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2001年読書記録
- 「愛する人へ - あなたを愛する真実な方にふれて -」絵と文 志熊ふく子、His ミニストリーズ
ある方から、この本をいただき、後に志熊さんも紹介されたが、驚きは、序文を私の恩師 加藤亮一先生が書かれそれも、1991年11月3日とあったことである。先生は、この年のクリスマス 12月25日に天に召されている。その序文から。「何といっても本書の圧巻で読みどころは、その格調の高い散文詩であると思う。それこと、十字架の血によって救われ、あがなわれた著者が目に見えない上からの力によって示され、書き止めずにはおられなかったその着想を、直観的に或は瞑想的に又は、叙情的に書き綴られておられることに、私は、心からの尊敬と共に驚きの目を見張らざるを得ない。この散文詩の中に、志熊ふく子さんのしんしな信仰者としての姿が、また忠実な「主の証人」としての姿が浮き彫りとなって、わたしどもの目に迫って来るのではなかろうか。」わたしも、全く同感である。
(2001年1月6日)
- 「科学と宗教 - 一つの世界」J. ポーキングホーン著、本多峰子訳、玉川大学出版局
(原著:"ONE WORLD - The Interaction of Science and Theology", by John Polkinghorne), ISBN4-472-30241-1
著者は、1930年英国生まれ、ケンブリッジ大学教授(数理物理学)、ケンブリッジ・クイーンズ・カレッジ学長を経て、同カレッジ評議員・王立協会特別会員・英国国教会任命牧師、1997年爵位、という肩書の持ち主である。訳者後書きにもあるように、「科学と神学の両方に精通した学者たちが、宗教の提示する世界像と科学が明らかにして来た世界像との調和と相補完性を論じ始めています。本書には、その論旨が一般向けに分かりやすく書かれています。」正直、私自身、神学にも科学にも十分精通しておりませんが、ある程度自分なりに理解していた部分は、明確な言葉で語られ、どう考えたらよいか、全く分からなかった部分にある示唆が与えられ、非常に大きな刺激と感動を覚えました。著者は、もちろん、訳者にも尊敬の念を抱くと共に、私もまた、この「科学と宗教」「科学と信仰」の問題を正面から、謙虚に考え、探求していく勇気も与えられたと思います。是非、おすすめの本です。非常に分かりやすく書かれてはいるものの、高校1年程度の物理・化学・生物の知識と、ある程度の聖書およびキリスト教の歴史に対する理解はは助けになることは事実だと思います。
(2001年1月14日)
- 「世界の論争・ビッグバンはあったか (決定的な証拠は見当たらない)」近藤陽次著 講談社 (BLUE BACKS B1300, ISBN 4-06-257300-8)
著者は1933年生まれ、1965年ペンシルバニア大学天体物理学博士課程終了。同大学助教授を経て、アポロ計画からスカイラブにかけて NASA ジョンソン宇宙センターで天体物理部長などを務める。1994年国際天文学連合 (IAU)のシンポジウムを「ビッグバンを検討する」との名称で共同主催。表題によく内容が現われ、内容的には背景放射の問題など非常に限られた問題についての解釈が一通りでないことを示し、インフレーション・ビッグバン理論と、準定常宇宙論を中心に検討しているが、歴史的教訓から、インフレーション・ビッグバン理論は、単に一つの理論にすぎず、一般人に受け入れられているほど確実ではなく、そのことを明確にすることも天文学者の責任である。と主張している。天動説などから始め、今では誤っているとされている理論であっても、当時の観測技術等を考えると、それなりに必然の帰結であったこと。1920年に行われた、リック天文台のカーティスと、ウィルソン天文台のシャープレーの島銀河が他に存在するかの議論などにも触れ、最先端の科学が結論するものは、常に揺れ動くものであり、研究者は人間であるため、様々な思い込みなどによっても間違いを犯し、試行錯誤の繰り返しであることを強調している。私は、宇宙論については、全くのしろうとで何のコメントもできないが、インフレーション・ビッグバン理論は、十分検証された理論の上に建て上げられたものでないことは、再認識させられた。最後に著者はこうむすんでいる。「我々の研究成果は、必ずしも、常に最初の目的に達するものではない。だが、長い目でみれば、結果としては、宇宙と自然をより良く理解できる方向へ向かっていくものと思える。大事な点は、結果を早まらずに、偏見のない自由な精神を持って、未来へ進むということだ。」期待して待つことにしよう。
(2001年1月29日)
- 「決定版 完訳 グリム童話集 1〜7」野村ひろし訳 筑摩書房
2000年11月28日 書き込みに第1巻についてがあるが、1〜7巻の2の途中までしか読むことができなかった。子どもたちは、かなり読んだらしい。それぞれの巻には、訳者解説がありこれがとてもおもしろい、特に、1巻の「初版と第7版の違い」2巻の「グリム童話は残酷だと言うけれど」5巻の「グリム童話は子どもの本としてふさわしいか」は秀逸。特に、我が家の5人の子どもたちの成長を見守る私としては、下記の言葉は、非常に響いた。「人間がこの世に生きて行くためには、生きることの意味を見出すことが必要です。これは成人に必要なばかりでなく、子どもにとっても絶対に欠かせないものです。そして、それはまた老人にとっても欠かせないものです。だから、その意味が失われてしまったとき、人々は生きて行く意志をなくしてしまうのです。しかもそれは、ある年齢に達しさえすれば得られると言うものではなく、長い時をかけ、心理的な発達の過程を一歩一歩たどりながら、徐々に成熟していくものなのです。したがって、子どもたちの人生を豊かにする源となる物語というのは、子どもの想像力を刺戟し、知性の発達を助けるばかりでなく、子どもたちが直面している困難をわからせ、その困難を解決へ導くような示唆を与えることによって、自分と自分の未来について確信をいだかせるものでなければなりません。これが子どもの本の条件であるとベッテルハイムはいいます。けれども、今の子どもの本は、この要請にあまり応えていません。たいていの本には、死も老いも出て来ないし、人間存在の限界や永遠の生命への願いについてもほとんど語られていません。子ども たちは、これらの問題を、ことばで言いあらわせないにしても、痛切に感じていると言うのに」5巻 249ページ。
(2001年1月29日)
- 「折る紙の数学 (辺の 1/7、面積 1/7 はどう折るのか)」渡部勝、講談社 ブルーバックス (ISBN 4-06-257303-2)
「一枚の正方形紙から、楽しい数学が始まる」と、著者の考えたものやアイディアが沢山書かれている。私も、以前同じ種類の問題を考え、学生にも問題として出したことがあるので、興味を持った。身近な題材でいろいろと考えてみる楽しさは面白いですね。私は、子どもの頃、母が、定規である紙を何等分して線を引くとき、例えば、一辺が20センチのものを7等分すると言ったとき、定規の21センチを斜めにとって、3センチきざみで印をつけ線を引いているのをみて感心した記憶がある。母がどの程度平行線の理論を知って使っていたか知らないが、私も小学校低学年ですでに、こんなことをしていたことを思い出す。中学で、中線定理をならって、これで、紙を3等分することもできるなと思い付いたときは嬉しかった。そんな事を思い出させてくれるなんとなく懐かしい、そして、著者に親近感を感じる本だ。
(2001年1月某日)
- 「フーリエ級数とラプラス変換の基礎・基本」理工系数学の基礎・基本(3)、樋口禎一・八高隆雄著、牧野書店 (ISBN 4-7952-0133-1)
表題のものについて、概観を与え、沢山の計算例と微分方程式などへの応用がコンパクトにまとめられている。数学を専門とするものとして、常に、理論を学ぶことを中心に数学と接して来たが、数学以外を専門とする人に、フーリエ級数、ラプラス変換を最低使えるようにすることなどを考えたとき、このような本は非常に有効であると思われる。私にしても、計算をすべて追って読んだわけではないが、非常に短い時間で概観できたことも有効であった。そのいみで、良く書かれている本である。
(2001年2月1日)
- 「マンガ おはなし数学史 (これなら読める! これならわかる」仲田紀夫原作・佐々木ケン漫画、講談社 ブルーバックス (ISBN 4-06-257312-1)
数学教育・数学史にかかわるたくさんの著書を書かれている著者の作で、マンガが用いられていることは、興味深い。読みものとは、違った感覚に訴える意味では、よいと思うが、あまりにも情報量が少ない感じがする。内容も、確率・統計など、数学史では、あるていど脇に追いやられる傾向のあるものが丁寧に扱われているのは興味深いが、全体としては、内容が薄いように感ぜられる。原作者は、これを「数学基礎」でとりあげる数学史の副読本にでもなればと書いておられるが、このような数学史が「数学基礎」で取り上げられる内容なら、それは、「数学」の時間に取り扱われるべきではなく、歴史または、思想史のようなところで取り扱われるべきものではないだろうか。「数学」の時間では、「数学史」に焦点をあてつつも、その中の数学を教えなければ、ただでさえ短くなっている時間が無駄に費されるのではないだろうか。危惧を覚える。
(2001年2月5日)
- 「理系のための英語ライティング上達法 (情報を正しく効果的に伝える技術)」倉島保美著 講談社 (BLUE BACKS B1311, ISBN4-06-257311-3)
《あなたのボキャブラリーでもわかりやすく英文は書ける!》英文のビジネスレターや論文執筆に格好の指南書。文章構成、論理展開、状況にあった表現など。本書が紹介する手順に従って、英文を組み立てれば、自ずと「言いたいこと」が相手に伝わる。これが、本の裏に書いてある文章。英文の書き方に興味があって読んでみたが、「論文執筆」には、役に立たないであろう。いくつかヒントを与えられる人はいるかも知れない。これを読んでいて感じたのは、最近考える「言語能力」の教育である。日本の国語教育で文章構成、論理展開といったことの教育があまりされていないのではないかと危惧している。この本で書かれていることは、何も英語に限ったことではなく、文章を書くときの心得がほとんどである。この教育がしっかりと学科校教育でされる事を期待する。付録 B では、「E-mail での10の注意点」が書かれている、どれも私が常日頃感じていることだったが、この教育が今とても必要であると思う。ICUでも English Language Program (ELP) または、Information Literacy Program (ILP) で取り上げるべきであろう。最後にこの本の最後にある参考 Web Site を記する。
(2001年2月12日)
- 「楽しむ数理物理 ("なぜ?" をどう解くか)」吉福康郎著 講談社 (BLUE BACKS B375, 1979.1.24)
序論は、「物理学はなぜ数学を必要とするか」から始まる。著者は、音楽の楽譜のようなものと例えている。また、微分方程式などの方程式を立て、その意味を考えることを重視している。物理学におけるまたは、数学を用いて考える上での非常に大切な区別ではないかと思う。しかし、それでもなおかつ、この書のレベルの言葉としての数学にも拒絶反応を示してしまう人が多いのではないだろうか。数学リテラシーの意味でも、大学生では、この程度の言葉を理解しないでは、人間同士のコミュニケーションの大きな部分を放棄してしまっている気がする。数学教育にたずさわっているものの責任を感じる。扱っているトピックは、魚雷発見! 取舵一杯、煙突男と長い綱の問題、なわ飛び健康法の力学、バベルの塔と隠れた神の意志、ネコ舌の人向きのお話、恐竜は温血だったか?、なぜ真夏は夏至より遅いのか、省エネルギーを考える、などなど、なかなか面白いものが多い。個人的にも十分楽しむことができたトピックもいくつもあった。
(2001年2月25日)
- 「物理が苦手になる前に」竹内淳著 岩波ジュニア新書 365 (ISBN 4-00-500365-6, 2001.1.19)
ニュートンの運動の第一法則から第三法則、(「慣性の法則」「力=質量×加速度」「作用・反作用」) エネルギー保存の法則、運動量保存の法則、相関関係と計量化、科学史からのいくつかのトピックが、基本的な例の解説とともに平易に書かれている。個人的に印象的だったのは、あとがきである。「科学の啓蒙書は、諸外国にも数多いし、国内にも多くの優れた本があります。しかし、残念ながら啓蒙書の多くは、読者の科学への興味を喚起するために、多くの科学的トピックの羅列に終わっていることが少なくありません。たとえば、こういうとてつもなくおもしろい現象があり、あるいはまた、こういう興味深い現象もある。という記述です。読み終わってみると、なるほど科学はおもしろい、ということが理解できるのですが、では、科学とはいったい何であるかということを問直してみると、その実体を必ずしも理解できていないということがよくあります。自然科学はたんなる知識の集積ではなく、その根幹をなすのは、自然をどういうふうに認識するのか、そして認識した結果をどういうふうに応用するのかを考える思考方法の体系です。」と書いてあります。物理を外から鑑賞するだけでなく、その中に引き込むことに恐れずに挑戦し、高校では出て来ない、微分積分の概念も説明しながら解説している。高校生の一般教養というレベルでも是非おすすめしたい。
(2001年3月19日)
- 「アメリカ流7歳からの微分積分 (こんな学び方があったのか!)」ドナルド・コーエン著、新井紀子訳、講談社 ブルーバックス (ISBN 4-06-257224-9)
米国イリノイ州での小人数の課外活動の記録である。英才教育といっても良いだろう。様々な問から発して、発見的に学んで行く姿には、驚かされる。どのような問いをだし、子どもからの応答にどう答えて行くかには、教員の資質に負う部分が大きい。子どもの能力にも大いに関係するが、子どもとともに感動を共有できるのはすばらしい。私も、いつかこのようなクラブができたらとも思う反面、現在いる、自分のこどもたちに興味を持つような接し方ができないなら、結局成功はしないだろうとも思ってします。まだ、私には、本質がよくわかっていないようだ。興味深い本として、特に、教育にたずさわる人には、よい刺激を与えてくれるものを思う。
(2001年3月9日)
- 「現代に語りかけるキリスト教」森本あんり著 日本基督教団出版局 (ISBN 4-8184-0330-X, 1998.11.25)
大学の授業において、「キリスト教について、学問という窓を通して学び知ってもらうことを目的として書かれています。特にこの巻では、現代世界のさまざまな問題について、キリスト教では、どのように考えるのか、と言うことを主題に据えて書かれています。キリスト教に独自な論理 (信仰) では、自然について、人間について、歴史について、人生について、どのように考えるのか。そのことを知って、各人が自分なりの考えを深めるためのきっかけを得てくれれば、本書の目的ははたされることになります。(10ページ)」森本先生らしく、明解に、鋭く、洗練された言葉、表現を用いて書かれている。好著であり、是非おすすめしたい。プロテスタント奔流といったものがあるとすれば、そこに立っての解説であることに個人的に反論は一つもない。しかし、いくつかの説を退ける仕方に抵抗のあるキリスト者はある程度いるであろう。その意味で私個人とアプローチの仕方は異なる部分も何ヶ所かある。また、この書では、キリスト教信仰自体の解説には中心が置かれておらず、聖書を知らない読者には、十分伝わらない可能性が強い。しかし、おそらく、この書を教科書とする、教員にその部分は任されているのであろう。
(2001年3月20日)
- 「塩狩峠」三浦綾子著 新潮文庫 みー8ー1 (ISBN 4-10-116201-8, 1973.5.25)
「明治42年2月28日、クリスチャンの長野政雄が、鉄道職員として、信仰を職務実行の上のあらわし、人命救助のため殉職の死を遂げた。(あとがきより)」この長野政雄をモデルに書かれている小説である。しかし、あくまでも、主人公の長野信夫は、著者が作り上げた一人の人物である。それにしても、この本はどれだけ多くの人の心をうったことだろう。英語にも訳されており、ICUに客員で来られた、シェーファー先生にも私は、プレゼントしたが、非常に感動しておられた。私は、かなり以前に読んだつもりでいたがもしかすると、今回が読み通した初めかも知れない。映画は近年でも何回か見たため、映画の印象が強くなっていた。すべてのひとに、是非勧めたい一冊である。解説も、感想も、何も書かない方が適切であろう。何ヶ所でも涙を流した。最後に佐古純一郎の解説が載っている。そこで、「長野政雄という実在の人を原型としていながら、長野信夫は、結局作者の作り出した人物であるということは、それがまた三浦綾子さんの分身にもなっていると言うことなのである。」と書いてあるが、長野信夫のかなりのぶぶんに、夫の三浦光世氏の投影を感じ、ふじ子に著者の投影があるのは、確かなことであろう。つい、下らないことを書いてしまった。このページを御覧になった方々に是非読んで頂きたい。
(2001年3月22日)
- 「聖書と旅した商人 (にっぽん実業家列伝 1)」笹倉明著 アイシーメディックス発行 (ISBN 4-947735-04-X, 2000.12.10)
《病魔に倒れた父の死に始まる暗い時代から、囲碁・将棋盤の製造販売の業界ナンバーワンの座を占めるまで、聖書の中に人生の目的と真理を求めつづけた実業家、株式会社めぐみ堂 代表取締役 西本誠一郎氏の半生を直木賞作家が書き切る感動のヒューマン・ノンフィクション》が帯の言葉である。出版記念会に招かれ、そこで買い求めた本。印象に残ったのは、次の一節である。
《もともと職人上がりであったから、営業は不得手であり、大いに不安もあった。まるで旧約聖書中のアブラハムのように、行く先も知らずに約束の地に出ていくようなものだった。信仰と祈りだけが頼りであったが、商売繁盛しますように、といった自分のご利益を願う祈りはしなかった。
その代わり、訪ねていった店のために祈った。黙想して、神の祝福がありますように、と祈るのだが、すると、不思議と商品が良く売れるのだった。
人を祝福する祈りこそが、みずからに勇気と平安を与えてくれる。その真実も聖書はおしえてくれていた。》
そして「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだから。(ペテロの手紙第一、3章8節)」を引用している。私も、学生一人一人、教員や、職員また、他の方々と接するとき、このような態度で接したいものだ。
(2001年4月2日)
- 「データの互換・変換で困っていませんか?」株式会社ユニゾン著・IDGジャパン発行 (ISBN 4-87280-421-X, 2001.1.25)
Windows と Macintosh、作成アプリケーションの違い、画像・映像・音などのファイル間、電子メールでの問題について書かれている本は、たくさん出回っている。個人的にも私が手に取ってみたものだけで、この本は、4冊目ぐらいだと思う。この書にしても、1時間もかからずに、ざっと読んでしまったし、自分にとって画期的な解決法がかかれていたわけではないが、私の好みによくあっている本である。まず、最初に「ファイルについての基礎知識」からときおこし、問題がなぜ発生するかを平易な言葉と例でたくみに説明している。コンピュータで問題が起こったときの一番の問題はそれが精神の安定を破壊することにあることを思うと、このような説明は、多くの読者の精神を安定させることに大きく寄与すると思われる。コンピュータの発展の歴史もかいま見えるように説明がされている部分も多く、問題解決とは別に、楽しんで読むことができるのではないだろうか。よく、まとまった表もありがたい。この本で扱っているテーマに対する、それぞれのユーザーにとって完全な解決は本来存在しないのであるから、他の書で取っているような、How-To に集中した解説は、ゴミでしかない。この書の著者たちがそれを意識したかどうかは別として、困ったときの単なる解決法ではなく、困ったときの心をも取り扱ってくれているような気がして、好感が持てた。この書の目的からは外れるが、個人的には、オープンソースの Unix-Linux の世界、またはネット上でファイルの変換をサポートするグループが現われ、それをそれぞれのアプリケーションメーカーもサポートするような社会が好ましいと思っている。まず、問題を冷静に受け取り、コンピュータ・ネットワーク社会の成長と成熟につながるようなステップとなればすばらしいのだが。このようなことを考えるのは、MS 帝国主義にあらがって生きているからかも知れない。しかし、同時にコンピュータの社会でも、真の国際化を中心コンセプトの一つのすべきだとも思う。
本書の最新情報:http://www.idg.co.jp/
(2001年4月6日)
- 樋口禎一・渡辺公夫著「複素解析学の基礎・基本」理工系数学の基礎・基本(2):牧野書店 ISBN4-7952-0132-3
複素関数論の基礎について、基本的なことは、順序良く記述され、まとめられている。この168ページで、気楽に読むことができ、数学または物理の一部以外では、この程度をまず、身につけることが大切と言う意味で良く書かれている本である。しかし、ざっと読んだだけでもいくつかのミスプリ、例の重複や、扱いにもうすこし工夫があったらと思う点も多少あった。一部を GIF file とした。
(2001年4月13日)
- 「学力があぶない」大野晋・上野健爾著 岩波新書(新赤版)712 (ISBN 4-00-430712-0, 2001.1.19)
帯には、「国語をどうするのか?数学はどうするのか?語り合い、論じつくす --- 緊急出版」とある。大野晋は学習院大学名誉教授(国語学)、「日本語練習帳」で私は知ったが、この本は私には難しく、少しずつ読んでいるがまだ読み終わらない。ご本人は「僕自身はいい日本語を読みたい、ちゃんと読めてわかるような人間になりたい、願わくば自分がいい文章が書ける人間になりたい (p227)」とずっと思い勉強してきた人間だと言っている。上野健爾は京都大学教授(数学:複素多様体論)、直接お話したことはほとんどないが、まさに数学の専門家である。最近は数学教育の研究会の活動もしている。私自身、言語能力と数学力を基礎学習能力として位置づけその大切さを最近考えてきているのでこのタイトルに興味を持った。学力とは何か、何を教えるべきかを正面から議論している。二人とも学校教育の専門家ではないが、この議論の姿勢には非常に感銘をうける。教育に関することに結論はないと思うが、上野氏は最期に次期学習指導要領の実施の阻止を訴えている。それだけの危機感をもって訴えておられる姿に日本だけでなく、人類の将来を憂える一人の人間の姿がみてとれ感動を覚えた。同じことを考えながらも政治的行動には熱いものを感じない自分の醒めた姿勢とも比較してしまった。細かい点では、疑問もある。ここで論じられている教育は、両先生の周りのかなり能力のある子どもを想定していること、教師にもかなり高い学問的・人間的資質を求めていること。実践プログラムにおいては単純ではない問題をたくさん内包している提言だとも思う。
(2001年4月17日)
- 「だまし絵であそぼう」杉原厚吉(文)・早川司寿乃(絵) 科学であそぼう12 岩波書店 (ISBN 4-00-116322-5, 1997.9.25)
だまし絵は、エッシャーなどの絵で有名であるが、この子ども向きの絵本では、だまし絵を描いたり、工作したり、だまし絵について説明したりしている。非常に単純なだまし絵ばかりであるが、だまし絵を描いたり、作ったりという部分に、新鮮なものを感じ興味を持った。著者は東京大学の計数工学教授で、ロボットの目の研究者。「おわりに」の文章を読むとなるほどとうなずくことになる。短く引用する。「だまし絵は、私たちの目には立体を正しくあらわしていないように見えます。ところが中には、ロボットに見せると立体をあらわしていると答えがかえってくるものもありました。はじめはロボットに組み込んだプログラムがまちがっているのだろうと思ったのですが、そうではありませんでした。だまし絵の中には、本当に立体をあたわしているものもあることがわかってきたのです。この発見のおもしろさをみなさんにつたえることができたらいいなとおもって、この本を書きました。」
(2001年4月23日)
- 「図解 コンピューター・ウイルスから自分のパソコンを守る本」コンピューター・ウイルス研究会 (株)中経出版 (ISBN 4-8061-1447-2, 2001.2.26)
コンピュータ・ウイルスはネット不法侵入とともに、インターネット上でコンピュータを日常的にそれも仕事に関連して利用しているものに取っては脅威であり、常に意識していないと行けない問題である。そのための知識および考え方の整理のために手に取ってみた。(2時間でわかる)とかかれていたが、2時間もかからず読み通しかつ、新しいことは何も得られなかった。もう少し専門的な内容も丁寧に説明し、かつ、ウイルス発見・対処などについても具体性をともない、提言できるようなものを含めて欲しかった。この程度であれば、雑誌の特集にも内容的に足らない程度ではないだろうか。しかし、今後の対応のためにも、また、この項を見て下さった方のためにも、この本に載っている参考ホームページを下記に記すこととする。(コメントはこのページの管理人)
(2001年4月25日)
- 「名画で見る聖書の世界〈新約編〉」西岡文彦著 講談社 (ISBN 4-06-269124-8, 2000.10.15)
私にとっては始めての美術解説書。非常に楽しく読むことができた。美術の才能のない私にとっては美術は眺めているのは楽しいものの、なんとなく絵について語ることにも後ろめたさを感じていた。色盲ということもなんとなく理由にしながら。しかし、ICUに移ってから人文科学として、美術史の話を聞く中で次第に興味を持ち、この本を手にしてみた。宗教画の画家・芸術科たちは、例えば、教会音楽に関するカントールの様に全ての宗教表現を任せられていた。その意味で神学も信仰も全てがそのなかに表現されているのは、当然である。私が書くのは失礼だが、聖書理解もしっかりしていて、聖書を知らない人への説明としても良く書かれていると思う。これから、少しずつ美術を楽しんで行けたらと思う。なお著者は、1952年山口県生まれ、版画家、美術評論家、多摩美術大学講師、著書多数
(2001年4月30日)
- 「ギリシャ悲劇(神々と人間、愛と死)」川島重成著、講談社学術文庫1395 (ISBN 4-06-159395-1, 1999.9.10)
アイスキュロスの「アガメムノーン」、ソポクレースの「アンティゴネー」、エウリーピデースの「メーデイア」と、三大悲劇詩人の代表作を取り上げ、その女主人公の人間像を通し内在的作品解釈によって鮮やかに解き明かす。というのがこの書の概要である。川島先生から献呈でいただいた本に対する感謝は、それに対する感想を書くことによって表したいと思う。川島先生の古代ギリシャの思想とギリシャ古典に対する愛情がこの書にも生き生きと語られている。先生の語り口調も伝わってくるようで読んでいて楽しくなる。古代ギリシャ社会における、男のポジティブなイメージと対照的に女のネガティブなイメージとして片づけられやすい男女の位置に疑問を投げかけ、「このようなギリシャ社会史研究の現場からの問題提起に正しく応えるためにも、まずなすべきは、ギリシャ悲劇のテキストそのものに深く沈潜することではあるまいか。われわれの時代の問題意識を先行させて、それを悲劇作品に読み込み、ひいては、悲劇を生み出した古代ギリシャ社会に押しつけるようなことは慎まなければならない」と古代ギリシャの悲劇作家の立場にたつかのごとくに解釈を組み立てていっている。そして、「結論的に言えば、アテーナイ社会は確かに社会史研究が指摘するような市民(男性)中心の排他的イデオロギーに立つ閉鎖社会でありながら、しかし他方で自らの政治的理念を相対化し、それに対抗する言説、具体的にはたとえば女性の側からの根源的な批判に耳を傾けようとする視座を、まさにその社会の最大の公的行事たる悲劇上演において保持し続けるような柔軟性を持ち合わせた社会であったのである。このように他者に開かれた視点を持ち得た根本的な理由は、アテナーイ人が全体として人間を越えるものに対する健全な感性の持ち主であったことによると考えられる。」(357ページ、あとがきより)川島先生の解釈の素晴らしさは、その根底にある、先生の古代ギリシャ人に対する愛であろう。わたしは、「アガメムノーン」、「アンティゴネー」の川島先生の解釈について、特別の賛辞を贈りたい。詳細は書くことができないが、とくに女性の視点をしっかりと受け止め、男性社会の政治的理念を相対化するすごさには、正直感動を覚えた。しかし、「メーデイア」においては、私の解釈の浅さゆえとおもうが、メーデイアのついに子供殺しを敢行する行動を「メーデイアはまさにそのことにおいてテオス(神)になったのである。」(336ページ)としているのは、せっかくのテキストそのものへの深い沈潜から育まれた人間理解への道からエウリーピデースとともに女性の心を闇に葬ることになるのではないのか。すこし残念な気がした。
(2001年5月3日)
- 「チマッティ神父 -- 日本を愛した宣教師」テレジオ・ボスコ、ガエタノ・コンプリ共著 ドン・ボスコ社 (ISBN 4-88626-302-X, 2001.2.8)
カトリック信者の同僚からいただいた。裏面には次のように書かれている。「1925年7月18日、日本への宣教団の団長になることを告げられたチマッティ神父は日誌にこう書き記した。『今日をもって、任期がおわる。これから新しい考え、新しい志・・・。日の出の国、桜の花、菊、米、火山、地震・・・・。素晴らしい自然の宝庫。喜びの涙が出る。ああ、日本!これからこそ、私に神が必要となる。新しい生活が始まる。たくさんの笑や喜びがあろうが、多くの苦しみもあるだろう』と。」これが日本への出発である。1879年7月15日生まれのヴィンチェンツォ・チマッティが46歳の時のことである。サレジオ会に属し、その会の創設者でもあるドン・ボスコを尊敬し、音楽の才に優れたくさんの歌をつくった神父である。1965年10月6日、86歳で召されるまで、骨の髄まで日本人になりたい、日本の土になりたいとすべてを日本に捧げ尽くした一人の信仰者の謙虚な一生がつづられている。「サルとカニ」「でんでんむしむし」「うちの子ねこ」「ふじの山」「ねんねんころりよ」「春が来た」などの作曲もこの方の手によるという。戦争中の異常な中では、「これは病気である」と言いつつも、紀元2600年の祝いには「国のはじめをたたえて」というピアノソナタを作曲し本人の伴奏で曲がラジオで全国放送されたり、「広瀬中佐」なども作曲している。役職につくことは極力さけ、勤勉な労働によって仕え続けた人である。伝記の書き方は、たんたんとしていて、これがカトリックの方式なのかと思うが、飾らない一生が余計輝いているようにも思われる。人間の社会もこのような素晴らしい一人の人生に多くの人が支えられていることを思わされ特別の感謝の気持ちを持つことができた。調布市富士見町のサレジオ神学院内にチマッティ資料館がある。
ホームページ:チマッティ資料館
(2001年5月4日)
- 「日本語と数理」細井勉著、共立出版 (ISBN 4-320-01344-1, 1985.10.1)
日本語の言い回しにおける論理的不明確さ、数学における日本語の用法と日常的な使用法の違いが、著者の数学・コンピュータ教育における学生の誤解、または、学生への調査を用いて書かれている。各章のタイトルは、以下のとおり。「あしたはどこへ行ったのでしょう」「いまって、なぜか、ねばっこい」「西の方って」「無限って、簡単に言いますが」「ぜんぶ白くない、ってどういうこと」「『勝手に』といっても、勝手にはできません」「部分は一部分とは限りません」「限らない、ということ」「ならば、っていうこと」「『ならば』は、なぜ、難しい」「及びと並びに」「太郎か花子」「そのつぎに小さい数」「5日まで」「だぁれもなんにも見なかった」「ないものはない」「なければならない」「お弁当にしゅうまいはいかがですか」「国語辞典と反例」「法則と理論」「直方体って?」「言葉と数学」。完成度が非常に高いとは言えないものの、考えさせられるトピックが多く、特に、日本語における論理に興味のある方、そして、数学の教育に携わっている人にはおすすめ。個人的に興味をもったのは、数学の世界で通常使っている言い回しを、日常会話の中でもさもそれが論理的な言い回しとして使い、日本語としては、不適切になっている表現がいくつもあること。『ならば』の難しさ。数学という限られた世界における論理の訓練はされていても、日本語を用いた論理表現を必ずしも適切にすることができるわけだとは限らないこと。日本語は時には、二値論理というより多値論理の表現の要素を持っていることなど。
(2001年5月7日)
- 「変化をさぐる統計学 --データで『これから』をどう読むか」土金達男著 講談社 (BLUE BACKS B1319 ISBN 4-06-257319-9, 2001.2.20)
島根県立大学総合政策学部教授、経済学博士(米国メリーランド大)の土金氏の語ったものを岩下誠徳氏(新聞記者出身の企業研修のインストラクタ)が書き下ろすという形で書かれている統計的手法を用いた経済予測の考え方および手法のいくつかを紹介した本。その意味で数学的な意味での統計学の本ではない。数学の理論的なものは、何も含んでいない。経済における統計的な考え方の基本は「過去からつながる現状をいかに解釈するか」であることをふまえて、回帰分析など多変量解析の基礎を多少述べ、その上で、これらでは得られない、構造変化を読み取ったり予測する手法を紹介、最後には、複数のシナリオを用意することにより予想が外れたときに備えることなどを説明している。最後の複数シナリオの考え方はつい楽観的シナリオを作りやすい人間、特に政治組織、行政などには有効であろう。しかし、全体的に、科学的分析とは、かけ離れ得るものがほとんど無かった。数学を実際に使う場面が知りたかった。
(2001年5月24日)
- 「20世紀物理はアインシュタインとともに --同時代の物理学者との交流と論争」中村誠太郎著 講談社 ブルーバックス B1314 (ISBN 4-06-257314-8, 2000.12.20)
著者は、湯川秀樹博士の最初の直弟子の物理学者、東大理学部教授、などを経て東海大学名誉教授、著書多数。20世紀前半の物理学の発展を書いた本は多く、この書のかなりの部分もほかの書に含まれている。しかし、各所にある「コラム」などの挿話、その他、非常に良く調べられてあり、引用も興味深い。また物理に関する記述は素人にその部分を分かりやすく説明するものではないものの、読んでいて安心感がある。第1章 特殊相対性理論の建設、第2章 一般相対性理論へ、第3章 量子論の展開をめぐって、第4章 同時代の学者との交流、第5章 宇宙論、第6章 ヨーロッパからアメリカへ、第7章 原爆と平和運動。「学界でみとめられて、ベルリンのカイザー・ウィルヘルム研究所の物理学部長になり、さらにアメリカに行き、アインシュタインのために創設されたプリンストン高級研究所で余生を過ごした。質問に来る学生には喜んで話をした。晩年、イギリスの数学者、哲学者バートランドラッセルらとともに、核兵器戦争の反対を世界に訴えた、休む間もない人生であった。『人間が世界から賞賛されたために、自らが堕落することを防ぐ道は一つしかない。それは働くことである。』これがアインシュタインの信念であった。(7ページ)」最後は「アインシュタインはいつになっても庶民であり、学徒であった。一生濁りのない純粋な人間として生き抜いたと言うことができる。(181ページ)」これが著者のアインシュタインの人となりに関する評であろう。その意味で素朴なアインシュタインの記述に好感がもてる。
(2001年6月11日)
- 「アメリカ流7歳からの行列 (目で見てわかる!)」ドナルド・コーエン、新井紀子著、講談社 (BLUE BACKS B1327 ISBN 4-06-257327-X)
「アメリカ流7歳からの微分積分」ドナルド・コーエン著、新井紀子訳、講談社 の続編と考えてよい。米国イリノイ州での小人数の課外活動の記録に、新井紀子が書き加えて、今回は共著という形を取っている。2×2の行列により、平面上の図形がどのように移されるかを実験的にしらべ、発見的に学んで行く手法を取っている。可逆性の判定なども取り扱っているが、正直、微分積分のときほどの子供の生き生きした発想が伝わって来なかった。感激を伝えたり共有することの難しさもあろう。しかし書き方の工夫がもう少しほしかった。期待していただけに多少残念。コーエンのこの活動に関するホームページアドレスが出ていたのでリンクを張っておく。http://www.shout.net/~mathman/
(2001年6月17日)
- 「微分と積分超入門」平野葉一著、エスカルゴサイエンス 日本実業出版社 (ISBN 4-534-03222-6)
『微積のキホンのキから微分方程式までを超図解でやさしく解説。微積の世界のおもしろさ、楽しさ、奥深さに触れながら、いつの間にか微積に強くなれる。』と書かれている。このような本が出てさまざまな形で数学に触れる人が増えるのは非常に好ましい。絵も美しいし、説明も上手である。しかし、最後の『いつの間にか微積に強くなれる。』はさすがに無理であろう。そのためには、深く論理的に理解するか、十分な計算をしてなれるか、ともに重要なことであろうが、すくなくともこのどちらかは必要だと私は思う。
(2001年6月19日)
- 「Web ページデザイン」定平誠・兼平敦・楠本真司・華山宣胤 共著 オーム社出版局 (2000.9.20, ISBN 4-274-13212-9)
『ホームページデザインからCGIの活用方式までステップ方式でマスターできる』となっている。ホームページ関連の本は沢山出ていて、私もおそらく10冊程度はながめたことがあると思うが、この本の書き方はしっかりしていてある程度論理的で、読み心地もよい。HTML4 を中心に、Webページの設計・デザイン手法、Webページの基本設計、Webページの応用デザイン、画像の加工と編集、動画の加工と編集、音楽の加工と編集、CGIとフォームの活用、アンケートの企画・設計・集計のしかた、Webページに役立つ知識、とつづき、所々にコラムが配置されている。browser に よる部分については、必ずしもきっちり書かれているわけではないが、注意として述べられている。HTML4.0 の構造的な部分にも言及され、単に How-To だけにはなっていない。おそらく、著者たちの属する 尚美学園大学 などでも用いた素材が使われているのであろう。単に一方的にマニュアルを書いているのではない雰囲気が良い。アンケートの部分に沢山量が取ってあるわりには、他との調和に欠けている、また、画像、動画、音楽などへの記述が中途半端(網羅的で深さが足りない)な感じがする、Java or Java Applet への記述がまったくない、HTML の隠し技などがほとんどなく不満があるが、美しい装丁、読みやすさからして個人的にはおすすめの一冊。ただし、何も知らない人がこの本だけでホームページが作れるようになるとは到底思えない。ある程度知っている人、または、テキストとして使うと言うことであろう。
(2001年6月23日)
- 「数学者の20世紀 -- 弥永昌吉エッセイ集 1941ー2000」弥永昌吉著 岩波書店 (ISBN 4-00-005522-4, 2000.9.26)
数学者 弥永昌吉氏の様々な雑誌等に寄稿したものといくつかの書き下ろしを集めたもので、「純粋数学の世界」弘文堂 (1942)、「数学者の世界」岩波書店 (1982) に続くものである。1章 数学と数学史、2章 戦後の時代、3章 読んだ本から・ことばの問題、4章 教育の問題、5章 先輩と友人、6章 平和への思いとなっている。1906年生まれの著者は、1929年東京帝国大学を卒業してからヨーロッパなどに滞在し、1935年から助教授として東大へ、この翌年退職された高木貞治先生の演習の手伝いもし、名著「解析概論」の成立にも協力されている。20世紀のほとんどすべてにおいて日本の数学の中心的存在として、国際的にも活躍された記録が記されている。個人的には、第一章にある数学思想の流れにおいてプラトンの「メノン」からの引用、ローラン・シュワルツの「数学者は、数学はヒューマニスティックなものでなければならないと思っているのに、他の分野からは、数学は技術であると思われがちである。」と表現された言葉、遠山啓氏の言葉「数学教育は、地味な仕事であるから、はでごのみなひとは数学の教師などにはならぬ方が良い」といいうことばから説き起こして、数学教育における「はで」さと「じみ」さの双方の大切さについて書かれた部分 (ICUの一般教育科目数学の「数学の世界」と「数学の方法」にも多少通じる)、中等数学教育に関する往復書簡で、戦時中、皇国史観のもとで数学教育が変えられて行こうとされたときの文部官僚との往復書簡 (歴史的価値も非常に高いと思われる)、秋月康夫氏が一生を通じてその信念を表明したとして引用されている「真理に対する純真な憧けいに基づき、その存在意義に秀徹した反省をもち、鋭い独創力によって始めて顕現せられる「人格としての数学」は非常時局の今日益々強調せらるべきものと私は固く信ずる。」など、印象にのこった部分が多かった。貴重な一冊であろう。全体を通して、若くしてヨーロッパで数学の研究をされそのときに培われたと思われる氏の語学力も手伝って、世界の一流の数学者たちとの交流が、深さをもって語られており、一つ一つ印象が深い。鈴木通夫先生の告別式のおりにICU チャペルに来て下さった姿が思い出される。
(2001年7月3日)
- 「ジェンダーフリーの絵本1--こんなのへんかな?」村瀬幸浩(文)・高橋由比為子(絵)、大月書店 (ISBN 4-272-40441-5, 2001.1.15)
「ジェンダーフリーの絵本2--生きるってすてき」橋本紀子(文)・高橋由比為子(絵)、大月書店 (ISBN 4-272-40442-3, 2001.1.15)
「ジェンダーフリーの絵本3--働くってたのしい」朴木佳緒留(文)・もりお勇(絵)、大月書店 (ISBN 4-272-40443-1, 2001.2.15)
「ジェンダーフリーの絵本4--女と男 これまで、これから」中嶋みさき(文)・もりお勇(絵)、大月書店 (ISBN 4-272-40444-X, 2001.3.15)
「ジェンダーフリーの絵本5--いろんな国、いろんな生き方」伊田広行・堀口悦子(文)・石橋富士子(絵)、大月書店 (ISBN 4-272-40445-8, 2001.4.12)
「ジェンダーフリーの絵本6--学びのガイド」田代美江子(編)、大月書店 (ISBN 4-272-40446-6, 2001.4.12)
この絵本によれば(6巻)ジェンダーフリーとは「男はこうあるべき、女はこうあるべきといった性別に対するかたよった見方や思い込みから自由になり、性別にとらわれないこと。」とのこと。それぞれの仕方で6巻の絵本が作られている。個人的には、1巻2巻の取り扱いかたには疑問を感じる。3巻は問題提起としては適切。4巻5は秀逸、5巻も良い、6巻はよくまとまっているが利用のしかたは簡単ではない。ジェンダーの問題は難しい。それは、まず第一に発言する人はかならずどちらかのジェンダーに属していて発言が中立ではあり得ないこと。私の書いた感想はあくまでも「一男性」の感想である。第二に生殖にかかわる性の受け取りかたが、社会の変化とともに個人によって大きく異なる状況が急速に進んでいること。第三に男女の統計的差異をどうあつかうかの問題である。この違いを認めないのはありのままを受け入れることに反する。第四に上記の統計的差異のゆえに社会的差別、および社会的障壁がさまざまな社会で歴然とありそのゆえに苦しんでいる人がたくさんいることである。ジェンダーフリーを考えるとき、男性と女性は違いはないという見方と、人間はみな非常に違いそれは性の違い以上のもので、一人ひとりの違いこそが大きい、そしてこの違いこそが大切だとする見方である。この後者は魅力的だが、前者はその見方だけでジェンダーの問題を解決しようとすると問題を生じる。上記、第二・第三の問題があるからである。それが、わたしには、4巻5巻と1巻2巻との評価の大きな違いとなって現れる部分である。我が家は男の子3人女の子2人がいるが、私の目には性別の差は歴然としている、同時に性差以上に個人の違いそれも生まれ持ってきたものの違いは大きいと感じている。また、家内のおなかに赤ちゃんがいて、生まれてからも一年ほどは乳飲み子に対して男親のできることが非常に限られていたことを考え(わたしはかなりの割合で人工乳の授乳をしたが)そして3歳ぐらいからは男親の役割の重要さを感じているので、出産と育児についてもっとジェンダーを考えるときに積極的に取り扱わなければ、単なるそれぞれの性からの権利主張に終わってしまいかねないと思う。男にうまれて、女に生まれての項に学生に書いてもらっている (2001年度版・2000年度版 参照)が、まず大切なのは自分の性と生をしっかりと受け止められるかだと感じる。
(2001年7月7日)
- 「ポアンカレの贈物 (数学最後の難問は解けるのか)」南みや子・永瀬輝男共著、講談社 (BLUE BACKS B1322 ISBN 4-06-257322-9)
ポアンカレ予想とは『3次元の閉多様体で、パイワンが消えているものは、3次元のスフェアに同相である』というトポロジーの問題で、著者たちは「四色問題」「フェルマーの大定理」と並んで数学の三大難問のひとつと呼んでいる。他の二つは前世紀に解決している。前半は南氏が担当し小説の形で書かれている。友人の立花君が「僕が実現した多様体だよ、パイワンが消えているけど、三次元のスフェアと同相じゃない。とてもとても貴重な物なんだ。だから君にあげる。」と言い残してある「物体」をおいて行ったという設定から始まっている。これが実は、本当ならポアンカレ予想の反例である、ということがわかることになる、それを弥生がだんだん理解して行くという筋書きである。後半は、永瀬氏がある程度数学の言葉を使い(横書きで)、この問題の現状と言う形で概要と、ハーケンのこの問題解決に関する戦略を紹介している。特に前半は意欲的であるが、小説としても、数学としても中途半端な感じが否めないのは仕方がないであろうか。途中、弥生の母の言葉として「女は、男に弱みを見せられると、捨てては行かれなくなるものですよ」とあるものを「マザーの定理」とよんで論理展開したり、ふと迷い込んだ江戸時代での算額などの話題が登場したり引き込まれる部分もある。個人的には、3次元のなかには収まっていない問題をお話として語るのは、どうしてもあるレベルを超えることができず、中途半端になりやすいという感じを最初から最後まで持ってしまった。かなりの数学的訓練をうけたものでも、よく間違ってしまう直観的議論をお話で説明しても限界がある。このような本でのこの主題の説明の限界も露呈しているように思われる。あくまでもトポロジーに関してはしろうとの私が単純にだまされないぞと思いながら読んでいる特殊事情によるもので、もっと楽しめる人も多いのかも知れない。
(2001年7月11日)
- 「バナッハ・タルスキーのパラドックス」砂田利一著 岩波科学ライブラリー49 岩波書店 (ISBN4-00-006549-1, 1997.4.22)
バナッハ・タルスキーの定理は、逆理 (パラドックス) とも呼ばれ、その主張は次のものである。『大きさの異なる二つの球体 K と L を考える。このとき、K を適当に有限個に分割し、それらを同じ形のまま適当な方法で寄せ集めることによって、L をつくることができる。』数学的には、『3次元以上のユークリッド空間に有限加法的で、合同変換群で不変な測度は存在しない。』も主張している。この定理が今年のICU数学サマーセミナー(学生主催)のテーマであった。わたしは、このセミナーで勉強するまで全くこの定理を知らなかった。後の方の主張は数学の一つの「心地よい」結果に見えるが、前者は何ともなっとくが行かない。もう一つのテキストは、志賀浩二著「無限からの光芒−ポーラ
ンド学派の数学者たち」日本評論社 1988年、であったがともにこの不思議な世界を非常にすばらしい文章で表現している。志賀氏の本には証明の概略しか載っていないが、砂田氏の本書には最後に完全な形で証明がのっている。理学部数学科の学生であれば、2年目がある程度すんでいれば、ICUでは3年の春学期が終了していれば証明も十分理解できる。本書では、へーゲルの「世界を動かすものは矛盾である。矛盾を考えられないということは、笑うべきことである」を引用し、矛盾について、数学における矛盾について丁寧に説明している。無限についても丁寧に説明されている。鍵のひとつの選択公理も数学基礎論なかでの扱いというより、一数学者の視点をもってページを割いて説明している。もう一つ証明の鍵となる2つの元で生成された自由群の話では、スウィフト「ガリバー旅行記」の「空に浮く島」ラピュータでの言葉のはなしから解き起こし証明の本質に関わる部分を説明している。囲み記事も含め砂田氏の教養と数学の深さ・広さをそこここに感じさせられ、この小さな本を非常に高い価値を持つものにしていると思う。最後の証明の部分以外は大学生ならだれでも読むことができまた楽しめるであろうが、大学の数学の基礎を多少学ばれた方には是非おすすめの一冊。
(2001年7月14日)
- 「マンガ 化学式に強くなる (さようなら「モル」アレルギー)」高松正勝原作・鈴木みそ漫画、講談社 (BLUE BACKS B1334 ISBN 4-06-257334-2, 2001.6.20)
埼玉県の高校教員である高松氏の原作をホームページなども開設している漫画家鈴木みそが書き上げている。漫画をもちいると内容的にはどうしても薄くなる。本書も化学の部分のみをまとめて書けば10ページ程度のものであろう。しかし、10ページの内容はかなり多い方である。ということは、特に最初は言葉の解説などに終始し漫画のたのしさは余りないと言うことでもある。これで高校化学IBの基本的な部分がどの程度理解できるようになるかは人それぞれであろうが、それなりのつぼは押えられており、本書を楽しんで次のレベルへとむかう人が多くなることを期待する。あまり感心しないのは、教師として教え込もうという部分が全体として強く、違う種類の説明により理解することができ苦しさから開放される面はあると思うが、化学の楽しさがどの程度伝わるかは疑問。面白いと思うのは、1モルの「理想」気体が常温で22.4リットルということや、アボガドロ数その他をいろいろと実験で確かめて行く姿勢を何箇所かで示していること。実際の実験をいろいろとしながら理解して行くことが高校でも十分なされ、かつ生徒に実験も計画させるような取り組みがなされればもっと化学や科学の楽しさが伝わるであろう。知識を習得したり問題が解けるようになることを学校教育で最初にするのはおおいに問題がある。実験のようなことこそなかなか自宅ではできないのであるから、それに力を入れるべきではないだろうか。
家のなかに転がして置いたら中1の3男が「余り良くわからないけど」と言って2回、中2の次男が「多少わかるよ」と言いながら1回、最後に高2の長男が「あいつら(次男3男)にはわかるわけねーよ」と言いながら1回読んでいた。他の本でつってもうまく行かなかったことを思うと漫画は確かに恐ろしい効果である。長男に「それでわかったの」と聞いてみると「微妙だね」といつものようにはぐらかしていた。さてどうだったのでしょうか。
(2001年7月17日)
- 「新装版:集合とはなにか (はじめて学ぶ人のために)」竹内外史著、講談社 (BLUE BACKS B1332 ISBN4-06-257332-6, 2001.5.20)
1976年に出た版に『数学セミナー』(日本評論社 2001年4月号)に発表した評伝「カントール」を加えて復刊したものである。第1章 立場の変換ー翻訳語としての集合、第2章 天地創造ー楽園追放、第3章 公理的集合論ー現代数学の基礎、第4章 現代集合論ー華麗なる展開、第5章 未来への招待ー私の立場から、そしてカントールが続く。まえがきに3種類の人を想定して書いたとある第3番目「数学に関係のある大多数の人。すなわち集合はしょっちゅう使っているが集合とはなにかと言うことを考えたことのない人」の一人として特に第3章までは、楽しく読ませていただいた。第4章、第5章は難しかった。あとがきに参考書がのっているが機会をみつけて「現代集合論入門」(日本評論社)、「数学基礎論の世界」(日本評論社)なども読んでみたい。カントールの最後の部分にカントールは自分で築き上げた(素朴)集合論に内在する矛盾を自分で発見しておきながら、その問題については常に楽観的だったことを述べた後で、「集合論の矛盾が言っているのは『集合全体を一つの集合と考えるのは、その集合に入らない集合が存在するので矛盾する』ということであり、私はこれは本当の矛盾ではないと思います。これは集合の universe が growing universe であるといっているだけです。」と著者は述べているが、立場の変換、そして天地創造と進んだ集合論における通常「矛盾」と言われるものをこのように表現され非常に感銘を受けた。もう少し勉強してみたい。
(2001年7月18日)
- 「現代に生きる聖書」曽野綾子著、NHK出版 (ISBN4-14-080608-7, 2001.5.25)
「NHK人間講座」で2000年7月から9月に放送されたテキストに加筆しまとめたもの。カトリック信者である文筆家であり、日本財団の会長もしている。内容は平易な聖書入門講座となっている。聖書に出て来る愛を表す二つの言葉の一つ「フィリア」は「好きであること」としたあとで (通常は友愛と訳される)、「アガペー」は「理性の愛」であると言い、次のように続けている。「私たちはしばしば、愛すると言うことが自然発生的な感情の結果であると思っています。でも、そうではないのです。本当の愛は、私がこの人に対してどうあるべきかと言うことをする、そのことが愛なのです。つまり、努力の結果です。あるいは、そこに裏表があって構わないということです。」(55ページ)と書いている。かなりはっきりとした表現である。そのことがヨハネ21章15ー17節の解釈にも表れており、主が最後に「フィリア」を使われた箇所を「神が人間の方に下りて来る」というタイトルで括っている。202ページでは、コリント第一13章の解釈として「私たちは、愛は観念であり、心のなかの問題だと思っています。しかし、この1節を通してパウロが言っているのは、愛は観念ではなく行動だということです。そして、行動と言うことであれば、私たちはみんな間違える。間違えない人は一人もいない。だから、相手が犯したことをまず許すこと(寛容)から始めるのだ、と言っています。」と説明している。86ページには「シャローム」は「なにものも欠如しない状態」と記している。このような本を読むとき、自分にとって目新しいことに目が行ってしまうが全体として感じるのは、当り前のことだが、この人が信じている神様、慕っているイエスは私が信じ、慕っている方と同じだと言うことである。表現が微妙に違うことはあり、神学的に議論する余地はある。しかし、それはとても小さいことに思える。自分の信仰を相対化し、その中で、神様を見るとき、神様そしてキリスト・イエス、聖書の信仰が浮き彫りになって来るのであろう。
(2001年7月24日)
- 「データで検証!:地球の資源ウソ・ホント (エネルギー、食糧から水資源まで)」井田徹治著、講談社 (BLUE BACKS B1316 ISBN4-06-257316-4, 2001.1.20)
1 エネルギーと原子力、2 自然を利用したエネルギー、3 危機に瀕する水資源、4 食糧の未来、5 減少目立つ水産資源、6 森林資源の今日と明日、7 鉱物資源、8 人はどこまでいったら満足できるのか。このタイトルからもわかるように、かなり網羅的に資料、数値とともに現状と未来を分析している。著者は共同通信社で科学部記者として1991年から地球科学、環境問題などを担当。関連の国内外の会議で取材をしている。「10年以上にわたって、環境やエネルギーの問題を主な取材のテーマとしてきた記者として「資源」というものに焦点をあて、20世紀の人間の姿を描いてみようとしたのが、この書物である。限られた貴重な資源との付き合い方を根本から見直さない限り、21世紀の人類は、さまざまな環境問題に押しつぶされてしまうだろう。というのがこの本の主要な結論の一つだ。だが、悲観材料ばかりではない。21世紀に一歩踏み入れた人類は、この難問を解決するためのヒントをつかみ始めている、というのもこの本を書き終えた今の率直な思いである。」(261ページ)と述べている。膨大な資料が含まれるが、その資料は読者がたどれる程単純ではない。また項目ごとに計る単位が違うため、全体を統括して理解するには読者にかなりの負担を課す。しかし、これだけの網羅的なものは研究者タイプの学者にはおそらく書けないであろう。一般人がこの問題を考えるスタートとする本としてはかなり高い評価を与えたい。
(2001年8月9日)
- A History of the United States Through Art, by Eleanor Van Zandit, Thompson Learning, New York 1996 (ISBN 1-56847-443-1), first published in Great Britain in 1995
The pictures in this book span nearly four hndred years of American history --- from the founding of the first European colonies to the present day. The work of the different artists in this book shows us some of the many events and experiences that have shaped the history of the United States of America.
Contents: The first Americans, The Plymouth Colony, Settlers from many lands, Farm life, "The British are coming!", The declaration of independence, Washington's surprise attack, The era of good feelings, New frontiers, The trail of teas, The gold rush, Slavery, The Civil War, The battle of Gettysburg, Liberty and a new life, The Railroad, The Wild West, "The Yanks are coming", The great depression, "The marines have landed,", A world power, Glossary, Time line, Further reading
その当時の生活を良く表している絵が選ばれている。必ずしも著名な画家のものばかりではない。小学校高学年用に書かれたものではないかと思われる。解説がひとつひとつ興味深い。特に、The Cherokees の Geogia から Oklahoma への移住 1838 の記事は興味深い。くらい側面を含んだ、叙述によって子供たちに伝えようとしている歴史の重さと著者の心がよく伝わってくる。
(2001年10月20日)
- The Lottery Rose, by Irene Hunt, Berkley Books, New York, 1986 (ISBN 0-425-10153-3)
"Who said growing up would be easy?" --- Abused by his mother and her boyfriende, Geogie Burgess learns to hide his hurt. He withdraws into a safe and secret world of beautiful gardens filled with roses; just like those in the library book he treasures. When Georgie wins a small rosebush in a grocery store lottery he gives it all the love and caring he has never had. Georgie's life begins to open up for him when the courts send him to a home for boys where he will be safe. Slowly , and not without pain, Georgie learns to give --- and to receive love." (from the back) 英語の小説で完全に読んだのは初めてかもしれない。小学校6年生の課題として、授業で扱い、毎日一章ずつ宿題として読んでいったものだが、私は、学校のペースより遅れて読み終えることができた。子供の物語を、大人風な心理描写によって深みを与えようとせず、あくまでも実際の子供の心境として表現している。著者が子供を、ありのままにとらえている姿勢に感銘を受けた。特に最後、バラに最大の愛を注いできた Georgie を、retarded でかつ池にはまって死んでしまった Robin の墓に捧げるときの言葉は印象深い。"Yes, it's the best gift in the world." He had said that to Mrs. Sims the day he won the rosebush; it was still true tonight when he was given it away."
(2001年10月31日)
- The Egypt Game, by Zilpha Keathley Snyder, Bantam Doubleday Dell Books for Young Readers, a division of Random House, Inc., New York, 1967 (ISBN 0-440-42225-6)
The first time Melanie Ross meets April Hall, shie's not sure they'll have anything in common. But she soon discovers that they both love anyghing to do with ancient Egypt. When they stumble upon a deserted storage yard behind the A-Z Antiques and Curio Shop, Melanie and April decide it's the perfect spot for the Egypt game. Before long there are six Egyptians instead of two. After school and on weekends they all meet to wear costumes, hold ceremonies, and work on their secret code.
Everyone thinks it's just a game, until storage things begin happening to the players. Has the Egypt Game gone too far?(Illustgated by alton Raible)
小学校6年生の課題として授業で扱い、毎日一章ずつ宿題として読んでいったもの。エジプトごっこ自体は、あまり興味がなかったが、最後のてんまつはなかなかよく出来ている。エジプトごっこには、興味がないと書いたが、学校では、歴史でエジプトの勉強をし、さらに、象形文字をつかって、いろいろのものを作るなど、アメリカでの学校の学級運営は、興味を持った。娘も、それなりにエジプト博士になっていたようだ。
(2001年11月27日)
- 「愛されて、許されて」鈴木啓之著、雷韻出版 (ISBN 4-947737-20-4)
今は、「ミッションバラバ」の中心メンバーとしても知られている、ヤクザからキリスト教の牧師になった人の自伝である。ヤクザの世界も赤裸々に書いてある。自分がどれほどひどい人間かを知っているかが、自分がどれほど深く愛されているか、そしていかされているかを知る度合いだということを証明しているような、証である。中に挟まれている、今もクリスチャンではない人の証言、最後にある、作家の安部譲二氏の言葉が素晴らしい。これらの言葉をそのまま載せている凄さと、その言葉の裏に見える本物の証言に心がぶるぶるっと震え、本気ではないと、この人と向き合うことが出来ないと思わされる。体調を崩し、英語の本を読めなくなって回復するまでの2,3日で読んだが、非常に新鮮だった。「親分はイエス様」の映画などと同時に、お勧めの一冊。
(2001年12月9日)
- The Giver, by Lois Lowry, RIC (ISBN 0-440-21907-8)
Jonas's world is perfect. Everything is under control. There is no war or fear or pain. There are no choices. Every person is assigned a role in the Community.
When Jonas turns twelve he is singled out to receive special training from The Giver. The Giver alone holds the memories of the true pain and pleasure of life. Now it's time for Jonas to receive the truth. There is no turning back.
中学での推薦図書。この本も John Newbery Medal (青少年向けの本に関する賞)をとった本である。設定が非常に興味深い。最後の終わりかたは、多少物足りないが、著者の才能は十分伺わせる。そのコミュニティーで大切にしているのが Precision of Language で言葉を大切にしているところがこの本の文学性も高めているのであろう。何度も出てくる、「ほかの生き方があるとは考えてもみなかった」は、いろいろと考えさせられる。この本を利用して、中学でさまざまな議論をさせる授業の運び方には学ばされるところが多かった。
(2001年12月18日)
- Permutation Groups, by Peter J. Cameron, Cambridge University Press (1999, ISBN 0-521-65378-9)
1. General Theory 2. Representation Theory 3. Coherent Configuration 4. The O'Nan-Scott Theorem 5. Oligomorphic Groups 6. Miscellanea 7. Tables 有限単純群分類以後の扱いおよび、無限置換群にかんする扱いが含まれている。古典的な問題もいくつか含まれ、十分楽しんで読むことが出来る。Exercises も豊富で、Cameron の博識と有能さがあふれている。しかし、無限置換群に関することなどは、個人的には、どうしてもなじむことが出来なかった。結果として、5章以降は、とばして読んだものもある。書き方の問題というより、現在このトピックについて標準的な教科書を書くことはむずかしく、Cameron の興味の分野を訪ね歩くこと以上はむずかしいということかもしれない。
(2001年12月)