Last Update: August 24, 2008
2008年読書記録
- 「われここに立つ [人生の座標軸を求めて]」宮田光雄著、岩波書店(ISBN4-00-002635-6, 1998.10.20)
半年ぶりにこの読書記録に一冊を加えることとなった。何も本を読まなかったわけではないが、落ち着いて読書をする時間が殆どなかったことも事実である。宮田氏の本を最初に手にしたのはいつだったろうか。中学以来の親友が東北大学の医学部に進み、宮田氏の営む一麦学寮に入った時よりは前であったように思うが定かではない。「信仰への旅立ち」という名の読書案内、それは一麦学寮での読書会が起源だと思われるが、その中から何冊か読み、この書自体を学生達によくプレゼントした時期もあった。いつかこの本が手元には一冊もなくなり、就職する長男にそれまでの期間に何冊か読むように勧めるために、図書館から借りたときに、手に取り読んだのがこの書である。久しぶりで新鮮であった。三つの講演を元にした文章と、一つの書き下ろしからなっている。1.それでも人生に<しかり>と言おう。ヴィクトール・フランクルとの対話。2.われここに立つ、他はなしあたわず。人生の座標軸をもとめて。3.出来事として聖書をよむということ。4.音楽の中で聖書を読む。『マタイ受難曲』を聴く。これだけで自分としては十分な記録だと思うが、ほんの少しずつ。1「人生から何を期待できるかが問題ではなく、人生から何が期待されているかが問題なのだ」(フランクル)。2 "Hier steht ich. Ich kann nicht anders." 3.ソレンティナーメ農民達と共に。これだけをキーワードとして残しておこう。
(2008.3.16)
- 「新アラビア夜話」NEW ARABIAN NIGHTS スティーブンスン Robert Louis Stevenson 著、南條竹則・坂本あおい訳、光文社古典新訳文庫(ISBN978-4-334-75139-5, 2007.9.20)
スティーブンスンの本は日本でも人気があるらしい。「千夜一夜物語」のカリフとその腹心に対応する、ボヘミヤのフロリゼル王子とジェラルディーン大佐がさまざまなかたちで登場する形式をとっていることがこの本の名の由来である。自殺クラブの表題のもと、クリームタルトを持った若者の話から始まり、医者とサラトガトランクの話、二輪馬車の冒険と三つの話で構成された前編と、ラージャのダイヤモンドの表題のもと、丸箱の話、若い聖職者の話、緑の日除けがある家の話、フロリゼル王子と刑事の冒険の四つの話で構成されている。フロリゼル王子のファンは少なくないだろう。また、まったく普通のどこにでもいそうな人が登場、たいへんな事件にひょんな事から巻き込まれたり、気品のある王子が人間味をみせながらも周囲にある安心感と期待感を持たせながらそれらに対応していく様は、スティーブンスンの人気の秘密をみる思いである。殺人なども起こるがそれが、あまりグロテスクに描写せず幕の裏に隠すことで、この書の娯楽性をさらに高めているように思う。個人的には、このような書に時間をかける人生を送ってはいないが、このような世界に一定の興味を覚えるのは、フランクルの言う「経験的な価値」(フランクルが唱える「創造的価値」「態度価値」との三つ価値の一つ)を確認しながら生きたいとの願いからだろうか。しかし日常的にも論理的な思考を中心においている自分としては、最後のラージャのダイヤモンドの処理方法には、いささかがっかりした。
(2008.3.29)
- 「変身/掟の前で 他2編」カフカ Franz Kafka 著、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫(ISBN978-4-334-75136-4, 2007.9.20)
「フランツ・カフカ [1883-1924] チェコ生まれのユダヤ系。ドイツ語で書いた。「文学以後文学」とも称される斬新な作風で、その作品は何が書かれているかはクリアにわかるが、それがどういう意味なのかは、さまざまな解釈を呼ぶ。おもしろいだけでなく、奥深いアクチュアリティをいまでに更新し続けている不思議なカフカ文学は、文学を超えて、突出した魅力と存在感を持つ。」とカバーにある。学生時代に読み始めたが読み終わらなかった「変身」を含め「判決」「アカデミーで報告する」「掟の前で」が収録されている。「判決」の表現方法、また文学としての価値のようなものは理解できるが、ここまでカフカが有名になっているのは何故であろうか。作品自体固有の意味、メッセージはおそらく殆どない。文体は良いとしても、それ故に読まれる作品でもないだろう。知的動物の単純な遊びごころ以外には、わたしには、受け取れなかった。解説を通して学べば、なにかがあるのであろうか。しかしそれは、作品自体というより、作品を読む側の創造物なのかもしれない。それをかき立てる作品? 正直私には分からない。
(2008.4.18)
- 「宝島」TRESURE ISLAND スティーブンスン Robert Louis Stevenson 著、村上博基訳、光文社古典新訳文庫(ISBN978-4-334-75149-4, 2008.2.20)
5歳ごろの頃だろうか、ラジオの放送劇なのか朗読なのかも記憶は定かでないが、毎晩楽しみに「宝島」を聞いたのを思い出す。箪笥の上にあったラジオを見上げ正座をして聞き、終わる頃には毎回首が痛くなったこと、テーマソングの「帆綱うなればそれ銀の月ホーイホイホイ銀の月」とかいうことばが私にはわからず「ぼうずがうなれば」と唱っていて、姉にばかにされたこと位しかおぼえていない。家族一緒にラジオに聞き入るという時代はもうそのすぐあとには、テレビに取って替わられてしまった。ラジオドラマ「一丁目一番地」は5歳のこどもには難しかったかも知れないが、「宝島」ははらはらどきどき楽しんだ覚えがすこしある。いまでいう、手に汗握る、ジェットコースター・ムービーのような部分をふんだんに含んでいるからだろう。しかし、それだけではない。スティーブンソンの作品には、必ずジェントルマンが登場、この作品ではドクター・リヴジーさんだろうか。さらに、主人公の少年ジム・ホーキンス、ジョン・シルバーそのほか、それぞれの人間が魅力的に描かれている。中国での集中講義を終わり、疲れ切って、他になにもしたくないときに、一気に空港の待合室から、飛行機の中、空港からの電車と、大部分を読んで、肩がこらず、十分楽しむことができた。ひとつだけ感慨を付け加えておくと、人間、一瞬をあらそい、それ自体命に関わる緊急なことは一生に一回あるか無いかだろう、危機一髪的なことを小説で楽しむのは良いが、日常的には、緊急ということばに惑わされず、大切なことを大切にしていく生き方をしたいものだと再確認させられた。
(2008.7.16)
- 「ボクは算数しか出来なかった」小平邦彦著、岩波現代文庫(ISBN4-00-603060-6, 2002.5.16)
この欄にも書いた「怠け者数学者の記」の姉妹版といってもよい、日本で初めてフィールズ賞を取った小平邦彦氏 (1915-1997) の自伝である。「はじめに」に、1986年2月に日本経済新聞に連載された「私の履歴書」に加筆したものである。とある。これに続くいくつかの文は「『私の履歴書』は一般の読者のための読み物であるから、私の本業の数学については、話の進行上必要な最小限にとどめた。およそ専門の数学の話ほど、わけのわからないものはないからである。私がなぜ数学を専攻して数学者になったか、振り返って考えてみると、結局、それは私が数学しか出来なかったからであると思う。母の話によると、私は幼いときから数に興味を持ち、繰り返し豆を数えて遊んでいたという。小学生の頃の私は、算数は出来たが他の科目は駄目で、惨めな生徒で学校は嫌いであった。中学校でも数学以外の学科は英語も国語も漢文もだめ、殊に歴史や地理のような暗記物は全然だめで、相変わらず惨めな生徒であった。数学は好きで三年生の頃から数学の専門書を読んでいたが、ただ面白いから勉強していたので、数学者になろうと思って勉強していたわけではない。私は数学の論文を書いて暮らす数学者という職業があることを知らなかったのである。中学生のときにはエンジニア志望であった。」とスタートする。文章はしっかりしており、音楽に関する造詣もプロ並み、最初の文章は、単なる小平氏の一つの人への説明文なのであろう。それはともかく、興味深く肩もこらず、さっと読めてしまうと共に、なかなか、他の人からは聞けない裏話もいろいろと書かれている。ご長女が国際基督教大学で学ばれたということも私は知らなかった。また、音楽についての記述がたくさん現れ、それだけでも素晴らしい。最後に上野健爾氏の解説があり、これも面白い。このお二人のような教養人としても一級の人は、数学者だけでなく、一般的に減っているのだろう。
(2008.8.5)