. 点字の特徴を知ろう、2. 点字の構成、3. 点字を読んでみよう 第2章 点字読解の初歩 1. かな遣いの表現方法、2. 数及び数字を含んだ語の書き方、3. アルファベットの書き方、第3章 1. 分かち書きの原則、2. 付属語、3. 自立語、第4章 点訳の実際 1. 点字を書くための機器、2. 符号・記号の使い方、3. 書き方の形式、4. その他の留意事項、第5章 点字・点訳あれこれ 1. 特殊な点字記号と点字の漢字、2. 点字の歴史、あとがき
(2014.2.8)
- 「キリシタン黒田官兵衛 上巻」雜賀信行著、雜賀編集工房(2013.10.1. ISBN978-4-906968-01-5)
著者からのメールで大河ドラマに関係した「牧師夫人 新島八重」と「キリシタン黒田官兵衛 上巻」を知り、読んだ。特に、この黒田官兵衛は、たくさん小説が書かれているが、キリシタンかどうかも記述に幅があるようで、それらをていねいに比較検討している。そのような手法が好きか嫌いかは人によるだろうが、キリシタン史も書かれていて、個人的には非常に興味深かった。下巻も近々読んでみたい。目次 第一章 官兵衛の青春時代、第二章 ザビエルからトーレスまで、第三章 官兵衛の「荒れ野の四十年」 主な参考文献。以下は備忘録。「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」(p.53)「ここまで何冊か、官兵衛がキリシタンだったことに触れた小説を見てきた。しかし、そこには、自分がもしクリスチャンになったとしても、この程度のメリットしか思いつかないといった、書き手自身のキリスト教への本音が見え隠れしている。」(p.54)「(ロレンソ)それは、アモールでございましょう・・・神はわれわれをたいせつにおもっていらっしゃいます。だから、われわれは貧しい者も富める者も同じように、お互いをたいせつに思わなければなりません・・・たとえば職人が造った細工物が美しければ、腕のいい職人がいることがわかるではありませんか、この世が美しいとすれば、それを造られたかたは素晴らしい方のはずです・・・そして、そのような美しものを造り出す力こそ、アモールだとわたしは思います。たいせつに思わなければ美しい鋳物はできないはずですから」(p.95)「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり』は福澤が勝海舟率いる咸臨丸で渡米して『アメリカ独立宣言』にあった言葉を意訳して『学問のすすめ』に引用した者である。」(アメリカ独立宣言の福澤による訳とも比較検討されている)(p.192) 「(キリシタンとは)悲愛の心を教えるために十字架にかかって死にたもうた、イエスの教えを心底信じると共に、言葉や言動をもってあらわす人のことでござる。この信仰は、死するとも変えてはなりませぬ。(高山右近)」
(2014.3.11)
- 「人が孤独になるとき 説教・講演・奨励集」並木浩一著、新教出版社(1998.6.25. ISBN4-400-52441-8)
現在、国際基督教大学名誉教授、旧約学者で、ICU2期生の並木浩一先生の説教集である。主として旧約を題材としたもの8編、新約を題材としたもの6編が収録されている。著者も書いているように、旧約と新約の違いを感じる。旧約はあるテーマに関する聖書全体にわたる深い考察を背景としているのに対し、新約は奨励的メッセージ性が強い。以下は備忘録。「(伝道の書)3章14節後半には『神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れを持つようになるためである』と記されています。『恐れる』とは『信仰を持つ』という意味です。」(p.20)「コーヘレトは信仰の条件を深く見据えています。それを深く見据えるそのために、彼は懐疑を徹底的に引き受けようとしているのです。ああ神の知恵は深いかな、と言わざるを得ません。」(p.22)「彼(エレミヤ)によれば、偽預言者はたちは、自分が神の側に立っているかのように考えているが、しかしその実、彼らは神を自分の方に引き寄せて語っています。」(p.26)「神は、エレミヤの生涯が明らかに示したように、ご自分の方から人に近づきたもうのです。神は決して人間の指図を受けることはありません。(中略)そのような方として、神は常に『遠くにいます神』です。」(p.27)「もしヨブがこのような『主は与え、主は取りたもう。主の御名はほむべきかな』との信仰の言葉を口にすることができるほどの神との徹底した関わりを持っていなかったとしたら、そのすぐ後で彼は、神が徹底的に隠され遠い存在になったとの、絶望的な思いに落ち込むことは無かったでしょう。あのとてつもない信仰の苦しみを味わうこともなかったでしょう。」(p.32) 「フランクルは次のような趣旨のことを記します。現存在の意味はわたしたちが価値を実現することによって満たされるが、それは三つの仕方で可能である。わたしたちの価値の実現は第一に何かを創造すること、第二は何かを体験すること、第三は苦悩の中に価値実現の可能性を見い出すことであると。」(p.43)「自己を確立するとは自分で自分のイメージ(自画像)を描き、それを自分でうけとめて生きる構えができあがることだ、といってよいのですが、それがなかなか難しいことなのです。」(p.47)「わたしたちは心の一番奥底を人に見せたくはありません。しかしわたしたちの心を知りたもう神には、心を打ち明けることができます。『神様、わたしの心の中はこんなに恥ずかしい思いがあります。神様どうか、わたしたちの罪をお許しください。自分ではわたしの顔が落ちてしまいます。どうか、その顔を上げて下さい。あなたをまっすぐに見ることのできるようにしてください』。わたしたちはそのように祈ることが許されています。」(p.104) 「幻は夢想とは違います。幻(ビジョン)は、透徹した現実批判の精神から生み出されます。そしてそれは弱者に犠牲を強いることに痛みを覚える感覚によって培われるのです。この痛みを人々が共有するとき、人々は幻を大切にするばかりではなく、日常生活のあり方を反省します。」(p.112)「人間にとって一番本質的な問いは、How ではなくて Why の問いです。」(p.122) 「神様よりも人間が上に立ち、密かに神様に教える立場に身を置くことが『それは誰の罪なですか』という問いかけに隠されているのです。宗教には不安を人間の手で解決したいという抜きがたい欲望があります。神様より自分を上に於かないと不安を解決できないのです。しかし自分の力では答えを出すことができない。人間はそういう悲しい存在です。」(p.176)
(2014.7.19)
- 「人が共に生きる条件 説教・奨励集」並木浩一著、新教出版社(2011.3.1. ISBN 978-4-400-52442-7)
現在、国際基督教大学名誉教授、旧約学者で、ICU2期生の並木浩一先生の2冊目の説教集である。この二冊は、並木先生をお呼びして、C-Week で特別キリスト教概論をもったときの学生からの質問に答えて、先生自身が紹介しておられたものである。ちょうど、この二冊目を読んでいる時に、偶然そのとき質問した名前しか知らなかったその人とも会うことができた。奇遇である。この書は、75歳を記念して出版されたもので、旧約(創世記5、出エジプト1,サムエル下1,詩編3,ヨブ記2、イザヤ1)新約(マタイ1,ルカ1,ヨハネ2、ロマ1、1コリント1)から(旧約・新約から二カ所のものもある)14の説教、奨励が集められているだけでなく、小友聡氏の前書き「説教集刊行に寄せて」と、最後に、著者あとがきに続いて、大田建士氏の「編集を終えて」、永野茂洋の「旧約聖書は現代的である」、高橋一氏の「文は人なりー私が出会った『一書』とその周辺」が添えられている。以下は備忘録。「並木先生の説教は旧約聖書の言葉の本質を神学的に吟味した上で、語り始めます。この『神学的な吟味』が語り手と聞き手を繋ぐ接点となって、先生の説教は聞き手の心に最初からずしりと響くものがあります。それは、聖書の言葉が語る出来事の前に畏れおののく姿勢が先生にあるからだと言わなければなりません。旧約聖書から福音の慰めが見事に説かれます。それが並木先生の説教の魅力です。」(p.8)「『自由の霊(詩編51:12)』とは、人が反省的に、自律的に生きることのできる精神です。『自主の人として生きる霊』と読み替えることは、まったく差し支えありません。」(p.22)「古代オリエント世界には国家行政に関するかなりの記録が残っていますが、神の厳しい意志を神の名によって王に告げるような預言者が出現することはありません。」(p.26)「(ナタンがダビデに語った例話が詩文で書かれていることを指摘してから)散文は新聞記事のような、主観をなるべく入れない報道記事向きの語法です。それに対して詩文は、客観的な事実の伝達よりは、むしろ聞き手の想像力に訴えて、主観的で虚構的な言葉の世界を通して、事柄のリアリティーを、聞き手の心に呼び起こそうと図ります。」(p.28)「聖書は誰か一人の人物が発した権威ある言葉ではなく、人々が共有する生きた言葉です。そうであるから、いつの時代にも伝承された信仰の言葉は、読み手たちの『今』に関わるものに作り直され続けたのです。(中略)聖書は物語の舞台装置とせりふの内実とが違っているのです。(中略)むしろそうであるから、聖書が書かれた時代から読者の時代状況が変化しても、伝えられた言葉が自分たちの生活舞台の中に移し替えられ、必要な変更がなされ、生きたみ言葉として読み継がれてきたのです。そのように読まれることが了解されていますから、最初の舞台装置も話題も話者も自由に設定できるのです。」(p.43)「神さま、私たちの人生には、戦いがあります。許し難い人々もあります。そのことで私たちは心をかたくなにして、憎しみの感情から完全に解放されることはありません。しかし主よ、あなたは私たちが自分で陥る苦しみ、狭い場所から、広い場所へと出るように誘ってくださいます。そのみ声に率直に従うことができますよう私たちをお導きください。すべてを主に委ね、自分の曲がった心から解放される喜びを味わい、その喜びを人びとに伝えることのできるような人に成長させてください。」(p.51)「幸福な家庭はすべてよく似かよったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である(トルストイ著『アンナ・カレーニナ』冒頭)」(p.142)「希望とは、不安に転じやすい安心に対抗して、将来のことを神に委ねて生きることです。そのようにさせてくださる神の賜物です。人は『希望』に招き入れられるときにのみ、『不安』から解放されます。それは人が自分の将来から解放されて、自分を超える大きな望みに生きることです。」(p.177)
(2014.7.30)
- 「バリアフリー・コンフリクト 争われる身体と共生のゆくえ」中邑賢龍/福島智編、東京大学出版会(2012.8.31. ISBN 978-4-13-052024-9)
バリアフリーによって生じるコンフリクトを様々な切り口から論じている。著者の一人に来ていただき講演していただいたことをきっかけに入手したが、読むまでには時間がかかってしまった。障害の問題を取り扱っているが、ひとが尊厳をもって生きるというより普遍的な問いにすべて通じる題材が提供されていて、刺激的な、おすすめの書。序章 第一部 バリアフリー・コンフリクトの実情 第1章 バリアフリーは何をもたらしたか 第2章 役に立つはずなのに使われない 第3章 人工内耳によって「ろう文化」はなくなるか? 第4章 「障害者雇用」って必要なの? 弟5章 読み書きができない子どもの難関大学進学は可能か? インターミッションーー「障害者」って誰? 第二部 バリアフリー・コンフリクトの論理 第6章 障害者への割引サービスをずるいと感じるあなたへ 第7章 障害者のアートが問いかけるもの 第8章 裁かれない人がいるのはなぜか? 第9章 聴覚障害者のアイデンティティ・トラブル 弟10章 「回復」と「代償」のあいだ コラム/読書案内 以下は備忘録 4つの障壁「物理的障壁、制度的障壁、文化・情報面での障壁、意識面での障壁」(p.1) 「(障害者権利条約)の特徴の一つは、障害者のための新たな権利が創出されたわけではなく、既に人権として確立された諸権利が障害者にも等しく保障されることが求められるということ」(p.49) 「身体障害者手帳/療育手帳/精神障害者保険福祉手帳」(p.79) 「(就労場面での合理的配慮は)具体的には、その人がどのような条件で能力を発揮することができるかという視点をもって、職務制度への配慮、就労条件への配慮、職務内容への配慮、職務執行手段への配慮、職場環境への配慮、といったさまざまな工夫が使用者側に求められることになる。」(p.83)「『合理的配慮』とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」(障害者の権利に関する条約 p.105)「『ユニバーサル・デザイン化された教育』は障害者だけが特別に利用できる配慮を進めるのではなく、診断された障害の有無に限らず、学びをめぐってさまざまなニーズをもつ学生たちが共に学べるよう、教育の場をデザインしようという考え方である (Bahgstahler and Cory 2008)」(p.110) 「たとえば『ある教育プログラムの在り方を本質的に変更してしまうこと』『本質的な学問上の必要条件を低めたり、撤廃すること』『経費面または管理運営上、過剰な負担となること』は合理的配慮に含めなくてよい。また『パーソナル・サービス』も合理的配慮に含まれない。」(p.115) 「(本質的変更に関係して)試験で測りたい能力の本質は何か、それがその試験により十分に表現されているのか。」(p.116) 「たとえ現時点で社会的・経済的に有利な立場にいたとしても『流動性』『不安定生』『不確実性』が増大している社会においては、自分がいつ不利な立場に転落するかわからない。あるいは『不要な人間』と見なされるようになるかわからないという恐れや不安を常に抱くことになる。(Sennet 2006)」(p.143) 「コントロールが不可能だということは、それ以外の行為を主体的に選択する可能性がなかったということだ。」(p.174) 「この『責任能力』は、弁証能力(自分の行為の善悪に関して適切に判断する能力)と制御能力(その判断に従って自分の行動をコントロールする能力)を合わせたもののことで、これらは司法手続きでの法律家によって認定される。」(p.175) 「異化の戦略」(p.202) 「(アクセシビリティやユニバーサルデザインといった理念は)同化か異化かという二者択一の選択肢を迫られることから解放され、異化と統合という新しい道を取りうる可能性を秘めている。」(0.203)「『健常者幻想』は「いまだ至らない、不完全なわたしの身体」というイメージを突きつけ続けることで、自己身体についての信頼、つまり自信のようなものを奪い続けるし『厳しい社会幻想』は『無理解で無慈悲な恐ろしい世界』というイメージを突きつけ『なんとかなるさ』という世界への信頼を損なっていく。自己身体と世界への不信は、密室の殻を破って外の世界へとつながっていくための楽観性を奪い、おびえながら密室にとどまる力として作用するため、母との分離不安と外界への社会不安はますます高まっていくのである。」(p.218)「身体状況の変動幅が大きかったり、進行が速かったり、周囲に理解されない障害の場合(予期の不安定性という次元)」(p.220)「ここで筆者は、回復アプローチにおける『回復』の定義を、『身体を標準化することで社会に適応すること』ではなく、また、『痛みを取り除くこと』でもなく『投企を可能にするために必要な、身体や世界・社旗・他者への見通しと信頼をとりもどすこと』とおき直すことを提案したいと思う。」(p.227)
(2014.8.23)
- 「『できること』の見つけ方-全盲女子大生が手に入れた大切なもの」石田由香理・西村幹子著、岩波ジュニア新書(2014.11.20. ISBN978-4-00-500791-2)
2013年度から学修支援担当副部長を務めているが、その一つの職務である、障がい学生支援で支援した学生でと、その卒業研究指導教員の本で、著者からいただいた。石田さんは、現在、イギリスの大学院に在籍中。石田さんらしさが十分にあらわれた文章で、軽快。しかしやはり考えさせられる。「明日への大学」というICU最初の視覚障がい学生の草山こずえさんの著書を読んで「周囲からいろいろと助けて頂く代わりに、私にできることは誠実であることだけです。」(p.72) を引用している。個人的には、石田さんが謎かけのように問いかけて様子をうかがってくるのが苦手だったが、よく考えると、自分もちょっとしたことから、相手の反応を観察している。わたしとは違う方法でそれをしているのだろうなということに気づかされた。フィリピンのことやおしゃれのことなど、あまり知らなかったことも書かれていて、興味深かった。
(2014.11.29)