Last Update: September 20, 2006
2006年読書記録
- 「好きなことだけやればいい」中村修二、バジリコ株式会社(2002.4.4)
青色発光ダイオード、青色レーザーの開発者で、日亜化学工業から、UCSB に移った科学者の独白。2005年9月に講演をお願いした時に、一冊読み、2冊目はあと読み終ることができず、講演となり、その後時間がなく、読めなかったものである。中村氏の経験と頭の中の議論が中心で、十分な調査によっていないため、情報に偏りがあり、公平とはとても言えない部分も多いが、そこに引っかからなければ、示唆に富んだ啓発的な書である。第一章:逆転へのスピンアウト「会社を辞めてみよう」「嫌いなことに我慢するな」「会社への幻想を断ち切ってみろ」「長いものに巻かれるな」「企業に再教育される新入社員は、売りにならない」「メインストリームから外れてみるのも悪くない」「どこを選ぶかは問題ではない、そこでなにをするかが重要だ」「自分をだめにする環境からは、とっとと去れ」「日本の研究者・サラリーマンよ、立ち上がれ」第二章:自分の頭で考えろ、第三章:自分の成功のパターンを作れ、第四章:自分のことをよく理解せよ、第五章:好きなことだけやればいい。中村修二氏の本どれか一冊は読むことをお勧め。
(2006年1月3日)
- "The 100-Minute Bible," The 100-Minute Press, Canterbury, United Kingdom (ISBN0-9551324-0-1, 978-9551324-0-7, September 2005)
「100分で読める聖書」という意味の本である。私は、残念ながら210分ほどかかってしまったが、全57ページ。読みやすく、まとめてある。Paul Johnson 牧師の説教で引用されたので、すぐ購入して読んでみた。Johnson 牧師も手軽に、聖書の内容を知るという意味で、ポジティブなコメントだった。わたしも同様の意見である。私が翻訳して、ホームページででも公開とも少し思ったが今は、積極的には動いていない。理由は二つ。この著者は、イギリス国教会の司祭であるが、聖書の中の話しをそれぞれの言葉で「お話」として語る文化が、カトリックや、イギリス国教会にはあるように思うが、そのようなまとめ方に、やはり多少躊躇をおぼえること。それと、英語だからかも知れないが、聖書を読んで得られるほどの感動を、この本を読んでほとんど受けなかったこと。しかし、日本語訳をだれかがすることには基本的に賛成。無料か、ごく安くしてもらえるとさらに良い。これも日本円で700円しなかったのだから。ホームページもあるので、興味のあるかたは、調べてみては。
(2006年1月30日)
- 「マイペンライ(タイ語ってどんな言葉?)」荘司和子著、筑摩書房(ISBN 4-480-83600-4, 1989.12.15)
タイ語の学習書ではない。最後に多少の文字、発音(楽譜つき)、文法が付録でついているが、タイ語に親しみを覚える、タイ語を通してタイを何となく知る本である。この著者の雰囲気もあって、のんびりと、ちょっと第三者てきに、熱くもなく、それでいて、タイに親しみをおぼえるように書かれている。時代のながれも感じられて面白い。わたしは、3月にタイでのワークキャンプに参加するが、前回参加した時、タイ語がどうにもならなかった。どこかの国を訪ねる時には、その国の言葉を学ぼうとしてきた私としては、ほとんどどうにもならなかった数少ない言語である。ということもあって、今度は、ちょっと斜めからタイ語に接してみようと思い、読み始めたものである。学ぶことが多かったとは言えないが、気楽に読め、なかなかよかった、と言えると思う。
(2006年2月19日)
- 「未来をきり拓く大学(国際基督教大学50年の理念と軌跡)」武田清子著、国際基督教大学出版局(ISBN4-9980881-0-6, 2000.6.15)
日本思想史の視点から書いた、国際基督教大学史である。すでに、チャールズ・W・アイグルハート著「国際基督教大学創立史」が最初英語で、1990年には日本語訳も完成している。この書はある意味では、日本人の視点から書いてある。同時に、開学の年から教員としてつとめた武田清子氏がその専門の日本思想史の立場から、まとめたものである。後半には、卒業生についての記述が1/3程のページをさいて書かれてある。この部分以外は、英語版も出版されている。著者のICUへの愛情は「わたしのICUへの感謝の献げものとして取り組もうと決意した(401頁)」によく現れているが、同時に、この書の背景はそれにつづく以下の言葉がよく表している。「先ず、私の心に浮かんだことは、ICUの形成過程にあって、その創設・大学形成にかかわった人々の間に烈しい対立・相克があったことである。それは私情を主とするものではなく、大学観のちがい、文化・思想のちがい、戦勝国で経済力をもつアメリカと戦敗国で貧しい国の日本のちがい、それがファカルティーやスタッフの生活程度、その給料の大きな格差にまでなっていた。そうした高次元の問題から低次元の問題にまでいたる相克があった。」まさに、この相克をしっかりと記述した書である。私は、たまたま、タイ・ワークキャンプに出発の時から、もどるまでの12日間でこの書を読んだのだが、あたまと心とを揺さぶられる感動を何回覚えたことか。学生と生活をともにしながら、この書を読むことができたことは、幸せだった。少なくとも、国際基督教大学への愛情をもっているひとには、是非、この相克を通して、築き上げられてきた大学をこの書とともにもう一度学んで欲しい。国際基督教大学そのものが、凝縮されてつまっている書である。
(2006年3月14日)
- 「世にも美しい日本語入門」安野光雅・藤原正彦著、筑摩書房(ISBN4-480-68727-0)
安野光雅は、あの画家・絵本作家である。藤原正彦は、数学者、安野先生に小学時代の美術の先生だったとか。1 読書ゼミのこと、2 国語教育の見直しを、3 日本人特有のリズム、4 日本語は豊かな言語、5 小学唱歌と童謡のこと、6 文語体の力、7 ユーモアと空想、あとがき(安野光雅)とつづく。日本語の美しさ、文語の教育などが書かれている。最近、日本論なども書いているようなので、少し、私の印象をまとめておく。文章が美しい。ひがみでもあるが、本当に上手だと思う。しかし、日本文化と、教育論には、多少違和感を感じる。右翼に利用されるようなことばが多いことは、利用する側の問題なのでさておき、何点か挙げてみる。藤原氏も、アメリカで若い頃を過ごしている。日本の良さの再発見などは、この経験が大きく影響していることは確かであろう。だれでも、外から、または、違ったものとぶつかって始めて、自分自身を理解するもの。そのステップを語らずに、自我自賛的な日本語論は、問題がある。国というまとまりがどの程度、これからの社会にとって、意味をもつのが適切かという議論が重要ななか、また、日本国内でも、さまざまな人たちが生活していく中で、日本人、日本語を強調するのはどうであろうか。日本・日本語のすばらしさを認識させるものとして、引用されている本の著者(読書ゼミで読む本の著者など)も、新渡戸稲造、内村鑑三、久米邦武、森鴎外などなど、ほとんどが、西洋と接して、それを受け止め、消化し、乗り越えていった人たちばかりである。もう一つは、人文科学や数学の視点からの考えが強く、社会科学的な、問題意識、論理が問題設定のもとで使われるのではなく、問題を見極めていく時に用いられる面が希薄である。教育については、エリート教育と一般の教育についての見識が明らかではない。何を共通に大切なものとし、どの部分を基本的なものとし、どのようなものを生かし、伸ばしていくのか、全体的な構想のない、教育論は、大きな危険をはらむ。それにしても、いくつかのフレーズは、わたしも使わせていただこうと思うようなものがこの本からも得ることができた。
(2006年3月28日)
- 「 ブルバキ 数学者達の秘密結社」M・マシャル著、高橋礼司訳、シュプリンガー・フェアラーク東京(ISBN4-431-70792-6, 2002.12.28)
「ブルバキとは,1930年代にフランスの若い数学者達によって結成された数学者集団のペンネームである.後に20世紀最大の数学者の一人となる A. ヴェイユを中心に組織され,『数学原論』を出版して世に衝撃を与え,数学界ではブルバキ流精神が一世を風靡した.そのメンバーのほとんどはフランスの超エリート校 ENS の出身者で,悪戯好きで小粋な冗談を愛し,そしてブルバキを秘密のベールに包んでしまうことを好んだ.本書は,この伝説の数学者集団ブルバキを貴重な写真資料とともに活写した,痛快きわまる前代未聞の青春グラフィティーである.」(表紙裏から)私は、ブルバキ「数学原論」をほんの少ししか読んでいないが、20世紀後半に数学を学んだ者にとって、ブルバキの影響は直接・間接を問わず避けて通れなかったと思われる。以前、アンドレ・ヴェイユ自伝を読んで、この本も是非読みたいと思っていたが、上記の紹介にぴったりの1−3章を終わって、「数学原論」の項に入ってから、中断、最近、その後を読み通した。特に9章「人間精神の名誉のために」?など、ブルバキとは何だったのかを考える、非常にバランスの取れた記述は、好感が持て、考えさせられた。数学の教育(特に中・高等教育において)何をどのような仕方で、教えるべきかを考える意味でも、良い本だと思う。もちろん結論は、得ていない。最後の言葉(240ページ)を引用しておきたい。「確かに、ブルバキの企てたことには数多くのよこしまな面があった。数学の独断的展開、グループのメンバーに感心の薄い部門の疎外感など。確かにこのグループもその著作も年老いたと言える。しかし、ブルバキの名が数学史にのこることは疑う余地もない。この企ては、その大きな規模、そこに注がれた情熱と献身、協同作業としての性格と行った面からも我々の感嘆をさそって止まない。多くのつまずきはあったにせよ、ブルバキは「人間精神の名誉」を少しは大きくしたようだ。スポーツと金が文明の大きなアイドルとされているこの時代では、それは優良証(bon point:フランスの小学校で成績と操行の良い児童に渡されるカード)に値するのでは無かろうか。
(2006年4月2日)
- 「図解 フィンランド・メソッド入門」北川達夫、フィンランド・メソッド普及会著、経済界(ISBN4-7667-8347-6, 2005.11.7)
OECDの教育調査(PISA)でトップのフィンランドの教育には興味があったが、新刊に並んでいた絵本のようなこの本に目がとまった。1.発想力、2.論理力、3.表現力、4.批判的思考力、5.コミュニケーション力、世界初! フィンランド国語教育を5つのメソッドで解説。と表紙に書かれている。絵本のように始まり、中味も簡単な説明しかない。しかし、惹き付けられる内容を含んでいる。小学校で、グローバル・コミュニケーション力の教育のために何をしているかの具体例がいくつか書かれている。1.発想力を高めるカルタ(Ajatus Kartta, KJメソッドより論理的結びつき、核からの発展型に限定しているためどんなレベルでも使いやすい)、2 どうして、そしてどうなるのに答えられる論理力(Miksi? 難しい問題ではなく、好き、きらいなど日常的なことから入る。一つの理由だけでなく、いくつもの理由を考える。意見には理由を、その回路を頭に作る。論理力をつかって物語を読む。)3 フォーマットに沿った文章の練習法で「言いたいこと」を伝える表現力がつく。(10以上の単語を結びつけて、一番短い文章を書く。フォーマットに従って文章を書く。あなたは誰?どういう人?次の観点から。将来の夢?など。ショートストーリーの創作)4 改善と見直しの訓練法から優れた発送と正しい論理が生まれる。(作文の、良いところ、悪いところを10コずつ。本当にそうかな?必要な情報を見極める。自分の意見・他人の意見、その前提、そこから質問へ)5 議論のルールと相手の事を考えた言動を身につける(ルール:1 他人の発言を遮らない、2 話すときはだらだらとしゃべらない、3 話すときに、怒ったり泣いたりしない、4 分からないことがあったらすぐ質問する、5 話を聞くときには、話している人の目を見る、6 話を聞くときには他のことをしない、7 最後まで、きちんと話を聞く、8 議論が台無しになるようなことを言わない、9 どのような意見であっても間違いときめつけない、10 議論が終わったら、議論の内容の話はしない。「相手の立場になって考える」とは?)学ぶべき点がたくさんある。
(2006年4月4日)
- 「武士道」新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳、岩波書店(岩波文庫 33-1181-1)
この本を読んでいない人でも、この本のことを聞いている人は多いのではないだろうか。私は、学生時代に一度読んだと思うが、今回、じっくり2度続けて読んでみた。これは、設定としても、英文で、日本の精神文化について、解き明かしている書の日本語訳。訳者も、矢内原忠雄、文語体で、1938年になされている。原著は、1899 年に "Bushido, The Soul of Japan" として書かれている。新渡戸稲造という日本の一級の国際人が西洋文明を十分に理解する努力をして、かつ、日本の精神文化を、自らを育んだと主張する「武士道」という言葉を通して、解説している。これこそ「太平洋の架け橋」となることを願った新渡戸の国際人としての証明とも言うべき書である。しかし、現代では、これが世界を理解しながら、日本を語るその相剋という部分を落とし、国粋主義的に利用する人すらいる。驚きである。この書の発端は、「宗教無し!どうして道徳教育を授けるのですか」とのベルギー人法学者の驚きに対する弁明である。これに対して「昔あって今はあらざる遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、我々の道徳の道を照らしている。」と語っている。いずれは、消え失せるべきこともこの書のなかで、嘆息をもって書かれている。また、武士道の欠点をも、キリスト者としての自分の視点からみた、武士道、西洋の種種の思想、キリストの教え、そして、それぞれの心に記されている律法について多くの場で比較検討されているのは興味深い。一カ所のみ引用する。「しかるに教育においてなされる最善の仕事、すなわち、霊魂の啓発(僧侶の仕事を含む)は、具体的、把握的、量定的でない。量定しえざるものであるから、価値の外見的尺度たる貨幣を持ちうるに適さないのである。」背景、その他のことを考えつつ、読む価値のある本である。
(2006年5月14日)
- 「基礎と応用 ベクトル解析」清水勇二著、サイエンス社(ライブラリ理工新数学=T5、ISBN4-7819-1133-1, 2006.6.25)
著者から献本として頂き、2006.6.30-7.10 の間に本文を通読した。演習問題は暗算でできる程度確認。ある程度のミスプリも見つけたが、それらは、すでにサイエンス社のページ のサポートページに問・章末問題正解・略解とともに載せられている。このシステムは親切で、これから、このような試みが発展していくことを望む。本は、少し力がある学生でないと自習では難しいかも知れないが、教科書または、一通り基礎を学んだ後もう一度通して学ぶ書としてはとても良いと思う。それは、微分幾何など、幾何学入門および、電磁気学、ポテンシャルや微分形式の入門としても、段階を追って良い導入となっていると感じるからである。最初から、微分形式を導入し、それにある程度慣れて、計算していく代数的手法は、次元に束縛されず分かり易い面が大きいが、同時に幾何学的な意味づけが難しい。その意味でも、幾何学的な面が強調されているのは、ベクトル解析においては、適切だと思う。Hodgepodge も興味深い。ただ、その中に知られていることとしての記述なのか、証明を与えているのかわかりにくいところもあった。改訂版も出るほど売れて細かいミスぷりなども修正されるとより読みやすくなるものと期待できる。
(2006年7月10日)
- 「オイラー入門」W.ダンハム著、黒川信重・若山正人・百々谷哲也訳、シュプリンガー・フェアラーク東京(シュプリンガー数学リーディングス 第1巻、4-431-71079-5, 2004.6)
今年度のICU数学夏季セミナー(2006.7.10-13)のテキストであった。1年生から4年生まで、上級生および大学院生の指導のもとで、準備のセミナーをして、軽井沢ICU三美荘に泊まり込んで自炊をしながらセミナーで学ぶ。少し、簡単すぎた嫌いはあるが、それだけに、一年生・二年生が中心となって活気のあるとても良いセミナーができた。第1章 オイラーと数論、第2章 オイラーと対数、第3章 オイラーと無限級数、第4章 オイラーと解析的数論、第5章 オイラーと複素数、第6章 オイラーと代数、第7章 オイラーと幾何学、第8章 オイラーと組合せ論、付録 オイラーの『全集』。第5章から8章をゼミで学んだが、3章・4章あたりが面白いかも知れない。すこし冗長な感じも否めず、遠回りのところもあるが、自習も可能な書としては、よく書かれた本だと思う。これをテキストに使うのでは少し物足りないが、この書の内容などが、理系の入門コースで講義されれば、すばらしい授業となるであろう。受け売りでは物足りないが。
(2006年7月15日)
- 「スタートしよう!中国語!」陳月吾・ベンイコウ共著、晃洋書房(ISBN4-7710-1749-2, 2006.4.30)
中国語の大学の教科書である。私は多少、中国語を勉強したことがあるが、日本語の教科書は初めてだったので、簡単なものを選んだ。会話中心のCD付きのものは使ったことがあったが、大学一年用の教科書、とても勉強になった。しかし、これに更に CD がついていたり、Home Page に MP3 が置いてあったりすると更に良いであろう。最後に辞書索引がついていないのが、調べるときに少しめんどう。ただ、全般的には良くできている教科書だと思う。
(2006年8月1日)
- 「物理で『群』とはこんなもの」小野嘉之著、共立出版(物理数学One Point 13、ISBN4-320-03313-2, 1995.10.10)
1章 群とその表現、2章 群論と量子力学、3章 点群の表示、4章 分子構造と群論、5章 相対論と群論、6章 相転移と群論。群については知っているが、物理でどのように使うのかに興味があって読んでみた。正直、数学の本を読むように、完璧に理解できたとは言い難いが、得たものはそれなりにあった。量子力学などでは、作用素とその性質が与えられている時に、群の表現を用いて調べるのは有効なのであろう。変換群としてどのように群が現れるかも理解できたが、6章などは、理解できたとは言えないし、3章などはどうしても興味が持てなかった。どのように応用されるかもう少し深く学ばないと分からないのであろう。もう少し数学的にきっちりと書かれた本も必要なのだろうが。次はもう少し数学に近い本で理解してみたい。
(2006年8月10日)
- 「素粒子と物理法則—窮極の物理法則を求めて 」(the 1986 Dirac memorial lectures〈Feynman, Richard P.;Weinberg, Steven〉の翻訳)小林訳、筑摩書店(ちくま学芸文庫、ISBN4-480-09000-2、2006.6.10)
二人のノーベル物理学賞受賞者の第一回ディラク記念講演。1 反粒子はなぜ存在するのだろうか(R.P.ファインマン)
2 窮極の物理法則を求めて(S.ワインバーグ)実は、特に、ファインマンの講義はここに読んだと書けるほどには理解できなかった。ただ、最後に著者紹介と訳者後書きがあり、特に訳者後書きを読んでから、理解しようとすると多少は分かるような気がした。このレベルの話が分かるようになるのは私には一生不可能なのだろうか。
(2006年8月16日)
- 「余は如何にして基督教徒となりし乎」内村鑑三著、鈴木俊郎訳、岩波書店(岩波文庫33-119-2、1938.12.10)
書評はいくらでも探せばあるであろう。高校・大学と内村鑑三の本をむさぼるように読んだ時期があるが、今回、落ち着いて読み、内村のまっすぐな求道の足跡、そして、それが無教会へとつながっていったことが必然のことのように味わうことができた。原文は英語であるが、ヨーロッパ特に、スカンジナビアでは、かなり売れたと訳者解説にあった。アメリカ・イギリスでは殆ど売れなかったようである。さもありなんと考えてしまう。ICUの初期に来られたスイスの神学者、エミール・ブルンナーは青年期に、組織神学者でブルンナーの師のラガーツからこの本を紹介されたとのことが 281page に記されている。何カ所も感銘を受けたが、特に第7章 基督教国にてー慈善家の間にてでの経験の記述は新鮮であった。
(2006年8月22日)
- 「『有限群』村の冒険ーあなたは数学の妖精を見たことがありますか」宮本雅彦著・大石容子挿絵、日本評論社(ISBN4-535-78437-X, 2006.7.20)
これほど質のよい数学物語を私は知らない。著者はもちろんよく知られているこの分野のトップ数学者であるが、それにしても、これだけの筆致で、証明を初等的かつごまかさずに書けているのは、素晴らしいの一語に尽きる。まずは、数学以外の部分から。様々な用語や概念のネーミングが素晴らしい。数学が物語りと違和感なく融合している。しかし、何と言っても素晴らしさは数学にあると思う。マンガXX入門的な本の場合、その本質的な中味は5%以下、すなわち、200ページの本で、内容だけを抽出すると10ページ以内に書けてしまうのが通常であるが、この本の内容はおそらく、50%程度はあるだろう。それだけ、しっかり書かれている。さらに、教育的な順序を追って書かれている。定義から、無理すればすぐ導き出せることでも、少しなれてから気づかせるような手法も使われている。位数21の群の分類問題をさらっと逃げたり、E8 ラティスの通常以外の埋め込みについて、書かなかったり、おそらく、数学の本ならば書いていたであろうこともあるにはあるが、それは、本質的部分の質を下げていない。第11話の紋星の箱船以外は、十分証明まで理解できるように書かれている。群論を少し勉強した学生が、まずは読み通し、一つ一つ数学的な部分をつめていく経験をするために非常に適切な本である。おそらく、数学の内容が分からなくてある程度とばし読みしても、最後まで楽しめるのではないだろうか。分かるところからじっくり理解していけばよいのだから。第1話 有限群村と妖精達・第2話 ガロアの店・第3話 ラグランジュの巻物・第4話 シローの玉手箱・第5話 結晶の谷・第6話 表現眼鏡・第7話 鏡映の池・第8話 射影妖精・第9話 摩愁の庭・第10話 リーチ牧場・第11話 紋星の箱舟。
(2006年9月18日)
- 「フリーソフトウェアと自由な世界」 Rechard Stallman 著、株式会社ロングテール/長尾高広訳、ASCII (ISBN4-7561-4281-8, 2003.5.11)
Emacs Editor の開発者で、GNU Project などを始めた Richard Stallman のエッセー集である。じつは、最後までは読まなかった。Richard Stallman およびそのフリーソフトウェアとコピーライト・コピーレフトの考え方についてはネット上の記事で知っていたが、本となっているものを読んだのは初めてである。オープンソース・ソフトウェアの重要性と、言葉としてオープンソースを使うことによってもたらされる混乱に対する警告、著作権についての考え方。フリーが無料を意味するのではなく、自由を意味する事に対する執着が繰り返し語られている。実は、著作権に関する法的な部分が個人的に十分理解できたわけではない。また、彼の考え方が、必ずしもクリアで分かり易いわけではない。しかし、基本的には Richard Stallman の考え方を支持したくなる。それは、アイディアを出し合いながら社会・人間の活動を少しずつでも改善していこうという試みが、個人から奪われ、経済活動のために自由ではなくなることに違和感が日々増大しているからであろう。コンピュータ技術者の収入が多少減ることはあるかも知れない。しかし、仕事はたくさんあり、生活には全く問題ない。といって、経済活動が沈滞するなどの批判をさらりとかわす。人生哲学が関わってくることはたしかだが、たしかに Richard Stallman のいうように、我々は特に望んでもいないことに魂を売り渡し、自由を制限するものを知らず知らずのうちに養護しているのだろう。もう少し、クリアに分かり易く説く movement が必要である。
(2006年10月)