Last Update : September 26, 2003
2003年読書記録
- 「図解でわかる Web 解体新書」栗林誠也著、技術評論社(ISBN4-7741-1597-5, 2002.11.11)
この種類の図書は資料として使えるかどうかを見る程度のことが多いが、この本は最初から最後まで読んでしまった。図解も多く(その部分はほとんどながめなかったが)興味をひくように最近の技術が丁寧にかつ解りやすく解説されている。ホームページに興味のある人、自分で多少は作っている人、インターネットでのホームページを用いたさまざまな最近の発展に興味のある人にはとてもよい入門書となっていると思う。通信技術に関する部分もこれだけ平易にかつ、最新の技術まで解説できるのはすばらしい。個人的にも断片的な知識が整理できたような気がする。暮れの31日から風邪をひいてしまい、寝正月で、軽い読みものしか読む事ができなかったという背景もあるが、楽しむ事ができた。この次のレベルの講義があったら聞いてみたい。著者紹介には「情報処理系の企業で、情報通信機器メーカーのマニュアル、セミナー用テキスト、PR誌などの制作に従事した後、フリーのライター/エディターとして独立。通信システムを中心に、関連技術の書籍や技術系の雑誌記事の作成に携わる。」プリゼントの仕方が上手なのもうなずける。
(2003年1月6日)
- 「マックティップス X ー (MAC TIPS X : Mac OS) マックを愛するすべての人へ」仕事場著、マガジンハウス (ISBN4-8387-1395-9, 2002.7.18)
サブタイトルが面白い。これにたいして Windows を愛する人というのはいるのだろうか。マックを馬鹿にする人は多数おり、Linux しか使わないというひともたくさんいるだろうが。このような本を読書記録にとどめるのは個人的にもどうかと思うが、ともかくその全体を読み通したものはこの欄に記録するというポリシーから記録にとどめる。わたしも Unix を中心的に仕事に使っている以外はマックを使っているので、ある程度のことは知っているつもりだが、この著者達は本当に、良く知っていることを感じさせる。ただ、そのような知識が概してそうであるように、系統だってはいない。またこの本の出版時期が微妙だったこともあり、OS の version が記されていない。Mac OSX は v.10.2 ではじめて一人前となったことは皆の認めるところではないかと思うがその意味で、中途半端なことが残念。また、Freeware, Shareware, Payware が同列に列挙されているのも、マックを愛する人の社会ではちょっと残念なのではないだろうか。v10.2 を踏まえた改訂版がそのあたりも配慮にいれて書かれれば、マックを愛する人に愛される本になるかもしれない。
(2003年1月8日)
- 「挑戦する勇気」羽生善治著、朝日新聞社(ISBN4-02-259817-7, 2002.12.25)
1970年生まれの将棋棋士。2002年8月30日の朝日ジュニア・サマースクールでの講演録に加筆したもの。149ページ1時間もかからずに読んでしまったが、非常にすがすがしく、何箇所も印象に残ったところがある。『無双』『図功』あわせて200題の詰将棋を7年程度かかって解き、「ふつうの発想では思いつかない手でちゃんと「詰む」ようにできていることにショックを受けた」事。(p.48)「挑戦する勇気」の項で、「おおきな勝負のときには、やはり人間の心理として自分がいつも得意にしている戦法をとりたいと思うし、手堅く進めて行きたいとも思う。あるいは安定に行きたいと思うでしょう。しかし、毎回毎回それを繰り返していると、やはりどこかで行き詰まり、進歩が止まってしまいます。新しいことを行なうのは、リスクが大きいものです。私自身、勝負の世界にいて、なにかあたらしいことに挑戦したとしても、うまくいくことは、たぶん半分もない、失敗する可能性の方が圧倒的に多いと思います。ただ、だからといって、いままでまったくやったことのないことや、自分が不得意にしていることをやらないとなると、だんだんと自分の世界が狭くなり、戦法が固まってしまいます。自分自身を守りたいとか、大事にしたいという気持も大切ですが、プロになってからはできるだけ、そういう思いを頭の中から取り払うようにしていました。そうすることによって、わるい結果が出る時期もあるかもしれないし、「この一局に関しては負けてしまうかも知れない」と思う事もありました。しかし、プロとはいえ、やはりまだ学ぶ時期にはかわりないので、挑戦する姿勢、心構えを維持して行こうと思っていました。」(p.56-57)「最近「キレる」と言う言葉がよく使われますが、私も対局中に、「キレる」感覚に陥る事があります。ずっと集中していると、どこかでプツンとキレてしまって、そこから根気良く考える事ができなくなってしまう事もあるのです。ただ一度「キレる」経験をすると、どういう状態になったら「キレる」のかということもわかってきます。そこで、どうしてそういう状況になってしまったのか、ということを振り返り、改善する方法を考え、次は同じ失敗を繰り返さないように心がけます。「キレる」ことを防ぐ一番の方法は、平常心を保つことだと思います。」(p.85)「将棋にかぎらず、私達はとかく膨大な量の情報に埋もれてしまいがちです。そういう事態を回避するためには、ともかく自分で考える事だと思います。(中略)言い換えれば、単に知識を得るのではなくて、知識を積み重ねて理解していく中で、知識を「知恵」に変えていけたらいいな、と常に思っています。ここでいう「知恵」とは、一つの場面で正確な判断を下す事、そして、解決するための「ツボ」を瞬時に見出す事を言います。」(p.87-88) すばらしい青年ですね。
(2003年1月15日)
- 「マザー・テレサ最後の愛のことば」マザー・テレサ、ホセ・ルイス・ゴンザレス-バラード編、鳥居千代香訳、明石書店(ISBN4-7503-1312-2, 2000.8.30)
マザー・テレサは1910年8月26日、旧ユーゴスラビアのスコビエ(現在マケドニアの首都)で生まれ、1997年9月5日、心臓発作のためカルカッタのマザー・ハウスで死亡、同13日、カルカッタのネタジ屋内競技場にて国葬。その言葉をあつめた "Mother Teresa; One Heart Full of Love" の訳である。あるヒンドゥー教徒の告白として「キリスト教徒とは自分自身を与える人のことです」(p.8) と規定している。神の自己犠牲に応え、自らを差し出すのが、キリスト教徒だというのである。マハトマ・ガンジーのことばも引用して「もしキリスト教徒たちがイエス・キリストの教えに忠実に生きていたら、インドにはヒンドゥー教を信じる者は一人もいなくなっただろう。」そしてマザー・テレサが大切だとするのは、「本当に重要であるのはどれだけ私たちがするかではなく、私たちがすることにどれだけ多くの愛が注げるかなのです。」(p.113)「許されてはじめて、他の人を許すことができます。もし私たちが本当に愛し、平和と愛をともに願うなら、私達はゆるされなければならないことにもっとみんな気づく必要があります。」「許すためにはキリスト教徒になる必要がありますか。」「いいえ、そういうことはまったくありません。すべての人が神の手からやってきていて、私たちはみんな神の愛について知っています。宗教が何であっても、本当に愛したいと思えばまず許すことを学ばなければなりません。」(p.148) 他の宗教については「神は人間の心の中で働く独自の方法があるのです。私たちは他の人の信仰のことでその人たちを非難したり、裁いたり、傷つける言葉をいう権利はありません。キリスト教というものについて、今まで耳にしたこともない人もいるでしょう。その時にその人に神がどのよに姿をあらわすかわからないし、どのような姿をとられるのかも私たちにはわかりません。私たちがだれかを非難することがどうしてできるでしょうか。」(p.155) マザー・テレサのことばは非常に単純である。聖書の引用も、多くない。ただマタイ25章の羊と山羊のたとえの部分が繰り返されている。その圧倒的な言葉の重さは「大変な愛をこめて普通のことをする!」(p.173) この鍵となるのは「互いに相手を見る時間をふやし、互いに微笑む時間を増やすこと」(p.34) 確かに、どれだけ多くのことをするかというなかで、相手を見つめ、微笑む時間がへっているような気がする。聖体拝領についても、マリア崇拝についても非常に納得させられてしまう。理論をこえたものがあるからだろう。もう一つ繰り返し書かれているのは中絶を「今日もっとも大きな破壊者」とすることばである。「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(p.109) 本当に多くを学ばされた。特にノーベル賞受賞スピーチ、「ほほえみの贈物」と題したインタビューはすばらしい。
(2003年1月24日)
- "The Gentleman in the Parlour" by W. S. Maugham 「パーラーの紳士」モーム著、北川梯二註解, アトム現代英文双書 483
William Somerset Maugham 1874年パリ生まれのイギリス人、小説家・劇作家(月と六ペンスなど)のビルマなどの紀行文の一部に解説などが加えられている。文体は非常に良いのであろうが、あまり楽しむことができなかった。最後にイタリア人神父とのやりとりがあり、多少興味深いが深みもない。
(2003年2月3日)
- 「アーミッシュ・キルトと畑の猫」菅原千代志著、丸善ブックス(ISBN4-621-05091-0, 2002.4.25)
「はじめに」から「アーミッシュとは,16世紀ヨーロッパの宗教改革のさなかに生まれた「再洗礼派」に属するキリスト教徒で、国家と教会の分離、絶対非暴力の平和主義などを主張し、とりわけ幼児洗礼を認めず、成人し「自覚」のもとに洗礼を受けたため、再洗礼派とよばれ、激しく迫害された。18世紀、ペンシルバニア植民地を興したウイリアム・ペンの誘いに応じ、信仰の自由をもとめてアメリカに移住した人たちである。(中略)彼らの優しさ、とりわけ、おおらかに育った子供たち。淡白なほどまでモノに対するこだわりの無さ。そこに宗教心だけでは説明できないものを感じる。何かはわからない。だが、豊かな自然と、生まれながらにして動物たちと生活をともにする環境。固い絆の家族生活あるいは家庭教育にあるのではないか。質素でシンプル、だが豊かなアーミッシュの生活を見るにつけ、私はコンピュータの非力さを感じないわけにはいかない。」(viii-ix) インディアナ、オハイオ、ペンシルバニアのアーミッシュとオールドオーダー・メノナイトの家に泊ながら、その生活の日常を心やさしく描いている。著者は自称仏教徒。わたしが2001年から2002年に住んでいたオハイオ州はこのアーミッシュの多い地域である。家族でいちどだけたずねたこともある。その農産物や、家具、手工芸品などは、とても質がよい。彼らなりにお金になるものを作っているという批判、宗教的立場の問題もあるが、シンプルに生きるということを実践し続けている彼らから学ぶことは多くても非難する気にはならない。2月21日朝日夕刊に「サムライと現代人の倫理観はどうちがうか」と聞かれた「たそがれ清兵衛」を撮った山田洋次監督は「清兵衛はつつましく欲がない。一方現代のわたしたちは最大限の欲望を満足させる価値観に翻弄されている」と答えていることが出て来るが、アーミッシュの生活をみると、現代でも、「最大限の欲望を満足させる価値観に翻弄され」ずに生きる事が可能であることをしめされている気がする。
(2003年2月22日)
- 「ガンマ関数入門」E. アルティン著、上野健爾訳・解説、日本評論社(はじめよう数学6, ISBN4-535-60846-6)
アルティンの講義録に、上野氏が解説をつけたものである。「高校生のための現代数学入門講座」1985年夏(3日間)のテキストとある。最後に参加者の感想の一部も載せられている。しかし私が読んだ感想は、これを短期間しっかりと理解できるのは、日本の大学3・4年生の数学専攻であっても残念ながら割合としてはかなり少ないのではないだろうか。解説は丁寧に付けられていて、あともう少しで完全な証明というところまで書かれている。少し時間はかかってもこのような名著をじっくりと読んで、是非とも数学を楽しんでもらいたい。数学の言葉の日本語における使いかたに至るまでコメントされていて、いろいろな意味で興味深い本に仕上がっている。いくつか誤植など書き留めておいたものが紛失したのが残念だった。このような本は改訂を経て長く残って欲しい。
(2003年3月)
- "The Ideals of ICU", Issues of ICU Volume 1, International Christian University, December 25, 2002
CONTENTS: The Ideals of ICU by Hachiro Yuasa, The International in ICU by Mourice E. Troyer, Pioneers of ICU by Carl Kreider, Letter from Abroad: ICU as I Understand It by Emil Brunner, Letter from Abroad: My Idea of ICU by David Bryn-Jones, The Proposed Program for International Christian University by Maurice E. Troyer, The Role, History and Plans of ICU (Bulletin, No. 1, 1953-1955)
ICU の創立に深く関わった人たちの文章が 52ページに収められている。最初の湯浅学長の "We must realize the need for stern criticism of the old system in which student education was sacrificed by emphasizing research." という言葉も非常に説得力をもったビジョンとともに語られている。Troyer 先生の "What is the function of an international university, therefore? Its function is to bring the ideas of people from various cultures and traditions into confrontation with each other that truth and meaning may emerge in a more universal context transcending perversions and hypocrisies of nationalization and culturalization. This is painful. ......" また、The Proposed Program に書かれている Liberal Arts College 構想も生の文章で伝わってくるようで非常に印象的だった。
(2003年3月)
- 「日本人も知らなかったニッポン」桐谷エリザベス著、吉野美耶子訳、中央公論社(2001.4.25, ISBN4-12-003137-3)
痛快! これほどの本は最近読んだ記憶がない。目次:しらぬが仏、いわれのない先入観、「さようなら」の文化、潔癖すぎますか、失礼ですがおいくつですか、醜いものを見ない日本人のすぐれた眼、不自然な自然らしさ、上手な書の条件、日本人との対話、これでも時間厳守?、お国かわれば…、「好き嫌いのない」美学、日本人の批判精神、息抜きの仕方も型通り、酔っぱらい天国、完全な模倣ではありません、勘定を払うのはだれ?、お金に関すること、お礼の氾濫、贈物先進国、日本人はキスをしますか?、日本人の性差別、執事のような男、男が女になる場所、コンピュータは女性の味方、男のロマン、子ども天国、怒りっぽい日本のペット、暑気払いの工夫、シンプルライフ、うちの大家さん、季節感、早く客を追い出そう、ペットの窮状、日本の芸能、着物オタク、花札礼賛、トイレ談義、秘すればこそロマンス、休暇のエチケット、仲間意識を解剖する、自粛、究極のシャッターチャンス、東京復興計画、日本人の常識はどこへいってしまったの、どう老いるか、手袋をして下さい、日本人より日本人らしい、一生懸命、たべものに関する自由。私が気づかずにいた私の日本人的な部分、自分がかなり平均的な日本人とは違うかもと思っていたことの根拠、それらをいくつも示されたことも興味深かった。もちろん、前から私自身考えていたことと同じことを非常に美しい筆致で表現されているものもあったが。最後に著者について;アメリカ、マサチューセッツ州、ボストン出身。ホイートン大学卒業。ハーバード大学医学部で心臓と肺の研究をすると同時に同大学附属病院で血液専門家(perfusionist)として働く。1979年、休暇で来日、札幌に住む。日本が大好きになり定住を決意。以来、フリージャーナリストとして活躍。東京の下町、谷中の大正時代に建てられた長屋に、画家の夫(逸夫)と2匹のネコ、オカグラとカブキと住む。現在、NHK総合テレビ2か国語放送アナウンサー。著書に「あのねこ このねこ」「Vanishing Japan」「東京いま・むかし」「消えゆく日本」「不便なことは素敵なこと」など。
(2003年3月31日)
- 「東南アジアのキリスト教」寺田勇文編、株式会社めこん(ISBN4-8396-0149-6, 2002.6.10)
上智大学コニュニティーカレッジで開かれた講座の講義をもとに企画され編集されたもの。序章としてキリスト教の展開、国ごとの概況があり、そのあと、聖者の行進:聖週間儀礼から見たビサヤ民族社会(川田牧人)、イグレシア・二・クリスト:フィリピン生まれのキリスト教(寺田勇文)、タイ(シャム)におけるキリスト教(石井米雄)、エーヤーワディ流域地方における王朝時代のキリスト教(伊東利勝)、中国・ビルマ・タイ国境地帯の宣教活動と少数民族(豊田三佳)、カンボジアの伝統社会とキリスト教(石澤良昭)、ベトナムのカトリック:政治的状況と民族の生活の形(萩原修子)、マレーシア・カトリック教会におけるポスト・コロニアリズム(奥村みさ)、フローレス島におけるカトリックへの「改宗」と実践、の9つの論文がおさめられている。特に興味をもったのは、モンクット(仏教の僧院で教育を受けたラーマ4世王)とパルゴア(フランス人祭司)(p.93)、タイ人にとってのキリスト教(p.107)、宣教師の意識と住民の意識の差・世界観の違い(p.135-6)、アドニラム・ジャドソンの報告の検証 (p.138)、山地族にキリスト教が急激に広まった背景にある失われた本の伝承(p.160)、ポストコロニアリズムのなかでの民衆の反応(p.193)、社会体制が激変したベトナムでのカトリック(p.212-214)、「アジアの諸宗教から学べること」と題したマレーシアの大司教のメッセージ(p.254)、フローレス島においてカトリックになるということとその分析。非西欧世界のキリスト教においていわれてきた「合理化」「流用」「戦略」以外の見方。など興味をそそる内容ばかりだった。宣教師の報告的なものしかいままで知らなかった気がする。まだまだ限られた研究に見えるが、示唆にとんでいた。
(2003年4月8日)
- 「文化のなかの数学 ー 付・回想の倉田令二郎」斎藤正彦著、河合文化研究所(ISBN4-87999-972-5, 2002.12.5)
はじめに、1 数式をどうかき、どうよむか、2 おそるべきねずみ算、3 数詞の体系、4 数領域の拡大と対数の概念、5 音階の数理、そして付録として「回想の倉田令二郎」がついている。音階のことなどは良く書かれている。最後の回想はわたしは部分的に聞いたことがあるような話しが書かれていて、ある時代のあるグループの数学者の文化が伝わってくる。
(2003年4月13日)
- 「ホームレス問題 何が問われているのか」児玉徹著、岩波ブックレット No.591 (ISBN4-00-009291-X, 2003.3.18, pp.63)
表紙裏には「野宿生活者の人間としての尊厳確保を求める決議」近藤弁護士会連合会 がある。目次:はじめに、ホームレスの素顔、公共空間から排除されてもよいのか、政府・自治体による対策の問題点、野宿者支援団体の活動からみえてくること、セーフティネットの再構築に向けて とある。ホームレス素顔を見ると、自分と何ら変わらない普通の人間がうきあがって来るにもかかわらず、ホームレスの扱いは人間的ではない。ホームレスをみるとその社会が見えてくるというのもあながち間違っていない気がする。批判てきではなく、冷静に分析している記述からは研究者的な感じをうけるが、ホームレス、その回りの市民、行政、支援団体、それぞれの協力などの視点から公平に見ている視点には共感できる。人間の尊厳をたいせつにするとはどういうことか考えさせられる。
(2003年4月15日)
- 「論理に強い子どもを育てる」工藤順一、講談社現代新書 1643 (ISBN4-06-149643-3, 2003.1.20, pp.190)
タイトルにひかれて借りた。都内で「国語専科教室」を開催している著者の実践例である。読書と作文をとおして指導していくのであるが何を持って、論理といっているのか不明。単に考えながら読み、考えながらまとめるということを論理と言っているようだ。その意味で個人的に求めた本ではなかった。国語教育に関する批判は共通の部分もみかけられた。また「論理的にジグゾーパズルでもするように」といった表現が出てくるが、ジグゾーパズルを論理的という部分はどうにも理解できない。論理をその程度に理解しているのか。ただ、本を一冊指導しながら読ませていく、といったことは、アメリカの小学校、中学校ではなされているが日本では、教室で一つの本を一冊、問いを発しながら読んでいくと言ったことは殆んど行なわれていないことを考えると、提言の一つはうなずける。また説明文の作文を大切にしている部分もそのとおりだと思うが、このタイトルのもとでは、余りに貧弱。実践例としても物足りない。
(2003年4月19日)
- 「チョムスキー、世界を語る」ノーム・チョムスキー、田桐正彦訳、トランスビュー(ISBN4-90150-09-6, 2002.9.20)
Denis Robert, Weronika Zarachowics の二人のフランスで活躍するジャーナリストのインンタビューに基づいている。ノーム・チョムスキは、1928年、アメリカ、フィラデルフィアのユダヤ人家庭に生まれる。マサチューセッツ工科大学教授。生成文法理論により言語学に「チョムスキー革命」をもたらした。言語学者としての名声と政治的発言についてある程度は知っていたが、9・11以来、いくつかの記事をよみ、インターネット上の文章をいくつか読んだが、この人の文章はわたしには難しく、非常に時間がかかってしまった。この本をみつけすぐ借りた。多国籍企業と、国家の癒着など現在の複雑な政治・経済のことを語るチョムスキーから学ぶことはおおそうだが、自分の行動規範としては、正直どう対応したら良いかわからない。
(2003年5月17日)
- 「Alumni Open Lecture Series リベラル・アーツを通って 講演集 2002年度」国際基督教大学・国際基督教大学同窓会
第10回「どうして僕はこんなところに」加藤陽之(かとうはるゆき)1987年語学科卒業、「スタジオ・ボイス」編集長
第11回「人と交わる言葉を求めて」高村薫 1975年人文科学科卒業、作家
第12回「占いの宇宙」鏡リュウジ 1990年人文科学科卒業、占星術研究家・翻訳家
この3つの講演がまとめられており、最後に学生部長の北原和夫先生、同窓会の森宗秀俊氏、学生スタッフが二人あとがきを書いている。学生が中心となった、大学・同窓会・学生共同のプログラムとして、非常に成熟度をましている。ともかく3つの講演とも非常に面白い。3人が全く違った世界で、違ったいき方をしているにも関わらずなにか共通のものを感じてしまうのは、ICU に働くものの偏見だろうか。最後に北原先生が書いておられる言葉を引用して自分の感想に変える。「答えのない問いを問い続けてゆく持久力、どこかに道が拓けるという信頼と希望を持ち続けること、そしてどんな課題にも正面から向き合う事、独りだけでなく課題を共有する人々と共に互いに負いあっていくこと、そのようなありかたを経験することが、本当の生きる力、生かす力を育てる事ではないか、と考える。教育とはこのようなものではないだろうか。」
(2003年6月21日)
- 「マッキントッシュその赤裸々な真実!」スコット・ケルビー著、大谷利和訳(ISBN4-8399-0995-4, 2003.5.1)
あまりにも忙しい日が続いたので、おそらくナンセンスな本だろうと思うこの本を気晴らしに読んでみる事にした。予想通り、痛快。ナンセンスな本で楽しめたのは久しぶり。「マッキントッシュを愛する人」の、なかなか言葉で表現できなかった心の中を痛快に表現している本はおそらくないだろう。著者は "Mac Today" 誌共同設立者。現在、"Mac Design Magazine" 編集長。公平さなどを考えてはいない。しかし、「Mac 人間と Windows 人間を区別するテスト」「顧客としての Windows 人間 特有のアドバンテージ」"The 20 most important things I've learned about being a Mac user." は秀逸。最後のは一番言いたかった部分なのだと思うが、ここに書きたくてわたしもうずうずしてしまいそう。でもそれは止めておくのが礼儀でしょう。わたしは、スコット・ケルビー氏ではないから。それにこれも Digital Unix 4.0D という環境で Linux machine に入って書いていて、どうみても、コンピュータ生活環境は、完全な Mac 人間ではないので。この本を読んで、Mac 人間と、ICU 人間の共通性まで感じてしまっているので、ICU の Windows 人間との平和のためにも、ここで止めておいたほうがよいとおもう。この意味不明な文章の乱雑さも感動の余韻?!
(2003年7月20日)
- 「ここからはじめる JavaScript 入門」井上久夫著、株式会社D.Art(ISBN4-88648-637-1, 2002.1.25)
ホームページを記述するためのもっとも基本的なScript言語である JavaScript 入門の入門。Introduction としては取っつきやすいがあまりにも内容はうすい。おそらくこの程度でないと読めない読者が多いのだろう。それは非常に一般的になったということかもしれない。しかし、このあとに、更に勉強したいひと用に参考文献をつけて欲しかった。入門としては、良いかもしれない。
(2003年8月9日)
- 「大学の倫理」蓮実重彦・アンドレアス ヘルドリッヒ・広瀬清吾編、東京大学出版会(ISBN4-13-003321-2, 2003.3.10)
著者の一人の藤田英典先生からいただいて読ませていただいた。大学改革の技術論からは大きく離れているが、大学のおかれている現状と今後の方向について非常に難しい課題をいただいた気がする。最後に「結びに代えて」と題して、山脇直司氏が要約し、次のように書いている。「第二回東京大学・ミュンヘン大学シンポジウム「大学の倫理」において論じられたテーマは、次の三つの問題群にわけられるように思われる。すなわち、21世紀の大学はどうあるべきかという一般的な規範問題、大学で研究される自然科学と倫理の関係をどう考えるべきかという問題、グローバル化における人文・社会科学はどうあるべきかという問題の三つである。」としてその総括を行なっている。一つ一つの論文の要約をまとめるなどして、もう少し深く問題を理解したい。
(2003年8月9日)
- 「浪費なき成長」内橋克人著、光文社(ISBN4-334-97247-0, 2000.2.5)
大学教育学会で著者の講演を聞き、本のタイトルも気に入って読んでみることにした。アメリカ型の多国籍企業と、アメリカ合州国による市場原理による、大量生産・大量消費でないと、成り立たない経済の内実を問い直し、浪費なき成長を提案する著者の姿勢と、基本的な考え方には全く賛成である。しかし、この本はかたり口調で、論理性に乏しく、よくまとまっているとは言えない。このような見方をある程度支持している人には訴えるものが多いかも知れないが、そうでない人が理解するのは難しいように思われる。もうすこし、丁寧な論理だての本が欲しい。おそらく、著者の一番の強みは「匠の時代」(全12巻)を代表作とする、現場の理解だろう。それはとても貴重であるが、それだけではない論理だても必要に感じる。危機感も持ちつつ。
(2003年8月25日)
- 「相関係数と回帰直線」加藤千恵子・石村貞夫著、東京図書(ISBN4-489-00650-0, 2003.6.25)
あまりにも統計についての基礎知識に乏しいので、入門書もすこし見てみようとおもって手にとった。30分程度で読んでしまったと思うが、「相関係数が二つの変量の平均との差で得られるベクトルの内積」というのはよくわかった。他のものも式を見て何を表すかをみる時を持つことができたのは貴重な時間だった。
(2003年9月21日)
- 「大学に教育革命を」天野郁夫著、有信堂(ISBN4-8240-8520-7, 1997.5.25)
この時期にかかれた、大学改革の基本を知るには絶好の書。1 大学の近未来は、2 新しい大学像を、3 研究から教育へ、4 大学に教育革命を、5 組織と意識を帰る、6 ストラテジー化する入試、7 大学を開くために、8 ユニバーサル化の衝撃。1はアメリカの大学で何が起こっているかを語る、ニューヨーク州立大学教授、カミングス氏との対談。他は、講演集がもととなっている。重複はあるが、よく書かれている。東大の教育学部の教授でおそらく文部行政、諮問委員会委員などをしておられたであろうからしかたがないにしても、文部行政への批判的な目があまりにも少ないいみで、公平とはいえない。ただ、日本の大学の生い立ちについては本当によく考察されている。大学改革に取り組む立場にいるものは必読。
(2003年9月23日)
- 「環境から身体を見つめるー環境ホルモンと21世紀の日本社会」村松秀著、国士館大学体育・スポーツ科学学会(ISBN4-900442-25-9, 2003.3.20)
理学科4年次総合演習 (Senior Integrating Seminar) の講師としてお呼びした NHK の科学番組ディレクターが、環境ホルモン問題と出会い、その言葉を提案し、各方面で別別に扱われていた問題の共通部分をあぶりだし、協力関係を築いた記録である。よくわかり易く書けている。最初は、自分の功績を誇るようなところがちょっと気になったが、実際に会ってお話し、問題自体も勉強し、この方の働きの重要性と、背景にある問題からいろいろと学ぶことができた。科学者の目を尊重している姿勢が非常に印象的だった。報道部門にそのような人がいることはとても貴重。実際には数が少ないようだが。
(2003年9月24日)